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起床時刻推移グラフ

目標起床時刻:08:00 平均起床時刻:08:46

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09月30日(月)

起床時刻:08時00分

09月29日

起床時刻:10時30分

旦那に「お前なんかただの家政婦だ」と言われたけど、わたし程度の家事能力で家政婦呼ばわりしたら、家政婦に失礼である。
ま、わたしの場合は家政婦だけではなく売春婦も兼業しているわけだが、どちらのスキルもかなり低レベルでプロにはほど遠い。まさに「あまちゃん」なんである(今頃)。こんな朝ドラはイヤだねw10967歩。

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09月28日

起床時刻:09時00分

平日も疲れるが、土日も疲れる。
夫がブチ切れて大変である。辛気くさい顔するな!!とか怒鳴りちらす。
女は明るくなくちゃいかんのだね。ほら、かーちゃんだけがキャピキャピ話して他の家族はめんどくさそうにシーンとしている家族連れとかよく見るしな。かーちゃんもめんどくさくなってシーンとしてたら「おい、どうした」っていわれるんだよな。めんどくせぇ。8063歩。

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09月27日(金)

起床時刻:08時00分

以前勤めていた会社の同僚と久しぶり(10年ぶり)に会ってご飯を食べた。
彼女は「不夜城勤務(家に帰るのが毎日午前2時3時)&ひどい上司→うつ病発症」という王道を歩んでおった。

今はパキシルを飲み続けて元気になったそうなんだけど、どこらへんに元気になる要素があるのかわからなかったので、色々と聞いてみた。
「ゲームで言ったら、わたしたち、完全に分岐間違えちゃったよね、もうこの先、バッドエンドしか見えてないよね?」
「転職するったって、経験があるのはこの業界だけだから、この先、どこに行っても死ぬほど働かなくちゃいけないよね?」
「どこから見ても人生終わってる。生まれたきたこと自体が呪いだとしか思えない。働くという呪いをかけられているんだよ、違う?」
そしたら「pyaaaちゃんもパキシル飲んだほうがいいよ」ってパキシルすすめられちゃった、てへ。

別にね、私は好きなお友達を私の側(=うつの沼)に引き戻そうとしたんじゃないんだよ。私は元気になった彼女に「それは違うよ!」と苗木くんぽく論破して欲しかったんだ。でも論破できるのはコトダマじゃなくてパキシルらしい。

それに加えて私の言っていることが10年前と全く同じだ、とも指摘された。
「ぶれていない」と言われたが、いや、そこはむしろぶれたほうがいいところだ。私もパキシルを飲むべきだろうか。まぁでもうつ病の特効薬は働かずして食うことと、他人(特に家族)を自分の物理的・心理的視界から消し去ることだと思うね。11953歩。

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09月26日(木)

起床時刻:08時00分

はーあ、日々疲れている。一人になりたい。

ちょっと前の話だけれども『私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い』通称「わたモテ」というアニメ、旦那に「面白いから!」と視聴を強要されて、数話みた。これ「コミュ障で多少病んでるが、よく見たらかわいくてドジっ子な女の子に萌えるアニメ」なんだね。喪女アニメだと思って見ると違和感がある。

以前誰か(女性)が「”私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い”というのは女の発想じゃない」みたいなツイートをしていて、いたく納得した。そうなんだよ、女の場合、どっちかっつーと、モテなくても「お前ら=男」じゃなくて、自分を責めちゃうんだよな。
私がモテないのは私のせい、私の顔が悪いから、私の性格が悪いから、私の頭が悪いから、エトセトラエトセトラで、「結論:私がモテないのはどう考えても自分が悪い→鬱」に落ち着く傾向にある。

男の場合は2ch及び自分の経験から察するに「俺がモテないのはどう考えてもビッチ化した女が悪い」という発想と親和的な気がする。なぜか男は自分を責めない傾向にある。
女としては「なんでだよ?お前だって、顔も性格も頭も悪いじゃん?だから女にもてないのはお前が悪いじゃん?」と思うのだが、男である以上は女に好かれて当然と思っているような人、少なくない。幸せだよねぇ。「俺が○○なのはどう考えてもお前らが悪い」というふうに周りに責任を転嫁するほうが本人の精神衛生上はいいものね。周りは精神病むけどさ。

もこっちが「謎ポジティブ」なのも、自分に絶対的な自信があるからだろう。男の場合は「自分は男である」というのがその根拠だったりするけど、もこっちはどこからその自信が湧き出てくるんだろう。実はもこっちは、ものすごい美少女なんだけれども、近寄りがたいほどの高貴なオーラのせいで、周囲がびびって彼女を敬遠するため、もこっち王女様は一人さびしく空回りしている、とそういうことなのかな。それなら納得いくけれども。9265歩。

