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起床時刻推移グラフ

目標起床時刻:08:00 平均起床時刻:10:31

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02月28日(木)

起床時刻:08時00分

02月27日(水)

起床時刻:08時00分

02月26日(火)

起床時刻:08時00分

02月25日(月)

起床時刻:12時00分

やる気しない。ああやる気しない、やる気しない。
あえていえば、眠りたい。

そういえばここ数カ月くらい「ものみの塔」(エホバの証人?)のおばさんがウチに訪問に来てない!『めざめよ!』を毎月持ってきてくれてたんだけどな。
「冬だし寒いから布教はやめとくかw」ていうタイプではないから(私ならありうる)、病気でもしちゃったか、嫌んなってやめたか。

私は『めざめよ!』をだいたい読んでいた。
『めざめよ!』には毎回ダメ人間やダメ家族が信仰によって劇的ビフォーアフターする話が載っているんだけど、羨ましく思って読んだものだ。

私もエホバの証人になったらやる気が出てくるのかなぁ。まぁやる気があるからパンフレットを配ったりするんだろう。

でももし、私がやる気まんまんの信者になり「朝から晩まで布教活動をするから、ゲームをする暇はない!」と夫に言ったとしたら、家庭が崩壊するだろう(『めざめよ!』だと、なぜか家族もいつのまにか入信しているので、家庭内の諍いはおこらないのである)。

宗教と倫理道徳てのは往々にして相反する。家庭をよくする道徳(親に尽す、夫に尽す)と宗教を熱心に信仰することは重なることもあるが、宗教の元々を思えば重ならんことのほうが多いだろう。それは仏教だってそうである。だいたいお釈迦様からして、、、っておっと、手首が痛い。こんなどうでもいいことを書くよりもゲームにそなえて手を休ませておかねば。

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02月24日

起床時刻:13時00分

ゲーム。
「腱鞘炎で手が痛いんだけど」って言ったら「文句を言いながらやるな!」と怒られた(のは金曜だったか、土曜だったか。まぁ日曜に書いても変わらんよ、こんな日常。基本的に「以下同文」の日々が続いてんだからさ)。

いつも私が悪いのです。
とはあんまり思っていないから、私はダメ人間なのかもしれんな。
私も悪いがあなたも悪いし世間も悪い。
これがダメ人間の発想だ。
もし本当に「いつも私が悪いのです」と思っていたらウツ病になるだろう。
そんな諸悪の根源はさっさと死んだほうがいいのだからな。

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02月23日

起床時刻:15時00分

一日中、ゲーム。手首が痛い。

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02月22日(金)

起床時刻:12時30分

もう午後4時か!!
時間がたつのは早い。
起きたのが12時半だからかもしれないがw

昨日の「今日の気分」に書いた本(『暴力の哲学』酒井隆史)は、映画(洋画も邦画も)の話がよく出てくる。

『仁義なき戦い』脚本家の笠原和夫さんは、実際のやくざにおびただしい数の取材を重ねて執筆をおこなっていたんですってね。彼は「やくざの理念型(ザ・任侠)」みたいのから離れた、いわばずっこけたヤクザの姿に愛着を持っているようで、だから彼の映画は「任侠ものであっても、任侠になっていない」と批判されてきたんだそう。

ここから引用。
「任侠とは笠原によれば「男の中の男である」と定義されますが、しかしそんな人間は見たことも聞いたこともない。たしかに『それらしい男はいる。若いときは心酔して、この人の為ならと思った人物は何人かいたが、あとで考えてみたら、見事にこちらが利用されていただけ、という連中でしかない』。そこから笠原は男らしさはフィクションであり、実体はどこにもない、と結論を下すのです」(P120)

へー、ヤクザ映画の脚本家がこんなことを。『仁義なき戦い』といえば、この前読んだ西部邁&佐高信の対談集(昭和のおやじらによる居酒屋談義)によれば、加藤陽子さん(あの東大の)も『仁義なき戦い』の脚本家・笠原和夫氏が大好きなんだそうで、女が見てもそれなりに面白い映画なんかな。
そういや、いつだったか、パート先の菩薩系男子が映画の『仁義なき戦い』が好きだと言っていてびっくりした。

著者によれば『仁義なき戦い』は
「理念なき暴力を示すことで、そこでは暴力の無目的性が映像化される。しかしその暴力はやはり道具=手段である。あきらかにそれは、ラスト・シーンに広島の原爆ドームを重ね合わせることで、若者たちの暴力が狡猾な組の親分たちに道具的に活用されていることをほのめかしているのだから。理念をひとまず宙づりにすることで、無目的な暴力のラディカリズムが表現されるとともに、道具であることによってその無目的な暴力が残酷なものとして再コード化される。そこに理念性がもう一度、覆いかぶされば、理念性のもとの暴力が手段にとどまらないおそるべき質を有していることもみえてくる、というわけです。とくに国家あるいは政治的・宗教的セクトのようなミニ国家に、理念性(平和、治安、自由、解放などなど)のもとに、再コード化されるならば、それが戦争や内ゲバなどにみられる、暴力の凄まじい「残酷」さとしてあらわれるのだと思います。それは法、あるいは例外状態における主権の決断のような正当性に裏打ちされているのだから。そしてまちがいなくフロイトのいうように「攻撃と破壊とに対する喜びが隠されている」。日常レベルでは相手を死においやるような過酷ないじめや排除のなかにも喜びがあるだろうし、もっと非日常のレベルでは、たとえば戦争の実際に生じた残虐行為やそれをになった人間の経験談をみてみるならば、あきらかに目的を逸脱したその残酷の凄まじさはこの点なしには理解できないだろう。<略>ぼくたちは暴力を深く嫌悪しているけれども、同時に深く愛し魅せられてもいる」(P209。原文も全然改行なしに書かれているんだってば)。

ほーお、でも私は「恋するナントカ」的なラブコメ系スイーツ()映画のほうがずっと好きなんですけどねっ。

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02月21日(木)

起床時刻:08時00分

『シリーズ道徳の系譜 暴力の哲学』(酒井隆史/河出書房新社/2004.5)を読んだ。キング牧師とかマルコムXとかファノンとかガンディーとかハンナ・アーレントとかフーコーとか、なんていうか「暴力と政治」というか「暴力と権力」というか、そういう目線での話が多かったかなぁ。
ブックオフに売る前に、以下メモ書き。

