201204 <<先月 | 翌月>>

起床時刻推移グラフ

目標起床時刻:08:00 平均起床時刻:10:43

起床時刻の記録 ▼新しい順 ▲古い順 RSS

04月30日(月)

起床時刻:不明

一日中ゲーム。
5/1から旅行に行くのだけれど、5/1のAM4:30までゲーム。
(ただ今、夫はお風呂)
夫、お目当てのものが出なくて必死になってる。。。
負けがこんだギャンブラー状態。

夫は本当は旅行になんぞ行きたくないんだよね。
ただGW明けに「どこか行った?」と聞かれたときに、「どこそこに行った」と答えるためだけに、「どこか行きたい」って言うんだよね。
何日の何時の新幹線かとか、何にも知らないしw
旅館の名前すら知らないw

本当はゲームをずーっとしてたいんだよねぇ。
そうだよね、リアルよりヴァーチャルのほうが楽しいもんね。
花見だって、写真やテレビで観たほうがきれいだもんね。

ただ、見栄のためだけになされる消費。

人の不幸は家でじっとしておれないことからはじまるとかなんとか、パスカルが言ってなかったっけ?
家でじっとしているのが、一番地球に対する負荷も少ない。
なのに、「GWは家でゴロゴロしてた」と言いたくないばかりに無駄に東西南北人が移動するのに伴い、無駄なエネルギーが消費される。
ばからしい。

日別画面へ

04月29日

起床時刻:不明

一日中ゲーム。
私は途中、多少の家事でゲームを抜けるけれど(洗濯したり買い物に行ったり食事つくったり)、夫はトイレに行くか煙草を吸うとき以外はずーーーーっとノンストップでゲーム。一日の歩数が50歩いかないんじゃないかってくらい、まぁパソコンの前から動かない。

それだけなら別にいいんだけど、私も同じくゲームをさせられて、しかも、旦那のお目当てのアイテムがなかなかドロップしないもんだから(「気絶しかけた」そうな)八つ当たりがハンパない。

「真面目にやっていない」「真剣にやっていない」「こっちの気持ちをくまない」「性格が悪い」だのなんだの(アイテムがドロップしなくても私が落ち込んでいないことから怒り心頭なのだ)、ギャアギャアうるさい。

ほんと、一日12時間以上ゲームにつきあってやって、報酬は罵倒だもんな。
やれやれ、だよ。

うちの旦那は基本的にハッピーな人だと思うね。
常に他の人が悪いんだから。他責的な人ってハッピーなのよ。
「あたしが至らないから皆に迷惑をかけてしまう><」とか自分を責めだすと、鬱になるでしょ?
「諸悪の根源は夫である!!夫が悪い!!」と思えればハッピーなのよ。
怒りってさ、ハッピーよね。上から目線だからさ。

怒るっていうのはね、やっぱエネルギーをもたらすわよ。
テロリストみてごらんなさいよ、あんな無茶するのは怒っているからよね。

普通の人は諦めるんだわさ。
そうしたら、エネルギーなんてわかないね。
ひたすら現状維持を目指すだけ。
現状を変えるのはかなりシンドイからね。
現世はハズレたから、なるべくエネルギーを保存しておいて、来世に期待しようってのが、基本戦略だからね。

しかし一番いいのは来世にだって生まれてこないことよね。生まれてこないこと、つまり輪廻の輪から抜け出すことが昔ながらの願いなのだから。
そういや、芥川龍之介の書いた河童の国で生まれるときには、赤ちゃん河童に生まれてきたいかどうか確認をとる。で、誕生を希望する河童だけが生まれてくるとかいうエピソードがあったように思うんだけど、私もこんな人生だったらまぁ生まれてこないわよねぇ。

はーあ、全てにうんざりする。
ゲーム、料理、家事全般、仕事全般、まぁ生きること全般といってもいいけれど、ほとほとうんざりだわ。

日別画面へ

04月28日

起床時刻:11時14分

朝6:30すぎまでゲーム。
旦那のお目当てのものを敵がドロップせず(トレハンは確実に11以上、時には12まであげたのに!)、最後は私に八つ当たりされて終わるというね。
「こっちが落ち込んでいるのに、全然こっちの気持ちを察してくれない」からはじまり、「非協力的」「真剣にやってない」などなど。

眠い目をこすって朝の6:30までつきあって、非協力的って意味わかんないが、文句の内容はなんでもいいのだ。ストレス解消のためにサポセンに電話してきてぶちぎれるクレーマーのおっさんのように、なんでもいいから、文句をつけて、うさを晴らしたいんだろう。こういう時は、サポセンのオペレーター同様、相手の言い分の可否を問うてはならない。ただその「思い」を受け入れてやる必要があるんだろう。

男にはなぜ妻がなぜ必要なのか。
それは手軽なサンドバッグとして必要なのだ。
男というのは他人をボコることで元気を回復する。
女が悪口や愚痴といったおしゃべりで元気を回復するように。

私の知り合いの息子が近所の子供にいじめられているそうで、その子のお母さんに抗議したんだそう。
そしたら「○○(いじめっ子)だってお兄ちゃんたちにいじめられているんです。○○にもガス抜きできる場所が必要なんです」と真面目に言われたらしい。

そういうガス抜きのためにボコられる存在が小さな子から老人まで男には必要らしい。
小さい頃はいじめられっ子あるいは母親を必要とし(男社会ヒエラルキーの最下層の男でも母親に対しては常に自分が上位者であるように振る舞えることは、男にとって大いなる慰めなのであろう。そして彼らがクソババアと呼ぶこの存在は、何をされても息子の後を金魚の糞のごとくついてまわり、殴っても殴ってもヘイチャラな(息子の拳は痛くないのであろう)、起きあがりこぼしさんなのだ)、長じては女房というガス抜きの存在を必要とする。

男がひとたび外に出れば7人の敵がいるそうだが、場合によっては7人にフルボッコにされて家に帰ってくることもあるだろう。そういうときには女房に八つ当たりしてスッキリする。
自分より常に負けている奴が少なくとも一人はいるというのは、心すがしいことなんであろう。

ビアスの『悪魔の辞典』(岩波書店版。なんか翻訳が古臭いんだが)の「おんな」の項には「通常、「おとこ」の近くに住み、飼い馴らされることに対しては未発達の感受性しか持っていない動物」とあるが、特に世の中の「女房族」というのはそんなもんだろう。

夫族にとって一番必要な能力が、家に金を運んでくる力であれば、女房族にとって一番必要な能力は忍耐力だろう。古今東西、妻たるもの、夫に仕えて従うのが第一の心得とされてきた。聖書に曰く「妻たちよ、主を信じる者にふさわしく、夫に仕えなさい」、儒家曰く婦人は「家にあっては父兄に従い、嫁しては夫に従い、夫の死後は子に従え」と。
従い続けるのに一番必要なのは何か。もちろん、忍耐力である。

ちなみに『悪魔の辞典』によれば「忍耐」は「小形の種類の絶望。ただし、美徳に偽装している」だってさ。ははは、言い得て妙だね。

日別画面へコメントを読む(2)

04月27日(金)

起床時刻:11時30分

『国歌斉唱』(新保信長/2010/河出書房新社)を読んだ。

著者(生まれついての阪神ファン)のスタンスは「政府が国歌と定めた「君が代」を積極的には歌いたくないし、根が天の邪鬼なもので強制されるとますます歌いたくなくなるのだけれど、かといって、入学式や卒業式といった、公的儀式での国歌斉唱を頑なに拒むのも何だかなぁ」(P18)という「どっちつかず」のもの。

著者は、「日本だけが、自国の国旗・国歌を尊重しない。これは世界に例をみないことである」という新聞の投書欄にありがちな主義主張に素朴な疑問を抱く。

「本当にそうなの?」と。そこで「日本にいる日本語が話せる外国人にインタビューする」という(あんまり信用ならん)方法で各国の実態を調べる。
もちろん、大いに偏っている見解だろうから(だいたい日本に滞在している日本語が話せるアメリカ人なんてアメリカ人の中でも多いに変わりもんだろう)、全てが参考程度にしかならないんだけれど、面白いことは面白い。
何しろ国歌に関する話は大使館の公式情報みたいなものしか耳に入ってこないからだ。

国歌に対する感情も国それぞれのようだ。
自国の国歌に対して熱烈な愛情を持っている国として紹介されているのは、
・コロンビア(学校で毎朝歌うのに加えてテレビとラジオでも放送開始時、正午、夕方六時、放送終了時の一日四回国歌が流れる)、
・ガーナ(学校で毎朝アカペラで国歌を歌う)
・キューバ(国歌が流れてきたら直立不動になる)
・タイ(国王と同じくらいタイ国歌も愛されている)
・韓国(飲み会でうたわれることもあるそうな)
などが挙げられている。へー。

