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起床時刻推移グラフ

目標起床時刻:08:00 平均起床時刻:08:00

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08月27日

起床時刻:12時30分

今日は雨。今週もまた土曜が雨。体脂肪率が上昇。
昨日の夜は朝になっても寝られず、ていうか本日の朝になってから寝だした。
家事はアイロンがけしかしていない。あとは歯医者の定期健診、図書館に行ってきた。
食欲もなくて、昼にハムエッグ(卵1個)、牛乳寒天、夜にハイボールとくるみ、おかきを食べた。
おかきって美味しいな。ただおかき、せんべいの類はバリバリ、ボリボリと音が響くのがいけない。「食ってます」という感じがして恥ずかしい。その上、匂いがするしなぁ。だから世の恋人たちがつまむのはチョコレートであってせんべいではない。せんべいは音がうるさいわ、部屋は醤油臭くなるわ、恋愛の妨げにしかならない。

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08月26日(金)

起床時刻:07時15分

朝はそうめん、トマト、ピーマンと油揚げの煮びたし。
昼は残り物色々弁当。
夜は残りもの色々で(やっとなくなった!)泡盛の水割りを1杯、シメは豚肉と茄子の甘味噌炒めをのっけた丼。

息子が強姦致傷で逮捕された高畑淳子氏の会見を朝の情報番組で中継していた。高畑さんによると息子は子供の頃から規律や規範が守れなかったそうで、子育てが大変だったようである。うろ覚えだが、養老孟司氏が、将来犯罪を犯す人間は、小さいころ母親に育てにくいと思われていたという共通点があるとかなんとか、どこかに書いていた。まぁ私も母親が子育てに苦労した子供だったが、それでも他人に対する共感能力がある場合には犯罪には走らないと思う。だらしなかろうが、いい加減だろうが、衝動的だろうが、人に対するやさしさや思いやりがあれば、強姦などという卑劣な犯罪は絶対に犯さない。
まずいのは他人に対する共感能力がなく、しかも規範や規律を守る力もないような子供だ。最近は「それでもいいんだよ、だってそれは個性だから」的風潮になっているが、これはただの重大な欠点なのでなおさなくてはならない。
もっとも私が見たところ、共感能力や規範を守る能力は持って生まれた性質のようなところがあるので、いくら親が子育てを頑張っても難しいところはあるだろうが、しかし、被害者のことを思うと胸がいたむばかりだ。

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08月25日(木)

起床時刻:07時15分

朝は昨日のつみれ汁、ゴーヤーチャンプルー、納豆、ご飯、梨。
昼は残りもの弁当。
夜は泡盛の水割り、近所で買ってきた焼鳥、ゴーヤーチャンプルー、トマトとアボカドのサラダ、ピーマンと油揚げの煮びたし。

会社で何もすることがなく、おかきを食べながらインターネットをダラダラとみて、早々に帰ってきた。
社長は昨日も朝の4時半まで仕事をしていたというのに。その前の日は徹夜コース。仕事というのは、仕事ができる人のところに集まる傾向にあるのだ。

インターネットを見ていたら、興味深い記事満載の「パレオな男」さんのところで、「5分で自分の正しい性格を把握する「簡易版ビッグファイブテスト」」という記事があった。
http://yuchrszk.blogspot.jp/2014/11/blog-post_62.html
「ビッグファイブは、人間の性格を5つの要素にわけた理論でして、具体的には、
O:開放性=知的好奇心の強さ
C:誠実性=まじめさ
E:外向性=社交的で活動的
A:調和性=他人にやさしいかどうか
N:神経症傾向=不安や緊張の感じやすさ」
である。
私がやってみたところ、神経症傾向だけがぶっちぎり平均値を上回っていた(他は全て平均値以下)。圧倒的に神経症なのであります。
はーあ、仕事はできないわ、性格は神経症的だわ、本当に取り柄がない。仕事ができないのは仕方ないけど、性格の神経症的傾向を緩和するためにマインドフルネス瞑想ってのをやってみたいと思うが、今はスクワットやら断捨離やらで忙しい。会社ではめちゃくちゃ暇だから、会社でやってみるかな(←あかんw)。

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08月24日(水)

起床時刻:07時30分

朝は弁当の残り。
昼は鮭弁当(中辛の鮭、卵焼き、ピーマンと油揚げの煮びたし、高野豆腐とニンジンの煮物、梅干、ご飯、ぶどう)。
夜は比較的新鮮そうな鰯がとても安かったので購入。つみれ汁にした。やっぱり鰯はつみれ汁にするのが一番好きだけれど(具材はシンプルにささがき牛蒡とあわせるのが好き)、つくるのが面倒だ。
思えば、私は母親に面倒くさい料理ばかりリクエストしていた。
やれつみれ汁がいいの、やれ南蛮漬けがいいの(小ぶりの連子鯛でつくる南蛮漬けが一番好きだった)、やれきびなごの酢の物がいいだの(きびなごは東京ではほぼ見ない小さな魚で、確か鹿児島あたりでよく獲れるはず。福岡も鮮度のいいきびなごが出回っていたのか、私はきびなごの酢漬けに目がないのであった)、子供のくせに変な食べ物の趣味だが、母親はいつも「はいはい」と作ってくれた。今でも実家に帰ると私の好きなめんどくさい魚料理や野菜料理をあれこれつくってくれて有難い限りだ。

