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起床時刻推移グラフ

目標起床時刻:08:00 平均起床時刻:07:55

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07月31日(金)

起床時刻:08時10分

父のメールの俳句の下五に「涼しけり」とあったので、「涼し」に過去の助動詞「けり」をつけるなら「かり活用」(補助活用)して「涼しかりけり」としなくちゃいけない、と書いて送った。

とはいえ、私も文語文法に不案内なので、気になって「カリ活用」を調べたら、デジタル大辞泉によると

「文語形容詞の連用形語尾「く・しく」にラ変動詞「あり」が付いて音変化した「かり・しかり」の活用形式をいう。例えば、「高かり」「恋しかり」の類で、形容詞に欠けた、助動詞に続く機能をこれで補っている。従って、終止形「高かり」「恋しかり」や、已然形「高かれ」「恋しかれ」は通常用いられない。かつては、形容動詞の活用形式の一として、ナリ活用・タリ活用と並べられたが、今では、形容詞の活用の補助とみて、それに含めるのが普通である。ただ、中古の「多かり」だけは特別で、訓点語で終止形「多し」とその系列が用いられるのに対し、和文では、連用形「多く」のほかは、終止形「多かり」をはじめ「多かる」「多かれ」の形が多用されるので、これだけをカリ活用と称することもある。」

とあった。となると、石川啄木の有名な「かにかくに渋民村は恋しかり おもいでの山 おもいでの川」も文法的にアカンのちゃう?助動詞が続かないと「かり活用」はしないんだから。
こういう有名な歌があると「涼しかり」もいいような気がしてくるから罪は重い。
文法的に正しくすると「かにかくに渋民村こそ恋しけれ おもひでの山 おもひでの川」になるのかな。って啄木先生を添削するとは恐れ多いね。

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07月30日(木)

起床時刻:07時45分

今日も暇だったので会社で一日中インターネットをしていた。
本日の検索テーマは「気候的に日本で住みやすい地域はどこか?!」であります。すなわち、「夏涼しく、冬暖かいところ」である。

そんな地域は日本にはない!!と言われそうだが、海洋性気候と言われる銚子がいいんじゃないか。

wikiの「銚子市」の説明によると「周囲が海に囲まれているため海洋性気候となっている。すなわち、湿度は高めであり、気温は年間平均気温が約15℃で夏涼しく冬暖かいといわれる。 夏場は、関東平野部の都市では珍しく日中でも30℃を超えることは少なく、35℃を超えることはめったにない。熱帯夜になることもあまり無く関東屈指の避暑地と言える。一方、冬場は南九州並みに温暖で気温が氷点下になることはほとんどなく、雪が降ることは非常に珍しい。 またトマト、メロン、スイカ、イチゴなど海洋性気候に適した野菜や果物が栽培されている。」

めっちゃよくない?
もっとも湿度が高いのが気になるが、、、東京は日本で最も湿度が低い都市のひとつではないかと思うが、それでここまでジットリと暑いのだから。ただ冬は乾燥してカラッカラになるから、お肌のことを考えると多少湿度が高くてもいいかもしれない。

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07月29日(水)

起床時刻:07時50分

今日も会社で暇だったので、日本郵便のHPにある「地方自治法施行60周年記念シリーズ」切手の各県のモチーフを当てるという一人遊びをやっていた。記念切手シートは切手5種類と台紙(シート背景)からなる。
「高地はね~、龍馬!(当たり)」「茨城は~、牛久大仏!(外れ)」「広島はもちろん原爆ドーム!(外れ)」などと心の中で言いながら遊んでいた。
茨城の切手、牛久大仏は5種類の切手にもシート背景にも選ばれていなかった。メインと思われる一番目の切手は「H-IIロケットと筑波山」だって。わかるか!
広島はメイン切手は「厳島神社と舞楽ともみじ」で、まぁそりゃあね、安芸の宮島はね、外せないわよね、と理解したが、原爆ドームが台紙にも切手にも選ばれていない。そのかわりに「レモン」が入っているのだ。もっとも切手の実用目的からすると、確かに原爆ドームの絵柄の切手は使い勝手が悪いわな、そりゃレモンにするわな。

メインの切手に人物(有名人)が入っているのは高知の坂本龍馬とあとはどこでしょう?鹿児島の西郷さん?ブブー、答えは佐賀の大隈重信、埼玉の渋沢栄一。わかるか!宮城の伊達政宗、岡山の桃太郎はわかったけどね。

埼玉と佐賀は似ているかも。まずメイン切手が微妙な有名人で(失礼)、そして両方とも古墳が一つ選ばれていて(埼玉(さきたま)古墳群(丸墓山古墳)と吉野ケ里遺跡)、祭りも選ばれていて(埼玉は一つで秩父夜祭。佐賀は二つで唐津くんちと佐賀インターナショナルバルーンフェスタ)、宗教施設が一つ(歓喜院聖天堂と祐徳稲荷神社)。

ぶっとんでいるのは静岡県で全部富士。
(1) :富士山
(2) :菜の花と富士山
(3) :田貫湖(たぬきこ)からのダイヤモンド富士
(4) :西臼塚(にしうすづか)からの富士山と紅葉
(5) :雲見海岸(くもみかいがん)からの富士山
シート背景 :茶畑と富士山
素晴らしい!ぶれていない!静岡には浜名湖も登呂遺跡も三保の松原も(微妙らしいけどw)熱海の花火も修善寺の温泉街もあるのに、富士山のみ。さすが静岡側が表富士を名乗るだけある。
更に言うと、他の県がメイン切手にあれもこれもぶちこんでいるのに比べて(たとえば滋賀の「琵琶湖とカイツブリと浮御堂」とか愛知の「金鯱とカキツバタと渥美半島」といったふうに)、静岡はデザイン画っぽい「富士山」。好感度アップ(?)である。

ちなみに愛知の切手は結構独自で「モノ尽くし」(コノハズクに銀杏に瀬戸焼に四季桜)なのだ(背景は犬山城だけど)。トヨタを入れるのはさすがに無理だったかw。

静岡を見たあとに山梨を見ると、山梨のメイン切手は「富士山と山梨リニア実験線とぶどう」と三種類をぶっこんできた。よう全部入れたなw
シート背景は富士山であるものの(すごくきれい)、他の切手は昇仙峡などで富士は入っていない。

福島はなんだろう、まだ発行されていないんだけど。福島第一原発はおそらく福島で一番有名な建造物だろうが、広島の原爆ドームがダメだったように、切手という性質上NGだろう。私の予想(メイン切手かシート背景)では、会津の鶴ヶ城と果物(桃)か、磐梯山と猪苗代湖かな。人物なら野口英世か。それ以外だと何があるかなぁ。祭りでは相馬野馬追も入るかもね。実は「福島わらじ祭り」っていう祭りもあるんだが(なんと東北六魂祭に入っている祭りなのである!巨大なわらじを持ち上げてゾロゾロ練り歩くらしい)「切手ばえ」という観点からすると、やっぱり相馬野馬追だろう。

いやー、意外に楽しく遊べるね。

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07月28日(火)

起床時刻:08時00分

会社の埼玉はド田舎村出身の男子が「福岡は埼玉の大宮みたいなもの。過大評価されている」と言われてカチーンときて(もちろん私の意識では福岡のほうが大宮より上だったのである)、それから何かと大宮をライバル視して注視していたのだが、数週間前、日経新聞に小説家の松井今朝子氏が大宮のことを書いていた(松井さんが「明日への話題」を担当するようになってから第一弾の記事であった)。

「三十年住み馴れた東京の三軒茶屋から埼玉の大宮に引っ越して、丁度この七月で丸五年になる。新幹線を含めて十四路線が乗り入れる駅から十分以内に住まう便利さは格別だし、氷川参道脇にあるわが家は夏も意外なほど涼しくて快適だ。樹齢数百年の巨木が列なった参道は朝晩の散歩にも都合がいい。
 参道が全長約二キロもあるのはさすがに武蔵国の一の宮ならではで、境内も広いから、東京の友人を案内したら皆さん驚いてくれる。ところが赤坂を始め関東の各所にある氷川神社の総本地がここで、それが地名の由来なのを友が誰一人として知らなかったことには逆にこっちがびっくりさせられた。『江戸名所図会』によれば、ヤマトタケルが東征の際にここで祈誓をして、聖武天皇の時代に一の宮に選定されたというのだから、日本でも有数の古社なのだけれど。
 明治になると広大な社領の一部が公園と化し、元からあった赤松林を残しつつ、千本もの桜が植林されて今日に絶景を提供している。これまた友人に評判が良く、ここ数年で何組の花見客を迎えたか知れない。
 公園の中央には大きな池があって、秋は水面に浮かぶ枯葦(かれあし)の茂みが詩情をそそる。森鴎外の小説『青年』に登場する文学青年の小泉純一は、その池畔で思わず「好いところですね」と呟いている。
 明治の頃は東京から近場の行楽地として人気だったことが同小説で窺えるが、訪れた文学者はほかにもいた。樋口一葉が短い生涯で、記録によればたった一度だけ東京を離れて遊びに出かけた先が、大宮公園だったことは、森まゆみ著『一葉の四季』が伝えるところだ。」

