201409 <<先月 | 翌月>>

起床時刻推移グラフ

目標起床時刻:08:00 平均起床時刻:07:41

起床時刻の記録 ▼新しい順 ▲古い順 RSS

09月30日(火)

起床時刻:07時30分

日々時間だけが過ぎていく。
単純作業、ルーティンワーク。
振り返って「これをやった」というものは何もない。
床の拭き掃除のようなもの。拭いて、汚れて、拭いて、汚れて、の繰り返し。
残されたものは古びてきた床だけ。
といっても、由緒正しい古刹の木の廊下のように、長年磨きこまれた輝きはない。私が磨いているのは古アパートのリノリウムの床だ。
玉磨かざれば光なしというが、石磨けども光なしだ。つまり、そもそもの素質あるいは材質が決定的に大事なのだ。
いわば玉であるか石であるかという遺伝的・先天的要素と磨くか磨かないかという環境的・後天的要素によって、光るか光らないかは決まる。

話が飛ぶようだけれど、私がインド古来の健康法アーユルヴェーダの気にいているところは、人間の体質あるいは素質・材質を健康法に反映していることだ。すなわち、風体質のヴァータ、火体質のピッタ、水体質のカパである。数冊のアーユルヴェーダ本を読んだうえでの自己診断では私はヴァータ(間違いない)が7割、3割がカパ、ピッタは恐ろしく少ない。
まぁ私は西洋医学を信奉しているので、個別具体的な健康法を実践するということはないが(ゴマ油でうがいするとかね)、全員一律に体にいいこともある一方で、ある人にとっては有効だが、別の人にとってはそうでない、ということも多々あるというのは、まともな人間観察眼の持ち主なら当然わかることである。

何の話だったか。そうそう、人間もって生まれた要素が大きく、石ころはいくら磨けども石ころだっていう話だった。医療でも教育でも、あるいは生き方指南でも、全員一律に診断し、基準をあてはめ、押し付けているが、それは本来の人間性というものにそぐわないこともあるのだ。
石ころに玉になれったって土台無理なんだ。これをあきらめという。あきらめることこそ、悟りなんである。

さて、振り返っても古びた床があるだけの日常だった。
この日の夕飯はなんだっけ?(この記録は後日書いている)
白菜のクリーム煮(Cookdo使用)、チャーハン、昨日の残りの小松菜と豚肉の炒めもの、デザートはいちじくだったか。リノリウムの床磨きよ。

日別画面へ

09月29日(月)

起床時刻:07時30分

今週延期になっていたダークソウル2のDLCが配信される。
というわけで、夫は私にまだ倒していないボス(鉄の回廊の奥の魔法タイプデーモン)を倒せと執拗にいうので、2時くらいまでやっていた。ボスまでの道中がなかなか険しい。使えないと思っていた不屈のローリさんが活躍していた。エスト飲むしね。アーロンの騎士も結局ローリさんに倒してもらったしな。

自分の時間がなくて苦しい。傍目にはそうはまったく見えないだろうが、読書したり、ここに駄文をつづる時間がない。まぁこのような願望を抱くこと自体がわがままなのだろう。

世の中の人を見ていると、よくもまぁ、そんなに自分の時間がなくて平気でいられると思う。もっとも内心は平気じゃないのかもしれないが。しかし、私が見たところ、人間には集団が苦痛なタイプと集団でいることが好きor平気なタイプの二種類がある。後者のほうが社会性が高く、ストレスも少ない、というのも、周囲の人間がストレッサーにならないからである。前者は周囲に無害であっても人間がいるだけでストレスに感じるし(とはいえ、お互い無関心ながらマナーを守っているまったくの他人なら問題ない。カフェのように。これが騒ぐ子供や大声でしゃべる大人などがいるとイライラする)、ましてや知り合いとずっといるなんぞ耐えられない。

高校のときの担任に大学合格の知らせを持っていくと「君みたいに頭のいい子(という言葉遣いに皮肉はこめられていないと信じたいが)は、大学にいって宗教に入らないか心配」と言われたが(やっぱり皮肉だな、こりゃw)、私は集団や団体生活が病的に嫌いなので、宗教という集団が基礎にあるもの(信者や弟子などの信奉者集団を持たないなら、それは宗教じゃなく信念だ)には絶対にはまらないのだ。集団でお祈りをあげるとかお経を唱えるとか、運動会や文化祭の練習(大嫌いであった)と変わらない。
他人にあわせることを学ぶという意味で、宗教は学習装置だ。さらにいえば集団で一つのことをすること(お祈りでもチャントでもマントラでもあげること)の一体感は大きく、気分を高揚させる。共同体への帰属意識を高め、協調的な人間をつくるし、そのような集団は、自分勝手な猫の集まりのごとき集団より(A.ジェイコブスの本だったと思うが、彼がNYの無神論者の集まりに行ったときに「猫の集まりのよう」と書いていた記憶がある。やっぱり私は性格的にも無神論にフィットしているみたいw)、サバイブする可能性が高いであろう(今後はどうかわからない。むしろ集団主義や自由な発想の阻害が足をひっぱる可能性もある)。つまり宗教は(少なくとも今までは)適応的である。その証拠に世界中どこでも、いつでも宗教は存在する。いうまでもなく、適応的ということは善悪の価値判断とは無縁である。

私はとことん集団で何か一つのことをやるのは苦手なんだ。一人で好きなときに好きなことをやりたいタイプ。みんなそうだと思っていたら、意外にそうでもない。

日別画面へ

09月28日

起床時刻:09時30分

以前、偶然みかけたtwitter(雑魚さん)で
「ミサンドリー女性が男性を忌避する原因が嫌がらせや暴力といった“迷惑な関心の持たれ方”である場合が多いのに対し、ミソジニー男性が女を嫌う理由は“女から関心を持たれない”事であったりする非対称。
「私をほっといて」という女と「俺のことを構え」という男の落差は永久に埋まらないのかな…」
https://twitter.com/little_fish05/status/385133513697026048
というのがあってなるほどね、だった。
私は別にミサンドリーではないと思うが(ワカランね)、男の「かまってちゃん」ぶりに日々驚いている。男の、というか、夫のw

例えば、夫は自分のゲームプレイを私にイチからジュウまで見てほしいらしく、私が台所で用事をしていてもソファから「ねえ見て、今からアーロンの騎士倒すから見て、ねえこっちにきて見て!!」とやかましい。
私は自分がプレイするところなんて誰にも見られたくないが、夫は横から「ワァすご~い」と言ってくれる観客を切実に必要としている。2chにゲーム実況動画でも載せればいいのにって常に言っているんだが、それは嫌みたい。まぁ世の中には旦那よりうまい人いくらでもいるからなw

会社の近くに幼稚園だか保育園があって、よくガキんちょどもが大声をあげているのが仕事をしている最中に聞こえるのだけれど、先日何かを披露しようとしているのだろう、「ねぇ、ママ見て、ママ!ママ見て!ママ見てよ!」と連呼しているガキがいて内心笑ってしまった。ママは別のママとおしゃべりに夢中だったのだろうか。うちの夫と一緒だねw

それはともかく、雄は見事な孔雀の羽を広げて、雌から「ワァすっごーい」といわれることに生きがいを感じてきた。すべてはもてるためである(とかいうタイトルの本なかったっけ?)。
しかるに、ろくな羽がないくせに「ワァすっごーい」と言われることを望む雄がいるわけだ。こじらせると「ワァすっごーい」と言わない雌が悪い、という発想になりがちで「最近の雌の羽の要求水準が高すぎる」「海外の雌は雄の羽にそんなこと求めない」「自分の周囲の雌がおかしい。ビッチすぎる」などと2chでたむろし、同病相憐れむのだ。私はイスラム圏の一部の国の女性に教育を受けさせない(タリバンのアフガニスタンとか)も、この非モテ的発想(女に教育とか受けさせると、簡単に「ワァすっごーい」って言わなくなるから、受けさせるな)を感じる。モテないなら、強制的にモテるように仕向ければいいんじゃない?という発想。男らしいっすねwww

女のほうはそういう男のモテたい願望、俺様すごいっていう自己愛を満たすための、それこそ「精神的看護婦」(@『総決算のとき』)を求められるのに辟易するし、場合によっては病的なストーキング、痴漢行為、その他の人権無視などがあり(俺様の自己愛を満足させるための道具としか雌を見ていないってことが明らかなんだよね)、マジ男ってうぜぇとなってもおかしくない。だから非対称なんだろうね。

日別画面へ

09月27日

起床時刻:09時30分

09月26日(金)

起床時刻:07時30分

『今はかくあれども』(メイ・サートン/みすず書房)を読む。
いいね、いいね。

『総決算のとき』は恵まれた60才の女性が末期の肺ガンと宣告された話だが、恵まれているだけに、おとぎ話的なほのぼのストーリー(日本人にとっては夢のまた夢のご臨終)にも感じられたが、こっちの『今はかくあれども』はわれら呪われたワーキングクラスの日本人にはより切実というか、親身に感じる話であろう。

独身の高校数学教師の女性(76才)が心臓発作を起こして家を畳み、兄夫妻に一時期厄介になったものの、結局「双子ニレの家」という農家を改装した小さくてみすぼらしく管理も雑な(排泄物の匂いがただよい、女性は彼女一人の老人ホーム(ナーシング・ホーム)に入れられ、雑な扱いやちょっとしたいじわるを受ける。ぼけかけて自信がなくなりつつあることもあり、しっかりするために日記をつけた、というテイの小説。

気に入った箇所など。
「けれども外部の人間(引用者注:親類などの老人ホームの訪問者)には、ここを領する、ひとが枯れしぼんでゆく雰囲気に長時間耐えることは不可能に近い。人びとは、カートン入りのたばことか雑誌をもって快活にやってくるが、五分もすると気分が沈みはじめ、追いつめられたような表情になり、天気の話と、父親か叔母とかの様子を聞いたあとは、ことばを失っていまう。そうして、まるで正常の機能が停止したように、そそくさと逃げ出してゆく。」

