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起床時刻推移グラフ

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02月28日(火)

起床時刻:05時44分

鼻水が~。かふんしょう?

山谷さんの押韻、古詩の上古音を調べてみたが、やはり意味の切れ目で換韻しているように見えない。たとえば「贛上食蓮有感」は、

蓮実大如指、分甘念母慈。  之
共房頭●●、更深兄弟思。  之
実中有么荷、拳如小児手。  幽
令我念衆雛、迎門索梨棗。  幽
蓮心政自苦、食苦何能甘。  談
甘飡恐腊毒、素食則懐慙。  談
蓮生於泥中、不与泥同調。  幽
食蓮誰不甘、知味良独少。  宵
吾家双井塘、十里秋風香。  陽
安得同袍子、帰製芙蓉裳。  陽

「食蓮誰不甘、知味良独少」が「幽」であるか、または「談」に戻るなら、意味とそろっているのかな、と思えるが。「方言音?」を考えたほうがよさそう。

こういうケースもあるけど。「詠史呈徐仲車」の例:

                  広韻    平水韻
諸葛見益州、釈耒答三顧。  魚  去声11暮  去声7遇
川流恨未平、武功原上路。  魚  去声11暮  去声7遇
杜微対諸葛、輿致但求去。  魚  去声9御  去声6御
傾心倚経綸、坐上漫書疏。  魚  去声9御  去声6御
白鷗渺蒹葭、霜鶻在指呼。  魚  上平11模  上平7虞
借問諸葛公、如何迎主簿。  魚  上声10姥  上声7麌

「謝送碾壑源揀牙」は、中古音では同じになったが上古音は違っていたのか~、毎回韻を換えるパターン?、と思っていたら最後のほうで「陽」が続いた。

                      広韻    平水韻
矞雲従龍小蒼璧、元豊至今人未識。  之  入声24職  入声13職
壑源包貢第一春、緗匳碾香供玉食。  識  入声24職  入声13職
睿思殿東金井欄、甘露薦椀天開顔。  元  上平27刪  上平15刪
橋山事厳庀百扃、補衮諸公省中宿。  覚  入声1屋  入声1屋
中人伝賜夜未央、雨露恩光照宮燭。  屋  入声3燭  入声2沃
右丞似是李元礼、好事風流有涇渭。  微  去声8未  去声5未
肯憐天禄校書郎、親敕家庭遣分似。  之  上声6止  去声4寘
春風飽識太官羊、不慣腐儒湯餅腸。  陽  下平10陽  下平7陽
捜攪十年灯火読、令我胸中書伝香。  陽  下平10陽  下平7陽
已戒応門老馬走、客来問字莫載酒。  幽  上声44有  上声25有

そして「用前韻為戯(前韻を用いて戯と為す)」といって、これと同じ韻字を使って「以小団龍及半挺贈無咎并詩」を作っている。「前韻」とあるが、どう韻を踏んだつもりなのかニャ~? わからにゃい。

方言としては、贛語(かんご)みたい。うぃき情報によると、贛語(現代語だが)の特徴は、

・清濁の対立 - 存在しない。ただし、北方語とは違い、古濁音は有気音に変化している。例えば「大」や「道」は[tʰ]で発音される。
・歯擦音 - 歯茎音[s, ʦ, ʦʰ]のみが存在する。
・鼻韻母 - [n]と[ŋ]の区別があるが、[m]はなく[n]に合流している。
・入声韻 - 南昌では[-t]、[-k]のみだが、臨川では[-p]も見られる。
・声調 - 6つが一般的。
・その他 声母に[l]はあるが、[n]は存在しない。例えば「南」は「藍」のように発音される。ただし、[i]の前では歯茎硬口蓋鼻音[ȵ]が現れる。

押韻に関係するのは、韻母と声調。贛語(現代語だが)を検索できるページがある。
http://xiaoxue.iis.sinica.edu.tw/ganyu

これで調べると、「謝送碾壑源揀牙」の「腸」と「香」は、上古音や中古音では同じ分類になったが、贛語(現代語だが)では、韻母も声調も違うみたい。

腸 dʰ ɔŋ  213 陽平
香 ɕ iɔŋ  24  陰平

だが「贛上食蓮有感」のほうは、上古音で「幽」と「宵」になる「調」「少」は贛語(現代語だが)ではどちらも同じ韻母になるようだが、声調が違う。

調 h iau  213 陽平
少 s iau  31 上声

それに「幽」になる「手」「棗」もバラバラ。

手 s u  31 上声
棗 ts o 354 上声

ということで、山谷さん時代の贛語が分からないので、行き詰まった。しかし方言の可能性は、ちょっと出てきたと思ふ。中国語で論文あるかもな~。

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☆今日の歩数 1553歩。

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02月27日(月)

起床時刻:05時18分

イメージのつながりには、電車のレールのポイントみたいなものが必要だな、と思った。なにか共通するポイントがないと、イメージはつながっていかない。「八声甘州」のポイントは「呉」だったし、「蠟梅」のポイントは「樹の下」だった。

