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起床時刻推移グラフ

目標起床時刻:08:00 平均起床時刻:09:03

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06月29日(金)

起床時刻:10時45分

瑠璃玉アザミ(ベッチーズブルー。青いアザミといったところ)を買ってきて、ほっそりとしたガラスの花瓶にいけた。

わたくしの持っている『俳句の花図鑑』なる本によれば、アザミの季語は春(晩春)なんだそうだ。オニアザミなど夏や秋に咲くものは「それぞれ夏薊、秋薊と季節を冠していう」んだそうな。「だから何?」って言われたら困るんですけど^^;。

更に「歴史・文化」欄には「アザミはスコットランドの国花である」とある。「伝説のよれば、デンマークとの戦争の際、敵方の斥候がアザミの棘を踏んで叫び声をあげたために奇襲が知れ、スコットランドの危機が救われた」らしい。

スコットランドのアザミの棘がすごいのか、デンマークの斥候がヘタレだったのか。しかし、戦争の傷はもちろん、アザミの棘の何倍も痛いのだから、戦争なんかしないのが一番いいのであります。

「世をいとふ心薊を愛すかな」(正岡子規)

それにしても日々疲れがとれない。
だるくてだるくて仕方ない。
そういう疲労のたまっただるい体に鞭打って、ゲームを日々、長々とやっているんだけど、「妻の鏡」「内助の功」と賞賛してくれる人が誰もいないんだよね。
私のおかげで、夫は「イージス」と「ラグナロク」と「神無」と「ウルスラグナ」と「カラドボルグ」と「ウコンバサラ」がつくれたんです!!現代の「山内一豊の妻」とでも言われてしかるべきなのに(それにしても山内一豊って基本、ろくでもない野郎だよね)、おかしい。

いや、夫もワタクシめに「アルマスつくったら?」とか言ってくれるんですけどね、わたくしはそんな暇があったら寝てたいんだよね。なので「別にいい」っていうと「じゃ、僕がオハンつくるから手伝って」ってなるのよね。
はぁ。

心身ともに疲労しているせいか、食欲もない。

といいつつ、本日の夕方6時くらいに夕飯の残りもののハンバーグ、ズッキーニのソテー、オリーブとチーズ、オクラと椎茸の焼きびたし(ゆずの皮入りの七味をかけると一層美味)、母手製のピクルス、パンで白ワインのミニボトルを空けてしまったので、むしろ食欲はありすぎるくらいにあるじゃないかと言われそうだけど、いや、これは「冷蔵庫の残り物を掃除せねば」という主婦の責任感から出た行動であります。やっぱり「主婦の鏡」なのであります。

夫の夕飯は盛岡冷麺。豚肉と一緒にゆで卵を甘辛く煮ておいたので、あとのせる具は、きゅうり、トマト、キムチといったところ。副菜はトマトとアボカドときゅうりのサラダ、冷奴で、さっぱりメニュー。

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06月28日(木)

起床時刻:08時00分

そういや、いつだったか新型インフルエンザが流行ったとき、予防のために「不要不急の外出は避けてください」と言われたもんだけれど、そんな中でも会社員は「自分は仕事ですから」と胸を張り気味に会社へ堂々と「外出」したであろうと思う。でもさ、たいていの仕事って実は「不要不急」なんじゃないかと思うのよね。

もちろん、不要不急ではない仕事もあるわけだけれど(その仕事の従事者がいなくなれば我々の日常生活に支障をきたすような仕事ね。お医者さんやバスの運転手さんとか)、例えば「マーケター」などというのは「不要不急」の代表格ではなかろうか。

みなさん、ご存知のとおり、新製品の9割以上が失敗に終わると言われているわけですよ。事前に入念なリサーチをかけるにもかかわらず、失敗するのは「アンケート回答者は無意識にウソをつくから」と言われているけれども、一番の理由は「いらない」からなんですね。
洗濯板で洗濯している主婦は、どんなシンプル機能の洗濯機でも買いたいと思うはずです。
一方で既に洗濯機がこれほど行きわたった日本では、どんな高機能洗濯機が発売されたとしても、それほど消費者の効用を上げるわけではないのです。
それどころか「ごちゃごちゃボタンがついていて、使いづらい」と文句を言われるんです(映画『トランスフォーマー3』で「このコピー機は日本製か?操作が複雑すぎる」 っていうようなセリフがあったのが象徴的)。

従って「新製品開発」の仕事も、たいてい(9割)はいらない仕事なんです。残業して「消費者の潜在的なニーズ」を発掘し、あれこれの新機能をつけるなんて「不要不急」もいいとこなんですよ。

結局のところ、たいていの「新製品開発」は儲かっている他社をみて、「羨ましいな」と思い、そのシェアを奪うべく参入するだけの仕事ですから、消費者にとってその市場の「選択肢」は広がるものの、これだけ「モノがあふれる」時代になりますと、もはや「選択肢」が消費者の効用を増加させないんですね。家電芸人以外にはむしろ選択肢がありすぎることでストレスになったりするんですね。

家電だけではありません。例えばペットボトルのお茶市場。
最初に伊藤園が「お~いお茶」を投入したときは「画期的」だったかもしれないけど、二番煎じや三番煎じは消費者の効用を得に高めもしないというわけです。

というのも、京都の老舗のお茶だろうがオーストラリア産の茶葉だろうが、おおかたの消費者は「違いがわからない」からです。「お茶はお茶」なんです。

バブル時代はこの「違い」(=能書き)が価値になったのですが、「実際のところ、自分は「モノの違い」なんて全くわからない」という厳然たる事実に消費者たちは不況ともに開眼し、100円ショップやファストファッションが隆盛を極めるようになるわけです。

マーケターというのはいわば100円の品にいかに500円の付加価値をつけるか、について日々頭を悩ませているわけですね。

そういえば、NASAが開発したとかいう、ラ・メールのクリーム(日本ではドゥ・ラ・メールですね。エスティーローダーグループのブランドです)はデパートでン万円しますが、ニベア(数百円)に材料が酷似していると言われていました。

その差額は「化粧品とは夢を買うもの」とかいう言葉で説明されるのかもしれませんが(詐欺師も似たようなことを言っています)、化粧品(と医薬部外品)は薬事法により、薬のように「効果・効能」を期待できる商品を製造・販売することはできないわけですから、どんな化粧品も「目をみはるような効果」は得られないのです。
(だから口コミなんつーものが盛んになるわけですね。どれもこれも、決め手に欠けるからです)

ま、こういうありとあらゆる「どーでもいいもの」をつくり、「どーでもいいもの」を売るなんて、まさに「不要不急」じゃないかと思うのですが、マーケターはローンチのお尻が決まっているものだから、必死の形相で、無理なスケジュールでレポートをあげるようにリサーチャーに圧力をかけたりするわけです。

別に、一ヶ月後にローンチしようが、一年後にローンチしょうが、いっそのことローンチしなかったとしても、全く問題ないような商品(まさに「不要不急」の商品)のことをあそこまで真剣に考えられるとはねぇ。

ま、人間の行動原理からすれば、働く動機なんて、収入を最大化しようとする+「すごーい!」と言われたいの二点だけでしょう。

そんなもののために残業する気は全くないですけどね、といいつつ、私も正社員時代は空気を読んで残業していたわけで、働くとは、ただただ虚しいのでありました。

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06月27日(水)

起床時刻:11時30分

「地頭がいい(悪い)」という言い方が流行っていたことがあるけれど、私は頭も地頭も悪い全方位型バカなんですが、主婦やってて困るのは地頭が悪いほうの頭の悪さです。

昨日、NHKの「あさいち」で靴のお手入れ特集をやっていたのを見て「私もやろーっと」と思ったのですが、昨日は仕事。
本日、昨日テレビで見た手順を真似してみることに。
(汚れをブラシで落としたら、おしぼりより緩いくらいのしぼりかげんの捨て布で靴を拭くんです。結構ビショビショになります。その後、ほんのちょっぴり靴クリームをつけて、のばしたら、乾拭きして、新聞紙をつめて形を整えて乾かす、だったはず)。

