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今日の気分(本文)

ミックス豆玄米ご飯がいまいちだったので、混ぜた豆(黒豆・大豆・ひたし豆・小豆・金時豆・白隠元豆)を別々により分けた。ヒマ人である~。やっぱり黒豆がいちばん好き♪

小豆と白隠元豆はきのう茹でて、けさは金時豆とひたし豆を茹でた。しばらくおかずは豆づくし。あまり甘くしないで、サラダとかスープに加える。

もらった本を読んでいたら、「詩板」が出てきた。セミナーで詠んでいる本にも出てきたが、詩を板に書いて、壁に掛ける。板をとっかえひっかえ。「題壁」というのは壁に詩を書くことだけど、直接書く場合もあったが、お寺なんかのは板に書いたのを壁に掛けていたらしい。消すの大変だもんね。

宋代になると、石板に詩を刻して、拓本にして大勢に配ったりした。お寺では石板を持っていて、有名な詩人に書いてもらったりした。お寺というのは人が集まるので、こういうプチ出版社みたいな機能があったみたい。

板(木)に書くのと、石に書くのと、古いのは石だよね、と思った。石碑に書くのは漢代からやっていた。書く文字も、鑑賞の対象となった。石板のこの性質は北宋でも同じだったようで、誰の作品かと同時に、誰の文字か、も大事だった。

>石刻の簡便性、可復性、久延性は、当時の彫版印刷よりもすぐれている(単に単篇の彫版と比較した場合)。そのため、彫版印刷と比較すると、宋代の人は石刻のほうをより重視していたようである。

この「可復性」は「可複性」かな? 複製を作りやすいという意味? 簡体字はどっちも「复」だからニャ。

それはともかく、木版印刷の場合、「誰が書いた文字か」問題は薄れて、書体(フォント)という形に規範化していった。

有名な詩人の作品を木版印刷して売るというのは、唐の白居易の頃からあった。当人の知らないところで勝手にやってる、困ったことだ、という記録で、木の板に書いた文字を鑑賞するというのは、「詩板」(本人が書いている)でもあまり話題にならないみたい。文字を云々するのは、石板のほう。

石刻より木刻のほうが「簡便性」は高いだろう(「可復性」は同等で「久延性」は石刻のほうがある)と思うが、漢代以来の伝統で、作品の内容だけでなく書かれている文字に芸術的価値を置いた結果、宋代では石刻が重視された、ということかな。

全集は、当人が編纂に参加する場合は晩年になってからが多く、しばしば亡くなった後に友人や子孫が編纂する。当人が参加していると「出来の悪いのは削りたい」傾向が強く、ほかの人が編纂する場合は「なるべく全部集めたい」傾向が強い。

こういうの、現代でも同じだなー。石刻は葉書で、木版はメール、みたいな感じ? 私は、手紙はパソコンで書いたのをプリントして署名だけ自筆にしたりするが、さすがに葉書はいまでも手書き。悪筆だが、葉書は短いので。現役の頃は論文を送りあって、少し落ち着いてきたら本にまとめる、なんてのも同じだ。自分でまとめる場合は取捨選択するが、誰かがやってくれる場合は細かいものも全部拾おうとする。

いまいきなりパソコン使って書く人が多いから、初稿とか直筆とか、なくなっていくんでしょうね。

★旧暦1月18日 月齢17.2

コメント

tak_si tak_si 2020/02/11 07:21

豆はもっぱらコープの調理済みのを食べてます。

michi0401 michi0401 2020/02/11 07:32

あ、金時豆ごはんつくろ♪

haruno haruno 2020/02/11 07:47

あの金時豆は倍々々々で、すごく増えまちた。

nekonori-216 nekonori-216 2020/02/11 09:50

あねごーあねごーあねごー。
おはよ。

mack_chan mack_chan 2020/02/11 10:42

今夜はミックス豆スープ作ります♪

huangzi huangzi 2020/02/11 13:36

あねごー。
まねしてみた。

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