なんかめっちゃ由緒正しきいいところっぽくね?ただしさいたま市のそれも大宮のそれも氷川神社一帯に限るって感じだけど。なんかこれを読むと私もさいたま市の大宮のそれも氷川神社一帯に住みたくなった。ただ内陸だから夏暑そうで冬寒そうなんだけどなぁ。もっとも大宮は地盤がいいとは聞いたことはあるな。日本の地名から地震の危険性を予測するっていうようなタイトルの本を前読んだんだけど(まぁ日本全国どこでもたいてい「危険地名」なんだがw)、その著者は大宮に住んでるらしかったわw

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07月27日(月)

起床時刻:06時45分

親がスマホに関する川柳を送ってきたので私も↓のように書いて返した。
「向いあい親もスマホで子もスマホ」
たいていの人間はboringであるということを白日の下に晒したのがスマートフォンであった。
スマホの中の電脳世界は、目の前のいる人と話すというライブ感を上回る蠱惑性を持つ。ていうか、現実がつまらないのだ。決まりきった文句の、オチのわかったセリフを、相も変らぬ役割を繰り返しているだけの退屈な世界。
夏といえば「暑いね」以外、何の話題があろうか。せいぜい、当たり障りのない人のうわさ話くらいであろう。

インターネットの匿名世界においてのみ、現実社会で押し付けられたペルソナをはずし、本音を語ることができる。
そう、人間は本来、本音を語りたいものなのだ。だから穴掘ってまで「王様の耳はロバの耳~」と吹聴してしまうのだ。思う存分本音を語れるインターネットという場はリアルな交友関係より中毒性が高いのもむべなるかな、である。

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07月26日

起床時刻:07時30分

『言語学の教室 哲学者と学ぶ認知言語学』(中公新書)から。
***************
野矢「「焦点色」というのがあって、それは調べてみたらどうも人間に共通のものらしいという話(Berlin and Kay, Basic Color Terms, 1969)ですよね。それまでは赤から紫まで連続的に推移するスペクトルのどこからどこまでを「赤」と呼ぶかといった、色の切り分け方はまったく恣意的で、言語や文化に相対的だと論じられることが多かったのが、その研究以降、色のとらえ方も焦点色に関しては普遍的なのだと論じられるようになった。」
西村「そうです。赤の焦点色については、どの言語でも「赤」に対応する語で指すことができます。だけど、焦点色からだんだんずれていったときに、どこまでを「赤」に対応するその語で表すかは、言語によって違いがあります」
***************
というようなことを使役構文のプロトタイプの話のところででしている。

私は美にも同じようなことがいえるように思う。
「焦点色」ならぬ「焦点美」があって、普遍的な美があると思う。そこから「赤」という言葉と同様に文化によって色々ずれる部分がある。例えば「出っ歯ではない」などというのは普遍的な美ではないか。「出っ歯」が美人となるような文化や民族があったら教えてもらいたい。

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07月25日

起床時刻:09時00分

ずいぶん前に紀伊國屋で買って、途中で読みさしていた『抑鬱の文化と文化の抑鬱』(2013/2 貴船 哲治)を読み終わった。

”うつの人”のことを本書では”抑鬱者”と呼んでいる。抑鬱者。いいね。カッコイイ。これが本書の雰囲気だ。ってわからないかw
要するに『プチうつな気分が楽になる本~頑張らなくってもいいんだよ』(仮)的な本(表紙にかわいいイラストが描いてある系)と対極にあるアプローチっすね。
本書はこの手のスイーツっぽい(?)癒し系うつ本と書いてあることは同じでも(基本的に常識的で真っ当な内容)、高尚な文献を渉猟しつつ、硬度高めの文体で書いてあるからカッコイイ。

本書の例えば第六章「単独者として」の一文を引用しよう。
「社会での様々な軋轢は人間に個性である角(かど)を減摩させることを要求する。しかし、人間はその角を無闇に磨滅させられているのではなく、あくまで自分で社会と魂に調和させるように彫琢してゆかなくてはならないとキェルケゴールは語るのである。そして彼は環境整合的な必然性をではなく個人的偶然性を生きることを提案する」(P82)。カッケー。

このカッケー文章は「仕事で大事な書類を落としたことが原因で鬱になった」とかいう間抜けな抑鬱者にも勇気をもたらすだろう。要するに彼が間抜けだから鬱なのではなく、この場合でいえば、書類を落としたことから生じる様々な軋轢が彼の個性である角(かど)=おっちょこちょいを減摩させることを要求しているために抑鬱者になったということになるのだから。

おっちょこちょいが世間に身売りして普通の社会人=のっぺらぼうになり、自己が不在になることをキェルケゴールは「絶望」と呼んだ(そうだ)が、実際のところ角なんて取ろうとしても不器用な者(大方の抑鬱者がそうであろう)にとっては簡単にとれやしないし、首尾よく取れたとしても、どうしても痕跡が残るものだ。むしろ人生とは角を取ろうとしてあがき続ける過程であろう。そこに苦しさがある。なぜ角をとろうとするのか?本書でも「なぜ絶望者である抑鬱者は自ら角を捨て去ってしまったのか?」と傍点つきで尋ねている。「その理由は、フーコーを扱った章で述べた社会の錯綜する「力」に求めることができる」という。その力から逃れるには「阿呆船に乗り込め」というわけだが、それはそれで勇気がいるだろう。

何もかもイヤになって死にたい、なんていうありがちで平凡な感情もハイデッガーという「フライブルクの几帳面な朋輩」を通してみると、なんかカッコイイことになっている。あるいは読書のメタ認知効果と没我効果についてもカッコイイ文献とともに語られている。
間抜けで軟弱な人間ゆえ鬱になっていると思い落ち込んでいる人には本書はいいメタ認知本になるかもしれない。ま、自分に酔わないようになw

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07月24日(金)

起床時刻:07時30分

5年後の今日、東京オリンピックが開幕するそうだが、このクッソ暑い時期によくやるよ、全く。今後、日本の気温は、更に上昇こそすれ、下がる見込みはない。NHKの天気予報でも「屋外の運動は控えたほうがいいでしょう」なんて予報が度々出るこの季節に、屋外運動の大会を行うなんてねーえ。

日本のベストシーズンは5月なんだから、5月にやればいいのに。秋もいい季節だけれど、台風がくるからなぁ。

ひょっとしたら、この高温多湿のムシムシ猛暑の時期に開催するのも作戦なのかしらん?
いい気候の国の人はこのまとわりつくような日本の暑さに慣れないから、パフォーマンスも落ちるだろう。日本人有利!っていう勝算?

それはともかく、ほんと疲れる。この夏は。
だるい、としか言いようがない。

飯田龍太の名句「水澄みて四方に関ある甲斐の国」も「盆地だから暑いんだよな、山梨は」としか思えない自分がいる。貧すれば鈍するというが、暑くても鈍する。老いても鈍する、怠けても鈍する、一方で鈍する反対、敏する?そんな言葉聞かないなぁ。ああ、敏くなる、か。などと鈍しきった頭で考えるのである。

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07月23日(木)

起床時刻:08時00分

友人に「だるくて、疲れて、イライラして、何もする気が起きない。更年期障害かな」と聞かれたので、「暑いからだよ!(バカじゃねーの)」って教えてあげた。
そしたらその人、「いや、私、夏は昔から好きなの。暑いの平気」だって。
マジか。私も冬の間は夏が好きだと思っているが、いざ夏になると夏が大嫌いだったってことを思い出すのだ。夏の真っ最中に夏が好きとは、おぬし、本当に夏が好きなんだな?

