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起床時刻推移グラフ

目標起床時刻:08:00 平均起床時刻:08:00

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05月31日

起床時刻:08時00分

昨日は最悪だった。
まあ「最悪」というのは大地震が来た日にでもとっといたほうがいいと思うので、正しく言うと「とても疲れた」という感じ、それも嫌な「疲れた」感じ、「徒労感」がぴったりかな。

例によってゲームの話なんだけど、アディショナル枠で本戦に出ることができたんで、対戦相手の騎空団に勝たなきゃいけなかったんだけど、相手は20人以上、こっちは2人よ。勝てるわけないじゃん。勝ちたいなら団員を増やすしかないじゃん。なのにメンバーを増やすのは「ノイジーだから嫌だ」ってさ。ノイジー、ね。人付き合いなんてのは相手が奴隷でもないかぎり、ノイジーなものなのだ。

途中、図書館と買い物に出かけたら、夫からメールがきて「早く帰ってこい」だって。敵チームが追い上げてきているっていうんで、帰ったら怒り心頭で「どこ行ってたんだ」とギャアギャア騒ぐ。低ランクの私が一人でどうこうしてどうなるもんでもなし。

まぁでも旦那の気持ちが落ち着くなら、と16時くらいから22時くらいまで食事も食べずに集中してゲーム。ずっとこっちが優勢だったんだけど、向こうがアサルトタイムとおぼしき夜に本気出してきてあっという間に大差をつけて逆転され、旦那の憑き物も落ちて「もういいや、無理だ」だってさ。
エリクシールハーフを70本くらい、ソウルパウダーを100個ぐらいガンガン使ったんだけど。もちろん敗退。

それで何もかも嫌になって、ハンバーグ用にひき肉買ってきたんだけど、とてもじゃないけど夜も晩くて作る気もしないし、非常食用のカップラーメンを二人とも食べた。

今日も一切家事もせず、天気がよかったのに洗濯もせず、昼も夜も冷凍食品で、私はポーカーをやっていた。朝の8時から夜の12時までぶっ続け。
くっだらない。
でもどうせ私の人生がくっだらない。無意味な虚無的時間をさまよっているだけ。人生そのものが徒労。意味があるのはゲームの中だけか。

今日のランニングは当然中止になった。夫一人で走ってくりゃあいいのに、一人じゃいかないでやんの。このままどうせ走らなくなるだろうw
もともと、私がうっかり尻をたたいてしまったばっかりに夫が走り出したんだから。
どっちにしろ、夫も痩せようなどと思う必要はない、だって夫のアバターは永遠に若くて痩せた、かわいい女の子なんだからさ。

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05月30日

起床時刻:09時00分

旦那が家にいる間中、アニメを見てうるさい。。。
特に女性声優の、どこから声を出しているんだか不明の、得体のしれない声にイライラする(男には甘いだけw)。

私の母はNHKの広瀬久美子アナがずっと好きだったのだけど、私もその影響か、ああいう深みのある落ち着いた声がいい声だと思う。頭のてっぺんから上ずったような声でしゃべられると頭が痛くなる。宮崎駿監督は「近頃の女性声優は娼婦のような声しか出せない」といって自身のアニメ映画では起用しないらしいが…。マァ私は宮崎作品も好きではないんだけどさ。

要するにアニメがそもそも嫌い。わかりやすい書割のような現実味のないキャラ、「一杯のかけそば」のような安易な感動の押し売り、社会的な視点のなさ(「俺」「私」が世界の中心)、不自然な過剰なお色気、そんなこんなでとっても幼稚に感じられることが多い。まぁたまにはマァマァ面白いアニメもあるが、そもそもフィクションがあまり好きではないので、評価が厳しくなるのかもしれない。

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05月29日(金)

起床時刻:07時30分

夫が最近、痩せるために走りだして、私も強制的に付き合うことになったんだけど(夫唱婦随のクソシステム発動)、私は長距離走が大っ嫌い!!!
学生時代は罰として校庭を走らされたことからもわかるように、長距離を走るなんてことは、好き好んでやるようなもんじゃないんですよ。罰なんですよ、罰!!!刑務所に入れられるような罰ですよ!!!もっとも刑務所でも長距離を走らせたりはしないだろう、なぜなら長距離走らせるのは非人道的だからですよ!!!

要するに「むち打ち刑のちょっとマシなもの」、それがランニングです。

というのが私の認識なんだけれど、とりあえずマラソンやジョギングやランニングについての本を読もうと思って、さっそく『42.195kmの科学-マラソン「つま先着地」vs「かかと着地」』(NHKスペシャル取材班)という本を読んでみた。「東アフリカのマラソン最強軍団」の体や走りの仕組みを科学的に解明するっていう内容。42.195kmどころか、4.2195kmすら無理な私には無縁の内容だけれども、面白かった。こういった分野の本ははじめて読むので実に新鮮。
やっぱりマラソンはやるより読むほうが断然面白いな。ていうか、私は何に関しても読むほうが好きだ(おい。

マラソンの記録を決める3つの要因
①最大酸素摂取量(記録と大きな相関関係がある)
②乳酸性作業閾値が高い(乳酸がたまりにくいから疲れないってこと?)
③ランニング・エコノミー(酸素を消費せず体に負担をかけない走り)

①にあるように酸素をいっぱい取り込んで体中に運搬させることが大事なわけだナ。
だからヘモグロビン濃度(血色素量)もある程度高い方がいいらしい。
とはいえ、高すぎると血液の粘り気が増して血管を流れにくくなるので、かえって酸素の供給量が減るらしい。

日本人トップランナー16人の平均濃度は15.6g/dl、エチオピアの”皇帝”ハイレ・ゲブレシラシエ15g/dl、ケニアのすごい人、パトリック・マカウが16.0g/dl。
そして私が15.3g/dl。3年前の健康診断の数字だけど。
わたくし、生理がある女性にしてはヘモグロビン濃度がかなり高く、20代のころから「多血症」と診断されてきた。ゲブレシラシエ並にヘモグロビンが濃い。

もっともゲブレシラシエやパトリック・マカウは何がすごいって、比較的濃い血液なのに、血液がサラサラなのだ。人工血管に血液を流す実験では、日本人トップランナーよりかなり早く血液が流れていた。大阪市立大の岡崎准教授によると、なななんとゲブレシラシエやパトリック・マカウは日本人トップランナーより1割以上も赤血球の大きさが小さい。彼らは多数の小さい赤血球のおかげで、ヘモグロビン濃度が濃いのにサラサラ血液なのである。