蓮の詩「贛上食蓮有感」みたいに最初からポイント(蓮)が分かるものもあるが、ポイントをこちらで見つけないといけない場合もある。見つけようとする時に、「時」「場所」「人物」「その他(景/情)」のカテゴリーに分けて分析する。

これが「詩路」理論だわっ! めもめも。

台東区書道博物館の「董其昌とその時代ー明末清初の連綿趣味ー」は、3月5日まで。後期は竹田君の画も出るようだ。メモメモ。

メモ:
http://www.guoxuedashi.com/zidian/6625.html
http://www.guoxuedashi.com/zidian/6708.html

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02月26日

起床時刻:06時14分

午後、ちょっくら長野へ。

先生に「詩路」について書いた手紙(ほかに用件もあったついでに)とサンプルを送ったら、葉書がきていて、「今回の“詩格”という観点、読んでいてよく分からない――というか、あいまい性の入る余地が多い――点さらに詰める必要があります」、もう1つの雑誌に出した論文は「論旨明快」とあった。

「詩格」じゃなくて「詩路(しろ)」なんだけど、というところから、あーでもないこーでもない、いくつか作品を分析し、「もっと作品分析して、文芸理論の本も読んで、次号に出すので」と手紙を書いていた。A4×4枚。ちょっと頑張れば1週間ほどで論文ができそうだが、まあぼちぼち。出す雑誌=誰に読ませたいのか、を考えて発表しないと、なんで。

先生とは昔からこうして「いまこんなこと考えているんですけど」「へえー、それは面白いねえ。で、ここはよく分からないんだけど?」「ああそれは、あーでもないこーでもない」とアイデア段階でいろいろ質問に答えるかたちで練っていく、という指導方法だった。書いたものに「赤字で添削」は、1回もない。

★昨日の歩数 12583歩。
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02月25日

起床時刻:06時14分

看守の日。

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02月24日(金)

起床時刻:04時48分

下僕の日。

岩田誠『見る脳・描く脳 絵画のニューロサイエンス』をぽち♪ 長野に置いてあった気もするが、研究室へ。中古でどえりゃー安値になっている。安すぎでは?

詩もそうだが、情報というのは選択しながらインプットし、アウトプットされているのである。画の場合は、色と形がおもな要素だが、ルネサンス以前は心象絵画であって、見たまんまを描かない。だいいち描くのが神話だったりするし、大事なものは目に見えないね♪ ルネサンス以後は見たまま、写実絵画になるが、視点を固定するかしないか、など技法はいろいろ。そこへ写真が登場すると、見たまんまでは写真に負けるので、色を強調して形はぼんやりとか、輪郭を強調して色は適当とか、やり始める。現代アートはもっと実験的に。

おおざっぱには、こういう流れらしい。何を採って、何を捨てるか。詩の場合はどうか、詞の場合はどうか。参考になるかニャ~。

★昨日の歩数 10106歩。
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02月23日(木)

起床時刻:05時07分

周邦彦と呉文英は、ファイルがあるね。ずいぶん久しぶりに研究室で開いてみた。おお~っ、手書き。「春初」とか「荊州」とか、書き込んである。エクセルで整理したくなった。

詞は、登場する人物はほとんど「私」と「あの人」だが、そこに「情」が絡んでくるので、「時」「場所」「人物」「景」「情」の5項目を基本にしたらいいかな、と思ふ。するとたぶん、「あの人・景/私・情」「あの人・情/私・景」みたいな組み合わせが出てくるし、それが前段と後段にわかれて対になっていることが多いと思ふ。この構成こそが、詩との違いではないかニャ? 「詩路」と「詞路」の違いですニャ。

ふっふっふ。あとは書くだけ。君を「2017年論文1号」と命名する。締切は10月末だ、ゆっくりやりたまえ。

山谷君は、北京でやることの準備をやっている。たぶん今週中に終わる。

白石君は、論文をもう2~3本書いてから、まとめかニャ。今年はムリっぽ。文芸理論をガッツリやらないと、です。詩論と書論と音楽理論がある。ふんっ。どれもそれぞれ、そこを専門にしている人たち(昔の中国人含めて)がいるんで、あまりおおざっぱなことは言えないからニャ。

恐ろしいことだ。すっかり忘れていたが、手書きの訳文をワードに入力してあった。。エクセルに貼り付け~。作業しながら、あまりの美しさに涙が出そう。周邦彦の詞も美しいが、私の感性も瑞々しくてすばらしい♪(← 自分で言うところが天晴れである~) 姜白石も呉文英も、周邦彦ぬきでは語れな~い。

★昨日の歩数 10152歩。
☆今日の歩数 10106歩。

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02月22日(水)

起床時刻:05時31分

晴れ~♪ 明日はまた春の嵐だって。

周邦彦の詞をいくつか分析したが、黄庭堅の詩ほど複雑ではない。やはり呉文英かな~。呉文英の詞が「モザイクみたい」といわれる理由の一つは、修飾する語とされる語の関係にあると思う。ちょっと李賀っぽい。

