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起床時刻推移グラフ

目標起床時刻:08:00 平均起床時刻:09:10

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05月31日(木)

起床時刻:08時00分

05月30日(水)

起床時刻:09時45分

05月29日(火)

起床時刻:08時00分

やらかしたーーー!
桁違いで競売に出品して落札されたーーー!
ま、ゲーム(FF11)の話なんですけどね。

イメージとしては履歴でだいたい100万のものを10万で出品して10万で落とされるという感じ(金額は実際は微妙に違うんだけど)。
ピンポイントで10万で落札されるとは。普通、100万のものなら80万ぐらいから入れていくでしょ(泣。

ま、単位が円じゃなくてギルだからいいんだけど、それでもこういう誤出品・誤落札のショックはむちゃくちゃでかい。
今回は出品だったけど、間違って10万のものを100万で落としたりっていうのもある。
うちの旦那は一回、誤って桁違いで落札した人からテルがきて、差額を返してくれって言われてね。
返す義務はないんだけど、返していたな。

履歴が残っていたから、落札した人にテルしてみようかと思ったけど(インしてたし)、テルで話していると旦那に確実に気づかれるし、そこから「オマエ何やってんだ?」ってことになり、「だからあれほど確認をしろって言ってるだろ!!」って話になり、「だいたいオマエはゲームだけでなく、リアルでもバカでアホでスットコドッコイなダメ人間なんだ!!反省しろ!!」って怒られることは確定的に明らかなんで、やめといた。

ほんとそうなんだよね。
リアルでもこの「うっかりミス」が問題なんだよね。
「うっかりミス」をやらかすダメ人間って世の中で一番信用できないでしょ。

「あれやっといてくれた?」「あ、うっかりしてた!」っていう奴は「狼少年」と同じくらい信用ならん。
「狼少年」は「俺やっとくから」とウソを言ってやらないけど、「うっかり人間」は「あたしやっとくから」とやるつもりで言っておいてやらない。
結果は同じ。まわりが振り回されることになる。

「あの大事な書類どうした?」「あ、うっかりなくしちゃった!」
「今日の大事な会議なんでこなかったの?」「あ、うっかり忘れてた!」

その結果、周囲総出で、うっかり人間の尻拭いに奔走するはめになる。
うっかり人間は存在自体がはた迷惑なんだね。
だから、狼少年と一緒で引きこもり生活が一番向いているんだ。
ウソをつく機会がなければ狼少年でも何の問題もないように、うっかり人間も、うっかりミスをやる機会を極限まで減らせば問題はない。

サザエさんが「いっけな~い(てへっ」と笑ってられるのも、主婦という半ニート、即ち傍迷惑の度合いが家族に限定される仕事をやっているからだ。
サザエさんが例えば会社づとめだったら、同僚の総スカンを食うだろう。

バカは死ななきゃなおらないというが、「うっかり」も死ななきゃなおらない。主婦になれて本当によかったよ。そうでなければ、「自分のうっかりに絶望しました」と言って、死んでたかもしれん。
うっかり人間なら同意してくれると思うけど、うっかり人間の人生って、死にたくなる局面がめっちゃ多いからね。ああ、やだやだ。

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05月28日(月)

起床時刻:09時00分

換気扇を洗ったり玄関の掃除したり。
mikiさんが体調不良のようで、コメントに「無理しないでくださいね」と書こうと思ったんだけど、考えてみたら無理しなきゃ仕事と家事と子育ての両立なんてできないよねぇ。。。
無責任なことも書けないよなぁと思って何も書かず。

私のパート先の会社もむちゃくちゃ忙しいところで、徒歩圏内に住んでいる人が多いもんだから、3時4時まで残業当たり前なんですわ。
最近入った女の子に「毎日遅くまで残業して、仕事が嫌にならない?大丈夫?」って聞いたら「院生時代は家に帰らないとか普通だったんで、全然気になりません」とのこと。いい人雇ったねぇ。

「無理しないで!」って、みんなに言いたいんだけど、無理しなくても大丈夫な人って私のような専業主婦くらいじゃなかろうかっていう気がしてきた。

たいがい、どんな会社も無理しなきゃ勤まらないけどさ、コナンのアニメ制作会社はひどいね。研修中は時給250円、労働者は使い捨て(職業病になると給料下がるんだって)。

「アニメ業界は「労働法守らない」「名探偵コナン」の制作会社社員 賃金不払いやパワハラで提訴」
http://blogos.com/article/39698/
「アニメ業界はこれが当たり前。労働基準法なんて守っていたら、会社もアニメ業界も成り立たない」というのが、会社側の言い分。

そりゃ生活保護受けたほうがよほどいいわ。ていうか、普通に法定最低賃金が生活保護より低かったりするんだよね、確か。

今日のテレ朝のお昼の番組で「働けるのに生活保護をもらう若い人が増えている。生活保護を貰うことを恥ずかしいと思う感覚がなくなってきている」ていうようなことを言っていたけど、生活保護って、でも基本老人問題なんだよね。

厚生労働省のHPに乗っているけど、生活保護を受けている世帯の半数は高齢者世帯。
http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/gyousei/08/kekka1.html
年々、国の生活保護費負担が増えているのは単純に老人が増えているからだろう。

話は簡単だ。
人間、カネを稼ぐには誰でも多少の無理をしなくちゃならん。

なのに多くの高齢者と少数のダメ人間(私のような)は、体力的・精神的に頑張れない。
頑張れないけど、死なない。
そう、死なないことが、すべての問題の根源ではある。

人間ってさぁ、何のために生まれてきたかといえば税金を納めるために生まれてきたんだよね。江戸時代の農民が年貢を納めるために生まれてきたように。
そういやマクロスの「ライオン」に「何しに生まれたの?何しにここにいる?」って歌詞があるけど、「納税するため」ですよ。ロマンもへったくれもないんです。

子育て費用を社会的に負担すべきであるのも、将来納税という形で、子供たちが三倍返ししてくれるだろう、と当て込んでのことだよね。

将来の納税者を育てることもなく、たまにパートに行くだけという私は「社会への貢献度」ピラミッドでは確実に最底辺だと思うんだけども、最底辺の「働かない」「働けない」人間だけが無理をせずに生きられるっていうのもなんだかなぁ、ではあるけれどもね(日本での幸福度調査で、幸福度が高いのは学生、主婦、高齢者だったっていう結果もあったしねぇ)。

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05月27日

起床時刻:13時00分

『イカの心を探る 知の世界に生きる海の霊長類』(池田讓/NHK出版/2011.6)を読む。

海の霊長類?イカがぁ?と思うであろう。
何しろイカは無脊椎動物、軟体動物部門の一員である。
無脊椎動物というだけで「解散」と言いたくなるだろうが、ちょっと待ったー!!
あのクストーがイカやタコを指して「海の霊長類」と呼んだんですよ。
彼らに何らかの「知的な振る舞い」を感じ取ったからだ、と著者はいう。

