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起床時刻推移グラフ

目標起床時刻:08:00 平均起床時刻:10:00

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03月31日(木)

起床時刻:08時10分

『Peanuts A Golden Celebration スヌーピーの50年 世界が愛したコミック『ピーナッツ』』(チャールズ・M・シュルツ/朝日文庫)を読んだ。チャーリー・ブラウンが愛おしい。

本文で触れられていたが、チャーリー・ブラウンのことをアメリカのある新聞が「敗残者」と言ったそうだが、確かにチャーリーは億単位の報酬をもらうファンド・マネージャーにはなれないだろう。ルーシーなら押しの強さでなれるかもしれないが。

だけれど、チャーリーのようなごく普通の男の子、ややドンくさいが豊かな想像力と親切心を持つ男の子が、ごくまっとうに幸せに生きられる社会を私は望む。シュルツもいうように、チャーリーは決して敗残者ではない。チャーリーを敗残者とするような見方をする人のほうがよほどおかしいと思うのだ。

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03月30日(水)

起床時刻:10時30分

八百屋でエンダイブ(けっこう苦い野菜なので、苦瓜やふきのとうが好きな人にしかおすすめできない)が、一玉(一株)通常180円のところが100円だったので買ってきて、今日の昼のサラダにしようとしたら、なめくじがコンチワって出てきてびびった。

体長7~8mmの小さなかわいいなめくじだった。まだ生きていたため、処置にこまる。
私はなるべく虫だって殺したくないのだが、これを野に放てば、近所の庭の葉ものを虫食いにしてしまうかもしれない。というわけで圧殺処分を下した。なめくじは害虫なんである。しかし、何をもって益とし、何をもって害とするのかは、人間の勝手な基準による。

一昨日Hちゃんからメールがきて、市役所で高齢者たちがごねているのをみて「無駄な人間(=高齢者)を殺すウィルスをマッドサイエンティストが開発してくれないかな」と言っていたけど、誰を無駄とし、誰を無駄としないかも、恣意的なものだ。

「税金を納めず、社会福祉を受けている人間=無駄」と考える人がいる一方で、石原都知事のように、「生殖年齢を過ぎても生きているババァ=無駄」と考える人もいる。石原に言わせれば年金もらっているジジイでも、男性であれば生殖能力は衰えないから、有用な人間ということになる(ちなみに石原は東大の先生の話として述べたが、思いっきり彼の持論である)。

世の中、権力を持っているのは、石原みたいなジジイである。従って、マッドサイエンティストに「無駄な人を殺すウィルス」を発明するように促せるのは石原であって、我々ではない。実際にそのようなものができたら、最初にウィルスにかかって死ぬのは私やHちゃん(生殖年齢の上限値に近づきつつある上に子供もいない)であって、石原みたいな老害ではないだろう。

さて、なめくじ入りのエンダイブであるが(千葉産である)気持ちのいいものではない。うちの母は虫がついた野菜は虫が食べたくなるほど美味しいんだと言って気にしなかったが、私は気になる。まぁでも、なめくじであろうが、なんかの幼虫であろうが、ヨウ素だとかセシウムだとかプルトニウムだとかに比べれば、なんの害もない。あるいは毒性の強い農薬などに比べたって、なんの害もない。なんの害もないものにたいして「気持ち悪い」とかいうのは、いじめであり差別なのだ。というわけで食べたが、まだたっぷり残っている。ニラ玉のニラをエンダイブにかえてつくってみるかな。

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03月29日(火)

起床時刻:08時15分

『宝塚歌劇の変容と日本近代』(渡辺裕著/新書館 1999)
これは面白かった。宝塚と名のつく本の中では一番の面白さ。

もっとも、この本は宝塚のことを書いているというより、宝塚にみる日本近代の西洋文化の受容の仕方を書いている。また、基本的に戦前のことしか書いていない。そういう意味では不満は残るが、まぁ今後に期待しよう。

日本の西洋文化の受容の仕方には二種類があった。
官僚/東京知識人主導の「西洋直輸入路線」と民間/一般大衆側にたつ「和洋折衷路線」だ。
パスタを例にとって説明してみるとこんな感じ(もちろん、本書ではパスタなんかにゃふれていない)。

直輸入「本格派」型(スパゲッティ・ア・ラ・プッタネスカ型)=本場ナポリの味を再現しました!ポモドーロがアルデンテのパスタに絡んでイタリア人も納得の美味しさです!シェフは南イタリアで三年修行してきました!違いがわかるあなたにおすすめです!

和洋折衷「国民食」型(ナポリタン型)=日本人が大好きなケチャップ味にこれまた日本人が大好きなソーセージが入っています!ピーマンで彩りもアップ!芯までしっかりゆでた麺に絡んで、日本人なら誰もが納得の美味しさです!

今でこそ、「イタリアンの中ではナポリタンが好き」などと言おうものなら、麻生元首相が漢字を読み間違えたときくらいの勢いで蔑まれるのがオチだが、昔はナポリタンこそ、西洋文化受容のあるべき姿だと思う人も少なからずいた(宝塚歌劇創始者の小林翁もその一人である)。

その理由はこんな感じである。
日本で日本産のトマトを使い、日本人が仕上げるパスタは所詮、劣化イタリアンである。ただの猿真似である。何千年も歴史のあるオリジナルをまねても、昨日今日はじめてオリーブオイルの存在を知った人が勝てるわけがないし、日本人が食べてもすっぱいし、にんにく臭いし美味しく感じない(=新派批判)。

一方で、日本には日本独自の豊かな食文化がある。特に甘じょっぱい味文化にかけてはどこにもひけをとらない。この素晴らしく伝統のある食文化は伝えていかねばならないが、しかし最近の若い人は日本食よりも西洋の食事を好むようだ。昔のままの日本食では誰も見向きもしなくなるだろう(=歌舞伎の現状)。

だからこそ、我々は西洋の食文化や調理法を取り入れながら、伝統的な日本食をより豊かにしていくべきなのである。しょうゆや味噌だけではなく、ケチャップやマヨネーズをつかって広く国民に受け入れられる新しい日本食をつくっていくべきなのだ(=宝塚)。

この受容自体はいろんなところで見られると思う。
宝塚はナポリタンになってしまった。宝塚とオペラの関係はナポリタンとイタリアンの関係に等しい。つまり「親しみやすい」が、「本格派」からは程遠い。

宝塚がナポリタンである一方、アニメは「テリヤキ」になった(つまり海外にも独自の日本食文化として認められた。チキン・テリヤキやテリヤキバーガーのように)。

アニメの歴史には私は詳しくないが、アニメーションはもともとフランスだかアメリカだかからもたらされたものである。戦後、手塚治虫という稀代の天才が現れ、日本のストーリーマンガやアニメの基礎をつくった。そして日本のアニメは独自の進化をとげる。そしてスタジオ・ジブリが登場し、アニメは日本人なら子供から老人まで楽しめる国民的な娯楽となった。
今やanimeは海外でも広く認知される存在であり、まさに日本の国民文化と称してよい。スタジオ・ジブリはアカデミー賞かなんかもとっていたように思うが、宝塚がグラミー賞をとることはないだろう。

この『宝塚歌劇の変容と日本近代』の中の「象徴としての東京と大阪」を読んでいて、ひょっとしたら手塚治虫が「本格派」路線の西洋絵画にすすまず、マンガを選んだのも、ひょっとしたら彼が関西出身(大阪生まれの宝塚市育ち)だったからではなかろうかとふと思った。

「象徴としての東京と大阪」にはこのようなことが書かれていた。
「官主導の東京の文化のあり方、そしてそれが中央集権的に全国を支配しようとしている文化の現状に対する強い危惧」「それはとりもなおさず、「中央の論理」によって推し進められる日本の「近代化」路線に対する根本的な異議申し立てだったのであり、大阪はそれに変わる別の近代化路線の可能性を象徴する存在として位置づけられていたということもできるだろう」(P61-62)

東京のほうでは自分が「普遍だ」と思っているが(だから大阪は「イロモノ」になる)、大阪のほうではやっきになって、「民主導」「経済優先」という旗印で東京との違いを出そうとする。この東京vs大阪は、とりもなおさず西洋vs日本でもある。「普遍」である西洋文化に対して、日本は対抗文化としての日本文化を、時には発見したり創造したりして打ち出しているが、「オリエンタリズム」というイロモノ以上に西洋文化の日常として受け入れられることはない。

宝塚とアニメの違い―一方は「イロモノ」になり一方は「新国民文化」になった―は何か。
いくつかの要因が考えられる。

・メディアの違い
(一番大きいのはこれだろう。宝塚は「劇場」という衰退しつつあるメディア媒体を利用し、アニメは爆発的な拡大を続けていたテレビというメディア媒体を利用していた)

・アマチュアとプロの違い
(宝塚ではいくら経験をつんでも結婚したり年をとったらそこで終わり。さらにいうと「お嫁さんになる」という保険がいつでもある(小林翁はジェンヌの見合いの世話をよくやいたらしい)。一方でアニメーターの多くは男であり、生活を背負って頑張っていた。結婚したら終わりということはない)

・手塚治虫のような天才が現れなかった
(ただ、宝塚は池田利代子原作の「ベルばら」で戦後起死回生したが。やっぱりマンガはすごいのだ)

・宝塚にはすみれコードや小林家をはじめとする経営陣の思惑などの制約が多かった
(面白いものを創造するためには文化的政治的制約は少ないほうがいい)

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03月28日(月)

起床時刻:10時15分

池田信夫もアホだな。
「「原発で人が死ぬリスクはゼロじゃない。それを禁止するなら自動車もタバコも禁止しろ」と東電がいえたら本質的な議論ができるのに、それがいえないために毎年300億円も無駄なCMをやっている」
だってさ。

確かにリスクを認めた上で安全に運転しましょうねという話のほうが建設的だしそれには同意だが(しかし実際のところ、「リスクを認めたうえで安全に運転する」ための「建設的な意見」や「改善点」は色々な人や機関からいくつも指摘されてきたのに、東電がまるっと無視してきたのだ)、自動車やタバコと同列に語るなんてバカじゃないの。

確かに原発で死ぬリスクは自動車で死ぬリスクより風呂場ですべって死ぬリスクより圧倒的に小さい。だから風呂場のほうが原発より危険ですってなるかっつーとならねーだろ。

2chのまとめサイトによればホリエも似たようなことを言っていたみたいだが、自動車は東京都内で自由に乗れるし、タバコだって東京都内で自由にすえるけど、原発を東京都につくることは決して認められないっていうことの意味を考えたら自分がいかにアホなこと言っているかわかりそうなもんなのに。

このことに関して、池田は「「東京に原発をつくれ」というコメントはすべてブロック。原発のリスクはゼロじゃないんだから、東京につくらないのは当たり前」というが、自動車のリスクもゼロじゃないしタバコのリスクもゼロじゃないのに、なんで両方東京のどまんなかでみとめられてんだよ?って話だよ、あん?