会社で定期購読しているan・an、今週号は「太ももと股関節」の特集をしていた。その中で花王の研究所の人が言っていたが、女性の平均的な体脂肪率は20~25%だって。超えてるやん、私。で、私みたいな人にトクホのお茶を買わせようとしていた。体脂肪率を落とすには、やっぱり筋肉をつけないと!と思って、私は最近、スクワットを1日おきぐらいにやっているけれど、なかなか下がらない。だいたい26%~28%をうろうろしている。

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08月23日(火)

起床時刻:07時10分

朝は出汁巻卵、納豆、高野豆腐と人参の煮物、キャベツとピーマンのサラダ、ご飯、ぶどう。
出汁巻卵はふわっふわにできた(出汁は茅乃舎の減塩だし)。卵4個使って一日で全部食べるとなると、コレステロール的にどうなの?と思って、ちょこっとだけ残した。
高野豆腐は干しシイタケ(とその戻し汁)が入らないと物足りないな。
弁当は出汁巻卵の他、残り物色々。おやつはフィナンシェ。
夜はどーしても素麺が食べたくなったので、素麺。あとトマトとアボカドのサラダ、高野豆腐とニンジン、ぶどう。
本当はうどん(乾麺)を食べなきゃいけないんだけど、やっぱり素麺の方が好き。

今、最高に眠いけど、ベッドに入ったら目が冴えるんだろうなぁ。

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08月22日(月)

起床時刻:07時20分

朝はラタトゥイユ(なくなった)、鶏胸肉のから揚げの残り、オリーブ入りのパン、梨、カフェオレ。
弁当はから揚げ弁当、ゆかりご飯、梨。
夜は茄子、ピーマン、豚肉の甘味噌煮。仕上げに千切りの大葉を混ぜるのが好き。今日は見た目もきれいにかつ美味しくできた。やっぱり面倒くさがらずに、茄子はしっかりアク抜きをすること、隠し包丁を入れることが大事だな。
あとはワカメと卵のスープ、キャベツとピーマンのサラダ。デザートはぶどう。ナガノパープルという、見た目は巨峰みたいなんだけれど、皮ごと食べられるというぶどう。スーパーで初めて見たので買ってみた。
皮は薄いけれど多少存在感があって、少し酸味と渋みがあるので、気になる人は気になるかも。まぁでもポリフェノールをとってる感はあるかなw 果実は甘い。

なかなか寝付けなくて、今日は睡眠不足。で、会社で睡魔と闘うことに、、、。
昨日は暑い中、さんざん歩いたし、家事も色々やったから、昼間動いていないせいで夜、眠れないわけじゃないと思うんだけどねぇ。

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08月21日

起床時刻:08時45分

朝はハムエッグ、ラタトゥイユ、オリーブ入りのパン。
昼はHちゃんとランチ。「豚肉とレンズマメの煮込み」を選んだら、角煮のような豚バラ肉が出てきた。この脂の量は、無理すぎるw。今度自分でつくろう。デザートはタルトとアイスコーヒー。
夜はお腹いっぱいすぎて何も食べず。

一昨日も触れた例の『川柳実作入門』(近江砂人/大泉書店)は昭和48年に出た本。題詠の課題が「物価高」だって。時代だねぇ。デフレ過ぎて「インフレ目標」を掲げる時代がくるなんて、当時の人には信じられないだろう。
ちなみにこの課題の1席は
「物価高ストストストも追いつかず」(永井喜代子)
という句で、選評は「<略>年中なんらかのストが行われている日本の実情を切実に感じさせ、そのような賃金アップを年中していても、物価高には追い付かないという現実の事実を切実に感じさせる」云々とあって、「物価高もそうだけれど、「スト」ってのも、全く行われなくなるんだよ、キミたち」と言ったら、当時の人に信じてもらえるだろうか。

こうやって昔の川柳を詠んでいると、中途半端に古びてつまらなくなっている句が多い。
例えば本書の最後のほうに掲載されている「砂人川柳百句集」の中の「民宿で三泊四日女子社員」なんてのも今や何が面白いのかさっぱりわからないが、これはおそらくアンノン族の話なんだろう。女性が一人または女性同士少人数で旅行に行くのが流行り出し、物珍しかった時代の話。
同じく「秘書ある朝パンタロン穿き御出勤」なんて句も、ビジネスカジュアルが定着した今だと「だからどうした」もいいところだが、服装にうるさかった当時としてはびっくり仰天だったんだろうね。

