20090704 <<前日 | 翌日>>

起床時刻: 12時30分

今日の気分(本文)

眠れなくて朝の5時半まで本を読んでいた。三島由紀夫の『美しい星』。SF?というかなんというか,とにかく今まで読んでた三島作品とは比べてかなり異質だったけど,現代文明に対する警鐘ということできちんと“らしさ”も出ている本だった。
主人公一家は宇宙人。要するに宇宙人から見たら地球上の人類はどう映るか,という話である。私はどちらかと言うと過度の発展には否定的だし,人類の将来についてもどちらかと言うと暗いものをイメージするので,共感する部分が多かった。しかし,これは公務員を目指す者としてあまりよくない事なのかも知れない。

経済発展をマラソンのレースに例える。経済の発展には明確なルートもゴールは無いので,言ってみればコースも目的地も無いまま必死に走っているのが人間だと言うこともできよう。
そして小学校の運動会のような「みんなで手を繋いで走りましょう」(すなわち社会主義)ではなく「みんなで競争して切磋琢磨しながら走りましょう」(すなわち資本主義)だから,当然身体にも負荷がかかる走り方を人間はしているわけである。競走についていけなくなって先頭集団から脱落する人,遅れながらも必死についていこうともがいている人,ゴールの無いことに絶望して途中で自らレースを放り投げる人,さまざまである。
速く走れる人は,脱落していく他の人には目もくれない。早く走ることだけが人間の価値だといわんばかりに,ただひたすら走る。そして本物のマラソンレースよろしく,レースの運営に著しい遅延をもたらすおそれのある走者は失格となり,強制的にレースから排除される。早く走ることのできない者は,自分のペースで走ることさえ認められないのである。
その一方で唯一走ることを強要されない存在が審判や補助員(すなわち政府・公務員)であろう。ランナーから見ればただ突っ立ってるだけの彼らは,「楽しやがって」という印象をもたれるのもやむなしなのである。しかし彼らがいなければもっと大変になる。
審判の役目は,ズルをするやつがいないか監視したり(公正取引委員会),早く走れるようにアドバイスをしたり(文科省),レースから遅れ始めた人のフォローをしたり(厚労省),さまざま。彼らがいなければ何でもありのサバイバルレースになってしまい,ランナーはさらに疲弊していくだろう。

今の私は走るのを止めて審判を志願しているランナーである。無事やらせてもらえればよいが,認められなければ再びランナーとして走り出さざるを得ない。それも先頭集団からは大幅な遅れを取って。
ひょとしたら今ならまだ若い(?)ので必死に走れば先頭集団に追いつくこともできるのかもしれないが,リスクは大きい。速度違反(労基法違反)で取り締まられないかが心配である。