「原発事故は「リスク」ではなく「不確実性」なので、確率評価は無意味」というが、不確実性が高いというのは高リスクっていうんじゃないんですかね?

普通に自動車やタバコより原発のほうがあぶねーんだよ、アホだろ。何詭弁をろうしているんだか。

じゃあなんで「原発はノーサンキューだけど電力だけちょうだい」と東京都や池田は言って、福島は「原発だけたてて、電力は東京へあげます」てなことになってるかっていうと、福島県知事の説明だと「温順な県民性ゆえに、原発の建設を認めてきたから」らしいが、単にビンボーなんだろと思うわ。リッチだったら、そんなもの全力で拒否るもん。

びんぼう人は放射能まみれでも仕事が欲しいから原発で働くように、原発を誘致する県はくそビンボーで、県民の安全性よりも目先の金につられるから建設するんだよ。だから原発はビンボーな県の海沿いにつくられてんだよ。

だいたい、リッチな池田や勝間、石原みたいな原発推進論者は原発の横には住まない。一方、ビンボー人は①金がない②金がないから政治家にコネもない③金がないから移住もできない④金がないから原発に就職したい、などなどの理由で、自分ちの横に原発がたっても住み続けるしかないのだ。

私はこういうのが好きではない。

つまり私は池田、勝馬、石原みたいに「自分ちのよこには原発たてるな!福島ならOK!むしろいっぱい建てろ!車より安全!!」とかいうのは大嫌いだ。自分ちのよこにたってもOKな条件でなきゃ、認めたくない!!

(だから変な話、私は天皇制について懐疑的だ。天皇陛下のことは尊敬申し上げているし私は基本的に保守的なので皇統は守っていっていただきたいと思う。だがその一方で皇室は移動の自由も信教の自由も思想の自由も言論の自由も職業の自由も大幅に制限されているのをみるとお気の毒に思ってしまう。「税金でいい暮らしができるからいいではないか」という人もいるかもしれないが、私自身はお金をもらったって絶対そんなのいやだ。そして私は自分が絶対にいやなことは他人にも強制したくないから、やっぱりなんだかなぁと思ってしまうのだ)

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03月27日

起床時刻:10時40分

まどマギの7話で、杏子の父親の教会に再び信者が集まった理由は杏子の願い(魔法少女になる対価)であることが父にばれ、「魔女」とののしられあげく、杏子を残して一家心中したということが明らかになったんだが、いまだに父親が「杏子が魔法少女である」ことを看破した理由がわかんない。

例えばだ、全女子から忌み嫌われているような男のお母さんが息子をあわれみ「息子がもてるようになりますように!」という願いとひきかえに魔法少女というか魔法おばさんになり、息子が突如モテモテになったとする。
当然、息子側も不思議には思うだろうが、まさかお母さんが魔法おばさんになったからだとは到底考えないし、仮にそう告白されても「ハァ?頭大丈夫?」としか思えんだろう。

wikiみてたら、やっぱり同じ疑問を持った人がいるようで、以下の仮説があげられていた。

仮説1 :杏子も毎晩魔女退治で家を離れるわけだし、家族も不審には思うでしょ。後を付けられたりしたのかもしれないね
仮説2 :杏子の性格的につい自慢げに喋ってしまったのでは
仮説3 :杏子が成長しないことに気づいた父が不審に思い問い詰めたのでは。教会が荒れ果てて床には草まで茂っていたのは、使われなくなってから長い年月が経過したためかもしれない。
仮説4 :しばらくは自分が認められたのだと思っていたが、今までろくに話を聞かなかった信者から盲目的に信じられることに違和感を覚える→そういえば杏子の様子も変だ→問い詰めたり尾行したり→発覚っていうのはどうだろう

以下反論。
仮説1←家族も不審には思うだろうし、後もつけただろうが、魔女との戦いは異空間で行われるため、一般人にはみえない。魔法少女であることがばれるはずがない。

仮説2←杏子がつい自慢げに喋ってしまったとしても、普通の人なら信じるわけがない。

仮説3←これが一番説得力ある。みんなが老人になっているのに、ひとりだけ永遠の女子校生だったらそれは不信がられるにちがいない。科学的に説明がつかない事象がおきると、非科学的な理由を信じやすくなるからな。
となると、杏子はたぶん15年、20年スパンで魔法少女をやってることになる。10年前後ぐらいでは父から「こいつは魔女だ」と確信されるレベルにはなりづらい(「童顔」とかですむ)。

仮説4←突然自分が認められて変には思うだろう。でもその理由が「娘が魔女になったから」で納得する可能性は相当低い。

私は違う仮説をたてている。
私の仮説では杏子のお父さんは異空間をみることができ、従って魔女の存在をかいまみることもできた、という仮説だ。まどかやさやかも魔法少女でもないのに、異空間をみることができた。彼女たちは魔法少女候補者だからであるが、―よくわかんないが、なんかこう、周波数がぴたっとあうような感じで、潜在的に魔法少女になれるような人(おっさんでも)には機が熟したときにはちらっとみえたりするんじゃないか。

きゅうべえはこう説明する。
「知的生命体の感情をエネルギーに変換する技術を編み出し、宇宙の熱的エントロピー(熱的死)の問題を解決するために宇宙に数多ある知的生命体の中から地球人類を選び出した。そのなかでもとりわけ十代の少女の希望と絶望により大きなエネルギーを得られるため、契約により魔法少女として、感情エネルギーを回収し、宇宙全体のエネルギー問題を解決しようとしている」

つまり「魔法少女システムを通じた希望→絶望のギャップから生じる心的エネルギーの取り出す」のがきゅうべえの目的であるということ。従ってそのエネルギーが高ければ別に十代の少女に限定する必要はない。ただ、十代の少女をねらうのは、少女の感情のフレ幅が大きく、魔法少女→魔女への転生システムが容易であるという効率性の観点からだろう。

私は杏子の父は非常に繊細な人で、大きすぎる人類に対する希望(キリスト)といつまでもかわらない愚民(磔による死)との間で、激しく揺れ動いてきたのではないかと思う。
その感情のふれ幅の大きさゆえ、潜在的魔法少女だった。だからこそ魔女が現る異空間をかいまみることができたのではないかと思うのだ(女子高校生のケツばかりおいかけているきゅうべえはもちろんノーマークだ)。

杏子が言っていた「教義にはのっていないが正しいこと」というのは魔女の存在ではなかろうか。もちろん、教会には破門される。
一方で杏子はきゅうべえに魔法少女になるように目をつけられていたから、魔女のいる空間も認識できたであろうし(まどかのように夢をみるという形かもしれないが)、父のいっていることは「正しいこと」と知っていた。だからこそ、誰も父のいうことを聞いてくれないことを憤ったのではなかろうか。

つまり、杏子の父は魔法少女的な素質があったから、魔女の存在をうっすらと知ることができ、それを説法で語った
→その結果、杏子父はマジキチ扱いされたが、杏子(魔法少女候補生で魔女の存在を知ることができた)は父が正しいことを知っていた
→だからこそ杏子は父の話をみなが聴くように願った
→教会に人が突如集まることになったのは、杏子が魔女になったからだと父は理解し、悲嘆にくれる。

杏子父は不完全な形でしか情報を得られなかった(夢の啓示とかそういうレベルかもしれない)ので、魔法少女のことはわからなかったのであろう。断片的な知識(魔女が願いをきいてやると人をそそのかして堕落させる的な)ことしかなかったので、杏子のことを「魔女」とののしって、わが子が「悪魔に魂をうった」と悲嘆にくれ自殺したのではなかろうか。

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03月26日

起床時刻:11時30分

「隠蔽は敷島大和のお家芸」というキャッチコピーを思いついたが、まぁ考えてみればどんな国も、どんな企業も、どんな人も、大なり小なり都合の悪いことは隠蔽しているのであった。

人種・国籍・民族・性別・宗教の差を越えて、都合の悪いことは隠蔽するのである。人類はまさに一つであるなぁ。人類皆似たり寄ったり。

ちなみに『踊る帝国主義 宝塚をめぐるセクシュアルポリティクスと大衆文化』(ジェニファー・ロバートソン/現代書館)でも、著者のロバートソンが池田文庫(宝塚関連の書籍が豊富)で、資料の貸し出しに際して、宝塚の隠蔽体質のため都合の悪いものは拒否られたりごまかされたりしたみたいだ。
もっともこのロバートソンって人、勘違いも多いみたい。池田文庫のことを「公立の図書館」(P62)って書いているけど、企業図書館だろ。