彼らは「海の霊長類」と呼ぶのにふさわしく、心、あるいは知性が、ソコソコ発達しているんじゃないか。
ひょっとしたらイルカくらいは発達しているんじゃないか。

というのも、イカは巨大脳を持つ(体重に対する脳重量の割合が大きい。イルカもそうですね)。
イカのなかでもツツイカ目(ヤリイカとかスルメイカとかアオリイカとか)は群れ生活を送っているから、社会性も発達しているんじゃないか。
イカはあの賢いことで有名なイルカの餌であるそうな。
ということはですよ、イカだって賢くなくちゃ今頃イルカに食い尽くされている可能性だってある。
しかるに、イカは海で大繁栄をしている。
ということは賢いイルカに対抗できる知性をイカだって身につけているに違いない。

というわけで、さぁ観察しようったって、イカは海の中を泳ぎ回っているし、じゃあ実験しようったって、実験対象であるイカを飼育することがとっても大変なんだ。チンパンジーやサルとは訳が違うのである。

知らなかったけれど、イカってもっとも飼育の難しい生き物の一つなんですね。イカはすんごくデリケートで、すぐ死ぬみたい。
(反対にタコはけっこうストレス耐性あるんだわ。じゃあタコで実験すればいいじゃんと思うけど、イカにこだわるところに意義があるのだ)

で、工夫と努力のすえ、イカを飼育できるようになったそうな。
丁寧かつ迅速、かつ軽やかにイカを扱うというのが大切なようだ。
あと科学的根拠はないそうだが、こちらがアタフタしているとイカもパニックになるそうだから、なるべく平静に接するのがいいらしい。
ま、イカと対面するときは心がけてみよう(そんな予定はないが)。

イカの「社会性を探る」という章では、餌を食べる順番を観察して群れの中に順位があることを調べる。
さらにはイカのソーシャル・ネットワークを調べる(どのイカとどのイカが一緒にいる時間が長いか)。
その結果、ハブといえるような人気のイカちゃんがいることがわかった(どうせボスのようなオスなんだろうと思ったら、結構メスがハブになっていたりしてるのね。美人(ならぬ美イカ)でモテてるんだろうか、それとも世話好きのオバチャンタイプのイカなのだろうか)。

次にイカ(とタコ)の賢さ、つまり学習能力の実験についての紹介。

そしていよいよ、イカのアイデンティティーを探るという著者のオリジナル分野(だろう)についての話。
鏡を見せて、鏡にうつったのが自分だとわかる動物って人とチンパンジー、オランウータンだけだって言われてたのね。それがカササギやハンドウイルカ、アジアゾウでも確認されたらしい。著者はこの「賢人倶楽部」にイカも入れようと奮闘なさっているw

アオリイカに鏡を見せると、つつっと寄ってきて、興味深そうにちょこん、ちょこんと腕でつつくんだって。
これまた知らなかったんだけど、イカって基本的に腕は使わないんだってさ。
餌をとるときとか交接のときとか、まぁ限られたシーンでしか腕は使わなくて、例えば「背中が痒いから腕でかく」なんてのは絶対にしないんだって。
そしてこの、やさしい「ちょこん」動作はとても珍しいとのこと。

モノに反応しているのかもしれないということで、板をいれてみたところ「ちょこん」(「鏡タッチ行動」と命名される)はやんない。
次にキラキラした鏡の光のに反応しているかもしれない、ということで四倍鏡でやってみたら「ちょこん」はやらない。
単に同種の個体に反応しているのかもしれいない、ということでガラスでしきって向かい側に別のアオリイカをいれてみるが、「ちょこん」はやらない。

「鏡は全然違いますね」と大学院生がいうわけだ。

とはいえ、そのあとのマークテストは仮説が検証されたとは言い難いような気がするけれどねぇ。。。
でも、きっとその場にいる人たちにとっては、イカに知性というか心というかを感じるんだろう。そうでなかったらこんなことやんないw
イカが鏡をちょこんとつついて、クリクリした大きな目で物問いたげに池田先生を見るってこともあったかもしれない。

私がこの本で一番感銘を受けたのは、「モヤモヤとした疑問をシンプルかつフィージブルな実験に落とす」、動物行動学者たちの手法ね。
例えば、「動物に自意識はあるのか」という哲学的でつかみどころのない問いを「顔にマークをつけて鏡を見せる」という実験手法に落とすっていうこと。
この変換こそ頭の良さだよなぁって思う。
こういうのってどんな仕事でもあるよね?
私、仕事していてよく思うんだけど、優秀な人って悩まないよね。
頭の悪い人(私みたいな人ね)ほど袋小路にはまりこんでああでもない、こうでもないってやって成果はゼロ(悩んだだけ)だけど、優秀な人というのは袋小路にはまりこまないw
だから悩まないし成果も出る。
そんな気がするねってイカとは全然関係ない話になっちゃったけど。
ま、この本も相当脱線が多い本でして。私はそこも面白かったけどね。

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05月26日

起床時刻:不明

一日中、ゲーム(FF11)。メイジャンノックに付き合う。指定された敵を粛々と数百匹倒す。
それにしても何が面白いんだ、このゲーム。
夫も面白くないと言っているが、しかし、課題はこなさねばならないという。いや、ゲームしなければいいんじゃない?って思うが、そういう選択肢はないらしい。

お昼は昨日の夕飯の残り。ハンバーグ(チーズ+デミグラスソース)、ラタトゥイユ(パプリカ、ズッキーニ、なす、玉ねぎ)、きゅうりとアボカドの柚子胡椒あえ(塩、砂糖、レモン汁、薄口しょうゆ、ゆずこしょう、オリーブオイル)。
ふと思ったんだけど、私の料理は結構moko'sキッチン入っている気がする。オリーブオイルが大好きだし(さすがに「追いオリーブオイル」はしたことないがw)、アボカドが大好きだし(もこみちもしょっちゅう使ってる)、お酢よりもレモン汁派だし(もこみちもしょっちゅう使ってる)。

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05月25日(金)

起床時刻:09時40分

05月24日(木)

起床時刻:08時00分

さやいんげんみたいなマーメラスっていう野菜を買ってきたので塩ゆでしてみたけど、筋がハンパないなw 味見に一本食べようとしたら、筋だけ噛み切れなくて、口から筋を垂らすことになったw 
端っこを落とすときに筋もつーっととったんですけどね、上(弧をえがいていない、まっすぐの方)だけ。そのときにやたら筋が頑健で「木綿糸のようだ」とは思ったんだよね。荒熱をとった後で下(弧の部分)の筋も全部とったんだけんど、それでも筋が少しでも残ると気になる。

昨夜は鶏もも肉の照焼、付け合せはキャベツの和物、パプリカとアスパラのマリネ(パプリカを真っ黒になるまで焼いて皮を向いて食べよい大きさに切り、塩(きつめに)・胡椒・オリーブオイルにつけたもの。好みで極々少量のにんにくのすりおろしを入れても。下のほうをピーラーで剥き、一緒に焼いたアスパラ(途中で取り出す)も同じ長さに切って入れる)。あと、ほうれん草の胡麻和え、ナスの味噌汁。
マーメラスは二軍(=私の昼ごはん)行きである。 二軍メンバーが多すぎて困るw

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05月23日(水)

