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起床時刻推移グラフ

目標起床時刻:06:00 平均起床時刻:06:27

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01月31日

起床時刻:06時51分

キャラメルを食べていたら、歯の詰め物がとれた。。入試業務が始まるまでこっちにいようと思ったが、早めに東京に戻るかも。

私はいい年こいてただキャラメルを食っていたわけではないのだ。早々と訳注を出した人の5首を念入りにチェックしておったのだ。なんすか、このバイタリティー、ぶんすか? 脳がちかれたから甘いもの、ってそれ勘違いらしいが。

オボカタさんカワウソ、タゲられた先生たちホントお気の毒。あぶない、あぶない。博士論文を「まちがえて草稿を製本して出しまちた」って時点で、わーー、いけしゃあしゃあ、こわいこわい。

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★独坐敬亭山  唐・李白
衆鳥高飛尽、孤雲独去閑。
相看両不厭、只有敬亭山。

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声無哀楽論  嵇康
29)
秦客難曰:吾聞敗者不羞走,所以全也。吾心未厭而言,難復更従其余。今平和之人,聴筝笛琵琶,則形躁而志越;聞琴瑟之音,則聴静而心閑。同一器之中,曲用每殊,則情随之変:奏秦声則嘆羡而慷慨;理斉楚則情一而思専,肆姣弄則歓放而欲惬;心為声変,若此其衆。苟躁静由声,則何為限其哀楽,而但云至和之声,無所不感,托大同於声音,帰衆変於人情?得無知彼不明此哉?

秦客が反駁しました。

私は、失敗した人が逃げるのを恥としないのは、自分を保全するためだと聞いています。いま私は心中まだ言い足りていませんので、さらに他の面から反駁してみようと思います。いま心が平和な人が筝笛や琵琶の音を聴いたとしたら、姿は興奮し、心は高鳴るでしょう。琴瑟の音を聴いたら、様子は落ち着き心はゆったりするでしょう。同じく楽器でありながら、曲調が異なれば、聴く人の感情も変わります。秦の音楽を演奏すれば、聴く人は賛嘆し激昂するでしょう。斉や楚の音楽を演奏すれば、聴く人は思いにふけるでしょう。耳に心地よい楽曲を演奏すれば、聴く人は楽しく満足するでしょう。心情は音楽によって変化します。こうした例はたくさんあります。もし興奮や沈静が音楽によって引き起こされるとしたら、なぜ哀楽に限って排除しなくてはならないのでしょうか。「至和の音楽」(とても調和している聖人の音楽)だけが感情を引き起こし、音楽は「大同」(変化のないもの)であって、多くの変化は人の感情のせいだと言うのでしょうか。それは一面を知って、別の一面を知らないことではないでしょうか。

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01月30日

起床時刻:05時33分

除雪車の音で目が覚めた。ぷぷぷ、たんじょーび♪

研究会(学会になったけど)の訳注の見直しちう♪ 今月末までに各班で意見交換して、学会のメーリスに流す。ほかの班や、事業には参加していない会員からもコメントもらったら、訂正稿を持ち寄って3月に顔あわせて検討会。さらに訂正して、原稿を編集担当に渡す。渡したら私は北京へ(今度こそ!)トンづら。

黄山谷のほうもやりたがっている人がいるので、その人を中心に、やるなら原稿はさっさと出すが、どうなるかな? ゆるいペースで続けてきた、ゆるいペースだから何年も続いた、と思うのであまり無理しないほうがいいと思うが。

どちらにしても、「少しずつ続けていたら、いつの間にかこんなに♪」方式はとても気にいっている。平均寿命(現在の)まであと30年もあり、今後はガンもアルツハイマーも治療法が見つかりそうだから寿命がもっと伸びる可能性もあり、まだ人生折り返し地点なんである。

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★春夜喜雨  唐・杜甫
好雨知時節、当春乃発生。
随風潜入夜、潤物細無声。
野径雲倶黒、江船火独明。
暁看紅湿処、花重錦官城。

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声無哀楽論  嵇康
28)
夫声之於音,猶形之於心也。有形同而情乖,貌殊而心均者。何以明之?聖人斉心等徳而形状不同也。苟心同而形異,則何言乎観形而知心哉?且口之激気為声,何異於籁籥納気而鳴邪?啼声之善悪,不由児口吉凶,猶琴瑟之清濁不在操者之工拙也。心能辨理善談,而不能令内籥調利,猶瞽者能善其曲度,而不能令器必清和也。器不假妙瞽而良,籥不因惠心而調,然則心之与声,明為二物。二物之誠然,則求情者不留観於形貌,撥心者不借聴於声音也。察者欲因声以知心,不亦外乎?今晋母未待之於老成,而専信昨日之声,以証今日之啼,豈不誤中於前世好奇者従而称之哉?

音楽における声は、心における形のようなものである。形が同じであっても情が異なる場合もあれば、姿が異なっても心が同じ場合もある。どうしてそれが分かるのであろうか。聖人は心の中の道徳が同じであって、姿がそれぞれ異なるからである。もし心が同じなのに形が違うのであれば、形を観察すれば心が理解できるとどうして言えるだろうか。まして口から激しく息が出て声となるが、蕭笛を吹いて音が出るのとどこが違うのであろうか。泣き声が善いとか悪いとかは、子どもの口の良し悪しで決まるのではない。琴瑟の清濁〔音の高さ〕が演奏者の技巧で決まるのではないのと同じである。楽理の違いを理解し、上手に論評できるのに、蕭の演奏は流暢にできないのだとしたら、盲人の楽師が上手に作曲するのに楽器の演奏は聞き苦しいのと同じである。技巧のすぐれた盲人の楽師の力を借りても楽器が良くなるわけではないし、聡明であれば蕭がより調和するわけでもない。つまり心と音は、明らかに別々のものである。二つがこのように違う以上、感情を考察したいのであれば、外形の観察に留めてはいけない。心を理解したいのであれば、声を聞くだけではだめだ。考察する者は、声を通して内面を理解したい、そうではないのか。いま晋国の羊舌の母は、将来どうなるのか確かめもしないで、もっぱら昨日の声を信じて、明日の声を証明しようとした。たまたま前代の物好きな人に遭遇して付和雷同しているだけではないのか。

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01月29日(金)

起床時刻:07時21分

降りだした。朝は粉雪、気温が低い。

昨晩は眠気に勝てず、9時過ぎに寝た。夜中にトイレで目が覚めたので、ネットでDV男ドラマ「ナオミとカナコ」を見たが、もうあまり面白くない。いつまでも女なぐってるシーンばかり繰り返すわけにもいかないだろうが、じゃあ殺そうというのもあまり現実的ではなく、「加害者も傷ついている、もとは被害者」みたいな「はあ? このたわけが!」の展開になったらツッコミ入れながらけっこう溜飲下がる鴨?、と思ったがそうはならなかった。

話題の中国人女社長の「女なぐる男に生きている価値ありません、コロシテしまいなさい(アクセント微妙)」の問答無用のおかげぢゃ。痛快だが、現実的にはそういうやつがモラルと法律のはざまで生き延びている。医療の領域かも知れないにゃ。脳内物質の何かが足りないのだらう。

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★絶句(一)  唐・杜甫
遅日江山麗、春風花草香。
泥融飛燕子、沙暖睡鴛鴦。

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声無哀楽論  嵇康
27)
又難云:「羊舌母聴聞児啼而審其喪家。復請問何由知之?為神心独悟暗語而当邪?嘗聞児啼若此其大而悪,今之啼声似昔之啼声,故知其喪家邪?若神心独悟暗語之当,非理之所得也。雖曰聴啼,無取験於児声矣。若以嘗聞之声為悪,故知今啼当悪,此為以甲声為度,以校乙之啼也。

あなたはまたこう反駁した。羊舌の母は子どもが泣くのを聞いて、大きくなったら家を滅ぼすだろうと分かった、と。それならば私はお尋ねするが、羊舌の母はどうしてそれが分かったのであろうか。神秘的な心で隠された言葉を悟って、分かったのであろうか。それとも子どもが大声でまがまがしく泣くのを聞いて、以前にも同じように泣いたことがあったから、きっと家を滅ぼすだろうと分かったのだろうか。もしも神秘的な心で隠された言葉を悟ったのならば、音楽の哀楽の道理とは合わない。泣き声を聞いたといっても、それを子どもの声から検証することはできないからである。もし以前にも大泣きして不吉なことがあったので、いまも大泣きしているから不吉なはずだというなら、甲の声を基準として乙の泣き声を考察することになる。

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01月28日(木)