*************
フランツ・ファノン(アルジェリア独立のために頑張った精神科医←という説明であってる?)によれば「暴力とは癒し(ヒーリング)」である。
「暴力とはファノンにとって「リハビリ」です。暴力は、そういう癒しの意味を持っているというのです」。
ファノンによれば
「暴力は、この酔い覚まし、解毒作用である。個々人の水準においては暴力は解毒作用だ。原住民の劣等コンプレックスや観想的、ないし絶望的な態度を取り去ってくれる。暴力は彼等を大胆にし、自分自身の目に尊厳を回復させる」(P64)

「暴力のリハビリ効果」というのは一見受け入れがたいが、誰もが実は直感的にわかっていることなのかもしれない。だからこそ、少年漫画の王道は、「冴えなくて無気力な僕がマジカルパワーで強くなり、暴力の表出(=「悪」との戦い)を通じて自分の尊厳を取り戻す&仲間との絆を深めていく」ってことになるのかもしれん。
このテの話のキモはいつだって「暴力の表出」なんだよな。尊厳の回復に即効性があるのは暴力(=強大な敵を打ち負かすこと)だからね。仮に「ポプリづくりの名人」になったりしても、尊厳はなかなか回復しないw

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02月20日(水)

起床時刻:12時00分

自己評価が低い人に対して
「完璧を求めなくてもいいんだよ」(自分を批判しないこと)
「あるがままでいいんだよ」(自分を受け入れること)
「だって、私たちは誰もが不完全である権利を持つのだから」(不完全なまま生きる-劣っている勇気を持とう)
的なことを書いている本は多い。
最近読んだ『自己評価メソッド―自分とうまくつきあうための心理学』(クリストフ・アンドレ/紀伊國屋書店/2008.7)もそうであった。
365頁・2200円をまとめるとこんな内容であった(買わなくてよかったね)。

いやいやいや。
ダメ人間は「完璧」になろうとしているのではない。
人より優れようとしているのではない。
「普通」になろうとしているのだ。
「人並」「世間並み」になろうとしているのだ。

「普通」を目指すダメ人間にとって人生とは戦い(と敗退)の連続だ。
学校カースト最下位・場合によっちゃいじめ・場合によっちゃ登校拒否・受験失敗・就活失敗・彼氏彼女いない歴=年齢、四十にしてキャリアも家族も貯金も資産も何にもない!!あるのはトラウマだけ!!ワオ!!
てなことになる。

もちろん、私たちは「あるがままでいい」んだから、「あるがままの自分」を受け入れて、楽しくニート・引きこもり・生活保護・路上生活者・刑務所暮らしをすることはできるし、その権利を持つ。

問題は他の人である。
ダメ人間が「あるがままの自分」で「不完全なまま生きる」ためには他の人の支援が欠かせない。

他の人は、自分の財布がいたまないうちは「あるがままでいい」理論の信奉者であることも多いが、「財源ないので税金を上げます」とか言われると「さっさと死ねよ、この穀潰し」となるんだよな。
ま、死なないまでも「普通に働いて納税しろ、"あるがままでいい"は甘え」となる。

そう、問題はそこなんだよ。
「え?どこ?」な人に敷衍すると、問題は金なんである。
そもそも、ほとんどの精神的問題・家族的問題・その他のいろんな問題も畢竟金で解決することが多いと思われる。
こんなようなこと(「だいたいのことは金で解決する」)をホリエモンも言っていなかったか?

言ってなかったかもしれないが、ホリエモンの話をすると、この人もだいぶ変な人で、世間の常識からずれている。
でも、彼が「世間並み」を目指さなくてもよかったのは、彼が世間並みよりも金を稼げたからである。
あの世間から尊敬されている故スティーブ・ジョブズだって、精神的に普通からだいぶずれていたようだが(悪い意味で)、「普通になれ」などと言われなかったのは、もちろん創造性によって彼が金を稼げて、彼のそばにいれば金が稼げたからである。

だから本当はこうである。
「金さえあればあるがままでいいんだよ」
「だって金さえあれば、私たち誰もが不完全である権利を周りが認めるのだから」
である。金があればアスペルガーだろうがLDだろうが、個性となるのだ。
てなことは前にも書いたような気がするな。

それはともかく、「穀潰し問題」てのは私の中では結構大きくて(なぜなら私が穀潰しだから)、「穀潰し」は死ぬべきなのか?とか考えてしまう。

何らかの理由で働けない人がいたとしよう。まぁ穀潰しだわな。

まず私たちが「穀潰し」の罪状を吟味するにあたって、まず検討するのは自己責任があるか否かであろう。

先天的に知能が遅れているなどの理由で働けないのであれば自己責任ではないと考えられるが(「助けてあげるのが当たり前」)、「会社に行きたくない」病や「働いたら負け」などの理由であれば自己責任である、と考えられる(「甘えてんじゃねぇ」)。

次に「感じのよさ」も重要になってくる。
働けないけど、「前向き!けなげ!頑張ってる!!」だと、「元気をもらいました!!」とか感動され、助けてあげようと思われるが、働けないから、ネガティブ・愚痴ってる・世間を呪っているだと、「引き寄せの法則!!」と自己責任視される。

というわけで問題は「自己責任の上にネガティブで性格の悪い穀潰し」のケースなのだ。まぁ私だね。
これはもう、「死ね!さっさと死ね!」と世間様は思うだろう。
優生思想なのか?いや違うね。損得思想だね。
ていうか優生思想=損得思想なんだろうな。

それはともかく、クリストフ・「自分を受け入れよう」・アンドレが言うには世間はあなた(情状酌量の余地のない穀潰し)のことも受け入れてくれるというのである。
んなわけあるかい。どこの脳内お花畑ワールドだよ?わっけわからんわ。

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02月19日(火)

起床時刻:08時00分

大阪の小学5年生が学校の統廃合に反対して自殺したそうだ。
「どうか一つのちいさな命とひきかえに、とうはいごうを中止してください」というメモを残して。

正直「え?そんな理由で?」と思ってしまったが(ごめんね)、この子もまた、自分の言葉に重みを持たせるために命を添えたのだろう。
私たちの社会において言葉はホコリみたいなもの。
ホコリに意味を持たせるには、頭を丸刈りにするとか、指をつめるとか、自殺するとかするしかないのだから。