起床時刻:10時45分

『オレンジだけが果物じゃない』(ジャネット・ウィンターソン(岸本佐知子訳)/国書刊行会/2002)を一気読み。いやあ、面白かったw

『オレンジだけが果物じゃない』には、熱狂的なキリスト教徒のお母さんが出てくる。
異教徒どもと戦う武闘派お母さん(根っからの旧約聖書派で「犠牲精神あふれるしおらしいキリストを見習う気なんか、さらさらなかった」)に、「伝道師」となるべくエリート教育を受けた女の子(ジャネット)がこのお話の主人公だ。
カルト信者のカリカチュアも可笑しいが、それだけではなく、ジャネットが如何にして「お母さんの支配」から逃れるかというのも読みどころだろう。
そしてお母さんべったりに育った女の子が、如何にしてお母さんの価値観を乗り越えるかというのは、割と普遍的にある課題に違いない。
お母さんがカルトなだけにその相克がより明確になっているけど、誰でも多かれ少なかれ、お母さんの期待する「いい子」でいられなくなるときがいつかくるものなのだ(そうでない幸福な人もいるとは思うけれど)。

さて、歴史のなりたちを、主に『ヨハネの黙示録』と『絶対真実』という宗教雑誌(「預言者エリヤの現代版」のお墨付き)で学んだジャネットは、学校に通うようになるとただの浮いた子になってしまったw

家庭科の刺繍では、<夏はもはや終わりぬ されど我らはいまだ救われず>というエレミヤ書からの引用を縫ってドン引きされたり、ピンク色の二本のヒヤシンスの鉢には『受胎告知』というタイトルをつけ(該当箇所の聖書の文章まで提示した)たが、賞をもらえなくて落ち込んだり、同級生たちに地獄の恐ろしさを力説したところ、怖がり出した子供たちのPTAが学校に苦情をいいにやってきたりと色々大変な目にあう。

しかしエリート伝道師教育を受けたジャネットは「あとで地獄に落ちて火にあぶられるより、前もって話を聞いておいくほうがずっとためになるのに」とPTAの大騒ぎぶりをいぶかるのだw
まぁそうなんでしょうけどねw

話は変わるようだけど、「夢を持とう」「絆を大切にしよう」っていうメッセージってあっちこっちで聞くじゃない。
あっちこっちっていうか、最近夫と私がプレイしているゲーム『ファイアーエムブレム 覚醒』で登場人物たちがしょっちゅう言っているんだけどさ。
でもその夢と絆の内容が「世界中の異教徒を改悛させ、主に目覚めさせる」という夢、「時に近所迷惑になろうとも、主のもとに一致団結する」という絆の場合、全員(すなわち異教徒どもは)「・・・・・・・」となってしまうのだ。

ふと思ったんだけど『ファイアーエムブレム 伝道』というゲームがあったら相当あついね。
『ファイアーエムブレム 覚醒』にも宗教は出てきて、主人公は神竜ナーガを神として信仰しているイーリス聖王国の王子だ。ちなみに敵のペレジアは邪竜ギムレーを信仰する邪教国家である。ファンタジーに宗教は不可欠だ。

『オレンジだけが果物じゃない』のお母さん(武闘派キリスト教徒)は世の中は敵か味方の二つに一つ、とわかりやすいw
「出たな、サタン!」(サタンはいろいろに姿を変えてあらわれる)でいくらでも話をつくれるから、『ファイアーエムブレム 伝道』のストーリー展開は簡単だw
もちろん、FEなんだから、敵(=異教徒)でも、たまにTALK!アイコンが出て仲間になることがある。いやCONVERT!アイコンかなw

それにしても、このお母さんは最強バトルモンクになりそうだよ(あ、女だからバトルシスターか)w
クリティカルヒットを出すときのセリフは「この異教徒どもめ、地獄に落ちるがいい!」にしてほしいw
(仲間に回復されたときのセリフは「主は慈悲深くていらっしゃる」かなw)
娘のほうは「伝道王にあたしはなる!!」だろうかw
(回復されたときのセリフは「癒しの奇跡をありがとう」とかw)

そして全てのキャラは「悪魔祓い」スキルを持っており、時々理由もなく味方にボコられる(=悪魔祓いされる)ターンがあるってのが、『ファイアーエムブレム 伝道』の新しいとこだw。
FEではよく火山の面とかで体力が自動的に減るときあるでしょ、あんな感じw
あと武器が「進化論」の敵と戦うといやおうなしにスタート地点に戻されるとかねw

それから面がすすむごとに、必ず誰か一人を「異端者」としてメンバーから外さなくちゃいけないとかねw

「神秘主義者」にクラスチェンジすると力・魔力・防御などのパラメーターが大きく伸びるけれど、誰とも支援がつかなくなるとかw
(また「悪魔祓い」をされる確率が上昇する)

どう?って途中からファイアーエムブレムの話になってしまったなw

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05月22日(火)

起床時刻:07時45分

むちゃくちゃ寒かった。

パートから帰ってきて夕飯はパパっとつくろうと、伯母にいただいたステーキ肉を焼き(付け合せはフライドポテト(「インカの目覚め」とかいうジャガイモを揚げたのをデパ地下で買ってきた)とほうれん草のバター炒め)、大根とハムのサラダ、アスパラガスと卵の中華風スープ、もずく酢、ご飯というなんかよくわからんメニュー。
こんな手抜きメニューなのにつくるのに時間がかかるんだよねえ。なんで?

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05月21日(月)

起床時刻:10時45分

05月20日

起床時刻:10時45分

伯母宅にお呼ばれ。お寿司の他、茹でた空豆、もずくと山芋の酢の物、わかめとえのき、豆腐の味噌汁、ほうれん草の胡麻和えという副菜、果物は苺だった。その後、従姉妹も一緒にアルバムなどを見て、最後にお抹茶と和菓子をいただいて帰ってきた。

色々高価なお土産をいただいてしまい、母の日に贈ったお花よりずっと高いことに気づいた><。お花のお礼の葉書だってすぐにきて、私はそれだけで十分なんだけどねぇ。ていうか、好きでおくってるんだから、お礼を言われなくても別にいいんだけど。

伯母が祖母の遺品をきれいに整理したクリアファイルを見せてくれた。祖母の父、私から見れば曽祖父が明治時代、地元に寄付をして戦前の県知事からいただいた木杯賞状とか、祖母の戦前の小学校の賞状など(昔は成績がいいとやたら硯をくれたようである)。

賞状かぁ、あーあ、私は賞状とか何もないよ。高校卒業のとき貰いそこなったしw
私が行った私立の女子校はたいして進学校ではなかったから、私の成績からすれば確実に成績優秀者に与える賞を貰えたはずなんだけど(三種類賞状があるからどれかには入ると思ってた)、まさかの入賞ゼロであったw
後で友達が担任の先生を囲んで「なんでPyaaaちゃんが賞状をもらえなかったんですか」って憤慨して聞いたら、「人望を含めての総合評価だ」と言われて、全員が納得したというw
確かにね、人望は昔も今もゼロですぜいwww

ま、私が賞状をもらっても自慢する子供も孫もいないんだから別にいいんだけどなw しかも孫に「おばあちゃんはすごかったんだ」と自慢しても、どうせ「うわ、未だに高校の成績とか言い出すなんて痛すぎてマジひくわ」と冷たく思われるだけだろうし。

あとは祖母の戦前の女学校の修学旅行の写真や、若い頃の決め決めの写真とか(まさに「モガ」そのもので、うちの祖母ってミーハーだったんすねっということがわかる)。戦後はしばらく写真がない(写真どころじゃなかったんだろう)。