で、靴を磨く段になって、いつもスティックのりタイプの靴クリームではなく、もらいものの靴磨きセットに入っていた靴クリーム(KIWIの缶入り靴クリーム)を使おう!とひらめいて持ってきたんだけど、缶の開け方がわからない。
普通に蓋をまわしても開かない。
トンボ(リボン型の留め金)が蓋の横についていて、これをなんかに使うんだろう?とはさすがに頭の悪い私でも思ったんだけど、それをくるくるまわして、外してしまったのです。
ニッチもサッチもいかなくなって、グーグル先生に聞いてみたら、トンボをまわして、蓋を押し上げるんですって(私は器用にも蓋を押し上げずにトンボだけ外してしまったのですね)。

しかし蓋を押上ようにもトンボはついていないし、いくら蓋を回してもあかないし、このまんま捨てるのもシャクなので、鋭利なはさみを蓋につきたてて、蓋を切り開いて中のクリームを取り出して使ってみたw ただ、切り口が危険なので、厳重にくるんで不燃物の日に捨てることにしたけど。

気のきいた小学生なら、「こうすればいいんじゃない?」とひらめくことが、絶対にひらめかない。頭が固いのだ。
そして明後日の方向の「解決策」を考えつき、事態をこじらせる。
そう、こういうのを地頭が悪いというのである。

地頭がいい人は地頭の悪い人を見て「信じられないバカがいる!」と驚くが(我が夫のように)、地頭の悪い人の人生は貧乏な人と同様、ハードモードなんであるから同情してくれたっていいようなものを、一片の同情も得られず、それどころか「このバカが」と非難されるのである。

それにしても、こんなに厳重に靴クリームごときの蓋をしめる理由があるのだろうか。。。

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06月26日(火)

起床時刻:08時00分

疲れがとれない。
育児も介護もなく、仕事は週二のパート、家事は適当なのに、疲れがとれない。
常にだるいし、眠い。
パートに遅刻してしまう。
仕事中も集中力が続かず、気分転換と称してネットをみてしまう。
なぜだろうか。

「たるんどるからじゃ!」と大方の人は診断すると思うけど、まだ見つかっていない何かの病気だと思うんだよねぇ。

ただの注意力散漫の落ち着きのない子が「注意欠陥多動性障害」と「診断」されるようになったがごとく、私もただの注意力散漫の疲れやすい人ではなく、何かの「障害」と「診断」される日がくるんじゃないかって思うんだよね。

というふうに、とても疲れていたので、夕飯は手抜き!かつ栄養になりそうなやつ!
というわけで、パート帰りに鰻の蒲焼を買ってきた。

夫は既に帰宅しており(奴はパートより遅く出勤し、パートより早く帰ってくるのである)、ゲーム中。
なめこと豆腐の味噌汁、叩ききゅうりのピリ辛和物、切っただけのトマト(本当は切干大根の煮物あたりもつけたいところだが時間なし)を出したら、「味噌汁とかいらないから、さっさと夕飯出してくれない?」と不満顔であった。

さすがに「うな丼」だけ、というのはどうかと思うのだが、まぁ所詮は主婦の無駄な「私手抜きしていません!」アピールでしかなく、食べる側のことを考えてやっているわけでもないのだ。
「栄養バランス」のため?
もちろん、私は「栄養バランス」教信者なので、『リアル・スティール』という映画で、一番気になったのは、ダメ人間の父親が育ち盛りの息子に夕食としてハンバーガーだけ、ブリトーだけ買い与えるシーンだ。

これでは栄養バランス的に問題あるんじゃないのか?と私は気になったんだけど、栄養バランス教の私より、映画の父子ははるかに心身ともに元気そうなのだ。

まぁこれはフィクションだからであって、実際はこんな食生活だとブヨブヨの見苦しいデブになってしまうのだろう。

そういや、ハリウッド映画から、健康に有害であるタバコは駆逐されて久しいが、同じく健康に有害である偏った食生活はまだ駆逐されていないようである。
「偏った食生活は、あなたにとって生活習慣病の原因の一つとなります。疫学的な推計によると、生活習慣病者は糖尿病の危険性が非生活習慣病者に比べて約1.64倍高くなります」というふうに、ハンバーガーの包み紙に書かれていないのは、タバコ差別である!と喫煙者なら言うかもしれない(言わないかw)。

私はタバコも吸わないし、偏った食生活でもないのに、なぜこんなに疲れやすいのだろうか。万病の元、ストレスか?でも、ストレスもゲーム関連のストレスしかないんだけど。平日でも5,6時間くらい、嫌いなゲームに拘束されたりするしなぁ。しかしまぁ、普通の人は12時間くらい嫌いな仕事に拘束されたりするわけで。いやあ、想像するだけでも疲れてくるねぇ。

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06月25日(月)

起床時刻:09時00分

06月24日

起床時刻:12時00分

『石田波郷全句集』をパラパラとめくっていたら
「梅雨ならむ妻子飲食こころせよ」
なんてのがあったwww

おいwww
これは、家族へのメッセージとして冷蔵庫にはっつけておくものであって、俳句ではなかろうwww

と言うと、子規の
「毎年よ彼岸の入りに寒いのは」
とかいう「ご母堂のつぶやきが偉大なる俳句になった例」を出されそうだけど、これもただの「あるある」だよね。

思うんだけどさー、俳句って色々パターンがあるけれど、「あるある俳句」っていう分野があるよね。
俳句には他にも
・「ドヤ顔俳句」(作者の「どや?」顔が浮かびそうな、あざとい意匠がみえみえの俳句。「どうです、この取り合わせの妙は?」などという作者の鼻息が聞こえてきそうな句。あえて例はあげないが色々思い浮かぶでしょうw)
・「女の情念俳句」(別名、「美人流情念派」。
「雪はげし抱かれて息のつまりしこと」(橋本多佳子)とか
「ゆるやかに着てひとと逢ふ蛍の夜」(桂信子)とか
「蛍火や女の道を踏み外し」(鈴木真砂女)とか
「作者はさぞかし色気のある美人なんでしょうなぁ」と爺どもに思わせる、「魔性の女」風俳句である)
とかいう分野もあるわけですがねw。

芭蕉の「さまざまなこと思い出す桜かな」ってのも「あるある」です。

虚子の「数の子に老いの歯茎を鳴らしけり」ってのも、「老いの歯茎」が「老いの入れ歯」の「俳句的表現」と捉えるならば、老人が合わない入れ歯で頑張って数の子を食べているの図という感じで「あるある」な光景でありましょう。

ということはですよ、芸人の「あるあるネタ」はほぼ俳句、ともいえるわけです。あるあるネタに季語をぶっこんでやれば、俳句の一丁できあがり。

ヒロシの「ヒロシです。イカを飲み込むタイミングがわからんとです!」や「ヒロシです。携帯電話が鳴らんとです!」は

「烏賊食ひて飲み込む時を迷ひけり」(烏賊は夏の季語)
「携帯の鳴らぬ日続く菜種梅雨」とかね。

昔、ふかわりょうがエアロビ講師みたいな格好して(白いバンダナ巻いてw)腰に手をあて「相手にダメージを与える一言ネタ」っていうのをやってたんだけど、その中に「お前えんち天井低くない?」とか「お前んちのカルピス、薄いな」とかあったんだけど、それも俳句になる。

「月天心天井低き貧(ひん)の家」
「カルピスの薄さ悲しき夏の果」

とか。

レギュラーの「あるある探検隊」ネタは一番簡単そうで結構難しい。
「あるある探検隊!あるある探検隊!ババアのハートに火をつける!」ってのも、確かにババアのハートに火はつきやすいもんだが、たとえば「鵙鳴くやババアのハートに火をつける」じゃなぁ、「ババア」ってどうなのよ?というのがある。
石原都知事なら「ババアはババアなんだからババアでいいじゃないか」って言いそうだが、ババア(俳句愛好家の主たる層)にしてみればよくないんですよw
ババアを同じ三語の年増に替えても、まだ俳句っぽくないので、「鵙鳴くや騙しやすいは大年増」(ババアのハートに火をつける目的は大方金を巻き上げることだろうとふんで)としてみよう。なんか川柳だね。
古川柳で「お袋は もったいないが 騙しよい」ってのがあるけれど(まさに「あるある」)、この江戸川柳のほうが↑よりはるかにいいね。