まぁ、色々知らないことも書いてあったが、ぶあつい本の割に得るところもなかったような気がする。

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03月25日(金)

起床時刻:07時45分

原発で3人の方が被爆。
東電の協力会社で電気設備工事大手の関電工の2人と、その下請け会社の1人。20~30代の方。泣けてくる。2~6svってやばすぎるじゃん。

2chのコピペをちょっと改変すると、
「東京電力(お客様)元請けへ丸投げ
 ↓
関電工・東電環境エンジニアリング(元請け)安全な場所から孫請けを監督
 ↓
――――――――――<現場の壁>―――――――――――――
 ↓
多数の下請中小企業(孫請け)現場監督
 ↓
派遣・短期バイト(作業者=奴隷)現場の作業実施者

どう見ても建設・IT業界と全く同じヒエラルキー構造です。ありがとうございました」

ほんと、ありがとうございましただよ。

だから、話がとぶようだが、アゴラ(大嫌いなサイトなのに、うっかり読んでしまった)で藤沢とかいうやつが書いた「所得税はフラット10%にして大幅な税収アップ」とかいうつまらんものを読んでまじでむかついてしまった。

こいつは日本の税制は高所得者に高いから、一律10%にしろというのだ。がんばった人から多くとるのはいかんという。「がんばった人に報いるフェアな税制が求められているのである。政府はそういったフェアな競争のフレームワークを提供しさえすれば、優秀な日本人は自ずと創意工夫を重ねて世界が驚くようなモノやサービスを次々と産み出していくだろう。」

ハー?よくいうわ。寝言は寝ていえよ、カス。
↑の図式であてはめれば、高収入な人=「がんばった人」=東電であり、低収入な人=「がんばってない人」=現場の作業員なんだよ。お前のいうフラット税率だと、東電幹部(口先だけのゴミクズ連中)=手取りアップ、現場の作業員(体をはって日本を守ってる)=手取りダウンになんだよ。

わかる?
金融屋が何ほざいてんだよ?黙って儲けの算段でもしてろや。

お前よりも何倍も役にたっている人たちが低賃金でがんばっているのに、そこにフラット税を導入してさらに現場の下っ端をいじめようとするなんて、つくづくクズだとおもうわ。

だいたい、「税金が高いから日本から出て行く人がいっぱいいる」だか「日本に優秀な人がこない」だかってホリエもいっていたような気がするが、おまえもホリエも日本にいるじゃん?ゴミクズ竹中ヘイゾーのように、1月1日だけ、アメリカに住民票うつして、アメリカに住民税払ってんの?ま、細かいことをいうと、アメリカで課税される住民税はアメリカで稼いだ所得であるが、ヘイゾーはの収入は主に日本で得られるものだから、アメリカにすら、住民税を払ってもいないのであるが。さすがヘイゾー、ゴミクズである。全く、ぶれない!!!

(参考↓)
http://blog.goo.ne.jp/sinji_ss/e/60818aa09b1f61e24bfbce9e49cc69b4

それとも英語がしゃべれねーから、日本に住み着いちゃってるの?英語がしゃべれるんなら、とっとと税金の安いシンガポールにでも出て行って、おまえが「驚くようなモノやサービスを生み出した」ら、私も実名を出して土下座で謝ってやんよwww

だいたい「優秀な日本人は自ずと創意工夫を重ねて世界が驚くようなモノやサービスを次々と産み出していくだろう」って根拠はなんだよ?ネトウヨかよ?本当に優秀ならとっくに生み出してるだろうよ。学問の世界では海外の大学に留学してノーベル賞とかあるようにな。

だいたいさ、お前のいう優秀っつーのはさ、東電のトップとか、あとヘッドハンティングで億単位のオファーくるようなやつのことだろ?

私が考える優秀と違うんだよ。私だって驚くようなモノやサービスを生み出した人は優秀だと思うけど、たとえばyoutubeやfacebookをはじめた連中とかさ、でも彼らはただそのことが面白かったからやったんだと思う。「累進課税制度だから、税金がっぽりもっていかれるよ」ってザッカーバーグに言ったとして、「それならやめるわ」ってなるかよw?
おまえみたいな創意工夫もかけらもない凡庸な人間と一緒にすんなwww

それから日本からマイクロソフトやグーグルやアップルが出なかったのは別に税金が高いからじゃねーよwww
別の要因だよ、金勘定しか頭にないバカにはわからんだろうけどなwww
税金が安くなったからってこういうレベルのモノやサービスが日本から出てくるわけじゃねーんだよ、バーカ。

そもそも、税金払いたくないだけなのに(それはわかる。それはみんなそうだ)、バカな理屈つけてんじゃねーよ、低脳。
その後の話も実にバカげてる。消費税をあげたら頭数が多いんだから税収があがるのと同じ理屈じゃねーか。
本気でバカじゃねーの?

上のヘイゾーのリンク先のブログ主が「『金持ちに対して税金を重くすると、金持ちが日本からいなくなってしまう』という累進課税否定論者の意見がありますが、累進税率を下げようが、税金が高かろうが安かろうが、日本に思い入れのないものは、日本に税金を納めずにすむ方法を考えついて実行するものです」と書いているが、本当にそうだよ!

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03月24日(木)

起床時刻:07時40分

上沼恵美子のおしゃべりクッキングに出てくる若林先生はいつみてもかっこええなぁ。もっとも私の中のナンバーワンはNHKアナの出山智樹さんだがな!

ちなみに今日は「カリフラワーの蒸し煮」。

カリフラワー 1株:小房にわけて洗う
ベーコン 50g:1cmの棒状
にんにく 1/2片:芽をとってつぶず
ほうれん草 1/2束:5cm長さに着る
ブイヨン 50ml
マヨネーズ 30g
アンチョビ・ペースト 小1
塩、胡椒、バージンオリーブオイル 適量

フライパンでにんにくを弱火で熱し香りを出したら、ベーコンを加え中火でいため、カリフラワーを加えて塩・こしょうをし、焼き色がついたらブイヨンを加えて蓋をし、弱火で3分蒸し煮する。ほうれん草を加え、強火でさっといためて出来上がり。
マヨネーズとアンチョビペーストを混ぜたものを添えて供す(でも、これがなくても美味しい!って上沼恵美子は言ってた)。

焼き色をつけるのがポイントみたい。オーブンで焼くより早くて簡単、かつ省エネだのぅ。若林先生はよく味出しでベーコンを使う印象がある。

************
福島第一原発の事故を受けて、骨髄移植・被曝治療の専門家である米国人医師、ロバート・ゲイル博士(65)が来日して記者会見。
https://aspara.asahi.com/blog/kochiraapital/entry/sWh2otqZz6

「博士が最も重視したのは、原発で作業にあたる方々の安全についてだった。
大量の被曝をすると、「骨髄抑制」と呼ばれる症状が起きる。骨髄は、白血球・赤血球・血小板などの血液中の細胞をつくる重要な機能をもっているが、これが損なわれてしまう。この症状は、ある程度までであれば、骨髄移植をすることで救える。チェルノブイリで、ゲイル博士は骨髄移植を行っている。
移植は他人からでもできるが、遺伝子の違いによるGVHD(慢性移植片対宿主病)と呼ばれる合併症の危険などがあり、場合によっては命にかかわることもある。この危険は、自分のものを使えば避けられる。なので、作業にあたる人は、前もって自分の末梢血幹細胞を採取、保存しておき移植に備えておくべきだ---という解説だった」
*************
これからの原発作業員は念のために備えて、自分の抹消欠陥細胞を採取して保存するようルールをつくるべきかもしれん。もちろん、費用は東電負担で下請け丸投げは禁止にした上でな。

資本主義のルールでなにもかもが、うまくいくわけがないのだ。普通に自分のことを考えりゃアわかんだろう?
今、うちらは東電の幹部連中をたたいているが、うちらだって、だれにもばれなきゃ、税金なんか払いたくねーだろ?それと同じで監視機関がなけりゃ、一円のもうけにもならない安全対策なんか東電だってしたくはないさ。
大企業だからそこんとこ、ちゃんと考えてくれてるはず!てなことがあるわけねーっつーの。どいつもこいつも本質的には1円でも儲けたくて、公共の利益とかそういうのはどーでもいいっつーのがホンネ。まぁたまに立派な庶民もいるがね、公益を優先させて考えるようなやつは永遠に資本主義社会では成功しないし、だからこそ永遠に庶民なんだよ。

まぁ貧乏人が脱税するのとは違って、原発は影響が大きいから、「ちゃんと安全対策をとっているか」監視する機関が必要なんだよ。
今回の問題は監視機関がちゃんと機能してなかったってことだ。自民や民主は東電から献金もらいまくりのべったべた関係だし、保安院は原発推進側だから危険を隠すばっかりだし、どうしようもねぇ。そういや原子力安全委員会ってあったよね?管以上に存在感ゼロだが。
こりゃもう、共産党員を監査役にでもしなきゃいけないんじゃねーの?(もっとも、ただ単に反対するだけの役立たずは却下だが)

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03月23日(水)

起床時刻:09時30分

友人とランチ&お茶。
彼女は某外資系保険会社のコルセンでバイトしていたんだが、彼女によると原発のあれやこれやの後、社員の間で突然の大阪出張(帰ってくる時期不明)続出だったらしい。しかもこっそり(彼女は辞める人間なんで教えてもらえたらしい)www。4人いた社員のうち3人は大阪らしい。使い捨てのバイトだけが律儀にコールセンターに行っているというねwww。

まぁ世の中ってそんなもんだよな。彼女がいうにはコルセンって世の中の最下層ジョブ(FF11でいうところの暗黒さまだな)らしい。きちがいクレーマーに怒鳴られて「申し訳ありません×∞」って(自分はなんも悪くないのに)謝るのは、かなりなストレスだったってさ。とってもいい職場だったらしいんだが、週5日とかやるとHPが赤くなるレベルのバイオをくらうみたいだ。