まぁ私の祖母の場合、よき子供(伯母)がいるから、こういうものが残っていれば話のタネになるけれど、私の遺品は全部ただのゴミなので、モノを持っていちゃいけないんだ。可能な限りモノを持たないこと。モノを減らすこと。これを今年の抱負としよう(ってもう5月だよ、おい)。

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05月19日

起床時刻:09時00分

05月18日(金)

起床時刻:08時00分

05月17日(木)

起床時刻:08時00分

『昆虫にとってコンビニとは何か』(高橋敬一/朝日新聞社/2006)は、現代社会の様々な様相が昆虫に与える影響について書かれた本だが、本書を読むと昆虫の生態だけでなく、昆虫マニアの生態についてもよくわかる。

例えばコンビニの灯りは夜行性の昆虫たち(ガ、コガネムシ、カメムシ、シロアリなど)を呼び寄せるが、昆虫マニアも引き寄せる。
その大半は甲虫マニアか蛾マニアだそう(蝶マニアが誘引されることはほとんどない)。

「蒸し暑い真夏の晩、通りがかりの山間部にコンビニを見つけた甲虫マニアやガマニアは、すぐさま反射的に駐車場へと車を滑り込ませる。<略>まずは指先でポケットに毒ビンが入っているのをそっと確かめ、それからできるだけ普通の客を装って車を降りる。そのとき、目はすでにコンビニの明かりの周囲をさまよっている。長い運転の疲れを癒すかのように肩をまわしてみたり深呼吸をしてみたりもするが、目だけは極度の集中力で探索を続けている。ふだんは目が悪くても、そのときだけはガラス上に動く二ミリ程度の虫でもだいたい何であるのかすぐに見当をつけ、そのなかでも良さそうな虫に向かってまっすぐに進んでいく。その虫を無事に毒ビンに収納すると、今度はガラスの前に仁王立ちになって、下から上までなめまわすように見つめ直す」(P36)

また糞虫マニア(そんなマニアがいるんです)は、
「せっせと犬糞を集めてはビニル袋に入れ、よく捏(こ)ねて冷蔵庫に保管し、週末になるとそれをあちこち人目につかない場所に置いて、糞虫がやってくるのを待つ。一年中これをやる。冬になってまでもやる(冬に出現する食糞性コガネムシもいるのだ)。そうしてやがて集まってくるであろう糞虫のことを夢に見ながら布団に入る」
らしい。

いやあ、私はつねづね、夫がゲームマニアであることを嘆いてきたが、昆虫マニア(とりわけ糞虫マニア)でなくて本当によかった。
冷蔵庫に犬の糞が保管されていたら卒倒するわ。
しかも週末ごとに犬の糞を配置するという作業に付き合わされてごらんなさい。
それでエンマコガネ(食糞性のコガネムシ)がわかなかったら、私の置いた場所が悪いだの、こね方が足りないだの、文句を言われるのだ。

著者は東南アジアの山間を流れる澄んだ川で(とはいえゴミも人間の便も流れてくるらしい)、ダルマガムシをルーペ片手に探しているが、それに付き合わされるのを想像しただけでウンザリする。
「ちゃんと探せ!」「真面目にやれ!」と叱咤されながら、興味もない虫ケラを探さなくちゃいけないなんて、本当にやってらんない!
(もっとも著者は独身だろうと思って読んでいたら、あとがきで「妻とともに害虫の調査に出かけることになった」と出てきてびっくりした。しかし奥さんも同業種の方のようだからよかった(著者は元々害虫防御の専門家))

こうツラツラ紹介すると、「そうはいっても、この著者はきっと昆虫や自然を大事にするエコロジストなのよ、心優しい方なのよ」と思う人もいるかもしれないが、著者は「『エコ』や『環境にやさしい』などという表現はあまりにもうさんくささにまみれていて、エコツーリズムという言葉を聞くだけでも、私は耳をふさぎたくなってくる」(P159)と言う。

「『エコ』あるいは『環境にやさしい』という言葉を使うとき、まるで人間と他の生物とが仲良く共存する、おとぎ話的世界が実現可能であるかのように思わせ」ているが、人間と昆虫の「共存」など(おカイコさんなど一部を除いて)、これまでもなかったし、今後もない。

だからまぁ、人間は一方的に昆虫を滅ぼしていく。
私たちの便利な生活、山を切り開き、宅地を造成し、人工的な公園をつくり、車や電車で移動する生活はガンガン昆虫を絶滅させていくのだ。知らない間に。
そういう生活は変えたくないんだから、昆虫が絶滅するのだって仕方ないよね?どうせ絶滅するんだから、全部死に絶える前に採集しておいたほうがいいじゃん?というのが著者のスタンスのようである。

著者は例えばオオムラサキとかホタルとかギフチョウとかを保護しようとする人を苦々しい思いで見ているようだ。
こういう自然保護を「ノスタルジック自然保護」と呼んでいる。自分の子供の頃の環境に対するノスタルジーを他人に押し付けているだけだというのだ。

自分自身を振りかえってみると、私の場合は「ノスタルジック自然保護」というより「ビジュアル重視自然保護」な気がする。
例えば、コアラが減っている(今月号のナショナルジオグラフィックの特集でやっていた)とかいうのを読むと、かわいそうでならないが、そこらのカメムシの一種が絶滅したと聞いても全くなんとも思わない。
カメムシというのは害虫(もちろん人間の目から見ての話である。より大きな視点でみれば、地球の一番の害虫は人間である)だから、むしろ「ざまぁ」と言いたいような気分なのだ。

おそろしい。種差別主義者といってもいいだろう。

なぜ、コアラやパンダやイルカは大事で、カメムシやタガメや蛾はどうでもいいのだろうか。
それはもう可愛くないからである。
はっきりいって、虫はキモいから、どうでもいいのだ。

虫の世界でいえば、コアラやパンダやイルカは、オオムラサキやギフチョウやホタルにあたるだろう。
こういう見た目が素晴らしく、存在感のある生き物が死に絶えるのは絶対にイヤなのだ。

これまた、人間として仕方のないことだ。

ま、もし私が昆虫だったとしたら、美しく立派なオオムラサキやヤンバルテナガコガネではなく、雑魚なカメムシだったであろうから複雑なところではある。
しかしカメムシ系女子は世の中が見た目重視のビジュアル偏重社会であることをよく知っている。
(これはもう、大昔からで、天孫瓊々杵尊に、美人薄命のコノハナノサクヤビメと抱き合わせ販売で嫁いだブサイクながら頑丈なイワナガヒメは、よほどブサイクだったのか父の元に送り返されてしまう。
ニニギ的にイワナガヒメは、ある種の昆虫のように「生理的に受け付けない」ビジュアルだったんだろう。
いつの時代でも皆、美しくてはかないものが大好きだ。
美しく愛らしいコノハナノサクヤビメ的な存在が死に絶えかけると、上へ下への大騒ぎとなるが、ブサイクでキモいイワナガヒメ的存在が死にかけても「ああ、あいつならゴキブリ並の生命力だからだいじょぶだよ」でほっとかれるのだ)

それこそ著者が連発する「仕方ない」としかいいようがないものなのだろう。

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05月16日(水)