こういった、川柳の定番の、「最近の若者や女性の風俗を嘆く/に驚く/についていけないと自嘲する」句は、たいてい古びている。
このテの句は今だったら「先輩に「ご苦労様」とゆとり君」みたいな感じかな。たぶん、こういう句はすぐに古びるだろう。

そんな中で永遠に古びないのが「政治家像」である。
「政治家が政治の邪魔をする議会」(山本俊治)
「笑えない話政治家にのしあがり」(大西吼濤)
「政治屋になって目に立つ金まわり」(赤川圭司)
「政治家を親父に持って遊び癖」(中山恒三)
「政治家が求めた土地の横さがす」(前田秀信)
いやはや、政治家の姿だけは万古不易なのであります。古びて欲しいものは古びないのねw

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08月20日

起床時刻:08時30分

朝はチーズ入りのオムレツ、昨日の夜つくっておいたラタトゥイユ、フルグラ、ジャスミンティー。
ラタトゥイユ、とても美味しくできた。今回はトマト缶を使わずにフレッシュトマトを使ったんだけど、このほうが水分が出ないし、見た目もきれいに仕上がるような。酸味も抑えられるし。
何も考えずに洗濯したら、外は暴風雨だった。洗ったものをコインランドリーの乾燥機にかけようと家を一歩出たら、雷まで鳴り出したので出かけるのを断念し、部屋干しにした。しばらくたっても乾く気配がゼロなので、アイロンをかける(下着や靴下まで)。
その後、ピラティス教室に行って、帰りにスーパーに寄り、遅めの昼食(ラタトゥイユとオリーブが入ったパン、カフェオレ)。
夜は鶏むね肉のから揚げ。付け合わせは素揚げして塩をふった牛蒡、ピーマン。キャベツとピーマンのサラダ、ゆかりご飯、プーアル茶。

朝テレビをつけたらNHKでたまたま男子400mメドレーをやっていた。日本がジャマイカに次いで二位、銀メダルだって、びっくり。2位から4位くらいまではダンゴ状態だったからギリギリだったけれど、よかったね。日本はバトンパスの技術がものすごく高いのだそうだが、見ている側としては桐生選手の走りにしびれた。アンカーはハンサムなケンブリッジ飛鳥選手。それにしても、フィギュア・スケートの羽生結弦選手こそ究極の「名は体を表す」だと思ったけれど、飛ぶ鳥の飛鳥君も相当なもんだ。ケンブリッジがどういう意味かはよくわかんないけどw
そして山縣選手、飯塚選手もカッコイイ。なんなら4人で歌でも歌えばアイドルグループとして売れそうだが、もちろん歌なぞ歌わずに走ってくださいw。

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08月19日(金)

起床時刻:08時00分

蒸し暑くて、夜中に何回か目が覚めた。
起きたときからすごく疲れていて、朝は昨日の夜つくっておいた牛乳寒天(缶詰のみかん入り)のみ。うま~。
お昼は手作り弁当屋(チェーン店ではない)で焼肉丼を買ったら、牛肉が食べたことないほどひどいものだった。固くて、臭みもあって、脂身だらけで、ほぼ残してしまった。肉以外には素揚げの野菜が添えられていて彩りはきれいだったけど、味つけしていないし、微妙だった。やっぱりどんな手抜きでも自分で作った方がはるかに美味しい。まぁでも安かったから(600円しなかった)文句は言えないのかも。自分でつくるなら材料費だけでもそのくらいかかりそうだし。
夜は焼き鮭、大根おろし、納豆、海苔、ズッキーニの塩麹和え(酢とオリーブオイルも入れて浅漬けなんだかサラダなんだかよくわかんない風になった)、牛乳寒の残り全部。これで味噌汁があったら、まるっきり朝食やん。
しかし、牛乳寒を一日で全部食べてしまった!600cc分つくったのに!おそろしや。簡単だし安上がりだし、またつくろう。飲み物はジャスミンティー。緑茶を切らしてジャスミンティーが余っているので、ジャスミンティーをまず飲み終わってから、緑茶を買うつもり。そうしないと永遠にジャスミンティーがなくならないからね。ジャスミンティーも大好きだから別にいいんだけど、和食にはあまりあわないかも。まぁそこはあんまり気にしないw

夜のシンクぴかぴか運動は続けてる(ってまだ2日目しかたってないので「続ける」もヘッタクレもないwww)。今日はまだジャスミン茶を飲んでいるから、掃除していないけど。