「八声甘州」という詞がある。序に「霊巌陪庾幕諸公遊」とあって、この序がないと意味がよく分からん。蘇州の霊巌山にのぼった時の作。

渺空煙四遠、是何年青天墜長星。
幻蒼崖雲樹、名娃金屋、残覇宮城。
箭径酸風射眼、膩水染花腥。
時靸双鴛響、廊葉秋声。

宮裏呉王沈酔、倩五湖倦客、独釣醒醒。
問青天無語、華髪奈山青。
水涵空・欄干高処、送乱鴉斜日落漁汀。
連呼酒、上琴台去、秋与雲平。

いまネットでいろいろ検索できるので見てみると、高さ200メートルほどの山だって。山には霊巌寺がある。杭州にも霊巌寺があるが、どっちかがどっちかに飛んでできた、きょうだい山です。詞の1行目は、平たい野にぽっこり山がある様子を、空から星が落ちてきた、と詠んでいます。

2行目の冒頭「幻」、こういうのを詞では「領字」といって、ここから場面かわりますよ~、の目印みたいなもの。幻想は後段の2行目まで続きますね。後段の最後2行は、また現実に戻っている。現実→ 幻想→ 現実のサンドイッチ構成になっているニャ。

幻想の中身は、「呉王」とネタばらしがあるので、「名娃」は越の勾践が夫差にさしだした西施ね、「金屋」は越から贈られた黒檀で造られた姑蘇台ね、「五湖倦客」は越が呉を滅ぼしたあと「狡兎死して走狗烹られ、高鳥尽きて良弓蔵(かく)る」と越王から逃げた范蠡ね、と分かる。有名なエピソードで、これ自体は目新しいとは言えない。ここに遊びにきたら、これでしょ、みたいな。

みんな知っているエピソードを、どう表現するか、が見所なわけで、まず色彩が豊かである。きらきら♪ 青とか白とか金とか。それから音。西施の歩く靴の足音、廊下にわたる秋風。だがそれはやがて滅ぶ呉の国でのつかの間の華やかな生活、なので「残」「酸」「膩」「腥」「沈」といったデカダンスな形容を与えられている。「幻」の領字のもとに。

いちばん凝っているのは、「箭径酸風射眼、膩水染花腥」 

山からふもとに続く1本の小路。これを「箭(矢)」のような、としたことから、風が吹き上げて目にしみるさまを「射る」とし、さらに鼻までツンとくる感じを「すっぱい」と表現した。西施がお化粧して刷毛などを洗う、そのため山に流れる川はとろっと濁り(触感)、花を染めて濃厚な匂いがつく(嗅覚)。この辺の解釈は、カナダにいる葉嘉瑩せんせに拠っています。・・研究室で本を確認したら、「酸風」は李賀に用例があるって。

こういうふうに、形容詞+名詞の組み合わせをちょっとずらすのは、周邦彦も上手だったんですねえ。五感が総動員されているのは、この前みた山谷詩と同じ。

黄庭堅の詩が難解とされるのは、ネタばらしがないから鴨? 典故が分からないと、さっぱり分からん。そこは「自分で勉強しなさいよ」な感じなのだ。

★昨日の歩数 10203歩。
☆今日の歩数 10152歩。

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02月21日(火)

起床時刻:04時05分

一転、冬の嵐とな?

昨日はずるずる、お昼寝。そのあとは、ぼーっ。なーんも勉強せんかった。最近では珍しい1日ぢゃ。

「詩路」が出てきたので、「詞路」についても考えてみる。詞の場合は、たいてい2段(以上)の構成になっていて、前段が「景」、後段が「情」になっていることが多い。そこから先なんだが、山谷さんは、詩は難解だの怪獣だの、ちがうぞ、晦渋だの、でも詞はそうでもない、と言われる。

詞で、長いし難解と言われるのは、南宋の呉文英さんである。北宋の周邦彦さんは山谷さんの詩みたいな詞(典故だらけ)を作るが、比較的おーそどっくすな展開をする。しかし呉文英さんは「モザイクみたい」な詞を作るとされている。「人物」はあまり出てこないかな。「時」「場所」は当然出てくるが、それ以外の何がモザイクを結びつけて、ちゃんと1枚の画にしているか、だな。

山谷の研究会が活動停止になった件で、皆さんが私抜きで集まって「いろいろ話し合い」して、結果、先生にこれ以上ご迷惑かけないように、ということになった、とかなんとか、いちいち報告してくれる人がいるので、メールでやりとり。ちょっと疲弊した。

「どうせ私の悪口大会だろ?」と思ったら、そういう人ばかりでもなく(それは分かっていた)、「原稿のことで迷惑かけて申し訳なかった」とか、「原稿の執筆をもう少し頑張りたかった」とか、言っている人もいたそうな。

この後者が「だからダメなんだよ、ぜんぜん分かってないじゃん」と思う。「頑張りたかった」と本当に言ったのだとしたら、の前提だが、頑張らなかったのは誰? ほかの誰でもなくあなたでしょう? それに厳しすぎるので報告してくれた人にも言わないが、頑張ればできる、と思っているのが間違いだと思う。できている人は別に「頑張って」なんかいない、ことにどこかで気づくべきだ。

