20190102(水) <<前日 | 翌日>>

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今日の気分(本文)

大塚国際美術館のHPを見ましたニャ。なぜ製薬会社が徳島でタイルを造り、滋賀県の信楽と関係が? すべては「一握りの砂」から始まったそうじゃ。ぞぞの人やごーんさんも、こういう風に金を使えればよかったね♪

「一握の砂」といえば啄木であり、「はたらけどはたらけど猶ほわが生活楽にならざりぢっと手を見る」である。借金しまくって酒飲んでたからでしょ、という話もあるが。

「一握の砂」の最初の句は、「東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたはむる」であり、冷凍してあったカニをお昼に食べると、我が家のおせちも終わりである~。

青空文庫で続きも読む。しばらく砂浜にいるな。。

 頬につたふなみだのごはず一握の砂を示しし人を忘れず
 大海にむかひて一人七八日泣きなむとすと家を出でにき
 いたく錆しピストル出でぬ砂山の砂を指もて掘りてありしに
 ひと夜さに嵐来きたりて築きたるこの砂山は何の墓ぞも
 砂山の砂に腹這ひ初恋のいたみを遠くおもひ出づる日
 砂山の裾によこたはる流木にあたり見まはし物言ひてみる
 いのちなき砂のかなしさよさらさらと握れば指のあひだより落つ
 しっとりとなみだを吸へる砂の玉なみだは重きものにしあるかな
 大という字を百あまり砂に書き死ぬことをやめて帰り来たれり

やっとおうちに帰ると、あばら屋には幼な児と年老いた両親と糟糠の妻がいた。

 目さまして猶ほ起き出でぬ児の癖はかなしき癖ぞ母よ咎むな
 ひと塊の土に涎し泣く母の肖顔つくりぬかなしくもあるか
 燈影なき室に我あり父と母壁のなかより杖つきて出づ
 たはむれに母を背負ひてそのあまり軽きに泣きて三歩あゆまず

こんな現実にはたえられない! とまた家を飛び出す。。よっ、無頼!

 飄然と家を出でては飄然と帰りし癖よ友はわらへど

啄木はやばいヤツだった。。文学があってよかったね♪

ところで米津玄師の「Lemon」である。米津さんは文学作品を読むのが好きらしい。この曲も「レモン哀歌」を思い出す。ドラマ「アンナチュラル」の主題歌で、ちょうどドラマの再放送を年末からやっていて、今日は最終回。

私はいちど見ているので見ないが、あのドラマは最終回が残念だった。ただのサイコパスの犯行で、不条理っちゃー不条理の極みかも知れないが。。

歌詞が難しい、と意味・解釈・考察をしている人たちがいた。途中で「わたし」と「あなた」が入れ替わる!、というが、ドラマを見ていたら、最初から最後まで「わたし」が語っているとしか、解釈できない。

>何をしていたの 何を見ていたの
>わたしの知らない横顔で

>どこかであなたが今 わたしと同じ様な
>涙にくれ 淋しさの中にいるなら
>わたしのことなどどうか 忘れてください
>そんなことを心から願うほどに
>今でもあなたはわたしの光

最後にみた「あなた」、夢に出てくる「あなた」、私の知らない「あなた」が、(死んだあとの)今でもどこかで私のように涙にくれ寂しさの中にいるなら、こんな私のことはどうか忘れてください、「あなた」は私の光なのだから。

死の真相が分かって、「あなた」が何をして何を見ていたのか分かって、「あれから思うように息ができない」私が多少息がしやすくなって、ドラマは終わる。「自分勝手な話だよね」と米津さんもどこかで答えていたような。

『智恵子抄』の高村光太郎もずいぶんな芸術家で、米びつの心配なんかしない。ところが奥さんのほうは芸術を極めたい気持ちと現実的な生活の狭間で、折り合いがつけられずに壊れた、のだった(たしか)。それすらも夫のほうは「昇華」しちゃった。

コメント

michi0401 michi0401 2019/01/02 07:07

おはよーございますにゃあ♪
IPadに単語を覚えさせていますにゃあ(^^)

mack_chan mack_chan 2019/01/02 07:48

数年前に行きました。
タイルで十分、世界の美術館を巡らなくてすむ!と思いまちたよ。

tak_si tak_si 2019/01/02 07:57

わたしもちくま文庫の『貧乏まんが』を読んだところです。O. ヘンリーっぽいのはう〜んですが、救いようの無い、けれどどこかに救われそうなのもあって、そちらの方が好きです。

huangzi huangzi 2019/01/02 10:55

今年もうしがえるのご研究費用を稼ぐべく、働きたいと思います。

nekonori-216 nekonori-216 2019/01/02 21:55

よるさんぽー。

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