ちなみに「卒業式で国歌」は世界の常識とは言えないと著者は言う。
スウェーデン、アメリカ、ブラジル以外にも、地域や学校による違いはあるだろうけれど、フランス、ドイツ、イタリア、イギリスでも学校のセレモニーで国歌を歌うことはないという(P124)。
米、英、仏、独、伊、カナダ、露、中の八カ国の教育制度について記した文部省の『諸外国の初等中等教育』(2002年)という資料によっても、「8カ国のうち学校行事での国歌斉唱または演奏が広く行なわれているのは、カナダ、ロシア、中国の3カ国だけ。それもカナダ、ロシアは連邦や州レベルでの法令ではなく、各学校の判断で慣習的に行われているもので、唯一中国だけが、<国家教育委員会(現教育部)>の通知により、学校は、国旗掲揚の儀式及び慶賀の式典、スポーツ大会等において、国歌の斉唱を求められている>という(P125)。

著者によれば、卒業式での国歌は世界の常識というより、中国の(及びアジア・アフリカ諸国の)常識とのことである。

さて後半は「君が代」の歴史の話もちょっと書かれています。
「君が代」がなんだかんだでもめているので、新聞の投書欄では君が代やめて「ふるさと」を国歌にしてはどうかという意見も度々出ているようだ。

「こうした新国歌(あるいは国民歌)制定の運動は昔からあって、田中伸尚『日の丸・君が代の戦後史』(岩波新書/2000)によれば、1946年に毎日新聞社が文部省後援、日本放送教会協賛で募集した「新日本の歌」の当選作を発表している」(P198)
「1952年には日教組が詞、曲とも公募による「緑の山河」という新国民歌を発表」(P199)。どんなんか知りたい?<戦争(たたかい)超えて たちあがる/みどりの山河 雲はれて/いまよみがえる民族の/若い血潮にたぎるもの(P199)」とかなんとか。若い血潮ねぇ、今や高齢化社会で老人ばかりなんすけどねぇ。まぁ当時はこんなに高齢化するとは見通せなんだろう。

君が代は歌詞だけではなく、音楽も暗いし、歌うのが難しいから、ということで、そこんとこどうにかならないかという意見もある。

民主党の枝野幸男(当時34才)は「歌詞はいいけどメロディーがクラすぎる」と純音楽的観点から問題提起。「小室哲哉さんか元安全地帯の玉置浩二さんに頼んでカラオケで歌える曲にしたらどうか」と提案」したらしいw(1994年4月4日、東京新聞)これはひどいwww
今だったら秋元康プロデュースの国歌になりかねんwww

あるいは元駐ルクセンブルク大使の岩崎氏曰く「この曲を伴奏通りに歌い、「さざれ石の巌となりて、苔のむすまで」の「いしのー」と「こけのー」の二つの高音部を歌い抜けるのは不可能に近い。やむをえずそこは一オクターブ下げることになるが、続く低音部にかかると今度はまた元に戻さざるを得なくなる」(P190)と「君が代」を歌うことの難しさを告白している。

私は「君が代」で全然いいんだけど、もし何か別のにするなら、そうだなぁ、
①日本オリジナルなもの(西洋音楽ではない)
②明るくめでたい曲
③歌いやすい曲
の三条件を満たすものとして花笠音頭をあげたい。
「めでた、めぇで~た~の~ 若ァ松ゥさあああまァよぉ~♪」のアレである。
純日本製だし、これ以上、めでたい歌はないし、なんなら踊りも踊れるし。
まぁ博多んもんだと「祝いめでた」(祝いめでたの~若松さまよ、若松さまぁよ♪)を推すべきなんだろうけど、「祝いめでた」は難しいからな。
これなら「君が代」のほうが簡単なんじゃ。ちなみに「祝いめでたと博多手一本」↓
http://www.youtube.com/watch?v=d9_z-8ZG7Ec&feature=related

まぁでも、「若松様って誰よ?」問題が生じるかなぁ。
民主主義国家である日本国は国民主権であるから、国民こそが若松様であるっていいたいところだろうけど、無理ありすぎるしなぁ。

日別画面へ

04月26日(木)

起床時刻:08時10分

夫の借りた「ミッション:8ミニッツ」という映画を観た。
SF的にはどうなの?ってとこもあるが、私は面白かった。
単純にグッドウィル大佐の存在がよかった。
グッドウィル…なかなか象徴的な名前である。

ここからネタバレなんで見てない人は読まないように。
グッドウィル大佐は最終的には軍規ではなく、自分の正しいと信じることを実行する。
「かくすれば かくなるものと 知りながら やむにやまれぬ 大和魂」である。これはある意味テロ思想でもある。しかし、杉原千畝のユダヤ人へのビザ発行も同じ思想から出てきているだろう。

組織の命ずることと個人の倫理が相反したら、どうするか?
あるいは法律に従うことが個人の良心に反する場合は、どうするか?

普通の人は組織や法律を優先する。いくらでも言い訳はできるのだから。
「本当は嫌だった」と。
「自分が正しいと思うことを実行する」ことは凡人にはできない。

また、自らの良心を優先することを奨励すべきかどうかも悩ましいところだ。もっというと、個人の良心を集団の規律に優先させた人を罰するべきであるのかどうか。
まぁ、罰するべきなんだろう。
個人より集団のほうがずっと大事なんだろうから。
集団というのは存在自体が抑圧的だから、なるべく関わり合いにならないに越したことはない。

小さいレベルでいえば、卒業式の「君が代」の歌う・歌わないもこのような部類の話だろう。歌うことに反対する教師たちの中で勇気を出して歌うこと、歌うことを強制する法令のもとで勇気を出して歌わないこと。
私にゃ無理だねw確実に周りにあわせる。

「国歌斉唱」という本を読んだのでちょっとそんなことも考えた。

日別画面へ

04月25日(水)

起床時刻:09時10分

本日お会いした、とてもきれいな奥様が、旦那さまの頑固なことをこぼされていた。そのときもちょっと言ったが男というのは頑固なものである。あきらめなはれや!である。

今日観た映画(「ハングオーバー パートⅡ」)に、無言の修行の誓いをたてた僧侶が出てきて、彼は警察に入れられようが、何されようが絶対に喋らないんだけど、こういう訳わからん修行をやるのは確実に男だけである。

なぜだろうか?それは男が頑固だからである。

女だったら、まわりに「あなた、ちょっとそれおかしいわよ、恥ずかしいわよ、みっともないわよ」と言われたら「そうかしら?おかしいかしら?恥ずかしいかしら」とすぐに意志がぐらつくが、男は「わいが決めた道じゃ、ボケェ!!」と聞く耳もたない。

修行に限らず、例えば「あなたちょっと太ったんじゃないかしら?」と言われただけで、女は「うそ?やだ!ほんと?痩せなきゃ!」となるが、男は聞く耳を持たないから、いくら女房が「あなた太ったんじゃないの、もう年なんだから、ヘルシーなもの食べなきゃダメよ」と口をすっぱくして言っても「うるせぇ!わいが食いたいものを食うんじゃい!!」と我が道を行くのだ。

煙草でもそうだ。女房がいくら体に悪いの、なんのといっても馬耳東風。

男が意見を変えるときは、①自分の意志で変えるときか②会社(上司)の命令かのどちらかだ。
女房のいうことを聞く男は女房が上司になっている場合ですな。

だからもう、何を言っても仕方ない。
肺がんになれば自分の意志で煙草もやめるだろう。
働きすぎも過労で倒れればやめるだろう。
女房子供が何と言おうと、男というのは、片手を上げ続けるみたいな変な修行でもやりとおす頑固者だから、放置するしかないのだ。

我が家においては、旦那はFFをやめる気配などない。
昨日も書いたが「王将一代小春しぐれ」の三吉は「小春、ほんまに死ぬ気やったか?」と女房が死にかけたときに「もう今日から一生将棋はささへん」と言うが、うちの夫も私が「FF11に疲れました」と言って死んだらFFやめるかもしれんなw。わからんがw。

ここからは自分の愚痴w。小春はゲーマーの旦那を支え、子供ともどもひもじい目をみても、「さして下さい、気の済むように、将棋極道えやないの、そばに寄り添う駒がいる~♪」と「だめんずうぉーかー」まっしぐらなわけだが、将棋極道と違ってネトゲ極道の場合は自分も極道に入らなあかんのだ。

言うなれば、チームプレイの将棋といいましょうか、ダブルスの将棋といいましょうか。
「小春ぅ、わい今日から命がけやああああ!」に参加して自分も命懸けでやらなあかんことになるんですわ。一緒に「レリックつくるどー!エイエイオー!」てなことになるんですわ。

で、ミスすると三吉にどつかれるというね。
「スタン漏れた!ケアル遅い!何しとんねん!このド下手くそが!!
」と蹴りを入れられつつ、一緒にプレイせないかんのであります。

