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起床時刻推移グラフ

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09月30日(水)

起床時刻:07時00分

図書館に行って本を返してきた。
借りた本の中で面白かったのが『世界遺産にされて富士山は泣いている (PHP新書)』(野口健 2014/6/14)。

私は、「なんでもかんでも世界遺産にして観光の目玉にしよう」という昨今の日本の姿勢に違和感を覚える(から、本書を手にとったわけだが)。
本書を読めば明らかだが、そもそも世界遺産に登録するとは「遺産として守り、次世代に今の状態で引き継ぐ」ことなので、往々にして観光開発とは対立することがある。なのに「世界遺産登録=観光収入アップ」という目線でばかり語られることに私はイラつくんだな。

石原都政は環境問題では成果を残したわけだけれど、石原都知事のとき世界遺産登録された小笠原諸島の環境保護対策は日本としては上出来の部類で、野口さんもそれに一枚噛んでレンジャー制度などを具申し、トップダウンで決定したらしい。野口さんによると、石原さんの強いリーダーシップがなければ到底不可能だったと元都知事を賞賛している。

環境保護と観光開発の利害が対立するときに、地元の有力者が多い開発業者にNOを突きつけるには強いリーダーシップが必要、と野口さんは繰り返し訴えている。たしかに有権者のご機嫌とりで開発をすすめたほうが、楽だし、ありがたがられる。富士山についても環境保護と観光開発の利害が対立している。環境を守るために入山規制が必要なら、するべきだと私は思う。しかしそれは観光収入の大幅減をもたらす。

また私は本書を読んで色々なことをはじめて知ったが、日本の国立公園の国有地はほとんどなくて(森林だのそういうのを除くと0.3%だったっけ?手元にないんでうろ覚え)、環境庁の一存で方針を決めることができない。細かい地権者がいっぱいいて利害調整にものすごく時間がかかる。そうでなくとも富士山は静岡側と山梨側にまたがり、山開きの日さえ違う。

本書で開陳された野口さんのアイデアも素晴らしいと思う。ま、わたしは、そもそも富士山に対して興味がない日本人なんだがw

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09月29日(火)

起床時刻:07時00分

「もってのほか」という山形の食用菊が大好き。
あのシャクシャクとした歯触り、ほのかな甘みと酸味、そして香り。
この日も見かけたのでさっそく購入。

紫いろの花びらをガクからむしりながら、「こんなにきれいな花なんだもの、相当量の農薬を使ってんだろうナー」と思っていたら、なななんと小さい芋虫(毛虫?)が入っていた。ガクとそっくりの緑色と大きさで丸まっていたので、最初はガクかと思ったくらい。「うおおおお!!!」とびっくりしたが、生きている芋虫が迷い込んでいるなら、それほど強い農薬も使っていないだろう、と妙な安心をして、ティッシュでつかまえて外にポイっと放した。

もちろん、もって菊はお酢を少々いれたお湯でさっと茹でて、お浸しにして美味しくいただきました♪ お弁当の彩りにもいいんだよね。

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09月27日

起床時刻:08時00分

09月26日

起床時刻:09時30分

マッサージに行ってきた。
いつものY氏(若くてさわやかなイケメン君)が担当。
Y氏の技術は正直イマイチなので、私としてはオッサンでも不細工でも上手な人のほうがいいんだけど、気が弱い性格のためそんなこと到底いえません^^;。

私は足首にも力が入っているそうで(へ!?)、全身、肩をはじめとしてあちこちガチガチに無駄に力が入っているために、凝りやすいようである。

運動神経が悪いのと関係しているんではないか?とY氏に言ったら「あるかもしれませんね!それ」と言う。テニスでも水泳でもうまい人は不思議と脱力しているというか、肩がガチガチになったりしない。むしろ下手な人のほうが力が入る。
運動神経の悪い奴は要するに不器用でもあるので、何をするにもガチガチに力が入って(たとえば包丁で芋の皮をむくような時も)、たいした成果は出さないくせにすごく疲労する。

それに加えて私は緊張しいなので、何もしなくても何かをすると思っただけで、緊張して呼吸が浅くなって疲れるのだ。
「深呼吸したほうがいいですよ。あと運動をしてください」って言われたけど(毎回「運動不足です!」って言われるんだよねえ)、運動しなきゃなあ、本当に。

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09月25日(金)

起床時刻:07時30分

会社に行ったらAM4:30にシャチョーさんからメールが入っていた(涙。社長が過労死したらどこに訴えたらいいのか。
前日私が終わらなかった仕事をシャチョーさんに押し付けて帰ったんで(←おい、「すみませんでした」って謝ったら「いやいや、pyaaaさんの仕事で残っていたんじゃないから。あれはたいして時間かからなかったよ」との優しいお言葉(ていうか、たいした時間をかけて終わらなかった私っていったい。。。)

