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起床時刻推移グラフ

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05月31日

起床時刻:08時30分

05月30日(金)

起床時刻:07時15分

会社の横の席の子と話していたら、マンションポエムの話になった。
「すっごい面白いんですよ、知ってます?」といわれてはじめて知った。2013年8月のデイリーポータルの記事だから1年近く前の話で周回遅れもいいところなんだけど、(世の中の流行の最後尾をいってるんだってば!携帯も会社で唯一のガラケーだしね!)面白かった。

以下が大山顕さんの記事。
高級マンション広告コピー「マンションポエム」を分析する
http://portal.nifty.com/kiji/130830161597_1.htm
さらに「マンションポエム」を分析する
http://portal.nifty.com/kiji/131122162434_1.htm

大山さんは2004年ごろからマンションのちらしを集めていて、そのコピーのポエムさ加減を分析している。例えば、
「FROM 神楽坂
東京を掌る すべての時は、
ここからはじまる」
「あえて、深大寺」
「そこは、成城でもなく、仙川でもない。そして、成城でもあり、仙川でもある」(「けっきょくどこなんだ!」という突っ込みあり)
とかいうコピーを一つ一つパソコンに入力し(手作業)、それを品詞レベルに分解し(ツール)、コーディング(同じ意味の品詞を同じグループに分類)する(手作業)。
ちなみに私もつい先日、仕事で二日間くらい同じこと(コーディング)をやったんだけど、大山さんはこの作業について「大学で教授がめんどくさい作業を学生にやらせる気持ちがよく分かった。これはいい大人がやるものじゃない。目・肩・腰がやばい。 」と書いている。
いい大人だけどやってます><。でも私の仕事の中では楽しい部類にはいるんだぜw。全てがめんどくさいんだ、私の仕事は!!

まぁいいや。

んで大山さんは時間軸で分析をして2008年より前と後でポエムを比べると、2008年より前のほうがカタカナが多く、それより後のほうが漢字が多いことを発見する。
空間軸での分析では港区あたりの2億円くらいする高級マンションは真性ポエム地区(一番意味不明かつ抽象的)、千葉+埼玉はポエムでもあるがリアルさもある(「環境」「便利」「駅前」などもある)詩的リアリズムゾーン、東京の東部は「江戸ゾーン」(和なテイストあり)、臨海部は「キラキラゾーン」(「フロンティア」「惑星」「銀河」「プラネット」といった香ばしい語が散見される)などということを発見する。

うちの会社のある場所は真性ポエムゾーンなんで、新聞整理係の私も常々、不動産のちらしをみて、「なんじゃこりゃwww」とよく思っていたんだけど、しっかり集めて保存して、しかもパソコンに入力して分析している人がいるんだね!普通はちらしなんか「ぷっw」と思って捨てちゃってそれで終わりだもんね。そういう人は永遠に「いい大人がやるものじゃない」仕事をする、単純肉体労働者なんだろうなぁ。って関係ない話になってしまったけど。

三土たつおさんの記事も面白かった。
不動産コピーの高級感
http://portal.nifty.com/2009/07/21/c/index.htm
不動産のチラシでマンションが光る
http://portal.nifty.com/kiji/130509160564_1.htm

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05月29日(木)

起床時刻:07時00分

『社会はなぜ左と右にわかれるのか――対立を超えるための道徳心理学』(原題:The Righteous Mind: Why Good People Are Divided by Politics and Religion)(ジョナサン・ハイト/紀伊國屋書店/2014.4)を半分くらい(第二部まで)読んだけど、面白い。

道徳心理学の第一原理は「まず直感、それから戦略的な思考」なのだそう。即ち、人はまず直感で判断し、そのあとに理性を働かせるという原則を、著者は諸々の調査・研究成果から明らかにし、「真実の追究を是とする人は、理性崇拝をやめるべきだ」という。

道徳心理学の第二原理は「道徳は危害と公正だけではない」である。西洋の個人主義的な道徳観では「危害と公正」に抵触しなければ何をしてもよい、と考えがちであるが、これは<WEIRED(Western Educated Idustrialized Rich Democratic)>な文化であり、世界からみればむしろ特殊である、と著者はいう。WEIRED文化は、自己をより自立的で独立した存在とみなすが、アジア人など非WEIRED文化圏ではより集団主義的である。
WEIRED文化は、個人中心主義的、ルール志向的、普遍主義的な道徳を志向し、非WEIRED文化は、集団主義的、制度優先的になり、その道徳は人間関係に特化した義務や美徳についての格言や逸話のコレクション(として孔子が挙げられている)になるという。著者はインドで暮らして、多元主義者になったんだそうな。

では「危害と公正」以外にどんな道徳があるというのか。
著者は全ての社会に見られる道徳の基盤として次の6つを見つけた。
これらは進化心理学的にいうところの人類の「適応課題(adaptive challenges)」(()内の記述)に対応し進化の過程で備わったものである。

◾ケア/危害 (子供を保護しケアする)
◾公正/欺瞞 (双方向の協力関係の互恵を得る)
◾忠誠/背信 (結束力の強い連合体を形成する)
◾権威/転覆 (階層性のもとで有益な関係を結ぶ)
◾神聖/堕落 (汚染を避ける)
◾自由/抑圧 (いばり屋や暴君に抵抗する)

一般にリベラルは「ケア/危害」、「公正/欺瞞」、「自由/抑圧」に強く反応する。またリベラルな政策はこれらに強くアピールする。
一方保守派の政策は6つの道徳全ての領域に対してアピールする力を持っており(一般に保守派は「ケア/危害」はリベラルに比べて軽視するが)、これが保守主義者の優位につながっている。

これはわかりやすい。確かにそうかもしれない。
例えば、リベラル(日本なら左派か)は従軍慰安婦問題に対して日本を糾弾する立場をとる(私もそうである)。それは私の中の「ケア/危害」「自由/抑圧」基盤(モジュールと本書では書かれているが)が強く反応するからだろう。「従軍慰安婦は女性に対する人権侵害である」と私は思うが、保守派(日本なら右派)にはこのような言動は自国に対する裏切りに見える。

右派はそもそも「ケア/危害」モジュールの反応が弱く、「忠誠/背信」モジュールが強く反応する。従軍慰安婦問題を云々することは自集団(自国)を貶めるべく攻撃している行為に他ならず自国に対する「忠誠心」から「あれは自分からやった売春だ」「他の国もやっていた」「日本だけが悪いのではない」と自国を擁護する立場をとりやすい。
更に言うと「公正/欺瞞」モジュールも反応しているだろう。慰安婦証言の全部が全部本当であることは証明できないから、「嘘をついて」あるいは「大げさにいって」、日本の国益を損なおうとするプロパガンダ、あるいは不当に賠償金をせしめようという泥棒行為であると思う人もいるかもしれない。つまりは「公正の観点から許せない」のかもしれない(左派も「公正/欺瞞」は重視するのでこの点は同じであるが)。
それからひょっとしたら、右派の反応には「権威/転覆」モジュールも反応しているかもしれない。自国より「下」だと思っていた国なり人間が、経済成長したから「偉そうに」「文句をつけやがって」、という反発心もあるかもしれない。わかんないけど。

