20061018(水) <<前日 | 翌日>>

起床時刻: 04時30分

今日の気分(本文)

 昨日は朝から4コマ講義、昼は会議、授業後は卒論指導と、ほとんど休む間もなく仕事をする。会社勤めの人は毎日こうした生活をされている、という気もするが...。妻と子供は先週末から明日まで実家に帰っており、仕事をいろいろ片付けるチャンスなのだが、疲れていたので9時半頃就寝。
 本日、久しぶりに4時台に起床。調子も悪くない。洗面、鼻うがい、排便、軽い読書をしてから、5日ぶりのフルプライマリ―の実践をする(今月9回目、通算58回)。すこし間があいてたので、このまま元の生活に戻ってしまいそうで少し心配していたが、なんとか持ち直した感じ。フルプライマリ―をする前にすこし入念に佐保田式の準備体操をする。そうしておくと手先、足の指先にも意識がいってよいようだ。ここ数日、臀部の痛みもほとんどなかったが、その体操がよかったのだろうか。アシュタンガでは高度なアーサナが結構含まれているので、体が堅い人や冬場には怪我をしないための準備が必要な気がする。ある程度、柔軟性があれば、太陽礼拝が準備運動になっているので必要ないだろうけど。
 プライマリ―の実践自体はかなり集中して、からだの微妙な変化を感じながらおこなえた。スタンディングの途中まではこれまでにないくらい充実していたが(昨年秋以来??)、徐々に失速していったような...。集中、集中。
 ヴィヴェーカーナンダ師曰く、「もし心がその中心に12秒間集中することができるなら、それはダラーナであり、12のそのようなダーラーナはディヤーナであり、そして12のそのようなディヤーナは、サマーディであろう。」(『ラージャ・ヨーガ』p.90)
 佐保田氏はこの2つを呼吸の長さで説明している。
 「・・・凝念(ダラーナ、集中)と静慮(ディヤーナ、瞑想)の区分は、実際上ではつけられないものです。そこで、両者を区別する規準を、それを使った時間の長さにおいている人もいます。それは凝念の12倍の長さのものを静慮ということにするのです。この計算の時間単位になるのは、1回の呼吸に要する時間の長さです。
 12呼吸(144秒〜1296秒)=1凝念
 12凝念=1静慮(144呼吸)」
もちろん、両者のちがいもつぎのように指摘している。
 「凝念のねらいが、なるべく狭い範囲へ注意の焦点をきめて、その対象をできるかぎり明確に意識にのせる作業であるのに対して、静慮のねらいは、凝念の作業によって得られた明確な意識をあらゆる瞬間に持ち続けながら、選ばれた対象についての想念の流れを、だんだんとひろげてゆくことにあります。」(『ヨーガ入門』pp.218-219)
 私の感じでは、おそらく、ヴィヴェーカーナンダ師の言う、約2分集中できていたら瞑想だと思う。ずっと以前に読んだ和尚ラジニーシの本では、「もし1分間、マインドに何も浮かばなかったら、私はあなたを即座に悟らせてあげる」とあった。要するに、集中、瞑想ともになかなか大変だということだろう。
 本日は午後から学科会議、講義2つ、教授会。午前にすこし仕事をしてから出かけたい。

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