もう一人、会社の女の子も「夏が好きなんです」って夏の真っ最中に涼しげなる顔で言っていた。確かに彼女は日焼けした肌が素敵な夏が似合う子だ。なんていうか、彼女のまわりだけ、日本の夏じゃなくてハワイの夏みたいなんだ。彼女の周りだけ湿度が低そうなんだな。
私が会社に来るときは疲れきって、半分溶けたアイスクリームの如きドロドロの状態でオフィスにたどり着くのに、彼女は同じ道をさわやかに歩いてくるのだ。信じられん。彼女の汗は「玉の汗」っていう感じで、全然汚い感じがしない。なんだろう、この違い。若さか、そうか。

そんな話はどうでもよくて、夫が『アルスラーン戦記』をネタバレしおった。原作(小説のほう)の最新刊までのあらすじを事細かに全部教えておった。私も気になっちゃうから、ついつい聞いちゃったんだ。
そしたら後半はあまりにもテンプレ展開で、正直がっかりした。もうちょっと奴隷解放という大きな政治的課題をめぐる駆け引きとか頭脳戦、あるいは陰謀があるのかと思いきや、穢土転生させた悪の親玉と秘剣で戦って退治するって話になるんだと。
なんだかんだ言っても、ファンタジーはすべてハリポタになる。つまりヴォルデモート卿のような悪の親玉を仲間と退治してめでたし、めでたしというストーリー。

「桃太郎」で既にファンタジーは出尽くしているのかもしれない。
桃太郎を今風にアレンジすればこんな感じ。
桃太郎は古代の伝説の王家の子孫であり、その血筋によって鬼を倒すことができる唯一の剣・エクスカリバーを操ることができる。
桃太郎は山奥で血はつながらないけれども、優しいおじいさん、おばあさんから大事に育てられたが、ある日、鬼が桃太郎という伝説の王家の生き残りの存在(鬼にとってのアキレス腱)を知り、山奥まで彼を殺しにやってくる。おじいさん達は桃太郎を庇って逃がすのだが、いまわの際に実はお前は伝説の王家の最後の生き残りなのだよ、と言って息をひきとる。

祖父母の仇でもあり数々の悪行を重ねる鬼を退治することを目的として、桃太郎は旅に出るのであった。
その途中、天下無双の剣士である犬氏と、知略にすぐれた軍師の猿氏、そして諜報活動が得意な雉氏を仲間に得て、少年桃太郎は窮地を何度も脱しながら成長していき、最終的には死闘のすえ、とうとう鬼を征伐するのであった。
ほらね、『桃太郎戦記』(そして少年は将軍となる)でも良さそうだぜ。

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07月22日(水)

起床時刻:08時00分

親の小言と紫外線は後からきいてくる、by pyaaa。
恐ろしいことに、若い頃の無防備な日焼けが数十年後にシミとなって出てくるのである。今日の川柳。
「焼けてから日傘差しだす粗忽者」

ずっと日傘をさすのに抵抗があった。
昔、人から貰った素敵な日傘は、白い麻地で小さな刺繍が入っており、持ち手は木だった。見る分には飽かず眺めることができるが、こういう日傘というのは、絽の着物に夏帯を締めた若奥さんか、印象派の絵画にある、日傘をさす女性のような佇まいの方が似合うだろう、私みたいなジーンズにTシャツ、スニーカーの人間はどうもちぐはぐな気がしていたのだった。

それが去年、残暑が厳しい日に友達のHちゃんに会ったとき、彼女の日傘に入れさせてもらったら、格段に過ごしやすかったのだ。
彼女の日傘は今時よく見かける、ビニールっぽい黒い布地で100%遮光タイプ。100%遮光タイプは見た目が暑苦しくて嫌いだったんだけど、光を通さないから涼しげな麻の日傘よりこっちのほうが断然涼しいのだ。

こりゃあいいわい、ということで、その足でデパートで日傘を買ったのだった(100%遮光タイプではないけれど)。

今年はそんなわけで、去年買った日傘を毎日使っている。
ジーパンにTシャツで日傘指しているっていうねw
女優みたいな美肌の持ち主ならまだしも、もともと日焼けしてシミもあるんだから、滑稽に見えるかもしれないが、背に腹はかえられない。
さすがに日傘に帽子にサングラスにマスクに手袋という完全UVカット仕様またの名を「強盗スタイル」にはまだ抵抗があるw
とはいえ、シミや手の老化が気になったら、強盗スタイルデビューするかもしれないけど。

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07月21日(火)

起床時刻:08時00分

なんだこの暑さ。出勤途中、近所の奥さんに「おはようございます、朝から暑いですね」と声をかけられて、私も挨拶を返そうとしたんだけど、声が出なくて、口がパクパクなっただけだった。死にかけの魚かっ。
どんだけ弱ってるんだ、私。

寝苦しくって、疲れがとれない。その上に朝からギラギラの太陽。

汗でドロドロになりながら頑張って会社に行ったら、会社に「エホバの証人」が勧誘に来た。愛想よく追い払ったら、会社の人に「知り合い?」って言われちゃった。んなわけ、あるかい。「いや、私は無神論者です」って言ったんだけど、どっちにしろ、ひかれてしまった模様(ガクッ←うなだれる音)。

ていうかさ、この世界を神様が創ったとしてだよ、まぁそういう風にエホバとかキリスト教徒は主張しているわけだが、こんなクッソ暑い夏を創り出して、いったいどういうつもりなの?って話だ。もしAlmighty Godっていうなら、もっと過ごしやすい気候にしてほしいもんだね。

殊に日本は、地震はくるわ、噴火はあるわ、津波はくるわ、台風はくるわ、夏は暑いわ、冬は寒くて雪がつもるわ、の災害大国。神様の製造責任を問いたいくらいなのに、多くの人は(キリスト教徒ではなくとも)誰も神様に詰め寄ったりしない。皆、積極的に「神様、ありがたや~」と小文字大文字含めた神々に感謝しているのだ。
まあ確かに水星(大気がほとんどないため、昼間は450度にまで上がり、夜は-180度まで下がる)なんかに比べたら、地球は奇跡的に住みやすい場所なのだから、感謝こそすれ、なじるのは不遜の極みである、というのもわからんではない。

でも私はそういうタイプではない。もっといい気候があったんじゃないか、もっとマシに作れたんじゃないかって思う方だ。
あるいは神様はなんかの意図があってこういう風につくったのであり、その意図は人間にはわからない、と言う人もいるかもしれない。でも、それは神様だか空飛ぶスパゲッティ・モンスターとかの超存在の意図ではなく(ちなみにスパモン教によると「宇宙は空飛ぶスパゲッティ・モンスターによって創造された。これは空飛ぶスパゲッティ・モンスターが大酒を飲んだ後の事であった」そうだが、大酒を飲んだ後と言われればまだ納得できるねw)、色んなタマタマの結果、こういう感じになってんだ、っていうほうが、よっぽどスッキリ簡単だと思うんだけどね。

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07月20日(月)

起床時刻:10時00分

録りだめておいた『アルスラーン戦記』を見る。
一騎当千の騎士ダリューンがカッコイイんだあ。
声優もいいんだよなぁ、細谷さん。

『アルスラーン戦記』もそうだけど、ファンタジーの世界は絶対王政が大好きだよね。封建的な絶対王政なんて北朝鮮みたいになるのが落ちなのに、ファンタジーではアルスラーンみたいな名君だの、ダリューンやナルサスみたいな倫理的で優秀で文武両道の立派な家臣が出てくるのだ。
智将ナルサスの戦略は、まぁ三国志の諸葛孔明みたいな感じで、日本の国会で野党のやる「牛歩戦術」とか、この前は「プラカード戦術」だったが、そういうのじゃないんだw 

でも、牛歩戦術でどうにかなるなら、そのほうがよっぽど安全でいいのだ。民主主義の世だから、絶対王政の漫画やファンタジーを楽しめることができる。リアル絶対王政の北朝鮮ではそんなことできない。

とはいえ、私たちの心の奥深くに、名君と呼ばれる人を待ち望む気持ち、そういう人に何もかもお任せして自分らは暢気に鼓腹撃壌ってたい、という気持ちがあるからこそ、こういうファンタジーをすんなり受け入れるのだろうか。
まぁ私なんかはそうかもしれない。自分の判断にこれっぽっちも自信ないからなぁ。すんごい賢い人、あるいは人ですらない人工知能でもいいが、そういう人に頼って、自分は言われたとおりにやってたらOKっていうのでいいよっていうか、それであんまり抵抗ないな。とはいえ「君は役立たずでCO2を排出するだけの有害な存在だから今すぐ死になさい」って言われたら、抵抗しますけどねw

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07月19日

起床時刻:10時00分

溽暑耐え難し。

体にまとわりつくようなこの蒸し暑さ。
日本列島全体が巨大な蒸籠(せいろ)になって、我々人間はシュウマイのごとく蒸されているのである。

エアコンがなければ、どうなっていただろう。
すっかり蒸し上がり、頭から湯気を出しながら昇天してしまったかもしれない。
地獄に仏、夏にエアコンである。
素晴らしきかな、エアコン、ありがたきかな、エアコン。

そんな素晴らしいエアコンだが、冷房が効きすぎて骨まで寒くなってしまう、という大問題もある。また一方で、エアコンのせいで夏の電力消費が激しいのも事実である。昨今のエネルギー問題を考えると、「ありがたきかな」とばかり言ってもいられないかもしれないのだ。