だからいくら理性的に言葉と言葉で論じあっても、通用しないのだ。既に直感が「違う」といっており、理性(言葉)は直感に従っているのだから。脳波の実験によると、リベラルと保守派では脳波の反応がそもそも違うっており、リベラルは<ケア><公正>を否定する文章に驚きを示すが、それは0.5秒後の反応なのだそう。

人間というものは直感的に「おかしい」「ただしい」と思ったあとに理屈をくっつけるのだと著者は言っている。だから直感に語りかけるしかない。
もっとも著者は理性は直感に仕える奴隷である、といっているわけではない。著者はそれほど頻繁には生じないものの友人との「議論が進行するにつれ、他者の提示する理由によって直感や判断に変化が生じる場合がある」といっている。となると、やはり教育は大事なのだが、昨今の方向性には危惧を感じざるをえない(もっともそう感じるのは私が左だからだろうけど。右派は「いいぞ、もっとやれ」なんだろうな)。

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05月28日(水)

起床時刻:07時30分

会社に行ったら、菩薩君が応接のソファで寝てたw
「家に帰って寝なさいよ」て言ったら、「今日は頑張らなくちゃいけないんです!」と、両手をグーにして「ガンバ!」のポーズをとりながら言ってたが、かわいそうにパソコントラブルが発生し、菩薩君が対応に追われていた(そういうIT関係のトラブル対応も菩薩君担当なんだよねぇ)。

ちなみに菩薩君は残業代は一円もでていない。というのも、彼はありとあらゆる雑用をやってるけど、役員だからなんだねw そして彼の給料はたいして高くない。
その結果、残業代をフルで付けられる一般社員と給料が同じ、場合によっては年俸制の役員(管理職)のほうが低くなったりする。私が前に勤めていたブラック企業は残業代は月30時間までしかつけてはいけなかったが(実際はその3倍くらい残業があった)、残業代をフルでつけられるところもある。フルでつけられる職場だと昇進して年俸制になり残業代をつけられなくなると、給料がかえって少なくなるということはよくあるのだ。

それはともかく、うちの会社の全員の給料額をパートのおばはんがなぜ知っているかというと、社長に通帳と印鑑を渡されて振込みに行ったことがあるからで、振込み金額や相手先が間違っていないか通帳をみて確認したら、給与から何から資金の動きが全部わかる口座だったんだわ。思わず他のページも見ちまったぜw
ていうか、そんなもん私に渡すなやw

まぁいいや。夕飯は伯母からいただいた牛タン(仙台土産)+野菜炒め(付け合せ)、なめこと豆腐の味噌汁、たたきキュウリ。お礼状まだ出してない><。

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05月27日(火)

起床時刻:07時30分

『生活保護から考える』(岩波新書/稲葉剛/2013.11)から引用。

「近年の研究では、経済的困窮と児童虐待の関連が明らかになってきており、児童虐待が起こっている家庭ではDVの発生率も高いことがわかっています。」
「このように親族間の暴力・支配と経済的困窮が複雑にからみあっている状況は、生活困窮者の相談支援活動や精神保健の関係者の間では広く知られています。貧困の現場では世間一般に流布されている「支えあう家族」像とは正反対の「家族」のあり方が露呈していると常々、私は感じてきました。」

「トラウマ研究の第一人者である精神科医の宮地尚子氏は、家庭での親密な関係における暴力が許容されてきた背景に、「公私の二分法をもとに、家庭という私的領域に公が介入する必要はない、するべきではないという論理」があるのではないかと指摘しています。そして「公私の二分法の『私』を『親密』と『個』に分け、公的領域、親密的領域、個的領域の三分法に変形させて考える」ことを提案しています。「そうすると、DVとは親密的領域における暴力と支配であり、それによって被害者の個的領域が奪われること」だとすっきり定義できるからです。」

「近年、日本社会では、これまで公私二分法のもとで隠されてきた親密的領域における個人への暴力や人権侵害を可視化させ、行政機関が積極的に関与していこうという動きが強まっています。」
「「「個人の尊厳」を規定した日本国憲法の施行から半世紀以上が経過し、遅ればせながらも日本の法制度は、「公私二分法」の性格が薄まり、「親密的領域」に脅かされる「個的領域」(個人の尊厳)を「公的領域」が防護壁となって支える、という方向に進んできたと言えます。扶養義務の強化はこうした動きに真っ向から反対するものであり、ようやく可視化された多くの社会問題を再び「私的領域」の闇の中に押し込めてしまうのです。」

ちなみに諸外国では親族の扶養義務はどうなっているのか。
「イギリス、フランス、スウェーデンなどでは、扶養義務を負うのは夫婦間と未成熟の子どもに対する親だけであるとされており、成人した親子の間で扶養義務が問題になること自体がありえません。」
「ドイツでは成人した親子間に扶養義務を課していますが、高齢者・障がい者に対する扶養義務は年10万ユーロ(約1200万円)を超える合算試算がある親または子に限られています。<略>ドイツでは近年、高齢者が障がい児のいる世帯の貧困が社会問題化したため、扶養義務を限定する方向で制度改正が進んでいます。このように他の先進国と比べると、日本の法律が定める扶養義務がいかに特殊であるか、ということがわかるかと思います」
ほんまそうやで。

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05月26日(月)

起床時刻:07時30分

週末は一人で出掛けたけれども、夫は私が家をあけるのが大嫌いなので、ずーっと不機嫌で大変だった。舞台を見ながらも「早く帰らなきゃ更に機嫌が悪くなるぞ」と思うと時間が気がかりで(幕間の休憩もいれて3時間ぐらいw)、落ち着かない。
日曜はうちの夫の地雷を踏んでしまい、夫がギャアギャア怒り出して大変だった。殴られないだけよかったがw。ひたすらこっちが謝るといういつものパターン。
ほんと、私は子供生まなくてよかった。こんな地雷があちこちに埋まっている家庭で育つのは気の毒というものである。

家庭なんて会社と同じく生きるための便宜上の組織。会社と同じく家庭のありようもバラエティに富むが、ブラック企業が人を食いつぶして成長していくように、ブラック家庭は人を犠牲にして表面上の秩序を保つ。そんな会社(家庭)なんか「やめりゃあいいじゃん?」と人は言うが、やめてどうやって生活していくんだよ?あん?です。そういう事情を知っているからこそ、ブラック企業もブラック家庭もいつまでたってもブラックのままなのである。

『生活保護から考える』という本を読んでいたら(いい本です)、生活保護受給者の方が「自分らしく生きるために生活保護 守ろう」というメッセージをかかげてデモをしたらしいんだけど、多分ほとんどの人から共感されないだろうね。共感どころか反感しか呼ばないだろう。というのも、生活保護受けていない人だってほとんどの人は「自分らしく」生きてなんかいないからだ。周りの要請にあわせて、自分を殺して生きているのがほとんどの日本人だからだ。だからこそ、ナマポ受給者を我儘だ、怠け者だ、と叩くのだ。なぜなら「みんながみんな我慢して自分を殺してまわりにあわせて生きているんだからオマエも我慢しろ、黙って働け」という考えしか私たちにはないからね。