起床時刻:09時30分

昨日の夜は手羽先の唐揚げ、たこ飯、キャベツサラダ、ふきと油揚げのごま煮(栗原はるみレシピ)、セロリとハム(及びにんじん、新玉ねぎ)のマリネ、なめこと豆腐の味噌汁(昨日買った赤味噌をさっそく使用w)、味噌汁につかった豆腐の残りで冷奴っていう、わけわからんメニューだったんだけど、すごいことに旦那がふきもセロリも食べるようになったw 

この前、夫に「さつまいものレモン煮」を三切れほど出したら、文句を言わなかったので、調子にのって、ふきのごま煮も五切れほど(4cm長さのふき三本、油揚げ二切れ)出したらこれまた文句を言わないで食べている。はてさてセロリはどうかと、ほんの一口(ハム多めでw)豆皿にのっけて出したら黙って食べていた。

「大人の階段の~ぼる~、君はまだ、シンデレラさ♪」じゃないけど、うちの夫もようやっと大人の階段をのぼりはじめたのだろうか。
まぁ既に中年だけどなw

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05月15日(火)

起床時刻:08時15分

デパートにファンデを買おうと思って行ったんだけど、ついつい8階催物場でやっていた「名古屋でらうま市」に行ってしまった><。どんだけ食い物に弱いんだよ、自分ッ。

鬼まんじゅうとかきしめんとか手羽先とか茹でタコとか赤味噌とかおいなりさんとか色々買っちゃった(そしてファンデは買わずに帰ってきた)。
名古屋案内のパンフレットも置いてあって「おもてなし武将隊」が表紙に出ていた。「おもてなし武将隊」ってなんじゃそりゃ?と私も初めて聞いたときは思ったけれど、従姉妹がかなりはまっていたので多少の予備知識が私にはあるw。

従姉妹情報によれば「おもてなし武将隊」(の中の誰かランダム一人)が名古屋城を案内してくれるんだとか。従姉妹は前田慶次(役の人)があたったらしい。従姉妹につきあった伯母によれば「可愛らしい子だったわ」ということであったが。やっぱ可愛くなければ「おもてなし武将」はつとまらんのであるw。

聞くところによると、この手の観光客をおもてなしする武将が日本全国各地にいて、徳川家康なんかは家康ゆかりの地に複数いたはずだw。。確か「上杉おもてなし武将隊」とかもあるんだよ(そっちには上杉謙信公やらがいるのである)。そっちも従姉妹は行っていたようなw

びっくりするが、我が従姉妹なんか、「おもてなし武将隊」の何かのイベントでわざわざ名古屋に出向いたりしているんだから、集客力はあなどれんwま、私は歴史や可愛い男の子よりもやはり食べ物に一番引き寄せられるんだがなって、食い意地がはっているだけですな(太るわけだ)。

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05月14日(月)

起床時刻:10時30分

うちの親がソフトバンクでホイホイ契約してきた「みまもりケータイ」。
このケータイは通話用の○ボタンがひとつだけというシンプルな仕組み。
ということは、電源ボタンもないということだ。

ま、厳密にはあって、充電等のための外部接続端子の横にあるリセットボタンのような小さな丸い穴がそれだ。カバーを外して、シャープペンシルの先で押せば電源のオンオフができる。
(充電されているのに、電話が使えない場合、この丸いリセットボタンを押し忘れている可能性大だと思う)

電源を切りたいときは、まずシャーペンを探さないといけないって意味わからん。

おそらくこの携帯、子供や年寄りに持たせて、いつでもどこでも彼らに連絡できるようにするため、簡単に電源を切れないようにしているんだろう。

更に誤って○ボタンを押して電話をかけてしまったとき、慌てて切ろうとしてもこちらからは切れない(ひょっとしたら切れるのかもしれないけど、よくわからん。オーナーからじゃないと切れないって親は言っていたが)。

それから音量調節ができない。
バカでかい話し声なんで小さくしようと思い説明書を開くと、通話中にこの○ボタンを押せばいいそうなんだけど、それが可能なのは着信モードを手動にしている場合らしい。
うちはどうやら、自動にしているようで、その場合はmy softbankに接続して設定を手動に変えなくちゃいけないようだ。

更には話し声が周りにまる聞こえなんだよね。家電の手ぶらフォンみたいなものを想定してもらえばいい。これ、外では絶対に使えないと思うんだけど。会話筒抜けじゃん。

あと一度、電話をかけたら留守電になったときがあって、留守電の録音がまた長いんだわ。3分?例のごとく、切ろうにも切れないし。
そして最後に「メッセージをもう一度聞く場合は9(数字は適当)を」とか何とか言い出して、9も7も、そもそも数字ボタンなんかないだろうがよ!!と思ったんだけど、あれは何だったのか。
幻聴だったのか。

普通の携帯のほうがよほど使いやすいのに、なんでわざわざこんな劣化版を使わなくちゃいけないのか意味がわからん。

親からしょっちゅう電話がかかってくるようになって、毎回「みまもりケータイ」の使い勝手がいかに悪いか力説していたら、「じゃあ返して」と言われちゃったw 申し訳ないw

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05月11日(金)

起床時刻:09時30分

『宗教を生みだす本能 ―進化論からみたヒトと信仰』(ニコラス・ウェイド、2011、NTT出版)を読んだ。

忙しい方のために300ページを超す著者の主張を一言で無謀にもまとめると「宗教は進化論的に有利に働いた(=生存と子孫を多く残すことに有利に働いた)」ということである。

今から500万年から600万年前、我々はオスのボスが支配するチンパンジー的社会から、平等主義的な狩猟採集社会へと移行した。
その際、二つの大きな脅威に直面した。
それは内部における「奇食者の存在」と、外部との「絶えざる戦闘」である。

言語が発達すると言葉巧みにサボろう、怠けようという連中が出てくる。しかしそのような怠け者の存在は、常にカツカツで生存している原始社会にとっては大きな負担になってくる。
しかも平等社会であるから、「先生!○○くんが、掃除をサボってます!」と言いつけようにも言いつける相手先がいない。
これが内部に抱えた問題である。

もう一つは原始社会においては戦闘が極めて日常的であったから(例えば近年でもヤマノミ族の研究によれば、近隣部族と頻繁に戦闘を行うため、成人男性の約30%が暴力で死亡する)、そういうときに「怖いよ~」といって逃げ出す輩の存在もまた大問題となる。
そのため、「怖いよ~」と逃げ出す輩を取締り、できれば、集団のために命を投げ出す連中が多く存在する社会にしなければならない。

つまり私みたいな怠け者の臆病者を共同体から退治するための方策、それが宗教なんですな(どうりで私が宗教を嫌いなわけである)。

宗教は道徳を定める。
働け、生贄を捧げよ、(集団内の人間を)殺すな、盗むな、産め、姦淫するな、エトセトラ。これに反した者は地獄に落ちるってわけです。
しかも神様は全知全能でどこからでも人間を見張っているものだから、こそっと悪いことはできないわけです。

このような社会のほうが、全員が好き勝手に暮らす社会よりも生存に有利であったことは想像に難くない。

また宗教ほど集団の結束力を高めるものはない。
宗教の儀式や音楽は人の気分を高揚させ、その所属する集団を命にかえても守ろうとせしめる。

しかしまぁ、そういう利他主義者が増えると、利他主義は個人レベルでは利己主義者より子孫を残せなくなるんじゃないか?
だって、集団のために尽くすヒトは早々に死んじゃうじゃん?