起床時刻:05時46分

晴れ。明日から降るらしい。雪が、もしかすると雨が。

弟の梨もぎ改め、あけび狩り、いちおう今日も病院へ。お昼がいきなり普通食だった。ぺろり♪ 私はタクシー代けちって歩いたので、ちかれた。ぱたり♪ 

DV男ドラマ「ナオミとカナコ」を見たいんだが、10時からだ、遅すぎ。眠らないようにブログでも書こうか、という按配だけど、三分損益って、1が3で割り切れないんだから、最後につじつま合わなくても仕方ないんじゃ?、と思ふ今日この頃。

しかし、3とか3の倍数とかは、とても神秘的な数字なんだ、たぶん月のせいで。そこに5(宮商角徴羽)を持ってきたりして、5というのも合理的な数字なんだ、だって指の数だし。

みたいなー、抽象的かつ哲学的な理論と、現実的で具体的な実践と、どうにか組み合わせましょうというところで、苦心惨憺である。え、さんたん、ってこんな字? パソコン任せ。

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★別董大  唐・高適
千里黄雲白日曛、北風吹雁雪紛紛。
莫愁前路無知己、天下誰人不識君。

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声無哀楽論  嵇康
26)
且又律呂分四時之気耳,時至而気動,律応而灰移,皆自然相待,不假人以為用也。上生下生,所以均五声之和,叙剛柔之分也。然律有一定之声,雖冬吹中呂,其音自満而無損也。今以晋人之気,吹無韻之律,楚風安得来入其中,与為盈縮邪?風無形,声与律不通,則校理之地,無取於風律,不其然乎?豈独師曠多識博物,自有以知勝敗之形,欲固衆心而托以神微,若伯常騫之許景公寿哉?

まして律吕で四季の気を区分するが、季節がめぐると気が動き、音律が調和すると灰も移る〔蕭統「錦帯書」の「黄鐘十一月」に「日往月来、灰移火変」とある〕。これは自然の因果が連動しているからで、人の助けを借りるものではない。上生下生して、五声〔基本となる五つの音高〕が調和し、気の強弱〔陰陽〕にしたがって配置される。しかし音律には一定の響きがあり、冬に中吕を吹いても、その音は豊満で減損することはない。いま晋人の気で無韻の律〔どの律と定めずに、の意か?〕を吹いても、楚国の風がどうして律管の中に入ってきて、変化をもたらすことがあろうか。風には形がないし、風の音と音律はそれぞれ違う。事物の道理を検証する場所と音律には関係がない、違うだろうか。師曠だけが博識で、勝敗のゆくえを知ることができ、民心を一致させて神秘に仮託しようとしたら、伯常騫〔春秋時代の人〕が景公の長寿を約束する〔彗星が現れた時に景公が伯常騫に祈祷させようとした故事。晏子に諌められてやめた〕ようなものではないか。

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01月27日(水)

起床時刻:06時52分

雪がふらないにゃ。

かわうそ探しで徘徊したが、あきらめた。かっぱが多すぎる。金魚もいた。ぬま津はあの頃から騒がしかった。夏はきゅうりポリポリの記憶があるが、冬はなに? イモでもかじってんのかな? かっぱ、イモ食うかな?

ちょっと脳が疲れてまして。音律と音階に関する本を読んでいたが、こりゃ物理か数学だな。

ピタゴラス音律(中国では三分損益律)、これは整数比で途中まではうまくいくんだけど、最後が元にもどらない。純正律は転調が苦手。平均律は協和度が低い。

中国で平均律が発明されたのは明代だが、これを琴に応用することはなかったので、琴で議論されるのは三分損益律と純正律(名称は違うけど)。

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★望天門山  唐・李白
天門中断楚江開、碧水東流至此回。
両岸青山相対出、孤帆一片日辺来。

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声無哀楽論  嵇康
25)
又難云:師曠吹律,知南風不競,楚多死声。此又吾之所疑也。請問師曠吹律之時,楚国之風邪,則相去千里,声不足達;若正識楚風来入律中邪,則楚南有吴、越,北有梁、宋,苟不見其原,奚以識之哉?凡陰陽憤激,然後成風。気之相感,触地而発,何得発楚庭,来入晋乎?

またあなたは次のように反駁した。師曠は律管を吹いて南風が強くないことから、楚国は失敗するであろうと分かった、と。しかし私はこれも疑っている。お尋ねしたいのだが、師曠が律管を吹いたとき、楚国に風が吹いていたのだろうか。楚の風は千里のかなたで吹いていて、律管の音はとうてい楚国には届くまい。もし本当に楚の風が律管の中に吹き込んだのだとしたら、楚国の南には呉や越があり、北には魏や宋があるが、どこが源か分からずに、楚の風だと分かったのだろうか。およそ陰陽ふたつの気が激しくなると、その後に風がおこる。気と気が互いに感応すると、天地が触れ合って風がおきる。どうして楚国におきた風が晋国に入ってくるのか。

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01月26日(火)

起床時刻:06時45分

晴れ。

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★早発白帝城  唐・李白
朝辞白帝彩雲間、千里江陵一日還。
両岸猿声啼不住、軽舟已過万重山。

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声無哀楽論  嵇康
24)
夫言,非自然一定之物,五方殊俗,同事異号,挙一名以為標識耳。夫聖人窮理,謂自然可尋,無微不照。苟無微不照,理蔽則雖近不見,故異域之言不得强通。推此以往,葛廬之不知牛鳴,得不全乎?

言葉というのは、自然に一定するものではない。各地の風俗は異なり、同じ事物であっても異なる名前で呼んでいる。一つの名称を挙げて事物の標識としているだけである。聖人は道理に通暁しているので、自然の存在について尋ねても、どんな細微なことでも明確である。どんな細微なことでも明確であるので、道理が通じないものは近くにあっても見えない。だから域外の言葉は、むりに理解しようとしないのである。ここから類推するに、葛廬が牛の鳴き声を理解していないのは、明白ではなかろうか。

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01月25日(月)

起床時刻:04時08分

長野へ。

久しぶりにケータイを充電したが、またクズメールがわんさか? お、鳴ってる。

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★黄鶴楼送孟浩然之広陵  唐・李白
故人西辞黄鶴楼、煙花三月下揚州。
孤帆遠影碧空尽、唯見長江天際流。

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声無哀楽論  嵇康
23)
請問:聖人卒人胡域,当知其所言否乎?難者必曰知之。知之之理何以明之?願借子之難以立鑑識之域。或当与関接識其言邪?将吹律鳴管校其音邪?観気采色和其心邪?此為知心自由気色,雖自不言,猶将知之,知之之道,可不待言也。若吹律校音以知其心,假令心志於馬而誤言鹿,察者固当由鹿以知馬也。此為心不系於所言,言或不足以証心也。若当関接而知言,此為孺子学言於所師,然後知之,則何貴於聪明哉?

お尋ねするが、聖人が胡の地域に入ったときに、すぐに胡の言葉が理解できるだろうか。反駁する人は、必ずや理解できると言うであろう。ではどうして胡の言葉が理解できると分かるのであろう。私はあなたの反駁を借りて、判断する基準を設けてみたい。もしかすると胡の人と接触するから彼らの言葉が理解できるのだろうか。それとも律管を吹いてその音楽を検証するのであろうか。または顔色を観察してその内心を理解するのであろうか。人の内心を理解する根拠が顔色だとしたら、話をするまでもなく、理解できるはずである。内心を理解する道は、必ずしも言語ではないのだろう。もし律管を吹くことでその内心を理解するのだとしたら、心では馬と思っているのに間違えて鹿だと言ったとしても、口から出たのは鹿だが心中では馬と思っているのだと、見ている人に分かるはずだ。これはつまり、心に思っていることにふさわしい言葉がないか、心のうちを十分に表す言葉がないのである。もし人と接触するから相手の言葉を理解するのだとしたら、子どもが先生に言葉を習ってから相手のことを理解するのと同じで、聡明だと称賛するするようなことでもないだろう。

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01月24日

起床時刻:06時38分

きゅーじつしゅっきーん♪

日曜は暖房が入らないが、晴れれば研究室はぽかぽか♪ むしろ窓あけている。南向き、万歳!

