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今日の気分(本文)

タイムカプセル新安沈没船

 日元貿易の実像を保存したタイムカプセルが、朝鮮半島西南部の道徳島沖で発見された新安沈没船である。9年間の調査で大量の積み荷と船体が引き揚げられた。それは単なる「宝物」の引き揚げではなく、その後の水中考古学のモデルとなり、貿易や交流、陶磁器研究にとどまらず、東アジアの中世史を解明する不可欠の資料となった。大きな理由は、船体が保存され、2万点を越す(約1万8千点?)陶磁器や、28tの銅銭、紫檀材、錫のインゴットなど主要な積み荷が残り、荷札が多数発見されたことである。
 この船は、荷札などから、至治3年(1323)6月3日以降に中国の浙江省慶元(寧波)を出航し、博多へ向かった。しかし、途中東シナ海で遭難し、耽羅海道を流され、沈没した。船は長さ約30m、幅9mで、およそ200tである。中央と前方にマストをそなえ、船底は竜骨をもつV字形で、鎧張りと呼ばれる外壁をもつ外洋船である。船内は隔壁によって7〜8室の船倉に分かれている。船の構造や、中国南部特産の船材が一部に使われていることから、中国で建造された船と推定される。
 当時の文献史料などから、このクラスの船には60名ほどの乗員が乗っていたと考えられる。引き揚げられた遺物には、商品ではなく船員や商人の持ち物と推定される品々が含まれていた。例えば将棋駒、下駄、日本刀の鍔、和鏡、日本産火鉢、漆碗、瀬戸産瓶子など日本人特有の品にまじって、中華鍋や高麗の匙などもあり、国際色豊かな乗員がいたと思われる。
 荷主、商品名、数量、日付などが書かれた荷札。荷主名で多いのは「綱司(ごうし)」109点で、京都「東福寺」41点、博多の承天寺塔頭「鈎寂庵(ちょうじゃくあん)」6点、博多「筥崎宮」3点とともに、「八郎」「叉吉」「道阿弥」「秀忍」など商人や僧侶名も多数ある。この船は、多くの商人が資本を出しあって仕立てたと推定される。「綱司」は、船長や船主のような立場で、博多などに居住していた中国系貿易商人であろう。東福寺と箱崎宮は、それぞれ1319年、1310年に火災に遭っており、その復興資金を得るための船との考えもある。

  国立歴史民俗博物館2005『東アジア中世海道』より

以前早起き村でつんさまがちらりと青銅器のお話しを書かれていたのを覚えていてよかった。
元になってからも、南宋から引き続いて古代青銅器の模造品を作っていたということになるのでしょうか。
また日本に元代の青銅器は伝世されているのでしょうか。

ねむーい。ねむねむ。おやすみなさい。