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起床時刻推移グラフ

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09月15日

起床時刻:09時00分

今日はヨガに行ってきた。
なかなかの運動量で汗びっしょり。
しかしヨガに3年くらいは通っているのに、まったくポーズがとれなくて、ひたすら憂鬱な気分になる。運動した後は気分があがることが科学的に証明されているのに、わたしはそんなこと全然なく、運動した後に落ち込んでしまう。

あーあ、私って何やってもダメ。

そんな気分で家に帰ってきたので、気持ちを慰めるために白ワインを飲み、お昼ごはんを食べて(朝の残りのオムレツとキャベツとトマトのスープ、レンコンときゅうりのサラダ、くるみ入りキャロットラペ、冷凍のパスタ。落ち込んでいる割によく食うぜ)、『食いつめものブルース』(山田泰司・日経BP・2017年11月)を読んだ(後半はちょっと斜め読みになってしまったが)。

上海に出てきた中国の農民工のルポルタージュで(上海人の田舎出身農民工(安徽省が多いそうだが)に対する見下し感がすごい)、彼等と著者との交流録といった感じでもある。いい点は7、8年程度のタイムスパンで書かれていること。何しろ、中国は経済も人生も浮き沈みがとっても激しいようなので、一時点を切り取って書かれても見誤ってしまうだろうから。日本は失われた20年で、ずーっと低空飛行って感じだと思うのだが。少なくとも私の生活はずーっと似たり寄ったりの低空飛行である。

シングルマザーのチャオさんという人が出てくるのだけれど、びっくりしたことに中国は未婚の母は違法で罰金(社会扶養費)を払わされる。これが低収入の人にはものすごい負担なんだそう。
それはともかく、彼女は職を転々としているが、ASUSの製造工場で働いたりもしていて、彼女(社会人十年目)も学校を出た手の十八歳の新人でも同じ給料なんだそうで、「ライン工はいつまでたってもライン工だし、給料も最低水準のままで終わる人がほとんどなんだと改めて思い知りました」とのこと。
それを言うなら、私も事務的ライン工だから、40歳のときの私の時給は1600円で、弊社の大学生のインターン(中国の子も何人かきている)は1500円なんで、20年働いても、まったくあがらないのである。

37歳になったチャオさんは最近(2017年)、愚痴っぽくなっているらしい。著者によると彼女のSNSは「この半年、他人の運の良さと、自分の運の悪さを嘆く投稿が目立って増えてきた」という。
「「バスの中から外を眺めている。世の中にはこんなに自家用車が溢れている。皆、なんて運がいいのだろう。そして自分はなぜクルマ一台買えないほど運が悪いのだろう」
「仕事の帰り道。ここにもまたマンションを建てている。ここに住めるラッキーな人はいったいだれなのだろう。そしてそのラッキーな人がなぜ、私ではないのだろう」
というように。
<略>
再開発長者の生活を横目で見ながらボロアパートに暮らし判で押したような毎日を送っているうちに、チャオさんは運でしか人生の価値を測れなくなりつつあるように思えて仕方がなかった」

ま、私もそうだけどね。ボロアパートじゃなくてデザイナーズ物件に住んではいるが。
運が全てとはいわないが、人間「運が8割」だと思う。
もちろん、圧倒的に能力が優れている人は、寅さんの主題歌のように「ドブに落ちても 根のある奴はいつかは 蓮の花と咲く」だろうけど、たいていの凡人はドブに落ちたらもう終わりじゃなかろうか。努力して報われるということもない。

たとえば努力の指標としての学力。今の会社で、おそらく社長以外は、みんな高校時代の偏差値は私より下だと思うんだけど(出身大学や学部から推察するに)、私より給料はずっといいんだもんな(と言えるのは、私は経理もやってるからみんなの給料を知っているのである)。
もちろん、学力は仕事の出来不出来とは関係ないし、大学教育は、時間と金の無駄遣いであってなんの意味もないから、不公平というわけではないが。

もっとも、私は正社員になれたから、時給1600円の世界から脱出できて、給料がだいぶ上がり、一人暮らしが楽にできてはいるけれど、それもまさに運なのだよ。
たまたま。偶然。ラッキー。
人口が減ってきたことによる人手不足が一番の原因だとは思うけれど、そういう時代になったのも運だからねえ。

