2007年09月12日(水) <<前日 | 翌日>>
起床時刻: 07時40分
今日の気分(本文)
昨日は、朝のレッドクラスのあと、デイビッド・スウェンソン氏の午前のワークショップ「アシュタンガヨガ入門」それから夜の「八支則(アシュタンガ)の哲学」という講義の2つの通訳をする。一昨日のウェルカム・パーティーにつづき、とてもとても貴重な機会をいただいた。が、さすがに3時間近いクラス2つを通訳して疲れが出たため、今日のマイソールクラスは欠席。一日、静養と仕事の雑務処理をする。明日はまた4時半には起きて、マイソールとワークショップに参加する予定。
昨日、一昨日とデイビッドの語りのなかからいくつか記憶に残ったものを書き留めて、多少くっつけたりしてまとめてみました(通訳中はメモを取れないのでほとんど抜け落ちてますが、本当にふか〜い言葉をユーモラスに伝えるアシュタンガヨガ行者の最高峰の一人だと再認識しました)。
***
デイヴィッド・スウェンソン語録(9月10日、11日からの抜粋)
1 個人的生活
現在、一年のうち11ヶ月は旅に出ている。だから規則的な生活はなかなか送ることができない。旅先では、プライマリーかセカンダリーシリーズを練習している。(ホテルの部屋が狭い場合はどうするのか?)マットを敷くスペースさえあれば練習はできる。それさえないときもあった。そのときは、ベッドを壁に立て掛けて、その余ったスペースで練習したこともある。倒れてくるかも、と考えてちょっと怖かったけど(笑)。練習は基本的に朝するが、その日教えるスケジュールによって午後に練習するときもある。
(食生活は?)食事は基本的にお腹がすいたらたべる。こちらもきまったパターンがあるわけではない。一般的には、メインの食事は一日2回。朝はほとんど食べないか、食べても軽いもの。基本的にはベジタリアン、魚も取らない。乳製品はとることもある。甘いものも食べることある。コーヒーは味が好きでないのでとらない。スパイシーなものもそれほど好きではない.(睡眠時間は?)状況によるが7時間くらいは寝ていると思う。(それ以外で飼っているペットや奥さんの話などをいろいろ伺いました。)
2 ヨーガ全般について
・英語版の著書の翻訳(数カ国語、日本語版も含む)の出版準備を進めている。あと3ヶ月以内に刊行予定。フルプライマリー(ハーフプライマリー)のDVDも新たに制作している途中(発売日は未定)。
・(その英語版を拝見したが、そこでのアーサナ以上に呼吸を強調するアプローチ、アーサナを通して覚醒/気づきを重視する姿勢は独自のものか、それともグルジの影響?)グルジは英語があまり上手に話せない。英語圏の人たちは自分自身でアシュタンガヨーガを理解する必要があった。私も自分なりの理解を確立していった。私は多くの生徒にヨーガを教えて、怪我をさせないことを第一に考えるようになった。自分にとってもそうだが、そうすると自然と呼吸を重視するようになった。
覚醒/気づきの重視は、アシュタンガを1973年にはじめる以前、ヨーガと出会った69年以降からの姿勢。兄と一緒に外で練習をしていた。そうすると当然ながら、外界(風、花のかおり、太陽など)との関わり、自分と自然との結びつきをより意識するようになる。気づきの重視はそんななかで生まれた。
・(ではヨーガを深刻に捉えない姿勢も独自のものか?)人生にはいろんな困難がある。ヨーガはその大変な人生を少しでも楽になるためにしているもの。だから、ヨーガくらいは問題を持ち込まず、楽しく実践したい。この考え方はヨーガをはじめた当時から変わらない.ヨーガをしていると私は楽しい、これが原点。(確かに、物事をむずかしく捉えるのはやさしい。物事をやさしく捉えることはむずかしい。でもものの見方による。)
・(アーサナの練習をやりたくない、気分が乗らない日もあるが?)毎日、私たちは歯を磨く。磨かないと気持ち悪いから。確かに歯磨きは楽しいからしているわけではない。ヨーガも同じ。少しだけでも毎日する。でも数日、数週間、空いてしまったら、またスタート地点にたってはじめればいい。楽しく、よりよい一日にするために練習している。それに必要な量のプラクティスを自分で感じ取っておこなえばいい。無理に多くの量をする必要などまったくない。