「あるある探検隊!あるある探検隊!くしゃみと同時に屁をこいた!」は「春日永 くさめと同時に屁をこけり」でいいんじゃないでしょうか。

ま、ヒロシやふかわりょうのネタのほうが哀愁が漂っていて、俳句にしたとき情緒があるような気がするのは、単に私の根が暗いからかもしれませんけどね。

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06月23日

起床時刻:10時00分

私は最近ウソをつくことを覚えた。
とさっそくここで書いてしまうように、私は基本的にウソをつけない人間であります。

バカ正直に生きてきたわかったことは、「正直者はバカを見る」ということですね。

これは先人が既に発見していた定理ではあるけれども、厳密にいえば、ちょっと違うかな。
「正直者はバカを見る。
不正直者はバレない限り、得をする。
ただし不正直がバレた場合の損失は、正直であったときの損失よりはるかに大きい」
これが「正直―不正直の法則」です。あるいは「次課長河本の法則」と言ってもいいかもしれないですけどw。

つまり、ウソっつーのは、高リスク高リターンなんですね。
もちろん、バレにくくなると、リスクが下がるので、だれもがウソをつきやすくなる。

「私はウソをつきまっしぇん!」と言う人もいるが、それはリスク回避型性格なんですね。
あるいは「私はウソをつかない」という自尊心が、ウソをつくことによる利得を上回ることが多い人はウソをつかないですね。
ウソをつかないことがレゾンデートルになっている人ですね。例えば私です。
何しろわたくし、特段、取り柄がないもんで、長所を聞かれたら「正直で真面目」と答えるわけですが、そう答えるためにも正直であり続けなければならなかったわけです。

しかし、まぁ、正直であることができたのは、周りのお陰なんですね。ということに最近気がつきました。
周りがワシントンのお父さんみたいなときは、「桜の木は僕が切りました」と告白することが一番合理的な行動なんですが、普通の親に、正直に告白しても「なんだって!!このバカタレが!!」と激怒されるだけ。
そして、「僕、知らないよ」なんてヘーゼンとウソをつく共犯の弟なんかは、怒られずにすむ。

正直者はバカを見るのだあああああ!!!!

でも、ウソをつくのが下手な人間は(不器用なんすよ、単に)、「正直の頭に神宿る」と自らを慰めるのです。
そういうリターンがなくちゃやってらんねぇっす!!!!

さて、私の場合、親がワシントンの親のようだったので、すくすくと馬鹿正直に育ってきたけれども、夫は普通の人なんですね。
従って、過ちを正直に告白すると「このバカタレが!」とどやされるわけですよ。

最近ついたウソは「トレハン(トレジャーハンター)ランク」のウソです。

FF11の話なんすけどねw
私、最近シーフで出勤することが多いんですけど、昔と違って今はトレハンランクというのがあるんですね。
シーフでポカスカ殴っていると、たまにトレジャーハンター効果(アイテムのドロップ確率アップ)が追加効果で発生する。

トレハンランクはレベル90だとデフォで4なんですけど、トレハン装備にすると、それに加えて4あがる。
(盗賊のナイフ(トレハン+1)、ASアムレット+2(トレハン+2)、RDプーレーヌ+2(トレハン+1))
更にアビセアの場合、「戦慄の人工アートマ」をつけると、プラス1あがる。

だから、私は一回トレハンの追加効果が発生すれば(不意打ちやだまし打ちと併用するとあがりやすい)、アビセアだとトレハンランク9になるんです。
(HPの多い敵だとトレハンランク11まではよく見るんですが、その先は見たことないw)

私、一度(ならず二度くらい)、うっかり、トレハン装備を外したまま、殴ってしまったことがあるんです。
(シーフの足ね。有色ジェイドの沸かしあいのとき、ついつい移動速度アップのストライダーブーツのまま殴ってしまったのだあああ)

そしたら、最初にデフォで9あがるとこが、8しかあがらない。
トレハンランクがあがるときって、エフェクトと音(SE)がするんです。
だから、トレハンがあがったなっていうのが旦那にもわかる。
それで「今トレハン9?」と聞かれたとき、本当は8なのに、「うん、9」とウソをついちゃったんだよねw
その結果、無色の塊が1個しか出なかった(最大2個)。
(ここで声を大にして言っておきますが、トレハンランク11でもドロップ1個とか普通にありますからね!!!)

もしここで正直に「いや、8」と言ったらどうであろう?
夫激怒。私消沈。だーれもハッピーにならない。
ここで「9」とウソをつけば、夫怒らない、私も怒られない、まさにwin-win関係ではないか!!!

ま、これまた、ばれたら大変な目にあいますので、ウソをつかなくていいのならばそれが一番いいんですけどねw
しかしバレなきゃウソをついたほうが人間関係って円滑にいくんですねぇ。
というのを最近、しみじみわかってきたw遅いw

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06月22日(金)

起床時刻:11時00分

良人帰宅すればネトゲ開く
ゲーム、ゲーム又ゲーム
我は疲れて眠らんと欲す、君一人でやれ
明朝意あらばトリガー抱いて来たれ

トリガーはNMを沸かすトリガーね。
NMの落とすアイテムを何十個か集めて、武器を強化するわけですよ。

酒に付き合うのもイヤだが、ゲームに付き合うのもイヤだ。
酒だと「さすが李白」になるが、ゲームだと詩情がとんでいく。
もっとも実際のところは、酒はゲーム以上に深刻な健康被害と対人関係の悪化をもたらす可能性のあるものなんだけどねw

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06月21日(木)

起床時刻:08時00分

将にオハンつくらんとして壁に題す

男児志を立てて旧LSを出ず
オハンもし成る無くんばまた還らず
骨を埋むる何ぞ期せん"まったりLS"
アビセア(特にウルガランw)到る処ライバル有り

FF11やってる人以外には何のこっちゃですがね。
いやー、なんでこんなにみんなオハンを持ってるの?
っていう問いをもう、何十回もしていると思うんですけどね。

でも昔に比べたら、変色&有色ジェイドの取り合いも減って、こっちのレベルも上がり、とっても、とっても、簡単に作れるようになったわけですけどね。ほんとすごいよなぁ。

これまた何十回も言ってるけど、「ダメ人間 ゲームの中でも ダメ人間」なんだよなぁ(ソースは自分)。

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06月20日(水)

起床時刻:11時45分

高見順『三十五歳の詩人』(中公文庫 昭和52年)を読む。わかりやすく、共感できる詩が多い。

「彼

彼は年柄年中洟をかんでいる。
彼は鼻が悪いからだ。
彼は年柄年中何か書いている。
彼は心が病気だからだ」

とかねw
私も心が病気だから年がら年中何か書いているんだろうw

続き。

「病気だから彼は大きな声で怒鳴らない。
人の邪魔はしない、
人の生活に文句はつけない、
自分が苦しんでいるから人を苦しめない

彼は鼻が悪いから、
くだらないことを嗅ぎ出したりはしない。

彼は年中洟をかみながら、
何かしらコツコツと書いている」
(昭和16年11月8日及び9日)

私は生まれてこのかた体のほうは健康で、入院などしたことがないからよくわかんないけど、こんな聖人みたいな病人はあんまり見たことない気もするw 

高見順は食道ガンで亡くなった。

「魂よ

魂よ
この際だからほんとのことを言うが
おまえより食道のほうが私にとってはずっと貴重だったのだ
食道が失われた今それがはっきり分った
今だったらどっちかを選べと言われたら
おまえ 魂を売り渡していたろう
第一 魂のほうがこの世間では高く売れる
食道はこっちから金をつけて人でに渡した」

