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起床時刻推移グラフ

目標起床時刻:06:00 平均起床時刻:05:48

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10月31日

起床時刻:04時03分

研究会? 展示会? お仕事? お遊び? 

ぎょえ~、夕方の会はぎっちょんに委任して帰宅すると、家の近所を消防車が走り回っており、ポストにはカボチャからはみ出した6にゃんこが。。わっ、裏にも4にゃんこ、いた♪

来月の学園祭ちうに、北京へ行く手配をしまちた。もう寒いんだっけ? アザラシ猟に行けるような服装が必要だったような記憶が。。

ネットでチケットとって、画面に出てきたクーポン2000円也も利用したら、往復4万ちょいでした。安くなったもんだ。

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10月30日(金)

起床時刻:06時24分

授業。午前のクラスはテストなので、だまって座っていればいい。問題は午後、とくに5限の君たちだ! せんせいは話しすぎると咳がでるので、静かに授業を受けたまえ、あーめん♪

古琴と二胡、弦があって柱がなく、左手で音程を作り、右手で弦を動かす、ただし古琴は手指で、二胡は弓で。また、古琴は横に置き、二胡は縦に立てる。

そこで古琴は右手の指をよく使い、左手はいちばん使うのが親指(次に薬指)。二胡は右手の指はほとんど仕事せず(中指は弓の圧力調整で微妙にずっと使っているが)、左手は親指だけ弦に触らず、ほとんど伸びたまま(高度なテクニックで使うこともあるのかも?)。という具合に、使う指が違い、運動する方向が違う。

古琴は音量が小さく、二胡は信じられないくらい大きい。そのせいもあるし、楽器としての歴史の所以もありで、古琴の雅にたいして二胡は俗。雅と俗、内向と外向、独奏と伴奏、みたいな違いもある。

要するに、陰と陽、みたいな? 

二胡の姿勢で、お腹の前でボールを抱えるように、というのがある。「太極拳と同じだよ」と師匠が言う。弾く時は、手や腕ばかり運動しているように見えるが、実のところ、体幹をしっかりさせて、丹田で呼吸し、手や腕はリラックス。たぶん、それが極意。

歌を歌うとか、中国語を美しく発音するとか、ぜんぶ同じ。道具が違うだけで。

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10月29日(木)

起床時刻:01時25分 07時04分

古琴のお稽古は、お休み。

お隣さんがくれた「応援おでん」を食べて寝たが、ご飯ぬいたせいか、腹が減って夜中に目が覚めちっち。

季節はずれの夏日ってあなた、ぜんそく餅にはきついわ。週末からは一転、冬の気配だそうな。咳がでる~、わたしは眠い~♪

**
二度寝?したら、ロクでもない夢を見た。授業に行ったが具合悪くなって「やっぱりやめる」と教室を出ると、学生が私の古琴を運んでくれた(チャイ語の授業だったのに)。そしてどこやらのお屋敷へ行ったが、そこでお梅さん(古琴の名前。このまえ長野へお運びした)が行方不明になり、お屋敷では宴会ちう♪で人々はアテにならず、あわてて探していると、学生が修理屋さんと戻ってきて、「わあ、どこいじくったのよ、お梅さんお年寄りなのに!」とさらにあわててチェックする。

というところで、目が覚めた。やはり古琴のお稽古お休みで、気が引けていたらしい。しかし最近の私は二胡に没頭しており、夜中もあちこちネットでチェック。

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10月28日(水)

起床時刻:07時49分

・・・休講。はたを楽にせず、わたしが楽をする日にする。

せんせい、戦闘疲れですニャ♪ キョンシーと闘っていたので。ま、例によって勝利しましたが、気は強いけど身体は弱いので、ちかれた。咳がでる。ぜんそく餅なのだ。学部長には、前回学部会議のあとで報告しましたから~。

熱? そういや、インフルエンザの予防接種した時に体温測らされて、「いつもより高い」と思ったんだわ。健康診断の「ヒザから下が氷のようです」も、身体ぢうの熱がアタマに集まっていたのかもね。おでこの真ん中から光線を出したら、足は温かみを取り戻しました。・・ココアを飲んだお蔭かもしれんが。。手足など末端の冷えにはココア、お腹の冷えには生姜が、効きます。

というわけで、せんせい、今日はお休みしますが、回復したら授業しますので。・・休講も、たまにすると学生に喜ばれ、重なると学生に心配され、さらに度重なると怒られる、ような気がする。。

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10月27日(火)

起床時刻:06時02分

健康診断も終わったので、食欲の秋だ~♪(← やけくそ)

・・食欲はあるが、胃腸がおかしい。風邪? きのう健康診断で、内科の先生に「ヒザから下が氷のように冷たいです」と言って無視されたが、先週金曜も咳してたしなー。今日も夏日? どこが? みたいなー。

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10月26日(月)

