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起床時刻推移グラフ

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04月30日

起床時刻:09時40分

04月29日(金)

起床時刻:不明

『神器 軍艦「橿原」殺人事件』(奥泉光、新潮社)(下)より。
PP324-329(完全ネタばれ)。

橋川中佐が言葉を継いだ。
「<略>日本がこの戦争に負ける。そのことが何を意味するのか、航海長には分かるだろう?それはただ戦争に負けることではない。いってみれば、日本という文明が、西欧文明に敗れ去ることを意味する。しかし、そんなことがありえるだろうか?ありえない。断じてありえない。今次の戦争の意義、すなわちそれは、支配文明交代の戦争、アジアの先頭に立ち、世界維新の先頭に立つ日本が、本来あるべき場所につくための戦争であることはいうまでもない。かつて、太古の輝ける御代、宇宙を統治した神々の末裔である日本人が、その統治権を神々から譲り受ける、一種の儀式とすらいってよい戦争なのだ。
<略?>
「恐るべき解釈が一つありうる。すなわち、我が皇国の国体が、神々が望まれるものと違ってしまっている、その可能性だ。<略>もしそうなら、たしかに筋は通る。今日敗勢を向かえ、皇土へのアメリカ人のごとき蛮族の蹂躙を許すのも、神の与え給うた試練と見なしうるからだ。いや、もはや試練の域は超えて、神々は日本人を滅ぼすことに決せられたのかもしれない。いまの日本人をことごとく根絶やしにして、旧日本人に変えて、新日本人を生み出そうとされているのかもしれない。もし、本当にそうだとしたら、我々は従容として滅びに身をゆだねるほかないだろう。神々に最後の慈悲を請いながら、静かにそのときを待つしかないことになるだろう。だが、われらが神々は、かほどに無情な神々であろうか?それほど無慈悲な神々であるだろうか?とりわけ、皇祖天照大神にとっては、日本人は目の中に入れても痛くない初孫のようなものではないのか。日本人の一部に至忠において不純な者があったことは否定できない。とりわけ、重臣と呼ばれる奸臣や財閥等、支配階級のなかに国を売って恥じぬ輩があることは間違いない。けれども、戦争がはじまってこちら、至忠に徹せんとする国民精神は純化され、浄く直き誠の心が皇土を覆いはじめているのは、疑えないのではないだろうか?<略>特攻の若者達を見よ!されほどの赤誠、あれほどの敬神がほかの文明国のどこにあるというのだろうか?<略>そのような日本人をなぜ神々は見捨てなければならぬのか。<略>神は日本人が可愛くてたまらないのだ。幸せな老夫婦がようやく歩きはじめた孫の一挙手一投足に目を細めるように、神々は日本人を慈しみの目で見守っているのだ。子供が道で転べば、男の子なら泣くんじゃないと、叱咤することもあるだろう。だが、子供が川に落ち、激流にさらわれようとするなら、身を挺して助けるのじゃないだろうか?なぜ神々は日本人を助けない?川で溺れようとしている幼い者をなぜ助けようとしない?」
<略>
「答えは、一つしかない。<略>すなわち、日本人は誠を尽くすべき相手を間違っていたということだ。我々日本人は皇孫瓊瓊杵命と、その移し身であられる天皇陛下を現人神として代々崇め奉ってきた。だが、もしも、日本人がその敬崇を捧ぐべき相手を間違っていたとしたらどうだろう?いや、もうそのような迂遠ないいかたはやめよう。軍人らしく直截にものをいおう」
「陛下が贋者だと、副長はおっしゃるんですね」
<略>
「<略>いまや、おそらく、ほとんどの日本人が、心の深いところで、この事実に気付いているはずだ。<略>さように考えると、皇土に迫りつつあるアメリカ軍はあるいは皇国の中枢に巣食う悪魔を打ち祓うべく神が遣わした軍団であると考えることができるのかもしれない。宇宙を支配される神が背後からアメリカ軍を操っている。それはありうることだ。だとしたら、その過程でほとんどの日本人が死ぬことになるだろう。大多数の日本人に罪はない。彼らはただ勤勉に田畑を耕し、魚介を漁り、純朴に神を崇めたにすぎない。そして皇国の危機となれば、神のために私欲を捨て、大御心のままに、来寇する敵と一心不乱に戦ったにすぎない。そんな彼らにどのような罪があるというのだろう!」
その一瞬、橋川中佐の顔が激しく苦痛に歪むのを宇津木大尉は見たと思い、はっと胸をつかれた。だが、即座に副長の顔はもとの能面に還って言葉が継がれる。
「罪はしかし、あるのだ。人の水準では罪はなくとも、神の眼からすれば贋の神を崇めたこと、それ以上の罪はないのだ。愚かさゆえであれ、それは許されざる大罪なのだ。彼らはだから、死ななければならない。先祖の墓もろとも、世界から消え去らなければならない。神はこの恐るべき罪を決して容赦しない!」

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04月28日(木)

起床時刻:07時50分

『神器 軍艦「橿原」殺人事件』(奥泉光、新潮社)(下)読了。
ネタばれ引用。

PP279-282
「軍隊へ来る前には、猛烈なシゴキの噂と並んで、戦友同士の連帯だとか、友情だとかいった話があったけど、嘘だよね。連帯は連帯責任という形だけしかないし、その理由は、ドジを踏んだ者が憎まれるだけで、人はかえってばらばらになるよね。軍隊では、他人をいかに出し抜くかを絶えず考えてなくちゃならない。泥棒の村があって、村人全員が互いに泥棒し合っているような門でしょ。要するに他人が側にいるってこと自体が苦痛の種になる。そういう場所なんじゃない?軍隊っていうところは」

他人が存在することの苦痛。誰も成る可く直視しないようにしているけれど、それが歓待勤務の本質であるのは間違いない。

PP346-349
「じゃ、私、日本人、やめます」とごく簡潔な文句が大黒尻大尉の口から滑り出た。
「<略>アメリカ亡命を希望します」
「鬼畜米英はどうした?獣的アメリカはどうした?」
「あれは、あれですよ。大衆始動の必要からそういっただけで、本気なわけないじゃないですか」と大黒尻大尉は抜け上がった額を光らせる。
「光を囲いに追い込むのに、森には怖い狼がいると脅かすようなもんです。うん、この喩えはなかなかいい。使える。牧民官ならば、どこの国の人間でも使う手ですよ。大衆支配にいろはにすぎない。」<略>
「かつての思想をあんたはもう捨ててしまったのか?」と半分顔の男が横から問う。
「かつての思想とは?」
「だから、あんたが『橿原』で鋭意努力していた思想矯正の、その思想だ。日本思想というやつだ」
「あれは別に私の思想というわけじゃありませんよ。日本という国が持っていた思想であって。私とは関係ない、とはいえませんが、少なくとも私とは直接関係はありませんよ。あれなんでしょうね、きっと日本思想は私が来ていた服みたいなものなんでしょうね。いわば日本人の制服みたいなものですよ。しかし、服と皮膚は違うでしょう。そうじゃありませんか?」

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04月27日(水)

起床時刻:10時30分

『神器 軍艦「橿原」殺人事件』(奥泉光、新潮社)(上)読了。面白い。映画化するんだったら(どう考えてもできないけど。アニメ化はできるかも?)、主役の石目は堺雅人かなぁ。ていうか、私ほとんどの小説の、気の弱い系の男主人公には堺雅人をあてはめている気がする。艦長は、仲代達矢しかいない。これはぴったり!

