201011 <<先月 | 翌月>>

起床時刻推移グラフ

目標起床時刻:08:00 平均起床時刻:11:13

起床時刻の記録 ▼新しい順 ▲古い順 RSS

11月30日(火)

起床時刻:08時05分

『おまえが若者を語るな!』の続き。印象論で若者を語るな、証拠を示せという著者の主張に対する一番シンプルな反論は「そんなこと言うならオルテガはどうなる?リースマンはどうなる?」というものであろう。つまり自分は、一を聞いて十を知る顔回みたいな人間だから、「ソース:自分のまわり」で全部を語っていいんだよ!というえらそーな反論である。

それに対してはこちらもシンプルに実害があるから語っちゃいけないんだよといえばいいであろう。例えば知り合いの中国人が厚顔無恥な嫌なやつだったとして、それが全中国人を代表していると主張するのは間違っている上に中国人にとっても実害がある。だからやっちゃいけないんだよという実に簡単明快な論理である。

それにしても著者は頑張った。
よくこれだけ、イライラする本を全部読んだものだ(ちゃんと参考文献が掲載されている)。

ひとつ確実にいえることは
「トンカチしか持っていない人には、すべての問題がクギに見えてしまう」
(-A.マズロー 心理学者 1908-1970)
ということだ。

「若者論」というトンカチを持っているモノにはすべての問題がクギ(若者由来)にみえてしまうのである。

日別画面へ

11月29日(月)

起床時刻:09時15分

『おまえが若者を語るな!』(後藤和智・角川書店)を読んだ。
印象論でしかないテキトーな世代論こそが、若者バッシングの源泉となり、不毛な世代論争を産んだのである!という憤りの本。著者はまず、そのテキトー世代論の元祖である宮台真司と香山リカを批判する(続いて東浩紀、鈴木謙介、三浦展、藤原正彦、寺脇研、その他もろもろを俎上にのせる)。

もっとも、個人的には、人間は生きていく際に、必然的に時間的・空間的影響を受けるものであるから、「世代論」的切り口が完全に無効だとは思わないんですが、ありとあらゆる一般論(国民性とか男女の性差とか)と同様に、慎重な検討が必要だと思う。

ある「世代」に特徴的なことは統計的・学術的裏づけが必要であることはいうまでもないけれどそれがその世代に特徴なことなのか、それともその年代に伴う生物学的傾向なのかは峻別する必要がある。
例えば「若者は老人よりも肉が好きである」という調査結果が出たとしよう。それが最近の若者の特徴なのか、それとも百年前もそうだったのかを言うためには時系列的な差をみなくちゃいけない。だから単発のアンケート調査だけで世代論を語ることはできないんである。

問題は、多くの世代論はこのレベルの実証さえも伴っていないことである。だいたい、「最近のうちの学生をみていて思ったんだけど」「電車の中の若者をみて思ったんだけど」「新聞で読んだんだけど」レベル。わたくしのような、そこらへんのおっさん、おばさんの飲み屋の会話じゃあるまいし、脱力するしかない。

例えば香山リカ(&その他もろもろ)は若者の間の右傾化「ぷちナショナリズム」を危惧する。
でもそれってどこから出てきたのだろうか。「2chみてて思った→マスコミがとりあげる→やっぱりね」のループであろうか。

ナショナリズムってどういうのかよくわかんないけど、例えば統計数理研究所では、1953年以来5年ごとに「日本人の国民性調査」を実施している(素晴らしいことに年代別のブレイクでも調査結果がみられる)。その中に「日本人は西洋人とくらべて、ひとくちでいえばすぐれていると思いますか、それとも劣っていると思いますか?」という問いがあるんだけれど(選択肢は1 すぐれている、2 劣っている、3 同じだ、4 ひとくちではいえない、5 その他[記入])、ナショナリストならYESと答えるであろうと想定してナショナリズムの世代別盛り上がりをみてみる。

この問いに対し、時系列的にみて「すぐれている」と回答したのは1968年の20代が一番高い(46%)。直近の2008年の20代は24%でしかない(ちなみにその前の調査、2003年においては12%である)。一番多かった回答は「同じだ」の38%である。

つまり今の60代が一番ナショナリスティックであろうと思われるのである。そう思って、60代の回答の推移をみてみると、1968年の60代で「すぐれている」と答えたものは37%であるのに対し、2008年の60代では48%になっている。「同じだ」はちなみに22%でしかない。

おわかりであろう。
時系列的にみても、2008年の一時点をとってみても、「日本人は西洋人とくらべて、ひとくちでいえばすぐれている」と思うのは今の60代なのである。

著者が「ここ数年のナショナリズム的な言説を見る限り、むしろ若者論こそがナショナリズムに親和的である」としてその代表格に藤原正彦の『国家の品格』をあげているが、調査結果もそれを裏付けているように思える。

言い換えれば最近の60代の「ぷちナショナリズム」を香山リカよりももっと説得力をもってなげくことはいくらでもできるのである(その理由だっていくらでも考えつく)。「最近の年寄りの間の危険な思想風潮」を若者が危惧したっていいのにしないのは、正直年寄りになんぞ興味がないからであろう。
一方で年寄りが若者にストーカー並に粘着するのは、ヒマだからか、若さに憧れているのか、よくわかんないけどねぇ。

日別画面へ

11月28日

起床時刻:09時00分

□エニシャチョーが「F○14のライバルはWoWになる(キリッ」発言してたらしい。ずうずうしいにもほどがある。

WoWのBlizzard社社長が語る成功するゲーム会社の十戒↓。

1.市場のニーズを知れ
2.ブランドを守れ
3.早めにゲームをリリースしてしまおうなんて思うな
4.何でもアイデアを取り込もうなんて考えないこと
5.需要を考えよう
6.人材確保をないがしろにしてはならない
7.MMORPGではゲーム開発だけで満足すべきではない
8.意思伝達を怠るな
9.金儲けを企む輩は排除せよ
10.ゲームテストは余裕を持って

□エニ社長さんのやっていることって全部真逆で笑うしかない。

「賃金が高いくせに生産性の低い社員を切り捨てれば問題解決」と□エニ社長がいうならば、真っ先に自分が切りすてられるべきなんだけれど、新自由主義的発想の人ってなぜか「自分は別」と思ってるんだよね。

別にね、日本の経営者が新自由主義的発想で、安い移民労働者をいれなければ日本は生き残れないといきまくのは自由だけど、それをいうなら経営者も全部、もっと優秀な外国人にしちまえば?と思うわけ。ダブスタなんだよね。

アメリカに本社のある企業の日本法人で働いていたとき、ときどき本社からお偉いさんがつかえない日本人幹部連中を叱咤するためにやってくるんだけどさ、その本社のお偉いさん連中に日本人がいたためしがない。多国籍企業なんだけど、日本人はいないの。インド人の幹部はけっこういる。インド系アメリカ人ではなくてバリバリのインド英語だったから、インドで育ってアメリカの企業に入って出世したんだと思う。そういやペプシコのCEOもインド人女性だったな(今はどうかしらないけど)。

「日本での実績」というバックボーンを背負わずに、本社で出世するような日本人めったにいない。「オマエ、ぜひ本社に来てくれ」というような人材が一人もいないわけ。だいたい、本社の偉い人がきたときの上司(日本人)の指示って「そそうのないように」レベルだしw。