そういう「自分らしく」が許されない日本で『アナと雪の女王』の「ありのままで」とかいう曲がやたらヒットしているようだ(私は「アナ雪」みていませんw、みたいんだけど)。もっとも「ありのままで」って生活保護者が歌ってたら大バッシングだったろうwよく知らないが、女王がうたってんだよね?基本税金でくらしんてんだよね?あの人も。
知らんけど触ったものがなんでも凍る才能のある女王なら「ありのままで」許容されるかもしれんけど、触ったものが全部賞味期限3日切れになる才能のある主婦だったら、絶対「ありのまま」は許されないってw
あー、私も「エターナルフォースブリザード」みたいな邪気眼能力があったらよかったなー。ってなんの話だw

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05月25日

起床時刻:11時30分

昨日の記事の続き。
『太陽王 ~ル・ロワ・ソレイユ(Le Roi Soleil)~』のあらすじのメモ。(Le Roi Soleilの英語のwikiから。()内はヅカ版の私の補足)。おそろしいくらい、すぐにストーリーを忘れちゃうんだよね。

舞台はマザラン枢機卿に対するフロンドの乱で幕を開ける(ヅカ版はその前にアポロ(太陽)に扮したルイ(柚希礼音)による華麗なバレエ風ダンスあり)。若きルイはランスで王に聖別され戴冠したが、彼の権力は母親のアンヌ・ドートリッシュと、ルイの統治能力を疑っている枢機卿によって制限されていた。
ルイはマリー・マンチーニと恋に落ちる。マリー・マンチーニは貴族の生まれではないイタリアからの移民で、マザラン枢機卿の姪だった。「俺も男だ」ということを証明するために若き帝王は軍隊の先頭に自ら立つことを志願する。マリーは悪い予感がしていたけれども、彼をとめることができなかった。ルイは戦場で倒れ、深刻な病にかかる。そのため長い間、死んだものと思われていた。宮廷はルイのことを忘れ、弟のフィリップを新しいフランス国王に指名しようとする。しかしながら、マリーは受け入れることができず、ルイのベッドサイドで泣きながら祈りをささげ、幾夜も過ごした。
そんな折、突然に予想外の展開となった。侍医の一人がある薬を与えたところ、ルイを眠りから目覚めたのである。彼はマリーと家族を除いて、宮廷の誰もが彼を忘れてしまっていたことを知った。今やルイはこの美しいイタリア女性を熱烈に愛しており、彼女にプロポーズする。マリーはフランス国王ともあろう者が生まれのよくないイタリア人と結婚することは不可能であることをルイにわからせようとする。アンヌ・ドートリッシュ、マザラン、そして教皇までも反対するであろうことを。自分が王なのだから自分の将来は自分で決めることを決意したルイは、頑固にすべての反対を退けた。しかしながら、アンヌ・ドートリッシュとマザランはマリーを国外追放とし、この夢を終わらせようとした。第一幕は別れの痛みとともに幕を下ろす。

第二幕はマザラン卿の死で始まる。マザラン卿が亡くなり、ルイは権力を掌握し、「太陽王」となる(ルイは財務総監のコルベールを除いてあとは全員クビ(自分の母親含めて)にする。ここでルイは「朕は国家なり」と宣言するのだが、フランス版は割とあっさりと"L'État, c'est moi"と言うのだが、さすが宝塚「朕は、国家な~り~~」と柚希礼音さんが歌舞伎ばりに見得を切っていて、「成駒屋!」とでも聞こえてきそうであったw。昭和のベルバラでもこういうのあったけどwこれがヅカ風演出、ヅカの様式美なんすかねw)
話をあらすじに戻すとルイは多くの女性に惚けて、人民がルイの夢であるヴェルサイユ宮殿建設のために重税を支払っていることを忘れている。
鉄仮面の男(Man in the Iron Mask)や黒ミサ事件(Poison Affair)など、なんだかんだあった後(この”なんだかんだ”が一番の見せ場だったかも)、ルイはマリー・マンチーニとはできなかったとことを成し遂げようとする。すなわち、反対にもかかわらず、マントノン侯爵夫人フランソワーズ・ドービニェと結婚するのである。彼女は貴族の生まれではなく、モンテスパン侯爵夫人フランソワーズ・アテナイスと王の庶子たちの養育係であった。
以上が英語版wikiによるLe roi soleilのあらすじ。
ちなみにヅカ版では最後にまた柚希礼音さんが最初に披露した「太陽の踊り」的なバレエを披露してくれます。ちえさんこと柚希礼音さん、おつかれさまっす。あとヅカはフィナーレがちゃんとあって、スーパー早着替えで男役さんたちがタキシードを着てかっこよく踊るのとか、柚希礼音さんが両手に花で踊るやつとか。

そんなわけでヅカ版「太陽王」の感想。
・柚希礼音さんが踊る、歌う、踊る、歌うで休む暇がない。柚希さん、ほんと重労働。ものすごい体力、気力です。
・ムッシュー(ルイの弟フィリップ)役の紅ゆずるさんは出てきただけで客席からくすくす笑い声がしていた。紅さん、面白かったです。
・ボーフォール公(ルイの従兄弟で反乱軍の首謀者)の真風涼帆さんはかっこいい役どころ。この役を十輝いりすさんにやってほしかった。というのも私は十輝いりすさんが好きだからでっすwだって背が高くてかっこいいんですものw。

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05月24日

起床時刻:09時30分

宝塚版 『太陽王 ~ル・ロワ・ソレイユ(Le Roi Soleil)~』を一人で観て来た。場所は渋谷のシアターオーブだったんだけど、音響がいまいちな感じ?ちょっと耳障りな気がした。
(ちなみに私の席は2階の一番後ろで顔なんか全然見えなかったっすw。目が悪いのもあるけど。1階はいいよ、出演者が通路を歩いて舞台に上っていくから、すぐ近くで見れるんだもん!)

