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起床時刻推移グラフ

目標起床時刻:08:00 平均起床時刻:08:52

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01月31日

起床時刻:11時00分

土曜の朝、つまり昨日、「食彩の王国」(白菜特集)を見ていたら、妹尾河童氏が出てきてピェンロー(扁炉)を紹介していた。ピェンロー、白菜の鍋料理とは聞いたことがあるが、実際にどんなものかは知らなかった。
妹尾氏の実演によると、戻した干し椎茸とその出汁に白菜をテケトーに刻んでぶちこみ、鶏もも肉をテケトーにぶちこみ、豚バラ肉をテケトーにぶちこみ、春雨(戻していないように見えたが)をぶちこみ、仕上げにごま油をたら~~りと垂らして出来上がりってな感じだった。
食卓で塩と一味を振って食べるんだそうな。
なんでも中国南部の少数民族の料理だったんだそうで、貴重な塩をどうぞ好きなだけ召し上がれというおもてなしの心が表れている料理なんだとか。
干し椎茸の出汁だけで味付けもしないんだね。これCOOKPADの「絶品☆白菜と豚バラの鍋」(仮。もし同じ名前のレシピがあったとしたらそれは偶然)とかだったら、絶対に中華スープの素や本だしを入れてるはずw 

さっそく作ってみた。干し椎茸は冷凍庫にストックしてある。
味見してみたら、スープの素やだしの素を入れないことで、塩がひきたつものの(食卓で塩をかけるのもポイントかも)、ついつい塩と一味をかなり振りかけてしまう。これはこれでありだが、夫は好きではないだろう。ムチャクチャ作るの簡単で楽だから私はピェンロー気に入ったけどね。ま、一人で食べる系だな。。

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01月30日

起床時刻:09時30分

『なぜ疑似科学を信じるのか 思い込みが生みだすニセの科学 (DOJIN選書)』(菊池聡)を読む。そして校正ミスを発見。
本書は巻末に引用文献注をつけているが、まず第一章の本文注が一つ足りない(本文注は6、巻末の引用文献注は7)。引用文献の3が本文注から漏れて、本文注の3が引用文献注の4になっている。
第二章も同じ間違いで、本文注は4までしかなく、引用文献注は5まである。おそらく引用文献注の3が本文注から漏れて、本文注の3が引用文献注の4になっている。

私はたいして本を読んでいるわけではないが、一ヶ月で4冊もの本に誤りを見つけるとは。小姑根性であろうか。そうかもしれない。というのも、自分の誤字脱字は全く気が付かないからである。他人の欠点ばかりが目に入る。

しかしまぁ、本書はいい本だが、こんなところでケアレスミスを連発していると、全体がいい加減のように思われはしないか老婆心ながら心配である。

私のやっている仕事はただの単純作業だが、一番大事なのはケアレスミスをしないこと、間違えないことである。ていうか、私に要求されることは間違えないことだけなのだ。そしてこの「間違えない」というのが一番難しいことなのである。間違えないことは人間の本性に反することだからだ。エライ先生でも結構間違えたりする。
そしてここからが重要なのだが、エライ先生は間違えても許されるが(研究の実績だの文章力だのといった他の能力があるから)、チェッカーたる単純作業のパート職員(私みたいな)は間違えたらレゾン・デートルが失われてしまう。要するに間違えないこと「だけ」が仕事なのに、間違えたらもはや「存在意義なし」なのである。

こんなにストレスがかかることがあろうか。誰でも出来る仕事のために給料は安いが(校正パートも給料はクッソ安いだろう)、人間というポンコツ機械に「間違えてはいけない」というロボットのような正確性を要求するのでる。無茶ぶりじゃなかろうか。ましてや私は人間というポンコツ機械の中でもポンコツ度が高い”うっかりタイプ”なので(生まれた時点で人生終了のお知らせ)、仕事をするときは神経が疲れて仕方ない。まぁ他に何も能力がないから単純事務作業員なのだけれど、実は単純事務作業能力もないから、本当に苦労してやっているのだ。

ホントに、引きこもれるなら一生家に引きこもって、一切働かずに暮らしたいもんなのであります。

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結論:下剤は効く。

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01月29日(金)

起床時刻:08時00分

『英国一家、日本を食べる』を図書館でたまたま見かけたので、遅ればせながら借りて読んだのだが、誤変換を発見した。日本の麺の種類を色々紹介している箇所、「そして素麺という細くて上質の、高貴な面がある」(P230)は「高貴な麺」だろう。

それにしても、ごく普通の英国人が出汁を美味しいと言うことに私など隔世の感を覚える。
というのも、私がロンドンにいた10年以上前は、ごく一部のスノッブはともかく、一般的な英国人にとっては日本食は「うええええ」(吐く仕草)であったからだ。彼等英国人に一番人気はイタリア料理―正確に言うとピザ―であった。日本食には誰も手をつけなかった。

私は日本食(とりわけオーソドックスな和食)というのは元来、万人に受けるものではないように思う。
文化的な影響の少ない子供たちの前に皿を置けば、アメリカ人であれ日本人であれケニア人であれ、鮭のおにぎりではなくハンバーガーを選ぶであろう。里芋の煮っ転がしではなく、フライドポテトを選ぶだろう。お汁粉ではなくチーズケーキを選ぶであろう。
本書の中で「壬生」のおかみさん(料理人の奥さん)が(壬生の料理を楽しむ機会を神様に与えられても)「能力がなければ楽しめないのよ」と言ったそうだが、まぁ多かれ少なかれ、和食全般にあてはまることだと思う。

ま、「能力」というと偉そうだが、日本食は昆虫食のように慣れが必要なものだと思っている。慣れてくれば美味しく感じる(こともある)が、マクドナルドのようにいきなり子供が虜になるようなものではない。
例えば私の今日の夕飯だが、ひどく寒くなったので鱈ちりにした。鱈ちりなんてのも子供に受けない食べ物だ。白子(私の大好物。北海道産)も入れているが、これはまぁ日本人でも嫌いな人は多かろう。夫は「ご飯のおかずにならない」のでそもそも鍋が嫌い(私は鍋のときはご飯なしで、お酒のみ。今日は白ワイン)なので、私だけ鱈ちりを食べて旦那はまた別の食事である(レトルトのカレーとスーパーで買ってきたコロッケ)。食後は私は干し柿、旦那はシュークリーム。
豆腐だって慣れなければ何の味もしなくて、歯ごたえもなく、マズイということになる。久保田万太郎の名吟「湯豆腐やいのちの果てのうすあかり」も夫からすれば「貧乏すぎて湯豆腐しか食べられず、死にかけている」くらいに解釈されかねないw。夫は日本人だが、世代が違えばかくも違う。

ちなみに本書でもゲテモノとして白子は登場するが、著者はこの「タラの精巣」を「絶対にオススメ」と書いている。さすがは食いしん坊、もといフードジャーナリスト、わかってるな!

