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起床時刻推移グラフ

目標起床時刻:08:00 平均起床時刻:07:52

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11月30日(月)

起床時刻:06時30分

この記事を書いているのは12/5。
11/29に宿泊した妙見温泉の旅館Iの食事には驚いた。味付けが私の家族の舌には「ちょうど」だったのだ(九州の味付けは濃く、甘すぎることが多い)。それだけではなく、洗練されている。雛には稀な、と言いたくなるような、センスの良さ。ちょっとしたオリジナリティがあり、しかもそれが変な創作料理に堕してはいない。宿屋の食事では、必ず料理を残す父がここでは完食していた。

盛り付け、器、ともに目を楽しませて食欲を刺激してくれる。食事は食事処ですると聞いて前日の嫌な記憶がよみがえったが(泣く赤ちゃんとはしゃぎまわる子供がいた最悪の空間)、ここは個室でゆったりと、プライベートな空間で楽しむことができ、杞憂に終わった。

食事に2時間以上かかったが、私たちは(少なくとも私は)、お酒を飲みながらゆったりと食事をするのが好きなので、全く問題はない(ただ、せっかちに食事をする人はイライラするかも)。

食前酒は日本酒で、坂本龍馬が新婚旅行で鹿児島に来たってんで、ご縁がある(ということになっている)高知は「土佐しらぎく」が出てきた。追加でもう一本頼むと白菊(ノコンギク)を添えて、徳利とぐい飲みを盆に盛ってきた。次に獺祭を頼むとホトケノザが添えられてきた。この宿には野草が似合う。

私たちが宿泊した部屋は川沿いで、窓からは天降川が見え、何匹もの鴨が羽を休めていた。向かい岸には旅館が見えるが、風情のある茅葺屋根で気にならない。部屋の掛け軸は読めず。床の間がある部屋とは別の部屋には、齋藤茂吉の短歌「霧島の山のいで湯にあたたまり 一夜を寝たり明日さへも寝む」が書かれた扇が飾られている。

お風呂は一回旅館を出てから敷地内を歩いていく(屋根等はないから傘をさす)ので、雪の日なんかはよくないだろう。また、不慣れな下駄で歩きにくいので、高齢で足もとがおぼつかない人にはおすすめしない。湯はよくあたたまる。
男女混浴の露店風呂(バスタオルを着用して入浴可)も、物見高く妹と見に行ったが、着替えるところが男女一緒で外から丸見え(おっさんの裸を目撃してしまった)、しかも向かいの会社(ナントカ水産)から丸見え。絶対に無理、とすぐに引き返した。これはひどい。

朝食のカニ(川内川でとれた山太郎ガニ?というカニ、たぶん。うろ覚え)の味噌汁はぬるかったのがいけない。ただしお代わりではアツアツだった。生臭くはないが、特に出汁が出ている感じでもなかった。カニはちっちゃくて、食べるのはかなり難儀。茄子や小松菜といった、お野菜も出て嬉しい。塩サバは五島列島のものだとか。ヨーグルトにはキンカンのジャムが添えてあった。
再訪したい宿であります。

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11月29日

起床時刻:06時30分

これを書いているのは12月4日。
11/29の南九州は雨。予定していたアクティビティは前日に既に消化していたので、この日はゆっくりするはずが、そこそこ小忙しかったのは、関西弁でいうところの「いらち」である我が家族のせいか。
ちなみに私は「いらち」ではない。食事をするときも私だけ食べるのが圧倒的に遅い。

11/28に宿泊した施設についてちょっと書いておくと、貸し切りの露天風呂は素晴らしく良かった。ただし広い敷地に点在しているため、足の弱った高齢者には厳しいだろう。高齢者でなくとも、冬の寒い時期なんかはちょっと行くのをためらうくらいの距離である。遮るものや目隠しの壁など何もない広々とした風呂につかり、遠くに夕日が落ちていくのを眺めるのはまさに至福といったところ。

翌朝、敷地内の庭(ほぼ裏山みたいな感じ)を散策していたら、鹿に出会った。十頭以上はいただろうか。まさに「奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の」といった風情だったが、一声たりとも鳴いてはいなかった。鹿が鳴くのを聴いたことがない。

それ以外はこの宿に関して特筆すべきことは何もない。安普請でウルサイし(子連れの多い客層のせいもあろうが)、食事はファミレスレベル(イセエビ付きのコースを頼んだので、材料費はかかっているが)。もっとも私は1円も出していないので文句を言えた義理じゃない(それに宿泊料金も結構安い宿ようなので、値段なりかもしれない)。

昼は宮崎の須木というところで天然鰻を食した。絶滅危惧種に指定された天然のニホンウナギを食べることに私は大反対しているんだが、妹に「じゃあおねえちゃんは食べんでいいよ」と言われると、つい食べてしまった。
何しろ一人前が確か1700円ぐらい(2000円以下)って、めちゃくちゃ安いんだもん。鯉定食みたいのでもよかったのだが、そっちは1000円くらいで、コスパを考えて(卑しい)、やっぱり鰻にしてしまった。私は実は美味しい鯉も大好きで、ここのは子供のころに食べて美味しかった記憶がある。次は鯉にしよう。

そのあとまた鹿児島に戻り、16時頃、妙見温泉の宿にチェックイン。

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11月28日

起床時刻:06時00分

日曜の予定だったトレッキングを土曜に急遽変更したために、出発時間が7時前とありえないことに。ただ、早起き一族のわが実家では両親は6時前に起きるのが普通のようで、へいちゃらのようであった。
朝起きたら、既におにぎりとちょっとしたおかず、ヨーグルトなどが用意されていた。そして荷物も前日に準備するのがデフォな実家では、スムーズに家を出てトレッキングの予定時間にはバッチリ間に合ったのである。なんでこんな段取りのいい家に私みたいな遅刻魔が生まれたのであろうか。神が与えたもうた試練=私としか思えない。

肥薩線嘉例川駅でトレッキングのガイド氏と落ちあい(ちなみに嘉例川駅は大変風情のある木造の駅。弁当(やや高めな値段だったと記憶する)を売っていたので機会があれば食べてみたい)、その後、川やら山やらを歩きまわってなかなかスリルを味わいつつ(何しろ足場が悪い)、楽しかった。

色々あそび尽くした後は、車で移動し、体験乗馬へ。初乗馬!鐙に足をかけて馬に乗るのだが、鐙に足をかけずに乗ろうとして馬にのれずに落ちるというまさかの失態wしかし私にあてがわれた馬は、「若くてすれていない」(by牧場の方)ということで、私をバカにすることなく、お利口さんに動いてくれたのでした。馬はかわいい。とりわけ私の乗った馬はかわいかったのでありました。牧場の周りをゆったり歩くのですが、なかなか楽しかった。ただ、馬上は快適とはいえない。ただ(たぶん)内転筋など筋肉を色々使う(たぶん)ので、松井今朝子氏が常々ブログで言う通り、健康に良さそう。ただし、落馬したら健康どころの話じゃないが。

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11月27日(金)

起床時刻:07時30分

今日から実家に帰省(「今日から」とか書いているが、12/3にこの日記を書いている。「今日の気分」が「今日の気分」であることはめったにない)。

夕飯は寒くなったので鍋だった。しゃぶしゃぶ。豚ロース、牡蠣、春菊、白菜、シイタケ(美味)、豆腐。それと松前漬け、カリフラワーのピクルス、他に何か食べたっけ。デザートは柿とみかんだったか。白ワインを家族4人で一本あける。久しぶりにお酒を家で飲んだ。やはり実家の夕飯は美味い。

週末は鹿児島に行く予定。妹が乗馬体験と沢歩きのトレッキングツアーを予約済み。
トレッキング予定の日曜は天気が悪そうとのことで、ガイドの方が土曜に変更してくれた(これは大正解であることがのちに判明する)。トレッキングをやるというのに、ウールのコートで帰ってきて両親に呆れられ、準備のいい妹の薄目のダウン(スポーツブランドのしゃれたやつ)を借りた。妹がいるとこういうときに助かる。

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11月25日(水)

起床時刻:07時40分

インターネットで検索していたら「大手小町」にたどり着き、ついうっかり見てしまったら、「嫁のブログを発見してしまいました・・・」という姑によるスレが。なんでもその嫁は姑のことを金づる、夫はATM、子供は姑に預けて昔の男友達と二人であっている、などと書いていたそうで、お姑さんはショックを受けていた。お姑さんはご愁傷さまだが、ブログを書いている身としては、姑に身ばれとか恐ろしすぎて手が震えるレベル。