体罰問題も「言葉=ホコリ社会」の現れだと私は思っている。
言葉がホコリか糸くずのような役立たずで無意味なものだからこそ(何しろ「言葉で通じる」ことは世の中一つもないのだ。一つも)、「手でわからせる」コミュニケーションが一般化する。

言葉=ホコリで思い出すのは震災後のテレビで流されたAC広告。ホコリだからこそ、あんな空虚な言葉を安売りできるのだ。思考停止のお念仏だった。

私は昔から「敷島大和の国は言霊のさきはふ国」みたいな言説を聞くと「ハァ言霊?言葉に対してホコリみたいな扱いしかしてねぇくせに、どのツラ下げて言ってんだ、このバカは」と思っていたが、ふと気がついた。

そうか、私たちの社会において言葉ってのはあくまで呪術用であって、
コミュニケーション用ではないんだ、と。
私たちの言葉=言霊=呪術だから「頑張ろう」で話が終わるのだ。
「何をどう頑張るのか、そもそも頑張るべきなのか否か」などという言説は呪術としてふさわしくないから、「屁理屈をこねずに、黙ってやれ!!」と一蹴されるのだ。

私たちの言葉は、全て念仏みたいな「建前」であるべきなので、空虚であって当たり前なのだ。
言葉に「実を持たせる」ためには、殴る蹴る土下座する坊主にする指をつめる腹を切るなどの「身体性」を伴わなくちゃいけないんだ、と気がついた。

「言葉を呪術の領域に押し込めて、実際的なコミュニケーションは”阿吽の呼吸”のごとき、身体的なもの・空気的なもので行う」というのは、日本の伝統な気がする。「禅の公案」なんてのもそうだ。
日本の伝統的な師弟関係もそうだよね。指導方針=「師の技を盗め」ということで、言葉での説明を拒否するでしょ。
おそらく言葉では説明できないという頑な信念があるから(頭が悪くて説明できないせいなのか、あるいは言葉の無力さのせいなのかしらんが)、言葉で説明しないんだよ。

従って言葉で説明することを拒否された側は「こんにゃく問答」的なコミュニケーションをするしかない。そう、空気を読むのである(空気を読むのはいつだってパワーバランスにおいて下の人間の役割である。上の者にとってこんなに楽チンなコミュニケーションはない)。

とかまぁ、そんなことを思ったのでありました。。。

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02月18日(月)

起床時刻:12時00分

『妖怪人間ベム』のオープニング曲っていいよね。

「闇にか~くれて生きる♪
俺たちゃよ~か~い人間なのさ♪
人に姿を見せられぬ
けのもののようなこの体
(セリフ「早く人間になりたい!」)
暗いさだめを 吹きとばせ~♪
べム! べラ! ベロ!
妖怪人間」

曲中のセリフに「早く人間になりたい!」というのがあるけど、これ、単に人間になるだけではダメで、「早く就職先のある人間になりたい!」と願わないといけないねw。

そうでないと「妖怪」から「社会のお荷物」になるだけで、「保護にか~くれて生きる♪俺たちゃナ~マ~ポ人間なのさ♪」ってことになってしまう。
まぁ生活保護は権利として認められているんだからコソコソ隠れる必要はないのだが、ナマポ受給者でパチンコ行ったりエステ行ったりしていたら、世間の目というか2chの目はかなり冷たいだろう。

「妖怪人間ベム」ならぬ「ナマポ人間ベム」のOPテーマはさしずめ
「保護にか~くれて生きる♪
俺たちゃナ~マ~ポ人間なのさ♪
人に娯楽を見せられぬ
2chのようなこの視線
(セリフ「早く就職先のある人間になりたい!」)
暗いさーだめを吹き飛ばせ
ベム・ベラ・ベロ~ ナ~マポ人間」
みたいな感じかな。

しかもナマポ人間は妖怪人間とは違って自己責任とされているから、「暗いさだめ」とか言うと「暗いさだめは甘え」って怒られるからな、覚悟しとけw

ところで、妖怪人間って生活の糧はどうやってどうやって得てるんだろうな。世の中の悪を懲らしめているらしいが、誰が給料払ってくれるんだろう。色々考えるとむしろ妖怪のほうがいいかもしれんぞw

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02月17日

起床時刻:12時30分

02月16日

起床時刻:12時30分

02月15日(金)

起床時刻:08時00分

親から電話。どうでもいいことを色々と報告してくる。
父親が葬式に出かけたら、いい傘を盗られて、代わりにボロ傘が置いてあったそうな。

「葬儀の出席者も老人ばかりなので、目が悪かったのかもしれないが、自分のよりいい傘を持っていくのが図々しい」とか、「あんまり高い傘は買ってはいかん」とか、そういうことであった。

「人間というのは本来図々しいもので、年をとって前頭葉が衰えると、自制心が緩み、本来の図々しさが前面に出てきて、困り者になるらしい」というコメントをしておいた。ほんとかどうかしらんが、和田秀樹あたりがそんなようなことを言っておったように思う。ジジイが切れやすいのは前頭葉の衰えのせいであるとかなんとか(『人は「感情」から老化する』)。

はぁ、、、なんもやる気がしない。
「食欲は食べるにつれて出てくる」のなら、やる気もなんかをやるにつけて出てくるんだろうけど、、、そろそろ洗濯物も乾いただろうし、アイロンでもかけるかなぁー。

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02月14日(木)

起床時刻:08時00分

パート先の会社に「菩薩の化身なんじゃないか」と思われるほどの人格者アラサー男子がいる。
包容力がハンパないのだ。

この日、取引先のちょっとしたミスが発覚した。
そのミスは例えていえば、「おもらしをした男の子が、お母さんに発覚するのを恐れて、濡れたパンツをベッドの下に押し込んだ」的なことであるので、別に目くじらをたてるようなことでもないのだけれど、私(←よくミスをするくせに、ミスに対する許容度が異常に低い)は

「社会人にもなってこんなミスをすること自体ありえないし、きちんと対処しないこともありえない!!人間として零点であり、社会人失格であり、よくもまぁ、自分に絶望もせず生きていられるもんだね!!」
と、内心このくらい呆れ返り、不愉快になったのだった(異常かもしれない‥‥‥)。

(ちなみに、私のこの思考法(=ミスという「行為」とミスした人という「存在」をごっちゃにして非難する)が自分自身を苦しめてもいるんだけどね。私のこういう考え方のクセは、旦那と実によく似ていると思う)

