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起床時刻推移グラフ

目標起床時刻:08:00 平均起床時刻:07:45

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12月05日(火)

起床時刻:07時30分

類は友を呼ぶというのか、私の友達の四十代半ば・独身・無職・長期のうつ病の人からくるLINEが、「若さを偏重しすぎるような世の中は間違っとる!」みたいな世の中批判か、「朝から涙がとまらない」「ベッドから起き上がれない」みたいな泣き言が多い。彼女と私を観察していて思ったのだけれど、じーっと座って自分のことをネチネチ考えるのはよくない。動いて精神にも風を入れないと!

この友人は最近もうつ状態になって、1週間ベッドから起き上がれずに、風呂も入らず、泣きながら過ごしていたらしいのだけれど、のっぴきならない事情でやっとベッドから起き上がり、外に出て忙しくしていたら、前ほど落ちこまなくなったという。
それを受けて私が「うつ病って、ある意味、”横着病”。頭ですべてを解決できると考える妄想です。考えることによって悲観的な物事が解決するのは本当にまれなことで、むしろ何らかの行動にスイッチすることによって物事は動く。だからとりあえず目先の行動に移すことです」と書いておくったら、「一般人はそう思うよね!でもうつ病は動けないんだよ!」(要約)という怒りの返信がきたんだけど、これを言ったのは一般人じゃなくて蟻塚亮二さん(精神科医)。先ほどの「」の中の文章は『THE BIG ISSUE』(日本版323号、特集”うつ”を抜く)の中に書かれていたこと(上述の文章は冊子を見ながら書いたけれど、友達におくったLINEは私が記憶していた文章だから厳密にいうと違うんだけど)。

確かにうつ病の人は体を動かすどころか「寝ているのが精いっぱい」なのかもしれない。私の友人の話を聞いていると、ものすごい重病の人(面会謝絶の絶対安静レベル)を想像してちょうどいいのかも。そんな人にちょっとでもいいから動けっていうのは無茶ですね、すみません。
ちなみに蟻塚さんの”行動”の提案は「とりあえずカバンを持つ」とか「とりあえずバナナだけ食べてみる」とかそんなレベルのこと。蟻塚さんによるとこれは「『気分本位から物事本位へ』という森田療法の方法でもあります。気分に任せるのではなく、まず”行動が心を変える”とする『ともかく主義』に徹する。心の葛藤を解決するのに心に頼らないという方法です」(引用元は↑と同じ)。それにもし、どうしようなくなったらトンズラするのもいいと書いてある。私も同感。そしてトンズラだって動いて風を入れることだ。

私はこれを読んで「いいことを言われているな」と思ったけれど、それは自分がうつ病ではないからかもしれない。そう、私はうつ病ではないのだから、こまめに動いて、新しい考えや人にもオープンに接し、感謝の気持ちで過ごさないと、アカン!!と思ったことでありました。

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12月04日(月)

起床時刻:07時30分

『内向型人間の時代』をパラパラと読む。
私は絶対的に内向型だという自信がある。修学旅行とか文化祭とか体育祭とかキャンプとか合宿とか部活とかそもそも学校とか、全部が全部大嫌いだったのは、私が一人でいることが大好きな内向的な性格で、集団というものになじめないタイプだからだと思うのだ。

本書の中の内向型人間かどうかのチェックリストも、全部当てはまるだろうぐらいの自信でやってみたら、あてはまらないこともそこそこあった。例えば「聞き上手だと言われる」(言われたことない)、「考えてから話す傾向がある」(思いつきで話す)、「『物静かだ』、『落ち着いている』と言われれる」(言われたことない。それどころか子供のころは「落ち着きがない」と言われていた)などで、「私は絶対に内向型だ!」という自信が揺らいでくる。

また、本書では内向型人間の長所として、芯の強さとか謙虚さとか粘り強さとか慎重さとか鋭い洞察力とか緻密な計画性とか圧倒的な集中力とか創造性とかそういうのが列挙され、その具体的な例として、男性ではガンジーとか、アインシュタインとか、ダーウィンとか、ビル・ゲイツとか、ヒューレット・パッカードの創始者とか、アル・ゴアとか、女性ではローザ・パークスにエレノア・ルーズベルト、そして著者(ハーバード大学ロースクールを出て、内向型であったにもかかわらず内向型にふさわしい戦略のおかげで弁護士としても優秀だったそうな)などが挙げられているんだけれど、これまた私と全く共通点がない。そういうすごい人出されて、だから内向型人間ってすごいんだと言われても、「すみません、私内向型じゃなかったみたいです。えっと出口はこっちですか?」っていう気がしてきたわけだ。