起床時刻:04時51分

東京へ。午前は健康診断。午後、聖堂で二胡。

二胡教室の発表会の動画を見ていた。いま私は左手の形で手こずっているので、そればかり見ていると、みんな上手ねえ、と思うが、右手の弓運びに注目すると、先生は弓全体を使っているが、生徒さんたちは短い。一部分しか使えていない。一人ずつ弾かせたら、たぶんこういうところで「音色」がぜんぜん違ってくるのだろう、と思ふ。

私が前回録画した「田園春色」も、自分で見直して「弓の一部しか使えてない」と思ったので、もっと全体を使うよう、気をつけている。ぎこぎこしても、肩が凝らなくなってきた。余計な力が抜けてきたのだらう。

お稽古は1ヶ月2回のペースだが、稽古前にがががーっと数時間練習するのと、毎日30分でもいいから少しずつ練習するのと、ぜったいに後者がいい、と確信している。・・・あとはやるだけ。。

ま、来年は発表会デビューで、5年後は演奏会デビューかな?

弦が2本しかないのに、「移動ド」でいくつもの調を弾き分ける。D調とG調は互いに読み替えしやすい、とか、それでいてせいぜい2オクターブ程度しか出せなくて、だからずっと伴奏として使われていた、とか、そこら辺が研究とリンクしているから、おもしろーい♪

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10月25日

起床時刻:06時37分

お江戸浅草に思いを馳せながら、田舎の文人生活。

昨晩、雨が降った。

青空。おおきな白い雲が、山の向こうから湧いて、風に流されている。低い落葉樹の紅葉と、その向こうの高い杉ばやしの緑に、朝日が黄金色の光を投げかけている。とてもきれい。そして、

新潟の叔父さんが届けてくれた新米が、うんまい♪

んんんん~~、力がみなぎってきました!! せんせい、みなぎりすぎて戦闘モードに突入したかも? 

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10月24日

起床時刻:04時26分

長野へ。

あすの琴会はばっくれ、新幹線のチケットとれたし。指定席はほぼ満席、いま紅葉シーズン?

曲はこれまでになく仕上がっていたんだけど、足が痛いの~、無理できないの~、頑張りたくないの~。前につんのめって挫いたのに、そっち方向に折り曲げる形で座るとか、まじ無理。

**
こっち~、紅葉が終盤です、きれいー♪ 落ち葉をかき集めて、庭につんで肥料に。栗がもう最後、5つ拾いまちた。切り株に生えていた天然のえのきを、ほんの少し採りました。きのこも、そろそろシーズンが終わるそうな。なめこも2回、採ったって。

琴会をさぼる代わりに、二胡をぎこぎこ。開放弦で長弓練習。延々とドドソソを繰り返す、いろいろなパターンで。

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10月23日(金)

起床時刻:03時52分

授業。

行くまえに二度寝しそうなパターン。いちおう開店しておこうっと。

二胡の左手は、人差し指の先以外を弦につけてもいいんじゃないか、とやっていたが、昨日かったテキストに「むしろつけてます?」みたいに書いてあって、安心した。つける位置がすこし違っていたので、修正。これで指先が弦にたいして「立つ」形になり、音(とくに内弦)が安定した。

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10月22日(木)

起床時刻:05時59分

古琴のお稽古。帰りに神保町へ寄って、二胡の教則本買おうかなあ、あるかしら?

私はポンコツになったので今年のキンカイはむりです、と言ってみたが、師匠が輪をかけてポンコツ状態になっていたため、ついガンバルンバ♪なことを言ってしまったが、家に帰ったらやはりタタミには座れないのである。布団(羽毛)すら重くて痛いのにさー、どうしろと? 立ったまま竪琴にして弾けるかな?

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10月21日(水)

起床時刻:04時57分

授業。お昼は卒業生が遊びにきて、一緒にランチ♪

二胡ブログをあちこち見てまちた。4~5年で二胡講師になっている人がけっこういる。そんなもんですかね? 二胡検定もあるらしい。中国のと日本のと、両方ある。中国のは1級から10級まで(10級が最高)。

なんで日本は「級」は数が少ないほど上位で、「段」は多いほど上位なの? 中国の「級」は日本の「段」に似ているわけだ。山はどっちだっけ? 富士山の滑落は、2合目から8合目へ? それとも8合目から2合目へ?(← 後者です)

>そもそも山道に対して"合"という単位が用いられるようになったのは富士山が最初のようです。これについては諸説あるようですが、一説によるとその昔富士山を登る際足元を照らした提灯に必要な油が1合燃え尽きる毎に道程を区切ったのが起源だとか。

へー。「級と段」は、「級」はもともと品級からきていて、「段」は柔道などで階段を昇るようにと使ったものだそうな。中国に「九品官人法」なんてありましたから、「一」が上位のほうが昔風ですね。しかし習い事で、富士山昇るように少しずつ数が増えていく(使用した油が増えていく)のは、なんとなくイメージぴったり♪ 練習しないで上達なんか、しないぞー♪

二胡のプロとアマの違いは、「長弓練習をするかしないか」だそうな。「右手9割、左手1割」とも。あくまでもまっすぐ、弓を弾ける=音が出せる、のがプロだって。そしてそれは「呼吸と一緒」という辺りが、いかにも中国らしくて、いいですねえ。「胡弓と呼吸」って語呂合わせかいな? 

