20190915 <<前日 | 翌日>>

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今日の気分(本文)

今日はヨガに行ってきた。
なかなかの運動量で汗びっしょり。
しかしヨガに3年くらいは通っているのに、まったくポーズがとれなくて、ひたすら憂鬱な気分になる。運動した後は気分があがることが科学的に証明されているのに、わたしはそんなこと全然なく、運動した後に落ち込んでしまう。

あーあ、私って何やってもダメ。

そんな気分で家に帰ってきたので、気持ちを慰めるために白ワインを飲み、お昼ごはんを食べて(朝の残りのオムレツとキャベツとトマトのスープ、レンコンときゅうりのサラダ、くるみ入りキャロットラペ、冷凍のパスタ。落ち込んでいる割によく食うぜ)、『食いつめものブルース』(山田泰司・日経BP・2017年11月)を読んだ(後半はちょっと斜め読みになってしまったが)。

上海に出てきた中国の農民工のルポルタージュで(上海人の田舎出身農民工(安徽省が多いそうだが)に対する見下し感がすごい)、彼等と著者との交流録といった感じでもある。いい点は7、8年程度のタイムスパンで書かれていること。何しろ、中国は経済も人生も浮き沈みがとっても激しいようなので、一時点を切り取って書かれても見誤ってしまうだろうから。日本は失われた20年で、ずーっと低空飛行って感じだと思うのだが。少なくとも私の生活はずーっと似たり寄ったりの低空飛行である。

シングルマザーのチャオさんという人が出てくるのだけれど、びっくりしたことに中国は未婚の母は違法で罰金(社会扶養費)を払わされる。これが低収入の人にはものすごい負担なんだそう。
それはともかく、彼女は職を転々としているが、ASUSの製造工場で働いたりもしていて、彼女(社会人十年目)も学校を出た手の十八歳の新人でも同じ給料なんだそうで、「ライン工はいつまでたってもライン工だし、給料も最低水準のままで終わる人がほとんどなんだと改めて思い知りました」とのこと。
それを言うなら、私も事務的ライン工だから、40歳のときの私の時給は1600円で、弊社の大学生のインターン(中国の子も何人かきている)は1500円なんで、20年働いても、まったくあがらないのである。

37歳になったチャオさんは最近(2017年)、愚痴っぽくなっているらしい。著者によると彼女のSNSは「この半年、他人の運の良さと、自分の運の悪さを嘆く投稿が目立って増えてきた」という。
「「バスの中から外を眺めている。世の中にはこんなに自家用車が溢れている。皆、なんて運がいいのだろう。そして自分はなぜクルマ一台買えないほど運が悪いのだろう」
「仕事の帰り道。ここにもまたマンションを建てている。ここに住めるラッキーな人はいったいだれなのだろう。そしてそのラッキーな人がなぜ、私ではないのだろう」
というように。
<略>
再開発長者の生活を横目で見ながらボロアパートに暮らし判で押したような毎日を送っているうちに、チャオさんは運でしか人生の価値を測れなくなりつつあるように思えて仕方がなかった」

ま、私もそうだけどね。ボロアパートじゃなくてデザイナーズ物件に住んではいるが。
運が全てとはいわないが、人間「運が8割」だと思う。
もちろん、圧倒的に能力が優れている人は、寅さんの主題歌のように「ドブに落ちても 根のある奴はいつかは 蓮の花と咲く」だろうけど、たいていの凡人はドブに落ちたらもう終わりじゃなかろうか。努力して報われるということもない。

たとえば努力の指標としての学力。今の会社で、おそらく社長以外は、みんな高校時代の偏差値は私より下だと思うんだけど(出身大学や学部から推察するに)、私より給料はずっといいんだもんな(と言えるのは、私は経理もやってるからみんなの給料を知っているのである)。
もちろん、学力は仕事の出来不出来とは関係ないし、大学教育は、時間と金の無駄遣いであってなんの意味もないから、不公平というわけではないが。

もっとも、私は正社員になれたから、時給1600円の世界から脱出できて、給料がだいぶ上がり、一人暮らしが楽にできてはいるけれど、それもまさに運なのだよ。
たまたま。偶然。ラッキー。
人口が減ってきたことによる人手不足が一番の原因だとは思うけれど、そういう時代になったのも運だからねえ。