さて、中田勇次郎せんせの「歴代名詞選」が家にあるので(研究室にも長野にもあるが)、黄庭堅は何を採っているかな、と開いてみる。おお~、私が学生時代に夏休みまるまるアルバイトして貯めたお金で初めて中国旅行に行って、最終日にホテルの売店で買ったカセット=宋詞との出会い、に入っていた詞だ。メロディ(現代の作曲だが)がアタマの中をぐるぐる~♪ 運命を感じるニャ。

  清平楽
春帰何処。寂寞無行路。若有人知春去処。喚取帰来同住。
春無蹤跡誰知。除非問取黄鸝。百囀無人能解、因風飛過薔薇。

春はどこへ行ったのであろうか。ひっそりと寂しく春の行った路もない。もし春をどこへ去ったか知っている人があるならば、よびとめてつれもどしてきていっしょに住みたいものである。

春はどこへ行ったかそのあしあともなく、それを知っている人はだれもいない。それはうぐいすにたずねるよりほかはない。けれども、うぐいすはいくらさえずっても、だれもそのことばを解くことのできるものはない。うぐいすはただこちらの気持ちもしらないで、風のままに薔薇の花をとびすぎてゆくばかり。

「同住」は「いっしょに住む」ではないと思ふ。「住」は「去」の反対で「とどまる」の意味では? それはさておき、前段が「問い」で、後段が「答え」だな。前段に「有人」とあるが、春はからっぽ、形跡もない、しーん(寂寞)。後段に「無人」とあるが、ウグイスだけは知っていて、ずいぶん話してくれている(百囀)が、何て言っているのか分からないし、だいいちもう初夏の薔薇のところを飛んでいる。花を散らすいぢわるな風(これ春の定番)に乗って。だからウグイスなんてアテにならんのだ。

構造的だし理屈っぽいが、典故だらけ、ではないし口語も多い。

★昨日の歩数 10938歩。
☆今日の歩数 10203歩。

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02月20日(月)

起床時刻:04時11分

今日は春の嵐なの? 台風並みの風だとさ。おうちで震えていることにします。ぶるぶる。ずー造営はムリっぽ。

嵐がなかなか来ないので、午前中にお散歩。ぶらぶら。

★昨日の歩数 10683歩。
☆今日の歩数 10938歩。

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02月19日

起床時刻:04時29分

おいしい酒かすが出る季節。おやつにつまんでいる。お肌しっとり、効果てきめん。

家に吉川幸次郎せんせの「宋詩概説」(文庫)があったので、読む。山谷さんのことを「同時の諸君のうち、もっとも芸術家であった」と言っているな。

>彼にも、はじめて詩材としてとりあげたものがある。それが蝋で作った造花かと思われる巧緻な花、蝋梅であり、また白礬花とよぶ小さな白い花の木であったのは、象徴的である。

蝋梅の詩は、レポーターとして担当した作品だ。二首連作で、一首めがあがっている。

1金蓓鎖春寒  金の蓓(つぼみ)は春寒に鎖ざし
2悩人香未展  人を悩ます香は未だ展(の)びず
3雖無桃李顔  桃李の顔(かんばせ)無しと雖も
4風味極不浅  風味は極めて浅からず

この「不浅」に任淵は庾亮のエピソードを注していて、それを踏まえると、「興は浅くない」という意味になり、かつ数人で遊興していた時の言葉である。おそらく黄庭堅も、数人で連れ立って蝋梅を見に行っている。それは詩の序や、ほかの作品などから分かる。

蝋梅の詩になんで「桃李」が出てくるかというと、桃李は「ものいわずとも下おのずから小径をなす」からであろう。蝋梅は桃李のような派手な姿ではないが、その香りによって、山谷さんたちが下に集まったのである。まだ寒くて、つぼみが開かない。だから「人を悩ます」。訓読はくっついているので「人を悩ます香」と読んでしまいそうだが、リズムからいうと「悩人/香未展」でしょうね。

蝋梅は「金(黄色)」、桃李は紅。寒い(肌で感じる)とか、香(嗅覚)とか、「風味」が満載である。さらっと短いが、五感が刺激されている。刺激されているが、さらっと詠むのが、宋詩であり、山谷詩なのだらう。

★昨日の歩数 10462歩。
☆今日の歩数 10683歩。

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02月18日

起床時刻:04時29分

ふるい龍井茶をフライパンで乾煎りしてみた。ウーロン茶みたいになった。うまい♪

★昨日の歩数 11023歩。
☆今日の歩数 10462歩。

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02月17日(金)

起床時刻:04時03分

画期的♪ 今度ねこちんに見せてあげる~。

春一番。なまら暖かい風が、ごーごー吹いたっち。

★昨日の歩数 10188歩。着いたどー♪ しばらくずー?
☆今日の歩数 11023歩。

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02月16日(木)

起床時刻:04時33分

コント55号。私がきんちゃんらしい。

山谷さんの形が、ほぼ決まった。斬新♪

★昨日の歩数 10839歩。
☆今日の歩数 10188歩。着いたどー♪ しばらくずー?