もちろん、私は男と二人(以上でも)で会うことなど一切ない。悪口については、リアル知り合いでは旦那の悪口くらいしか書いてない(←アウトw)。
私の場合、身ばれして一番怖いのは「うわ、こんな人だったんだ……」と知り合いに思われること。その「こんな人」には、「痛い」「やばい」「未成熟」「病んでる」「ねじ曲がってる」「根性悪」「頭悪」などありとあらゆる好ましくない形容詞が入りそうで、本当にイヤなのである。

一方で、ブログにこのような無様な姿をさらして色々書く理由は、自分の思いを文章に書くことで慰めらる、ということが一つ。単に文章を書くのが好きなのだ。そうでなきゃ、こんな長々と書かないだろう。
ま、おぼしき事言はぬは腹ふくるるわざなれば、本心をぶちまけるのはストレス解消になるのである。そういや、兼好法師も良き友の条件の筆頭に「ものくるる友」とかぶっちゃけてるから、リアル知り合いには「うわあ……」と思われたんじゃなかろうか。って話が脱線した。

では、不特定多数に公開するのはなぜか。もっとも私は身ばれが怖くて非公開のプライベートモードが長いんだけれど、公開していたときは、やっぱり「面白い」と言ってもらえたのが嬉しかった、というのがある。図々しいことを書くと、私は、ありとあらゆる痛い欠点はあるものの、自分で書いた日記を読み返すとやっぱり面白く感じるのだ。それはまぁ、自分が読むから面白いのであって、他人が読んだって面白くないんだろうけど(自分の夢の話みたいなもんで、面白がってるのは本人ばかりってやつw)。

さて、大手小町のくだんのスレには、「プリントしておき、探偵雇って不倫の証拠を差し押さえるべし」といったレスの他に「個人を特定できるブログにそんなことを書くはずがない。嫁を陥れようとするなりすましだ」というレスもたくさん見られた。その「なりすまし」行為(ビックリ!)がありふれているという事実にも、私はゾッとした。それこそ私には思いもよらない行為だ。誰かのフリをしてブログを書き、人を傷つけたり陥れたり広告収入を得ようとしたり、あ、最近の早起き生活にもそんな投稿があふれているが、理解不能である。

私は自己愛的性格だからか、自分に一番興味があって自分のことばかり考えている。だから自由時間に私は自分が感じたことや思ったことを、アフィリエイトをしていないから一円にもならないのに、面白がって書いているのである。
そして私が面白がっていることを、日本人の誰かが同じように面白がってくれたら、とても嬉しいってだけなんだけど、これを匿名でやるのはすんごく難しいんだなw

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11月24日(火)

起床時刻:07時30分

今日の夕飯は鶏肉とカボチャのソテー。鶏肉は一昨日塩麹とニンニクのすりおろしを混ぜたものにつけておいたので、しっかり味もしみて、お肉はすごく柔らかい!チンしたカボチャも一緒にオリーブオイルで焼いて仕上げにハーブ(私は余っているエルブ・ド・プロバンスを使用。ローズマリーが合うと思う)、カボチャに塩を振ればできあがり。カボチャはベチャベチャだったけど、お肉が(やや焦げたものの)美味しかった。元の鶏肉がいいのか臭みもなく、いつもの豚ヒレでつくるバージョンより美味しいかも。
付け合わせはそれとスティックセニョールとハムのサラダ。これも毎回やっている。。。気に入るとそればっかりになるのが問題。
夫は、から揚げ以外の鶏肉料理は嫌いなので、ハンバーグにする。めんどくさいんで、今半の生ハンバーグ(一個300円程度)を二つ購入。
付け合わせはマッシュポテト、スティックセニョールとハムのサラダ。

こんな洋風のご飯なのに、締めは筋子ご飯に。というのも、昨日の法事の食事で出てきた筋子ご飯の筋子が美味しくなかったので(生臭みを消すために変な味付けがしてあった)、筋子好きの私としては普通の筋子を食べたくなりついつい買ってきてしまったのだ。今日の筋子はいつもに比べると正直ちょっと微妙だったが、筋子ご飯を2杯食べた。

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11月23日(月)

起床時刻:07時00分

本日は法事。
団イベ(@グラブル)の予選が今日までだったので、帰宅後はパン1個だけ食べてずーっと必死にグラブルをやったが(やらされたが)、貢献度9千万弱で予選落ち。私が稼いだのは1500万程度。はーあ。徒労感。

電車の中で読んだ本が『都会の花と木 四季を彩る植物のはなし』(田中修/中公新書)。春夏秋冬に章立てして、なじみの木々や花について書かれており、色んな小ネタが面白い。
例えば菊の背丈を小さいままに、太くたくましい茎にして、大きな花をつけさせる栽培方法は、苗のときから手で撫でまわして育てること。
植物は触れられたと感じると、伸びるのを抑え、大きく肥大する成長を優先させるそうで、多くの植物に共通する性質なのだそう。「ありがとう水」みたいな理由じゃありませんからねw すぐ「イイ話」にされそうだから困るw

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11月22日

起床時刻:09時00分

11月21日

起床時刻:09時00分

『早起き生活』のトップ画面をみると、スパム投稿のようなもので埋め尽くされていてゾッとする(特に夜。朝はそうでもないようだ)。日本語が不自由な外国人がどこからかパクって投稿しているのだろうと推測するが(それでもおかしな日本語だけれど)、低能丸出しの内容がずらりと並んでおり、もちろんその目的はお定まりの金目当てという下賎さなのである。

「悪貨は良貨を駆逐する」というが、スパム投稿で溢れかえったゴミ捨て場の如き「早起き生活」に見切りをつけたい人は多いだろうが、私はここに慣れているのでついつい居続けている。スッキリとしたシンプルなデザインが好みなのと、ワンクリックで簡単に投稿できるところがなんとも楽なのだ。

もう少ししっかり管理をしてくれればと思うが、ここは個人がやっているところだし(ですよね?)、有難くこそあれ文句は言えないことを思えば、ますます「早起き生活村」を荒らしやがった連中に腹が立つのであります。

「早起き生活を目指さない奴は早起き村から出ていきやがれ!」と言いたいところだが、これは明らかなブーメラン攻撃だったわw。ついでに言うと、「日本語が不自由」なのは自分もそうで、昨日の記事では「いつにもまして」と書くべきところを「いつもにまして」と書いていた。さっき読み返して気づいて訂正したけど。人のことは言えないとはこのことである。

早起きしていないし、日本語能力もアヤシイものの、私はもちろんスパムではない。その証拠に「インターネットでモノを買ったり、インターネットで知り合った他人を決して信用したりすることなかれ」とここにゴシック太字フォント36赤字で書いておきます(この設定すらできないところが「早起き生活」なんだが、そこがいいんだよね)。ま、ネットで買うのは楽天で水を買うとかアマゾンで本を買うくらいに留めておくべし。

ネットのうまい話はみんな嘘!もちろん、リアルのうまい話もみんな嘘でありますが。権力者でもない、富裕層でもない、そこらへんのネットユーザー(まぎれもない下層民)のところにうまい話をふりまく奴は詐欺師だけに決まってるでしょうがw

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11月20日(金)

起床時刻:07時50分

今日の昼は近所のお高い蕎麦屋に行ったら、混んでいるのか、客さばきが悪いのか、いつも以上に待たされた。

その蕎麦屋は15席程度のしもた屋風の狭い店な上に、相席はさせないし、カウンターの席は隣と1席開けて座るのがデフォなんで、ごくごく少人数しか中に入れないのだ。従業員は(無駄に)多いが(私が今日カウントしただけで給仕係が3人いた)、食べログではかなりの高得点で訪問者も多い(日本人だけではなく、外国人もきていて、私は香港系?観光客の若者グループと一緒になったことが2回くらいある)。

確かにここの蕎麦は香り高く、蕎麦の味がしっかりとしていて、蕎麦つゆはモロ私の好みの味(しょっぱすぎず、甘すぎず、出汁も強すぎずバランスがいい)。なのでたまに食べたくなってこの店に行くのだが、そのたびに不愉快になって出てくることになる。

まずメニューがものすごく少ない(私が見かけたくだんの外国人は野菜の天ぷらそばが食べたかったらしいのだが、この店は天ぷらといえばさいまきエビの天ぷらしかないので(その天ぷらうどんは確か2500円くらいしたような?頼んだことはもちろんない)、かなりの押し問答をしていた)。

その上待たせるし(天ぷらそばは特に時間がかかるらしい。メニューにそう書いてあった)、その上高いし(一番安いもり蕎麦で1080円。これが納豆バージョンになると500円アップ)、その上量が「ご冗談でしょ」というくらいちょこっとなのだ。人によっては3口くらいでなくなる量なんじゃないか。麺のおかわりは800円でできるが、そうするとたかだかもり蕎麦一杯が2000円ちかくなるので、頼めない。そんなわけで、足りなくてひもじい思いをしながら、「あんな店、二度と行くか」とムカつきながら毎回出てくるのだ。
特に今日はいつにもまして蕎麦の量が少なすぎて(前より量減ってるよ!私は外食したときに食事の写真を撮ることはないが、この店は量の検証用に毎回撮っておいたほうがいいかもしれんw)、帰りに近くのパン屋(ここも美味なんだが高い)でパンを買って会社に戻った。今後、病み上がりとかで極端な小食にならない限り、行くことはないだろう。

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ところで、今朝、会社で顔を見たら、法令線がはっきり、くっきりと刻まれていて慄いた。今までも法令線はかすかにはあったが、これほどの強度と深度(なんかいいことみたいだけど)でもって、刻まれたことはなかった。

「老いは階段状に来る」、と言ったのは誰だったか。ググってもわからなかったので、まぁいいとして、まさに階段状にやってきやがりました!