だから新自由主義的政策を推し進めるのだとしたら、経営者やら経団連幹部や大学教授が、インド人や中国人をはじめとする優秀な外国人になるのが必然であろう。我々日本人は、元管理職だろうが、元幹部だろうが、ただの非正規雇用者となって、これまたインド人や中国人の移民と競争するというのが、日本が真に競争力をつける方策じゃないのか。ま、個人的には反対だけどね。

日別画面へ

11月27日

起床時刻:13時30分

F○11やめてF○14をはじめた人が11に帰ってきたんだけど、11で飼いなさらされた人でも14はないわ、さすがにこれはないわ、な仕様らしいね。Amazonをみたら、☆一つ評価の羅列で大笑いだった。

オンラインゲームって儲かりますからね。11が衰退してきたから、14出してまた儲けようっていう魂胆なんでしょう。

二つの理由からネトゲはドル箱なんですよ。
私たちが消費するとき、脳内では「商品獲得による直接的な満足感と、同時に発生する代価支払いへの苦痛との間で起こる、快楽主義的な抗争」(ナットソン)がおこる。言い換えれば、支払いの苦痛を減らせば、今よりも多くの消費を喚起できるわけ。
また、人間には現状維持をしたがる傾向があるから、携帯電話のキャリアなんかでもそうだけど、よほどの理由がない限り一度決めたことをかえない。
つまり、オンラインゲームの課金をクレジットカード引き落としにしておけば、人々は支払いの苦痛を意識せず、継続的に遊ぶ可能性が高いのだ。

この会社の意思決定を老舗洋食屋に例えるとこんなかんじだろう。

シャチョー:うちのメニューで一番利益率高いのは、カレーだお!最新版のカレーを出してまた儲けるお!

シャチョー:もっと給料をもらうために(ちなみにW社長の報酬は2億4千万らしい。ほんとかどうかしらんが)、ベテランシェフを全部首切るお!かわりに賃金の安い中国人のバイトにつくってもらうお!
(シャチョーついった発言「社員の1/3を20代にしたら問題の7割は片付くんじゃないかな」「正社員制度をなくせば雇用問題は解決する」、そして大量社員解雇→中国に開発まるなげ)

シャチョー:「あ、もうすぐ決算だお!早く発売するお!」
社員:「社長、まだカレールーも入れてませんし、味見もしてません!」
シャチョー:「かまわないお!食べる人が味付けすればいいんだお!」
(CESA主催の記者懇談会での社長発言:「デバッグ処理はユーザーにやらせれば開発コスト削減できる」)

大げさなうたい文句で新カレーを発売したが、カレーにすらなっていないうえに、具がギョーザだったという罠(チョコボの表記が「馬鳥」、ガードが「盾備」、ヘヴィスラストが「搦槍」、ファストキャストが「奥儀:早詠」とかになっていて、運営が異例の謝罪をする)

しかも、具のジャガイモがくさっていたので、ジャガイモを全部とりかえる作業をしてくれるバイトを大量募集
(□エニの求人広告がまたふるっていて、「漠然とした制作意図から自分で設計を進められる人」「きちんとした日本語で文章が書ける方」の契約社員を募集中らしい)

社員:「シャチョー、客が一人もいなくなりました!外から人が見に来て笑っています><」
シャチョー:「窓にスモークはって外から中を見られなくすれば、解決だお!」
(11/26のヴァージョンアップでサーバー人口が表示されないように修正。「過疎傾向を隠蔽か」といわれる)

ほんと、完全ネタ企業になってるなw。
このまま過去の遺産を食い潰す焼畑農業経営を続けていれば、中国企業に買収されるだろうと預言しておこう。

日別画面へ

11月26日(金)

起床時刻:不明

昨日、会社に行ったらAM4:00前にメールが入っていたんですけど……。まぁ、この業界ではよくあることなんですが。

『日本の幸福度』の「第5章 失業と幸福度」ではアンケート調査を用いて実証的に分析した結果、所得水準をコントロールしても「失業や失業不安は幸福度を低くする」という結論が得られたという。
「本章の結果に基づけば、人々の主観的な厚生水準(幸福度)を引き上げるためには、失業者への金銭的な再分配を行うよりも、同額の資金で仕事を創出したほうが効果的であるということになる」(大竹文雄)。

……えーっと。
つまりはアレだよね、生活保護をあげるよりも生活保護と同水準での仕事をあげたほうが幸福度は高まるということになるというわけだよね。

でもさー、2章の結果をみると、「所得などを調整しても、パートで働いている主婦は、無職の主婦より不幸である。このことは労働が負の効用をもたらすと解釈できる」とあるし。4章でも「日本では、非労働力から雇用状態になった場合、幸福度が低下している。これは所得の変化を一定にしたものではないが、就業による所得の上昇よりも、労働時間の増加による負効用の程度が上回っている可能性がある」とある。

2章での結果をみると、職業別に幸福度が高いのは、管理職・専門職・無職の主婦(主夫)・学生である。
管理職や専門職といったある程度自分の裁量がきく職種ならともかく(もっとも、ここは要検討だと思うけど)、無職の学生や主婦がハッピーというのは労働は負効用だからに他ならない。

なのになぜ、失業状態よりも、非正規だろうがなんだろうが雇用されたいと願うのだろうか。この分析をしたほうがよほど有意だと思う。

といいつつ、分析をするまでもない。経済学者に息子がいたとして、彼が大学を卒業して以来の無職、無職一筋15年で今年37才のエリート無職だったとしよう。
息子が「労働は負効用だから、親のすねがあるかぎり、働かない」と経済合理的なことを言ったとして、親が「デスヨネ~」と思うかというと、そんなことはないだろう。

「オタクのお子さん、今は何をしてらっしゃるの?」
「無職です」
と堂々と胸をはって、パパンはこたえられるか?という問題だ。
つまり、失業者が不幸なのは世間の目という理由がかなり大きいのではないか。

実際、調査結果によれば、失業率の高い地域では失業による幸福度の低下が低い。みんな失業していれば、世間の目も風当たりもそれほど厳しくないのだ。
そして主婦や学生が無職のくせにハッピーなのは、「主婦だから」「学生だから」という建前があるので、堂々としていられるからだ。
詮索好きのオバチャンに対して、「息子が無職である」と言うのと「娘が主婦である」「息子が学生である」とどっちが抵抗ないかということを考えれば明らかなこと。

働けば、幸福度は低下する。
報われない単純労働、危険労働、不安定雇用、そういう、いやなもの寄せ集めに飛び込むか、働けないということに対する自責の念(たぶん、責任感の強い人ほど失業状態がストレスである)、世間体が悪いという見栄に苦しむか。仮に正社員になっても、ものすごい長時間労働が待っている。

そういう、いやなものAといやなものBの間で私たちはゆれ動いているのである。だから過労死がいいかホームレスがいいかを聞いた方が現実的な気さえしてくる。

日別画面へ

11月25日(木)

起床時刻:08時45分

幸福度というのは、①個人的パーソナリティ(楽観的か、信心深いかなど)と②客観的生活条件(年収、自由時間など)で決まる。

だから幸福度をあげたければ、①か②か、どちらか変えなくてはいけない。そして多くの調査の示すところによれば、幸福度の高いパーソナリティの人は客観的生活条件も高い。これはもちろん、因果関係は示していない。リッチだからハッピーであるのか、ハッピーだからリッチであるのかは、一時点の調査ではなんともいえない。
これを明らかにするにはパネルデータが不可欠である。つまり、ハッピーなパーソナリティの人がどのように生活条件が変化していくのかトラッキングする必要がある。