・(アシュタンガヨーガの魅力はそのストイックさにあるという意見をどう思うか?)私はアシュタンガヨーガがストイックなものとは捉えていない。同じ物事でも、それを難しく捉える人がいる一方、簡単に考える人もいる。自分は楽しく、やさしく考える傾向にある。
・(いままでに練習してきてもっとも難しかったアーサナは?)どのアーサナも、すべてむずかしい。マインドがむずかしく考えていて、実際体を動かすことはむずかしくないアーサナもある。逆に、アーサナはうまくできないけど、マインドは全然深刻に捉えていないアーサナもある。人によってむずかしいと考えるアーサナもまちまち。
・(セカンドシリーズをはじめる目安はバックベンドから起き上がれるようになったとき?)そうは思わない。教える先生によって方針は違うと思う。習っている個人によっても基準は違うと思う。(注:ご著書には、フルプライマリーの順番を憶えて、自分で練習できるようになっていることが基準。アーサナに完成はないので、それ以上の資格は必要ないと書かれています。)
・(アーサナについて)人生には達成しないといけない物事がたくさんある。もちろん、競争しないといけないこともある。ヨーガくらいはそうしたことを気にせずに楽しみたい。ヨーガにおいて本当の意味での勝者は、限られた時間のプラクティスをどれだけ深く味わい、楽しめたかどうかによって決まる。アーサナの習熟度など関係ない。
ヨーガのアーサナには完成はない。ちょうど、音楽家やアーティストの作品に完成がなく、一生をかけて洗練させていくようなもの。アシュタンガヨーガのアーサナ、ビンヤサも一生かけて少しずつ、忍耐強く洗練させていくもの。
・(よいヨーガのプラクティスとは?)「今日のヨガはどうだった?」と質問されたらどう答えるだろうか。「今日はよかった。なぜなら○○○」「今日はダメだった。なぜなら、○○○」とできた、あるいはその日できなかったアーサナ、ジャンプスルー、うまく手が組めたかどうかなどのリストが来るのではないか。でも、そんなことはヨーガとは関係ないこと。本当のヨーガにおいては、「今日の練習はうまくいった、なぜなら練習の途中に3呼吸の間、マインドが静まり、気がちることがなかった」といったようなコメントになるべき。ヨーガとは、内側を見つめること。もし外側にのみに捕われていたら器械体操と変わらなくなる。
ヨーガにおけるアーサナは遊び場におかれた遊具のようなもの。遊具自体が目的ではない。
ヨーガのダラーナ(集中)とは、一度に1つのことをおこなうこと。また、いま、ここに在ること。
ヨーガの目的は、自分が肉体ではなく、マインドでもない、それらを超えた変わらない存在であると理解すること。ヨーガの本当の意味での真価が問われるのは自分が死を迎えるときかもしれない。そのとき、これまでおこなってきたヨーガのプラクティスが本当に試される。自分を肉体と捉えているのか、それとも自分を肉体やマインドを超えた存在であり、死は新たな生の形態への移行だと深く理解しているのか。深く理解していれば、死は恐怖を与える対象ではなくなっており、リラックスして身を委ねて迎えられるはず。
・(真のヨギーとは)真のヨギーはアーサナの出来とは関係ない。職業とも関係ない。山奥や洞窟でなく、この町中でビジネスマン、主婦、あるいはヨガの先生として普通に暮らしているかもしれない。私の考える真のヨギーとは、「彼/彼女の存在によってその場のムード、エネルギーが少しでも高まりをみせるような人のこと。その人によって、以前よりも少しでもピースフルな状況がもたらされる、そんな存在」
コメント
NAT-TUN
2007/09/14 23:54
通訳お疲れ様でした&ありがとうございました。
David語録は今読み返してみても、重くて考えさせられます。マイソールのアジャストでもいろいろ気づかされました。今後の練習に生かしていきたいと思います。
なかじまま
2007/10/18 21:39
今年8月にアシュタンガヨガに出会い、はまっている主婦です。まだまだアーサナ中心のヨギーニですが、いろいろな本を読み、内面にも目をむけて行きたいと思いました。参考になりました、ありがとうございます。