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09月14日

起床時刻:08時00分

昨日、ニュースを見ていたら、埼玉県秩父市の養豚場から出荷した豚に豚コレラが見つかったんだとか。「豚コレラ」は「トンコレラ」と読むらしいが、「豚汁」のことを「トンジル」ではなく「ブタジル」と言う福岡県民としては、「トンコレラ」より「ブタコレラ」の方がしっくりくる(もっとも福岡県民も牛丼は「ギュウドン」であり「ウシドン」とは言わないから、なぜに豚だけブタというのかなぞ。ちなみに鶏肉は「カシワ」といったりするけれどなんでカシワなんだろう)。
それはともかく、誰が読み方決めているんだろう?たとえば鳥インフルエンザは「トリインフルエンザ」であり「チョウインフルエンザ」とは読まないけれど、誰が「チョウ」ではなく「トリ」だとか、「ブタ」ではなく「トン」だと決めるんだろう?

こんなことはすごくどうでもいい話だけれど、豚コレラの方は全然どうでもいい話ではなく、大問題。豚コレラに限らず、日本にはいっぱい問題があるのに、そういう問題を直視しない風潮を感じる。

「だから何?あなたに何ができるというわけ?何もできないでしょ?なら気にしない方が精神衛生上いいんじゃない?それより日本のいいところを見るようにしたらいいじゃない?日本はいいところいっぱいあるんだよ?日本のダメなところばっかり取り上げて自虐するマスコミに影響されすぎ」

っていうのが今の空気なんだよね・・・。

閑話休題。昨日は吉祥寺で友達とランチ。スパークリングワインを一杯だけ。
前々から言っているけど、吉祥寺って食の不毛地帯な気がする。
吉祥寺って美味しいお店がないように思う。
どこかあったら教えてほしい。

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09月13日(金)

起床時刻:06時00分

今日はやっと涼しくなった。

話は変わるけれど、私には最近、「スピリチュアル」なことがらに傾倒している、いわゆる「スピ系」の友達がいる。
スピ系の定義は難しいが、ともかく非科学的発想に貫かれているのが特徴だ。
まぁ宗教と似ているのだが、信じているものが神や仏ではなく、宇宙や龍。
スピ系あるあるを言うと、

・占い、まじない、パワーストーン、オーラといった類が大好き
・ありとあらゆる開運法が好きで実践している
・開運法にはお金も時間もかけるが、正攻法の努力はたいしてしない
・現実に起こること全てが何かの意味やメッセージを持つと考える
・現実世界は当人の意識もしくは「波動」が反映されたものだと考える
(つまり意識一つで世界は変えられるわけである)
・自分大好き(自分を大事にしたり、自分のやりたいことをやることが開運につながる。ここが従来型宗教と違う感じだな)
・「ありがとう水」をいまだに信じている

などなどで、これは私の友達の特徴を書き出したのだけれど、なんで私は彼女と友達なんだろう??彼女の言う「引き寄せの法則」(出た!スピリチュアル系の人が大好きなやつ)に従うなら、私の頭がいかれてきたために頭のいかれた人を引き寄せたってこと?
「同じ波動のものは引き合う」そうだから、私もそういう「オーラ」出してたってこと(「玄関脇に盛り塩してそう」みたいな)?!

あ、まずい、まずい。私までスピ系になってきている。

私はもちろん、スピ系の話などまったく信じてはいない。個人の精神衛生上はいいかもしれないから(すべてのできごとに意味はあると考えた方が幸せである)、友達のスピ話も聞き流しているが、この前は「赤ちゃんはお母さんを選んで生まれてくるの」っていうトンデモ話をしだして「ハアアア??」となってしまった。
こんなバカなことを言うのはこの人だけかと思ったらそうではなく、一部では有名な話なんだそうで、別に彼女のオリジナルな発想じゃないらしい。

「じゃあ、この前の目黒区の虐待死した女の子も親を選んで生まれてきたっていうの?」と聞いたら、そうだと言う。この世のことにはすべては意味があり、彼女はお母さんを選んできたんだと。私たちにその意味はわからないけれど、前世のつながり(出た、前世。これもスピ系が好きなもの)があったりするんだそうな。