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便秘のせいか腹痛があるので、とうとう下剤を飲んだ。

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01月28日(木)

起床時刻:07時00分

夕飯は夫には買ってきたギョーザと冷凍のチャーハン。
間違いない鉄壁の組み合わせ。
私は何を食べたんだっけ、、、(これは土曜日に書いている)。
ああ思い出した、鯖寿司を食べたんだ。
ちょっとしょっぱかったけど、美味しい。鯖寿司が大好き。
あとはさっぱりとした軽い白ワイン。このワインは生ものにもあった。

憂鬱な気分が続く。重たく、鬱屈した気分。
今日のハイライトは鯖寿司であった。
長いトンネルの如き暗い日常に差し込む一条の光、それが鯖寿司。
(と云いつつ、二日後には何を食ったか忘れていたが)

年をとって病気になり入院したら、鯖寿司が食べられなくなるんだろうな。わかんないけど、病院では生ものは出なそう、とりわけ鯖寿司は絶対に出ないだろう。酒が出ないのはいうまでもない。

はあ、嫌だ、嫌だ。病気になったらただでさえ憂鬱だろうに、気持ちをあげてくれる美味しい食事も酒も断たれるのだ。おそろしい。ただの一歳だって年をとりたくない。癌の一番の原因はなんやかんや言うても要するに加齢だろうが、加齢から逃れるすべはない。
「人生とは必ず負けることが決まっているゲームへの強制出場である」by pyaaaをまたつぶやかずにはいられない。

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本日はお通じなし。

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01月27日(水)

起床時刻:08時10分

今日は少し残業。夕飯は旦那には冷凍の担々麺(旦那はこれが大好物。ありがとう、日清食品)。私は昨日買ってきたカキフライ(昨日は食べる時間がなかった)など残り物を整理。
便秘が続くので冷凍していた押し麦入りご飯を解凍して食べた。あとは高野豆腐(+ニンジン、干し椎茸)の煮しめ、小松菜と油揚げの煮びたしを食す。

何にもしたくないモード。

外は昨日に続き、冬の関東らしい青空だ。江戸っ子のカラッとした気性は、この低湿度で雲ひとつなく晴れた冬の関東平野の空がもたらしたものかもしれぬ、などと根拠のないことをふと妄想したが、こんな冬晴れでも私の気持ちはひどく落ち込んでユウウツなのだから、あまり天気は関係ないのかもしれない。

しかし、冬季うつ病というものもある。「なぜ秋から冬にかけての時期に季節性うつ病を発症しやすくなるのかというと、日照時間が減ることによって、脳内における「セロトニン トランスポーター」(SERT)と呼ばれるタンパク質の量が著しく変動するためだ」そうな(「冬に気持ちが落ち込む「季節性うつ病」 3つの方法で対策」保健指導リソースガイドより)。「季節性うつ病の改善に必要なのは、自然の光により多く当たること」だそうだが、「自宅・仕事場を明るくする」のでもいいらしい。ま、東京に住んでりゃ、冬でも太陽の光をシミを心配するほどに浴びる。あとの二つの対策は「運動を習慣化する」「ToDoリスト」を作り整理する」。

確かに適度な運動は間違いなく精神衛生上いい。この前、ホットヨガに行ったら、久しぶりにスッキリしてやる気出たもんなぁ。だけど重い腰を上げて体を動かすまでが大変なんだ。。

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便秘に関して言うと、本日は鹿のフンのごときものが少し出たが、全然スッキリしない。

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01月26日(火)

起床時刻:07時00分

今日は夕飯をつくる暇などない(ゲームをしなくちゃいけない)から、適当に弁当を買ってきた。私は出来合いのおにぎり(これは1/27に書いている)。
本日もお通じなし。

団イベ@グラブルのアディショナル枠を目指して必死に画面ポチポチ。同じ考えの人も多いようで、アディショナル枠の順位に入るのも熾烈な争い。あーも、めんどくせー。私は完全にグラブルに飽きてんのに、夫につきあってゲームをやらなきゃいけない。で、「稼ぎが悪い」となじられ、「ちゃんとやってんの?」と疑われ、最終的にダメだった。なんなんだよ、このクソゲー(グラブルもリアルも)。

団イベってほんとギスギスイベントだと思うんだが、どうなんだろう?
「入団審査」があるようなエリート騎空団はともかく、なりゆきで大所帯になったような中堅団は玉石混交で、戦力十分なのにサボって人の稼いだ戦績に便乗して本戦にすすもうとする、いわゆるフリーライダーの存在が問題になるんじゃなかろうか(だって誰がいくら稼いだかは、個人戦績上位者以外はわからないから)。かといって、全員が「バカらしい」と手抜きをすれば、本来なら本選進出できる団も本戦に出ることができずに勲章ひいては金剛晶を逃すことになる。

これはありとあらゆる人間集団における永遠のジレンマである。
『人類はどこからきて、どこへ行くのか』も「人間社会では、個体レベルの自然選択とグループレベルの自然選択とのあいだで、本来的に解消できない争いがある」(P60)と言う。そう、利己的な人間が多い集団は利他的な人間が多い集団との争いで負け(みんな他人任せで戦績を稼がず本戦にも出られない)、利他的な人間は集団内での争いで負けたり損をする(利他的な人間は己の金と時間を犠牲にして戦績を稼ぎ、利己的な人間はその果実だけ享受する)。

ちなみに『人類はどこからきて、どこへ行くのか』はⅢ章Ⅳ章の百ページ近くが蟻の話である。ま、蟻というか、「社会性昆虫」の話で、ハチなども含まれるがアリが話題の中心。Ⅲ章は「いかにして社会性昆虫は無脊椎動物の世界を支配するに至ったのか?」Ⅳ章は「社会進化の力」というタイトルで、要するになんで働きアリや働きバチは、女王アリや女王バチのために自分の子供を残さずに(子供がいわば生物にとっての金剛晶である)、女王さまと巣の世話ばっかりしている利他的な存在なのかって話とその答えはハミルトンが血縁淘汰説(包括適応度)できれいに説明したのだがそれはもう古いって話をエンエンと書いていて、「アリの話はもういいよ」って感じなんで、とばしまくってしまった。

そうそう、本書には懇切丁寧な解説が掲載されている。解説者の巌佐庸教授によればウィルソンは血縁淘汰説を完全なる誤りと言っているが、それはこのギョーカイのコンセンサスというわけではないらしい(てか、むしろウィルソンが異端らしいw)。ついでにいうと、本書では繰り返し、個体の利己的行動は個体淘汰、利他的行動は群淘汰によってもたらされたと書いているが、「しかし、グループの利益になる行動がすべて群淘汰によって成立したと考えるのは単純すぎる」とのこと。ここ10年ほど集中的に研究されている「間接互恵」があるではないか?とおっしゃるのである。確かに、「情けは人のためならず」で、他人に情けをかければまわりまわって(「いい人」「信頼できる」という評価を得て)得をするというように、そういわれてみりゃそうだけど、ウィルソン的には「間接互恵は結局、利己主義やん?」ってことなのかな。FF11なら確かにリンクシェルの手伝いをよくやっていると、自分も手伝ってもらいやすくなるという間接互恵がバリバリ働くけれども、グラブルはどうなんだろう?