近江砂人の『川柳実作入門』を図書館で借りてきて読む。
姿勢の一般人が面白いこと詠んでるよ。
「与党にも野党にもなる散髪屋  素直」
「無理するなするなと手伝うわけでなし  三智子」
これ昭和48年(!)発行なんだけど、平成でも通用する句もあれば、時代の流れを感じさせる句もあって、面白い。

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08月18日(木)

起床時刻:07時45分

朝は弁当の残り。
昼は弁当(タラコとズッキーニのご飯。みじん切りの玉ねぎと賽の目に切ったズッキーニをバターで炒め、火が通ったらご飯、タラコを入れて塩気が足りなければ塩、胡椒してできあがり。仕上げにパセリのみじん切りを混ぜた。あとは小松菜と油揚げの煮びたし、梨)。会社でのおやつは餡子の入ったパイというお菓子を食べた(パイ皮がイマイチ)。
夜は、スーパーに行ったらもう北海道の新さんまが出ていたので、さんまの蒲焼丼(青じその千切りをのっけて)、茄子の味噌汁、冷奴、ロメインレタスとトマト、パルメザンチーズのサラダ(ドレッシングは適当につくったフレンチドレッシングで)。

今日は生理痛がひどい。朝も昼もバファリンを2錠飲むことになった。
ダグラス・アダムスの『これが見納め―― 絶滅危惧の生きものたち、最後の光景』(みすず書房/2011.7、原題は”Last chance to see”)を楽しく読む。
本書が初めて刊行されたのは1990年であるが、日本語版は2009年版を底本としている。翻訳を出したみすず書房が、1990年の取材時点で絶滅危惧種だった生き物たちが今(2011年)どうなっているかに関して脚注もつけてくれて至れり尽くせり。

リチャード・ドーキンス氏のまえがきから。
「本書のページからきらきらと光彩を放っているのは、科学であり、科学的ユーモアであり、「当代随一の想像力」という虹のプリズムを通して見た科学の姿だ。」
訳者あとがきから。
「科学的な正確さとユーモアを兼ね備えた、だれにもまねのできないアダムスの文章のすばらしさは、『利己的な遺伝子』で世界に名を馳せた進化生物学者、リチャード・ドーキンスが「新版への序文」で絶賛しているとおりである。本書を読んで強く胸に迫るのは、「自然保護の大切さ」もさることながら、「人間の愚かしさ」にたいするアダムスの強い懸念である」

ドーキンスがP・G・ウッドハウスを引き合いに出していたが、そのくらいに文章が可笑しいし、笑えるだけではなく、文章のハシバシから、控えめで謙虚で思慮深くて優しくて少々皮肉屋なアダムスの素顔が見えるのだ。
ちなみに本書の中に登場した動物のうち絶滅した(と考えられている)のはヨウスコウカワイルカだ。登場する動物で私が知らなかったのは、ニュージーランドのカカポというオウム(本書の中でも、カカポについて書かれた章がとても好き)。カカポは今でも相変わらず絶滅のフチにいるが、絶滅はしていないようで、よかった、よかった。カラー写真もちゃんと入っていて嬉しい。こういう素敵な本を翻訳して出版してくれて、さすがみすず書房さま、ありがたい。

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08月17日(水)

起床時刻:07時15分

朝は卵とトマトの炒め物。
卵はたっぷりの油でふんわりと炒めてから取り出しておき、炒めたトマトと最後にあわせるのがポイントだが、体脂肪率を気にしているので、油の量にひるむ。「でもエキストラバージンオリーブオイルだしぃ~体にいい油なんだしぃ~」と言い訳してたっぷりの油でふんわり卵を炒めて、大変美味しくできた。仕上げに刻んだ香菜をのっけるのが好きなのだけれど、ないから刻んだパセリをのっけた。
あとはご飯と小松菜と油揚げの炒め煮。ジャスミンティー。
昼は残り物弁当(鮭やら高野豆腐やら小松菜やらトマ玉やら色々)。
夜は断捨離の一貫でオイルサーディン(賞味期限は半年以上先だけどこのままほったらかしそうな予感)を食べることにした。玉ねぎの薄切り、トマトに塩コショウ少々をふり、その上に、オイルサーディン、チーズを乗っけてグリルで焼いた。仕上げに刻んだパセリ(またパセリか!って言われそうだけど、パセリがなくならないんですよ)。
これは完全につまみでご飯のおかずにはならないw というわけで、泡盛の水割りを少々飲む。そのあと、タラコと海苔でご飯2杯、食後にヨーグルト+ブルーベリーソース。

そのあと、不要な紙類と化粧品を処分した。
まだ使える化粧品を処分するのって、精神的に疲れる。「もったいない」という気持ちからだけではなく、自分がお金を無駄遣いしてしまったことや”買い物眼”の低さといった、自らの情けない側面にも直面するわけで、そこでどっと疲れを感じる。
一方紙類は要・不要を判断するのに疲れる。口紅は「使わない」ってすぐわかるけど、紙類は「もしかしたら将来必要になるかも?」「思い出にとっておいたほうがいいかも?」などと思ってしまい、判断に疲れる。