「こういう人たち(引用者注:兄の若い妻や老人ホームの管理者)にたいして、私がスノッブだったのは確か。私は彼らより優越していると感じていた。それは生きぬくためのひとつの便法だった。私はまた、憎悪することも自分に許してきた。でもそれはまちがっている、人間として劣ることだ。これだけのことを学ぶのに、なんという長い時間がかかることだろう。時間と苦しみ、それも自分がまちがっていたこと、自分が底知れぬほどの失敗者だったと認める最悪の苦しみが必要だ。怒りは生涯私の不運の原因をtくってきたが、いまになって、そのつけを払わなくてはならない。なんとでもして、こんりんざい、怒りを克服できる自分を作り出さなくては」

「けれど苦痛から目をそむけるのは人間の常だ。自分自身の苦痛だけが、他人に同情することを教えてくれる。」

「記憶力そのものが、部分的には、感覚を通して生かされるのではないかと疑いたくなる―気狂いじみた考えにちがいないけれど」

「もしも管理者が絶対権力をもっているために腐敗するのだとしたら、彼らに管理されている人間はどうなるだろう。人は権力をもつ者の機嫌を取り結ぶこと、軽蔑や侮辱に気付かなかったようにふるまうことをおぼえる。」

「老いた人間の心からの叫びは、聞く者をひどく混乱させ、動揺させる。なぜなら、降下の一路を辿る老者のために他人がしてやれることは真実なにひとつないからだ、と私にはわかってきた。だからひとりで老いてゆくことの恐ろしさを口に出すことは、聞く者には耐えがたい重荷となる」

「老齢というものは、実は老人自身にしか見破ることのできない偽装だ。私の感じかたはいままでと少しもちがわないし、二十一歳のときと同じように心のなかは若いのだけれど、外側の殻がほんとうの自分を隠しーときには自分自身からさえー私の内部深くにいる人間を、しわや肝臓のシミやその他あらゆる凋落の兆しで裏切る。私は、以前よりもっと強烈に物事を感じるようにこそなれ、その逆ではないと思うことができる。けれど、馬鹿のように見えることがとてもこわい。人びとは老人に平静を期待する。それが、年寄りに着用を期待されているマスクだし、ステレオタイプだ。けれど、何人の老人が平静でいられるだろう。」

「私の死は緩慢な崩壊ではなく、もっと私らしいものにしたい。「美しい夜のなかに、そっと消えてしまうことなかれ」…いまでは使い古されて、月並みに聞こえるこのことばが、私の内部、いまだに火の燃えている深奥から私に蘇ってくる。たとえそれが、怒りと厭わしさからくる火にすぎないとしても」(P139)
この「美しい夜のなかに、そっと消えてしまうことなかれ」はディラン・トマスの「Do not go gentle into that good night. Old age should burn and rave at close of day. Rage, rage against the dying of the light.」か。
ここからはネタバレなので読みたくない人は回れ右だが、最終的に主人公のカーロ(キャロライン)・スペンサーはこの老人ホームに放火して燃やしてやろうとして終わる。文字通り、burn and raveのold ageを実践しようとするw。
初版だと最後に「焼け跡から見つけ出された手記を出版した」という内容の後記が書かれているらしく、実際に放火を実行したことが明らかになっているらしいが、本書(翻訳)にはない。おそらく、第何版かで削除されたのだろう。ないほうが確かにずっといい。放火したのか、しないのか、わからないほうがいい。それと同時に、カーロが正気なのか、あるいはぼけているのか、も、交錯して書かれているほうが深みがあるだろう(それを思わせる記述はあるが)。カーロを全くの被害者として書くとただの「老人ホーム告発」ノンフィクションなる。人間としての尊厳が書かれていないとプロパガンダになってしまう(訳者あとがきによると、当時の米国の老人ホームは劣悪で、老人入居者の人権無視が多々あったようだ)。
そこに葛藤があること、小説の奥深さというのは「どうしようもない人間」という、存在の葛藤を表現することにあるのだろうから。そしてそれは時代を経ても変わらない。

日別画面へ

09月25日(木)

起床時刻:07時20分

『総決算のとき』(メイ・サートン)の主人公は末期の肺がん。
人生の総決算、関係の総決算を行い、自分にとって「本当の関係だけ」「本当にやりたいことだけ」を残された時間で行おうとするが(「これからの自分にとって大切なことは、自分の内面で起こることであり、それは自分以外の人間や、自分が「しなければ」と思うこととはほとんど関係ないのだ」)、何しろ、三人姉妹で三人の子持ち、専業主婦の後は出版社で編集者としても働く人(主人公のローラは金持ちでお育ちのよい、インテリのWASP)なので、ひっきりなしに人が訪れてくる。

しかしローラは大事な子供やかわいい孫との間には「本当の関係」はない、と思う。ローラの本当の関係は若い頃、パリに遊学していたときのイギリス人の友人、エラとの間にあった。昨日引用したのはローラとエラの手紙のやりとりの一部。

「なぜ身内がこんなにも脅威―とても手に負えない脅威―に感じられるのだろう?ひとつ距離をおいた人間ならば―赤の他人であるハリエットでも―大丈夫なのに、身内となると神経がすり減るのだ」
決して仲が悪いわけではない、それどころか、世間的には十分理想的な関係なのだが。

妹のダフニ(55)がやってくる。
「ローラは煙草をふかしながら暖炉の薪を突ついている妹をじっと見つめた。険しい、悲壮感の漂う顔―でも成熟した顔なら皆そうではないのか。険しさのない顔とは、生きてこなかった顔のことだ」

妹のダフニ曰く「この歳になって、デイヴィッドより女友だちからのほうが、よほどたくさん栄養をもらってるもの。正直言って、私、デイヴィッドに対しては、精神的な看護婦みたいな役割をずっとやってきたのよ。彼が自尊心を保てるようにひたすら勤めて……疲れる仕事よ」

ローラはだんだん食欲もなくなり、主食がエッグノッグ(ブランデー一匙入り)状態(このエッグノッグが妙においしそうなんだなw)。したがって見ず知らずのお手伝いさんに頼って生きていくことになる。
一人で雄々しく静かに最後を迎えるなどということはできない。入院ひとつとってもそうだ。他人からの要請に従って生きるしかない。身体的に弱くなり、他人の庇護に全面的に頼るようになってからは、いよいよ、「自分はこうしたい」というわがままを封印して、他人の手に自らをゆだねるしかない。「一人で静かに過ごしたい」などというのも、日常生活すらままならない容体なら、わがままでしかない。
もっとも、ローラと違ってカネも身寄りも仕事もなければお手伝いさんも、往診の医師も、若い小説家も、親戚や子供も、だーれも寄り付かず、想定通り、一人で静かに死んでいけるんだろうけどさw。

日別画面へ

09月24日(水)

起床時刻:07時20分

『総決算のとき』(メイ・サートン/幾島幸子訳/みすず書房/1998)を昨日図書館で借りてきた。"A Reckoning"(1978)が原著。
上野千鶴子さんが著書でメイ・サートンのことを大人の鑑賞にたえる数少ない作家で詩人(手元に本がないのでうろ覚えで書く)、というようなことを書いていたので気になって、図書館で借りてきた。

末期の肺がんを宣告されたローラ・スペルマン(60才)の物語だ。

「もしかして人間は、自分以外には責任をもたなくてもいい若いときと、死が近づいたときだけ、非情になることを許されるのかしらね?でも”非情”っていうのは言葉がちがうかもしれない。私が言いたいのは、そのときだけ人間は重要でないものを排除できるってこと。猛烈な勢いで成長しているときは、自分の内側だけを見つめることが許されるし、そうしなくてはならない。でもそのあとは、日々の生活やいろんな人間関係のしがらみが人間の本質的な部分と絡まりあってしまうのよね。絡まりあいながら、でも養分も与えてくれる。人間はひとりでは生きていけないから。でもやがて”しなければならないこと”ばかりが増えて、本質的なことを邪魔してしまうのよ」(P45)

「パリにいたとき、よく二人で言いあったわね。そういう生き方をしよう、大事でないものは切り捨てて生きようって。おとなになるっていうことは、たぶん、そういう強烈な目的意識が他人のために少しずつ希薄になっていくっていうことじゃない?おとなになってもそういう生き方を正当化できるのは、ものすごい才能に恵まれているとかの特殊な人だけなのよ-少なくとものその人が女である場合は!」(P104)

日別画面へ

09月23日(火)

起床時刻:07時30分

夫につきあって「アメイジング・スパイダーマン2」を見た。
全く興味ないんだけど、、、それより図書館で借りてきた本を読みたいんだけど、、、。

一人で好きな音楽を聴き、好きな本を読み、好きな映画を見て、好きなものを食べる、といったことをしたい。
つまらない話などは聞きたくないし、私も別に話したいことなど何もない。
だから他人も必要ない。

しかし、もちろんそんな振る舞いはできない。なぜなら他人(家族だとか同僚だとか)が自分を取り巻いており、そんな振る舞いが許されるのは社長とか家長とかだけだからだ。主婦とかパートのおばさんとかは、周囲に不快な思いをさせないために、常に明るくほがらかでいなくちゃいけないんだ。それで自分が疲れているなんて道化じゃないか。いや、道化じゃない。これこそ主婦たるものの義務だったりするのだ。

一人でいることの解放感。自分の正直な気持ちをみつめること。worldなんかどうでもいい。空っぽの笑いをふりまいて疲れるだけの生活に何の意味があろうか。

などと言ってられるのも、元気なうちだけなのだろうか。健康なものの特権なのだろうか。
体が弱り、あるいは金銭的な理由で自活能力がなくなったら、周囲の顔色をうかがって笑うしかなくなるのだろうか。せいぜい「かわいいおばあちゃん」になって愛されようと努力するのだろうか。
やれやれ。

日別画面へ

09月22日(月)