本書ではこの話の後も、かかと着地とつま先着地の違いやベアフットランニングの効能など興味深い話が尽きないが、いきなり話を私に戻す。

一般的に高地生活をすると酸素が薄いため、多くの酸素を取り入れようとヘモグロビン濃度は濃くなる。しかし、私は筑後平野育ちで今は関東平野暮らし。なのにヘモグロビン濃度が濃いのは(喫煙習慣もなく太ってもいない)、前も書いたけれど、普通の人より心肺能力がかなり低いからだと思っている。最大酸素摂取量がおそらく、ものすごく小さい。そのためヘモグロビン濃度を高めることで酸素を摂取しようとしたんじゃないか、というのが私の仮説である。最近、肺活量を測ってもらったら、肺活量年齢55歳と実年齢よりも10歳以上上回っていた。

まぁそんなわけで、私はちょっと走るとすぐに肺やらなんやらが痛くなる。自分でも酸素が足りないのがわかるのだ。まぁそんなわけで、私は短距離はともかく、長距離を走ることには向かない。ゲブレシラシエのような驚異の心肺能力の持ち主でも38歳になると体のあちこちにガタがきて、東京マラソンの後で採尿したら血尿だったらしい。上下の動きの大きいゲブレシラシエタイプの走りは内臓にも負担をかける。マカウのような上下動の少ない「忍者走り」のほうがずっとランニングの経済性は高い。

まぁどっちにしろ、マラソンなんてのはボクシング並に危険なスポーツであることがわかった。だいたい42.195kmを走り続けるなんて頭がどうかしていると思う。その昔、アテネの勝利を伝えるために戦士が伝令として42.195kmを走った(そしてそのあと死んだ)とかいう故事なら走る理由としてわかるが、これが競技になるなんて全く信じられない。

個人的には卓球がスポーツの中では一番いいと思う。
第一に室内競技だから紫外線にあたらないためお肌にいい、第二に球技だからただ走るだけと違って面白い、第三に安全である、柔道みたいに練習中に死者が出ることもなければ、マラソンのように競技後血尿が出ることもない(たぶん)、第四に個人競技のため(団体戦やダブルスもあるけど)、失敗したときの連帯責任の気まずさがない(高校野球での致命的なエラーは見てるほうでさえトラウマになる)、第五にラケットが軽いから私みたいな筋力のない人でも簡単に持てる、第六にラケットなど荷物が小さくて済むから、電車に荷物を持って乗っても邪魔にならない、といいことずくめである。だから私はどうせスポーツをするなら卓球にしたいんだけど、やる場所がない。卓球の大欠点は走ることと違って、できる場所が限られるってことなんだよなぁ。

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05月28日(木)

起床時刻:07時30分

グラブル。
団イベの「アディショナル枠」だかなんだか知らないが、敗者復活戦のようなものがあって(違うかも?)、そこで120位以内に入れば、いいアイテムがもらえる(←結局これ)らしく、うちの旦那がまた張り切ってゲーム。夫唱婦随(実にクソなシステムです)の我が家では当然、私も張り切ってゲーム。

いやあ、疲れる。
なんで人間って、目の前にニンジンぶら下げられると、何も考えずにこんなにも走り出せるんだろう。条件反射のように。
なんでもそうだよ、「それに意味があるの?」とは考えない。
アイテムがぶら下げられたら自動的に走り出してしまうのが夫だが、アイテムを「お金」「儲け話」と置き換えたら、ほとんどの人にあてはまる。私も含めて。
お得、タダ、限定、特別品、格安、そういった言葉に弱くて、よく考えたら(よく考えなくても)「いらないんじゃないの、それ?」というものに飛びつく。

ゆっくり過ごせる時間、気持ちの余裕、品位ある態度といったものほうが大事なのに、「儲けのチャンス!!!」「お得のチャンス!!!」となると誰もかれもが、血相変えて飛び出して、周りの人を押しのけ、鬼の形相で必死の競争を繰り広げる。そこには品性のかけらもない。きっと何かのスイッチ、生存本能のようなスイッチが入るんだよなぁ。

いいじゃん、負けたって。
と思うのだが、そういうこと言ってると、競争の亡者どもに押しのけられて、生活があやうくなるレベルまで転落してしまうので、生きるためにはあさましい欲望レースに参戦しなきゃいけないのだ。やれやれ。

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05月27日(水)

起床時刻:07時30分

05月26日(火)

起床時刻:07時30分

月曜の夜7時から始まったグラブルの「団イベ」(「決戦 星の古戦場」。騎空団ごとに稼いだポイントを競い、上位の団だけがさらに本戦に出場でき、勝ち抜けばいいアイテムがもらえる)で、うちの旦那の頭に血がのぼってしまった。

もともとうちの団(旦那が団長で私が副団長)は二人(しかもそのうちの一人は私で言わずとしれたポンコツ)なんだから、団イベの本戦出場関係ないと思っていたら、うちの旦那の超火力(まぁおそろしい金額突っ込んだみたいだからね。10万単位じゃないわよ、車買えるレベルよ)でひょっとしたら本戦出れるかも?!となったわけよ。

それで旦那の「ゲームは遊びじゃねぇ!」モードが発動しましてな、私が洗濯ものを畳んでいたら「サボるな!!真剣にやれ!!」って怖い顔して怒ってんのよ。完全マジ。

いやあ、FF11時代を思い出すわ、懐かしいっつうか、盆も正月もなくゲームしていた時代(むしろ正月はNMを取りやすいから必死でゲームしてたわ)、うちの旦那が目を三角にしてキチガイじみた情熱でゲームしていた時代、私のケアルが遅れると旦那にぶん殴られた時代、あの胸糞悪い思い出がよみがえってきたわ、過去にロクな思い出がないせいで、わたし懐古厨にだけはなんない自信がある、とか思いつつも、エリクシール使ってパウダーもガンガン使って頑張ってやったけど、結局本選進出できなかった。

さすがに旦那もアラフォーになってキチガイの度合が減少してきたのか、FF11時代からみれば格段に素早く正気にかえった。もちろん、私が弱いせいだのなんだの文句は言っていたが、昔にくらべれば格段に文句の量も少ない。以前だったら、えんえんとネチネチ文句を言っていたよ。ネチネチ一晩中文句を言うような体力も仕事の環境(昔は午後にふらっと出社してたからね)じゃなくなったせいだろう。

人間つーのは性格は変わらなくても容器(肉体)は変わる。
そして容器が変われば中身も変わる。病気になれば気が弱くなったりするように。同様に老化によって人間の性格も変わる。いや、性格は相変わらずとも行動が変わってくるのかもしれない。昔と変わらず短気でも、怒るのって体力がいるから、息切れすんだ。だから、人間関係なんてのも時期によるのかもしれないよ。いい人だの、悪い人だの、言うけれど、その人に出会った時間と場所によって印象がずいぶん変わるかもな。

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05月25日(月)

起床時刻:07時30分

先週、友達に「私は人から軽くあしらわれている気がする。客観的に見て何か気づくことあったら教えて」とメールで言われたので、「私自身のことだけど」として教えてあげた。