でも「胡弓」というのは日本の楽器(三味線みたいな形)であって、私がいまやっているのは「二胡」、もっと大きなくくりで言うなら「胡琴」です。

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10月20日(火)

起床時刻:06時00分

はふはふの日。

ほげー。「離騒」のプリントを作っていて、長さを実感した。。そして「オノマトペ多い!」と思った。中国語には少ないとされているが、辞賦はオノマトペだらけな気がするな。

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10月19日(月)

起床時刻:06時45分

夕方、インフルエンザの予防接種。

中国の古典、どーやったら「読める」ようになるんですかねえ? この前の名古屋強化合宿で、「詞」を中国語でしか読んでない自分に気づきましたが。。いちおう訳注のルールで、訓読もするんだが、「詞」は口語要素も多くて、訓読は苦労する。

結果補語とか、方向補語を含む存現文とか、出てきたのだ。そういう箇所を、現代中国語の文法でいう「~~」だな、と「見えて」きたわけね、現代語をひところガガガーっとやったお蔭で。『史記』をやっていても、現代語なら「・・・」になるだろうな、というのが「見えて」きている。

中国人のふつうの大人が対象の古典の本でさほど苦労しないので、そのレベルまでは行った。「中文系」を卒業した学生レベルには、まだ到達していない、と思ふ。それはつまり、現代語がまあまあレベルになった、というだけで、古典はさらにその先にある。

日本流「漢文」からも攻めているので、いつかドッキングすると思っている、宋代で。

やっぱり宋代で大きく変わったんだと思う。近世市民社会に。それは印刷術のお蔭なのでせう。著作物の複製が(比較的簡単に)できて、入手できるようになった。個人の蔵書家が出るのも、この時代から。

複製ができるとオリジナルも欲しくなるのが人情で、書物にあきたらず金石も欲しいとか、それを市場で買える(お金があれば)時代になった。持っている人は、友人と互いに見せあったり、し始めた。コレクションを見せたり、見せられたり、すると詩や文を作り、それもまた文集や随筆集にして、印刷物(本)によって後世に伝わったりする。

私が夏休みにやっていた白石君だって、一生を他人の援助で暮らしていた「生粋の文人」でしたが、狭い家(それも援助で住んでいた)は汗牛充棟だったそうな。「五代の銭王ゆかりの品」を友人に見せびらかしたり、している。

文字を読み書きできない人は、まだまだたくさんいた。しかし「読み書き」のレベルもさまざま。『三字経』『千字文』レベルは、けっこういたのかも知れない。さらに『百家姓』『弟子規』、この四種をあわせたテキストが、いま手元にある。中華書局の。

えー、『三字経』の「前言」によりますと、秦の始皇帝が文字統一して、季斯・趙高・胡母敬らに小篆で『蒼頡』『爰歴』『博学』各7章の字書を編纂させ、漢代にこれをあわせて、『史籀編』の四言韻文にならって配列し直し、『蒼頡編』と名付けた。これが「蒙書(子ども用テキスト)」の始まり。

漢代から六朝時代にかけて、名だたる大家が「蒙書」を作った。司馬相如『凡将篇』、史游『急就篇』、揚雄『訓纂篇』、蔡邕『勧学篇』、班固『太甲篇』、陸機『呉章』、周興嗣『千字文』、顧愷之『啓蒙記』などがあったが、多くは散逸して『急就篇』と『千字文』だけが残り、うち『千字文』が圧倒的に影響力があった、とな。

「多くは散逸して・・」、たぶん『隋書』「経籍志」に書名が残っているのだろう。宮中の図書目録です。歴史書に、そういうものも含まれていました。

『隋書』までだったかな? ちゃんと図書と目録をつきあわせて、記録しているのは? 後世のは目録データを転写しただけで、実際にその本が宮中書庫にあったのかどうか、いまいち不明だそうな。それは裏返せば、宮中書庫でなくても図書を持てる時代になったので、歴史書に図書目録を載せる必要性が薄れた、ということなのでしょう。

『千字文』はやはり出来がよかったんですね。こういうのが出ると、ほかの似たような本が散逸する。司馬相如の『凡将篇』なんて、見てみたかった。すんごい長編の、難しい字ばっかり、だったりして~♪

『史記』で次回やる「屈原列伝」は、屈原の伝記の後ろに、屈原を慕った賈誼の伝記がついていて、それぞれの作品も引用されている、という『史記』としては特殊な形になっていますが、この二人より長くて、作品がどかん!と引用されているのが、司馬相如ですだ。

で、あらためて中華書局の『三字経・百家姓・千字文・弟子規』をぱらぱら見ていると、1文字2文字の語にも歴史の人物や事件や、典故がふんだんにあって、字を覚えながらそういう知識も得ていたわけですな。