好きな歌は(()内はヅカ版のタイトル)、Etre à la hauteur(「決められた道」)、Où ça mène quand on s'aime(「愛の行方」)、alors d'accord(alors d'accordはヅカ版では歌われない!)など。
正直ヅカ版よりyoutubeで予習したフランス版のほうを人にはおすすめするけれど、ヅカ好きならヅカ版も充分楽しめる舞台かと(ま、ヅカの舞台ってヅカ好きじゃなければ、なんでもキツイかもね。私の実家は私以外、全員アンチ宝塚なので、私が高校生の頃、NHKのBSで宝塚を見ていると家族から「何この学芸会」とか馬鹿にされたもんなぁ。けど、私はかっこいい男役さんが大好きで、宝塚のプロローグやフィナーレの華やかな感じが大好き。途中は見ていてつらいときもあったけどw)。

「ル・ロワ・ソレイユ」に話を戻すと、ヅカ版は舞台装置とか正直どーなのという気もする。宮廷内の設定なんだろうが、ブルボン王家の家紋であるフルール・ド・リス模様の壁がずーっと目立ってたw。あと台詞が説明くさいのも気になったが、まぁ仮に水戸黄門をフランスで上演するなら時代背景をくどくど説明しなくてはなるまいから、フランス王の話を日本でやるにあたっての親切設計なのであろう。

実際、プログラム(パンフレット)には脚本・演出の木村氏の言葉があって
「ああ、太陽王!
しかしその名前を聞き、即座にルイ14世と答えられる日本人は、この作品に関わるまえの自分を含めて多くはありません。そこで脚本は、その時代を伝えられるよう、歴史的事実をていねいに書くように心がけました」
ということであります。

歴史的事実といえば、私は事前にルイ14世のwikiを読んでびびったんだけど、ルイ14世は「侍医ドクトル・ダガンの主張する「歯はすべての病気の温床である」という説に基づき、12回にわたる手術の末、すべての歯を抜かれた。しかも当時は麻酔もないため、歯は麻酔なしで引き抜かれ、抜いた後は真っ赤に焼けた鉄の棒を歯茎に押し当て消毒とした。その後、歯の無いルイ14世は、8時間以上かけてくたくたになるまで煮込んだホロホロ鳥や雉などしか食べられなくなった」んだって。
おっそろしい~~~~!!ただの拷問やんけ~~~~!!
某ブログによるとルイ14世は40才ぐらいまでに歯を全部抜いたらしい。そんで満76才まで生きているんだよ!ものすごい生命力なんだと思う。またルイ14世は身長が160cmくらいしかなかったらしい。それでハイヒールを好んだのだとか。

という歴史的事実をていねいに書かれたら見る気をなくすけど、柚希礼音さんは史実とは無関係にスラリとして美しゅうございました。貫禄もあってね。これでは、マリー・マンチーニもモンテスパン夫人もマントノン夫人も王妃も「惚れてまうやろー!」とチャンカワイ化しても仕方ない、というもんでございます。

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05月20日(火)

起床時刻:07時30分

05月19日(月)

起床時刻:07時30分

05月18日

起床時刻:12時00分

05月17日

起床時刻:08時30分

05月16日(金)

起床時刻:07時00分

『辞書の仕事』(岩波新書/増井元/2013.10)の続き。ひっぱるねぇw

「好きなことば、嫌いなことば」と題する節では、著者は「食べる」ではなく「食う」ということばのほうが好きだそうで、そのきっかけは柳田国男の『毎日の言葉』に「食べる」は古語の「賜(た)ぶ」から転じた語で、目上の者から(飲食物)をいただく意だと書いてあったのを読み、何の上下関係もないところで、「食べる」などと言いたくない、と思ったからなのだとか。
「本来の上下関係がない場面では、なにがしか上下関係のまとわりついたことばは使いたくない、というのは正常な言語感覚だと思います」
しかし、「人間の上下関係のあり方も言語感覚も時代とともに変わるものです。本当は「食べる」よりもむしろ「食う」のほうが美しい日本語なんだ、と意地を張っていても、世の大勢からすれば、「食う」は汚く許せないことばになり果ててしまっていたのです」(P79-80)

ちなみに『岩波国語辞典』は「食う」の項に特別の注記はなく、「食らう」は「「食う」のぞんざいな言い方。」とあり、「食べる」は「古語動詞の「賜ぶ」から出た語で、飲食物をいただく意であった。……「食う」よりは丁寧」という記述で、「食う」が特に乱暴という記述はないとのこと。
一方、『明鏡国語辞典』(大修館)では、「食う」について「丁寧な言い方である「食べる」に対して、一般的な言い方として使われてきたが、粗野な感じを伴うようになり、また敬語化もできず、「食べる」に取って代わられる傾向にある。」とのことで「食う」が「粗野な感じを伴う」ことが書かれているそうな。

また、著者は「おいしい」という語も嫌いなんだそうだ。『明鏡』の注記によると「接頭語「お」+文語形容詞「いし(=味がよい)から。もと女房言葉」「うまいに比べて丁寧で上品な言い方」とあるが、『岩国』には、丁寧も上品もないそうだ。著者曰く「私が「おいしい」ということばが嫌なのは、形容詞に「お」を付けた成り立ちからして好きになれないのと、「お」が付いていながら、この「おいしい話」のような、いかにも品の無い用法がどうにも我慢ならないからです」(P82)

でもさ、この方のお嬢さん(いるのかどうか知らないけど)が、仮に「おいしい焼き鳥を食べた」ではなく「うまい焼き鳥を食った」と言ったとしたらこの著者も目をむくんじゃないかwそれとも「美しい日本語」と思えるのかなw。

世間一般的には女性が「うまい焼き鳥を食った」と言ったら顰蹙を買うので、やっぱり『明鏡』みたいに「丁寧」かどうかを書いておいたほうが親切だろう。「丁寧」っつーか、「女ならこっち使ったほうが目をひんむかれなくてすみますよw」という脚注が一番正しいだろうけどw
私自身は人と話すときは「おいしい」「食べる」を使うけど、ここに何かを書くときは「うまい」も「食う」も全然抵抗ないなw「そりゃオマエの言葉づかいが悪いからだろ」と言われそうですがw いやいや、「本来の上下関係がない場面では、なにがしか上下関係のまとわりついたことばは使いたくない、というのは正常な言語感覚」であるならば、プライベートな空間では「女性は女性らしい言葉づかいであれ」という世間からの圧力(趣味の押し付け)を排除したいというのも正常な言語感覚といえますでしょw
ただ「うまい焼き鳥を食った」とは書かないかな~。だって、なんか池波正太郎みたいなんだもんw

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05月15日(木)

起床時刻:07時00分

夕飯はチャーハン(ベーコン・卵・レタス。レタスが入ったチャーハンおいしいよ)、餃子、きゅうりの甘酢漬け、豚汁。焼鳥も買ってきた。
餃子に焼き鳥ってどんな組み合わせの献立やねん?ですけど。
まぁコンセプトは「ビールがうまい」ってかんじだね。といいつつ、ビール飲んでいないんだけどwww。

会社にいったら菩薩君からメールがきていた。私のしょーもない仕事に対して「面倒な仕事をさくっとやっていただき、とっても助かりました。ありがとうございます」とあった。私なんか誰からも感謝されない底辺ジョブだから仕事のモチベーションだだ下がりなんだけど、菩薩君だけは本当にこまめに「ありがとう」って言ってくれるんだよね(しかもすぐに褒めてくれる)。