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昨日は、朝のレッドクラスのあと、デイビッド・スウェンソン氏の午前のワークショップ「アシュタンガヨガ入門」それから夜の「八支則(アシュタンガ)の哲学」という講義の2つの通訳をする。一昨日のウェルカム・パーティーにつづき、とてもとても貴重な機会をいただいた。が、さすがに3時間近いクラス2つを通訳して疲れが出たため、今日のマイソールクラスは欠席。一日、静養と仕事の雑務処理をする。明日はまた4時半には起きて、マイソールとワークショップに参加する予定。
昨日、一昨日とデイビッドの語りのなかからいくつか記憶に残ったものを書き留めて、多少くっつけたりしてまとめてみました(通訳中はメモを取れないのでほとんど抜け落ちてますが、本当にふか〜い言葉をユーモラスに伝えるアシュタンガヨガ行者の最高峰の一人だと再認識しました)。
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デイヴィッド・スウェンソン語録(9月10日、11日からの抜粋)
1 個人的生活
現在、一年のうち11ヶ月は旅に出ている。だから規則的な生活はなかなか送ることができない。旅先では、プライマリーかセカンダリーシリーズを練習している。(ホテルの部屋が狭い場合はどうするのか?)マットを敷くスペースさえあれば練習はできる。それさえないときもあった。そのときは、ベッドを壁に立て掛けて、その余ったスペースで練習したこともある。倒れてくるかも、と考えてちょっと怖かったけど(笑)。練習は基本的に朝するが、その日教えるスケジュールによって午後に練習するときもある。
(食生活は?)食事は基本的にお腹がすいたらたべる。こちらもきまったパターンがあるわけではない。一般的には、メインの食事は一日2回。朝はほとんど食べないか、食べても軽いもの。基本的にはベジタリアン、魚も取らない。乳製品はとることもある。甘いものも食べることある。コーヒーは味が好きでないのでとらない。スパイシーなものもそれほど好きではない.(睡眠時間は?)状況によるが7時間くらいは寝ていると思う。(それ以外で飼っているペットや奥さんの話などをいろいろ伺いました。)
2 ヨーガ全般について
・英語版の著書の翻訳(数カ国語、日本語版も含む)の出版準備を進めている。あと3ヶ月以内に刊行予定。フルプライマリー(ハーフプライマリー)のDVDも新たに制作している途中(発売日は未定)。
・(その英語版を拝見したが、そこでのアーサナ以上に呼吸を強調するアプローチ、アーサナを通して覚醒/気づきを重視する姿勢は独自のものか、それともグルジの影響?)グルジは英語があまり上手に話せない。英語圏の人たちは自分自身でアシュタンガヨーガを理解する必要があった。私も自分なりの理解を確立していった。私は多くの生徒にヨーガを教えて、怪我をさせないことを第一に考えるようになった。自分にとってもそうだが、そうすると自然と呼吸を重視するようになった。
覚醒/気づきの重視は、アシュタンガを1973年にはじめる以前、ヨーガと出会った69年以降からの姿勢。兄と一緒に外で練習をしていた。そうすると当然ながら、外界(風、花のかおり、太陽など)との関わり、自分と自然との結びつきをより意識するようになる。気づきの重視はそんななかで生まれた。
・(ではヨーガを深刻に捉えない姿勢も独自のものか?)人生にはいろんな困難がある。ヨーガはその大変な人生を少しでも楽になるためにしているもの。だから、ヨーガくらいは問題を持ち込まず、楽しく実践したい。この考え方はヨーガをはじめた当時から変わらない.ヨーガをしていると私は楽しい、これが原点。(確かに、物事をむずかしく捉えるのはやさしい。物事をやさしく捉えることはむずかしい。でもものの見方による。)
・(アーサナの練習をやりたくない、気分が乗らない日もあるが?)毎日、私たちは歯を磨く。磨かないと気持ち悪いから。確かに歯磨きは楽しいからしているわけではない。ヨーガも同じ。少しだけでも毎日する。でも数日、数週間、空いてしまったら、またスタート地点にたってはじめればいい。楽しく、よりよい一日にするために練習している。それに必要な量のプラクティスを自分で感じ取っておこなえばいい。無理に多くの量をする必要などまったくない。