もちろん、こんな思いは、態度にも、ましてや言葉にも出さないけれど。

しかるにこの菩薩くんは、この件を聞くとニコニコしながら「なんか、かわいいですね」と言ったんだね。
は?かわいい?
(念のため言っておくと、彼はミスした人を知らないから、外見の話ではない)

彼は、私と違って、とっても、とっても優秀な人なんである。
だから彼が他人のミスに厳しくても、誰もが正当なことと認めるであろう。
なのに、ミスに厳しいのはむしろ私なのである(「オマエが言うな!」の典型であることくらいはさすがの私でもわかるから、何も言わないだけでw)。

「何言ってんだ、この人は」と一瞬思ったが、すぐに私は「ハッ、これが菩薩思考か!!」と気づいた。

美空ひばりの「愛燦燦」(小椋佳作詞・作曲)の二番の歌詞に「人はかわいい~ かわいい~もの~ですね~」という一節があるけれど、はるか高みにある人たちには、愚かな人たち(我々のほとんど)の悪意なき失敗が、かわいくみえるのかもしれないねぇ。

私からすると「人はみにくい~ みにくい~ものですね~」というのが、一番実感に近いけど、それはたぶん、一番身近なヒトのサンプルである私自身が醜いからだろう。

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02月13日(水)

起床時刻:12時30分

今日は風がビュービュー吹いている。
花粉がいっぱい飛んでそうだ。

『花粉症は環境問題である』(奥野修司/文春新書/2008.2)を読んだ。
ちなみに著者の奥野さんは重度の花粉症患者である。

著者の主張は明快だ。
日本人の多くが罹患している花粉症はスギ花粉症であり、その原因はスギ花粉である。
花粉症患者がこれだけ増えたのは政府(官僚)が音頭をとって狂ったようにスギの植林を推進してきたためである。
1955年に「拡大造林」構想(河野一郎農林大臣)が出た当時から、単純林を拡大すれば、森林のもつ様々な機能が失われると警鐘が鳴らされていたのに、官僚が補助金つきで日本中にスギを植えさせたのは、経済的な利潤のみを求めたからである。

「広葉樹林帯を伐り倒し、日本中の山にスギを植えさせたのは、間違いなく国家なのだ。
<略>
ところが、拡大造林のさなかに木材の輸入を自由化し、国産のスギ価格を暴落させてしまった。植えたスギを伐るに伐れず、台風が襲来するたびに各地で国土が崩壊しているのだ。日本の林業をどうするかといった確たるビジョンを、当時の官僚たちが持ち得なかったがゆえに、こうした結果を招いたのだろう。
拡大造林で植えたスギが樹齢30年を迎える頃になると、各地で花粉症が発症し、社会問題になる。それでも林野庁は、森林法によってスギやヒノキ、クロマツ、アカマツなどを植えるように指導し続けた。

花粉症は、政府の過失であり、同時に社会問題になってからは、花粉症になることを承知で植えさせた確信犯である。
<略>
花粉症は、国家による犯罪ではないのか」
(P136-137)

『花粉症は国家による犯罪である』というタイトルのほうがしっくりくるなw

まぁでも、官僚は悪魔の手先として異世界から来たわけではない。
彼等だって日本社会で生まれ育ったんである。従って、彼等の政策は日本社会の価値観(経済的な利潤のみを求める)を反映してもいるだろう。
と思って読みすすめていったら、著者は「あとがき」にこう書いていた。

「熱にうかされてスギを植えたのは国だけではありません。民間も同じだったのです。拡大造林時代の新聞を開いてみてください。主要なメディアが拡大造林に反対したかというと、そうではなかったのです。
「木を伐しないのは伐り惜しみしているからだ」とか、「国有林は売り惜しむな」といった論調で拡大造林を煽ったのです。
もちろん世間も「伐れ、伐れ」の大合唱でした。
これは山林所有者とて同じでした。
<略>
過去の大失敗を反省しないのは国だけではありません。スギを植えた国民もそうであり、植林を煽ったメディアもそうです。
みんな踊り狂ったのに、いやはや、全員が、あとは野となれ山となれなのです」

********
この前『俳句の秘法』(鷹羽狩行/角川選書/H21.9)を読んでいたら森本哲郎氏の講演内容が紹介されていた。
日本は外国のように決定的な宗教がないが、日本においては「宗教に代わるものが、神のように恵みを与え、畏敬の念を起こさせる大自然である。山や滝など御神体としてあがめることもその現れです」とおっしゃっていたそうだが、私はこの手の話(耳タコだね)を聞くと、「は?鎮守の森を切り開き、御神木を平然と切り倒して、宅地を造成したり、スギの人工林に変えたりしたくせによく言うわ!」と呆れかえります。
経済的利益のみを優先し、ありとあらゆる自然破壊をしてきた昭和の歴史をしかと見つめれば、日本においては「宗教に代わるものが、神のように恵みを与え、畏敬の念を起こさせるお金である」「山や滝だけでなく、ありとあらゆるものを『ご利益がある』とあがめることもその現れです」という結論に至るはずである。

俳句の季語に「山笑う」とか「山粧う」とかあるけれども、スギ林(日本の森林面積2512万ヘクタールのうち、実に41%が人工林で、うち6~8割は手入れがされていない)ばかりでどこらへんが笑ったりよそったりしてんだよ?あん?って思うわ。

北東北あたりのブナやナラなどの落葉広葉樹の森ならわかるけど、奥野さんに言わせれば日本の拡大造林(とりわけ手入れのされてないものは)「工場のような(引用者注:ヨーロッパの森林学者が日本のスギの人工林を見たときに「まるで工場のようだ」と言ったらしい)黒々としてモノトーンの森に変えられてしまった。このおぞましい景観から、とても新たな文化が生まれるとは思えない。ただ腐臭のように瘴気を放つだけだ。むろん、瘴気とは、スギ花粉症というアレルギー疾患である」(P161)とケチョンケチョンだが、その気持ちはよくわかる。

芭蕉は季語について、「季節の一つも探したらんは、後世によき賜物なり」(季語のひとつでも発見したならば、それは後世へのよき贈り物である)と言ったそうだけど、現代ならさしずめ「花粉山」(春)、「崩れ山」(秋)、「春憎む」(「春惜しむ」なんてもう古い!東京都全体の花粉症有症率は19.4%(1996年。今ならもっと多いだろう)だからね。都民の5人に1人は春が憂鬱な季節なのである)あたりであろうか?
よき贈り物ですな、まったくw

