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起床時刻推移グラフ

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10月31日

起床時刻:09時30分

まーた、松井今朝子氏の『今朝子の晩ご飯』(2009年1月~6月のブログ内容を文庫化)を読んでしまう。

1/27はNHKの『知る楽』で歌舞伎について語るときの苦労話についてに書かれており、
「<略>今日は「やつし」と「身代わり」の意味づけをするだけで精根尽き果ててしまった。「やつし」の話から折口信夫が言うところの「貴種流離」まではもちろん触れるとしても、別にそれは日本に限ったわけでもなく、それこそ文化人類学的にも普遍的な現象だったりするし、余談ながら猿の社会でも群れを逐われたボス猿は他の群れでモテたりするから、つまり「やつし」の男がもてるのは今ふうに言うところのメスの性戦略が根底に働くのかも、てな話を私が冗談でしたら、「その話面白いですねえ。ぜひそういう話も入れて下さいよ」と森信さん」だってw
「やつし」の男はブランド品のアウトレットセールみたいなもんかw
ちょい傷ありだが「お買い得」ってのに人間は弱いからなw

4/11の日記も面白い。
飼っているつがいの亀が発情しコトに至った結果、メスの亀が産気づいて陣痛で苦しんでいるのに(亀にも陣痛の苦しみがあるらしい)、オスがしつこく交尾しようとメスにのしかかってくるそうで、松井氏は「シンジラレナ~イ」と二匹を引き離すのに忙しかったそうで、「『ねえ、だから人間の♂は堕ちたりとはいえ、動物界では相当マシなほうなのよ~』とヘンな男性弁護をしたのであった(笑)」だってw
確かにライオンのメスの苦労を見ると、そう思えてくるなぁ。子育ては言うに及ばず、狩りをするのもメスだけ、でも獲ってきた獲物はまずオスから食べ、メスや子供は残りものを食べる。オスは他のオスから群れを守ってくれる用心棒なんだが、用心棒が倒されると倒した別のオスが用心棒になり、その際、大事な我が子は全員殺されるんだよね。過酷なんてもんじゃない。子供を殺されるとメスは発情するんだが、それはそれで「シンジラレナ~イ」けど、気持ちを切り替えられないメスはDNAを遺せないのである。

夕飯は牛丼(デパ地下で購入した黒毛和牛の切り落としを使用)、白菜と油揚げの味噌汁、ニンジンのラペ(成城石井で購入。”ラペ”というか、甘酢がきいていて”なます”みたいだwこれはこれで和食に合う感じ)、ブロッコリーの辛子マヨ胡麻和え、糠漬け(きゅうり、大根、ニンジン)。

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10月30日(金)

起床時刻:07時20分

『そのあとの不自由』(上岡陽江,大嶋栄子/医学書院/2010.09)を一気に読んでしまった。
本書は「暴力をはじめとする理不尽な体験そのものを生き延びたその後、今度は生きつづけるためにさまざまな不自由をかかえる人たちの現実を描いている」。

「依存症」や「境界性パーソナリティ障害」を抱える女性たち(本書は女性の嗜癖者が対象)は、アルコールや薬物をやめたら、普通に働けるようになって家庭も円満、てなわけにはいかない。体も心も思うようにならず、不自由極まりない生活が続き、ろくすっぽ働けずにまた自己嫌悪に陥ったりする。

上岡さんによれば「回復というと、元気になるとか、動けるようになるとか、何かが変かするかのようにイメージされることが多いのですが、それは違います。今のままのエネルギーレベルのままで、強迫の方向性が少し変わるくらいでしょう。向けているエネルギーの方向性が変わって、少し自分をケアできるようになることで生きていける」。

そんなレベルらしいんだが、「自分をケアする」という発想が彼女たち(依存症や境界性パーソナリティ障害者)にはないんだそうな。「生活を楽しめるようになる」ことが大事なのだそうだが、彼女らは「自分が楽しんでいいのだろうか」という後ろめたさや居心地の悪さを感じるんだとか。

それというのも、彼女たちが常に緊張感のある家庭で育ったために、「私が頑張らなきゃ家族が壊れちゃう」と子どもなのに自分の都合より家族の都合を優先させ、「お腹すいた」とか「疲れた」とかいう自然な感情まで押し殺して育った結果、自分の感覚に無感覚・無頓着になってしまって、自分をケアできないようになるらしい。

だから、彼女らにとってはたとえば「誕生会」「雛祭り」「お正月」を一緒に祝う、掃除のやり方を教える、ご飯を一緒につくるといったような「普通の生活のサポート」が大事なのだそうな。ダルク(援助施設)では「一緒に豚汁をつくったり、リンゴジャムをつくったりしています。やっぱりみんな喜びますよ」だって。へー、そんなもんで。

著者によると、トラウマを話してもよくならない、それどころか悪くなることも多々あるんだそうな。それより、生活を楽しむ術を教えること、お風呂に入るとあたたかくて気持ちいいよ、みたいな”快”を体感することが生きのびる一つの技術となるようである。

ふーん、なるほどねぇ、私はとんでもないダメ人間だけど、両親と家庭環境には恵まれたと思う。両親の庇護のもとぬくぬく育ち、生活を楽しむ”種”を両親からいっぱい貰ったように思う。ピアノに水泳に習字にテニスにお茶に英会話にと、習い事もいっぱいさせてもらったし、旅行をはじめ色々な経験もいっぱい積ませてもらった。
私がリスカもせずアル中にもならなかったのは、両親のおかげとしかいいようがない。まぁ産まなけりゃもっとよかったんだろうがw

結局、生きていくということはつらいことだらけなのだ。いくら気合いを入れたって、つらい現実は波のように打ち寄せてくる。人によっては、津波のような波が襲いかかるかもしれない。結局、現実という津波に呑まれもみくちゃにされながらも、ごまかし、ごまかし生きるしかない。嗜癖者の彼女たちは今まではアルコールや薬物や人格乖離でごまかしてきたわけなんだろうが(そういう意味では生き延びるための手段ではあったのだ)、そのごまかしが自分を傷つける諸刃の剣であることが問題なのだ。アルコールや薬物が、ドクダミ茶みたいに健康によけりゃ万々歳なんだがなぁ、そうは問屋が卸さない。

強烈ながら毒性の強い嗜癖品やめると決めたからには、別の穏やかなごまかしの有効なツールをたくさん持つしかない。それが例えば季節の行事であったり、お風呂であったり、読書であったり、散歩であったり、花を飾ったり、料理や家事などの生活を楽しむことだったりするのだろう。
本書では人とのつながりや信頼関係を築くことを強調するが、私はそれには懐疑的だ。他人は結局疲れる素なので、人との接点がないほうが穏やかに過ごせる。とはいえ、そう私が思えるのは、きっと私が両親から一生分の愛情を受けて育ったからだろう。

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10月29日(木)

起床時刻:07時45分

今日の夕飯は美味であった。
メニューは、はらこ飯、いんげんの辛子マヨ和え、おから(具は干しシイタケ、牛蒡、ニンジン、鶏ひき肉)、白菜と油揚げの味噌汁、ヨーグルト。はらこ飯は、鮭はノルウェー産の生食用の鮭で、それを薄切りにして、醤油とみりんと大根おろしで”漬け”にするのである。食べるときに千切りの大葉を散らせばできあがり。イクラをところどころ、散らしてはらこ飯というわけ。おからは作り置きだが、うまくできた。