・(アシュタンガヨーガの魅力はそのストイックさにあるという意見をどう思うか?)私はアシュタンガヨーガがストイックなものとは捉えていない。同じ物事でも、それを難しく捉える人がいる一方、簡単に考える人もいる。自分は楽しく、やさしく考える傾向にある。
・(いままでに練習してきてもっとも難しかったアーサナは?)どのアーサナも、すべてむずかしい。マインドがむずかしく考えていて、実際体を動かすことはむずかしくないアーサナもある。逆に、アーサナはうまくできないけど、マインドは全然深刻に捉えていないアーサナもある。人によってむずかしいと考えるアーサナもまちまち。
・(セカンドシリーズをはじめる目安はバックベンドから起き上がれるようになったとき?)そうは思わない。教える先生によって方針は違うと思う。習っている個人によっても基準は違うと思う。(注:ご著書には、フルプライマリーの順番を憶えて、自分で練習できるようになっていることが基準。アーサナに完成はないので、それ以上の資格は必要ないと書かれています。)
・(アーサナについて)人生には達成しないといけない物事がたくさんある。もちろん、競争しないといけないこともある。ヨーガくらいはそうしたことを気にせずに楽しみたい。ヨーガにおいて本当の意味での勝者は、限られた時間のプラクティスをどれだけ深く味わい、楽しめたかどうかによって決まる。アーサナの習熟度など関係ない。
ヨーガのアーサナには完成はない。ちょうど、音楽家やアーティストの作品に完成がなく、一生をかけて洗練させていくようなもの。アシュタンガヨーガのアーサナ、ビンヤサも一生かけて少しずつ、忍耐強く洗練させていくもの。
・(よいヨーガのプラクティスとは?)「今日のヨガはどうだった?」と質問されたらどう答えるだろうか。「今日はよかった。なぜなら○○○」「今日はダメだった。なぜなら、○○○」とできた、あるいはその日できなかったアーサナ、ジャンプスルー、うまく手が組めたかどうかなどのリストが来るのではないか。でも、そんなことはヨーガとは関係ないこと。本当のヨーガにおいては、「今日の練習はうまくいった、なぜなら練習の途中に3呼吸の間、マインドが静まり、気がちることがなかった」といったようなコメントになるべき。ヨーガとは、内側を見つめること。もし外側にのみに捕われていたら器械体操と変わらなくなる。
ヨーガにおけるアーサナは遊び場におかれた遊具のようなもの。遊具自体が目的ではない。
ヨーガのダラーナ(集中)とは、一度に1つのことをおこなうこと。また、いま、ここに在ること。
ヨーガの目的は、自分が肉体ではなく、マインドでもない、それらを超えた変わらない存在であると理解すること。ヨーガの本当の意味での真価が問われるのは自分が死を迎えるときかもしれない。そのとき、これまでおこなってきたヨーガのプラクティスが本当に試される。自分を肉体と捉えているのか、それとも自分を肉体やマインドを超えた存在であり、死は新たな生の形態への移行だと深く理解しているのか。深く理解していれば、死は恐怖を与える対象ではなくなっており、リラックスして身を委ねて迎えられるはず。
・(真のヨギーとは)真のヨギーはアーサナの出来とは関係ない。職業とも関係ない。山奥や洞窟でなく、この町中でビジネスマン、主婦、あるいはヨガの先生として普通に暮らしているかもしれない。私の考える真のヨギーとは、「彼/彼女の存在によってその場のムード、エネルギーが少しでも高まりをみせるような人のこと。その人によって、以前よりも少しでもピースフルな状況がもたらされる、そんな存在」
NAT-TUN
2007/09/14 23:54
通訳お疲れ様でした&ありがとうございました。
David語録は今読み返してみても、重くて考えさせられます。マイソールのアジャストでもいろいろ気づかされました。今後の練習に生かしていきたいと思います。
なかじまま
2007/10/18 21:39
今年8月にアシュタンガヨガに出会い、はまっている主婦です。まだまだアーサナ中心のヨギーニですが、いろいろな本を読み、内面にも目をむけて行きたいと思いました。参考になりました、ありがとうございます。
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