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10月18日

起床時刻:06時05分

この前の「漢文」では、中国の中学生が古典を勉強する時の参考書を持っていって見せたが、次回は現代中国語をやった外国人が古典を読むための本を持って行くつもり。もう研究室へ運んでしまって、いま手元にないが、白雲せんせい朗読の、語言大から出ているテキストです。編纂したのはアメリカ在住の先生。

あれやっていた時に思ったが、ほとんど先秦の作品で、時代が下ると今度は韻文ばかりで、結局、古典文法って先秦を取り上げるせいで複雑になるんだよー、と思ったもんだ。「之」のいろんな使い方とか、そういうコーナーもあったっけ。

あのテキスト、白雲せんせの朗読を毎日1回ずつ、200日は聞いた。200日聞いたところで北京へ留学し、メディア大の梅ちゃん先生に発音を習って「自分で読みなさいよ」になったので、その後はもっぱら方明さんとか、プロのアナウンサーの朗読ばかり聞いている。

「漢文」の授業で前期やった分は、方明さんの朗読を1日1回、100日聞いてから授業に臨みました。前期は1回の授業で1篇を読み切るスタイルにしたせいで、授業ではなかなか朗読まで聞けなかったので、後期は特徴的な作品を丁寧に読んで、最後に朗読を聞いておしまいスタイルに変更。現代語の発音だから、司馬遷の当時とはぜんぜん違うわけだけど、訓点で「漢文」として読んだあと、上から下へ中国語で読むとこうだ、というのをやるの。

『楚辞』は、中国の子ども向けにピンインがふってあるテキストも、途中まで毎日少しずつ読んでいたので、持っていって学生に見せる。すんごく小さい字でいちおう注がついているけど、たぶん子どもなら、意味なんか分からなくても、いわゆる「素読」で丸暗記しちゃう。実際、丸暗記している子どもがいて、それを推奨する団体がこういうテキストを作って普及活動をしています。

よほど学問に関心のある家庭です。こういうことを子どもにさせるのは。テレビの漢字コンテストなんかに出てくる生徒たち、家での様子が紹介されたりするけど、みんな本がいっぱいあって、古典をよく読んでいます。コンテスト(学校対決形式)の終盤になると、出題は古典か、方言の動植物の名前ばっかり。方言のほうはどう勉強するのか知らんけど、古典はせっせと読んで覚える。

中検は、くだらない慣用表現ばかり出題しないで、古典も出したら如何か? 「試験に出るから勉強する」人がけっこういるようだし。外国人がくだけた俗語を話したり書いたりしても、腹ん中で笑われているだけだと思ふ。

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10月17日

起床時刻:05時30分

雨? お家でテスト採点&「漢文」プリント作り。

昨日のテスト風景の絶賛♪記事を書かないと、だな。学生と約束した! 

それは発音の出題でのことです。

音節表を見ながら、「発音するのでピンインで書きなさい」というのをやってました。で何気なく、間違えそうなもの~と思って「quán」を出題したら、「あーはいはい、quánjiā の quán や」と心の声を(テスト中にも関わらず!)外に出した学生がいるので、「この子、すごくない?」と言うと、「みんな分かってる」と口々に言い出した。「こいつなんか、それ大好きですもん」とY君がM君を指さし、M君が「这是我全家的照片。」とでかい声で言い、みんなゲラゲラ笑っている。・・・テスト中ですぞ!

前期にやった範囲の文です。それなら、と「zúqiú」を出すと「はいはい、『踢足球』ね」とうなずきながら、書いている。・・ピンインが正しく書けているかどうかは別もんだと思うが、せんせい、感激して泣きそうでちた。(うそ)

「じゃあ、これは?」と、四音節語(授業ではやっていない)の中から「wénxué」を出したら、「・・『文学』じゃね?」「なんで分かるの?」「『文化』の『文』と『学習』の『学』でしょ?」 ほかの学生たちも、うんうん、うなずいている。。 きゃ~~♪ せんせい、感動のあまり尿漏れしそうです。・・ちがった、涙が出そうです。これ、ホントに。

聞いた音をピンインで綴れるかどうかのテストだったので(これが出来るようになれば知らない単語でも辞書を引いて覚えられる)、残りは「いま『世界』って言っているんだけど、『世』も『界』もまだ出てきてないでしょ?」なものを出題しまちた。

しか~し! ピンインが多少苦手でも、「・・『文化』の『文』と『学習』の『学』の『文学』?」ができれば、十分だと思いまふ。今回はテストだから単語だったけど、実際には句や文でもっと長いものの中に知らない言葉があって、前後の文脈や会話の流れから「○○の○と△△の△で、○△と言っているのかな?」ができれば、十分ではないでせうか?

「オレたちのポテンシャルを甘く見ないでくださいよ~」「はいはい♪」だったけど、ま、教わった先生も当たり♪だったんでねーの?