味噌汁は”ちょうど”の味。前回、味噌が多かったのか、しょっぱくなってしまい、お湯で薄めるという事態(おい)になってしまったので、今回は少な目から調整。

ところで、夫がいないので夫の嫌いな日テレの『県民ショー』を見ながら、これを書いているのだが、なんとタイムリーに宮城の「熱愛グルメ」として「はらこ飯」が紹介されていた。その結果、わたしが作ったのは「はらこ飯」では全然ないことが判明w
本物の「はらこ飯」は、鮭を先に醤油・みりん系の煮汁で煮て、鮭を煮たその煮汁でお米を炊き、そして煮た鮭をご飯の上にぎっしり載せて、たっぷりイクラをのせるのであった。美味しそう。
私がつくったのは全く違うので(お米は酒と昆布で炊いただけ)、鮭親子丼もしくは鮭イクラ丼と言うべきだったねw
はらこ飯には鮭のあら汁が定番らしい。「辛口の仙台味噌が鮭にばっちりあいます」とのこと。
ちょっとちょっと、ウチも仙台みそよ、辛口が好きなんで。

今日のテレビを見て本場のはらこ飯を作りたくなったなw

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10月28日(水)

起床時刻:08時00分

弁当は残りもの色々。紫蘇ご飯、豚肉ヒレ肉の塩麹焼き(これで終わり)、茹でブロッコリー、昨日炊いたおから、糠漬け、柿1個。

眼精疲労からくる、ものっすごい頭痛。
残業もせず家に帰って、焼き芋食べてバファリン二錠飲んですぐ寝た。
夫が帰ってきたので起きて、非常時用に買ってある虎の子のレトルトパックの国産鰻をチンしてうな丼に。それと里芋とニンジンの煮物、糠漬け。
今日の夕飯は超豪華。まず鰻が2千円くらいするし、糠漬けが3種の野菜入りで(私が選んだのは大根、ニンジン、きゅうり)、驚くことに600円もするのだ。吉祥寺の清水屋で買ってきたんだけれど、前は450円じゃなかったっけ?

『身体のいいなり』(内澤旬子)を読んだ。
これを読むと「ヨガをやらなければ!」って思う。
ヨガが驚異的に万病に効いている。著者はヨガのおかげで(他にも要因があるだろうが)、不眠、アトピー、生理不順、腰痛、虚弱体質、冷え症、ついでにO脚まで治ったらしいですわよ、奥様ッ。

それはともかく、読んでいるとすごくワセジョ臭というか、著者にワセジョっぽさを感じる。
「大学のとき、エリアーデとか読んだよなあ。忘れたけど。でもそのおかげでというのも変だが、内向的になりすぎて社会になかなか順応できないどうしようもない自分を育ててしまったという負い目がある。社会で働くようになってからはとにかくスピリチュアルなものとは距離を置くようにしてきた。いや、そういうものとは袂を分かってここまでなんとかやってきた、とも言えるのだった。ああ、なんて恥ずかしい自意識」(P90)
ああ、なんてワセジョっぽい。「いったいなんの話だよ?」っておもうだろうが、これは著者がヨガを始めるときに逡巡した内容である。
パワーヨガなんかエアロビクスとたいしてかわんねーだろ(←違、という気もするが、私自身をはじめとして、私の友人知人のワセジョは多かれ少なかれこんな感じではあるw

「著者はワセジョ」という私の仮説を検証するため、わざわざwikiを見たら(著者略歴には学歴は載っておらず。そこそこ賢いor賢く思われたい早大出身者は早稲田卒を隠す傾向にあるので(私調べ)、ますます早稲田っぽい!)、國學院大學文学部卒だった。私の直観、アテにならん!!!

与太話はさておき、本書の名言を。
「貧すれば病みつき、病みつけば貧する」。
本当にそう。イギリスの研究でも貧乏ほど寿命が短かったではないか。「心の豊かさが大切だ」的な、いい気なことを言う”有識者”に聞かせてやりたい。「明日の生活費をどうしよう、今月の家賃をどうしよう」といった貧乏ゆえの悩みはそれ自体が大きなストレスとなり、ストレスが大好物の病を引き寄せ、すると今度は病気を治すのにまた金がかかり、余計にストレスがかかり、また別の病気を引き寄せ、、、のループなのである。

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10月27日(火)

起床時刻:不明

今日は弁当なし。

旦那がいると、弁当を作れない。何しろ狭い家で、ワンルームに毛が生えたようなものだから、台所で料理をしていると、旦那が私のたてる物音がうるさいと文句を言う。
「なんでそんな音を立てるのか」と言うけれど、そっと鍋の蓋を置いたりしても、音は出る。
夫は先日、隣の家が風呂場でたてる音がうるさいと、隣の家の風呂場に乗り込み、私に電話をしながら、実際に自分が風呂桶をそっと置いたら、やっぱりうちに音が響いたことからもわかるように、自分でやってみりゃあ、気を遣っても音が出るってことがわかるだろう。だいたい自分が一切料理も皿洗いもしないし、コーヒーの1杯すら淹れないから、音たてないんだよ。
まぁでも夫に「静かにしろ、静かにしろ」としつこく言われるおかげで、万事に音を立てないように意識するようになったのは良かったとすべきか。おかげで会社の女子がドシドシ歩いたり、ドンと音をたててモノを置いたりするのが、気に障るようになったけどw。

とまぁ、ひととおり愚痴を書いたところで、今日の昼は牡蠣とベーコンのトマトクリームソースにした。筋子はご飯二杯とともに、朝にがっつり食べましたw

『漁業と震災』(2013/3/9、濱田武士)をパラパラとめくっていたら、次のような一節があった。
「前述したように、漁獲変動の谷間の部分を捉え、安易にその状態が乱獲状態であるとか、魚が小型化して枯渇しているというレッテル貼りが少なくない。しかも、「漁獲量の減少」=「資源管理の失敗」と簡単に結論づけ、アイスランドやノルウェーの資源管理を模倣すべきだという論が多くなっている。しかしこれらの論では不思議なことに、模倣すべきとする諸国において漁獲量が減少しても、資源管理の失敗と指摘されることはない。現にこれらの国でも、漁獲量の増減が日常茶飯事なのである。つまり日本が資源管理に失敗しているという論は、日本漁業の不調なところと、海外漁業の好調なところを切り取ってつくられているのである」(P281)

おや、そうなんだ?と思ってとりあえず、アイスランドやノルウェーの漁獲高の推移を調べようとぐぐってみたら、「日本の課題と取り組み 震災でより鮮明になった漁業復興の難しさ」(市川文子)という記事のグラフが目に入った。
http://diamond.jp/articles/-/18358?page=2

このグラフを見てまず圧倒的に目をひくのは中国の漁獲量の異常な伸長であるはずなのに、筆者(市川氏)は「資源管理を進めたノルウェーとアイスランドの漁獲量が比較的水平に推移していることが、下のグラフからも見て取れるだろう。」と書くがいやいや、それはスケールの取り方でどうとでもかけるってw。そしてアイスランドやノルウェーが横ばい推移しているのを尻目に1950年に比べて4倍もの漁獲量を誇る中国はどーみても「資源管理を進めた」おかげではない。

「圧倒的な規模と大きな加工工場、安い人件費、そして巨大な市場を併せ持つ中国や台湾」(同記事より)が、ノルウェーやアイスランドを圧倒しているというのがグラフを見れば一目瞭然だろう。そして彼等が伸長したのは、持続可能な漁業だの、資源管理をすすめたおかげではない。
とすると、問題は乱獲ではなく、単に漁業投資の細りや漁業従事者の減少といったことかもしれない。つまり、乱獲、環境悪化ももちろん憂慮すべき事態ではあるが、「生産量の落ち込みは、漁獲努力量(漁船数、操業日数、操業回数など)の低下と連動しているのである」(『漁業と震災』P280)。

それはともかく、「海が痩せてきている」と濱田氏は言っているけど、中国や台湾周辺では海が痩せていないのか?それとも、どこかいい漁場で根こそぎ魚をとっているのだろうか?