ま、それはともかく、世の自己啓発本は「ハッピーであるから、仕事も恋愛もついてくる!」という因果関係を前提にして書かれている。
つまりまずは①のパーソナリティを変えろってハナシだ。

あらゆる調査が示すように、楽観的な人は幸福度が高いし、熱心に宗教を信仰する人は幸福度が有意に高い。だから楽観的になったり、神仏を信じれば幸福度があがる可能性は高い。
と、言われても「ハイ、そうですか」というわけにはいかない。だって性格はかえられないんだもん!である。

思うに、左脳を活発にさせることができれば(楽観的な人は左脳が活発で、悲観的な人は右脳が活発らしい)、自然と楽観的ハッピー思考になれるんじゃないか。
これは自己啓発本やセミナーの自己暗示(「わたしは幸せ!わたしは出来る子!」と口に出して言うみたいな)みたいなハナシではない。そういうのをやっても「ああ、私って痛い」と客観的に自分をみて、落ち込んじゃったりする人もいるのだ。

私が考えるのは左脳のリハビリみたいなもの。筋肉もそうだが、脳の神経回路だって使わないとたぶん活発じゃなくなる。左脳の幸福回路を再度活発化させるためには、本当は電気ショックかなんかでエイと左脳を刺激すればいいと思うんだけど、そんなことは不可能だろうし、なんだかおっかないというストレス(=常に幸福度にとってマイナス)が発生する。

で、ニューロマーケのリサーチなんかでつかわれるfMRI(核磁気共鳴計測)で脳のどこが活発化しているか可視化することからはじめる。どういったときに自分の左脳が活発になっているかをまず、見極める。初めてネクタイを結ぶときには鏡があったほうがいいように、なれないことをするときは可視化したほうが、上達が早いはず。

図るだけダイエットとか、記録するだけダイエットとかいうのがはやったけれど、なんでそれだけでやせるのかというとこれまた可視化の効果なんだと思う。記録ダイエットをした人というのは、自然と低カロリーのものを選ぶようになるらしいが、それと同じで、左脳リハビリをした人は自然と幸福度が高まるような行動をするはずである!

どう?まぁ問題はfMRIがハンパなく高い(し、調査費用もハンパなく高い)ということだけど。

日別画面へ

11月24日(水)

起床時刻:06時55分

『日本の幸福度 格差・労働・家族』(大竹文雄/白石小百合/筒井義郎編著、日本評論社 2010)という本、面白かった。 
この本は「アンケート調査を用いて、日本人の主観的幸福度の特徴をさぐったものである」。
「日本は経済的に豊かになったけれど、主観的幸福度はあがっていない」とは巷間よくいわれることですけれど、これはまぁ先進国はどこでもそうなんですね。幸福のパラドックスというもので、GDPが大幅にあがっても幸福度はそこまであがらない。お金とハッピーは比例して高まるはずなのに「なんでや?」と経済学者は首をひねった。

これはエアコンで考えてみれば普通にわかりそうなことである。エアコンがあまり普及していないときにエアコンが家にあることは幸福度を高めるけれど(「どや?うちは金持ちやろ?」みたいな)、エアコンが全家庭に普及したときにエアコンをもっていても幸福度は高まらない(=相対所得仮説)。自分のハッピー度は他と比べて生活水準が高いときに高まる。

(ちなみにこれ、第四章で日米比較データによれば(日本では「他人より生活水準が高いときに一番幸福度は高い」のに対して)「アメリカでは他人と生活水準が同じときに一番幸福度は高い」という結論になっているけれど、ミスリーディングな気がする。確かに、「他人と同等」のときに一番高くなっているけれど、「他人よりも生活水準が高いと思っている人との幸福度」と「他人と同等と思っている人の幸福度」の差は、「他人よりも生活水準が低いと思っている人の幸福度」と「他人と同等と思っている人の幸福度」の差よりずっと小さい。つまり、日米ともに「他人と同等以上」と考えている場合に幸福度は高まるというのがシンプルな結論だと思う。また、こういう結果になったのはアメリカでは「自分は金持ちグループに属している」と感じている回答者が多いという特徴(勘違いしがちな国民性ゆえか、サンプル抽出の問題のせいか)があるんだと思う)。

もう一つは、エアコン普及が当たり前になると、それは贅沢ではなくて必需品になり、ありがたみがなくなってしまうから、エアコンがあることにより幸福度が高まらない(=順応仮説)。

8:00になるからこのへんでおわり。
面白いんだけど、常識という名の仮説をアンケート調査結果の回帰分析で証明しているように思えてくる。あと、回帰分析では当然、因果関係も何も示されない(喫煙者は有意に不幸だが、それは喫煙するから不幸になるのか、不幸だから喫煙するかは示していない)。健康不安のある人は有意に不幸だから、喫煙→健康不安→不幸という因果関係を示している可能性もあるが、やはりストレスがある→ストレス解消のために喫煙する→(対処療法的なので)不幸であるということであろう。だからさ、ストレスっていうマジックワードで全部説明できるんだってば。

日別画面へ

11月23日(火)

起床時刻:15時00分

11月22日(月)

起床時刻:09時15分 15時00分

11月21日

起床時刻:16時00分

11月19日(金)

起床時刻:13時11分

せっかくの休みなのにうちのヒトも会社休むらしい。なんで私の休みにあわせてやすむんだよー。来週の月曜も休むし、先週の月曜も休んだし。連休もずーーーーっとゲームだなこりゃ><。

日別画面へコメントを読む(2)

11月18日(木)

起床時刻:06時57分

昨日、目覚まし時計をいじくってたら、どうやら時間を1時間早く時計をあわせちゃったみたいで、8時に起きたつもりが7時だった。早く設定していたからいいけど、1時間遅くしてたらまたも遅刻するところであった。

私は本当に自分が信用ならんのであります。
家計は妻が預かる家も多いかもしれないけれど、私は自分が信用ならんので、夫の財布は夫のものであります。
自分が信用ならんから、仕事も責任のないバイトかパートくらいしかできないし、何をやらかすかわからんから車の運転も一切しない。頼まれて留守の間、人の飼い犬の面倒をみるとかいうのも、万一、その犬が死んでもいいならみてもいいけど(どんな事故が起きるかわからないから)、そうでないなら絶対に拒否。

ほんと自分はダメ人間なんだよな。ダメ人間といえば、エリザベス・ビショップの「ひとつの術(One Art)」と題する詩はこんなふうにはじまる。
「ものを失(な)くする術を覚えるのは難しくない
もともとなくされようという魂胆が見え見えで、
失くしたところで大事に至らないものも、ごまんとある」
(岩波書店『アメリカ名詩選』より)

「あ~、あるある」と思って読んでいくと、別にこれはダメ人間の「あるある話」ではなくて、実は失恋の詩で、最後のほうで「好きな人を失っても、それってよくあることじゃない」と自分に言い聞かせているような詩なんだけれど、この人、たぶん、改札口で切符を「ない、ない!!」って慌てて探すタイプとみた。