最近、どうも調子が悪くて、朝は起きられない、弁当はつくらない、会社に行きたくない、仕事もしたくない、家事も何にもしたくない、という体たらくで、食欲だけは無駄にあるもんだから、ご飯は簡単なものをつくるものの、面倒くさくてかったるくて、疲れているのに不思議と夜は眠れない。会社にいるときにものすごく眠くて、ひょっとしたら人類は夜行性なんじゃないかという仮説すら頭をよぎるレベル。
その上、便秘がひどいので、今日の夜は食物繊維たっぷりメニュー。玄米ご飯(炊くのは面倒だから買ってきた)、茄子と豚肉の甘味噌炒め、わかめと卵のスープ、ブロッコリーとハムのサラダ(ドレッシングは塩・胡椒・フレンチマスタード・オリーブオイル)。オリーブオイルは天然の下剤ともいわれているそうで、松生恒夫医師の本で便秘にいいと力説されているので、今日はたっぷりのブロッコリーにこれでもかとオリーブオイルをかけてやった。食後のデザートには焼き芋。これで出なかったら意味不明すぎるわい(意味不明じゃないな、おそらく腹筋の弱りだな、、、ここにも老いがッ)。

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11月19日(木)

起床時刻:07時35分

怖い夢を見た。爆弾テロに遭う夢だ。
夢占いをするまでもなく、フランスで起きたテロ事件の影響であろう。かくも影響されやすいのはいかがなものか。

夢の中で私がいた場所は、ヨーロッパの雰囲気のある老舗風の書店で、その中をウロチョロしていたら私服警官に呼び止められた。そのとき、近くにいたヨレヨレのコートをきた男性がポケットに手を突っ込み、カチッという音がした。私は「爆弾だ!」と悟ってすぐにその場から2本棚分くらい逃げて、本棚の横で頭を抱えてうずくまった。そしたらまだ爆発に間があって、「アレ?もうちょっと逃げられるんじゃ?」と思ったところで爆発があり、死にながら「もっと遠くに逃げればよかった」と思った、という夢。何しろ本棚は木製で、本は紙だからよく燃えていた。だいたいなんで私が職務質問されるんだよねぇ。明らかにもっとアヤシイ奴がそこにいたのに。

んで、夢を見ながらも「こりゃあかん。もう一回」と思ったらしく、また同じようなシーンに戻って(本屋の雰囲気は変わっていてヨーロッパの旧い図書館といった風情)、まーたテロリストが出てきたので、今度はもっと遠くに逃げようと階段を駆け下りたら、部屋がいっぱいある廊下に出た。テロリストは私が逃げたのを見て追いかけてきているから、どれかの部屋に入って隠れようと思ったところで、「いや、もしかしてテロリストのアジトだったら飛んで火にいる夏の虫じゃないか」と思い返し、逡巡しているところで目が覚めた。

我ながら不思議だったのは、私が夢で「死にとうない」と思っていたこと。いや、もちろん、今までも殺される夢をみると毎回死にたくはなかった。しかしそれは「生きたいから」というより、「死の恐怖」「死の苦痛」から逃れたいための「死にとうない」だった。
というのも、昔は親のことと苦痛や恐怖さえ除けば、いつ死んでもよかったし(片付けをする時間くらいは欲しいが)、むしろ死にたかったのだ。生きていることのつらさや苦しさより死の安楽さのほうが好ましかったが、その過程が恐ろしすぎる(ドロシー・パーカーの「レジュメ」参照)、というだけだったのだ。

なのに今、私は死にたくない、生きたいと思っている。そして虚心坦懐に我とわが身を振り返れば、私は実際のところ、20代や30代の前半の頃より、生きるのがずっと楽になっている!その理由はなんといっても、仕事が昔より楽だからというのが大きい(何しろパートのような仕事内容で、責任と残業がほとんどない)。「生きるために働くなら死んで働かない方がまし」というのが私の自殺願望のほとんど全部をしめていたから、働くのが楽なら死ななくてもいいんであるw
あとは夫からのゲームの強制が減って、DVがなくなったし(少なくともここ1、2年は殴られていないはず。殴られたのは全部ゲームがらみだからね)。夫も年をとってゲームで頭に血が上ることが減ったのかも。

とはいえ、昔に比べたら、私自身はかなり劣化し、しょぼくなっているのだ。私だって昔は今よりずっとチヤホヤされていたし、年収だって今とはくらべものにならないくらいあったし、自分の未来もここまで狭まっていなかった。
客観的にみれば自分自身の市場価値と私を取り巻く環境は、かつての死にたかった時より、明らかに悪化かつ劣化しており、若さという切り札もないため未来に何も可能性を見出せないデッド・エンド状態ながら、「今生のいまが倖せ衣被」(鈴木真砂女)状態なのだ。うーむ。

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11月18日(水)

起床時刻:08時00分

今日の夕飯は春菊、豚ロース、豆腐の汁物を2杯、鯛飯(DEAN & DELUCAで購入した”鯛飯キット”を使用)をお茶碗にたっぷり2杯、カボチャと豚ロースのカレー風味ソテー、叩き牛蒡、デザートに洋ナシ1個。どう考えても食べ過ぎな気がする。
この前買ったカボチャはホクホクで美味だったのに、今回はベチャベチャであった。春菊は「柔らか春菊」(茨城産)というものを使ったのだが、本当に柔らかい!これは食べやすくて美味しい。

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本音と建前、というが、建前と本音を一致させること、あるいは主義主張や原理原則を実際の行動でもしっかりと守ること(言動一致)は、美しいと思うし、私も本質的にはそういうタイプ(原理主義者)なのだが、実際のところ難しい。

現実というのは建前(原理原則)と違ってコロコロ変わる。とりわけ世の中の有為転変がこれだけ激しい時代において、原理原則はすぐに古くなって現実に合わなくなってしまう。だとしたら、原理原則を実際の現実に適合すべきだ、とかように原理主義者の私は考えるのだが、言うは易く行うは難しで、原理原則を替えることは恐ろしいほどの抵抗をもたらす。

というのも、人間は本質としては、慣性の法則じゃないが、変わりたくはないのだ。朝令暮改が常に悪い意味で使われてきたのも、朝良しとされたことが夕方に悪いとされたんじゃ不安定で身が持たない。たいていの人は時代の波にのってすいすい変わるなんてことはできない。変化というのは良き方向への変化ですら、その過程は原則ストレスなのだ。私たちの多くは時代の波に流されない、しっかりとした杭を必要としていて、そういうものを持っている人(信仰心のあつい人だの筋金入りのマルクス主義者だの)が人間として安定した感じがあるのはそういう杭に自分がしっかりつながれていて、原理原則を持たないワカメのごとき人々と違って波間でもみくちゃにされていないからだろう。

従って、その杭は波にあわせて、あちらこちらに場所を変えてもらっては困るのだ。聖書やコーランが時代にあわせてバージョンアップなどせずに、ずーっと同じテキストを使っているのはそういうことである。普遍的なのだから、バージョンアップは必要ない、杭を替える必要はないというわけで、しかし必ず起こる現実とのずれはどうしているのかというと、「解釈」をかえているのだ。
日本国憲法もそうで、現実とのずれ(9条と自衛隊の関係)は「解釈」でかえている。そしてまた、「解釈」も一つの杭となっていく。「解釈」というのは原理原則とのずれを時代の「良識」で埋めているものともいえ、多くの人々から支持された「解釈」=良識であれ、それを覆そうとするのもまた、異端であり、不安定さをもたらす要因となる。要するに原理原則は解釈という良識の補助輪で動いているのであり、別の補助輪を持って来たり補助輪をとっぱずそうとしたりするのはやはり世の中に軋みや人心にストレスをもたらすことになる。