あるいは、ひょっとして、中国がアイスランドやノルウェー並の「資源管理」をして「持続可能な漁業」を実践しているとか?!もしそうだとしたら、マジ尊敬するがw

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10月26日(月)

起床時刻:08時00分

寝坊。
お弁当はキヌア入りご飯、豚ヒレ肉の塩麹漬け焼き、紫キャベツのマリネ、サトイモとニンジンの含め煮、茹でたブロッコリー、ハンダマの梅おかか和え、柿1個。

会社の帰りに筋子をゲットしたんだが、筋子のおにぎりを自分でつくってお弁当に持って行くのは冒険すぎる?生ものだし。でも、コンビニには筋子のおにぎりって売っているよねぇ?
それか筋子だけ別の小さなパックに入れて保冷材でガチガチに固めて持って行き(会社に着いたらすぐに会社の冷蔵庫にしまう)、お弁当の白ご飯の上にのっけて食べるか。。。っていうか、そこまでして昼に筋子を食べたいんかいwって感じだけど。

食欲の秋全開みたいで、夕飯はご飯を二杯食べてしまったし(大根と油揚げのお味噌汁、余っていた豚ヒレ肉と紫キャベツ、納豆で)、柿もデザートに1個まるまる食べたから、一日で柿を2個食べたことになる。果物は一日一個までと決めていたのにー。
漢方やアーユルヴェーダでは女性が果物を食べるのは体を冷やすから良くないらしい。へん、そんなの女性差別の名残だい、だいたい「柿が赤くなったら医者が青くなる」って昔から言うじゃないか、二日酔いには柿がいいともいうし、柿はビタミンCの宝庫で、そういや柿の葉茶なんてのも健康茶として知られているし、そんなこんなで柿は絶対に体にいいもんなんだ!第一、すっごく美味しいしじゃん、って思うんだけど、一応控えているのであります。

「グラブル」は一切やるつもりはなかったのだが、夫の共闘(デイリーの報酬目的)を付き合うはめに。一般人を募集しろよ、めんどくさい。そして私は感謝されないんだよな、これが。マジでうざい。

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10月25日

起床時刻:10時55分

団イベ予選(@グラブル)。ギリギリのところで初予選敗退。

だいたいさ、やっている人数が増えているのに、本選進出基準は昔と一緒。
300万時代と600万時代と一緒なんだよ。

しかも、サービス提供期間が長くなっているから、昔は夫クラスの殿上人プレイヤーは少なかっただろうけど、今はどんどん増えている。更に、私レベルの中堅層はそれこそ掃いて捨てるくらいいるので、今じゃ珍しくなくなった殿上人(夫)+よくある中堅クラス(私)の二人騎空団じゃ、私クラスが30人いる団(騎空団の上限人数)に勝てるわけないんだよ。
実際、私は光パは弱いのだが、私ですら、貢献度を一千万は稼いでいる。30人いれば3億。夫は頑張っても一人で1億。
多勢に無勢なのだよ。

夫は、「私の貢献が足りない」、「協力が足りない」、「ちゃんと協力しない」とまたぶつぶつ文句言っていた。
これだよ。夕飯も食べないで(旦那は私が勝ってきたパンを食べていた)、12時まで必死にゲームして、その報酬が夫からの罵倒ですよ。コンショーセキガー、とかどーでもいいんだよ、マジで。

いいですかッ、私はこんなクソゲー一分だってやりたくないんだよ!!!はっきり言うが、時間の無駄。本でも読みたい。
小中学生ならともかく、いい年こいた大人がなーにが騎空団だよ、バッカじゃねーの。ロリコンみたいな子供やティーネイジャーたちの文化祭じみた「冒険」とやらに付き合ってられっかい。

まぁ、最初はこの手のボタンポチポチゲーにしちゃ面白いと思ってやっていたけど、基本射幸心狙ったただのガチャゲーだし、飽きた(大文字)。

夫に「グラブルに飽きた」と言ったら、夫が「性格がねじれている」「努力を一切しない」だのと文句を言っていた。本戦に出れなくて負け惜しみで言っていると思っているのか、夫は「じゃあ明日から一切やるな」だとさ。ほんとわかっていないが、こっちにゃ渡りに舟。
今は、あれほど時間と労力を費やしたFF11を一切やっていないけど、全く再開したいと思わないように、いますぐグラブルのアカ削除しても、なんの未練もない。私がゲームなんぞを楽しんでいるとでも思っていた?
おめでたいね。

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10月24日

起床時刻:08時30分

『楽しい睡眠』(松田英子)にEMDR(Eye Movement Desensitization and Reprocessing;眼球運動による脱感作および再処理法)の紹介があった。シャピロにより開発された心理療法でPTSDに有効らしい。自分を苦しめている出来事を思い出しながら、カウンセラーの指の動きに従って眼球を左右に動かすと心の傷が軽減されるそうな。
ほんまかね?と思ったが、タダだから自分でやってみてもいいだろう。害はあるまい、むしろ、目の運動にもいいかもしれん。

詳しいメカニズムはわかっていないそうだが、著者によると、EMDRはレム睡眠(=夢を見ているとき)の時の眼球の動きと似ているという。著者の研究によれば、現実世界で不安やトラブルをたくさん抱えている人ほどレム数(急速眼球運動の回数)が多くなるそうで、「おそらく夢の中でたくさんの問題を整理したり、解決しようとしているのでしょう」。
眠っているときの急速眼球運動は無意識に起こるが、このEMDRは意識的に行うことだろう、と著者は言う。
PTSDに苦しめられているのは「精神的に強いショックを受けた出来事が起きた場所や時間から、一歩も前にすすめない状態にいる」ということで、「EMDRは、うまく動かなくなっている患者さんの脳の情報処理機能を活性化させ、問題の整理・解決を進めていく働きを持っているのではないでしょうか」。

へー、面白い。楽しくなくても無理に笑顔をつくっているとなんとなく楽しい気分になるように、心→体だけではなく、体→心のアプローチっていうのも、特に心がガチガチになっている人には有効な気がする。

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10月23日(金)

起床時刻:08時15分

寝坊。弁当は残りものを詰めただけ。だが、色々余っているのを消費したかったのでちょうどよかったかもしれない。
お弁当は焼き鮭、叩き牛蒡の味噌漬け、ハンダマの梅おかか醤油和え(ハンダマの食べ方で一番美味かもしれない)、酢蓮、キヌア入りご飯、柿。

私はハンダマ(別名:金時草、水前寺菜)が大好きで、昨日はスーパーで久しぶりに見かけたので、2袋購入(買ったのは山梨産)。
ハンダマのセイタカアワダチソウのような雑草っぽい匂い(ってほとんどけなしてるみたいだけど)が、もう病みつき。生産者さんは「サラダに」と袋に書いているが、私はサラダだけはすすめない。絶対に湯がくべし(葉だけを摘み取って2分くらい)。湯がくと私の好きなヌメリが出て美味。
まぁ湯がいたとしても、すごくクセのある野菜なので、人にはおすすめしないけど。怖くて夫には出したこともない。

ただ健康にいいのは間違いない。病気の動物が本能的に薬草を食べるように、疲れやすく虚弱な体質の私が好むものは、だいたいにおいて健康にいいのである。本能的に体にいいものが好きなんだな。

昨日は2袋、全部茹でておいて、酢味噌和えにして半分くらい食べた(どんだけ)。残りはタッパーウェアに入れて保存。こうすればいつでも食べられるけど、夕飯にもハンダマの梅おかか醤油和え(梅干は叩いて、醤油、みりん、おかかと一緒に和えるだけ)を食べたので(ご飯がすごくすすむ)すぐなくなるだろうなw3袋買うべきだったかw
ちょっと前に茹でたほうれん草はまだ余ってるんだけどねw

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10月22日(木)