起床時刻:07時30分

09月21日

起床時刻:09時30分

アクセサリー類を整理していたんだけど、ブローチ類にイライラする。
私はブローチなんぞ一回も使ったことないんだけど、祖母からもらったブローチ、伯母からもらったブローチ、母からもらったブローチで、ブローチだらけだ。「いらない」と言っているのに、周囲も全員いらないと言っているので、ブローチが私に回ってくるのである(なんなら高価な指輪を回してくれればいいのだが、そういうものは引き取り手がいっぱいいて私にはまわってこないのである。祖母の翡翠の指輪は二、三個回ってきたけどさぁ、翡翠の指輪なんぞ、嵌められるわけがないw。だから回ってきたんだけれどもwでも翡翠は見ている分にはすごく綺麗だ)。

ていうか、シニアのブローチ好きはなんなのだろう。
今、ブローチをしている人なんか見ないんだけど。
ブローチの落日である。
スカーフの落日とともに落下していっておる。
あと落日といえば、コサージュなw
コサージュづくりが趣味の人とか人にプレゼントしているんだろうけど、それ相当な確率で迷惑になってるからw

とりあえず、真珠の高そうなブローチとデザイン的に気に入ったものはとっておいて、あとは捨てた。シンガポール土産の生花の蘭を24金でそのまま固めたというブローチとかなw こんな金ぴかブローチ、どのユニクロにあわせるんだよw
あとガラクタチックなアクセサリー類も捨てた。ジョージ・ジェンセンのシルバーのバングルとか。貰いものだったんで、なんか気が引けていたけど、もう十分保管していたからいいだろうw色もシルバーから黒になってるしwあとは4℃の可愛らしいネックレスとピアスのセットとか。気に入らんからほとんどしなかったけど、それも捨てた。男の好きそうなアクセだよwだっせw

趣味のいい男からもらったものはとってある。趣味のいい男たちがくれたものは何年たっても趣味がいいね。あと「これ」と指定して買ってもらったものもやっぱりいい。気に入ってる。夫がくれたやつは(義理から)とってあるけどw。

日別画面へ

09月20日

起床時刻:09時00分

お風呂のカビ臭さが気になるので、お風呂の天井の排気口を掃除したんだけど、蓋が取り外せないから、スッキリしない。椅子を持って入り、綿棒でコチョコチョ、地道に掃除。結構汚れている。この蓋、なんで取り外せないんだろう?やっぱり、家づくりでは掃除のしやすさが一番大事だ。といっても賃貸なんだけどさw
「劇的ビフォーアフター」みていると、「どーやって掃除すんだよw」みたいなリフォームをする建築家とかいる。掃除は奥さん担当で自分はしないんだろう。

あとは壁や扉を中心にカビキラーで掃除し(目に見えるようなカビはあまりないが、カビの胞子がついてるかもしれないので)、水分を拭き取って乾かしたあと、初めて「お風呂の防カビ燻煙剤」なるものを使ってみた。排気口の裏側まで煙は入るから、効果に期待。坊カビ効果はあるものの、すでにあるカビはとれないみたい(ちなみにお風呂が濡れていても乾いていても効果は同じなのだそうな)。

Breaking Badのシーズン4を見る。ジェシー、おまえってやつは。とことん、弱い人間なんだよなぁ。
子供のころの意思の強さが将来の成功を左右するという調査があったよね。1960年代だか1970年代の昔、心理学者が子供にマシュマロを我慢させて、その我慢できる時間が長ければ長いほど、その後の追跡調査でテストの点数も高く、実社会でも成功することが判明したというやつ。
ジェシーはすぐに食うタイプだったんだろうなw
つか、私もだぜw

ジェシーの場合、どうやったらヤク中毒から抜け出せるのか、だけではない。どうやったら、まっとうに稼ぐことに耐えられるのか、が問題なんだろう(まぁでも普通、ヤクの売人はそんなに稼げないはずだ。『ヤバい経済学』にそんなことが書いてあった。ヤクの売人がママと住んでいるのは意外に稼ぎが悪いからなんである、と。ぐぐったらヤクの売人は「時給で換算すると3ドル30セント。ヤクの売人の死亡率は死刑囚より高い。4年間で4人に1人のヤクの売人は殺されてしまう」らしいぞい)。

スリルがあって短時間で大金を稼げる仕事と、それこそ、皿洗いのような比較的低リスク(ゴム手袋にかぶれる可能性や腰痛になる可能性はある)で長時間同じような仕事をタンタンとこなし、そして稼げる額はめっちゃ少なく、金がないから、だれからもかえりみられない仕事を比べて、後者を続けることを選ぶように説得するのは難しい。まぁ年とって、ドーパミンの出が悪くなったら、「あきらめ」という名の賢さを身につけるのだろうか。
私がジェシーの親しい友人だとしても、何も彼にアドバイスできることはない。まぁせいぜい自首しろくらいだろうけど、それを彼が拒否したら、あとはどうしようもない。もっとも、私自身も、別に法も犯しちゃいないが、周囲から見たら、ジェシーなみに首を振りたくなるような人生かもしれない。当事者には見えないんだ。仕方ない。

日別画面へ

09月19日(金)

起床時刻:06時40分

朝起きても部屋の生臭さ(鮭のホイル焼きの残り香)が気になったので、換気扇のフィルターを掃除する。それでもまだ生臭さが残るような感じがしたので、換気扇を取り出して、歯ブラシでゴシゴシ洗った。普段は換気扇のフィルターしか洗わないので、中の換気扇はなかなか汚かった。換気扇は完全に乾かしてから戻したいので、日の当たるところに置いて干したまま会社に行った。会社から帰ってきて戻したら、換気扇の音が小さくなったような。どんだけホコリまみれだったんじゃ。
まぁ鮭のおかげで換気扇の掃除もできたので(重い腰をあげられたので)よかったとしよう。

会社で45~55才女性のプライベート写真を色々みる仕事があったんだけど、55才と45才ではだいぶん「年齢感」が違う。45才だとまだ30代に近い雰囲気の人も少なくないが、55才だとぐっと、シニアという言葉が近づく。「美魔女」という言葉が流行ったが、やはり55才の人が45才に見えるようなことはないな。年齢なりだわ、やっぱり。まぁたまに、実年齢よりものすごく老けこんでいる人もいるが、ものすごく若いって人はない。という苦い現実に直面する。
しかし、私が一番気になったのは、そこではない。部屋で写真を撮っている人が多いのだけれど、びっくりするくらい家が散らかっている人がそこそこいること、である。「後ろの洗濯物片付けてからとればいいのに」って思うのだけど。プライバシー保護から絶対どこにも出回らない写真だからどーでもいいやって思うのかな。あるいは普段から洋服やらDMやらをそこらに放って置いて、当たり前になっているから、平気でぐちゃぐちゃな部屋で写真を撮れるのかもしれない。感覚がマヒしているのかも。
玄関でとった人の上がりかまちのところに、靴が何足も並んでいるのがあって、どんだけ大家族なんだよとプロフィールを見たら、既婚・子なしの二人暮らしというのもあった。なんで?
まぁ人のふり見てわがふりなおせ、で、自分の家をあら捜しが得意な小姑の目で見るようにしよう(あら捜しは数少ない得意分野だ)。

日別画面へ

09月18日(木)

起床時刻:07時30分

夕飯は鮭とマイタケのホイル焼き、付け合わせはサツマイモ、空芯菜の炒めものの残り。キノコとねぎのチャーハン。夫にはカレー(レトルト)とコロッケ(テイクアウト)。鮭のホイル焼き(バター醤油)なんか食べるわけないんで。

鮭の匂いが台所中にするようで、気になる。換気扇つけたり、ファブリーズでシュッシュッしたりしたけど、生臭いような匂いがする。最近、魚の匂い(生臭さ)が気になるようになり、また昔ほど魚をおいしいと感じなくなった。今回もなんか生臭く感じてホイルに包むとき、バターと酒に加えてハーブも加えてみた。マァ食べられるけど、たいして美味ではない。鮭よりも、まいたけのほうが百倍おいしい。

『背すじは伸ばすな 姿勢・健康・美容の常識を覆す』(光文社新書/山下久明/2014/1/17))を読む。本書は「顔を上に向けよ」というが、そうすると、顎があがる。となると、同じ光文社新書から出ている『アゴを引けば身体が変わる 腰痛・肩こり・頭痛が消える大人の体育』と矛盾するようだが、『背すじは伸ばすな』に書いてある内容は私の実体験にも合致する点もあった。
私は歯の矯正を二回もした金食い娘だが、せっかく矯正してもすぐに元に戻ったのは、疑いもなく舌の位置がおかしかったためである。舌の位置の悪さは歯並びや呼吸法にも影響する。私はどうしても口呼吸になりがちなのだが、このことが私の健康と外見を損なってきた。子供のころアデノイド肥大でアデノイドをとったが、そのころには口呼吸の習慣がついてしまっていたといえる。
舌は上あごにつけなくてはいけないのだが(「舌ダンパー」となり姿勢を保つ役割を果たす)、これができない。なぜなら、舌の筋肉が鍛えられていないことと、口呼吸のほうがいっぺんに多くの空気が吸えて楽だからだ。
私は日常的に息苦しさを感じることがある。呼吸困難というわけではないのだが、空気が足りないような気がするのだ。これが口呼吸に結び付いたのではないか、と素人考えで思う。
私は女性にしてはヘマトクリット値とヘモグロビンが高く、二十代の頃は健康診断で「多血症」と診断されたこともあった。高地での生活(酸素が薄い)や、睡眠時無呼吸症候群などでも低酸素症から多血症になるそうなのだが、私の場合は肺の酸素取り入れ能力不足のせいではないか。呼吸に関係する筋肉がもともと弱く、肺活量も少ないことと、普段から緊張状態が多く呼吸が浅いのとがあわさって、血液中の酸素が足りない状態が続き、息苦しくなり、酸素を運ぶヘモグロビンも増えたんじゃないかと素人考えで思う。そんなこんなで現在のぐったり疲れた自分がいるのではないか。とりあえず、舌を上あごにつけなければ。

日別画面へ

09月17日(水)

起床時刻:07時30分

夕飯は焼肉丼、キムチ、空芯菜のにんにく炒め、サトイモとニンジンの煮物、マカロニサラダ(夫にだけ)。
疲れがとれない。朝起きられない。

日別画面へ

09月16日(火)

