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起床時刻推移グラフ

目標起床時刻:06:00 平均起床時刻:05:51

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03月31日

起床時刻:03時26分 06時45分

疲れすぎて夜中に目が覚めたので、再校やって、お布団あたためて、これから二度寝。

長野から花見のご一行が来ましたニャ。そのために食器棚をまた台所に戻し、和室の押入れ(改造したが)に布団セットを置けるようにし、あれやこれやで激しい筋肉つー。・・にゃんたが可愛いので許す!

★昨日の歩数 9002歩。
☆今日の歩数 11343歩。

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03月30日(金)

起床時刻:04時32分

起床時間の揺れ幅がすごい鴨?

ツルのサービスもすごい。アナもかも知れないが。。

帰りはビジネスクラスをあてがわれ、今回はサービスもビジネス用だったんだが、「春月さま、お飲み物は何か召し上がりますか?」と名前を呼ぶのである~。でも行きも隣の中国人がワイファイ使おうとして、「クレジットが必要」と言われて分からなかったようなので、「有料なんですよ、ね? 免費じゃないの」と仲介したら、「春月さまは中国語がお出来になるのですか?」と言われ、「げっ、なんで名前知ってるの?」とのけぞったのである~。

たいしたもんだ。私なんか入試監督で、教室の外にいた補助員の学生に「あらあら、えーと名前なんだっけ?」と尋ねて、つい1ヶ月前まで教えていた1年生だった。。3~4年生がバイトしているのかと思ったのだ。。。顔は覚えるんだけど、名前をすぐ忘れる。「4月になったらリセットされるから、挨拶してくれるときは名乗るように」と言いつけてあるが、まさか年度内とは。。

☆今日の歩数 9002歩。

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03月29日(木)

起床時刻:07時00分

日本へ。

さじんぼー(砂塵暴)はひとあし早く昨日の夜から日本へ。今朝は平常値(といっても97とか)になりまちた。

先秦の老荘思想が、仏教伝来を経て、道教へと育っていく。神様がうじゃうじゃいるとか、「天書」を通してお告げを得るとか、仏教っぽい。仏様がうじゃうじゃいて、仏典を通して教義を知る、とゆー具合に。

などとざっくり俯瞰して、論文では細かいことをうじゃうじゃ書くのである~。白石君は、若い頃は道教っぽいものに魅かれていた。土地柄もある。山とか洞窟とかたくさんある地域の出身なんで。でも「不立文字」がどーの、という詩も作っていたような。。

***
たらいまー。ビジネスクラスをあてがわれ、快適でちた。

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03月28日(水)

起床時刻:04時28分

はくだく~。外は300の「危険」レベルらしい。。・・8時の観測では999。。。

昨日は文芸理論の本1冊めを読んだ。老けてしまふ。今日は2冊めを読む。これで日本から持ってきた本はいちお読めたことになるのである~。

『論語』に「文学」という語が出てくるが、これは「文章」ほどの意味で、のちに「無韻の文(これを筆という)」と「有韻の文(これを文という)」に分かれてくる。前漢末の図書整理事業で、図書を六つに分類した時に、「詩賦略」だけ有韻の文で、ほかは無韻の文。この「詩」は歌われていたものである。

漢代の宮廷文人は皇帝に奉仕する文学をやっていて、地位は低かった。後漢末の建安年間に曹操らが新しいタイプの文学活動を行なった。「皇帝自身が詩の創作者でもあった」はちと違うのでは?、と思う。魏を建国して皇帝になったのはもそっと後なんで。

よく集まって詩宴や遠出の際に共通のテーマで作品(新しい五言詩)を作る、という創作活動をやっていた。そして魏の皇帝になった曹丕は、「天論・論文」という文芸批評を書き、散逸したがアンソロジーも編纂した。

竹林の七賢より少し遅い時期、時代が魏から晋へ代わる頃、陸機が「文賦」を書いた。曹丕は無韻の文を先に、有韻の文を後に、批評していたが、陸機は有韻の文を先に、無韻の文を後に、批評した。有韻の文が増えていたからである。また陸機は「千載の残韻を採る」といい、「韻」をはじめて文芸批評で用いた(清・顧炎武説)。ただし音韻をはっきり意識したわけではなく、詩の韻律を音楽の五音階になぞらえている。「気」が人間の中にあるのは、曹丕と同じ。

この頃、詩賦略にならって文章の流別を論じた書物も出た。また囲碁や書画では、ランク付けが行われ、のちの謝赫『古画品録』など品第法へとつながる。

永嘉の乱で南下し、王羲之らが蘭亭曲水をした東晋の時代、曲水の宴にも参加した孫綽・許詢らは山水を愛好する一方、その玄言詩には「三世の辞(仏教用語)」も見られた。

後漢の胡僧安世高(国とも)の仏典翻訳以後、仏典翻訳に従事した人はずっといて、東晋の鳩摩羅什の成果はとりわけ高い。が、儒教的な教養もあった廬山の慧遠は、次の宋で盛んになる文芸批評に大きな影響を与えた。慧遠の墓碑を謝霊運が、寺門の碑を宗炳(「画山水序」で臥游を言った人)が、書いている。

謝霊運は仏教学者でもあり、仏典翻訳もした。声韻説の沈約が「宋書謝霊運伝論」で文学論をしているのは有名だが、『文心雕龍』の劉勰が貧乏で僧侶のもとで勉強し、仏典目録の編纂を手伝った(らしい)というのは、知らなかった。劉勰は『文心雕龍』の原稿を背負って沈約の車を待ち構えて、見せた。沈約は、のちに梁の皇帝(武帝)になった簫衍の文学仲間で、劉勰は簫衍の長子昭明太子簫統(『文選』を編纂した)の下で働くことになった。

こうしてこの時期、仏教がかなり中心の位置にあって、人と人が影響を与えながら文芸批評の書がいろいろ出てきたんですね。

劉勰は「気」に関して、外物と人心のあいだを行ったり来たり、相互交渉する、と考えた。『礼記』「楽記」では、外の物が「気」を通じて人に働きかけ(作用)、曹丕と謝霊運は人の生来もって努力では変えられない「気」が外に現れる(反作用)、と考えたが、劉勰は作用&反作用と考えた。

「気」は「骨」「風」などとともども、初めは人物批評に用いられ、それから文芸批評の用語となったようです。

かくして梁までに、詩書画それぞれ流別と品評の文芸批評が出そろいました。

「文」と「筆」は、「韻」の有る無しの区別であると同時に、「筆」には「能筆」の意もあった、と付け加えておきませう。

お外は白濁なので、日本製空気清浄機かけて(なかなかランプが青くならにゃい)引きこもり、2冊めも読んだ。

仏教系は、謝霊運の十世の子孫である唐・謝昼が禅僧&詩僧浩然として唱えた「自然」「文外の旨」が、蘇軾・白石君なども経由しつつ、厳羽の『滄浪詩話』まで継承される。白石君は「語は含蓄を貴ぶ」と言いまちた。

梁の昭明太子の『文選』は、南朝末の貴族社会では時代遅れになりつつも、隋唐で子孫が政権に食い込み、科挙合格の必須の書として「文選学」もできまちた。

『文選』に収められている書簡は、胸の内を思い切りぶちまける公的なものでしたが、私的な書簡が尺牘(のちには紙に)が書跡としての価値を持ち、蘇軾にいたって内容的にも小品文として鑑賞されるようになりまちた。

昭明太子のお父上は道教信者で、陶弘景との往復書簡が有名です。書跡の蒐集と鑑識を、能書家でもある陶弘景に頼みまちた。道教ではお告げを「天書」という形で人々に伝えますが、その際に「どんな紙にどんな書跡で書いてあるか」もとても重視したのです。