起床時刻:06時30分

今日の弁当は松茸ご飯、鮭の塩焼き、焼いたズッキーニ、蕪のバター醤油炒め、酢蓮、叩き牛蒡の味噌漬け、四方竹と油揚げの煮物、柿。松茸は輸入物(アメリカ産)。

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たまたまテレビをつけたら『カンブリア宮殿』をやっていた、筑水キャニコムという農業用運搬機器メーカーを紹介していた。なんと福岡県うきは市のメーカーだとか。浮羽かい。吉井町みたいだ。私も福岡県の筑後地方出身なので、親近感がある。回想シーンが方言になっとるw

「ものづくりは演歌だ」「義理と人情をおとどけします」っていうのがスローガンwしかも草刈機の名前が「草刈機まさお」だとw

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The only cure for a real hangover is death.
Robert Benchley
BrainyQuoteより。

The only cure for a real depression is death.
pyaaa
これぞまさに根本治療。

まぁ人生は対処(対症)療法の積み重ね。
痛みをごまかし、ごまかし、だ。

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10月21日(水)

起床時刻:07時30分

今日のお弁当はオムライス、ほうれん草の磯部和え、叩き牛蒡の味噌漬け、四方竹と油揚げの煮物、柿。

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10月20日(火)

起床時刻:07時30分

昨日は3時くらいまで起きていた、
『楽しい睡眠。夢をデザインする』(松田英子)を読む。
2004年と少し昔の本だけど結構面白い。

夢とは何か。フロイトの(性的)願望充足仮説(夢は抑えつけられていた願望が形を変えてあらわれたもの)、ユングの集合的無意識からのメッセージ説(夢は偏った意識を補償する機能がある)については、どこかで聞きかじったことはあるものの、どちらも全然ピンと来なかった。最近?ではもっと色んな説があるらしい。

①夢はいらない情報を消すためにある―クリック&ミッチンソン説
スーパーコンピュータの記憶装置に蓄積された無意味信号を消すためにときどき規則性のない信号を周期的に送る(んだそうな)のに似たようなものが


②夢の中では新しい体験と過去の記憶を統合している―ウィンソン説
ハリモグラの眠り(レム睡眠がない)からインスパイアされたらしい。
ハリモグラはレム睡眠がないから前頭前野が大きい。つまり起きている間に
新しい体験と過去の記憶を統合し学習しなくちゃいけないから大きくなった。ネズミに学習させた後にレム睡眠をとらせないようにすると目覚めた後の学習効率が極めて低下した

③夢は覚醒時の行動のためのシミュレーションージュヴェ説
遺伝プロミング仮説。猫は夢の中で遺伝プログラミングされている行動パターンを、起きているときも使えるように練習しているんじゃないか説。

④夢を見ることに特に深い意味はない―ホブソン説
夢はただの夢という「活性化・合成仮説」。レム睡眠時に脳幹から発せられる神経信号によって大脳皮質が刺激を受けて、ストックされていた記憶がランダムに掘り起こされるだけ。

⑤起きているときに気になっていることが夢にあらわれるー松田説(著者)

2004年でこれだけ紹介されている。この本から10年たったから今ではもっといろいろあるのかなぁ。

そして夢を思い出しやすい性格、思い出しにくい性格というのがあるのだそうな。
夢は新しい記憶と古い記憶とを結び付けたりして情報を整理したりしているので、その整理の過程である夢は本来覚えておく必要はないから、覚えにくいものなんだそう。
夢を覚えにくい人=タイプAのせっかちな人
夢をよく覚えているのは、
●自分の心の状態や変化に敏感な人
●不安度が高く、身の周りに起きているさまざまな出来事をネガティブにとらえやすい人
●夢に関心がある人。芸術家タイプで夢から何か着想を得たいと思っている人。
めっちゃわかるわ。
私、すごく嫌な夢をよく見るけど、芸術家云々以外全部あてはまる。

著者の調査によると、パーソナリティ調査(ミネソタ多面的人格目録)で不安度が高い人は実際、夢をよく記憶しており、かつイヤな夢をよく見ることが明らかになったそうな。
またまた著者の調査によると夢を覚えている人と覚えてない人ではレム数の違いにあったそうな。夢をよく覚えている人はレム(急速眼球運動)の回数が多いんだって。めっちゃキョロキョロ目ん玉を動かしてるってわけだ。

不安度の高い人は起きているときに色んなことに不安を感じているから、脳をフル回転させてストックされた過去の記憶を掘り返している、そしてそれがレム数の多さや内容の濃い夢につながっている、と著者はいう。

ちなみに悪夢(不安夢ではない、不安夢は嫌な夢でも起きないが、悪夢はがバッと起きる系)は子供や青少年ほどよく見て大人になると見なくなるらしい。

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10月19日(月)

起床時刻:不明

デパ地下で高知産・四方竹(秋が旬の細い筍)の水煮が売っていたので買ってきて、油揚げと一緒に煮物にした。
以前四方竹を食べたとき、柔らかくてクセがなく実に美味しかったのだ。
今回のは前回に比べると硬さとえぐみがあった。
まぁ、許容範囲ではあるけど。

朝、おいなりさんを作って1個食べた。朝はおいなりさんとたっぷりの味噌汁(牛蒡、大根、こんにゃく、ニンジン、干しシイタケ、豆腐)、柿。
お弁当はおいなりさん2個、マカロニサラダ(ブロッコリー、ハム)、牛蒡の味噌漬け(自家製)、柿。味噌漬けの牛蒡は茹ですぎたなw
夜、おいなりさん2個。これでおいなりさんの消費完了。おかわかめの胡麻酢和え。マカロニサラダの残り。
ひどいメニューだなw 朝昼晩、ほぼ弁当みたいなw

***********
ほぼ初対面の人に「借家ですか?持家ですか?」と聞かれたことがある。こういうの、いきなり聞くもんかね?
「借家っすよ、もちろん」と答えたが、なんなら「マイホームという自律や安心の獲得は、ローンという不安や従属をもたらすファウスト的取引の結果なのである」(P97『ミドルクラスを問いなおす』)とでも答えればよかったか。

「戦中戦後と日本の公共住宅政策の設計・計画でリーダーシップをとった西山夘三はこうした持家層をニセ持家層と呼んでいる。西山によれば「人間の生活するにふさわしい住宅を自己持住宅として取得し維持できる状態が客観的にみてととのっていないのに、自民党政府の戦後一貫した持ち家政策(公共賃貸住宅軽視の政策)の圧力によって、持ち家を持たざるを得ない状況に追い込まれた広範な持ち家層のこと」である(日本住宅会議編『一九八六年版住宅白書』「ニセ持ち家層」)。

「ここに主体のパラドクスないし矛盾を指摘することができる。すなわち自律した個人であろうとすればするほど、従属に追い込まれていくというパラドクスである」と『ミドルクラスを問いなおす』著者は続ける。

そこに「資本蓄積を通じた自己肯定への強迫観念的態度であり、つまりミドルクラスの精神そのもの」を見てとることもできよう。

ここまではいいが、ここから先の結論がいただけない。

著者は「協働や相互扶助などの社会的絆を信頼する者たちは、必要以上の労働は控える。そして不必要な消費も控えるだろう。そのかわりに彼らは助け合うことを学ぶだろう。文化を自前で作り出すかもしれない。彼らは資本の外部に共通の関係や文化をつくり出すことで、資本から自律していく」(P232)というが、まぁなんというか、、、大学生じゃあるまいし、、、そんな理想主義的な脳内お花畑ストーリー、時代錯誤な左翼的ファンタジーは流石にひく。