さすがの小春も「勝手にやってください」と言いたくなるのではないか。しかしネトゲは夫婦一緒にやらないと倒せない敵も多いし、裏貨幣集めだってソロより二人でやるほうが効率がいい。
夫婦駒が成り立つのはFF11(などのネトゲ)である。「小春しぐれ」ならぬ「pyaaaしぐれ」も相当泣けるんではないか?泣けないか。

日別画面へ

04月24日(火)

起床時刻:08時11分

ダルマティカ(FF11)をゲットしてしまった。別にたいして欲しくはなかったんだけど、ニーズさんがポロリしたので。とか書くと、昔だったら炎上してたかもしれんなぁ、「ダルマティカをとるために、何ヶ月もねぐらに野宿している人の気持ちを考えたことがあるんですかっ」と怒られていたかもしれんなぁ。

そういや、「新感覚☆芸能ニュース 第24回 猫ひろし、泉ピン子が触れてしまった大衆の逆鱗とは?」で、中川淳一郎の『ウェブはバカと暇人のもの』の中の"ネットで叩かれやすい10項目"が一部引用されていた。同記事によれば
「・上からものを言う
・頑張っている人をおちょくる
・特定個人をバカにする
・書き手の「顔」が見える
・部外者が勝手に何かを言う」
などが叩かれる条件なんだってさ。
http://donicchi.jp.msn.com/opinion/goodwill3/article.aspx?cp-documentid=6033554&page=0

「パンがないならケーキを食べれば?」で大炎上したマリー・アントワネットさんなんか思いっきり条件満たしているよね。
「顔」もみえているし(=有名人)、「部外者が勝手に何かを言う」もドンピシャだし。
ま、王妃にしてみればバカにしたつもりもおちょくったつもりもないんだろうけど、大衆の義憤を思いっきり引き起こしたんだろうなぁ。

「いらないのに、ダルマティカ取れちゃったよ~」ていうのもまた、「欲しくもないのに、100万円もらっちゃったよ~」みたいな感じなので、むかっとくる気持ちもわかることはわかる。

ここはやはり苦節1年、HNMLSでの下積み活動、奴隷労働にも耐え、会社も休んでねぐらに張り込み、血の汗流しつつ、泣きながら頑張ってとったんだ!と言わねばならんところである。

ま、私だって、苦節数年、旦那のもとでの奴隷労働及び荷物持ち及び専属ケアル係あるいはトレハン係あるいは弱点つき係を兼任し、旦那のために私の獣神印章99個をテミスオーブにかえ(今やファブやニーズってトリガーポップになってたんですね。関係ない世界だから知らなかった)、朝方まで真龍BCからファブ・ニーズまでの戦闘をつきあってやっているんだから、書き方によっては浪花節の泣ける世界になるのである。「王将一代 小春しぐれ」の世界なのである。

「小春、ほんまに死ぬ気やったか?
すまなんだ~、わいはほんまに悪い亭主やった~
大阪の一級廃人やとおだてられて
のぼせていたんや
もう今日から一生FFはやらへん
パートの女房に眠い目ぇさすようなこと
金輪際しやへん~~~~

あんた、、、つろうおっしゃろ
あれだけ好きで好きでたまらんFFを
やめなはれ言うのは無理や
おやりなせ おやりなせ、かましまへんがな
そのかわり、そのかわりやるからには
ニッポン一のFFプレイヤーになってほしい~~~

小春ぅ、わい今日から~
い~のちがけや~~~!!!」

って何の話ですか?て思った方は都はるみの「王将一代小春しぐれ」を聞いてくだせぇ。

「小春、わい勝ったで!!死になや、死になや、死んだらあかんでぇ~~!!」ってゲーム(将棋)の話とは思えんなw

だから私も「FF界の小春三吉を目指して頑張ります」と言えば、きっとみんな涙でうるうるしながら「頑張れぇっ」と応援してくれるでありましょう。古すぎて通じない可能性もあるけどw。

日別画面へ

04月23日(月)

起床時刻:不明

そういや、卒業式で「君が代」を歌うとか歌わないとかでもめているらしいけど(って今更すぎますかw)、私は中学は公立だったけんだど、卒業式に歌ったっけな、記憶にない。

確実に歌ったのは校歌と團伊玖磨先生作曲による組曲「筑後川」の「河口」という合唱曲。(福岡出身です)

「河口」は未だに全部歌える。

特に最後の、

「ち~く~ご~平野の、ひゃくま~んの、生活の幸を~
祈~りなが~ら、川~は下る、
あり~あけの海へ~♪
筑後~川、筑後~川、そのフィナーレ、あーあー♪」

でチョー盛り上がる。
またピアノの伴奏がかっこいいんだよね、チャンチャンチャンチャンチャチャチャチャチャチャチャーンって始まるんだけど(って全然伝わらないっすねw)。

全国の卒業式にオススメしたいが(ただ下手くそだときいてらんないから、練習をちゃんとやる必要がある)、筑後川流域以外には受け入れられないだろうなw

川の合唱曲といえば、「紀ノ川」も素敵だ。
紀ノ川流域の人はこの曲を卒業式に歌うのだろうか。

「水~清く、大地をうるおし、なが~れゆく川よ、
紀の国、紀ノ川~」

となめらかにはじまり、最期は高らかに

「紀の~国~ 紀ノ~川~
紀の~国~ 紀ノ~川~
ゆうゆうと~ 誇~らしく~
あ~あ~、あ~あ~、あ~あ~♪」
と歌い上げる。

途中、「いに~しえの~歴史~深く~」と歴史への目配せあり、「秋には 金色のみかん畠に」と特産品への言及もある。
GWに和歌山は熊野方面に行くつもりなので、「紀ノ川」でイメトレできるw。

それにしても團伊玖磨先生のおかげで筑後川もこんなに素敵なかんじになってよかったなぁ。スメタナのおかげでモルダウ(ヴルタヴァ)川が日本全国各地で「たたえよ、ふるさとのながれ~」とたたえられるようなもんだ。歌ってすごいなぁ。

日別画面へ

04月22日

起床時刻:不明

ゴールデンウィーク、私にとってはゴールデンどころか灰色だ。
毎日、罵倒されながら何時間もゲームするのかと思うと、ぞっとする。
それにしても、我が旦那様、次から次へと欲しいアイテムがよく出てくるもんだぜ。
ま、それ(=次から次へと湧き上がる所有欲)こそが、「成長」の源なんだろうけどさ。
欲しいものがなくなったら停滞するんだ。
「頑張った自分へのご褒美」を与える人は成長する。
「ご褒美いらないから頑張らない」人は成長しない。

私は確実に後者で、夫からも「何でそんなに成長しないんだ!」という叱咤の声をいただいている。

私が成長しない理由はいろいろあると思うけど、イチバンの理由はもちろん、加齢だ。加齢によって、退化が着々と進んでいる。わたくしの年ならばゼロ成長ならよしとしなくちゃいけない。自然に任せればマイナス成長だよw

あとはもちろん、もって生まれたものがある。もって生まれたドン臭さ、これはもういかんともしがたい。

そして三番目には何事にも興味関心がないから、頑張らないというのもある。正直、めんどくさいし、どうでもいい。
昔、通知表に「無関心、無感動、無責任の典型的”三無人間”です」と担任の先生から書かれたことがあったが、三無人間の本領発揮というところであろうか。

腐ったみかんは一生腐ってんだよw
しかもトシとともに腐敗がすすむんだからw
いやだねぇ。

日別画面へ

04月21日

起床時刻:不明

『インモータルズ -神々の戦い-』という映画をDVDで観た。「神々の戦い」という副題だけれども、主に戦っているにはハイペリオン王vsギリシア人なんだよねw

「なんじゃこりゃ」と思った人の感想なので、「面白かった!!」って人は読まないように。

以下ネタバレ&メモ

悪玉ハイペリオン王は「エピロスの弓」(ヘラクレスがきたえた最強レリックらしいんだけど、ヘラクレスはいつ鍛冶職人になったんだいw)を探してコルポス村(主人公のいるところ)をうろつく。

ちなみにコルポス村がありえない場所(崖の一角)にある。ほとんど東尋坊。棚田すらつくれないレベル。主人公たちは農民らしいが、農地ってどこよ?