『21世紀の脳科学』(マシュー・リーバーマン)という本によると、論理的思考や認知機能を働かせるときと、社会的な思考(人の気持ちを思いやる的な)を働かせるときは、脳の違う部分を使っているらしい。んで、シーソーのように活性化するんで(片っぽが働いているときは片っぽは休みがち)、一般的な認知機能が優れているからといって、コミュニケーション能力が優れているとは限らなくて、むしろ両立しにくい知性なんだとか。

うちの会社のシャチョーや菩薩君のように両方優れている人もいるが(それでも私の観察したところ、シャチョーは一般知能系、菩薩君は社会的思考系がより優れていると思う)、そうでない場合、私は社会的思考系を優先して採用した方がいいように思う。

仕事の性質にもよるけれど、すごく仕事はできるが嫌な奴と、仕事はまぁまぁだが性格のいい奴の二人がいたら、後者を採用した方がいいように思うんだよね。結局、チームワークを必要とする仕事の場合、嫌な奴が一人いると全員のやる気がそがれ、会社の雰囲気が悪くなり生産性が著しく低下する。優秀な人材による生産性の向上より全体の雰囲気を損なうその損害のほうがでかいと思うんだな。人間関係でごちゃごちゃ悩んでいると実際に生産性が低下するらしいし(本書によると社会的苦痛を感じているとIQテストの平均値が下がるそうな)。

ま、わたしみたいにどっちもイマイチな人もいるけどねッ。頭はどーにもならんから性格をいい人にするよう頑張らねば。

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09月23日(水)

起床時刻:不明

団イベ(@ぐらぶる)の予選は通過した。
最初は余裕モードだったのが、最後の方、かなりやばくなって結構ギリギリの通過。それにしても、夜のアサルトタイムという追い込み時間の通信エラー、緊急メンテとか、運営がひどすぎる。

東京ゲームショーで「ファータグランデ第一楽団」とやらによる生オケ演奏をやっていた様子を動画でちらっとみたけど、そんなことやってる暇があるならサーバー増強しろよって話。

もっともピーク時にあわせてサーバー増強するのはロスが多すぎるのでやる気しないのはわかる。だからね、もうアサルトタイムをやめろって話よ。アサルトタイム一斉突撃するからサーバー負荷がかかるわけで、FF11の2アビみたいな感じで、個々人バラバラに2時間に一回くらいボーナスタイムが15分くらい使える、みたいな設定にしたほうがよくない?

ほんと学ばない。けどそんなゲームに必死になって、イライラしながら、朝から晩まで張り付いているんだわ。
言っとくけど、私はなんの興味もないんだけど。。。

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09月22日(火)

起床時刻:09時30分

09月21日(月)

起床時刻:09時30分

この日の記憶はちゃんとある。昨日だから(これを書いているのは9/22)。

一日中、必死に「南朱の戦い ~四象降臨~」をやっていた。開催期間が9/21の17:00までだからそれまでで、そのあとは積みゲーだった「逆転裁判」をやった。夜中の2時くらいまでw

まず四象の輝き1万でフローレンベルクを交換。これは団イベの貢献度アップの効果が(レベル100にすると)あるらしい。はよ教えてw

そのあと最初から3突している刀を四象の輝き3万で交換。死ぬ気で稼いだ。そもそも水パが最弱なので(SSRがアルタイル一人)、エクストリーム(なんとかソロできる)を倒すのに15分くらいかかるのだ。召喚はマキュラ1突だから攻撃50%アップだし。。。

サブチケでシルヴァを交換し投入したが(ぶっとぶ強さ)、それでも最終結論:闇パに限る(私の場合は)w。バハとヒューマンSSRがそろっていることが勝因。

刀を交換したあと朱雀符を交換するために(これがないと4突できない)、残り数時間で15000稼ぐことに。
エクストリームソロで獲得できる四象の輝きは360だから42回やればいいんだが(ひー)、一回倒すのに15分かかるから時間が足りない。一方、人の出したHELLのマルチにのると同じ15分でも1000くらいは稼げる。そんなわけで、ひたすら他人のマルチ(BP5使うとき)に闇スパスタでのって貢献度稼ぎ。ソウルパウダー使いまくり。
そうして運命の17時。17時前にのったマルチの戦力が低くてなかなか倒せない。倒している途中で時間が17時を過ぎてしまった。この貢献度入るんだろうか、と思いながら17時すぎに倒したら、ばっちり貢献度1500が入ってギリギリセーフで交換できた(総貢献度15400くらいだったから、このマルチの貢献度が1000だったらダメだった)。奇跡は起こった・・・!!
うおおおお!!!