一番楽しい夢想は、橋川副長(背が高くて超美形、色白)と宇津木航海長(超有能、きまじめ)を誰にするかだろう。橋川副長は笑うと金歯がキラリと光る設定なのだが、白い歯がキラリと光るからいいのであって、金歯が光ってもうれしくねぇw。
ま、確かに昔は金歯がはやったらしくて、うちの祖父もわざわざ健康な歯を金歯にしたらしい。でもそれは教養のない成金がやることであって、宮家にもつながる高貴な家柄の、極めて優秀な士官がやることじゃないと思うんだけど。

というわけで、映画化の際は金歯は無視する。背が高くて色が白くてオーラが漂っているとなると誰だろう?最初は仲村トオル(軍服が似合いそう)でお願いしますと思ったんだけど、色が白いと何度も書かれるとちょっと違うかなぁ。酷薄で美しくて頭が切れて男もほれそうな男で、30後半くらいの人って誰よ?現実離れした美貌じゃないとね。Gacktになっちゃうの?

じゃあ宇津木航海長に仲村トオルをもってこようと思ったんだけど、確か航海長は背が低い設定なのよね。となると「神経質で完ぺき主義で几帳面」という描写でまっさきに思い浮かんだ保坂尚樹(私のなかでもっとも結婚したくない人である)かなぁ?好きじゃないけど美形だし。根木は背が高いが地味オくんという設定なので、だれだろう。真面目そうな人なら誰でもよさそうである。中島一水がナニゲにかわいいんだけど、えなり君?いや、より演技力が必要そうな油谷一水にえなり君かな?

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04月26日(火)

起床時刻:07時50分

『神器 軍艦「橿原」殺人事件』(奥泉光、新潮社)(上)を読む。
表紙にローマ字で「Shinki Gunkan "KASHIHARA" Satsujin-jiken」と書いてあるのだが、神器って「じんぎ」って読むのかと思っていたのだが。「しんき」とも言うの?

推理小説として読むと0点だけど、ミステリ調のラノベとして読むと抜群に面白いのが奥泉光。
戦前の日本ぽい地の文とセリフがいいんだよなぁ~。もっとも、「~デアルナ」という文章を読むとどうしてもショージ君のほうを思い出してしまうんだけど。
もっとも、ブクロ出身の現代のチャラ男(毛抜け鼠)はなんかウソ臭く感じた。

夢と現実がごっちゃになるような、シュールな描写がいっぱい出てくるんだけど、そこは飛ばし読みした(こら)。その描写力こそが奥泉光を芸術家たらしめる最たる要素デアルゾといわれたら、サーセンとしかいいようがないんだけど、人の夢の話を聞いてもツマンネと思うように、幻覚的な話を読んでもツマンネと思っちゃうんだ、うん。そんなことよりも五番倉庫(謎の中心)に早く入れや、ゴルァ!と思っちゃうんだ、うん。

奥泉光の小説は本当に贅沢だ。そういうシュールな不思議系が好きな人はそこをじっくり味わえばいいし、普通にユーモア小説としても優れているし。そこそこミステリ風味も楽しめるし(謎解きは期待できんが。ロンギヌス物質無双なんで)。

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04月22日(金)

起床時刻:08時10分

夢のハナシなんだが、知り合いの男性が出てきて、その人と手をつないだりして胸がきゅんきゅんして、ドキドキのあまり目が覚めた。その人とは仲がいいわけでもないし、ましてや恋愛感情はこれっぽっちもない(ものすごいハンサムだが)。
しかも彼が夢に出てきたのがこれで二回目(前回も似たようなシチュエーションで、目覚めたときは「もっかい寝よう!続き(繰り返しでも可)を見たい!」ってまじで思った)。
自分がきもいわ。

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04月21日(木)

起床時刻:07時50分

図書館に内田樹の『日本辺境論』があったので借りて読んでみた。内田の本を立ち読みではなく、椅子に座って読んだのは初である。

これはさ~、日本辺境論っていうか、内田辺境論だよね?タツルのトリセツみたいになってないか?ま、そんなことを言っても、蛙の面にションベンで(尾篭な言葉を使いまして申し訳ありません←タツル風に言ってみた)、「日本人である自分自身を語ることは日本を語ることに他ならないのです」とかいけしゃあしゃあと言い出しそうだが。

●日本人は<中華>に対する<東夷>であり、世界の中心(=中華)からきたモノをキャッチアップすることはすぐれたているが、辺境民の宿命で、自ら独創的な新しいものを生み出したりすることはできない。
(内田の「日本辺境論」はすぐれた先人達の業績をまとめたものであり、独創的な新しいことは何も書いていない。梅棹忠夫が『文明の生態史観』で言っていたことを繰り返すだけだから、オリジナルの梅棹の本を読んだほうがいいと著者自身が言っている)

●日本人の性質はきょろきょろである。何か新しいアイデアが外にないかと落ち着きなく探している。
(内田の「日本辺境論」の性質もきょろきょろである。丸山真男から山本七平、カント、ヘーゲル、あちこちつまんで出してくる)

●日本人は新しいものを生み出すことはできないが、学ぶことは得意である。学びの効率を究極的に高めたものが、武道であり、禅である。
(内田自身も合気道をやっていて、今や道場も開いて門下生もいるそうな。ヨカッタネー)

●しかし日本人の学ぶ力も衰えている
(内田自身の学ぶ力も衰えている。その理由は書くと長くなるから、めんどくさいので書かないが)

●日本人はメッセージよりもメタ・メッセージを重視する。何が語られているかより、どう語られているかを重視する。だから政治家は偉そうに語り、「俺はお前らより偉いんだよ」「何もしらない人に何かを教えてあげているんだよ」というメッセージを出すことを重視する。
(これはまんま、内田にあてはまる。
内田は講演で、聴講者から「内田先生のその無根拠な自信はどこからくるんですか?」と聞かれたらしい。
そしたら(ここから引用すると)、
「質問したこの方は私の偉そうな態度や断定的なもの言いに実は「根拠がない」ということは見破っているのです。けれども「それがどこから来るのですか」と質問することで、「このような態度を取っていることの本当の理由」をウチダは知っていて、自分は知らないだけかもしれないという非対称性を導入してしまった。惜しかったですね」
だってさ(引用終わり)。

