20190911(水) <<前日 | 翌日>>

起床時刻: 08時00分

今日の気分(本文)

ヨガはさぼり。体脂肪率が29.5%、体重が45.5キロほど。
身長160センチなので痩せてはいるが、体脂肪率がやばい。サルコペニア肥満だ。
最近の体脂肪率と体重の上昇は、毎晩白ワインを飲んで、ポテチやハーゲンダッツを食べているせいか、単なる老化か。

昨日は昼間っから飲みたい気分だったが、さすがに仕事中なのでランチで飲むのはやめた。
暇なので会社でおやつを食べながら(これも体脂肪率の上昇に一役買っているだろう)、だらだらネットを見ていた。家の掃除でもした方がよほど有意義なのだが、会社にいなきゃいけないので仕方ない。
会社に関しては不満はない。遅刻はし放題だし、仕事は簡単だし、責任はないし、残業もほぼないし、スーダラ節を地で行く実に気楽な稼業である。

私の仕事は、単純作業だ。
銀行ATMを人の手でやるようなもの、と思ってもらえれば一番近いだろう。
つまり、「早く正確にやること」だけが要求される仕事だ。
人間というのは、「早く正確にやること」に向いていない。
少なくとも私は向いていない。ATMと違って仕事はたまにしかないから、そこはとてもいいんだけれど、嫌いな仕事であることに変わりはない。

ATMがやっている仕事、つまり素早くお札の枚数を数えて正しくお客に出すという仕事はとても大事な仕事だが、人間でその仕事をやりたい、それも一日中やりたいという人はあまりいないだろう。

私は別れた夫から私の頭が「年々、悪くなっている」と指摘されたが、それは老化のせいもあるだろうが、仕事のせいでもある。単純作業(=人間ATMになる)に従事しているとバカになっていくのだ。私が言っているのではなく、天才的に頭のいいアダム・スミスが言っているのだから、間違いない。

彼は分業にともなう単純作業についてこんなことを書いている。

「分業の発達とともに、労働で生計を立てている人びとの大多数、すなわち大半の国民の勤め先は、ごくわずかな、たいていのばあいはひとつか二つの単純作業に限定されてしまう。しかるに、大半の人間の理解力が、普段どのような職に就いているかに応じて形成されるのは避けがたい。全生涯を若干の単純作業に、しかもおそらくその結果もまたつねに変わりばえのしない、もしくはほとんど似たような結果にしかならない作業の遂行に費やすひとが、難題を克服するためのやりくりを見出すべく自分の理解力をはたらかせたり、創意工夫を発揮したりする機会に恵まれることはまずない。なにしろ、そんな難題はまず起こることがない。結果として、この人間からは知性のそうした発揮の習慣がすっかり奪われ、概して神の被造物たる人間としてなしうるかぎり愚かで無知な存在になりさがってしまう。その精神は麻痺して、理知的な会話に興じたり、それどころか参加することさえできなくなり、なんであれ寛大で高貴な、ないし温和な感情をいだくこともなくなり、その結果私生活のうえでの日常的義務にかかわる多くの問題にかんしてさえ、まともな判断を下せなくなってしまう。(中略)自分自身の特定の職業における手際のよさというものは、みずからの知的で社会的、かつ勇敢な徳を犠牲とすることで獲得されるものだと思われる。しかるに、どのように改良され、文明化された社会でも、これこそが政府よってなんらかの対策が施されないかいぎりは、労働貧民すなわち国民の大多数が必然的に陥らざるをえない状況だ」
(アダム・スミス『国富論』大河内一男監訳、中公文庫第三巻143-144頁。ただしラース・スヴェンセン(小須田健訳)の『働くことの哲学』(紀伊國屋書店)から孫引き)

「概して神の被造物たる人間としてなしうるかぎり愚かで無知な存在になりさがってしまう」とは、さすがに言いすぎだと思うが(苦笑)、私のような労働貧民は「知性・社会性・勇敢さ」といった「徳」は放っておくとどんどん摩耗してなくなっちゃうのだ。
かといって、白ワインに逃避したら、アルコールは脳を委縮させるから、アホが加速するだけで、余計悪いんだけどねえ。