いやいや、魂は高く売れませんから。
人間の持つモノの中で一番無価値なもの、それが魂でしょう。
健康な角膜、腎臓、心臓、肝臓なら欲しい人はいるでしょうけれど。

もっとも、ダライラマ猊下のような魂ならば、中国政府が億単位の金で買ってくれるかもしれませんがね。

続き。

「魂よ
生は爆発する火山の溶岩のごとくであれ
おまえはかねて私にそう言っていた
感動した私はおまえのその言葉にしたがった
おまえの言葉を今でも私は間違いだとは思わないが
あるときほんとの溶岩の噴出にぶつかったら
おまえはすでに冷たく凝固した溶岩の
安全なすきまにその身を隠して
私がいくら呼んでも出てこなかった
私はひどい火傷を負った
おまえは私を助けに来てはくれなかった
幾度かそうした眼に私は会ったものだ
魂よ
わが食道はおまえのように私を苦しめはしなかった
私の言うことに黙ってしたがってきた
おまえのようなやり方で私をあざむきはしなかった
卑怯とも違うがおまえは言うこととすることが違うのだ
それを指摘するとおまえは肉体と違って魂は
言うことがすなわち行為なのであって
矛盾は元来ないのだとうまいことを言う
そう言うおまえは食道がガンになっても
ガンからも元来まぬかれている
魂とは全く結構な身分だ
食道は私を忠実に養ってくれたが
おまえは口さきで生命を云々するだけだった
魂よ
おまえの言葉より食道の行為のほうが私には貴重なのだ
口さきばかりの魂をひとつひっとらえて
行為だけの世界に連れて来たい
そして魂をガンにして苦しめてやりたい
そのとき口の達者な魂ははたしてなんと言うだろう」

彼の経歴を思うに、なんとも切ない詩ではある。

しかし私も含めて大方の人間は、
「生は爆発する火山の溶岩のごとくであれ」
という魂の言葉を聞いたことすらない。

魂などというものは「冷たく凝固した溶岩の安全なすきま」にその身を一生を隠したままだ。
だから魂などというものに振り回されて火傷をすることもない。
有難いことだ。
「梅雨空や凡庸ゆえに安らけく」
凡庸であること、自らが凡庸であることを許容することもまた、気持ちが安らかであることの大事な条件かもしれない、なんて思ったり。

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06月19日(火)

起床時刻:08時00分

台風でズブ濡れになった><。
**************
『ゲーム理論で不幸な未来が変わる!!―21世紀のノストラダムスがついに明かした破綻脱出プログラム』(原題はThe Predictioneer's Game。ブルース・ブエノ・デ メスキータ/徳間書店 (2010/05))を読む(それにしてもすごい邦題w)。

Predictioneerの仕事はまず、未来予測。そしてクライアントに望ましい結果になるような選択肢を助言することです。
著者は、機密解除されたCIA文書によると未来予測的中率90%なんだそうな。

ではどうやって未来予測をするのか?
第四章では「北朝鮮の核問題」をとりあげています。
必要なことは
①プライヤーの選出(米・中・ロシア・韓・北朝鮮)。
②各プレイヤーが本音ベースで望む結果(ポリシー、ポジション)。
③各プレイヤーにとって、当該問題がどれだけ重要であるか。
④各プレイヤーがそれぞれのプレイヤーに対して持つ影響力。

こんだけ。それを適当に数値化して、コンピューター・プログラムのモデルにポコポコと打ち込めば、「こんなん出ましたけど」と結果を教えてくれるそうな。

著者はいいます。
文化とか歴史とか国民性とか、そんなのも知っていれば知っているにこしたことはないけど、未来予測にとっては重要でもなんでもない、と。
というのも、各プレイヤーは人間であるかぎり、北朝鮮人であれ、アメリカ人であれ、ザイール人であれ「人は意思決定するさいに二つのことを常に欲する」のであり、そこに注視していればいいからだ。

一つは「望んでいる結果にしたい」であり、もう一つは「功績を認められたい」である。

結論として、金正日が望むことは他の国の多くの指導者と同じく、自分の地位の絶対的安泰であり、それをアメリカと中国がしっかりと確約し、さらにかなりの経済的援助をすれば(年間10億ドルほど)、「少しはいい子になる」だろう(つまり核保有能力のお蔵入り、継続的な査察受け入れなど)。しかし、決して、核保有を廃棄することはない。核保有を廃棄すれば、金銭的援助も受け取れなくなるからだ。

ま、わくわくするような結果ではないが、現実というのはイヤなものAとイヤなものBの選択なんだからしょうがないw

「人間というのはどこまでも利己的である」というのが未来予測の大前提となっている。少年漫画的な人間観では未来予測など到底できない。

「地球温暖化はどうなるか?」

著者によれば、インセンティブもなければ罰則もないのに、京都議定書みたいなルールを守る奴がいるわけないじゃん、バッカじゃないの?ということであった。
(今後、20~30年は京都議定書よりも厳しい規制基準を支持するような言辞が弄されるが、2050年に近づくにつれ、厳しい規制への支持がほとんど容赦なく弱まっていくそうな)

インセンティブというのはこれまた大事で、著者はエンロンが不正会計をしている可能性が極めて高いことを2000年にはアンダーセンに報告していたけど、無視されたそうだ(それも予測どおりなわけだけど)。
というのも、アンダーセンの退職金は在職中に稼いだ額で決まるので、自分の在職中に、みすみす高いカネをくれる顧客(エンロン)を切るようなことはしないってことらしい。
つまり、仮に不正をしていても、自分の在職中はなるべく見つからないでほしい、と神に祈るというインセンティブしか働かない。

著者はコンサルティング会社も経営していて、そこでは大手企業が訴えられたときの助言もしているんだけど、分厚い判例集も事件の経緯も何も聞かずに、クライアントにとって極めて有利な結果に持ち込んでいる。

どちらの訴えが「正しいか」「正しくないか」よりも、裁判所と裁判所の外で行われるパワー・ゲーム(プレイヤーのポジション、弁護士や検事の野心、重要度や影響力など)で勝敗が決まるってわけだ。

歴史に関する箇所はなかなか面白い。ヴォルムス協約(1122年)にはじまったゲームのツリー図(王と教皇の選択を得点化)とかね。

日本政府もコンサルをお願いしたらいいんじゃないか。クソ高いんだろうけどね。

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06月18日(月)

起床時刻:09時00分

九州の某所で購入した干し筍を一昼夜かけて戻し(途中、水を三、四度替えた)、45分程度煮たあと冷まして、色々に調理した。
短冊に切り、うすくち醤油、豆板醤、隠し味のオイスターソース(出汁の素がわり)で煮ると、あっさり味のメンマ風に。
干し筍のシャクシャクした歯ごたえがシナチクっぽいのだ。
半熟卵、青ネギ、ももハム(チャーシューがなかった)とともに醤油ラーメンにのせて昼食に出したら夫にも好評であった。

残りは油揚げと炊いて、たけのこご飯にしたり、筑前煮に入れたり。

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義理の母より「父の日」のお礼のメールがきた。
実家には、先だっても世話になったのだけれど(私は旅行代や土産代を全く出していないし)、「何もいらない」というので、送らなかった。

お酒も控えなければならないし、甘いものは元より食べないし、庭木といっても、世話が最近は大変そうだ。
母の知り合いで園芸が大好きな方がいるのだけれど、トシをとってからは、植木鉢を動かすのさえ一苦労で、夫の介護がはじまってからは、とても植木の面倒まで見ていられないと言っていたらしい。
それを聞くと、鉢植えを送るのも気が引ける。

ま、老若男女を問わず、カネが一番いいんだろうけどなw 
甘いものもお酒も洋服も植木も何もいらない、いるものは「いざという時の医療費」「いざという時の老人ホーム費」くらいなんだから、貨幣の保有動機も高まるはずだw

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寝しなに『ハンディ版入門歳時記』を読んでいたら、「酌婦来る灯取虫(ひとりむし)より汚きが」という高浜虚子らしい句があって、イヤなジジイだねと気分が悪くなった。
酌婦にしてみりゃ、「ジジイ来る灯取虫より汚きが」と言ってやりたいところだろう。

