2005年12月23日(金) <<前日 | 翌日>>
起床時刻: 12時08分 17時20分
今日の気分(本文)
睡眠時間15時!!!ダメな人だ。
三時に寝た。
一度九時に目が覚めたのだけど寝てしまった。
12:08二度目の起床。一時間ほど起きているがあまりにも眠いために布団に入る。
17:30.三度目の起床。頭が痛い。
今日見た夢。1僕が空中を飛んでいて地上に落下して爆破する夢。何度も輪廻した。2受験に落ちているかもしれなかったので受験票を確認した。ここさいきん見た夢の中でもっともひどかった。
■現代文学会の改選総会。Kが幹事長。僕も納得。
総会後つっちーとご飯を食べる。
■そろそろ映画サークルで友達を作ったほうがよいと思い、飲み会があるかどうか友達に確認すると27日にあることがわかる。早く映画を撮りたいのでその日まである程度書き上げて友達に構想を話すことに決めた。まだぜんぜん仕上がってないのでこれから猛ダッシュで仕上げねばならず段々とやる気になってくる。いい調子だ。
■ウェス・アンダーソンについて書いた。
誰でも青臭い年頃には少しばかり恥ずかしい体験をもっているものだ。思春期の少年たちは待望を抱きお気に入りのアーティストと自分を自己同一視したりして夢に浸る。だがその夢ってのは高度経済成長の頃や戦前の頃のような夢とは違う。金持ちになる、有名になるといった誰もが共有できる「夢」は嘘っぽくなっているし、仮にそのような夢を持っていたとしても一通りアイデンティティの模索の時期を過ぎれば、その夢を忘れ、あるいは妥協し、空虚な現実を見つめていくしかなくなるだろう。昔であれば「理想」があったのだろうけれど、今は誰もそんな理想を持っていないし、必要ともしていないからだ。それはヒーローものの漫画や映画よりももっと現実に根付いた作品が生み出されている状況を考慮すれば、僕のい言っていることは少しは正当化されるだろう。時代はそのように「夢」を見なくなっているし、今「夢」は消えて「現実」が残っている。だとすれば、もしいま「夢」を語るとすればどのようにして語ることが可能なのか?
ウェスアンダーソンはそのヒントを与えてくれるように思う。彼は第一作目と二作目で「天才」をその作品に登場させている。『天才マックスの世界』は天才の高校生の話、『ロイヤルテネンバウムズ』も天才家族の話だ。最新作『ライフアクアティック』も「天才」ではないが海洋ドキュメンタリーで名を馳せた「成功者」が主人公である。だがそこで描かれている「天才」とは例えばあまりにも古典的な「天才」詐欺者を描いた『キャッチミーイフユーキャン』とは違って、あまりにも「胡散臭い」(がゆえにリアリティを持った)「天才」である。例えば『天才マックスの世界』を例に挙げて説明してみよう(未見の人にはわかりづらいと思うけど)。マックスの行動はたしかに凡人とは違って、例えば何十ものクラブ活動に精を出しそのいくつかは彼自身が作ったクラブであったりと、その行動力は眼を見張るものである。だが彼は「天才」といってもあまりにも完全さからは遠い「天才」なのである。彼はたしかに演劇の演出の才能があり資金力集めにも優れているが、いくつもの天才に相応しくない特徴を持っている。まずその容貌はかなりヘボい。メガネをかけた犬顔の彼は、理想の天才像から程遠く、サエない。社交能力に一見長けているように見えるが、その動機は曖昧だ。好きな女性へのアプローチの仕方も限りなく幼稚で、とても頭が良い人間には思えない。やたらと見栄を張りたがるその性格も、かなりのコンプレックスを抱えているようにしかみえない。このいくつかの欠点は古典的な天才像からは程遠い。けれども先述したように今は古典的な天才にはもうリアリティがなくなっている。だからこそ、この「本当っぽさ」から背を向けた「胡散臭さ」や「欠点」の演出によってこの「虚構」の物語に感動できるのだ。陳腐な言い方だがその演出が彼を「現代的」に見せてる所以なのだろう。21世紀に足を踏み入れた僕たちはウェスアンダーソンにまず不意打ちを食らったわけだが、その衝撃を積極的に肯定しなければ到底21世紀で映画を見続けることはできないだろうと僕は思う。
■七尾旅人がすごいわかる。泣ける。
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