晴れらしい。昨晩も雪は降らなかったので、食事会もしまちた。盛り上がりまちた。

次回のレポーターになったのぢゃ。「春月さんは?」「ええ~~、私は『琴律学』という難しい本をがーーーっと翻訳して出すので・・」「じゃあ春月さんで決まりだ!(S先生)」「なんで?」という、いつか見た日の展開に。

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ほーっほっほ♪ 一首やって出した。ほとんど嫌がらせである、こんなに早いと。せっかく長年やってきたので、まとめて発表しよう、ということになり、フォーマット作りを兼ねているのぢゃ。たたき台として、皆さんに検討していただく。

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★贈汪倫  唐・李白
李白乗舟将欲行,忽聞岸上踏歌声。
桃花潭水深千尺,不及汪倫送我情。

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声無哀楽論  嵇康
22)
主人答曰:吾謂能反三隅者,得意而忘言,是以前論略而未詳。今復煩循環之難,敢不自一竭邪?夫鲁牛能知犠歴之喪生,哀三子之不存,含悲経年,訴怨葛廬;此為心与人同,異於獣形耳。此又吾之所疑也。且牛非人類,無道相通,若謂鳴獣皆能有言,葛廬受性独暁之,此為称其語而論其事,猶訳伝異言耳,不為考声音而知其情,則非所以為難也。若謂知者為当触物而達,無所不知,今且先議其所易者。

主人が答えました。

私は一を聞いて十を知るので、意味が分かれば言葉を粗略にしてしまう、だからこれまで概略を述べて十分に詳しくなかった。いまあなたが労をいとわず重ねて反駁したので、私も十分に議論を尽くしたいと思う。魯の牛が続けて犠牲となった親牛と分かるのは、三頭の子牛がいなくなったのを哀しみ、積年の怨みをこめて葛廬に訴えたからだ、この牛の心は人と同じで、ただ獣の姿をしているだけである。だが、この点も私は疑わしいと思う。まず牛は人ではない。互いに理解しあえる道がない。かりに鳥や獣に言葉があるとすれば、葛廬は天性、彼らの言葉を理解することができるのだろう。彼らの言葉を理解できるので、彼らと出来事を論じられる。通訳者が、異なる言語を翻訳して伝えるようなものである。声を聴いてその状況を理解するのではない。私に反駁する理由にはならない。知恵のある人は物に接触しただけで通暁できる。知らぬ物はない。いま私たちは、容易に理解できることから議論しよう。

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01月23日

起床時刻:03時49分 06時55分

午後、黄山谷の研究会。いつもはそのあと食事会だが、雪の予報が出ている。

出かけるついでに、大きめの書店で音楽理論の本を探したい。

でた、李白さま♪ 「紫煙」は、今ではタバコの煙の形容に使われるかしら? この詩では「日が照る」ので赤やオレンジ色、「紫」といっても古代紫ですにゃ。「香炉」は廬山の香炉峰です。お香を立てる香炉ではなく。

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★望廬山瀑布  唐・李白
日照香炉生紫煙,遥看瀑布掛前川。
飛流直下三千尺,疑是銀河落九天。

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声無哀楽論  嵇康
21)
秦客難曰:雖衆喻有隐,足招攻難,然其大理,当有所就。若葛廬聞牛鳴,知其三子為犠;師曠吹律,知南風不競,楚師必敗;羊舌母聴聞児啼,而審其喪家。凡此数事,皆效於上世,是以咸見録載。推此而言,則盛衰吉凶,莫不存乎声音矣。今若復謂之誣罔,則前言往記,皆為棄物,無用之也。以言通論,未之或安。若能明斯所以,顕其所由,設二論俱済,願重聞之。

秦客が反駁しました。

いろいろな比喩を使っても欠陥があって、反論を招くには十分でしょうが、基本の道理は説明できるでしょう。たとえば、〔春秋時代の〕葛廬は牛が啼くのを聞いて、産んだ三頭の子牛がすべて犠牲に使われたからだと分かりました。師曠が律管を吹くと、南風に力がないので楚軍は敗れるだろうと分かりました。羊舌〔春秋時代の晋の政治家〕の母は、子どもが泣くのを聞いて、成長したら家を滅ぼすだろうと分かりました。こうした事例はいずれも古代におこったことで、つぶさに記録されました。ここから推論しますに、盛衰吉凶が声に現れないということはないのでしょう。いまもしこれをデタラメとするならば、これまで記録されてきたことはすべて捨ててしまいましょう、無駄なものです。通達した言論とするには、まだ十分に妥当ではありません。もしあなたが、どうしてこうなるのか、原因と理由を説明できるのであれば、論点と事実がどちらも通じることになります。ぜひ重ねてお聞きしたい。

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01月22日(金)

起床時刻:06時00分

しゅっきんじゃ。ついでに駅まで40分ウォーキング。研究室ではレンジで芋をチン♪ このまま毎日続ければ少しは痩せそうだったが、明日は寒波襲来で日本列島大荒れとな? 勉強道具を今日のうちに引き揚げなくては。

今週中に成績をつけて、来週は長野へ。弟が梨もぎ。

『琴律学』は全300ページ。第一章概論の20ページほどが終わりそうだけど、概論って、全体が分からないと正確には理解できないにゃ。なるべくたくさん訳しておいて、あとで見直して適当な分量を発表。

昨晩はついドラマ「ナオミとカナコ」第2話を見てしまい、面白かったのでネットで第1話も見たら、見終わったのはもう今日だった。内田有紀が迫真の演技。DV夫にボコボコにされる役だけど。第1話の冒頭で、親友の広末涼子と一緒に、DV夫佐藤隆太の首にロープかけて絞めてた。広末涼子は父親がDV夫でしょっちゅう母親を殴っていた。・・という設定です。

最近のリアルでは、SMAP騒動が、ああ気持ち悪い。やたらと「○○さんに謝罪しろ」「○○くんに土下座しろ」「あちこち謝罪行脚しろ」「みんなに謝れ」って、生放送で公開処刑? 似たような人たちがいるもんだー。こわいこわい。

ふ~~っ。王維がやっている「長嘯」は、今風に言うなら「ロングブレス」、養生法の一つですにゃ。ダイエットもできる鴨?

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★竹里館  唐・王維
独坐幽篁裏,弾琴復長嘯。
深林人不知,明月来相照。

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声無哀楽論  嵇康
20)
且夫《咸池》、《六茎》,《大章》、《韶夏》,此先王之至楽,所以動天地、感鬼神。今必云声音莫不象其体而伝其心,此必為至楽不可托之於瞽史,必須聖人理其弦管,爾乃雅音得全也。舜命夔「撃石拊石,八音克諧,神人以和。」以此言之,至楽雖待聖人而作,不必聖人自執也。何者?音声有自然之和,而無系於人情。克諧之音,成於金石;至和之声,得於管弦也。夫繊毫自有形可察,故離瞽以明暗異功耳。若乃以水済水,孰異之哉?

まして「咸池」「六茎」「大章」「韶」「夏」などは、いずれも先王のもっとも素晴らしい音楽で、そのため天地鬼神も感動した。もしいま音楽は必ずその心を伝えるのだとしたら、もっとも素晴らしい音楽を盲人の楽師に託すまでもなく、聖人みずからが管絃を手にして演奏すべきであろう。そうして初めて雅正な音楽を全うできる。舜は夔に命じて「石を打たせて、八音〔金石など各種の楽器〕が調和し、天神も凡人も融和した」という。これに基づけば、もっとも素晴らしい音楽は聖人によって作られるが、聖人みずからが演奏する必要はない。なぜか? 音楽には自然な調和があり、人の感情とは無関係だからである。調和した音楽は、金石の楽器で表される。調和した声は、管弦の楽器で得られる。繊細な羽毛であっても形があれば見ることができる。そのため離婁のような盲人でも明暗を見分けるのである。もし水を使って水を増やすのであれば、誰がこれを見分けられようか。

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01月21日(木)

起床時刻:07時01分

しゅっきーん♪

「漢文」のレポート回収、なかなか気合いの入ったものもあり、読んでいて楽しい。最後だと思ってコメントくれる学生もいて、「先生が楽しそうに授業していた」というのは、嬉しいわ♪ 「体調に気をつけて今後も活躍してくれ」みたいなのもあって、おいこら! 評定はそういうコメントとは別に、厳正につけますが。

ここで悪口言ったのが聞こえたのか、初校が出るそうだ。明日には受け取ってチェックしまふ。

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声無哀楽論  嵇康
19)
夫食辛之与甚噱,薰目之与哀泣,同用出涙,使狄牙嘗之,必不言楽涙甜而哀涙苦,斯可知矣。何者?肌液肉汗,踧笮便出,無主於哀楽,猶簁酒之囊漉,雖笮具不同,而酒味不変也。声俱一体之所出,何独当含哀楽之理也?