難しきかな、エアコン、現代文明の問題の縮図かな、エアコン。

今、ここまでを読み返したら、びっくりするぐらいしょうもないこと書いていることが判明した。頭が蒸し上がっているので仕方ない。二言目には「暑い、暑い」と繰り返していて、何も考えられない。
日本から何人もノーベル賞受賞者が出ているって驚異的だ。普通の人は夏の間の三か月は「暑い」以外何も考えられない過酷な環境で研究しているんだから。実質一年のうち9か月しか何かを考える時間はない。って私だけかね。

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07月18日

起床時刻:08時30分

友人と銀座にてランチ。私の話題がつまらなすぎて我ながら萎える。
子どもの話しかしない人とずっと一緒にいると萎えるように、私ってば、独身の友達に旦那の話しかしていない。

ていうか、友達と何を話していいかわからない。

みんな何を話しているの?仕事の話?
それもしたけど、私の仕事、ほんとつまらんからね。
一日中、品物の数を数えるとか、そんなことしかしてなくて、「リストラされたらどうしよう」っていう話をしたけど、ほんとこんな話、面白くもなんともないだろう。

別の友人からメールがきたんで、「今日は友達とランチしてきた」って返したら「その友達にちょっとジェラシー」だって。そんなに私と一緒に飯が食いたいんかいw でも私の話、ちょーつまんないよ。テレビみながら飯を食った方が楽しよ、たぶん。

ちなみに今日の夜は「ぶらタモリ」を見ながら夕飯を食べた。タモリ達が仙台をうろついて、なぜに仙台は杜の都と呼ばれるのかについて語っていた。あれって比喩じゃなくて昔はほんとに森(木)が武家屋敷に生い茂っていたのね。ふーん。
っていうように、私のくだらん会話より、テレビのほうが数倍面白いわ。まぁレストランでスマホ見ながら、とかだとさすがに行儀悪すぎて無理だけどさあ。

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07月17日(金)

起床時刻:07時30分

石垣島産パイナップル(品種はハワイパイン)一個を買って半分くらい食べたら、舌や喉がイガイガして、喉の奥が腫れた感じになってしまった>< 
しかも食後1時間たっても治らないんだけど。

パイナップルに含まれる酵素に対するアレルギー?キウイでもたまにイガイガするんだよね。パイナップルとキウイ以外は大丈夫なんだけど。なんかすんごい消化酵素もってそうだよね、パイナップルとキウイって。
加熱すれば酵素は壊れるので、残りは砂糖をまぶしてコンポートっぽく煮た。とりあえず今日はもう食べません><

素直にスイカを買っときゃよかった~、スイカのほうが安いし、味だってスイカのほうがずっと好き。でも沖縄の生パイン丸ごと一個がスーパーで売っていることがめったにないので、物珍しさにひかれて買っちゃったんだよね。
だいたい珍しい食べ物を見るとつい買っちゃうんだな、私。
もっとも、世の中には珍しい食べ物には手を出さない、という堅実な人もいる。きっと、世の中には二種類の人間がいるんだな。
なんか性格も違うような気がするね。んなことないか。

夕飯はかに玉をご飯にのっけた天津丼、青梗菜と油揚げのお味噌汁、カボチャと豚ひき肉(カレー粉+ケチャップ味)にチーズをのっけたもの。そして喉がイガイガしたパイナップル。まだイガイガしてるんだけど。。。

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07月16日(木)

起床時刻:08時00分

「pyaaaちゃんは私の中ではかなり特別区に位置づけされている」と友達のメールにあった。これは「特別扱い」「VIP扱い」ってこと?
いやあ、嬉しいなぁ。
他の友達からのメールには、生きるのは誰にとっても結構つらいことみたいだけれど、私からのメールでクスッと笑ったり、ヘェと思ったり、怒りを宥めてもらったりすると、世の中捨てたもんじゃないと思える、ありがとう、といった内容のことが書いてあった。

人に認めてもらうって、なんであれ、すごく嬉しいね。
まぁそんな機会滅多にないけどさ。

もっと褒めよう!私のことを!
いや、調子乗るからダメか。そう、人の評価に振り回されてはダメ。
人の評価に一喜一憂してはダメ。
更に言うと「人から褒められたい」なんてのが行動の根幹にあっては絶対にダメ。「こんなこと言ってどう思われるか」「バカだと思われるんじゃないか」「嫌われるんじゃないか」と人の目を気にしててはダメ。
他人の視線を行動基準にしていると、ストレスを強く感じながらしかも結果として小さくまとまるだけ。
どうせバカで嫌われているんだよッ。
この開き直りが大事。この開き直り、中年だからこそ、かもしれない。
年齢のもたらす恩恵。時の流れは若い頃の、神経過敏なほど人の目を気にする傾向を治してくれる。

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07月15日(水)

起床時刻:08時00分

たまたまテレビつけたら「The説得」という番組をやっていた。私が見たのは、引きこもりの息子(16歳)が完全に母親を支配下に置いており、常に母親を恫喝している家庭。プロの”説得”業者が母親や息子を説得して公的機関(児童相談所)に預けるというドキュメント。

いやあ、子供がいなくてよかった…。
私は子供をまともに育てられなかったと思う。

まず、私は夫に対してもそうだが、厳しくNOと言うことができない。
また夫のように暴力あるいは恫喝で相手を黙らそうという悪しきローリングモデルが身近にいると、子供はすぐにそれをまねるわけで、子供は私に対しても暴力あるいは恫喝で自分の要求を通そうとするだろう。TVに出てきたこの家庭の息子のように。

母と息子が離れないと両方ダメになると判断した彼が、児童相談所や警察との連携し、息子を説得して児童相談所に入れ、独り立ちする一歩を踏み出させた。私には絶対に説得できないなぁ。押川氏は”悪役”を演じるそうで、「なめんとんのか、コラァ!」とか言っていたが、男じゃなきゃ無理だな、あの「説得」は。私が「なめとんのか」言うても迫力ゼロ、吉本の山田花子ちゃんがいうてるようなもんで、コントですわ。

それはともかく、家族というのは悪い意味での「甘え」が出る場所だ。
あの少年も、説得のプロに対しては完全に低姿勢で、母親に対する口調とは全然違っていた。

結局、家族内でこじれにこじれた場合、大事なことは第三者を交えること、プロに助けを求めること、そして家族間の距離をおくことだ。物理的に距離を置くことで冷静になれるし、身体的な危機も少なくなる。
問題を抱えた人に対しては資格のある第三者が正当な対価をもらって、面倒を見たほうがいいことが多い。認知症のお年寄りを殺すのは介護職員よりも圧倒的に家族だ。

あと今日のテレビでは途中から見たので最後の家庭しかわからないが、家が散らかっていた。散らかっている家はやはりトラブルが多いような気がする。家が散らかっているというのは主婦の「だらけ」や「甘え」が出ているような気がする。
「このくらい散らかしていてもいいだろう」「今日は片付けなくてもいいだろう」という甘えが家族に感染する可能性がある。仕事先や人の家ではありえないような甘えた言動をするのも、精神がだらけているからかもしれない。整理整頓は何よりも大事である。私みたいにだらけやすい人は特によくない。家でもある程度の緊張感を持って「明日でいいや」はやめよう。

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07月14日(火)

起床時刻:07時30分

夕飯は焼肉丼、キムチ、ズッキーニのナムル、枝豆、昨日の残りのカボチャとしし唐の南蛮漬け、デザートはソルダム(酸っぱかった)の蜂蜜あえ。
『俳句』6月号の「俳句の「窓」から」は、西村和子さんがマラソンの増田明美さんをゲストに迎えての対談。西村さんも増田さんもお互いに相手の出した本や業績などをしっかり踏まえての対談で、お互いをリスペクトしている感じがあってよかった。

西村和子先生曰く
「「人生ってなるようにしかならないんだよ」と言われると、マイナスのイメージがあるでしょう。でも。「必ず収まるところに収まりますよ」と言ってあげたほうがいいんだって、哲学者で僧侶でもある俳人の大峯あきらさんが言っていました。言葉のプラス思考ですね。俳句もよく似ていると思うんです。暗いほう、悪いことばかり見て詠んでいるといい句にはならない。人でもなんでもいいところを見てあげる。冬は寒くていやだなと思うより、雪が降って美しいと思うように、プラスのほうを見ていく。」

首を垂れて反省。
私なんかこう昼も夜もクソ暑くて(言葉が悪くてすみませんね)、寝苦しいったらありゃしない、寝ても寝たりない気持ちで朝起きるとき「熱帯夜ゾンビのごとく起きあがり」なんていう句が自然と浮かんでくるという、ナチュラルボーンネガティブなもんでね。朝鏡を見たら眉間の下、鼻の付け根に横皺が深く入っていて「熱帯夜一夜で三歳老けにけり」なんて句も思いつき、まぁよく洗ってしっかり保湿をして、なんとか薄くしたんだけどね。
やっぱり夜寝るときに皺が深まってる気がする。。。