①金がない、財産が無い
②社会的地位がない、名声がない
③美貌がない、魅力がない
④若さがない、伸びしろがない
⑤才能がない、一芸がない
⑥職歴ない、学歴ない
⑦家柄がない、名家でない
要するに人の羨むようなリソースが何もない。彼女も私もホームレスよりちょっとマシなだけ(ホームがあるからね)の「ただのオバチャン」という存在だから、ホームレスよりちょっとマシなくらいの扱いしかされないのはむしろ当然では?と書いて送ったら返事がない。怒っちゃったかな?客観的なところを教えてというから教えてあげたんだけど。

私はね、彼女や私が世の中の底辺で人から軽んじられることの是非を言っているのではない。「世間の見方」ってのを伝えただけ。
私の意見では「世間や人から重んじられる」ことを目指しても、得るものなんか何もないと思う。というのも、私たちは全員年寄になるし、年寄になれば多かれ少なかれ、軽んじられる存在になるからだ。金持ちのジジババだって、認知症で幼児に退行したりしたら、なかなか「軽んじられない」扱いを維持するのは難しいだろう。私の言葉で言えば、全員最終的に敗北することが決まっているのが人生というレースである。負けたくなかったら、自殺という形で途中棄権するしかない。

その友達は話していると「負けたくない」という気持ちが強い。確かに、負けたり軽んじられたりバカにされたり、という経験は傷つくし、つらい。彼女のようにバカにされたら「見返してやる」という精神こそが社会的地位の高い人の特徴かもしれない。
だけれど、他人の目線を全部シャットアウトしたほうが精神衛生上はいいと思う。見返してやるよりも一生会わなければそれでいいじゃん。私はずっと人の目、世間の目を気にしてやってきたし、今もそうだけど、結局、人から見た自分の情けなさを身に染みて感じるだけで、抑うつ気味になるだけだ。

必要最低限、最小限まで人付き合いをなくしたいと年を追うごとにつくづく思う。それはやっぱり年をとって、人とつきあっても年々軽んじられているように感じるからかもしれないし、人から見て自分が魅力的でもなんでもにことがヒシヒシとわかってきたからかもしれないし、人から見て魅力的になろうとしても疲弊するだけかつ年齢的に不可能ということに気づいたからかもしれない。

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05月24日

起床時刻:07時30分

05月23日

起床時刻:09時00分

『ヘンな日本美術史』(山口晃)に耳が痛いことが書いてあった。
私、絵は非常に低レベルながら「中途半端に「上手い」」タイプ。それは「プロから見れば一番どうしようもない」絵らしい。耳がッ、耳がッ。
「美しい絵を描こうと意識した瞬間に、その絵の到達点はぐんと低くなってしまいます」ともあるが、私はまさにそれ。もっというと、人からみて「上手だね」と言われたいというレベルの、とてつもなく志の低い絵。

ていうか、私、ピアノでも日舞でもなんでもそうだわ、「人からどう見られるか」「上手いと感心されるか」しか考えていない。だから何かを「伝える」とかそういうレベルの「芸術性」はゼロで、どこまでも「お稽古ごと」なんだよね。小上手いレベルで十分なんだわ。情けないことに小上手いレベルにすら達していないのがピアノだが。絵と違って長年ちゃんと習っていたのに。

文章だけは他人から見てどうか、とは考えていない。自分が好きなように書いている。美文・名文は言うに及ばず「わかりやすい文章」を書くことすら考えていない。だから私の文章は何を言ってるかよくわかんないかもしれないが、少なくとも文章を書く動機は一番純粋で、ただ自分の楽しみのためだけに書いている。もっとも、俳句となるとまた不純な動機が出てくる(人からみて賞賛されるかどうか的な)。

***************
以下引用。
「洛中洛外図」の「高津本」に関して
「少し話が逸れますが、絵の上手い下手と云うのは客観的に判じられるものかと言うと、なかなかそうではないと思います。例えば、この「高津本」の下手さと云うのは、素人の方がもっとも嫌う下手さなのです。
普段絵をあまりかかれない方に接すると、「上手く描けないから」と自分の絵の下手であることを恥じている一方で、少し絵をかじっているくらいの人の「小上手い絵」を絶賛していらっしゃるのを見かけます。それを見るにつけ、私はこの国の美術教育は間違っているのではないかと心底思います。
実はこうした中途半端な「上手さ」と云うのは、プロから見れば一番どうしようもないもので、それならば下手さを受け入れて好きに描いてた方がよほどマシです」(P144)
「松姫物語絵巻」を「下手うま」ではなく「下手くそ」と言ったあとで、
「先にも申しましたが、一番見られない下手さと云うのは、少し絵をかじったような人の、「妙なこなれ感はあるけれども絵心が無い」と云うレベルのものです。鼻にだけついて、ちっとも味が無い。それよりは、絵なんて三十年来描いていないおじさんが描くような線の方が見られると言いますか、むしろ子供のような線の方が見甲斐がある訳です」

「そもそも、美しい絵を描こうと意識した瞬間に、その絵の到達点はぐんと低くなってしまいます。基本的に描く人間は絵の向こう側を思いながら描かなければ、まともな絵は描けません」(P202)


「これ見よがしの洒脱な崩れっぷり」「一部の禅画にあるような、こなれているくせに無為を装った嫌味な感じ」
「上手い人がある種の稚拙さ、無垢さを装うのは、とてもいやらしい」

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05月22日(金)

起床時刻:07時30分

『ヘンな日本美術史』の最終章は「やがて悲しき明治画壇」というタイトル。「西欧の真似ができなくても、真似をしてもバカにされる」という節では「国際性と独自性の両立」をしなければ「バカにされる」という深刻な事態があったわけで、その結果岡倉天心らは「西洋美術の向こうを張った多分に対外的な「日本美術」を打ち出した」わけなんだ、と。

なんかそんな気がしていた。って出たよ、私得意の「そんな気がしていた」という後出しじゃんけん。私が思っていたのは、私は美術に昏いからアレだけれど、万事コンテンツビジネスにおいて「内発性」の高い反応よりも「外から見られてどうか」的発想が強かったんちゃうんか、今の「おもてなしによる観光立国」とか「クールジャパン」戦略とかに通じるものを若干感じるんだが。うまく言語化できないけれども。

私なんかいまだに明治時代の悲哀(「「西欧の真似ができなくても、真似をしてもバカにされる」)を色んなところに感じる。例えばミス・ユニバース。要するに西欧の猿真似じゃバカにされるけど(たとえばもし日本代表が金髪に髪を染めて青色のカラコンしていたらかなり不利になると思われる)、西欧のルール(背が高くて顔がちっちゃくて云々)はしっかり踏まえてなきゃダメ的な。

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05月21日(木)

起床時刻:07時30分

05月20日(水)

起床時刻:07時30分

05月19日(火)