弓のある場所をオラクル(巫女)から聞き出すためにハイペリオンは彼女らをつかまえようとする。オラクルは4人(謎な人種構成(アジア系とかアフリカ系とか)だったが、21世紀的解釈だとそうなるんだろうw)いるが、うち3人はダミー。処女のオラクルだけが未来を見ることができる。

オラクルらは捕らえられるが、ダミーの非処女オラクル3人がホンモノの処女オラクルと主人公ら一行を体を張って逃がす。非処女オラクル3人は捕らえられ、最終的に蒸し焼きにされるw

処女オラクル、イケメン+肉体美の主人公にムラムラきて、あっさり処女を捨てるwww予知能力を失いただの一般人にwww身を挺した三人のダミーオラクルの立場はwww舌まで切ってオラクルの居場所を言わないように頑張った神殿騎士(?)みたいな人の立場はwww

予想以上に「エピロスの弓」の活躍シーンが少ないw
(つーか、エピロスの弓をなんで人間界に放置しているんだろう?紛争の種になるようなものは、さっさと天上界に回収しておけばいいのに)

ハイペリオン王の兜が「蟹の爪」というか「バルタン星人」というかw

神々の敵対者=タイタン族はまさかのショッカーだったw

神々VSタイタン族の戦いは人間+1レベル。肉弾戦しょぼすぎw
神々っぽかったのは、ポセイドンのウォタジャ炸裂したときくらいだけど、あれ、対人間に使ってるからなw

最終的に神々パーティは壊滅の危機にwwwゼウスはテレポ逃げwww

だいたいさ、ゼウスを現代のアメリカ風道徳観に沿ったいいやつにしようとするにはムリがありすぎるんだよw 
ゲームのGOW3のほうがずっとよくできていると思ったなw

日別画面へ

04月20日(金)

起床時刻:不明

旦那会社休み。ゲーム。

日別画面へ

04月19日(木)

起床時刻:不明

パート。

日別画面へ

04月18日(水)

起床時刻:不明

家のことで忙しい一日。

日別画面へ

04月17日(火)

起床時刻:不明

パート。

日別画面へ

04月16日(月)

起床時刻:11時30分

04月15日

起床時刻:13時30分

「代々のいちゃもん 川崎洋
ナニナニです
と言うな
ナニナニでございますと言え
です は でげす のつづまった言い方で下品だ
大槻文彦先生
国語学者・国語辞書『言海』編集・(一八四七~一九二八)
がそうおっしゃっている
おっしゃるもいけない仰せられると言えと
これは落合直澄先生
国文学者・神職・(一八四〇~一八九一)
のおことば
若い世代の言葉づかいにいちゃもんをつけるのは
いつも上の世代でこれは順送りなのだ
そこでわたしもここで
いちゃもんをつけたいことがある
ナニナニじゃないですか
という言い方だ
目下広くはびこっている
スットコドッコイのタワケと毒づきたくなる
相手と同等あわよくば上位に位置したいという
欧米人の気持ちのありように影響されている
己の意見を正論と勝手に決め押し付けてやがる
そいつらが老人になったとき、さて
次の世代の日本語にどんないちゃもんをつけるか」

ハハハ。
そういや、永井荷風は戦時中の「屠れ米英我等の敵だ。進め一億火の玉だ」のポスターにいちゃもんをつけている。
「現代人の作文には何だの彼だのと駄の字をつけて調子を取る癖あり。駄句駄字と謂ふべし」

しかるにかつての「火の玉」族は年をとり、「いきいき」族となりましたな。
田舎の年寄(あるいは言語感覚がずれている行政)が絡むと、だいたい「いきいき」を推してくる。

「いきいきウォーキング教室」とか、「いきいき健康センター」みたいな、日本国民の「いきいき」好きは一体なんなのだろう。
そこに「いきいき」を入れる必然性が全くわからないのだが。

おそらく年寄には、「いきいきしていらっしゃいますね」というのが一番の褒め言葉であろう。
公務員にもそう言ってやるがよい。
どちらも「いきいき」とはかけ離れているがなw。

あ、また悪口書いちゃった。
けど、悪口に「いきいき」という形容詞をつけてみよう、あら不思議「いきいき悪口」に続く単語は「講座」や「教室」であり、「いきいき悪口講座」や「いきいき悪口教室」となると、一気にカルチャーセンター風味になっちゃうんだな。さすが「いきいきマジック」、ハンパない。

日別画面へコメントを読む(2)

04月14日

起床時刻:13時20分

サン・テグジュペリの『星の王子様』が好きな方は読まないように。

例の狐のセリフがたまたま読んでいた詩に引用されてたのね。
「きみが、きみの一本のバラの花をとても大切におもっているのは、
きみがその花のために時間を無駄にしたからなんだよ」
で、ふと思ったんだけど、これって、寄生すべき夫を捕まえようと思っている世の女性(十人並み以下)の参考になるねってこと。

そう、男にとても大切に思われるには、男があなたのために時間(=金)を無駄にすることが肝要であるっていう教訓ね。

サンクコスト(埋没費用)バイアスみたいなものかしら?(サンクコスト・バイアスとは、投資しつづけることが損失につながるとわかっているにもかかわらず、それまでの投資を回収できないことを惜しんで、投資をやめられない状態を指す(もんじゅ状態ですね))。
つまり、このバラはうまいことやりやがったわけですよ。

このバラが、王子様の「特別」になったのは、王子様が手ずから、水をあげて、ガラスの覆いをかけて、風よけをして、虫をとりのぞいてあげたからなんですね。このバラが王子に多額の初期投資をさせたことで、王子のバラに対する執着心を生み出したわけですね。

「そんなこといってもさぁ、やっぱりそのバラが元からきれいだからなんじゃん?」って思うでしょう?
そんなことない。だって、そこまで王子が手間暇をかけて育てたバラが、「通行人がみたら他のバラ(手間暇かけられてない)とそっくりなレベル」って王子が言ってるんだもんね。てことは、素材的にはイマイチなんじゃないか、むしろ他のバラのほうが優秀なんじゃないかってことがわかる。しかもこのバラ、うぬぼれ屋で愚痴は言うわ、気が向かないと黙り込むわで、性格悪いんです。つまり、見かけは十人並み、性格は悪くても「特別」になれる可能性は大なんです!これは私のような十人並み(性格こみで十人並み以下)の女性にとっては朗報ではないでしょうか。

男に金を浪費させることで、十人並みが特別になる。そのカラクリは男は今までの投資を無駄だと思いたくないから、無意識的に投資対象に特別な価値を無理やり見出すんですわねぇ。勝手に向こうが価値を見つけてくれるんですから、こりゃ楽ちん。

このバラはどんな価値を見出されているかというと、時間を無駄に費やしたという価値を見出されているんですね。無駄金を使うっていうのは、そんだけ価値があるってことなんですね。
機能的価値に対価を払うのは当たり前。なんかよくわからんもの(ブランド的な価値)に高い金を払うのは強い執着を生み出すし、これがロイヤルティってやつなんですよね。

それと、ものの価値、バラの価値、人の価値なんて、王子様だろうが一般人だろうがわからないからねぇ。だから、このステーキは高いからいいもんに違いないの発想しかできない。いいもんだから高いじゃなくて、高いからいいもん、という発想なんですねぇ。手間暇をかけたから、いいもんだっていう発想なんですねぇ。骨董だって鑑定人に見てもらわなくちゃわからないんだもの、ましてや人間だって鑑定人に見てもらわなくちゃ、これっぽっちもわかんないでしょ。

大切なことは目に見えない。費やした投資時間(投資金額)に見える。
っていうことを狐は言ってるんですよね。

ま、他のバラたちはスゲー腹たっているでしょうね。
「なんで、あんな性格の悪いブスが「特別」扱いされてんのよ!あの王子、バッカじゃないの!前々から思ってたけど、本物の低脳だわ!見る目なさすぎる!!」って憤慨しているでしょう。

そうなのよね、たいていの女性はこのバラ並みに割り切ることはできないんですよね。「なんか悪いし」「申し訳ないし」と思うから遠慮するし、節約する。覆いなんて結構です、風よけなんて贅沢です、虫とりくらいなら自分でできますわ、と対応するから、「とても大切」な存在になれないんだ。男から「こいつは雑草扱いで大丈夫」という太鼓判を押されて、玄関マットのように踏みつけられる地位に成り下がるんだろう。

はーあ、7時過ぎちゃった、そろそろ寝るかなぁ。

日別画面へコメントを読む(5)

04月13日(金)

起床時刻:12時00分

親から電話。なんかしらんが、しょっちゅう電話してくる。
ゴールデンウィークはどうするんだ、実家に帰ってくるのか?って聞かれたけど、私が家にいないと旦那がぶーたれるからなぁ。

たまには一人になりたくないのかなぁ?って思うけど、男ってのは寂しいと死んじゃうウサギちゃんなのかもしれんなぁ。いつも人と一緒にいたがるような気がする。ほら、会社を退職したじーさんが鬱状態になったりするっていうでしょ?あれ、集団生活から外れた寂しさによるところ、大じゃないの?