とはいえ、憲法は聖典じゃあないんだから、本来はバージョンアップして全く問題ないはずなんである。私自身は原理原則でいえば、9条を文字通りに解釈し自衛隊をなくすか、あるいは自衛隊を軍隊として認め憲法を変えるかどっちかだろうと思うのだが(現実的には自衛隊を軍隊として認めることになるだろう)、しかしそれがもたらすことの害のほうが大きいような気もしてならない。筋通す後ろは屍が累々ということは歴史が証明している。

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11月17日(火)

起床時刻:08時00分

今日の昼はうどん屋さんにてランチセットを注文。甘めのツユは美味だったが、私にはかなり塩辛い(実家で食べるうどんを思い出した。こんなにしょっぱくはないが)。麺はクニャクニャと波打ったほどよいコシの手打ち麺で、これはすっごく美味しい。もろ好み。
最近大食いになったのか、食欲の秋全開なのか、この小食でならした私が(この前会った友人には「小鳥くらいの量しか食べない印象だった」と言われたのだが)、うどんについてきた炊き込みご飯まで食べてしまったのである!信じられない!昔はうどん1杯でさえ多すぎて残したりしていたのに!妊娠したわけでもないのに、何この無駄な食欲。

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『絶望という抵抗』(辺見庸×佐高信/週刊金曜日/2014.12)からいくつか引用しておこう。

辺見「ぼくは非武装反戦でなにが悪いのだと思っているんです。丸腰論者です。自衛隊までは許されるとか、専守防衛ならいいとか、憲法に対する認識の曖昧さと、その論拠のなさが、戦後民主主義から個々の主体性を奪っていった。いくら少数派でも、はっきりさせたい。ぼくは「九条死守」、パシフィズム(徹底的な非武装)という立場です。それを理念として持っている。なぜかというと、日本は敗戦したんです。この事実ははっきりしている」(P51)

辺見「戦後左翼も含めて、みんなが棚上げしてきた議論を、もう一度やり直さないといけない。昨今、こういう言われ方があります。「昭和天皇の責任は重いけど、平成天皇は良い人だ」と。そういう理屈じゃもうすまないと、ぼくは思っているんです」(p55)

辺見「昭和天皇は戦後、退位すべきだったとぼくは思う。ところが戦後この国は、原爆投下を「仕方がなかった」と言った昭和天皇を許してしまい、マッカーサーをほとんど親和的人物のように崇める。ここに戦後民主主義の決定的な弱さがある。
卑屈さと天皇崇拝、この分裂した意識が、日本の根生いのファシズムでしょう」(p73-74)

辺見「東日本大震災以降、天皇利用主義はいちじるしい。<略>大災害というメルクマールに、天皇とアメリカがかならずおどり出てくる」(P75)

今時、共産党でも天皇制反対とは言っていないし、自衛隊は受け入れているように見える。それが現実路線だろう。しかし、戦後民主主義の根本を考える上では避けて通れない二つなのだ。

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11月16日(月)

起床時刻:07時30分

『絶望という抵抗』(辺見庸×佐高信/週刊金曜日/2014.12)を読む。
実は私、『もの食う人びと』すら読んでいないので、初・辺見庸なのだ。

読んでみて驚いた。新聞記者あがりといっても、昨今テレビに出ている類の当たり障りのない、毒にも薬にもならんような常識人とは全く違う。池上彰の真逆と言っていいだろう。

その”当たり障り”の部分をあげると
「コンプライアンスなど新聞にはなくていいのです。法令遵守はジャーナリズムにはなくていい」(P124)
「民主的なプロセスにこだわっている場合じゃない」(P170)
「ぼくや佐高さんみたいな年寄は世を憂いている場合ではなく、例えばの話、鉄パイプでもって発作的に突撃でもしているほうが、ぼくは好きなんです」(P194)
「昔から嫌いなスローガンがあります。「戦争にも反対。テロにも反対」というやつです。」「ガザに行ってみろと言いたくなる。民衆虐殺を厭わないイスラエルを相手に、打ち上げ花火みたいなロケット弾を飛ばすことしかできないところで、「戦争にも反対。テロにも反対」とはたして言えるのか」(P195)

とまぁ、武闘派というかなんというか。辺見氏は平和主義者らしいが、鉄パイプを持った平和主義者には近づきたくないw。

とはいえ、ジャーナリストが全員が池上さん化したら、結局現状追認以外、何もできないであろう。実際、何もとめることはできず、政府の思うがままの現状だ。その上、強き者の尻馬に乗って、言論の自由を踏みにじろうとする輩(一般国民)が跋扈している。ネット憲兵、国防婦人予備軍とでもいうべき連中がいっぱいいて、そうでなくとも宗教的指導者だの知識人だのが「心」だの「絆」だの「置かれた場所で咲きなさい」だの「「ゆるす」という禅の生き方」だのといった道徳を説き、ますます個々人の内側に目を向けさせ、人々が抱える問題を個人で解決させようとする。
個々人の抱える問題に潜む政治や社会の問題という視点を一般国民が進んで放棄し、また政治や社会といった「外の要因」のせいにすることを一般国民が牽制するような世の中では、強きは増長し、弱きは委縮する一方である。最近はますます、強きにへつらい、弱きを軽蔑する輩が増えてきており、国民自らが自主的に憲兵となってくれているんだから、為政者はやりやすいであろう。

なーんて人ごとみたいに語ることこそ、辺見氏が一番嫌うことだけどね。

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11月15日

起床時刻:10時30分

フランスで大規模なテロがあり、震撼している。
色々なことを考えさせられるが、それはまだまとまっていないので横に置いておくとして、テロの影響で今日フランスのボルドーで行われるはずだったフィギュア・スケートのエリック・ボンパール杯2015(Trophée Eric Bompard)のFSが中止になってしまった。宇野昌磨君のFSを楽しみにしていたのだが、やむをえないだろう。

そう、私は宇野君のファンなのである。もともと、日本人スケーターだったら高橋大輔選手が好きだったのだが、宇野君は、高橋(元)選手のようなダンスのセンスや男の色気を持ちつつ、それ以外にもジャンプ(織田(元)選手のような柔らかい膝)、スピード、柔軟でタフでパワフルな身体、強いメンタル、そしてなんともいえないカリスマ的な魅力があって(そして素顔はびっくりするほど可愛らしいというこのギャップ)、要するに信じられないほど魅力的な選手、それが宇野昌磨君なのであります。

ジャパンオープンのFSの演技を見て完全に虜に。今季のSP、FS、両方いいプログラムだと思う(The blessed spiritsも大好き)。

まぁでもここまで好きなのは、宇野君が日本人だからなのかなぁ。いや、外国人スケーターでも好きだったと思うけど(実際好きなスケーターはいるし)、ここまで応援しただろうか。
やはり日本人だとひいきの度合が違うようだ。

本当は国籍だの民族だのを抜きに純粋にフィギュア・スケートだけをみてココロから評価したいし、フィギュア・スケートをみて応援するのではなく「日本人」という方をみて応援する姿勢(テレ朝みたいに)は嫌いなのだが、私にも、奥深く、ぬぐいがたく、patoriotismはある。もちろん、どこの国の誰にでも「おらが村」「おらが国」をひいきにするのは心性としてあるだろうけど。

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11月14日

起床時刻:09時00分

「人波やさざんか梅雨の神楽坂」。本日の一句。

神楽坂のイタリアンにて友人とランチ。
私が選んだのは白いかの前菜、魚介のリングイネ(蛸が固いことゴムのごとし。「私、蛸飯とか大好きなんだけど、どうしても蛸って固くなるのよねぇ」と友人に言ったら彼女がポルトガルで食べた蛸(フリットにしたのと煮たもの)は驚くほど柔らかかったそう。どうやって作るんだろう?)、パリッと焼いた鯛(塩気はきつめで若干火を通しすぎだが十分美味)、リンゴとリコッタチーズのデザート(美味)、コーヒー。あわせたのは南フランスの白ワインをグラスで。

そのあと「紀の善」でお茶をしようと移動したら、ギョッとするほど混んでおり、結局、地下鉄神楽坂駅前のチェーン店に落ち着く。雨だというのに神楽坂は人出がすごい。

友人に「朝起きてもなかなかエンジンがかからない」と言ったら、「わかるわかる、私も二日くらいエンジンかからないことある」だってw
ま、私も「エンジンがかからぬままに生を終え」なんてのが辞世の句になりそうな気配だがw