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01月25日(月)

起床時刻:07時45分

本日の夕飯は親子丼、ジャガイモと玉ねぎと油揚げの味噌汁、小松菜と油揚げの煮びたし、ポテサラ、野沢菜漬け少々を用意(夫のデザートはシュークリーム、私はなし)。
夫は小松菜と油揚げの煮びたしの小鉢は食べず(今日買った茨城産ちぢみ小松菜は結構おいしかったのに)。また、ジャガイモの味噌汁のジャガイモは全部取り除けという(「味噌汁にジャガイモをいれるな!」とのこと)。親子丼は秋田比内やというところの「親子丼の素」(1パック税抜き500円。鶏肉と割り下が冷凍されている)を使用してつくって、見かけはなかなかおいしそうにできた(といっても玉ねぎをあわせて卵でとじるだけ)だったが、「鶏肉がまずい(照り焼き風に味がついている)」ということであった。

ホント、ご飯をつくるのってストレスでしかない。

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団イベ@グラブルの本戦出場ラインが3億超えてるwww
3億1千2百万が今回のボーダー。
今回は武器欲しさにみんなやるから、ボーダーがあがるとは言われてたけど、まさかこれほどとは。旦那が「これ走らなくてよかった」とシミジミ。
3億稼いで落選した団とか、結果を見たとき、ショックでリアル気絶しかけたんじゃなかろうか(その昔、FF11のレベル75時代、当時、憧れ装備だったデュエルシャポーがドロップしたときロット負けしてリアル気絶した人がいた、という話があったなぁ。今久方ぶりにFF11用語辞典みたらまさにその話がネトゲ実況板から引用されていたwいやあ、FF11は本当に恐ろしいゲームであった)。

今日もお通じなし。

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01月24日

起床時刻:11時00分

グラブルは団イベ中、、、定期テスト以上の鬱イベでございます。
今回、予選突破のボーダーは2億以上かも?と言われているらしい。
夫はとうとう、現実(=二人騎空団で一人(私)は雑魚)を見据えて、諦めモードに入ったようだ。いつもの無茶なノルマはない。
ああ、諦めるとは素晴らしい。諦めよ、諦めよ。「漢語の「諦」は、梵語のsatya(サトヤ)への訳語」だそうだ。真理を明らかにすること(=サトヤ)こそが諦めることと同義なのだ。「二人騎空団では今のグラブルでは予選突破できない」という真理を明らかにすると、予選突破を諦めることができる。執着を手放すことができる。
もっというと、人生とは一つ一つの可能性を手放していく過程でもある。子供のころに「プロの野球選手になりたい」と言っていた子のほとんどは年をとるにつれて、その可能性を手放していく。もっと年をとれば、もっと多くの可能性がなくなり、諦めざるをえないことが多くなる。生きるとは諦めることである。人間は「老化」と「死」を避けることができないから、誰もが「若さ」と「命」というこの世の至高の価値を諦めるしかないのだ。

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『語源でわかった!英単語記憶術』(文春新書)によれば、
「ラテン語のsalire(跳ぶ)からでた英語は多い。それらの英語は「目標に跳びかかる」という含みをもっている。salはsul, sau, sailの語形ともなる。
<salmon> salmonはsal(とびかかる)魚という発想からだ。salt(塩)は舌や傷口の神経にとびかかって刺激(sal)する」(P153)とのこと。

サーモンはいいにしてもよ(サケの遡上の様子からだろう。「とびかかる」というより「とび上がる」感じだが)、塩の説明(「舌や傷口の神経にとびかかって刺激する」)はちょっと無理やりじゃないw?
印欧祖語の形が既にsal=塩なんじゃないかなぁ。無理にラテン語の「とびかかる」に結び付けなくってもいいんじゃないかという気がしている。Online Etymology Dictionaryにもsaltの語源としてsalireは言及されていなかった(サーモンのほうはsalire説が紹介されていたけど)。「塩」のような生活の基幹にかかわる言葉は既に印欧祖語にあったろうし、広く普及していたんじゃないかな、なんて素人は思ったりする。
ちなみにこの本、注釈も参考文献も一切ないんだよね、、、新書という素人向けの本なら尚更必要だろうに。

ちなみに本日もお通じなし。

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01月23日

起床時刻:10時00分

エドワード・O・ウィルソンの『人類はどこから来て、どこへ行くのか』を読むが、どうも眠くなって仕方ない。昨日書いたシカの話は眠くならないのにねえ。
とどのつまり、私は「人類はどこから来て、どこへ行くのか」に興味がないのかも?!
どうせ人類はロクでもないところからきて、ロクでもないところにいくんである。
と、予言しておく。

夕飯は鶏もも肉のソテー。付け合わせはマッシュポテト、半分に切ってチンした芽キャベツ、鶏肉と一緒に焼いた舞茸。それと茄子と油揚げ、長ネギの味噌汁、副菜に高野豆腐の煮しめ(高野豆腐、干し椎茸、ニンジン)。押し麦入りご飯。タラコでご飯を2杯食べちゃった。デザートはもらいもののチーズケーキ。
芽キャベツがものすごく甘くて美味しい。チンしただけのものを味付けなしでパクパク食べてしまう。

「やるべきことをやる!」を目標に掲げた今年、私は早速一つやるべきことをやった。郵便受けが土埃まみれで汚いのが、去年から(おい)気になっていたのである。年をまたいで、本日、とうとう、拭き掃除した。ついでにインターホンと玄関のドアの把手も拭いた。3分もかからないことが、なんでできなかったの、私?!

本日もお通じなし。私の便秘力が勝ったか。。。

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01月22日(金)

起床時刻:08時15分

今日も腹痛。でもお腹はすいている。
ひょっとしたら風邪かも。お腹にくる風邪ってやつ。
お腹はキリキリ痛むけど(特に夕方あたり)、今日は一度もお通じはない。

朝はココアのみ。お腹すいていて本当はご飯を食べたかったけど自重。
お昼はお稲荷さんを食べて、夜はきつねうどんをたべた(夫は飲み会。助かった)。どんだけ稲荷揚げが好きなんだって話。夜のきつねうどんは揚げ(市販品)を三枚も入れたった。食後のデザートは栗の渋皮煮(熊本は山江の栗。高速道路のSAで購入した真空パック)。美味しい~~。夜食に賞味期限が切れていた干しイモを食す(茨城県産紅はるか)。美味。

『ヤマケイ新書 シカ問題を考える バランスを崩した自然の行方』(高槻成紀、2015/12/18)を読みはじめたら、扉をあけた口絵にさっそく、校正ミスを発見。口絵の山梨県乙女高原のカラー写真(シカ柵内(左)とシカ柵外(右))の左右が逆じゃない?(文章の( )内の左右が逆ともいえるけどおそらく写真の置き間違い)。
左のススキ(シカの食害に強い)ばかりの写真はシカ柵外で、右の野の花々が咲いている写真(シカの食害に弱い虫媒花が目立つ)はシカの食害から守られたシカ柵内でしょう。実際本文P.94では写真が逆で、柵内(左)に花の咲く写真、柵外(右)にススキの写真となっている。