ってプラスを見るんだった、プラスをw

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07月13日(月)

起床時刻:06時45分

昔聞いた歌の歌詞の一部が思い出せなくてすっごく気になる。
グーグル先生に聞いてみたけど、私の記憶と違うのだ。

子供の頃、国語の時間だったか、「昔の遊びの歌をお母さんやおばあさんに聞いてきましょう」っていう授業があって、母親に聞いたら、以下のような手毬歌を教えてくれた。

「一列談判破裂して
日露戦争始まった~
さっさと逃げるはロシアの兵、
死んでも尽すは日本の兵
五万の兵を引き連れて
六月七日の戦いに
ハルピンまでも攻めいって
クロパトキンの首を取り
東郷大将ば~んば~んざい、十字の旗もば~んば~んざい♪」

野蛮な歌詞だが、実際、子供らはこれでボールをついていたんだから仕方ない。歴史って、野蛮な事例の積み重ねである。都合よく記憶喪失になり美化するほうがよくない。
ちなみにwikiにも載っていたんだけど、私の記憶とは一部歌詞が違っていた。私の記憶は上述の通り。んで、更に記憶があやふやなんだけど、十一からの展開。

「十一イナゴのごまめ煎り
十二は日光の東照宮
十三三十三間堂
十四は信濃の善光寺
十五は御殿の八重桜
十六(記憶にない)
十七(記憶にない)
十八浜辺の白兎
十九は楠正成公
二十は二宮き~んじ~ろう、お~やこ~こ~、べ~んきょ~か♪」
なんだけど、これの十六と十七がなんだったか思い出せない。なんだったかな~??これがずっと気になっている。

あと思うんだけど、十一が「イナゴのごまめいり」って私の創作なのかな?他に比べてトーンが違いすぎるんだけど。十六は「十六、ろくろッ首が伸び~」だったような気もするんだけど、これも私の創作かいな。いくらなんでも、ねぇ。

二番でみるようにやはり愛国心喚起には国誉めは定石なんだが、セレクトが面白い。明治の国家神道においては頂点だった伊勢神宮が入っていないのに、日光の東照宮や信濃の善光寺がランクイン。興味深い。日本の象徴たる富士もない。当時における東照宮や善光寺のマインドシェアというか純粋想起率というかは、今私たちが思っているよりも高かったんじゃなかろうか。って、単に語呂の問題?でも「十一、伊~勢の大神宮」、「十二はニッポンイチの富士~」とかできそうよ。

もし私が十六と十七も自分でつくるとしたら、「十六、ロクロク考えず~」「十七(じゅうしち)、質草すぐ流れ~」だなw どんな手毬歌だw

全部自分でつくっちゃおうかな。

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07月12日

起床時刻:09時00分

今日は掃除をしっかりやった。
玄関のタタキは箒で掃いてから水拭き、外の郵便受け、チャイムも拭いて、夫の靴を全部磨いて消臭剤を吹きかけ、靴の中に入れている湿気とりの炭の袋をベランダで乾かした。
風呂場は特に汚れていないので、今日は排水溝と全体を洗って吹き上げるくらい。洗濯機は3回回して最後は糸くず受けのところをきれいに洗って干した。
ベッドの下も掃除して、シーツもタオルケットも枕カバーも洗ってすっきり。ベッドのマットは上下を反転させ、ファブリーズを吹きかけておいた。
あとはいつもの部屋とトイレの掃除をちゃちゃっと。
やっぱり家事をちゃんとやると気分がいい。

換気扇と窓掃除とカーテンの洗濯が今後課題であります。

朝はスクランブルエッグとハムとキャベツ、ニンジン、玉ねぎの炒め物(ホットサラダ風と言ってほしい)、デザートはスイカ。昼は私は食欲なくてスイカだけ。おやつにポテトチップスを食べたから、食欲ないってわけじゃないんだけどw ポテチが好きなんだw 
夜は豚バラ肉と茄子、ピーマンの甘味噌炒め、小松菜と油揚げの煮びたし、トマト。デザートはスイカ。どんだけスイカを食べているんだ。
私が老化や病気で死にかけのときもきっとスイカなら食べたいと思うはず。最後のセリフも「スイカ・・・食べたい・・・」かもしれない。ところで病院ではスイカを出してくれるんだろうか。心配である。

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07月11日

起床時刻:08時15分

今日のあるある。
”The whole problem with the world is that fools and fanatics are always so certain of themselves, but wiser people so full of doubts.”
- Charles Bukowski

ほんとにそう。
断言する人間は危険であると断言する!ってあれ?

人間というのは本来不安なのだ。どんな人であれ。
だから安心させてもらいたがっている。だから「私についてくれば大丈夫」「私は絶対間違えない」と断言してくれるヒーローをいつだって求めている。しかし、そういったヒーローについていった先は悲惨だったことを歴史は教えてくれている。なぜなら「私は100%正しい」人は、思った通りに現実が動かないと、100%自らを省みることがないから、現実のほうが間違っているか、誰かが(もちろん自分以外の誰か)邪魔をしている、陰謀がそこにある!スパイがいる!となるからだ。かくして恐怖政治のはじまり、はじまり。

今朝の食事は、焼き鮭、納豆、小松菜と油揚げの煮びたし、もずく酢、スイカ、ヨーグルト。塩分を控えるために納豆には何もかけなかった。煮びたしも味付け控えめ。頻尿改善になるといいが。

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07月10日(金)

起床時刻:08時00分

関西の良心、田辺聖子さんの『田辺聖子の人生あまから川柳』を読む。
岸本水府、川上三太郎などを中心にどぎつさのない、あたたかな作品を選ばれていて、そこに田辺さんの絶妙な関西弁、田辺さんだから大阪弁か、の解説が入る。

田辺さんの描く大阪っていいなぁ、田辺さんや田辺さんの小説に出てくる大阪弁っていいなぁといつも思う。

川柳に巧に取り入れられた大阪弁がなんともいい味を出している。
「西出口というたがなイヤ聞いてない」(岸本水府)も、大阪弁だからおかしいのであって、これが「西出口と言っただろイヤ聞いてない」じゃ喧嘩のように聞こえてしまう。
「よう云はんわなどと巡査同士なり」(長崎柳秀)という川柳が成り立つのも、巡査という「オイ、コラ」語の人間が「よう云はんわ」などと「軟弱」というか、商売人のごとき口をきいているのが可笑しいのだ。要するに、標準語の硬さに対して、関西弁の柔らかさがある。それが京都弁だと慇懃無礼に聞こえてくることもあるのだが、大阪の言葉はあたたかみがある。

「これほどの腹立ちを女『堪忍え』」(馬場緑天)はそのへんをうまく表している。
田辺さんは解説で
「こういう京都弁を出しているところが、緑天さんのなかなかもう、曲者の心にくいところです。これはね、大阪弁やったら「かんにんやで」とか言えるんですけど、「かんにんえ」は京都弁で……。京都弁は冷たく聞こえます。あんまり、ねんごろぶりで上手に言われるので、わからないけど、よく聞いてたら悪口じゃないかっていう……。
京都弁を出したところが女のくせ者のところですね。<略>かるく「かんにんえ」って言われたらどうする?肩すかしですね。でも腹立ちをかえって知っているからなんです」
「もう当然確信犯なわけです、女の人は。いろいろ言いわけしようと思ったら、京女はみんな口が達者やし、いろんな言葉が京都弁にあるから、いろいろ言えるけど、そういうのじゃなくて、「かんにんえ」って済ましてしまうんですよ。」
「この女はほんとうに言葉を、悪く言えばしたたかだけれども、よく知っているんですよ。男と女の言葉のやりとりで、何が生まれるか、何が死んでしまうかっていうのをね。それはもうわかったからっていって、もうイチ抜けたになろうと思って「かんにんえ」としちゃってね」

わかるわ。
「これほどの腹立ちを」というくらい頭に血が上っている男にイチイチ、順を追って、ロジカルに説明して、情状酌量を求めるなり、誤解を正そうとするより、「かんにんえ」で済ましちゃったほうが、いいことがある。学級会のように「話し合い」をしたほうが誠実だとは思うのだけれど、そういう真面目で真摯な女性が疎まれて「かんにんえ」女の方に男は靡いたりする。
この句は「『女』の句」という章に入っていたもの。

「男」の句としては、「ものすごいお金持ちのぼんで食通」であった食満南北さんの「鮎にあき郊外にあき雨にあき」という句が入っていて、この句の解説に田辺さんはこう書く。