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02月12日(火)

起床時刻:08時00分

先日、『40代から後悔しないで生きる方法』(佐々木常夫監修/宝島社/2012.4)というタイトルの本を図書館で見つけた。
「私も40代から後悔しないで生きたい!」と思って借りてみたら、「はじめに」はこんな風にはじまる。

「40代とはどういう世代なのだろうか。
会社においては管理職となり、上司の数よりも部下の数のほうが多くなる時代だ。これまでは個人の能力に頼ればよかった者でも、ここからは現場の責任者として、リーダーシップを発揮する必要がある。<略>
家庭においては子どもが思春期を迎え、一人の人間として成長するさまを目の前にして、自立をサポートする時期である。自分たちの世代から次の世代へ、伝えるべきことを伝え、バトンを渡す準備を始めなければならない」

えーっと、出口はこちらでしょうか?あ、そうですか、すみませんでした、
ちょっと会場を間違えたようでして^^;
みたいな気分になったのは私だけではあるまい(と思いたい)。

私みたいな40歳・パート(職場ヒエラルキーの最下層)で、子供は生まれてすらいない人からすると、管理職だの、子供にバトンを渡すだの、セレブのパーティ会場に足を間違って踏み入れてしまったような場違い感が半端ないw

一体こいつは何もんなんだよ。と思って監修者紹介欄をみてみると
「1944年秋田県生まれ。1969年東大経済学部卒業後、東レ入社。自閉症の長男を含む3人の子どもに恵まれ幸せな家庭を築くが、1984年、妻が肝臓病で何回かの入院を繰り返すうち、うつ病を併発。さらに計43回の入退院を繰り返し、育児・家事・看病を1人でこなすことになる。同時に会社では<略>多くのビッグ・プロジェクトに関わり、多忙な日々を送る。<略>2001年、東レ同期トップで取締役となり、2003年より東レ経営研究所社長<略>」

やはりセレブのパーティ会場だったようだ。

ていうか、むしろうつ病の奥さんのその後が知りたいわw
入退院43回てw よく数えてたなw
この旦那は外でバリバリ働くだけでなく、奥さんにかわって一人で育児・家事・看病をこなしたスーパーエリートなわけだけれども、彼によれば仕事以外の世界も知ることで、大きく成長できたらしい。「そりゃよござんしたね」だが、その間うつ病で寝ていた奥さんはどうなったんだろうね?
「うつ病で寝ているだけ」なんつうのは、どう考えてもダメな40代の過ごし方だよな。彼女は今頃どうなってんだろう?
ダメな過ごし方をしそうな私としてはめっちゃ気になるわw

そんな話はともかく、本書の内容をいくつかご紹介しよう。
と思ったけど、めんどくさいのでで一つだけ。「健康に生きるためによい生活習慣を身に付けよう」。
本書によれば「決意と覚悟の欠如」=不健康らしいぞw 失礼なw 
ま、読まなくてもいい本かな(少なくとも私にとっては)。

さて、7時すぎたので、いい加減寝ないとな。。。

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02月11日(月)

起床時刻:12時30分

02月10日

起床時刻:12時30分

02月09日

起床時刻:12時00分

一週間くらい前から親指の付け根あたりの手首が痛み出し、どうにもひどくなる一方なので整形外科に行ったら「ドケルバン病(狭窄性腱鞘炎)」だった。

お医者さんにもらったチラシによると、「母指の使いすぎにより、腱鞘が肥厚したり腱の表面が傷んだりして、一層症状が強くなる悪循環が生じます」だって。
母指の使いすぎといえば、コントローラーの丸ボタン連打ですね。
いや多分、極度の緊張状態でスタンを待機しているからこういうことになるんだろうな。何事においても下手クソな奴ってのは変なところに力入ってるからなw

こういうときは局所を安静にして刺激を減らしたほうがいいらしいんだけど、うちの旦那に「腱鞘炎だからゲーム休む」と言って「はい、そうですか」ってなるわけないんだよw
もちろん「ハァ?バカなこと言ってないで、さっさとログインしろ」って言われて終わり。

こんなところに引き合いに出したら怒られそうだけど、女子柔道の暴力監督も怪我していた選手を無理やり試合に出させたそうじゃない?柔道の怪我なんて、私のちょっとした腱鞘炎よりも何倍も痛いだろうに、選手が訴えても「ハァ?バカなこと言ってないで、さっさと試合に出ろ」って監督に言われて終わりだったんだろう。

結局、イーブンな人間関係でないところには「意思疎通」などなく、そこにあるのは「上意下達」のみなんじゃないか、という気がする。従って、選手たちは園田監督よりパワーのある権威に訴えるしかなかったんだよね。そうやってイーブンの関係にもっていき、「意思疎通」したんだろうね、あれを「意思疎通」というのであれば。
問題はだいたいの人間関係はイーブンではないということだな。例外は友人くらいか。

それはともかく、パソコンを使うときはたいして親指を使わないので痛くないんだけど、ゲームをやるときとか、重いものを右手で持つとき(2リットルのペットボトルの水をグラスに注ぐときとか)痛いんだよね。まぁまだ耐えられる痛みだからいいんだけど、「今日の気分」を長々と書いてたりしちゃいかんのだろうね。

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02月08日(金)

起床時刻:12時30分

『犬名辞典 Who's Who of Dogs』(福田博道/グラフ社/H18.11)を読む。

歴史に名を残した犬や有名人の犬、あるいは小説などに出てくる犬の名前をアイウエオ順に紹介している本だ。
読んでいると「ん?『ボートの三人男』に出てくるフォックステリアのモンモランシーが入っていないぞ?モンモランシーは入れなきゃダメだろう」とか思ったりして、この手の本はどうしても「あれが入っているのに、なぜこれが入っていない?!」読者が文句を言いたくなるもんなんだなw

面白いのが1910年の犬の名前人気ベスト10。
一位はポチ、二位はジョン、三位はマル。ここまではいいんだけど、9位がカメ。
へ?犬にカメ?ひょっとしてツルなんて名前の犬もいたの?って思うでしょう。
そうじゃなくて、カメは外国人が「come」と犬に言っているのを聞いた日本人が、「なるほど外人は犬にカメっていうのか」と早ガッテンしてつけた名前らしい。
ちなみにポチは、フランス語のプチ(petit・小さい)、英語の口語で犬を表すpoochなどからきたとかいう説がある。
だから「花咲かじいさん」の犬がポチってのはありえんらしいw時代考証的にw