先日、霧島の温泉に泊まったときに食事処の窓から見えるところにまで鹿が来て、宿泊客は大喜びだったが、父は「今、日本全国で鹿が増えすぎて、食害が大変問題になっている」とコメントw。みんなが「かわいい、かわいい」と鹿にはしゃいでいるときに、さすがわが父であるw

『シカ問題を考える』に引用されたグラフをみると、シカによる農業被害は1980年代後半より急上昇しているようだ。シカの分布図を見ても1978年はごく限られた地域にしか生息していなかったのが、2003年にはあっちゃこっちゃにいるようになった。捕獲数の増加とあわせてみれば、シカが1990年代に急速に増加し分布を拡大したことが推察されるとのこと。

その理由はなんぞや。本書では5つほどその原因が書かれている。
①森林伐採による食料(地上植物)の増加
②牧場の存在(これも食料の増加になる)
③地球温暖化による暖冬(仔ジカの生存率の高まり、生息域の拡大)
④狩猟圧の低下(ハンターの高齢化・減少)
⑤オオカミの絶滅(これも狩猟圧の低下。本書ではニホンオオカミの絶滅についての推察もコラムで書かれていて「なるほど」だった)
私も最後の二つは仮説として思いついた。が、これらの仮説は、いずれもシカ急増の年代と一致しない。最後に著者自身の推察を述べているので、それは本書を読まれたし。

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01月21日(木)

起床時刻:07時00分

本日は二十四節気の大寒。

腹痛。夕方くらいからキタコレ。
最初は「お通じがきた」と喜んでたけど、これあかんやつwやばいw

今朝、鯖(市販の西京漬け。表示によれば国産のサバらしいが)を焼いて、朝と昼(弁当)に食べたけれど、あたりそうには思えない。

朝食は納豆+大根おろし、野沢菜漬け、鯖の西京焼き、紅ショウガ、大根と油揚げ、ネギの味噌汁、キヌア入りご飯。昼の弁当は朝食から納豆と味噌汁を除き、ブロッコリー塩ゆで、ちょっと前のポテサラ(←こやつが原因かも?)、金柑の甘露煮を加えたもの。
一応食べたものをメモっとこう。

夕飯は食べないほうがいいのかと思って抜いていたけど、空腹に耐えられず、チョコレート(パリ土産のla maison du chocolat)4個入り一箱を全部食べてしまった。「1個だけ・・・」とつまんだのだけど、意志の弱さには定評のある私が1個で終わるはずがないのである。
「チョコレートは繊維質ゼロだから(知らんけどw)、下痢には悪くなかろう」と思ったんだけど、脂肪分は下痢によくないらしい。あと甘いのも胃の負担になるみたい。食べた後でぐぐるなってのw

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01月20日(水)

起床時刻:07時30分

『その〈脳科学〉にご用心: 脳画像で心はわかるのか』から。

犯罪を犯しても「犯罪を犯したのは脳の器質や脳の神経のせいで本人は悪くない」という理由で犯罪にふさわしい刑罰が課されないようになること(社会はこの方向性にすすんでいるようにみえる)を著者らは危惧して、刑罰に伴う「応報」の果たす役割を述べている。
即ち「応報によって相互の道徳的義務に関する社会の共通規範が強化されること」だけではなく、「被害者の社会的地位の回復も、応報のきわめて重要な機能だ」と言う。
犯罪にふさわしい刑罰が犯罪者に課されないと「被害者は取るに足らない存在であるから、その権利や安全や財産を侵害しても咎められないという、人々を意気消沈させるメッセージがコミュニティに送られてしまう」
「法学者のケンワーシー・ビルズは一連の実験で、被験者に強姦の被害者女性の道徳的価値を評価するように求めた」。刑罰が決まる前と後とで、被害女性の価値を判断してもらうと、犯罪者に下された刑罰の軽重で被害女性の社会的地位の評価に差が出てくる結果となった。

「1960年代なかばに社会学者のメルヴィン・ラーナーは、「公正な世界への信念」の仮説を構築した。この仮説によると、人はみなこの世界を、自分にふさわしいものを手に入れ、それぞれの行動が予想可能な結果をもたらす場所だと信じる強い必要性を抱いているという。」(P217)
またラーナーの行った実験によると「非のない人が報酬や代償を得られる見込みもなく苦しんでいるのを目にすると、その人物の運命と人格とをより適切に均衡させるために、人々は被害者の魅力の評価を引き下げるように動機づけられた」とラーナーは書いている。言い換えれば、公正に対する被験者の直観にかなう結果が得られると、公正な世界への信念は裏付けられる。だが被験者(これは社会とも読み替えられる)が公正さを回復できなくなると、彼等は犠牲者に責めを負わせるのだ。この論理に従えば、どういうわけか犠牲者は自ら災いを招いたということになる」(P218)

田辺聖子さん曰く「不運な人間を見るとき、人は、その不運に同情しながら、いつとなく、それがあまりに重なると、その人をかろんずるくせがあるものである」(「大阪弁ちゃらんぽらん」より。アフォリズム集『苦味(ビター)を少々』から引用)。お聖さんらしい、やんわりとしながらも鋭い「公正世界仮説」の喝破である。

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01月19日(火)

起床時刻:08時10分

夕飯はジャガイモと合いびき肉のチーズ焼き(カゴメの”じゃがチーズ焼き”の素を使用)、ピラフ、野菜スープ(ソーセージ、白菜、にんじん、長ネギ、舞茸)。私は残りものも整理。

最近、積読していた『語源でわかった!英単語記憶術』という本を読んでいる。
「本書は、できるだけ印欧語を語源にして、そこから英語を眺める」(P28)という趣旨のもとに書かれている。例えば↓みたいな感じ。

「Teu〔テュ 膨れる〕からトマト(tomato)
 からだにできる腫れ物tumor、その形容詞tumid(膨れ上がった、誇大な)tumult(<しだいに人数がふくれ上がった>)暴動、大騒ぎ)なども、語源は印欧語のteu(テュ=膨れる)だ。tomato にもtom(teu=膨れ)という意味がある」(P114)

しかしtomatoは大航海時代以降にアステカ帝国からスペイン人が持ち帰ったもので、tomatoは古代ナワトル語(アステカ帝国の言語)と聞く。ナワトル語はwikipedia先生によると、ユト・アステカ語族に属する言語らしいから、ナワトル語のtomatoと印欧語のteuとは関係ないように思うんだが、どうだろうか(たしかに、ナワトル語でもtomatoには”膨らんだ果実”という意味があるようだが、それはただの偶然、たまたまなんじゃ?って思うんだけどw)。

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01月18日(月)

起床時刻:07時50分

夕飯は麻婆茄子、豆腐チゲっぽいスープ(豚ひき肉、白菜、豆腐、キムチ)、ポテサラ、ご飯(押し麦入り)、ヨーグルト(R1)。

今日、東京都心も積雪。電車が間引き運転で大変なことになっていた。
スニーカーで行ったら靴がビショ濡れになってしまい、この上なく不快だったので、会社の近くの靴屋で新しい靴を買った。替えの靴下は持ってきていたので、それを掃いて試し履き。ちょうどセールの時期だったので、3万円が半額の1万5千円だった。ああ、乾いた靴って素晴らしいw 