確かに火取虫より汚い場末の酌婦(あるいは火取虫より汚い老人ホームのボケ老人)は、よくいるわけだが、一片の同情もこめず、冷ややかに見下すことのできるのが虚子なんだな。
私も割と人を見下す人間だが、虚子の人を見下す度には、はるか及ばない。だから虚子はここまで成功したのかもしらんけど。

虚子にはこんなのもある。
「亀鳴くや皆愚なる村のもの」

ま、村の人間、田舎の人間なんてたいてい愚かなものかもしれないが、それを言うなら、ニッポンという大村社会においては、「亀鳴くや皆愚かなる日本人」でもいいんじゃない?
皆愚かなるが故に、池田大作とか高浜虚子とかが一家を成すことができたのだからね。ふと思ったんだけど、大作と虚子って何か似ている気がする。彼らの組織もまた然り。

「天の川のもとに天智天皇と臣虚子と」なんてのも「天の川のもとに天智天皇と大作と」に替えたとしても、違和感ゼロすぎる。

「初空や 大悪人虚子の 頭上に」も、なんだろう、この得々とした感じ。
さすがに、大作センセエは自分で自分のことを大悪人とはいわないだろうが(むしろ「大善人」といいそうだw)、この堂々とした感じ(悪人自慢っぷり)はただごとではない。
かくも得意げに「大悪人」などと言えるのは、虚子を除けば小沢一郎くらいかw

とか色々書いたけど、虚子のことも大作のことも一郎のことも、私は全然知らない。
全部私の勝手なイメージでありますので、事実と異なっているのならばマスコミ報道によるイメージ操作のせい(虚子については虚子の俳句のせい)であります。

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06月17日

起床時刻:10時45分

「親切も時と場合によらざれば ただの墓穴となるとこそ知れ」
というのが昨日の夜、風呂に入りながら思ったことである。

私に限らず、世の中には、人に親切にして喜んでくれたら、それだけで自分も嬉しくなる(そしてあわよくば、皆に好かれたい)という気持ちが強い人がいる。
しかし、親切というのは戦略的に行わなければ、墓穴を掘ることになる。

たとえば、妻の風呂掃除を手伝うという親切行為が夫の義務になった例がある。
彼が風呂掃除を忘れていると、子ども達が「お母さん、お父さんがまーた、風呂掃除さぼってるよー」とご注進する。
風呂掃除を適当にやれば、妻から「鏡がまだ汚れている」と苦情がくる。

彼が「風呂掃除を手伝うよ」などと親切心を出して言い出さなければ、彼の義務も妻の小言も子どもの見下しも発生しなかったはずである。

私はもちろん、親切心を発揮するのがいけないといっているのではない。

「望ましい結果」(人に好かれる)と「自己満足」(いいことをした)を自分にもたらすつもりで親切にしたはずが、「望ましくない結果」(新たな義務が増える)と「自己否定」(能力不足で罵倒される)を自分にもたらすことが多いという現実を直視しなければいけない、と言っているのだ。

私の例でいえば、夫のゲームを手伝う、ということがある。
昨日も夫が昼過ぎに起きてきてから、朝の4時まで、デリバリーのピザを食べつつ、ゲームをしていたのだが、これは私の親切である。
私は全くゲームなんぞしたくもないのに、夫の欲しいアイテムをとるのを手伝うため、NMをつったり、敵のWSはスタンでとめるとかそういう役割をおおせつかるわけである。
それが「下手くそ!何やってんだよ、バカ!!」「NMとられてるじゃないかよ、バカ!!」「スタン遅いんだよ、バカ!!」などと罵倒されまくって、感謝など一ミリもされないということになる。

そして「今日もゲームやるかんな、昨日みたいなミスはするなよ」と指導を受けつつの義務となってしまうわけだ。

完全に親切心がマイナスの効果しか生んでいない。
もっとも、「あたしがいなくちゃ、彼は何にもできないのよねぇ」の状況ではあるので、夫にべったりとくっつかれるのが至福の人には「望ましい結果」だろうけど。

相手をみて、時と場合にかなうときだけ、親切心を出す必要がある。

たとえば、旅先のちょっとした親切。見知らぬ人へのちょっとした親切。こういうのは、その人と二度と会うこともないから義務にはならない。
その上で、「ああ、いいことをした」という自己満足が生まれる。
しかし一方で、「人に好かれる」という望ましい結果も一時的なものに終わってしまう。だから行きずりの人への過度な親切はバカバカしい。

継続的な付き合いでの親切はプラスとマイナスを見極めなければならない。

たぶん、職場の「お茶汲み」などというのも、最初に主婦体質というか、お母さん体質のOLがはじめたんだろう。
最初の一人は喜ばれたと思う。
「おお、気がきくねぇ」なんて上司に言われただろう。
そした世の中にはそんな一言が聞きたいがために、親切にしまくる人というのがいるのだ。

「主婦とハサミは使いよう」じゃないが、日頃家族に「ありがとう」などと言われないパート主婦なんかは、ちょっと職場の人に感謝されるだけで、天にも昇る気持ちになり、時給の何倍も働いてくれたりする。
私もそうだけど、「助かるなぁ、さすが○○さん」なんて言われると、のぼせ上がっちゃうのよね、普段言われなれてないからwww

しかしですね、この世話女房OL、感謝されたがりパート主婦が退社した後に入社した人にとっては「お茶くみ」が義務になる。
同じポジションの人がそれをやってきたからだ。「皆が出社する前に机を拭く」とか、そういうのが「当たり前」になるのだ。
そして最初の一人以外は「助かるねぇ」なんて言われることはない。「やって当たり前」になる。
加点主義が減点主義にかわるのだ。

そして減点主義の人生というのはそれだけで、重苦しくつらいものだ。「できて当たり前」「やって当たり前」の義務だらけ、というのは。
「地獄への道は善意で敷き詰められている」というけれど、こんなとこにも当てはまるのだねぇ、たぶん。

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06月16日

起床時刻:09時00分

今後、日本では「子供は増え、老人は減る」んだそうだ。
『日本人はどこまで減るか 人口減少社会のパラダイム・シフト』(古田隆彦/幻冬舎/2008.5)という本によれば、「子どもが減り、老人が増える」というのは誤りだという。

「平均寿命が延びたのに比例して、子供の定義を十五歳未満から二十五歳未満へ、老人の定義を六十五歳以上から、七十五歳以上へ、それぞれ変えていけば、二〇三〇年ころまで、「子どもは増え、老人は減るのです」。

そう、子どもと老人の定義を変えれば見方は変わるのです!
そもそも、今よりも平均寿命が短かった四十数年前の子どもと老人の定義をそのまま変えていないのがおかしいんです!
と著者は言う。

ひっかけ問題かい(笑)。
この定義を変える手法をつかえば、「地球は温暖化していないんです」とも言えるわな。
「完新世の気候最温暖期」(およそ7,000年前から5,000年前の間の完新世で最も温暖であった時期)、気候は現在より湿潤で年平均で1~2℃気温が高かった(wikiより)。ここ数百年スパンで見ると気温が上昇しているが、今から七千年前と比べれば、むしろ現代はまだ寒いと言えるのである。

とかね。色々便利に使える。

まぁ地球の温暖化(あるいは非温暖化)については「フーン」と聞き流すジジババも、「あなたは老人ではありません、新中年(六十五~七十四歳は「新中年」あるいは「超中年」と定義される)です!働きなさい!」と言われたら、上へ下への大騒ぎだろう。
ジジババじゃない働き盛りでも、既にヨレヨレ、ボロボロ、クタクタな人々が多いんだから、「私たち一人ひとりがその年齢まで、一人前の現役として何らかの生産活動に関わることが必要です。体力と気力と健康を維持し、社会から求められる能力を絶えず更新していかなくてはなりません」(P35)とか言われても、荷が重すぎるだろう。