「まぁでも、人の話聞くしか脳がないんだからしゃあないよね、そんな仕事くらいしかできねーもん」みたいなことを言ってしまったが、まぁもちろん、私もそうなんだぜ。

関係ないが「魔法少女まどか☆マギカ」の11回は放映延期らしいな。最初はつまんなかったが、後半「ひぐらし」っぽくなって予想以上に面白かったんだけどな。

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03月22日(火)

起床時刻:08時30分

sinzyさん、更新とまってるな。倒産しかけてんのかなぁ。
2chのスレで30万で先物オプションプット売り→株大暴落→追証1億3千万せまられてぽぽぽぽ~ん!!になってた人がいたけど、そのパターンかな。ま、私もsinzyさんに預けた金は、ぽぽぽぽ~んだがな。
先月のリターンなかったからとりあえず目先の利益確保に動いて、あわわわわ状態なのかなぁ。

ま、投資なんて、いいときも悪いときもあると私は思うから、1年間くらいリターンなくても全然いいんだけど、そういうレベルじゃないんだろうなぁ。リターンないどころか、元金もなくなっちゃったらしいからな(昨日の日記参照)。

sinzyさんの在日の奥さんの実家は突き抜けた金持ちらしいから、数億くらいなら援助してもらったらええやんと思うんだけどねぇ。ケチなのかねぇ。だからこそ、金持ちになったんかもしらんけどねぇ。

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03月21日(月)

起床時刻:10時16分

台湾のチャリティー番組で東日本大震災向けに21億円超集まったらしい。すごすぎる。
「【台北・大谷麻由美】台湾の赤十字会やテレビ各局などの主催で18日夜に行われた東日本大震災の被災者を支援するチャリティー番組で、生放送中に7億8800万台湾ドル(約21億5000万円)の義援金が寄せられた。馬英九総統も20万台湾ドル(約55万円)を贈り、電話での義援金受け付けを手伝った」(毎日2011年3月19日)

ありがとう、台湾、謝謝!!

それにくらべておまえらは・・・って話になるのがまぁ2chなんだが、日本人の芸能人とかタレントとかスポーツ選手とかの、寄付があんまりない。
想像するに、今回の震災(それにともなう株の暴落と円の高騰)で資産運用していた有名人たちには相当な損が出た→寄付どころじゃねぇwww俺オワタwwwな人もけっこういるんじゃないか。

まぁ私なんだが。
sinzyさんの会社と10月に「投資一任業務契約」というものを結んで、小口ながら運用はじめてもらったんだけれど、先月はリターンゼロで、先週の水曜に「弊社の運用に甚大な損失が発生し、お客様のご資金残高全てを失ってしまいました」(ああ、ここゴシック太字にしたいw)っていうメールがきたんだよね。「お客様のご資金残高全てを失ってしまいました」って、この破壊力、ぱねぇっすwww。

それがなかったら私もいっぱい寄付してた!絶対!
(といいたいところだが、どうだかわからん)

そういやsinzyさんの奥さんのお友達はsinzyさんの会社で年金資金の運用をお願いしていたらしいんだが、年金がいきなり全額パァになっちゃったのかな?それともそっちの損失補てんのために私の小口資金が流用されたのかな?

いやぁまじでちょっとお腹痛くなったよ。まぁ小額だからよかったと前向き思考しておこう。しかしこんなことになるなんて、私はやっぱりバカなダメ人間だよなぁ。また一つ、ダメ人間の階段をあがったぜ。

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03月20日

起床時刻:13時30分

うちの母が福岡に帰ってきたらと「疎開のすすめ」をしてくれたんだが、私みたいな存在自体が不要不急の人が無駄に民族大移動して混乱をひきおこしてもしょうがない気がする。
というか、自宅待機ができたり、西へ「疎開」できる人っていうのは、そもそも不要の人だと私は思うんだよね(妊婦と幼い子供の母親は除きますよ)。

電車を動かしている人、コンビニやスーパーをあけてレジをうっている人、停電や断水を修復するために工事をしている人、交通整理をするおまわりさん、物資を届けているトラック運転手、福祉施設で老人介護をしているケア・ワーカー、お医者さん、こういう人たちが一番大事で必要な存在で、疎開してでも助かっていただきたいのに、彼ら・彼女らは決して現場をはずせない。

すばやく西へ逃げた東浩紀早稲田教授とか、あるいは電通や博報堂なんかの自宅待機社員たちが一番いらない人なんだけど、こういう人たちのほうが助かる確率が高い。体をはって現場で頑張っている人たちは、(医者を除いて)給料も安くて待遇も悪いんだよなぁ。そういやうちのおばあちゃんが先の戦争では、立派な人から死んでいったと言っていたが、そういうこともあるかもしれん。ゴミクズっ子世にはばかるのかもしれん。

福島原発の作業員募集がハロワにのってるんだけど。仕事内容「原子力発電所内の定期検査・機械・電気・鍛冶溶接及び足場作業」で日給で9000円~11,000円の1年契約。もちろん、各種手当は(通勤手当も)ない。まぁ年齢・学歴・スキル・経験不問だがなw。フルで働いて月20万前後か。私は釘すらまともにうてないカスなんで、無理だけど、もしそういう技術的なことが得意だったら応募したかもなぁ。

それでも働きたい地元の人はいっぱいいるだろうな。
まさに「いやならやめてもいいんじゃよ」@マートFF11だよな。

なんだかなぁ。

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03月19日

起床時刻:12時30分

TUTAYAに行って、借りていた映画(『タイタンの戦い』『ライフ・アクアンティック』)を返して、また借りてきた(『アイアンマン2』『第9地区』。『第9地区』けっこう好きw)

昨日、今日と月がきれいだ。省エネで町が暗いから?
くっきりはっきりまんまるの月。
らばQには「2011年3月19日の深夜、正確には日本時間3月20日の午前1時から4時頃にかけて、19年ぶりに月が地球に最接近する「スーパームーン」が見られます」とあった。そういうことなん?

話はかわって、やれフランス人やドイツ人に国外退去勧告が出てるとかアメリカ人は福島原発の半径80kmは避難区域だとか色々言われて、日本と基準が違うと焦っている友達がいてメールがきたけど、まぁそれだけをもって「日本政府は事実を隠蔽している」とか「自国民を危険にさらしている」とかはいえない。
例えば、私は1999~2000年あたり、狂牛病騒ぎの頃のイギリスに住んでいたのだが、たった1年いただけで日本では献血ができない。潜在的狂牛病患者だからだろうか。
これがイギリスだったらたぶん、私だって献血OKなはずだ。調べてないけど。
日本の献血事情をイギリス人が聞いて「イギリス政府はイギリス国民を危険にさらしている」と思うだろうか?日本がおかしいと思うんじゃなかろうか。

つまりそういうことだ。自国民を可能な限りリスクから遠ざけたいとはどの国だって思う(責任問題だからな)。だけれどもあるリスクから遠ざけることによって、より大きなリスク(混乱)が生じる場合は、天秤にかけて判断せざるをえないだろう。

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03月18日(金)

起床時刻:11時15分

地震や災害に物語性を付与したり意味づけをしたがるのは、古今東西、あらゆる民族でみられる性質だ。
具体的にいうと、雷が落ちて「神様が怒っていらっしゃる」と言ったり、病気になった人に「前世のカルマだから当然の報いだ」と言ったりするようなことだ。
今回の地震でも、石原都知事が今回の大震災を、「これはやっぱり天罰」などと述べた。
韓国では「日本国民は偶像崇拝や無神論、物質主義に陥っている。日本震災はこれに対する神様の警告だ」と韓国最大規模の汝矣島(ヨイド)「純福音」キリスト教会のチョ・ヨンギ牧師は述べた。

正反対の思想グループに属していそうな二人が、日本を襲った不幸な自然災害を「天罰」と解釈するという、不思議な意見が一致していて興味深い。さらにはお二人とも精神性(かたや「大和魂」的なものであり、かたや「キリスト」であるが)を大事にされることでも共通している。基本的に似たタイプなのだ。後者が日本に生まれれば都知事タイプになり、前者が韓国の牧師になれば後者のようになったであろう。

こういう類の人間が、単なる自然災害にその「精神的」理由を求めるのは、「自分に同じような災厄がふりかかったらどうしよう」と恐れているからだ。
もしこれが単なる偶然だったら、恐ろしくて気が気ではない。自分も悲惨な目に遭う可能性が出てくる。そんなときに精神的に子供な人間は現実逃避するのだ。

「これは、あの人が神様を信仰しないせいですよ」「これはイルカと鯨の呪いですよ」「前世に悪事をはたらいたからですよ」
不安で仕方がないから、そういう何の根拠もない理由が必要なのだ。「自分は神様を殺してもいないし、イルカも鯨も殺していないし、今、悲惨な目にもあっていないから、当然前世も悪事をはたらいていない、つまり自分は大丈夫」とやっと安心できる(神様を信仰すれば無病息災というなら、キリスト教国家の中世ヨーロッパでペストが大流行して人口の1/3を失ったのはどう説明するんだ?ま、やつらの答えることはわかっている。それは「神を信仰していたおかげで、全滅しないですんだ」っていういつものパターン。でもそれを言うなら、日本だって、「天皇家なり神風なりフジヤマなりが日本をお守りしてくださったから、東京で大震災が起きなかった」とかいうわけのわからんものいいだってできるんだよっ)。

そうしてこういう類の輩は、被害者への同情心を断つことをも道徳的に正当化するのだ。つまり不運な目にあったのはその人が悪いから、つまり自業自得、因果応報、自己責任ってわけ。
不運な目にあった他人を深く思いやるというのはいつでも精神的につらいし、本当にタフな人にしかできないことだから、そうやって逃げる。

