20140704(金) <<前日 | 翌日>>

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今日の気分(本文)

最近、会社でもやる気がせず、インターネットを見ている。
『どうする?40代からのファッション&生き方』というブログに「「片づけ」は、人生の単調さや孤独に耐性がなければ困難だ」というタイトルの記事があった。ブログ主のカリーナさんは「片づけられない症候群」の友人の話を紹介したあと、このように書いている。

「お腹がすいているときに
好物をつくるエネルギーなら出やすい。
お菓子が食べたくなったときに
コンビニに走るエネルギーも出やすい。

読みたい漫画を探そうと
本棚の本をすべて外に出して見つけだすのは簡単。
一枚の服を探して
クローゼットの中のものを全部引っ張り出して見つけるのも簡単。
欲望が後押ししてくれるから。

でも、「片づけ」はむずかしい。
後押ししてくれる欲望がないもん。
もう、衝動は残っていないし、
あるのはうんざりする残骸と疲労感だけ。

片付けって
大人になることの
終わりのない単調さと
誰も助けてくれない孤独とを
象徴していると思う。」
とあった。

「片付け」という言葉で私が思い出すのは次のヴィスワヴァ・シンボルスカの「終わりと始まり」という詩。前も引用したことあるけど、冒頭はこんな感じ。

「戦争が終わるたびに
誰かが後片付けをしなければならない
何といっても、ひとりでに物事が
それなりに片づいてくれるわけではないのだから」

散らかす行為は価値の創造として、スポットライトがあたる。欲望を充足させる行為だから。けれども、散らかした後の片付ける行為の無視されようはどうだ。散らかす連中は後片付けをしない。自分たちが散らかした後はひとりでに片付くとでも思っているのだろう。

「片付け」というのは「見えない」労働だ。労働とすら思われていない労働。「常態を保つ」という一見簡単そうに見えることにもエネルギーがかかっていることを誰も知らない。片付け担当以外は。
誰からも注目されず、誰からも評価されない仕事。
「後片付け」などというのは、何かを生み出す能力のない無能な人間のやる無能な仕事だと思われている(「ときめき片付け」創始者のコンマリ氏みたいのは違いますよ、ああいうのは「ときめき片付け」のクリエイターですからね)。クリエイターの後ろからついてまわって、彼らの散らかした残骸をゴミにまとめたり、引き出しに戻したり、する仕事。

むなしい。面白くない。つまらない。感謝されない。誰でもできる半端仕事。でも実は結構エネルギー使う。
それが雑事ってやつだ。人生はこんなものに満ちている。大人になることが雑事を引き受けることなら、日常のほとんどの時間はむなしく、面白くなく、つまらない。そりゃ子供からみたら「よくそんなつまんない人生でヘーキでいられるよね?」と思うのも当然だろう。子供が散らかし、大人が片付ける。しかも誰からも評価されないんだよねw。