辛いものを食べて笑いながら涙を流すのと、目をいぶされて悲しくて涙を流すのと、同じように涙が出るが、易牙〔春秋時代の料理人〕に味見をさせたら、喜んで流した涙は甘く、悲しくて流した涙は苦いとは、言わないに違いない。これは想像できることである。なぜか? 汗は絞り出せば流れるもので、哀楽とは関係がない。それはちょうど酒を漉す濾し布のようなもので、酒を漉す道具が違っても酒の味は変わらない。音楽も身体から発せられるものであるのに、どうして哀楽が含まれているはずだという道理があろうか。

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むかしは霜も空から降ってくると考えられていたので、月光で霜を連想するのですにゃ。

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★静夜思  唐・李白
床前明月光,疑是地上霜。
挙頭望明月,低頭思故郷。

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01月20日(水)

起床時刻:04時27分

授業。今日でおしまい。

「漢文」を担当することになって、自動的に「人文科学」部門に入り、会議の通知や教室予算の配分がくるようになった。紀要も『人文科学』にもぜひどうぞ、に。以前は持ち回りで担当していたが、いつの間にか「やりたい人がやりたいだけどうぞ」になったので、はい、どうもありがとう。

中国語を担当しているので、「語学」部門の「中国語」部会にも入っているが、こちらは数年前に「そろそろ紀要いかがですか?」になり、作った。もうぐずぐず、まだ原稿をダスダス星人がいるそうな。締切は昨年10月末で、私は12月中に査読コメントを受けた修正&完成稿を出していますが、いっこうに初校が出ないのは、こういう人がいるからですにゃ。迷惑じゃ。

**
声無哀楽論  嵇康
18)
爾為聴声者不以寡衆易思,察情者不以大小為異,同出一身者,期於識之也。設使従下,則子野之徒,亦当復操律鳴管,以考其音,知南風之盛衰,別雅、鄭之淫正也?

あなたは、音楽を聴く人は楽曲の多少で思いを改めることはなく、感情を推察する人は音楽の大小で異なることはない、いずれも同一の人から生まれるのであるから、どういう意味か分かるはずである、と考えている。もし音楽が地下から発せられたとしたら、師曠のような人でも律管を吹いて音楽を確かめるであろうし、南風が強いかどうか分かれば、雅声と鄭声を区別することが出来るのだろうか。

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月に桂樹(モクセイ)が生えている。これの実が落ちてくるので、散策しながら拾うそうだ。研究会(学会になったけど)の訳注で、そういう作品に当たった人がいた。

モクセイもいろいろあるが、主にキンモクセイ。これがまた江戸時代に雄株だけ輸入されて、接ぎ木で増やしたものだから、日本では実がつかない。柳のケースと似ています。春になっても絮(ワタ)が飛ばない。

月では兎が薬をぺったんこ♪ いや、ねばらないだろうが、搗いている。不老不死の薬を作っているそうな。月には仙人もいるので、その下働きかも知れませんにゃ。うささんは嫦娥の化身ともいいますにゃ、修行じゃ。

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★古朗月行(抜粋)  唐・李白
小時不識月,呼作白玉盤。
又疑瑶台鏡,飛在青雲端。
仙人垂両足,桂樹何団団。
白兎搗薬成,問言与誰餐。

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01月19日(火)

起床時刻:02時28分 04時17分 07時05分

しゅっきーん♪ 身体なまってんのー。

研究室に「故宮書画図録」1~32巻が届いていた。とっくに使い果たしたと思っていた研究費がけっこう余っていたので、買った~、テンションあがる♪ しかし台湾の出版で紙がよく、重くて、箱から出して本棚に並べていたら、腰がびがび。

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声無哀楽論  嵇康
17)
主人答曰:難云:心応感而動,声従変而発,心有盛衰,声亦降殺,哀楽之情,必形於声音,鍾子之徒,雖遭無常之声,則穎然独見矣。必若所言,則濁質之飽,首陽之飢,卞和之冤,伯奇之悲,相如之含怒,不占之怖祗,千変百態,使各発一詠之歌,同啓数弹之微,則鍾子之徒,各審其情矣。

主人が答えました。

反駁に、「心に感じることがあって動かされ、声になって変化が表れる。心に浮き沈みがあるので、声にも高揚や沈鬱がある。顔色の変化も声の変化も同じ一人の身の上に生じることで、鍾子のような人は、固定していない声に出会っても鋭く理解することができる」と言う。もしそうであるならば、濁氏〔前漢の乾肉売り〕と質氏〔刀剣みがき〕が金持ちになり、伯夷と叔斉〔殷末の賢人の兄弟。周の武王が殷を滅ぼしたのを不仁な行いとし、隠棲した〕が首陽山に暮らして餓え、卞和〔楚の人。すばらしい玉を見つけたが信用されず両足を切断された〕が冤罪に屈し、伯奇〔周の人。継母に疎まれて放逐された〕が悲嘆し、藺相如〔戦国末の武将。趙が手に入れた「和氏の璧」を秦から守るなど活躍した〕が憤怒し、陳不占〔春秋時代の人。君主が弑されたと聞き、食事も喉を通らないほど怖れたがかけつけ、門前で戦闘の音を聞いて恐れおののき死んでしまった。しかし勇気がないのに義を行ったとして讃えられた〕が恐怖した、こうしたさまざまな状態を、かりに一人ずつ曲にして歌わせ、一斉に琴で弾じてみたとしても、鍾子のような人であればそれぞれの感情を聴き分けるであろう。

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茱萸はグミ、グミ科の落葉または常緑低木。呉茱萸はミカン科の落葉(または常緑?)小高木。中国の「茱萸」はこっち。

>呉茱萸。ミカン科の落葉小高木。葉は7枚または9枚の小葉からなる羽状複葉。雌雄異株。初夏、緑白色の小花が集まって咲く。赤い実は漢方薬として頭痛・嘔吐(おうと)に用いられる。中国の原産で、日本には享保年間(1716~1736)に渡来。《季 花=夏》

「茱萸」で何で「ぐみ」なんだろう? 「ぐみ」で「胡頽子」も出てくるが、これはナワシログミの漢名という。ナワシログミは「苗代胡頽子」と書く。

「ぐみ」(古くは「くみ」)という植物が日本にあって、中国の文献に「茱萸」とあるのが似ているわ、とその字を使っていたら、江戸時代に中国から「茱萸」が渡来して、ちょっと違うわね、と「呉茱萸」と呼ぶことにした?

>茱萸,又名“越椒”、“艾子”,是一种常绿带香的植物,具备杀虫消毒、逐寒祛风的功能。木本茱萸有吴茱萸、山茱萸和食茱萸之分,都是著名的中药。佩茱萸,汉族岁时风俗之一。在九月九日重阳节时爬山登高,臂上佩带插着茱萸的布袋(古时称“茱萸囊”)。

>茱萸是一种落叶小乔木,开小黄花,果实椭圆形,红色,味酸,可入药。

中国でもいろいろあるわけだ。「常绿」のと「落葉」のと。秋に重陽の節句で身につけていたのは、常緑のほう。サンショウの仲間らしい。「茱萸」は「赤い実」という意味。葉は香りがある。

>グミと茱萸【しゅゆ】との混同は、日本の行事にも、影響しました。重陽【ちょうよう】の節句という行事です。旧暦の九月九日(今の暦では、十月上旬)に行なわれました。重陽の節句は、中国から伝わった行事です。中国では、この節句に、茱萸【しゅゆ】を用いました。日本では、グミを用いたようです。平安時代の文書に、茱萸【ぐみ】を入れた「茱萸嚢【ぐみぶくろ】」が、重陽の節句に用いられた、とあります。

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★九月九日憶山東兄弟  唐・王維
独在異郷為異客,毎逢佳節倍思親。
遥知兄弟登高処,遍挿茱萸少一人。

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01月18日(月)

起床時刻:06時18分

雪がふってる~、積もってる~。不要不急の外出は控えおろう、と日本政府が?言っているので、自宅で翻訳じゃ。・・でももう雨?