世の中には生まれながらにして、この「ものをなくす術」を体得しているダメ人間(形見ですらなくすレベル)と、「時々傘を置き忘れるくらいで、鍵などはなくさない」中間層と、「傘も置き忘れたことがない」という超人層からなっている。
みんな自分と同じダメ人間だと思ってはいけない。でもまぁ詩を読むような人はたいていダメ人間な気がするから、こうやって「名詩選」に選ばれたんだろうね。

日別画面へ

11月17日(水)

起床時刻:10時42分

やばい。今日は会社の日だったのに、思いっきり寝坊。
起きたらこの時間。
目覚ましとめた記憶ないっす。
昨日も遅刻しかけたので、タクって間に合わせたというに、そんな努力も意味なさすぎる。

毎日ゲームで夜更かししてるからなー。
ゲームが終わったあとにお風呂入って、髪をかわかしたりしてるとけっこう時間がかかるんだよなー。うちのヒトは起きるのが13:00とかだから別にいいんだろうけどさ。たまに15:00くらいに「具合が悪いので休みます」とかって連絡してるくらいだからな。どんな会社だよ。

休肝デーがあるように、休眼デー(ゲームやネットなしの日)もほしいところだ。でも私の言うことなんか聞きやしないからな。

日別画面へ

11月16日(火)

起床時刻:08時10分

家に帰りたくない。
っていう気分だったので、プラプラあちこちのぞいて帰ってきたらダンナと同じ帰宅時間だったw。帰ってくるのはやすぎんだろ。

速攻で用意した夕飯は昨日つくった牡蠣ゴハン、小芋の味噌汁、レタスとトマトのサラダ、鶏のからあげ(←買ってきた)。普通はこれに小松菜とお揚げの煮びたしとかつくんだけど、「まーだー?」と言っているヒトがいるので却下。

食べてても「ゲームやるから、早く食べろ!」ってせかされるし、本気でうっとうしいんだが。初期仏教法話にあった「怒らないこと」ってやっぱり無理じゃない?
ダイエットしたい人に「簡単です。食べなければやせるのです。二日で一食食べるようになさい」とアドバイスしたとして、実践できる人なんかほとんどいねぇっつーのと一緒じゃない?

日別画面へ

11月15日(月)

起床時刻:12時00分

昨日はうちのヒトが珍しく反省したらしく、「なんでも好きなものを買ってあげる」というわけですよ。
「モノはいらないから、自分の時間と睡眠時間がほしい」と言ったらそれは却下だってよ。
「じゃあ、本を買って」と言ったら、「pyaaaは本を読むのが早すぎるから、本がもったないない。ゆっくり読め!」と言われてしまった。
ヘイヘイヘイ、ユー、世の中ではいろんな速読方法の本が出てて、いかに早く本を読むかやっきになってるというのに、私は本を早く読みすぎると怒られるのかい?

うちのヒト曰く、500円の本を3時間かけて読めば500円で3時間楽しめるが、500円の本を1時間で読むヒトは、3時間読書すると1500円かかるから損だ、というわけ。

「もっとゆっくりと味わいながら本を読め!俺なんか、一度読んだものでも、また読み返したりする」って言われたけど、それはベルセルクの新刊が出たときに「あれ、前はどこまですすんだっけ?」(ていうか「どこまですすんでなかったっけ?」という感じでもある)と思って前の巻を読むってだけでしょw。

それにしてもガッツとグリフィスの差が開きすぎじゃないの?勝てる気がしない。F○11で例えるなら、グリフィスがアビ○アエリアで灰燼と凶角アートマつけたHP3000プラスのナイトだとしたら(もちろんレリック持ちでメイジャン強化済み)、ガッツは旧エリアのアートマなしの暗黒wさまだし。

しかもグリフィスのほうには狩人やら姫様やら法王やら巫女やらがいて、パーティメンバーも全員一級廃人なのに対して、ガッツのほうはシールケがレベル85の召喚士(とはいえ、最近ガッツさんがあまりにもジョブアビリティ暗黒を使うので、ケアルしかしてないw)、セルピコが赤75(エンエアロして殴るだけ)、ファルネーゼがジョブチェンジして今、黒レベル5くらい、イシドロがシーフレベル30くらい、キャスカは戦士75だったんだけどアカバンされて今はレベル1みたいな?あとは妖精という名の倉庫キャラがいっぱい、みたいな?まったりLSすぎるw。骸骨の騎士さんという幽霊LSメンもいるんだけど、この人、伝説の廃人の割りに動きおかしいヒトだからねぇ。

35巻では、ガッツたちがいっぱいでてきて嬉しいけど「雑魚イカに絡まれて右往左往の巻(まき)」という雰囲気だしね。なのにガッツさん、雑魚相手にも2アビ使わないと勝てないみたいな?グリフィスがHNM(ガニシュカ大帝)をソロでたおしているときに(しかも「ノーダメ、余裕でした^^」みたいな雰囲気で)。どうすんだよ~。

日別画面へ

11月14日

起床時刻:18時30分

この日も一歩も外に出ず、一日中ゲーム。夜はピザのデリバリー。
私はAM6:00くらいから、眠くて眠くて仕方なかったのだけど、結局昼まで(12:30)までやることに><。

うちのヒトは、ゲームに関しては意思がめちゃくちゃ固くて、絶対に妥協しない。「ほしいアイテムが出るまでやる」、「目指すレベルになるまでやる」と決めたら必ず初志貫徹である。眠かろうが、頭が痛かろうが、絶対にやりとげる。
「思い~こんだら、試練の道を~♪
行くが~、男の~ド根性~~♪」
なんです。
どうですか、立派でしょ。

「そうはいっても、ゲームでしょ?」っていう冷めた反応しかかえってこなそうだけど、じゃあ仕事だったらいいのか?というと、「仕事廃人」たちは、かつて「エコノミック・アニマル(笑)」とかって言われて(完全に死語化したな)、廃人プレイについていけなくなったユニクロ装備の雑魚欧米人に馬鹿にされてたわけですよ。

「雑魚の僻みおつwww」と余裕かまして「ジャパン・アズ・ナンバーワン」(俺、レリック3種類持ってるしwww)とか調子こいてたら、ある日、運営が方針を変えたせいで(「BIS規制はじめました」)アカバン続出し、ユニクロ一般プレイヤーは「廃人死亡でメシウマwww」状態になり、現在にいたる、みたいな?だいぶ違う?

まぁ私はですね、仕事にしろ、勉強にしろ、スポーツにしろ、世の中的にはゲームなんかと違って、熱中すればするほどよいと思われることでも、熱中しすぎるのはどうかと思うんですよね。なんでもほどほどがいいんじゃないかと。
まぁ他人が熱中するのはそのヒトの自由だからどうでもいいんですが、私自身は巻き込まれたくないなと。熱中型の教師とか熱中型の上司とか、苦手なんすよね。

熱中型のプレイヤーから逃れるべく、正月は実家に逃げようかと思案中。

日別画面へ

11月13日

起床時刻:13時00分 13時28分

いきつけのカフェ(と書くとなんかカッコイイ気がするが、いきつけになったのはここ1ヶ月である)に『旅にあれば』(諏訪優著・無限)という詩集があったので、パラパラと読んでみた(さっき読み返して大変な間違いをしていることに気付いた。「諏訪優」が詩人の名前なのに、「佐藤優」と書いちゃった。ヒーーー!!佐藤じゃないです、諏訪ですっ。この前もキューピー三分クッキングの先生の名前として「野田聖子」って書いちゃったけど、「小川聖子」が正しいんですよ!!)。