起床時刻:07時30分

ひどく首や肩が凝って、頭痛がする。
パソコン作業をしていても、肩や背中が気になる。
頭痛薬を飲んでもラチがあかないので、マッサージに行った。

いつもは家の近所のマッサージ店に行くのだけど、混んでいるので、会社の近くの、かなり安いところに行ってみた。この分野も価格破壊が進んでいるのだとか。時給いくらになるのだろう。担当した男性は42才で日中はデイサービス(高齢者のリハビリ施設的なところ)で働いているそうな。大変だなぁ。こっちがマッサージしてあげなきゃいけないような気になるな。
いつも行っているところのほうがやっぱりいいな。でも今日行ったところは半額くらいなんだよなぁ。
目を酷使しているのが一番いかんのだ。。。

日別画面へ

09月15日(月)

起床時刻:08時30分

09月14日

起床時刻:10時15分

Hちゃんと久しぶりに会う。
相変わらずのヘビースモーカーっぷり。
勤務先の女子(つっても30才だが)もスモーカーで(一日に数本吸う程度だけれど)、食品添加物を気にするヘルシー志向なのにタバコを吸うのが面白い。ちなみにタバコはアメリカンスピリットで無添加なんだとか。しかもオーガニックらしい。アメスピ以外のタバコは吸えないと言っていた。そういや、熊本に行くとよくタバコ畑を見るのだが、あのタバコの葉は何のブランドに使われるのだろう?そこらへんのタバコに使われるわけないよね?100%国産の葉タバコを使っている安心安全のタバコです、って言ったら売れるんじゃない?ていうか、安心安全とタバコが二律背反な気もするがw。

私はタバコは吸わないが、タバコは受動喫煙の害を除けば(まぁのぞけないんだがw)、酒よりも有害度において、まだマシだと思っている。というのは、他人に迷惑を及ぼす度合は酒飲み(飲んだくれ)とヘビースモーカーを比べると、明らかに前者のほうが有害だからだ。酔って吐くのだけでも大迷惑なのに、飲酒運転の事故、飲酒によるDV、殺人など他人の命を直接的に奪うものだからだ。

タバコで交通事故は起きないし、吐しゃ物をまき散らすこともない(タバコの煙で料理の味が台無しになることはあるが、煙と吐しゃ物なら煙のほうがましである)。タバコで理性がきかなくなって暴力沙汰を起こすこともない。酒同様、タバコに「溺れる」ことはあるだろうが、受動喫煙の害(無視できない大きな害だが)を除けば、基本溺れたことの害を蒙るのは自分だけである。というわけで、私は世の中は酒に甘すぎ、タバコに厳しすぎという気がしている。もちろん、家が煙で汚くなるから、タバコも吸ってほしくはないがなw

日別画面へ

09月13日

起床時刻:09時30分

夜の10時半くらいから、朝の7時まで、ずーっとダークソウル2のDLCのボス「煙の騎士」をやっていた。
発狂モードまでは割と簡単に行くのだが、発狂してから回避全然できない。何十回どころではない。何百回もやった。
あと一発で倒せるくらいまで削って、勝ちを焦って死ぬことも3回くらいあった。

そして旦那は自分のキャラ(体力初期値の純魔)で倒したのだが、近接でやってみたいというので、私のキャラでやったらあっさり倒してしまった。
煙の騎士は近接だと楽らしい。

すごく落ち込む。
ゲームをしていて自分のいろいろなまずい点を発見する。
努力が足りない?だからうまくならない?
違うじゃん!徹夜でやって倒せないというのは、私の素の能力値に問題があるんだと思う。いわば目に見えない身体障碍があるともいえる。努力でカバーできない身体障碍だ。なのに、結果だけを見て「努力していない」とか言われる。努力信者は全員が同じステータスで始まっていると思っている。このゲームの一番の魅力は達成感だろう。少し強めの敵と戦ってだんだん勘所がわかってきて倒せるようになる。でも私が感じるのは無力感だけだ。実人生でもそうだ。

夫が珍しく、私をかわいそうに思ったのか「これから成長していけばいいよ」と言っていた。ファッ?いっとくがこれからは老化がはじまる退化の時間だ。ゲームでいうなら、デフォルトで数時間に1レベルソウルレベルが下がるというハードモードステージに移行する。しかも加齢に伴い「適応」は強制的にソウルレベルに8掛けくらいのモッサリになる。
周囲は「もうこんだけプレイ時間あるんだから、カンストプレイできるよね」と期待する。できるか!!

ゲームとリアル人生の違い。それは人生にはタイムリミットがあるということ、そして老化し、退化していくということだ。人生とはなんと残酷なことよ。まぁ子孫を残すという生命の大目的からしたら、人生のピークを生殖適齢期にもってくるような生物のほうが、繁栄するから仕方ないのだが。ゲームの世界には老化もないし、性差も一切ない。本当のユートピアなのだ。

日別画面へ

09月12日(金)

起床時刻:06時45分

17時くらいから大雨が降ったけれど、家に帰ったら洗濯物が濡れていなかった。どうやら局所的な大雨だったみたい。パンを落とせばバターの面から落ち、洗濯物を外に干せば雨が降る、と考えがちだけれども、アンラッキーな出来事のほうが印象に残りやすいせいかもしれない。いわゆる認知バイアスだ。だからいいことがあったときはいいことがあった、とちゃんと書いておくといいかもしれない。悪いことがあったら、言われなくても吹聴するもんね(それで周囲の人間に鬱陶しく思われるんだ、知ってるw)。

はあ、、、やるべきことをやらねば。
なのにいつも逃げてしまう。特に読書に。。。

『『ふしぎなキリスト教』と対話する』(カトリック司祭/来住英俊・春秋社・2013.7)を最近ボチボチ読んでいる。

これは面白い。対話相手のベストセラー、『ふしぎなキリスト教』は以前読んだが(ここには感想などは何も書いていないと思うが)、少し物足りなかったり、本当かなあと思う部分もあった。本書でそのもやもや部分が晴れるような感じがした。
著者は思想書や一般の新書も幅広くお読みになる方で、その読書量の多さと幅広さがバランスの良さを生み出しているのだろう(知的に面白がる、という態度)。著者は好意的な姿勢で『ふしぎなキリスト教』での大澤さんの問いかけに答えながら、橋爪さんの答えを引用して論評を加え、さらに深堀していく。キリスト教の摩訶不思議な教理について、ノンクリスチャンなら当然持つであろう疑問を(ていうか、クリスチャンだって持っているだろう)、できるだけわかりやすく、しかしオーセンティックに説明している。著者独自の見解については必ずそのことを断り書きするという丁寧さだ。まぁそんな突飛なことは何も言っていないから、カトリック教会は安心されたし。ついでにいうと、私は橋爪さんの語り口が好きではないのだが(なんかすごく「上から」なんだよね。知らなかったが橋爪さんてクリスチャンなんだね。本書にルター派の教会で洗礼を受けている、とある)、来住さんの語り口は権威主義的な感じはない(ウェーバーについて書いてあることはほんとそう)。

クリスチャンの書いた本は専門書以外の一般人向けだとただの説教か(『おかれた場所で咲きなさい』)、歴史の教科書的な無味乾燥な本か(何年にナニナニ公会議があってナニナニが決まった)、そんな風な印象があるが、本書はそのどちらでもなく、読み物として面白い。

もっとも本書を読んでも、私が無神論者であることには一ミリも変わりはないし、キリスト教などこれっぽっちも信じていないが、キリスト教に対する理解は多少は深まったように思う。今までは信じる人の脳内がどうなっているのかさっぱりわからなかったからな。

聖書のいう契約はただのコントラクトではなくコヴナントであり、「人間社会の中で聖書の契約に一番近いのは「結婚」です」というのは「そうなのか」と膝を打った。
「私たち日本人にとっては、「親と子」の関係がとても大事なので、神と人との関係も親子のアナロジーで考えるのが当然だと思っています。しかし、ユダヤ教やキリスト教の考えでは、神と人間との関係に似たものを人間世界の中に探すと、それは「夫と妻」なのです。「親と子」の関係には選択がない。神と人との関係は、たまたまそうなっていたというのではない。自由意志によって選択しているのです。つまり「契約」なのです」
なるほどね。

第五章の「神義論とヨブ記」では、神はなぜ世界と人間を創造したのかという問いにまで行きつく。
「私の神学校の先生は「キリスト教の神はEXCESS、つまり過剰な方である」と言っていました。神自身は淋しくないし、人間というのは面倒な存在ですから、創造しなくていい。<略>それなのに、あえて、自由な愛によって、人間を創造した。それが神の過剰、やりすぎ(EXCESS)です」
あー、そういうことなのかあ。確かに。

そこいくと、釈迦牟尼は真逆だよねw梵天勧請がなければ悟りを開いたあとも「どうせ他の人に言ったってわかんないだろうし」という感じで積極的に法を説こうととしなかったんだもんね(初転法輪)。でもそこはなんといってもブッダは慈悲の人だから、説話をしてやるわけですけど、キリスト教の神様なら言われなくても、積極的にキリスト教における法みたいなものを説いていたはずだよね。EXCESSだから、人と積極的に交わろうとするし、あれこれ介入してくるし。私はそこもちょっと鬱陶しさを感じるんだがwでもクリスチャンの慈善活動の活発さや熱心さは「過剰な」神の影響かもしれない(仏教はその点、冷たくみえるもんね)。

著者は、西洋のヒッピーたちが仏教のほうが科学的合理主義に矛盾しないから、仏教やインドの宗教を身近に感じたからではないか、という。そりゃその通りだよ。
著者は矛盾(パラドックス)をむしろキリスト教を深く豊かにするものだという立場なので「それは矛盾しているよ」と言われても、クリスチャンとしての信仰はびくともしないわけ。私は科学的合理主義のほうが好きだから、当然キリスト教よりは仏教にシンパシーを感じる(ま、私は仏教も信じてはいない無宗教者だけれども。あと輪廻転生なんかは戯言だと思ってるけど)。
奇跡だって、死んだ人を生き返らせたキリストよりも、死の受けとめさせ方を変えさせたブッダのやり方のほうが、ずっと信じやすいし感心する(ま、でも実際にわが子が死んで、生きた聖人が二人とも目の前にいたのなら、キリストにすがると思うけどねw)。