昨日はふつうの国産レモンを買ってきて、スライスして生姜茶(はちみつに生姜を混ぜたもの)に入れ、生姜レモン茶に加工ちう。もう水分が出ているので、お湯で割って飲めます。毎年冬になるとスーパーに並ぶお気に入りの生姜茶が今年はなくて、ほかの寝ぼけた味の生姜茶しかなかったので、アレンジ。

「皮も食べられる」という何とかレモンもあったので、スライスして、こちらはサトウキビ糖(やや赤い)をかけておいたら、たっぷり水分が出ている。ヨーグルトにかけて食べよう。

家の玄関先のレモン、大きいけどぱっさぱさ、これは試しに塩レモン作りに挑戦ちう。出来たとして、どう使うんだか、まだ分からんが。市販の「塩ゆず」も買ったまま使っていないので、あとで鶏肉でも買ってきて、すり込んで焼いてみる。たぶんおいしい。

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声無哀楽論  嵇康
16)
秦客難曰:「夫観気采色,天下之通用也。心変於内而色応於外,較然可見,故吾子不疑。夫声音,気之激者也。心応感而動,声从変而発。心有盛衰,声亦隆殺。同見役於一身,何独於声便当疑邪!夫喜怒章於色診,哀楽亦宜形於声音。声音自当有哀楽,但暗者不能識之。至鍾子之徒,雖遭無常之声,則穎然独見矣,今蒙瞽面墙而不悟,離婁昭秋毫於百寻,以此言之,則明暗殊能矣。不可守咫尺之度,而疑離婁之察;執中痛之聴,而猜鍾子之聪;皆謂古人為妄記也。」

秦客が反駁しました。

顔色を観察して内心を推察するのは、天下に通用する方法です。人は内面が変わると外に表情となって現れる。これは明らかに分かるもので、あなたも疑っていません。音楽は、感情が激した結果です。心に感じることがあって動かされ、声になって変化が表れる。心に浮き沈みがあるので、声にも高揚や沈鬱があります。顔色の変化も声の変化も、同じ一人の身の上に生じることです。どうして声に対してだけ、疑いを抱くのでしょうか。喜怒が顔色に現れるように、哀楽は声に現れます。声にはもともと哀楽があり、分からない人には分からないだけです。鍾子のような人は、固定していない声に出会っても、鋭く理解することができました。盲人は壁の前に立っていても何も分かりませんが、離婁〔伝説中の人。眼がよい〕には百尺離れているものでも明らかに見えました。つまり、人の眼力にはこれほどの差があるのです。盲人の視力をものさしとして離婁の眼力を疑い、一般の人の聴力をとりあげて鍾子の聴力を疑い、どれも古人がでたらめを記録したのだと言うことは、できないでしょう。

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★従軍行  唐・王昌齢
青海長雲暗雪山,孤城遥望玉門関。
黄沙百戦穿金甲,不破楼蘭終不還。

***
体操セット40分。

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01月17日

起床時刻:05時47分

さぶっ。天気悪そう。ねむっ。いつでも二度寝、三度寝、昼寝・・、できるように湯たんぽにお湯を入れ直して、布団の中へつっこんだ。

サツマイモ(大)をレンジ強で2分、弱で20分、さらにオーブントースターで5分。あまーい。満足。

芋かじりながら朝勉して、二度寝して起きたら晴れていた。。掃除機かけて、布団も干した。湯たんぽよ、さようなら(今夜まで)。天気予報ははずれじゃ。

お年玉年賀葉書は、1通だけ3等切手シートが当たった。恩師S先生からのだった♪

陳さんと電話でケンカ。まじ大げんか。話が平行線、噛み合わなすぎて、最後は笑った。このところ私は「話が通じないわ」という事態(人たち)にけっこう出くわしているが、結局、笑っておしまいになるのは、縁とか相性というものでせう。

夜は雪になるらしい。夕飯は、ブリ大根。

**
声無哀楽論  嵇康
15)
至夫哀楽自以事会,先遘於心,但因和声以自顕発。故前論已明其無常,今復假此談以正名号耳。不為哀楽発於声音,如愛憎之生於賢愚也。然和声之感人心,亦猶酒醴之発人情也。酒以甘苦為主,而醉者以喜怒為用。其見歓戚為声発,而謂声有哀楽,不可見喜怒為酒使,而謂酒有喜怒之理也。

哀楽はそうではなく、ある事柄に出会って、まず心中に思いが生じ、音楽になって外に感情が現れるにすぎない。そのためすでに論じたように、音楽と感情は固定した関係にはない。いまもう一度この話題を借りて、名実について正そう。哀楽は、愛憎が賢德と愚劣から生じるのと同じように、音楽から生じるものではない。だが音楽によって人は感動する。それは美酒に酔って感情が発露されるようなものである。酒の属性は甘苦であり、酔っ払いは酒で喜怒の感情を排泄する。音楽によって悲哀や歓喜を発露する人を見て、音楽に哀楽があるとするのは、酒を借りて喜怒の感情を発露する人を見て、酒の中に喜怒があると考えるようなものである。

**
★送元二使安西  唐・王維
渭城朝雨浥軽塵,客舎青青柳色新。
勧君更進一杯酒,西出陽関無故人。

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01月16日

起床時刻:06時53分

しゅっきーん♪

嵇康はなに言ってんだかよく分かりませんが、とりあえず表面的に全訳してから考えましゅ。まっしゅー、マシュマロ♪

今日はテスト採点して、それから『琴律学』ですわ。「枚数制限なし」でやる気スイッチ入りまして、研究会(学会になったけど)の訳注チェック(他の担当者の分)も授業のあいまにやって出した。

どうしても旨い焼き芋を、うちでも食べたい! と思って検索したら、イモを水洗いして、濡らした新聞紙に包んでからアルミホイルに包んで、オーブントースターで10~15分加熱、10分放置、を3回繰り返すと、焼き芋屋さんのような仕上がりになるらしい。1時間ちょい、時間かけて、と。

今朝のうちのオーブントースターは、パンではなく鮭の切り身を焼いてます。アルミホイルに乗っけて15分、ほったらかし。忘れずに出して食べなくちゃ。

もっと手早く手軽にうまい焼き芋を食いたい! とさらに検索したら、イモを洗ってキッチンペーパーにくるんで、レンジ強で1~2分、弱で10~15分、というのがあった。これにする。

やってみた! あまーい。しっとり。簡単。レンジだから「焼き」芋じゃないけど、十分である。「焼き」芋は大阪へ行ったら食べよう♪

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声無哀楽論  嵇康
14)
又難云:哀楽之作,猶愛憎之由賢愚,此為声使我哀而音使我楽;苟哀楽由声,更為有実矣。夫五色有好丑丑,五声有善悪,此物之自然也。至於愛与不愛,喜与不喜,人情之変,統物之理,唯止於此;然皆無豫於内,待物而成耳。

またあなたは反駁して、「哀楽が生じるのは愛憎が賢徳と愚劣から生じるのと同じである」と言う。これは音楽が我々を悲哀にさせたり快楽にさせたりするということである。もし哀楽が本当に音楽によって生じるなら、音楽に実態として哀楽がそなわっているということである。色彩には美しいもの醜いものがあり、音楽には耳に心地よいもの耳障りなものがある、これは事物自体の属性である。だが愛することと愛さないこと、喜ぶことと喜ばないこと、これは人の感情の変化であって、どのように変化するのかその根本は一点に留まっている。内心とは関係なく、外物に触発されて形成されるにすぎない。

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★鹿柴  唐・王維
空山不見人,但聞人語響。
返景入深林,復照青苔上。

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01月15日(金)

起床時刻:04時27分 07時18分

ポチ♪しとくか。。二度寝するかも知れないけど。・・・した。昼寝もすっぺ?

授業。

そうですか、皆さん耳鳴り? 私もー。もう慣れたけど。・・げげげ、二度寝したら耳鳴りがひどくなった。ふしぎ~♪

ふうっ~。編集長からメール。今回は投稿希望が少ないので、枚数制限なしでどうぞ、ときたもんだあ。私次第、っつーことで。

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声無哀楽論  嵇康
13)
夫推類辨物,当先求之自然之理;理已定,然後借古義以明之耳。今未得之於心,而多恃前言以為談証,自此以往,恐巧歴不能紀。

事物を類推弁別するには、まず自然の道理を得ようとするべきである。道理が確定したら、それから古代の意味を借りて証明するのである。いまあなたは心中にこうした道理を得ないまま、前代の記録を議論の根拠としている。こうして推論を進めていくと、もっとも計算に長けた人であっても把握するのは難しいだろう。

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★芙蓉楼送辛漸  唐・王昌齢
寒雨連江夜入呉,平明送客楚山孤。
洛陽親友如相問,一片氷心在玉壺。

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01月14日(木)

起床時刻:07時14分

さびー。手がちびたーい。しゅっきーん♪

古琴はやっている。琴譜を読んで、CDなどで音を聴いて。琴譜は、書き写すのもまた楽しい。研究室には如葉ちゃんがいる。昨日も授業のあいまに弾きまちた。

『琴律学』は難しいので、少しずつ訳して紀要に載せようと思ったら、まだ締切に間に合うから出して!、とメールきたので、がんばろー♪

**
声無哀楽論  嵇康
12)
若音声無常,鍾子触類,其果然邪?則仲尼之識微,季札之善聴,固亦誣矣。此皆俗儒妄記,欲神其事而追為耳,欲令天下惑声音之道,不言理以尽此,而推使神妙難知,恨不遇奇聴於当時,慕古人而自嘆,斯所□大罔後生也。

もし音楽に固定したものがなく、鍾子は音楽を聴いて触発されたとしたら、どうであろう? 仲尼〔孔子〕が細かいことまで聴き分け、季札が音楽に鋭敏だったのも、偽りになろう。いずれも俗儒が適当に書き残して、神妙なことと見せかけて、天下の人々を音楽の道理に惑わせようとしたものである。音楽の道理をこのように説かないで、音楽とは神秘的で分かりにくいもので、よく聴き分ける人に出会えないことが残念だと思わせ、昔の人が羨ましいと歎かせる、これは彼らが後世の人々を騙すやり方である。