彼女の発想にはさっぱりついていけないが、なぜ彼女と友達かというと、この人が異常におせっかいだからだ。すごく親切だし、元気だし、ポジティブな人なのだ(こういうのも実に宗教っぽいが)。そして彼女からすると私は不幸のオーラでいっぱいだから、救ってあげたいと思うみたいで、めっちゃスピリチュアルなアドバイスをLINEでいっぱいしてくるのだ(こういうのも宗教っぽい)。
そういえば私は宗教の人も寄ってくる方ではある。よほど救いたいと思わせる悲壮感が漂っているんだろう。私は基本的に、考え方がさっぱり理解できなくても、性格さえよければ(親切だったり優しかったりポジティブだったり)、どんな人でも受け入れるたちなのであった。

でもねぇ。
スピ系およびスピ的開運法にすがりたくなる気持ちはわかるんだよね。
だって、この世って運の要素が大きいから。努力じゃどうしようもないこと多すぎるから(人生再設計第一世代を参照)。

ちなみに彼女に言わせると、私の誕生日は数秘術でいうところのマスターナンバー33で、このナンバーの人は超スピリチュアルなんだって。仕事のことで彼女にいつも愚痴ってるんだけど、彼女には「マスターナンバー33の人は会社で事務なんかできないはずだ」と言われた。
今、ぐぐって調べたら

「マスターナンバー「33」の人は、愛がとても深く器が大きいことが特徴とされており、奉仕者とも呼ばれています。
明るく素直で天真爛漫な性格をしており、責任感と自立心も持ち合わせています。
マスターナンバー「33」の人が持つ愛は、一人の人に向けてのものと言うよりかは、自然や人類、地球などの大きな規模に対する奉仕の心だと言われており、とにかくスケールが大きい愛情を持ちます」

なんかこれだけ読むと、宗教の開祖とか向いてそう、私。適職はカウンセラーや占い師らしい。ま、実際のところ、私はまったく愛情深くないし、器も小さいし、奉仕の精神ゼロなんだけどね。
あっているのは33の人は「理解者が少なく、周りと合わせることにストレスを抱えやすい傾向があります」というところだけなんだけれど、そうじゃない人なんているのかな?誰しも少しずつ「普通」とはずれていて、普通への調整がストレスとなっているんじゃないかと思う。

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09月12日(木)

起床時刻:08時00分

09月11日(水)

起床時刻:08時00分

ヨガはさぼり。体脂肪率が29.5%、体重が45.5キロほど。
身長160センチなので痩せてはいるが、体脂肪率がやばい。サルコペニア肥満だ。
最近の体脂肪率と体重の上昇は、毎晩白ワインを飲んで、ポテチやハーゲンダッツを食べているせいか、単なる老化か。

昨日は昼間っから飲みたい気分だったが、さすがに仕事中なのでランチで飲むのはやめた。
暇なので会社でおやつを食べながら(これも体脂肪率の上昇に一役買っているだろう)、だらだらネットを見ていた。家の掃除でもした方がよほど有意義なのだが、会社にいなきゃいけないので仕方ない。
会社に関しては不満はない。遅刻はし放題だし、仕事は簡単だし、責任はないし、残業もほぼないし、スーダラ節を地で行く実に気楽な稼業である。

私の仕事は、単純作業だ。
銀行ATMを人の手でやるようなもの、と思ってもらえれば一番近いだろう。
つまり、「早く正確にやること」だけが要求される仕事だ。
人間というのは、「早く正確にやること」に向いていない。
少なくとも私は向いていない。ATMと違って仕事はたまにしかないから、そこはとてもいいんだけれど、嫌いな仕事であることに変わりはない。

ATMがやっている仕事、つまり素早くお札の枚数を数えて正しくお客に出すという仕事はとても大事な仕事だが、人間でその仕事をやりたい、それも一日中やりたいという人はあまりいないだろう。

私は別れた夫から私の頭が「年々、悪くなっている」と指摘されたが、それは老化のせいもあるだろうが、仕事のせいでもある。単純作業(=人間ATMになる)に従事しているとバカになっていくのだ。私が言っているのではなく、天才的に頭のいいアダム・スミスが言っているのだから、間違いない。

