20180327(火) <<前日 | 翌日>>

起床時刻: 07時30分

今日の気分(本文)

ネット断ちどころか、使い放題である~。

ここでまとめているとスッキリする。論文は引用したり、根拠を示さないといけないので、もっとグダグダ、しかし長いと迷路に入ることあるからニャ。

昨日は音楽理論の本を読んだ。難しい。前に出した論文の視点を大幅に変えて、あちこち修正しないと、だな。いまの時期にいまの順番でこの本を読んで、よかった。

内容自体は、前からあれこれ読んでほぼ分かっていることである。だが年表に照らしてみると、これまで見えなかったことが見えてきたのである~。

北宋の欧陽脩が『新唐書』を書いて、『唐書』といえば北宋末南宋初の任淵にとっては『新唐書』のことで、欧陽脩以前の『唐書』は『旧唐書』と呼ばれるようになった。王朝の呼び方と同じですね。欧陽脩にとっては「宋」だが、いまの私たちは「北宋」という。「南宋」がでけたから。

欧陽脩というのは、いろんなことを最初にやって、文人第1号のような人だが、この人の目を通してみた唐代音楽像なんだ、ということに注意すべきだ、というのが一昨日読んだ本のひとつの主張である。「燕楽」もそれに含まれる。だから一昨日の著者は「燕楽二十八調」と呼ばずに「俗楽二十八調」と呼ぶのだが、「俗楽」が「雅楽」の対立軸として出てきたのも唐代ではなく、北宋なのだ。。

現在の私たちが見えていることと、当時の人々が見えていることは、違う。私たちのほうが情報量が少ないことも多いが、逆のケースもある。ちゃんと整理して、当時の人々の見た風景を、私も見たい。

さて、中国では古くから音楽を重視して、宮廷では儀式の際に使っていた。宗廟の祭祀と、それが終わったあとの饗宴と。古くは区別がなく、同じ楽だった、と『周礼』にはあった。「区別すべきだ!」と言いながらちゃんと区別できたのは、唐の玄宗以降である。唐末五代の戦乱で、北宋の時代には唐代音楽の様子はだいぶ分からなくなってはいたが。。

北周の天和3年(568)、亀茲(クチャ)から蘇祗婆(Sujiva)という琵琶の名手が長安へ来て、隋の時代になって開皇二年(586)、鄭訳に琵琶を教えた。「一均の中に七声があり、尋ねると『父が西域におり、音楽をよく知ると言われていました。代々習い伝えて、調に七種類あります』と答えた。鄭訳はそこで琵琶の絃と相(柱、フレット)で高さを調整しながら研究し、七調十二律、合せて八十四調とした」と、『隋書』に記されている。

当時の琵琶は、四絃四相か、五絃四相。イラン系とインド系があったんで。バチで弾く。ところが現在の琵琶は、四絃で、頸のところに相があるが、面のところにもっとたくさん柱がある。指で弾く。いつからそうなったのか、座って弾くようになり(敦煌の壁画などはほとんど立って琵琶を弾いている)、琵琶を膝の上に立てて持てるようになってからだと思うけど。五代南唐の時代はまだ座ってはいるが斜めに抱きかかえてバチで弾いている(画がある)。

現在のような琵琶しか知らないと、1本の絃で七声(音)弾けたので、4本の絃で7声×4絃=28調、と数字だけ見ていると、そう考えても仕方ない。でも日本に伝わっている当時の琵琶を知れば、1本の絃で出せる音は開放弦+4相の、5音しかない。×4絃で、音は20個。「7声×4絃=28調」なんて、単位もぐちゃぐちゃだしー。

それと同じ時期のインド古楽も出てきて、つきあわせると、蘇祗婆(Sujiva)はインド古楽の七調を鄭訳に教えた、ということである。その七調はインドのあれとこれと、というのが昨日読んだ本の内容である。

隋の鄭訳は、九年にわたる隋初の楽議で「八十四調を使いませう」と主張したが、あまりうまくいかなかった。しかし「雅楽は八十四調、燕楽は二十八調」というのは、北宋の時代には「理屈としては」定着していく。実際に楽器でどう実現するのか、というところで頓挫するわけだ。白石君もいろいろ研究して、提案したりしまちた。

蘇祗婆(Sujiva)の二十八調には、徴調がなかった。蘇祗婆(Sujiva)以前、中国の伝統的な音楽理論では、基準となる音の高さ(絶対音高)をどう決めるか、という議論ばかりやっていた。調が、宮調ばっかりだったから。徴調もあったらしい、と昨日の本には書いてあった。宮調と徴調は面白い関係にある、ということは昨年夏にもここで書いたが、よく似ていて、転調しやすい。

とにかく徴調がなく、宮調・商調・角調・羽調だった。それだけでもビックリ、耳で音楽を聴いてはいても、理屈として「そういうことか!」と気づいて、それなら、と八十四調まで展開したわけだが、その前に「絶対音高はどうするの?」議論も何度もやり、「絶対音高はこれにするぞ!」と決めたあと、「で、八十四調?」となった時に、「徴調って、曲ないじゃん?」が問題となる。その頃には「角調も曲ないけど?」になっており、「燕楽二十八調」と言うけれど、実際に曲があるのは「十四調だ」「いや十一調しかない」という状況だった。

「ないなら作ろう!」と豊臣秀吉みたいな(そうかな?)ことをやったのが北宋の徽宗で、「殿、ご立派♪」と大喝采だったが、「でもちょっと変だしー」の声は当時もあり、「じゃあ、こうしたら?」と白石君も研究したのである。そのとき白石君は、琵琶ではなく琴をいじりながらね、というのが私の主張である~。

インド音楽というのはとっても複雑で、インド人が西洋の交響楽とか聴くと、退屈でやってらんない、らしい。中国人も(日本人も)あまり調性について敏感ではなく、1オクターブ内に半音が12個(ピアノの白鍵+黒鍵)あるけど、そのうち5音(黒鍵)か7音(白鍵)だけで、けっこう曲になる。白鍵7個あっても、ミシ抜き音階とかファシ抜き音階とか、いって。

なので、蘇祗婆(Sujiva)が説明して弾き分けた(だろう)二十八調も、中国で琵琶以外の楽器とか曲とかに吸収されて定着していく間に、どんどん減っていったのでせう。しかし理論を構築しようとする時には、あれこれ考えて抜けている箇所を埋めようとした、のですね。

コメント

nekonori-216 nekonori-216 2018/03/27 09:43

おはよう春ねえ♪
読書はかどるね。
白濁には注意してね~。

(この日記にコメントできるのは登録ユーザーだけです → ユーザー登録 / ログイン