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起床時刻推移グラフ

目標起床時刻:08:00 平均起床時刻:08:28

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01月07日

起床時刻:08時00分

『昔話はなぜ、お爺さんとお婆さんが主役なのか』(大塚ひかり)を読む。
軽快な語り口で、昔の社会における老人の地位の低さを明らかにしていく。面白くて一日で読んでしまった。

「舌切り雀」の源流ともいえる『宇治拾遺物語』の「雀報恩事(すずめほうおんのこと)」は二人の老婆の話。「二人は隣同士の老婆で、ともに子や孫と同居しており、揃って家族に小馬鹿にされて」いる。悪ガキどもに石を投げつけられ腰の折れた雀を主人公の”六十ばかり”の女が介抱していると、子や孫は「もうろくしてなさる」と”憎み笑”いしてバカにするのだが、雀がお礼に空から落としてくれた瓢(ひさこ)の種から食えども尽きぬ白米が出てきて金持ちになる。
つらいのは隣の家のお婆さんで彼女は子供に「同じ年寄りでも、お隣さんはあんななのに、こちらは大したこともおできにならぬ」(”同じ事なれど、人はかくこそあれ。はかばかしき事もえし出で給はぬ”)と嫌味を言われたので、スズメを助けて金持ちになった方のお婆さんに瓢の種を一つでいいからくださいと頼むのだが、この優しいはずのお婆さんは断る。そう、みんなが瓢の種を持てば、種の稀少性がなくなり、オバアサンの価値は急落する。価値とは所詮相対的なものだからだ。

隣のお婆さんは仕方なく腰の折れた雀を探すが、そうそう都合よく見つかるはずもなく、自分で三羽の雀の腰骨を折るが(一羽であれだけ得をしたのだから三羽もいればもっと得をするに違いないという理由で)、「それもひとえに”あの隣の女(主人公の六十女)にはまさりて、子どもにほめられん”という一心からでした」。
やがて腰の治った雀が瓢の種を持ってくると、「女は満面の笑みで、『大したこともできないと言ったが、私は隣の女より優れているだろう』(”はかばかしき事し出でずといひしかど、我は隣の女にはまさりなん”)」。
ま、中から毒虫が出てきて、子供を刺した上に当のおばあさんは刺殺されてしまうのだが。

文庫版あとがきの中で著者は昔話にもし教訓があるとしたら、それは現実の厳しさを教えてくれていることに尽きる、と書いているが、確かにこの物語も「老人は”役立たず”として家庭において冷遇される」、「ただし金があればちやほやされる」、「隣にはだいたい嫌な奴が住んでいる」、「ヒトは何かというと隣と比べて張り合う」、「お隣の家族構成における自分ポジションの人間が自分よりも”上”だと悲惨(例:「お隣の○○君は医学部に受かったのに、あんたときたら」)」といった「現実の厳しさ」を教えてくれているわけか。

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01月04日(水)

起床時刻:07時50分

01月03日(火)

起床時刻:10時30分

今日は某所でピラティスの体験クラスを受講。
ストレッチというか、リハビリのような感じで(まぁもともとドイツ人ピラティスさんが、負傷兵のリハビリを想定して考案したものが”ピラティス”、と聞いたことがあるから正しいのかもしれないけどw)、ぬるすぎた。。。
運動した感がゼロ。だって息を吸ったり吐いたりが半分くらいで、あとは腕を上げたり下げたりで、本当にたいした動きがないんだもん。負傷兵じゃないんだから、もうちょっと運動したいw。
インストラクターさんはすごく感じのいい方で、なんの不満もないのだけど、いくらなんでもぬるい。
インナーマッスルを鍛えるのが目的だそうだけれど、私はむしろヒップアップしたい。そして、息を吸ったり吐いたりするだけでは絶対にヒップアップしないと思う。
というわけで、継続はなしだなあ。
やっぱりスクワットが最強か、、、タダだしね、、、。

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01月02日(月)