彼は分業にともなう単純作業についてこんなことを書いている。

「分業の発達とともに、労働で生計を立てている人びとの大多数、すなわち大半の国民の勤め先は、ごくわずかな、たいていのばあいはひとつか二つの単純作業に限定されてしまう。しかるに、大半の人間の理解力が、普段どのような職に就いているかに応じて形成されるのは避けがたい。全生涯を若干の単純作業に、しかもおそらくその結果もまたつねに変わりばえのしない、もしくはほとんど似たような結果にしかならない作業の遂行に費やすひとが、難題を克服するためのやりくりを見出すべく自分の理解力をはたらかせたり、創意工夫を発揮したりする機会に恵まれることはまずない。なにしろ、そんな難題はまず起こることがない。結果として、この人間からは知性のそうした発揮の習慣がすっかり奪われ、概して神の被造物たる人間としてなしうるかぎり愚かで無知な存在になりさがってしまう。その精神は麻痺して、理知的な会話に興じたり、それどころか参加することさえできなくなり、なんであれ寛大で高貴な、ないし温和な感情をいだくこともなくなり、その結果私生活のうえでの日常的義務にかかわる多くの問題にかんしてさえ、まともな判断を下せなくなってしまう。(中略)自分自身の特定の職業における手際のよさというものは、みずからの知的で社会的、かつ勇敢な徳を犠牲とすることで獲得されるものだと思われる。しかるに、どのように改良され、文明化された社会でも、これこそが政府よってなんらかの対策が施されないかいぎりは、労働貧民すなわち国民の大多数が必然的に陥らざるをえない状況だ」
(アダム・スミス『国富論』大河内一男監訳、中公文庫第三巻143-144頁。ただしラース・スヴェンセン(小須田健訳)の『働くことの哲学』(紀伊國屋書店)から孫引き)

「概して神の被造物たる人間としてなしうるかぎり愚かで無知な存在になりさがってしまう」とは、さすがに言いすぎだと思うが(苦笑)、私のような労働貧民は「知性・社会性・勇敢さ」といった「徳」は放っておくとどんどん摩耗してなくなっちゃうのだ。
かといって、白ワインに逃避したら、アルコールは脳を委縮させるから、アホが加速するだけで、余計悪いんだけどねえ。

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09月09日(月)

起床時刻:07時50分

台風15号。夜中から未明にかけてすごい暴風雨。
いつも使う路線は運休。
結局、蒸し暑い中、2駅分歩いて、混雑しながらも動いているJRに乗って会社に行った。

そうやって、苦労して会社に行って何をしているかというと、ヤフーニュースを見ていただけだ。
そもそも、私の仕事はただの雑用で、不要不急の仕事などない(というか、そもそも仕事がない)。

ヤフーニュースに「JR津田沼駅、入場規制で長蛇の列「2キロくらい並んでいた」の声も(台風15号)」という記事があって、そのニュースのコメント欄を会社で見ていたら(ね、暇でしょう)、

「じつは出社することに意義があるって人は案外多くいる。
窓際の人、定年まで居座ろうという人などなど。

会社からすれば消えてほしいと思ってる人たちだな。

そして自身もそれを知ってるからうっかり休むとそのまま消されちゃうから、とにかく出社するだけするんだ。

それが日本のサラリーマン社会でもある」
というコメントがあって、「あ、それ、わたしだな」って思った。

リストラ候補だから必死なんよ。
私にはなんの取り柄もない。
ただの給料泥棒。自分でわかっている。
会社でヤフーニュース見てるしね。

他の人には仕事があるけれど、私みたいな無能なオバサンに手伝えることはない。
イチローが大変でもマネージャーはイチローに代わることはできない。
できるのは、そばで控えていることだけだ。
私も自分が出来ることは何もないけれど、私のような職場の雑用係としては、とりあえず会社にいることに意義があるのは確か。「大きなホッチキスってどこにありましったけ?」っていう質問に答えるために私がいつもそこにいなくちゃいけないんだねぇ。

