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起床時刻推移グラフ

目標起床時刻:08:00 平均起床時刻:10:22

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01月31日(木)

起床時刻:08時00分

私は日々色んなことに引け目を感じて生きている。
って「そんな宣言をこんなところでしなくてもw」だけれども、私が無反省にのうのうと生きていると勘違いされては困る。

私は(まともな)仕事をしていない(=社会人として失格)上に、出産・育児・介護全部していない(=嫁として失格)わけで、どこからどう見ても人間失格なんで、日々の反省材料は掃いて捨てるほどあるのだ。

実家の玄関には、伯母(書道の先生)の手による福沢諭吉の心訓の額が掲げられていて、「一、世の中で一番楽しく立派な事は一生涯を貫く仕事を持つことです」とか「一、世の中で一番さびしい事はする仕事のない事です」とか書かれているんだけど、これは嫌がらせなのか、人をうつ病にさせようという魂胆なのか。だいたいさ、この心訓がハローワークに飾ってあったら、来た人全員落ち込むだろう(「なにくそ」と発奮するような人はそもそもハロワにこないw)。ハローワークに飾っちゃいけないものは民家に飾ってもいけないんだよw

世の中で一番さびしい上に、楽しくもなければ立派でもない私は福沢諭吉からしたら「てゆうか、オマエなんで生きてんの?w」だろうなぁ。なんで生きてるのかというと死ぬのが怖いからだよw 痛そうだしなw

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01月30日(水)

起床時刻:10時00分

大学時代、家庭教師のアルバイトをしたことがあるけれど、担当した子供(中学生)が今思えばLD児(学習障害児)だったのかもしれない。

全教科の面倒を見ていたのだけれど、例えば「2点の座標から一次関数の式を求める」やり方を教えようにも、まず座標が読めないのである。
どういうことかというと、「x軸は右に行くほどプラスの値が大きくなり、y軸は上に行くほどプラスの値が大きくなる」ということがわからない。座標を読むようにいうと、毎回当てずっぽうなのか、間違い方に規則性もない。
私もびっくりはしたが、何十回か「x軸は右に行くほどプラスの値が大きくなるのだ」という説明していたら、「ねぇ、何で右に行くとプラスになるの?」などとある意味哲学的な、「しらんがなw」という質問をするのである。「そんなことは高校に受かってから考えたらよろしい」と言ったんだけれど(しかしなんでだろう?人類は右利きが多いのと関係ある?)、どうやっても、初歩の初歩がわからないんだね。

数学だけが出来ないというのではなくて、英語もできなくて、オーストラリアの綴りを何度書いても覚えられない。
古文の宿題では「春はあけぼの」を覚えるというのがあったんだけど、「春はあけぼの」の先を覚えられない。
音楽では「マルセリーノの歌」をリコーダーで吹けるようになりたいというので二時間くらいずーっと「ドーミーシシラーシラミーミー」をやったんだけど、吹けるようにならない。

親御さんが言うには「あの子は学校から帰ってきて、すぐに宿題をやり(やれてないんだがやろうとし)、親の手伝いもすすんでやってくれて、明るくて優しくてすごくいい子なんで、成績が悪くても叱ることができないんです」とのことだった。「ただ、少し幼いみたいで、ドラえもんがいまだに一番好きな漫画なんです」と言っていたけれども。

確かにすごく幼い感じだった。中学校の文化祭に「来て来て」というので見に行ったりしたが(彼女に友達がいるか不安だったというのもある)、反抗期の子供にしちゃ「おねえちゃん、おねえちゃん」という感じでべったりだったし。

まぁしかしそんな子供を泣かしたりしたんだけどね。
「できるまでやる」の方針で(まぁ「できる」ようにはならないんだが)、毎回1時間くらいの時間延長(もちろんサービス)して、淡々と「もう一回」「もう一回」を繰り返し、リコーダーを何百回と吹かせていたら泣いちゃったのだ(他の教科だったっけな)。
「できない」という理由で怒ったり叱ったりしたことはもちろん一度もないけれど、私は結果的に「オマエは無能だ」というメッセージを彼女に伝え続けただけかもしれないね。褒めたことはほとんどなかったな。なるべく褒めたかったんだけれども、褒めるようなことがあまりなかったもんで。

もちろん、私の指導方法(「何百回、何千回とやれば、できないこともできるようになる」)が悪かったのかもしれない。そう考えると恐ろしくて、カテキョーのバイトはその後やめちゃったけど。
結局、成績はほとんど上がらず、推薦で高校に行くことができたけれども、今頃どうしているのやら。

トム・クルーズもスピルバーグもLDだと聞いたことがあるけれども、LDでもなんでも食っていけりゃ「個性」ですむし、LDを補う能力があればなんの問題もない。
問題は稼ぎがない場合、生活できない場合だ。そこに「個性」なんてない。「並以下」というラベルがあるだけだ(お好みで「無能」、「病気」、「異常」、「怠惰」、「甘え」など好きなものを選べるがw)。「並以下」の「病気」は「せめて」「人並の」「普通」になることを目指すしかない(そしてたいてい挫折する)。何かに挑戦しても、たいてい失敗し、受け取るメッセージは常に「普通の人ができることすらオマエにはできない。オマエは劣等人間、ダメ人間だ」である。それでも挑戦し続けて鬱になるか、挑戦から逃げて非難されるか。
有能な人間の人生は起伏にとみ、チャレンジングで、ハードだろうが、無能な人間もまた別の意味で人生ハードモードだね(と人ごとのように書いているが、私もまた、彼女とは別のタイプの無能なんで人生ハードモードなんである。誰にも同情されないがw)。

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01月29日(火)

起床時刻:08時00分

昨日の「今日の気分」欄にも書いたように、教育的指導における体罰を正当化する理屈の支柱は「口で言ってもわからんなら、手でわからせるしかなかろうもん」だろうけれども、この「口で言ってもわからん」生徒には二種類あると思うんだよね。

「教育者の指導方針はわかる(同意できる)けど、能力的に言われたとおりにできないから、先生に従えない」(先天性無能型)と「能力的には言われたようにできるけど、教育者の指導方針に同意できない(わからない)から、先生に従わない」(ポテンシャルのある不良型)の二パターンね。

で、特に熱血指導の先生というのはどうしても生徒が言うことを聞かないのは後者だと決めてかかる(「できないのではない、やらないのだ!!」の理論ね)。熱血指導の先生ほど生徒のポテンシャルを高く見積もるから(だからこそ熱血指導なのだ)、「やればできる!!」信仰に陥る。そして「やらない」のを「怠け心」とか「反抗心」とか「やる気不足」とか、そういうもののせいにする。で、いくら指導してもわからない=できない場合、「口で言ってもわからんのやから」殴る蹴るの暴行となる(場合もある)。

ホントにそういう熱血教師には「「やってもできない奴」って、いっぱいいますからwww元々無能なんですよwww」と無能派の代表として教えてあげたいですね。

あともう一つの問題は、先生の理想が高すぎるというのがあるね。無能とは程遠いオリンピック選手であっても「まだまだ、ダメだ!!」「ちゃんとできない!!」と怒られるんだよ?どんだけ理想が高いんだよ。オリンピック出るんだよ、もう十分だろうw。

しかし、県の頂点→日本の頂点→世界の頂点を目指すのが指導者であるから、オリンピックの金メダル以外は零点なんだろう。北朝鮮みたいだ。
まぁそんな「オリンピックで金メダルを取る」みたいな先生の完璧な理想(自分自身でさえ到達できないような)を生徒に求める結果、いつまでたっても、どれだけやっても先生は生徒に満足しないし、満足しない結果、「口で言ってもわからない→殴る」となるわけだ。つまり有能な生徒であっても、先生の理想に達することができないわけだから、結果として「先天性無能型」になり殴られるんだよね。

一方、「能力的には言われたようにできるけど、教育者の指導方針に同意できない(わからない)から従わない」(ポテンシャルのある不良型)場合、例えばいじめをするような悪質な生徒は殴ってもよいとか、そういう話だけれども、こっちのほうはまぁ昨日書いたような話になるから割愛するけども。