しかしよく考えたらものすごくどうでもいい奇跡のような。。。しかも必死になって脇汗ちょーかいて。部屋の温度が2度くらい上がってたんちゃうか。我ながらひくわ。

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09月20日

起床時刻:09時30分

この日は何をしていたのか(書いているのは9/22)。

図書館に本を返してきた。

夕飯はハンバーグ。付け合わせはアスパラガスとズッキーニのマヨ炒め、マッシュポテト、にんじんと牛蒡のコンソメ煮。

風呂掃除をしっかりやった。

洗濯もの色々。

何やってたんだっけ?!
夜は焦って「南朱の戦い ~四象降臨~」をやったような。

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09月19日

起床時刻:08時30分

疲れが溜まっていたみたい、お昼(焼きうどん)を食べた後寝ちゃった(これを書いているのは9/22)。
久しぶりにすっきりさわやかな秋晴れ。洗濯ものが気持ちよく乾く。

恐ろしいぐらいに一日中寝ていた。旦那からは「南朱の戦い ~四象降臨~」をやっとけとしつこく言われたけど、果物アレルギーの喉の痛みも続くし、目の奥もズキズキ痛く、偏頭痛もあったから、そんな気分になれずひたすら寝た。

昼間寝たから夜寝れないかと思いきや、夜も寝てずーっと起きなかった。
起きたらだいぶ具合がよくなっていた。
寝るのに勝る薬なし。

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09月18日(金)

起床時刻:07時30分

残業(9/22に書いている)。来週の木曜が締め切りなんだけど、月~水って休みじゃんw
夕飯は今日が消費期限の牛肉で焼肉丼。キャベツとピーマンの炒めを添えて。あとはなめこと豆腐の味噌汁。
喉の不調は続いている。

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09月17日(木)

起床時刻:07時35分

父手作りのいちじくのコンポートで果物アレルギー発症。。。
夕飯にヨーグルトと一緒に2個ほど食べてしばらくしたら、喉がイガイガして痛く、喉の奥が腫れたようになってしまった。

本日(9/17)の日経の「文化」欄は「お静かに「虫の声」録音中」(村井貴史氏)。同氏はこのほど『バッタ・コオロギ・キリギリス鳴き声図鑑』(北海道大学出版会)を出版したのだそうな。「日本の虫の音を183本、2時間を超える音源をCD2枚に収録。解説と写真をそえて書籍の形にまとめた」そうで。買おうかと思ったが、4986円なんだよなぁ。どうしよう。もっとも、この記事を読むとこの労力をかけてこの値段なら安いのだけれど。虫の声の採取だから夜間行動が基本だし、珍しい虫の声を録音するには危険な場所にも行かなければいけなかったろうし、本当に大変なご苦労があったと思う。

私は虫は気色悪いから大っ嫌いなんだが、虫の声を聴くのは割と好きな方だ。アオマツムシみたいにあそこまでうるさいとハタ迷惑だが。
アオマツムシといえば、筆者は時代劇でアオマツムシの声を聴くとあれは明治の頃の帰化昆虫だから、江戸時代にはいなかったはずだと思うそうだが、それをいっちゃあ、既婚婦人の鉄漿もなかったことにされ、白い歯を見せて笑ってますしねぇ。私はそっちのほうが気になる。「誰が鉄漿を殺したか」。ミステリーじゃございやせんこと?

さて、ここで問題です。
「日本の鳴く虫のなかでもいちばんの美声種と誉れ高い」虫は何?
答えは「リュウキュウサワマツムシ」!
知らんw
「『ピッピリリリリー』と鈴を鳴らすような澄んだ音色と微妙に変化するテンポをもつ鳴き声」なんだそうな。
筆者は「オオオカメコオロギ」の声も好きなんだそう。西日本の河川敷や社寺の林などに住むが「生息地はとても少なく、珍しいコオロギ」なんだって。まったく、人も動物も、きれいなもの、美しいものほどはかなく、滅びやすく、うるさくて汚らしいものほど世にはばかるんだから、嫌なもんだねぇ。ま、自然界で一番はびこってんのが人間とゴキブリなんだから推して知るべしですわい。

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09月16日(水)

起床時刻:07時30分

09月14日(月)

起床時刻:06時45分

09月12日

起床時刻:09時15分

本日夫外出。昼食は一人にてサンマのパスタ(ジェノベーゼソース)、キャベツとトマトのサラダ、カフェオレ。デザートは貰いもののゼリー。パスタのソースは成城石井の「ジェノベーゼ ペースト」で簡単かつ美味しく。

昨日、会社帰りのやや遅い時間にスーパーに行ったら、三枚おろしのサンマがとても安くなっていたのでつい購入(今日が消費期限)。最初トマトソースにしようかと思ったけど、「ジェノベーゼ ペースト」が余っていたのでそっちにした。サンマとあうね!