起床時刻:07時30分

『なぜうつ病の人が増えたのか』(冨高辰一郎)
●厚生労働省が三年ごとに行っている調査結果によると気分障害患者数は1999年から2005年までの6年間で2倍以上に増加。
年間増加率は96年→99年では年率1%以下だが99年以降は年率13%の増加。

●国家公務員のメンタル休職率の変化
1996年→2006年の10年間で約6倍
5年ごとの公表だが、ターニングポイントは1996年と2001年の間と推察される(2001→2006年でも急上昇しているが、これは国家公務員の定数削減およびもともとメンタル休職率が低かった国立大や国立病院が2001年以降国家公務員から外れたためと考えられるそうな)。
地方公務員のメンタル休職をみても1999年を境に右肩上がりで上昇。

感染症じゃあるまいし、この患者数の増加はすごいこと。

著者によれば、鬱病の人が急に増えたのは
→SRRIが認可された1999年
→巨額のマーケティング費用を持つ製薬会社による「啓発活動」
”うつ病は心の風邪(ありふれた病気)”
早期発見・早期治療が大事というキャンペーン
→受診者急増
→うつ病者急増(鬱はガンみたいに病変のエビデンスで病気を認定するのではなく、患者の問診だけでうつ病かどうかが決まる。要するに自己申告でうつ病かどうかがきまるので受診者が増えればうつ病患者も増える)

その結果、1999年以降、日本の抗鬱薬市場は急拡大しており95~98年までの市場規模は170億円強で横ばいだったのが99年220億、00年308億、01年428億、02年520億、03年636億、そして06年は875億にもなっている(富士経済「医療用医薬品データブック」より)。

鬱の増加と社会のストレスが高まったこととは関係が薄い。
日本で急激に自殺者が増えた1998年(3万人超)に、鬱病患者は増えていない。ちなみに1998年には失業率が急上昇している。
鬱と自殺、自殺と失業率には関連性があるが、失業率とうつの患者数には関連はない。要するにストレスの増加によって鬱病が増加したのではない。それなら失業率が下がればうつ病患者数は下がるはずだが、失業率が低下しても鬱病患者は増加し続けている。
諸外国でもSSRIの認可が増えると鬱病患者が急増する構図は同じ。

とはいえ、早期発見・早期治療でSSRIを処方することで鬱病がよくなるなら、それはそれでいいことである。しかしながら必ずしもそうとは言えない(第4章)。また抗鬱薬の有効性についても議論がある(5章)。

3章の「脳循環代謝改善薬の教訓」の話は知らなかった。実に興味深い。

あと、生真面目な性格と鬱病は関連があると言われているが、いわゆる国民性とうつ病は関係あるのか。そうよね、日本人って真面目で几帳面だから鬱になりやすいわよね、と思ってみると「東アジアは欧米に比べてうつ病が少ない」。米国で人種別のうつ病調査を行ってもアジア系は白人や黒人に比べてうつ病の罹患率が低い。へーえ、そうなんだ。
その理由には諸説あって、東アジアの恥の意識の強さからうつ病を認めたがらないとか、そもそもアジア人はアルコールに弱くアルコール依存症が少ないから、また薬物依存も少ないから(アルコール依存や薬物依存は高率にうつ病を併発する)とか、魚をよく食べるから(オメガ3脂肪酸がうつ病を予防する)など。

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05月18日(月)

起床時刻:08時00分

「あさイチ」の特集は「“キレる”子どもにどう接する」。
メモ

本田教授(早稲田大学)
自尊心を高めることでキレなくなる
自尊心が高まる→自分の気持ちを自信を持って相手に伝えられるようになる
奈良県大和高田市の土庫小学校「短所を長所に言い換える授業」でトラブル減少

個人的には納得感低いのだけれど。。。
まぁ確かに問題行動の多い子供は自尊心が低くなるというのはあるかもね(依存症の人間がうつ病を併発しやすいように)。あとは「破れかぶれ症候群」(どうせ俺なんて親も先生も見捨ててるし)みたいのはあるかもしれないので、そういう子供には「高い自尊心に見合った行動を促す」効果はあるかもしれない。
国際比較でみると日本よりはるかに子供の自尊心の高い国(アメリカや中国)では、日本(あるいは韓国)と子供の”切れ方”に違いがあるのだろうか。

野井教授(日本体育大学)
前頭前野の不活発型の子供が増えている
1969年20%
2007年48.9%(神奈川県藤野北小学校)
2012年20.8%に低下

週3回、朝10分間、体を動かして好きな遊びをする取り組みを続けたところ、「不活発型」が減少し、子供同士のトラブルも減少。
今検証中らしいが、”Spark!”という本に、アメリカで、朝フィットネスを実施した学校で、成績があがったという話が書いてあった。確か邦題は『脳を鍛えるには運動しかない!―最新科学でわかった脳細胞の増やし方』である。

小児科医の成田氏
切れる子供はセロトニン神経の働きが弱い
早起きして朝日を浴びることで攻撃性が弱まる

こういうふうに仕向けるのが大変なんだよなぁ。「これからは早寝早起きして運動しましょうね」なんて言って子供が聞くかよ、だいたい「はーい」と大人の言うことを聞く子供は最初から切れないし。
番組のゲストでもあった増田修治・白梅学園大学教授の方法論なんて個人的に論外(ただ暗くて狭い避難場所をつくるというのはアリだろう。猫もそういうところだと落ち着く。もっとも本格的に切れる子供の場合、そういうところに押し込むのも大変なんだけどさ)。
親子で話あって就寝時間を決める?そんなことできるかよ。大人の言うことにいちいち論理だって反論できない場合、子供は結局不満を持ちながら受け入れることしかできないんだから。「話し合ったよね」という錦の御旗の元での新たな抑圧であり、それこそ「本当は嫌だったんだ、バカヤロー」と叫びながらのちゃぶ台返しの土台づくりじゃないか。

いや、子供いないんだけど、大きくなった元“キレる”子どもが旦那なもんで。子供いなくてよかったわ。

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05月17日

起床時刻:10時00分

『あの人と「酒都」放浪 日本一ぜいたくな酒場めぐり』
読売新聞の記者が著名人と一緒に居酒屋等に行って話を聞く、というもの。

哲学者鷲田清一の話がなかなか面白かった。以下引用。
******************************
「昔、お酒はみんなで何かの行事のときに、大きな器で回し呑みしていたんですよ。でも、明治以降やと思いますけど、一人酒するようになった。それから、酔うために呑むんやなしに、覚めるために呑む酒に変わってきた」
みんなで呑む酒と、一人で呑む酒は、目的が正反対……。
人はみな、社会で果たさなければならない役割を持つ。家族であれ、地域であれ、組織であれ、会社員や教師といった職業もそうだ。その役割を必至にこなそうとする日常を、鷲田は「ディープな夢、憑きものにつかれている状態」と表現する。行事のときに呑む酒は、その夢をより深くする、憑依を強くするのだ、と。
でも、今は……、酒は決してみんなで呑むばかりではない。家では静かに、バーのカウンターで、一人で酒を呑む。そんなとき、人は日常の役割から解き放たれる。
「役割とかを全部解除してね。たとえば親友とかと二人で呑むときも同じような感じかもしれん」