病気や災害というつらい現実を真正面から見据えて、原因究明や予防や対応策に我慢強く取り組んでいくというのは、お祈りをささげ続けることより、ずっと精神的にタフな仕事。

もちろん、現実から逃避せず、現実に立ち向かい、不運に見舞われた人の痛みを自分の痛みとして感じられるようなタフな人が、最後に「神」を口にするのを非難するつもりは毛頭ない。そういう局面だって、現実にはいっぱいある。人事を尽くして天命を待つのは、本当に人事を尽くした人がいうのならば、重みがある。

そうではなく、簡単に神の怒りだの天罰だの言う人は「原発の神様の怒りを静めるために人柱をたてるのじゃ」とかいってそうな、太古の有害なる精神構造を持っている人であり、人類の歴史というものを全く知らない人なのだ。私はそういう人を一番軽蔑する。

別に悪意はないのだろう。単に素朴で精神的にもろいから、「自分は大丈夫、だって神の山に備えありだもん」と思いたいのだ。
私も知的にも精神的に弱いから、宗教にすがりたくなる気持ちはよくわかる。
だけれども、人類の歴史の暗部の大部分は、こういう「精神的にも知的にも脆弱な、素朴な群集」によってつくられてきたのだ。少なくともそれだけは常にしっかり自覚していたいと思う。

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03月17日(木)

起床時刻:不明

米が家にないwww。
当然買いだめなんかしていないwww。
ま、冷凍しておいた赤貝の炊き込みご飯とピーマンと豚肉(+にんじん、にんにく)のオイスターソース(+豆板醤、しょうゆ)炒め、デコポンを食べているからモーマンタイだが。

まぁ、買いだめをする人たちの気持ちもわからんでもない。原発が今よりもっとやばいことになって、東京でも家から一歩も出てはいけなくなったときを想定して、家にこもってもOKなように買いだめとかしてるんだろうなと思う(違う?)。

日本の原子力開発は世論が許さないかもしれないが、私は原子力についての研究は続けていったほうがいいと思う。だって原発って絶対なくなんないよ?
あとは、被ばくしても超簡単に放射線が体内から抜ける(汗になって蒸発とかオシッコになって出ちゃうみたいな?)ようなナンカを発明したらすごいよね!まぁハゲ薬すらできないんだから無茶だよなぁ。

仙石が副官房長官になるらしく、日本国民は暗澹たる気持ちになっているはずだ。たいていの政治家は賛否両論だが、こいつに関しては「賛」を聞いたことがない。
この人の実力がどうこう、というよりここまで人望のない(というより、すっごく嫌われている)人を起用するのはどういう意味なんだ?

どいつもこいつもカスばかり!勇敢で頼れるのは真面目な下っ端作業員と自衛隊と警察と消防だけ!ってどんな状況だよ?

こんな中、鈴木文部副大臣の↓のパフォーマンスはありだ。
http://twitter.com/itokenstein
「福島30キロ圏の放射線が怖いという「風評被害」に対して:鈴木寛・文部副大臣自身が現地に入って陣頭指揮している。常時モニタしながら移動しているので危険なところなら踏み込まない。政治家自身が入っているのを参考にと伝えて下さい。鈴寛は大変に立派な仕事をしています。周知してよい内容です。」

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03月16日(水)

起床時刻:12時00分

なんかお腹の調子がゆるい。
うちのトイレットペーパー、残り少なくて貴重なんだから、あんまり使いたくないんですけど。昨日、バイトの帰りにスーパーに寄ったら、トイレットペーパー、完全に売り切れてた。

ちなみにうち、米が既にないwww。
切れたので買おうとしたら売り切れてた。
地震発生当日に、流通が麻痺するから色々品薄になるだろうなと思ったんだけど、「米、重いし」とか思って後回しにして通常モードで対応していたらこんなことになったwww。
ま、小麦粉が少しとパスタがあるんでまぁなんとかなるとは思うんだけど。

原発の事故、現場で作業している人には本当に頭が下がる。というか、かわいそすぎる。落ち着いたら、作業従事者、自衛隊、米軍、消防の方々のその後の健康状態や国や東電による補償なども全部報道するように。

それはともかく、原発には絶対安全ということはない。というより、何事にも絶対安全ということはない。飛行機だって落ちる可能性はあるし、国債だってデフォルトする可能性はある。飛行機だって落ちる可能性があるが利便性を優先してみな普通にのっている。基本的には「安全」とみなが見なしているからだ。今回の原発事故だって、千年に一度の大地震が起こったからこのような大事故になったのであって、「確率的にいえば安全なのだ」と言おうと思えば言えるのだ。

しかしながら、飛行機と原発とでは決定的に異なることがある。それは原発の事故は飛行機事故とは比べ物にならないくらいの深刻かつ長期間にわたる影響が出るということだ。

おそらく死亡者数は、今回の原発事故よりもジャンボジェット機が落ちた場合のほうがずっと多いだろう。しかし、長期的な影響の深刻さは比較にならない。
福島の原発付近には半永久的に人が住めなくなる可能性が高いこと(原爆は核反応が完了するので廃棄物はあまり残らないから、長崎や広島には普通に住める)、海流を通じて近海の魚の放射能汚染がすすむ可能性があること、風評被害も含めて福島のみならず関東以北の農業・漁業に壊滅的な打撃を与える可能性が高いこと、その結果、東北地方の経済のたちなおりが極めて困難になるということ、などなどだ。もちろん、住民の健康被害も十分に考慮する必要がある。

しかし私は預言するのだが、福島の原発事故が世界中から懸念されるような事態になっても、日本の原発は操業をやめないだろうね。

さらにいうと、50年後か100年後、日本が今と同じような社会であったら(つまり、風力発電や太陽光発電などのクリーンな電力供給では電力需要においつかないような社会)、また原子力発電所は日本のどこかにつくられるでしょうね。
「福島の経験をいかして、今度は千年に一度の大地震と大津波が襲っても大丈夫な設計にしました!」とかいうキャッチコピーをたずさえてね。

そしてまた、忘れっぽい日本人は「今度は絶対安全なんですね?」と念を押したから大丈夫という、なんの意味もない「確認行為」を行ったあとで、建設するんじゃなかろうか。

原子力発電所の問題だけではなく、東京電力固有の問題(東北電力の女川原発は大丈夫そうじゃねーか!)についてもさんざん共産党が指摘してきたのをスルーしてきたのと同様に、どうせ何十年かたったら、風化させてしまうのだ。
日本人のことを「核アレルギー」とか言う人がいるけれど、地震大国の上にこれだけ原発を乱立させてどこがアレルギーなのか正直理解に苦しむ。
ま、私は原発のとんでもないリスクを引き受けた上で、経済発展だか経済効率だかよくしらないが、そっちを優先させて原発をつくるというのも一つの判断だと思う。例えば肺がんのヘビースモーカーがリスクを省みずタバコを吸ったとしても、それも一つの判断で、ニコチン摂取による満足度の向上を自身の健康よりも優先させるという価値観の問題だからだ。

一番気に入らないのは「絶対安全だと言ったから原発を建てた」「健康には害がないと思ったからタバコを吸った」というような子供じみた考え方だ。

思ったんだけど原子力安全委員会とかなにやってんの?
だいたい東電は私企業で、私企業っつーのは金儲け至上主義なんだから安全やら設備投資やらは後回しにするにきまってんだから、保安院(まぁここはあてにならんが)とか安全委員会があるわけでしょ?
視機関が機能していなかったんだから、そっちも大問題だよ。

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03月15日(火)

起床時刻:08時00分

アルバイト。
昨日ちらっと書いた日本側の台湾救助隊の受け入れが遅れたことについて、朝日が書いている。
http://www.asahi.com/special/10005/TKY201103140399.html
「【台北=村上太輝夫】台湾の救援隊が14日、羽田空港に到着した。11日の地震発生直後にすでに隊員派遣の用意を表明しながら、丸二日も待機を強いられた。台湾側は「中国要因でしょう」(外交関係者)と受け止めている。
 日本側はいったん受け入れると返答したが、その後「現場が混乱している」として待つよう要請した。だが、その間に各国から救援隊が入り、台湾メディアから「なぜ入れないのか」と疑問が出始めていた。日本政府は1972年に台湾と断交、「台湾は中国の一部」とする中国の立場に配慮しており、台湾隊受け入れをためらったとみられる。
13日に中国の救援隊が現地入りし、同日夜にやっと台湾隊受け入れが決まった」(2011年3月14日20時48分)

テレビではそういうこと放送しないんだよな。バイト先では一日中NHKがつけっぱだったけど、おんなじ内容を何度も何度も繰り返していたよ。

原発に関しても、日本のマスコミ(特にテレビ)と海外のマスコミの報道の温度差がありすぎ。

日本人がパニックになるのを恐れてなのかもしれないけど、海外から「日本人は冷静沈着。素晴らしい」ってマンセーされてホルホルしてたんじゃなかったっけw。冷静沈着、どこいったwww。
まぁそれは冗談で、各自が福島脱出、東京脱出、日本脱出をはかった場合、大混乱になるのは必至だ。