話かわって、うさピョン♪が面白いことを研究テーマにしているんですね。がんば~♪ そこのコメントに書いたことと関連するけど、中国の古典の演習って、注のついている文献を読みながら周辺のさまざまな知識も得る、みたいなものが多かった。『毛詩正義』然り、『文選』然り、王勃や黄庭堅も「注がすぐれているから」で選ばれている。

注は、多ければいい、というものでもない。そこがまた面白いわねえ。

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10月16日(金)

起床時刻:01時08分 06時25分

授業。午後はテストだけど。。

雨の音で起きてしまった。・・なんつって、トイレで。やーね、夜間のひんにょう?(あ、学生にここ教えたんだっけ。古い友人にも・・)

二胡ぎこぎこの後遺症で耳鳴りと頭痛がするので、薬のんで、と。効くまでの間ちょこっと屈原「遠遊」について調べる。これと馬王堆帛画とを突きあわせた論文があった。中国人のだけど、日本の研究者でやっている人もいたと思う。が、その論文が載っている学会報が長野だ。。しまつた。というわけで、自力で調べるわけですだ。

まず、「遠遊」は屈原の作ではない、という説も強固にある。司馬相如の「大人賦」に似ているので、それを真似て作ったのだろう、という。まー、そうなの? そういう議論があるよ、とまず学生には紹介しないと、だな。

いずれにせよ、『楚辞』を編纂したのが司馬遷より後の前漢末の劉向であり、「漁父」なんか「『史記』から抜きませんでしたか?」ですよ~。劉向の『楚辞』は残っていなくて、後漢の王逸『楚辞章句』が残っているんですが。。この辺の話は、年表を確認しながらじゃないと、学生は混乱するでせう。

師匠に「気合い入っているじゃないか!」と言われましたが、『史記』の注に『漢書』「地理志」が引用されているけど、「司馬遷が『漢書』を見たはずはないのよ、『漢書』のほうが『史記』より後に書かれたんだから」という話から、後期は始めました。

外国の古典をやるので、想像力を働かせないと、現代の感覚では読み間違えることが多い、むしろ間違えて当たり前。現代に引きつけて解釈しないこと、自分の都合にあわせて解釈しないこと。そういう姿勢が大事、というかブレーンストーミングっつーか、外国語やったり古典やったり、面白さはそこにある、と思ふ。

書いているうちに頭痛がおさまってきたので、おやすみー♪

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10月15日(木)

起床時刻:05時02分

古琴のお稽古。午後、会議。

「漢文」で『史記』を読んでいましたが、次回は屈原でございます。やっと私のフィールドに来た! というわけで、馬王堆の帛画などを紹介、プリント作り、と。朝から元気でございますな。

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10月14日(水)

起床時刻:05時59分

授業。さっさと起きて働く日。

メールを開いてみたら、なつかしい学生から連絡があった。ええ~っ、あれからもう数年たってます~? 年取るわけだ。

せんせい、なにかと突っかかってくるのがいて昨年はだいぶ疲弊しましたが、最近はふっきれました、と正直に書いてしまいまちた。またそういうのに限って、やたら出くわすから、おかしなもんだ。前は心臓バクバクしてたけど、最近それもなくなり、ホントに「どーでもいい人」になったみたい。

はやく幸せになってくださーい♪ わたしは幸せで~す♪

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10月13日(火)

起床時刻:07時19分

3時にいちど起きて、ごそごそ。よく晴れているので、布団干しながら家でお勉強っと。

あーっ、みんな私のこと忘れてるぅ~~。ま、いいけど。。(こどもか!)

今日はテストを2種類作り、それから念のため整形外科へ。2時間もかかった、受付の手違いで忘れられてて。結果、骨は大丈夫で、打撲だった。痛くない範囲で行動していればいい、って。

**
瑠璃チャンって、北京へ行ったら誰でも行くところかと思っていたけど、そうでもないのね、ってサム君の日記読んでいて思った。2年前にここのお二人さんを連れていって、前門まで通り抜けた辺りが、サム君の触れたがっていた趣のあるフートンだけど、暗くなっていてよく見えませんでしたね。

足もと悪くて、いきなり初日にこんなディープなところに連れ込んで、と思いまちた。北京ダックを、少し外れた場所のお店で食べたら、当たりでしたね。

あの近辺の公共厠所には、いまだに入る勇気がございません。いつも栄宝斎のトイレを使わせてもらっています。この前の夏ひとりで行った時は、トイレはいって印泥を買い、古籍書店を見ていたらまた行きたくなったので、もう一度トイレを使わせてもらいました。「さっき印泥買ったから、いいんでい♪」なんつって。

栄宝斎をもう少し奥にはいったところにある病院のトイレとか、書店の地下にある画廊のトイレとか、陳さんと一緒だとそういうトイレも使わせてもらっている。「トイレどこ?」で、たいてい使わせてくれます。王府井の北の中華書局のトイレも、使ったことあったなー。職員用のだけど、そういうのは。

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10月12日(月)