つくづく思うけど、私は普通の魚の塩焼きとか全然しないなぁ。
まず多いのがムニエル。付け合わせはジャガイモ(マッシュポテトが多いけれど、いちょう切りにしてチンして他の野菜とバターで焼いたりも)が定番。

青魚(サンマ、鰯、鯵)のときはオリーブオイルでさっぱりと。
ハーブをきかせたり、カレー風味にしたりするのが好き。

はい、どうでもいい話でした。

昨日、仕事で外国の企業のサイトを色々調べていたら、「よくこんなのにも登録商標の®(マルアール)つけよなぁ」と思うことあり。ほんと言ったもんがち、とったもん勝ち。たいした内容でもないのに。

この前、TBSの朝チャンでどこかの大学生のやっている「コラージュ川柳」というのを紹介していたけれど(新聞から切り抜いて川柳をつくる。その制限のせいでかえってシュールな面白さの川柳ができていた)、これもアメリカだったら®をとってるんじゃないかw 「コラージュ川柳®」って風に。

あ、私も新ジャンル「気象演歌」(一昨日の記事参照)や「オカルト俳句」(9/7の記事参照)に®をとっておかなくちゃ(←違www。

今日の「気象演歌」は「日照不足の涙恋(なみだごい)」。
「日照不足で 生育が 
悪くなるのは 稲のみに
あらで 二人の関係も
育たぬ 長雨涙恋」っていうんだ。

誰も興味ないですねwww。

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09月11日(金)

起床時刻:06時45分

『今日から俳句 はじめの一歩から上達まで』(片山由美子)を読んでいて役にたったのが、「間違いやすい俳句の文法」。
俳句でありがちな間違いというか、「ほんとにこんな言い方で大丈夫なんかいな?」と悩むポイントがコンパクトにまとめられて、正直ここだけ読んでもいいくらい。
以前、父親のつくった俳句の下五が「涼しかり」で、なんか変だと思い色々調べたことをここに書いたが、この本にも「涼しかり」はありがちな間違いの例として出てきていた!そして啄木も出てきた!
その前に忘れないように間違いやすいポイントをまとめておこう。

・「こと」「もの」に同士が接続する場合は連帯形
「期すことのありて」×
「期することのありて」○

・下二段活用は完了の助詞「り」にはつかない
「現れり」×
「現れぬ」○

・「べし」には終止形が接続
「生くるべし」×
「生くべし」○

・「し」の誤用(文語と口語の混乱)
「似し人」×
「似たる人」○

・「あり」の変な使いかた
「重ねあり」×
「重ねられ」○
「あり」は「て」「つつ」の付いた語の下に付いて「動作・作用の存続状態をあらわす」。「置いてあり」を「置きあり」としたらおかしいことに気づくはず。

・「ありしかな」
「し」は過去のこと。今気づいたことを言うのには使わない。

・古語の誤用
「母がりへ急ぐ」×
「母がり急ぐ」○
「がり(許)」は「~のもとへ」の意味で「へ」まで含むので「へ」「に」はつけない

・形容詞の終止形に助動詞がつくことはない。
「けり」を接続させたいのなら、「カリ活用」にする

ここからは引用。
「逆にいうと、「涼しかり」は助動詞に接続するための活用形ですので、「涼しかり」と下五で言い切ることはありません。しかし、実際には「嬉しかり」「寂しかり」という表現をしばしば目にします。石川啄木が<かにかくに渋民村は恋しかり/おもひでの山/おもひでの川>の「恋しかり」や「悲しかり」という表現を用いたことから、短歌ではカリ止めが広がりました。それが俳句にも影響を及ぼしているようです。リズムにぴたり収まってしまうことから誤用の意識が乏しくなっていますが、和歌や俳諧など、古典では使われていなかったことを承知しておく必要があります」(P95)

「文語といっても、時代によって若干の違いがあることは確かです。通常、文語と呼び、中学・高校で学ぶ文法は平安中期の日本語の体系です。江戸時代に盛んになった俳句(当時は俳諧と称していた)は、それにすべて従っているわけではありません。しかしながら、体系として整理されてきた俳諧の文法というものが存在したわけでもありません。当時の人々にとって文法は勉強するものではなく、体験的に身につけたことばだったというべきでしょう。したがって、本来の文法から逸脱した用法も少なくありません。だからと言って、現代の私たちも文法にこだわる必要はない、ということにはなりません。文語の読み書きが日常であった時代と現代では状況が違います。ふだんは文章も口語で書いている私たちにとって、文語は学ばなければ身に付かないものとなっています。その際、基準となるものが必要です。それは中学・高校で学ぶ文語・文法となります」(P99-100)

「『現代短歌用語考』や『歌ことば事情』などの著書がある歌人の安田純生(すみお)氏は、本来の文語にないにもかかわらず、文語のようなひびきをもつ表現を「文語めかし」と読んでいます」(P100)
安田氏によると、文語めかしの和歌は啄木あたりから急に変化があらわれるそうで、「「~かり」で終止する歌は、安田氏によれば同時期の与謝野晶子や若山牧水の歌集には見られないそうです」(P100)。

啄木の短歌では「悲しむべかり」も「楽にならざり」も言い切りで使われるけれど、これも文語にはない用法なんだとか。
また「らむ」を連体形に接続させている歌もある。
「出づるらむ」×
「出づらむ」○
「似し人」も啄木はやっている。正しくは「似たる人」。

安田氏は「誤用」といわず「破格」と言っているそう。

ひゃあ、私なんか中学の頃、啄木の『一握の砂』とか『悲しき玩具』とか大好きで、かなりの歌を覚えていたからなぁ。一番記憶力がいいときに誤用だらけもとい破格の文語文法を覚えているから、破格が身になじんでそうで怖いわ。