なかなか素敵な靴を購入したのだが、これ雪の日には履けないじゃんw
というわけで、会社帰りにデパートで長靴を買おうとしたら、1万6千円くらいしていてぶっとんだ。長靴でっせ。ゴム長でっせ。魚屋さんが履いているやつをちょっとしゃれたブーツっぽくしてくれてれば、それでいいんでっせ。
どうせ年に数回も履かない上に、しっかりとしたつくりの長靴は重いしデカいから、収納の邪魔になる。というわけで、結局最寄駅のスーパーで売っていたブーティタイプというか、まぁブーティには違いないが、ものすごいダサいやつ(2千円もしなかったw)を購入。シニア向けのEEEのMサイズで、オリーブグリーンというより鶯色っていいたいような色合いだが、背に腹は代えられぬ。雪や台風のたびに靴を買ってたんじゃお財布がもたないw

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01月17日

起床時刻:11時30分

今年の目標はやるべきことをやる。
整理整頓、片付け、家事(特に掃除と料理)、身だしなみ、もともとズボラなのが恐ろしいまでにグダグダになってきているので、キチンとする。毎日、やるべきことをちゃんとやる。

『その〈脳科学〉にご用心: 脳画像で心はわかるのか』(2015/7/1、サリー・サテル&スコット・O・リリエンフェルド)を読む。イグ・ノーベル賞を受賞した”死んだサケをfMRI画像の実験おかしかったw脳科学者のクレイグ・ベネットは、脳スキャン画像が胡散臭い結果を生み出しうることを実証することにしたそうで、「ベネットと彼の率いるチームは、鮮魚店で死んだサケを買い、この協力的な被験者を脳スキャナーに入れ、さまざまな社会的状況にある人々の写真を「見せ」、彼らが何を感じているか想像するように頼んだ。するとベネットのチームは、探し求めていたものを見つけた。その死んでいるサケの脳の小さな領域が、この課題に反応してぱっと輝いたのだ。この脳の小領域の活性化は、もちろん統計的なつくりものだった」(PP53-54)
なんでこんなことになったのかは本書でfMRIの引き算処理について読まれたし。
まぁどんな分野でも、「それっぽく」見せるためのテクニカルなこと(統計処理とか含め)やってそうだよねw

中毒は「脳の疾患」という説が幅を利かせるようになりつつあるし、私も「為せば成る」的な精神主義的更生法はむしろ害が多いと思っているが、しかし、精神面というか心理面もまた中毒からの更生において果たす役割大なのである。

まぁあと個人的なことを言うと、「脳の器質上の問題」というお墨付きをもらうと、より努力をしなくなる感はあるなw

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01月16日

起床時刻:09時30分

本日は友人と和食店でランチ(ミニ懐石なるコース)。
かぶら蒸し、鴨ロースの卵とじみたいなの(汁物代わりと出された)、銀だらの西京焼き、野菜の炊き合わせ(菜の花、筍、金時人参)、白ご飯(ご飯のおともにマグロの胡麻ダレ漬けみたいなものと糠漬け、豆腐と三つ葉の入った味噌汁)、デザート(わらびもち)だったかな。
和食のコースで魚の焼き物が出てくると、ご飯と一緒に食べたくてしょうがない。今日の銀だらの西京漬け(葉ワサビの佃煮も添えてあり、余計ご飯がほしい感じになった)を、ご飯のときまで横にとっておいたらやっぱアカンのだよね・・・?マナー的に・・・。

お友達からロンドンとパリと香港のお土産を色々いただく。彼女は年末年始をロンドンとパリで過ごしたらしいが、ものすごく暖冬だったらしい。

家に帰ってきて、今日貰った紅茶を淹れようとしたら、まだ貰い物の紅茶が残ってたw すっかり存在を忘れていたスリランカ土産の紅茶w 会社の子から貰ったやつ。

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01月15日(金)

起床時刻:08時40分

本日は家で夕飯を食べるのは私だけなので、冷蔵庫の残り物を食す。
白ワインを1杯。
先日テレビで便秘解消には夜に発酵食品をとると効果的と言っていた。なので今日も夕飯に納豆を食べた。デザートは食物繊維豊富そうな干し柿2個と発酵食品であるヨーグルトドリンク(明治のR-1ドリンク)。

小説を読んでいていつも気になるのは「こんな食事で便秘しないんだろうか」ってこと。先日読んでいた『灯台守の話』でも、灯台守のピューと灯台守見習いのシルヴァーちゃんは基本ベーコンしか食べていないのである。そんな食事でだいじょぶか?

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01月14日(木)

起床時刻:07時30分

夕飯はトンカツ(専門店で購入)。遅い時間だったので半額。白菜とお麩の味噌汁。コールスロー、ポテサラ(旦那のみ)、ヨーグルト+金柑ジャム(妹の手作り)。

昨日の記事にもちらっと書いたが、『サイエンスミステリー 亜澄錬太郎の事件簿2 殺意の卒業旅行』に実験を粗雑に行うことの戒めが書かれていた。実験上のミスから、本来起きるべきことが起きなかった場合「マニュアルのある既知実験なら”失敗”で済む。しかし誰も行ったことのない、人類初の実験(当たり前の研究室で行うプロジェクトは全てこのようなものである)で、このような”失敗”が起こったら、「この反応は進行しない」という”実験事実”として世界に発信されることになる。”下手でドジな奴”は自然界の”事実をへし曲げる”のである。責任を感じてもらいたいものである」
この箇所が本書の中で一番、思いがこもっていたように感じたがw、著者の教授は”下手でドジな奴”のせいで痛い目に遭った経験がおありなのかもな。 私はズバリ、”下手でドジな奴”の側の人間だが、おっしゃることはよーくわかる。

私が常々書いているように、社会人として必要なものは一に体力、二に緻密さなのである。
おおざっぱでいい加減な人間でもつとまる仕事は主婦くらいである。多少、夕飯の味付けが狂っても、主婦の座がクビになることはない(離婚事由として認められないだろう)。しかし、レストランのシェフならクビになる。
どんな仕事でも、土台となるのは緻密さが求められる地道な仕事(それこそ実験みたいなもの)であるから、そこがぐらつくと一気に信用を失ってしまうし、誰からも仕事を頼まれなくなってしまう。面白い結論を導き出した論文があってもその根拠とする数字が間違っていれば、その結論も間違っているのであり、価値はない。

だから世の中の”下手でドジな奴”が仕事の失敗を恐れて、家にひきこもる気持ちはよ~くわかる。私の観察では、不注意さや不器用さには先天的な要素もあるから、改善には限界がある。度々仕事でミスをすれば「責任を感じてもらいたい」といわれるまでもなく、重々責任を感じて、引きこもるか鬱になるか自殺するか、まぁそんな末路をたどったりするのだ。ほんと”下手でドジな奴”って、どうやってサバイブしてんだろう? 私は結婚して夫に寄生したわけだけどねぇ。