私のやっていることは先月バイトで入った平成生まれの子と同じ。
その子の方が若いから、使い勝手もいいと思うし。

そう、私は何の役にも立っていない。
経営者ならリストラしたいだろう。
でも私はリストラされたらその先はない。
どこも雇ってくれない(人手不足だからコンビニとかはあるだろうけど、今みたいに正社員で雇ってくれるところはないだろう)。
会社に寄生しなきゃ生きられない。
だから会社にしがみついている、哀れなオバサン。

というわけで、ネットサーフィンするのも嫌になって、帰ってきた。
夜はから揚げと白ワイン。自分を慰めるために、大好きなポテトチップスに甘いものも買ってきて、今はお腹いっぱい。
もうすぐ50歳。もう先もない。とりあえずリストラされなければそれでいい。
お酒、嗜好品、あるいはアイドルのおっかけといった現実逃避的快楽で、現実の虚しさを埋めながら、だましだまし生きるしかないのだ。
自己嫌悪から鬱病にならないように(だって私の今までの経験や人生なんてただのゴミ屑なんだよ、うつ病にならない方がおかしくない?)、だましだまし。現実から目を背けて。あーあ、私、二十代からずっと同じことを言っている。ホント、悲しい。よく生きてるよ、自分。

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09月08日

起床時刻:08時00分

09月07日

起床時刻:09時00分

『無葬社会 彷徨う遺体 変わる仏教』読了。個人的には本書の白眉は第四章の「仏教の存在意義-佐々木閑氏に聞く」だと思った。
いやー、こんなにズバズバ言っていいんですか、佐々木先生?

「佐々木 今の日本で仏教教団が何をすべきか。釈迦の仏教が絶望した人を引き受ける受け皿とすれば、日本仏教も同じように絶望した人を救わねばならないということです」
という佐々木さんの意見には日本全国の僧侶が諸手をあげて賛成するだろう。
しかし、具体的に「絶望した人を救う」とはどういうことかを聞けば、挙げた諸手をすぐにおろすだろう。というのも、絶望した人を受け入れて一緒に暮らすことが彼等を救い、ひいては社会の受け皿になることだと言うのだから(SNSで説教垂れ流すだけで絶望した人を救えると思ったら大間違い)。

「日本の寺院が社会の受け皿になれない最大の理由は、寺が家族の私有物になっていることにあるのです」と佐々木氏は言う。
「佐々木 <略>宗教法人法はやはり変える必要があると思います。僧侶が私有財産のような形態で寺を経営している場合には、それ相応の税金をかけたらいいと思います。寺が家族以外の一般の人たちに対してどれくらい門戸を開き、寺の空間を利用させているかという、その度合いによって税率を変えたらいいのです」
「ですから寺は、一般人と同じように普通に税金を払うか、それとも誰に対しても門戸を開くかの二者択一なのです。この場合、門戸を開くというのは、単に檀家さんに寄ってもらってサービスするという意味ではなく、外部の人を寺の住人と受け入れて一緒に暮らすという意味です。「寺は自分たちの固有財産だ」と思うならば税金を普通に払わなければいけない。
一方、「寺は救いを求めてきたあらゆる人が等しく利用できる共有設備だ」というのなら、そして実際、そのように門戸を開いているのなら、税金は免除されるべきでしょう。「個人財産として勝手に所有しながら、税金だけは免れたい」というのは、仏の道にもとる傲慢な考えですね」

これを聴いて「その通り」という坊さんはほとんどいないでしょうね。というのも、銀行と同じく坊さんも「晴れの日に傘を貸す」ような支援(つまりリスクゼロ)しかしたくないのですよ。
実際、絶望して行き場をなくした人を救うのは宗教法人ではなく「行政」の仕事になっており、宗教の方はお墓の代金やら管理料やらお布施やらを払える「お客様」しか相手にしたくないのです。宗教法人でも銀行でもお金がないひとは門前払いが当たり前、「市役所で相談してみてください」と言われるだけ。

あと面白かったのが、科学と教義の間で矛盾や齟齬がある場合、やたら「こころの問題」にしたがる最近の傾向について言及しているところ(佐々木さんは「こころ教」と呼んでいます)。たしかに、「極楽はあなたのこころにあるのです」というような言いまわしはよく聞く。極楽は西方にあるはずなのに。そもそも僧侶が西方に極楽があると信じられていないからなんでもかんでも「こころ」のブラックボックスにぶちこむ。ちなみに「こころ教」の頻出ワードは「こころ」と「いのち」と「生きる」だって。笑ってしまった。