ハァ~???惜しいのは内田、アンタだよ。この質問者は「ウチダって、態度でかいけど、根拠ねーな、基本、妄想だな」ってことはわかってるんだけど、冗談めかした質問形式で指摘してるんだよ)

こんな本が新書大賞だかなんだかを取ったんだよね?びっくりするわ。

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04月20日(水)

起床時刻:11時40分

「マイケル・サンデル 究極の選択 大震災特別講義~私たちはどう生きるべきか~」というテレビの続き。

原発の危険な任務を遂行してもらうにあたり、「高額な報償での募集は公正か」というハナシにうつった。

高額な報酬はよくない派は日本に多かったようにみえた。
要約すると、自発的理由ではなく金銭的理由の志願者には、危険な仕事を任せられないし、貧しい人たちだけがそのような危険な仕事をするのは不公平であるということらしい。

でも世の中、そもそも不公平なんだよ。

日本も長い不況で、多くの人が失業しているし、スキルのないトシヨリの場合、再就職もできない。
ここにそんなホームレスがいたとして、その人が原発のまわりの瓦礫の撤去という特にスキルは必要なさそうだけれども、報酬が高い危険な仕事に申し込んだとする。

そこにでばっていって、「あなたがこの仕事をやるのは不公平です!ホームレスに戻ってください」といいますか?ってハナシだ。あなたが明日の生活費をくれるわけでもない、就職の斡旋してくれるわけでもない。それなら邪魔すんな。

この人たちが共産主義社会を目指しているっていうのなら納得しますよ。つまり所得の再配分をつよめ、経済的不平等をなくせば、経済的弱者だけがリスクを背負うような社会にはならない、なぜなら経済的弱者がいなくなるから、というのなら首尾一貫していると思う。だけど、資本主義社会を前提としていっているのなら、ただの偽善でしかない。

というか、資本主義(正確にいうと市場経済)ですらない。つまり需要と供給の法則で、危険な仕事には労働者にとっては売り手市場になる。だから報酬が高くて当たり前なのだ。

番組の最後のほうでは、遠くの人の不幸を身近な人の不幸と同じように考えられますか?みたいな質問があったのだが、日本人は全員イエスだった。
どんだけ~?カトリーナも東北関東大震災も同じインパクトをもって迫ってくるっていってんだよ?うそつくな、ゴルァ!
今回と同じマグニチュードで今回よりずっと死者数の多かったスマトラ沖の大地震のときに、日本でCM自粛して映像や情報を流し続けたか?今と同じ規模でチャリティやったか?同じ規模で募金したか?
だいたい海外で大地震や大事故があったらまず最初に邦人安否が伝えられるように、日本人なら日本人のことを一番最初に考えるにきまってんじゃん。

って思うのは、私がねじくれまがった日本人マイノリティなのであって、マジョリティの日本人は「世界のみんなが平等に大事です」とか、「危険な仕事に高い報酬を与えると、貧しい人だけが危険な目に遭うので不公平です」とか真顔で言っちゃうような、ピュアで優しくて、大きくなっても学級会みたいな発想で行動しているのでしょうか。よくわかりません。

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04月19日(火)

起床時刻:08時10分

『マイケル・サンデルの究極の選択~大震災特別講義~私たちはどう生きるべきか』NHKのテレビ、録画していたのをサワリの部分だけみたが、耐え切れなくなって途中でやめた。なんだこの人選?

サンデル教授はハリケーン・カトリーナで略奪が起こったことに対して、東北・関東大震災では人々は冷静に助け合ったと述べ、「個人主義vsコミュニティタリアニズム」という図式を持ち出している。

日本人は、日本では自己犠牲の精神が強いだの、東北は我慢強いだの、自分よりもっとつらい人たちがいるから自分たちは我慢するだの、日本は一つの家族なんですだのと語り、中国人の学生が負けじと「中国だってそうですよ。国家や家族のために死ぬ人は中国でも褒め称えられます」と言っていた。

なんか、この空気が気持ち悪い。
いや、今回冷静かつ思いやりをもって行動した被災者には最大級の賛辞をおくりたいが、このスタジオの、東洋のコミュニタリズムマンセーな空気が気持ち悪い。私がその場にいたら、「私は個人主義者ですけど何か?」っていいそうだ。
サンデルはちゃんとコミュニタリアニズムの欠点―同質性を強要するのではないか、異質性を排除するのではないかということを述べているが、東大の院生の女子とジャパネットタカタの社長はトンチンカンなことを言っていたと思う。

私も買占めはしないし、放射能がふってても余震が続いても、普段どおりに仕事に行き、自分のやるべきことをやり、社会の秩序を守る。
もし全員が放射能が怖いといって、自分の持ち場を離れたらどうなるか。電車の運転手やゴミの回収業者やスーパーのレジ係が全員避難したらどうなるか。社会は大混乱に陥る。とまぁ、社会のことを先に考える。

コミュニタリアンといえばコミュニタリアンなのかもしれないが、自己犠牲なんていうのはなくなればいいと思っている。正確にいうと、自己犠牲しなければならない状況をなくすことをまず第一に考えなくてはいけないと思う。そしてだれかの犠牲を出してしまった状況を真摯に反省しなくてはならない。

福島原発でわが身をかえりみず、国のために頑張ってきた人たちに対しては「よくやった」だけではなく、リワードを出すべきだ。金銭的な報酬だけではなく、定期的な健康診断の義務付けや将来おこった疾病に対する援助なんかも含めてね。それに対して、このような状況を出してしまった責任者は徹底的に罰するべきだと思う。

さらにいうと、自己犠牲を人に押し付けるのは間違っている。儒教文化圏ではよくみられる発想だけど、集団のために自分を殺すというのは、非常に抑圧的な考え方だと思う。だから、コミュニタリアニズムって息苦しい。

「皆も我慢しているんだから、あなたも我慢しなさい」というのは、そもそもモラルとはいえないと思う。私の考えるモラルというのは、自分ひとりか、あるいは自分と神様の間でのみ成り立つものだ。誰も我慢していなくても我慢するべきときは我慢するというのが、私の考えるモラルだ。仮に税務取締官が誰もいなくなって、脱税しても絶対につかまらないときにだって、納税するのがモラルだと思う。

慌てて被災地の人のために付け加えれば、被災地の人たちは他人の目だけではなく自分の良心に従って行動した人、つまりモラリストが多かったのではないかと推測する。彼らを侮辱しているわけではない。