私は世間を見回して思うのだけれど、両親には恵まれたと思う。というのも、私はかなりな先天性無能人間で、何をやってもうまくできない子供だったけれども(知的障害を疑われてもおかしくないレベル。ていうか、現在の私は旦那から「知的障害者」認定されているw)、全然怒られなかったからね。普通だったら私みたいなグズでのろまな子供はビンタされまくりの殴られまくりだっただろう。
私は確信を持って言えるんだけど、知的障害者を殴っても能力が向上しないように、アルツハイマー患者を殴っても能力が向上しないように、無能な奴(今の医学では見つかっていないが、多分脳機能か何かに異常があると思うんだ)を殴っても能力は向上しない。
何でこんな簡単なことが皆わからないのかなぁと思うんだけど、皆が私みたいな無能じゃないからかもしれないなw 

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01月28日(月)

起床時刻:07時00分

いや~、日本女子柔道の園田監督も体罰常習犯だったんだねぇ。彼は大牟田出身らしいけど、私も福岡は筑後地方の出でしてね、私の通った小中学校でも体罰はごく普通に行われていて、私の中学校の体育の先生もやっぱり竹刀もって歩いてたからねw
一度、男子生徒が殴られて鼓膜が破れ問題になったけれども、私の周りの父兄は「口で言ってわからんのなら、手でわからせるしかなかろうもん、言うこと聞かん生徒が悪かったい」というわけで、体罰肯定派(あるいは「体罰は仕方ない」派)がほとんどだった。

そんな中、私の両親は「どんなときでも体罰は絶対反対、口で言ってわからなければ、わかるまで何度でも口で言うべき」という圧倒的少数派の教育方針をとっており、かかる高邁な理想主義から私のような人間が育ったわけである。
「うん、やっぱ体罰しよう」と思ったかもしれないけど、いやいやいや、この間読んだ本の著者ジェームズ・ギリガンも言うてはりますよ。
「子どもは殴られれば殴られるほど、他人を殴るようになることは知られているし、「愛に満ちた」技術や言葉での道理ある説得によってしつけられることが多ければ多いほど、大人でも子どもでもそれだけ暴力的にふるまうことは少なくなることは知られている」、「いまや地球上のすべての国が、大人が子どもを殴るのは違法であると宣言しているスウェーデンやその他の北欧諸国に従うべきである」とね。

「口で言ってもわからないなら手でわからせるべき」思想の行き着く先は戦争ですよ。
って言うと「いくらなんでも飛躍しすぎwww」と思われるかもしれないけど、だってよ、「口で言ってもわからない」中国(日本の尖閣諸島に勝手に土足で踏み込んで「ここ、俺のもん」なんて言う連中は、土足で廊下を歩く中学校の不良以下だろう)に「わかってもらう」には「手でわからせるしかない!」ってなるじゃん?
もちろん、中国側には中国側の理屈があるんだけど、そもそも自分の主張に同意が得られない場合、暴力で従わせるしかないっていうのが「口で言ってもわからないなら手でわからせるべき」の理論なわけだから、相手の理屈なんかどーでもいいのよ、だって相手の理屈が間違っているんだから。

まぁでも、暴力に訴えたくなる気持ちはわからんこともない。
もし「口でのコミュニケーション」が効率的だったら、暴力に訴える人も少なくなるだろうけど(「殴っている俺の拳だって痛いんだ!」そうなので)、実際のところ、口で言っても絶対にわかってもらえないし、話し合いしても相互理解は不可能なんだよね。

そういう意味では、暴力による説得(=恐怖による支配)が一番てっとり早く効率的かつ効果的なのかもしれないし、人類の長い歴史で証明された最も有効な「コミュニケーション方法」なのかもしれないが(そうでなければこんなに暴力が蔓延することはなかろう)、それでもどんな理由があれ、暴力はよくないと私は思うんだけどな。

ま、私が間違っているのかもしれんけどねwww

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01月27日

起床時刻:12時30分

01月26日

起床時刻:12時30分

週末はじわじわとHPとMPが減っていくような感じがあるな。
常にバイオ2やらポイズン2やらをくらっているような。
そもそも、他人の存在そのものがバイオでありポイズンであるわけだよ。
ということは、もちろん私もバイオやポイズンを周囲に発しているはずだ。
人間は、「自分には毒じゃないけど、他人には毒」であるような瘴気を撒き散らす存在なんだろうw

人と一緒だと寝るときまで疲れる。
我が旦那は、夜寝るときはまっすぐ仰向けになり、一本のエンピツのごとく、不動の姿勢で寝ること(寝返り禁止)を強要してくるわけよ。足を曲げると蹴っ飛ばされるので、「行儀の悪い」私もだいぶ仰向けのまま動かない「まっすぐ寝」ができるようになったと思うんだけど、結構疲れんだよ。

**************
かなり前のwiredに「「ソーシャル」という罠 —プライバシーが消えてゆく」という記事があった。
「ソーシャルネットワークは罠なのだ。神をも恐れぬシリコンヴァレーの企業家たちと、理想主義的な共同体主義者たちによって推進されるこのカルト集団は、人間の条件について決定的に誤った信念に根ざしている。なぜならわたしたちは、本来がソーシャルな生き物ではないからだ。フェルメールの絵画がいみじくも描き出したように、人間の幸福は、実際は、社会から放っておかれることにあるのだ」

ま、私は人間が「本来、ソーシャルな生き物ではない」とは思ってない。社会から完全に放っておかれたら、「かまってちゃん」状態になる人が多かろう。
わたしたちは「本来、毒素撒き散らし系ソーシャルな生き物」だと私は思ってる。ハリネズミのたとえでよく言われるアレに近いかな。近づきたいんだけども、近づくと自分の発している毒素により相手を傷つけてしまう、みたいなね。二人の関係が近しいまま、うまくいくにはどちらかが毒素を受け入れて我慢しなくてはならない。だから「人といたいのに、人といると疲れる」。

ソーシャルメディアは「毒素撒き散らしているくせに、他人に近づきたいという欲求を持っている人間」にとっては、毒素による悪影響を与えずに(受けずに)、他人に近づける可能性が高いからこんなにヒットしたんだろうと私は思う(しかしそれも程度問題で、基本的にはソーシャルメディアでも人は毒素を撒き散らしているんであるから、なるべく距離を持ったほうが平和であろう)。

「家族の絆」とか色々言うが、他人が多ければ多いほど、家の中の毒素がひどいものになるから、毒素を我慢しなくちゃいけない立場の人(嫁だな)には地獄である。昔はそれでも年頃になると、猛毒ガスの巣に嫁としてぽ~んと放り込まれていたが、時が流れ、封建的家制度が崩壊し、女性も意思表示ができるようになると「猛毒、ダメ絶対」とばかりに義親同居前提の家には近寄らなくなった、というわけだ。
舅に姑、小姑、夫、子供、下女などなどがひしめいていた昔の家の嫁なんて、防毒マスクなしでよくやってたな!というようなもんである。うちなんか夫婦二人で、昔の嫁からすれば、毒ガスどころか「こんな澄み切った空気で「毒ガス」とかいうのは甘え」と言われそうだけれどもね。

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01月25日(金)

起床時刻:12時30分

『男が暴力をふるうのはなぜか そのメカニズムと予防』(ジェームズ・ギリガン/大月書店/2011.2.10)を読んだのだけど、なんでこんな邦題にしたんだろう?
原題は"Preventing Violence"(暴力を防ぐ)だし、本書の内容としてもジェンダー絡みのトピックは全八章のうち第三章の「男らしさの証としての暴力」くらいなのに(暴力にまつわる男女のジェンダー的役割分業は男性の暴力を助長するとは言っているけれども、暴力はそれに起因するのではない。ちなみに「本書の題名を変更した経過」については「訳者解題」で書かれているけど、納得感ゼロなんすけど)。

それはともかく著者の略歴を紹介すると、彼はアメリカの刑務所で、犯罪者の精神医療や犯罪者の厚生プログラムに四半世紀以上関わってきた方なんですね。いわば先進国における「暴力(暴力者)の見本市」とでもいうべき場所で観察・研究・治療・実践を行ってきたわけです。