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09月25日(水)

起床時刻:08時30分

気になるところがあり、会社を休んで病院に行ったら「どっこも悪くない」とのこと。おかしい。あーあ。ゆっくり温泉にでもつかって日ごろの疲れを癒したい、とか書くと「すごい激務の人」っぽいが、わたくし残業ゼロのパートだからね。「オマエが言うな」だろうが、人間にはキャパシティってもんがあるんだよ。

ちょっと前だけど『四国遍路』(辰濃和男・岩波新書・2001年)を読んだ。新書だけど内容はエッセイ。60代後半の元朝日新聞記者が、人生二度目のお遍路(区切り打ち)に出る。意外にいい本だった。
文章のリズムがここちいい。
また、色々なバランスがいい。
例えば、自己内省と外への好奇心のバランス。
それこそ新聞記事や観光案内のように外にばかり目が向いていてもつまらないし、内にばかり深くこもっても紀行文としては失格だ。ここの按分がいいのだ。遍路道のゴミの多さや国道の歩きにくさにしばしば触れるのは、元記者の目か。

ところで「ゴミのポイ捨て」は私がこの世でもっとも許せないことの一つである。もし私が「十戒」を定めるとしたら、「ゴミのポイ捨てをすることなかれ」が最初にくるかもしれない。「そんな些細なことよりもっと大事なことがあるだろうに」って言われそうだけど、「殺してはならない」とか言っても誰もどーせ守らないじゃん?ていうか守れないじゃん?だからフィージブルな内容にするんだ、私。

それはともかく、本書を読んでいて、何よりも四国の人に尊敬の念を覚えた。「古代から、おびただしい数の遊行の聖たちが四国の道を歩いた。山の洞窟(いわや)、海辺の洞窟で修行を重ねたものも少なくなかっただろう。一遍上人も山頭火も四国を歩いた。歴史は修行を続けた名僧、高僧、修行者たちにとりわけ強く光を当ててきたが、そういう人たちを影で支えてきたのは他ならぬ土地の人々のお接待なのだ。<略>病をかかえた人も村を追われた人も、修行僧たちも、施与がなければ四国を歩き続けることはできなかったのだ」
もちろん、施与の背景には自分も利益を得たいという信仰などがあるんだろうけど、それでもすごいよ。私にはできない。10284歩。

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09月24日(火)

起床時刻:07時30分

最近、中国人学生がバイトに来ているんだけれど、彼の書類の判子の押し方がフリーダム過ぎたw
書類三枚に署名捺印してもらったんだが、一枚は上下さかさま、一枚は真横、一枚はさかさま&斜めという具合。「どうやったらそんな押し方になるんだよw」と思ったが、ひょっとしたらささやかな抵抗なのかもしれないね。
というのも、彼は「どうして印鑑を押さなきゃいけないんですか?署名しているから印鑑は必要ないですよね?印鑑なんていくらでも偽造できますよね?」と流暢な日本語で総務の子にめっちゃ聞いてたからね。
「日本ではそういう習慣だから」とその子は答えていたけど、中国人は日本人みたいにあちこち判子押さないのかな。判子だって元々は中国から日本にきたものじゃないのかね。

まぁそれはともかく、もし彼が李とか陳とかじゃなく、シュワルツネッガーとかストラヴィンスキーみたいな長ったらしい苗字だったら、判子をつくるのも一苦労だよね。社判ですかっていう認印になるよね。費用もかかるだろうし。そしたら気楽に判子を押せともいえなくなるね。
まぁどっちにしろ、グローバリゼーションの時代なんだから、判子なんかそのうちなくなるだろう。11726歩。

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09月23日(月)

起床時刻:11時00分

09月22日

起床時刻:10時30分

09月21日

起床時刻:09時30分

一日中、ずーっと『スーパーダンガンロンパ2 さよなら絶望学園』をやってクリアした。面白かった!

16人の高校生が南の島に修学旅行に来るのだが、引率のウサミ先生が謎のぬいぐるみ(モノクマ)にフルボッコにされ権限をすべてのっとられてしまう。モノクマは「島から脱出するためには他の生徒を殺さなければならない」という「コロシアイ修学旅行」の開催を宣言する。即ち殺人を犯した後の「学級裁判」で犯人であることがばれなければ、島から出て元の生活に戻ることができるというのだ(クロを間違えた場合、犯人以外は全員死刑となる)。ただし、「学級裁判」で犯人であるとばれたら犯人にはきびし~い「オシオキ」が待っている。
最初の五章では犯人あてっこ、最期の六章ではそもそもこの状況に追い込まれたことの謎の解明がメインとなる。