ふと「個々人が自分の利益を追求することが全体の利益の最大化につながる」といったアダム・スミスのことを思い出した。
今だったら、「東京から脱出する」という個人の利益を全員が追求すると、神の手マジックで、うまいこといくわけだ。
神の手というのは需要と供給のギャップを価格が調整することで、つまりは航空運賃とか電車賃とかガソリン代を従来の10倍くらい(つまり福岡にいくのに片道30万とかね)、ポンとあげるとだな、金持ちだけがチケットを買えて助かるということになる。貧乏人は自宅待機をせざるをえない(ま、一番かわいそうな部類の貧乏人たちはかわいそうなことに、こんなときも「会社にこい」「電車動かせ」「店番しろ」「皿洗いしろ」とか言われて、労働に従事するのだが)。
それで、一部の金持ちだけ無事脱出できバンバンザイ、社会全体の混乱も防げてバンバンザイ、航空会社ももうかってバンバンザイ、全体の利益が最大化されましたね、メデタシメデタシということになる。(関係ないけど、値上げで思い出した。インフレになれば日本の経済問題はだいたい解決する!みたいなこと言っていた人いなかったっけ?KとかIとか)

しかしながら、日本人はここで値上げをするやつをたたく。それは日本人の常識と世間体(と良心と矜持も日本人ゆえに含めたいところだが、まぁこれは個々人による)によるものだ。
もしここで「貧乏人は死ね」的に大幅便乗値上げしたら、高潔で我慢強く素晴らしい(と思いたいが、これまた個々人による)われら日本人であっても「米騒動」がおきちゃうのだ(もっとも江戸時代の商家打ち壊しのときも迷惑にならないように、丁寧にやっていたという記録もあるが)。

結果的には経済的効率性を無視しても公平さを追求し、平等に我慢することを選ぶほうが、社会全体の安定性という「仏の見えざる手」を通じて、効率的に社会の復興ができると私は思うのだ。

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03月14日(月)

起床時刻:11時30分

東北関東大震災に対して、台湾は一番早く、人的支援(救助隊の待機)、金銭的支援(2500万円から3億円に増額)の声をあげてくれた。
それなのに、日本政府は3/14まで台湾の救助隊についてはオファーを受け入れなかった。
3/13のロイターの記事によれば、
「Japan has declined Taiwan's offer of rescue team for now but has requested material aid including generators clothing and food, Taiwanese officials said. Taiwan has donated $3.3 mln and has rescue and medical teams ready to go if Japan requests them.(GENEVA (Reuters))
台湾の官僚によれば、日本は台湾からの救援隊のオファーを断り、そのかわりに発電機、被服、食料などの物質的援助を求めた。台湾は既に3千3百万ドルを寄付し、レスキュー隊と医療チームが日本の求めがあればいつでも出発できるように待機している」
ということだ。
http://www.theusdaily.com/articles/viewarticle.jsp?id=1397980&type=home

政府の態度も問題だが、報道のほうも問題である。NHKでは台湾からの援助に関する報道がほとんどされていない(NHKのHPでも確認したけれど、台湾からの援助に関する記事はみつからなかった。ま、公平を期するためにいえば、アフガニスタンのカンダハル市からの義援金(500万)についての報道もなかったのだが・・・中国からの1000万の義援金とレスキューチームは大々的に報道するのに)。

ドイツ、スイス、フランス、イギリスなどよりも近くに存在し、過去大きな地震災害も経験している台湾の救助隊を、「現場が混乱するから」などという理由で(こちらは別ソース。本当かどうか不明だが)なかなか受け入れなかったのはどういうことなのだろうか。

海外から一番最初に到着した救助隊として韓国(5人+2匹)にはスポットライトをあてるマスコミが、ことごとく台湾を無視するのはなぜだ?ちなみに宮崎の口蹄疫のときも台湾は義援金をおくってくれたのだ。これが韓国だったら繰り返し報道するはずなのに…。

ちなみに日本は中国の四川大震災のときに救助隊を送ろうとしたがずっと断られていた。それと同じ対応を今の日本政府は台湾に対してとっているのではないか?

中国のメンツをたてて、としか思えない。もちろん、反日感情の強い中国や韓国からの支援は大変ありがたいが、せっかくの台湾からの好意を無にしたことは、許しがたい。

それにしても、日本のマスコミは大本営発表にならうか、そうでなければ子供っぽい揚げ足取りか、「(家がなくなって)どんな気持ちですか」「(家族が行方不明で)どんな気持ちですか」などという無神経なインタビューの繰り返し。ゴミすぎる。

*この記事だけ公開したかったのだが、一つの記事だけ公開ってできないんだね。。。

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03月13日

起床時刻:不明

多くの場合の避難場所である学校が緊急時にできるだけ問題なく対応できるように、平常時から行政が施設面・ソフト面でバックアップし、さらには(建設面での)規制強化をしていくべきなんだろうな。

巷間いわれているとおり、欧米が(少なくとも従来は)教会を中心としたコミュニティであるのとは対照的に、明治以降の日本のコミュニティは学校を中心につくられている。
学校というのはただの「教育施設」ではない。災害などの緊急時に人々が逃げ込む場所である。

中国の四川大地震では、耐震的に脆弱につくられた小学校が崩壊して幼い犠牲を多く出した。それを受けて学校も耐震構造をもう一度見直してきたと思うが、一歩すすんで、緊急時に非難場所になることも考えた設計(トイレの多さ・自家発電装置・緊急時の水や毛布などの備蓄)にするべきであろう。

もっとも、最近の過疎がすすんでいる村においては学校にこのような役割を期待できない場合も多いと思われる。その場合は、医療施設や老人福祉施設が同様の役割を果たすことになる。行政と一体となって非常時の対応ができるようなものにするべきだ。
昨今は医療機関や老人福祉施設でもコスト削減を第一とするビジネスライクな方針が優先されているが、過疎や老人の多い地域では医療機関はよりパブリックな存在であり、行政と連携して運営していってほしいものだ。

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03月12日

起床時刻:不明

今回の地震でマスコミがマスゴミであることを改めて認識した人も多いだろう。マスゴミたる根拠を列挙してみる。

①マスコミのヘリが救助活動の邪魔をしている。
(ヘリの音が助けを求めるサインを聞き逃すことになるので、NZランド地震ではマスコミのヘリ報道規制をしたはず。マスコミの車なども緊急支援の邪魔になっているはず)

②枝野官房長官が会見(3/12 18:00ごろ)でマスコミの「適切な取材は重要であるが、上空からの取材が主でヘリ音が妨げになっているので配慮をしてほしい。
取材といえど、津波警戒区間でも見受けるので危険区域への立ち入りはやめて欲しい」と述べているが、その部分は完全無視するマスコミ。

③全局、同じ内容を報道している意味は全くない。
時間と電力と通信とその他もろもろの完全なる無駄。
NHKとテレ朝くらいだけにしたらいいと思う。
さすがのテレ東は一抜けしたようだが。

④独自内容を出そうとしたのか被災者へのインタビューがひどい。
特にニュージーランド地震でもやらかしたフジ(今回の地震でもあのヘルメットはなんだったのか?ふざけてんの?)
「泣かせて数字をとろう」というのが見え見え。

⑤「海外からの支援」に関する報道に偏り。よっぽど日本を韓国大好き国家にしたいんだろう、韓国から支援チーム(5人+犬2匹)が一番乗りしたことを喧伝している(が、どこに救援にむかったかは定かではない)。ドイツやスイスのほうがよほど救援体制を整えた支援をおくってきてくれている。また台湾からの義援金2億8千万(+救助チーム待機)についてはほとんど報道されていない。
マスコミの「韓国プッシュ」のせいで、よけい嫌になる(先生にえこひいきされる子供がよけい嫌われるように)人もいるんじゃないか。

思うに、テレビは4局くらいでいい。すなわち、NHK(総合・教育)、テレ朝(テレ朝っ子だから)、テレ東、フジ(ノイタミナ枠のみ)+日テレ(なくてもよい)+TBS(なくてもよい)でいいんじゃないか。新聞も読売+産経、日経+東京新聞、朝日+毎日(なくてもよい)+その他で一緒になっちゃえよと思うわ。事業仕分けしてやりたいわ。

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03月11日(金)

起床時刻:11時10分

大変な地震。
バイトが休みで自宅にいたので、とっさにテレビをつけた。
ものすごい地震、とりわけひどい津波であることを知る。
一刻も早い人命救助を。初動が全てである。

情報のありがたみを再確認。
被災地には情報を。
電話回線も携帯もつながらず、停電でテレビも見れない状況では全体把握もできないであろうし、余計に不安がつのるだろう。
一番情報を必要とするところ、つまり被災地に情報が届かないのはなんとももどかしい。

帰宅難民程度なら、twitterなんかでも情報伝達・情報交換ができるが、生死にかかわる甚大な被害を受けたところでは携帯が使えないのだから、ついったもへったくれもないのだ。

そういや一昨日みた宝塚ではタップダンスで「モールス信号」を発信して意思疎通をはかるという趣向があったが、電気も回線もダウンというときはめっちゃアナログな情報伝達手段、例えば伝書鳩とかのろしとか必要なんじゃないかと思ってしまった。

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03月10日(木)

起床時刻:08時00分

今更ながら、荻上チキ『ウェブ炎上』(ちくま新書)はよかった。著者のスタンスが(僭越ながら)自分と非常に似ていると思う。

インターネットというメディアによって、今までの事象が変わる点と変わらない点。ネットに特徴的である「つながり」「可視化」という概念によって鮮やかに説明してくれている。

最後のほうに書いてあった「インターネットの過剰性」、つまりインターネットでは、法やモラルが過剰になりやすいという性質は、反省するところもあった。

ネットのいい点でもあるのだが、宝塚のいじめバッシングなどもこういう傾向をつい帯びてしまうのだ。つまりモラルは大事だが、ネットの特徴である「可視化」と「つながり」によって過剰なモラルを持ち込んでしまう。