そんな「こころ教」のおためごかしで救われない人は原理主義(「阿弥陀様は本当におられる。外の世界に極楽は必ずあって、そこに今も生きておられる」)の方へ行くだろうと言っています(原理主義とは別に悪い意味ではなく、本来の教団の教えをそのまま信じていく人のこと)。

まぁそうだろうね。しかしなかなかラディカルだなぁ。
著者の鵜飼さんが言うように、今、寺は文化財を盗まれたり、罰当たりな利用者が年々増えているためお寺さんも大変で、浅草の寺の住職さんなど「弁護士なしでやれない」そうで大変なんだけれど、大事な文化財は上野の博物館かどこかで保管してもらって自分のところはレプリカでも置いておけばいいんじゃないかって私は思う。
そもそも仏像すら本当はいらなくて、お釈迦様は亡くなったとき、弟子に「自らを灯明とし、法を灯明とせよ」と教え諭されているのであって、仏像を灯明とせよと言ったわけじゃない。でも仏像を灯明とするほうがいつだって簡単だよね、導く方も、信者の方も。

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09月06日(金)

起床時刻:06時15分

朝ヨガに行くため早起き。
ヨガに行って帰ってきて朝ごはん(コーヒー、青汁、鮭のソテー(晩ごはんの残り。ニンニクバター醤油)、アボカドとトマトのサラダ、作り置きのウィンナーと玉ねぎ人参のマリネ、梨、からいも団子(東急東横店の九州物産展にて購入。程よい甘さで美味しいけれど黄な粉が飛び散るw)。今日が賞味期限の団子を食べたため主食なし(こら))。

朝ご飯を食べながら、テレビをつけたら(テレ朝)、まーだ韓国の話をやっている。
タマネギ男氏の疑惑をはじめてちゃんと見たが、身内をエコヒイキしすぎ。
仮に法律上の問題がなくてもアウトだろう。

もっとも身内、特に子供をエコヒイキするというのは、人間の自然な感情ではある。
とはいえ、普通の親は手段(社会的地位や経済的優位性)がないのでたいしたことはできないのだが、エコヒイキできる手段がある親というのは、色々な手段を使って子どもをエコヒイキする。そこに「誰とかさんの子だから」という周りのエコヒイキも加わる。親のエコヒイキ+周りの忖度で、エリートの子供は競争によって蹴落とされることを免れ、エリートたる親の地位を引き継ぐようになるのだ。

「昨日の続きが今日になり、明日の続きが未来になる♪」(by The ALFEE)な世の中の場合(つまり平和な場合)、格差は広がっていく一方なのだ。これが平和のダークサイドである。
平和な世の中であることはすごくいいことなんだけど、昨日の権力者の権力が明日も明後日も続くわけだから、権力者一族のパワーは周りからの忖度も加わって、拡大しっぱなしになる。金は金のあるところに集まるように、権力は権力のあるところに集まる。

そもそも結婚というのは、だいたい同じ階層同士がするものであって(かつて女性の場合は「玉の輿」婚というのがあったが、今は減っているようにみえる)、現にこのソウル大学教授のタマネギ氏の奥さんも東洋大学の教授だそうな。そして知能はある程度遺伝することが行動遺伝学的に明らかなっているので(知能については70%以上、学力は50〜60%程度が遺伝 by安藤寿康)、両親の頭がよければ、だいたい子供の頭もいいのである。だからエコヒイキや忖度などしなくても、親がエリートなら子供もエリートコースに自然と行くものであるが(つまり遺伝的にも社会階層が固定化していくのである)、タマネギ氏の娘はパアだったために(遺伝的にいっても学力はたったの5,60%しか遺伝しないのが勉強ができない親にとっては救いだが)、色んな「下駄をはかせて」エリートコースにぶちこんできたのである。
そして周りも忖度してこぞって下駄をはかせるので(親の七光り効果もあるだろう)、エリート家庭の不出来な娘でも、エリートコースに潜りこむことができ、社会階層の固定化・社会格差の拡大化ということにつながるのだ。