その経験を踏まえた上で、著者は暴力とは治療可能な感染症みたいなものだと言っている。感染症を防ぐ上では上下水道の整備が医者やら薬やらよりずっと有効だったように、社会システムを変えることが暴力の予防に(お説教やら道徳教育やら処罰やらよりも)ずっと有効なんだそうな。
犯罪者を処罰すること(犯罪者が他人や自分を傷つけないように拘束することはOK)は暴力を助長するだけで、暴力を防ぐことには逆効果だという。

では暴力を引き起こす感情とは何か?
それは「恥」の感情である。
「恥ずかしさ」(バカにされた、ないがしろにされた、無視された、嗤われた、じゃけんにされたなど)の感情が暴力を引き起こす。

もっとも普通の人はバカにされたとしても「カッとなって殺し」たりはしない。その理由は、普通の人は恥ずかしさの感情を埋め合わせる自己肯定感のソースを暴力の他に持っているから、なんだそう。
しかし小さい頃から虐待されたり、笑い者にされたり、バカにされたりという経験ばかり積んできた子供は自己肯定感を持つことができない。
そして自分を恥ずかしい思いにさせたやつを恥じ入らせるためには、暴力が唯一の手段だと思うに至るらしい。

従って暴力を防ぐには人を恥じ入らせなければいいのである。社会システム的にいえば、経済的不平等と失業は人を恥じ入らせる一番の要因であるから、これらをなくすことが一番の暴力予防につながる。
「殺人率のもっとも強力な予測因子は、富裕層と貧困層の間の所得や富の度合いである。少なくともこれまでに三〇~四〇件の調査研究が、相対的貧困の程度と殺人事件の派生件数との間には統計的に重要な相関があるということを明らかにしている」(P72)
「一五〇年前、上下水道システムの確立が世界中のどんな医者よりも薬よりも病院よりも身体の病気を防ぐのにはるかに効果的だということを発見した。二一世紀に私たちが学ぶべきことは、恥辱を引き起こすような社会的・経済的地位の不平等を減らすことによって、社会経済システムを浄化することが、世界のどんな警察よりも刑務所よりも処罰よりも身体的暴力を防ぐのにはるかに有効だということである」(P160)

と、こんなような内容だったね。

まぁ、そうなのかもしれないけれど、思うに一般人にとって、処罰欲(復讐欲といってもよい。というのも「処罰は復讐の別名にすぎない」のだから)は基本的欲求だと思う。
従って「処罰は暴力を助長する。復讐は復讐をよぶ。従ってこれらはやめなければならない」と高潔で立派な人たちに言われても「ハイ、そうですか」とはならんのですよ(もっとも北欧あたりは違うのかもしれないけれど)。

だいたいさー、「水戸黄門」で水戸のご老公が「助さん、格さん、懲らしめてやりなさい!」と言う代わりに「カウンセリング治療」を始めたとしたら、見ているほうはモヤモヤするだろう。無辜の民を無残に殺した人間が処罰も受けず、「地域ボランティア」して償い終了、というのは「どう考えても間違っている!!」と思うだろう。
ちなみに著者が受刑者にむけて行ったプログラムの中で、一番再犯防止効果があったのは「高等教育を受けさせること」と「職を与える」ことだったらしいが、もし日本で犯罪者どもに税金で高等教育を受けさせた上に職まで与えたりなんかしたら大騒ぎになるだろう。
その気持ちもよくわからんでもない。というか、よくわかる。それは私がたぶん、別に犯罪者の更生なんて望んでいなくて、犯罪者が処罰され苦しむことを望んでいるんだろうね。いや、もちろん更生も望むけれども、更生と処罰がトレードオフの関係なら、処罰を望む、ということね。だから「死刑の犯罪抑止効果」なんてどうでもよくて(よく知らないけど、私はあんまり効果はないんじゃないかと疑っているが)、「悪者を殺してスッキリする」ということが気持ち的に大事なんだろうな。

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01月24日(木)

起床時刻:08時00分

本日のお弁当は卵焼き(鶏そぼろ・ほうれん草・チーズ入り)、レンコンのきんぴら、にんじんの明太子炒め、黒豆ご飯、杏仁豆腐。
本日の夕飯は(魚屋さんが)三枚おろしにしたアジのカレー風味ソテー(付け合せはキャベツ炒め)、レンコンのきんぴら、なめこと豆腐の味噌汁...こんなメニューなのは旦那がいないからw

今日、渋谷の東急東横店に寄ったんだけど、山本譲二の「みちのくひとり旅」が流れてきてびびったw
デパートで演歌ってなかなかないぞw
試着しているときだったので、思わず店員さんに「演歌が流れてますねw」と言ったら、「"さようなら東館 東横店78年分の全館ありがとうセール!"ということで、懐かしいメロディーを流すとか、懐かしい昔の写真を展示するとか色々やってるんですw」とのことだった。
おかげで帰りの電車の中、頭の中でずーっと「みちのくひとり旅」が流れることに。
家に帰って夕飯をつくりながら「ここで~一緒に~死ねたら~いい~と~すがる涙のいじらしさ~♪」と声に出して歌ってみたけど、この曲、意外と難しいな。「いじらしさ~」のところの音程が変になる。
「い~↑じ~→ら~→しさ~→」とか、「い~→じ~↑ら~→しさ~→」とか色々やってみたけど、なんか違うんだな。
というわけで、動画サイトを検索してわざわざ「みちのくひとり旅」を聞いたっていうねw

ま、どうでもいい話ですね、はい。

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01月23日(水)

起床時刻:08時00分

「冬のふとんは宝物。
ぬくぬく、ぬくぬく宝物」
というのは、中学時代の同級生、T君がつくった詩の冒頭である。
(「詩をつくる」という課題があってそれを発表させられていたのである)

あまりにも真理すぎるこの詩を私は彼の名前とともに今でも記憶しており(冒頭以外は忘れたがw)、いまだに冬の朝起きるときなど(あるいは二度寝するときなど)、布団の中でこの一節を思い出したりする。

「冬のふとんは宝物」に比べれば、枕草子の「冬はつとめて」は全く納得感がない。
まぁ私の場合、一年365日「つとめて」は嫌いだけれども(ていうか「早朝」自体は好きなんだけど、「早朝に起きなくてはならない」ことが嫌いなんだね、って「早起き生活」にあるまじきことを書いているなw)、とりわけ冬の「つとめて」はありえないだろう。寒い冬の一日の中でも、一番寒いじゃねぇか。

やはり、
「冬はおふとん。雪の降りたるは言ふべきにもあらず、霜のいと白きも、またさらでもいと寒きに、電気毛布など急ぎおこして、ぬくぬくするも、いとつきづきし」
のほうが「だよね」ってなるだろう。

「夏はエアコン。熱帯夜の頃はさらなり」だね。
春はそうだなぁ、「春は意外と寒い」だね。あと「着るものが難しい」だね。「春めいた服装」をすると結構寒くて、風邪をひいたりする。かといって、いつまでも冬のコートをひっぱりだしていると野暮ったい感じになるという、めんどくさい季節でもある。

でもって「秋はまだまだ暑い」かな。
とか書くと、「日本人の美意識はどこに行ったのだ」と叱られそうだけれども。

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01月22日(火)

起床時刻:08時00分

チノパンが車で男性をはねて死亡させた事故は、夕方5時ごろに起こした事故らしい。

確かに夕暮れどきっていうのはどうも視界が悪くなるから交通事故も多くなるのかもしれない、と思っていたら、「交通事故が夕方に多いことを視覚感度の変化にもとめるのは古い説である」そうな。

「森田和元は薄暮を照明学的に約30分の時間と限定し、その時間帯に自動車運転者が起こす事故がとくに多くないこと、自動車事故の多発時間帯が季節によって変動しないこと、日曜の事故が平日と異なる時間帯であることを指摘し、夕方に事故が多いのは薄暮のせいではなく、交通量の増加が関係すると結論を下した」。へーえ。
ていうか、普通に夕方は疲れて注意力が散漫になっているっつーのもあるんじゃないか、と思ったが、それは素人考えなのかもしれんねw

さらっと引用しちゃったけど、上記引用元は『事故と心理 なぜ事故に好かれてしまうのか』(吉田信彌/中央公論新社/2006.08)。
この本、「常識的に言ってこうなんじゃないか」と、私らが勝手に抱いている幻想を統計データや根気のいる観察調査で検証していく過程とか、なかなか面白いです。