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02月15日(水)

起床時刻:04時25分

今日から明日にかけて、春の陽気らしい。

山谷さんは相変わらずクソつまらない基礎作業をしている。とくに、みんなの意見をあれこれ聞いて変えた部分を、元に戻してやり直しているので、クソつまらない。しかしつまらないおかげで、通勤途中とかにあれこれ考えて、論文1本くらいはすぐ書けそうである。ここに書き散らしていることを整理すれば。

テーマ別に分類した南宋刻本の影印があったので、どの詩がどこに分類されているか、つきあわせをした。任淵注のある二十巻だけでなく、もっとたくさん詩が入っていたので、探すのはなかなか骨が折れる。全部はまだ見つからない。目次の詩題が適当にはしょられていて、同じじゃないもんで、見つけづらい。しかし「これかな?」と目がとまるのがけっこう当たっていて、恐ろしいことだ。700首も覚えているはずないと思ったが、版本調査していて何度か目にするうちに、アタマのどこかに残っているようで。

★昨日の歩数 15072歩。琵琶湖に接近ちう。
☆今日の歩数 10839歩。

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02月14日(火)

起床時刻:06時00分

松は、谷底で江にせり出して生えている様子を詠んでいることが多いみたい。山も斜面でしょう(谷だから)が、まっすぐ上に生えていなくて、老木で横に、が詩に出てくるみたいっす。

画ではどうです? 手前の水のそばに描かれていることが多い?

あと松が生えているのは、墓のそばだったりする。柏と一緒に。常緑だから。柏は、日本の「かしわ」とは違う木らしい。

梅はそれこそ「詩経」にばんばん登場するが、むかしから梅干みたいにして、すっぱいから羹の調味に(つまり塩梅、あんばい)に使われていたのかな、も気になる。桃李に比べれば、そのまま齧っても甘くはないだろうけど。

→ うぃき情報。梅は酸味。塩とあわせて、塩梅。梅干しにして使っていたわけではない。

>中国では紀元前から酸味料として用いられており、塩とともに最古の調味料だとされている。日本語でも使われるよい味加減や調整を意味する単語「塩梅(あんばい)」とは、元々はウメと塩による味付けがうまくいったことを示した言葉である。

山谷詩の読み方について、荒井健さんが岩波の訳注の解説でいろいろ論じていた。黄庭堅の詩的論理を縦糸、典故などが重層的にもっているイメージを横糸にたとえて、縦糸と横糸で織り成す蜀の錦のよう、散文的に見えても詩的宇宙が緻密に構築されている、とのこと。

私は任淵注をさきに読んで、黄庭堅の詩にもどってイメージの流れを追っていく、という順番でやっていたので、縦糸と横糸が逆、伝統的に古来つながっている詩的意味が縦糸、そこを梭(横糸を通すための道具)のように飛び回って、イメージをつなげながら布を織り上げていく、ようすを思い描いていた。

この梭が、どういう詩路(私の造語)で動いていくのか、どうすればその動きを捉まえられるのか、が最近のテーマで。

論文2でやったのは、縦糸を確認するようなことだったな。どんな縦糸が、何本くらいあるのか。巻一で任淵が挙げている文献(書物)は約100種、詩人は数十人だったわけだが、項目としては一巻で500ほど。全二十巻なので、×20=10000 1万? エクセル、がんばれ!

山谷さんは、下手するとダジャレ、親父ギャグ、さむ~い、になってしまう気がする。

たとえば蓮の実を食べる詩があるが、実の大きさが指ぐらい。指だって太さはまちまちのはずだが、「大きさが指ぐらい」は任淵注によればもとは『詩経』にある「南山有枸」という句の「枸」についた注に、「枸樹は白楊に似たり、子(たね)有りて樹端に著き、大なること指の如し」とある。枸樹は分からんが、柏楊は北京ではよく見かけて、あああれだな、枝の先についているピンポン玉みたいな実だな、と思う。しかし山谷さんはこの文字だけ借りて、蓮の実の「大きさは指ぐらい」から、「大指=親指」を連想し、房をわって実を食べていると「母の慈愛をおもう」と発想が飛んでしまう。

こうして蓮の実から母親を連想したら、あとは房の中に実が並んでいるようすは「兄弟をおもう」になるし、実の芯に芽があるようすは「子どもの拳みたい」になり、房をわって実をとりだして食べながら、アタマに浮かんでくるのは故郷の家族である。

その家族をよむときに、「子どもたちが門まできて梨や棗をせがむ姿を思い出す」という。これは陶淵明の「責子(子を責む)」に「通子 九齢に垂(なんなん)とするに、但だ梨と栗とを覓(もとむ)るのみ」とあるのを踏まえているが、蓮の実から、同じく食べる実として、梨と栗を連想したのだと思う。

しかし陶淵明のほうは「勉強もしないで梨や栗をせがむばかりで、いつまでも子どもっぽくて困ったもんだ」という実際の体験、感情をうたったはずだが、これを典故として踏まえたとき、山谷の子供もそろそろ勉学に励まなければならない年(山谷には七歳の時に作ったという詩がある)なのか、とか、門まできて梨や栗をせがんだことがあるのか、というのはもう関係ない気がする。「幼い子どもの小さなわがまま、それに目を細める父親」のひとつのモチーフ、様式化されたモチーフを、借りているだけで。