例えば、ネットのない時代であったら暴かれなかったであろうこともネットによって「みえて」しまう(例えばミクシィで96期生がいじめととられるような品のない発言をしたことがいつまでもキャッシュで残るというようなこと。ミクシィではなくペーパーベースの日記だったら、彼女は今でも平然とヅカにいたであろう)。
さらには、昔であればいじめがわかっても、個人個人のファンはコアな人は除き、連帯して動けなかった。それが今では2chで96期生が出る舞台は拍手しない、観ないというように「つながる」ことができる。
このように可視化されつながることで、モラルが過剰になってしまう、という危険だ。

もちろん、モラルは大事だ。ボイコットも間違っている(と自分が考える)ことを正していく一つの正当な手段だ。
しかし往々にして「いじめた側が自殺するまで追及する」みたいな、私刑的要素を含むほどに「過剰」なものになりがちだ。これは明らかによくない。

このようなことを防ぐためには一般的にモラルや法に反した行為がばれたとき、最初に処分を下せる立場の団体なり人がやや厳しい処罰を下すことだ。そうすれば、ネット民も納得し過剰なバッシングはなくなる。

宝塚のイジメ事件だって、音楽学校側が無責任なコメントを出さず、またいじめの証拠もある子を娘役トップにしたりなどせず、誠意ある対応をとっていれば、ここまでバッシングされなかったと思うのだ。

ま、それはともかく、何事においてもtoo much is too muchである。もちろん、何をもってtoo muchであるとするかは個々人の感覚によると思うが。

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03月09日(水)

起床時刻:11時30分

3/9(水)、14:00より宝塚宙組の『記者と皇帝』(日本青年館大ホール)を観劇。

<配役ごとの感想>
アーサー・キング・ジュニア:北翔 海莉
上手い。昭和の時代ならトップスターになれた人だろうと思う。
しかし昨今の線の細いビジュアル最強の男役軍団に入るとルックス的に不利かと思われる。顔立ちは美形なのだが、バランスがどうなんだろう。カツラも変えたほうがいいかも。
トークもお上手で多才な方なのだろうと想像。

ロッタ・ブライ:すみれ乃 麗
声量がない。歌がダメ。壇れいを彷彿させる。
(まぁ壇ちゃんは顔以外、全部だめだったがなw)

ノートン一世:磯野千尋
さすがの安定感。もっとノートン一世のコミカルな場面も出してほしかった→大野さん(脚本家。説教くさいのが宝塚なんだけどさぁ。

マーク・スティーブンスン:十輝いりす
超絶美形。スタイル抜群でとってもかっこよかった。

ブライアン・オニール:凪七瑠海
なかなか雰囲気が出ていた。
トークショーでは話が面白かったw。

アデレイド・ニールスン:鈴奈沙也
歌がすんばらしい。

ダリル・チェンバレン:風莉じん
芝居巧者。よかった。

ダグラス・リーブ:蓮水ゆうや
かわいくてかっこよくて、ファンにならざるをえない。
トーク・ショーの司会でみえた人柄にも好感。

ヘルベルト・ノイマン/舞踊手:澄輝さやと
ダンスが最高、ルックスも最高、トップになってもおかしくない。
ものすごくかっこよかった。

クリスティ・オニール:愛花ちさき
実は陰の主役?!とってもよかった。
観ていて、最後にはロッタ・ブライよりもクリスティ・オニールに肩入れしそうになってしまったがw。はまり役だろう。

<脚本・演出の感想>
主役以外にも見せ場が多々あり、いろんなファンが満足できる舞台だと思う。
明るいコメディ・タッチの舞台の中に、ドラマと社会性とメッセージをこめた(その割合は「3:1:6」くらいか)、結論的にはいつもの宝塚ですね、わかりますだった。

それぞれの要素を敷衍するとこんな感じ↓
ドラマ:市長選挙をめぐる陰謀
社会性:マスコミのあり方・移民とエスタブリッシュメント層との対立
メッセージ:「もう一度トライしてみよう」「いつでもやりなおせる」「思ったことは口にしよう」

個人的には説教くさいメッセージの歌を歌い上げるなんてつまらないと思うのだが、まぁそれがヅカの正しき伝統なんだよな。そもそもヅカは(阪急沿線の集客という商業主義的目的のほかに)「国民劇」の確立という崇高な目標をかかげていたわけで、「俗楽改良」の志を潜在的にもっているせいか、なんか我々を「改良」したがるというか「啓蒙」したがるんだよね。

今回の「啓蒙」は「人生、いつでもやりなおせる」であった。
日本の閉塞感というのは、一度レール・アウトしたら取り返しがつかないという事実あるいはオブセッションがあることにも一因だとしたら、「いつでもやりなおせる」というのは政府の「再チャレンジ支援策」のテーマソングにしたいような実にタイムリーな話ではある。

しかし宝塚は宝塚らしく、ありとあらゆることを個人の内面問題に還元しちゃうんだよなぁ。
今回も新聞社経営の継続と記者としての良心が天秤にかけられ、結局それは社会問題でもなんでもなく、個人のモラルの問題になっちゃうわけだ。それがベルばら以来の宝塚なんだよな。フランス革命も極めて個人的な「愛」の問題になっちゃうし、エスタブリッシュメント層によるマスコミ支配も個人的な「良心」の問題になっちゃうし。
社会「改良」のメッセージばかりでも(非常に)つまらない(左派的な小説がだいたいつまらないように)のだが、個人「改良」のメッセージばかりでもつまらないと私は思うたちなんで、ヅカはそういうところがつまらないんだよね。

個人的にはヅカにはコメディをもっと磨いてほしいと思うね。笑わせるのは泣かせるよりも数段難しい。本当の力量が一番出るところだと思う。

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03月07日(月)

起床時刻:10時45分

『新生宝塚大解剖』(田辺麻紀/長峰洋子著 大栄出版 1998)
面白く読めた。中本千晶の宝塚歌劇団べったりのマンセー本にはない、批判的視点が数多く(もちろん、愛ある批判だ)興味深く読める。その批判についての妥当性は個人によってわかれるだろう。私も全部が全部そのとおりだと思うわけではないが、個人的には宝塚のオフィシャル・ストーリーをなぞるだけの中本の本よりずっといいと思う。

そして個人的に嬉しかったのは、10年以上前の古い本のためか、星組元男役トップスター麻路さきさんがいっぱい出てくる!長峰さんが麻路さき(通称マリコ)さんの大ファンらしく(田辺さんのほうは轟悠さんね)、マリコの魅力を書き尽くしてくれて、最初に好きになった人がマリコである私は感激した。

高校生のころ、NHKのBSで初めて「ベルサイユのばら」をみたのだが、その中でマリコがアンドレをやっていた。
はっきりいって私はベルばらがそんなに好きではない。
ともかくセリフがくさすぎる、演出がくさすぎる、もう笑うレベルなのだ(ベルばらに関しては著者の田辺さんがこの本で提案している演出のほうがずっとずっと好きだ)。
そしてアンドレをやったマリコのうたのヘタクソさ、声のビミョーさは「お前はジャイアンか」レベルだったんだが、そしてうちの母(宝塚嫌い)が「なに、この学芸会(失笑」と指摘したような素人くささを感じるのだが、なぜか目が離せない。目が釘付けなんだよなぁ。どうしてもみちゃうんだよなぁ。でも正直、アンドレは別のひとがやったやつのほうがおすすめなんだがw。

そしたらこの本に『ジュビレーション!』のマリコについて長峰さんが
「アップで見る麻路さきの表情は限りなく清い。それは良家の子女が演じているからという、地金の部分に頼ったものではない。ヤクザな男という部分はしっかり押さえておいて、なお純真な若者像を演じているのだ。しかもそれが妖しいまでに色っぽい。大階段の真ん中に足を開いて立ち、両手を大きく前に差し出したポーズで、目をふせると、まつげが深く影をつくり、無防備に天に投げ出されたような表情になる。いわゆるエクスタシーの表情(ひゃあ)とは違う、純なものである。簡単に摘みとられ、傷つく真っ白い花のようだ。こんな顔を見せてしまっていいのか。ひとごとながらドキドキする。その一瞬あと、目を開くと、瞳に意思的な色が戻る。先ほどまでの凄い色気は引き、少年っぽい無邪気な笑みがこぼれる。妖艶さと無邪気さが同じくらいの強さで同居しているなんて、人間にはあまりいない(猫や豹なんかの動物にはいる」(P112)
「麻路さきの強烈な流し目、悩殺の投げキスは、Hなどという範疇には収まらずに、何かもう別世界まで突き抜けているように見える」(P114)
と解説してある。
私は丸顔好きだから、マリコさん(かなりな丸顔)を好きになったのかなぁと思ったけど、姿月あさとさん(通称ズンコ)は丸顔の上にマリコさんよりはるかに歌がうまくてとっても美声で、非の打ち所がない完璧な男役なのに、マリコさんに感じたようなクラクラ感は感じないんだよなぁ。いや、大好きだし、はじめて宝塚見る人はマリコさんよりズンコさんから入ったほうがいいと思うけど、なんでだろうと思ってたんだよねぇ。
まぁでもマリコの色気にやられたのだといわれればそうなんだと思う。そしてギャップあるかわいい笑顔だな。

youtubeで、個人的にマリコの色気が感じられたのをメモしておく。
「TAKARAZUKA Golden Steps [2005] 大地真央、大浦みずき、他 」4:45~キリエ(普通にふりつけがエロすぎる)、9:03~グラン・ブルー(マリコさんは9:23~から。色気がだだもれしとる)
http://www.youtube.com/watch?v=GPY8Ne-pnZ8

Takarazuka : Kirie - Koi Suru Aitsuu (1993,Asaji Saki)
http://www.youtube.com/watch?v=5-lPa0uPPPs
(最初のビデオにも一部紹介されていた。コメで「XD Wow, thank you! She's perfect when she's not singing.」っていわれてたwww)