チノパンの自動車事故、2chでもかなり叩かれていたみたい。
更には「女は運転が下手」「(チノパンは運転が好きだったらしいが)下手の横好き」などとも書かれていたけれども、私も直感的に女は運転が下手なことが多いような気がする。
(ていうか、私のだいたいの印象では、女性は「運転が下手」というより「普通レベル」の人が多いが、女性で運転がうまい人は男性で運転がうまい人よりずっと少ない。これをちゃんと調べた調査はあるのかな)

ちなみに、『事故と心理 なぜ事故に好かれてしまうのか』に掲載されている「性年代別の死亡事故惹起率」のグラフを見ると、死亡事故惹起率は運転が下手クソと思われる女性(特に高齢女性)ではなく、十代男性が圧倒的に高い。
運動能力・とっさの状況判断力などは、十代男性が一番高いだろうに。
「それは十代男性が経験不足(免許取り立て)である」からという面を考慮して、免許取得後の経過年数と事故の関係を見ると、やはりどの年代も免許取り立ては事故率は高いのだけれども、50歳の免許取り立てと20歳の免許取り立てを比べると20歳のほうが事故率が高い(上掲書P122)。
「では、なぜ年齢が若いと事故を起こす率が高いのか。<略>さまざまな説が出るが、諸説は一致しない。結局のところ、若者がなぜ危険かをうまく説明できないままである」
そうな。

「死亡事故惹起率」とは死亡事故の件数を免許保有者人口で割ったものであるけれど、女性は男性に比べて、ペーパードライバー率が高いので、あまりアテにはならない気はするが。
(とはいえ、本書によれば若い男性の死亡事故惹起率は、走行距離を考慮しても高いそうな)

1996年の日産の調査研究によると、走行距離あたりでは女性のほうが事故率が高いらしい。さらには、女性の事故の特徴は高齢ドライバーの事故と「非常に良く似ている」とかw

特徴を言うと、
「昼間」に「交差点」で、「直進(等速)」「右折」時に、「信号無視」「安全不確認」等を犯し、「自動車」に「出会頭」ぶつかる
らしい。
http://www.nissan.co.jp/INFO/AUTO_TRANS/AUTO_TRANS99/PDF_J/p12_13.pdf

他の報告によると、女性ドライバーは出会頭の事故が多い他、「20km/h以下の低速度領域での事故が多い」らしい。
今回のチノパンの事故も駐車場内の事故で、低速だったようだ。
http://www.itarda.or.jp/itardainfomation/info60.pdf

私が思うには、やはり若い男性は運転は得意なのだろうが、リスクを過小評価する傾向にあるように思う。リスクを好む、というよりは、「このくらい大丈夫」の「このくらい」がかなり幅広いんじゃないか。つまり安全運転意識が低いため、スピードを出しすぎたりして事故を起こす可能性が高くなる。

一方で、女性や高齢者は男性や若者よりもリスクを過大評価する傾向にある。そんなわけで、安全運転を心がける傾向が高いが、認知・運動・判断能力が低いため、「ゆっくり走っていながら」あるいは「出会頭に」車とぶつかることがあるんじゃないか。

とかまぁ、チノパンの交通事故でそんなことを思ったりしましたね。

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01月21日(月)

起床時刻:11時30分

01月20日

起床時刻:13時00分

「ブレイブリーデフォルト フライングエアリー」をプレイ。
これ、セーブデータが一つしかない(一つのデータしか保存できない)のね。だから一つのソフトで複数の人が遊ぶということができない。

感想としては、まぁ典型的なJRPGが好きな人は、買ってもいいかも。
前半は結構面白い。戦闘や音楽もいい。
後半はかなり失速。
はっきりいって、6章・7章・8章あたりは消化試合で飽きちゃった。
ストーリー的にも後半、ひねりがなさすぎ。

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01月19日

起床時刻:13時00分

私は日々、色々なことに感謝して暮らしているわけでありますが、特に「ありがたい」と思うのは毎日、家の風呂に入れること。「追い焚き」ボタン一つでお湯の加温も出来て、「あ~、極楽、極楽」と思いますね。江戸時代の大名よりもずっと贅沢な暮らしだよ。

思うんだけど、人間の三大欲は「食欲・性欲・睡眠欲」というけれど、これちゃうよね。「食欲・風呂欲・睡眠欲」だよね。
まぁ食事や睡眠(あるいは排泄)は満たされないと死ぬから、性欲や風呂欲(満たされなくても死なない)とは同列には扱えないけど、性欲と風呂欲とを比べたら、明らかに風呂欲のほうが強いはずだ(男子中高生なんかは違うだろうけど)。

だってよ、もし被災して避難所暮らしを10日間続けたとする。
そのとき、何が欲しいかと訊かれたら、まず「美味しくて栄養バランスのよい食事」「熟睡できる睡眠環境」ときて、次は「ゆっくり風呂につかること」だろう。絶対に「男と寝ること」なんて答える人はいない。

カチンコチンにこわばった体を風呂でほぐし、垢じみた体を石鹸ですっきりと洗い流し、あぶらっぽい頭髪をきれいに洗髪することを誰もが望むはずだ。

その次は、読書欲、インターネット欲、スタバ欲、ゲーム欲など色々出てくるだろうけど、性欲はかな~り下のほう、そうだなぁ、掃除欲、アイロン欲よりも下だしなぁ、ええと、仕事浴よりも下かもしれない、たぶん、見えないくらい下のほうにくると思うんだけどね。

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01月18日(金)

起床時刻:11時45分

01月17日(木)

起床時刻:08時00分

『二つの「競争」競争観をめぐる現代経済思想』(井上義朗/講談社新書/2012.9) を読んだ。想像してた内容とは違ったけど、面白かった(と書いたけど、ほとんど内容をわかっていないような気もするw)。

「はじめに」で学生のヤマダくん(仮称)のセリフが出てくる。
(「はじめに」まではよくわかるwww言い換えると、それ以降はよくわからんw)

「そりゃ、就職したってできれば競争なんかしたくないですよ。いつ出し抜かれるかとか、追い越されるかとか、そんなことしょっちゅう気にしてたら、いいかげん疲れますよ。でも、たとえば企業なんか競争してないと、値段も下がらないし、新製品だって出てこなくなるじゃないですか。だからやっぱり競争は必要ですよ。それに、やっぱり競争相手がいないと、なにやっててもうまくならないじゃないですか。競争がきついからって逃げてばっかりいたら、けっきょく、ダメになると思うな‥‥‥でもまあ、わかんないですけどね」

この言葉の中には二つの競争観が内在している(と書いたけど、第五章において、「どうやら彼(ヤマダくん)は、エミュレーションの競争観だけで、競争を語っていたように思います」と著者自身が答えを出してるw 「え?そうなの?」とずっこけた私は、この本を全部読んだ上で全く理解していなかったってことが五章で明らかになったのであるw)。

でもまぁ、誤読したなりに書くと、一つはコンペティションとしての競争観。ヤマダくんがいうところの「企業が競争してないと値段も下がらないですしね、必要ですよね」という部分。
同質な無数の小企業が競争する中で、価格と生産量は最適な水準になる。しかしながら実際は、「規模の経済性」というものがある。これは「収穫逓増」といってもいい。このとき、スーパー設備により供給増加し、価格を低下させる企業が出てくると、低い価格に耐えられなくなった中小企業は淘汰される。コンペティションの淘汰性ですね。となると、競争による淘汰の結果(その背景には「規模の経済性」がある)、市場の寡占化がすすむ。そこで独禁法なんかが出てくるわけです。