起床時刻:08時30分

今年の読み初めは『大脱出』(アンガス・ディートン)。
”大脱出”とは人類の貧乏と病気からのThe Grate Escapeである。
本書の前半は、いかに人類が健康で長生きになってきたか、という話である。
一人あたりGDPが高いほど平均余命も高い。
ロシアは一人あたりGDPから予想されるよりも平均余命が低い。
ソ連崩壊後のゴタゴタから、ただでさえ多いアルコール消費がさらに増え、ストレスやらなんやらで、ロシアをはじめとする旧ソ連諸国は平均余命(と人生満足度も)が所得水準に比べて低い。まぁここまでは「でしょうね」だが、ディートンによると、ひょっとしたらGDPを水増ししている可能性もあるという。「これらの国々では、一つの経済体制から別の経済体制への移行によって所得の測定が困難になった。数字が実際よりも誇張されている可能性があるのだ」。へえ、その発想はなかったわwなるほどなあ、そもそも数字が違うって可能性もあるのか。というか、もし私がP48のグラフをつくったとしたら、私が数字のコピペ間違いをしている可能性が一番高い。

今年の目標は事務ミスをしないこと。去年は仕事納めの日にまで二件もミスしちまったからなあ。請求書の枚数が5枚以上になると、必ず請求書を作り間違える。どんだけキャパシティが小さいんだ。
生物学者のトーマス・ハクスリーは「常に何が真理かを見抜き、常に適切な行動をとるのが私の望みだ。そのためには、時計のようなものになって、毎朝ベッドから出る前にねじを巻かねばならないとしても、私は喜んでその代償を払う」と言ったらしいが(『不合理』(スチュアート・サザーランド)から孫引き)、私はケアレスミスをしないようになるのなら、時計のようなものになって、毎朝ベッドから出る前にねじを喜んで巻くわ。

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01月01日

起床時刻:07時30分

あけましておめでとうございます。
正月に思い出す句といえば、高浜虚子の「草の戸に賀状ちらほら目出度さよ」でありますが、「草の戸が聞いて驚く一戸建て」(by pyaaa)とも思うのであります。そしてもし字余りが許されるならば「草の戸が聞いて驚く一戸建て(しかも鎌倉)」(by pyaaa)なのであります。もっとも鎌倉の高浜虚子の家に「賀状ちらほら」ってことはありえませんから、他人の「草の戸」の様子を詠んだのでしょう。
それにしても「草の戸」とはいったい何ぞや?オンライン辞書(デジタル大辞泉)によると「1.草で屋根をふいた庵(いおり)の木戸。草庵の戸。2.簡素なわび住まい。草庵」という意味らしいけれど、「草で屋根をふいた庵」に住んでいる人なんかまず見たことない。『建築史的モンダイ』(藤森照信)という面白い本の「屋根の国、ニッポン」という章によると、各種屋根葺き材で一番高価なのはダントツで檜皮で、ちょっと前の(執筆時の「ちょっと前」だから今現在からするとだいぶ前の)、坪単価にして50万円。ついで、杮(こけら)が30万、茅だって20万もするのである。ちなみに瓦が2.5万、人造スレートが1.8万というのだから、草で屋根をふいた庵ってようするに茅葺だろうけれど、瓦屋根の8倍もの値段がかかるのだから自宅が草庵の人を見たことが無くても、それは当然至極なのであります。
そんなわけで、「草の戸」は「簡素なわび住まい」という意味で使っているんだろうけど、「わび住まい」っていうのも意味がよくわからない。オンライン辞書(大辞林第三版)によると「1.閑静な住居。また、閑静な趣を楽しむ生活。2.貧しい家。貧乏な暮らし。」とある。なるほど1と2では、だいぶ意味が違うから私も混乱したのだろう。おそらく、1の意味で使われることが多いんだろうな。「草の戸」や「わび住まい」という言葉には何か余裕が漂っているもの。あるいは単なる謙遜の表現だろう。・・・などと、正月からすごくどうでもいいことを長々と書いてしまった。

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