だいたいさ、四十で既に「社会から求められる能力を絶えず更新していない」としてリストラされる人だっているわけで。
四十で切られたら、もう「次はない」のに、新中年の椅子ってどこにあるんだ?
介護福祉士なんかはいつでも人手不足だけれど、「適材適所」ということを考えると、老人は肉体労働にはむいていない。
腰が痛いわ、膝が痛いわ、モタモタしてるわ、忘れっぽいわ、間違えるわ、すぐ疲れて座りたがるわ、使えないんだわ。

で、老人じゃなかった新中年は何に向いているか、何をしているときに一番イキイキしているかっていうと、若者を批判したり、国を憂えたりするとき、あと(求められてもいないのに)自分の意見を述べるときだね。
口だけは達者だから、「まったく、なっとらん!」「この国はどうなってしまうのか!」と気焔をあげるのは得意なんだよね。
(あ、なんか私ってすでに新中年だな、色々と)

それはともかく、この本に書いてある「人口容量」の考え方はそんな気が私もしていた(出た、後だしジャンケン)。

例えば六畳一間に親子3人で暮らしているときにもう一人つくろうっていう発想はないだろう。今でも一人二畳のスペースしかないのだ。これが自然環境のキャパシティーの上限というわけだ。
もっとも永平寺のように一人一畳の割当が「当然」であれば、あと3人産める余地がある。すなわち、自然環境における生息数の上限は一人あたりの生息水準に依存する(自然環境(N)÷一人当たりの生息水準(L))。

しかし、文明が発達し、二階をつくる技術により、六畳一間がもう一部屋増えたらどうであろうか。倍のスペースを確保できたことによって、もう一人、二人産んでもいい、と思うだろう。

つまり、人口容量(V)=N(自然環境)÷L(生息水準)×C(文明)で表すことができるというわけだ。

我々は畳のスペースだけで生きているわけではないが、畳を所得水準と考えれば、過去に比べて所得が落ち込んだとき(or落ち込む期待が大のとき)、(意識的であれ無意識的であれ)少子化するっていうのはあると思う。

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06月15日(金)

起床時刻:08時45分

昨日はバージョンアップ(FF11)。
毎日、毎日、よくもまぁ、うちの夫はネトゲ飽きないよなぁ。
もう10年やってるんだからね。

**************
芥川は間違ってたね。
大方の日本人にとって、「人生は一行のボオドレエルにもしかない」のではなく、「人生は一個のパチンコ玉にもしかない」んですよw

パチンコに人生をかけ、パチンコに全ての情熱を注ぎ、パチンコで人生を破綻させた人はいくらでもいる。一方で、ボオドレエルにパチンコほどにのめり込んだ人はまぁ、無視できるくらい少ないでしょw

「一行のボオドレエルは一個のパチンコ玉にもしかない」

人の感性なんてそんなものですよ。
ゲーミフィケーションなんていうのが流行るのも、いくつかのポイントを押さえてやれば、簡単に人を熱中させることができるからなんですよね。

ボードレールに熱中する人を生み出すのは難しいけれど、ソーシャル・ゲームに熱中する人を生み出すのは簡単。なぜなら、ソーシャル・ゲームのほうが、私たちの面白いと感じる感性のツボを押さえているから。

ボードレールも五行覚えたら、一レベルあがるみたいな仕組みにして、そのレベルを人と競い合うとか、対戦して勝てば、バーチャルマネーやお宝アイテムを相手から奪えるような仕組みがあったりしたら、きっともっと受けるだろうよw

学校の勉強もゲームの要素を入れれば子供が熱中することもあるだろう。テストの成績がいい子(クイズ王タイプの)ってテストにゲームの要素を見つけている子が多いのかもしれない。

ただ、勉強は、パチンコのようなゲームと違って、プレイヤーの資質が即座にゲームに反映されてしまう。理解が早く、暗記も得意な子供がいる一方で、理解が遅く暗記の苦手な子供がいる。イージーモードとハードモードが勝手に与えられる、不平等な世界なのだ。

となると、当然、ハンデのある子供は勉強をゲームとして楽しめない→もっと平等に楽しめるパチンコやネトゲに熱中する、ということはあるだろうね。

ま、たいていの人の人生は、パチンコやネトゲほどすら、面白くないもんな。
生きる価値も、生きる目的も、生きる意味も、全くない。
パチンコ玉のように、ただくるくるとまわって、最後は死という虚無の穴へと入っていく人生。ま、子供という次のパチンコ玉をつくる人もいるけれどもね。

パチンコ玉人生をおくるパチンコ玉ども(私もそう)は精神と認識をマヒさせて生きていこうとする。現実逃避というやつだw
私も基本的には依存症タイプだから、気をつけよう。

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バジルの花がかわいいと喜んでいたら、花を咲かせちゃいけないんだってさw 葉がかたくなるらしい。蕾のついた穂先は素早くむしり取らなくちゃいけないそうな。
昨日はトマト・モッツァレラチーズ・バジル(みじん切り)をあえたサラダに使ったけれど、夫にトマトがかたいと言われてしまった。「味の濃いトマト」(茨城県産)、二個で400円くらいするやつなんですけどー。

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06月14日(木)

起床時刻:08時45分

梅雨の晴れ間の洗濯日和。
寝室のレースのカーテンを洗って、カーテンレールを拭く。

実家の庭から摘んできたバジル、長旅でくたっとしていたけれど、水切りをしてコップに活けておいたら、ぐんぐん元気になった。まぁ、ハーブは雑草みたいなもんだから生命力があるんだろうw
今見たら白い小さな花を4つもつけている。昨夜は一つしか咲いてなかったのに。

お昼はもずく雑炊、昨日の残りの高野豆腐(にんじん、しめじ)の煮たのときゅうりのピリ辛和え。

「もずく雑炊」とかいう、得体のしれないものがさらっと入ってしまうのが私のメニューだなぁ。美味しいんですけどね、人には出せないw

『万太郎の一句』をパラパラとめくっていたら、「わが家にあれば」との前書のある句、「うとましや 声高妻(こわだかづま)も梅雨寒も」(昭和28年「春燈」所収)というのがあった。

全く、奥さんにしてみたら、「うとましや ネチネチ夫も 梅雨寒も」と言いたいところだろう。

いや、万太郎の奥さんのことは何も知らないから、私の勝手な想像なんだけどね。
もっとも私は、面と向かって夫に文句を言うような、直球勝負の「声高妻」タイプではなく、むしろコソコソとブログに夫の悪口を書く「面従腹背妻」タイプである。と威張って言うことでもないけどw。

「何ごともひとりに如かず冷奴」(昭和25年「春燈」所収)
そう言えるのも健康で、お金があり、ボケてないうちだけかもしれない。
「私の人生の主人公は私自身」などと思い上がれるうちが、幸せなのだ。そのうち、人生を運転しようにも、ボケてきて、運転できなくなる。人の助けがなければ、車にすら乗れなくなるのだから。

「ひとりとは贅の極みか冷奴」

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06月13日(水)

起床時刻:06時29分

東京に戻る。
実家に帰っているときは早寝早起き(比較的)だったけれど、夫と一緒になればまた、早く寝ることは不可能。毎日、ゲームをやらないといけないから、寝るのはAM3:00とかになってしまう。

「そんなゲームばっかりして何か役に立つとや?」と父が聞くので、「私の存在自体、何の役にも立っとらん。役に立つものだけが価値があるのなら、私自身が、何の存在価値もない。実際、何の存在価値もないんやけどね」と言ったら黙ってたw

有用性で価値が決まるなら、私など確実に無価値の極み。
じゃあ死ねば?と言われても死にたくはないw
「命長ければ辱多し。長くとも、四十に足らぬほどにて死なんこそ、めやすかるべけれ」と吉田兼好は徒然草で言っているが、恥をさらそうが見苦しかろうが、生に執着するのが凡人というものw