起床時刻:06時12分

午後、聖堂で二胡。

「千金(弦と竿にかける糸、箏の柱みたいなもの)」に、左手の親指と人差し指の間の部分を下からすっとひっかけるようにして、左手のポジションをとる、と最初に教わったのだけど、そこの股の部分を「千金」につけたままにしなきゃいけないのかと思っていて、それだと指がとどかず、手首がもちあがって、ヒジも上がって、腕も上がって、肩が凝っていた。

すっとひっかけたあと、竿を軽く握り、親指の腹と人差し指の第二関節(曲げている部分)のヘリ(親指側)がなんとなく「千金」に触っているようにすると、指も届きやすいし、基本のポジションから外れにくい。

人差し指は、指先が弦を押さえていれば、そのほかの部分が弦に触っていても、音には関係しないし、力も入れやすい。ここを支点にすると、中指も力が入りやすく、グッドです。

私は手が小さく、かよわく非力なので、苦労しまふ。しかし楽器やっていると、ぼけにくいだろうなー、と思いまふ。ふだん左手をこんな風に使わないでし。

**
わっはっは! 師匠は口では「その指ではだめだ」とかいつも通り悪態ついとったが、顔は嬉しそうであった。ま、私が本気だせば、こんなもんですわ♪

さて、二胡はきれいさっぱり忘れて古琴やらなきゃ、大恥かくぜー、去年みたいに。。(涙)

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10月11日

起床時刻:06時08分

雨。紅茶のおいしい季節になりましたね♪ なんつって、珈琲もおいしいがな。

やった分だけ身になるものだ、と思って二胡ぎこぎこしているうちに、だんだん疲れない姿勢で弾けるようになってきた。ガラス戸のある本箱の前で、ガラスに映る姿を見ながら、ぎこぎこ。弓の角度など、チェックしつつ。ミュート(消音器)をつけているので、早朝でも夜でも、ぎこぎこ。ミュート、ありがとう!

左腕が上がりすぎるので、ワキの下にタオルを丸めてはさんで練習。落とさないように、と。いい感じ。楽ちんだし。私って天才かも? 教師の。

ま、発音指導の応用ですな。「舌を持ち上げないように」と注意すればするほど持ち上がるから、「舌の上にあめ玉のせる感じで」とアドバイスする。それと同じ。

左腕が上がる(左ヒジが上がる)と、左手首、左手の指、弦に触れる指先、その角度もぜんぶ変わってきて、音が変わるのです。肩も凝るし。

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10月10日

起床時刻:05時24分

しゅっきーん♪ 研究室ぐっちゃぐちゃ、おかたずけ~。

はっ! 昼寝ばかりしているから、ぐっちゃぐちゃになるのでは? 

**
今日は日本中国学会だった。さぼって家に帰って二胡をぎこぎこしていたら、すんごく懐かしい人から電話があった。やっほー♪ 学会の名簿を見て、電話をくれまちた。ありがとう♪

いやあ、そーかあ、そういう出会いもあるんだなあ。と言いつつ学会、明日もさぼると思うが。。

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10月09日(金)

起床時刻:05時46分

授業。

木版印刷の版木は売ってないことはないんだが、内容がまったく関心ないものだし、いっそ自分で版画用の板を買って「覆刻」しちゃおーかしら?

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10月08日(木)

起床時刻:04時30分

古琴のお稽古。

木簡の作成キットも売っていた。。買ってしまいそうで怖い。とりあえず木簡レプリカを買おうと思ふ。

ぶぶっ、注文してしまった。竹簡と木簡と帛書、ぜんぶやん! 竹簡は紀元前300年の楚ので、木簡は漢代の、文字が違う。楚の文字はくねくね曲線系。これと前期に見せたけど甲骨のレプリカ、こっちは直線系。時代順に並べて見せよう。

あいだに青銅器があるからさ~、レプリカは高いので買わないが。殷の甲骨文は直線的だったが、青銅器で曲線になり、そのため周代から春秋戦国時代にかけて曲線系の文字が発達し、秦の文字統一のあと、漢の隷書で直線にもどった。材質によるのだ。

簡策は細長い。紙になったらもっと大胆に自由に書けそうだし、実際書いていたわけだが、いざ石碑に刻すとか木版にほって印刷するとなると、縦に線をひいて、その枠内に書こうとした。影響が残るんですね。活字になったら横線も引いて、でも版心は残して、400字の原稿用紙、っていまでも小学生はこれに作文書いている。

昨日から読み始めた「田単列伝」は注が少なくて、3葉(3ページ)ちょっとで一巻終わるが、竹簡や木簡だと何本くらい? 『史記』の原文だけ(注なし)だと、まあせいぜい40~50本ですか、1巻は?