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★宿建徳江  唐・孟浩然
移舟泊煙渚,日暮客愁新。
野曠天低樹,江清月近人。

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01月13日(水)

起床時刻:07時01分

授業。

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声無哀楽論  嵇康
11)
若此果然也。則文王之操有常度,韶武之音有定数,不可雑以他変,操以余声也。則向所謂声音之無常,鍾子之触類,於是乎躓矣。

もし本当にそうであるならば、文王の曲には固定した曲調があり、「韶」「武」の音楽にも一定の旋律があり、その他の変化を混ぜることも、ほかの調子を演奏することもできない。さきほどあなたが言った音楽には固定したものがないというのも、鍾子が音楽を聴いて触発されたことも、通用しなくなる。

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★出塞  唐・王昌齢
秦時明月漢時関,万里長征人未還。
但使龍城飛将在,不教胡馬度陰山。

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01月12日(火)

起床時刻:07時12分

あめ? いよいよ冬将軍が来たしー。さむさむ。今日は検診、それから研究室へ?

サツマイモ(小)を数本、洗ってアルミホイルに包んで、オーブントースターに放り込んで15分。少し置いて、また15分。これでたぶん、じっくり焼けて甘味が引き出されると思ふ。昨日は圧力鍋オンリーで、これもなかなか甘くしっとり。でも石焼きには敵わないが。・・2回ではまだ硬かったので、ホイルに包んだまま圧力鍋へ。食べる時間なかった。。

連休を連休らしくまったり過ごして、充電したっち。

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声無哀楽論  嵇康
10)
又曰:「季子聴声,以知衆国之風;師襄奏操,而仲尼睹文王之容。」案如所云,此為文王之功徳,与風俗之盛衰,皆可象之於声音:声之軽重,可移於後世;襄涓之巧,能得之於将来。若然者,三皇五帝,可不絶於今日,何独数事哉?

あなたはまた「季札は音楽を聴いて各国の風俗を知り、師襄が琴を演奏すると孔子には文王のようだと分かった」と言う。そうであるならば、文王の功徳や風俗の盛衰は、みな音楽に体現されているということになる。音楽の強弱は後世に伝えることができるし、師襄や師涓の巧みさを将来得ることもできる。そうであるならば、三皇五帝の事跡が今日途絶えていてほとんど残されていないということがあろうか。

**
★涼州詞  唐・王翰
蒲萄美酒夜光杯,欲飲琵琶馬上催。
酔臥沙場君莫笑,古来征戦幾人回。

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01月11日(月)

起床時刻:06時40分

湯たんぽナシでもぽかぽか♪ 酒粕効果もアリ?

ヒマすぎたので、近所をお散歩。踊りや詩吟の教室なんかあって、新鮮。神社にも寄り、さらに歩くと私よりさらにヒマそうなおっちゃんたちが釣り堀にいた。川沿いの桜はつぼみがまだ固い。誰かのおうちの梅(かボケ)はピンクの花を咲かせていた。

**
声無哀楽論  嵇康
9)
主人答曰:「難云:雖歌哭万殊,善聴察者要自覚之,不假智於常音,不借験於曲度,鍾子之徒云云是也。此為心悲者,雖談笑鼓舞,情歓者,雖拊膺咨嗟,猶不能御外形以自匿,誑察者於疑似也。以為就令声音之無常,猶謂当有哀楽耳。

主人が答えました。

反駁に、「各地の風俗は異なり、唱歌と哭泣もさまざまであるが、音楽に精通した人ならば聴き間違えることはない。定まった音符から知識を得たのではなく、曲調によって正しいことを知ったのでもない。鍾子らは云々」と言うが、内心悲しんでいる人が笑いながら太鼓を叩いたり踊ったりしていても、また内心喜んでいる人が胸を叩きながら嘆息したりしていても、表面的な姿を制御することで本当の感情を隠し、偽りで見ている人を騙すことはできない。音楽は固定したものではないとしながら、哀楽はあると考えているのでしょう。

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★春暁  唐・孟浩然
春眠不覚暁,処処聞啼鳥。
夜来風雨声,花落知多少。

***
体操セット40分。

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01月10日

起床時刻:07時05分

豆乳カスピ海ヨーグルトは、成功♪ もんだいはあんましおいしくないということです。

オリーブさんとこのイモがあまりに旨そうなので、サツマイモを買ってきた。圧力鍋&レンジで蒸したが、ぱっさぱさ。口じゅうの水分を持って行かれる。じっくり時間かければかけるほど、甘くなるのに、イモに申し訳ない。

春みたい、ぽかぽか♪ アスパラ菜があったので買って、お昼に食べた。クセがなくておいしい。菜花もあった。私はこの春先の菜花の苦みが、大好きです。油揚げと一緒に、煮浸しに。

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声無哀楽論  嵇康
8)
又云:「季子采《詩》観礼,以別《風》、《雅》;仲尼嘆《韶》音之一致,是以咨嗟。」是何言歟?且師襄奏操,而仲尼睹文王之容;師涓進曲,而子野識亡国之音。寧復講詩而後下言,習礼然後立評哉?斯皆神妙独見,不待留聞積日,而已総其吉凶矣;是以前史以為美談。今子以区区之近知,斉所見而為限,無乃誣前賢之識微,負夫子之妙察邪?

またあなたは「季札が詩を採集して考察して「風」「雅」に分類し、孔子が「韶」を聞いて音楽と德行が一致していると感嘆した」とおっしゃいました。これはどういうことでしょうか。まして師襄が古琴を演奏すると、孔子には〔この曲の作者が〕文王のようであると分かり、師涓が曲を演奏すると、子産〔師曠、字は子野?〕にはそれが〔紂の〕亡国の音楽だと分かりました。歌詞を解釈してから発言し、礼儀を演習した後に評価したのではありません。いずれも直感的に分かったのであって、見聞したことを何日もかけて蓄積するまでもなく、その吉凶〔善し悪し〕を判断できたのです。だからこそ前代の歴史書でも佳話として記録されました。いまあなたは狭い見聞で、どの見解も限界があります。これは先賢の深く詳しい見解を貶め、先達のすばらしい見解にそむくことではないでしょうか。

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★登鸛雀楼  唐・王之渙
白日依山尽,黄河入海流。
欲窮千里目,更上一層楼。

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体操セット40分。

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01月09日

起床時刻:05時13分 07時17分

豆乳ヨーグルトは断念。ぜんぜん固まらないので、コーヒーで割って飲みまちた。

久しぶりの雲ひとつない冬晴れ、洗濯機を3回まわし、布団や枕を干し、掃除機をかけ、喘息の薬をもらいに行き、スーパーで材料を買い、豆乳カスピ海ヨーグルトを仕込みまちた。

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声無哀楽論  嵇康
7)
又云:「賢不宜言愛,愚不宜言憎。」然則有賢然後愛生,有愚然後憎成,但不当共其名耳。哀楽之作,亦有由而然。此為声使我哀,音使我楽也。苟哀楽由声,更為有実,何得名実俱去邪?