「自分が今持っているエネルギーを、過去や未来に分散させているとしたら、未来への不安や過去への執着ゆえに、今を冗漫に生きているとしたら、それでは活力の枯渇を招くばかり。」(『断捨離で日々是ごきげんに生きる知恵』やましたひでこ)

あああ、私は本当に「未来への不安」と「過去への執着」に囚われている。「今の私に必要か」、「今の私にふさわしいものか」、「今の私がここちよく感じるものか」にトコトンこだわらないといけないが、感覚(やましたさんがいうところの「内在智」)が鈍っているから、自分の所有物なのに「これがいるのかいらないのか、よくわからない」なんてことになるんだよねぇ。私がもっている紙類のほとんど全部が不要なはずだ。絶対に必要といえるものは、パスポートと免許証と保険証くらいではないか(というのは、極論すぎかw)。

疲れるので、何回かにわけてやろうと思う。今日はちょこっとしか捨てていないが、それでも少しはスッキリした。

そのあと、洗濯物を片付けたり、シンクの掃除をしたり。シンクを毎日夜寝る前にぴかぴかにすべし、というブログ記事を会社で(おい)読んで、実践。最後にシンクを拭きあげるのにはびっくりした。寝る前に水飲んでコップ洗ったら元の木阿弥な気がするけど、コップを洗わなけりゃいいのか。

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08月16日(火)

起床時刻:07時30分

朝はワカメと豆腐の味噌汁、納豆(+大根おろし)、おかわかめ(雲南百薬)の胡麻ポン酢和え、焼きのり、卵かけご飯、梨。
昼は鮭弁当(焼き鮭、おかわかめの胡麻ポン酢和え、煮物(高野豆腐、干し椎茸、人参、絹さや)、梅干、梨。飲み物はマテ茶。
夜は白ワイン(なみなみ)2杯、豚しゃぶサラダ(豚ロース、戻して湯通ししたワカメ、トマト、ロメインレタス、豆腐)、小松菜と油揚げの煮びたし、ここでワインが残ったので、スナック(でん六豆の「味のこだわり」(小魚とピーナツとおかきと豆菓子などが入った小袋)をつまみにした。デザートはオレンジゼリー。

最近、体重を測っているが、体重自体は20代から特に変わらず、何の問題もないのだけれど、体脂肪率がヤバイことになっている。今日とか28%くらいあって、くらくらした。要するに、筋肉がなくて脂肪だらけなんだね。なので最近和食中心で油っ気を控えている。それとスクワットもはじめたけど、5回がマックス。筋肉つけなきゃ!!

今日は『断捨離で日々是ごきげんに生きる知恵』を読んだ。たぶん20分くらいで全部読めるけど、いいこと書いてあった。御用とお急ぎの方は「まとめ」頁があるから、たぶん3分で内容を把握できる(空いた時間はもちろん、断捨るのであります)。

「自分軸で、時間軸を今にして、物を絞り込んでいく」

そうなんだよなー、私も「いつか使うかも」でとっているものが多いんだよねぇ。
あと貰い物で、「捨てたら悪い」と思って、とってあるもの。
例えば、友達からお土産にもらったキャンドル類!
私の生活、キャンドルを使うシチュエーションがない!!いつ使えっちゅーねん!!

色んな国のお土産のキャンドル、それから貰いもののアロマキャンドルもあるんだけど、キャンドルをともす習慣がないから、埃をかぶっているだけ。
捨てるのはしのびないからとっているけど、これも捨てなきゃな。
今から部屋の明かりを暗くしてキャンドルに火でも灯すかねぇ。折しも台風だし、夫が帰ってきたら停電したかとビビるだろうねw

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08月15日(月)

起床時刻:07時30分

朝は梨、ヨーグルト+ブルーベリーソース。
昼はひどい手抜き弁当(ゴーヤーチャンプルー、トマトとオクラの胡麻和え、梅干、海苔ご飯、梨)。
会社でのおやつはクッキー(土産物)。
夜は朝つくったゴーヤーチャンプルーの残り、わかめと豆腐の味噌汁、友達の福岡土産のふぐのワサビ和え(瓶詰)、高野豆腐の煮物(ニンジン、干し椎茸)、海苔。食後に甘酒を飲んだ。

『記憶が消えるとき 老いとアルツハイマー病の過去、現在、未来』(ジェイ・イングラム)を読む。今のところアルツハイマーの原因としては”アミロイド・カスケード仮説”(アミロイドの蓄積がプラークとタングルの形成、シナプスの破壊、細胞の死を招き、ついにはアルツハイマーになる、という考え)が有力らしいが、反論や懐疑的な見方もいっぱいあって、要するによくわからない。