まぁ一般人がキリスト教について聞きかじったときに思う疑問、たとえばなぜ神がこの世を創造したなら、悪があるのか、サタンの仕業というなら、全能の神がなぜサタンを放置しているのか、キリストが磔刑になったことと人類が救済されることの関係はどうなっているのか、てか、息子を地上に遣わして磔刑にさせるなんて神様はいくらなんでもひどくない?とか、キリストはなぜ奇跡をあちこちで起こしているけどクリスチャンは本気で信じてるの?、てかキリストは全員を生き返らせたわけじゃないなら、えこひいきじゃない?とか、堕罪というけど堕罪をするような欠陥品人間をなぜ神はつくったのか?つか精霊って何?とか、まあそういうもろもろの疑問について、本書と「対話」することができる(『ふしぎなキリスト教』でも扱われた話題だけれど、もっと丁寧な説明になっている。ま、新書の『ふしぎなキリスト教』より値段が2000円も高いんだから、そのくらい書いてもらってもいいかもしれないがwちなみに本書は注釈部分も読みでがあって面白い)

まぁでも、こんなごちゃごちゃ考えずとも、「キリスト教におけるすべての混乱や疑問やパラドックスは、キリスト教の言っていることがでたらめだからである」と答えれば解決するんだけどさ。

日別画面へ

09月11日(木)

起床時刻:07時00分

夫が飲み会なので、母親と電話で40分以上話す。録画しておいたNHKスペシャル巨大災害(Mega Disaster)を見た。以下メモ。

台風は暖かい海で生まれる。パラオとか(常に水温は26度)。海から発生する大量の水蒸気は周辺の大気を押し上げ上昇気流を生み出す。上空では水蒸気が集まって雲となる。その雲を台風にするのが地球上を絶え間なく循環する大気の流れ、風である。

パラオ周辺では西風と東風とがぶつかって渦ができる。渦が雲を寄せ集めることで台風になる。26度以上の海水に風が加わることで台風が次々と発生する。海水が蒸発することで発生する上昇気流により、台風の中心付近の空気が上に押し上げられて気圧がさがる(=台風の目。中心付近の空気が押し出されたためにできる)。

最近の台風は急速に発達(中心気圧が急激に減少)するらしい。急速強化された台風はとんでもない被害をもたらす。
急速強化された台風の中を観測すると風速25m以上の上昇気流の柱が多く発生しているらしい。多くの空気が一気に追い出されるため、台風が急速強化する。

台風が急速する理由として海の深いところ(水深100m)の海水温が影響していると林依依台湾教授はいう。この10年で表面の海水温は変わらないが、水深100mの海水温が上昇し、26度に達するという。
確かに風呂の水をかきまぜたときに、下のほうに冷たい水があれば表面温度もぬるくなるが、下のほうも暖かいとかきまぜても温度は下がらない。

中心気圧が910hpaより低く、風速60m以上のものをスーパー台風という。
去年フィリピンを襲ったスーパー台風ハイエンは中心気圧が895hpaだとか(ちなみに過去には台風20号(1979年)は最低中心気圧870hpaが観測されている)。気圧が低下したことによって大幅に高さを増したハイエンの高潮は9m以上に達した。また重さ20トン以上の海の岩が海岸から160mも内陸に運ばれていた。最大瞬間風速53mを記録したあと、風速計が壊れて計測できなかったが、推測によれば最大瞬間風速90mだとか。

今後海水温が上昇すれば、海の蓄えるエネルギーが増えるので、それだけスーパー台風も発生しやすくなる。
日本の機関の予測だと、日本の近海を中心に海水温が高くなることが予想されている(テレビの映像を見る限りだと、韓国周辺の海、中国の沿岸部が一番上昇する模様)。30年後には0.7度上昇するとみられているそうな。

今後伊勢湾台風を上回るような台風が日本を襲う可能性もある。
琉球大学の伊藤耕介教授はスーパーコンピュータ京を使って、シミュレーション。日本近海を2km四方のマス目に分け、伊勢湾台風の気象データを入力。海水温は温暖化を考慮して現代よりも0.7度高く設定。この条件で伊勢湾台風がどこまで発達するのかシミュレーションを行った。
発生直後1000hpaだった伊勢湾台風。シミュレーションによると2日後、912hpaまで一気に気圧を下げ、急速強化した。その後、日本に近づいてもほとんど気圧は変わらず、925hpaで上陸。最大風速75m。伊勢湾台風に比べおよそ20m強くなり、暴風域は200キロ。
シミュレーションでは鉄塔が崩壊、停電が続き、ライフラインは長期間寸断される。京都大学防災研究所の先生方は生活の基本が揺らぐような被害が起こり、そういう生活が何週間も続く可能性がある、とのこと。

うーむ。海のそばに住むのは考えものだな。
今まで日本の住む場所を検討するとき、考慮するのは地盤の強さくらいでもよかったが、やはり大雨による浸水が予想される場所(土地が低い場所、川のそばなど)や、高潮や津波が来そうな場所(海のそば。ある程度内陸でも)、大雨による土砂災害が予想される場所(崖の上など地盤が不安定なところ、山を背負ったところ)は避けたほうがいいだろう。海のそばの家とか憧れるんだけどね。

日別画面へ

09月10日(水)

起床時刻:05時15分

落ち込むことばかり。はーあ。
朝起きたら「疲れた」と言ってしまう。
いろいろ、くよくよ考えて溜息しか出ない。

ネットで見かけた記事にあったが、女性のほうがセロトニンの分泌が悪いそうな。またトリプトファンからセロトニンを合成する量も男性の1/4なんだとか。だからうつ病の罹患率が男性より高い(男性の二倍)のかもしれない。ていうか、私はすごくよくわかる。くよくよしやすい、いつまでも落ち込む、落ち込むとトコトン深くはまって起き上がれない。
例えば男と同じように叱られて、男は10分後にはケロッとしているような状況でも、私は三日後までずーっとくよくよ、「ああすればよかった」「こうすればよかった」「でもできない」「私は何をやってもダメ」「生きるのがつらい」「死にたい」までエスカレートする。
だから、男が「そんな気にすることないよ、挽回すればいいんだから」というセロトニン溢れる前向き発言をすると、「ハァ?挽回なんてできるのは来世に決まってんだろ!なんで挽回できると思うわけ?だって私いっつも同じ失敗を繰り返しているんだよ。つまり、成長する余地はないってことだよ。やっぱり死ぬしかない」みたいな感じでかみ合わない。

そんで、生理前など女性ホルモンが増えると、セロトニンは減少する反比例の関係になるそうな。そうか、おばちゃんが元気そうなのは女性ホルモンが減少しているからセロトニンが一定するようになったのか。っていうのは、無神経きわまる発言で、単に世の中がおばちゃんにそういう「キャラ(いわゆる「大阪のおばちゃん」キャラ)」を求めるから、おばちゃんらは親切につきあってるだけだろう。私がおばちゃんだからわかるのだ。
想像力の貧困なバカ(男や若者)どもにあわせてあげるおばちゃんのやさしさだ。おばちゃんにお母さんを求める社会の甘えであろう。そして社会のお母さんたるおばちゃんは、「何にも考えてない」ように振る舞い、つらいことも明るく笑いとばし、落ち込んでいる者(おばちゃんに甘えてくる男や若者)を「大丈夫よ」と励ます係なのだ。そういう励まし係を期待されている者は、うつ病だったり、思索にふけったり、『門』の主人公みたいに禅寺の門をたたいたりしてはいかんのだ。
そのやさしさと器量のない私は、いまだに思春期まっさかりおばちゃんである。

日別画面へ

09月09日(火)

起床時刻:07時15分

『食品偽装の歴史』(ビー・ウィルソン/白水社/2009.7)から、メモ書き。本書の要点ではない。ワイン関連で私が気にとめたところ。つまり、どうでもいいところばかりである(本書の(もう少しましな)紹介は昨日の記事参照)。

ワインの質は昔よりはるかによくなったそうな。パンの場合は逆で、パンが(総じて)粗悪になり、ワインが(比較的)よくなった。

ローマにおけるワインの鉛の添加。鉛はワインの劣化を遅らせ、しかも甘味があった。また鉛の毒は蓄積性のものだったため、徐々にあらわれる。
「鉛入りのワインはローマ人に恐ろしい影響を与えたに違いない。蔓延した鉛による病気が、非常に数多くの裕福なローマ人が生殖能力を失った原因の一つではないかと、ある歴史家は言っている」(P73)

「多くの者は、赤ワインのアルコール度数が上がっていることを心配している。1980年代には12%だったものが今では14%になっている。それは、とりわけアメリカで、非常に粘っこい赤ワインが流行している結果だ。こうしたワインは、飲む者を短時間のうちにわれ知らず、深く酔わせる。一方、ともかくもアルコール度数はラベルに表示してはある」

やっぱりワインの度数は上がっているのか。そんな気はしていた。
ていうかアルコール度数が14%で「飲む者を短時間のうちにわれ知らず、深く酔わせる」のなら、日本酒(普通15度以上)はどうなる。しかも日本人は西洋人よりもアルコールの代謝能力が一般に低い。日本酒のアルコール度数を下げることが健康面からも、食中酒として飲みやすくするためにも、望ましかろう。
ていうか、私が酒に弱いから、低アルで甘くないお酒がほしいんだよね。特に夏場などはとても日本酒は飲めない。冷酒は美味しいが、それこそ「飲む者を短時間のうちにわれ知らず、深く酔わせる」代表だから、アルコールに弱い女性は度数の低いビールか(ただしトイレが近くなるのが大問題)、ドイツの白ワインあたりを飲むのがいい、となる。

「2005年、南アフリカの醸造業者KWV社がソーヴィニヨン・ブランの二つのバッチに人工的調味料を添加したことが発覚した。」
うん?聞いたことあるぞ。近所のスーパーにここのワインがあったような。