ていうかさー、だいたい日本人ってthank youっていわないよね?
海外(欧米)行くとさ、レストランでもお店でも、何かしてもらったら、お客もthank youっていうよね?
なのに日本では、店員はハイテンションで「ありがとうございましたー!」って言ってるのに、客はムスーッとしてるの。店員の「いらっしゃいませ、こんにちはー!」も無視。ただ、ムスーっとしている。海外では「お店に入ったときにムスーっとしていてはいけない。ハローといわれたら、ハローという」よね?
目下(店員)のものには挨拶はしない、何かしてもらっても礼は言わない、それが日本の文化でござる、みたいなのって誰もハッピーにしないじゃん?もっと気持ちよくなるために、「ありがとう」は出し惜しみしない!って私はすでに誰に対しても「ありがとう」ってよく言うほうだった。誰からも「ありがとう」と言われないことが問題なんじゃったわいw

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05月14日(水)

起床時刻:07時20分

なんだろう、疲れがとれない。この日は蒸し暑かった。
日本の一番いい季節は5月であるのに(私の持論。次点は11月)、最近はどうもロクでもない夏と冬の期間が延長して、過ごしやすい春と秋が短くなっているような気がする。

『辞書の仕事』 (岩波新書/増井元/2013.10)を読んでいたら、「不適切な用例」と題する節でこんなエピソードがあった。
『岩波国語辞典』を愛用されている青森の中学校の先生が、たまたま「くんだり」という項目をひいたところ、「青森くんだりまで来た」という用例が掲げられており、何とも名状しがたい思いにとらわれたという手紙が編集部にきたのだそう。
手紙には「当地はたしかに「くんだり」と付けて呼ばれるのにふさわしい土地であろうかと存じます。しかし、もし教室の生徒の誰かがこの記述を目にしたならば、その者はどんな思いをするだろうと想像すると、胸が痛むのです」とあり、「編集部の皆が胸のふさがる思いにとらわれました」(P154)とのこと。

それをいうなら、九州人は誰もが読む夏目漱石の『坊ちゃん』で「清も兄の尻にくっ付いて九州下(くんだ)りまで出掛ける気は毛頭なし」と出てくるので、必然的に全員が「九州くんだり」の「用例」を知ることになるのである。『岩国』の「くんだり」をわざわざひくまでもないのである。生粋の九州人の友達なんかいまだに「どうせ九州”くんだり”やもんね」と言っていたぞw

編集部では適切な用例を求めて色々と議論をされたそうだけれど、結局、これが良いと誰もが賛成できる用例はいまも見付かっていないとか。「「そこが僻地・場末だという意識から、その地を見下しあなどる気持ちで言う」ことがわかるような解説とすることでことばのニュアンスを示しているそうな。
それなら「青森くんだり」じゃなくて「九州くんだりまで出掛ける気は毛頭ない」でいいんじゃない?九州人から抗議がきたら「いやあ、漱石がそう書いているんですよ~、ほんとあの人失礼ですよね~」と漱石に責任をおっかぶせられるじゃん?もっとも九州は「アジアの玄関口」(と福岡県民はすぐ言うのだが)として輝かしい発展を遂げている(ことになっている)ので「僻地感」が出ないといわれるかもしれない。「アフリカくんだり」ではどうだろうか。アフリカからは抗議の手紙はまずこないだろうと思うけれども、グローバリゼーションの時代であるからわからない。何かの拍子に発覚し国際問題(?!)に発展してしまったりしたらおおごとではあるな。

非常にどうでもいい話ですね、はいw。

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05月13日(火)

起床時刻:07時30分

夫がエッグ・ベネディクトを食べてみたいというので、はじめてつくった。二人分で卵を7個も使ったんですけど(ポーチドエッグ4個(一人2個ずつ)、オランデーズソースに卵黄を3個)。オランデーズソースには結構な量のバター(70g)を投入するのだが(カフェ・カイラのレシピね)、レモン汁のおかげでかなりさっぱり食べられる。しかし、いくらさっぱり食べられても、投入したバターの量はかわっていないことを忘れるなw
マフィンにベーコン、アスパラ、ポーチドエッグ、ソースの順でのっけてみた。夫は美味といっていたけど「これならベーコンにスクランブルエッグでもいいな」だって。かかった労力が全然違うんですけど。

一昨日の母の日は実家の母と伯母と夫の母には山形のさくらんぼ、夫の母方の祖母には長崎のびわを送ったのだけれど、母と夫の母からはメールでお礼が、夫の祖母からは電話が、伯母からはいつものような素敵な絵手紙(バラの絵に俳句)がきた。私も伯母みたいに①すぐに礼状を出す②しかも字がきれい③しかも自分で水彩画や日本画みたいのも描ける、そういう人になりたい。まぁ字と絵がダメなのは仕方ないにしても、礼状もぐずぐずして遅れて出すからなぁ。ここには延々と書き綴ることができるんだけど、まさかこんな内容の手紙は送れないしねw

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05月12日(月)

起床時刻:07時30分

本日の夕飯は(ってこれ書いているの金曜日なんですけど)、タコライスとごぼうのスープ。タコライスのトッピングはレタス、トマト、アボカド、ポーチドエッグです。

『辞書の仕事』 (岩波新書/増井元/2013.10)を読んだ。
著者は岩波書店で『広辞苑』や『岩国』をはじめとする辞書づくりに長年かかわってきた元編集者の方による、辞書にまつわるエッセイ。

「辞典の読者と辞典編集者とかが行き違うことがあるとすれば、一番の理由は、おそらく、ことばの正しさについて、辞典読者が辞典編集者よりずっと楽天的だという点にあると思われます。古典文学などに現れて以後まったく使われないようなことばでなく、現代社会の中で生きていることばであれば、今に到るまでに必ずなんらかの変化を受け、また今も変化し続けている-いささかでもことばを観察すれば、それは明らかです。
 その変化とは、もとの意味・用法からの逸脱です。それを「乱れ」と呼ぶのであれば、ことばはいつも「乱れ」ています。しかし、ことばの正しさとはいつの時点での姿を言うのでしょうか。いまの日本語は乱れているから、奈良時代のことばに戻れ、とおっしゃる方はいません。現在から見て少し過去の辺りの日本語を「正しい」として、そこからの「変化」を「乱れ」として嘆かれるのです」(P26)。

「いまの日本語は乱れているから、奈良時代のことばに戻れ、とおっしゃる方はいません。」は傑作だなw。
時代とともに言葉は変化する。言葉以外のこともそうである。
「現在から見て少し過去の辺りの日本を「正しい」として、そこからの「変化」を「乱れ」として嘆」く政治家や「有識者」はたくさんいる。その時代はその時代で、過去からみれば逸脱していたのにね。

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05月11日

起床時刻:10時00分

かっこいいジョン・キューザックがみたいと思って『コン・エアー』(1997)を借りてきた。
何分か見て気づいた。私コレ、みたことあるwww
前に見たときは他のメンツが濃すぎるから(ニコラス・ケイジにジョン・マルコビッチw)、キューザックがあんまり印象に残らなかったのかも。
1997年の映画だったから、スーツの型が昔だった。昔はあんなスーツ着てたんだよねぇw
娯楽大作で普通に面白かった。