生とは思えばカネのようなものかもしれない。
カネも生も何か目的実現のための手段と思われているが、それ自体に価値があるから、執着するのだ。カネの価値とは何か。
可能性の広がりだ。いつでも必要なときに、本となり薬となり食べ物と替えられる可能性の広がりだ。生の価値もまた、可能性の広がりだ(と思われている)。言い換えれば希望。

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06月12日(火)

起床時刻:07時30分

アウトレットに妹、母の三人で行く。二枚ほどトップスを購入。
そのあと結局イオンモールでスカートを購入w
しかしまぁ、田舎のイオンモールってのは万能であるなw
このイオンの近くにある「ゆめタウン」(イオンより前に建てられた)でも十分、万能に思えたんだが、親曰く「ショッピングモールもどんどん進化しよる」ということらしい。

おすすめの焼肉屋・ラーメン屋・イタリアンレストランが全部定休日だったので、回転寿司でランチw 回転寿司とか普段全く行かないけど(そもそも寿司屋に行かない)、安いねw

色々便利にはなっているようだけど、田舎は車がないと生活できないから、田舎には住みたくないね、やっぱり。

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06月11日(月)

起床時刻:07時00分

日田往還の一部「石坂石畳道」へ(天領時代に日田と中津を結んでいた、かつての幹線。ほぼ完全な江戸期の遺構としても貴重らしい)。

これがどこだかわかんねー!!

めちゃくちゃ細い山道(県道)を行けども行けども、看板とか全然ないのね(なんか違う入口から入ったっぽい)。伏木公園より手前のはずが、伏木公園まで行ってしまう。
しょうがないので引き返したら、見つかった。
日田市文化財調査委員会(ライオンズクラブ贈)の「石坂」の由来書きの看板と、その先にはまさに写真で見たあの苔むした石畳道が!
私の中では熊野古道より熊野古道な感じの道だった(特に用はないので、写真を撮っただけですぐに車に戻る)。石畳道のそばの林道に車を少しとめさせてもらったのだが、虫(ブヨ?)がいっぱい車にたかって、恐ろしかった。

その後、小鹿田焼を見て、小石原焼を見て(「道の駅 陶の里館」が便利だった)茶碗を買う。昼食に蕎麦を食べ帰宅。

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06月10日

起床時刻:07時00分

大分は臼杵の磨崖仏を見学。平成七年に国宝になったそう。

その後、二王座へ。旧真光寺の前は上級の武家屋敷や多くの寺が集まっており、時代劇のセットのよう。近くの商店街も、昔の商家の面影を残している。まぁ、日本各地に残るこの手の町並み同様、美しいのはほんの一区画だけれど。

その後、川沿いの温泉宿へ。五室しかない小さな宿。頑張ってリフォームした感じ。
風呂は七湯ある(うち、混浴露天と足湯が含まれているので、実質、5つと言っていいと思う)。
自家源泉のかけながし。ぬるめの湯加減で露天からは清流がのぞめる。やわらかい湯で、湯上りはすべすべする。
食事は個室で。だいたい九州は味付けが甘くてくどいことが多いのだけれど、そんなこともなく。脂っこいのが苦手な私としては、てんぷらがないのもよかった。
ここあたりの温泉街では他に有名なところがあるのだが、親に言わせれば料理だって負けていないとのことであった(私は行ったことない)。

川沿いの部屋だと、カジカ(カエル)の鳴き声が聴こえる。
コロロロロロロというような、高音のきれいな声。
カジカ自体は見たことないのだけれど。

夜は蛍を見に「蛍ツアー」なるものに参加。
蛍は曇りの日によく出るそうで、ちゃんと見ることができた。
蛍というのは、虫の中でも愛され度ナンバーワンではなかろうか。
かく言う私も虫は大嫌いだけれど、蛍は好き。

蛍がふうわりと近寄ってきたので、私も思わず歓声をあげたが、これがゴキブリなら、悲鳴ものである。一も二もなく、抹殺だ。
「次の世は蛍に生まれよ、油虫」

慈恩の滝を見て宿屋へ戻る。

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06月09日

起床時刻:07時00分

墓参。昼食は鮎定食。
「晝飯に鮎三匹の長者ぶり」は丸谷才一氏の『七十句』に所収の句だが、鮎が、塩焼き・味噌焼き・背ごし・鮎鮨と4匹くらい入っていたような。
「晝飯に鮎四匹の大長者」といったところだが、これで廉価なのが九州ならでは、といったところであろうか。

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06月08日(金)

起床時刻:08時00分

帰省。

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06月06日(水)

起床時刻:09時00分

風呂場のお掃除。椅子まで持ち込んで、天井や換気扇もピカピカにした。
あと窓ガラスとサッシもふいたし、エアコンのフィルターの掃除もした。

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06月05日(火)

起床時刻:08時00分

06月04日(月)

起床時刻:09時30分

06月03日

起床時刻:11時30分

06月02日

起床時刻:09時30分

『トイレの話をしよう』の続き。

実はこの本、第一章は日本のウォシュレットの話で「おしりだって洗ってほしい ロボトイレット革命」というタイトルがつけられている。

「ほんの六十年前まで、日本は掘り込み便所の国だった。人々はしゃがんで用を足していた。<略>ところが現在では、日本で製造される和式トイレは全体のほんの三%である。日本人は腰かけて用を足し、水で洗い流し、便座は温かくて当然だと思うようになった。つまり、日本のトイレ産業は路の左側を馬車で走っていた国民を説得して右側を走らせ、ついでに馬車からフェラーリに乗り換えさせるのと同じくらいの改革を、一世紀もかけずに成し遂げたのだ。
わたしが興味をひかれたのは次の二つの点だ。革命が成し遂げられたことと、その革命が驚くほど世界に広がらなかったことである」(P35)

理由はなんだと思います?
著者はTOTOのウォシュレットが日本で広まり、INAXのシャワートイレがシェアに差をつけられた理由としては
①TOTOはホテルやデパートなどあらゆる公共施設にウォシュレットを設置し、人々がそれを試し、また使いたいと思うように仕向けた
②戸川純の「お尻だって洗ってほしい」というCMがよかった(消費者の侘び寂びの心にうまく訴えかけた)。一方、INAXはゴリラのCMだった
という説明をしている。

日本以外の国で驚くほど受け入れられない理由は「TOTOは日本で成功するまでに十五年かかった。時間が必要」なのだという見方と、「アメリカ人はただ使いたくないだけなのです」というINAX従業員の見方が紹介される。

私の見方はこうだ。

日本で洋式トイレが和式トイレをほぼ完全に駆逐し、さらには高機能トイレ(ロボトイレット)が抵抗なく広まった理由は、日本人は痔疾を患う人が多いからじゃなかろうか。
日本人の実に三分の一が痔である。あの芭蕉も、あの漱石も痔であった。

和式トイレは肛門に負担がかかるので痔にはよくないと言われる(でもさっきググったら、洋式のほうがよくないっていう調査結果もあった。まぁでも、一般的な意見ではないだろう)。
更に痔を予防するには清潔にするほうがいい(石鹸で洗うのは逆効果らしいが)。
しかし排便後、紙でゴシゴシ拭いても衛生的には何の意味もない。優しく水で洗い流すのがいい。

その結果、和式が減り、洋式が増え、更にはウォシュレットやシャワートイレがここまで広まった、ということも一つ、要因としてあるのではないか。

痔のつらさっていうのはハンパない。

私の愛読書『俳句と遊ぶ法』(江國滋/朝日文庫/1987)に江國滋(江國香織のお父さんである)が痔を患う話が出てくる。

滋さんが俳句が全然うまくならないと嘆いた後、「いっそのこと病気にでもなって、入院でもして、手術の一つでも受けたら、あッとおどろく病床名句があとからあとから雲のごとくわいてくるかもしれない。子規を見よ、三鬼を見よ、波郷を見よ。すぐれた俳人のすぐれた俳句はみんな病床から生まれているではないか」(P139)とかフザケタことを考えていたら、本当に痔の手術を受けて入院することとあいなったそうな。