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01月13日(水)

起床時刻:08時00分

夕飯は鶏もも照り焼き(鶏肉屋で購入)、付け合わせはスティックセニョールとハムをオリーブオイルで炒めたもの、ポテサラ。あと白菜と油揚げの味噌汁。私は夕食後デザートに干柿。

『サイエンスミステリー 亜澄錬太郎の事件簿2 殺意の卒業旅行』(2015/10/24、齋藤勝裕、シーアンドアール研究所)を読んでいたら誤植というか校正ミスを発見。
英文学科の若い講師の魅力的な講義について、「講義の間に挟む雑談もセンスとウェットに富んでいた」とあるが、もちろん「ウィットに富む」のである。「ウェットに富んでいた」って浪花節じゃあるまいしw

個人的には「汚された準優勝」が面白かったかな。天然コニインと薬品コニインの違いは何でしょう?
あと「幻の再追試」も発想が面白い(が、実際に似たような事件があったそうな)。即効性のトリカブトを飲んでから数時間後に効果を表すようにするにはどうしたらいい?カプセルじゃないよ。
興味があれば本書をお読みあれ。ただ、表題にもなっている「殺意の卒業旅行」は、似たようなトリックをどこかで読んだか見たかした記憶があるなw

本書はサイエンス・ミステリー+科学のお話がセットになっている。ド文系の私としてはミステリだけでいいんだが。ただ、小説の出来は、枚数制限からか、単なる「あらすじ」レベルでよくない。本職の作家が、いかにすごいかがよくわかる。とはいえ、アイデアはいいものがあるので、ぜひこれをプロの脚本家の手で『科捜研の女』のシナリオにしてほしいw 亜澄錬太郎じゃなくて、榊マリコがいいんですw

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01月12日(火)

起床時刻:07時50分

夕飯は八宝菜(白菜、人参、豚バラ、かまぼこ、うずらの卵、舞茸)。大根と油揚げの味噌汁。コールスロー。デザートはヨーグルト。

寒い。「この時期本来の寒さ」らしいが、大変に寒いので、ダウンコートを引っ張り出した。今シーズン初のダウン。
会社の帰り道、大きな邸宅の前を通るとき、梅の花の馥郁たる香りがした。姿は見えねど梅が咲いている。「春の夜の闇はあやなし梅の花色こそ見えね香やは隠るる」(凡河内躬恒)てなところだ。

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01月11日(月)

起床時刻:07時50分

この日は法事。朝出掛けに夫から「顔が皺っぽいけど大丈夫?」って聞かれた。
大丈夫じゃないよw
しかし、「顔が皺っぽいから法事を欠席します」とは言えないだろう。
「顔の不調」が欠席理由として認められるんなら、欠席したいわw

夫の実家に行くと、みんな私よりうんと若くてイヤになっちゃう。
そして、ものすごい被害妄想(妄想だったらいいんだが)が頭をぐるぐる回る。
私のこと「年上の、老けた嫁で、子供もできず、たいした稼ぎもなく、何にも取り柄がなく、顔が皺っぽい」って思ってんじゃないかっていう懸念。
「あああ、世の中の人全員と縁を切って、誰とも会わず、一人でひっそりと暮らしたい~~~!!!」と叫びたくなるw

私は老化を受け入れられない。老化は、治療すべき疾患だと思っている。
『インターネット・ゲーム依存症』(岡田尊司/文春新書/2014.12)によれば、ネット依存、ネトゲ依存、ソシャゲ依存は脳の器質的変化をもたらし、頭がパアになり(「インターネットゲーム依存のケースで知能検査をすると、高校生より年齢が上のケースではほとんどが処理速度の低下を示す」)、キレやすくなり(「眼窩前頭葉、前帯状回、外包、脳梁などの大脳白質で、神経ネットワークの統合性の低下(走行の乱れ)が見られる」)、要するに情緒不安定のアホになるらしいが、私に言わせればネトゲ依存より老化のほうがずっとずっと脳の器質的劣化をもたらすと思っている。ネトゲのやりすぎでアルツハイマー病になった人は見たことない。本書では「デジタル認知症」にも触れられているが、老人の認知症はそんなもんじゃない。デジタル認知症になっても家族の顔を忘れたりはしない。認知症にならないまでも、老化によって、高速道路を逆行したり、ブレーキとアクセルを踏み間違えるなどの大失態をやらかすことになる。ネトゲ漬けでもそんなことにはならない。

ネトゲ依存を治すのも大切だが、もっと深刻な脳の劣化をもたらすのが老化なんだから、老化という病気をまずなんとかしてほしい。
つーか、ネトゲ依存を治しても加齢に伴って普通にパアになるだけなのに、なんで依存症の夢から覚めなくちゃいけないんだ。早く死ぬのが一番いいんじゃないかっていう気にさせるのが、若い人との集まりである。だから「若い人に会って元気をもらってます☆」とか言っている中高年の気が知れない。私は絶望しかないんだけど。

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01月10日

起床時刻:11時30分

録画しておいた『科捜研の女』正月スペシャルを見る。
出た、エルドビア共和国w
しかし土門さん、同僚の刑事である落合さんのことを上司の前で「この女」「お前」呼ばわりはよくないだろう。組織人の常識として。
落合さんの部下のメガネのおっさんがかっこいい。
ちょっとウチの会社の社長に似てるw

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01月09日

起床時刻:08時30分

友人と初のホットヨガの体験クラスを受講した。
大汗をかいてスッキリしたが、シャワーが順番待ちだし、ロッカーも混んでいるので、入会は見送った。最寄り駅にあれば入ったかもしれないけど。
それにしてもこのヨガ教室、営業攻勢がものすごい。インストラクターの先生が営業もするんだよねw。いい感じの方だったけど、今時のヨガ教室の先生はヨガの指導だけじゃなくて営業も同じぐらいしなくちゃいけなくて大変だ。「今日だけ」「特別」「タダ」「割引」「本日限り」といったワードで私たちの合理的判断を停止させようとするお馴染みの手だ。友人は、きっぱりと入らないと言っていたが、私は友達がいなかったらたぶん入会してたw。

需要が供給を下回る供給過多の時代。その上、長引く不況で財布の紐は硬くなるばかり。消費者がたいして欲っしていないものを売りつけなくちゃいけないわけだから、企業は営業を重視する。しかし人件費は抑えたいから、人は増やさない。かくして一億総営業時代の到来。そのうち秘書兼営業、経理兼営業ってなことにならないとも限らないw。求人広告をみると、営業職はいつでも募集がある。営業が過酷な仕事ということでもあるだろう。

営業からやっと解放されると二人で蕎麦屋に行き鴨南蛮を食した後、喫煙可の喫茶店へ。友人はこの時代に相変わらずタバコを吸っている。煙草を吸うことはよくないが、時代に流されない点は尊敬する。私は流されまくりなんでw
ホットヨガの疲れで猛烈に眠かったので、エスプレッソを頼んだ。そこで色々なしょうもない話をする。本当にどうでもいい話しかしていないんだが、すっごくいい気分転換になった。ありがたやー。