遺伝子はどうかっていうと、若年性アルツハイマーには遺伝子が確実に関わるが、遅発性(老人性)の場合は、決定打となる遺伝子はないようだ。まぁいくつか、それらしき遺伝子はみつかっていて、なかでもAPOE4(アポイーと読むそうな)がヤバイらしいが、影響の仕方には男女差もあるし、個人差もある(アルツハイマー患者の1/3以上はAPOE4遺伝子を一つももっていない)。

議論が錯綜しているので、私など本書を読んで頭がこんがらがっただけだったが、それは私の脳が既に衰えているせいかもしれない。実際、40代からもうプラーク(アミロイド)はたまり始めているんです。まぁ顔にシミができてるんだから、脳にシミもできるだろうよw

完全な予防法はないが、ほんの数パーセントでもリスクを下げる要素として、「順不同で教育、知的能力を試される仕事、誠実さ、標準的な体重、適度な運動(オンタリオ脳研究所が、特に効果的な方法と認めた要因)が役立つ。ほかに、活発な社会生活と適度な睡眠もある」だって。知ってたw

あとアメリカのシスター研究によると、20歳のときに書いた文章をみると、将来ボケる人とボケない人とでは差があったらしい。文章の情報密度が高い人(多くの情報を簡潔な文章にまとめている人)ほど、また複雑な文法の文章を書く人ほど、将来ボケにくい。どんな人でも年をとると、情報密度がスカスカになり、単純な文法の文章を書くようになる(話すスピードもゆっくりになるらしい)。また、シスターの中にはプラークとタングルだらけの完全アルツハイマー脳(死後解剖されて明らかになった)でも、認知的にしっかりしている人もいたそうな。だから難しく、奥深いんだよね、アルツハイマー病は。

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08月14日

起床時刻:09時00分

洗濯、掃除。
ブランチは昨日の夜と同じ、苦瓜入り焼きうどん(残り物)と梨。
夫は食べないからいいのだ。

昼から外出。外出先で軽く夜ごはん。

昨日、網戸に蝉がとまって、ものすごい音量で鳴きだした。
ウルサイったらありゃしない。
なぜに蝉と赤んぼはあれほどの大音量が出るのだろう?
「恋に焦がれて鳴く蝉よりも鳴かぬアタシが夏バテす」
てなもんだ。

頭痛がひどいのでバファリンを飲んで横になる。

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08月13日

起床時刻:09時00分

今日は片付け。
冷凍庫を片付けて(「気が付くとなぜか増えてる保冷材」冷凍庫あるある川柳)、保存食品も片付け。
親から大量に送り付けられた、いや送っていただいた乾麺のうどんが大量にあって、イマイチ美味しくないのだが、これを食べねば、、、。
色々試したところ、焼きうどんが一番マシだったので、これから焼きうどんの日々がはじまります。送ってもらった焼きのりも大量にあるので、これも食べないと。

朝ご飯:おかわかめ(またの名を雲南百薬)と豆腐の味噌汁、ご飯、茄子の煮物、人参のラペ、タラコ一腹、焼きのり。プーアル茶。
*洗濯、片付け、掃除(クイックルワイパーで)
*ウチの「なんちゃってフローリング」が剥がれてきているので、多目的用ボンドで貼り付けようとするが、失敗。一部くっついて、一部剥がれているので、一枚ひっぺがしてボンドを塗りたくるってわけにいかないのね。剥がれたスキマにボンドを横から入れようとしたけどできなくて、全部まわりにこぼれてまわりがベッタベタに。そして全くフローリング自体はくっつかない。手はべたべた、床はボンドまみれになり、しかもフローリングはくっついていないってこれ何の罰ゲーム?
不器用な人間って何をするにも苦労が多い。

昼ご飯:朝の残りの味噌汁、鶏ももの照り焼き丼(照り焼きは昨日の弁当の残り)、茄子の煮物(やっとなくなった)、ミニトマトのバルサミコ酢マリネ。プーアル茶。色々あるけど、トマトを切っただけw
*トイレと風呂の掃除
*インターネット
おやつは実家から送られてきた甘酒。

夜ご飯:苦瓜入りの焼きうどん(苦瓜、豚肉、人参、玉ねぎ)。梅干。デザートは梨。プーアル茶。
普通は昼と夜の献立、逆だよねぇ。

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08月12日(金)

起床時刻:08時00分

はあああ、夜眠れなくて疲れがとれない。
冷房を入れて寝ると寒くて風邪をひく、冷房を切ると暑くて目が覚める。
どないせいっちゅーねーーーん。

ベッドのスプリングも相変わらずゴツゴツして体にあたるし、寝苦しいったらありゃしない。そんなわけでやっと明け方にうとうと寝だして、寝坊したw。寝ることは寝るのよね。。。