とはいえ、これはもう古い競争思想なんだそうで、今の経済学の競争思想は「エミュレーション」なんだそうです。
ヤマダくんの発言でいえば、「やっぱり競争相手がいないと、なにやっててもうまくならないじゃないですか。競争がきついからって逃げてばっかりいたら、けっきょく、ダメになると思うな」の部分です。「質の競争」といってもいいかもしれません。
どういうことか。「現代の競争論では、経済主体が競争と淘汰の経験を通じて、みずからの「質」的な内容を次々に変化させていくことが大前提になっているのです」。
例えば上で述べたように中小企業が10円でしか利益が出ないところを大企業が5円で供給したら、中小企業は撤退しないといけませんが(淘汰)、このエミュレーション思想では「そのやり方を模倣すればいいんじゃん!」と発想するのです。「模倣」としての競争論なわけです。「いや無理、マジ無理、絶対無理」とか言ってるやつは「当然淘汰されるべき!」ときっぱり言えちゃうのがエミュレーションでして、お気づきのとおり、新自由主義と相性がいいんです。
彼等に言わせれば「淘汰」はもはや警戒すべきネガティブな現象ではなく、「後続の企業が追いつき、追い越すための目標を定めさせる、きわめてポジティブな意味合いをもった現象になるのです」。

しかしまぁ、そんな生まれながらのハンター気質の起業家はともかく、一般人のヤマダくんは「できれば競争なんかしたくないですよ。いつ出し抜かれるかとか、追い越されるかとか、そんなことしょっちゅう気にしてたら、いいかげん疲れますよ」となるわけです。

そこでアダム・スミスです。
経済学の父、アダム・スミスのおっさんは邦訳では「競争」と訳されるところで、コンペティションとエミュレーションを使いわけてた。
アダム・スミスはお互い切磋琢磨して自己の質を向上させていく側面のエミュレーションは評価していたけれども(というか、これが「神の見えざる手」的なコンペティションの前段階として必要なこと。ある程度、同質な多くの競争者がいないとうまいこといかん)、自己の領分を超えて他人の領分を侵犯するようなエミュレーション(必然的にそうなる)は警戒していた。

その理由はプラトンに遡るんだけど、まぁここから先は本書にあたってくだされ。

*********
今(よりちょっと昔か)はエミュレーション全盛期でありますが、その理由として、重厚長大産業の凋落ということ以外にも、「分を守る」発想がなくなってきたから、じゃなかろうかと思いますね。「分不相応」とかいう言葉がなくなった。サッチャーみたいに女のくせにオックスフォード大学に行き首相にまでなるとか、プラトン時代でもアダムスミス時代でも「分不相応」の太鼓判をおされただろう。エミュレーションの本質は分不相応でもあろう。分不相応なやつがあちこちの競争に参入してくる(=領分を犯してくる)から(そして実際に脅威になるのはそれなりに優秀だからかもしれない)、競争は激化しているのである。

プラトンやスミスのいうように「各自の適性や能力に応じた生業に専念する」「そしてその生業を磨く」ったって、各自の本当の適性や能力は誰にもわからない。エミュレーション主義者なら競争の結果でわかる、というんだろうけどねw 「はい論破~」でしたねw

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01月16日(水)

起床時刻:11時30分

昨日の午後はパート先で睡魔と戦ってきたんだけど、午前中は暇だったので、会社で購読している雑誌を整理するふりをして読んでたら(いやあ、我ながら私みたいなパートはリストラするべきでしょうw)、『ハーバード・ビジネスレビュー』(ほとんど興味がわかない雑誌の一つ)の1月号に「睡眠中に自分は夢を見ていると認識しながら、夢をコントロールしている状態、すなわち「明晰夢」を見ている最中に、スキルやスポーツのイメージ・トレーニングをすれば、現実の世界でもその活動の成績が改善する」ていう外人の調査研究の記事があった。
なんでも、「コイン投げ」(2メートル離れた所にあるコーヒー・カップのなかにコインを投げ入れる)を二回やってもらうんだけど、一回目やったあとに、コイン投げの練習する夢を見た被験者たちは、夢を見なかった被験者たちに比べて、一回目をはるかに上回る好成績を収めたらしい。
ただし、起きている間に実際にコイン投げの練習をした被験者たちの水準には及ばなかったそうだ。そりゃそうだろw 
まぁでも、実際に練習するのはメンドくせぇから「睡眠学習」(というか睡眠イメトレ)だけやっちゃおう!と思って読んでみたら、明晰夢を見ようとして失敗した場合は、夢を見ようと試みなかった人(つまりなんもしなかった人)より更に悪い結果になっていたw

詳細にいうと実験に参加した人40人のうち
実際に練習したグループ(15%の向上)>
明晰夢でイメトレしたグループ(8%の向上)>
何もしなかったグループ(0.5%の向上)>
明晰夢でイメトレしようとして夢を見られなかったグループ(2.5%の低下)
となっていたわけw

まぁでも実際のところ、人生における課題にコイン投げはないからなw 就活や婚活のイメトレの難しいところは、相手がコーヒーカップじゃなくて人間だってことなのよね。コーヒーカップならいつも同じ反応(ただそこにあるだけ)なんだけど、人間にコイン投げしようとすると夢の中ではうまくキャッチされたのが実際には反発されて投げ返されるなんてこともあるからねw

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01月15日(火)

起床時刻:08時00分

旦那が家にいて、妻の帰りを待っていることほど、うざいものはない。
「何時に帰るの?」「遅かったね」「何してたの」「待ってたんだけど」「お腹すいてるんだけど」「夕飯何?」
急いでハヤシライス(カゴメのトマト味みたいなもの)をつくって出したら「まずい!!奇抜な味にするな!!」と怒りまくって(「カゴメのレトルトソースを使ってるんだよ」と言ったら、「変なものを買ったオマエが悪い」ってなった)、めんどくさいったらない。

歳時記をめくっていたら、こんな句が。
「春待つは妻の帰宅を待つごとし」(鈴木鷹夫)
クッソうぜぇわ、この濡れ落ち葉族が!!!!
いつもいつも背後霊みたいに妻の後ろにくっついてんじゃねぇよ!!!!
テメェの夕飯くらいテメェでつくってひとりで食え、このボケじじい!!!!
と奥様のほうは思ってるかもしれませんね♡

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01月14日(月)

起床時刻:15時30分

昼というか、夕方というかに起きて雨戸を開けたら、外は雪。
しかも、モーレツに降って、積もっていた。
テレビをつけたら、爆弾低気圧っつーのが来ているらしい。

これもそのうち季語になるのかな。
ゲリラ豪雨とかとともに。

「猛烈な雨」などの「猛烈」という形容詞、今はもっぱらテレビの天気予報で聞きますね。昔は「モーレツ社員」というふうに人に使っていたけど。「モーレツ社員」という言葉はもはや死語になってしまったけれども、その理由はモーレツ社員が絶滅したのか(過労死or団塊世代のモーレツ社員らの定年退職)、それとも明後日の方向にモーレツに突っ走ってリストラされたのか、あるいはワークライフバランス重視の建前から「隠れモーレツ」が増えたのか、それとも「昔モーレツ、今普通」じゃないけど、モーレツであること(「常に仕事に全力投球せよ!!」)がパートやバイトレベルにまで要求される時代、モーレツであることが当たり前になってしまったのか(「モーレツ?いや普通でしょ」的な)、色々仮説はたてられるが、私が思うに、最後の説は結構あると思うな。モーレツ、モーレツと言ってる時代でも「パワーブレックファスト()」なんつうものはなかったっしょ?朝飯くらい家でゆっくり食ってけよと思うが「パワーエリート()」たちは常に時間を効率的に使わないかんらしい。「パワーエリート」じゃなくてただの「モーレツ」だろ?と思うんだけど。

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01月13日

起床時刻:14時30分

『L.A.コンフィデンシャル』ていう昔の映画(1997年)を今更観た。

以下ネタバレ。
みてない人は読まないように。




最終的にはバド・ホワイトは高級娼婦のリンとくっついて、一緒にリンの田舎に帰るんだけど、このカップル、間違いなくうまくいかないね。
かなりの確率でバドはDV亭主になるはずだ。

私が思うにDV亭主になる条件はいくつかある。
まず第一に本人の素質。
親がDVだったり、暴力的なものに惹かれる傾向にある人や実際に暴力を振るうことが多い人はDVしやすい。
バドは両方、あてはまる。
彼は自分の父親が子供の頃、目の前で母親を殴り殺したことから、DVをみかけたら必ず止める警官になったが、その止め方はかなり暴力的。また、警官として容疑者をよくなぐっている。
更に言うと、あんなに父親の暴力を嫌っていたくせに、リンがエクスリーと寝たことを知るとひっぱたいた(軽かったけど)。
これはもう致命的。やはり父の血は争えないね、と言われても仕方ない(そう言ったら、間違いなく殴られるだろうw)。