話を戻すと、脱税するとつかまるから納税する、みんながみてるから募金する、みんなが我慢しているから我慢するというのは、モラルではないと思う。慣習だと思う。

みんなのために我慢する、他の人の迷惑になるような行動をしない、というのは立派である反面、批判的な行動の芽をつみとり、既得権益擁護につながる。

何かが100%よいということはない。個人主義が100%よいということもなければ、コミュニタリアニズムが100%よいということもない。その視点がなくなると、哲学じゃなくて宗教になる。

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04月18日(月)

起床時刻:10時30分

実家よりクール宅急便。
高そうなハム、ベーコン、せり、スナックえんどう、熊本の美味なる塩トマト、新じゃが、新玉ねぎ、父親のつくったいちごのコンポートなどなど。

西尾幹ニの『ブログ論壇』を読む。
この人はこんなコントロバーシャルなことを書かなくっても、十分に地位も名誉も印税もあるから老後も安泰だろうに(ていうか、もう70を超えているから老後真っ只中なんだけど)、わざわざ火中の栗を拾いに行っている。東宮ご夫妻と小和田一家問題について「皇太子さまに御忠言」したり、田母神論文を擁護したり。

ある種、ドン・キホーテ的な戦いぶりだ。
世の中の言論人が、様子見ィ見ィ、木刀つかったアマチュア試合をやってるところに、ニーチェ道場の西尾師範代が、真剣で乗り込み、筋書きなしの大立ち回りして、観客がボーゼンとしている、みたいな感じかなぁ。

皇室については自分でも考えは定まっていない。でも西尾さんのいうことは、なんかわかる気がする。

そもそも皇室は信仰に根ざすゆえに不合理なものであるからして、人権だのプライヴァシーだのという近代合理性をもってきたら、そもそも皇室が不合理でしたね、前近代の産物でしたね、いりませんねってなっちゃう(上野千鶴子さんなんかがそうだろう)。

いやいや、そうじゃなくて、ただヨーロッパの王室(男尊女卑じゃない+華やかな外交やパーチー+プライベートはけっこう好きなことしてそう)みたいに、日本の皇室もなるべきだといってるだけなんだよ!と反論されそうだが、そもそも皇室はヨーロッパの王室とは違う。リアルな権力を権威の源泉にしてきた欧州の国々とは違い、天皇家は日本最古の祭祀継承者として覇権者たちに守られてきた権威なのだから、祭祀をやっていただき、伝統を大事にしていただかなければ意味がないのである。

祭祀と伝統を否定するならば皇室の存在自体を否定するようなものだと思う。天皇陛下が被災地に赴かれたときに「ありがたい」と涙まで流す人が少なくないのは、天皇家というありがたい血筋の方々が、日ごろから泰平の世と五穀豊穣を、国民のために祈ってくださっているという「ありがたさ」からであり、そのことを国民が知っているからであろう。

そしてもちろん、そこらへんの人、例えば私なんかが、滝にうたれるとか断食をするとかいう、天皇以上のチョー本気で祈っていても意味がないのだ。皇室という血筋が大事なのである。不合理かもしれないが、皇室の存在はそもそも不合理であり、その不合理さには伝統という根拠があるんだから仕方ない。

一方で、皇室だったら、誰でもかれでもありがたいのかというとそんなことはない。これが皇室無謬論者の過ちである。
竹田なんとかという明治帝のヤシャゴだかなんだかは、その皇室無謬論者の典型であるが、たとえ尊い血筋でも、バカはバカであるということを身をもって証明している。

天皇皇后は、まず何よりも祭祀と伝統を大切になさる人でなくちゃだめだ。
そしてある程度、「まっとうな」人でなくちゃだめだ。なにしろ、日本の象徴なんだから、金の亡者だったり、パチンコ中毒だったりしては困る。もちろん、雅子妃みたいなココロの病で(しかも香山リカの見立てによれば「仕事のときはウツだが遊びのときは元気になる」という最近はやりの都合のいいウツ病らしい)、仕事ができないという人も困る。愛子内親王はまだ幼いが、既にココロの病方面まっしぐらである。皇太子は皇太子で、ブラジルの創価学会が関係した式典に、池田氏の長男と皇太子様が同じ壇上に並んだ写真が聖教新聞に載ったりして、おっちょこちょいというかなんというか、頼りないこと甚だしい。

このロイヤルファミリー(父頼りない、母うつ、子供ニート)が日本の象徴というのも、なかなか現実的でいいのかもしらんけどねぇ。皇室と戦前の軍国主義を結びつけて、天皇制を危惧する左巻きの人もいるが、東宮家のために命を投げ出したいと思う人はあんまりいないだろうから、彼らにとっては安心かもしれんねw。

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04月17日

起床時刻:11時00分

深大寺へ行った。
焼いた草もちがうまかった。

ちょうど厄払いをやっていたようで、後ろからちらとのぞいたら、やっぱり「はんにゃーはーらーみーたー」であった。
葬式も般若心経、法事も般若心経、厄払いも般若心経、どんだけ万能なんだよ、般若心経。マルチクリーナーみたいになっとるな。

深大寺は天台宗のお寺だそうで、うちの母方の菩提寺の真言宗とはおなじ般若心経でも唱え方が違うように思った。シャンシャンとなるマラカスみたいなものを持ってリズミカルに唱えていた。なかなかいい。

youtubeでは小樽にある真言宗豊山派、大綱山精周寺の般若心経が気に入った。アップテンポで派手で、鳴り物入りで楽しい。

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04月16日

起床時刻:10時15分

今日はMちゃんとランチ。
元フレンチレストラン(ミシュランで一つ星とったはず。。。星をとってからは行っていなかったが)。
今は野菜中心の、創作フレンチみたいなかんじ。
メニューはない。
シェフが考えたもんが勝手にでてくる(アレルギーや好き嫌いは聞いてくれる)。

<アミューズ>
・自家製甘酒
<オードブル>
・ゆで野菜いろいろ+つぼみ菜のスープ
・山菜(ふきのとう、うるい、わらびとか)+さより、アカニシ?(貝)にジュレをかけたもの。ほろ苦さが春らしい一品。
・焼いた春キャベツ+新玉ねぎ+うりぼうのポトフ
(いのししだが牛肉のようであった)
<魚のメイン>
・スズキのポワレ+島ラッキョウいっぱい
(島らっきょうがいっぱいでてきた。スズキはクセがあってあまり好きな魚ではないが、美味であった)
<肉のメイン>
・滝野川ごぼうと子牛のソテー
(バルサミコソースとかブイヨンとかで煮込んだやわらかいごぼうが美味)
<デザート>
・山芋餡+さくら風味のアイス+チョコレート
最後はコーヒーとプチ・フール(大根のパート・ド・フリュイとレンコンのチップス)
大根はめっちゃ甘かったけど、大根風味だった。
Mちゃんがこれはフリュイではない、野菜だ。野菜ってフランス語でなんていうの?と聞くので、うろ覚えで「レギム」だといったけど、レギュム(Les Legumes)がより正しい発音であったな(うろ覚えで不安になり、思わずさっき調べてもうた)。

しかし大学の二外のフラ語を意外に覚えているもんだ。びっくり。そのときからもう20年たつのか。はぁ。

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04月15日(金)

起床時刻:10時30分

『デフレの正体』を読んだ日本全国の団塊ジュニア以下はきっと「っていうか老人殺して、その貯めこんだ金を若い世代にまわせば、内需も回復し財政も健全化し年金問題もなくなり、全て解決すんじゃね?」と思ったはずだ。

企業だって業績が悪化したら、つかえない連中をリストラし「スリム化」して業績を回復させる。国家だってつかえない連中(働けないが年金やら医療費やらで人一倍金のかかる老人)を、ポイっとリストラしちゃえば、ユー、いいんじゃない?って思うよね?