下ネタ満載で下品だわ、オシオキが残酷で暴力的だわ(1のほうが残酷のようだけど)、パロディというかパクリというか色々アレな要素はあるわでおすすめはしないが、ゲームとしては5点満点で5点だろう。色々とどこかで見たような設定だが、よくできている。全篇ギャグっぽい、軽佻浮薄な調子なので許されるというかw

***********************************:
ただね、「絶望」は暴動やテロを誘発したりしないよ。
「絶望」は人間から感情を奪い、行動を奪うんだ。暴動やテロを誘発する感情は「絶望」ではなく、「怒り」だよ。

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09月20日(金)

起床時刻:06時00分

疲れているのに眠れないので、起きてみた。
せっかく早起きしたのに、ここに過去数日分、どうでもいいことを書きつらねて時間を無駄にした。まぁどうせ、何をやっても無駄なんだがな。

「無駄と無駄ではないことの違い」の基準は明確であり「金になるかならないか」である。オリンピックだって経済効果がなく、むしろ自分のところからの持ち出しであれば「無駄」と言われるだろう。というのも、スポーツそのものにはたいした価値なんかないからだ。

まぁしかし、オリンピックは色んなことを教えてくれる。
例えば、「世の中は結果が全てである」という事実とかね。物事の価値や意味や正邪でさえも、全ては結果で決まる。「勝てば官軍、負ければ賊軍」。

以前テレビにフィギュアスケートの小塚選手のお父さん(彼もフィギュアスケート選手)がオリンピックで惨敗し、日本に帰国するのが怖かったと話していた。実際帰ってきたら「税金ドロボー」と罵声を浴びせられたそうだ。
もし彼が活躍していれば「元気をもらいました!!」とかいう馬鹿面に取り囲まれたことであろう。

スポーツ大会、とりわけオリンピックや大リーグのように勝つことが収入の増減に直結するような場では、アスリートたちはスポーツマンシップ=「結果が全て」を発揮して、ドーピングしたがる。
『ヤバイ統計学』(第4章ドーピング検査とテロ対策――非対称がもたらす動揺 )を読むと、種目にもよるが、世のアスリート達がドーピングまみれであることがわかる。私たちはドーピングの陽性反応ばかりに気をとられるが、まちがった陽性反応という悲劇もあるかわりに、まちがった陰性反応もある。「実際にドーピングをしている1人を現行犯で捕まえる(正しい陽性反応)ごとに、約10人が処罰を免れる(間違った陰性反応)。ドーピング検査の本当の問題は、問違った陽性反応ではなく、間違った陰性反応なのだ」。間違った陰性反応としてはマリオン・ジョーンズの例がある。そこでは本当にメダルを手にするはずの人がもらえないという悲劇を生む。

なんにせよ、オリンピック関係者で「参加することに意義がある」なんてトンチンカンなことを思っている人は一人もいないことだけは間違いないね。
人生においてもまたしかり。この世に生れ落ち、世の中に参加することに意義などない。勝たなければ、しかも勝ち続けなければ意味がない。歩いてきた道のりや積み重ねてきた努力は全て意味がない。全て無駄となる。
また我々はオリンピックを通じて加齢による選手のパフォーマンスの低下という厳しい現実を目の当たりにする。人間はいわば老化という不治の病にかかっており、ゆっくり坂道を転がりおちるように、年々あらゆる機能が衰えていく。結局私たちは最終的には必ず負ける試合に出場しているようなものであろう。

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09月19日(木)

起床時刻:08時00分

世の中「おもてなし」ブームらしい。
IOC総会での滝川クリステルのスピーチによれば、「お・も・て・な・し」とは「訪れる人を心から慈しみお迎えする」という心だそうだが、「(※ただしカネがあるやつに限る)」という重要な但し書きについては言及していなかったようだな。まぁ「人」の中にカネのない奴は含まれないということは世界の常識であるから、わざわざいうまでもないことか。

それはともかく、クリステルは「そのおもてなしの心があるからこそ、日本人がこれほどまでに互いを思いやり、客人に心配りをするのです」とのたまっていたが、しかし物事はいいことばかりではない。
この「おもてなし」精神こそが日本人を疲れさせる原因でもある。ことにビジネスで「おもてなし」を強要されると実に疲れることになる。ビジネスにおける「おもてなし」の内実は「感情労働」と「無賃労働」であるからだ。

具体的には「いつもにこやかに、明るく、元気な声で応対し、お客様へのおもてなしがきちんとできるように、始業時間の三十分前には職場について、なんやかんや準備をしておく。業後もまた、お客様の急な要望に応えるために全力を尽くす。もちろん、業務外なので時給はつきません」みたいなかんじである。これが「おもてなしの精神」、またの名を「おもてなしサビ残」という。