『武玉川・とくとく清水―古川柳の世界―』田辺聖子/岩波新書/2002)を行き帰りの電車で読む。「江戸の町では<お稲荷さん>信仰が篤い」という箇所で、お聖さんの話は稲荷寿司に脱線し、稲荷寿司のすし飯は「牛蒡や人参を刻んで煮(た)いたものを混ぜるが、なお、炒った麻の実がなければいけない。しかし近年、市販の稲荷ずしには麻の実が省かれていて風味を欠き、稲荷ずし愛好者たる私などは、甚だ、けしからんと残念である」とのこと。
ヘーッ、麻の実を入れるんだね、知らなかった。
最近、麻の実はヘンプシードとしてスーパーフード的な文脈で紹介されるから、正統派稲荷寿司を「スーパーフード」として売り出せるかも?!油揚げの大豆イソフラボン、ニンジンのカロテン、牛蒡の食物繊維とポリフェノール。コピーは「日本伝統のスーパーフード」。
どう、この商法?もっとも、油揚げを煮るときの砂糖が半端ないから、プラマイゼロといったかもしれないが。

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11月13日(金)

起床時刻:08時00分

今日の夕飯に作った小松菜の煮びたしは、小松菜が柔らかくてよかった。メインは茄子と豚ひき肉の炒め物。茄子は炒めていったん取り出し、ショウガ、ニンニクのみじん切りとともに豚ひき肉を炒め麻婆茄子にしようと思ったら、豆板醤がないことに気づき、いつから冷蔵庫にあるのか謎なコチュジャンと醤油で作った。最後にネギのみじん切りを入れ、片栗粉でとろみをつければ出来上がり。

ところで、『化物語』だかなんだか、西尾維新の「物語」シリーズとやらのアニメをうちの旦那がずーっと動画サイトで見ているんだが、登場人物が絶え間なく、ぺちゃくちゃぺちゃくちゃ喋べっていて、しかもそれが実に「痛い」内容(十代のフィルターでは「クール」とか「かっこいい」とかひょっとしたら「知的」とか思っちゃいそうな内容)なんで、私としては聞いちゃおれんのだが、こちとら悲しきウサギ小屋住まい、自分の部屋などないもんだから、否が応でも耳に入ってきてひどくイライラする。画面は一切見ちゃいないが、ラジオ状態でこのアニメをずっと聞いているのだ。

私は男には甘いから、アララギ(声優は神谷浩史)がくっちゃべっているのはまだ耐えられるが、センゴクナデコは私の神経にひどく触る。誰かと思ったら、まーた花澤香菜か。この方、大人気だけれど(声優にうとい私でさえ知っているくらい)私は、本当に苦手。『グラブル』のゼタのときの声はいいんだけど、頭のてっぺんから声を出しているピュアな女のコぶりっこ(「ぶりっこ」は死語でもぶりっこは死なず)の声が私の神経を逆なでするんだ。花澤香菜のキンキン声を聞いていると、本気で頭痛がしてくる。

リアルだったらアララギ君もセンゴクナデコもハネカワさんも、その他登場人物も、全員確実にすっげー不細工だろうなと思う。だいたいこんなこと言うやつって昔から不細工って決まってっから。昨日旦那がみていた動画ではセンゴクナデコが自己紹介していたが、「好きなマンガ、80年代。好きなゲーム、レトロ。好きな音楽、フォークソング」とか言ってた。私じゃねーか(ゲームは違うが)。しかし、センゴクナデコが40代のオバハンだったら視聴者はゼロだろう。おそらく西尾作品は会話のキャッチボールが売りなんだろうが(そうでなければあんなにしじゅう喋ってはいないだろう)、これが40代のおっさんおばはんの会話だとしたらどうだろうか、「さっむーい!!」と全力で思うだろう、所詮その程度のもんなんだよッ。

それはともかく、私はなんで花澤香菜系の女の声優(純真無垢そうなキンキン声)にイライラするんだろうか。

『武玉川』に「声高き娘に毒はなかりけり」(武玉川 四-26)の句がある。田辺聖子さんは『武玉川・とくとく清水―古川柳の世界―』でこの句について「まだ少女っ気のぬけきらぬソプラノ」の娘は「人間の毒もまだ育っていない。しかく、<毒>こそ人間的魅力なのであるけれど、ただ存在しているだけで、愛すべき貴むべき、この世のタカラモノというのが<娘>なのである」と述べる(P29)。

さすが田辺さん、人柄を思わせるバランスのいい記述。私のほうは毒が育ちすぎて全身に毒がまわるばかりとなっている気配。「若い女のコが憎い」というふうに私が白雪姫の継母化しているのであろうか。なるべく若い女の子には近寄らないようにしよう。

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11月12日(木)

起床時刻:08時15分

疲れがとれず。朝も起きられない。

夕飯はカボチャと豚ヒレ肉のソテー(北海道産カボチャがホクホクで美味)、甘辛く煮た油麩の卵とじ、金時草のおかか和え、煮しめ(ニンジン、高野豆腐、干しシイタケ、サトイモ)。旦那には小松菜とホタテの中華風炒めをメインにつくった。

金時草は夏が旬らしいが、今日茹でたのは、デパ地下の八百屋でなんと300円も出して買ったもの。おそらくハウス栽培であろう。金時草は茹でて刻んでおかか醤油で和え、更にフラックスオイル(亜麻仁油)を加えると、オメガ3を摂取できる上にオイルがクセを中和するように思う。オリーブ油でもいいかもしれないが、くれぐれもサラダ油などはかけぬよう。

昨日は気分が落ち込んでいたので、『明治神宮の出現』(山口輝臣/吉川弘文館・歴史文化ライブラリー)をベッドで読んでいたら、知らない言葉が出てきた。「れんこくのもと」(輦轂の下)っていう言葉。
意味は「天子のおひざもと。皇居のある地。首都。輦下 (れんか) 」だって。両親が聞けば「そんな言葉も知らないのか」と呆れるだろうけど。

「東京市民が率先して責任に当たらんとするのは、輦轂(れんこく)の下(もと)にある民として寔(まこと)に殊勝なる次第である。左(さ)れど陛下は東京市民のみの陛下にあらず。日本全国民が推戴する陛下である以上、先帝のご聖徳を永遠に記念せんとする神宮も国家的のものとせざるべからず」(衆議院議長・大岡育造『国民新聞』)

しかし「れんこくのもと」とか覚えても使う機会が全くない。ただの無駄な知識だな。まぁそれを言うなら私の英語やフランス語も「れんこくのもと」並みに使う機会が全くないわけで、ただの無駄な知識である。

かくして1円にもならぬガラクタの如き知識を増やし、クラウドとかIoTとか有用で役立ちそうな知識は赤ちゃんのときから全く増えていないんだな。だから私はダメなんだよ!!だから私は使えないんだよ!!というわけでまた落ち込むのでありました。

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11月11日(水)

起床時刻:08時30分

はーあ、、、疲れがとれない。
疲れがとれない上に気が塞ぐ。

会社でとっているアエラ、今週の特集は「公務員がうらやましい? 上流化する公務員」とのこと。はーあ、私も都庁のⅠ類に受かってたのに、蹴って民間に行っちまったんだよなぁ。友達は落ちたので、就職浪人してまで都庁に行ったのに。今や彼女は安泰の都庁職員、片や私は転職を重ね最終的には非正規雇用となり、首の皮一枚でつながっているようなギリギリ生活。夫がいなけりゃまともに生活できないような情けない有様。

若かりし頃に自分がホンモノの無能だと気づいていれば、公務員になったのになぁ。若気の至りで困難な道を選ぶべからず。

そう、自分が無能だってことに、なーんのとりえもない人間だってことに、働きはじめてから知ったんだよなぁ。
自分がバカだってことはうすうす気づいていたけれども、仕事なんて自分よりもっとバカそうな男でも普通にやってるから、簡単なもんだ、と思ってた。なのに自分は彼等の足元にも及ばない無能っぷりで。

同期の男はしっかり結婚までして家族を養っているのに、自分は、何やってもダメ。自分の食い扶持すら稼げないんだもんなぁ。何のために勉強してきたのか。何のために色々な経験を積んできたのか。全て無駄。無能な人間が勉強しても色々な経験を積んでも見聞広げても自己啓発しても全て無駄なだけ、何をやろうが×ゼロ(無能)、全てが無となるのだ。

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11月10日(火)