年寄りはいいとこなしの悪いとこだらけである。

・皺がよる ほくろができる  腰曲がる 頭が禿げる ひげ白くなる
・手は震う 足はよろつく 歯は抜ける 耳は間こえず 目はうとくなる
・聞きたがる 死にともながる 淋しがる 心は曲がる 欲深くなる
・くどくなる 気短くなる 愚痴になる 出しゃばりたがる 世話焼きたがる
・またしても 同じ話に 子を褒める 達者自慢に 人は嫌がる

ひどいもんである。
私が言ったんじゃありません、仙崖和尚さまがおっしゃいました(文句はそちらへ)。私だったら、最後は「またしても 若者批判 とくとくと わが身のことは 神棚の上」とでも言いますよ。

老いた人というのは、老いた哺乳類のなかでも最悪の部類になるのではなかろうか。
老犬だって、モーロクして夜鳴きをするのはいるが、老人のように「ケシカランッ!!」「どーなっとるんだ!!」「わしを誰だとおもっとるんだ!!」などと、ワンワンキャンキャンどなりちらすようなのはいないだろう。

人は年をとるとともに気が短くなり、ささいなことにも腹をたてるようになると老人側からの証言もある(ソース:「許さん!爺さん奮闘記」東海林さだお『そうだ、ローカル線、ソースカツ丼』)。

まったくもって、老犬以下である。ま、私も老犬以下の短気老人方面まっしぐらで、怖いのだが。早起き日記にツラツラ書いてあることも、ほとんど老人の「ケシクリカランッ!!」とかわんないしw。

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04月14日(木)

起床時刻:07時49分

自分がイヤになることばかりで落ち込む。
大泉逸郎の『孫』風に歌うと
「なんでこんなにむかつくのかよ~
自分という名のこわれもの~♪」
てなかんじである。

なんで自分がこんなにイヤなのか。
それはやはり自分が何者にもなれなかったからではなかろうか。
まぁフリーターにはなれたのだがそんなものになるために勉強したり仕事をしたりしてきたわけではない。だいたい「なるにはbooks」にも「フリーターになるには」なんてのはないはずだ(調べていないが)。「スーパーのレジ打ち」とか「コンビニ店員」とかは、なりたくてなるのではなく、だいたい仕方なくなってしまった部類のものだからだ。

国Ⅰの筆記試験にも受かったのに(ま、人事院の面接で落とされたんだが。既にどこかの省庁の内定をもらっていないと最終パスしないらしい。さすがホンネとタテマエの国、ニッポンですね!って、おかしくね?のシステム)。都庁の上級職?にも受かったのに。TOEICで900点以上とったこともあるのに。

しかるにいま、時給1500円のバイト。pgrすぎる。

これがまだ十代、二十代ならなんとかなる。
しかるにわたし、もう三十代だから!!人生70年だったら折り返し地点ぶっちぎりで折り返してるから!!!

もう来世に期待するしかない。
と思ったけど人生70年としてもあと30年くらい残っているわけで。絶賛放射能まみれの我々は、多少早死するのだろうか?

しかしまぁ、団塊ジュニア世代はもうすでに新陳代謝が衰えまくっているから、せいぜいガンに早めになるくらいだろう。

安楽死を認めるようにしたほうがいいよ、政府は。

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04月13日(水)

起床時刻:11時10分

八百屋さんで買ってきた生のビーツ。
シンプルにグラッセにしてみた。
前も思ったけど、ヤングコーンと同じ味だよね?
ビーツってヤングコーン味の歯ごたえのあるカブって感じ。
缶詰のビーツは、食べたことないが、ふにゃふにゃしてそうだが。

ちなみにヤングコーンはあんまり好きではない。
そしてビーツより普通のカブのほうが好きだ。
でもアントシアニンがいっぱいそうなのがイイ。

お昼はビーツに加えて、春キャベツとれんこんのサラダ、バゲット+チキンレバーペースト、カフェオレ、デザートにワッフルを食べたのであった。一人だと食事の支度が楽でよい。

昨日、立派なホワイトアスパラも買ってきたので夜食べよう。

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04月12日(火)

起床時刻:08時16分

TSUTAYAで借りた『ゴールデン・スランバー』を観た。
まじでつまんなすぎ。なにこれ。
こんなんが面白いの?
この中途半端な終わり方、「白騎士物語」をおもいだすわい。
これ前編後編の前編だよね?

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04月11日(月)

起床時刻:10時30分

1日中ネットを見ていた。
2chって本当に楽しいなぁ。

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04月10日

起床時刻:不明

私はフラクタルというクソアニメのネッサの物まねがチョー似てる!似すぎていてこわい!と思ってるのだが、「きもい」といわれてしまった。

いったいいつ、あのアニメ的妹的属性は「かわいい」から「きもい」にかわるのかね?

思うんだけど、アニメのじーさん・ばーさんは一人称が「ワシ」(ばーさんの場合は「あたしゃ」)で語尾が「~のう」とか「~じゃ」だったりするじゃん?あれっていつからそういうしゃべりになったのかいつも気になる。
だいたい小学生で「そろそろお八つの時間じゃわい。わしも一つ、お茶をいただこうかのう」とか言うわけがない。
だから何歳かのときに、そろそろ「わし」とか「じゃのう」を解禁してもいいんじゃね?ってひらめいたハズなんだ。

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04月09日

起床時刻:09時45分

04月08日(金)

起床時刻:11時00分

『教育の職業的意義―若者、学校、社会をつなぐ』(本田由紀/ちくま新書 2009)はいい本だった。
まず、著述が論理的かつ構成が体系的で、非常にわかりやすく、読みやすい。さらに、論理を展開する時の根拠が「うちの息子」とか「新聞の投書欄でみた」とかではなく、ちゃんとした統計調査に基づくデータである。また反論をする際には、ありもしない仮想敵にむかってキャンキャン吠える「エア反論」ではなく、ちゃんとその出典を明らかにして、参考文献も明記している。