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09月10日(木)

起床時刻:08時00分

今日も雨。

「停滞す秋雨前線我もまた」

悲しからずや 前線は 
いつかはどこかへ行くものを
あはれ女の独り身は
行くかたもなくとどまれる

演歌「秋雨前線」の歌詞です。二番は

野分もかくやの激情は
今や温帯低気圧
台風一過の青空も
なくて 長雨続きたる

三番は

男心と天気予報
あてにならぬと知りながら
洗濯物の山を見て
週後半の晴れを待つ

もういいって?
新ジャンル「気象演歌」でございます。

テレビを見たら、鬼怒川が決壊し、茨城の常総市が濁流に飲み込まれた様子が放映されていた。こんなことになるとは、住民も思っていなかっただろう。家が水浸しになった場合など、保険が出るのだろうか。火災保険や地震保険は普通入るんだろうけど、水害はカバーされるんだろうか。テレビでは屋根や二階のベランダなどで救助を待つ人が移っていた。みんな無事だといいけれど。

うちはかなりの高台にあるのでまず浸水することはなかろうが、地盤だけではなく浸水の危険も考えて住む場所を選ばなくてはいけないねぇ。

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09月09日(水)

起床時刻:07時00分

雨が続いて洗濯物が乾かないので、出勤前にコインランドリーに行って洗濯物を乾かしてきた。やれやれ。

夜、風呂に入ろうとしたら、ガスの給湯器がとまっていた。
「落雷による迷走過電流による安全装置の作動の可能性」かも。
この前IHを交換してくれた業者に大雨が降るとガスの給湯器がとまることを夫がちらっと確認したところ、「近所で雷が落ちたりすると、ガスも落ちたりするんですよ」と言っていたから。あるいは大雨で雨水が浸入することで着火できなくなりエラー表示が出るの?
うちの給湯器はパーパスのものだが、エラーコード72。これは「疑似火炎検出」ということらしいけれど意味がわからん。やっぱり「落雷による迷走過電流」?

ベランダに出て給湯器の本体のカバーを外して、コンセントを抜いてすぐにまた刺したら、リセットできたみたいで、台所のパネル表示の「運転」を押して使えるようになったのだけれど、しばらくしたら、また「72」のエラー表示で点滅状態。旦那に「しばらく見とかなくちゃだめだ」と言われたんだけど。

私はド文系だから、もー、ガス給湯器とか仕組みが全然わかんないよー。薪ストーブぐらい原始的なものじゃないと私の頭では理解できん。文系って役立たずで悲しいわ。。。

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09月08日(火)

起床時刻:07時30分

団イベ後の虚脱状態のため、今のイベント(フォール・オブ・ドラゴン)は放置気味だったけど、昨日、汁を慌ただしく使って貢献度300万貯めて、SSR武器を三突した。はーもう、めんどくさッ。ゲームなのに「やらなきゃ・・・」っていう義務感なんだよなぁ。本当に嫌だ。何かに囚われているっていう状況がムカつくんだ。

うちの旦那が言っていたけど、バハとグランデもちのアカはヤフオクで30万くらいで売れるらしい(うろ覚え)。まぁ確かに30万つっこんでも、バハルシグランデは出ない場合は出ないからなぁ。サプチケでも交換できないし。
私はバハだけ持っているけど、闇のSSRはそろっているから、私のアカは10万くらいするかなあ?風もアナト三突でSSRキャラコンプしている。
旦那はバハルシグランデ持ちで召喚はすべて3突した上で+99、キャラは季節もの(水着カタリナとかアニラとか)ふくめて全部そろっているから、60万以上下手したら100万くらいするんじゃないか。もっとも、突っ込んだ金額はそんなもんじゃなかろうが。

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09月07日(月)

起床時刻:07時15分

「昼顔の寄り添ひてをり無縁墓」などというしょうもない句をつくったことがあったが(20代だったと思う)、昨日も引用した『盗作の言語学』の中で、北原白秋のこんな歌が紹介されていた。
「草いきれあつき日なかに汗は滴(た)り無縁の墓のうつら昼貌」
昼顔と無縁の墓はメープルシロップとホットケーキみたいによくある取り合わせなんですなw 「うつら昼貌」という表現が白秋は巧みだけれど(でも意味はよくわかんないw)、私の句はほんとただの常套句。

あー、難しい。やっぱりここは「昼顔」じゃなくて奇抜に「宇宙人」あたりを寄り添わせてみようかしらん。「宇宙人寄り添ひてをり無縁墓」、これなら類想は絶対になかろうw
あ、でもそしたら季語がなくなってしまうwというわけで、「夏草や無縁仏(むえんぼとけ)に宇宙人」。はい、意味不明ですねw なんなら「宇宙人?!」と東スポ風にしてみるとかw「夏草や無縁仏に宇宙人?!」これは新しいぞ、俳句とはいえないのが難点だけど。「墓洗ふ時に見えたり宇宙人」。絶対に類句はないとおもうが(もっとも「見えた」のが妻子や親・祖父母などだったらあるかもしれない)、ただのやばい人だ、これw