「貴様と俺とは同期の桜」なんてのも、寂しがりのウサギちゃんゴコロを鷲掴みにするんだろうなぁ。同じ兵学校出身ってだけで、「血肉分けたる仲」になるのは意味わかんないけど、男ってのはベッタベタにくっつきたがるんだろう。

一般的に男は集団のルールの吸収が早い。集団の中のポジション(どっちが上で、どっちが下か)をすぐに見極めるし、本能的に序列を大切にすることができるけど、女ってのは、そういうのが結構鈍感だったりする。女が入ると秩序が乱れるってそういうことでもあるのよね。

なんにでも上か下かを決めたがるのが男であり、それぞれのポジションにふさわしい役柄をまっとうするのが集団生活の肝であると心得ているのが男であるのに対して(夫婦別有り、長幼序有り)、個々人で状況は違うんだし、柔軟にやっていきましょうよってのが女である。

なーんて決めつけちゃいけないけど、私の年のせいか、年々独断と偏見が強まってきている気がするよ。

日別画面へ

04月12日(木)

起床時刻:08時00分

ゴールデンウィークが恐ろしい。毎日16時間くらいゲームするのかなぁ。

過去の日記を見ると去年のゴールデンウィークはオフゲを4本くらいやってたな。このように何年か日記をつけると、過去の事例が参照できて、とても役に立つ・・・わけない。

昔、紙の日記をつけていた時は、レベル上げ(@FF11)の記録をよく書いていたな。ジュノでパーティ組んでクロ巣にこもって、ボヤにこもってレベル上げ時代ね。あるいは黒はほぼ獣のペット狩りであげたから、その狩場のメモね。しかし今やアビセア乱獲箱開け時代になったから全部意味なくなっちゃったね、アハw。

昔のことが何十年も通用するというのは素敵なことだねぇ。
かつてお婆ちゃんが「知恵袋」でいられたのも、昔の知恵が通用したからだものねぇ。おじいちゃんが「長老」でいられたのも、昔の経験が今にいかせるからだものねぇ。

だけど、世の中日進月歩。
空でウェポン乱獲?はぁ何言ってんの、おじいちゃん?バカなの、死ぬの?な時代にすぐなるんだからねぇ。

おじいちゃん、おばあちゃんは、自ら過去の記憶を葬って、新しいことを覚えていかないといけない。しかし、年年歳歳、新しいことの吸収力は衰えていくばかり。
若い世代がさくさくと新しい技術、新しいシステムに適応している一方で、老眼で必死にトリセツを読んでも全く理解不能な中高年世代は、「こんな技術は人間をダメにする!」と罵倒したくもなるだろう。

たまに新システムに適応している中高年は、「僕たち新システムに適応しているもんね、ヨボヨボじゃないもんね、まだあっち側(無能な老人側)に行ってないもんね、まだまだ若いもんね!!」と必死な若者アピで、痛々しい。

過去の記憶、過去の経験、全てがジャンク。
そんな中で、どうやって誇りを持って生きていけるのだろうか。金しかないね。金以外で尊敬される要素はゼロなんだから。
(「あの年にしては若い」っていう褒め言葉は、「女の割にはよくできる」と同様、二流の人間が一流の人間に頑張って近づいているというただの上から目線である)

だからみーんな老後に備えて金を蓄えるんだ。老後真っ只中の後期高齢者さえ、さらなる老後(100才か?)に備えているんだから。お金だけが、生きる支えであり、希望であり、アルファでありオメガである唯一神なのだ。

お金のために生き、お金のために死す。
お金のために命を削るのが仕事だとすれば(炭鉱労働者のように)、原発だって大有りだろう。だって就職機会を提供してくれるんだから。地元に金を落としてくれるんだから。命を売って金を得る。それが人生なんだからさ。

日別画面へ

04月11日(水)

起床時刻:11時00分

昨日の「今日の気分」にも引用したけれど、『日本人の戦争―作家の日記を読む』(ドナルド・キーン)は実に面白かった。

読んでいて思うのは、日本人はいったいにあの頃と本質的に変わってないということだ。今の日本人を全員、戦前に持っていったとしても、そのまんま、大東亜戦争、太平洋戦争に突入するだろうね。

最後の対談(平野啓一郎×ドナルド・キーン)で平野が「(外国人の)個人的な知り合いがいるかどうかで、ずいぶんと考え方が違ってくるんだと思うんですね。僕もたとえば今アメリカにも韓国にもフランスにも友人がいますけど、やっぱり抽象的に国と国とが戦争するというんじゃなくて、その友達が死んでしまうかもしれないとか、誰か愛した人がいて、その人が苦労することになるということがれば、それだけでその国とうまくやっていかなければという気持に自然となる」(P264)と言っているけど、何学級会みたいなトンチンカンなことを言ってるんだろう?ちゃんとこの本を読んだのかね?
彼の論旨に従えばグローバリゼーションが進めばすすむほど世の中平和になるということになる。しかし、9.11のテロ主導者はドイツに留学経験があり、アメリカ在住経験もあったのではなかったか。

本書を参照しても、野口米次郎のような18才で米国にわたり、英語で小説を書き、詩も書き、アメリカ人女性と結婚し、アメリカ人の友達もいっぱいいる人が「屠れ米英われ等の敵だ」なんていう詩を書いている。
「『屠れ米英われ等の敵だ』で町は溢れる
私もこれを叫ぶ、声を嗄らして叫ぶ、泣きの涙で叫ぶ
<略>
昔の米英は私に正義の国だった、
ホヰットマンの国だった、
ブラウニングの国だった、
然るに今は富の陥穽に落ちた放蕩者の国、
見てはならない夢を漁る不倫の国……」
このように、いくらでも理屈はつけられる。ニューヨーク留学経験のある高村光太郎だって(彼の場合は差別されたという恨みがあったという説もあるが)、強く太平洋戦争を支持した。

しかし海外経験が無駄というわけでもないだろう、高見順のように中国やビルマでの滞在経験が活きるものもいる。中国における日本軍の横暴や卑劣を見た経験などから「日本主義」的なさまざまな言説だけでなく、自身の直感的な見方をも、相対化することを可能にしたのだろう。しかしこれは元々の高見の性格にもよるのだと思う。同じことを見聞きしてもなんとも思わない人が大多数だろうから。

印象的な話を一つ。
青野季吉の「戦争雑感」には敗戦後のこんな風景が書かれている。
「青野は夜汽車に乗っていた。車中に、明らかに戦争孤児と思われる少年がいて、その身体は悪性の皮膚病に覆われていた。ほかの乗客たちは少年にひどく冷酷かつ邪慳で今にも列車から少年を放り出さんばかりにしている。その時だった。闇の中から、男の声が聞こえた、「オレはジャバから来た兵隊だア。かわいさうなもんは、みんなで助けたらいいんでないかア。日本人はもつと美しいもんだと思ってゐたら、これが日本人かア」」(P183-184)

実に身につまされる話ではないか。この間の震災だって「絆プロジェクト」とか「頑張ろうニッポン」とかいう一致団結や、あるいは日本人の震災にまつわる美談を聞いて、誇らしくも嬉しくもある一方で、その美しき日本人が、被災地のがれきの受け入れなどはしないのである。ペットや家畜を避難区域に置き去りにするのである。水や食料の買い占めに走るのである。
「これが日本人かア」である。ま、日本人に限らず、人間なんてそんなものなのだが、それをすぐ忘れたがる。
「絆」や「頑張ろう」というスローガンがいかに空虚であることか、それを連呼するマスコミがいかに空虚であることか。

マスコミや文化人の日和見主義は今に始まったことではない。屈託なく戦争を賛美し、「日本主義」を謳っていた作家や新聞が、敗戦後、節操もなく変節することに高見は激昂する。

「よくもいけしゃあしゃあとこんなことがいえたものだ、そういう憤怒である。論旨を間違っていると思うのではない。全く正しい。その通りだ。だが如何にも正しいことを、悲しみもなく、反省もなく、無表情に無節操にいってのけているということに無性に腹が立つのである。常に、その時期には正しいことを、へらへらといってのける。その機械性、無人格性がたまらない。ほんの一月前は、戦争のための芸術だ、科学だ戦争一本槍だと怒号していた同じ新聞が、口を拭ってケロリとして、芸術こそ科学こそ大切だなどとぬかす、その恥知らずの「指導」面がムカムカする」(P166-167)

更には日本主義者の時流にのっていた尾崎士郎の変節ぶり・自己欺瞞ぶり・無責任ぶりに高見は怒りで震える。
「今日の現実に対していささかの自責も感じていない。そして、軍人が悪かったの何が悪かったのと他を責める」(P168)

原発の事故が起きてもそうだ。東電が悪かったの官僚が悪かったの政治家が悪かったの、他を責める。自分で主体的に原発を選んだくせに「そんな話は聞いていない」の無反省ぶりである。