この三点だけでもまともな本であることがわかる。さらにいうと、これすらクリアできていないクズ新書が世の中には多すぎてめまいがする。

私は彼女の展開する議論及び反論に説得力を感じたし、方向性としては間違っていないと思う。

だけど、一つ思うのは、仕事の需要と供給の関係だ。
世の中には常に高級ジョブより底辺ジョブのほうが多いってことだ。底辺ジョブの求人数は常に高級ジョブの求人数を上回る。
これ、pyaaaの法則っていってもいいよ。
平リーマンの数は役員の数よりもずっと多いが如し。
兵卒の数は大将の数よりもずっと多いが如し。

そこで、役員や大将になる向けの教育したって仕方ない。だってほとんどの人はなれないんだもん。つまり世の中、職業的教育の必要はほとんど必要ない(あるいは今の教育システムでなんとかなる)仕事だから、なんだかなぁってなるんだよなぁ。
言い換えると、高級ジョブの需要に、「教育の職業的意義」によって高級ジョブにふさわしい有能な人材がいっぱい供給されて供給過剰状態になったら、高級ジョブ向け人材が「教育の職業的意義」とか「ハァ?」な低級ジョブに流れるしかないいじゃんって話(ま、「抵抗」としての職業教育という面では役にたつかもしれんね。福島のサムライ50人とか出てこなくなるかもしれんね)。

極論だが、今の若い子たち全員が、弁護士の資格をとったとしよう。そうした場合、弁護士の資格をとっても全員分の仕事はないから、弁護士の資格をもったスーパーのレジうちがでてくるのだ。中国の蟻族みたいなもんだ。

蟻族ってのは中国版「大学は出たけれど」で、中国は好況で仕事はいっぱいあるけど、大卒がやるようなホワイトカラーばりばりでクリエイティブで高級ってのがあんまりないんだってさ。

つまり職業教育やって、仮に即戦力とやらが育っても、その職業自体の求人数が少ないなら意味ねーじゃん?ってことになるんじゃね?
どうなのよって思うんだよね。まぁ、今の教育なんてクソだから、変えたほうがいいのは間違いないと思うけど。

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04月07日(木)

起床時刻:07時45分

私のバイト先、超零細企業なのに、東北関東大震災にかなりな額の義捐金おくってた。社長もボランティアにいくとかで、私も1万円渡した。

昨日の話の続きで、性格の悪い利口と性格のいい馬鹿でいうと、うちの社長は性格のいい利口なんだが、最近はもう、利口か馬鹿かは、自分が馬鹿だとわかんねーから、性格(こっちもわかりづらいが、「専門的学術的科学的政治的判断の是非」より、わかりやすい)を重視しようと思ってる。いいかえると客観的判断は無理だから主観的にいこうってはなしだ。

私の思う性格の悪い利口は、池田信夫である。
こいつのブログはマジキチすぎる。
武雄市の被災犬受け入れ構想について、ソフトバンクのハゲじゃなかった孫社長が「やりましょう。被災動物救済援助」と支援したことに対して、池田信夫はが2011年4月6日「行方不明がまだ1万人以上いるのに、犬の心配してる場合じゃないでしょ」とツイッター上で噛みついた。

池田はブログで「人命も犬の命も同じだ」という多くの反論に驚いたという。だが「優先順位を考えると、「ペットを救う余裕があるなら一人でも多くの人間を救うのが先であり、野犬化する犬は処分すべきだ」と主張した。そして、今必要なのは、優先順位をつけて「捨てる勇気」だとした。

そりゃあ、私も「人命と犬の命は同じ」という主張は間違っていると思う。全く一緒じゃない。
もし一緒なら、よくもまぁ平気で犬の命に値段をつけ、売り買いしているよなぁ、と思う。奴隷制度じゃないか。
それが許されるのは(私はちなみに許していない)、犬の命が人間とは同列にみられていないからである。

しかし私は池田のように、死んだ人間>生きている犬とは考えない(これ4/7に言っているんだから、もう今更探したってたいていの人間は死んでいる)。それなら生きている犬を保護したほうがいいじゃん?って思うのよ。

だいたい、非常時に飼い犬の命を守れないなら、日本で犬を飼う資格がないのだ。大規模な地震や津波や台風や活火山の噴火の可能性のある地で犬を飼うということはそれくらい責任の重いことなのだ。犬を結果的に処分するようになった人はよくよく反省するべきだ。

それより何より、非常時には犬を「処分すればいい」と考えるような人間は下の下であり、まさに池田は計算はできるけれども性格は悪い人間であるといえるだろう。肩書きは立派だし、賢いのかもしれないが、私が人事部だったらこのような人間は雇わないし、信用しない。

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04月06日(水)

起床時刻:10時15分

Hちゃんと吉祥寺ランチ&井の頭公園花見。
週末の都知事選誰に入れる?って話になったとき、Hちゃん曰く「フジの公開討論会見てて思ったんだけど、やっぱり一番どっしりしているし頼りになる感じがするから、石原かなぁ」だって。
私のまわりではじめて見つけた石原支持者。

Hちゃんはとっても性格いいけど、ちょっと頭が悪いと思う。でも私は性格の悪い利口より性格のいい馬鹿のほうが好きだ。私ももちろん、性格のいい馬鹿の部類である。

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04月04日(月)

起床時刻:09時30分

『フラクタル』(ノイタミナ枠のアニメ)の録画していた分を見終わったんだが、「なんじゃこりゃ?」だった。

以下、原発と反原発運動で例える『フラクタル』(完全ネタバレ)。

①一般市民は原発(=フラクタル・システム)とそれを維持管理している東電(=僧院)のおかげで快適な生活をおくっているが、東電はそろそろ燃料(=世界の鍵)がなくなってしまうので、再投入しようとしている(=フラクタル・システムの再起動)。燃料は、魂担当の少女(ネッサ)と肉体担当の少女(フリュネ)であり、二人そろって、一つの燃料が完成する。

②そんなある日、フリュネ(肉体担当のほうの燃料)が逃げ出してしまった。その理由は「燃料となる可能性をもった娘をクローンでつくっては廃棄するようなシステム」と科学者の父による「性的虐待」への嫌悪感からである。

③原発反対派(=ロストミレニアム運動)の中の過激派ゲリラ(=グラニッツ一家)は、原発への燃料再投入を防ぐために、燃料である少女二人と彼女らに気に入られているロハス志向の草食系男子(クレイン)を誘拐する。ちなみに原発反対派は田舎で中世ヨーロッパ風の生活を送っている。

④燃料少女たちとロハス少年は、過激派と行動をともにするようになり、次第に仲間意識を持つようになる。

⑤東電のトップ(祭司長モーラン)は反原発派の粛清を呼びかける。フリュネが東電に戻って、説得してやめさせようとする。それを追いかけてネッサとクレイン、過激派のトップ(スンダ)も僧院に乗り込む。クレイン、フリュネが処女ではないことを知り愕然とする。

⑥反原発過激派ゲリラトップのスンダが実はなんのビジョンも持っていないことが判明。クレインに全てをまかせて死ぬ(まるでリオン@テイルズ・オブ・デスティニーのような無駄死w)。

⑦クレインは「(中古でも)好きだよ!」とフリュネにやっと言う。燃料少女たちは「今ならこの世界を好きになれそう」と言って、燃料になることを決める。おかげで原発は再起動する。核燃料廃棄物となった少女は二人が一人になり(肉体はフリュネ、精神はネッサ)、1年ほど寝たきりだったものの、見事に復活。クレインの家で末永く暮らしましたとさ。お・し・ま・い。

なんなんだ、このアニメ?