『ムー』の愛読者以外、誰の共感も得なそうだ。そういや、オカルト雑誌の『ムー』ってまだあるのだろうか。
どっちにしろ、オカルト俳句だったら類句類想はないだろうから、安心してつくれる。
「海開きアトランティスの声はるか」とかね。
「月冴えてネッシー息をひそめけり」とかね。
これなら類句はないはずだ、もっとも『ムー』に俳句投稿欄があったらこの限りではないがw

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09月06日

起床時刻:09時30分

「すっぴんの時に限って人に会う」
という川柳は既に10万回くらいつくられているだろう。
普遍性とオリジナリティの両立の難しさよ。
オリジナリティを全面に出すと共感を得られない。
かといって「あるある」では常套に堕する。

『盗作の言語学 表現のオリジナリティーを考える』(今野真二)では俳句の添削の例がひかれている。
その中で金子兜太による俳句添削例(『兜太の俳句添削塾』による)が載っている。引用しよう。

原句「遠巻きに猫の目ありて目刺焼く」
添削句1「遠巻きに鮫の目ありて目刺焼く」
添削句2「遠巻きに象の目ありて目刺焼く」

「金子兜太は「猫に目刺とくると、あたり前すぎますね。うんと離れた動物、たとえば、鮫や象などにすれば、面白味や不気味さが出てきます」(一二頁)と述べている。「猫」は目刺を焼いているのを嗅ぎつけて寄ってきているのだろうから、たしかに「あたり前」すぎる。しかし目刺を焼いているのを遠巻きに見えている「鮫」とはなんだ?どういう情景なんだろうと思う。あるいは遠巻きに見ている「象」はなんだろうということになる。情景がわからない。しかし金子兜太はそういう不条理があってもよいと思っているのだろう。他の箇所で「俳句は「当たり前」が一番つまらないのです」(一五頁)とも述べている」(P95-96)

うーん。私はそもそも兜太句は全然好きじゃないからアレなのだが、この添削句にも作為(それも「どや顔の作為」)が感じられて好きじゃない。
オリジナリティを求めるあまり、袋小路にはまり込んだようにみえる現代美術と同じようなものを添削句には感じる。要するに、意匠のための意匠(「面白味や不気味さ」)だけを狙い、もっと普遍的な、共感を誘うようなものがそこにはない。プロの俳人と一般人の温度差なのかもしれないが。「面白味や不気味さ」のかけらもない、田舎の風景画や富士山の絵のほうが、デュシャンの便器よりずっといいと思うのは感性の鈍い一般人としてはごく当たり前の感覚なのである。

とはいえ、常套はやはりつまらないのだ。
言い古されたことを言っても面白くもなんともない。かといってただ突飛なだけのことを言ってもピンとこない。その塩梅が難しい。

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09月05日

起床時刻:09時00分

お医者様でも草津の湯でも恋の病は治せぬが、夫婦になればすぐ治る(by pyaaa。夫婦は「めおと」と読んでくださいw)
「いったいあれは何だったのか」というくらいになw

山本譲二の「みちのくひとり旅」も「遠くなるほど愛しさつのる~ 未練がつのる~だけ~」(2番)と言うがその通りで「近くなるほど愛しさは減る~ うざさがつのる~だけ~」なのである。
「みちのくふたり旅」してりゃ路銀がすぐに尽きるわけで、すぐ現実に引き戻される。「みちのく再就職」ったって、地方はどこでも景気が悪いし、やっと入った企業はブラックだし、営業職なんかそもそも向いてないし、残業代は出ないし、無茶なノルマはあるし、具合悪くても会社休めないし、ほんと、「恋愛の悩みなんか悩みのうちに入んねーよ、バーカ!!」っていう気分になってくるだろう。

まったくその通りで、深刻な悩みになれば自殺の動機にもなろうが、統計的にみて自殺の動機は、年齢によってかわるものの、だいたい健康の悩みか、経済・勤務問題なんである。
http://www8.cao.go.jp/jisatsutaisaku/whitepaper/w-2013/html/gaiyou/feature03.html
なのに演歌が恋愛の悩みばかりを歌いあげるのは、つくりものじみた悲しみ、要するに虚構だから、聴いている側も安心してマドロスだらけの悲恋ファンタジーの世界に現実逃避して、悲しい気分に浸れるからである。

これが「みちのく夜逃げ旅」とか「みちのく末期がん」とかそういう話になると、深刻な悩み過ぎて、聴いている側も「借金をどうにかしなきゃ」とか「ガン保険を見直そう」とかそういう現実的なことを考えてしまい、歌の世界への現実逃避ができなくなるのである。って前も書いたな、こんなこと。

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09月04日(金)