「これはいかにも男の人の句だと思いますよ。女は飽きたという語を、こんなに重ねられない。でも飽きるというのを平気で三つ続けるっていかにも自由闊達な男の人の句やと思います。男はこんなセリフが平気で言えるねん、もうそれ飽いたわという言葉を。女の人はなかなか飽いたなんて……。<よう続けて出ること>とは思うけれども、言葉で飽いたなんて使えない。男の人の句やなと思いますよ。南北先生らしい。そして男らしい」

いやあ、本当にそう。「もう飽きた」なんてのを平気で言えるのは自由闊達な男か子供くらいだろう。よく子供がぐずって言うじゃないの、「おかあさん、もう飽きた」って。一方、お母さんはどんなに飽き飽きしていても、「もう飽きた」とは言わないのだ。なんでだろうな。「飽きた」という言葉が一刀両断すぎるというか、強すぎるというか、そんな言い方したらよくない、って思うんだろうなあ。

笑っちゃったのは「大日本天気晴朗無一文」(川上三太郎)。
国家単位でそないなったら困るけど。
「命まで賭けた女てこれかいな」(松江梅里)。
失礼しちゃう句だが、笑ってしまう。大阪弁がいい味だしているんだよなぁ。標準語だったらきつく感じてしまいそう。

最後にプロローグから引用。
「よって私は笑いをもたらす文芸を愛する。
殊にも五七五という最小単位の単語を並べ、以て人の頤の解かしめるという、川柳という文学を敬愛する。
川柳は人間の、弱みや、ひけめ、劣等感をも題材にするが、そのあしらいかたに、他の文芸とひと味ちがう味を盛る。

かかるときポンと出したい金がない 川村伊知呂

このご恩は忘れませんと寄りつかず 大田佳凡

この味わいは、おそらく川柳でしか表現できぬていのものであろう」

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07月09日(木)

起床時刻:07時00分

「1945年(昭和20)11月12日付『読売報知』(翌年5月1日から『読売新聞』)が、興味深い社説を載せた。
社説はまず、「民主化」のためには知能の発達が必要で、そのために重要なのは言葉と文字だという。ここまでは、まったくお説ごもっとも、である。ところがこの社説は、次のように続くのだ。
 
 現在日本の常用文字たる漢字がいかにわが国民の知能発達を阻害しているかには無数の例証がある。特に日本の軍国主義と反動主義とはこの知能阻害作用を巧みに利用した。八紘一宇などというわけの解(わか)らぬ文字と言葉で日本人の批判能力は完全に封殺されてしまった。」

「さて、この社説では、漢字廃止を主張するための具体的な論拠として「八紘一宇」ということばが引き合いに出されたわけだが、このことばに対して批判的だったのは、実は『読売報知』だけではない。当時の日記や回想録などを詠むと、「八紘一宇」批判にしばしば行き当たるのである。
 たとえばフランス文学者の渡辺一夫は、この年の三月一六日、大空襲の余燼くすぶる東京の星空の下、日記中に「新紋切型辞典」という見出しを立てて、「八紘一宇=己(おれ)の言うことをきかぬと殺すぞ焼くぞ」と記している。」

また、山田風太郎の七月二八日の彼の日記には、「「八紘一宇、何ぞ他民族に対して不可解の理想なるや。日本人たる余にもよく分からず」とある。」

上記は『昭和を騒がせた漢字たち』のプロローグからの引用。『昭和を騒がせた漢字たち』の本筋については前日の記事を見ていただくとして(こちらの本は左でも右でもなくバランスのよい記述となっている)、ここでは「左」である私が、本書の意図とは別に単に社説だけを引用させてもらった。

2015年4月5日の東洋経済オンラインでは三原じゅん子議員の「だから私は「八紘一宇」という言葉を使った 予算委員会での発言の意図を本人が説明」という文章が読める。以下引用。
**************
「そもそも「八紘一宇」の本来の意味は何なのでしょうか。この語源は、神武天皇が即位された際に作られたとされる「橿原建都の詔(みことのり)」に遡ります。
「八紘(あめのした)を掩(おお)いて宇(いえ)と為(せ)むこと、亦可(またよ)からずや」
つまりは「世界のすみずみまでも、ひとつの家族のように仲良く暮らしていける国にしていこうではないか」という建国の理念です。この詔を編入した日本書紀が完成したのは720年で、実に1300年以上も前に、国民を「おおみたから」と呼んで慈しみ、自分より他人を思いやる利他の精神、絆を大切にするこころや家族主義のルーツが記されていたのです」
「だからこそ私はこの言葉に本来の意味を吹き込み、古来より日本が持っていた「和」の美徳をもういちど蘇らせたい。今年12月にはBEPSプロジェクトの取り組みについてとりまとめが行われるとことなので、この日本の建国の思いを是非とも世界に伝えるべきではないかと安倍晋三首相に申し上げたのです。
「八紘一宇」をどうとらえるか。それは「日本人は永遠に言葉にとらわれつづけるべきだ」と考えるか、あるいは「戦争を乗り越えて、新しい未来を作る」と考えるかによって分かれるといえるでしょう。予算委員会で問題にならなかった私の「八紘一宇」発言は、一部のメディアにより曲解されて報道されましたが、これもいいチャンスだと思います。
戦後70年を迎えた今だからこそ、もういちど歴史を見直し、改めて日本の将来を考えるべき時かもしれません。」

**************
引用終わり。
それにしても「麻生太郎財務相が「この言葉を知っている人、手を挙げて」と呼びかけても、2名ほどしか手を挙げませんでした。「八紘一宇」はすでに忘れられた言葉なのです。」ってとこにもドン引きした。え?2名しか知らなかったの?!うそでしょ!!国会議員が?!

いやあ、ほんと、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」。
終戦直後の当時は読売までもが「八紘一宇などというわけの解(わか)らぬ文字と言葉で日本人の批判能力は完全に封殺されてしまった。」と書き、(そのちょっと前の終戦間際だが)軍国学生だった山田も「日本人たる余にもよく分からず」と書いていたのだ。

それがなんかこんなことになって・・・。歴史は既に忘れられて(八紘一宇を知っている国会議員が2人)、更に悪いことには、完全に塗り替えられつつある、カラスを白くペンキで塗るように。

これもまた時代の流れなのだろうか。

当時の人が感じた思いを、死者に口なしとばかりに、勝手に書き換えていっていいものだろうか。

どっちにしろ、私は八紘一宇という家族主義は嫌いだ。当時の八紘一宇は拒否権なしだしね。「一つの家族になりましょう、さもなくば殺すぞ」なんだから。そうでなくとも、家族になるったって、家長の座は意地でも譲らないわけで。実力主義で、じゃあ中国が家長にってなるわけがない。嫁の立場だかなんだか知らないがこき使い、自分は家長として敬まわれたいだけなんでしょ、はいはいってやつだよ。

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07月08日(水)

起床時刻:08時15分

『昭和を騒がせた漢字たち 当用漢字の事件簿』(円満字二郎 吉川弘文館 (2007/09))一読讃嘆措く能わず。
個々の事件=話題の選び方の秀逸さ、興味深さだけではなく、その背景にある時代精神の変化にまで捉えている。また時代精神の変化にも関わらず、漢字の持つ唯一無二性、というか漢字はただの記号であるから、人々がイメージとして抱く漢字の持つ唯一無二性も明らかにしていく。

「当用漢字という思想も軍国主義を敵視するという点で、自由を求めるものではあった。しかしそれは、すべての国民に知識獲得の機会を平等に保証しようというものであったがゆえに、「一時の窮屈」を強制するものでもあった。つまり、自由を枠にはめるという矛盾を、当用漢字は内部に抱えていたのである。」

「情報の受け手-受容者を中心に考えた場合、漢字の数は少なく、学習が容易であるにこしたことはない。一方、情報の送り手―表現者の立場から考えると、漢字が制限されるということは、自己の表現が制限されることにつながる。」

「ぼくたちは今、表現者としての自由を満喫できる時代に生きている。それはとても幸せなことだ。でもこの時代に生きる上で忘れてはならないのは、ぼくたち全員が、表現者であると同時に受容者でもある、ということではないだろうか。
自由と平等とは、あるレベルでは確かに対立する。しかし、だからといってどちらかを捨て去ってよいものではない。表現者であると同時に受容者でもあるということは、時には自由を求め、また時には平等を大切にしなければならない、ということなのだ」

著者はおそらくこのバランス感覚の優れた人なのであろう。私など極論にいきがちなので反省。

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07月07日(火)

起床時刻:07時15分

揉めに揉めていた新国立競技場改築。2520億円で決定したそうだ。これはロンドンや中国など「過去の五輪スタジアムに比べ約5~8倍の費用」なのだそうな。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150707/k10010142211000.html

「ロンドン市役所や中国政府の資料によりますと、最近のオリンピックのメインスタジアムの建設費は、いずれも大会開催当時の為替レートの換算で、前回2012年のロンドン大会がおよそ530億円、2008年の北京大会はおよそ500億円となっています。
また、2004年のアテネ大会は改修費としておよそ360億円、2000年のシドニー大会はおよそ460億円、1996年のアトランタ大会はおよそ300億円となっています。
これらと比べると、新国立競技場の2520億円はおよそ5倍から8倍に上り、極めて高額であることが分かります。」

***************
まったく、私は、「オリンピックは既に開催したことのある日本ではなく、イスラム圏初の開催となるんだからトルコで開催したらいい」って最初から言ってたんだよ、ここにだってそう書いてたでしょうに。
なんか大きなお祭り騒ぎをやって、不景気な日本を元気にしたい!ってことなんだろうけど、たかが知れてる。日本はギリシャ以上に借金だらけの赤字国家のくせに、あんな大見得切って立派な国立競技場の建設して、馬鹿じゃなかろうか。金持ち中国よりずっと高額の施設を建てて、建設費もさることながら、維持費はどうするんだ?