この方もなんだかよく夢を覚えている方みたいで、「夜があけたら」という詩はこんなふうにはじまる。

「夜があけたら

めざめたら そう
夢の外側を撫でてみるよりほかはない

祭の夢も
怖い寝汗も

液体のようにいつしかほとんど消えていく
奇妙な滓だけわたしに残して」

なかなか言いえて妙ではないでしょうか。

「朝の女よ」と題する詩では

「朝の女よ いまは香りたかい一杯の茶がほしい
あなたはそのためにいま ここにいる」

とあり、これもなんか納得してしまった。
「オハヨー」とおきてきた女に「お茶をいれて」っていうのは、納得できるでしょう。

世の中の「女よ」と題している詩には、まったく納得できないことが多いことを考え合わせると(男の詩人の薄気味悪い妄想の産物であることが多いんだもん)、稀有なことだと思った。

この詩人はきっと、立ちのぼるお茶の香りを楽しみ、日当たりのいいところに座ってゆっくりお茶を飲むんだ。もちろんお茶を飲みながら「ドレドレ」などといって、日経の株価欄を開いたりしない。
そういう雰囲気じゃない(もっとも、そういう雰囲気の詩人はあんまりいないかもしれない。女や友、それに母にささげる詩はいっぱいあるが、「株よ」「土地よ」「投信よ」とかいう詩はあんまり見かけないのと同様に。なんでだろうか)。

彼は窓から広がる景色(できれば海)をぼうっと眺めているんだ。女の人も一緒になってぼうっと眺めてる。ときどき一言か二言かわすだけ。もちろん、「ほら、あなた、会社に遅刻するわよ!」「うん、今日は遅くなる」とかいう会話じゃない。
そういう雰囲気じゃあないんだよっ。

日別画面へ

11月12日(金)

起床時刻:11時30分

柳広司の『トーキョー・プリズン』(角川書店)を読んだ。面白かった!
創元推理文庫から出ている彼の本(『黄金の灰』『はじまりの島』『百万のマルコ』『饗宴』)は全部買って楽しく読んだのだが、この『トーキョー・プリズン』は今までの一連の著作から頭一つ抜けている気がする。
メインの推理というかトリック自体は、まぁ今までと似たり寄ったりレベルだけれど、それ以外がすごくパワーアップしてる気がする。面白い推理小説というのは、例え犯人が誰だかすぐにピンときても最後まで面白いのだ。
最後の落としどころも私的にはよかった。

日別画面へ

11月11日(木)

起床時刻:08時11分[いま起きた]ボタンで記録されました。

『怒らないこと』に続いて『怒らないこと2』(アルボムッレ・スマナサーラ著/サンガ新書)を読んだ。

高校の仏教の時間に先生(僧侶でもある)が「ある女性がお釈迦様に『どうしたら美しくなれるでしょうか?』と聞いたところ、お釈迦様は『怒らなければ美人になる』とお答えした。怒る女性は醜いのである」というような話をされた。

それを聞いた女子高生の私は「はぁ?そんないい顔ばかりしていたら、世の中の差別とか不正とか、なくならないじゃん!義憤という言葉があるとおり、世の中をよくするためには、時には怒らなくちゃいけないじゃん!」とさっそく怒ったのであった。

世の中にはあきらかに人道上の罪というものもある。
でも仏教徒であれば、どんな目にあっても「怒るべきではない」ということになるのである。

確かに全世界の人が「せーの」で怒らないことにするならば、世の中はずっと平和になるはずだ。だけど「全世界の人がこうなってほしい」というのは「極限の無知」である。自分以外のあらゆるものは、天候と同じようにかえられないと、よくよく知ることが智慧である。だから希望とは妄想なのである、と長老は説く。つまり「自分も怒らないからあなたも怒らないでね」というのは極限の無知である。

となると、仮に自分一人だけ「怒らない人」になったとしたら、自分だけが損するんじゃないか、自分の生存が脅かされるじゃないかと、俗世間にまみれた私は危惧するわけだ。

ダライ・ラマ十四世のいうところの「利他的社会」というのも同様で、世の中の人全員が「せーの」で利他的になるなら、これほど平和なことはないと思うけれど、実際はそんなこと無理だ。
「庇を貸したら母屋をとられる」の言葉どおり、利用されるだけ利用されたら、あとはポイ捨てされるのがオチである。

だからはっきりいうと、仏教を教えを実践しても損なんじゃないかという気がしてくる。

でも、いやいや損なことはない、それどころか「人生、らくらく幸福になっていきます」という。
というのも、悟りをひらけばエゴというものがなくなるから、庇を貸して母屋をとられても、それどころか命をとられても、怒らなくなる。損だとも思わなくなる。そしたらハッピーでしょ、という論法なのである。見方を抜本的に変えるということである。

そんなん無理ッスと、そんなん神様くらいしかできませんッスと言ったのが親鸞聖人で、「みんなのことを救っちゃる!」と決意した優しい阿弥陀如来におすがりすれば、誰でも救ってもらえるもん!とひらめかれたのでありました。

ま、それはともかく。
初期仏教というのは、我々の常識と相反することがいっぱいで難しい。キリスト教のほうがわかりいいんじゃないか(浄土真宗も一神教的だしね)。

例えば「To Err Is Human, To Forgive Divine」(過ちは人の業、許すは神の業)という言葉があるように、「人の過ちを許すことは立派なことである」というのはわかりやすい。まぁそうだろうと思う。
だけれど、初期仏教の長老は「許し」はなりたたないという。「許す」というのは仏教的には、立派どころか格好悪い言葉なのだとか。

「許せない」というのは、そもそも自分が正しいと思っているからおきる感情である。すべてのものは無常である。無常というのは不完全ということである。なにもかにも、一切のことが「不完全」というのが本当の姿なのに、いったい何を許すというのでしょうか、と問う。

だから神の子イエスが磔にされたときに「神よ、この者たちをお許しください」と言われたという感動的な話も、そもそも「許す」「許さない」は成り立たないから、変な話になっちゃう。

仏教的にはイエスさまも神様も不完全。「完全」という先入観があるから「許す」という言葉ができてしまった。しかしありとあらゆる存在は不完全なのだから、許すもヘッタクレもない。

あー、難しい。

「いやなことをした人を許す」という行為はすごく頑張ればできると思うけれど(とはいえ、自分を磔にした人を許すことはできない。だからイエスはやっぱりすごい)、「磔にした人と自分は同じように不完全な存在である」と思うことはすごく難しい。

そもそも「自我」というものはないと考えるのが難しい。
「われわれは自我が錯覚であるにもかかわらず、その錯覚の自我を土台・根本原因にして、自我・錯覚のために生きている。だから、結果として、生きる道は、一貫して怒りにくるってしまう」という教えも体得するのは本当に難しい。

プラクティカルなところでは、怒りのコントロールは「観察と智慧」にまとめられるか。
【観察】
・ほんの少しの怒りの兆し(嫌だな、くらいのうっすい感情)も見逃さない。爆発してからではコントロールが難しい。
・自分の感情をよく観察して、いろんな怒り(嫉妬や軽視や後悔や自責などは全部怒り)をよく知る。
【智慧】
・世の中、自分の思うとおりには絶対にいかないと思い知る。
・我々の人生は苦である(聖苦諦)。苦の人生を逃れるためには、仏道・中道・八正道を理解し実践するしかない。
・「自我は錯覚である」ということを「なんとかがんばって理解してほしい」。「これはあまりにも必然的でどうということはない真理です」だって。
この真理を理解すれば「エゴの錯覚に気づかず、四苦八苦して生きている人々に対して、微塵も嫌な気持ちも怒りの気持ちも起こらなくなるのです」。無理すぎる。