日別画面へ

09月08日(月)

起床時刻:06時50分

『食品偽装の歴史』(ビー・ウィルソン/白水社/2009.7)。
食品偽装といえば中国、というイメージだが、英国とアメリカのインチキ食品とその戦いの歴史が中心である。これは単に著者が英国人だから英米の事情により詳しいからというだけではなく、歴史的理由もある。「国単位での規模の混ぜ物工作は、政府が私企業にさほど干渉しない国において工業化された都市の病である。英国は、その二つの条件を同時に満たした最初の国なのである」(「序」より)。
英国の混ぜ物工作の歴史、特に19世紀の前半から中ごろにかけて、を見ると、昨今の中国並かそれ以上だ。
英国の偽物食品の告発は、健全なハムを食べて育ったドイツの科学者フレデリック・アークムから始まり(1820年)、『ランセット』創刊者のトマス・ワクリーと手を組んだアーサー・ヒル・ハッサル(顕微鏡を駆使)と続く。
コーヒーをチコリーで増量するのは定番だとしても、紅茶にはリンボクの葉を混ぜ、さらに有害な染料で着色する。菓子を鉛や水銀で着色したり、野菜を銅で色付けする。アンチョビーは有害な真っ赤な着色料で染められていた。胡椒は胡椒でなかったりする。

明らかに有害なまがい物を混ぜることから、時代が下るにつれて食品添加物という一見害はなさそうな、むしろ安物に加えることで食味を向上させるような(と少なくとも食品添加物の擁護者は言うのだが)ものが混ざることになり、戦いは複雑になる。

エピローグで著者は書く。
「混ぜ物工作は貧困同様、常にわれわれと共にあるように思われる。人を騙そうという衝動-貪欲―は、人間の歴史に常に存在している。一方、欺瞞の動機も機会も、時が経つにつれて大きく変わってきた。動機は主として経済によって決定され、機械は政治と科学によって決定される。欺瞞行為は、「自由貿易」とか「グローバリゼーション」といった抽象的なものによって生まれるのではない」
「しかし、欺瞞者と闘う正しい方法とは一体何か?本書において、さまざまな方法を見てきたが、そのいずれも完璧なものではない。」
「われわれは食べ物に対する知識-空疎な情報ではなく、本当の信頼できる知識―が必要である。すでに見てきた、欺瞞に対するすべての闘い方のうちで最良のものは、本物を正しく味わうことによって偽物食品と闘うというものだ。なぜなら、たいていの場合、それは欺瞞者に隠れる場所を与えないからである」
「それは食べる喜びを抑えつけもせず、不安を不当に煽りもしない。それは消費者を騙そうという気持ちを殺ぐ。なぜなら、さらに多くの消費者が偽物と本物の違いがわかるようになるにつれ、偽物を本物と偽って売って儲けることは難しくなるだろうから」
「騙されたくなければ、われわれにできることがある。それは、それだけでは十分ではないだろうが、出発点にはなるだろう。新鮮な、無添加の食べ物を買うのだ。信用できる者から買うのだ。もしその者が近くに住んでいれば、いっそうよい。そして自分で調理をし、ちゃんと食べ物の成分に精通するのだ。偽物を出された時に本物との違いがわかり、自信をもって苦情を言うことができるように。とりわけ、自分の感覚を信じるのだ」

こんな楽天的なことがいえるのはホント恵まれているというか、おめでたいというか。
問題その一、「食事の趣味は人それぞれ」である。
(素朴で健全な全粒粉のパン、正しいコーヒー、近くでとれた新鮮な野菜や果物などよりも、ピザとコーラと冷凍ポテトのほうを喜ぶ人は多いものだ。つまり、ウィルソンが考える「正しい」食事よりも、まがい物(安いチーズと添加物と塩分と人工調味料がたっぷり)の方が「おいしい」と感じる人が子供を中心に多い。味覚は人それぞれである)

問題その二、「正しいものが必ずしも美味とは限らない」である。
(たっぷりの油脂、糖分、塩分は人間が本能的に美味と感じるものである。だから不健康なラーメンを熱烈に愛好する人が多いのだ。一方でひじきのようなものを美味と感じるにはある程度、訓練や子供のころからの環境が影響する)

問題その三、「自分の舌をそう簡単には信用できない」
(ミシュラン星付きの和食店で、まがい物(香りの弱い中国産の松茸を松茸の香料で匂いを強化した松茸ご飯、高級焼酎の瓶に別の焼酎を入れたりしていた)を、舌に一般人よりずっと自信があるであろうプロ(ミシュラン調査員)が見抜けなかったのだ。
自分の舌などというものはそうそう信用できるものではない。風味が弱いのは香りを増強していないからなのか、それともただ安物を使っているせいなのか。国産でも収穫場所や時期、収穫からの時間で変わってくるだろう)

日別画面へ

09月07日

起床時刻:09時30分

はあ。。。
疲れる。。。
夫から説教。。。

ずーっと黙って聞いていたら(これもいつもの話)、「なんで何にも言わないわけ?いっつも」という。こっちが何か言ったら「またそうやって言い訳する」「人のせいにする」「反省しない」「だから努力しない」「だから成長しない」「だからこのていたらく」という説教が長引くだけじゃん?

聞きたい言葉は「すみませんでした」「これから努力します」「頑張ります」の3つでしょ。それ以外はただの言い訳でしょ?それで対話になるわけないじゃん。というと、確実に「すぐに感情的になる」って言われて終わり。やれやれ。
子供がほしいというが、子供が私に似た「すぐ言い訳する」「努力しない」子供になったらどうすんの?私のせいにすんの?そうやって何でもかんでも人のせいにするような人間と子育てできるわけないじゃん?協力する?は?こっちがフルタイムで働いて家事を100%やってもただのパラサイト呼ばわりじゃん?茶碗を洗うどころか下げたことすらないじゃん?スーツだって脱ぎっぱなし。後から帰ってきた私が片付けてるじゃん。
ゲームだって今みたいにできなくなるよ?私が家事も子育ても全部やるからいいと思ってんの?それで三井ホームの宣伝みたいな女の子に育たなかったら私の遺伝子のせいにでもするわけ?それでまた「人生台無しにされた」とでもいうわけ?30代、あんたのFFに強制的につきあわされて深夜二時三時までゲームしてやったでしょ?私のおかげでレリックもエンピ武器もつくれたんじゃん。週末は一日中、ゲームで。それで「子供ができない!」って文句言われても。私と同じ立場だったら「私の30代を返してよ」という人だっているだろうよ。なのに100%旦那が被害者みたいに思ってんだから、ほんとにウンザリだよ。そろそろを家庭に回帰しようかと思ったらヨメさんが古びてきた。。。って思うのならとっかえれば?老兵は去るのみさ。

とか言っても、無駄だから言わない。

話が飛ぶようだけど、ワタミの社長にブラックを認めさせようとしても無駄なのと同じ。ワタミの社長は社員が過労死しても、たぶん「こっちがそのせいで迷惑している」と思っている。100%自分は正しい。そしてそう思っている人のほうが世の中成功するんだよな。確信に満ちていること。それが大事なんだろう。確信に満ちている人とは対話などできない。説得するか、されるかのバトルでしかない。確信に満ちていない人(あなたが正しい部分もあればこちらが正しい部分もある)は確信に満ちた人(私が100%正しく、あなたが100%間違っている)に説得される側だ。
結論は常に確信に満ちていない人が「説得される」か、「説得されたと見せかけて、シンミョーに頷くか」のどちらかだ。

なんで夫と一緒にいるのか。

よくワタミの社員に「なんでやめないのか」っていう人がいるけど、ワタミ辞めたら行き場所ないからだろう。
ワタミがなければゼンショーがある!ってか。
まあそうだ。こっちのブラックをとるか、あっちのブラックをとるか。
人生なんてそんなものだ。
いつもいつも書いているけれど、人生なんて嫌なものと嫌なものとの間の選択でしかない。
本当は死ぬのが一番いいんだよ。
・・・って、いかんいかん、また究極の解決法に飛びついてしまった。
それに自殺するっていっても、離婚同様、ずーっと先延ばしにしてきたんだから、どうせ先延ばしにするだろうし。

弁護士に離婚相談してきたが、いっつも言われるのは「正社員じゃないなら、別れないほうがいいですよ」ってこと。「その程度のことで」。
まぁ今は正社員になったけど、仕事内容はパートだから、今は会社のパラサイトになっているようなもん。
みんなに「ゴミみたいなやつを養ってやってあげてる」と思われながらも生き続けるなんて、ほんと苦痛。って思うのはやっぱりプライドが高いのか。プライドが高すぎて、他人の憐れみと蔑みと罵倒に平身低頭して生きるのが耐えられないのか。「その程度のことで」。

日別画面へ

09月06日

起床時刻:07時03分[いま起きた]ボタンで記録されました。

09月05日(金)

起床時刻:06時50分

昨日も書いたが、日本のテレビ番組の低レベルっぷりは目を覆うばかりだ。「テレビばかり見ているとバカになる」と昔は言っていたが、問題は書籍のほうも読んだらバカになりそうな本が平積みされているってことだ。

あのアルファブロガーのチキリンが「テレビを見ない人がいるなんてびっくり」「「テレビ見ない俺って知的。へへへ」ビームを出してたりするので、一粒で二度びっくり」、とか書いているが(と私がよく読むウェブマガジンに書いてあった。チキリンのブログなんか普段読まないんだが)、いや、別にテレビ見ないの普通でしょ。

「てか、今でも情報収集ソースの大方はテレビが占めます。だから「テレビ見ない」って人が、いったい何で情報収集してるのか、すごい不思議です」
「本? それとももしかしてネット??そんなもんで、よく情報収集ができますね。」
とも書いている。ネットも書籍も玉石混交だけれど、最近のテレビははっきりいって石ばかり、みなくても全然問題ない。見ないほうがいいくらいかもしれん。