つまり平和な社会のナチュラルな方向性として、社会階層は固定化し、社会格差は広がるようになるので、ますます不正を監視するジャーナリズムの重要性は増すと思うし、政府は平等主義的政策を積極的に進めるべきだと私は思うのであります(なのに日本は反対方向にすすんでいるようにみえるんですけどねぇ)。

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09月05日(木)

起床時刻:07時50分

「すでに日本の高齢者問題は未知の領域へと突入している。2014年時点で日本の65歳以上の高齢化率は25.8%であり、世界一の高齢大国。イタリアの21.5%、ドイツの21.3%を大きく引き離している。人類史上、ここまで高齢化に直面した例はない。<略>
同時に高齢者に様々な「哀しい現実」が突きつけられる。それは主に、①孤独死、②認知症、③犯罪(加害・被害両方)である」
「孤独死の定義は自治体によってまちまちだ。新宿区の場合は死後15日以上が経過してから発見されたケースを「孤独死」、死後15日未満で発見された場合を「孤立死」と定義している」
(『無葬社会 彷徨う遺体 変わる仏教』鵜飼秀徳)

(へー、孤立死と孤独死の違いは知らなかった)

新宿区にある都営住宅・戸山団地(独居老人入居率がやたら高い)の住民で、孤独死対策のNPO法人の会長へのインタビューが載っていた。
死後50日ほど経過した72歳男性の現場を目撃したことが、NPO法人を立ち上げるきっかけになったという。「壮絶な光景でした。その方はベッドで亡くなっていたのですが、部屋に重油を撒いたような状態で、人の原型を留めていませんでした。冬場というのにウジやハエがベランダから這い出していました。強烈な臭いが私の体に染み付いて取れず、三日間食事も摂る気になれませんでした」。

人に迷惑をかけてはいけません―これこそ、私たちが幼稚園の頃から言われ続けていることだが、老化とは人に迷惑をかけること、死ぬことも人に迷惑をかけることだとつくづく思う。まぁ究極的には、生きることが迷惑なのだが、それは置いておくとして。
本書で書かれている急増する孤立死・孤独死の現場と、それを片付ける(という言葉で片づけられないほど苛酷な仕事なのだが)特殊清掃の仕事を読むと、迷惑をかけずに死ぬということがどれほど大変か(特殊清掃の方へのインタビューも載っている)。

とはいえ、「人さまに迷惑をかけるな」という社会のプレッシャーは今でも十分に強く、押しつぶされそうになるときもあるので、個人的には「人さまに迷惑をかけるな」と声高に言いたくないのだが、やはり個人の心構えとしてはいつでも、いつまでも人さまに迷惑をかけないように、心身ともに健康第一を目標として頑張ることが大事だろう。しかし個人の頑張りでは如何ともしがたくなるときは来る。早い人で70代、遅い人でも80代を半ばを過ぎれば・・・。

朝食は、キューサイの冷凍青汁(夏場の私のサプリ。ファンケルの冷凍青汁の方が安いが、キューサイの冷凍青汁の方が美味しいので困る)、コーヒー、鯖のカレー煮(紀ノ国屋の缶詰)、トマトサラダ(+スライスした玉ねぎ、ブロッコリースプラウト)、バナナとヨーグルト。あまり食欲がなかったけれど、タンパク質を頑張って摂取。

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09月04日(水)

起床時刻:07時20分

昨日の8時からのニュースは韓国のタマネギ男氏の疑惑を嬉々として報じていた。11時間の聴聞委員会?にタマネギ氏が出席したと聞いて、むしろ感心した。日本の国会議員だったら間違いなく、「体調不良で入院」していただろう。
かつての日本の国会議員は都合が悪くなると「記憶にございません」を連発していたが、今は体調不良で入院して、そもそも質疑応答の場に出てこないのだ。秘書に暴行した豊田真由子氏(自民党)しかり、丸山穂高衆院議員(日本維新の会。議員のままなんだっけ?)しかり、そしてあっせん利得疑惑の上野宏史厚生労働政務官は入院こそしていないが、体調不良でトンズラ。