結局、痔で入院中の間は一句も作れなかったそうだけど。
滋さんによれば痔の手術というのは
「あれこそは手術の中の手術、激痛の中の激痛、七転八倒しながら畳をかきむしるような地獄の責め苦の中で、俳句などというものを作れるものかどうか、考えてごらんなさい」
ということらしい。

とはいえ、今は9割の痔は手術しませんので、痔疾の方は市販薬などに頼らず、すぐに病院に行くように。

(余談だが、漱石の『明暗』の主人公は痔の手術後、湯治先でかつての恋人に会うんだけど、私だったら痔の術後に白馬に乗った王子様と運命的な出会いをしても気分はあがらんね。まだまだ、おケツが痛いだろうしね。だけどこの主人公、あんまり痔が痛そうじゃないんだな。私や江國滋さんが主人公だったら、二言目には「ケツが痛い」と言ってそうだw
漱石は痔瘻の手術を受けているそうだから、痔と術後の痛みは知っているだろうにね。さすが明治人の我慢強さはすごいよ)

とまぁ、痔の話が長くなったけど、痔疾を患う人はウォシュレットを健康面から使うようになるだろう。あの苦しみを思えば、どんな変な習慣だって受け入れますよ。

で、私の仮説はアメリカ人(あるいは日本以外の国)では日本ほど痔の発症率が高くないんじゃないかってことだ。
しかしこれはグーグル先生に論破されてしまった。
日本も海外も痔の発症率は変わらないんだって(ただ日本のほうが症状が重い人が多いらしいけど)。
へー、びっくり。

でもさ、アメリカ人って食物繊維摂取量が少なくて風呂に入らずシャワーで済ませるイメージがあるけど、それで日本人と同じくらいの発症率ならたいしたもんだよなぁ。
日本人のおケツがとりわけヤワにできているのだろうか。そういや前アメトーークで、旅芸人の回のとき千原せいじだか宮川大輔だかが「日本人はお尻を甘やかしている!」と言っていたけど(海外に行くときは携帯ウォシュレットを持っていくんだって)、もともとひ弱なお尻なんだから仕方ないw

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06月01日(金)

起床時刻:09時00分

「トイレには~、それは~それはきれいな、女神さまがいるんやで~」でおなじみの「トイレの神様」という名曲があるが、中国のトイレにも女神(複数)がいるらしい。ちなみに中国のトイレの神様は「きまって豚か美しい女性のどちらか」なんだそうだが。

っていう話は『トイレの話をしよう』(ローズ・ジョージ/NHK出版/2009.9)を読んで知ったことなんだけど。

「トイレの神様」はいい歌だが、しかし我々は「屎尿処理の神様」あるいは「下水道の神様」が必要な時期に来ているのではなかろうか。
確かにトイレは「排便の際の身体的危険から身を守る物質的な防壁である」と『トイレの話をしよう』にも書かれているが、いくら自分ちのトイレをゴシゴシきれいに磨いても、糞尿が適切な処理をされずに自然界に垂れ流されたのなら意味がない。
それが飲料水の水源に入り込めば、深刻な健康被害をもたらす。コレラになってしまったら、トイレの女神さまもヘッタクレもない。

糞便の汚さはハンパない。
「一グラムの便は一千万個のウィルス、百万個のバクテリア、千の寄生虫、そして百の寄生虫の卵を有している。<略>便の小さな粒子が、水や食べ物、スプーンやフォーク、靴などを汚染する可能性があり、わたしたちはそれを吸い込み、飲み、気づかずに食べてしまう。ある衛生の専門家が試算したところ、不適切な衛生環境に済む人は、毎日一0グラムの便を摂取していることになるという。不十分な下水設備、衛生状態の悪さ、そして糞便の粒子が混入した危険な水が、世界の疾病原因の十分の一を占めている。
なかでも、もっとも被害を受けているのは子供たちだ。下痢が原因で、十五秒に一人がなくなっている。下痢の九0%近くは糞便で汚染された食べ物や飲み物によって引き起こされたものだ」

私たちは援助というと「水不足の村に井戸を掘る」とか「ワクチンを配る」とかそういうことしか思い浮かばないが、一番大事なのは、トイレである。
トイレと適切な屎尿処理。

モハンダス・K・ガンディーは「インドから植民地支配を一層するために一生を捧げた人物だが、それでも衛生は独立よりも重要だと言い切った」。
さすがマハトマ・ガンジーである。

しかしながら、トイレを持ち、それを快適に維持することがいかに難しいか。
インドではそこらじゅうで糞便を垂れ流し、その結果、病気が蔓延する。
汚くて暗くて狭いトイレで用をたすよりも、広いスペースで風にふかれつつで気持ちよく垂れ流したいわけだ。
しかしこれが飲み水を汚染し(必ず汚染する)、結果的に「天に唾する」ことになるのだ。
インドにはまたインド特有の問題、即ちカースト制の問題もある。手作業糞便処理人(マニュアル・スカベンジャー)はアウトカースト(その中でも更に最下層)であり、悲惨極まりない環境にある。
「差別はいけません」と言われて「はい、そうですか」と聞くような人はいない。人間のエゴや身勝手さを利用し、結果としてアウトカースト者の衛生状態を改善していくことしかできない。

このような困難な状況の中で、トイレ環境を改善しようと奮闘する人たち(多くは民間人だ)に直接取材し、その生の声を綴っているのが本書の最大の売りであろう。
(ちなみに私は糞便恐怖症気味だが、便はよい堆肥にもなるし、バイオガスに利用されたりと有用なものでもあるのだ。
ということをこの本から教えられたが、やっぱり嫌いだ)

「トイレには~、それは~それはきれいな、女神さまがいるんやで~」
だから毎日きれいにしたら女神さまみたいにべっぴんさんになれるんやで」

本当にそうだったらいいんだが。そうだったら、安全で無料の整形手段として、女性たちがこぞってトイレ掃除に殺到したであろう。
そして、マハトマ・ガンジーが書いた、「排泄は、食事と同様に重要な行為である。そしてもっとも望ましいのは、すべての人が自分の排泄物を自分で処理することなのだ」ということを人々に実行させられるのだけれど。

実際のところ、トイレには女神さまはおらず、それどころか、屎尿処理は危険を伴う。
インドのマニュアル・スカベンジャーは、「素手で、あるいはブリキの缶で主人のトイレの汚物をすくい取り、かごに入れる。<略>下痢に悩まされ、ジアルディアに感染し、脳炎を患うのはいつものことだ」(ちなみに自分のブツの処理は危険ではない。他人のブツの処理が危険なのだ)。
発展途上国だけではなく、ロンドンやNYといった先進都市でも、下水道の維持管理を担当している人たちはいつでも危険と隣り合わせだ(例えば急な雨で下水が増水して溺れたりする可能性もある)。

トイレを適切に使うのは当たり前だが、生活排水もなるべくきれいにしたいものだ。

著者のローズはこの本を始めてから行動が変わってきたという。
「舗装された庭を見て顔をしかめる。使用済みの油を花壇に流すのは、油で固まった下水管を覚えているからだ」
と第十章にあるけれどあるけれど、これってどうなの?

と思って検索したら誰かが質問して誰かが答えていた。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/3522552.html
やはりそのまま油を花壇にまくのは、そのままウ○チを花壇にまくようなもので、多少は肥料になるかもしれないが、弊害が大きいようである(米ぬかとあわせて廃油肥料としてつくったりすればいいようだけれど)。

ていうか普通に固めるテンプルつかえばいいじゃん?ロンドン(ローズはロンドン在住)には固めるテンプルないのかな?
油が少量の場合は牛乳パックに新聞紙をつめてそこに油を流し可燃物として捨てるという方法もあるけど、ロンドンの牛乳って紙パックじゃないよね?

これまた、ぐぐってみたらないみたい。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/3522552.html
まじで?まさか揚げ物をしたあとは廃油を手にうろちょろして、人んちの花壇を物色してるんじゃないでしょうね?!
「エコ商品」として「固めるテンプル」をアメリカやヨーロッパで売れば売れるんじゃないの?
って、アサッテの方向に話がいっちゃった。

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