起床時刻:08時00分

夕飯のおかずに塩麹に漬けた鯛(養殖。愛媛産)の切り身を焼いたのだけど、全然漬かっていなかった。20分程度は漬けたと思うが、一晩置いたほうがいいな。元の鯛自体も独特の臭みがあったから(味は鯛なんだけど)、ますます微妙。旦那にはもちろん出していませんw 

今日は会社でクラウド・サービスに関するビジネスについて調べるよう言われたのだが、saasだのpassだのiaasだのオンプレミスだの「今日初めて聞いたんですけど」状態で(だって私いまだにガラケーという人だよ)、とりあえずわからないなりに関連記事を読むのだが、全く何の興味も持てない。ついついその横の記事、「ブロッコリーの健康効果」みたいなほうを読んでしまう。

クラウドだけじゃない、最近はやりのIoTだのAIだのも「これからのビジネスで超重要!」ってことはわかるんだが、ブロッコリーほどの興味も持てない。
ただ、「理系じゃなきゃこれから先、生きていけなくなるんじゃないの?!」という恐怖感、不安感をヒシヒシ感じて、クラウド・ビジネスではなく自分の先行きを考えてしまう始末。

よく知らないが、こういうIT系の、なんかよくわからんが新規事業開発的なところで働いている女性は、引く手あまたで、食いっぱぐれないような気がするが(ただでさえ女性管理職を政策的に増やそうとしているらしいし)、女性は賃金の安い介護や販売といったところに集中して「一億総活躍」していないと言われる。

その背景には教育や職歴の問題もあろうが、少なからぬ女性にとって、男たちがシノギを削るITビジネスと理系っぽい話wに興味が持てないから、ついつい身近でわかりやすく興味も持ちやすい介護や販売にすすんでしまうのも一因じゃなかろうか。って、私だけかもしれないけどw

『仕事と家族』(筒井淳也・中公新書)を読んでいたら、男女共同参画社会の見本のようなスウェーデンでも、女性の仕事は公的部門のケア・ワークが多いそうで、「性別職域分離」が目立つのだとか。
一方、アメリカは違う。アメリカの場合は女性も民間でバリバリ働き(スウェーデンより女性の管理職率はずっと高い)、家事や育児は移民の低賃金労働者に任せる仕組みになっている。あの理系の塊のようなイメージのIBMのCEOは、Virginia Rometty氏という女性で、2014年は160万ドルの給与を受け取るのに加え、360万ドル(1カ月あたり30万ドル)の業績賞与を受け取ると報じられている(「業績不振のIBM、CEOに多額の賞与」2015.2.2)。年収520万ドルってことは、えーと1ドル100円としても5億2千万?!嘘でしょ?!

安倍首相はアメリカ路線を目指しており、家事労働は低賃金労働の移民に任せて(国家戦略特区で家事支援サービスで外国人労働者を受け入れる方針とか?)、日本人女性もアメリカ人女性みたいに外で「活躍」することを期待しているようだが、日本人女性がアメリカ人女性みたいになれるんだろうか。少なくとも私に関してはIBMが雇ってくれるわけもなく、それどころか最低賃金よりちょっとマシな非正規労働しか職はない。
結局、移民女性がバリバリ働いて管理職になり、その移民のお宅の家事を私がやる図しか思い浮かばないのだが、それじゃ何時間働いても「活躍していない!!」と叱られるんだろうねぇ。

ここで一句、「活躍の度合は稼ぎで測られる」。いや川柳なんか詠んでいる場合じゃないんだけれども。家事や育児、介護といったケアワークも大事だと個人的には思うけど、世の中的には、ものごとの価値はそれが生み出す金の量で決まるんだよね、知ってた。はーあ、溜息しか出ねぇ。。。

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11月09日(月)

起床時刻:07時00分

頭痛。間違いなく眼精疲労によるものだろう。
仕事帰りに友人の誕生日プレゼントを選ぶためにヒカリエに寄ったら、ドリカムの「未来予想図」が大音量で流れていた。ショッピングモールかいw

疲れて帰ってきたので、夕飯は豚キムチ(+白菜)に茹でたうどんを炒め合わせて、焼きうどんに。それと昨日つくったお煮しめの残り。高野豆腐、ニンジン、レンコン、サトイモ、干しシイタケの炊き合わせ。私はレンコンと里芋が大好物で、正直蒸かして塩ふって食べるのでもいいくらいなんだけど、まぁ人に出すにはそんなわけにいきませんからなw うん、煮しめも自分でつくると味の濃さと甘さがちょうどいい。食後は便秘予防のためのプルーンを3粒ほど。飲み物はモリンガ茶。
夫にはこんなものは出せませんので、ヒレカツ弁当。

それにしても買い物は疲れる。私は食品を選ぶのは大好きだが(だから毎日スーパーで買い物している)、洋服だのアクセサリーだのプレゼントだのを選ぶのは疲れるからなるべくしたくない。

私の母と妹は本当のおしゃれで、たぶん世界でただ一人になっても(ウィル・スミスの『アイ・アム・レジェンド』状態)、鏡の前で洋服のコーディネートを考えているだろう。一方の私は不潔なのは嫌だが、他人がいなけりゃ、麻袋みたいなもんを頭からかぶるんでも別に気にしない気がするw寒くないならねw

私が今、洋服というかファッションに興味があるのは、それを通じて他人から見た自分のイメージを高めたいからという理由だけで(いや、「高める」は図々しいな、正確には、せいぜい自分のイメージを更に低めないように(あるいは浮浪者と間違えられないように)、洋服にも多少気を配られねばならないと思っている、といったところだ)、実際のところ洋服それ自体には何の興味もないのであった。他人の目がなけりゃ清潔な麻袋でいいんだからさ。

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11月08日

起床時刻:不明

アントニイ・バークリーの『レイトン・コートの謎』(国書刊行会の「世界探偵小説全集 36」)を読んだ。

1925年に出た本。どおりで男たちはみんな猛烈にパイプをふかしているw。
バークリーは元ユーモア作家でミステリ界に転向、大戦間英国探偵小説黄金期の英国ミステリ界の巨匠になったらしいが、日本では邦訳が出るのに77年もかかったそうだ(本書が最初の邦訳で2002年出版)。解説の羽柴壮一氏によればバークリーの異質さが日本の「真面目な」探偵小説ファンには受け入れにくかった面もあるのではないか、というようなことを書かれていたが、amazon.comの書評(Miss Ivonnne氏)でもこの小説の主人公であるロジャー・シェリンガムのことを「an undeservedly forgotten detective」と言っているから、あちらでも結構忘れられた存在みたいだw

その理由は”one instance of anti-Semitism”(Miss Ivonnne氏)だったりしてw「昼食の初めの頃、ロジャーはいささか茫然自失の体で座っていた。皿いっぱいのプルーンとタピオカプディング―ユダヤ人を除くと、彼がこの世でもっとも忌み嫌っている二つのもの―を食べなければならないということが意識に登ってきて、ようやく筋の通った思考力が戻ってきた」(P262)というのがその箇所である。ロジャーが悪人ならいいが、善の側の、それも主人公だからなぁ。もっともナチス党員だったハイデッガーはずっと有名だから別にPCは関係ないのかなw

舞台は1920年代の英国、田舎の邸宅レイトン・コートを舞台にお喋り素人探偵ロジャー・シェリンガム(本職は作家)と相棒アレックとの愉快な会話の妙、やや時代がかったドタバタ喜劇、こういったものが好きなら、この小説はなかなか楽しい暇つぶしになるだろう。

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11月07日

起床時刻:08時30分

今日の昼は焼きうどん(具は白菜、舞茸、豚肉、ニンジン、ネギでうずらの卵を除いた昨日の中華丼と同じw)、昨日の残りの小松菜と油揚げの煮びたし、焼き芋(安寧芋)。
夕飯は蟹玉、レンコンとハムのスープ煮、小松菜と油揚げの煮びたし(これで最後)、柿1個。

さて生活経験上、私が「体質」というものに重きを置いているのはこの日記でも繰り返し述べてきたが、昨日も引用した『整体から見る気と身体』では頑張りがきかない過敏型(不調があればすぐに症状にあらわれる)と頑張りがきく遅鈍型(=無病型。症状はあらわれにくいが、病気になったら大病タイプ)の2タイプが挙げられている。私は言うまでもなく過敏型ね。
で、著者曰く、体質的な違い、体癖の違いが「本当に認められれば、人がそれぞれ違う反応や行動をとることを互いに認めやすいんじゃないかと思うんです。自分で本当に感覚的に分かれば認めやすいと思います」と。