様式美を味わう=はいかるちゃー、だわね。バレエとか能とか、古典芸能って、みんなそう。

★昨日の歩数 11055歩。
☆今日の歩数 15072歩。琵琶湖に接近ちう。

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02月13日(月)

起床時刻:05時41分

手がちびたい。

山谷さんは若い頃、家が貧乏で父親も早く亡くなったので、薬屋でもやろうか、と考えていたそうだ。吉川幸次朗せんせが「詩人と薬屋--黄庭堅について」という文章を書いているようなので、あとで図書館へ。

で、思った。例の「氷雪」の出てくる蘇軾に送った詩、一首めは梅で、実は古来、鼎でつくる羮の味を調えるために宮中にあげられた、と言っていて、二首めは松で、松自体には食えるような部分はない(たぶん)だが、根なし葛やぶくりょうが松の樹にまとわりついていて、これが薬草だ、という。そこから医和という古代の名医が出てきて、「人を癒すより国を癒すべきでは?」みたいな話に展開する。しかし松は谷に生えていて、これを切り出して都へ持って行くのはたいへんなの、というのは別の詩にも出てくる。だから、あわてないで、と。

あ~、薬屋? と同時に、「魯迅かよ!」と通勤電車の中で思った。医学で人を救うのも大事だが、それより文学で国を救う、みたいな。

そして、けい康を読んでいた時に出てきた、隠棲している人たちの話も思い出した。占いをやって生計を立てていて、その日食べられる分だけ働いたら、もう店はしめて読書する、という人の話。占いなんて蔑まれる職業だけど、それでもいくらか人助けになるから、と生涯そうして暮らしていた人の話。

山谷は「書を読む」もよく詩に出てくる。それは儒教的には「汗血馬のように」であり、仏教的には「牆(かべ)」、それも「九仞の」に「面して」で、頭が白くなるほどに。頭は白くなっても眼は青い、というのも大好きで何回も出てくるが。

大学の先生=研究者、ではないと思うの。どこにいようが、研究している人=研究者であって。ただ大学にいると、何かと便利だから、いる間はせっせと仕事したい。

★昨日の歩数 10523歩。
☆今日の歩数 11055歩。

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02月12日

起床時刻:06時08分

晴れそう。・・晴れた。布団干して、クローゼットの中を片付けた。洗濯機は2回め回転ちう。

★昨日の歩数 11031歩。
☆今日の歩数 10523歩。

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02月11日

起床時刻:05時43分

ひさしぶりの冬晴れ? 洗濯機、回転ちう。

いや、もう春だった。こたつ布団を干して、しまう。まだ電気カーペットと石油ストーブと電気ストーブとエアコンと湯たんぽは、使うが。

★昨日の歩数 11120歩。
☆今日の歩数 11031歩。

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02月10日(金)

起床時刻:04時17分

梅ときたら氷雪、というのは、春は花、月は秋、「春月っておかしい」みたいなもんで、山谷さんは類型的な自然描写が多い、と言われている。

それは典故を多用した、一字一句すべて来歴のないものはない、という作詩の態度と軌を一にしているのかも知れないが、新しい表現を創造しようというよりは、すでにある題材を組み合わせて、型をきちんと踏襲した上で独自の境地を展開しようという、中国画に似た表現方法かも知れない。

新奇な、とか、オリジナリティあふれる、などと違ったところで芸術性を評価しないといけないのかも知れないのだ。換骨奪胎、点鉄成金、ですもんね。

「詩書画三絶」とも言われるが、画は?、と検索かけたら、三重大学の藤田伸也先生の論文がありました。

>唐代の詩人杜甫から題画詩は積極的に作られるようになるが、図上に詩文の書かれた例は、現存遺品に徴する限り、徽宗朝宮廷絵画に始まる。徽宗朝に先行する蘇軾・黄庭堅らの題跋の多くは失われて文献でしか知ることができず、彼らの芸術活動を明らかにする完備した作品はない。おそらくその大部分は画巻の前後に位置する題跋であり、絵の上に記す賛の体裁は取っていなかったと考えられている。

蘇軾は竹の画が残っているが、黄庭堅も描いていたかな? 

>『図画見聞誌』を継ぐ南宋の郡椿撰『画継』では、竹石を善くした蘇過(1072〜1123)の「木石竹三絶」を父の蘇軾(1036〜1101)が詠じた事例や、逸筆側毛を描いて意外な趣があるとされた李甲の鵲・雁・鴨の3図に晁補之(1053〜1110)が題を付した画を「李甲画三絶」と記す例がある。

だって。こんなんも面白いねえ。まだ山谷が地方でぐじぐじしていた時代の作品ばかり読んでいるが、雁はよく出てくる。

帰鴉度晩景、落鴈帯辺声。
ねぐらに帰る鴉が暮れの景色に飛び、岸に舞い降りる雁の声は辺境の気配を帯びている。

雁は北から南へ渡ろうとしていて、だから「辺声」と言うわけだが、夕方、鴉がねぐらに帰る頃、雁も岸辺におりて休もうとしている。画によくありそうな風景です。「平沙落雁」という琴曲もありますね。この詩を送った相手は、琴を弾く人だったようで。

詩を読んでいて、色彩がぱあっと広がったり、音がわーっと響いてきたりすると、楽しい。

★昨日の歩数 10538歩。
☆今日の歩数 11120歩。

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02月09日(木)

起床時刻:05時59分

雪、ふるんすか? 