「『おもてなし』という労働-温泉観光旅館の仕事とジェンダー-」(高橋さつき)という論文によれば、観光地における接客業務(主たる従事者は女性)の仕組みは、「接客従業員を搾取的労働に従事させかねないものとなっている。つまり女性接客従業員が担っているのは、私的空間を演出するための感情労働、また労働に見えない性質を持つケア労働、マニュアル以上の仕事を要求されかねないサービス労働なのである」
「『おもてなし』という労働は、旅館の『主な商品』であるのにもかかわらず、完璧に実現しようとすればするほど搾取されてしまう可能性が高い」のだそう。

接客業従事者の多くは時間労働の派遣やアルバイト・パートだ。それにもかかわらず、「心配り」という「おもてなし精神」を強要することで労働者の時間を奪い、しかも「それは『心配り』であって『労働』ではない」という理屈で無償労働として搾取する。

いや、私だって、海外諸国における接客業者みたいにぶーたれろとか、時間になったらレジに人が並んでいようと無視してシャッター閉めろとか、そういうのを奨励しているわけじゃない。そうではなく、「おもてなし立国」とかたわけたことを言うんなら、「おもてなし」労働に対してそれなりに対価を払えよな、ってことだ。

今や女性だけではなく、男性も「お客様は神様です」主義に基づく「おもてなし」の強要によって、疲弊している。
「おもてなし」は一度やると、次はそれが期待値となってしまう。しかも、競合もみな「おもてなし」という過剰サービスをするため、価格をあげることはできない。結局、サビ残して前回以上のクォリティを提供することになり、自分の首と他人の首を絞めまくっている。
「敷島の大和の国のおもてなし そのサービスが過労死の元」なんつってな。9100歩。

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09月18日(水)

起床時刻:08時00分

大正7年(1918年)、熊本出身の高群逸枝女史、満24歳にして女一人約半年間の四国遍路の旅に出る。その記録が『娘巡礼記』(岩波文庫)である。

意外に面白かった。若かりし頃の高群逸枝先生のキャラが『赤毛のアン』のアンっぽく、行く先々で珍事件を起こす。
まぁだいたいにおいて、夢見がちの感激屋で、そのくせ変な行動力だけはあって、勉強ができて、ウィットに富む女の子というのは、えてしてこういう感じになりがちではある。

高群は熊本→大分→船にのって四国、というルートでお遍路に出る。
熊本と大分の県境では「熊本は見れども見えず伸び上がり伸び上がりつつ涙はてなし」としたためる。現代人としては「まだ大分ですけどー?」とつっこみたい気分になるが、当時のお遍路さんは今とはだいぶ違った。何しろ熊本からずっと歩いていくんだし。もちろん、違うのは交通事情や宿事情だけではない。当時お遍路や巡礼に出るのは「願下のためか悪病のためか失敗のためかこの三つの一つに該当」するケースがほとんどで、社会的な居場所をなくした人々がホームレスとなって死に場所を求める旅であった。お遍路の白装束はもともとは死装束なのだ。

高群のカリスマ性ゆえだろう、大分で彼女に宿を提供してくれたおじいさんが寝ていたら観音様の御示現があったという。
「もう貴女はただならぬ人と極(きま)った。勿体ないがこの爺が、ご守護申して巡拝せねば仏にすまぬ。<略>きっとお供しますから」とのことで、見ず知らずのお爺さんが荷物も何もかも背負って(七十過ぎなんだけれどびっくりするほど頑健なのである!このじいさんを拝みたいくらいである)、家来然としてくっついてくる。

「ただならぬ人」と評判になる高群のもとには、おできを治してくれとやってくる人もあれば恋文を届ける人もいるし、名士の家に呼ばれて揮毫をしたり、旧家の青年に相談ごとをされたり、洗濯もままならないであろう白装束でこれだけの民衆の反応を引き起こすとは、どんだけすごいオーラ持ってたんだよ、高群さんは!
ハッ、これが「マレビト信仰」ってやつか。彼女を拝まんばかりの人々を見て「欺(だま)しよい人々だ、と私はちょっとの間凄いことを考えて戦慄した」。昔はテレビなどの娯楽が一切ないからよその土地からくるホカイビト的な人たちが歓迎されたのかもしれんね。今だったら家でテレビみてて、誰も外にでてこないでしょ。12292歩。

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09月17日(火)

起床時刻:08時00分

通勤電車の中で、『折口信夫対話集 安藤礼二編』(講談社文芸文庫)を読む。本書は文学、民俗学、神道学の三分野の対談を収録しているが、文学を除く二分野は話が難かしすぎてさっぱりわからないので、読んでいない。