第二に感情コントロールができない人はDVに走りやすい。
バドは感情コントロールが苦手である。リンと寝たエクスリーを殴り殺そうとした。

第三に夫本人の状況。夫が経済的に苦しかったり、社会的に認められていない状況では、DVがエスカレートする傾向にある。
これもまた、インディアナだかどこかの田舎に帰ったバドには当てはまる。
エクスリーが大出世をしている一方で、自分は何のスポットライトも当たらない。あの大怪我なら、今後警官としてバリバリやっていくのも難しいかもしれない。当然、鬱屈する、そして周りのちょっとしたことにイライラし、手が出る。このコースに多分なるね。

第四に妻に対する尊敬の念。妻の親が自分の上司である等の事情があれば、上記が当てはまったとしても、妻には手は出さない。犬や猫や看板を蹴っ飛ばすにとどまるだろう。
しかるに、リンは元売春婦である。これはもう、一番殴られやすい経歴である。

というわけで、私の予想だと、バドは警官をやめ、インディアナに帰ったはいいが、仕事もなく、古傷は痛み、次第に酒ばかり飲むようになる。
一方でリンは念願の洋服屋を開くが、仕事で家をあけることが多くなると夫は元売春婦で浮気(?)経験のある妻の素行を疑いだし、束縛を強める。リンは反発するだろう。その結果、バドの手が出る、とまぁこうだろうね。
リンに自分の稼ぎがあれば、3年で離婚のコースだろうね。

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01月12日

起床時刻:不明

そういや、体罰がつらいとかいう理由で高校生のバスケ部キャプテンが自殺したらしいね。

圧倒的に力の差がある相手(周囲に手腕と実績を認められている顧問教師)にダメージを与えるには「蜂の一刺し」しかなかったんだろう。
自分は大ダメージを受けるが(死ぬわけだし)、相手にも相応の社会的ダメージを与えることができる(もちろん自殺した生徒の動機は違うと思うけど、私だったらそう考えそう、という話)。

この生徒は体罰顧問教師に手紙を書いていたらしい。書いただけで渡していないのかと思ったら、死ぬ前に渡していた分があるらしくて、その結果は暴力の激化を招いただけだったそう(以上、ソースは2chだけど)。

だからね、コミュニケーションなんて不可能なんだってば。
手紙を渡したかどうかはよくわからないけれども、どっちにしろ、人間てのは、力のあるやつが力のないやつをねじ伏せるだけの関係なんだもん。力のないやつが「アサーション」しても(あるいは手紙を渡すなどしても)「口答えするな!」「生意気言うな!」で終わり。

力のないやつは一対一じゃ相手にかなわないから、周囲を巻き込むしかないけれども、周囲だって基本事なかれ主義なんだから、力のないやつが死ぬくらいのインパクトある行動をとらない限り、「我慢しろ」とか「大げさに考えすぎ」とかうやむやにするだけ。誰も頼りになんかならないし、信用もできない。

学校に行かない(=逃げる)っていう手もあるけれども、その結果中卒ニートになるかもしれない、と思うと、なかなか決断できない部分もあると思う。ましてや「困難から逃げてはいけない」みたいに考えるタイプなら尚更だろう。
(この生徒は学校の先生に手紙なんか書くような子なんだから、正攻法で解決したかったんだろう。分かり合えると思ったんだろうか。。。私も若い頃はもっと「話し合い」というものに信をおいていたけど、今は、そんなの全く無意味で、「話し合いをした」というエヴィデンスとしての価値(つまり「関係改善に向けて努力はした」という言い訳材料)しかないと思う)

教師によれば「キャプテンだから」という理由で厳しく指導したらしいけど、私が中学のときも、体育祭の準備で生徒がチンタラやってると「代表責任」てやつで、体育委員長の男子が教師に殴られていた。

これは、教師にすれば効率的なやり方なのよ。
自分のやらなければならないことを生徒に責任転嫁できるし(つまり先生ではなく、体育委員長が生徒指導の責任者となる)、生徒が言うことを聞かなければ「代表責任」で見せしめ的に代表たる生徒をひとり(特に彼に過失がなくとも)思いっきり殴る。「こいつが殴られるのが嫌なら、オマエら真面目にやれ」という人質作戦でもある。

全く軽蔑に値するけれども、そういう汚いスキルを磨いている先生が「生徒指導がうまい」なんて言われるんだよね。
まぁでも汚いスキルで効率的生徒指導しなきゃ、教師は教師で疲弊するのかもしれんがね(教師にうつ病が多いのも、理由は色々あるだろうが、人と接することが多いからなんじゃないかと思うね。他人(生徒や教師やPTA)の存在自体がストレッサーだからな)。

ま、それはともかく、汚いやつが得をするのがこの世の中だ。
実にうんざりする。

もう6時だからいい加減寝ないとな。。。

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01月11日(金)

起床時刻:09時00分

『昆布と日本人』(奥井隆/日経プレミアシリーズ新書/2012.12)は面白くてサクサク読める。昆布好きにはおすすめの一冊。

著者は北前船の寄港地として栄えた敦賀の昆布商にして、明治の中頃、永平寺に御用昆布所として出入りを許された「御昆布司(おこぶし)」奥井海生堂の4代目。うちの納豆昆布(がごめ昆布を刻んだもの)が、たまたまここのものでした。

ちなみにこの「がごめ昆布」、著者が若い頃は生産者泣かせの昆布だったんだとか。「道南の真昆布などより生命力も強く、がごめ昆布が広く繁もうすることで真昆布が育たなくなる厄介者」で、一部安価な佃煮の原材料昆布として使われていたくらいだそう。
それが、がごめ昆布のフコイダンが体にいいということで、一気に人気商品になったんだとか。今では、真昆布と同等かそれ以上の値段で販売されているそうな。いやあ、時代って変わるねぇ。いつか私の時代、すなわちグータラで無能で役立たずな人間が評価される時代がこねぇかなぁ。ガゴメ昆布のように成り上がりてぇもんだw

ま、そんなガゴメ昆布と私の事情はさておき、本書に戻りますと、第1章は「昆布が礎となった日本の近代化」と始まります。話デケェw

どういうことかというと、倒幕の中心となるのは薩摩藩だけれども、あそこは火山灰のシラス台地で米がとれにくい上に、外様大名なんであれやこれや幕府から金を搾り取られ、クッソ貧乏だったわけですよ。それが、倒幕の一角として台頭していくのは、琉球を通じた昆布の密貿易で莫大な財をなしたことにあるんだってさ。清国の内陸部はヨード不足で昆布が欲しかったらしい。密貿易の主役は常に昆布だそうで、周益湘によると積荷の86%が昆布で多いときは94%が昆布だったんだって!へー!

第2章は昆布商・奥井家の歴史みたいな話
第3章は昆布の奥深さ(ワインと似ている)。
第4章は永平寺の教え。ありがてぇ。
第5章は昆布のうまみの話。具体的な調理方法など。
第6章は世界に羽ばたく昆布出汁。
(実際の章題とは違いますw)

昆布というのは、「昆布の種類と消費地の関係も独特」なんだって。
富山は1世帯あたり、昆布にかける金額が一番多いんだって。
「それは富山が金持ちだからじゃね?」と思ったら、「北前船の寄港地だった影響」なんだそうで。なかでも羅臼昆布は富山で一番消費されるんだとか。

京都で好まれるのは、お高級でお上品な利尻昆布。
京料理と相性がいいらしい。

東京では日高昆布など、安い昆布(昔は関西で売れ残った昆布を東京で売りさばいていたらしい)。
そもそも、東京には昆布文化ってのがない。それには「水の質も影響しています。上方の水は硬度が20度くらいの柔らかい水なので、昆布だしがよく出ます。ところが、江戸は硬度が高く、上方に比べるとだしが出にくい水質です。昆布よりも、鰹節を多く入れたほうがうま味が出るのです。逆に上方では江戸のように鰹節をたくさん使うと、うま味よりも、魚の生臭みが出てしまいます」(P72)そうな。

