20190709(火) <<前日 | 翌日>>

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今日の気分(本文)

ねぼー。夜中にいちど起きていたからニャ。

梅雨寒はつづく。。夏用ひんやりシーツだったが、あったかい綿毛布に交換し、お布団あっためてから、寝直した。

昨日はゴーヤ(わたも種も食べられます)を買ったので、豚肉といっしょに炒めた。たしかに、わたは炒めたらどっかへ消え、種は柔らかくなって、ぜんぶ食べられた。ふーん。わたや種のほうが栄養あるって。

おすすめトマトジュース(無塩)寒天も、作ってみた。真っ赤である~。かわゆい♪ 

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うげっ。今日もお昼寝爆睡3時間、してしまつた。夜、眠れるかしらん?

午前中は、白石君の書論のために初唐の書論と、それ以前の画論を理解しようとして、まず「画山水序」の論文を読んだら、著者が廬山の慧遠の弟子で仏教と山水の関係が出てきて、山水詩の謝霊運(この人も仏典の翻訳とかしていた)の論文も読み、さらに嵆康と仏教の論文も出てきて、読んだ。

実作がたまってから理論が出てくる。

先秦の時代は礼楽の実践、漢代になって『礼記』楽論が出て、この頃までは詩楽の理論が中心。魏の曹丕が文学論を書いた頃、竹林の七賢の嵆康は神仙思想にはまっていたが、仏教を知らなかったわけではない。晋宋の時代のいくつかの貴族グループは、もっと仏教と関わりを持ちながら、書画の実践(書のほうが多い)と書論・画論(当時の官吏登用にならってランクづけ)を始めた。文学理論もさらに充実する。

礼楽と書画のあいだに詩文の橋がかかっていて、その橋をかけたのは魏の文人グループ、という感じかな~。

書画が云々されるには、紙の発明が大きい。紙が発明される以前は、竹簡・木簡に自由に文字を書いたり画を描いたりは、できなかったでしょうからね。保管もたいへんだっただろうし。魏の頃からどうたらは、紙の普及とも関係すると思う。

1枚の紙に画も文字もいれる、というのは仏典が早かった鴨? お釈迦様の誕生のお話を、上段に画、下段に仏典、という形式で巻物にしたのが、奈良の博物館に残っている(中国の真似だけど、中国のはとっくに失われた)。ストーリーが分かればいいんで、画は漫画みたいな感じだけど。顧愷之の「洛神賦」なんかは、こういうのにインスパイアされたんでは?

以上、お昼寝ちうに海馬が整理しまちた。

★枕草子
第125段
①九月ばかり夜一夜降り明かしつる雨の今朝はやみて、朝日いとけざやかにさし出でたるに、前栽の露はこぼるばかり濡れかかりたるも、いとをかし。

コメント

nekonori-216 nekonori-216 2019/07/09 07:00

急いでごはん?
がんばれー♪

haruno haruno 2019/07/09 07:02

まず洗濯してから。曇りでも外干しのほうが、だんぜん乾きがはやいね。

mack_chan mack_chan 2019/07/09 07:03

さみー君は?

haruno haruno 2019/07/09 07:36

居座ってます。北風が吹いています。。

tak_si tak_si 2019/07/09 09:21

夏みかんも綿のところ栄養があるっていいますね。

huangzi huangzi 2019/07/09 12:27

今日は若者がかんぴょうむきを見に行っている。
帰ってこないので、おそらく夕顔の実の綿(かんぴょうにはならない)の煮物を食べているのかもしれない。

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