キャラにも、ストーリーにも、世界観にも、なーーーんにもひかれない。
メッセージの伝え方もまるでACのよう。ほら、「買い占めはしないようにしよう」とか「災害時の連絡方法を確認しよう」とかフリップもって言っているのあるでしょ。あれに例えると、

フリップを持ったロスミレ運動者が
「ネットという仮想空間に逃げ込まず、リアルな経験を大事にしよう」と言い、
クレインが「人殺しでも仲間は大切にしよう」と言い、
フリュネが「クローンも感情を持ちます。手段ではなく目的として扱おう」と言い、
ネッサが「ネッサは好きが好き。悲しいは嫌いよ。だからいつでもネッサのことを好きでいよう。悲しくならないでいよう」と言っている感じだよ。全く。

この主人公からして、役立たずなことカンナオトの如しなんだよな。主人公は幾多の葛藤を乗り越えて、人間的に成長していく、もんだよね?これじゃあ鳩山にはじまり菅で終わったみたいな感じだよ。
だいたいこの主人公の葛藤って「好きになった子が処女じゃなかった!ショック!」くらいだし、成長してどうなったかというと「料理をするようになった(エヘン」(最終話)くらいじゃないか。

びっくりしたわ。本気で。

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04月03日

起床時刻:不明

来週は都知事選だ。
石原だけは絶対にありえないので、渡辺美樹(ワタミ)か小池晃か東国原英夫かになる。

なお、今回のような異例な状況で選挙を強行するのならば、直前まで候補者によるネットでの意見配信を認めるべきだ。そうでなければ、単なる人気投票や知名度投票になりかねない(現職の石原や元芸人で元知事の東国原が有利になる)。

それぞれの主張(候補者名)に、賛成なら〇、反対ならXをつけた。
以下賛成の部分:
*都知事の給与を20%カット、退職金の半額カット、特別職給与の5%カット(ヒガシコクバル):◎
*羽田の国際便の増加(ワタミ):〇
*東京駅から羽田への新幹線の敷設(ワタミ):(費用対効果で)〇
*電気自動車のレースイベント(ワタミ):〇
*首都高速の完全地下化(ワタミ):なんで???
*インフラノウハウの輸出(水道、地下鉄)(ワタミ):〇(まぁ今は無理だろうがな)
*知事自ら給与と退職金について、都民の賛同を得られる形で削減(ワタミ):〇
*マルチリンガル教育(ワタミ):〇
*首都大学東京の国際競争力を高める(ワタミ);〇
*青少年健全育成条例は、マンガ規制の改悪部分を撤廃(コイケ):〇
*日本の農業や医療や雇用をこわすTPP(環太平洋連携協定)に反対(コイケ):〇
*認可保育所を4年間で2万人分(コイケ):〇
*オリンピック誘致撤回(コイケ、ヒガシ):〇
*築地移転撤回(コイケ):〇
*新銀行東京撤回(コイケ、ヒガシ):〇

以下反対の部分:
*お台場の24時間営業化(ヒガシコクバル):X
(昼間でさえ人いないze)
*都営地下鉄(ゆりかもめ等)の24時間運行(ヒガシコクバル案):X
(勤務する人の気持ちになれバカ&タクシー業界あがったり&深夜残業を断る言い訳なくなる、過労死促進)
*18歳までと75歳以上の医療費を無料化(コイケ):X
(医療費がむちゃくちゃかさむ。18才以下だけならまだしも、老人がゼロになると、茶のみ話に病院にくるようになる)
*「東京都平和祈念館」の建設(コイケ):X
(いらんだろ、そんなハコモノ。無駄遣いもいいところ)

総合的にみると、ワタミかなぁ。ワタミは超ブラックのクソ企業だけど、ブラック都庁になって困るのは職員であって、ワレワレではないからな。コイケは使うほうばかりで経済政策が何にもない。

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04月02日

起床時刻:09時10分

イメージだが、東日本大震災後の国際世論が
「日本人、がんばれ!冷静に行動していてすごい!応援してるよ!」
から
「原発なんとかしろよ、クズ!世界に迷惑かけてんじゃねぇよ!」
というふうに変わってきたような気がする。
(佐藤優も書いていたが、支援してくれた全ての国に対して「ありがとう」の「意見広告」をその国の主要紙に出しておくがよかろう。費用は相当かかると思うが、絶対に意味のあることだ)

今回の大津波は福島第1原発の非常用電源を破壊し、炉心の冷却機能を奪ったが、東電は全くの「想定外の事態」だったという。空から槍が降ってきたようなもんで、東電に落ち度はないというわけだ。

しかし、この5年前に日本共産党の吉井英勝氏(京大工学部原子核工学科卒)は、衆院予算委員会分科会(2006年3月1日)で、既に津波の危険性を指摘していたのだ。まぁ、実際に起こったことと同じことを予言していたわけでは全然ないんだけどさ。
だけれども、少なくとも吉井氏は「内外の例から見ると、やはり最悪の事態を想定しなきゃならない。(炉心内の)自然崩壊熱が除去できなくなる。それは炉心溶融にも至りえる大変深刻な事態を考えておかなきゃならない」と述べ、炉心溶融などが起きたときの放射性物質の放出量、その影響・被害調査の実施を提案した。

それに対する政府答弁は「そういったことはあり得ないだろうというぐらいまでの安全設計をしている」(寺坂信昭・原子力安全・保安院長)(『赤旗』より。http://www.441-h.com/kokkai.html#0322)という木で鼻をくくったような回答。

つまりですね、「台風がきたらこの家はぼろぼろになっちゃいますよ」と事前に警告していた人に対して「台風どころか、そういったことはあり得ないだろうぐらいまでの安全設計をしている」と返した人が、台風がきて「これは想定外の事態だった」というのはおかしいんですよ。つまり、保安院も東電も今回の津波を「想定外のできごとだった」と開き直るのは、おかしいんですよ。盗人たけだしい。