「話を聞きながら、「昔の人はどういう場で夢から覚めたのだろう」という疑問がふとこみ上げた。そう聞くと、少し考え、「なかなか覚めさせてもらえんかったかもしれんなあ」。
******************************

それを言うなら、今の女性は現在進行形で「なかなか覚めさせてもらえんかもしれんなあ」だよ。
女が酒場に増えた、と言うが、飲み会への参加を除けば、帰り道に居酒屋でちょっと一杯なんてのは、独身で働いている女性の中のごくごく一部だと思う。
高齢者介護をしている主婦、子育て中の主婦は本当に自分を”リセットする”時間、役割というペルソナから解放されて素になる時間=夢から覚める時間がない。

ある意味働いている方が、時間的にはきついかもしれないが、通勤途中で一人になれるし、会社と家の二つのペルソナを使い分けることは、夢からの覚醒効果(一つの夢にどっぷりつかることからの解放)にもなる。とはいえ、家事と仕事、両方こなすことは、とてつもなくしんどいけど。

主婦こそ息抜きが必要なことも多いと思うのだが、介護老人や子供をほっぽりだして、居酒屋で一人酒していたらどれだけ批難されるか。

本書の著者である読売新聞の記者は「不機嫌なまま家に帰るより、気持ちを落ち着けて遅く帰った方が、家族にとってもいいかもしれませんね」(P45)と言うが、これが共働き主婦だったら「不機嫌なまま家に帰るより家族にとってもいい」などと誰も言わない。「無責任」「主婦失格」と非難される。夫は家事を一切やらない「お客さん」だからそんなことが言えるのだ。上機嫌な客のほうがいいでしょう?と。

更に家計を預かる主婦だと、居酒屋の普通のつまみ程度なら、家でつくったほうがだいぶ安くあがると考えてしまい、居酒屋で一杯がもったいなく感じる、というのもあるだろう(私のこと)。
「酒場は社会の安定装置」=男の鬱屈した思いを解消する場所、と居酒屋通のアート・ディレクター太田和彦氏はいう。しかし、女には安定装置がない。女にはいらないとでもいうのだろうか。まぁ言うのだろう。女の不満など「わがまま」か「大げさ」としか言われないもんな。

正直、この対談に出てきたおっさんじゃなかった、その道の「通」がたむろする居酒屋や酒場にいくより、私はスタバでラテでも飲んでるほうがよっぽどくつろげると思う。もっともその時間やお金すらないのが多くの主婦だったりするんだけどさ。

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05月16日

起床時刻:09時00分

05月15日(金)

起床時刻:07時00分

『猫的感覚: 動物行動学が教えるネコの心理』(John Bradshaw)を読んだ。
文章がくどいし、繰り返しも多いので、若干読んでいてイライラする。文章自体もあんまり面白くないし。もっとも猫をこれから飼う人や既に飼っている人には一読をすすめるが。

猫の多頭飼いって、血縁関係でもないかぎり猫にはかなりストレスなんだとか。血縁があってもうまくいかないことも多いみたい。猫のように単独行動で縄張り意識の強い動物は、他の猫はすべてライバルであり脅威とみなすようだ。

それから本書では猫が稀少な野生動物を殺すことに対するバッシングに対して科学的根拠がないことも多いことについて詳しく書かれている。特に稀少な有袋類が生息するオーストラリアとニュージーランドでこの手の批難が多いらしく、著者は猫を擁護しているが、日本だったら猫の迷惑行為第一位は鳥や貴重な野生動物を殺すことより(それもあるだろうが)、糞尿被害だよ!!
しかし、糞尿被害については一言半句も触れられていない。死んだネズミを家に持ち帰ることに猫の飼い主はイライラするんだろうが(これについては色々とくどくど書かれている)、猫の飼い主じゃないほうはきれいにした花壇にさっそく糞尿をしていく猫にイライラしているんだ。

たぶん、猫の糞尿にいちいちイライラするほうが悪いと猫派の著者は言うんだろうか。あるいは欧米・オセアニアと日本の関心事の差異なのであろうか。

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05月14日(木)

起床時刻:07時15分

今日は旦那が珍しく残業だったので、ものすごく久しぶりに日テレの「秘密の県民SHOW」を見ていたら「大阪府民はバッテラが異常に好き」というのをやっていた。
私も好きで、子供のころ、よく行っていた久留米の寿司屋では決まってバッテラ頼んでいた。東京ではバッテラは馴染みがない、と言っていたが、確かに言われてみれば最近、バッテラ食べてないなぁ。

それはともかく、このテレビ番組では面白くするために地域の特性の違いをやたら強調しているが、実際は日本全国かなりなレベルで画一化はすすんでいるような気がする。大阪も例外ではなかろう。

日経新聞の少し古い記事(2011.1.1)だが、こんなのがあった。

「大阪の「すし」事情に変化」
世界に誇る日本食のすし文化は日本国内でも多様な変化を遂げてきた。具をすし飯の上に乗せ、箱で押し固めた「箱ずし」発祥の地として知られる大阪も、江戸前の「握りずし」が増え、関西人の好みのネタも白身魚からマグロへと大きくシフトしている。」
http://www.nikkei.com/article/DGXBZO20640110X21C10A2AA1P00/

また鮨だけではなく、食べ物や料理の言葉レベルでも「東京化」はすすんでいるようだ。こちらも古いが、朝日新聞(2010.02.08)の記事によると、

「煮抜き、五目ずし、関東炊(かんとだ)き……。「食」に関する関西ことばが日常生活から急速に姿を消している。武庫川女子大学言語文化研究所(兵庫県西宮市)の岸本千秋助手(44)の調査でわかった。「まずい」を意味する「もみない・あじない」は絶滅寸前だ。」

「地方の言葉が消える背景としてテレビの影響が指摘されている。岸本助手は「テレビ世代が親となり、子世代へ伝承する言葉として認識されていない」と、関西ことばの衰退が加速していると指摘する」

↓ブログより孫引き。
http://blog.goo.ne.jp/manbowxyz/e/f918cabdd1a6109d423b93bb8991d3bb

岸本氏の言うように確かにマスメディアの影響は大きいだろうが、それだけではないだろう。
核家族化で年配者の使う方言が継承されにくくなったこと、関西地方の都市化、つまり地方出身者が関西圏に増えたことによってそもそも関西弁ネイティブではない人(およびその子)の人口が増えたこと、などもあげられよう。
更にいえば文化というのは高きから低きに流れるものだが、「高き」とは社会的上層で、経済力は重要な要素である。東京に比べ関西圏経済の地盤沈下は著しい。経済の東西格差がはっきりする中、鮨だけではなくいろんな面で東京の潮流が関西に流れ込むのは自然の流れなのかもしれない。