さて唐の玄宗の御代、玄宗は八分書の達人で、杜甫や杜甫が慕った先輩たち(賀知章・李白・張旭など)も能書家でした。杜甫は書だけでなく画についても、いろいろ論じました。石に書いた杜甫自筆の詩が、北宋の頃までは見られたそうです。ですが同じ頃の王維の画もですけど、北宋までは蘇軾なんかはそれを長安で見てコーフンしてますが、南渡してからは見られません。持って逃げられませんからね、石、重くて。

音楽の話がさーっぱり出てこない、と思って読んでいましたが、やっと玄宗で絡んできまちた。そして玄宗を真似て私的な宴席で音楽を楽しんだ白居易ですが、士大夫としての公的な風諭詩と、個人生活の私的な閑適詩を作りました。熱心な仏教信者でしたが、詩と酒だけは「魔」から逃れられず、自分で自分の作品を7部も作って寺に預けました。「公的」「私的」でなーんとなく「燕楽」から「詞」へ向かう匂いがしまちた。

あー、老けた。一周まわって、幼児化してしまいまちた。

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03月27日(火)

起床時刻:07時30分

ネット断ちどころか、使い放題である~。

ここでまとめているとスッキリする。論文は引用したり、根拠を示さないといけないので、もっとグダグダ、しかし長いと迷路に入ることあるからニャ。

昨日は音楽理論の本を読んだ。難しい。前に出した論文の視点を大幅に変えて、あちこち修正しないと、だな。いまの時期にいまの順番でこの本を読んで、よかった。

内容自体は、前からあれこれ読んでほぼ分かっていることである。だが年表に照らしてみると、これまで見えなかったことが見えてきたのである~。

北宋の欧陽脩が『新唐書』を書いて、『唐書』といえば北宋末南宋初の任淵にとっては『新唐書』のことで、欧陽脩以前の『唐書』は『旧唐書』と呼ばれるようになった。王朝の呼び方と同じですね。欧陽脩にとっては「宋」だが、いまの私たちは「北宋」という。「南宋」がでけたから。

欧陽脩というのは、いろんなことを最初にやって、文人第1号のような人だが、この人の目を通してみた唐代音楽像なんだ、ということに注意すべきだ、というのが一昨日読んだ本のひとつの主張である。「燕楽」もそれに含まれる。だから一昨日の著者は「燕楽二十八調」と呼ばずに「俗楽二十八調」と呼ぶのだが、「俗楽」が「雅楽」の対立軸として出てきたのも唐代ではなく、北宋なのだ。。

現在の私たちが見えていることと、当時の人々が見えていることは、違う。私たちのほうが情報量が少ないことも多いが、逆のケースもある。ちゃんと整理して、当時の人々の見た風景を、私も見たい。

さて、中国では古くから音楽を重視して、宮廷では儀式の際に使っていた。宗廟の祭祀と、それが終わったあとの饗宴と。古くは区別がなく、同じ楽だった、と『周礼』にはあった。「区別すべきだ!」と言いながらちゃんと区別できたのは、唐の玄宗以降である。唐末五代の戦乱で、北宋の時代には唐代音楽の様子はだいぶ分からなくなってはいたが。。

北周の天和3年(568)、亀茲(クチャ)から蘇祗婆(Sujiva)という琵琶の名手が長安へ来て、隋の時代になって開皇二年(586)、鄭訳に琵琶を教えた。「一均の中に七声があり、尋ねると『父が西域におり、音楽をよく知ると言われていました。代々習い伝えて、調に七種類あります』と答えた。鄭訳はそこで琵琶の絃と相(柱、フレット)で高さを調整しながら研究し、七調十二律、合せて八十四調とした」と、『隋書』に記されている。

当時の琵琶は、四絃四相か、五絃四相。イラン系とインド系があったんで。バチで弾く。ところが現在の琵琶は、四絃で、頸のところに相があるが、面のところにもっとたくさん柱がある。指で弾く。いつからそうなったのか、座って弾くようになり(敦煌の壁画などはほとんど立って琵琶を弾いている)、琵琶を膝の上に立てて持てるようになってからだと思うけど。五代南唐の時代はまだ座ってはいるが斜めに抱きかかえてバチで弾いている(画がある)。

現在のような琵琶しか知らないと、1本の絃で七声(音)弾けたので、4本の絃で7声×4絃=28調、と数字だけ見ていると、そう考えても仕方ない。でも日本に伝わっている当時の琵琶を知れば、1本の絃で出せる音は開放弦+4相の、5音しかない。×4絃で、音は20個。「7声×4絃=28調」なんて、単位もぐちゃぐちゃだしー。

それと同じ時期のインド古楽も出てきて、つきあわせると、蘇祗婆(Sujiva)はインド古楽の七調を鄭訳に教えた、ということである。その七調はインドのあれとこれと、というのが昨日読んだ本の内容である。

隋の鄭訳は、九年にわたる隋初の楽議で「八十四調を使いませう」と主張したが、あまりうまくいかなかった。しかし「雅楽は八十四調、燕楽は二十八調」というのは、北宋の時代には「理屈としては」定着していく。実際に楽器でどう実現するのか、というところで頓挫するわけだ。白石君もいろいろ研究して、提案したりしまちた。

蘇祗婆(Sujiva)の二十八調には、徴調がなかった。蘇祗婆(Sujiva)以前、中国の伝統的な音楽理論では、基準となる音の高さ(絶対音高)をどう決めるか、という議論ばかりやっていた。調が、宮調ばっかりだったから。徴調もあったらしい、と昨日の本には書いてあった。宮調と徴調は面白い関係にある、ということは昨年夏にもここで書いたが、よく似ていて、転調しやすい。

とにかく徴調がなく、宮調・商調・角調・羽調だった。それだけでもビックリ、耳で音楽を聴いてはいても、理屈として「そういうことか!」と気づいて、それなら、と八十四調まで展開したわけだが、その前に「絶対音高はどうするの?」議論も何度もやり、「絶対音高はこれにするぞ!」と決めたあと、「で、八十四調?」となった時に、「徴調って、曲ないじゃん?」が問題となる。その頃には「角調も曲ないけど?」になっており、「燕楽二十八調」と言うけれど、実際に曲があるのは「十四調だ」「いや十一調しかない」という状況だった。

「ないなら作ろう!」と豊臣秀吉みたいな(そうかな?)ことをやったのが北宋の徽宗で、「殿、ご立派♪」と大喝采だったが、「でもちょっと変だしー」の声は当時もあり、「じゃあ、こうしたら?」と白石君も研究したのである。そのとき白石君は、琵琶ではなく琴をいじりながらね、というのが私の主張である~。

インド音楽というのはとっても複雑で、インド人が西洋の交響楽とか聴くと、退屈でやってらんない、らしい。中国人も(日本人も)あまり調性について敏感ではなく、1オクターブ内に半音が12個(ピアノの白鍵+黒鍵)あるけど、そのうち5音(黒鍵)か7音(白鍵)だけで、けっこう曲になる。白鍵7個あっても、ミシ抜き音階とかファシ抜き音階とか、いって。

なので、蘇祗婆(Sujiva)が説明して弾き分けた(だろう)二十八調も、中国で琵琶以外の楽器とか曲とかに吸収されて定着していく間に、どんどん減っていったのでせう。しかし理論を構築しようとする時には、あれこれ考えて抜けている箇所を埋めようとした、のですね。

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03月26日(月)