空想に走る前に足元を実証的に研究せいと言いたいが、大学時代にそういう研究方法を学ばなかったんだろう。
「コモンズを取り戻せ!」と言うが、コモンズを取り戻したい人はごくごく一部の理想主義的大学生とか左翼的活動家くらいであって、たいていの人は町内会すらめんどくさがっているのである。町内会の空き地の草刈ですら、めんどくさがって業者に金を払って解決してもらうことを望む(=資本に頼る)時代であるぞ。
著者によればプレカリアートは親の世代のミドルクラスを目指した生き方とは別の生き方を探っており、資本主義からの集団的離脱、あるいは集団的「転向」が起きており、「資本は今、あわてふためきつつある」というのが結語だが、生き方というより金の問題だろうと私は思う。
バブル崩壊後、金がない中、単純に消費社会に踊らされなくなった消費者の財布の紐に「あわてふためきつつある」とはいえようが。

本書では多くの本が引用されていて、巻末に参考図書一覧が掲載されており、そこがいい点である。

平山洋介『住宅政策のどこが問題か―<持家社会の次を展望する>』(光文社新書)を読んでみよう。
あとはアーリー・ホックシールドの『管理される心』。ファミリー・フレンドリーな企業の研究が面白い。家族の文化、共同体の文化に企業が便乗(piggyback)とな。

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10月18日

起床時刻:不明

『早起き生活』にこんな記事を投稿してもいいものか。
「週刊現代」2015年10月17日号より、
「「早起き」すると寿命が縮む!オックスフォード大学の研究で判明
~心筋梗塞、脳卒中、糖尿病のリスクが倍増」。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/45782

「朝早く起きることは、人体にとって「拷問」に等しい—そんな衝撃的な研究結果を発表したのは、英オックスフォード大学の睡眠・概日リズム神経科学研究所の名誉研究員、ポール・ケリー博士である。」

早起きは拷問に等しい。うん、いい言葉である。
元々私は早起きがものすごく苦手な人間だったから、早起きは健康に悪いと聞いても全く驚かない。というのも「早く起きなければならない」というプレッシャーの生み出す莫大なストレスが健康を害する、と常々思っていたからであるが、どうやらそうではないらしい。

早起きのせいで、病気にかかりやすくなる理由は、「ケリー博士によれば、その原因は「人間の体内時計の『ズレ』」にある」のだそうな。

「体内時計は身体のあらゆる部位に存在します。例えば脳の視交叉上核という場所に体内時計が備わっていますが、早起きすることによってこれがズレてしまうと、著しく脳の機能が低下します。すると集中力や記憶力、コミュニケーション能力などが著しく減退してしまうのです」

「ハーバード大学医学部において、朝から夕方までの勤務シフトで働く医者と、昼から夜までの勤務シフトで働く医者の仕事ぶりを比較する実験をケリー博士らが行った。すると、前者の医者は後者に比べて集中力の欠如が見られ、医療ミスが36%も増加したという。」

ケリー教授によると、
「「世界中のあらゆる人たちの睡眠パターンを分析して、年齢層ごとの推奨すべき起床時間と起床後の活動開始時間をはじき出すことに成功しました。それによれば、個人差はあるものの、起床時間は青年期(15~30歳)であれば朝9時、壮年期・中年期(31~64歳)なら8時、高年期(65歳以上)だと7時となっている。

また起床後の活動開始時間は青年期11時、壮年期・中年期10時、高年期は9時が最適だと分かっています。この数値を見れば明らかなように、すべての年齢層の人に言えることは、6時よりも前に起床することは人間として本来あってはならないということです」」

6時前に起きるのは人間として本来あってはならない!!
マジっすか!!

この年齢別起床推奨時間によると、嫁よりも舅・姑が早く起きるべきなんである。私も常々そう思っていた。というのも年をとるにつれて早起きが昔ほど苦じゃなくなってきたからだ。まだまだ眠い盛りの嫁を朝早く起きさせるのは科学的に言っても間違いなのである。ジジババが先に起きて朝ごはんを用意してやるべきなのだ。

私の場合、昔より寝つきも悪く、睡眠も浅く、夜中にも目が覚める。そして日中はもやがかかったような、うすボンヤリ状態で、すぐに疲れる。こういう風に、日中の覚醒レベルも低く、睡眠レベルも浅い状態になると早起きができるようになるんですな。

前述の記事に登場する日本の睡眠医療の専門家である遠藤拓郎・スリープクリニック調布院長によると
「「高齢の方が朝早く起きてしまいやすくなるのは、メラトニンという眠気を誘発するホルモンが加齢によって減少してしまうからです。また体力の低下が、そのまま寝る力も奪ってしまっています。
むしろ高齢の方は早寝早起きよりも『遅寝遅起き』のほうがずっと健康にいいんですよ」

へーっ。

「ケリー博士は特に日本社会に対して危機感を抱いている。
「統計的にも、日本人は世界中で突出して睡眠時間が短い。加えて早く起きる人の割合も多い。しかも学校や政府、企業がそれを主導しているように思えます。『早起きは三文の徳』ということわざが日本にはあるようですが、とくに高齢の方には、それは科学的に間違いだということを十分理解してもらいたいです」

『早起きは三文の徳』は科学的に間違い!!
すごい衝撃。いやあ、少し前なら愉快痛快だったが、今はまぁ早起きできるようになっちゃったしなぁ、メラトニンと体力の減少のせいで。。。

まぁここまで長々と書いてきてこんな結論はなんだが、結局私のいつもの持論、「人それぞれ」だと思うよ。だから無理して遅起きする必要など全くない。早起きタイプ、遅起きタイプ、長寝タイプ、短寝タイプ、人それぞれ。その人のタイプにあった睡眠リズムをとるのがいい。
ほんとは起きたいときに起き、寝たいときに寝るのが一番なんだ。ま、社会生活を営んでいると無理なんだけどね。グーグルはフレックスでもいいだろうが(午前中のオフィスは人もまばらで、昼過ぎになってようやく社員たちが姿を見せ始めるそうな)、お弁当をつくるお母さん、電車の運転手やコンビニ店員はそういうわけにいかんからな。

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10月17日

起床時刻:09時30分

10/15の日経の「春秋」より抜粋。
「▼今年のノーベル経済学賞は米国のアンガス・ディートン教授に決まった。「消費や貧困、幸福について分析」した。その調査では、幸福感は収入が増えるにつれて上がるが、年収が約900万円を超えると、この傾向は続かないそうだ。杜子春が悟ったように、お金をたくさん持っていても幸せは増やせないというわけだ。」

ちょっと待った、ディートン教授によれば900万(USDでは7万5千ドルらしいが)まではお金をたくさん持てば持つほど幸せは増やせるんである。そして全給与所得者に対する年収1,000万円以上の割合は、男女計で3.9%なのであるから(「年収ラボ」H25年「統計元:国税庁 平成25年 民間給与実態統計調査結果」より)、9割程度の日本人は「お金がないから幸福感が低い」のであり、杜子春とは違って「お金をたくさん持っていれば幸せは増やせる」んである。杜子春の場合は「飛行機のファーストクラスに乗れても、自家用ジェットがないから幸福ではない」とかいう大富豪の世界だろうが。それを年収3、400万の人と一緒にすんなって。
「年収ラボ」↓
http://nensyu-labo.com/heikin_kaisou.htm

春秋は日本人(特に中高年)は「豊かであるにもかかわらず、世界でも幸福感が低い」と言いたがるが(日経記者は豊かなんでしょうな)、そもそも「日本人は一人当たりの所得でみれば、世界の先進国と比べてたいして豊かではない」という現実を見据えたらどうだ。
「男性では年収300~400万円台がボリュームゾーン、女性では年収100~200万円台がボリュームゾーン」で、「全給与所得者に対する年収300万円以下の割合は、男女計で40.9%(前年比-0.1%)、男性で24.1%(前年比-0.2%)、女性で65.5%(前年比-0.4%)」なんだから、金がないから不幸だと考えればスッキリするのだ。最後に「春秋」を引用しておく。