キューザックが出ている映画で、確実に見ていないのは『オフロでGO!!!!! タイムマシンはジェット式』(2010)ってやつ。
このキューザックは確実にかっこよくない方のキューザックだろうと思うけど、夫に「借りていい?」ってきいたら、そういうふざけたのはダメだって。
夫はギャグっぽい映画が大嫌いなんだよね。
反対に私は笑える映画が大好きで、私のお気に入り映画はローワン・アトキンソンの『ジョニーイングリッシュ 気休めの報酬』ってやつwww
タイトルからわかるように007のパロディ映画で「どんな作戦もすべて不可能にする男」ジョニー・イングリッシュが活躍というか、失態というかを繰り広げる。
ゲラゲラ笑っている私を夫が冷たい目で見てたっけw
ダニエル・クレイグが大好きなので、本家の007も好きだけどね。

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05月10日

起床時刻:10時10分

『比較のなかの改憲論――日本国憲法の位置』(岩波新書/辻村みよ子/2014.1)を読んだ。私は憲法とか法律とか聞くと頭が痛くなってくるタイプなんだけど、近年本屋に行くと憲法関係の本が多いんで、ためしに一冊読んでみたが、これは読んでよかった。
本書は、以下のような疑問について、わかりやすく解説されている。
1.日本の憲法改正手続きは厳格すぎるのか
2.憲法を尊重し擁護する義務を国民も負うべきなのか
3.日本国憲法はGHQから押し付けられた憲法なのか
4.国民の義務より自由が保障されすぎてはいないか
5.家族は助け合うべきと憲法に明記すべきなのか
6.非武装平和主義は非現実的なので自衛隊を持つ現実に憲法をあわせるべきなのか
7.国民投票の是非
(アンサーについては本書を読んでください)

いやあ、自民党の憲法改正草案がこんなトンデモだとは知らなかった。
例えば、改正草案では憲法尊重擁護義務の主体に国民を入れているが(現行憲法ではもちろん国民は入っておらず天皇・摂政が入っている。改正案では天皇・摂政は入っていない)、立憲主義を何だと思っているんだろう?
本書から引用すると、そもそも「憲法は主権者国民が権力者を縛るための手段であり、憲法を護るべき主体は為政者・公務員である。為政者は、権力を縛る憲法が邪魔になることから一般にこれを改正しようとする傾向があることは歴史的経験上明らかであり、近代立憲主義は、国民が為政者に憲法を護らせるために監視し、安易な憲法改正をさせない硬性憲法を採用しているのである。」

また自民党憲法改正案では「個人」の尊重原則が「人」の尊重にかわり、97条(「基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」)を削除している。その思想背景は自民党の日本国憲法改正草案Q&Aをみるとわかる。「権利は、共同体の歴史、伝統、文化を踏まえたものであることも必要だと考えます。現行憲法の規定の中には、西欧の天賦人権説に基づいて規定されていると思われるものが散見されることから、こうした規定は改める必要があると考えました」。って「西欧人がかんがえた自然権など日本人には認められない」と思ってるみたいだから、本当におそろしい。

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05月09日(金)

起床時刻:07時30分

『東北を聴く――民謡の原点を訪ねて』 (岩波新書/佐々木 幹郎/2014.2)を読んだ。
著者と津軽三味線の二代目高橋竹山は、東日本大震災の被災地へ「門付け芸」に出るという心積もりで回ったそうだ。地元の人との細やかな交流から、東北の民謡の歌詞の由来や変遷を明らかにしていく。そして被災の経験を通じて伝わってくる東北の唄の強さ。本書では初代竹山さんの逸話もいろいろ織り込まれている(もっとも字が大きいので、すぐに読み終えてしまう。これで740円+税か…)。

取り上げられている主な民謡は以下のとおり。
牛方節(南部牛追唄)
新相馬節
会津磐梯山
斎太郎節
他にも八戸小唄なんかも触れられている。ちなみに二代目高橋竹山さんは東京のライブでも必ず「新相馬節」を入れるんだそうな。

これはCDとセットにして出したほうがよかったんじゃない?w 三味線だけではなく唄のうまい二代目高橋竹山さんの録音で。私なんか「会津磐梯山」くらいしか知らないから、言葉でああだこうだ言われてもピンとこない。まぁ、昨今は動画サイトのおかげで上記の歌は全部聴けるけどねぇ(ありがたい時代である)。

本書によると「3・11以降の東北での二代目高橋竹山のチャリティ・ライブのアンコールには、どの被災地でも「斎太郎節」のリクエストがあった」そうだ。なんかあれだけ海に痛めつけられた上におそらく漁業もなかなかままならないときに、「大漁だエー」なんて歌うのはこっちが自粛しそうだが、「この唄は明るい。手拍子を打っているうちに、いつのまにか元気づくのである」。確かに。私も斎太郎節は大好きだ。

富山の薬売りで宮城に移住してきた篠田勉さんは宮城で民謡の面白さに目覚めたそうだ。「富山の民謡より、東北の民謡のほうが味があって奥行きがあります」とのこと(富山県民の方、私が言ったんじゃない、篠田さんが言ったんですw怒るなら篠田さんに怒ってくださいw)。でもわかる気がする。東北はいい唄が多い。

ちなみに篠田さんによると「さんさ時雨」は会津の結婚式では絶対歌っちゃだめなんだそうな。というのも、伊達藩が会津藩に攻め入って滅ぼしたときの戦勝の唄だからそう。その割に少しも勇ましくない(と著者も書いておられるw)が、気をつけとこう。もっとも、会津の結婚式で民謡を歌う機会は未来永劫ないと思うけどw

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05月08日(木)

起床時刻:07時30分

夕飯は和風ハンバーグ(大根おろし+ポン酢。夫のみ)、麩チャンプルー(私のメイン。夫には付け合せがわりに少しだけ)、昨日の小松菜と油揚げの煮びたし、デザートはクインシーメロン。
麩チャンプルーの麩はもちろん沖縄のお麩!ひらべったい棒みたいなやつ。これじゃなきゃだめ!お麩は1cm幅に切って水で戻しギュッと絞り、卵液(+だし)につけてよく吸わせて色よく焼く。つくっておいた野菜炒め(今回はピーマン、にんじん、キャベツ)と混ぜ合わせ、味付けして出来上がり。

『英文法の楽園 - 日本人の知らない105の秘密』(中公新書/里中哲彦/2013.8)を読んでいたら「レンジでチンする」ことを英語ではnukeという、とあった。
microwave(電子レンジ)を動詞として使うほうは知っていたけど。
例:When you microwave something, take the top off.(「レンジでチンするときは蓋をとるのよ」例文は本書より)

本書によるとnuke(ヌーク)は「「核」を表すnuclearに由来する単語で、名詞では「核兵器・核爆弾・原子力発電所」です。「動詞では「核兵器で攻撃する」という意味で用いられます。転じて、「電子レンジでチンする」という意味をもつようになりました」(P142)