起床時刻:04時29分

早く寝ると早く起きるものですニャ。

私も片づけしたい。。シミュレーションちう。

昨日は音楽関係の本(日本から持ってきた)を読んだ。いろいろ思うことがあり、年表に書き込む。

中国が南北に分かれたきっかけは、(先秦をのぞくと)2回の動乱である。1回めは311年の永嘉の乱。晋の都が落されて、南下した。漢が長安(前漢)から洛陽(後漢)に遷ったとき、方角として黄河流域を西(長安)から東(洛陽)へ移動したものだから、中国では前漢を西漢、後漢を東漢という。その影響で、晋が洛陽から南下すると、洛陽時代を西晋、南下した先は揚州で、これを東晋と呼んだ。揚州は長江の下流なんで、洛陽から見たら東には違いないが。。洛陽からまっすぐ南下したら、でっかい洞庭湖こえて長沙の辺りですわ。

洛陽は行ったことあるが、近くに石窟とかあって、石の文化圏である。石碑は持って行けなかったので、布袋に法帖をつめて南下した。というのは昨日?の話。

後漢→ 魏→ 晋と、都は洛陽である。晋が西晋になった(東晋がでけたから)あと、ちっとぐしゃぐしゃして、ここは北魏の都になった。南方で東晋→ 宋→ 斉→ 梁と代わる間、北魏はけっこうがんばり、最後は南北ともちっとぐしゃぐしゃして、隋に統一される。隋は都を長安に戻し、唐も引き継いだ。洛陽は副都となる。

さて唐の玄宗の御代、755年から763年にかけて安史の乱がおこった。けっこう長いですね。隋の煬帝が杭州まで運河を造ったので、杭州に逃げた人もいたことでせう。杭州は当時まだ田舎だったらしい。玄宗たちはそっちではなく、四川のほうへ避難した。

音楽のほうでは、永嘉の乱のあと、北方では西北のイテキ(漢字が出ない、差別語?)の音楽ががんがん流行り、隋になってだいぶ混乱した。雅楽でイテキを称える音楽やってるけど、いいの?(← 反語。よくないっしょ)と。

唐になって雅楽を整備しつつ、でも長安というのはシルクロードの玄関みたいなもので、国際都市であったし、玄宗は胡楽も好み、教坊に梨園をつくって弟子を教育したり、自ら楽隊を指揮した。そこへ安史の乱である。ひなびた杭州に逃げた楽人もいたでせう。のちに白居易が杭州に赴任した頃、街はひなびて整備が必要だった(西湖の白堤がまだ残っている)が、杭州の音楽文化に触れて、とても気に入り、隠居後は洛陽に杭州をまねた庭園を造って、玄宗も好んだ「げいしょうういの曲」を楽隊に練習させたり、したようだ。

「げいしょうういの曲」については、王維にもエピソードがある。王維は玄宗より10歳ほど遅く生まれて、3年ほど早く亡くなった。都長安の南に別荘を造りました。もとは宋之問のです。白居易の別荘も、もとの持ち主います。漢字が出ないので書きませんが。

竹林の七賢も、画によっては琵琶を弾いていたりするので、胡楽の影響は永嘉の乱以前からあった。しかし南下したあと、南方では「清楽」とか「清商楽」と呼ばれる種類の音楽が発展した。これが漢族の正統なる音楽、「古楽」と認識される。一方、北方で発展した音楽は胡楽の匂いぷんぷん、古楽が「雅」であるという認識に立てば、この新しい音楽は「俗楽」である。「胡俗は区別なくなっていた」という言い方をされたりする。

雅俗は価値観であり、古今(旧新)は歴史であり、清楽・胡楽は音楽の種類である。こういう違った軸をごっちゃにして論じようとすると、混乱しますね。

「燕楽」という言葉はとても古く、『周礼』春官「鐘師」に「凡祭祀饗食奏燕楽」と見える。廟で祭祀をしたあと、そのまま廟で諸侯と饗食の礼(牛羊豕の三牲の備わる盛大な膳羞)を行い、祭祀と同じ楽を演奏した、と唐人の注釈がある。胡楽が盛んになった唐代でも、宮廷では祭祀と饗宴、どちらも音楽が不可欠で、どちらも太常寺の管轄だった。それを玄宗が私的な(といっても皇帝だが)楽しみとして教坊を拡大し梨園を設置し、安史の乱を経て、白居易のような音楽好きの官僚が私的に(文字通り)真似して、詞の萌芽となる。

その際、同じ曲名でも、楽隊の規模や編成、曲の長さ、メロディ、アレンジなどは、当然異なる。「もと唐代の教坊曲」でも、それを詞として演奏する時、かなり小規模なものになっていると考えたほうがよい。でも、ひとりで湖に小舟を浮かべて月夜に笛を吹きながら、というほどに寂しいものでもなく、たいてい複数でわいわい、宴席での音楽、つまり「宴楽」だったのでは?、と思う。

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03月25日

起床時刻:06時50分

急に暖かくなって、柳は芽吹き、桃は花ひらき、街がほんわか色づいてきた。しかし北京の春は短く、5月ともなれば初夏の陽気である~。

宮廷を中心としたコレクションとその整理は、けっこう昔からやっていたんだな、書画も、と年表作って思ったが、実物も残っているのは北宋徽宗からですね。台湾故宮博物院でやった「大観展」の冊子がこっちにもあったので眺める。五代から北宋の画家の作品が載っているが、よくぞ残ったものだ。徽宗のコレクションは金軍にごっそり略奪されたのに。

もっともっとあったはずだが、金は元に滅ぼされ、元は明に滅ぼされ・・、とやっているうちにだいぶ減り、2度の大戦を経た現在では、英仏やら日米やらにも散らばっているのである~。

中国が社会主義ながら開放改革政策をとってきたお蔭で、私が勉強を始めた1980年代の美術書は中国国内の作品ばかりだったが、いまは世界各地の○○蔵という形で、なるべく全部集めようとしたものも増えた。集めてみると、「これとこれ、そっくりじゃん!」も見えてくるのである~。

年表作りながら、なるべく地理的なことも分かるように、南北にざっくり分けて書き込んでいたが、にんげんは時間と空間の軸のなかで生きているので、批評用語もそれでざっくり分類できるかにゃ?

時間軸:古今、雅俗(たいてい古=雅、今=俗)、本末など
空間軸:南北、気象、形神、山水など

雅俗は両方にまたがるかな。朝野は空間軸だが、朝(宮廷・中央)=雅、野(民間・地方)=俗、とおおむね考えられている。

美とか真とか、どっちの軸の影響も受けないものもある。にんげんは時間的にも空間的にも限定されながら生きている存在であるので、それを超越したところをめざそうとしたのが、げーじつかも知れませんね♪

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03月24日

起床時刻:06時25分

アニメ「3月のライオン」のいじめ問題は思わぬ展開(学校全体でいじめ問題に取り組む)で、主人公の仲良しの子はいじめから脱出して解決。いじめた側の子のほうはまだまだ続く、指導が。

いじめも暴力も犯罪も、する側が変わらないと終わらない。その意味で貴乃花が、弟子かわいさに急に協会に屈することに決めたらしいのは、本当にがっかり。いまするべきなのは、他の部屋の力士や親方や協会に求めていたことを、自分の部屋ですることですよん。可愛がるのと甘やかすのは、違う。甘やかすのは、愛情じゃない。ネグレクトは虐待である。

作った年表に、文芸理論の要点を書き込む。スペースが足りないので、新たに文芸理論年表も作ることにした。

『書経』に「詩は志を言う」とある。心の内にある思いが、外に詩となって表れる。と解釈だか現代語訳だかされると思うが、「言」は訓詁学では「つまりね」みたいな意味なんで、「詩とは志ですよ」ということですね。「詩」と「志」は発音も近い。

「志」が「詩」になる前に「声」がある。「ああ」とか「うー」とか。人間だけでなく自然も「ひゅー」とか「ピチャン」とか「声」を出す。「声」に「文(あや)」が加わると「音」になる。「音」を言語的に組織すると「詩」になり、器物を利用すると「楽」になる。これに身体的な動きを伴うと「舞」である。組織がうまく調和していると「美」である。