朝食はなし。

昼は弁当。
鶏の照り焼き、人参のラペ(クルミ入り。昨日つくって今朝はパセリを刻んでのっけただけ)、アスパラガスの辛子マヨ和え、ぶどう。
あと会社にあった誰かの土産のうなぎパイ(ナッツ入り)を食後のおやつに食べたほか(美味しかった!)、社長がどら焼きを差し入れしてくれたのでそれも食べるw 「うなぎパイ、侮れん」というのが今日の感想。

夜は昨日の残りを悉くたいらげる。
白ワイン(なみなみ2杯)とともに、イカとズッキーニのパスタ、トマトとアボカドのサラダ、鶏の塩麹焼き+ジャガバター、人参のラペ、冷奴を食べた。
デザートはヨーグルト+ブルーベリーソース。

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08月11日(木)

起床時刻:08時00分

今日の朝ごはんは茄子の煮物、茹でて小口切りにしたオクラと大根おろしの和えもの、卵かけご飯。
昼ご飯はイカとズッキーニのパスタ、アボカドとトマトのサラダ、ヨーグルト+ブルーベリーソース(父親手製)。
夜は塩麹(+ニンニクスライス)漬けの鶏肉を焼いたのと、付け合わせはジャガイモ(バター+パセリ)、残りものの茄子の煮物、デザートは山梨のぶどう(ブラックビートという品種。はじめて見た。巨峰みたいに大きいのに種がなくて食べやすい)。

夫は「全部いらない。」ということだったので、全部まるまるワンセット残っているので、たぶん明日も同じ献立にw 栄養面からすると、それぞれのメニューに汁物をつけるべきだな。あと野菜が少ない気がする。大豆食品もいつもなら何かしら一品必ず入れているが、今日は入っていない。

最近読んだ本。
『江戸日本の転換点―水田の激増は何をもたらしたか』 (武井 弘一/NHKブックス/2015.4)。加賀百万石の名主っぽい立場の篤農家である土屋又三郎が江戸時代のはじめの頃に書いた農書と(めっちゃ新田開墾期で人口もどんどん増えてた時代)、そののちの、享保の改革時代の田中丘隅の著作をもとに(こちらは限界まで既に開墾をしており、あらたな新田開発は停滞していたけど、幕府は「もっと開墾せい」と言っていた時期)、それぞれの時代の農村(水田)の実態を比較したもの。
一見すると、江戸時代は環境保全型のリサイクルでエコな水田社会に見えるけど(本書のかなりの部分は日本人の心のふるさとである、この水田と里山の風景や自然、生き物について書かれている)、その深層では色々な問題が進行・堆積していた。

まず、土地を休ませることなどなく、メいっぱい利用しているから、時代を経るごとに地味の低下のために収量が下がって、肥料を大量にいれなきゃ、全然収量がおっつかなくなった。しかし肥料もどんどん値上がりしているから、金で肥料を買って収量をあげられる富農と肥料を買えずに収量も少なく、ますます貧乏になっていく貧農と格差が開いていく。
あ、あと白米に偏っていったのも収量が不安定になり、「水田リスク社会」化した一因とも示唆している。昔(土屋さん時代)は割とリスク分散して、色んなタイプ(赤米とか)の米をつくっていて、そのため早く収穫できるけど収量が少ない米とか、収量は安定しているけど美味しくない米とかもつくっていたっぽいんだけど、世間(江戸とか?)が「美味しい白米じゃなきゃヤダ」となったせいか、つくるのにリスクが高いけれど美味しい白米に偏って作られるようになったとか。

次に、「水田リスク社会」化の要素として、メいっぱい開墾しているから、今でもそうだけれど、無理な開墾で河川に土砂がたまってどえらい目にあうこととか、あと堤防をつくっても大雨が降ったらすぐ壊れるのは昔と同じでも、無理な新田開発で川のすぐそばに家やら田んぼやらもつくってるから、被害は甚大になること。それからこのときは材木がもう資源不足になっていたんだね、いい木は全然なくなっちゃってる。災害大国だし、しかも土木工事っつったって、コンクリートじゃなくて所詮は木だから、頻繁につくりなおさなきゃいけないんだけど、もういい木が近場ではなくなっちゃってて、両国橋だったかどこかの橋のつけかえも、材木は宮崎の椎葉村(今でも結構な秘境なはず。確か平家の落人の里って言われてるよね?)からえっちらおっちら運んできたと書いてあった。これを読むとコンクリートの堤防は有難いっていう気になるわw 美観は損なっていても、水害を思えば、そんなこと言ってられないw