*******************
日経新聞「春秋」
2015年10月15日付

突然、仙人が現れる。路上生活で食べ物にも困っていた若者が大金持ちになり、ぜいたく三昧に暮らす。使い尽くして無一文になると、また、黄金を掘り当てる。なんど繰り返しても、満足できない。唐代の伝奇小説を翻案した芥川龍之介の「杜子春(とししゅん)」の筋立てである。

▼いくらお金があっても幸福を感じられない。人の世に愛想が尽きた杜子春は、仙人になろうとするが、あまりにも厳しい修行に耐えられない。あきらめて人間らしい、正直な生活がしたいと望む。最後は、仙人から山の麓にある畑付きの一軒家をもらう。家があり畑仕事もあるのだから、それなりに幸せになれたのだろう。

▼今年のノーベル経済学賞は米国のアンガス・ディートン教授に決まった。「消費や貧困、幸福について分析」した。その調査では、幸福感は収入が増えるにつれて上がるが、年収が約900万円を超えると、この傾向は続かないそうだ。杜子春が悟ったように、お金をたくさん持っていても幸せは増やせないというわけだ。

▼日本人の幸福感は世界でも低い方らしい。豊かな中高年が特に低い。調べた大竹文雄阪大教授が妙案を出している。寄付などで人のためにお金を使うといいそうだ。社会の役に立っていると感じると、たちまち幸せになれる。とうに知ってると昔の人は笑うかもしれない。情けは人のためならず、と諺(ことわざ)にもあるほどだから。
http://www.nikkei.com/article/DGXKZO92828940V11C15A0MM8000/
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ディートン教授の元ネタ。結論部分を抜粋。

Emotional well-being also rises with log income, but there is no further progress beyond an annual income of ~$75,000. Low income exacerbates the emotional pain associated with such misfortunes as divorce, ill health, and being alone. We conclude that high income buys life satisfaction but not happiness, and that low income is associated both with low life evaluation and low emotional well-being.
おいおい、高収入は人生の満足は買えても幸福は買えないが、低収入は両方買えないとあるじゃないかwやっぱ金はあるに越したこたぁねぇんだよw

http://www.pnas.org/content/107/38/16489.short

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10月16日(金)

起床時刻:07時45分

「癖のない人と言はれて庶務に居る」
『ポケット川柳』より西尾栞氏の川柳。

「ようきいときやと妹ついでに叱られる」
「あほになっときなはれという母があり」
「何か言うてないと淋しい生まれつき」

関西弁がいいなァ。

開いた生サンマを塩麹と醤油とショウガのすりおろしに漬け込んで焼いた。美味。塩麹だけだと甘くなるので控えめにして、醤油や味噌と合わせるのが好み。ショウガのみならずニンニクのすりおろしも入れるとそれもまた美味だが、弁当に入れるとニンニクが匂うのでショウガのみに。

焼くときは焦げやすいので、クッキングペーパーをフライパンに敷いて焼くのがおすすめ。火加減を調節しながら裏表焼く。

お弁当はサンマのほかに出汁巻卵、マカロニサラダ(具材はブロッコリー、ニンジン、ハム)、叩き牛蒡、さつまいものレモン煮。出汁巻用に大根おろしの水気をよく切ってラップに包んで持って行った。出来立ては出汁巻の味が濃いように感じたが昼時に弁当で食べると、濃くは感じない。なんでだ。不安定な我が舌である。弁当のデザートはみかん1個と、かの岐阜は中津川松月堂の「久里柿」サマである、控えおろう!!
渋谷の東急フードショーで期間限定で出店おり、一個が税抜き370円、税込み399円もするのだ。とても立派な干し柿にまろやかな栗きんとん(クリームの如き)が入っており、うっすらとモチっぽいものをまとった柿の表面にはケシの実がびっしりくっついている菓子である。

牛丼一杯とおおよそ同じ金額と聞くと高くもあるが、スタバのコーヒー一杯(グランデ(380円))とほぼ同じと考えれば安く感じるのではなかろうか。コーヒー一杯入れるのと久里柿一個作るのではどちらが手間暇かかるか、原価が高いか、と思うと。

ま、適正価格などというのはフレーミング効果を持ち出すまでもなく、不確かなものだけれどね。

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10月15日(木)

起床時刻:07時15分

ん?今日って木曜だったの?うそでしょ?!今の今まで(現在、夜の10時)、絶対水曜だと思ってたよ!!
朝から水曜だと思っていたからゴミ出しもしていない(当方、木曜が可燃ゴミの日)。どこかで一日ずれたんだな。月曜が祝日で休みだったから、感覚が一日ずれたのか。

ところで話は全然変わるけど、世の中スーパーフードブームで、やれアサイーだ、マキベリーだと騒いでいるが、元祖スーパーフードのあのお方をお忘れじゃありませんかね?そう、プルーン先生ですよッ。

そんなわけで、私は最近プルーンを食べている。本当はマキベリーが買いたかったが、のけぞるほど高かったのだ。
プルーンは、便秘症の私にとっては、食物繊維の豊富さが魅力だ。
その他、便秘予防として、毎日お弁当には叩き牛蒡を入れている。更には常備菜であるサツマイモのレモン煮も、日々のお弁当に2,3切れ入れている。ホウレンソウの胡麻和えにはこれまた食物繊維が豊富な海苔も混ぜている(汁気を吸う効果もあり)。そして今日の弁当は押し麦入りのご飯だったのだ。

なのに、超便秘してんだけど!!
私、お昼ご飯だけで、成人に必要な一日の食物繊維量をとっている自信があるけど、便秘がしつこすぎる。
便秘にいいとされる発酵食品なら朝に納豆を食べたし、今日の夜はキムチを少々食べた。ヨーグルトも毎日のように食べているし、何がいけないのッ?!

やっぱり、運動が足りないのか。食事だけでどうこうしようってぇのが図々しいのかも。運動しなきゃなあ、本当に。

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10月14日(水)

起床時刻:08時00分

昨日の記事に登場したAM1:00まで休日出勤していた男性から、今朝はAM3:30にメールが入っていた・・・。どんだけ残業してんの・・・。

『今朝子の晩ご飯』なる松井今朝子氏のブログを一冊にまとめた本(2007年1月~6月の日記でだいぶタイムラグがあるが)をランチ時に読んでいる。ブログをただまとめただけとはなんちゅうイージーな本なんや、と思うが、疲れているときはこういう軽い本が嬉しい。まぁ軽~く読めるのは私が松井氏と思想信条感覚等が似ているせいで、読み流せるせいであろう。安倍首相の支持者ならしょっちゅう引っかかること請け合い(笑)。

滝口康彦原作の『上意討ち―拝領妻始末―』の舞台の感想のところで「<略>封建時代とはまさしくそうした理不尽に満ちた社会だとの認識が私の若い頃には大勢を占めていた。能天気な「江戸ブーム」とはおよそかけ離れた認識であり、従って江戸時代を背景にした小説は封建制度の矛盾をえぐり出し、そこからいわば日本社会に通底する病理を抽出して描き出すものだと考えられ、私自身は正直今でもそういう気持ちで書くことが比較的多いのだった」(P202)とあった。
その意気やよし。

とはいえ、安易なノスタルジーに甘んじず、封建社会の矛盾やむごさもしっかりと描きつつ、かつエンターテインメントに仕上げるのは至難の業だとは思うけど。

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10月13日(火)

起床時刻:07時00分

昨日は祝日だが、斜め向かいの男性はAM1:00まで会社で仕事をしていたらしい。どうにもこうにも「終わらない」そうで。そう言われちゃ、私も「できません」とは言えないよなぁ。てなわけで、今日はちょい残業。たぶん、明日も明後日も。