どういう状態が「美」であるかは、なかなか難しく、孔子は「徳」があるのが前提だねと説き、老子は「ないこと(無や虚)」が大事だよと言い、荘子は「無我」の境地だよ、という。

孔子は「知者は水に楽しみ、仁者は山に楽しむ」と言った。山水(自然・外物)が「気」を媒介として人の心を動かすと「声」になり、「声」は「音」となり「音」は「楽」となり、「象」になる。と『礼記』「楽記」にある。

作者は、外物の「気」に感応して、作品という「象」にする。

「楽」をきちんとやるためには「礼」が必要で、漢代にせっせと整備していたが、やっと嘉平石経たてたわ(175年)の数年後に五斗米道とか流行って、黄巾の乱(184年)とか起こって、漢が滅んで三国時代になると、「礼教なんてやってらんないし」な人々が「組織化する」部分をすっとばして、もっとダイレクトに「山水」に分け入り、「気」に触れ、「象」を作り始めた。

漢代まで「気」は人間の外側にあったけど、この頃から「気」を身体に取り込む(体操や呼吸法で)ようになって、「気」は個性であるとか、言い始める。ちょうど紙が普及してきて、筆で書く(描く)自由度がぐんと上がった。

仏教がはじめて伝来したのが前漢末の2年。後漢になり、『説文解字』(100年成立)には「新附字」に「韻」の文字があり(新附字を加えたのはもっと後世の人)、古くは中国では「音」を使っていたが、仏教の影響で「韻」を使うようになった(とこのまえ講義聴いた)。

沈約らが「声韻説」を唱えた(483年)頃、謝赫は南斉の宮廷コレクションを整理して『古画品録』を書き、「気韻生動」と言ったようだ。南北朝時代、梁の昭明太子の『文選』は有名だが、宮廷からちょっと離れたところで、廬山の慧遠は仏教教団を作って文献整理をし、陶弘景は道教教団を作ってやはり文献収集をしていた。

目に見えないもの、「気」だったり「神」だったりが、目に見えるもの、「象」だったり「形」だったり、になる。そしてどちらかといえば目に見えないほうを尊ぶ。というのが文芸理論の主軸としてある。

作品が増えてくると、品評したり流別を考えるようになる。中国の場合は、南北に分ける(必ずしも地理的に正確ではない)ことが多い。まず最初に南北分裂するのは、やはり晋(西晋)のあとの南北朝時代ですね。

書の世界では「北碑南帖論」(唱えたのは清の阮元)、晋の王室が江南に避難して東晋を開いたとき、布袋に入れて持って行けたのは帖だった。石碑は持てません。南朝は碑の建造を禁止し、帖ばかり盛んになって、文字は漢代の隷書から真書(楷書)・行書・草書に変化した。王献之は篆書・隷書を習わなかったそう。「滑車で楼閣のてっぺんまで吊り上げられて字を書くなんてイヤだ」と断ったらしい。

次に南北分裂するのは、唐末五代と南宋ですね。画の世界では(禅宗の北宗・南宗をまねて)「南北二宗論」(唱えたのは明の董其昌、阮元は真似した)。壁に描く時代ではないので、南北に分ける地理的な理由はかなり希薄、北宗の着色に対して南宗の水墨、みたいな分け方。

詩の世界ではもっと早くから「北詩南辞」(北方の『詩経』、南方の楚辞)だったわけだが。

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03月23日(金)

起床時刻:07時57分

ねぼー。アニメ「3月のライオン」第2シーズンを遅くまで見ていたからニャ。

これは中学生でプロ棋士になった主人公の話だが、将棋はただのフリで、本題はいまのところ「いじめ問題」である。昨日見終わった時点ではまだ解決の糸口は見えないが、私が学んだ解決方法はただ1つ、「気にしない」である。

もちろん暴行とか恐喝(← 犯罪)には、それぞれ然るべき機関に相談して対応しなきゃだが、単なる「嫌がらせ」には「気にしない」しか方法はないと思ふ。だって相手はやり続けるからね。ネタにして笑う、とかそんなんがいいでせう。

相手には相手の都合があってああいうことをするわけだが、それは相手の都合なんで、しょーがない。全身で「ボクをかまって!」「アタシをほめて!」なのはよーく分かっているが、ごめん、ムリ。本来、親にやってもらうべきことなのである~。

家族が事故で亡くなり、将棋の家に引き取られて、家でも学校でも孤独で居場所がなく、将棋の勉強に逃げ込み、中学生でプロになり、将棋自体は好きではないが他の目的のために(第2シーズンではいじめられている仲良しの子を経済的に支えるため稼ぎたい)、いっしょーけんめい将棋やる。というのは、なかなかに傲慢である。

スキンヘッドで鳩飼っている永世新人王?狙いの人(主人公に負けた)の苦悩と新たな決意、みたいなのがあったが、あれもなかなかバカにした話だと思った。

まず「寝食忘れて」とか「死に物狂いで」とかは、誰でもやっているのである。辛いと思うか楽しいと思うかは、分かれそうだが。。それで結果が出るか出ないかは、何を以て結果とするかによる。勝負であれば、勝ってタイトルや賞金もらえば「結果が出た」ことになるんだろうけど。。羽生さんは違うところを見ているようだ。

将棋は手段であって目的ではない、というのは、だったら将棋でなくてもいいでしょう、なんで将棋なの?、になりますね。世の中きれいごとだけではやっていけない、「食っていけないんだ!」「稼いでなんぼだ!」という声もありましょうが。じゃあなんでイチローはまだ野球やるの? もう十分稼いだろうに、というケースもあるし。

負けたらどんどん落ちていって、ダメなら辞めさせられる、というシステムの中で、職業として棋士やっている人が、あんな苦悩するかな? しないと思う。しているようでは、プロになってないと思う。

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03月22日(木)

起床時刻:06時16分

ドラマ「揚州八怪」は、昔から活躍している私でも知っている俳優さんが出ていて、「え、なんで30歳? 60歳にしか見えない」な出だしで、「いいんだ、これは舞台なんだ」と思い込んで見ようとしたが、主人公が鄭板橋なだけで、天才と善人が俗悪な人たちの陰謀を次々かわしていく千篇一律ドラマだったので、第3集でギブアップ。

年表がでけた(いちおう)ので、見ながら持ってきた本を読む。日本に帰ったら、一枚の模造紙大の方眼紙に書き写す。

暖房はなくなりましたが、暖かいですニャ。暖房費をまだ払っていなかったので、午後のお散歩で払いに行き、足をのばして河辺りを歩いた。ちかれた。とてもきれいに整備されていた。ずっとぐちゃぐちゃだったが。。

遊泳禁止だが泳いでいる一群がおり、釣りも禁止だが釣り糸を垂れている人々がいた。

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03月21日(水)

起床時刻:07時18分

ねぼー?