昭和二十四年四月の「細雪をめぐって」という対談では、谷崎潤一郎&川端康成との豪華鼎談である。その内容はというと「話がはずまない四方山話」で(ところどころ面白いんだけど)、谷崎はやる気ないし、川端はKYだし、「大家」といわれるおっさんが集まるとこんなもんである。
こんな感じ。

谷崎:また言葉の話になりますけれども、この頃の東京の女の言葉は厭だな。実に厭だ。志賀(直哉)君なんぞも言ってましたよ。東京の現代の女の言葉を聴くと、書く気にならん、厭だって……。同感だな。昔とはまるで違っちゃって……。
川端:谷崎さんとは昔本郷の西片町でお目に掛ったことがありました、初めて……。
谷崎:はあ?それ、僕、憶えがないな。どこで。
川端:今東光君の家で……。震災前後でした。
谷崎:憶えがない。震災前だろうな。―折口さんはおいくつですか。
折口:六十三になりました。
谷崎:ああ、そうですか。お若いな。これは驚いた。実に驚いた。-実にお若いですね。
折口:独身のとくでしょうか……。(笑)
川端:髪はお染めになってるんですか。
折口:困ったことになりましたな……。
谷崎:しかし、たくさんあるし……。これは驚いた。私はまだ五十代だと思っていました。びっくりしたな。それじゃ、僕と一つしか違わない。<以下略>

やる気なさそうな谷崎が、唯一反応を示したのが「折口の見た目が若い」というところであった。

まぁ思うに、この三者の中で一番会話のキャッチボールが出来ているのが折口である。「エライおっさん」というのは話の流れを平気でぶったぎって、ワシのココロに浮かんだことをいきなり話し出す。これは精神における老化現象であり、谷崎にも川端にもみられる。他人にまだ気をつかえる折口はそこまで老化がすすんでおらず、若い印象を与えるのかもしれない。
まあでも「ワシのココロに浮かんだことをいきなり話し出す」系のジジイはストレスがたまらないんで、割と長生きするんだけどね。
3475歩。おかしい。

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09月16日(月)

起床時刻:11時30分

夫が某「ハイスピード推理アクション」ゲームを買ってくれた。今アニメでやっているやつの続編ね。
別にいらないんですけど。ていうか生活費をくれよ。
といいつつ完全にはまって家事もせずにやっていた。その結果が2090歩である。

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09月15日

起床時刻:11時15分

9793歩。連休は疲れる。

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09月14日

起床時刻:10時00分

石川九楊氏の『現代作家100人の字』(新潮文庫・1998)を読む。

近代日本語書記の課題は「書字方向である下方への展開性よりもむしろ上方への構築性の造詣原理からなる楷書(漢字)と、下方への展開性の平仮名(仮名)という、正反対のベクトルの組み合わせを強要され」ていることである。かかる「近代日本語書記法の前では、だれもがこの美的違和に直面せざるをえない」と言う。
なるほどね、私の書く字の「美的違和」の根本には近代日本語表記法上の問題があったか!と膝をうったりしたら怒られるだろう。ワタクシの書(というのもずうずうしい)、そんなレベルちゃいますやん。普通に「山」とか「川」とかいうレベルで下手くそですやん。習字教室にも幼いうちから通ったが、ピアノ同様、全く上達しなかった。成果といえば墨のついた服を量産したことくらいか。我が無能さに死角なし。

裏表紙に「『あの人がこんな字を?』という意外な驚きに満ちた本」とある。なぜ「驚き」があるのかといえば、私たちは「人格と文字タイプに関連がある」と意識的・無意識的に想定しているからである。男手、女手、おおらかな人はおおらかな字、神経質な人は神経質な字、といった具合に。つまり「書は書き手の人格が現れる」という想定があるからこそ、「意外な字だ」とか「なるほど彼らしい字だ」といった感想を持つのだ。

例えば三島由紀夫の字(「文武両道」と書かれた色紙)は「柔和で温感のある佇まい」だという。『金閣寺』の原稿用紙はもっと明解で「女性的といってよいほど、温かいやさしい顔立ちをしている」、「この原稿のどこにも割腹自殺を予想させるような雰囲気はない」と評されている。
「ということは、人格と文字には何の関連もないんじゃないの?『意外性』に満ちているってことは例外だらけで関連性がないってことでしょうよ?」という結論には至らず、むしろ「文字からみれば、彼(彼女)は本当は○○な性格なのだ」という方向に向かうところがおもしろい。
三島については「『文』の資質、資性しか持ち合わせない人間が、理想として「文武両道」を掲げ「武」への懸命な脱出を試みた」ところに悲劇がある、というわけだ。ていうか「文字と性格の関連性」について経験則以外のちゃんとした調査結果とかあるのかな?8381歩。