(昔話「花咲かじいさん」のオリジナルバージョンでは犬の名前は「しろ」なんだけど、明治時代の小学校唱歌バージョン(『花咲爺』)では「うらのはたけでぽちがなく/しょうじきじいさんほったれば」というふうに「ぽち」に改変されている。
これは当時一番人気の犬の名前がぽちだったため、子供たちに親しまれるようにと作詞家がかえたようである、とのことP88-89)

あと忠犬ハチ公の話(主人亡き後も毎日渋谷駅に行って、主人の帰りを待ち続けた)を聞くといつも思うんだけど、飼い主もいなければリードもつけていない秋田犬が渋谷駅にいるってのもなかなかすごいなw
(それとも主人亡き後にハチ公をお世話していた人が毎日散歩で連れてきたのかね。でも、それだと美談にならんしなw)
今だったら「あんな大型犬がウロチョロしているなんてとっても危険!!!!」と駅利用者などからの通報が相次ぎ、すぐに保健所で処分されただろう。

お昼は紫玉ねぎとハムのマリネ+レタス+グリーン・オリーブのサラダ、カマンベールチーズ、田舎風パン、リンゴ、カフェオレ2杯。
さてと、出かけてくるかな。

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02月07日(木)

起床時刻:08時00分

味噌がなくなったんで、新しい味噌を買ってきた。
パッケージに「みそ汁の簡単な作り方」が載っていたんだが、それによると
①水で具材を煮る
②味噌を溶かしいれる
③ダシの素を淹れる
④薬味を散らす
となっていて、「とうとうダシの素でつくるやり方が公式になったか」と感慨深いものがあったんだけど、それはともかく、ダシの素って味噌のあとから入れるのね、知らんかったw
私は
①かつおだしをひく
②だしで具材を煮る
③味噌を溶かしいれる
④薬味を散らす
だから、ダシの素を水(お湯)で溶いたもので具材を煮るんだと思ってた。

これからの調理実習は「ダシの素の使い方」とか「レンジ調理の仕方」とかを教えないかんのやろうなw そのほうがずっと実用的だしね。

それにしても味噌汁の作り方に限らず、自分の学んできたことなんて全て無駄なんだなぁと思うことあるね。。。
ていうか、無駄なことばかり学んできて、今の時代に必要なことを何にも知らないんだなぁという感じね。。。

この前、パート先の雑用で動画の編集みたいなことをする機会があったんだけど、懇切丁寧な説明を聞いてもちんぷんかんぷんすぎて、自分に絶望した。
一応メモったんだけど、メモを見返しても宇宙語すぎて、「わからないところがわからない」とはこういう事態なのね、と把握した。
これからのパートはこういうこと(HPをちょいちょいといじるとか、動画をちょいちょいとつくるとか)ができなきゃダメなんだろう。

私だって、別に過去40年間、寝て過ごしたわけではない。
例えば私は人並に英語の勉強もしてきたわけだし、TOEICで900点以上とったこともあるわけだけど、英語の勉強なんかしてなんの役に立った?ネトゲでうっかり外人PTにはいったときくらいしか英語なんか使わねぇだろ?w

うちの会社に最近入ってきた子はイギリスの大学を出ているんだけど、仕事では英語のえの字も使わないからなぁw 基本、エクセル土方なんだから。

振り返ってみれば、そこに積み上げられているのはゴミの山、産廃と化した努力が道に転がっているわけだ。

僕の前にゴミはない
僕の後ろにゴミは出来る
だな。。。

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02月06日(水)

起床時刻:11時30分

『好感度を上げる 配色ルール&色彩テクニック』(ヨシタミチコ/池田書店/2010.11)を読んだ。
好感度上げねぇとなw
ていうか、いつも同じような色使いだし、、、とか思ってね。

この本、すごい情報量があって全ページカラーでそれで1400円でお得だね。
まぁでも、私が色々凝り固まっているせいか、取り入れるのが難しい。
カラーベース(ブルーアンダートーン、イエローアンダートーン)によってあれが似合う、これが似合うっていうのはわかるんだけど、実際のところ、「黄緑」(ブライトイエローグリーン)が似合う人とかってあんまりいなくね?て思うんだよね。。。

例えばブライト・スプリングタイプのドミナント(色相や色調で全体をまとめる多色配色のテクニック)コーデだとトップスはブライトイエローグリーン、インナーはパステルイエローグリーン、ボトムスはミディアムウォームターコイズとなっていて、全身黄緑となり、ほとんど「カメレオン?!」(常緑樹に補色中の)って思えるんだけど、、、。

あとディープ・オータムタイプ(私)のセパレーション・コーデだと、トップスがビタースイートレッド、セパレートアイテムとなるベルトがオイスターホワイト、ボトムスがイエローグリーンというわけで、上が赤で下が緑という、色盲検査コーデなんだよなぁ。。
この上が赤で下が緑(逆もあり)のコーデはディープ・オータムタイプ向けによく出てくるんだけど(例えば「元気」になるコーデとして)、ハードル高くね?
昔からFF11やっている人はかつてのシーフを思い出すかもしれんなw 上がスコハネ(赤)で下がシーフのAF(緑)でw
私はそのコーデも気に入らんかったが、「捕色対比」というオーソドックスなコーディネイトらしい。
無理っすw
しかしこんなに腰が引けまくりじゃ、好感度は全然あがらんのだろうなw

まぁでも、ディープ・オータムタイプに似合う色をおさらいできたからいいか。
私の好きな色でいうとターコイズも似合うらしいから、取り入れてもいいかもしれんが、流石にアクセくらいじゃないと無理な気がする。。。
(この本だと「優しさ」を表現するコーデとして、サーモンピンクのスーツにターコイズブルーのインナーとか出てくるんだけど、無理じゃね、それ)

となると白シャツにターコイズのアクセ(今だったら上から濃紺のざっくりしたニット)、ボトムスはタイトなジーンズをキャメルのブーツにインみたいないつものパターンになって、「全然学んどらんじゃないか!!」ってことになっちゃうんだよなw。
というのも、そもそもディープ・オータムはピュアホワイトは似合わないらしいから(ブリリアント・ウィンタータイプに似合う色)、白シャツダメなんだよなぁ。オイスターホワイトやウォームベージュがいいらしい。でもそれじゃ違うんだよね。
更にいうと私が好きな紺色はブルーアンダートーン向けでNGみたいだし(グレートネービーがパステル・サマータイプ、ネービーブルーがブリリアント・ウィンタータイプに似合う色。
ああもう、ブリリアント・ウィンタータイプになりたい(好きな色がだいたいブリリアント・ウィンタータイプ向けなんでw)。