上野厚生労働政務官に関して。外国人労働者の受け入れが広がることは、経済界にとっては利益だろうが、一般労働者にとっては不利益なことが多いだろうと私は思っている。
その根拠というのは歴史であって、歴史を紐解くと、一般ピーポーの待遇が劇的によくなったのは、たいてい、人民の数がグッと減ったときである。ペストでヨーロッパの人口がグッと減ったあととか、戦争でグッと人口が減ったあととか。
一方、明治維新のあと、人口がグッと増えたときは、「棄民政策」という具合。そういや司馬遼太郎の『坂の上の雲』の旅順攻略における肉弾戦では、人間の命がパチンコの玉並に扱われているのを読んだけれど、人間の命をかくも湯水のように使えたのは、それはやはり、人間がいっぱいいたから、つまり次男三男がわらわらいたからなのではなかろうか?

ごく卑近な例でいえば、わたくしたち団塊ジュニア世代の悲惨さは、人数が多いことに由来しているとも思うのである。人数が多ければココロおきなく使い捨てができたのだ。企業はいつだって使い捨てしたいのだ。安い労働力として使いたおしたあとにポイ捨てした後の面倒は誰がみるのか?国である。

もちろん、例えば介護の現場など人手不足のところが多いのはわかる。しかしそういうところに人が集まるようにするためには何よりも働く人の待遇改善をしなければならないと私は思う。離職率の高さをなんとかすることの方が先決だ。そういうことに取り組まずに、安い労働力を輸入すれば、介護職は今のままの待遇が続いてしまう。
そして当然ながら介護だの家事労働だののためにきてもらった外国人労働者だって、そのうちもっといい待遇の仕事に転職するだろうから、相変わらず介護職は人手不足のままになるだろう。

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09月01日

起床時刻:07時00分

「つまり彼女は、感情的に「ひどい仕打ちを受けた」だけではなく、身体も取返しのつかないほど衰えていて、お尻と胸は痩せこけた身体の表面で縮こまりぶらぶらと垂れ下がって、欲望の対象にはならなかったしこれからもなりはしないだろう」
「これから一、二年もすれば彼女は母親になることをあきらめ、まだ完全には消え去っていない性欲が彼女を若い男漁りに駆り立て、ぼくが若い頃の言い回しで言えば、「クーガー女子」になり、それは何年か、よくすれば十何年か続き、そして身体に致命的なレベルで商品価値がなくなれば、決定的な孤独におちいるだろう」
「ソルボンヌ=パリ第三大学の准教授に就任して最初の何年かのぼくの性生活には、特記すべき展開はなかった。ぼくは、毎年のように、女子学生たちと寝た。<略>
女性の性的魅力の崩壊は驚くべき荒々しさで、ほんの何年か、時には何か月かの間に起こるが、男性の加齢はその性的な能力をとてもゆっくりしか変えないという基本的な不公平をぼくは十全に利用した」

『服従』(ミシェル・ウエルベック)より。
本書は2022年のフランス大統領選挙の決選投票で、イスラーム政権が成立するという話だが、著者のオバサンに対する痛烈な描写がなかなかグサグサくる。

“フランス男というのは、日本のロリコン男どもと違って、若さを崇拝せず、熟成されたワインを好むように年増女を好むのである”という出羽守の話をしばしば聞いたものだが、フランスの四十過ぎのインテリおじさんの最終的な夢は、料理上手なオバサン(第一夫人)と性的魅力あふれる十代女子(第二夫人)という一夫多妻制だったのである。やれやれ。

それはともかく、この小説は『西洋の自死』(ダグラス・マレー著)の中で紹介されていたから読んだのだけれど、『西洋の自死』の中野剛志氏の解説だけでも一読の価値がある。
その上で、上野宏史厚生労働政務官のあっせん利得疑惑(外国人労働者の在留資格の認定について法務省に口利きを行う見返りに、人材派遣会社「ネオキャリア」に1人あたり2万円の金銭を求めていたという。音声データを聴く限り、もはや疑惑ではないと思うが)の話を聞くと、韓国のことをヤイノヤイノ言っている場合じゃなく、自国の政治をもっとしっかり監視する必要があるとつくづく思うのだった。

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