自分たちでなんとかしようという発想がない。
高見は敗戦という形(+占領軍の政策)でしか言論の自由がもたらされなかったことに、また自分たちはなすすべくもなく時流に乗ってしまったこと(高見は共産主義の疑いで拷問を受けたことがあるが「変節」する)に反省するが、今日の窮状の原因となった連中(尾崎のような)が全く無反省に跋扈しているのだ。

翻って原発問題をみると、「しっかりしてくれ」「なんとかしてくれ」と政府や東電や官僚に「注文をつける」のが地方自治の民度の限界なのだ(もちろん、福島の佐藤栄佐久前知事のような例外はあるが)。誘致してきた当人が、100%の被害者ヅラで反省しない。何かことが起こったら「騙されていた」というのだけなのだから、尾崎士郎と変わらない。

金のためにリスクをとるのは色々な局面であることだ。金のため、産業政策のため、原発を誘致するという考え方があってもいいと思うが(私たちはそもそも、金のために命をすり減らして生きているのだから)、リスクを受け入れることは拒否、リターンだけ欲しいというのは、子供もいいところだ。

原発以外のエネルギー政策にだって、リスクは当然あるだろう。その上で冷静にリスクとリターンを比較計算して、その時々で合理的なエネルギー政策を採用すればいいと思うが、それができない。昔から何も変わっていないのだろう。

日別画面へ

04月10日(火)

起床時刻:08時15分

付き合いで代々木公園に花見に行ったんだけど、桜の咲いている箇所付近はゴミが散乱し、実に汚らしいことにびっくりした。あたりには虎視眈々とゴミを狙うカラスが舞いとび、長い長い行列の公衆トイレは汚れており(トイレットペーパーもないので、用意していくことをおススメする)、下品な輩の下品な飲食風景とともに、民度の低さが明らかになっておった。

きったならしい。
日本人は自然を愛する民族だとかよく言うが、聞いて呆れる。

P・R・ハーツの『神道』(シリーズ世界の宗教、2004、青土社)は
「より大きな意味で言えば、日本の全部が聖地なのである。それは神によって、日本の国民のために形作られたのであり、そこにあるすべてのものの中に神が住んでいる。その山、木、花、海、そして川といった地理的なあらゆるものの中に、そして街道や道にさえも、神は住んでいる。日本は神のふれていない所はない」(P143)
とあるが、聖地をゴミだらけにして平然としているのはどういう神経なのであろうか。

私がもし新興宗教の教祖となるならば、今の日本の苦境、長引く大不況の原因は「ゴミのポイ捨て」「公害垂れ流し」など、「神国」をけがしてきたことにある、とするね。
ゴミをその場に放置する、あるいはゴミを不法投棄する、これは神を侮辱する最大の行為である。道路にゴミをポイ捨てしたら、道路の神(八百万の神の一人)を侮辱しているのである。

そして「ゴミのポイ捨て」による災いの恐ろしさは、ポイ捨てした当人ではなく、子孫、特に子供や孫に降りかかることである(環境問題ってそういうとこあるよね)。
富士山もゴミの多さを理由に世界遺産に登録されなかったが、富士山にゴミをポイ捨てした親世代の業が、子や孫の就職難という形になって現れてきているのである。

ま、もちろん冗談だが、それにしても呆れ果てた民度の低さである。

そういや、北京オリンピック前に中国人の呆れ果てた民度の低さを政府当局が躍起になって矯正しており、日本人は「中国人ってマナーを守らなくていやあねぇ」と上から目線で見ていたが、この代々木公園の汚らしさを見よ!と言いたいね。

『日本人の戦争―作家の日記を読む』(ドナルド・キーン、文春文庫、2011)を読んでいたら、昭和20年の朝日新聞編集局長の講演(「敵の国民性」。敵はもちろん米国人ねw)を山田風太郎が日記に記している。
引用すると
「日本はなるほど自らの家庭は茶室的にこまめに磨き清む。しかしひとたび社会に出ずれば実に痛嘆の極みなり。街頭に痰を吐く、鼻紙を捨つ、甚だしきは―先日東京駅地下道にて見たることなるが、大の紳士の堂々と立ち小便しているにはかつ呆れかつ憤激にたえざりき。公園、病院等最も美しく清潔なるべきものが最も不潔なり。文部省のごとき外観美なりといえども内は村役場のごとし。その汚穢乱雑なる、これで大日本の文教の府なりなどとは凄じきかぎりなり」
とある。日本人の清潔好き、マナーのよさなどというのは、ここ数十年の経済的余裕の成果、あるいは茶室の四畳半四方レベルのものであることがよくわかる。
従って、これを矯正するのはひとえに教育が必要なのであって、また、清掃業というのに最も力を入れるべきなのである。ボランティアなんぞではなくね。

何かをやるときには常にゴミをどうするかを考えなくちゃいけないし、ゴミ処理がめんどくさいからやらない、というのも、バーベキューにせよ、原発にせよ、一つの賢明な判断だと私は思うんだがな。

日別画面へ

04月09日(月)

起床時刻:10時30分

オンライン・ゲームとは畢竟、「最高装備の陳腐化と新たな最高装備の登場」というサイクルにほかならない。
ゲーマーたちが「最高の装備」を手に入れると、企業は飽きさせないために、「これが今の最高です」と新たな装備を登場させる。
すると、ゲーマーたちは、新たなアイテムをとるために日々身を粉にして働く。

消費(ここではゲームの継続)を喚起するために、人為的につくり出された欲望に踊らされるゲーマーたち。
しかし、これはゲームに限らないのではなかろうか?
かつての、「いつかはクラウン」と同じではなかろうか?
高度経済成長期の「いつかはクラウン」族はクラウンをゲットしたら、次にはベンツを求めたのではなかろうか?

バックだって、そうだ。国産の「メーカー品」から、輸入の「ブランド物」へと最高装備が変わっていっただけではなかろうか?

「ブランドものだと流行ないし、長く使えるから、結局はお得なんです」(みんなが買うからじゃないかんね)という主張は、白虎佩楯にもあてはまる。
「白虎だと装備可能ジョブ多いし、長く使えるから、結局はお得なんです」と言って頑張ってとった白虎佩楯が完全に過去のものになってしまう。

踊らされている。

人生とは、ネトゲ同様、誰かの利益のために知らず知らずのうちに踊らされ、踊らされた当人がその踊りに意味を見出そうとする無意味なダンスではなかろうか。

はぁ、全てがくだらない。

日別画面へ

04月08日

起床時刻:15時00分

ゲームをやっていると、自分が本当に何をやってもダメな人間であることをしみじみ感じる。

動画サイトみると、私が苦戦しまくっている敵に対して、縛りプレイでも楽々勝ってたりするんだよね。すごいよなぁ。そういう人ってきっと何やってもすいすいとできるんだろうなぁ。

思うんだけど、私は「優秀な人たち(だいたい男)のお茶くみ」が一番向いているんだよね。ていうか、それ以上のことができるわけがないw。

ま、最近は「ただのお茶くみとかいらないから」みたいな風潮だから、「できることのマックスがお茶くみです」っていうダメ人間には厳しい世の中なんだよねぇ。

といいつつ、私はお茶くみすらまともにできない(お客さんに出してこぼしたことあるからなw)無能中の無能だから、ほんとにもう、なんで生まれてきちゃったんだろう?って思うことはある。
ま、私みたいな無能な人は優秀な夫に寄生して生きるしか、選択の余地はないわなぁ。ていうか、死んだほうが世のため、人のため、CO2の削減のため、になるんだろうけどさ。

日別画面へ

04月07日

起床時刻:11時05分

『易経入門 孔子がギリシア悲劇を読んだら』(氷見野良三/文春新書/2011年8月)を読んだ。易のケーススタディとして、ギリシャ悲劇を持ってきたこの本はエンターテインメントとしてはよくできているけど、入門書としてはどうなんだろう。『易の話 「易経」と中国人の思考』(講談社学術文庫/金谷治)をあわせて読むと、易経についてよくわかるし、記述のバランスもよい。

易経とは何か。
『易経入門 孔子がギリシア悲劇を読んだら』の「はじめに」から引用すると、
「今から五千年ほど前、中国の皇帝伏羲が六十四の卦(か)を作った。卦というのは、陰を「--」、陽を「―」で示して、それを六つ組み合わせたもの」である。「ニの六乗で六十四通りの組み合わせができる。これが六十四の卦だ」(P9)。

細かくいうと、─(陽(剛))、--(陰(柔))の符号の一つ一つを爻(こう)といい、これを三つ組み合わせたものを三爻という。三爻は8パターンでき(2の三乗)、これを八卦(か)といい、これが「当るも八卦、当らぬも八卦」の、例の八卦である。三爻を二つ重ねると(六爻)、8×8で64種類できる。二の六乗と考えるよりも八の二乗で64通りと考えたほうがいい。というのも、三爻を一まとまりとした解釈も重要だからである(下の三爻を内卦、上の三爻を外卦とよんで区別する)。おそらく元々は八卦という八種類のパターンだったのを、これじゃいくらなんでも少なくね?と思って二つ重ねて64種類にしたんじゃないかな、と金谷先生は『易の話』で言っておられる。
文章で書くとわかりにくいけど、表にしたものを見れば理解が早い。