年表は明末まできた。揚州八怪は明代のような気がしていたが、清の乾隆の頃だった。なにと勘違いしていたのだらう? ドラマ「揚州八怪」、評価7点(10点満点ちう)があるようなので、あとでネットで見ようっと。

年表おわった。ちかれた。こんなに鉛筆で字を書いたのは何年ぶりだ? とてもちかれたので、グレープフルーツを食べた。
 

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03月20日(火)

起床時刻:06時20分

寄り道しながらで、年表はやっと唐代まできた。

スペースの関係で、ほとんどの年表はスケールが一定でない。持って来た「書道史年表」も、2000年からさかのぼって0年までは100年刻みで一定だが、0年から紀元前700年までが120年分ほどの幅で、紀元前700年から紀元前1500年までは80年分の幅、さらに夏以前も80年ほどである。

さかのぼるほど書き込む人の数が減ってスペースあくので、作品(碑文とか)が書いてある。作者不明な時代ですね。

今回わたしは、方眼ノートに「書道史年表」コピーを4つに分けて貼り、そこにまず付箋ぺたぺたで整理しながら、書き込んでいる。さらに方眼紙A3の束に、書き写す。こっちには文学史や文芸理論なども。どちらも紀元前1500年(殷ができた頃)から100年刻みで、一定。紙があるんで。

書き込んでいて思ったのは、紀元前なんて言うとずいぶん昔な感じだが、紀元後すでに2018年。孔子は紀元前552から紀元前479の人で、司馬遷(紀元前145~紀元前86?)から見たら、500年ほど前の人。私が1000年前の山谷さんや邦彦君や白石君をやるより、よほど近いじゃないっすか、ということです。

『詩経』『書経』の成立が紀元前6世紀で、孔子の頃から文献が書物になり始める。きちんと整理したのは、前漢末からだけど。司馬遷の時代、すなわち前漢の武帝時代は、まだきちんと整理はされていなかった。

2018年の500年前は、1518年。明の唐寅とか文徴明が活動していた頃ですね。日本は室町時代で、一休さんと雪舟はもう没しています。隠元はまだ来日していません。ってか、まだ生まれてません。

漢の武帝にもどって、紀元前139年に張騫が西域へ行き、紀元前126年に文物をもって帰国し、紀元前104年にシルクロードが開かれました。ぜんぶ武帝の時代です。こんなん高校時代に習ったはずだけど、うっかり忘れていました。楽府を置いて、中国の西の長安から東の泰山のほう、さらにその先の蓬莱のほう、にばかり関心があったように思い込んでいましたが、違いましたね。

仏教がはじめて伝来したのは、前漢末の2年。後漢になって、65年に西域へ人を派遣して、二僧と仏典を携えて帰国、67年に白馬寺を建立。148年に安世国が洛陽にて仏典翻訳。なども年表に書き込む。書き込んでから、竹林の七賢とか、その直前の建安の七子とか、関係する曹操父子とかも書き込んで、しげしげと眺める。

仏典が広く理解されるためには、鳩摩羅什(344-405)まで待たないとダメなのかな、沈約の声韻説は483年、と思うけど、西域の音楽はもっと早くから伝来していて、中国音楽に影響ありそうだ、と思った。阮咸が弾いている阮咸とか、あれはどういう楽器だろ? 南京のお墓の壁画「竹林七賢図」では、阮咸は琵琶を弾いているようだ。もろ西域から伝来した楽器。王戎は手に如意を持っている。

画を見ていると、竹林の七賢はヒッピーにしか見えない。この人たちの言動は、『世説新語』に記録された。・・と『世説新語』も書き込むわけね。言行録かあ、とかつぶやきながら。

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03月19日(月)

起床時刻:06時45分

のどがいたい。昨日つかれて大口あいて寝ていたから? まだ暖房がはいっている。例年15日までだが、今年は恩赦で?

小湯山のマンションは、持ち主がみんな本当の老人になってきて、居住率が80%に上がったそうだ。しかし温泉は高いので使わない人が多いから、温度低いまま供給、個々に何とかする。買った当初はボイラーで沸かした適温が蛇口から出てきてたんだけど。。

で、金属の棒みたいなのをつっこんで沸かす方式を最初使っていたが、湯沸かし器みたいに瞬時に沸かしてくれる機械が最近の流行りで、それを設置したから、ということで見に行った。

壁にうすいパネルがあり、どういう仕掛けか、それを通ると温度があっという間に上昇。温度設定も簡単で、現在の温度と欲しい温度が表示され、上げたり下げたりも簡単。ドイツ製だって。え? 4700元(約7万円)也。国産の2~3倍だそうな。やっぱドイツ製とか日本製でしょ。なかなか壊れないもんね。・・過酷な環境に耐えられるなら。。

小湯山は100へーべー、掃除がたいへん、次はお掃除ロボットを買ってこよう、と思ったが、すぐ目詰まりしそうだなー。モップでゴシゴシが、結局いちばんなのだらうか?

にんげん(私)が過酷な環境に負けてるぢゃないか、と思った朝です。

お散歩やめて、陳さんだけ朝市へ。買ってきた甘栗が「少なくない? 1斤ないみたい」「だってあればあるだけ食べてるから」って、バカな子みたいに言うなっ! 事実ではあるが。。

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03月18日

起床時刻:04時47分

昨日はめずらしく雪が降った。雨すら半年ぶりだそうだ。

書道年表を持ってきたが、重なる人と重ならない人がいるよね~。エクセルの表は配列がいい加減だったので、付箋ぺたぺたで整理して、表も手直し。これから方眼ノートに書き込んでいく。

この方眼ノート、何気なく買ったが、ちょっと大きめでB5サイズのプリントがそのまま貼れるそうだ。なんという心配りでせう。これが日本の文房具だぜぃ♪

午後、小湯山へ行ってきた。掃除して、「火の鳥」を持ってきた。渋滞でとてもちかれた。

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03月17日

起床時刻:04時54分

お昼、義姐2+義姐3と食事会。

ふたりとも節約家で、スマホあるけど普段は電源切っていて、自分が電話する時だけオンにしていることが、食事会の連絡とっていて判明した。お金はあるのに、それと節約とは関係ないのね。。性分だから仕方ない。

節約家だがケチではなく、会うたび私にはいろいろくれようとして、初期は装飾品が多かったが、「何をあげてもこの娘は身につけないのね」と知り、次は「一緒に服を買いに行こう! いつもみすぼらしい恰好しているから」だったが、陳さんが病気になってうちに来るようになり、食品が増えた。私が土産に空港でお菓子買ってくるものだから、「この娘はお菓子が好きなのね♪」と思って、菓子も増えた。。

私のほうは口紅と目薬が定番で、それにいろいろ足すんだが、結局「口紅があればいいわ」らしいので、あまり凝った物は買わない。

今回は、義姐2のために、空港で炊飯器を買った。欲しいと言われたわけではないが、「あらこれ日本製の?」と興味深々だったようだから。自分んちの16年使ったガステーブル(2万くらいの)を半月くらい考えて買い替えた(8万ちょいのに)が、炊飯器は「せっかく贈るならいいものを」で6万ちょいに即決。色は赤で、とてもかわいい♪

私は節約家&ケチなので、たまにこうして使う以外、あまりお金がかからない。本と楽器は買っていたが、それもだんだん処分しようとしている。ダウンサイジングですね。

例の本音ブログの管理人氏は、見納めと思って読んでいたら、「老後が不安じゃないんですか?」だった。生活の質を落としたくない。月100万の生活をしたい。そこから逆算すると、貯蓄1億でも足りない。月35万の生活で、うち年金22万(大企業正社員)なら貯蓄3000万で足りない分を補えるが、年金あてにならないし、ということだ。

65歳で定年になって、90歳まで生きる、という前提です。健康ならいいけど、介護が必要になったら、月35万じゃ済まない、ということらしい。そこは私も心配です。

だからフリーランスになって、特許翻訳で稼いで、それを元手にネットビジネスで億の金を稼いで、というシナリオが、ふーん、になるわけだが。。

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03月16日(金)

起床時刻:07時40分

なぜかまだ繋がってまちた。ある日とつぜんプツンと切れる鴨?