古川柳に「借金をいさぎよくする祭前」(「柳多留」)というのがあるけれど、人の金=税金でこんなことやられちゃ、笑うに笑えない。
JSC=日本スポーツ振興センターが開いた有識者会議で決まったそうだけれど、「有識者」の中に普通の主婦の一人でもいればねえ、男どもが「世界をあっと言わせてやろうぜ」などと夢を語って盛り上がっているときに「どこにそんなお金がありますか」と冷や水を浴びせる人が必要なのだ。

「男ばかり集まり話でかくなる」(pyaaa)

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07月06日(月)

起床時刻:07時15分

『荷風と東京―『断腸亭日乗』私註』(下)(川本三郎)

「戦前の昭和というと一般的に軍国主義化の「暗い昭和」といわれることが多いが、昭和十年ころまでは必ずしもそうではない。<略>
「断腸亭日乗」を読んでも昭和十一年までは、「暗い昭和」という印象は受けない。まだ物資は豊かだし、軍部の市民生活への圧力も感じられない。それが一変するのは、昭和十二年七月七日の盧溝橋事件によって日中戦争が始まってから。日乗には次第に、暗い世相が反映されてゆく。」
「昭和十三年、八月八日、軍が士官相手の遊び所を作るために女を集めていると水天宮裏の私娼家のおかみから聞いた荷風はこう書く。
 「世の中は不思議なり。軍人政府はやがて内地全国の舞踏場を閉鎖すべしと言ひながら戦地には盛に娼婦を送り出さんとす軍人輩の為すことほど勝手次第なるはなし」
  昭和十六年七月二十五日、「此夜或る人のはなしをきくに日本軍は既に仏領印度と蘭領印度の二個所に侵入せり。この度の動員は蓋しこれが為なりと。此の風説果たして事実なりとすれば日軍の為すところは欧州の戦乱に乗じたる火事場泥棒に異らず。人の弱みにつけ込んで私欲を逞しくするものにして仁愛の心全く無きものなり。斯くの如き無慈悲の行動は軈て(やがて)日本国内の各個人の性行に影響を及すこと尠(すくな)からざるべし。暗に強盗をよしと教るが如く(原文ママ)ものなればなり」

「断腸亭日乗」が公刊されるのは戦後になってからだから、人は荷風が当時何を考えていたか正確には知るよしもないが、大仏次郎は興味深いことに、『敗戦日記』のなかで、当時の荷風の、我、時局に関せずという高踏的態度に触れている。
  昭和十九年十月二十八日、「好色大鑑やひとり寝など読むと荷風の因って来たった脉(みゃく)が明瞭である。そのことはいよいよ荷風の文学が日陰の芸術だと云う感じを証明するだけである。その荷風が当代(戦時下)の無二の人気を読書家に持っていると云う事実は政治が人を日陰に追込めている現状を一番強く示しているのだ」」

「当時の市民レベルの厭戦気分のなかでは、戦意高揚文学よりも荷風の「日陰の芸術」のほうがよく読まれた。」

なんと軍部が荷風の本を買い上げたということもあった。荷風の花柳小説「腕くらべ」を軍部が出征兵士のために買い上げたという著述が日乗にある。歌舞伎界芝居と花柳界の影響を禁止しながら、半年もたたないのに花柳小説を買うとは「何等の滑稽ぞや」と荷風は書く。
この記述の十数日前、昭和十九年九月七日に荷風は「日米戦争は畢竟軍人の腹を肥すに過ぎず。その敗北に帰するや自業自得と謂ふ可しと。これも世の噂なり」と「強烈な軍部批判を書き付けている。」

 「昭和十八年十二月三十一日「今秋国民兵召集以来軍人専制政治の害毒いよいよ社会の各方面に波及するに至れり。<略>今は勝敗を問はず唯一日も早く戦争の終了をまつのみなり。然れども余窃に思ふに戦争終局を告ぐるに至る時は政治は今より猶甚しく横暴残忍となるべし。今日の軍人政府の為すところは秦の始皇の政治に似たり。国内の文学芸術の撲滅をなしたる後は必づ劇場閉鎖を断行し債権を焼き私有財産の取上げをなさでは止まざるべし。斯くして日本の国家は滅亡するなるべし」
終戦より二年近く前に荷風は暗い思いで大日本帝国の滅亡を予見していたことになる。」

************
いっとくが永井荷風は「戦後の日教組の自虐史観によって毒された」わけではないぞw 愛国者さまたちなら言いかねんからなw母方の祖父は江戸の儒学者、父親は高級官僚という、明治エスタブリッシュメントのお坊ちゃまが意を決して戦時中に書いとるんやw まぁ21世紀の愛国者にかかれば「永井荷風は在日」で話は終わるんだろうけどなw
護憲派の発言をする天皇までも「在日認定」するネトウヨが出てきているそうだがら〔本当かどうか知らないが、リテラというサイトに「天皇家と安倍政権が対立!? 護憲姿勢強める天皇・皇后を首相の側近が批判!」(2014.11.05)という記事にそう書いてあった)、呆れ果てる。

日軍を批判すれば在日、護憲発言をすれば在日、じゃあ、日本人ってどんな人?
ネトウヨが確実に認める「日本人」は、集団的自衛権に基づいて戦争ができる国にしようと頑張っている安倍首相(しかもほとんどの憲法学者が違憲であるとしているのに、無視してゴリ押ししようとする傲慢さ)、数々の問題発言の百田氏(「沖縄の二つの新聞は潰さなあかん」という無神経さ)、数々の問題発言の竹田恒泰氏(原爆の被爆者である語り部に「被爆者を自称して一時間一万円で生徒に被爆体験を語るふりをし、実際は反日思想を植え付ける話をしていた模様。平和教育はもうやめたほうがよい」)にアパルトヘイト曽野綾子氏にあと誰?

竹田氏はツイートで「もし僕が歴史教科書の巻頭言を書くなら「我が国は、建国から2671年の歴史を持つ、現存する国家の中で世界最古の国家である。しかも、民間人が戦争の攻撃対象になったことはなく、悠久の平和のなかで比類なき文化を築いてきた。君たちには、夢と志を持つ日本の歴史を学んでもらおう」と書いている。

いや、ほんと、永井荷風も頭抱えるでw
歴史から何も学んでない。
彼らにとっての現実は戦前と同じく、妄想にまみれている。

愛国者さまの言う日本人はヴォゴン人みたいだ。

ヴォゴン人てのは、『銀河ヒッチハイクガイド』シリーズに出てくる宇宙人で、超空間(ハイパースペース)バイパスを建設するために地球をあっさり破壊した人たちである。
以下『宇宙の果てのレストラン』より。
「実際の話、平均的なヴォゴン人はたぶん、ろくにどころか一生に一度もものを考えたりしないだろう。ヴォゴン人は単細胞で、頑固一徹で、頭の回転速度はナメクジなみという生き物であり、考えることにはまったく向いていない。<略>というわけで、最大限に公平な言い方をするなら、ヴォゴン人は自分がなにを好きなのかわきまえており、かれらの好きなことはおおむね他人を傷つけることに関係があり、また可能ならばおおいに立腹することにも関係がある、ということになる」

うむ、予想以上にヴォゴン人だったようだ。

*****
『宇宙の果てのレストラン』を読み終えた。
クスクス笑いっぱなし。
ちなみに、宇宙の果てのレストランはミリウェイズっていうんだけど、
「<ミリウェイズ>のランチメニューには、『銀河ヒッチハイクガイド』の許可を得てその一節が引用されている。