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09月13日(金)

起床時刻:08時00分

「秋晴れやピアノ開ければピアノの香」(片山由美子 『俳句』2012.11月号より)
空気の澄んだ秋の日に、開け放した窓の白いレースのカーテンごしに聞こえてくるピアノの音、たどたどしくも懸命におさらいする幼き少女が我が近所にもおり、ほほえましいやら、「ド下手くそが。窓閉めろや」やら、色々な感想を持つのであります。

私がピアノをはじめたのは幼稚園前と誰よりも早かったが、その後に習い始めた近所の全員に追い抜かれて挫折。無駄に長々と習い続けたが、ピアノの腕は上達せず、劣等感だけが肥大化した。何をやらせても下手、何をやらせても人並み以下、みたいな。

今ではピアノを聞くだけでパブロフの犬的にインフェリオリティ・コンプレックスが刺激されるようになり(これが長年のピアノの稽古で得た唯一の成果である)、「秋風や我が人生は無駄ばかり」とでもつぶやきたくなるわけだ。祖母の買ってくれたピアノの代金、それから十数年にわたる月謝の累計、あれを今そっくりそのまま欲しいものである。生活費の足しにするのに。今や本を買うカネも節約し、一年前の雑誌を図書館で借りて読んでいるんだから。
5979歩。やっぱり今日も万歩計がちゃんとカウントされていない!全くオマエは何を学ぶのか?我が愚かしさに限りなし。

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09月12日(木)

起床時刻:07時10分

「ユリイカ!」な出来事があった。私の万歩計がときどき「3歩」とか意味不明な歩数を記録する理由がわかったのである。
私の万歩計は振り子式で、つまり上下の振動によって歩数をカウントするタイプなのだが、どうも上下を逆にポケットに入れると、振り子のカウンターが落ちないようになっているようだ。変な記録になっているのは上下逆にポケットに入れている場合に違いない。

今日、お昼頃ポケットから万歩計を取り出すときに「なんか上下逆に入ってるな」と思ったら、ゼロ歩でカウントされてなかったのね。それで気づいたというわけ。まったく、おっさんのベルトにはさむことを前提とした万歩計なんかやめてほしいわい。もっとも今は色々な種類の、先進的な万歩計が出ているようだけど。

ま、でも「不正確に数えたら死ぬ」とかそういうわけでもないから、今のでいっか。まだ一日は終わっていないが(現在午後10時頃)7091歩。午前中のゼロ歩を勘案すると、実際はこれプラス2000歩くらいはあるだろう。

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09月11日(水)

起床時刻:08時00分

仕事中、チベット問題に関するブログ記事を読んで暗澹たる気持ちになった。「消されゆくチベット2013年夏」(『科学に佇む心と身体』より)
http://ep.blog12.fc2.com/blog-entry-2076.html

「そんなことより仕事せい」と言われそうだが、私の仕事なんかよりチベット問題のほうがずっと重要だ。私の仕事はただの「お金儲けのお手伝い」だ。人権の侵害と金儲けとどっちが大事なのか?あっ金儲けだったね!

現在進行形の大罪を私たちは当然のように見て見ぬふりをする。だって仕方ないじゃん、相手は軍事大国にして経済大国、大きなマーケットを持つ大事な顧客だよ?お得意様を怒らせるバカいるわけないじゃん?というわけか。

人より大きな棍棒を持っている人、人より多くの札束を持っている人が正義なんだよな。「勝てば官軍、負ければ賊軍」というように勝つ奴が正義というわけ。
でも「勝ち負け」とは離れた、「利害」・「損得」とも離れた「善」や「悪」もあるだろう、たぶん。ま、こういった類の「善」の報酬はしばしば「苦」であるけれど。つまり割に合わない。割に合ったら、それは「善」じゃなくて「投資」っていうんだもんな。ま、普通の人はバカじゃないから、損とわかっている投資なんかするはずない。見て見ぬふりをするに決まってるよな。8783歩。

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09月10日(火)

起床時刻:07時45分

「たいていは自分一人だけで恥を感じることはない。恥を感じさせる者と恥を感じる者の二者がいるのだ。
『緋文字』のへスター・プリンにしても赤いAの文字を自分で胸元に縫いつけたわけではない。じっさい恥は、感情ではなく人間関係、それも支配関係として考えるほうが賢明かもしれない。
支配者の嘲笑的な判断を被支配者がそのまま自分のものにする関係である。
恥を道具に用いれば、権力よりも効果的に社会をコントロールできる場合がある」

(『スーパーリッチとスーパープアの国、アメリカ―格差社会アメリカのとんでもない現実』バーバラ・エーレンライク)