まだ暖房がうっすら入っていて、裸足。空気乾燥して静電気がすごい。髪もひっつきあって、ぺったんこ。

朝市へ行ったら、「現金でも買い物できるよ」どころか、9月から稼働するといっていたレジにカバーがかぶせられ、現金でしか買い物できない状態だった。いちごを買って、もぐもぐ。

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03月15日(木)

起床時刻:04時51分

午後、北京へ。しばらくネット断ち。パソコンはきっと無理。でもなるべく紙の本を読んで、目にやさしいと謳っているキンドル端末を持っていきます。

紙の本はまた持って帰るのだが、ぶあつい文学理論書2冊ほか。

教えてもらった無料わいふぁいスポット、アイパッド持っていこうかと思ったが、ネット使ってやりたいのはこういうブログだけでなく、メインは仕事なんで、それが出先ではできにゃいから、やめた。

実はこのまえスマホにする気満々でショップへ行ったが、今のガラケーでも3月末までは中国で電話使えますよ、なことが判明し、追い返された。スマホでネットするかな? 移動中は本も読まないし、移動先にはパソコンあるし。そもそもあまり移動してにゃーし。電話はたまーに使う。年に2~3回ね。。

陳さんが言うには、現金でも買い物できるよ、拒否しちゃダメって政府の通達も出ているよ、自分もいつも現金だよ、なんだって。とすると中国でスマホ買う理由も当面ないのだ~。

というわけで、しばらくここはお休みです。と言ったそばから「やっぱ不便!」とすぐつながるようにするかも知れんけど。

・・二度寝しちまった。あぶねーあぶねー。目覚ましを10時にかけて、鳴る前に起きたよ♪ これからお散歩がてら文房具屋さんへ行って、鉛筆(濃い目)を買ってくるだ。文房具こそ日本技術の粋ですからにゃ。

北京で勉強しながら、巨大な文学史(理論含む)年表を作るのだっ! 何度も消しては書きをするので、なめらかな濃い目の鉛筆が必要ですのだ。方眼紙はありますね。付箋も山ほどありまふ。地図もあるぜ(中国で買ったやつだけど)。

荷物にいろいろ詰めちゃったので、これでも読もうか、と手にとった本にインド古楽の話があって、このまえ似たような講義を聴いたわけだが、インド古楽抜きで唐代燕楽も燕楽理論も語れませんニャ。やっぱ仏教って、中国から見ると外国の斬新な学問で(もちろん宗教なんだが)、いろんなところに影響している。どーみても外来語、音訳語よね、なのいっぱいあるし。

これと、ついでにあれも、でさらに2冊増え、荷物がますます重くなる~。

***
着いたよ。なぜかネットが生きていた。。歩数計は置いてきちゃった。

★昨日の歩数 7938歩。
◎体操

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03月14日(水)

起床時刻:04時35分

ここで夏休みにやっていた論文の初校が、午前中に届くらしい。明日から私は北京で、返却の締切に指定された日はまだ北京。なので午後にやること。→ やった。

ぎりぎりせーふっ! 原稿の締切が今月末なんだから、北京から帰ってから出しても全然OKだと思うけどね。数式が多くて面倒なので、早めに印刷に回してくれたみたい。

ちかれる。。北京ではパソコン禁止令が出ている。禁止されてもパソコンはあるので使えるっちゃー使えるが、ネットが更新しないと使えず、「いつでもすぐ使えるようになるよ」と言いながら、陳さんがしぶってなかなかやってくれないのである~。目に悪いから、という表向きの理由で。

陳さんはネットやらないからニャ。前に部屋を貸していた時に、若い夫が設置したもので、今でも「電話したら彼が更新してくれて、あとで彼にお金渡せばいいんだ」とか言っている。店子と大家の関係が、いまいち理解不能。

私がいた時も、「久しぶりで設定が分からない」と言ったら気軽に電話して、「あとで会社帰りに寄るって」という話で、「えっ?」といじっているうちに設定できたので来なかったが、「いろいろ手伝いに来てくれたり、春節には生まれた赤ん坊を見せに夫婦で来たよ」という話なのだ。

とにかく私がいる間しか使わないので、「2週間くらいネットなしで生活できないの?」というごもっともなご意見で、だったら今のうちに、とネットでできる機械的な調べ物。で、ちかれています。

★昨日の歩数 11932歩。
☆今日の歩数 7938歩。
◎体操

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03月13日(火)

起床時刻:04時33分

起きちっち。今日はたぶん二度寝しない(昨日はしまちた)。

本がまたちと足りないので、研究室へ。会誌もとっくに届いているようなので、受け取る。

貴乃花は告発状なんか出さないで弟子の育成に邁進すればいいのに、と擁護派の私もちょっとサジ投げる。やっぱ少しヘン鴨ね♪

私は白石君に邁進しつつ、おびんずる様も調べ出して、わーーっ。

久しぶりに電車に乗った。めんどくさ、と思った。がっ。ウロウロやることやって、駅デパの郵便局へ行くついでにお店きょろきょろする頃には、なんとなくウキウキ♪ たまには外出もいいよね♪

電話で在庫を確認して、神保町の書店へ。帰宅してから、研究費の報告書。英訳部分をばっくれて出そうとしたら受け付けてもらえず、泣きながら作文。たぶんエキゾチックだが、まあいいだろー。こんな内容チェックを頼める人はいない。。専門的すぎるニャロメ?

★昨日の歩数 9210歩。
☆今日の歩数 11932歩。
◎体操

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03月12日(月)

起床時刻:04時26分

いででで。ほぼ座っていただけなのに、筋肉つー。

★昨日の歩数 9241歩。
☆今日の歩数 9210歩。
◎体操

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03月11日

起床時刻:05時27分

検討会2日め。

昨日は最後までいて、懇親会はパスして帰宅。昼を食べ過ぎて、午後はほとんどぼーーっ。目の前にお菓子あるし~。

ねむい。。実は3時半に目が覚めていたので。いま二度寝しちゃおーかな~と、布団乾燥機でお布団あっためちう。腹ぺこ我慢しているので、爆睡しないと思うけど。。(分からん、爆睡したところで処刑されるわけでもないんで)

金曜の勉強会?後にさっそく机に向かっている方からのメールが入ったので、このまえ北京で買った中国絵画史の本(中央美術学院のテキスト)を眺めたりしていた。全体の流れを理解していないで個別の項目書けませんからニャ。

★昨日の歩数 9118歩。
☆今日の歩数 9241歩。
◎体操

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03月10日

起床時刻:05時23分

検討会1日め。今回は1回パスで原稿出していないので、地獄ではにゃーい。

懇親会だけ出ようかと思ったが、いちおう全部プリントした。疲れたら途中で帰ろ。自分の担当がないと楽である~。呉文英だけエントリー済なので、次回やる。ただし東京開催のとき。

白石君は昨日ご意見いただいて若干修正するが、大枠はほぼ固まって動かない。白石君は雅楽も意識して琴論も書いた(散逸した)が、張炎は詞楽としてごく一部を引用したんだな。張炎の『詞源』のほうがまとまって残っているから、ついそっちから考えると、見誤る。

私が定年後にやりたいのは、ねこと社ですニャ。そろそろ準備にはいる。仕事しながら覚えるのがいちばんだが、副業すると叱られる(たぶん)ので、弟子入りしますだ。よろぴこ♪

★昨日の歩数 5515歩。
☆今日の歩数 9118歩。
◎体操

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03月09日(金)

起床時刻:05時20分

激しい雨の音で起きてまちた。よよよーい♪ 二度寝しちゃおーかな?

起こされる前に起きたーーっ! 雨はほとんど上がったじぇ。

寝ている間にまた白石君ぐるぐるが整理されて、ほぼ最後までまとまった。まだまだ細かいところを詰めていくけど。「理論と実践」がテーマのひとつだったけど、「実態と理論化」も軸になるかも、だな。

言葉で説明できる部分とできない部分があるしね。何でもそうだろうけど、音楽なんて特にね。

北宋末に雅楽が整備されたことによって、「俗楽」が誕生したらしい。それまであった音楽が、「俗楽」と認識されたんですね、「雅楽」の対立項として。

子どもなんて大昔からいたはずなのに、「子ども」と認識されて、子どもは大人のちっこいのではなく、別の「子ども」という存在なんで、それなりの教育なり何なり必要なんだ、と気づいたのが近代だった、みたいなものかしら?