あなたはまた「賢徳だから愛すべきだと言うことはできないし、愚劣だから憎むべきだと言うことはできない」とおっしゃいました。しかし、賢徳があってその後に愛しみが生まれるのであり、愚劣があってその後に憎しみが生まれるのです。どちらも〔実である賢愚をのぞいて愛憎の〕名だけを用いることはできません。哀楽が生まれるのもまた、その原因があるのです。それは音楽が哀しくさせ、音楽が楽しくさせるからです。もし哀楽が音楽によって引き起こされるなら、その音楽には確かに哀楽があるのです。どうして名実をそれぞれ切り離すことができましょうか。

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★涼州詞  唐・王之渙
黄河遠上白雲間,一片孤城万仞山。
羌笛何須怨楊柳,春風不度玉門関。

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01月08日(金)

起床時刻:06時23分

授業。

「声無哀楽論」は難しいね。今風にいえばディベートですが、反論させながら少しずつ論を展開していく。どういう理屈で何を主張しようとしているのか、まだはっきりしません。冒頭だけ読んでいると、スキだらけに思えますが、あわててつじつま合わせようとしちゃいけないような。

研究室に呉文光先生の『神奇秘譜』(五線譜&CD付)が届いていた。思っていた以上にすばらしいのであるっ!! 絶対これは買いです♪

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声無哀楽論  嵇康
6)
秦客難曰:「八方異俗,歌哭万殊,然其哀楽之情,不得不見也。夫心動於中,而声出於心。雖托之於他音,寄之於余声,善聴察者,要自覚之不使得過也。昔伯牙理琴而鍾子知其所志;隷人撃磬而子産識其心哀;鲁人晨哭而顔淵審其生離。夫数子者,豈復假智於常音,借験於曲度哉?心戚者則形為之動,情悲者則声為之哀。此自然相応,不可得逃,唯神明者能精之耳。夫能者不以声衆為難,不能者不以声寡為易。今不可以未遇善聴,而謂之声無可察之理;見方俗之多変,而謂声音無哀楽也。」

秦客が反駁しました。

各地の風俗は異なり、唱歌と哭泣もさまざまですが、人々の哀楽の感情は、表現せずにはおられないものです。心が動かされれば、声になって外に発せられます。ほかの声に託し、ちがうメロディを借りたとしても、音楽に精通した人ならば聴き間違えることはないでしょう。むかし伯牙が琴を弾くと、鍾子にはその意味が分かりました。下僕が磬を打つと、子産にはそこに込められた悲哀が分かりました。また鲁国の人が早朝に哭泣しているのを見て、顔淵には息子を亡くしたのだと分かりました。こうした人たちは、定まった音符から知識を得て、曲調によって正しいことを知ったのでしょうか。心が鬱々としていると様子が変わりますし、悲しいときは哀れな声になります。それは自然な反応で、逃れようがありません。鋭い人であれば、聴いただけでそれが分かるのです。音楽が得意な人は、音楽が複雑でも難しいとは思いませんし、音楽が苦手な人は、音楽が単調だから易しいとは思いません。音楽が得意な人に出会っていないのに、音楽には理解する方法がないと言うことはできません。各地の風俗がさまざまであるからといって、音楽に哀楽がないと言うことはできません。

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★回郷偶書  唐・賀知章
少小離家老大回,郷音無改鬢毛衰。
児童相見不相識,笑問客従何処来。

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01月07日(木)

起床時刻:05時32分

発酵食品にはまっている私は、いま豆乳ヨーグルト作成ちう♪ 豆乳に酒粕を放り込んで常温で1~2日で、出来るそうだ。

白石君と交流のあった朱熹先生が「琴律説」(『晦案先生朱文公文集』巻六六)を書いていらっしゃるので、あとで探して読むこと。

漢字練習帳(150字)に、これまでやった曲の琴譜を書き出してみる。

最初は「仙翁操」、05年度留学中に呉文光先生に習った。対面式で、先生が弾くのを見ながら、まねして弾く。これでは宿舎に帰るまでに忘れてしまうから、お弟子の留学生に頼んで、譜面の読み方など補講してもらった。1レッスン=先生200元+補講100元也。さらに呉文光先生のDVDを見ながら、宿舎で練習。

こんなやり方で、1年いた間に「仙翁操」「黄鶯吟」「竹枝吟」「秋風詞」「湘江怨」「古怨」「酒狂」をやった。「いいよいいよ、上手い上手い、天才♪」と無責任におだてられながら。宿舎では陳さんに「あれ~、CDかと思ったー♪」と無責任に励まされながら。

帰国の時にお世話になった人たちを招いて、食事会で「古怨」を弾いた。満場(数人)の拍手♪

楽しかった古琴事始めを、思い出してみまちた。

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声無哀楽論  嵇康
5)
夫喜、怒、哀、楽、愛、憎、慙、惧,凡此八者,生民所以接物伝情,区別有属,而不可溢者也。夫味以甘苦為称,今以甲賢而心愛,以乙愚而情憎,則愛憎宜属我,而賢愚宜属彼也。可以我愛而謂之愛人,我憎而謂之憎人,所喜則謂之喜味,所怒而謂之怒味哉?由此言之,則外内殊用,彼我異名。声音自当以善悪為主,則無関於哀楽;哀楽自当以情感,則無繋於声音。名実俱去,則尽然可見矣。且季子在鲁,采詩観礼,以別風雅,豈徒任声以决臧否哉?又仲尼聞「韶」,嘆其一致,是以咨嗟,何必因声以知虞舜之徳,然後嘆美邪?今粗明其一端,亦可思過半矣。由此言之,則外内殊用,彼我異名。声音自当以善悪為主,則無関於哀楽;哀楽自当以情感,則無繋於声音。名実俱去,則尽然可見矣。且季子在鲁,采詩観礼,以別風雅,豈徒任声以決臧否哉?又仲尼聞「韶」,嘆其一致,是以咨嗟,何必因声以知虞舜之徳,然後嘆美邪?今粗明其一端,亦可思過半矣。

「喜」「怒」「哀」「楽」「愛」「憎」「慙」「惧」、この八つは、人々が外物に接触して感情を伝えるものである。それぞれ区別があり、乱用してはならない。味には、「甘」「苦」の名称がある。いま甲が賢である故にこれを愛し、乙が愚である故にこれを憎むとすれば、愛憎は我に属し、賢愚は彼に属すとすべきであろう。我が愛する故にこれを愛すべき人とし、我が憎む故にこれを憎むべき人とし、自分にとって喜ばしい味だからこれを「喜味」とし、自分にとって腹立たしい味だからこれを「怒味」とすることが、できようか。このように見てくると、外〔客体〕と内〔主体〕は機能が異なるのであり、だからそれぞれ違う名称なのだ。音楽はもともと善悪を主体とするもので、哀楽とは関係がない。哀楽は感情を主体とするもので、音楽とは関係がない。名実をそれぞれ切り離してみれば、問題はすっきり見えてくる。まして季札は魯の国で詩歌を採集して礼制を考察し、「風」「雅」に分類したが、音楽だけで優劣の判断したということがあろうか。また孔子が「韶」を聞いて音楽と德行が一致していると感嘆したのも、音楽を聞いただけで舜の德行を知り、その上でその美しさに賛嘆したのであろうか。

いま私はある側面だけを簡単に述べたが、おおよそはご理解いただけるであろう。

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★詠柳  唐・賀知章
碧玉妝成一樹高,万条垂下緑絲縚。
不知細葉誰裁出,二月春風似剪刀。

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01月06日(水)

起床時刻:05時33分

授業。

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声無哀楽論  嵇康
4)
夫哀心藏於苦心内,遇和声而後発。和声無象,而哀心有主。夫以有主之哀心,因乎無象之和声,其所覚悟,唯哀而已。豈復知『吹万不同,而使其自已』哉。風俗之流,遂成其政;是故国史明政教之得失,審国風之盛衰,吟詠情性以諷其上,故曰『亡国之音哀以思』也。

悲哀が鬱屈した心にあり、調和した音楽に出会って発露される。音楽にもともと形象があるのではなく、悲哀の心がそうさせる主体である。主体のある悲哀が、形象のない音楽を借りているのであるから、そこから感じられるのは、ただ悲哀だけである。いったいどうして「天は同じものが二つとない万(よろず)を(籟として)吹いているが、それら自身の内から吹くようにさせている」〔『荘子』斉物論〕ということが分かろうか。風俗が広まって、それが政(まつりごと)に反映される。そのため史官は、政治教化の得失〔成功と失敗〕を明らかにし、国勢の盛衰を審らかにする。思いを吟詠することで、統治者を風刺するが故に、「亡国の音は哀しく鬱々としている」〔『礼記』楽記〕というのである。

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★風  唐・李嶠
解落三秋葉,能開二月花。
過江千尺浪,入竹万竿斜。

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体操セット40分。

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01月05日(火)

起床時刻:07時14分

午後、東京へ。

『史記』司馬相如列伝を翻訳で読んでいた。なっがー。かなり特殊だ、司馬相如列伝は。『文選』にも作品が入っているが、『史記』の文脈の中で読むと、また違うかな、と思って。

『漢書』郊祀志の訳注(大字本)もこっちに置いてあったので、読む。原文がないので、原文とつきあわせながら丁寧に何度も読んだほうがいいだろう。

私は北宋の周邦彦という詞人を中心に博士論文を書いたんだが、いま南宋の姜夔(号は白石道人)という詞人をやっており、学生時代に詞に関心をもったきっかけが、この白石君である。白石君が琴をやっていたので、私もやっているのである。白石君は自分でやってみるだけでなく理論も好きで、琴律の本も書いた(散逸した)。一部片鱗が、いくつかの詞の序やその他の文に残されていて、『琴律学』にも引用されている。