他には……
・怒ったら行動も思考もすべてストップする(=怒りと戦おうとしない)
・数を数えながら深呼吸する
・「適度・適量を知る」、「余分なものはカットする」つまり欲をコントロールすることで怒りもコントロールする。年収100万で十分と思えば200万もらえればもうけもん、年収1000万ほしいと思うと、800万もたりないから怒りがうまれる。
・いらない欲はカットする(性欲はいらない欲の代表らしい)
・人間は本来的に悪であり、怒りであり、怠け者である。掃除でも洗濯でも勉強でも仕事でも、「ヨッコラショ」と自らを奮い立たせないとやれないことは正しいことである。
・世間並みのこと(仕事や子育て)はほどほどのエネルギーでやるがよろしい。仏道は全エネルギーでとりくむがよろしい。それでも本来の人間は怠け者なので、瞑想とかかったるくてできないようになっている。
しかしほうっておくと、怒りまみれの欲まみれの迷惑極まりない人間になるので、「慈しみの瞑想」をするなど意識的によい人間になるように努力しないといけない。「本性はたたきつぶさなけくてはいけないのです」。ヒー。

日別画面へ

11月10日(水)

起床時刻:08時11分

『怒らないこと』(アルボムッレ・スマナサーラ著・サンガ新書)という本を買って読んだ。
表紙の折り返しにはこんな風に書いてある。
「昨今では、怒って当たり前、
ややもすると怒らないと不甲斐ないとでも言わんばかりです。
ブッダはこれに真っ向から反対します。
怒ってよい理由などない。
怒りは理不尽だ。怒る人は弱者だ。
怒らない人にこそ智慧がある。怒らない人は幸せを得る。
人類史上もっとも懸命な人はなぜ怒りを全面否定したのでした。
最初期の仏教であるテーラワーダ仏教の長老が、その真意を平明に解き明かします」

ともかく、怒りたくなっても怒っちゃダメ。
「怒りを我慢する」というのもダメ。
それは怒りとの戦いであり、別の怒りを産むからです。仏教に「正義の戦い」というのはないそうです。

怒るべき理由がないときに怒らないのは当たり前。
怒るべき理由があるときも怒らないのが目指すところ。

でも「理不尽な理由でひどくいじめられた、差別された」とかいう場合とかは怒ってもいいんじゃない?
と思うじゃないですか。

それでも怒っちゃダメなのです。
お釈迦さまは「たとえば、恐ろしい泥棒たちが来て、何も悪いことをしていない自分を捕まえて、『こいつを切ってみよう。面白いよ』とそれだけの理由でノコギリで切ろうとするとしよう。そのときでさえ、わずかでも『嫌だ』と怒ってはいけない。わずかでも怒ったら、あなたがたはブッダの教えを実践する人ではない。だから、仏弟子になりたければそのぐらいの覚悟で生きてほしいのだ」とおっしゃいました(P152)。

ヒー、無理です。
私は浄土真宗本願寺派の高校に通ったので、毎週水曜には礼拝があり偉い人の話もいろいろ聞いたのですが、ある人が「将来、外国人の人にあって宗教を問われたら、胸をはって、『ブディストです!』とお答えなさい。西洋人は無宗教の人を信用しません」とおっしゃいました。
しかし、ブディストであることはなんと大変なことでしょう!
いわれもなくノコギリでバラバラにされてもおこっちゃいけないんです。
ここまでブッダがいましめるのは、怒りは他人にとっても自分にとっても一番の害悪であり、世の中のよきものに対する破壊だからなのです。

じゃあ、人間ドアマットになってありとあらゆる人からふみつけられても、ニコニコ笑ってなくちゃいけないのか?というと、そうではないといいます。
「怒らずにきつく言う」、「智慧を持って対処する(ああ、この人は今私にやつあたりをしてるんだ、かわいそう、みたいな)」「にこっと笑う」「鏡をみせる」などの対応策があるようです。

でもそんなんで、人の怒りを免れるなら、キリストだって(何しろブッダと同じくらい人格者ですよね?)磔にはならなかったろうと思います。

まぁでも「ノコギリでバラバラにされても怒らないことを思えば、こんなことはなんでもない」と思う(それは確かに思う)ようにして、怒らないようにしたいと思います。

日別画面へ

11月09日(火)

起床時刻:08時10分

今日は結局寝ていない。徹夜というやつだ。

目の奥が痛い。
寝ていないからではなくて、ちゃんと寝た日でも目の奥が痛い。
パソコンの見すぎだ。
そして今日も会社でパソコンを見るのだ。
細かい数字の羅列を。

間違いなく目の使いすぎだ。
『大漢和辞典』をつくった諸橋轍次氏は立派な理由の目の使いすぎで、目が見えなくなったと何かで読んだことがあるけれど、私もゲームのやりすぎで相当目をつかっているはずだ。

もともと目の弱い家系なので、「勉強をしろ」などといわれたことがない。目が悪くなるからである。
勉強はしなかったが、テレビをみていたら、小学校二年で既に近眼になってしまった。

将来目が見えなくなったらどうしようと小さい頃から怖かった。見えなくなったら、きっと今の生活を後悔するのだろう。親は正しかった、と嘆くのだろう。
私の母親はかなりの読書好きだが、今は目が悪くて本も読めない。読書か裁縫くらいしか目を使っていなかったのに。私はもっと早くガタがくるかもしれない。
そのとき後悔するのだ。さっさと別れておけばよかったと。

日別画面へコメントを読む(2)

11月08日(月)

起床時刻:13時00分

深沢七郎の『言わなければよかったのに日記』(中公文庫)が面白かったので、本屋で平積みにされていた『生きているのはひまつぶし』(光文社)を買って読んだ。

あれ、この人こんなヒトだったんけ~~~???

前の『言わなければ~』では謙虚でかわいらしかったのに、今度の『生きているのは~』のほうは、ずいぶん感じが違う。

『言わなければ~』の解説で尾辻克彦が「もともと幼児性を強く残している人」と深沢のことを書いているが(同時に商人の息子だけあって計算もできると言ってるけど)、そうなんです、この人すごい子供っぽい。

私もすごく子供っぽいんだけど、子供っぽいというのは大人の基準に達していないことだから、やっぱりダメ人間だと思うんだよね。
深沢さんの周りの人は親切だから、深沢さんのそういうダメさを「変わっている」というオブラートにつつんだ言葉で言っていたんだけれど、本人は「俺はかわっていない、お前らのほうがかわっているんだ」と主張するわけ。

その主張の仕方が最初の本では、もっとおどおどしてて、「僕がへんなのかなぁ?僕はこれが普通だと思うんだけど;;」とか「またへんなこと言っちゃったみたいだなぁ;;」みたいな、ほのぼの路線なんだけど(←計算?!だとしたらすごい)、後者の本では「俺がかわってるんじゃない、オマエら日本人が俗物でつまらんのだ!俺は一見、俗っぽくみえるだろうが、実はものごとの本質を見抜いているんだよ!」という雰囲気になってきてる(もっとも、そう思ったのは私だけかもしれないけど)。

トシのせい?世間にもまれてすれて、こんなふうになっちゃったの?