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01月08日(金)

起床時刻:08時00分

腰が痛くなった。
私は腰痛とは無縁の人間だったのだが、その原因は明らかだ。
年末年始、一日中ソファに座って、低いソファテーブルにパソコンを置き、前かがみの覆いかぶさるような姿勢で一日中インターネットをしていたからである。異常に首・肩・腰に負担のかかる姿勢にふわふわのソファという最悪の組み合わせの結果、具合が悪くなったのだろう。

『インターネット・ゲーム依存症 ネトゲからスマホまで』(岡田尊司/文春新書/2014.12)をたまたま読んだが、最近の私の恐ろしいまでの「何にもやる気がしない」病、「やるべきことをやらない」病はインターネット依存だったのかもしれないw。腰が痛くなるまでソファに座ってネットするとか異常だわ。

本書によると依存のプロセスとしては、
①睡眠時間が乱れる
②家族や友人と出かけたり遊んだりしなくなる
③週末のレジャーや家族旅行に付き合うのを嫌がるようになる
④やらないといけないとわかっている現実の課題を怠ったり、他の愉しみに以前のような興味を示さなくなる
⑤現実生活が破たん。学校や仕事に行かなくなりひきこもる。
(PP112-114)
といった感じらしいが、私、④まで来ているわw
いやよく考えたら、インターネットが発明される前から「やらないといけないとわかっている現実の課題を怠ったり」はしていたけどさぁ。漫画読んで宿題やらない、みたいな。

友人からホットヨガのお誘いが来たので速攻OKする。
ソファから離れなきゃ、外に行かなきゃ、友達に会わなきゃ!!

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01月07日(木)

起床時刻:08時00分

「どういう形であれ自分がいつか愛を見つけるなどとは思っていないし、たとえ見つけたとしてもそれで幸せになるとは思っていない。わたしは愛を解答だとも解決だとも思わない。愛は、たとえて言うなら自然の猛威だ―太陽のように強烈で、不可欠で、非情で、途方もなく、温暖でありながら灼熱であり、生命をはぐくむいっぽうで大地を干上がらせる」(P220)
『灯台守の話』(ジャネット・ウィンターソン)より。

確かに、愛というのは自然の猛威であるから、善悪とは関係ないし、幸せとも関係ない。自然と同様にコントロールが難しいし、こちらの都合のいい時間帯や都合のいい場所にピンポーンとやってきてくれるわけでもない。愛は海のようなものだ。どこまでも広がる海。海は現実に疲れた人間を時に慰め、時に冒険心をかきたてるが、一方で、時には津波となり、全てを破壊し尽くす。

計画をたてたり、費用便益分析したりできれば、それは愛というよりは事業なのであるし、実際のところほとんど全ての結婚は(もしかしたら恋愛も)、事業のようなものであるから、ビジネス的な指南が機能する。

多くの人はジャネット・ウィンターソンの言う愛とは無縁であるが、マァ、むしろその方がいいのである。理解不能で計測不能でコントロール不能な要素は、恋愛にせよ自然にせよ、排除したほうが心身の健康や町の安全上はいつだっていいのだから。

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01月06日(水)

起床時刻:07時50分

『灯台守の話』(ジャネット・ウィンターソン)に出てくる登場人物で一番自分に近いのはミス・ピンチだろう。全然嬉しくないが、しかし他の登場人物と私は、思想行動等において共通点が一個もない。

「生まれたときからずっとひとり」の学校教師ミス・ピンチは「人生とは夜に向かってただひたすら暗くなっていく夕暮れ時だ」という文句を刺繍したのをわざわざ額に入れて台所に飾っている。またミス・ピンチは「人生はひたすら黄昏に向かっていく、つらく苦しい下り坂」とも言っている。
私も常々「人生とは必ず負けることが決まっているゲームへの強制出場である」と唱えており、「おや、気が合いますね」って感じだ。

ミス・ピンチは機械化による灯台の無人化にも賛成で、というのも「人間とはそもそも目ざわりな存在だから」なんだそうな。
まぁ確かに、観光地の絵葉書に人間が移っていないのは「人間とはそもそも目ざわりな存在だから」である。富士山の名画は数あれど、そこに数珠つなぎの観光客が描かれたことがあったであろうか。人間は富士山のゴミと同じように注意深くフレームから取り除かれる。というのは、人間は地上の星ではなくゴミであり、目ざわりな存在だからだろう。

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01月05日(火)

起床時刻:08時30分

会社でとっている『ニューズウィーク』(2016年1月12日号)を読んでいたら、「抗酸化物質は癌に逆効果?」という記事があった。抗酸化物質は癌細胞も元気にするらしく、元気に癌が広がってしまうらしい。な、なんだってー!!

しかし、納得感はあるなぁ。癌細胞はしつこい雑草みたいなイメージがあるから、まともに闘っても勝てなそう。薔薇を応援するために肥料を与えても雑草のほうがずっと元気になりそうだもんな。
やっぱり、癌は兵糧攻め(低栄養作戦)にするほうがいいのだろうか。しかし雑草の比喩でいえば、薔薇だけが枯れて、雑草のほうはたいしたダメージも受けずピンピンしていそうだから、やっぱり効果はないのかなぁ。

Ill weeds grow apace.
「雑草という名の草はない」と誰か言っていたな、誰だったっけ、と思ってぐぐったら、昭和天皇のお言葉であったw
しかし、私は人間の一方的な主観に基づき、ある種の草々を雑草というカテゴリーに入れていいと思っている。ゴミという名の物はないが、我々の主観によって不要となった物をゴミというカテゴリーに入れて処分してしまうように。でなけりゃ、私らの住家は草ぼうぼうのゴミ屋敷になっちまうのである。

どれもこれも平等に扱うと言うのは確かに高貴な精神だが、私たちはカラスを駆除するくせに、トキを保護する。同じ命なのに、これは許されるのだろうか?平等主義(ディープエコロジスト)は「カラスもトキも平等に扱うべきである」というジレンマを我々に突きつけてくる。
これに関してはロバート&エドワード・スキデルスキーが『じゅうぶん豊かで、貧しい社会』で論じている。この中で彼らは「グッドライフ環境保護主義」を提唱する。価値というのは人間の視点から見たものとは無縁ではないのである。だから同じ命でありながら、我々は我々の目から見て命に重みづけ(価値づけ)をし、あちらを保護しこちらを駆除したりするのである。

って、ものすごい話が脱線したわw

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01月04日(月)

起床時刻:07時30分

昼夜逆転(というほどでもないが)の生活がたたり、昨晩はAM5:00くらいまで眠れなかった。
夕方ぐらいにものすごい睡魔が襲ってきて、睡魔と死闘を繰り広げた。コーヒーもガムも役に立たないので、無駄に立って歩き回ったりした。やっぱり人間は本来、夕方に寝るようにできているんじゃないかw