チキリンが「よく見る」としてあげている番組も(韓国ドラマと K-POP 番組、国内外のニュース番組、旅番組(秘湯紹介とか鉄道番組)、歌番組( BGM 用)、カンブリア宮殿とガイアの夜明けなど)、一切見なくても「情報収集」上なんの問題もないような番組である。ま、私は「ダーウィン来た!」が好きですけどね。とか書くと、チキリンには「うわ、NHKの番組を出すなんて、「知的ビーム」を出していやがる!!」と思われたりするんかなw。

韓ドラは最近減ってきたので(私は見ないから別になんの痛痒も感じないが)韓ドラ好きのちきりんにはかわいそうだが、最近目立つ番組は低予算クイズ番組か、低予算自画自賛番組か(外国人インタビューで(針小棒大に)日本の「すごいところ」「いいところ」をいわせ、「ニッポンってすごい」と自己満足する気色悪い番組か)、ドキュメンタリー風「感動創作」番組か。

ニッポンの視聴者が
・雑学を知ることで知識を身につけたと勘違いするバカ、
・「世界が認めたニッポン」バカ(「世界が認めていないニッポン」(ヘイトスピーチ、従軍慰安婦、捕鯨・イルカ漁)などは一切無視)、
・お涙ちょうだい乞食、感動乞食
などから成り立っていることがよくわかる。

昨日は二番目の「世界が認めたニッポン」バカ(「褒めて褒めて」乞食)について書いたから、今日はお涙ちょうだい乞食バカがターゲットの番組について書こう。
ここにそのいい例がある。web版の『論座』に7月くらいに掲載された記事だ。

***********************
「取材された難病少年も静かな怒り、日本の海外ロケの無茶

「ぼくは世界中のドキュメンタリー番組で人生を語ってきた。ベルギー国内5回、フランス2回、ドイツ2回、イギリス1回、そして日本2回。たいがい楽しくやったけど、日本の取材班にだけはほとほと困らされた」。世界でも希な難病を患うベルギー人少年ミヒル君(15才)は、昨年出版した自著の中で、日本からの取材班がいかに虚構を描こうとするか、静かな怒りを込めて書き綴っている。

 筆者も、テレビ番組取材のためのリサーチやコーディネートを請け負うことがあるが、そのあまりに身勝手で無謀なロケに閉口することが少なくない。そのやり方は、他国の取材班と比べても、極めて独特であり、現地社会で顰蹙を買う場合も多い。何がミヒル君を困らせたのかを検証しながら、海外各地のコーディネータ仲間、そして筆者自身の経験と照らし合わせて、日本の海外ロケの問題性を明らかにしてみたい。

■「それは僕の顔じゃなかった」
 ミヒル君の病気は、全身の老化が異常に早く進行してしまう早老症疾患『プロジェリア』だ。世界で確認されている存命患者数は40名ほど。平均寿命が13才位とされること、また、ミヒル君の家族では兄妹で揃って罹患していることなどからメディアの注目を浴びてきた。

 日本からのテレビ取材を受けたのは2009年のこと。取材当時、平均寿命とされる13才にそろそろ近づこうとしていたミヒル君を前に、カメラは『死の影に怯える悲壮な少年と家族』を描こうと必死だった。サッカー選手になりたいという将来の夢を語らせておいて、「でも、君に未来はないよね」と声をかける。それでも涙を見せないミヒル君を、とうとう祖父の墓まで連れて行き「もうすぐ、君もここに入るんだね、大好きなおじいちゃんに会えるね」とたたみかける。

 ミヒル君はこう回想する。「ぼくの目に涙が出てきたら、彼らはズームアップして撮った。その顔を後で見たけれど、それは僕の顔じゃなかった」と。ミヒル君の父親はとうとう爆発し、「もう止めだ。偽りの姿を見せたくはない。私達家族は悲嘆に打ちのめされているわけではない。それが気に入らないなら、荷物をまとめてさっさと帰ってくれ」と叫んだという。」

http://webronza.asahi.com/global/2014071400001.html

さすが「世界から愛される日本」「世界から尊敬される日本」だねw
難病の人に対してただの「泣き所」提供者としてふるまうように要請し、視聴者も「感動しました!」「元気をもらいました!」で終わる日本人というか日本のテレビ番組というかマスコミって、何なのだろう。
ま、それでも自画自賛バカは「在日がマスコミを牛耳っているからだ」で痛くもかゆくもないんだろうが、感動乞食はマスコミだけではなく、日本の至るところにいる。感動することは悪いことではないが、「あんな不幸な人も頑張ってる!自分も頑張らなきゃ!」以外のことは考えられないのはバカであり(「権利」なんぞを要求しだしたら、出てきた涙もひっこむわけよw)、こんな視聴者がわんさかいるのも民度低いよなぁって思うわけ。

日別画面へ

09月04日(木)

起床時刻:06時30分

うちは夕飯を食べるときにテレビをつけるのだが、ここ数年のテレビ番組の「日本ってこんなにすごい」的なことを外国人に言わせる番組の急増はなんなのだ、と思っていたら、「「自画自賛病」にかかった日本、謙虚さは何処へ」という記事をネットで見かけた(中国メディアの環球網は1日、「近年の日本では、日本を“自画自賛”する雑誌や書籍が相次いで出版されている」とし、謙虚さが売りだった日本で自画自賛の風潮が広まっているのは「中国や韓国の台頭に対し、日本人が自信を保とうとしていることが根源にある」、「日本は“自画自賛”病にかかった」などと主張した)。

私はこういう自画自賛本、自画自賛番組気持ち悪くて大嫌いなんだけど、夫が見るのよ。
日本人なら日本のことを褒められたらうれしいのは事実で、私だってそうだけれど、批判はすべて「アーアーアー、聞こえなーい」で、褒め言葉だけ「クレクレ」状態の乞食になっていること、これがみっともないんだよ。

ところで、先の記事は日本で自画自賛の風潮が広まっているのは「中国や韓国の台頭に対し、日本人が自信を保とうとしていることが根源にある」とあった。あるいは3.11後で自信を喪失した日本人が自信回復するために外国人に褒められたがっているのかもしれない。しかし、この「自画自賛病」の根源にはもっと大きな理由があるんじゃないか、とハタと思った。それは日本社会の高齢化である(もしかしたら、他の人も同じ理由を思いついてネットに書いているかもしれないが、かぶっていたらタマタマである)。

説明しよう。
老人というのは放っておいても保守化し、愛国的になるものである。それは膝が痛くなるのと同じような精神的老化現象というか、経年変化であり、自然と最近の若者に文句を言いたくなり、クラブに行くより神社仏閣に行きたがり、伝統行事を大切にしたくなり、祖先の墓を洗いたくなるものなのだ(もちろん高齢者全員がそうというわけではない。ちなみに私はその傾向がある)。
たいていは無害な変化だし、愛国心だって悪いものではないのだが、「世界に褒められたい!!」という過剰な承認欲求と「愛国心」が明後日方向にエスカレートした「日本のほうが他国よりもすぐれている」という井の中の蛙的思い込みが有害なのである(これについての論証は後述)。

老人の絶対数が増えれば日本褒め番組(外国人にインタビューして褒めさせることは低予算でできるし)の視聴率もあがる。自らの信条を補強する、耳に心地いい番組だからだ。したがってこういう自画自賛というか、西洋人をダシに使った自画自賛番組は低予算でつくれる上に視聴率もとれるから、雨後のタケノコのごとく、創造性も知性もゼロのバカが集まったテレビ局のあちこちで作られる。

さて、老人は「愛国心が強い」「日本は他国よりも優れている」と思いがち、という仮説について検証していこう。
内閣府の「社会意識に関する世論調査」(H26年1月調査)によれば、「他の人と比べて,「国を愛する」という気持ちは強い方だと思うか聞いたところ,性別に見ると,「強い」とする者の割合は男性で,「どちらともいえない(わからない)」と答えた者の割合は女性で,それぞれ高くなっている。
年齢別に見ると,「強い」とする者の割合は60歳代,70歳以上で,「どちらともいえない(わからない)」と答えた者の割合は20歳代から40歳代で,それぞれ高くなっている。性・年齢別に見ると,「強い」とする者の割合は男性の60歳代,70歳以上,女性の60歳代,70歳以上で,「どちらともいえない(わからない)」と答えた者の割合は男性の30歳代,40歳代,女性の20歳代から50歳代で,それぞれ高くなっている」そうな。
つまり、愛国心が他人比べて強いと自認しているのは「男性の60歳代,70歳以上,女性の60歳代,70歳以上」なのである。
また「世界価値観調査」でも「自国に対する誇り」は49歳以下では50%代であるのに対し、50歳以上は7割以上(2010年の結果)と顕著な違いが生じており、上の調査結果とも整合的だ。
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/9466.html

次に「日本(人)は他国(民)よりも優れている」と老人が思いたがる説について。
統計数理研究所は半世紀以上にわたって日本人の意識(国民性調査)をやってきた(5年おき)が、その中に「日本人は西洋人とくらべて、ひとくちでいえばすぐれていると思いますか、それとも劣っていると思いますか?」という問い(よくこんな問い入れたなw)があるのだが、「すぐれている」という回答は若年層よりも高齢層(60代、70代)のほうが高い。

過去にわたっていつでも高いかといえばそうでもなく、特にバブル期においては若年層(20代)や中年層(30,40代)の「日本人は西洋人よりすぐれている」意識は今よりずっと高く60代、70代と同じレベルになている(1983年ではどの世代もだいたい40~50%代)。

しかし、バブル崩壊後は若い世代と高齢世代で「日本人は西洋人よりすぐれている」という意識には違いが出ている。
マスコミでは若者の右傾化が嘆かれているが、直近(2008年)「日本人は西洋人よりすぐれている」と考える20代は24%、30代27%、40代35%、50代41%、60代48%、70代40%となっている。つまり20代、30代と50代以上を比べると、50代以上のほうが高い(2003年も同様)。
(面白いことに他の要素(日本の「科学水準」「経済力」「芸術」などの評価については年代による差が見られない。それどころか、日本の「生活水準」について「非常によい」と回答しているのは20代が一番多く(13%)、60代、70代は3%にとどまるのだが、「日本人は西洋人よりすぐれている」というその自信はどこからくるんだろう)。