あるいは形式のせい?最初の本は自分で書いたエッセーだけれど、後者は聞き書きみたいな体裁をとっているから素が出ちゃったとか(ほら、Twitterとかで地金が出ている人いるでしょう)。

それにしても私も本当に気をつけないと。
トシをとると、若い頃に考えていたことが先鋭化するのね。私もそうだけれど、世間の狭い人はおんなじことばっかり考えるでしょう、だから、だんだん信念化していくのね。

同じことを何度も言ったり、頑固になったり、自分の意見をトウトウと主張したり(それも、いつものお決まりの主題の変奏曲でしかないわけ)、あああ、身に覚えのあることばかり。トシをとるって難しい。

日別画面へ

11月07日

起床時刻:15時34分

「男と女というものは、二人並べてみてはじめて、あ、なるほど……と納得させるようなものがあり、なにさま、この女ならこの男が、この男ならこの女が、調和して似合うだろうと思わせるところがあるのである」(田辺聖子「求婚旅行」)

夫と妻というのはやはり相通じるところがあるというか、同レベルというか、そういうものなのかもしれない。片方が聖人君子で片方がどうしようもないカスということはまずなくて、そういう場合はどちらもカスなのかもしれない。

例えば我が家においても、私は夫のことを「ゲームきちがい」だと思っているが、夫は私のことを「きちがい」だという。「きちがい」という点では相通じているわけ。まぁでも、ゲーム狂とただの狂だったら、ただの狂のほうが取り扱い注意な感じがするな。遺憾なことに。

深夜というか明け方というか、AM6:30くらいに、ヒステリーを起こしたんですよ、わたくし。原因は例によってゲームなんですが。
「回復しろ、バカ!強化しろ、バカ!精霊うて、バカ!弱体いれろ、バカ!」っていっぺんにいうんですよ。いっぺんにできるかよ!私は一人しかいないんだから!と思って、「いっぺんにできるわけないじゃん!」って大声で叫んだんですよ。

そしたら「何時だと思っているんだ、このキチガイ!」って怒ってポカスカ殴ってきたんだけど、大声出すって気持ちいい~~~な気分だったから「いっぺんにできるわけない!いっぺんにできるわけない!いっぺんにできるわけない!!」って叫んだわけよ。ま、NMやっている途中なんで、いつまでも私を殴っているわけにはいかないという事情もしっかり計算していたんですけどw。

思うんだけど、よくぶつぶつ言ってる人いるでしょう?アレ聞いていると、だいたい同じことを繰り返して言ってることが多いですね。起承転結のある物語をつぶやいているわけじゃない。

これってよくわかるのね。私もつぶやくなら、おんなじことをずーっとつぶやいていると思う。
たぶん、精神安定作用があるんだと思う。「ナンミョーホーレンゲーキョー」とか「ナンマイダー」ていうのも、何回も唱えたりするでしょ。単純な言葉を何回も言うことで精神安定作用があるんだと思う。

貧乏ゆすりもそうね。同じ動きを小刻みにずーっと繰り返すことで精神を安定させようとしてるのね。歩くことでセロトニンが分泌されるというけど、一定のリズムで繰り返される動きというのは精神安定作用があると思うわけ。

まぁそれはともかく、世の中って切れたもん勝ちなんですよね。先に切れられると残されたほうはフォローするしかなくなる。

子供だって、そうなんですよ。親が切れないとみくびっているから、安心して切れるんです。切れる親(虐待する親とかね)持つと、子供ながらに親の顔色ばっかり伺うことになる。

切れるというのは、幸せな子供返りですね。
結局、私って未成熟のまま、大人の論法を何にも身につけないまま、おばさんになっちゃったんですね。とほほ。

日別画面へ

11月06日

起床時刻:15時22分

また殺されかける夢をみた。
思ったんだけど、ダンナや子供の話もつまらんけど、夢の話も負けず劣らずつまらんよね?
「聞いて聞いて!夢にね、福山雅治が出てきて、告白されたんだ!」
と興奮して話しても、聞いてるほうは「夢の中でしょ?」の一言以外返しようがない。
不思議なことに夢の話や家族の話やのろけ話とか、他人が聞いて「だからどうした」みたいな話題って、話をするほうは楽しいんだよね。

で、無反省に夢の話。
夢の中では(リアルもだけど)日本がある国との関係が悪化してんだけど、関係改善のためにその国の要人が、彼のお母さんと一緒に来日することになったの。そのお母さんが丸の内のとあるビル(私が新卒後最初に勤めていた会社)を見学したいらしくて。

それを受けて、会社内で接待チームが編成されたんだけど、私がそこの末席に選ばれたの。で、その要人チームが到着して無事役員フロアの会議室みたいなところにお通ししたところで、私、トイレにいきたくなったのよ。
さすが役員フロアのトイレはきれいで、「ここにしばらくいよう♪」と思って入ったら、先客がいたの。同じ会社の先輩で、私がしばらく個室に入っていても、その先輩、洗面台のところでぐずぐずしているみたいで出て行く気配がないのよ。「うざいなー」と思ってたら、会議室のほうからドンという音とそのあとババババというなんか機関銃みたいな音がしたの。

「やべぇやべぇ。ここに隠れてよ」と思っていたら、なーんと、トイレの扉の向こうからその先輩が、機関銃で私の個室をババババと撃ちだしたのよ!とっさに隣のトイレとの境の壁にはりついたんだけど、今度は上から機関銃をつっこんできて、私を撃とうとするわけ。
ああ、詰んだ、終わりだ。。。と思ったときに目が覚めたんだけど、目が覚めてから考えたわけよ。

彼女は全然関係ない部署の人なわけ。その人が役員フロアのトイレにいるのはおかしいと思わなきゃいけなかった。私は「きれいなとこでゆっくり大しようと思ったのかな?」と推察したけどそうじゃない。彼女は裏切り者だったんですよ。

今回の訪問の狙いは「この会社の会議室で要人の母親が襲われた」というまったくのウソをでっちあげるため。自作自演で自分達が母親を襲って、正当防衛と称してこちらのビルをのっとり、ゆくゆくは国に対しても報復措置をとるということが目的だったわけよ。
ついては真実を知る人とか、会議室から逃げ出した人は全員殺さなきゃいけない。「死人に口なし」だからね。

先輩もトイレに逃げ込んだりした人を殺すように配置されてたのよ。非常階段から逃げればよかったと起きてから考えたけど、たぶんそこにも内通者が配置されていたはず。
だから、私は彼女が怪しいことを見ぬいて(だって機関銃を隠し持っているんだから)、それを信用できる副部長に報告しなきゃいけなかった。そこから先、副部長は24のジャック・バウアー並にキリキリ働いて、悪事を未然に防ぐか、せめて世に真実を伝える方策をなんとかあみだしてくれたであろう。どうやるのかは、覚醒した頭で考えてもわかんないけど。

うちの母とか空を鳥のように自由に飛んだりする夢や海を魚みたいに泳ぐ夢をよく見るらしいけど。なんかそういう夢を見るのってピュアっぽいというか、芸術家っぽいというか、クリエイティブっぽいっていうか、なんかかっこいいよね。
でも、私、夢の中でも一回も飛んだことないよ!夢の中で飛ぶどころか、リアル同様役立たずキャラそのまま引き継いでるよ!残念すぎる、いろいろ。