★昨日の歩数 6510歩。
☆今日の歩数 5515歩。
◎体操

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03月08日(木)

起床時刻:06時01分

さみーぽんぽこへそへそ。

新しいガステーブルがきたので、最大限に使うべく台所をプチ模様替え。

ふうっ。私は最近ものすごーく仕事しているようなフリをしているが、せいぜい1日5時間である。もう3時間くらいやったので、おやつ(10時の)に金柑もぐもぐ♪したら、ぶらぶら買い物にでも行くのである~。

昨晩はうきうき両面水無しグリルでいきなりサバを焼いて、ちと臭いが残っている気がする。説明書を見ずにやって、いろいろ間違えていた。皮目を上にしろ、とかさ。しかし、ふっくら~♪ サバってこんな甘かったっけ? 舌がバカになったのかと思いまちた。バカなの鴨?

バカといえば、主婦をさんざバカ扱いしていた管理人は、なんで主婦をバカにするんですか?、と言われたらしい。ショックだったって。かえるの面にしょうべんだな、って。どこまでもオラオラ。おまえらかえるなんだよっ! 気づけよ! と説教垂れていた。・・目が覚めるぅ♪ 管理人氏の意図とはたぶん全く違う理由で。

努力量やなんとか量が足りないんだよ、圧倒的にだよっ! と叱っていた。はいはい。でも身体壊しちゃうよなー、私は無理っぽ。

昼前のお散歩いこ♪ 雨だけど。。これを忘れて午後だけで歩数稼ごうとすると、どえりゃー疲れるんで。

★昨日の歩数 8403歩。
☆今日の歩数 6510歩。
◎体操

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03月07日(水)

起床時刻:05時20分

さみー。ぽんぽこヘソに珈琲ぢゃ。

今日は新しいガステーブルが届く。面倒くさいので設置&古いの撤去も、全部やってもらう。もう16年も使っていたらしい。まだ壊れていないが、安全装置いろいろ付いているのに交換。

しかし最近は「はっ!」がないのだ。目のために強制的に休んだ効果カモ?

★昨日の歩数 7596歩。
☆今日の歩数 8403歩。
◎体操

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03月06日(火)

起床時刻:06時04分

コーヒーを淹れてましたニャ。ぽんぽこのヘソ触りながら、飲みますニャ。

白石君、序章と第一章はなんとかまとまりついた。細かいところをもっと詰めないといけないが、それは後で。序章のほうが手こずりましたニャ。ここが書けたということは、あとは肉体労働みたいなもんです。体力いるが。。

白石君は、六ペンスもらいながら月を追っかけていた人です。最初にパトロンになった人は、姪っ子を嫁にくれて親戚関係になった。この人の紹介で当時の文壇の大物たちと知り合いになり、オメカケさんをくれた人もいた。ほかになじみのホステスなんかもいたが。。

その人が病気になって田舎にひっこんだ後は、「じゃあワシが世話してやろう」な二番手が現れて、家ももらい、作品を出版することもできた。私がメインに扱っている本は、オメカケさんをくれた大物が紹介してくれた金持ちの子孫が、直接には出版費用を出してくれた。金持ち本人には庭園に遊びに行って会ったことがあるが、たいてい子孫たちも一緒に遊んでいるので、顔見知りなのでせう。

いろんな人と知り合う。誕生会だったり花見だったり旅行だったり。そのたびに作品を作り、まめにそのいきさつを長い序に書いているので、状況が分かる。

やーね、あちこちおもねって。。と見えないところが、えらい! 昨日読んでいた詞の序に、一緒に遊んでいた詩人に「なにもそんなに頑張らなくても」と言われたけど、「だって皆さんすぐれた詩を作るから、自分も努力しなくちゃ」なんて書いていた。

若い頃は学ぶのに熱心で自分の作品はあまり作らなかったというが、わずかに残っている作品と、それから亡くなった時にいろんな人が書いた詩文から察するに、最初の支援者に出会う前、郷里にいた頃に一緒に勉強していた人やその関係者たちと、晩年までずーっとつきあいがあった。支援者がいてまあまあ暮らしていけるが、金があると本やらなにやらに使ってしまい、生活は質素だが、友人が来たら必ず「ご飯食べてって」ともてなしていたそうだ。死んだあと、葬式を出す金もなかったので、友人たちが弔ったという。

作風は「野の上をぽつんとひとつ流れ行く雲が、去るも留まるも跡をとどめないようだ」、ひとことで言うと「清空」と評されている。

こーんなすばらしい人(↑)を扱いながら、またまた六ペンス管理人の本音ブログをのぞきに行くと、「成長曲線の嘘」とか言って、虚実真偽を織り交ぜた洗脳or勧誘をしていた。あぶないぞー。

「成長」曲線というのは、勉強時間に正比例して成果が出るのではなく、最初はあまり成果が見えないが、途中からぐぐぐんっ!と成長していくよ、というもので、その曲線が人によって、やる事によって、まあ多少は違うでしょうけど、だと思う。

がっ! こいつは途中から論理をすりかえて(または自覚なしに)、ゆるい勉強じゃダメ。「最後のゴール地点が高いところにある場合、最後の坂が半端ないぐらい急峻なのでほとんど挫折します」と言う。「成長」曲線じゃなくて、「努力」曲線になってるじゃん! お前らちゃんと勉強しないからダメなんだよ、途中であきらめんな、もっと金出せ、受講料値上げすっからな!、みたいなことでせう。こわいこわい。

なんで正比例でなく曲線になるかというと、ひとつのことだけ勉強なり努力なりするんではなくて、いろいろやっていることが、ある時点で結びついて相乗効果みたいなことに、なるんじゃないかな? スピードあげるために、走る練習もするが、筋トレもやり、運動生理学なんかの本も読んで知識も身に付け、食事にも気を配り、なんてやっていることが、ある時点でうまく結びついて、急に成績よくなる、とか。

まあ、多くの「誰でも1万時間もやれば、それなりに食っていける程度のレベルになりますよ」な事柄に関しては、お椀型の成長曲線(とか階段型)だと思う。でも脳の成長がそうであるような、山型の成長曲線もあると思うのだ。最初にぐぐぐんっ!と伸びて、あとはすーーっと滑っていけるような。

誰にとっても、お山は1つくらいはありそうな。。それを早く見つけられると、あとが楽ですね♪ だから子どものうちは、いろんなことを体験するべきだな。塾やスクールで習うとか、そういうことではなくて。

★昨日の歩数 6640歩。
☆今日の歩数 7596歩。
◎体操

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03月05日(月)

起床時刻:06時08分

目ヤニついてた。めぐすりめぐすり。

これなんかも、瞳孔を開かせる薬にアレルギーがあるというより、涙が少なくて炎症おこしているんではないかな?