起床時刻:07時30分

「もちろん創造性を発揮するには、気候が適切であることが大前提だ。
その昔私は、ゲルマン人が原野で暮らしていた大昔までさかのぼる、いささか壮大すぎる議論を進めなければならなかった。気温が低いとゲルマン人は何もしなくなる。それは否定できない。何かを創造するより、暖をとるほうが重要になるからだ。」(P152)と論じるのは、『帰って来たヒトラー』のヒトラーである。第二次大戦末期、ヒトラーが自殺した瞬間に現代のドイツにタイム)リップした、という設定の、コメディ小説である。
上に続いて「スウェーデンやノルウェーなどの北国を見てみるがいい。聞いたところでは昨今、スウェーデンは家具の分野で大きな成功をおさめているそうだが、彼の地の気候を考えれば、それはさして驚くことではない。スウェーデン人はあのしょぼくれた国の中で年がら年中、暖をとるための薪あつめに明け暮れてきた。そこから机だの椅子だのを作る技術が発達するのは別に不思議ではない」などと言う。

やばい、私も「創造性を発揮するには、気候が適切であることが大前提だ」とよく言ってるのでヒトラーとかぶってる。もっとも日本の場合は夏が暑すぎるのが問題なのだが。
このセリフが歴史上のヒトラー自身が語ったのか、著者ティムール・ヴェルメシュ氏による創作上のヒトラーの言葉なのかは不明だが。本書は正直笑えるが、吹きだす度にある種の居心地の悪さも当然感じるのである。
それはヒトラーの犯した大罪および多くの人にもたらした苦しみを思うと、決してクスクス笑いをしていいような話じゃない、という居心地の悪さであり、ところどころ、うっかり共感あるいは同じような言説をぶっている自分がいるという居心地の悪さである。

「戦争が終わったとき、私が一九二四年から唱えていたある説の正しさが、あらためて証明された。いちばん価値ある人材は戦争のとき、勇敢に前線で戦って多くは落命し、平均的な人材や劣等のいわばクズばかりが死なずに残るというのがその説だ」(P167)
という説も私、ここに書いていなかったっけ。正確にはうちのおばあちゃんの説「戦争では優秀な人から死んでいく」なんだけど。

「この点について、かつて私は心に書きとめていた。興味深いことに、ものごとをある程度距離を置いて見ると、まったく新しい視点が生まれてくるものだ。「最高の人材ほど早く死ぬ」と以前に言った私は、そのあとで驚くべきことに、今回の戦争では基本的にこの逆の作戦をすべきだったかもしれないと考え直していたのだ。私はまず「次の戦争では、クズを最前線に!」と考えたあと、クズに先頭で攻撃を行わせてはろくな結果が得られないと案じ、「中程度を最前線に」と訂正し、さらにそれを「最高の人材を最前線に。ただしその後、状況を見て中程度の、場合によってはクズの人材と入れ替えること」と訂正した。けれどもそのあとさらに、「非常に優秀な人材とまあまあ優秀な人材を混合せよ」と修正を行った。だが結局私は、それらをすべて、「有料、中程度、クズをうまく使い分けよ!」と再修正し、この問題の解決は先延ばしにした」(P168)
平和な日本という安全圏から読めば全くおかしいが、戦時中だったら、現場は大混乱で笑うに笑えない。もちろん、戦争当時の日本軍にあってはヒトラーを笑えた立場ではなく、牟田口のインパール作戦なんか、もうただのジョークだが、そのジョークじみた「作戦」のせいで大変な被害をもたらしたのである。

ヒトラーは芸人としてテレビ番組に出ることになるのだが、その冠番組を背負うコメディアンにこう聞かれる。
「「まあ今の時代、だれも手をつけてないネタなんて皆無だけどね。俺は今の外国人のギャグ、ニューヨークで拾ってきたんだ。九〇年代のニューヨークはそういうのが大流行りだったからね。おたくはその、総統ネタっていうの?どっからもってきたわけ?」
「究極的にいえば、ゲルマン民族からだ。」私は言った」(P189)
もうここで吹きだしてしまった。

後ろめたい気分にさせるものの、思わず吹き出してしまった箇所が多々あったのは間違いない。今んとこまだ上巻しか読んでいないけれど。

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09月03日(木)

起床時刻:07時15分

今日は所用のために早退したのだけれど、16時から19時まで寝てまだ眠いのであった。寝不足が続いているからなぁ。困ったことに眠いピークが夕方で、夜寝る時間(0時から1時ごろ)に目が覚めてくるっていうね。

与那覇潤の『日本人はなぜ存在するか』より引用。

「このように見てくると、西洋・白人・男性を中心とする近代世界の構造の下で「周縁化」されてきた日本人にとっては、自分たちを対等だと認めさせることが、至上命題として意識されていたことがわかります。そう考えると第一章でも触れたように、どうして日本人が(怪しいものも含めて)「日本人論」が大好きなのかも見えてきます。
すなわち、日本人論とは、日本人は「普通」(=西洋・中心)とは異なる特殊な存在だ、というかたちで自分たちがこの世界で有標化されてしまっていることを前提に、「それでは、いったい、どこが違うのか。どうすればその違いを乗り越えて、『普通』の(とされる)人々にも認めてもらえるのか」を議論するためのツールだったのです」(P116)