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02月05日(火)

起床時刻:08時00分

「一緒にゲームをすることで絆と信頼と協調が生まれる」とかなんとか、ゲームデザイナーのジェーンさんは言うわけだが(昨日の記事参照)、うちでは一緒にゲームをすることで罵倒と暴力と不信が生まれているけどね。

ジェーンさんみたいなハッピーな人が羨ましいよ。
「ゲームでより良い世界を築きましょう♪」なんてキャピキャピ話せる人が羨ましい。いいなぁ、楽しそうで。

私にとってゲームは苦行というか、修行というか、柔道・剣道みたいな「道」の世界、ゲーム道だよ。ジェーンさんはゲーム内でたとえ作戦が「失敗したとしても絆がうまれます」とかなんとか言っていたが、全滅しても「lol」な外人クオリティとは違って、うちは正座で反省会の世界なんだから。

そして本日もまーた旦那に怒られた。FF11の修行中に。

今日の怒られた内容は、「TPのたまりが遅い!!」「削りが遅い!!」「釣りが遅い!!」「なんで死ぬの?」「回復しろよ?」「言われたことしかできないバカ!!」「こんなバカとなんで結婚したんだろう?」「何やらせてもできない、使えない!!なんでそんなに頭が悪いんだよ?バカすぎる」
などなど。そして今日は叩かれた。

だんだん旦那の私に対する扱いがひどくなっているのは確か。
「○○買ってこい」「○○やれ」みたいな感じで命令形だし。昔はそうでもなかったんだがなぁ。まぁ仕方ないよね。だって私、年々歳々確実に劣化していっているんだもん。

はぁ、バカ過ぎて死にたい。
でも死んだら旦那に私の貯金(ごくわずかなんだけどパートでちまちま貯めた金であるw)がいくかと思うと死ねないw
そうそう、自殺しないで生きている理由にはこれがあったw 「自殺って痛そう」「自殺って怖そう」「自殺って迷惑かけそう」以外にも、「自殺したら旦那がホクホクしそう」ってのは、かなり大きな自殺抑止力がありますぞw
「あのバカな女でも、さっさと死んでくれて、一つくらいいいところあったじゃんw」とか喜ばれたりしたら、ムカつくじゃない?

もう7時なんだけど眠れない。。。
8時に起きなきゃいけないんだけど><。
たぶん、明日会社で一日中睡魔と戦うことになるなぁ。。。

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02月04日(月)

起床時刻:09時00分

TEDでジェーン・マゴニガル の「ゲームで築くより良い世界」を見た。
ここで言っているゲームはネトゲ、オンラインゲーム(私が塗炭の苦しみを味わっている(←大げさ)アレ)ね。
http://www.ted.com/talks/jane_mcgonigal_gaming_can_make_a_better_world.html

一部内容をピックアップしてご紹介しよう。
調査によればゲーム文化が強い国では21歳までにゲームをするのに10,000時間費やすという。これはだいたいアメリカの小学校5年生が高校卒業まで学校で過ごす時間と同じらしい。言い換えると、ゲーマーの子供たちは学校で学ぶのとパラレルの教育課程(よりよいネトゲプレイヤーになるための)をネトゲで受けているようなもんである。

1万時間の法則によればどんなことでも1万時間費やせば一流になれるそうだから、我々は一流ゲーマーたちという豊富な人的資源を持っていることになるわけです。

では一流のゲーマーたちはどんなところが人材として優れているのか。
1. Urgent Optimism
(ゲーマーはいつでもエピックウィンは可能だと思い、難題にすぐにチャレンジする)

2. Social Fabric
(ゲーマーは緊密な縦横ネットワークをつくる達人。一緒にゲームをすることは絆と信頼と協調をうみだす)

3. Blissful Productivity
(平均的なWoWプレイヤーが週22時間をゲームに費やすのは楽しいからであって、「人類は難しい仕事をするように最適化されているのです」)

4.Epic Meaning
(ゲーマーは地球規模の気宇壮大なミッションに取り組むのが好き)

これらの特徴をまとめるとゲーマーというのは
「SUPER-EMPOWERED HOPEFUL INDIVIDUALS」
なんだとさ。
「ひとりひとりが世界を変えられると信じている人たちなのです」

「待て待て待て」と思ったあなたはFF11プレイヤーでしょうw
このジェーンはWoWプレイヤーらしいが、FF11やってから言えといいたいw
それもうちの旦那とやるがいい。ミスったら鉄拳制裁だぞ。WoWは遊びかもしれんが、FF11は遊びじゃないからなw
だいたい「エピックウィン」を連呼しているが、どの程度のことやってんだよw FF11でいえば「学者ソロでアペデマクを倒した」とかなら(動画みたけどすごかった)、/kneelするが、どうせ、このジェーンとやら、ふつーにパーティ組んでミッションクリアしただけの話なんでしょ(違ったらすまん)。

それはともかく、「ゲーム脳」もきもいが、このゲーマー礼賛もきもい。同意する部分もあるけど「なんか違う」と思うんだよね。。。

そもそもゲーマーたちがゲームに熱中する理由の一つは、彼らがSUPER-EMPOWERED HOPEFUL INDIVIDUALSになれるのがゲームの中だけだからだろう。リアル世界では通用しない(もっとも、ゲームで養った状況判断力や反射神経などのスキルは色々役立つだろうが、、、「地球規模の問題の解決に貢献してヒーローになりたい」(Epic Meaning)みたいな欲望が何の役に立つかわからん、リアルでは「刺身に菊を載せるだけの簡単なお仕事です」みたいなのをやっているときに)。

ゲームの世界はリアルの世界と違う。当たり前だが。ゲームの世界のように、初期ステータスが平等で、レベルアップに必要な経験値も平等で、防具や武器の購入を通じて簡単に自分のステータスをあげることができ、時間(努力)を費やせば費やしただけポジティブなフィードバックが目に見える形でかえってきて、なおかつどのように努力すればいいかが完全に解明されている世界(=攻略wiki)でなら、人はSUPER-EMPOWERED HOPEFUL INDIVIDUALSになれる。ま、私みたいに累積プレイ時間が1万時間でも、SUPER-POWERLESS NEGATIVE INDIVIDUALもいるがなwww