確かに遺伝子や脳の機能的な研究成果は、同じ刺激を与えられても、受け止め方や反応は人によって異なることを示すことも多く、従来は「怠惰」さや「我儘」さが原因とされたタイプの違いが、必ずしもそうではないようだ、ということがわかってきた。

その結果持って生まれた「個性」や「器質」を尊重せよ、というのは錦の御旗として堂々と掲げられるようにもなったきたし、誰も反対する人はいまい。
その一方で、実行するとなるとこれほど問題だらけのスローガンはない。例えば本書では過敏型は「人の面倒を見るような仕事はあわない」とあるが、親の介護を人に頼むお金がない場合、どうするのか。もし自らの体質を優先させれば(過敏型だから人の面倒はみない)、誰か(配偶者や別の家族)に押し付けるか、介護が必要なのに放置するという形で、本人に我慢させる(即ち虐待する)しかない。
要するに、自分の体質や体調を優先させれば、誰かがその分我慢することになり、その人は病を貯めこむことになる。そもそも、過敏型であれ遅鈍型であれ多かれ少なかれ介護という「人の面倒をみること」は大変なのだし(そもそも2タイプにすっきりわけられるというものでもなかろう)、過敏型というお墨付きをもらった人だけが例えば介護などを免れれば、当然遅鈍型は頭にくるだろう。「自分たちだって我慢しているのに」と。

「個性」や「違い」を尊重することによる待遇の違いは、「あいつらだけいい思いをしやがって」という怨嗟をもたらすだろう。
その一方で遅鈍型と同じだけの働きを求められてアップアップ状態の過敏型の気持ちもよーくわかる。だから、過敏型は過敏型に向いた仕事をやったほうが生産性もあがるし体調もよくなるということには異論はない。
しかしながら、現実をみよ、世の中過敏型に向く仕事は少ない。いくら「アーティスト体質です!」と過敏型が主張しようが、失業した過敏型中年がハロワで紹介されるのは介護職や営業職といったアーティストに不向きな仕事ばかりである。結局、昔ながらの道徳律「我慢」以外に生きるすべはないのであろうか。

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11月06日(金)

起床時刻:07時45分

本日のお弁当は焼鮭(紅鮭)、レンコンと豚肉の梅おかか炒め、煮しめ(高野豆腐、干しシイタケ、にんじん、サトイモ)、小さいリンゴ(王林)1個。煮しめがチョー美味しくできたので、また里芋を買ってきた。

夕飯は中華丼(白菜、舞茸、ニンジン、豚肉、ネギ、うずらの卵で具だくさん)、小松菜と油揚げの煮びたし、デザート代わりに焼き芋。どう考えても食べ過ぎ。中華丼には紅ショウガ(市販品ながら国産のしょうがを使っており、添加物なしというヘルシーなもの)を添えたら、この紅ショウガが、かなりしょっぱくて酸っぱい。普通のご飯に刻んで入れて、いなり寿司にしたらいいかも。

『整体から見る気と身体』(片山洋次郎)という本を図書館で借りてきた。このテのオルタナティブ系医療本は著者の”感じ”や”経験”が全てで、いわゆるエビデンスはないのだが、カリスマ整体師の言うことが自分の”実感”や”観察”とも一致すると「本当だ」という気になる。もっとも「本当だ」と思ったからといって本当であるとは限らないが(たとえば”実感”では天動説のほうが正しく思えるしw)。

前置きが長くなったが本書によれば、人間にはおおざっぱに二種類あって、やりたいことに向かってエネルギーを集中して頑張ることで元気になるタイプ(=エネルギーを阻害されると鬱傾向になるタイプ)と、そもそも体のバランスが変化しやすくエネルギーを集中する方向を強く持てないタイプ(=過敏タイプ。免疫反応過敏(アトピー、アレルギー等)になりやすい)があるそうで、後者の過敏タイプは「もともと何かの方向に向かって頑張り続けることができない体質なんです」(P82)と書いてある。
私、それ!過敏タイプだわ!

更には「それを無理に何かに集中しなければいけないということになると、具合が悪くなってしまう。ストレスになってしまうわけですね。あるいは社会の枠組みの中に取り込まれるということ自体に対してまず緊張感をもってしまう。そういう場合は、頑張る必要はないんだ、努力をする必要はないんだというふうに開き直ってしまった方がその人は元気になるということなんです。いずれの場合もその人の本来の在り方に近い状態でいられると、元気でいられるということです」とのこと。

それが出来りゃあ苦労しねぇんだよ。大人になると、自分の体の要求より他人(社会や会社や家庭)の要求を優先させて生きなくちゃいけないからなぁ。

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11月05日(木)

起床時刻:08時30分

松井今朝子氏の”晩ご飯日記”ばかり読むのナンだから、その数倍は力を入れて書いているであろう小説を読んだ。直木賞をとった『吉原手引草』である。

アンビリーバボーにスンバラシイ葛城花魁の失踪事件について関係者に聞いてまわるというテイの小説。葛城があまりにもご立派で非の打ちどころがなさすぎて、「こんなやついるわけねーじゃん」と思うのだが、まぁそれを言うならハリー・ポッターだっているわけねーじゃん(魔法使いだし)なので、この世に存在するわけないようなやつが出てきたって面白ければそれでいいのである!というのが漫画でありハリポタであり時代小説なのであろう。

著者が日記でしょっちゅう「漫画が大好き」と書いているように、確かに小説も漫画っぽく読みやすくて、一気に読んでしまったw。
これはリアルだと思ったのは「きれいな妓は大切(だいじ)にされるからますます可愛くなるし、逆さまにいつも煙管や塵払(はたき)でぶたれてるような妓はどんどんひねくれて可愛げがなくなるし……まあ、この世の中はどこでもそうした理不尽なもんかもしれませんがねぇ。」という遣手婆お辰のセリフ。

もっとも私がそう(遣手婆お辰はリアルで葛城はつくりものじみている)思うのは、単に私が遣手婆お辰に近く、葛城的な要素がゼロなだけだからかもしれないが(嬉しくない)、しかしこの「不細工な女は生きていく上でつらい目に遭うため、性格も悪くなる」という書かれようは漱石の小説でもでてきたように思うし、幸田文の『流れる』(これも芸者の置屋が舞台だったね)にもあったように思う。

この小説の”無理”な部分は葛城の「美貌(+知力、体力、胆力、気力、人間力、神通力)による説得力」ですべてねじ伏せているが、ま、美だけでも無言の説得を持つものだから、美×知×胆力のハイブリッド葛城ちゃんならそういうこともあるのかもしれない。
しかしまぁ江戸時代に生まれなくてよかったよ。江戸時代ってのは実にイヤな時代だね。

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11月04日(水)

起床時刻:07時30分

今日のお弁当には、明日葉と豚肉の炒め物(卵とじ)を入れた。明日葉は下茹でしてしっかり水にさらしてから刻み、チャンプルー風の炒め物に。仕上げにおかかをまぶして出来上がり。でも味がなんかボケているので、梅干を刻んで入れたら、うん、美味。ていうか、梅おかか和え味が好きなだけじゃんw

そしてとうとう、明日葉も多少は好きになった。かなり水にさらしていたが灯油臭さは抜けないし(栄養は抜けたかも><)、美味し~!ってことはないが、箸が止まらないというか、ご飯がすすむというか。ま、梅おかか味だしねw朝ごはんもご飯を2杯も食べちゃったし。また明日葉を買うかもしれない。
うーむ、我ながら、受け入れ能力、半端ない。ワタクシのこの「柔軟性」が何かに役立てばいいのだが。今のところ「柔軟性」というより、単に「流されやすい」という欠点ばかりが際立っておるw

『統計学とは何か』(C.R.ラオ著 文系脳にはオススメしない)を読んでいたら乱数は「20世紀の代表的な発明の一つ」と書いてあった。私もつい先日、20世紀の代表的な発明として無洗米、クイックルワイパー、タオルハンカチをあげたが、こういうときに「乱数」とか言えたらカッコイイのになぁ~などとアホっぽいことを思ったりして、内容が全然頭に入ってこないのであった。

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11月03日(火)

起床時刻:09時30分

”あしたば”が灯油臭いのではない。灯油が”あしたば”臭いのである。
ということをネットで学んだ。
「明日葉が灯油臭くって」と私は昨日書いたが、そりゃそうだよ、だって明日葉に含まれる香り成分クマリンを軽油に添加しているんもん!