そこで出てくるのが集団選択理論です。
この理論によれば、まぁ集団の内部的には利他主義者は損だけど(淘汰される)、集団間では利他主義者の多い集団は生き残りやすい。
だからまぁ、そこんとこのバランスですな、ということらしい。

「現代人はそうした絶え間ない戦いの敗者ではなく勝者の子孫である。私たちは祖先からさまざまな能力を受け継いだ。自分を脅かす相手にきわめて強い敵意を抱けるし、残酷にもなれ、大量虐殺すらできる。同時に、所属する共同体のメンバーに対して忠実になれるし、相手を愛し、信頼することもできる。人間が天使のようであり、獣のようでもあるのはこのせいだ。
一人ひとりを見れば、どちらかの性質しか持っていないかもしれないが、社会や国はかならず両方の性質をあわせ持っている」(P286)

まぁ、確かに宗教というのは、同じ価値観を共有することで、社会を等質にし、お互いを信頼させやすくする効果はある。
一致団結する力を強めるので、敵と戦う際に有利になる。著者によれば正しい戦争は存在する。そのような正しい戦争を勝ち抜くには神の存在は心強い支えとなるであろう。

(つーことはよ、昨今推奨される「多文化共生」なんていう耳に心地よいスローガンは進化論的には脆弱なんであって、日本のようなホモジニアスな社会のほうが生き残るには有利ってことになるんじゃないかしらん。

著者は「神のいない宗教は存在しうるだろうか?」と首をひねっているが(ちなみにこの本は仏教にはほぼ触れておらず、仏教への言及箇所は3箇所しかないw)、日本は一神教なしで宗教がもたらすと著者が主張する社会的機能を充足させてきた。あるいは日本は、海に囲まれた環境及び異民族からの侵略がほぼなかったために、一神教なしでも民族として存続しえたのかもしれないが。
明治の帝国主義時代に開国した際、日本はかつて中東で一神教が生まれたときのような弱肉強食の世界にぶちこまれたわけだ。伊藤博文のような天性の政治家は、日本国及び日本民族の生き残りのためには西洋におけるキリスト教の存在のような精神的基軸=宗教がなんともしても必要だと思い、明治天皇制というある意味一神教をつくりあげたのだろうか。
しかしもちろん、宗教はアステカ王国の例を出すまでもなく、自国の生き残りをもたらすだけではなく、地獄への進軍ラッパをならすものでもある。ま、何でもいい面もあれば悪い面もあるってことですな。って以上すべて適当な思いつきであるけれどw)

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05月10日(木)

起床時刻:08時15分

新幹線で読んだ『アマテラスの誕生―古代王権の源流を探る』(溝口睦子/2009/岩波新書)は面白かったなぁ。

「天皇家の血筋がエライのはなぜか?」と聞かれれば、「天照大神のご子孫であらせらるから」と普通は答えるんじゃない?
「天子様ハ天照皇大神宮サマノ御子孫ニテ、此世ノ始ヨリ日本ノ主ニマシマス」と人民告諭でも言ってるじゃん?

この本を読むと「天子様」が「天照皇大神宮サマノ御子孫」になった経緯がよくわかる。
(ちなみに著者の溝口さんには変な思想色はなく、一般人的感覚で、そこらへんの人にも理解できるようにお書きになっているので、大変読みやすい)

そもそもね、この発想(=天子様ハ天照皇大神宮サマノ御子孫)は「弥生に遡る日本土着の文化の中から生まれたのではなく、元を辿れば北方ユーラシアの遊牧民の間にあった支配者起源神話にその源流を持つ」んだそうで、それを日本(ヤマト王権)は朝鮮半島経由で受容したんだそう。

この北方ユーラシア遊牧民に源流を持つの支配者起源神話(太陽の神様の子孫説)をなぜ日本は受容したのか。

それは好太王(広開土王)碑(414年建立)にみられるように、倭が高句麗に大惨敗を喫したからではなかろうか、と著者は推察する。
この敗戦ショックが抜本的な体制の変革を引き起こすきっかけとなったのではなかろうか、と。

幕末の黒船ショックみたいなものだ。
幕末同様、当時も衝突相手が日本より格段にすすんでおり、一方で日本は権力の集中という点で遅れていた。
強力な国家を形勢し、相手と対等になるためには、衝突相手国の思想・文化・技術・体制などを輸入するしかない。

そこで新しい王権思想=高句麗の建国神話を取り入れたのではなかろうか。
そのとき取り入れた神様は「タカミムスヒ」である。
5~7世紀のヤマト王権の国家神は「タカミムスヒ」という外来の神様であって、「アマテラス」ではないことを著者は例証していく。

そもそも、「タカミムスヒ」を輸入する前までは日本には唯一絶対の至高神などいなかったのだ。
大国主命(オオクニヌシ)がいるじゃないか、と思うかもしれないが、オオクニヌシは唯一絶対の至高神ではなく、神様たちの領袖といった地位だった。
オオクニヌシの「国作り」伝承を見ると、農耕・稲作を勧めたり(量的には最多)、国土を造成・開発したり、人間や家畜に対する医療や害虫駆除をしたり、とほとんど区役所みたいなことになっている。
武勇伝っていうのは意外に少ないんだそう。

これじゃ戦えない!!!ってことになったんだろう。
大王(天皇)がエライのは血筋である!出自である!っていう思想を朝鮮経由で取り入れて、権力の強化(=集中化・正当化・安定化)を図ったのであろう。

じゃあ、いつ「タカミムスヒ」に代わって「アマテラス」が大抜擢されたのか?(実際はパラランが長かったみたいだけど)
それは8世紀の律令国家以降だが、そこあたりは本書を参照していただきたく。

国際情勢や国内政治といった背景から、当時の思想地図を鮮やかに説明してくれて、全く初心の私にも非常にわかりやすい本でありました。

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05月09日(水)

起床時刻:11時30分

夫会社休み。

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05月08日(火)

起床時刻:08時00分

パート。

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05月07日(月)

起床時刻:不明

夫会社休み。連休明けはたいてい休むねw

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05月06日

起床時刻:不明

「ファイアーエムブレム 覚醒」と3DSをセットで(夫が)お買い上げ。「先にやっていいよ」というので、ちょっとプレイしたけど神ゲーの予感。
しかしいつものお仕事(FF11)もやらなきゃなんないのだ><。

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05月05日

起床時刻:不明

デジカメの写真をプリントアウトしてアルバム完成。アナログ人間なのでやっぱり紙にまとめてしまう。場所取るからよくないんだけどな。
本も電子書籍のほうが絶対にいい筈だ。今回も旅行に本は一冊しか持っていかなかったんだけど、行きの電車で読み終わっちゃったんだよねw 5時間ありゃ新書一冊読めるわなぁ。

で、神宮駅のキオスクで本を買おうとしたら読みたい本が一冊もないw
ホンコワ(「ほんとうにあった怖い話」という漫画雑誌)を二冊買って読んだけどw。

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05月04日(金)

起床時刻:不明

ゲーム。やっと(夫が)欲しがっていたアイテムがでた(涙)!!
熊野詣での御利益であろうか。

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05月03日(木)