本書に戻ろう。
「伏羲から二千年を経て、今から三千年ほど前、周の文王とその子周公旦が、六十四通りの卦のそれぞれの意味を説明した経文を作った。それから更に五百年を経て、今から二千五百年ほど前には、孔子が経文の注釈である十篇の文書「十翼」を書いた」(P9)
とあるが、これは学術的には否定されている。
「すでに北宋時代の欧陽脩が「十翼」が孔子の作ではないことを喝破した。『易道は深し。人は三聖を更(へ)、世は三古を歴(へ)たり』というのは、一つの美しい詩だとみなしておけばよい」(金谷治『易の話』)。

まぁでも、氷見野さんの『易学入門』はエンターテインメントだから、細けぇこたぁいいんだよ!ってやつだろう。孔子さまのようなスーパースターが出てこなきゃ売れねぇんだよ!というような出版事情もあるだろう。
娯楽としては面白いから、『易で遊ぶ』ってのが一番ぴったりの書名かなぁ。

具体的にはどうやって遊んでいるのかというと、
①それぞれのギリシア悲劇のついて主要人物を6人に絞り、
②その6人を尊卑の順に並べ替え、
(六爻は一番下が一番地位が低くて、上に行くほど地位が高くなる)
③一人ひとりについて陰か陽かを判断し、
④対応する卦や爻の告げるところを物語にあてはめる。

で、最終的には東の大賢者がギリシアに行って、西の大英雄たちと語っちゃう!っていう二次創作もあるんだから、面白い。

易って占いじゃないの?と思うかもしれないが、易には占いの書としての顔と思想の書(「義理の書」この義は意義、理は道理みたいな意味)としての顔の二つを持つ。氷見野さんの本は、思想の書としての顔を全面に出しているようだ。言い換えると、ある状況に置かれたときの人間の行動パターンのエッセンス(ある意味、運命)を易に見出しているようだ。

例えば、オイディプス王は
・預言者テイレシアス(陽)←無冠のエライ人が一番エライ
・オイディプス王(陽)
・王妃イオカステ(陽)←女だけど強い性格は陽にしている
・王妃の弟クレオン(陽)
・長老団(陽)
・嘆願者(陰)
で、(上から)陽・陽・陽・陽・陽・陰の卦となる。
これは「天風姤(てんぷうこう)」で、易によれば「姤、女壮。勿用取女」(女の勢いが盛んで、女をめとるな)ということだ。

「あ!オイディプス王がイオカステ(実は自分のかーちゃん)と結婚したことが悲劇になるのだから、めっちゃあってる!」と氷見野さんは興奮する。
易経は各爻についても細かく解説している。
例えばイカオステの爻(下から四番目。易では下から数える。ついでにいうと、陰のことを六、陽のことを九で表すので、この場合は「九四」となる)は「包无魚。起凶」(魚に包みなし。凶を起こす)とある。「生臭い魚(秘密)がバレてしまった!凶を起こす」でめっちゃあってるやん!というわけだ。

こんな調子で、ソポクレスの悲劇について、易で読み解く(易で「対話する」)んだけど、これ読むと自分もやってみたくなるんだよね!
難しいのは①登場人物を6人にまとめることと、②陰と陽の判断で、男だから陽、女だから陰とはならないことなんだよね。
この陰と陽は結構恣意的というか、ギリシア悲劇ならテーマがはっきりしているから陰陽をわけやすいけど、現実だと難しい。それに、リアルの場合、適当にやると怒られそうだし。でも漫画あたりでやるなら楽しそうじゃない?

易の面白いのは、陰は小人だからダメ、陽は君子だからよい、と一筋縄にいかないところだ。全体の関係性の中で吉凶を判断するところが面白い。
しかも凶に対してもそれを最小にするような現実的なアドバイスが書かれていることも多い。ま、ただの道徳チックなことも多いんだけどさ。儒教の聖典なんだからしゃーないけどね。

日別画面へ

04月06日(金)

起床時刻:12時30分

04月05日(木)

起床時刻:08時30分

『「運命の人」は脳内ホルモンで決まる! 4つのパーソナリティ・タイプが教える愛の法則』(ヘレン・フィッシャー著 講談社 2009)。
ananですか?っていうスイーツ(笑)ぶりだが、読んじゃったw

ざっくりいうと、
ドーパミン優勢型=冒険型(生まれついての自由人/ヘレン・ケラータイプ)、
セロトニン優勢型=建設型(社会を支える良識人/ジョージ・ワシントンタイプ)、
テストステロン優勢型=指導型(集中力があるリアリスト/アインシュタインタイプ)←いわゆる「システム脳」、男性に多い、
エストロゲン優勢型=交渉型(気配りが得意な理想主義者/ダーウィンタイプ)←いわゆる「共感脳」、女性に多い
の4タイプだ。
そうはいっても、脳内化学物質なんかどうやって測るんじゃい?と思うだろうが、心配ない。
そこは普通の心理テストでタイプ分けするwww。

まぁ言ってみればアリストテレスの「快楽型」「資産獲得型」「論理型」「倫理型」や、二世紀のローマの医師ガレノスの「多血質」「憂鬱質」「粘液質」「胆汁質」なんかが、装いを新たに再登場といったところだ。

アリストテレスやガレノスに比べれば、我々(というかヘレン)には利点もある。それは彼女がケミストリー・ドットコム(マッチ・ドットコムの姉妹サイト、要するに出会い系大手)の「チーフサイエンスアドバイザー」であることだ。彼女は39,913人のアンケート調査結果を使える立場にある。
その結果、何タイプと何タイプが「惹かれる」かを統計的に述べることができるのだ。

とはいえ、アリストテレス時代と違うのはこれだけではない。彼女は副タイプ、というのを認めている。
ヘレンは「冒険型/交渉型」だという。心理テストの回答で一番ポイントが高かったのが、メインタイプ、次に高いのが副タイプとなる。
私はテストするまでもなく(と言いつつテストしたのだが)、予想通り、「交渉型/冒険型」であった。
交渉型のキーワードは「情熱、リアル、ハート、親切、繊細、読む、優しい、学習/学ぶ、なりゆき、共感/思いやり」なんだってさ。
わたしの天職ってたぶん、「お母さん」なんだぜw(嬉しくないw)。

ちなみに冒険型は冒険型を気に入り、建設型は建設型を気に入る。
指導型は交渉型を気に入る(and vice versa)。
冒険型はプレイメイトを求め、建設型はヘルプメイトを求め、指導型はマインドメイトを求め、交渉型はソウルメイトを求める。

うちの旦那は120%システム脳の指導型ですね。
ちなみにケミストリー・ドットコムの調査では冒険型の収入が一番多いらしい。次は建設型だったかな。グリム童話の時代なら、好奇心の強い女なんて死刑もんだったんだがなw。(実際、好奇心の強い女の子が親の止めるのも聞かずに森の魔女の家に行き、丸太に変えられて燃やされるからなw)。

ちなみに国によるパーソナリティの構成比の違いはないんだそうな。アメリカなら冒険型が多くて日本なら建設型が多そうな気がするが、そうではないってことだよね(びっくりだ。具体的なデータは掲載されていない)。で、ヘレン博士はパーソナリティ・タイプというのは「文化ではなく、やはり生物学的に生じるものなのである」と結論づけている。

日別画面へコメントを読む(7)

04月04日(水)

起床時刻:12時00分

今回グリム童話を読んで思ったけど、古典って、あんまり面白くない気がする。トイレやパソコンと同じく、物語も段々バージョンアップされて、どんどん面白く、いいものになっていると思うんだな。
まぁトイレの基本的な機能が大昔と変わらないのと同様、物語の基本的プロットも変わらない。だから古くても変わらず人の心に訴えるものがあるのは当然なんだけれど、「古典」という肩書きがなくても勝負できる古典ってそれほど多くないんじゃない?