どうやら私は外向型ではないのは確かだが、内向型でもなく、ただのダメ人間型だったようだ。『ダメ人間型の時代』が来ることはなかろう。

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12月03日

起床時刻:08時00分

金井美恵子の『カストロの尻』を読んでいたら、「<前略。ものすごく長い略>・・・、台所の板の間の壁に造り付けになっている頑丈な木のネズミ入ラズ(長いこと使っているので、煮た魚や野菜の匂いが木に染み込んでいる)の戸におっかっかって、なんとなく溜息をつき、・・・・<以下後略。ものすごく長い略>」とあり、「おっかかって」ではなく「寄っかかって」ではなかろうか、さしずめ「おっかかる」は、この小説の舞台である、戦後の貧しい時代の地方都市(おそらく作者の出身地の群馬あたり)の方言だろうと思いながらネットで調べたら『大辞林』にも載っている言葉であった。なんと。こうやって自分が知らない言葉を「方言」もしくは「間違った日本語」と決めつけるのはいかんなと反省。私がどれだけ日本語を知っているというのだ。でもネット情報によると、やっぱり群馬や茨城など北関東でよく使われる言葉みたいね。

ちなみに私の出身地、福岡県筑後地方では「寄りかかる」ことを「ねんかかる」と言っていた(「壁にねんかからんと!(壁に寄りかからないの!)」という風に言う)。
だから先に引用した文章は「頑丈な木のネズミ入ラズ(略)の戸にねんかかって、なんとなく溜息をつき、」となるわけだが、万が一「ねんかかる」も標準語だったらどうしよう(どうもしないけど)と思って調べたら、こちらは安心の方言であった。調べると「なんかかる」ともいうらしい。もともとは「寝っかかる」からきていそうなので、「そこは”ねんかかる”やろうもん?」と言いたくなるが、こうやってよく調べもせず知りもしないことを断定的に言うのもよくないことである。

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12月01日(金)

起床時刻:08時00分

今朝も起きられなかった!起きる気ないだろ説。
夕飯は(日中のこと省略しすぎw)、一日たって味がしみてえらく美味しくなった昨日のナメタガレイの煮つけや紫キャベツのマリネ、千葉県産半立種の新豆のピーナッツ(このピーナッツは生産者がいいのか、品種がいいのか、コクがあって本当に美味しい)などをつまみに、「白霧島」のお湯割りを2杯ほど(完全に居酒屋)。

録画した『科捜研の女』を見ながら晩酌したんだけど(ちょっとネタバレする)、マリコさん、最後に罪を犯した女の警官をビンタしていた。相手が犯罪者とはいえ、いいのかね、ビンタなんかして・・・・・・。ドラマではもっとビンタに値するクズな犯罪者もいっぱい出てくるのだが(何しろ毎週殺人事件が起こっているからなw科捜研の京都ではw)、マリコさんだって毎週毎週ビンタしているわけではない。今回のマリコさんは、同じ警察官という身内ゆえ思い入れも強く、手が出たということだろうか。しかし、土門さん(とか日馬富士関)がビンタしたらシャレにならんだろう。ある意味女だから許されるというか。それはそれで甘えだと思う。男がやったらダメなことは女がやってもダメだし、逆もまた然りである。ビール瓶で殴ったわけじゃないからセーフ、一発ならセーフ、とか言われそうだけれど、暴力は素手だろうが、一発だろうがダメだ。もちろん、愛情から殴ったのでセーフというのもありえない。それこそ今回のドラマのように目的のために違法な手段を選んだ彼女と同じである。目的(愛情)は正しくても手段(暴力)が許されないものであれば、その行為は正当化されないのである。
まぁテレビドラマなんてものは、単純化した話に安っぽい演出がつきものとはいえ、暴力に対して日本社会はどこか甘いんじゃないかと思ったことでありました。

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