日別画面へコメントを読む(4)

11月05日(金)

起床時刻:10時05分

本日は代官山にてお友達とランチ。
彼女の職場の同僚の話になったとき、「いい人たちなんだけどさ、話がつまんないんだよね。ダンナと子供の話ばっかで。ダンナや子供のどーでもいい話で笑ったりしてるけど、内心『どっこが面白いんだろー』って思っちゃう」と言っているのを聞いて、大いに反省。子供はいないけど、私、ダンナ(と自分)の話ばっかりしてるような……。ごめんねっ、つまんなくてっ。

私、元から話題が乏しいんだよねぇ。私の昔の職場の同僚(既婚・子なし)で、ダンナとよく話をするという人がいた。彼女は毎日5つずつ話題を持ち寄ってダンナと話すんだって。そのトピックを毎日教えてよ、っていったんだけど、教えてくれなかった(´・ω・`)。彼女はうちらとランチするときは、全くといっていいくらいしゃべらないんだけど。
「彼女ってひょっとしてどこかの国のスパイで、毎日集めてきた極秘情報を交換しあってるんじゃない?」なんて別の友達と陰で笑っていたんだけど、何をそんなにダンナと話すことがあるんだよおおおお!ま、うちは言うまでもなく、ゲームのことしか話さないけどね。

日別画面へ

11月04日(木)

起床時刻:10時18分

『女どうしのラブ・カップル ハニー&ハニー』(竹内佐千子著・MF文庫)を本屋でたまたま見かけてつい買ってしまった。裏表紙によれば「大好評のコミックエッセイ2冊分が1冊にまとまってお得に文庫化」とのこと。552円也。

著者はビアン(この本によると、レズっていうと「差別的な感じが含まれるため、今ではビアンと略すことが多い」らしい)の女性役。
マサコちゃん(バイ・セクシュアルで男性役)とつきあうことになった経緯とか、ビアンカップルの日常のアレコレが書いてあるほのぼのタッチのマンガです。

私が女の人を好きになる可能性はあるだろうか。
私は基本的に女が好きだと思っていたんだけど、恋愛対象は男のみ、男オンリー、男一筋だな。

FtM(性別は女性だけど性自認は男性)のカイくんが、「実際のところどうなの?大変じゃないの?」みたいに聞かれたとき、こんなことを言ってらっしゃる。

「恋愛はみんな大変(FtMもMtFもバイもビアンもノンケもゲイも)。オレは男ともつきあったことあるしノンケともビアンともおつきあいしたことあるんやけど、好きになってしもたら、性別もセクシャルも関係ない!!」だって。

すすすすすごい。私、性別やセクシャルが同じやったら、そもそも好きにならんもん。

カイくんみたいに柔軟な発想は絶対できませんなぁ。いわゆる性的マイノリティの方々は枠にとらわれない、ゼロベースの発想ができる方々なのかもしれませんねぇ。

日別画面へ

11月03日(水)

起床時刻:14時00分

夢に息子が出てきた。
と書くとなんだか、実はかつて、息子を産んだものの、諸般の事情から彼を捨てて、家を出てきた過去があるみたいなドラマがありそうだけど、わたくしの人生にそんなドラマはございやせん。
完全に妄想の産物であるわが息子は、ひょろっとしたごくフツーの男子でありました。
二人で電車にのっているというシチュエーション。
「あなた、今いくつだっけ?」
と聞くと
「―ッだよ、息子のトシもしらねーのかよ、今年中三だよっ」
と反抗期まっさかりな感じで答えてきました。
「じゃあ、受験じゃない。どこを受けるの?」
と聞くと
「xx高校にしようかと思っているけれど、受かるか落ちるかギリギリのラインだから、津花(ツバナ)高校を受けようかと思ってる」
とのこと。津花高校というのも私の夢の中で勝手につくった高校で実在したら、それは全くの偶然の一致である。
「ツバナ高校?知らないなぁ」
「最近できた学校だよ。お母さんは知らないだろうけど、最近はいろんな高校ができてるんだよ。yahoo教育の学校とか、Livedoor教育の学校とか」
「へー」
とまあ、そんだけの夢だったんだけど、yahoo教育ってなんじゃそりゃとおきてから思った。検索技術を小さい頃から学ぶとか?全員iPhoneが支給されるとか?
Livedoor教育の学校は中高一貫で投資技術を学ぶとか?「まずは債券や株からはじめ、投資に関する基本的な事柄を学びます。最終的には商品先物や不動産投資に至る幅広い知識を身につけ、実践力を養います」みたいな。

日別画面へ

11月02日(火)

起床時刻:08時05分

およげ、たいやきくんはまいにち、まいにちてっぱんのうえで焼かれてイヤんなってたけど、私はまいにち、まいにちエクセルのデータ照合みたいなことやって、イヤんなってる。
もっとも、『カイジ』の焼き土下座みたいに、てっぱんの上で焼かれたら、イヤんなっちゃうよ~♪なんてもんじゃない。「末代まで呪ってやる」と言っても許されるだろう。

ま、私はそれに比べたら、気楽な稼業ときたもんだ~♪なわけだけど、私の仕事って、ものっすごい単純作業なんだけど、間違えたらダメってやつなんだよな。まぁだいたいの人は「間違えたらダメ」っていう仕事してんだろうけどね。

わたしの仕事も緻密さ、正確さ、粘り強さ、とかそういうのが求められる仕事なんだけど、わたくしそれらの要素ゼロのダメ人間ですから。生まれてきてすみません、なんですから。

サイボーグとかだったら、間違えたりしないんだろうなぁ。機械もバグったりすることはあるけど、人間のバグは機械とはくらべもんにならんくらい多いからなー。草薙素子みたいに電脳化人間になって、ついでに若返ったりできたら、仕事も楽になるであろうに。まぁ素子はデータチェックなんぞしないだろうけどさー。

日別画面へ

11月01日(月)

起床時刻:07時35分

「霜月や鸛の彳々ならびゐて 荷兮」
(しもつきや こうのつくつく ならびいて (かけい)」
*詞書に「田家眺望」とある。
鸛-コウ-こうのとり、彳々-つくつく

十一月ということで、『芭蕉連句評釈(下)』(安東次男著・講談社学芸文庫)からひいてみたが、今気付いたけど、私、下巻から読んでいたよ!

それにしても連句って何のことやらさっぱりわかんないお(´・ω・`)。

という初心者以前の初心者の私が読むのだから、解説を読んでもわからないんだけど、安東先生が、まさに快刀乱麻を断つという筆裁きで、古今の解釈を一刀両断し、句のいわんとするところを説き明かしている(らしい)ということは、よくわかった(露伴もだいたいダメだしくらってますね)。

「骨を見て坐に泪ぐみうちかへり 芭蕉
(ほねをみてそぞろになみだぐみうちかえり)」
につけた、
「乞食の簔(みの)をもらふしのゝめ 荷兮(かけい)」
(こじきのみのをもらうしののめ)
というカケイさんの句を、安東先生は「荷兮の面目躍如とした警策である」「うまい」と激賞する。
「とりわけ、前句に「うちかへり」とあるから付句もひっくり返すさまに仕立てたい、と思案したところにそれが生まれたらしいのが並ではない」だって。

何をそんなに感激してはるんですか?としかいいようがない自分がかなすぃ。

日別画面へ