まぁこういう、いわば時代の流れによって、日本全国の東京化・画一化が進むのであろう。

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05月13日(水)

起床時刻:00時09分

昨日の記事でちょっと書いた『吾輩ハ猫ニナル』(横山 悠太)では「毛沢東」のフリガナ(ルビ)が「マオズアドン」だった。マオズアドン・・・そうか、なんか中華丼みたいな響きだが、慣れればなんてことないのかもしれない。

そういえば私が子供のころ、韓国や北朝鮮の人の名前は日本風読みをしていた。「金大中事件」は「きんだいちゅうじけん」だった。でも今は金大中氏のことをキムデジュンと呼ぶ。
ググってみたら、同じようなことが気になった人がいたようで、Yahoo知恵袋の質問に対して現地風に呼ぶようになった経緯が書かれていた。

今、中国は日本人の名前は中国風に読み、日本は中国人の名前を日本風に読んでいる。韓国では日本人の名前を日本風読み、日本は韓国人の名前を韓国風読みしている。

どっちがいいのか難しいが、省エネという観点からすると「日本ではモウタクトウだが中国ではマオズアドン」といちいち二つ覚えるより最初からマオズアドンにしとくと中国人と話す機会があるとき楽かもしれない(今までそんな機会は一度もないけどもね)。
一方で、歴史的・文化的に親しみのある人物やキャラクターだと、現代中国語風の読み方に抵抗はあるだろう。われらがソンゴクウ(孫悟空)がスンウウコンになったり、まぁスンウウコンならまだしも、日本人も大好きな三国志の登場人物たちはどうなっちゃうのか不安である。

今のところ日本の漢字の音読みには「呉音・漢音・唐音」があるわけだが、これに今更、”人民音”が入ってきたりして・・・。ま、現在のところ、そこまでして取り入れなきゃいけなそうな中国オリジンのアイデアやコンセプト(インターネットだのiPhoneだのグーグルだの)はなさそう。結局、日本語にカタカナ語があふれているのも技術革新にせよ、新しいコンセプト(環境アセスメントとか)にせよ、漢字文化圏ではなく、欧米からやってくるからだろう。

ま、どうでもいい話。

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05月12日(火)

起床時刻:07時10分

『吾輩ハ猫ニナル』(横山 悠太)は「日本語を学ぶ中国人を読者に想定」し、片仮名の外来語を使わず、かつ現代中国人から見ても違和感のない漢語を使用するというコンセプトで書かれた小説(作中作)。
趣向は実に面白いのだが、せっかくの道具立てを十分に活かし切れていないように思う。日本文化をよく知る者には所々、にやっと笑えるところはあるが、話自体はつまらない。風刺の着眼点はよくわかるが、底が浅くありきたりなのが残念だ。

文体がいかなるものか、一部引用しよう(()はルビ)。
「媽(おかん)は独り台所で午飯(ひるめし)の準備(したく)していた。 <略> 部屋に客人(ゲスト)が来ていると母がいう。門を開けると、十楼の朴沢男(ピャオズアナン)が自分の床(ベッド)の上に坐って手機(ケータイ)で俄羅斯方塊(テトリス)をやっていた。低糖の龍井(ロンジン)緑茶の塑料瓶(ペットボトル)を大腿(また)に夾(はさ)んでいる」(P66)

書きうつすのめんどくさっ。

このあと上海の媽(おかん)がつくった昼食じゃなかった午飯が「青椒(ピーマン)と土豆(ジャガイモ)の千切りを炒めたの、帯魚(タチウオ)を醤油で煮込んだの、黄瓜(キュウリ)と木耳の涼拌(あえもの)、番茄(トマト)と鶏蛋の湯(スープ)。普段の通り、目新しいものは何もない」とあって、美味しそう!私は中華料理は苦手なのだが、こういうのは好きだ。それにしても昼からたいした品数だ。

そんなわけで今日の夕飯には青椒(ピーマン)と土豆(ジャガイモ)の簡素(シンプル)な炒めものをつくった。大蒜のみじん切りで風味を出し、塩、胡椒、咖喱(カレー)粉の味付け。中華風ではなく印度風のようだが。それに茄子と豚肉の甘味噌炒めなど。

ところで、小説の主役となる青年は「可憎(につくき)は片假名である」「自分はここにおいて日語の片假名廃止を声高らかに提倡したい」と言うが、本書から引用したごく短い箇所だけでもカタカナでルビが振られているのである。本文からカタカナを排除しても、カタカナのルビであふれかえっているのは奇妙なことだが、それも当然なのだ。カタカナを廃すれば日本人が読んでも意味がわからないため、この作中作の読者はいなくなるからである。意思疎通しつつ、カタカナを辺境に追いやるには、まずルビを復活させねばらないのだ。ルビこそが日語の妙なのであり、革命的創意なのだ。

話は変わるが、媽のルビが「おかん」なんだよね。「おかん」は上海在住の中国人なんだけど、そこだけ関西弁で、父親(日本人)は「父」なのである。
まぁ、今や「おかん」は関西風でも吉本芸人風でもなく、全国区の標準語になったのかもしれない。日本語学習中の中国人読者を想定した小説で「媽」に対する日本語が「おかん」となってるんだから。数十年前は考えられなかっただろう。「媽」も「おかん」も、言葉のニュアンスはわからないが、ぞんざいながら親しみをこめた感じかしらね。

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05月11日(月)

起床時刻:07時15分

蕪(5個が一まとめになったもの)を買って、一つは蕪と油揚げの味噌汁に、残りを蕪と油揚げの煮びたしにしたら、全部じゃないんだけど一部の蕪の茎が筋ばっていた。千葉は柏の小蕪だったんだけど、がっくり。

なんだろう、この徒労感。これじゃ旦那に出せないし。
世の中の好き嫌いの多い子供や大人は頑固で思いこみの強い人が多いから(私調べ)、一度「まずい!」とインプットされると頑なに食べなくなってしまう。食い意地がはっていないのか、新奇性追求志向が弱いのか、「もう一回食べてみよう」「今度は美味しいかも」などという気が起きないのだ、私とは違って。

だから、彼らがただでさえあまり好きではない野菜については(なぜか好き嫌いの多い人はたいてい野菜が嫌いである)、特に注意を要する。筋張っている、灰汁が強い、苦味が強い、酸っぱい、固い、そういったことでもう二度と食べなくなる。セカンドチャンスをくれないのである。好き嫌いの多い人間はよくいえばぶれない、悪くいえば柔軟性にかける(って人間性にまで話広げちゃったよw)。