そして麻路トートについて語る語る。
『宝塚よ、どこへ行く』(田中マリコ/青弓社)にも相当麻路トートの素晴らしさが解説されているらしい。注によれば同書は「この本の5分の1くらいは、麻路さき研究にあてられている。麻路さきファン必読の書」らしい。読まねばなるまい。メモメモ。

「麻路さきの舞台姿の大きさは、恵まれた長身や美貌が支えているが、ただ大きい訳ではない」ということに長峰さんは気付いたそうだ。
「あの人並みはずれたサイズの身体や手はその大きさとは反して繊細な形をしていることがわかった。長い指の骨は細く、耳は白い貝殻のように華奢で、顔立ちはふっくらしているが、鼻の骨などはほっそりしている。
そして、演技においては、その顔や手はほんのわずかな表情の変化、ポーズをつけるときの指の角度の付け方などで、感情を豊かに表現し、しかも<略>どの場面でもきれいな形になって決まっている」
(P144)んだって。
ほー。

ま、マリコの話はそのくらいにしておいて「スターシステム」について書かれた第一章もなるほどなと思わせる部分は多々ある。激務でやせていくトップをみて哀れになったことがある人や、あわない役も順位で割り振られる矛盾を感じたことがある人ならわかるだろう(もっともそれをいうなら、マリコのトートが一番ありえなかったんだがなwww。歌が多いからマリコより1000倍くらい歌のうまい紫苑ゆう(シメ)さんを選ぶよなぁ。まぁでもマリコ比では歌がうまくなってるとファンは絶賛だったが)

最後に中本千晶本について少し書いておく。
2009年に文春から文庫化して出した中本の『宝塚読本』には宝塚音楽学校のいじめ事件には一切触れず「インモラルな情報や犯罪が横行する今日この頃の世界、たとえ虚構であろうと時代錯誤であろうと「清く、正しく、美しい」世界を守り通りしている世界が、この世にひとつぐらいあってもいいではないか」とか相変わらずマンセーしている。「虚構」というより「インモラルな情報や犯罪を『隠蔽』している」のが宝塚音楽学校なのに。もちろん、音楽学校の生徒全員がそうなのだと言っているわけではない。清く正しく美しい生徒が多いだろうが、宝塚音楽学校及び経営組織の体質は清くも正しくも美しくもない)。
それ以外でも、批判的な視点が皆無なのはびっくりする。ここまで何事においても現状肯定ができれば悩みもなかろうね。

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03月06日

起床時刻:不明

宝塚というデストピア(3)

宝塚少女歌劇団は片一方で「良妻賢母」を目指しつつ、片一方で「新しい国民劇」を担うという大きな目標をかかげていた。

宝塚の「年をとれば『卒業』という形でポイ捨てされ、常に新しい萌の対象を大量に補給するシステム」は、ハロプロ風である。
しかし、ハロプロと違って、宝塚はその草創期において、「新興芸術」であり、「国民劇」の創成という目標を共有する。

ハロプロもひょっとしたら「わが国の伝統あるアイドル文化を世界に輸出し、将来的にはわが国のソフト産業の礎となり、外貨収入の柱たらんことを目標とす」的な目標があるのかもしらんが、一見すると昔でいえばただの芸者集団である。宝塚だって良家の子女というのを売りにした芸者集団じゃないかといわれそうだが、そういわれるのを何よりも小林も劇団員も嫌った。

1914年に初演をはたした宝塚少女歌劇養成会は1918年に東京帝劇で初演をはたすことになるが、それに際して小林は「歌劇とは申すものの、すこぶる幼稚なる、未熟なる」わが少女歌劇が関西で受け入れられていると述べ、その理由として西洋の音楽の直輸入は避け「つとめて日本的に」「親しみやすく唄はせる、直ちに共鳴し得る程度の歌と西洋のダンス」によって、よろこばれていると見ている(『近代日本の音楽文化とタカラヅカ』津金澤聰廣+近藤久美 世界思想社)。

・宝塚少女歌劇の団員は「女優」という卑しいものではない
・宝塚は西洋の音楽を日本人にも親しみやすく紹介している
(しかし西洋音楽・レビューの直輸入は後年においても小林は否定的)
・アマチュアではあるが日本人の音楽素養の向上に貢献している

このような自負が

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03月05日

起床時刻:不明

宝塚というデストピア(2)

宝塚と相撲協会の類似性についてひっぱるのはやめにして、宝塚にフォーカスをあててみよう。

宝塚がいかにオワコンかというのを、証明していきたい。
ただし私は真面目に頑張っているジェンヌたちの足をひっぱるつもりはない。むしろ、彼女たちを応援する者である。

宝塚というのはwikiをコピペるまでもなく(といいつつコピペるが)、阪急電鉄の前身、箕面有馬電気軌道の創始者小林一三が、1913年(大正2年)に宝塚唱歌隊を設立し、翌1914年(大正3年)4月1日〜5月31日まで宝塚新温泉で初演を行ったことにさかのぼる。

箕面有馬電気軌道は名前のとおり、もともとは有馬まで電車を通し、関西の有数の温泉地有馬をつなぐことで儲けようとたくらんでいたのだが、有馬に比べればただのださい田舎の宝塚までしか電車が通らなかった。

有馬温泉なら人がよべるが、宝塚温泉じゃ人がよべない!困った!
と思ったら、「三越少年音楽隊」が三越の人寄せパンダになっているのを知った小林翁が「少女の合唱隊をつくれば人よべるんじゃね?」とひらめいてつくったのが後の宝塚歌劇団。

もっとも、算段だけではなくて、この頃のニッポン人らしく小林翁は西洋にも伍していけるような、わが国独自の新しい伝統芸をつくる(=歌舞伎改良)という思想に基づき、「国民音楽」の創立を目指して宝塚歌劇団をつくるのである。

しかしそんな大風呂敷をあげつつも、一方で「女優」にまつわる「芸者」的なイメージを嫌い、「良家の子女のための花嫁学校」という面を喧伝したのも小林である。

いってみれば、あるバレーチームが「世界選手権出場を目指す」と同時に「家庭を最優先する、良妻賢母のママさんバレーチーム」だった場合、「大丈夫かね?」とワレワレは思うでしょう。

しかし当時は割と上手くいっていたんじゃないかとおもう。
その理由をあげていこう。

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03月04日(金)

起床時刻:不明

宝塚というデストピア(1)

かつては「東の東大、西の宝塚」といわれたが、今や「東の相撲部屋、西の宝塚」というのがぴったりである。

宝塚は相撲部屋との親近性が非常に高い。

繰り返される残酷ないじめ、上層部の隠蔽体質、身内どうしの不透明な経営、異常な上下関係、「伝統」の名のもとに許される数々の理不尽、下っ端力士やジェンヌの苦境・・・。

両者ともご立派なキャッチフレーズ(「国技という伝統」「品位ある横綱」「清く正しく美しく」「すみれの花園」)はあるが、もはや悪い冗談のようにしか聞こえない。

風通しの悪い組織は腐る。
そのいい例が「相撲教会」と「宝塚音楽学校」だ。

「相撲」も「宝塚」もファンの高齢化に悩んでいる。
「相撲」も「宝塚」も一時的なブーム(貴花ブーム(宙組のほうではく兄弟のほうですw)、ベルばらブーム)はあるが、中長期的には人気低下のトレンドを歩んでいる(要確認)。

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03月03日(木)

起床時刻:07時50分

宝塚音楽学校の万引き冤罪いじめ事件。
今更すぎるが。

そういや、昔は「東の東大、西の宝塚」といわれたものだ。入るのがそれだけ難しいという意味である。
今や、「東の相撲部屋、西の宝塚」というがよかろう。
両者ともイジメが激しく、上層部の隠蔽体質が似通っている。

事件の概要はこうである。
元宝塚の生徒が同期にいじめられ、万引きをでっちあげられ退校処分になったのだが、神戸地裁は「万引きの事実はない」とし、「退校処分は無効」と宝塚音楽学校に二度も勧告するのだが、学校側は無視。そのため、元生徒は損害賠償を求めた訴訟を起こし、調停が成立した。しかしながら一貫して学校側は、反省の色ゼロである。

「宝塚のいじめなんて今にはじまったことではない」
確かにそうだろう。
相撲部屋のかわいがりも今にはじまったことではないように。

「初舞台のみで退団した小柳ルミ子は、こう述懐している。
<略>さて自分の衣装を着なくちゃと、衣装に袖を通す。ファスナーに指をやるとチクりと痛みが。釘が一本刺さっていて、指に食い込んでいるんです。/はらわたが煮え繰り返るような思いをしながら公演を終えると同時に、宝塚を辞めて上京したのでした」(『週刊大衆』07年12月17日号)

いじめは宝塚の伝統でもあるのだ。

しかし今回のいじめはよくあること、宝塚の伝統ですませるわけにはいかない。地方裁判所の勧告を無視してまで、いじめをした側を容認し、被害者の未来をふみにじるようなところは、教育機関とはいいがたい。
そう、宝塚音楽学校は、学校ではない。まともな教育機関としての機能を完全に失っているといわざるをえないのだ。

このことについてはこのような発言もある。
「音楽学校には教員免許を待つ教員が常駐しておらず、事務職員が実質的に学校経営を行っている。裁判所も、学校側の対応が教育的配慮を欠いていることを度々指摘しています。神戸地裁は、退学処分を正当化するために同期生やその父兄、講師らの意向を挙げることは指導監督責任の転嫁だ、とも批判している。大阪高裁も、15~18歳の少女が寮生活を行うのだから生活態度全般について保護者に代わり指導すべき、と苦言を呈しているんです」(司法関係者)
http://personalsite.liuhui-inter.net/aoiryuyu/takarazuka.htm

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03月02日(水)

起床時刻:11時15分

03月01日(火)

起床時刻:07時45分