「<略>「世界」をどこかよそから自国に迫ってくる存在として他律的に捉え、その「世界」の基準は自分たちをどう評価するだろうか、を気にする日本的な思考様式自体が、実は周辺化された地域の特徴であり、決して普遍的なものではないという示唆でしょう。この問題については比較思想の研究者だった藤田雄二氏が『近世日本における自民族中心的志向』という論文で、優れた指摘をしています。」

藤田氏によると、エスノセントリズムには二種類あって、「「自分たちは人間として普通のあり方をしており、他民族にはそれが欠けている」と考える「文明型」、もう片方は「自分たちは普通のあり方をしていないがゆえにこそ、優れている」と考える「選民型」」。
前者はアメリカ、中国、インド(著者は入れていないが)、後者に典型的なのは日本。韓国も?

こういった心性は日本が西洋列強との不平等条約を改正しようとしてやっきになっていた過去のことではなく、今なお、日本は重度の「外国に認められたがり症候群」、「外国人から褒められたがり症候群」であるのは、テレビ番組でも本屋でも明らかである。
「世界遺産」に登録されたがるあの(異常な)熱意も、もちろん、外に評価基準を求め、また外の評価基準が内の評価基準よりエライという根強い価値観があるからであろう。

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09月02日(水)

起床時刻:08時30分

例の2020年東京五輪エンブレム、取り下げになった。
「自分だったらどんなデザインにするだろう?」と、暇人じゃなかった、クリエイティビティの塊であるこのpyaaa先生が考えたのが、五輪の輪が知恵の輪になっている、知恵の輪デザイン。コンセプトは「知恵の輪のごとくにこじれて、こんがらがっている東京五輪」「このこんがらがっている状況を解消できるかという挑戦」「知恵を絞ったオリンピック開催」である。
なんか”日本らしさ”を入れなきゃいけないらしいので、知恵の輪の上に、佐野デザインにもあった梅干しのようなイボのような赤い●をいれときゃいいだろう。

佐野のプレゼン資料では「あれこれ展開ができる」ことをアピールしていたが、pyaaaデザインは知恵の輪なんでいっくらでもくっつけたり、はなしたり、商品展開できる。なんなら知恵の輪もできる。

しかしまぁ、”佐野デザイン”とかいうトートバッグ、あれでは完全アウトのパクリをやっていたが、ああいうのを見て国民が思うのは「これなら私だって”デザイン”できる」である。俳句みたいなもん、である。

これが大芸術、それこそシスティナ礼拝堂の天井画であったり、ドストエフスキーの『罪と罰』だったりしたら、「これなら描ける(書ける)」とは思わない。一方で、佐野デザインのトートバッグとか、しょうもない俳句(あえて引用はやめとくが)であれば誰だってできそうな気がするのである。

実際、”佐野デザイン”もスタッフだか下請けだか知らないが別の人がテキトーにつくったものだった。もっともデザインは俳句よりかは多少のリテラシーがいる(=敷居が高い)が、デザインのノウハウをちょっと勉強すれば、SEになるよりかよっぽど簡単に「デザイナー」になれそうな気がする。実際、多少デザインの心得のある主婦が「お小遣い稼ぎ」にちょこちょこ「デザイン」を提供するようになり、単価は下がっていると聞いた。

そういう参入が比較的簡単で差別化が難しい(パクらなくても「すぐかぶる」っていうんだから)世界では、デザインとは別の能力、そう「政治力」であったり、「営業力」であったり、「コネ」であったり、「面の皮のあつさ力」(←超大事)など、そういうのが幅をきかすわけだ。

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09月01日(火)

起床時刻:07時15分

眠れないので、松井今朝子の『老いの入り舞』をソファに寝っ転がってちょいと読みはじめたら、とうとう全部読み終わって、しかもAM4:30になっていた。
「そんなに面白いの?!」と聞かれると、うーん、知的な面白さはないが、娯楽としては、まあストレスなく楽しめる、といった感じかな。

少女漫画みたいな感じだね、もっとも元大奥勤めの婆さん(年齢は書いていないが、40過ぎ?50前後?といったところか)が主人公の少女漫画はないだろうが、キャラデザが漫画チック、ラノベチックなのである。娯楽作品としては悪くはない。いいキャラばっかりでてくるし、ちょっとした謎解きで読ませるし、オチもうまいことつけている。

ミラン・クンデラなんかは一ページに一行くらい、ハッとさせ、ここに書き留めておきたい、と思わせるくだりがあるけれど、本書にはそういうものはない。印象に残っているのは「男は肌がくすみだすと性格もくすみだす」みたいな一文(うろ覚えだから正確には違う)。そう、この小説に出てくるのはお肌がまだくすんでいない20代の、まっすぐな目をした、単純でさわやかで彫りの深い顔立ちをした同心君で、なかなかキャラ萌えするんである。特にあの熊女ことゆいに「俺がついている」と言うシーンは私も「きゃあw」ってなっちゃったよ。

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