スーパーのレジで割り込みされました。前に子どもが二人。親が「並んでくれてるの~? 並んでくれてるの~?」と言って後ろからカゴを置いた。私は「わりこみ、わりこみ」と言ってみたが、無視されたので他のレジへ。閉めていたのをあけて、すぐやってくれた。

家へ着いてから、大きな声で「割り込みしてんじゃねーよっ!」と吐き出した。それから「あのずーずーしい親子にバチが当たりますよーに」とお祈りし、あわてて「こんな私にバチが当たりませんよーに」とお祈りした。

疲れているらしい。。世界が平和でありますよーに♪

今日は目をしょぼしょぼさせながら、山谷さんのクソつまらない、しかし重要な基礎作業をやっていたが(まだまだ終わらないが)、「おなじ語を何度も使うよなー」と赤でぐりぐり。

たとえば巻頭の一首、これを蘇軾に送って絶賛され、以後交流が始まったという詩で、梅を比喩にして蘇軾のことを詠む。中に、

孤芳忌皎潔、氷雪空自香。

というのがある。この「氷雪」を荒井せんせも倉田せんせも梅の清らかな様子と解釈し、研究会のレポーターも踏襲して、「梅はその白さ清らかさをねたまれて、清らかに美しく、むなしく自分だけ香っている」のようにしていた。しかし他の詩に、

梅蘤破顔氷雪、緑叢不見黄柑。

とあって、これは「梅の花は氷雪の中でほころんだ。緑の草むらに黄柑はまだ見えない」という意味で、冬の末から春初めの景色である。とすれば蘇軾に送った詩の「氷雪」も、「氷雪のきびしい寒さの中で梅だけが香っている」という意味であろう。この後ろには「やがて時がたって、けぶる雨の中、青かった梅の実が黄色くなった」と続くのである。

山谷詩を読むカギは、山谷詩にある。

というわけで私が思い出したのは、詩経をやった加納せんせい。すたんざ。

★昨日の歩数 11402歩。
☆今日の歩数 10538歩。

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02月08日(水)

起床時刻:04時44分

地吹雪がないって、いいことね、歩きやすいわ♪ 行きは荷物が多いので、帰りに歩こー♪

けい康の詩が楚辞っぽい、「幽憤詩」が屈原の「離騒」みたい。と「漢文」の授業で話したら、ふたつを対比させてレポート書いてくれた学生がいたんだが、白石君の「昔遊」も似ているニャ。めもめも。

あいやー♪ コピー料金の追加徴収が・・。目がしょぼしょぼするので、拡大コピーして読んでいるからニャア。かなりの部分は、山谷研究会のレジメをまとめて3セット作ったせいだが。。

でもひとりでやるとなったら、レジメはもう見ないのである。最初からやり直しぢゃ。レポーターを尊重してレジメからなるべく拾っていたが、凸凹だもん。

★昨日の歩数 6857歩。
☆今日の歩数 11402歩。

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02月07日(火)

起床時刻:05時59分

ししゃも~♪ 午後、東京へ。

山谷詩の物語的構築性は、荘子や楚辞のような南方文化の系譜にあると思ふ。詩=自然描写と思っていると違和感あるが、けい康の詩も楚辞っぽかった。メモメモ。

山谷は陶淵明が大好きだが、唐代では杜甫と韓愈だ。韓愈の詩の訳注が出ていたので、ぽち♪ 全訳するそうな、全5冊の予定だって。

★昨日の歩数 3864歩。
☆今日の歩数 6857歩。

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02月06日(月)

起床時刻:05時00分

外はまだ暗い。・・げげげ、ぼたん雪もこもこ。

山谷詩をいまエクセルで管理しているが、やっていることはノートやルーズリーフと同じだ。詩の原文、訓読、現代語訳、語釈などを書き込むが、さらにモチーフを抽出して、全体の構成や意味を考える。

原文を書くとか入力するとか、和刻本を見ながら訓読をつけるとか、それ自体は機械的な作業なので、ああ面倒くさっ、ぼーっとしながらやっていると、「この語はよく使うな」とか、おぼろげに見えてくる。

山谷さんの場合は(内集に限るが)、人物がカギですね。唐詩のような自然描写が少ない、自然に対する関心が薄いと言われているんだが、その代わり目立っているのが、人です。歴史上の人物の場合もあれば、現実の誰彼の場合もある。たいてい二重写しになっているが。

名詩として我々が親しんでいる唐詩が、自然の風景や歴史的な場所(名所旧跡)と「私(詩人)」という二者が直接対峙する関係で描写されているとすれば、山谷さんはそこに「○○さんと」が間に入っていることが多い。家族だったり、友人だったり。歴史上の誰々さん、だったり。