ジャネット・ウィンターソンの『灯台守の話』(白水ubooks)を電車の中で読む。
「清潔なモリーの体からは、それでもまぎれもない彼女の匂いがした―まだ花のついた新しい干し草のような、それをもっと青く鋭くしたような。刈りたてのまぐさに混じるイラクサ。
それにリンゴだ、と彼は思った。リンゴの白い果実とほのかな桃色と。」

……そんな体臭があるのかね。
そういえば、吉本興業のシルクねえさんが、以前テレビで言っていたのだが、彼女の胸の谷間をこするとグレープフルーツの匂いがするんだとか。ほんまかいな?と思って自分の胸の谷間、というにはあまりに広々と開けている平原の如き胸の中心部分をこすってみたら、なんとなく干し柿のような匂いがしたが、気のせいだろうか?皮膚から水分が抜けてドライフルーツ化していたらおそろしい。

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01月03日

起床時刻:不明

そうそう、年末年始のグラブルのレジェフェスで、私は貯めていた宝晶石で10連ガチャを3回引いたのだが(今回は課金はせず)、3回目でアンチラ(とベアトリクス)が出てきた(1、2回目はSSRゼロ)。夫曰く、アンチラはバハルシ並に出にくいんだとか。旦那はかなり課金してやっととったらしい(いくら課金したかは頑として言わないが、10万以上は確実に課金してそう)。 

今日は『アベンジャーズ』の一番最近のやつを見る。ウルトロンがどうした、こうしたという話。まぁいつものアベンジャーズであったw

『ゲームをするサル―進化生物学からみた「えこひいき」(ネポチズム)の起源』(ダリオ・マエストリピエリ、2015/03)をつらつらと読む。ゲームをするサルというかサルがやってるゲーム(Games Primates Play)というタイトルで、ここでいうゲームとは対人(猿)関係における駆け引きや対人(猿)関係の力学といったことであろう。ネポティズム(縁故主義。身内優先)はこの対人(猿)関係で見られる一つのパターンであり、本書でもトピックの一つとして扱われている(が、なんで副題にしたんだろ?著者渾身のイタリアのコネ社会告発(特に腐った大学教授どもへの告発がアツい)がキョーレツすぎたから?w)。

要するに人間関係と同じくサルにもサル関係があって、その中で出世競争と似たようなアルファメイル競争をやり、優劣をつけたがり、色んなめんどくさい社会的関係の中で政治的駆け引きや対人(猿)関係構築をやってるんだ、という話。猿が我々に似ているのではなく、我々が猿に似ている(というか、元は猿だったんだしw)んだから、猿を観察すれば我々のやってるゲームもよくわかる、というのが本書の趣旨であろうか?(よくわかってないw 途中で読むのに飽きちゃったw)

私がよくわかっているのは、人間社会も猿社会もクソだってことだ。このうっとうしい猿の群れ、人間の群れから離れて生きられればそれに越したことはない。

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01月02日

起床時刻:14時00分

起きたら箱根駅伝終わってるし。。。
ほんとに怠惰な年末年始。
結局、年賀状まだ書いていない。

箱根駅伝が終わっていたのでテレ東の新春寄席みたいな番組を見たら、久しぶりにテツandトモが出てきた。
トモが歌うときのこぶしがすごいwこぶしをまわしまくってるw。
そしてテツが「顎の上に椅子を乗せる」という大技を披露w。
すごいなあ。「顎の上に椅子を乗せる」などといったことは、私には到底思いつかない。
彼等は人知れず、顎の上に椅子を乗せる練習もしたであろう。まさにテツandトモは研鑽を積んでいるのである。努力とはこういうことである、と感じ入った。あんなにこぶしはまわさなくていいと思うけどw

その後16時30分頃に神社に初詣に行く。
おみくじは夫は大吉、私は小吉。
夫曰く、去年は凶だったのだとか。私は覚えていないw
で、夫は実際、去年は悲惨な一年だったから、おみくじが当たっていたんじゃないかという。「んなわけあるか」と思うが、今年は大吉ということで夫は嬉しそうだ。来年、おみくじが当たったかどうか検証するためにメモっとこう。しかし小吉の検証って難しいw。一年ふりかえって「うむ、やはり今年は小吉だった」ってわかるんだろうか。特に中吉・小吉・末吉あたりの吉具合の判別が出来ない気がするw

夜は『ターミネーター ジェネシス』を見る。私はターミネーターシリーズを見ていないので、サラ・コナーとか言われても「誰っすか」って感じなんだがw。
本作に出てくる若いころのシュワルツェネッガーはCGで再現したんだって。すごい!!肌の質感とかCGには見えなかった。それ以外は特に印象に残らず、個人的には、「見なくてもいい映画かなw」という感想だったが、ターミネーターシリーズのファンである夫は面白かったと言っていた。

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01月01日(金)

起床時刻:13時30分

なんだろう、この厭世的な気分。
という書き出しで始まる2016年1月1日。

起きたらもう13:30なので速攻お雑煮を作る。
具材は鶏肉、かまぼこ、茹でたほうれん草、焼いた角餅とシンプル。柚子皮(最重要)を最後に乗せるだけ。
あとは昆布締めにしておいた鯛を切り、かまぼこ、アボカド(わさび醤油で食す)を盛り付け。タッパーに詰めておいたお煮しめを適当にピックアップして皿にのせてレンジで温める。
なます代わりのコールスロー、親からもらった黒豆、昨日買ってきたズワイガニ、焼き鳥、柿の葉寿司も皿に盛り付け。なんか居酒屋チェーン店みたいになっているが、ま、いいか。親に松前漬けももらったが、食べきれないので出さなかった。発砲性の日本酒で乾杯。

旦那が自らコールスローと煮しめを食べていた。びっくり。でも、黒豆には手をつけず。ですよねー。カニが余ったので、夜はカニチャーハンにしよう。余った鯛は醤油とみりんで漬けにして鯛茶漬けにでも。柿の葉寿司も余った。うーん、賞味期限がいろいろやばいw
個人的にはお雑煮が大好きなので、お雑煮と煮しめと祝い肴が三種くらいあれば十分なんだけどね。

夜は映画『ハンガー・ゲーム ファイナル』のパート1を見た。私は『ハンガー・ゲーム』シリーズが好きだけど、夫は一貫してものすごい低評価。まぁ確かに突っ込みどころは満載なんだよねw
特に今作は盛り上がりにかけるため(「序破急」でいったら全編「序」である)、夫は途中で眠りかけていたw。今作は私みたいな真のファン以外は楽しめないかもしれないw 夫曰く10点満点で2点らしいw

そのあとAM2:00過ぎから『リピーテッド』("Before I Go to Sleep")を見た。Rotten Tomatoesの評価が壊滅的に低かったので(トマトメーター35%、オーディエンス評価41%)、期待しなかったが、面白かった。
ニコール・キッドマンの着こなしが素敵。グレーのロングコートがとてもお似合い。色々なマフラーをあわせていたけど私は若草色が好きだったな。それに黒の手袋、柔らかそうな皮の茶色のバッグで、実にシック。背が高いから、あのロングコートも似合うんだろうな。

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