「開発がピークに達した十八世紀前半には、人口は増えているのに、耕地の方は広がるどころか、既存の耕地を保つことすら危ぶまれるようになっていた。すなわち、誤解を恐れずにいえば、水田にささえられた江戸時代の社会は、その根底において持続可能ではなかったのである」ということらしく、いやあ、もうどうしようもないね。21世紀の知識を持った私が仮に徳川吉宗だったとしても、どうしようもないもん。天に祈るしかないわw(←21世紀どころか、脳みそのレベルが紀元前から進化していないw)

現代は「経済成長し続けなきゃ死んじゃう」世界だが、江戸時代の米本位制においては「米を増収しつづけなきゃ死んじゃう」世界なんだよねえ。制度疲労を起こしているときに、それを抜本的に変えるのは、既存のパラダイムじゃあもう無理なんだよね。
江戸時代の行き詰まりは、西洋の知識や科学技術の受容というパラダイム転換によって解決されたが、現代文明が行き詰ったとしたら、この行き詰まりを転換するような新たなパラダイムはどこから得られるんだろう?どこからかやってきた宇宙人が何かすごいこと教えてくれるのを待つとか?w しかし、宇宙人との遭遇は黒船の比じゃなく、恐ろしいことになりそうだけど。ていうか、とことん他力本願だな、自分w

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08月09日(火)

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08月08日(月)

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私が売りと言ったら買い、私が左と言ったら右が正解。
私の直感の逆バリをしていたら、金も貯まっていたかもしれない。

私は常に(少なくとも現時点から過去を振り返った評価においては)、間違った方、間違った方を選択してきた。

そんな訳で、タイトルに惹かれて『幸せな選択、不幸な選択』(ポール・ドーラン/早川書房/2015.8)を読んだ。

そもそも幸せとはなんぞや?著者は「幸福とは快楽とやりがいが持続することである」(P28)と定義する。
つまり、本当に幸せになるには、快楽とやりがいの両方を感じていなければならない(これを「快楽とやりがいの法則」すなわちPPP(Pleasure-Purpose Principle)と著者は呼んでいる)。

確かにそうかもしれない。
いや、その通りだね。
快楽だけではむなしいし、やりがいだけでは日々つらい。

快楽とやりがいの最適な配分はその人のパーソナリティによる。
しかし、快楽ばかりだと快楽が減じて感じられ、やりがいばかりだとやりがいを減じて感じられるようになってくる(二口目のビールは一口目ほど美味しくないってヤツだ)。従って、快楽とやりがいのバランスが大事。

なるほどなー、私はもともと快楽主義者なので、「やりがい」よりも「快楽」を重視する傾向にあったが、中年になって「快楽」も限界効用が逓減してきて、かつ「やりがい」は生まれてこのかたゼロだから、なんだか日々むなしいんだろうなー。

つまり、私の幸せ度を高めるためには生活における「やりがい」要素を高めないといけない。私の人生における「やりがい」要素の欠片を一生懸命探したところ、「掃除」と「片付け」をしたときだけはちょっと感じる、とわかった。なので、なるべく今後は「掃除」と「片付け」の時間を増やそうと思っている。
実際、土曜日は玄関の掃除と不要な靴(1回しか履いていないpedaraの靴、むちゃくちゃ足が痛くなる)の処分、また換気扇の掃除をして「やりがい」を少しだけ感じた。

厳密に言うと「掃除」と「片付け」の「やりがい」は「まぁまぁ」レベルだ。
どうせまたすぐにやらなきゃいけないから虚しさもある。
一方でモノを捨てるほうは、かなり「やりがい」がある。一回捨てればミッション達成で、同じものをまた買ってこない限り、一週間後にまた同じものを捨てる、なんてことはないからだ。もっともっと、モノを捨てまくって「やりがい」を感じよう。

著者は「なぜもっと幸せではないのか?」という問に対して「それは誤った目標をたてているから」と言う。その例として、例えば仕事を決めるのに、報酬の高さだけで決める場合をあげている。
「仕事自体がどんなタイプのものであるかよりも、本人にぴったり合った仕事であることが最も重要であるということだ」(P131)

ていうかさ、本人にぴったり合った仕事を探し続けて無職であり続けるか、本人に全然あっていないがとにもかくにも食い扶持を得るかのどっちかじゃない?

「高い報酬」にするか「適性のある仕事」にするかとかいう、キャビアにするかアワビにするかみたいな贅沢な世界と、我々底辺世界とでは、全然選択肢が違うんだよね。

はーあ。

あとはボランティア活動や寄付など、他人のために行動することは幸福度を高める、と。
そのデンでいけば、気にくわない姑を日夜介護する、なんてのも「他人のために行動すること」だから幸福度を高めるはずなのに、疲弊して不幸になるのはなぜなんだろう?
アフリカの飢えた子供の世話なら幸福度を高めるんだろうけどねぇ。

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