起床時刻:不明

熊野本宮大社と熊野速玉大社へ。新宮から名古屋経由で東京へ戻り。

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05月02日(水)

起床時刻:06時30分

東京を出たときに見た天気予報では、5/2の和歌山は曇り時々雨。
まぁ雨の熊野古道も風情があってそれもまたよかろうと思い、朝9:00すぎ、勝浦のホテルから大門坂まで車で送ってもらい、那智大社まで歩こうとしたら、「しとしとそぼふる春雨」なんてもんじゃない。
完全な暴風雨です、本当に(ry。
折りたたみ傘がもっていかれそうになるレベル。

あとでテレビを見て知ったけれど、那智勝浦町やその隣りの新宮市では、大雨警報が出たそうだ。那智勝浦町では750世帯、1580人に避難勧告が出され、県教委によると、新宮市と那智勝浦町の幼稚園3校や小学校8校、中学校6校、県立学校3校の計20校が臨時休校となったんだって。

さもありなん。
とはいえ、そんなこと知らないから旦那と私は暴風雨の中、大門坂上のお土産屋までたどりついて雨合羽を購入。その場で着て、傘+合羽装備にしたものの、風で合羽があおられ、すぐに全身びしょぬれに。

「せっかく来たのだから」精神で大雨警報の中、果敢に那智大社にお参りし、お寺さんにもお参りし、更に滝まで攻めてきた。
滝とその下の川は水量が増してものすごい迫力だったけれど、雨だか滝の水しぶきだかで、本当にずぶ濡れになってしまった。

もう、靴の中にも水が入ってちゃぷちゃぷいっている状態。
私はパーカーを来ていたから上半身はそこまで濡れていなかったけれど、旦那(シャツ+ジーパン)は下着までずぶ濡れだったらしい。

それにしても濡れた服を来ていると、寒いのね。
全身が冷えてきて、一刻も早く宿に着きたい気分になるけれど、その日の宿は本宮の近く(新宮→本宮までホテルの送迎バス)。

昨日の記事にも書いたとおり、南紀は豪雨の影響で運休となった。
そうともしらず、那智の滝前からバスで紀伊勝浦駅に戻り、12:23分発の南紀6号で勝浦→新宮に乗ろうとしたら、「運休です」。
振替輸送なんてしゃれたもんはない上に、この紀勢線というのは、びっくりするくらい本数が少なくて、一本逃したら行き倒れになるんじゃないかレベルなんだけど、幸いにも大阪から来る「くろしお号」に「すぐ」(というのは30分後くらいに)乗ることができた。

新宮までたどり着いたので、さぁ、さくっと宿に行って温泉入るぞと思ったら、新宮から本宮へと行く国道168号線が雨で通行止とのこと。そこで三重県経由の国道311号線の迂回路をとることになった。この道は三重・和歌山・奈良の三県をまたぐ。

運転手さんが話をよくなさる方で色々な話が聞けて興味深かった。

やはり一番話されることは昨年の台風12号の被害がいかにすさまじかったということ。「ここの家も流された」「ここまで水がきた」と教えてくれるのだが、ありえないレベルの水位になったんだねぇ。

311号線沿いには立派な寺のような施設があって、「立派ですね」と言ったら「あれは天理教やね、ここあたりは天理教の信者多いから」と言っていた。なるほど。

さらに行くと赤木城址(刑場跡でもあるらしい)のそばも通る。昔一揆があったところ。
http://www.kankomie.or.jp/spot/detail_2904.html

近くには丸山千枚田もある風光明媚なところだが、国道からでも小さいスペースの田んぼを目にする。棚田というのは見る分には美しいが、維持する側にとっては非常に労力がかかる。
「こんなとこに田んぼつくらんでも」とカリフォルニアの大農地から来た人は思うかもしれないけれど、山がちの日本の国土では棚田をつくってでも耕作しなければ、年貢を払えなかったのであろう。

さらに行くと板谷というところも通る。
「ここは板谷というてね、鉱山があったの、石原産業のね。それはそれは栄えてたよ、新宮なんかよりずっと栄えてた。映画館もあってね、飲食店もいっぱいあってね、社宅もあった。郵便局も銀行もみんなここにあった」とのことであった。運転手さんは懐かしそうに往時をしのんでおられた。

板谷は三重県熊野市紀和町板谷というところで、「鉱山資料館」というところの前も通るのだけれど、どうもしまっているようだった。

石原産業というのは、愚見によればとんでもない企業で、四日市ぜんそくで有罪となっている。さらに「四日市ぜんそくが問題化していた1969年には、四日市港に強酸性溶液を垂れ流していた「石原産業事件」、2005年にはフェロシルトの大量不法投棄問題を引き起こした」(wikiより)
wikiにはないが、石原産業の紀州鉱山では「マレー戦線で捕虜になったイギリス兵が連れてこられて働かされたり、強制連行された朝鮮人が1225人働かされ」たりしたらしい。

↓に一般の方が写真入りで色々解説している。
http://www.ztv.ne.jp/takuji/j-sens5.htm

しかしまぁ、地元の人にとっては、経済がうるおったいい時期であったのだろう。今は閉山し、就職口はない。

田舎っていうのはどうしても産業がない。従って就職口がない。従って金がない。
だから雇用をもたらしてくれる企業に対しては、たとえ害悪を撒き散らすリスクがあっても、それが健在化するまでは文句を言えないのかもしれない。
いや、文句を言えないどころか大歓迎するのかもしれない。特にそれを享受する層にとっては。

そういえば熊野川周遊のジェット船、昔はプロペラ船で、大変な爆音をたてて周遊していたらしい。学校が川沿いにあるのだけれども、音がうるさいから窓が二重ガラスだったんだとか。
「そやけどうるさくてな、先生の話なんか聞こえんから、アホになってしもたんや(笑)。まぁこんなとこで勉強しても、ダメやろうけどな。やっぱ都会やないと」とは運転手さんの言。
船で川をのぼるのは大労力のいる仕事だから、プロペラ船の登場は労働者の助けになったのかもしれないし、水運が衰えた後には観光客誘致の一つになったのかもしれないから、軽々に言うことはできないけれど、完全な騒音公害のように思う。。。

「お客さん、東京から?いいなぁ、東京、行きたいなぁ。ここあたりはコンビニもない、病院もない、なーーーんもない」と運転手さんは言っていたが、「素晴らしい自然があるじゃないですか」とは言えないなぁ。
自然なんか基本、どーでもいいものだもんな。
人間が生きていく上で必要なものは、コンビニであり病院であり、就職口なんだもんな。
自然で腹一杯になるか?病気をなおしてくれるか?金になるか?
まぁ、世界遺産に登録されたことで、金になる自然になっただろうが、その限りでしか価値を認めないのが大方の人間なのだろう。
人間だってそうだ。金をうまないニート=存在価値ゼロ扱いだもんね。

経済的価値を上回る価値がいったい世の中にあるのだろうか。
「物質的豊かさだけではだめだ、心の豊かさが必要だ」などという言説は都会で物質的豊かさを享受している人が食休みにいっても誰の心も動かさないだろう。

温泉は気持ちよく、生き返る心地だった。

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05月01日(火)