おとぎ話の基本構造は、「X(強者)がY(弱者)を脅かし、YがXとYの形勢を逆転する」(『グリム童話その隠されたメッセージ』)。
Yは、助力者の魔法やアドバイスによって、Xを打ち負かし、報酬(王位や王妃の座)を得るのだが、グリム童話は報復というのも報酬以上に細かく描写している。
「ある作家が自分の採話した『白雪姫』の結びに書いたように、『仕返しをするのは愛することと同じくらい心地よいことなのです』」(P279)。

目には目を。これはもう、心地よいことなんですね。
だから死刑廃止論がこれほどまで広まっているのが逆に不思議なくらいです。思えば遠くに来たもんだ、です。
まぁでも死刑賛成論者でも、さすがにグリム童話的な「内側に釘のついた樽に悪人を裸で押し込めて、転がして殺す」なんていう刑は絶対反対でしょうから、人間の本質は変わらなくとも「時代精神」というのは時とともに確実に変わっていくんですなぁ。

今の時代の童話は漫画だなぁって思うね。
例えば「ドラえもん」は「ジャイアンやスネ夫(強者)がのび太(弱者)を脅かすが、のび太はドラえもんの四次元ポケットの助けを借りて、形勢を逆転する」という話だ。
これをグリム風にすると、のび太をいじめるのはジャイアンではなくて、ジャイアンよりずっと凶悪な継母で(のび太のママは継母に変更される。実際、グリム童話の初版では白雪姫やヘンゼルとグレーテルの母は実母だったのが、後の版で継母に支えられた)、継母がのび太を殺して食べようとしたところをドラえもんに助けられ、のび太は逆に無敵のパワーを手にいれ、最後は継母を火あぶりの刑かなんかで殺す、というような話になるんだろうけどね。

この凶悪な継母というのは子供の自立を促す酵素の役目をする、としてグリム童話を擁護する人もいるのね。
確かにそういう面もあるかもしれないけれど、私はそれよりも優しい母親の不在に注目する。まぁ悪意の存在と善意の欠如は表裏一体だから、おなじことなのかもしれないけれど、優しい実母というのはたいてい死んでいる。優しい実母の存在こそ、自立の足かせなんだろう。だから世間(グリムなら森)に出るためには実母は死んでなくちゃいけないんだわ。

今の漫画、特に少年漫画を見ると、孤児率ってすごく高くない?孤児じゃなくても片親、特に母親が死んでいるケースが多い気がする。冒険漫画はママやパパの存在がだいたいものすごく希薄だ(パパは乗り越えるべき対象としては存在感をもって登場するけれど)。

私はよく知らないんだけど、ワンピースの主人公もブリーチの主人公も母親は死んだかなんだかで、いないよね。ナルトの両親も死んでいるよね。漫画じゃないけど、ハリー・ポッターだって孤児だよね。というように、冒険に出るには優しい実母はジャマだから、だいたい既に殺してある。
で、昔は世界が狭いから、最強最悪の敵として継母大魔王を登場させてたんだが、今は、おかーちゃん魔人じゃなくて、オトナの男の敵と戦うんだね。

ま、私は漫画も童話もたいして好きじゃないが、漫画のほうが面白いとは思うなぁ。時代に合わせて童話もバージョンアップしているわけだ。
ま、手塚治虫レベルなら古かろうが何だろうが、時代を超越した面白さがあるけどね。

日別画面へ

04月03日(火)

起床時刻:08時15分

「グリム童話」(『語るためのグリム童話2 灰かぶり』監訳小澤俊夫/再話小澤昔ばなし研究所)を読んでみた。実はちゃんとグリム童話を読んだことがないのよね。

子供の心を完全に失った中年としては、正直ドン引きする話が多いなwww

例えば「ものわかりのいいハンス」ってお話。
冒頭はこんな感じ。
「ハンスの母ちゃんがいいました。
『ハンス、どこへ行くの』ハンスが答えました。
『グレーテルのところへ』
『うまくやんなよ、ハンス』
『ああ、うまくやるよ。行ってくるからね、おっかさん』」

で、どう「うまくやる」かというと、グレーテルに「なんかくれ」って言うんだな。
ハンス「なんかくれ」 → グレーテルが針をやる → ハンスなくす
ハンス「なんかくれ」 → グレーテルがナイフをやる → ハンスなくす
ハンス「なんかくれ」 → グレーテルが子やぎをやる → 子やぎ死亡
ハンス「なんかくれ」 → グレーテルがベーコンをやる → ハンスなくす
ハンス「なんかくれ」 → グレーテルが子牛を一匹やる → 頭にのっけて子牛に蹴飛ばされる → 母親に餌だなにつながなきゃだめだと言われる

で、最後はとうとうグレーテルに「何かいいもの持ってきてくれた?」と聞かれるんだけど、ハンスは相変わらずで「いや、なんも。なんかおくれよ」。
グレーテルが「じゃ、あたしがあんたといっしょに行くわ」と言うと
「ハンスはグレーテルをなわにゆわえて、つれてきて、えさだなの前にひいていきました。そして、なわで、しっかりゆわえておきました」
(えーと、これは何のプレイですか)

で、おっかさんに「グレーテルを餌だなのとこになわでしっかりつないで草をやっておいた」と報告すると、「あの子にはやさしい目を投げてあげなきゃいけないんだよ」と諭される。
すると、「ハンスは、家畜小屋へ行き、子牛と子やぎの目を全部くりぬいて、それをグレーテルの顔めがけて投げました。すると、グレーテルはおこって、なわをふりほどいて行ってしまいました。そして、もうハンスのいいなずけはやめました」
おしまい。

えーと、この話はどこらへんが面白いんだろうか?

「目」を投げる(かける)という比喩表現を聞いて、文字通り「目」をくりぬいて投げて(かけて)やる、というハンスの「ボケ」が楽しいんだろうかねぇ?「それ、比喩だから!」と読者がつっこむところなんだろうか?

あるいは子供的には「子牛と子やぎの目を全部くりぬいて、それをグレーテルの顔めがけて投げ」たときの、グレーテルのリアクション(驚き慌てて、それから憤慨する)のを想像して、ゲラゲラ笑うんだろうかねぇ?ま、ハンスは笑ってそうだが。

子供の心を完全に失った私には、「女の金を全て巻き上げ、飽きたところで、わざと怒らせるようなことをして、彼女のほうから出て行ってもらい、また新しいターゲットの女(金づる)を探す」というようなお話のような気もするがなぁ。

「手を切られたむすめ」という話もなかなかひくわ。
悪魔とうっかり取引した父親のために、悪魔に渡されそうになる娘が腕で顔をおおってしくしく泣いていると、悪魔が父親に娘の腕を切り落とせという。
父親は「そんなの無理っす」と抵抗するが「なら、お前をもらっていくがどうする?」と言われるとあっさり「切ります」って娘の腕を切っちゃうんだなw。娘は「いいのよ、パパ、あたしはパパの娘だもの」とけなげなんだけど。

ま、最終的には、娘は腕こそ切られたが悪魔に引き取られることはなくって、父親は「お前のおかげでリッチになったから、これからは大切にしてあげるよ」と言うんだけど、娘は「私はここにはいられません」と拒否し、切り落とされた「両腕を背中にしばってもらい」、シュールな姿で家を出ちゃうんだな。最終的には王様と結婚して一波乱の後に幸せになるんだけどさ。

私はこれは飢饉か貧乏かで、食うや食わずの親が、娘をドイツの吉原に売る話の童話版と思って読んでいたんだけど(腕を切られるのは、身売りのことで、「家にはいられない」と言うのも卑しい職業についたから家の敷居をまたげないと悲観した)、『グリム童話 その隠されたメッセージ』(マリア・タタール著)を読むと、また違う解釈となる。
この本によれば、グリム兄弟がこれに似た話を収集している中で、「ずば抜けて優れている」と思った類話があったそうなんだんけれど、それは「娘は理由なしに自分の意志で家を出て行くのではなく、父親に結婚をせまられ、拒んだために両手を両乳房を切り取られてしまい、それで家を出るのだ」という話で、娘の旅立ちの動機が明確で論理にかなっているものだったんだって。しかし近親相姦的な父親は教育上よろしくない、ということで悪魔の登場という、衝撃度の少ない展開&意味不明の家出にしたらしい。

いやあ、その発想はなかったわー。

ま、どっちにしろ、監訳者の小澤俊夫さんは「グリム童話はとても魅力のある物語です。<略>また、小学生、中学生、高校生が自分で声にだして読んでくださると、再話者としてたいへん嬉しいことです」とか書いているけど、「盗賊たちは、むすめのきれいな服をはいで、むすめをテーブルの上によこたえ、その美しい体をこまかく切り、それに塩をふりかけました」(「盗賊の婿どの」)とかいう文章とか、これ、漫画にしたらR18じゃないの?

論語では愛弟子の子路が全身を膾(なます)のごとくに切り刻まれて死んだと聞いて、それ以来、孔子は膾を食べなくなったらしいんだけど、「人間膾づくり」なんて聞いただけでもトラウマになるよねぇ?子供はそんなの気にしないんだろうけど(食人と聞いてむしろわくわくするのかな)、読むほうが嫌だわ。それとも「娘を食べました」ってのは性的な意味の比喩表現なのかしら?それはそれでおぞましい。

というわけで、私にはグリム童話にほとんど魅力を感じないけど、「とても魅力のある物語」に感じる人もいるんだわねぇ。ほんと、人それぞれだね。

日別画面へ