転じるにもほどがあるだろうw

FF11では外国人プレイヤーがPTメンバーを集めるときに、nukerという言葉を使って集めたりする。
かつてすごくお世話になったサイト「FF11用語辞典」によると、
「クラスやジョブの役割をあらわす用語の一つ。 英語の nuclear (「核の」)→ nuke (「核兵器の」)という単語から転じて、一般的なゲーム用語としては、強力な遠隔攻撃を行うものを指す」とある。
この「転じて」はよくわかるけどねw

オンラインゲーマー以外には何の役にもたたない英語情報でしたw

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05月07日(水)

起床時刻:07時30分

夕飯はビビンパ丼(ナムルは市販のもの)、小松菜と油揚げの煮びたし、マカロニサラダ、味噌汁(大根・にんじん・ごぼう・干ししいたけ・豆腐)。
根菜類が少ないので味噌汁に入れてみた。

GWに観た映画『アイデンティティ』(2003)を特典の監督解説/脚本家解説バージョンでも観た。合計3回も観たことになる。
解説により後半のかなり肝心な事柄(監督や脚本家の意図するところ)に気がついていなかったことが判明した。
自分がおそろしい。
反省してここに書いていた感想を消してしまった。
ま、消した感想もこの映画に関する深い考察などはなく、「はじめてジョン・キューザックをかっこいいと思った」という完全なる与太話だったんだけどねw
キューザックだけではなく、全員がうまい役者だった(などと偉そうに書いているけど、私なんぞが演技の上手い下手を評価するのもおこがましいですね、はい)。

監督の解説を聞くと、映画というものが非常に緻密な計算と細かいこだわり、そして裏方の大変な苦労や工夫によって出来上がっていることがわかる。
私は特典のメイキング映像をみるのが大好きなのだが、映画監督ってだいたい「そこまでしなくても」と思うレベルでこだわっているんだよねぇ。
トム・クルーズの『オブリビオン』は天空に設置されたスカイタワー(住居スペース)が全面ガラス張りでそこからの景色が圧巻だったんだけど、これCGじゃなくて、スタッフがハワイ・マウイ島の山頂で撮影してきた映像だって言ってた。そこまでするんだねぇ。

『アイデンティティ』のほうはトムの映画とは違って、だいぶ低予算wだけどね。それでも創意工夫や見えないこだわりは色々ある。
英国出身の脚本家によると、もともと舞台用に書き始めた脚本なんだそうで、なんかわかる気がした。「そして誰もいなくなった」にホラー要素と心理サスペンスを混ぜた感じの映画、というのかなぁ。

脚本家の解説では、脚本家さんが映画で削られていた箇所をわざわざノートをめくって読み上げてくれてたんたけど、だいたい削ったほうがいい結果になってると思ったw。

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05月06日(火)

起床時刻:07時30分

05月05日(月)

起床時刻:12時00分

『ダークソウル2』はクリアしでも、自動的に二周目が始まるわけではない(篝火で二周目開始を選ぶ必要がある)。なのでクリア後にやり残したことを片付けることにした。
※ネタバレあります。

ラスボスの王妃を倒したのはいいが、すっかり王様の存在を忘れていたので、ヴァンクラッド王を倒しにいった。そうしたら、強いの何のって。NPCも呼べないし。何回負けただろうか。最初の呪縛者とこのヴァンクラッド王が一番苦労したかもしれない。

夫がやったのを見たときはチョー簡単そうだったのに。夫は「ロックするな、全部回避でいけ、そのためには装備なしの裸でもいい」といっていたが、下手な人には全然参考にならないアドバイスであった。
あのね、全部回避するとか無理だからw
何十回かやって無理だとわかったので、私は結局ヴァンガル装備+ガーディアン盾にしてみた。

このボスはwikiにもあるように「左脚」の後ろ側にはりつくのが一番安全。左脚の後ろだとなぎ払いがあたらない。ただ、下手な人(私である)は「左脚」の後ろ側にはりついているつもりが、いつのまにか、右脚の前側にいたりするのであるw
常に左足の後ろ側にこれるように、ちょこちょこ右いったり左いったりしなきゃダメなんだね。単純な反時計回りではダメみたい。夫は「ロックするな」といったけど、適度に敵をロックしたほうが私はずっと安定した。

特に危険なのはヴァンクラッドのバックステップの後。「左脚」の後ろ側から外れちゃうんだよね。その後はだいたい、なぎ払いの攻撃がくるんだけど私のような下手な人はなぎ払いのローリング避けができないことが多々ある。華麗に転がって避けたつもりが切られたり、一回避けてもそのあとの返す刀で切られちゃうんだよねw背中をw。範囲が広すぎるw 
なんとか左足の後ろに逃げ込み、次の敵の攻撃がきた後にエストを飲んで建て直し。この繰り返し。

あとwikiにもあったけど呪術はよく通る。「炎の鎚」と「封じられた太陽」はいいダメージが出た(呪術の火+10)。まぁでも回数が少ないからね。結局物理で殴るわけだけど、私の使っているトゲ棍棒、リーチが短いために左足の後ろにいると結構空振りするw。だからちょっとだけ前に出て左足の膝辺りをねらったりもした。なぐったらすぐ後ろにひっこむ、みたいな。いやあ、大変だった。ラスボスの王妃よりずっと苦労したわ。

私は王様が不死廟にこもったのは、王妃から「王の指輪」を守るため(つまり王妃のよこしまな目的に気づき、王妃の目的(玉座に座る)を達成させないため)だと思っていたけど、王妃より王のほうがずっと強いんだから(何しろ裸で剣をブンブン振り回しているだけでびっくりするくらい強いのである。王盾のヴェルスタッドと一緒だったら無敵だろう)、王妃をぬっころしちまえば話が早かったろうに、そうしなかったのは何でだろうね。充分な証拠がなかったから殺すこともできなかったとか?でもドラングレイグはまともな法治国家ではなさそうだから、言いがかりで殺したりするのもアリっぽいけどなぁ。あるいは王は王妃に利用されているとわかっても王妃のことが好きで、王妃を殺さずに目的阻止するためには「おこもり」するしかなかったとか?よくわからんなw

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05月03日

起床時刻:10時30分

会社の行き帰りに『唐物の文化史 ―― 舶来品からみた日本 ――』(岩波新書/2014.3/河添房江)を読んだので感想を書いておこうw
本書は、唐物(からもの)という「舶来品」(南蛮物や阿蘭陀物も含む)が日本人にどのように利用されてきたかを、舶来品好きキーパーソン(聖武天皇、嵯峨天皇、藤原道長など平安貴族、足利義満、佐々木道誉、織田信長、豊臣秀吉、徳川吉宗など)の具体例を見ながら、紐解いている。

「上代においては文物(ぶんぶつ)とよぶべき異国の文化摂取の糧であった唐物は、平安時代には奢侈品(贅沢品)や威信財(ステイタス・シンボル)としての役割を強めていく」。
その後、日宋貿易・日元貿易では大量の唐物の流入が起こり、幅広い階層に唐物受容のブームが起こる。また唐物を多く含む「名物茶器」は「贈与財」としても利用される。江戸期も時代を下ると、庶民にまで唐物所有者の裾野を広げている。