緋文字のくだりはわらってしまった。本書はアメリカの格差社会の現実とさまざまな社会問題について、ウィットに富む文章で書かれたコラム集。徹底して弱者の側にたつエーレンライクだが、深刻な話題でもユーモアのセンスは忘れない。ま、私がユーモアを感じるのは彼女の思想におおかた共鳴できるからだろうけど。11568歩。

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09月09日(月)

起床時刻:08時00分

歯の詰め物が取れた。中が虫歯になっており「神経を取るかもしれない」と歯医者に言われて、目下びびりまくっている。

歯の神経を抜く、で思い出すのは夏目漱石の『門』である。主人公の宗助が食事中に前歯を噛みしめたところ、急に痛みだし、指で揺すると歯の根元がグラグラしだした。宗助は妻の米に言う。
「『御米、おれは歯の性がよっぽど悪いと見えるね。こうやると大抵動くぜ』と下歯を指で動かして見せた。御米は笑いながら、『もう御年のせいよ』と云って白い襟を後へ廻って襯衣へ着けた」

宗助が歯医者に行くと、歯科医は件の歯をちょっと揺すってみて
「『どうもこう弛みますと、とても元のように緊まる訳には参りますまいと思いますが。何しろ中がエソになっておりますから』と云った。
宗助はこの宣告を淋しい秋の光のように感じた。もうそんな年なんでしょうかと聞いて見たくなったが、少しきまりが悪いので、ただ、『じゃ癒らないんですか』と念を押した。
 肥った男は笑いながらこう云った。――
『まあ癒らないと申し上げるよりほかに仕方がござんせんな。やむを得なければ、思い切って抜いてしまうんですが、今のところでは、まだそれほどでもございますまいから、ただ御痛みだけを留めておきましょう。何しろエソ――エソと申しても御分りにならないかも知れませんが、中がまるで腐っております』
 宗助は、そうですかと云って、ただ肥った男のなすがままにしておいた。すると彼は器械をぐるぐる廻して、宗助の歯の根へ穴を開け始めた。そうしてその中へ細長い針のようなものを刺し通しては、その先を嗅いでいたが、しまいに糸ほどな筋を引き出して、神経がこれだけ取れましたと云いながら、それを宗助に見せてくれた。それから薬でその穴を埋うめて、明日またいらっしゃいと注意を与えた。」

そう、歯が悪くなるというのは「淋しい秋の光のように感じ」るものなんである。風邪や腹痛と違って「いよいよ人生下り坂だなぁ」の感が強まるのだ。
ところでこの宗助だが、年齢は明確に書かれてはいないが、察するに三十前後と思われる。そんなトシで歯がぐらつくようで大丈夫だろうか。そういや『我輩は猫である』の寒月君も大学院生ながら、御正月に食べた椎茸(!)で前歯を二枚折っており、その欠けたところに空也餅がくっ付いているなんていう記述があったが、宗助君も寒月君も8020(ハチマルニイマル)なんてとても無理だろうと人ごとながら心配する。まぁ昔は八十になる前に大概死ぬからいいのか?いや、よくなかろう。11683歩。

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09月08日

起床時刻:10時00分

7900歩。

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09月07日

起床時刻:08時20分

秋の夜といえば秋草にすだく虫の音でありますが、現在、「虫の音」界を実質支配しているのが青松虫なのであります。他の虫とはデシベルの桁が違うような、やたらによく響く声で「リーリーリーリー」と鳴いているアレだ。

三鷹市HPの「みたかいきもの図鑑」によれば、アオマツムシは「1900年ごろに中国から入ってきた外来種といわれていますが、はっきりとはわかっていません。」「日本在来のマツムシが激減しているのに対し、この虫は1970年ごろから、都心部などで急激に増えてきています。」
「三鷹市内でも広い通りの街路樹の上などから、うるさいくらいの音量で「リーリーリー」と聞こえてきます。一匹が鳴き出すと、それに合わせて合唱が始まります。すでにこの声は秋の風物詩になりつつあります」(2009年)とある。

また、島村政美先生によれば「日本の鳴く虫でふえているのはカンタンとアオマツムシ、へっているのはクツワムシとマツムシです。カンタンとアオマツムシは何百メートルも飛べるので、住んでいる木が切られても次の木に移動でき」る一方、「クツワムシとマツムシは飛べないので、草を取られたらそこで絶滅」してしまう、とのこと。

そんなわけで、昨今の「秋の風物詩」はアオマツムシの大合唱なのだが、私の角川第三版『俳句歳時記 秋の部』には「青松虫」の季語がない。蟋蟀・鈴虫・松虫・邯鄲・草雲雀・鉦叩・キリギリス・馬追・轡虫については季語として入っているのに。最新の第四版(2011年)にも「青松虫」はないようだし。
通年版の『今はじめる人のための俳句歳時記 新版』には「松虫」の項に注釈として「都会でうるさく鳴いているのは青松虫だから間違えんなよ」的なことが書いてあったけど(立ち読み)。