ま、日本政府は、自民も民主も共産党の言うことは聞かないが、自民党はアメリカの言うことは聴くので、IAEAが「約2年前に、日本の原発の耐震安全指針は時代遅れで、巨大地震が発生した場合は持ちこたえることができない可能性があると警告していた」のに対し、麻生総理が原発安全対策予算を盛り込んだのは、きちんと実行されれば、いいことだった。

が、民主に政権交代し、枝野に仕分けされ予算をとりあげられ、かつ今年2月7日、運転開始から3月で40年を迎える福島第一原発1号機(福島県大熊町)について、経産省は40年経過後さらに10年間運転を続けるための保安規定の変更認可を与えた(このときの大臣はカイエダ)。

安全性・住民無視の原発行政を続けてきた自民も多いに問題があるが、民主もかなりひどい。

しかも、鳩山のクルクルパーのせいでCO2を死にもの狂いで削減しなくちゃいけなくなったから、民主はスーパー原発推進派なんだよな。

だいたい「政治主導」なんてね、そんなタマの政治家なんて民主には一人もいないよ。
都議会だって、民主は自民同様、質問内容は都の職員につくらせてるんだから。都職員の友達が言っていたが、自前の質問書をつくってくるのは共産党だけなんだよ。
能力がないなら、官僚となれあって上手く物事を回すほうが、いいんだよ。責任だけはとる、という姿勢でね。カンみたいにヒステリーを起こして官僚をどなりちらすのは、下の下。

今はもうTVでバラエティとかやっているんだから、そろそろ東北の復興政策も本腰を入れて考えるべきだ。
田中のやっちゃん(新党日本)が言うように、東北の再興には、きちんとした都市計画をもってあたるべき。
「"自然との共生"なる浅薄な広告代理店的お題目を超えた、地域分散型であって世代分断型ではない、成長ではなく成熟を目指す職住近接の新しい居住空間を、阿武隈高原や那須高原、北上山地に計画してこそ、“オンリーワン・ファーストワン”のモノ作り産業を自負し続けた日本が全世界から一目を置かれる、“科学を用いて・技術を超える”21世紀型思想たり得るのです」とやっちゃんはHPに書いているが私は阿武隈・那須高原や北上山地まで移動させるのは無理だと思う。今まで漁業しかやってこなかった人が内陸で何をやるのだろう。また住民もやはりあまり遠くは嫌だろう。だが、しっかりとした哲学(デンツー仕込でないやつね)をもって、都市計画をつくるのは賛成だ。新しい「スマートシティ」として、日本あるいは世界のモデル都市になるくらいの勢いでのぞんでほしい。

また「70年代には世界屈指の開発技術力と市場占有率を誇るも何故か“国策”として採用されず、今や中国やドイツの後塵を拝する太陽電池の事業所を被災地で展開すると発表したなら、国民に勇気と希望を与えます」とやっちゃんがいうように、クリーンでエコでエシカルな産業政策もセットですすめて、雇用を作り出していくべきだと思う。

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04月01日(金)

起床時刻:11時45分

原発に関して、池田信夫がブログで「最大2人しか死んでいない日本の原子力は、バス事故で数十人が死ぬ自動車より安全である」と言っています。

池田風にいうなら、「風呂場で死ぬ人は原発で死ぬ人より多いから、風呂場は原発より危険である」ということになります。これは正しいでしょうか?

まず、母集団の数は同じでしょうか?
すなわち、風呂場利用者と原発利用者の数は同じでしょうか?1億200万人の中の利用者から出た死者数と、60基の原発から出た死者数を比較できるでしょうか?

原発の安全性を語るには母集団が少なすぎではないでしょうか?
統計的により確実に語るには、全世界の原発を考慮にいれたほうがいいでしょう。そうすると、チェルノブイリという異常値が含まれてきてしまうわけですが。

さらにいうと、原発による死亡者数のカウントはフェアでしょうか?例えば勝間によればチェルノブイリでも50人しか死んでいないそうです。「ただちに」死ぬレベル以外は、基本カウントしないというのが原発支持者の姿勢です。ガンやその他の病気が異常に増えようが、無視です(IAEAはチェルノブイリで最大9千人死亡したといっています。ロシアの科学者アレクセイ・ヤブロコフ博士によれば100万人近く死に、その影響力は7世代に及ぶそうですが)。

彼ら原発擁護者にかかれば、風呂場が原因の死亡者数はゼロになるでしょう。仮に風呂場で転倒して死亡しても、死因は「中高年特有の不注意」であり、風呂場は関係ない。あるいは急に熱いお湯に入って心臓発作を起こしても、それはもともと「心臓病の中高年だったから」であり、これまた風呂場は関係ない。
なぜなら、普通の健康な人が風呂場に入っても、滑って死んだり心臓がとまったりしないから、因果関係は何もないと言い切れるからです。彼らのロジックに基づけば、風呂場での死亡者はゼロとなり、原発より安全ということになります。

そもそも、原発と風呂場はリスクの質が違うのではないでしょうか?原発は「想定内の平常時」ならほぼ安全です。冬の風呂場のほうが、よほど危険でしょう。

しかし、「想定外の出来事」(これは予想よりも頻繁に起きることが証明されました)における危険度、例えばもんじゅに隕石だか北朝鮮のミサイルだかが命中して、制御不可能になったときの殺人力は、世界全部の風呂場が束になってもかないません。

リスクの質的な面に関して言えば、死に方における恐怖も考慮しなければなりません。
風呂場ですべってころんで頭を強打して死亡というのも怖いですが、大量の放射性物質を一度に浴びて人間の細胞の再生機能が破壊され、皮膚がずるむけになり、感覚と意識だけははっきりしながら、全身血まみれになり、臓器もからも血を流しつつ、激痛に耐えながら死ぬのとでは、後者のほうが数千倍怖いでしょう。

もちろん、このレベルの危険性は現場の作業員たちにしかあてはまらず、遠くに離れている人間はガンになりやすくなったりするだけだから、大騒ぎする必要はないと思いますがね(どうせ、ガンで死ぬ可能性が高いのだから)。

そうではなく、現場の人間にとっての死に方のリスクを問題にしているのです(東海の臨界事故で死んだ方のむごさは筆舌に尽くしがたいものでした)。安楽死を認められないこの世界で、生き地獄を味わうのが(自分以外の誰かでも)いやなんです。

もし放射能汚染で、ぽっくりと痛みもなく死ねるのなら、誰もそんなに大騒ぎしないと思います。何しろ「ぽっくり死ねる」ためのぽっくり寺なんてものまであるんだから。そうではなく、ハンパではなく痛くて苦しいのだから、恐怖心が増すのです。

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