Hちゃんが貸してくれた本をちらっと読んだがどーしようもない本であった。「読みたいって言ったよね?」というんだけど、そんなわけあるかい。死んだときに「こんな本を読んでたんだー」と人に思われたくないから、今すぐに返したいんだけど、感想を聞かれたらなんて言おう?耐えられなくって全部読んでいないしw

こんなミゾジニ-丸出しの本をなんでHちゃんは読むんだろう?
思うに、今時のミソジニーは「女はみんなバカ」とは言わない。
「○○な女はバカ」と言うのが定番なのである(そしてこの手合いにとっては、ほぼ全ての女はバカだから(キュリー夫人クラスを除く)、女であれば悉く○○にあてはまるのだ)。
「自分はバカにされる側の女ではない」と思っているそこそこ賢い女は、男と一緒になってバカな女をバカにするのだが、しかし、当の男にとっては男の尻馬にのって女を叩いている女も大同小異、五十歩百歩、同じ穴のむじななのだ。そこらへんの、私やHちゃんの如き、いい年こいた賢しらな子なし女なんか、彼等にとっては一番唾棄すべき、馬鹿な女の最たるものであろう。

男にバカにされないように男の論理を懸命に理解し、身につけようとうするけなげな女子大生ならともかく(そして「彼女は話がわかる」と「優秀な男」に言われることを無上の喜びとする女子大生ならともかく)、この年になると、”まともな批判”と”理屈の皮をかぶったミソジニー”の違いがなんとなく見えてくるものだ。そして、後者をエラソーに述べる男なんぞにつきあってやる義理も暇もない、ということに気づくはずだ。

ま、Hちゃんは若いんだろう。

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10月12日(月)

起床時刻:09時15分

夕飯はハンバーグ。付け合わせはほうれん草のバターソテー、ニンジンのグラッセ、マッシュポテト(付け合わせの三種の神器)。白菜と油揚げの味噌汁。押し麦入りご飯。

「これっくらいの おべんとばこに♪ おにぎり おにぎり ちょいとつめて♪」というお遊戯の歌があった。
うろ覚えだが「にんじんさん、ごぼうさん、しいたけさん、穴~のあいたれんこんさん、筋の通ったふ~き♪」などといったおかずランナップで、今思うとものすごく地味というか、根菜いっぱいのマクロビ弁当みたいだなぁ。だいたい今どきの子供は「ふき」が何かわからないんじゃないか。うちの夫も現代っ子のテンプレ通り「ふき」を食べない。そしてうちの夫が仮にママだったら、絶対に「ふき」は食卓にあがらない。かくして子供はフキ知らずに育つんじゃないかと推測するんだが(もちろん、私はフキと油揚げの胡麻煮(@栗原はるみレシピ)とか大好きだ)。

お弁当箱の歌なんぞを今頃ふと思い出したのは老化現象でなければ(年をとればとるほど昔のことばかり思い出す、と聞いたことがある)、『もっと私たちのお弁当』(クウネルお弁当隊)という本を読んだからかもしれない。

本書のまえがきには、お弁当をじっと見つめてはいけない気がするのは「やはりそこには、そのひとの生活が、過不足なく詰まっているからでしょう」って書いてあるんだけど、ひー、やめてー、たかが弁当をそんな重いものにしないでー、アメリカの弁当というかランチボックスなんかチョー適当だったよ。『ブレイキング・バッド』でスカイラーが務めに出るようになって朝弁当を持って行くシーンがあったんだけど、昨日の残りのパスタサラダみたいなもん(一種類)をタッパーウェアに詰めただけ、みたいな感じだったぞ。よくは覚えていないが「楽な弁当だな」と思ったのは確かである。

でもやっぱり、少なくとも日本においては、弁当というのはその人のセンス(おしゃれさ)とか、性格(おおざっぱだったり緻密だったり)とか、教養(栄養バランスの知識など)とか、全部出る気がする。本書ではやっぱりワタナベマキさんのセンスが抜群だな。さすがデザイナーだ。

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10月11日

起床時刻:09時00分

夕飯は国産黒毛和牛(ランプ)のステーキ。付け合わせはキャベツとジャガイモのバターソテー。それとホウレンソウの胡麻和え、白菜と油揚げのお味噌汁。デザートはみかん(夫はシュークリーム)。赤系の色味がないな。

マイケル・S・ガザニガの『<わたし>はどこにあるのか』によると、脳の左半球はあらゆる入力情報から状況をおおまかにつかみ、つじつまのあう解釈にまとめようとする。矛盾する情報は削除したりして、納得感のある後付の解釈をつくりだす。ガザニガはこの左半球の動きを「インタープリター・モジュール」と呼んでいる。
右半球は「解釈」せず、事実をありのままに受け止める。だから左半球による解釈があまりにも現実とずれると、右半球の「異常探知機」が騒ぎだす。右頭頂葉を損傷した人は奇想天外で突飛な話を語るのは右半球の異常探知機が働かないためだろうという。一方で左頭頂葉を損傷した患者は「否認や合理化、作話による「穴埋め」ができないせいで、うつ状態に陥ることが多い」(P122)。

やっぱりね、「ありのままの現実」を額面通りに受け止めれば鬱になるのである。認知療法がいうように「認知の歪み」から「鬱」が生じるのではなく、「認知がゆがまなくなった」から「鬱」が生じるのだ。

また抗不安薬は監視システムをのっとり、インタープリターに誤った情報を流してしまう。「ニューヨーク市では、強盗事件や緊急救命室の利用の増加が、抗不安薬の服用に関連があると指摘されている」(P121)。またインタープリター自身が抗不安薬のような役割を果たすこともある。「人をむやみと疑ったり、偏見の目で見たりしてはいけないという解釈を繰り返していると、インタープリターは警戒信号を見逃してしまう」(P122)。

私は以前にオウム真理教に入信した人たちがなぜ麻原(松本)の外見(怪しさ満載)を見て警戒しなかったのか、と思ったときに、信者たちがどうも「人を見かけで判断してはいけない」という教えをしっかりと内面化した「いい子たち」だったからだろうと考えた。普通は「キモイ」と思って近づかないが、「いい子たち」は、ガザニガ風に言えば、インタープリター・モジュールの道徳観が脳の右半球の発する警戒信号を抑えたたのではいか。

入信者には若い人や理想主義的な人が多かったというのもその証左である。年をとると、なんだかんだきれいごとを言っても、人間というのは不合理な存在で、理屈をこねまわすより直観のほうが当たったりする、ということを肌感覚でわかるようになる。もっとも直観が外れることもあるし、直観だけで行動するのは危険だが、直観を抑えこもうとするのもまた危険なり、ということだろう。

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10月10日

起床時刻:09時00分

Hちゃんと久しぶりに会った。
パクチーとラムが名物のお店へ。自家製のハリッサ(マグレブ地方の「食べるラー油」風調味料)をラム肩肉のコンフィにつけて食べるとミントが爽やかで美味。パンチのあるトルコの白ワインとあわせて美味しくいただいた。

Hちゃんの今の仕事は、昼の3時に行って朝の8時まで働くというスタイル(しかもクライアントに怒鳴られつつ)だそうで、そりゃあお肌も心もボロボロになるよなぁ。同業は男ばかりらしいがそりゃそうだ。

Hちゃんも能力面だけでいえば今の仕事を簡単にこなせるはずだが、仕事のストレスとプレッシャーの強さは、能力より体力と精神力がずっと重要となるだろう。「健康な若い男」に合わせたスケジューリングと環境の元で30代後半の女性がやっていくのはしんどいと思う。