かくも世に跋扈している青松虫の項がないのは、なんでだろう?載せるべき例句がないとか?「アオマツムシ」と6語なのも詠みにくいもんな!4語か5語だといいんだけどね。鳴き声にしてもシミジミ感ゼロのやかましさだから、俳人的には句にする気が失せるのかもしれん。
はっ!ていうことは今、アオマツムシの句を大量につくれば、どれか一句、歳時記に載せてもらえるチャンスかもしれんな!ただ問題は私が俳人でもなんでもないことだ。せっかく先行者メリットを享受できるビジネスチャンスを発見したのに、悲すぃ。。。7267歩。

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09月06日(金)

起床時刻:08時00分

12699歩。

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09月05日(木)

起床時刻:08時40分

9514歩。疲れがすっごくたまっている。
テレビのチャンネルを変えていたら、mxテレビで「シェフ列伝」というのをやっていて、 ル・マンジュ・トゥーの谷昇さんだったんだけど、厨房の下働きの若手らに、ものすごい勢いで怒っているところだった。どうも布巾の洗い方が悪くて、油汚れが残っていたらしい。
谷さんは「布巾は洗剤を使ってきちんと洗え!って俺言っただろ、なんでオマエ、そうしなかったんだよ?」(うろ覚え)的なことを怒鳴っていて、見ている私のほうの胃が痛くなってきたのでチャンネルを変えたら、夫が「今、面白いとこだったのに!」だって。

夫は、谷さんとこの厨房の下働き同様、言われたことを守れない、出来の悪い自分の部下及び妻のことを思い浮かべているのか、叱責している谷さんを見て「いいぞ、もっとやれ」な気分だったらしい。

ああ、うちの旦那は自分が怒られる立場になることを全く想定していない。このヒト、常に怒る側、叱る側なんだ。と思ったね。
んでもって、私は常に怒られる側、叱られる側だから、そちらの立場に自動的に感情移入しちゃう。このときだって、谷シェフの「なんで布巾をきちんと洗わなかったのか?」という問いに対して、無言の若手にかわって「だって、疲れてたんだもん」と内心答えたもんね。

とか言っているようじゃダメなんだけどね。成功している人は24時間働いた後でも「やるべきことをきちんとやる人」だ。それができるのはひとえに本人の意志力や責任感の強さゆえ、と世の中では思われているが、それだけじゃなく単純に体力の要素も大きいんじゃないかと思う。

体力は成功の十分条件ではないが、必要条件じゃなかろうか。
体力があるヒトは体力がないヒトに比べて常に余力があり、やるべきことがきちんとできる。それに対して、体力のないヒトは単純に疲れているから、色んなことがなおざりになってしまうし、注意力も低下する。色んなことをなおざりにするヒトや注意力散漫なヒトは当然、評価がずどーんと下がってしまう。あたしのことだけど。

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09月04日(水)

起床時刻:08時00分

4006歩。また一部、万歩計がカウントされていなかったみたい。

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09月03日(火)

起床時刻:07時40分

11405歩。

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09月02日(月)

起床時刻:08時00分

万歩計の記録を見ると3歩。会社に行って帰って3歩なわけない。

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09月01日

起床時刻:12時30分

今月から週5でパート。
めんどくせーです。

時々懐メロを聴く。
亡くなった藤圭子さんの「圭子の夢は夜ひらく」も好きな歌だ。
私も「十五、十六、十七と私の人生暗かった~♪」し。ま、「二十五、二十六、二十七も私の人生暗かった~♪」し、「三十五、三十六、三十七も私の人生暗かった~♪」けど。
「四十五、四十六、四十七」はまだ経験していないが、人生明るくなる要素がなんにもない。ただでさえ、加齢であちこち体の調子が悪くなるというのに。

「圭子の夢」は夜限定でもひらくだけ、まだマシかねぇ、私なんか「pyaaaの夢はいつひらく?」と疑問形だからねぇ。
ていうか、私の夢ってなんだろう?それを言うなら、圭子の夢も何なのだ?夜だけ開く夢ってそれ寝てるんじゃ?って言うのは冗談ですw
圭子の夢は結婚なのかな?マー坊かトミーかジョージかケン坊かと(それにしてもすごい呼び名だ)結婚することかな?

などと聴きながら悩むのでありました。私は読解力がないから、歌詞の意味とかよくわかんないけど、どっちにしろ、ものすごくどうでもいい話です。5470歩。

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