くるくるっと巻いて持てる分量、ずらっと広げて読める分量、情報媒体はいろいろ変化しても人間の身体はそうダイナミックには変化しないので、手の大きさとか両腕を広げた幅とかだいたい決まってくるので、この身体で扱えるサイズに図書もなるわけです。簡策だったら重いし嵩張るし、1巻に盛り込める文字数(情報量)がだいたいこの程度まで、という風に制限されて、それによって文章(内容)のほうも制限される。

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10月07日(水)

起床時刻:06時19分

授業。

竹簡のレプリカをぽち♪したのだ、もう届いているかしら? 諸葛亮の「出師表」ね。王羲之の「蘭亭序」もあったけど、さすがにこれは紙にしか書かないでしょうに、と思って。そういう話もついでに出来るから、いいかな。いかにも、なレプリカだけど。

来年度の『詩経』の本も、着々と集めている。きゅうり書院の本がお高いので、図書館にあったから取り寄せて内容を確認してから、よかったら買う、古本で1万5千円になってた。ペーパーバックになりそうもない本ばかりだもんな、きゅうり書院の。

いつかここの目録に名前が載るのが、夢である~。すぐ値段が下がるような本は、書きたくない。数百円や数十円や1円で投げ売りされる本を何冊も出しても、しょーもない、と思ふ。

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10月06日(火)

起床時刻:07時11分

あいでで、きんにくつー。ごご、お梅さんとお江戸へ。

薪運びと二胡ぎこぎこで、全身がびがび。二胡を弾きはじめたら寝ていたニャン太郎が起き上がり、横目でにらんでベランダから外へ。。。傷心。

しかしもう少しねばってギコギコすると、左手のコツがつかめそうである~。次回は師匠のハナをあかしてやるぜ!

周振甫せんせ『詩経訳注』も持ってカエル。アマゾンで Arthur Waley の『The Book of Songs』(ペーパーバック)もポチ♪しましただ。日本語訳はいろいろあれど、加納喜光せんせ。こうして現代の解釈を知った上で、「毛詩正義」を読む、ってどお?

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10月05日(月)

起床時刻:06時17分

みなさま、暖炉ではなく、薪ストーブです。どう違うのだ? 

私のイメージでは、前がオープンなのが暖炉、ガラス戸があるのが薪ストーブ。勝手な定義ですが。火の粉が飛んで木造家屋が火事になったから怖いですからね、戸は大事。

でも、ちろちろ燃える炎をたまに見ながら、ぬくぬく。やっぱり素敵? 戸はガラス戸がいい。耐熱ガラス、ばんざい♪

昨日の本のメモ:
周代の医者は、官医だった。春秋戦国時代に遊説の士のように、諸国を行脚する民間医が現れた。こうした遍歴医とべつに、定住医もいた。扁鵲は遍歴医で、はじめは個人だったかも知れないが、遍歴のための別名(古代の医者は治療が成功しても失敗しても殺される危険があったため)がいつしか名医の代名詞のようになり、各地に「扁鵲」がいて、医師団のような「扁鵲集団」もあった。『史記』の「扁鵲」には弟子もいる。

治療法は漢以前にさまざまなものがあり、秦は医学が先進的で、とくに外科にすぐれていた(手術もしていた)。「扁鵲」は化膿性の切開治療を得意としていたが、各地で発達していた治療法を取り入れ、婦人科、老人科、小児科などもこなしたが、秦で嫉妬から?、殺された。

『史記』の「扁鵲」は、さまざまな扁鵲(名医)たちの伝説の集合体であり、伝記としては矛盾が多いが、当時の医学についていろいろなことが分かる。

具体的な話もたくさん書かれていて、いちいち紹介はできませんが、私が面白いなと思ったのは、「扁鵲」は長桑君という人から秘方を授かるのですが、そのために30日間、草木の露で長桑君が懐から出した薬を飲み続けます。すると、レントゲンのように、身体の内側を見通す「眼」になって、悪いところが全部見える。・・なんか、そういうドラマを秋からやるみたいだけど。。

私は『紅楼夢』を思い出しました。やたら凝った材料でややこしい方法で、薬を煎じて飲まないといけないの♪、な場面があった。山田慶児せんせは、屈原「離騒」の「朝には木蘭の墜露を飲み、夕には秋菊の落英を餐(くら)う」や、そのほか「露」の用例を引用されています。「露」で洗眼することもあったらしい。ま、当時は目薬なんかなかっただろうし、でも土ぼこりとかすごかったでしょうし。

とか、いろいろ面白いですねえ。

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10月04日

起床時刻:06時25分

ええ~っ、さむいさむい、ねこあんか欲しいが、ねこパンチねこキーック♪ それはそれで嬉しい。

薪ストーブたいて、うとうと。本を読みながら、うとうと。かぼちゃ焼いて食べて、うとうと。ことこと沸かしたお湯で紅茶いれて、うとうと。また本を読んで、うとうと。

しあわせ♪

『史記』で「扁鵲伝」をやるので、こっちに置いてあった山田慶児せんせの本を読み直す。おもろい、おもろい。

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10月03日

起床時刻:04時55分

長野へ。

お梅さんをいちおう江戸へお運びする。ついでに「北国街道の塩商人 中村徳左衛門」展を見てくる。

ほぎゃー、快晴♪ お庭で栗拾いしまちた。

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10月02日(金)

起床時刻:05時21分

授業。

喘息は治まりぎみ、あまり声を出したくないな~。

授業やってるうちにどんどん回復、あすは長野だーっ!!