詞という文学ジャンルのある側面が好きな人にとっては、北宋の周邦彦、南宋の姜夔、これはもう外せない王道中の王道なんである。そしてこの二人に継承されたあるものの源流をたどると、漢代の司馬相如へ行き着くのである。従って「春月せんせい三部作」の第三部の中心人物は、司馬相如です。

司馬相如も琴の名手でした。宴会に招かれて「お好きだと聞いております、お楽しみください」と琴を差し出され、そこんちの娘(卓文君)が部屋をのぞいているのが分かったので、誘う思いをこめて弾いたのが「鳳求凰」、ということになっています。

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声無哀楽論  嵇康
3)
然「楽云楽云,鍾鼓云乎哉?」哀云哀云,哭泣云乎哉?因兹而言,玉帛非礼敬之実,歌舞非悲哀之主也。何以明之?夫殊方異俗,歌哭不同。使錯而用之,或聞哭而歓,或聴歌而戚,然而哀楽之情均也。今用均同之情,而発万殊之声,斯非音声之無常哉?然声音和比,感人之最深者也。労者歌其事,楽者舞其功。夫内有悲痛之心,則激切哀言。言比成诗,声比成音。雑而詠之,聚而聴之,心動於和声,情感於苦言。嗟嘆未絶,而泣涕流漣矣。

だが〔孔子は言っている〕、「音楽よ、音楽よ、鐘鼓だけが音楽であろうか?」〔『論語』陽貨篇〕 悲哀よ、悲哀よ、哭泣するだけが悲哀であろうか? つまり、玉帛は礼儀の実態ではなく、歌舞は悲哀の主体ではない、ということである。どうすればこれを明らかにできるであろうか。各地の風俗は異なり、「歌」や「哭」も異なる。もしでたらめに使って、「哭」を聞いて喜ぶ人や「歌」を聞いて悲しむ人がいたとしても、哀楽の感情は同じである。同じ哀楽の感情が、千差万別の音楽に表現されるのである。これは、音楽が固定していないからではないだろうか。だが調和した音楽は、もっとも深く人を感動させるものである。つらい人はその境遇を歌い、楽しい人はその愉快に踊る。心に悲痛な思いがあれば、率直で激しい哀しみが表現される。言葉は詩となり、声はメロディとなる。人々は一緒に詠い、人々は一緒に聴く。歌に心は揺り動かされ、言葉に感情が揺さぶられる。溜息はやまず、涙があふれる。

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★詠鵝  唐・駱賓王
鵝,鵝,鵝,曲項向天歌。
白毛浮緑水,紅掌撥清波。

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01月04日(月)

起床時刻:05時50分

「古詩文網」で遊んでいた。

「訳文」をクリックすると、現代語訳と原文が並んで出てくるので、ちらちら見ながら読める。昨日は『史記』をあちこち読んだ。

古典を現代語にすると、およそ倍の長さになるのね。画面が、左側3分の2が現代語訳、右側3分の1が原文、の配分になっている。

これを日本語訳するとさらに長くなり、注なんかつけるともっと長くなる。

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声無哀楽論  嵇康
2)
夫天地合徳,万物貴生,寒暑代往,五行以成。故章為五色,発為五音;音声之作,其猶臭味在於天地之間。其善与不善,雖遭遇濁乱,其体自若而不変也。豈以愛憎易操、哀楽改度哉?及宮商集比,声音克諧,此人心至願,情欲之所鍾。故人知情不可恣,欲不可極故,因其所用,每為之節,使哀不至傷,楽不至淫,因事与名,物有其号,哭謂之哀,歌謂之楽,斯其大較也。

天地は同じ原理で運行しており、万物はここに生まれる。寒暑は代わる代わる訪れ、五行が形成される。ゆえに、現れるものは五色となり、発せられるものは五声となる。音声が生まれるのは、天地の間にその匂いが立ち上るようなものである。音声の善と不善は、混濁や混乱に遭遇しても、本質はそのままで変化しない。愛憎や哀楽によって性質を変えることなど、あろうか。さまざまな音調を集め比べて、音楽を調和させるのは、人々が切望することであり、情欲の集中するところである。情をほしいままにし欲を極めることはよくないと、昔の人々は知っていた。そのため音楽を用いる時は、「哀」は損ねる程度までいかないように、「楽」は度を越えることはないように、つねに節制していた。事によって名が与えられ、物にはその称号がある。哭泣することを「哀」といい、歌唱することを「楽」という。これが大略である。

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★七歩詩  三国・曹植
煮豆持作羹, 漉菽以為汁。
萁在釜下燃, 豆在釜中泣。
本自同根生, 相煎何太急。

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01月03日

起床時刻:06時13分

『小学生必背古詩詞70+80首』中国大百科全書出版社、10元也、を持ってきているでやんす。

70首とか80首というのは、中国の教育部で決めていて教科書に載っているので、似たタイトルの70首版や80首版はいくつもあって、ネットにもあがっている。
http://www.gushiwen.org/gushi/xiaoqi.aspx
http://www.gushiwen.org/gushi/xiaoba.aspx

この「古詩文網」というサイトもすごいね♪ 作品によっては朗読もついている。
http://www.gushiwen.org/

「名句」のカテゴリーもあり、電子版類書みたい。タグ付けのおかげで、全書でもあり、類書でもある。・・画期的! 電子化万歳♪ みたいな~。

それはともかく、持ってきている中国大百科全書出版社のは、挿絵(水墨画)が豊富なんである。見ていて楽しいのである。イラストではないんである。あきないのである。(誰かさんに北京から送ったアレね)

これにCDがついていたら最高。でも「そこは自分でやりなさいよ」になったんだっけな。

呉文光先生の『神奇秘譜』(五線譜&CD付)も楽しみである。琴譜を解読して、さらに自分で演奏できる、っていいね♪ 素敵。

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声無哀楽論  嵇康
1)
有秦客問於東野主人曰:「聞之前論曰:『治世之音安以楽,亡国之音哀以思。』夫治乱在政,而音声応之;故哀思之情,表於金石;安楽之象,形於管弦也。又仲尼聞韶,識虞舜之德;季札聴弦,知衆国之風。斯已然之事,先賢所不疑也。今子独以為声無哀楽,其理何居。若有嘉訊,今請聞其説。」主人応之曰:「斯義久滞,莫肯拯救,故令歴世濫於名実。今蒙啓導,将言其一隅焉。」

ある秦客が東野主人に質問しました。「先人がこのように言うのを聞いております。『太平の世では音楽は安らかで楽しく、亡国の際には音楽は哀しく鬱々としている』、と。太平と乱世は政治上のことですが、音楽が呼応して、それゆえ哀傷の感情が金石〔打楽器〕に表れ、安寧のようすが管弦〔管楽器と弦楽器〕に現れる。また、孔子〔字は仲尼〕は「韶」〔古代の楽曲〕を聞いて舜〔神話中の五帝の一人。虞氏・有虞氏と称した〕の德行を知り、季札〔春秋時代の呉の政治家〕は音楽を聴いて、諸国の気風を知ったといいます。これは実際におこったこととして、先人・賢人も疑わないところです。いま貴方おひとりが、音楽に哀楽はないとお考えですが、その根拠は何でしょうか。もし素晴らしい御見解があるなら、お聞かせください。」

主人が答えました。「この道理は長らく埋もれていて、あえて掘り起こそうとする人はいなかったので、歴代人々は混乱しておったのです。いま貴方に啓発されましたので、簡略にその道理を述べてみましょう。」

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★勅勒歌  北朝楽府
勅勒川,陰山下,
天似穹廬,籠蓋四野。
天蒼蒼,野茫茫,
風吹草低見牛羊。

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01月02日

起床時刻:06時26分

『琴律学』が難しすぎる。琴で実際に音を確かめながら、っと。

年末にポチ♪した『神奇秘譜』(五線譜&CD付)は、もう中国から発送してくれたそうな。31日にだって。あっちは旧正月だもんね。

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★長歌行  漢楽府
青青園中葵,朝露待日晞。
陽春布徳沢,万物生光輝。
常恐秋節至,焜黄華葉衰。
百川東到海,何時復西帰。
少壮不努力,老大徒傷悲。

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01月01日(金)

起床時刻:06時41分

あけました、おめでとうございます。

今年の目標:
1、姜白石の論文をまとめる
2、琴律学を翻訳する
3、ダイエット

こんなもん?

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★江南  漢楽府
江南可采蓮,蓮葉何田田。
魚戯蓮葉間。
魚戯蓮葉東,魚戯蓮葉西,
魚戯蓮葉南,魚戯蓮葉北。

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