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今日の気分(本文)

中国ドラマ「花と将軍」を見ている。ラブコメディで、ばかばかしいけど、仁宗の頃の設定で。柳永がでてきて「おお~!」 高中文言文にも柳永の詞が載っているので、中国人ならおなじみなのね。

去年の夏休みは何してたのかな、とここで振り返ったら、楽府を読んでいた。そうだ、そうだ。で、「鐃」をやり始めたところで東博の琵琶に引っかかり、そのうち「山谷さんが先だ」となって棚上げしていた。

といわけで、去年買った日本の研究書を読むと、しょっぱな先行研究(ほとんどは中国の)が「ひとつひとつの詩について、古書に散見する演奏記録をとり上げて詳細に考証したのである。すでに楽曲が亡び、歌われなくなった詩について、それらの曲名に拘泥してみたところで、文学上どういう発見が生まれるわけでもあるまい」なんて書いてある。・・これで去年は本を閉じた可能性があるニャ。

いわゆる「文学的」なるものに拘泥すると、『楽府詩集』100巻のうちの最初の15巻は宮廷祭祀の歌詞なんで、われわれ外国の一般人は所詮かやの外、分かろうとしたところで無駄、みたいなことになるが、中国の古典時代の文人にとっては、まさにここが本領発揮すべき舞台だったかも知れないのだ。

中国でも革命以後、庶民的とゆーか「人民」的なものでないと作品として価値がないような潮流になっていて、農民が搾取されて苦しんでいる歌とか、そんなものが「文学だー!」になりがちだけど、ドラマ「花と将軍」はそこんところ、仁宗と范仲淹が寵姫の作った料理をふたりで食べていたり、こっちのほうが本来の「文壇」だったのだ。

魏の時代にできた擬楽府を除いて、「楽府題」は楽曲だけでなく内容も規定し、後世歌われなくなっても、例えば「戦場南」は戦争の悲惨さを嘆く詩(替え歌)だった。ふむふむ。その点は詞とは違うよね。詞牌は曲のタイトルであって、内容はそこまで規定されない。

『楽府詩集』の最後の10巻は「新楽府」で、白居易らがせっせと作って「楽府題は空前のリバイバルを見た」が同時に彼らが「楽府詩を作る最後の詩人となった」という。そうなんだけど、『楽府詩集』には巻79~巻82に「近代曲辞」という分類もあって、王維や李賀なども作者として名前が見える。もちろん白居易もせっせと作った。楽府の衰退と詞の勃興がこの頃、と言われる所以ですニャ。

「楽府」という名称は、詞にも使われた。SNSに「本」という名称を使うフェイスブックみたいなもの。「歌う」という点で、楽府と詞は同じカテゴリーに入れられた。なので「曲名に拘泥して」みないと話が進まない、という立場に私もいる。

ところでコロナの直近1週間(7月25~31日)の感染者数が、人口10万人当たり東京都は14・38人、人口1万人当たり1・438人である。これで「感染者かも知れないんだから他県へ行くな」とか言われてもなー。感染していない9999人か9998人の1人である可能性のほうが、ずーーーーっと高い。私だけでなく、街ですれ違うこの人やこの人も、だ。

★旧暦 6月13日 月齢12.4

コメント

michi0401 michi0401 2020/08/02 05:46

おはようございますにゃあ♪
にゃん太〜〜〜(^○^)

tak_si tak_si 2020/08/02 07:24

曇ってきました。むしっ。

nekonori-216 nekonori-216 2020/08/02 08:12

あちー。
おはよう春ねえ♪
下界はあちー。

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