強制的に2~3日休みになったので、白石君さいかいである~。

「月と六ペンス」をキンドルぽち♪して読んでいるが、だんだんつらくなってきたし。画家の人物像に違和感。げーじつに目覚めるといきなりとんでもなく粗野で偏屈ってところが。それまでふつーに金稼ぐ男だったらしいのに。。

今日も「六ペンス」管理人はブイブイあおってますなあ。私は中国語を熱心に勉強していた(しかしどこか危うい)人のブログから、ブイブイ管理人のブログへきて、いったいどーゆー興味で読んでいるんだ?、と自分でもいぶかっておったが、この管理人は「英語が好きなだけじゃ食えませんよ」と繰り返し言っており(特許翻訳も先が見えてるんでネットビジネスですよ、はこの際無視して)、文系(最近は女子ばっか)の人がゼロから学んで特許翻訳で稼げるようになる講座、というのを売りにしている。

しかしご本人は理系出身で会社勤めで翻訳やっていた人で、私が読んでいるブログの人も理系出身で(それで中国語では仕事来るようになったのに。。)、ほかにもう1人、その人がこの講座を知るきっかけになった別の中国語特許翻訳者も主婦&在宅ワーカーになる前は翻訳や通訳もやっていた人で、本当にゼロから文系出身で特許翻訳者になってガンガン稼いでいる人って、実はものすごーく少ないのでは?、と思う。

ゼロからやるために、すでに公開されている特許の対訳で勉強しなさい(著作権とかどうなってんのかな? 教材にして商売しているが)、ビデオあるから見ながら手を動かしなさい、という方法みたいなんだけど、すでに公開されている特許はもう古いんで、学会に入って勉強しなさい、企業の展示会なんかも行きなさい、ということを言っていて、それ自体はまともなアドバイスだが、それだと結局、「内容を理解していないと翻訳できないでしょ? その分野のことを特許申請者と同じくらい勉強しないとね」みたいな話で、ゼロからの文系出身者にはけっこうハードル高くないですかね? 英語自体は、小説や映画字幕なんかより易しいはずだけど。

英文学やったって食えるわけじゃなし、実用英語ですよ、英語なんかただの道具ですよ、の極端な例として、興味があるんでしょーかなー?

★昨日の歩数 6639歩。
☆今日の歩数 6640歩。
◎体操

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03月04日

起床時刻:05時40分

眼科へ行ったが、「血圧たかいの?」「いいえ別に」「じゃ大丈夫、もっと頻繁になったらまた来て」で追い出された。光視症→ 網膜剥離のほうが心配だったので、念のため眼底検査をしてもらったが、こっちも大丈夫。しかし瞳孔を開かせる薬があわないのか、また目の中がゴロゴロ。でじゃぶー。

これで昨年末からの不調が、ひととおり検査終わり。要するに「おばあちゃん」になって、あちこちしぼんでいるのであった。人間として枯れていく途中で、炎症おこしたり何なり、しているみたい。

★昨日の歩数 7785歩。
☆今日の歩数 6639歩。
◎体操

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03月03日

起床時刻:06時01分

昨日はほぼ1日、眠っていた。寝すぎでクビが痛い。。

ガスの点検がきて、今日、営業の人が新しいガス台の話をしに来る。点検の人が注文とったらダメなんだって。だいたい「これ!」は決まっているんだが。。

営業の人が帰ったら、眼科へ行くつもり。若干、偏頭痛もあるので、たぶんあまり心配ない。が、まれに脳腫瘍とかの人もいるようなので、さらに検査するかどうか、ですニャ。血栓くらいはありそうだけど。。閃輝暗点は別名「偏頭痛オーラ」というそうです。はじめてなると、ビックリするで~。

昨晩はTBSドラマ「アンナチュラル」、10時から、も観ずに8時半には寝た。あとでネットで探して見よう! 

「アンナチュラル」は民間の法医解剖会社?の話である~。ちょっと訳ありの社員?研究員?たちで、1話1件ずつ解決しながら、訳ありたちのストーリーでも引っぱるタイプのドラマで、セレブなおうちが素敵だった「奥様は取り扱い注意」と同じパターン。これは1クールの視聴率は上がりやすいが、シリーズにはしにくいのである。

医療もの、事件ものはドラマになりやすいんだが、わりとふつーな人たちのところに、訳ありの患者や被害者や犯人が次々に来るから、ドラマになるのである。コアな人たちが訳ありすぎると、ダメ。

水戸黄門みたいに諸国行脚してご当地の味を加えつつ、いつも終了10分前には由美かおるが風呂はいるとか、ワンパターンもあるのが長寿化しやすい。病院や警視庁は、コアなメンバーが移動になったり死んだりで、たまに入れ替わるのも、よろしい。テレビ朝日はそういうの作るのが上手い。水戸黄門はTBSだな。すが子を手放しちゃダメだ。

あまりに訳ありなメンバーの謎が解決、だとそれで終わってしまう。「アンナチュラル」では、前髪ちと長いのでは?、な有能だが偏屈、クールで実は誠実そうな男(うまくいけば俳優がブレークする)の案件が、そろそろ解決に向かいそう。

★昨日の歩数 3567歩。
☆今日の歩数 7785歩。
◎体操

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03月02日(金)

起床時刻:05時47分

元宵節。

朝のゴミ捨てに行ったら、西の空におっきな満月、見えた。

勉強しようとしたら、目がおかしい。中心が見えづらく、だんだん範囲が広がり、そのうちギザギザした光が目をつぶっても見えるようになった。どっちの目でも同じ見え方なので、これは脳に問題があるのだろうと思い、まだ眼科やっている時間でもないし、パジャマに着替えなおして、お布団へGO! たまに目をあけて見えているのを確認しながら、ちぢこまっていた。

そのうち光が消えたので、起きて調べると、閃輝暗点の発作らしい。疲れると出るようなので、あんめるつ塗り塗りして、また布団乾燥機でお布団あたためて、しばらく横になりまふ。眠くはないんだけどね。

繰り返すようなら、眼科ではなく、神経内科へ行くべき症状らしい。

年だなー。お散歩はさみながら、ゆるゆるやっているつもりだったけど。。

起きたー♪ 自分のいびきで。。眠くないと思っていたが、横になったら爆睡した。白石君がアタマの中でぐるぐるしているので、睡眠時間ぐしゃぐしゃなのぢゃ。

思えば博論は2年ほどで書き、最後はぎっくり腰になった。あのときの邦彦君より今度の白石君のほうが大物になる予定だが、私も経験積んだんで、と思っていたが、年も食っていたのだった。。

気は強いが身体は弱い私。。早め早めにサインが出るので、無理せんとボチボチいこ♪ とりあえずお団子買いに?

★昨日の歩数 6526歩。
☆今日の歩数 3567歩。
◎体操

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03月01日(木)

起床時刻:01時31分 06時13分

夜中に目が覚めちっち。これから春の嵐が来るってのに。。外では猫が叫んでまふ。春なのら~。

例の講座は、ゼロからプロの土俵に上がって稼げるまで、

毎日15時間なら半年。
毎日10時間なら1年。
毎日 7時間なら2年。

が目安だそうだ。「土俵に上がって稼げる」で、その先に安定稼動とか大台突破とか不動産投資とかネットビジネスとかあるわけだが、どの道も楽じゃないな、と思う。しかしこれが特許事務所かなんかで働いているなら、職場によるだろうが、3年で一人前とか、そんな感じ? 

ほかに本業(主婦業も含めて)をやりながら、毎日○○時間を捻出するのが、とっても難しいのだと思うけど。それを弱者とかこじらせ女子(なぜか女子限定)とか哂うのは、如何なものか。

夜中に起きて、こんなことをブログに書いている私も、如何なものか。あんめるつ塗り塗りして、お布団へGO!

起きた~♪ 台風並みの暴風雨に備えて雨戸しめているので、暗い。。雨の音がしますニャ。風はこれかららしい。

あらためて例の講座の管理人氏のプロフィールを見たら、

東京大学工学部を卒業し、社内業務で特許翻訳・産業翻訳、大企業勤務のかたわら副業翻訳者を続け、その経験にシステム開発のノウハウを加えて特許翻訳講座を開発し、2015年に独立。いま8期までやって、毎期70-80名程度が参加。

とのことです。やっぱ給料もらいながら勉強するのが、いちばんいいよね♪

★昨日の歩数 6912歩。
☆今日の歩数 6526歩。
◎体操

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