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10月01日(木)

起床時刻:04時22分

古琴のお稽古。そのあと研究室へ。

キャラメルコーンとチョコレートで風邪は撃退、しかし咳が残って喘息へ?

しゃべりすぎ。お昼休みに仲良しの先生につかまって、中国古代の共通語について議論白熱。現代文学の先生なので、古代のことをいまいち知らないもんなんですね。次回の「漢文」の授業で、学生にももう少し話をしなくちゃ。

・・二度寝してまちた。あ、ここでいう「古代」は、辛亥革命以前ですよ。中国5000年の歴史のうち、4900年は「古代」ということになってます。

古代は現代以上に方言まちまち、殷や周は国の範囲が狭かったわけですが、春秋戦国時代がけっこう長く続いているうちに方言も増えまちた。方言は最初からあったでしょうが、方言のままに書いた記録が増えたんだと思います。

秦が全国統一して、まず文字を統一(自分たちが使っている文字に)しましたね。いまハンコに使っている篆書です。篆書はぐにゃぐにゃ曲線なので、漢代に直線っぽい隷書になり、以後は直線系の楷書・行書・草書(だんだん曲線要素はいるが)を使ってきました。文字の辞書は、後漢の許慎が『説文解字』にまとめました。

語彙については、早くから「違うな」と気がつきましたので、『爾雅』とか、ずばり『方言』とか、辞書ができました。『爾雅』は前漢初め(著者不明)、『方言』は前漢末の揚雄の編纂です。

こういったものをどういう方法で「共通語」として普及させたか。一つには、前漢で儒教を国学と定めましたが、後漢初に太学(学校)を作りましたので、そこで教育します。当時はまだ簡策の時代で、後漢の中頃に紙が発明されましたが、紙が普及するにはもう少し時間がかかります。

太学生は宮中の図書を利用できましたが、中に不心得者がいて、自分が記憶しているように図書のほうを書きかえた(竹簡の表面をけずって字を書きかえた)、すまわち現代のカンニングみたいなものです、そういう事件があったとか、それだけが理由ではないでしょうが、「正しいテキストはこれですからね」と石にほって、石碑を太学の門前にたてました。これが175年の出来事です。以後、何回か石碑を建てています、たしか唐代までやってました。次第に他の方法でも図書の流通ができるようになって、石碑は権威づけ的なものに変わりましたが。

じゃあ発音は? 発音については、六朝時代に仏教が伝来してから中国語の発音に自覚的になり、研究が進みました。発音の辞書(韻書)が編纂されたのは、隋代の『切韻』が最初で、唐代に『広韻』ができ、宋代も『集韻』を作りましたが、唐代の『広韻』が出来がいいので、現代でも韻書としては『広韻』を使っています。『広韻』ができたせいで、それ以前の韻書は亡んで、一部しか残ってないので、使いたくても使えませんけど。

韻書ではなくても、発音の注はもっと前からやっていました。ただ、昨日の議論の核心でもありますが、○は音は△、と注があったとして、たとえば上海語では○と△は同じ音、広東語でも○と△は同じ音、しかし上海語の○と広東語の○は違う、なんてことが有り得ます。そういう人たちが出会った時に、どうやって意思疎通できるのか、という問題です。

文字で書けば分かるだろう、いちいち書いたのか? まあいざとなったらそうしたでしょうが、「そのために詩があるんじゃない?」が昨日わたくしが力説したことでございます。なんで孔子は『詩経』大事だ、覚えろ、みたいなことを学生たちに教えていたのでせう? 

唐詩もそうだけど、私たちはつい黙読の習慣があるから、唐詩も黙って書いて黙って読んでいたと思いがちだけど、当時は「声詩」といって、節つけて歌っていた(少なくともうなっていた)んだよねえ、音声が一緒にあったんだよ、べつに宋代の詞を待つまでもなく。『詩経』だって音楽つけて歌っていた。いまのような音声を記録する媒体がない時代だけど、詩は声にだして歌っていた。それが共通語の発音普及に一役買っていたと思わない? 中華人民共和国だって、せっせと歌にして文芸団が全国回って、一つには内容(革命するぜぃ! 俺たち勝利して解放されたぜぃ!)を伝え、一つには同時に発音だって伝えていたことになると思うな、と。

などなど、ほかにもいろいろ話しまちた。あー、喉いたいぜぃ!

あ、文法はさらにあとの時代に研究が始まりました。文体とか、文書の形式とかは、統一をはかる、というか規範的なものはこれ、ということをもっと前からせっせとやってました。文体別にした文例集みたいなものが、いくつもあります。そういうもので、みんな勉強する。「○○文の書き方」みたいなものですね。

文法は、先秦と漢代以降でけっこう違う、と私は感じています。日本では先秦の著作を「漢文」として読むことが多いのですが、中国語として見たとき、現代語の文法と違うわー、と思うのはたいてい先秦のものです。このことは以前ここにも書きました。・・ざっくり削除してしまったが。。

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