またNHKが5年おきに実施している「日本人の意識調査」の直近調査結果(2013)の「日本人は、他の国民に比べて、きわめてすぐれた資質を持っている」の「そう思う」も高齢にいくほど高くなっている。興味深いのは「一流国か」という意識ではここでも年齢による差がほとんどない。客観的裏付けはないが、「資質」が優れていると思うのが高齢者なんであろうか。
www.nhk.or.jp/bunken/summary/research/report/2014.../20140801.pdf

「日本は西洋より優れている」「日本は他国より優れた資質がある」はずなのに、こんな体たらくなのは(その事実認識はある)「他国が悪いからだ」「日本にいじわるをしているからだ」と考える人もいるかもしれない。
書店の人によれば「嫌中憎韓本」を買うのは、「曾野綾子の読者層(60代後半以降)とほぼ一致する」(店長)「圧倒的に50歳前後の〈日本の中核〉を担っているような男性サラリーマン」(雑誌・ムック担当)「(最近は)中高年の女性も多い。普段は書店にこないのか、大抵が広告記事を片手に書名で問い合わせの目的買い」(社会科学書担当)とある(『「ヘイトスピーチを煽動する本」を売ることの責任――出版関係者がシンポジウムを開催』)。つまりやはりここでも中高年が主な購買層なのである。

そしてテレビの視聴時間が長いのは高齢者なんで(NHKの2010年国民生活時間調査によると高年層ほど長時間視聴の傾向にあり,特に男70歳以上ではいずれの曜日もテレビの視聴は5時間を超えている。20代男性では平日だとテレビを見ない人が2割もいる)、中高年に受ける番組をつくろうと制作側も思うし、テレビ局のエライ人も中高年だったりするから上記のような番組が「面白い」となり、増えるんである。
というのが、私の推測である。つまり「自画自賛」病の背景には高齢化があるんじゃないかってことだ。

日別画面へ

09月03日(水)

起床時刻:06時55分

『世界が認めたニッポンの居睡り 通勤電車のウトウトにも意味があった』(ブリギッテ・シテーガ/畔上司訳、阪急コミュニケーションズ/2013)メモ

・居睡り許容のダブスタ
「昼寝は厳禁という文章は、私の調べによると女性の場合に限られていた。
女性向けの儒学色濃厚な教訓書『女大学』にこうある。
「女は断じてだらしくなくならずに働くべきであり、体を大切にすべきである。夜は晩く寝るべきだが、昼は眠らず家事に専心すべきである」
・日本では世界で睡眠時間が少ない部類だが「そもそも性差の方が国家間の差より大きい」
「週末の日本人男性の睡眠時間は韓国人男性のそれとほぼ同じ」
「韓国人女性の睡眠時間は韓国人男性と同じくらいなのに、日本人女性は日本人男性より平均して25分短い。つまり、韓国人女性は日本人女性より平均して毎日30分ほど長く眠っているのだ」

・「日本の何人かの著者は「統計的に女性が短眠なのは、女性が短眠で十分なせいだ」と主張するが、同じ論法でインドネシアやフィジーの数字を判断すれば男性のほうが単民で十分だという結論になってしまう(引用者注:インドネシアの首都ジャカルタやフィジーの首都スバでは男性より女性のほうが睡眠時間がやや長い。ていうかかなり多くの国(カナダ、アメリカ、オランダ、デンマーク、フィンランドなど)で女性のほうが睡眠時間が長い)」

・日本人の睡眠時間の短さは労働時間の長さのせいだと日本人は主張したがるが、実は日本人の睡眠時間が減少してきた1980年代は労働時間には変化なく、活動的な余暇活動の増加がみられた時代だ。日本人の大好きな余暇は「ごろ寝」だったのに、政府の肝いりで「活動的な余暇」が推奨され、その結果、遊びすぎて寝不足になるという事態が進んでいる。

日別画面へ

09月02日(火)

起床時刻:06時50分

ひっどい邦題だよ、つうかもう詐欺だよこのタイトル、『世界が認めたニッポンの居睡り 通勤電車のウトウトにも意味があった』(ブリギッテ・シテーガ/畔上司訳、阪急コミュニケーションズ/2013)。
最近のテレビでは「ニッポンはこんなにすごい!」「ニッポンは世界から尊敬されている!」などというキモチワルイ自画自賛番組が溢れていて、書店に行けば竹田恒泰の『日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか』とかが並んでおり(最近はさすがに書店の平積みが減っているようで、日本の書店の品性を守る上でも歓迎すべきことである)、マジで末期症状だなと思うのだが、この本もそういう番組の視聴者や読者をあてこんで編集部がつけたんだろうが、これね、そういう本じゃないからw竹田本の読者みたいな、あったま悪い人が読んだら失望するでw「ニッポンの居睡り礼賛」が少ない!!!と。外人(西洋人)が「ニッポン人、すごい!!」って言っている成分が少ない!!と。

私はそんな本ならむしろ読まないが、本書は「日本人は勤勉だといわれているし、ほんとにそうか?」「ていうか、昼間に超居睡りしてね?」「授業で寝て、会議で寝て、国会中にも寝てるくせに勤勉とか意味不明じゃね?」ということ、作者の出身地のオーストリアだかそこらへんのヨーロッパの地域では仕事中に寝るとか、会議中に寝るとかありえないということ、しかし、日本では「夜寝ないで頑張ってるんだね」とみんなが多めに見るということ、というのも日本人にとっては結果よりも「頑張る」ことが大事であり、その「頑張る」を他人に伝えるためには、「寝ていない」ことが大切ってことなわけよ。

地獄のミサワの寝てないアピールがうざがられるのはなぜか。それは夜寝てない=勤勉の証というのは、控えめにアピられなければいけないのだが(居睡りという形で)、それを「俺寝てなくてさ」というのは居睡り以下の下品な行為ということになるんだよな、きっと。
引用しよう。
「だから居睡りは勤勉の証と言えるのだ。勤勉とはつまり、ひっきりなしに仕事をすることであり、倫理的に言えば非常にポジティブな特性とみなされている。何しろ日本人は自分たちが他国民よりも勤勉だということを誇りに思っている。
だが慎ましさも誉れだということは、「出る杭は打たれる」ということわざに明らかだ。だから自分が勤勉だからといって自慢してはならない。したがって、周囲から勤勉だと認められるには、洗練された方法を身につける必要がある。居睡りはそうした方法の一つだ。日本では、「非常に仕事熱心だと居睡りをする」と周囲が考えてくれる傾向があるからである」(P172-173)

日別画面へ

09月01日(月)

起床時刻:07時00分

旦那の録画していた劇場版『エヴァンゲリオン』(金曜ロードショー)。旦那が「一緒に見よう」というので見たけれども、見るに耐えないな、こりゃ。

エヴァといえば「サブカルの基礎教養」というか、もはやカノンといってもいいくらい評価が高い(んじゃないの?知らんけどw)。ジョジョ好きやエヴァ好きは絶対に「キモオタ」とは言われないし、幼稚とも思われない。

夫はTVアニメをリアルタイムで見ていたみたいだけれど、私は初めてみた。くっだらないうえにつまらない。。。これがエヴァか。。。。
このアニメに限ったことではないが、アニメにせよ、漫画にせよ、ゲームにせよ、話の程度が低いものが多すぎる。特にニッポンの少年漫画に通底する、旧日本軍的な非論理的精神論についていけない(「うおおおおおお!」と覚醒すれば奇跡も実現する!「誰かを守る」ためなら竹槍で原爆にも勝てる!戦略も戦術もないただの精神論で「現場で頑張る!!」)。エヴァもどこがいいのかわからんが、チラチラと挿入されるエロがよかったのかね。くっだらない。あまりのくだらなさに途中から家事をしながら見てたので、ちゃんとは把握していないけど、使徒ラミエルとの戦い、ヤシマ作戦のやりとりはこんな感じ。

リツコ 「ゆえに初号機は 狙撃位置から移動できません」
シンジ 「逃げられないってことですか?」
リツコ 「そうよ」
シンジ 「もし外れて敵が打ち返してきたら」
リツコ 「今は余計なことは考えないで。一撃で撃破することだけを考えなさい」

夫がたまらず「プランBがない作戦なんて致命的だろw」と突っ込んでいたけど、よかった、君もそういうことがわかるようになって(上からすまん)。いや、ほんとね、旧日本軍と一緒なんだよ、失敗した場合のプランBがないんだよ、「今は余計なこと考えないで」でっていわれても、成功確率の低い計画においては、あらゆる可能性を検討し、それに対応したプランを練るのは余計なことじゃねーよw 
ほんと、こいつら無能すぎw

碇シンジ君には同情する。なんのチュートリアルもなく、いきなりエヴァのパイロットをやらされているからねw人類の命運を碇くんにかけているわりにやることが雑すぎるんだよwまず説明やらシミュレーションやらいろいろやるべきことがあるはずだし(旧日本軍でも訓練くらいはあったわけで)。しかも碇君のメンタルヘルスに関してのフォローアップはなし。専門教育も受けていない、いい人ってだけが取り柄のオネーチャン、葛城ミサトがお母さんみたいな説教というか励ましをするだけ。

結局シンジは綾波とかアスカとか、「誰かを守る」ことが大きな目的となって、エヴァに乗ることを決めたんだろうが(違ってたらごめんね)、旧日本軍だってそうだよ、戦友のために現場ががんばったんだよ。なんていうか、精神が戦前でとまってんだよな。
「エヴァにみる日本人の組織と精神構造」という本でも書けるんじゃない?
基本、現場と下っ端が悲惨な目にあいながらも「みんなのために頑張る」、参謀はなんの戦略もない無能だし、トップはどこまでも人命軽視wどこの旧日本軍だよwそういやエヴァの人名なんかは旧日本軍を思わせるものが多いけどそういう風刺なのかねwま、そんな知的ひねりは一切ないようだがw体質は間違いなく受け継いでいるけどねw

日別画面へ