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05月10日

起床時刻:10時15分

お腹の調子が悪い。
お通じがゆるい。
昨日、近場の中華料理屋に行ったんだけど(うちの旦那は中華が大好き)、たぶんそのせいだ。油が悪かったか、多すぎたかだと思う。
四川風麻婆茄子はめっちゃ辛かったし。
夫は「美味しかったから、また行きたい」と言っていて、私もあいまいに同意したけど、内心行く気しないわ。コスパは良かったけど、油っぽいし、餃子も変な味がする。実家で食べる水餃子はさっぱりしていていくらでも食べれるけど、外で焼き餃子を食べるとくどくて、すぐに食べる気が失せる。夫には言わないけどさ、もちろん。

ってほとんど還暦すぎた年寄みたいなこと書いている。
いやいや、最近の年寄りは違うか。だって昨日の中華屋では横の席のお年寄りの男性が「美味しい、美味しい」と私の4倍は食べていたもの。すごい。。。

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05月09日

起床時刻:08時30分

ブラッドボーンでポキッと折れた心を慰めるためチョー今更ながら、『逆転裁判123』のベストプライス版をやっているんだけど、どーでもいいところにイライラする。

警備のオバチャンが出てくるのだが、彼女に対して17歳のクソガキじゃなかった無邪気なマヨイちゃんが「詰所でオバチャンが日本茶とようかんを食べているよ。日本のオバチャンって感じだねぇ。おばあちゃんに近いけど」(うろ覚え)とか言っていてイラっとする。若いというだけで、おばちゃんを品評する資格があるという”上から”の感性にイチイチひっかかるのは、もちろん、私がオバチャン側に完全に立っているからだ。

「オバチャン()」と見下されなくなかったら、ひたすら感じよく、上品に年をとらないといけない。「若い子」みたいな恰好をして下品と思われたり、余計な「昔話」をして痛いと思われたりしてはいけない。オバチャンなどという存在は、話はするものではなく、聞くものなのだ。誰がオバチャンの話なんか聞きたいかよ。
オバチャンたるものいつも控えめにして、人生経験の浅いガキの与太話をイライラせずに「うん、うん」と聞いてあげて、朝は誰よりも早く起きて味噌汁をつくって、ボタンがとれたらさっとつけてやり、それでやっと「お母さん」というポジに昇格できるのだ。ご遠慮申し上げる!!!

マヨイ「あのオバチャンもよく言うよね」
なるほど「まぁ勘違いと思い込みはオバチャンのトレードマークだからね」
なる「ついでに、もの忘れも」
まよ「やだぁ、そんなの・・・」

たぶん、20年前だったらサラっと流していたようなことにイチイチムカつくようになっている自分がいる。

だいたいね、逆転裁判は男のロマン(≒自分勝手な欲望)がつまっている。
最初にセクシーで有能なお姉さま弁護士の事務所にド新人のナルホド君が就職する。お姉さま弁護士はピンチになったら助けてくれる。手柄はもちろん全部ナルホド君のものである。第二話でいきなりお姉さまは殺される。その結果お姉さまの弁護士事務所がポンとナルホド君のものになる。更にはお姉さまの妹(17歳で、お姉さまと同じくらいの豊満な胸)が助手になる。こっちはぼんくらでかわいいのが信条。ピンチになるとお姉さまの幽霊(というかぼんくらの妹に霊として降臨する。都合のいいイタコシステム)がなんやかやと指示してくれる。

最高じゃね?
まさに男のロマンである。年上(といっても30前後)の財産もあり有能でセクシーな女性と結婚するが、相手はすぐ死ぬ。そして彼女の財産が全部自分のものになる。仕事や人生で迷ったら年上女性が霊となってアドバイスしてくれる一方で、実生活では10代のピチピチ妹キャラ、ちょっとバカだけどかわいい子と再婚する。

やっぱブラボを再開するかwww

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05月08日(金)

起床時刻:07時00分

05月07日(木)

起床時刻:07時15分

連休中は色々と家事をやろうと思っていたのに結局何もできなかった。
「できなかった」と言うと不可抗力みたいだな。正確には「しなかった」。「やろうと思えばできたけど、面倒臭くてやらなかった」が正解。

そのかわり何をしていたかというと、インターネットのくだらないページをダラダラみていた。どのくらいくだらないかというと、サイゾーウーマンの芸能界ゴシップネタを見るレベルw その中の佃野デボラという人の「さざ波ニュース」(芸能人のブログからものすごくどーでもいい「事件」をとりあげている)のバックナンバーをじっくり読んでいたw
2015.1月で更新とまっちゃってるんだけど。。。
http://www.cyzowoman.com/2015/01/post_14670.html

「森脇健児が今年も『オールスター感謝祭』(TBS系)に向けた走り込みを開始」とか「大木凡人、すごく不味い冷やし中華に憤憤炸裂」とかものすごくどーでもいいニュースが目白押し。
でもブログの”電波度”でいうと、石原真理が圧勝で、「さざ波ニュース」でもたびたびとりあげられている。怖いもの見たさで石原真理のブログを覗くと、予想以上だった。医者ではないし軽軽なことは言えないが(と言いつつ個人ブログだから書くが)、妄想型の統合失調症じゃないか。そう考えるとブログの極端な被害妄想や自分を極端に特別視することなども色々納得がいく。
統合失調症でも普通の生活はおくれるし、妄想のレベルも程度問題だ。軽い症状なら(石原はコミュニケーション障害など別の問題も抱えていると思われる)、「プッツン」という形でむしろ面白がられてきたわけで。本人は自分だけは100%正しいと思っているから、精神科に連れていくのはホント難しいと思う。私の書いたこのような文章も石原が読めば「悪魔に操られて書いている」か、「朝鮮のスパイによる陰謀」になるだろう。

あと石原真理のブログの文章って何なのだろう。
まあ石原真理に限らず、芸能人のブログの低能じみた文章は何なのだろう。本を全く読まないとああいう文章になるのだろうか。それとも「自分はバカなので無害ですよ」っていうメッセージ(戦略)だろうか。
ブログの文章を読むと書いた人の性格や人となりがわかる気がする・・・っておい、石原真理化してんぞwww「私には見えるのです、その人がどんな人か」ってかwww

ていうか、石原真理のことなんか心底どうでもいいのに、朝の貴重な時間を無駄なことを書くのに使ってしまった><。朝っぱらから石原真理のプッツン火山について書くことほど非生産的なことはないだろう。

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05月06日(水)

起床時刻:11時00分

クセのある野菜などという言い方をするけれども、若い頃はそういう意味でのクセ、その人のちょっとしたアクや苦味・辛味みたいなものが、その人の個性として魅力にもなっていた部分が、年をとってくると、前面にクセが出てくる気がする。アク抜きしてもアクが抜けないような、それこそ「煮ても焼いても食えない」状態になる。ソースは私w 皆が皆そうじゃないけれど、友達とかを見ていてもそんな気がする。クセが強すぎて食べらんないというか、個性が勝ちすぎるっていうのか。

外見もそうで、年をとると元々の個性が強調されるようだ。デフォルメされた似顔絵に似てくるというかw
例えばベース型の顔の人はどんどんエラが強調されていくような気がする。奥歯をかみしめるクセの蓄積?私もそうだし、永作博美もそんな気がする。私と永作博美を同列に語るのはおこがましいが、変化の方向性は同じである。
あとこれは特徴(個性)の強化というより、加齢による一般的な変化だろうが、彼女も私も年をとって目が小さくなってきている気がする。永作博美をこのまえ何かで見たとき「田中裕子?!」と思った。地味顔になっていたのだ。まぁ永作博美が田中裕子化してもすでに「演技派女優」認定されているので(元アイドルなのに)、問題はないだろう。

うーん、ものすごくどーでもいい話だ。連休ボケ?