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私は常々言っているが、仕事で一番必要なもの、それは体力だ。
今年の日本人のノーベル賞受賞者について、テレビで放送していたのを見たが、大村さんはスキーで国体に出たとかなんとか、もう一人の梶田さんは大学では弓道部だったとかなんとか、要するに体育会系だった。
運動部で鍛えた体力と精神力のために、研究者の道を歩んでも人の何倍も仕事ができたんじゃないか。体力があればノーベル賞をとれるわけではないが、十分条件でなくとも必要条件だろう。

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ウサギと亀の競争の教訓があるが(slow and steady wins the race)、ウサギが本気をだせばウサギが勝つに決まっている。つまりslow and steadyとfast and steadyの勝負なら当然、後者が勝つに決まっている。休まないウサギと休まない亀の競争の場合、亀に勝ち目はない。

そして現代のウサギはキャリア形成の途中で休んだりしない。世の中休まないウサギにあわせて制度設計されているから、そこに放り込まれた亀のほうが、目まぐるしく変わる世の中やタイトスケジュールの仕事についていけず、鬱になったりして休んじまうのである。ウサギと亀の差は開く一方。

生きていくというのは、仕事をするというのは本当に大変だ。
特にウサギならぬ亀に生まれた者にとっては、しんどさは半端なく、「生きるために仕事をする」よりも「生きるのをやめて仕事もやめる」ことの方がずっと魅力的にさえうつる。

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10月08日(木)

起床時刻:07時00分

この日は新入社員(3人の子持ちママさん)の歓迎会。
私が会場をセッティングしたんだけれど、混んでもいないのに、ものすごく狭い席にぎゅうぎゅうに押し込まれ、テーブルはグラグラ・ガタガタだし、雑居ビルの一角で向かいの店の蛍光灯の明かりがまぶしいし、これは店選びに失敗したんじゃないか、と思い悩んでいた。食事はなかなか出てこないが(出てきたら出てきたで狭くて皿を置く場所がない。しょうがないので皿を膝の上にのせるしまつ)、出てきたものはまぁ美味であったのが救いと言えようか。

歓迎会の間も、「ああ、店選びに失敗してしまった」とぐずぐず悩んでしまった。通勤のときにいつも前を通っていたので「事前に見にくればよかった」などと今更後悔。ただでさえわたくしの人生は悩みが多いのに、また悩みを増やしてしまった。
とはいえ、今回の店選びに関して良かったことは(ポリアンナの「よかった探し」の精神なり)、「飲み会の会場選び」などというしょーもない雑用ですら、悩みの種になるという「気づき」を得たことであろうか。そして店選びに意外と時間がかかる、ということも(2カ所予約がいっぱいで断られた)。毎回お店を選んでくれていたK氏に対して尊敬の念が増したことは言うまでもない。

グレープフルーツサワーを2杯ほど飲んで先に辞したが、9時半ぐらいであったろうか?いやはや、疲れた。

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10月06日(火)

起床時刻:07時00分

この日の日経の夕刊の「食ナビ」のコーナーは「福岡の「ごまさば」マサバなのに」という記事だった。「ごまさば」は大好物なので(福岡の食で一番好きかも)、さっそく読んでみた。

「生のサバに九州特有の甘口しょうゆをベースにしたタレをかけ、ゴマをまぶしワサビを乗せて口に運ぶ。滑らかな食感のサバはかみ応えもあって臭みもない。こんなにすてきな食べ物がなぜ福岡県外では食する機会が少ないのか。」とこの記事を書いた平本氏は言う。

なんといっても生の鯖で怖いのは寄生虫のアニサキスだ。
アニサキスは胃壁を食い破るそうで、その痛さはとんでもないと聞く。何人か毎年死ぬともいうし、恐ろしいったらありゃしないのだ。
「あら何ともなや きのふは過て ふくと汁」という芭蕉の句があるが、それと同じくらいの覚悟をもって私はゴマサバを食べていた。
ていうか、想像するにフグの毒で死ぬのとアニサキスに胃壁を食い破られて死ぬのでは、後者のほうが痛いのではないか。

この記事にはこんな耳より情報が書いてあった。
「東京都健康安全研究センターが全国のサバを調査したところ、太平洋側の主なアニサキス種は内臓から刺身部分への移行率が11%だったのに対し、日本海の主な種は0.1%にとどまった。特に長崎と福岡産のサバは、100%が刺身部分に移行しづらいアニサキスの種類だった」
ほーお、そうなんだ。知らなかった。
とはいえ、調査を担当した同センターの村田氏は「生で食べるのはお勧めしない」と釘をさしたそうだが。

昔の私なら、今度実家に帰ったときは記事に紹介されていた飲食店に喜びいさんで出かけたに違いないが、最近の私は昔に比べると食の熱意もかなり減少していて、「まー、そこまでして食べなくてもいいか」とタンパクになってきた。昔は本当に食い意地が張っていたんだけどなぁ。

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10月03日

起床時刻:07時30分

10月02日(金)

起床時刻:06時30分

今更ながら『傷はぜったい消毒するな 生態系としての皮膚の科学』(夏井睦)を読んで衝撃を受ける。

傷は乾燥しないように、湿潤治療(プラスモイストのようなもので覆っておく。なければ水で洗ってワセリンでもつけてラップでおおっとく。ただしラップだと通気性が悪くてかぶれたりするので、そのあたりは本書を読むべし)が良い。
消毒すると細菌のタンパク質細胞だけでなく、皮膚のタンパク質細胞をも破壊してしまうので、痛い上に治りがおそい。

消毒しなけりゃばい菌が入って可能するんじゃないか?と思うが、そんなことないらしい。その証拠に切れ痔はばい菌の塊たる「大」が日々通過しても、化膿したりしない、と言う。いや私はそれで化膿して病院に行ったんだけど。10年前、便秘症ゆえの切れ痔が化膿し熱まで出たが、ステロイド剤の塗り薬ですぐに良くなった。

私は化膿しやすい性質で、家にあるマキロンも傷の消毒に使ったことはなく、専ら鼻にできた吹き出物につけるためだ。私の場合、我が皮膚の常在菌だか免疫細胞だかは、黄色ブドウ球菌など化膿の原因となる菌と闘ってだいたい負けるみたい。だから化膿状態(=悪い菌が優勢)の場合、自分の皮膚の常在菌や細胞を含めて両方殺しても、害より益のほうが多かろうと思うのだが、どうなんだろう。

衝撃を受けながらも「まぁ滅多に怪我をしないしな」と半ば他人事に思いつつ読んでいたら、界面活性剤の害について書かれていた。
界面活性剤は化粧品、シャンプー等には不可欠のものだ。

界面活性剤は、肌の健康に不可欠な皮膚常在菌が棲めない状態にする(界面活性剤を含む洗顔剤や化粧品は細胞を傷つけ常在菌を殺す)。だから界面活性剤を使用した傷薬(クリーム基材のもの)は、百害あって一利もないそうなのだ。有名なところではオロナイン。クリーム基材のものは健康な肌にしか使ってはいけないらしい。健康な肌なら耐えられる、ということか。

「いかに皮膚に良い成分が含まれている化粧品だろうと、基剤が界面活性剤を含んでいれば元も子もない」
(確かに皮膚常在菌は「弱酸性」を好むが、「弱酸性ビオレ」は界面活性剤を含むので肌を「弱酸性」に保つに役立たない)
「化粧品は一日の大半、肌を覆っている。 朝7時にメイクをして夜7時に落とすとしても、12時間連続して皮膚を化粧品が覆っていることになるし、もっと長い時間メイクを落とさない人も多いはずだ。つまり、女性の肌は連日12時間以上界面活性剤で覆われていることになる。大切な皮脂は分解され続け、その代わりに栄養にならないクリームが覆っているだけだ」

うげげげ!!夜は化粧品やめよう。。。どうしても乾燥したときだけワセリンを塗るようにしよう。。。ワセリンは今使っている化粧品の50分の一くらいの値段だし。

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10月01日(木)

起床時刻:07時15分