一応水道水の硬度を調べてみたら(インターネットって便利だね)、京都市の水道水はだいたい硬度42度。大阪市は30~40度台。
著者の言う20度よりは硬いですね。

一方、東京23区は60度台~80度台といったところで、やはり東京のほうがかなり水が硬い。もっとも、場所によってつかっている浄水場が違うから、同一都道府県内でもかなり硬度は違ってくるんです。
京都でも長岡京市の東第2浄水場は平均83、福知山市の戸田浄水場は平均81など、かなり高い。一方、東京でも奥多摩あたりは硬度が30と京都市内よりも低い。

東京の水道水の硬度の参考は↓
http://softwater.jp/what/000103.html
京都の水道水の硬度の参考は↓
http://softwater.jp/what/000076.html

上記サイトによれば、「浄水量から計算した県平均硬度」は、東京:65.304(もうちょっと高いような気もするけど)、京都:42.462、大阪44.084です。ちなみに富山は30.461。水道水の硬度的には、京都や大阪よりも昆布出汁に向いとるわけですw そりゃ昆布好きにもなるわけだw
著者の出身地の福井も水道水の硬度が低いですよ、37.895度と京都よりも若干低いですね。

さて気になる昆布のお出汁の取り方ですが、京都出身の著者の奥さんのやり方によると水1リットルに30gの昆布(利尻昆布が望ましい)を5時間以上水に漬けたのち、30分ほど60度で煮出すんだってさ。
昆布をちょきちょき料理バサミで切って味噌汁に入れて「ハイ、出来上がり」などという、奥薗壽子流(一応京都府出身なんすけど)は「零点!!!」と言われそうだなw
ましてや私は奥薗流+日高昆布だからなw 日高昆布はおでんなんかに入れて食べる用で出汁は出ないみたいな書かれ方をしているからねw
昆布商に成敗されそうな昆布の使い方だよw

まぁでも、私東京だしィ、かつお節のお出汁でいっかなぁと思ったりもしましたねw かつおぶしのほうが出汁をとるのもずっと簡単だもんね。って、昆布の本を読んでかつおぶしに走るとはどういうことやねん!!だけどもw

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01月10日(木)

起床時刻:08時00分

バイトの日は頑張って起きるんだけど、午後、眠くて眠くて仕方ない。
この日も、2時間くらい睡魔と戦ってきた。互角の戦いであった。
寝ちゃいけない、寝ちゃいけない、と思いつつ、ふと気がつくと、意識がなかったりする。バレないように静かに寝られるんならいいけど、多分、私、睡魔との格闘中、前後左右に激しく揺れてたような気がするw そういや昔、業務中に寝て、椅子から転げ落ちた人がいたな(私じゃないよw)。恥ずかしいw

昨日は眠気を冷ますために、ガムかんだり、散歩がてらスタバでコーヒー買ってきたりしてたんだけど、ポカポカした席+数字チェックをしだすとすぐ眠くなるんだよね。

最近、私はだいたいAM4時に寝てるんだけど(眠気のピークはもっと早くくるんだけど、ゲームしなくちゃいけないからねw)、朝8時起床なら4時間は寝ていることになる。ちなみに旦那も朝4時か場合によってはもっと遅くまで起きているんだけど、彼は基本、起きるの午後ですからw 昼過ぎに会社に行ってるんだけど(会社に着くのは午後1時過ぎだろう)、フレックスなのかと思ってたら、フレックスじゃなくて単なる遅刻らしいw 普通の人が三時間かかる仕事を自分は一時間でできるからいいんだって。そんなもんかね。

ちなみに私の知人は毎日4時間睡眠で(0時就寝、4時起床)いたって健康で、日中も全然眠くないんだそう。朝も「慣れちゃったから」パチっと目が覚めるんだって。ヒエー!すごいね。
その人みたいな働き者のしっかりものはだいたい短眠だね。私みたいに何時間でも眠れる人間にはロクな者がいないね。きっと神様が「オマエみたいなくだらん人間は寝ていたほうが世に害を及ぼさない」と判断してロングスリーパーにしたんじゃなかろうか。

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01月09日(水)

起床時刻:11時30分

お昼はご飯、キャベツと人参の塩麹漬け(+ゆずの絞り汁と皮の千切り)、昆布とピーマンの佃煮風(お正月に昆布締めや出汁として使ったのを冷凍しておいたやつ)、ごぼうと人参のサラダ、冷奴、ミルクティ、甘納豆という旦那には出せないが、自分は好きないつもの質素なご飯w

正月は二日目から旦那の大好きなラーメン(つけ麺)、デリバリーピザが二回、パスタ、うどんなどであとはひたすらゲーム。旦那の大好きな炭水化物や油脂ばかりで、野菜の摂取が極端に不足する。ピザのときにサラダか何か用意しようとすると「いらない!」って怒るしね。

結局、人間関係というのは力関係で、力のないやつは力のあるやつの言うことを聞くしかないんだよ。
「強者がその欲するところをなし、弱者はそれを甘受するしかない」とはトゥキュディデスの『戦史』で最も著名な教訓らしいが、知ってた!!
(孫崎享は『日本人のための戦略的思考入門』で、「トゥキュディデスはめっちゃすごい!!めっちゃ欧米知識人のリスペクトを受けてるんだから!!だから、日本人のボンクラどもも、トゥキュディデスに学ばなくっちゃいかん!!」と言っているんだけど(大意)、別にアテネの歴史を学ばなくても、半径500mを見渡せばそんな教訓くらい引き出せるってもんだよw)。

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01月08日(火)

起床時刻:07時45分

『日本人のための戦略的思考入門-日米同盟を超えて』(孫崎享/2010.9/祥伝社新書)を通勤電車の中でちらっと読んだ。
著者によれば、日本人は戦略思考ができないらしい。
世界の偉い人たちも口を揃えて日本人はアホだ、バカだ、低能だと言っているそうな。例えばキッシンジャーは「日本人は論理的でなく、長期的視野もなく、彼等と関係を持つのは難しい。日本人は単調で、頭が鈍く、自分が関心を払うに値する連中ではない」と言っていたとか。

日本人の世界水準をはるかに下回る低能っぷりは、日本人に戦略的思考というものが欠けているからだ、と著者は言う。そんなわけで、著者は「戦略論の発達の歴史」を紹介しているんだけど、戦略オンチぞろいの日本人の中でもとりわけ戦略オンチの私からみると、戦略って婚活みたいなもんだね。

まず戦略といえばクラウゼヴィッツ。
「戦争とは、相手にわが意思を強要するための力の行使である」
「この目的を確実に実施するために、敵を無力化しなければならない」
「いかなる者も戦争によって何を達成したいか、どう戦争を遂行するかの考えなしに戦争を開始してはならない」のクラウゼヴィッツさん。

「婚活」も似たり寄ったりだ。
「婚活とは、相手にわが意思(結婚)を受け入れさせるための魅力の行使である」
「この目的を確実に実施するために、男をメロメロにしなければならない」
「いかなる者も婚活によって何を達成していか、どう婚活を遂行するかの考えなしに婚活を開始してはならない(婚活が迷走する)」

しかしながら、このクラウゼヴィッツ流は戦争でも婚活でもかなり疲労する。
実際、アメリカもクラウゼヴィッツ流のやり方(相手の力を徹底的に奪う)でベトナム戦争をやり疲弊した。婚活でいえば、結婚してくれるかよくわからん男にいれこみ、無駄な時間とお金と青春と情熱をつぎ込んで泥沼化したあげく、現在は占いにはまっている、みたいな状況である。

というわけで、ベトナム戦争を教訓に「ワインバーガー・ドクトリン」というものができた。それは「米国、同盟国の国益に致命的に重要でない限り、戦闘すべきではない」「軍を動かすのは明確に勝算がある時に限るべきである」とかまぁそんなやつで、「自分の利益に致命的に重要でない限り、婚活すべきではない」「結婚を迫るのは明確に勝算がある時に限るべきである」と考える婚活ライト層(?)にあてはまるだろう。

戦略論の歴史に戻ると、現代の戦略論は軍事戦略から経営戦略論に軸足を移してきたそうだが、その代表がマクナマラっていう人なんだそうな。
で、マクナマラ理論は次の三つの段階に分けられる。
第一段階:目標を明確に設定せよ
第二段階:目標達成の計画をつくれ
第三段階:システム的に計画実施を管理せよ