著者によると、日本人は唐物を受容する際にその時代よりも一時代前のものを愛好するという尚古趣味があるそうな。なるほど、分かる気がする。古いものほどいいもので、最近のものはどうも安物だ、というアレ。

年月という鑑賞眼に淘汰されているから古いものほどだいたい価値があるのかもしれないし、もはや製造されない(何しろ時代は過ぎ去ってしまったのだから)という有限性による希少価値のためかもしれないし、「三丁目の夕日」的な感傷的性癖が過去のものを実際よりもよく思わせているのかもしれないし、とはいえ、古けりゃなんでもいいというわけではなく、だいたい唐・宋・明時代がよくて、元・清時代はそうでもない、という雰囲気からすると日本人の美意識とそこらへんが合致しているのかもしれないし、著者によるとこの尚古趣味は「日本文化の思想全般の問題として、さらに掘り下げて分析する必要がある」とのこと。
もっとも南蛮趣味のような新奇趣味もあるわけだが、唐織物や茶道具なんかはだいたい尚古趣味らしい。

あと唐物受容の歴史をみると、唐の素材を取り込みながら、和の美意識を感じさせる再創造がなされているのもおもしろい。
なんていうのか、まんま「唐物でござい」だと「いやーね、成金ね」みたいになるのかもしれない。光源氏(道長)なんかは、唐物をつかって一手間加えたりしているそうな。例えば薫物は中国伝来だが、和の美意識にあわせた調合をするようになっている。そこがなんか「通」っぽいってやつなんだろうか?唐物を使いこなしている「こなれ感」がシャレオツってやつ。あるいは和漢のさかいをまぎらかすのが「通」っていう意識。
唐物茶入れなんかも「銘」がつくことによって、価値が高騰し、茶道具世界の「ブランド品」になるってことも、銘をつけたのは全部日本人なんで、価値の再創造というかマーケティングというか。

日本のほうは基本的に輸出品がないんで(江戸時代、銀がやたら流出するんで吉宗将軍は砂糖や朝鮮人参などの輸入品の国産化を頑張ってすすめている)、全部唐物でいこうとすると破産しちゃうwだから唐物を国産化しようと頑張る。螺鈿細工なんかは唐の時代に遣唐使によって伝えられたが、宋代には日本からの輸出品となるくらいのレベルに達している。本書は輸入品から日本の文化史をみているが、輸出品からも何かわかるだろうね。

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05月02日(金)

起床時刻:08時00分

会社に行ったら徹夜明けの菩薩君が;;。
ここのところ、朝3時4時のメールは普通だし。「仕事の報酬は仕事」と言っていた人がいるけど、彼は能力も人一倍あるから、色んな仕事を頼まれてしまうのに加えて、めんどくさい仕事ほど自ら「あ、自分、それやっときますよ^^」と言う人なんで、周りも「じゃ頼むわ」ってなっちゃうんだよねー。
早く帰れる人は早く帰ってるんだけどねぇ。特にまだ仕事に不慣れな新人さんとか。それでそういう人に限って仕事が大変な人に「何かできることがあれば手伝いますよ」って絶対に言わないんだよね。

それにしても菩薩君はよくもまぁ切れないよ。「なんで自分ばっかり、こんなにたくさん仕事をしているんだろ?」ってどうしてならないんだろう(まぁ「自分ばっかり」というわけでもなく、他にも何人か徹夜組がいるんですけどね)。
菩薩君は徹夜明けでもニコニコしてて、感じがよくて、ほんっとワケがわからない。まぁでも世の中に異常な悪人や残酷な犯罪者がいるってことは、一方で異常な善人や菩薩君がいるってことかもしれない。両方ともベルカーブの端っこに入ってる人なんだろう。
菩薩君はいつもニコニコして怒らない=相当なレベルで副交感神経が高いに違いない。だから徹夜続きでもそれなりに元気なんだろう。顔色は土気色だが。

今日の夕飯はサーモンのおろしづけ丼(クックパッドのなお★naoさんという方のレシピ)。
http://cookpad.com/recipe/415763
あと手まり麩のお吸い物とキュウリとパプリカの浅漬け。フキと油揚げのごま煮(栗原はるみレシピ。夫は嫌いなので私だけ)。デザートは清見オレンジ。夫にはクレープ(市販品)。ノルウェー産のサーモンが安かったので買ってきた。夫は刺身嫌いだけどサーモンは大丈夫みたい。

夜は『ダークソウル2』をすすめる。
※ネタバレあります。ていうか、ずっとネタバレし続けてきたけどw

「渇望の玉座」で王妃デュナシャンドラを倒してクリアした。
おー、終わっちゃった。ていうか、ラスボスが王妃ですかw
そんで私のキャラ、玉座に座っちゃったよ。おいおいw でクレジット。

私のキャラは何しにドラングレイグまでわざわざやって来たかというと、不死の呪いを治療したかったからだよね?
王様になっても不死が治るってわけじゃないよね?

不死の呪いがかかったNPCは「なんだかぼーっとしちゃって」、「なんでこんなとこにいるんだろ?」を連発するようになるので、私のキャラも不死だから「なんだかぼーっとしちゃって」、「なんでこんなとこにいるんだろ?」を連発しながらのこのこ玉座に座っちゃった・・・わけないよねw

私は基本的に読解力がないので、なんか勘違いしているかもだけどw

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05月01日(木)

起床時刻:09時10分

今日は朝起きられなかった。
疲れがたまっている。ダークソウル2疲れである(誰からも同情されない)。

会社の人に「GWはどこか行かれるんですか」って聞かれた。
興味もないくせに社交辞令で聞かんでもよろしい。
どうせ「どこにも行きません」で会話終わるんだからさw

はーあ、私も「きままなる旅にいでてみん」とでも言いたいが、主婦なんですもの、そういうわけにいかない。

本日の夕飯はハンバーグ。うちのハンバーグは常にデミグラスソースの洋食風なのだが、さすがに飽きてきたので今日は目先を変えて大根おろし+ポン酢しょうゆにしてみた。昔の夫だったら絶対嫌がるはずなんだけど、なぜか今日は食べてた。35歳を過ぎてやっとポン酢も食べられるようになったか。
あとはベビースピナッチとパプリカのサラダ、ナスとピーマンの揚げ煮(つくりおき)、ゴマ豆腐(市販品)。デザートはパイナップル。
なんかここんところ、根菜類が少ないな。

またちょこっと『ダークソウル2』をすすめる。今日は巨人の記憶(ロー・ワムダ・オジェイ)をやった。
巨人の王(巨人オジェイの記憶のボス)は、夫がソウル稼ぎのために何十回もやっているのを見てたんで、余裕で一回でクリアでしたね。
魔法使い(呪術でも奇跡でも)だと超楽チン。火の種のところ(一番奥左手の少し高くなっている場所)で、王の攻撃がきたら横ローリングで避けて魔法を打ち込むだけ。圧倒的に一番楽だったw 初見だとでっかい首がゴロゴロ落ちてきたときに死ぬと思うけど。

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