20080311(火) <<前日 | 翌日>>

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今日の気分(本文)

 昨日同様、ヨガ体操のルーティーンをこなす。別にどうということはないが、特別な心理操作(観照)を心がけないと単なる運動になってしまいやすいことも実感。あと、ある著名なインド哲学の先生の本に「本来体をしずめ心を静観するヨーガの目的が、ハタヨーガの発達によって、逆に体のみならず心まで活発化させてしまった」と書かれていた。当時はそうと言い切れるのか疑問だったが、結構的を射ていると思うようになった。前日引用したOshoの言葉同様、この先生はハタヨガは、本来ヨーガスートラが示すラージャヨーガの準備段階のために誕生したが、歴史的変遷によってその手段が目的化した(アーサナ中心主義ですね)と述べておられる。この指摘もおおむね正しいのではないかと思うようにっている。
 前日、ゲラの直しが終わったので、本日は確定申告の書類を作成。かなり時間かかったがおおよそ完成。あとは子どもの世話をして夕方まで過ごす。
 夜はゴヴィンダ氏によるヨーガスートラの座学。大体の内容は受講した人のブログ、あるいは私のスートラ講座に流れてきた(?)人たちのお話から想像はついたが一度私自身受講する機会を得たかった。そうした機会が地元名古屋で得られて実にありがたい。内容に関して...まあ、いろんな人がいろんなアプローチをするのはよいかと思います(笑)。少なくとも、私がスートラ講座をするニッチ(市場の隙間)はあること、その意義も多少はあるのではないかと多少の安堵感をもてた。
 いくつかの氏の座学で気になっていた「エゴ」「マインド」「経験する者」「あなた」などの言葉の意味について座学終了後、率直におたずねした。「ゴヴィンダ先生のお話はあるときは(ヨーガスートラが立脚する)サンキャ哲学をベースとして、しかし大半は(それとは別の系統であるヴェーダンダ哲学に依拠する)ジュニヤーナ・ヨーガに基づいて話しているためなのか、言葉の一貫性がたまに失われるため、私は理解に混乱が生じている。基本的に、お話の内容はジュニヤーナ・ヨーガのものである、もっと言えば、ラマナ・マハリシの世界とほぼ一緒と思ってよいのか」。答えは、「自分のなかでサンキャもヴェーダンタも統合しており矛盾ないが、そういわれるのならそうかもしれない。確かにシャンカラ、ラマナマハリシといったヴェーダンタの人たちは自分がもっとも影響を受けたヨギーである。」というような内容。ご本人から確認がとれてすっきりした。
 よい機会なので、ラマナ・マハルシの『あるがままに』『不滅の言葉』を読み返してみようと思う。ちなみに私自身にとっても、マハルシは特別な存在で、高校2年生4月の進路相談のときに、「20歳になったら南インドのマハルシのアシュラムで修行するので大学に行かない」と答え、担任と親から叱責された...。そのとき学んだものがいまもヨーガ理解の原点となっている。よく見失うのだが...。

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