以下「わかさ生活」HPの「わかさの秘密」というコーナー(様々な健康によさそうな食品成分について解説)をコピペさせてもらおう。以下引用。
*****************
<豆知識①>軽油識別剤に利用されるクマリン
クマリンは、紫外線に対する蛍光反応を利用した不正軽油の検出・摘発を容易にするための識別剤として利用されています。
原則として、軽油引取税は軽油にのみ賦課されますが、軽油と性状が似ているA重油や灯油に対しては通常賦課されません。また、ディーゼルエンジンの燃料としては必ずしも軽油の性状を満たす必要がなく、A重油や灯油でも稼働には問題がないとされています。このため、軽油引取税の古典的な脱税手法として、軽油とA重油・灯油を混ぜたもの、A重油と灯油を混ぜたものなどを軽油代替の燃料として用いることあります。このような燃料を混和軽油といい、A重油・灯油等を単体でディーゼル車に給油する場合等を含めて不正軽油と呼ばれます。
こういった不正軽油を検出・摘発するためにクマリンはA重油や灯油に添加され、識別剤としての役割を果たしています。
*****************

へーえ。ちなみに「クマリンの健康効果」には
「◎血流を改善する効果
◎むくみを改善する効果
◎抗菌効果
◎老化や病気から体を守る効果」
があるそうな。「老化や病気から体を守る効果」って最強じゃない?すっご~い、という風に、なんとかして明日葉を食べるモチベーションをあげようと色々明日葉について調べている。

話は変わって、今日は「文化の日」でお休みだ。わーい、わーい。
最近は祝日をやたらと月曜にスライドするので、火曜日の休みなんて久しぶりな気がする。この「祝日をやたらと月曜にスライドするシステム」を「ハッピーマンデー制度」というのだそうが(恥ずかしいネーミングじゃ)、「文化の日」はハッピーマンデーに巻き込まれなかったのか?「体育の日」はあっさりハッピーマンデーで月曜にスライドしたのに、「文化の日」の方はハッピーマンデらなかったのは、やっぱり出自の「明治節」を守ったのだろうか?明治天皇の誕生日を国民の都合でスライドさせちゃあ、さすがにまずいだろう、という配慮?謎である。

と思っていたら、テレビのニュースで11/3が「文化の日」になったのは日本国憲法の公布日であることに由来する、と言っていた。あらま、全然違ったw そんな理由があるんなら、確かにハッピーマンデーにはできないわなw
あれ?でも、憲法記念日ってなかったっけ?と思ってwikiを見たら、憲法記念日(5/3)は日本国憲法の施行日だってさ。ていうか、最初からwiki見ろやって話w

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11月02日(月)

起床時刻:06時00分

ハンカチを捨てるタイミングがわからんとです!
と「ヒロシです」風に書いてしまったが(ヒロシを応援しとるとです!)、いまだに中学時代のハンカチば持っとるとです!
今日会社の帰りに、かわいいハンカチを見かけてちょっと欲しくなったが、「ハンカチは既に一生分持っている」と自制したのであった。増えるばかりで減らないんだもん。タオルハンカチならヨレヨレになったときが捨て時だろうが、綿のハンカチはアイロンで蘇るからなぁ。穴なんか一度もあいたことないし。

ところで私が子供の頃はタオルハンカチというものはなかった。あったかもしれないが、少なくとも私の周りでは使われておらず、ずーっと綿100のハンカチだった。タオルハンカチは一個の革命であった。吸水がよく、しかもアイロンがけがいらない!!ワオ!!
タオルハンカチは無洗米、クイックルワイパーと並ぶ三大発明かもしれない。

まぁそんなわけでタオルハンカチが出てからは、タオルハンカチばっかり使うので、「いつか使おう」と大事にとってある綿のハンカチがいつまでたっても使われず、タンスの肥やし状態。「せっかく持っているのだから」とたまに使うのだけれど、やっぱりタオルハンカチに戻ってしまう。

ハンカチ問題より切実なのが明日葉問題である。明日葉が苦手なのに健康にいいと聞くから、つい買ってしまったのだ。今日のお弁当は刻んだ明日葉とタラコ、卵とご飯をごま油で炒めてチャーハンにしてみたのだが、明日葉のクセ(灯油風の匂い)はそんなもんじゃ消えないのであった。プリン体まみれにしても、セリをキョーレツにしたような明日葉の匂いは健在で、たいがいクセのある野菜が好きな私でもこれで健康に良くなかったら金輪際食べないであろう、と思われる臭いなのでありました。ま、健康にいいらしいから食べたけどw

私は香菜が大好きなのだけれど、香菜が嫌いな人にとっては、私が明日葉に感じるような「食品にあらざる臭い」を感じるんだろうなぁ。というのも、「およそ7人に1人がパクチーの香りを「石鹸のようだ」と感じているといわれている」そうで、遺伝子が関係しているかもしれないのだとか。
「パクチーの好き嫌いはDNAのせい!? 科学的に判明か」より。
http://tocana.jp/2015/07/post_6861.html

セリもパクチーもミョウガも三つ葉も、たいていの香りの強い野菜は大好きなのに、なんで明日葉はダメなんだろう。

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11月01日

起床時刻:不明

愚痴ることに関しては私の数少ない得意分野である。
仮に愚痴選手権があったら、不肖pyaaa、地区大会くらいは出られるんじゃないか。

私はたいていのことに愚痴の種を発見できる。
たとえば今、夫は外出しており、暑くも寒くもない部屋で、いや、ベストな室温からすると少し肌寒いかもしれないがとにかく、私はリラックスしてソファに座り、心楽しくしょーもない文章をつづっているわけだが、しかしソファの座り心地があまりよくないことが気になるし、それにパソコンを打つときどうしても背の低いソファテーブルに屈むから、姿勢が大変悪くなってしまうという大問題があるし、だいたい私はテーブルと椅子の方が好きなのだが、夫が私に癇癪を起してテーブルを蹴とばして足を折ってしまい、テーブルがオシャカになったのであり、それに対して夫は全く反省していないし、夫からは俺を怒らせたオマエが悪いという論理しか出てこないし、言い返すと手が出るからこっちは我慢しているけれど、本当は腹にすえかねていることだって多々あるのだ、などという風な具合で、浜の真砂は尽きるとも世に愚痴を言う種は尽きまじ、なのである。

しかしグチにも効用があると、先日紹介した『その後の不自由』は言う。
もちろん、グチには負の側面があり、親からグチを延々と聞かされて育った子供は大人になっても影響が残るくらいのダメージを受けてしまう。しかしながらその一方で、さんざんグチを言っていた親のほうは元気でピンピンしているのだ。WHY??
本書よれば、愚痴を言うことで子供を味方につけ「孤立感を解消」し、「自分を正当化」し、更には何度も同じ話を繰り返すことで「自分が生き抜くストーリーをつくっていた」んじゃないか、とのこと。

要するに悪いのを他人のせいにして自己正当化しそれを黙って聞いてくれる人=味方を持つってのは、生き延びるのに都合のいい手段即ち愚痴の効用というわけ。しかし問題は被害者(往々にして我が子)がいることである。

そこで著者は”閉じられたグチ”(=家族がグチの受け手=被害者となるグチ)ではなく、”開かれたグチ”(家族の外にグチる)を言うことが大事で、今まで家族に”閉じられたグチ”を垂れ流して、グチの加害者だった人は「専門の相談機関へ行きましょう」っていうんだけど、「専門の相談機関」なんかに行ったら、金とられるでしょうよ。だいたい夫婦仲が悪いだの、夫が暴力を振るう(といっても骨折するレベルじゃない)といった「よくある話」をどこに「相談」するんだか。

私に言わせれば、インターネットのブログで垂れ流せばいいのである。誰も共感してくれないかもしれないが、少なくともネットの記事は見たくない人は見ないという自由があるから被害者は減らせる。友人知人に対するフェイス・トゥー・フェイスのグチだとブラウザの戻るボタンを押すようにはいかないし、メールも返信しないわけにはいかないから、やっぱり”閉じられている”のだ。
まぁ金を払えば金の対価として愚痴を聴いてもらえるから、金があればカウンセラーだのにグチるのは全然ありだけれども、だいたい深刻なグチを抱えている人は仕事も家庭もままならないから、そんな金もないのである。

だから私はブログをカウンセリング代わりに使っている。まぁカウンセラーはいないが、吐き出すことに意味があるのである。
もっともインターネットで公開すると攻撃的なコメントをされる可能性があるから、愚痴ったつもりがかえってダメージを受ける可能性も高いので、限定公開にするとかコメント欄を閉じるとかの工夫が必要だろう。非公開でも書かないよりかはずっとすっきりするし、なんなら手書きの日記でもいいが、日記は家族に見られる危険性が高いので、「木を隠すなら森」でインターネットに埋没させるほうが安心である。

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