起床時刻:08時30分

紀伊勝浦へ。名古屋まで新幹線「のぞみ」で、名古屋からは特急「ワイドビュー南紀」号で、片道5時間超。
「のぞみ」だったら、博多ついちゃうくらいの時間がかかるんだわw

まぁこれでも便利になったんだそうで、新宮―勝浦間に軽便鉄道が開通したのは一九一三年(大正二年)なんだけれど、三重県側の尾鷲―熊野市間の紀勢線がなかなか通らず、曽根トンネルが貫通し、紀勢本線全線が開通したのは、一九五九年(昭和三四年)。特急くろしおが登場するのはさらに六年後。
と、『熊野古道 みちくさひとりある記』(細谷昌子/新評論/2003年8月)に書いてあった。「東京から南紀に帰省する人たちは、ごく最近まで冗談まじりに「行きに二日、帰りに二日かかるんです」などと言っていた」(P289)そうな。
飛行機(羽田―南紀白浜。一日三便。この羽田便しかないらしい)もあるけど、そこそこ運賃が高い(羽田―関空のほうが通常運賃でも安い(場合によってはかなり安い)ようである)。

ちなみにこの『熊野古道 みちくさひとりある記』の熊野詣は、大阪の天満橋からはじまる。
「えっ?そこから?」と思うけれども、熊野詣に向かう人々がまず最初に参詣し、お祓いを受けて出発したのが「窪津王子」、熊野古道の起点はここにある。
藤原定家による『御幸記』を参照に、中世の貴人がたどった熊野詣の道を主に徒歩で丁寧にたどっていくのだが、著者の四国でのお遍路さん体験と引き比べてあるのが面白い。
結論から言うと、四国のお遍路さんに比べると、熊野古道を歩くのは何倍か大変そうだ。
そもそも道がよくわかんないし(地元の人もわかんない)、王子が消えていることもあるし(例えば津兼(井関)王子。「湯浅御坊道路広川インターの建設によって消滅しました」と説明版にある)。

五来重は『熊野詣』(講談社学術文庫。1967年に出版された本を底本としている)で既に「紀伊路も今はほとんど廃道である」と書いておられる。
1967年で「ほとんど廃道」なんだから、2003年においてをや。

その上、街道筋には民家も人も少ない、食べるとこも休むとこも泊まるとこもほとんどない、四国のような「お接待」の習慣もない、場所によっては一人歩き(特に女性の一人歩き)は危険であると、地元の人にたしなめられている。

著者の細谷さんはあとがきで「なお、タイトルを『「熊野古道」みちくさひとりある記』としたが、本書は一人歩きを勧めているわけではない。私が歩いたかぎりでは、熊野古道は総じて一人歩き向きの道ではなく、地元の人に出会うことも少ないので、安全面からも二人以上で行くことをお勧めする。また、気の合った仲間同士であれこれ話し合いながら歩けば、旅の収穫はより大きなものとなるだろう」と書いている。

グーグル先生で細谷昌子さんを検索すると、どうやら2005年くらいから和歌山県は白浜町玉伝に移住なさっているらしい。
'10年4月30日のツー・ワン紀州(?)の「細谷昌子さんインタビュー」という記事によれば、
「細谷さんは熊野古道を歩くときは、複数ではなく、1人で歩くことを勧める。「複数だと自分たちの世界に入ってしまいますが、1人なら意識が外を向くようになります。他所者だからわかることですが、熊野には現代社会のなかで無くしてしまった感覚を磨く場がゴロゴロあります」。」
とあり、2003年のあとがきと言っていることが真逆なんですけどっ。
http://kisyu21.wewe.jp/kiji/2010/100430/kiji.html

まぁこの7年のうちに世界遺産にも登録され(2004年)、一人歩きをおすすめできるくらい、古道ブームとなり、道が整ったということかもしれないですけどね。

2003年の『熊野古道 みちくさひとりある記』に戻ると
「交通至便になったとはいえ、かつて「隠国(こもりく)」とか「陸の孤島」と呼ばれた南紀熊野は、今日でも「遠い」と覚悟しておいたほうがいい。天候などの事情でハプニングが起こることもままあるからだ。私の親戚の家族は、東京からフェリーで那智勝浦に行こうとして台風に遭い、那智勝浦港に接岸できずに四国の高知で、"観光旅行"するはめになった。私自身も二〇〇一年秋に「花の窟」に向かったときには、豪雨でダイヤが大幅に乱れ、大阪から熊野市駅まで普段なら四時間余りのところを、普通電車とバスを乗り継ぎながら一二時間の長旅となった。また、紀伊山地では、豪雨や積雪のときは車が通行規制されることもある」(P289-290)
とあるが、このGWの5月2日も同じような交通規制があった。大雨と強風の影響で特急南紀が運休してしまったのである。

朝10時名古屋発の南紀3号は既に名古屋を出た後だったので、紀伊長島で立ち往生となった。どうやら尾鷲市(三重県)あたりの豪雨がハンパないらしい。尾鷲は「弁当忘れても傘忘れるな」と言われるほどの、日本有数の雨降り地帯であると何かで読んだ。

南紀3号は本当は12:17には紀伊長島を出て、新宮には13:29についていなければならない。
だけど13:30になってもまだ紀伊長島で動かない。この南紀3号に乗っていた人をピックアップしにホテルから迎えに来ていた運転手さんによれば、結局、宿泊キャンセルになったとのこと。

ちなみに国道も交通規制がされて、新宮から本宮へと向かう国道168号線が雨で通行止になった。そこで三重県経由の国道311号線という迂回路をとることになる。

レンタカーを借りる人でも、山道を運転しなれている人でなければ、この国道311号線を暴風雨の中行くのは怖いよ。途中かなり細くなる山道があって、しかも横は崖っぷち。
ダンプがここから落ちたとか、運転手さんが道々、色々「事故現場」を教えてくれたけどねぇ。
細い道だから離合も大変、都会ナンバーの高齢者ドライバーと離合するときに、運転手さんが「見て、あの顔w えらい緊張しよるwww」と笑っていたけど、この高齢者の気持ちはよーくわかる。崖側にあまりよると路肩が緩んでいるから危ないんだそうで、結構スレスレのところをすれ違うんだもんな。

ま、紀伊半島というのは豪雨と強風と台風の影響を受けやすいところのようだから、本当は朝、天気予報を見ていいお天気だったらふらっと行くのがよさそうなんだけど、東京から5時間だからねw
ふらっと行くには遠すぎるw

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夫のいびきがうるさくて眠れない。
そんなとき私は居間のソファで寝っころがって本を読む。
(そのまま寝ることもある)

夫がうっとうしいからだ。
いびきだけじゃなく、寝ているときにくっついてくるし、腕枕したがる。
正直、大迷惑である。
(腕枕というのは全ての枕の中でも最悪の寝心地である。)

できれば、ベッドは別、寝室も別、住まいも別ってのが理想なんだが、それを言ったらなんで結婚してるの?ってことになるだろう。
まぁそうなんですけどね。。。

*********
詩集『世界はうつくしいと』(長田弘/みすず書房/2009年4月)から気に入った一節を。

「たとえば、地に腐ってゆく果物のように、
存在というのは、とても静かなものだと思う。
人は誰も生きない、
このように生きたかったというふうには。
どう生きようと、このように生きた。
誰だろうと、そうとしか言えないのだ。」
(「机のまえの時間」より)

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