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05月05日(火)

起床時刻:10時00分

涼しくなった。
『グランド・ブダペスト・ホテルThe Grand Budapest Hotel』を見る。

殺されて棺桶に入っている大金持ちの貴族のマダム(84歳)に向かって、肉体的・精神的交遊のあったコンシェルジュのムッシュ・グスタフのセリフ。マダムの死に化粧が綺麗だったので
「本当によくみえるよ、ダーリン、本当にね・・・素晴らしい仕事だよ。いったいどんなクリームを君の死体に塗ったのかわからないが・・・私も少しわけてほしい」
おいwww 何言うてんねんwww 葬式でwww
と関西人でもないのに関西弁で突っ込みたくなるようなセリフw

原文↓
「[to Mme. Celine's corpse] You're looking so well, darling, you really are... they've done a marvelous job. I don't know what sort of cream they've put on you down at the morgue, but... I want some. 」

メイキング映像も楽しいので、特典映像のついているビデオを借りてよかったと思う。
戦前のホテル・ブダペストは結構なブラック職場で朝ははよから夜は夜中までこき使われるんだから、働きたくないw 現在のコンシェルジュのジャンは楽そうだが。そっちならいいけどw

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05月04日(月)

起床時刻:09時00分

『X-menフューチャーアンドパスト』を見る。
X-menに対してはなんの興味もないのだが。
感想としては全身青色のレイブンの戦闘シーンがかっこよかった。足がぴょーんって上がって。

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05月03日

起床時刻:12時00分

暑い一日。
『ゴーン・ガール』(Gone Girl)を見た。
会社の横の席の子が映画館で見てすごく面白かったと言っていたが、純粋にミステリーとしてはおかしいところがいくつかある。特に後半。これで完全犯罪は無理だろう。『名探偵コナン』以下じゃねーか。ていうか、毛利探偵でも見破れるわいw

名探偵コナンよりもいい部分はミステリ以外の部分だろう。
そう、”男と女の機微”の部分である。
もちろん、名探偵コナンにだって恋愛要素はある。蘭ちゃんと新一の関係だ。けれど、毛利蘭があんなに一途に工藤新一を好きでいられるのは、①新一と一緒に暮らしていない、②新一は相変わらずヒーローで超賢いからだ。もし新一が世紀の間違いを犯して冤罪をつくり、それで世間に大バッシングされて結果無職、家でゴロゴロ酒飲みながらゲームばかりして蘭にたかり、「昔は俺だって」的な愚痴を年中こぼしていたらどうだろうか。不況で毛利探偵事務所も閉鎖、蘭はかけもちのパート中で家計を支えていたら、新一にうんざりするだろう。新一の目を覚まさせようったってね、男は女の言葉(あるいは蘭の空手)じゃ、変わりはしないんだよw 
女は違う。男に「太った?」と言われただけで必至でダイエットをしようとする。男は女に「太った?」と言われると、「うるさい」と女を殴る。男と女を象徴するこの違い。
男なんてのは、本人が変わろうと決意するか、会社(上司)の命令か、どっちかでしか変わんねーんだよ!出た偏見!

要するにだ、『ゴーン・ガール』は蘭と新一があと15歳くらい年とって人生の挫折をとっくり味わった後の男女の話なのだ。

私がこの映画の白眉だと思うのは以下のセリフ部分(思いっきり個人的な意見であることは認めるw)。(ネタバレ含む)
"Cool girl"という21世紀の”女大学”について述べられている。

”Nick loved a girl I was pretending to be. "Cool girl". Men always use that, don't they? As their defining compliment: "She's a cool girl". Cool girl is hot. Cool girl is game. Cool girl is fun. Cool girl never gets angry at her man. She only smiles in a chagrined, loving manner. And then presents her mouth for fucking. She likes what he likes, so evidently he's a vinyl hipster who loves fetish Manga. If he likes girls gone wild, she's a mall babe who talks for football and endures buffalo wings at Hooters. When I met Nick Dunne I knew he wanted "Cool girl". And for him, I'll admit: I was willing to try. I wax-strippe my pussy raw. I drank canned beer watching Adam Sandler movies. I ate cold pizza and remained a size two. I blew him, semi-regularly. I lived in the moment. I was fucking game.”

夫と一緒に缶ビールを飲んでアダム・サンドラーの映画をみる。
夫と一緒に冷たいピザを食べて太らない。
その次の一文は訳さないw

ともかくだ、要するに男の好むものを一緒に楽しむべきなのであって、女の好むことを男と一緒に楽しむのではない。彼の好みが最優先なのだ。男を飽きさせないこと。男を楽しませること。
だから女は男と一緒にビール片手にスポーツ観戦をしても、男は女と一緒にお紅茶飲んでジェイン・オースティンを読んだり、一緒にオーガニック・サラダを食べてヨガ教室に通ったりなどはしないのだよ!!「アサシン・クリード」をやっている男の手からコントローラーをとりあげて、「一緒にポプリをつくりましょう」などと言ったとして、どこの男が聞く耳持つかよ!!

男と関わり合いにならないことが長生きの秘訣だとどこかの長寿のおばあさんが言っていたが、本当にそうだろう。ただ金があれば、の話だが。

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05月02日

起床時刻:09時00分

『ホビット 決戦のゆくえ』を観た。
エルフの王スランドゥイル役のリー・ペイスがかっこよかったんだけど、息子(レゴラス)役のオーランド・ブルームと親子っていう設定が・・・お前ら同い年ぐらいだろうって見ていて思ったんだけど、後でwikiを見たら、ペイスが1979年生まれ、ブルームが1977年生まれで息子のほうが2歳ほど年上っていうね。。。
まぁリー・ペイスはすごく素敵だったからいいんだけど、もし親子感を重視するなら、スランドゥイル役はチャールズ・ダンス(ゲーム・オブ・スローンズのタイウィン・ラニスター)かなあ。1946年生まれだからおじいちゃんになっちゃうかもだけど。身長は191cmでリー・ペイスと同じ。

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05月01日(金)

起床時刻:07時15分