今更感が強すぎるなwww こんなんで「すごい戦略だ!!」とか言われてたなんて、昔は皆バカだったんかなと思えてくる。

また企業の競争戦略で有名なポーターは、他者に打ち勝つ戦略として以下をあげている。
(1)コストのリーダーシップ(同業者よりも低コストを実施する。婚活で言えば、自分の稼ぎがあれば、専業主婦というコストを夫が負担する必要がなくなるわけで、低コストにつながり、魅力度が増す。実際、女も収入が多ければ多いほど、婚姻率は高い)

(2)差別化(業界の中でも特異だとみられるなにかを創造する。婚活で言えば、大変な美人であるとか、華族の末裔だとか、ハーバード出の才媛だとか、そういうので売る戦略だが、そもそも無理wってこともあるだろう。実際、企業もなかなかこれはできていないw だから困ってんだよw)

(3)集中(特定の買い手グループなどに資源を集中。婚活者もよくやっていて「草食男子」や「オタク」、あるいは「理系男子」など、恋愛経験が少なそうな、まだマーケットが開拓されていないところに乗り込んでいる。大変おすすめの戦略だが、こういう未開拓市場の買い手たちは「騙される」ことへの恐怖心が強い。だから、まず彼等を安心させる必要がある。鼻息荒くのりこんではいけない。何事もローカリゼーションが必要である)

ちなみにこの本の著者は孫子が一押しなんだけど、孫子といえば、このセリフである。「彼を知りて己れを知れば、百戦してあやうからず」、ね。なんだよ、これ。40代のポンコツ女は20代のイケメン社長は狙わない。戦わないから負けないんだよwていう理屈じゃねぇか、戦略でもなんでもねぇよw

更に著者は戦略的思考を養うには「歴史に学べ」という。
欧米の一流大学では歴史を重視する。
1970年代のオックスフォード大学の期末試験問題では「1950年代、冷戦が終結する可能性があったか否か論ぜよ」というのが出たそう。「こうした問いを持ち、その問いに対する証拠を探し、結論を出す。そしてその証拠が結論を出すのに充分かを検証する。これが欧米の歴史教育の要だ」(P132)とか。
私に言わせれば「2年前、高嶋政伸と美元の冷戦が終結する可能性があったか否か論ぜよ」も負けず劣らず難しく、戦略的思考を養うだろう。

あるいは「先見性さえあれば、アテネの破局は避けられたのか?」なんていう問い(ジョゼフ・ナイ『国際紛争』)も難しいが、「先見性さえあれば、あゆの没落は避けられたのか?」も同じように難しい。というわけで、よく知らんような歴史をわざわざ紐解かなくっても、芸能ニュースでも見て「戦略的思考を養う」ことだってできるわけだ。歴史が思考の実験場なら、他人の生活も思考の実験場である。

婚活及び芸能ニュース研究を極めた暁には『戦略思考に必要なことは全て「婚活」で学んだ』っていう本でも書けそうだなw
もっとも、一般の「戦略論」(経営戦略にしろ、安全保障戦略にしろ)と「婚活戦略論」は大きく違う点がある。それは戦争にせよ安全保障にせよ、戦略を練る人と兵隊は別人だから、自分では「到底無理」なことも兵隊という別人には押し付けることができるってこと(しかも兵隊には拒否権なし)。一方、婚活は戦略担当も実働部隊も同じ人だから、頭でわかっていてもなかなか実行できないってことがあるんだよなw

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01月07日(月)

起床時刻:11時30分

どうも最近手元が狂う。まぁ昔から手元も頭も狂ってるけど、最近とみにひどい。昨日はつるっと手が滑ってコーヒーメーカーを割るし、今日は紅茶を淹れるときにこぼしてしまった(そして旦那に「バカが!」と叱られるというねw)。
日中はまだ大丈夫なんだけど、だいたい夜の二時三時に右手の感覚が鈍る。まぁ、ゲームのやりすぎかもしれんけどねw

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01月05日

起床時刻:不明

まーだ休み。おゲーム。
ゲーム、ゲームって何をそんなにやることがあろうか。
と思うかもしれないがやることはいくらでもあるんだw
それがネトゲってもんだよ、愚民ども。

しかしまぁ40にもなってネトゲの毎日で何かミスしたら、夫に怒鳴られるって、マジ笑えるなw
いやー、小学校の頃、こんな大人になるとは思ってなかったわw
私の同い年の従姉妹は25くらいで自殺したが、まぁ生きててもこんなもんだぜw 夫に怒鳴られながら必死こいてゲームをしている私(40)の姿を幽霊となった従姉妹が見たら、「生きていてもあんなもんかw」と安らかに成仏することだろうw

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01月04日(金)

起床時刻:不明

正月休みが長い。おゲーム。
正月って色々鬱になる要素が満載だよね。
・誰かといたいのに、誰もいなくてひとりでいる→鬱になる。
・誰かといたくないのに、誰かといなくちゃいけない→鬱になる。
・誰かといることにより、誰かと比べられて自分が惨めになる→鬱になる。
というふうにどう転んでも鬱になるようにできてんだw

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01月03日(木)

起床時刻:不明

ゲームしてたら私のミスに旦那がブチギレて(毎度のことですが)、椅子を蹴っ飛ばしてきて、その衝撃で机の足が折れたwww
「今度はテメェをぶっとばすからな!」だって。くわばらくわばら。

あとで机の足をガムテープで修復したんだけど(笑)、「オマエのせいだ」とか怒られる始末。
思うんだけどさー、たぶん、嫁が殺されても夫の親ってのは「バカ嫁をもらたせいで犯罪者になってしまった息子が不憫」ってなるんだろうなぁ。
昔、嫁しては三世代同居の「虎の穴」の中に孤立無援状態でポーンと投げ込まれていたわけだ。恐ろしすぎる。
だからね、山で修行するより、旦那の親と同居するほうが修行としては難易度が高いんだってば。

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01月02日(水)

起床時刻:不明

「幸福とは、愛情と思いやりに満ち、固く団結したおおぜいの身内がよその街にいることだ」(ジョージ・バーンズ/『心にトゲ刺す200の花束―究極のペシミズム箴言集』)という言葉を正月ほど感じることはない。

「遠ければ遠くにいるほど、家族の愛情は強まるもの」(私バージョン)なのに、正月というとなんで家族や親戚で集まりたがるんだろうか。別に共通の話題もないし、お互い興味があるってわけでもないし、話して面白いわけでもない。
って思うのは、私が異常に薄情でめんどくさがり屋なのか。

あるいは私に子供がいないからそう思うのかもしれないね。
何しろ、親はいつでも子供に会いたい!!
いつでも一緒にいたい!!!
子供のことが大好き大好き大好き!!!
なんだよなぁ。

一方で子供は親に特に興味ないから、親の愛情がめっちゃ一方通行になってしまって、ムカついた昔の中国人の親たちが「育ててもらった親の恩」というのを口酸っぱく言い出したわけだ。「オマエも俺を好きになれ!!!尊敬しろ!!!ありがたがれ!!!一緒にいろ!!!」ってわめき出したわけだね。それが道徳だ!!!って。道徳と言われちゃあ、こっちも従うしかないもんな。

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01月01日(火)

起床時刻:不明

一応お節を用意したが、数の子は省略。40になって子供もいねぇのに子孫繁栄もへったくれもないだろうw
それに地球上には数の子並の人口爆発により70億ものヒトが暮らすという。これ以上増えたらどうすんだw

しかしふと思うのだが、人類も数の子の親にしんのように、そのうち大激減してしまうのだろうか。「あれからにしんはどこへ行ったやら~♪」ならぬ「あれから人類、どこへ行ったやら~♪」になっちゃうんだろうか。
にしんが大激減してしまった理由というのは乱獲が原因とも言われるけれど、定かではない。

昔からバカ採れしていたにしんは肥料にしたりしたそうだ。背側は身欠きニシンとして食用したけれども、腹側は「シメ粕」として肥料になったんですね。人間もたいがいは「シメ粕」運命だがな。

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