 主要な銀河文明の歴史には例外なく、それぞれに明確に異なる三つの段階が認められるようである。すなわち、生存、疑問、洗練の三段階であるが、これはまた、いかに、なぜ、どこの段階とも呼ばれている。
 たとえば、第一段階に特徴的な問いは「いかにして食うか」であり、第二段階の問いは「なぜ食うのか」であり、第三段階の問いは「どこでランチをとろうか」である。」
だってw

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07月05日

起床時刻:08時00分

「都市化は雨の降り方にも影響を与えていることが最近の研究でわかってきました。都市化に伴い、地表面から緑地を減らして人工物やアスファルトなどで覆うことで、地表面付近を乾燥させます。
気象庁の「ヒートアイランド監視報告」では、1931年以降の各都市の相対湿度の長期変化傾向を解析しています。都市化の影響が比較的少ないとみられる13地点(<略>)の平均で、年平均の相対湿度が100年あたりに換算して6.7%減少していました。これに対し、東京は17.7%など、都市化率の高い都市で大きく減少しています。」

「東京では1930年代には70%台前半だった年平均の相対湿度が2000年代に60%程度になりました。
季節別では、湿度の減少率が大きいのは秋や冬です。一方、減少率が小さいのは夏、特に梅雨時期です。これは梅雨時期では曇りや雨の日が多く、都市化の影響が現れにくいためと考えられます。それでも、東京では、夏季の相対湿度は100年あたり13.4%減っています(冬季は22.7%の減少)。」
(『異常気象と地球温暖化――未来に何が待っているか』 (岩波新書) 新書 2015/3/21 鬼頭 昭雄)より。

そうか、私の肌が乾燥するのは都市化のせいだったのか!
いやまぁ、老化だってことはわかっているんだけれど。今後、
①都市化による空気の更なる乾燥
②高齢化に伴う乾燥肌の増加
が予想されることから、日本の化粧品市場においては今以上に「保湿」や「潤い」といったニーズが強まるだろう。実際、肌ラボの「極潤」もこのコンセプトに合致して売れたという実績がある。
また使用感に関しても今後は「さっぱり」系よりも、リッチな感触が求められるようになるかもしれない。特に若い世代において従来の同世代と比べると、保湿が重視される可能性がある。若い世代で「自分が乾燥肌である」という認識の人は、例えば30年前に比べて高まっている可能性がある。

以上、私のビジネス予測!気候予測や人口予測などの客観的データに基づいた長期的ビジネス視点は、数々の企業様の事業計画立案やマーケティング施策にお役立ていただいております!今なら特別、毎月10円でメルマガを購読いただけます!

10円でも高いか。はーあ、与太話で食っていけたらいいんだけど。

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07月04日

起床時刻:08時00分

今日は昨日の記事に反するような、しとしととした長雨。
ああ、日本の梅雨だなぁ、という風情の、紫陽花が雨に打たれてイキイキとしている、という風情の、ロック感ゼロの、雨。

ものすごく簡単な牛蒡料理を発明した!と思ったけど、もうとっくに何百人もの人が同じことやってるんだろうなあ。牛蒡を食べる人口が50人くらいならともかく、何千万人もの人が牛蒡を日々料理してんだから、天の下に新しき料理など何もないのだ。COOKPADを見よ、アホみたいに同じ料理を色んな人が投稿しているではないか。

というわけで、私も、”発明”などと大げさな言葉を使ってはいけないし、よく考えたら料理自体は「叩き牛蒡」だから、新しくもなんともなかった。白だしを使って簡単に調理できるようにしたってだけだった。しょぼーん。
で、「叩き牛蒡」を簡単につくる方法。麺棒で牛蒡を叩いて割れ目をいれ、適当な大きさに切り、好みの固さまで茹でてザルにあげ、ジップロックに入れた白だし(希釈せず)+酢+鷹の爪の漬け汁に入れる、以上。
普通の叩き牛蒡をつくるときの、だしをつくる手間、味付けの調味料配合の手間を省いただけなんだけど。鷹の爪1本(丸のまま、ポイッとな)をいれるとおいしい。

牛蒡は食物繊維が多いから、便秘体質の私としては積極的にとりたいんだけど、まず牛蒡のささがきが、しちめんどくさい。鶏肉と牛蒡の炊き込みご飯とか大好きなんだけど、ささがきがめんどくさい。きんぴらごぼうもごぼうのサラダも切るのがめんどくさい。そこいくと、叩き牛蒡は麺棒でガシガシ叩いて、適当にぶつ切りにして終わり!超時間短縮。茹でるから、アク抜きもいらない(どうせ茹でてるあいだにアクは抜けるだろう、知らんけど)。

他には牛蒡をぶつ切りにして(アク抜き不要)素揚げにするのも簡単で美味しい。味付けは揚げたてに塩を振るだけ。こっちのほうが好きなんだけど、揚げ物は後始末がめんどくさい。部屋も油臭くなるし。

てなわけで、今朝は残り物色々朝ごはん。残り物のゴーヤーチャンプルー、残り物の麩チャンプルー(豚バラとキャベツと玉ねぎ入り)、叩き牛蒡、しそご飯(しそは実家から。刻んで瓶詰にされている)、ヨーグルト、カフェオレ。旦那はもちろん、これらの料理はどれも食べない。だから残り物がたまるのよね。

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07月03日(金)

起床時刻:07時15分

今日は土砂降り。
温暖化に伴い大気中の水蒸気量が増えることから、今後日本は「強い雨の発生頻度が相対的に増加する」とみられている。総降水量では減少している地域でも強雨による降水は増加している。また無降水日数は増えている。「このことは、短い期間により強い雨が降るようになることを意味しています」(『異常気象と地球温暖化――未来に何が待っているか』 (岩波新書) 新書 2015/3/21 鬼頭 昭雄 (著) )より。

日本の雨を表す言葉には、「菜種梅雨」だの「卯の花腐し」だのといった風情のある言葉があるが、これからは「菜種梅雨」ならぬ「菜種スコール」、「卯の花腐し」ならぬ「卯の花破壊」のような集中的な強い雨が降るようになるということだ。「春雨じゃ、濡れてまいろう」なんてカッコつけたら濡れ鼠になっちゃうw

まぁ暑くなって失われるものが風情くらいなら別にいいが、生活に実際の支障が出てくると困るわけで。

ところで今日は会社の昼休みに『宇宙の果てのレストラン』(ダグラス・アダムス)を読んでいたんだけど、クスクス笑いっぱなし。個人的にはシリーズ一作目の『ヒッチハイクガイド』より笑えるかんじ。

”ジュージャンタ200超着色危機感知サングラス”は「これをかけていると、危機に直面しても落ち着いて対処できるというすぐれものである。トラブルの起きそうな気配を察知すると、たちまち真っ黒になって何も見えなくなり、おかげで不安のもとを見なくてすむというわけだ」だってw
バッカじゃないのwと笑ってるけど、よく考えりゃ、わたしの危機対処法もまるっきり同じだわwとりあえず、問題が起きたらおもむろに蓋をするタイプだからなw 「よし問題解決」ってそれ問題を発酵させてるだけだからねっ。

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07月02日(木)

起床時刻:07時15分

今日は雑節の1つで、半夏生。
wikiによると「農家にとっては大事な節目の日で、この日までに「畑仕事を終える」「水稲の田植えを終える」目安で、この日から5日間は休みとする地方もある」そうな。
また「近畿地方の一部地域では蛸を食べる習慣があり、現在では近畿地方各地の小売店が盛んに販売促進活動を展開している」ともあり、確かにスーパーでは蛸(モーリタニア産)のそばに「半夏生」のPOPが立っており、そこに蛸を食べる由来(八本足の蛸のように稲の根がしっかりと張ることを願って食べる)も説明してあった。

「田植えせず蛸だけ食べる半夏生」
川柳を一つ。
商業ベースの新たな「伝統」の創出(「蛸を食べる」なんてのは、近畿の、それもお百姓以外には馴染みの薄かった風習だったろう)。第一次産業従事者が1割以下の国でしらじらしい。蛸を食べるより大事なのは農家に米をつくってもらっていることに感謝すること、そして第一次産業をもっと大事にすることだろう。

まぁ、結局蛸は食べなかったんだけど。

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07月01日(水)

起床時刻:07時30分

今日の一句。
「外よりも暑き家なり豆腐切る」

なんか食い物の句ばっかり。
最初は「外よりも暑き家なり西瓜(すいか)切る」としたんだけど、これじゃ「暑」と「スイカ」が季重なり。
なら豆腐にしようってんで、豆腐にしたんだけど、豆腐にはさすがに季語はないだろうなぁ?思わぬ名詞が季語だったりするから、くわばらくわばら。

西瓜も豆腐もよく食べているんだけど。

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