まぁだからリアルの世界をゲームの世界に近づけるべき、なんだろうね。ジェーンも言ってたじゃん?「ゲームの世界には失業はありません、みんな何かをしています」ってw。ま、「運営に与えられた何か」だけどなw

でもありえない話じゃない。かなり遠い将来、例えば人間が皆サイボーグ化した暁にはね。サイボーグだから能力は一定レベルをクリアしているわけよ。しかも、ネトゲと同じように好きなアバターを自分で選べるから、キモイ自分にはオサラバできる。これだけでも、年頃のブサイクどものストレスはだいぶ減るだろう。
更にサイボーグは不老不死だから年をとるたびにレベルダウンてこともなくなる。仕事は冒険にみせかけた(ゲーミフィケーションした)「世界を救う」道路工事みたいなものを「運営」から与えられるとかね。いい世界だねw

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02月03日

起床時刻:12時00分

AKBの”みぃちゃん”こと峯岸さん(←誰か知らなかった)の丸刈りを見たときはびっくりしたね。痛々しいというか、かわいそうというか、、、。

なんでも彼女はAKBの規則(=恋愛をしてはいけない)に違反したのがバレたんだそうで。そう聞いても我々門外漢としては「ハァ?そんなことで?」と思うけれども、AKBの世界内では絶対に従わなければいけない掟なんだとか(その割には色んな人が破っとるようだが)。
だから「お泊まり愛」なんつうのは仲間内(事務所とかファンとか)にとっては衝撃的な、許されざる裏切り行為なんだろう。

それを聞いて「AKBとその仲間内ってマジでキモい集団だね」と思うかもしれないけれども、例えば宗教の規律などには、外から見たら「ハァ?」でも中では絶対不可侵の掟っていうのはよくあるから、AKBだけが「キモイ」わけではない。

まぁそれはともかく、私は彼女の気持ちがわかる気がする。
私の理解によれば、彼女は丸刈りという形で謝罪の「誠意」あるいは残留希望の「本気度」を見せたんだと思う。

そもそも「誠意」というのは口では示せないもの、ということになっている。たぶん彼女がいくら「申し訳ありませんでした」と謝ったとしても「どうせ口先だけだろ」「口でならいくらでも言える」と誰も取り合わないに違いない(と彼女も私も思うわけだ)。

だから、「口先だけじゃない!本気で言っているんだ!」の気持ち(=誠意)を示すためには、口先以外の行動をとるしかない。そして日本では古来「誠意」は以下段階に応じて次のように示されてきたわけね。

土下座

頭を丸める

指をつめる

命をもって償う(ハラキリなど)

そうね、「入墨」なんかもここに入れてもいいかもしれない。
「AKB命」と背中にでかでかと彫れば「うん、本気である」と認知されただろう。

しかしまぁ、さすがに野蛮な風習だということで、最近の誠意は金で示されることになる。誠意=肉体(命)≒金なんだな。もっとも、みぃちゃんの場合は慰謝料を払って解決というわけにいかないから、頭を丸める方向にいったんだろうな。

結局さ、言葉なんて100%無意味であり、ホコリ以下の価値しかないんだよね。だから言葉以外で本気度を示す必要があるわけだろう。

まぁでも人間の考え方、感じ方ってかわるからね。。。
まだ彼女は若いから、何がなんでもAKBで、AKBの掟は絶対!!と思っているかもしれないけど、20年もたてば「何であんなことしたのかなーw」ってなるかもしれないね。。。

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02月02日

起床時刻:09時00分

バンザイ、バンザイ、バンザーイ!!
本日は珍しく旦那が一人で外出。
こんな貴重な機会は年に一回あるかないかなので、嬉しいったらありゃしないw

ところで私が最近気に入っている洗剤なんだけど、などと書きだすと、「ペニオクか!」「ステマか!」「アムウェイか!」と言われそうで恐ろしい昨今ではありますがw、私はアフィリエイトすらやっておりません(仮にアフィをやっていたとしても、過疎っておりますので1円の収入もないでありましょうw)。

ま、それはともかく最近気に入ってる洗剤の話に戻ると、壁のスイッチの周りがうっすらと黒ずんでいるのが気になって、何かいいのはないかとネットで探してて見つけたのが、この「フォーミュラG-510」(アメリカ製)。

何にでも使えて、汚れ落ちも抜群で、匂いもそんなになく、手あれもしにくく、しかも環境に優しいらしい(某HPによるとフォーミュラG-510は、針葉樹林の樹液からできたエコ洗剤そうです。ちなみに全成分は「非イオン系界面活性剤(23%トールオイル脂肪酸・トリトンスルファクタント(ポリエチレングリコールエーテルなど))、グリコールエーテル、バーシン100」)。

うちでは壁の黒ずみよりも換気扇に威力を発揮しているかなw
色々使えて便利です^^。

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02月01日(金)

起床時刻:09時30分

昨日もまた夫から怒られた。一昨日も怒られた。その前も怒られた。
「ゲームの動きが悪い」から。
しかも「体罰顧問」よろしく叩いてくるしさぁ、どこの部活だよw

昨日はなんで怒られたかというと、まず①大量リンク処理を適切にしなかったために旦那のキャラが死んだから(でもそもそも、リンクさせて釣ってきたのは旦那なんだが、、、もし私があんな大量にリンクさせて釣ってきたら、激怒しただろうに、、、)②敵のWSをスタンでとめられなくて死にかけたんだな(でも旦那もミスしてたんだけど、、、とか言うと「言い訳ばかりするな!」と怒られるんだよな)。
一昨日はなんで怒られたかというと、やっぱりスタンが遅かったからだな。その前は私が敵に絡まれて死んだからだ。

何でこんなに反応が鈍いんだろうね。。。
「バカで無能で池沼の上に反省していないからだよ!!」と旦那は説明してくれるが。

前も書いたけど、私が自分の人生で誇れる唯一のことは子供を産まなかったことだね。生まれた子供(私の子供だったらどうせ無能だろうし、無能だったら夫は子供に暴力ふるうだろうし)に「人の一生は重き荷を背負いて遠き道を行くがごとし、わけてもあなたの荷物は特大よ(はーと」なんて言わずにすんだことねw
生まれてこないですむなら、生まれてこないのが一番いいんだよ。特に無能のクズはな。

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