台湾で「時空設計」という詩学理論を提唱しているグループがあるが、山谷さんは「時」「場所」「人物」を押さえると、詩の構成がかなり明確になってくる。そしてイメージとかモチーフをつなげて展開するやり方は、物語っぽい。任淵注を見ていると、けっこう「小説」も読んでいたらしいことが分かるが、物語的な構築性を感じる。起承転結などとは、ちょっと違う。短い絶句であっても。

というわけで、秋が締切の紀要に「山谷詩の物語性について」という論文が出そうですニャ。画論や書論も関係するかな。

これとは別に、任淵の「目録附年譜」二十巻分とその補正、年表つきを、論文3(だったな)の続編として、やろうと思ふ。

テーマによる分類別の宋刻本が影印で出て、これで詩型・編年・テーマの3拍子そろって南宋の刻本が確認された。テーマというのは、モチーフの濃いところを拾って出てくるもので(懐古とか惜春とか)。

整理=分類+配列だが、まずは機械的に詩型で。それから内容を読んで、制作年による編年(任淵はこれ)。さらに内容を読みこんで、テーマ別に分類。そういう順番で出たようですよ。テーマ別のは任淵注より後の刊行。

さて、倉田せんせいは何と言っているかな?

>宋詩の代表蘇黄の作品に、唐詩に見るような自然描写がないということは注意される一つである。劉宋の謝霊運あたりから発展して来た自然憧憬の心は、唐に入っては益々濃く、叙景の詩或は句が多く、唐詩では景と情を対立せしめて写すのを定形とした。恰も山水画が唐に発達し、山水中に人間を配して、自然と人間との融合・平和を現すのとその軌を一つにするところがあった。・・・(山谷の)表現は人を中心にし人事に随伴せしめるように傾き、自然描写には冷淡である。換言すれば心に受取る自然で、眼に映ずる自然を現すのではない。人事を、思想を、理知的に現そうとする傾向の強い詩として当然の帰結であろう。

なるほど。唐詩が山水画であるとするなら、山谷さんの詩は文人画ですニャ。自然そのままを写実的に描写するのではない。「画を読む」と「詩を読む」が、こうしてつながりましたニャ。

★昨日の歩数 3165歩。
☆今日の歩数 3864歩。

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02月05日

起床時刻:05時30分

静かな朝だ。にゃんたは騒いでいるが。。

ねこちんたちは2万歩くらい歩いたかニャ? これから夜のテレビ塔をのぼると思ふ。

私は山谷さんを読み直し。和刻本漢詩集成のセットは研究室に置いてあるが、山谷さんだけもう1冊、買ってこっちに置いてあったので、訓読もやり直し。二十巻分の詩の訓読をまず移してみる、エクセルで管理しているファイルに。たしか全部で約700首。それだけやりゃーかなり訓読に慣れるでせう。

どうしても白石君より山谷さんをやってしまうのは、白石君はこれまで発表したことをまとめようとしているからで、山谷さんは新しいことなので、こっちのほうが面白いからですニャ。

★昨日の歩数 10099歩。
☆今日の歩数 3165歩。

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02月04日

起床時刻:06時00分

晴れそう。雪だるま万歳♪

飛行機ぶーん♪ 私は山谷さんのすっげーつまんない作業をしながら、あまりにつまらないので、ひらめいた♪

詩路。しろしろしろ。

「思路」はちゃんとした中国語である。考えのすじみち。イメージのつながりを「詩路」と勝手ながら命名することにしたのである。

山谷さんは発想が飛ぶとか、だから難解とか、唐突とか、どんなつながりがあるんじゃい、とか言われているが、深いところでイメージがつながっている、と私は思うのである。

★昨日の歩数 5728歩。
☆今日の歩数 10099歩。

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02月03日(金)

起床時刻:04時18分

除雪車が来ていたな。雪もこもこ~。

母ちゃん、けさは足なんともなかったらしい。よかったね♪

にゃんたは薪ストーブの前で、いびきかきながら眠っている。幸せだね♪

★昨日の歩数 3168歩。
☆今日の歩数 5728歩。

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02月02日(木)

起床時刻:06時12分

粉雪~。

母ちゃん、けさ足が痛くて飛び起きた。退院時「なにかあったらすぐ来なさい」と言われていたので、入院の支度もして、病院へ。血液検査の結果、炎症は大丈夫そうなので、帰宅。

行きは鼻すすって泣きながら、帰りはスーパーによってお寿司買って。いま誕生日ケーキ(ホール手作り)の残りを食べようとして、コーヒー淹れてますね。

わあ、雪が~。長野市内は晴れていたのに。。

★昨日の歩数 10358歩。
☆今日の歩数 3168歩。

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02月01日(水)

起床時刻:05時07分

にゃんた~、おはよう。窓から暗い外を見ている。ほかのみんなは遅起きなのだ。さっき愛子を起こそうとして、叱られていたようだがな。

★昨日の歩数 10221歩。1月は合計36万1224歩でちた。
☆今日の歩数 10358歩。

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