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起床時刻推移グラフ

目標起床時刻:08:00 平均起床時刻:06:51

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02月28日(木)

起床時刻:08時00分

昨日は22時半に睡眠薬を飲んで寝て、朝6時前に目が覚めたのだけれど、疲れがとれなくてそのままベッドでダラダラし、よっこらしょと起きたのが8時前。

朝ご飯は昨日の残りの野菜と鶏ダンゴのスープ(キャベツ、セロリ、生姜、玉ねぎ、鶏むね挽肉)、クルミパンのスライス1枚(発酵バターとリトアニアの生はちみつをのせて)、ヨーグルトに父親がつくった甘夏のマーマレード、あとはミルクティー。
私はクルミパンが大好きで、今まで食べたクルミパンの中でもとりわけ大好きなクルミパンは、新宿の京王デパートのジュウニブンベーカリーのクルミパンだ(前はフォションが入っていたところが今はジュウニブンベーカリーである)。クルミがギッシリで、生地はモッチリしていて、香りがよくて、とっても美味しい。表参道のビル(GYRE)の地下一階にあったデュヌラルテのクルミパンもクルミのギッシリ度合では相当なものだったけれど、今、あのビルの地下一階は改装されて食べ物屋はなくなり(例の行列ができていたパンケーキ店も!)、どの店もどこかに移転してしまった。
本日の一句。
「催花雨や原宿の店また変わる」

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02月27日(水)

起床時刻:07時30分

昨日の「今日の気分」で引用した『図書館島』というファンタジー小説のネタバレをすると、主人公であるジェヴィックと同郷の紅茶諸島出身の女の子ジサヴェトは、オロンドリア帝国の辺境で病死し異国式の埋葬(土葬)をされたため成仏できず、夜な夜なジェヴィックのところに幽霊としてやってきて苦しめるんだけれど、ジェヴィックがジサヴェトの願いをかなえてあげ、また遺体も回収して荼毘に付してあげることで、彼女はめでたく成仏する。
で、ジサヴェトの願いというのが何かというと、彼女のアナドネデト(自伝?自分語り?)をヴァロン(本)に書いてほしい!ということなのだ。「そんなん、自分で書けばいいじゃん」というわけにはいかない。ジサヴェトが既に死んでしまったから、というより、そもそも紅茶諸島は無文字社会なのだ。縄文時代の日本みたいなものである。でも、主人公のジェヴィックは裕福な農園主の息子で、たまたまオロンドリア帝国出身の家庭教師をつけてもらえたので、彼はオロンドリア語を読み書きできる。しかし、ジサヴェトはオロンドリア語を話せないから、母語のキデティ語を話す。それをジェヴィックがオロンドリアのアルファベットを使って書き記し、その万葉仮名は「ジサヴェトのアルファベット」と呼ばれるようになる(というか主人公がそう呼んでいるので、地元の人もそう呼ぶ)。

昨今、日本のシニアの間で、自伝を書くことが流行っているらしいが、これは成仏の準備もとい終活として、実にナイスなことだと思う。
自分の人生がとてもちっぽけで、他人からみたら石ころ同然だとしても、人間の欲求として、自分のアナドネデトをヴァロンに残したい!!というものがあるんじゃないか。
我々は幸いにして、母語に文字があり、読み書きもできるのだから、どんどん書いたらいいのである。

そんなわけで私もアナドネデトを書こうと思っている。
しかし、いざ書くとなると、結構難しい。大方の人は「私は19XX年X月X日、東京の新宿区のXXで生まれた」などと書き始めてしまうのではないか。実は私がそうなのだけれど、そうやって書いていくと、「物語」というより「履歴書」になってしまうのである!そもそも何年何月何日にどこで生まれようが、ホロスコープを作成するわけじゃあるまいし、そんなことは基本どうでもいいのである。何しろヴァロン(本)にするつもりで書くのだから、冒頭のつかみが大事なのだ。履歴書みたいな話は、本人ですら読む気が失せるだろう。

そもそも生まれたときの記憶も印象もないんだから(三島由紀夫は覚えているらしいが)、もっとはっきりと鮮やかな記憶と印象がある、今日のことからはじめようと思う。
そう、今日は歯医者に行ってきた。歯が痛くってしょうがない。私は歯のことでは悩みが多く、このことが自分の性格の一端を形作ったのではないかと思う。だから「私は幼いころから、といっても永久歯にかわってからだけれども、常々歯のことで悩んできた」と書き出したらいいかと思うが、かっこよくないという大問題がある。
『図書館島』は、風景とか季節とかの描写がかっこいい。たとえば「秋は石のにおいをまとい、ささやきとともに訪れる」(P123)。カッコイイ!!!こういうことを書きたい。自分の歯の話ばっかりしていても、全然かっこよくないし、詩的でもない。というわけで、読み書きができたとしてもナイスなアナドネデトを書くのは難しいのである。私もいつ死ぬかわからないのだから、これからは余暇の一部を割いて、アナドネデトを書くのにいそしもうと思う(まずはかっこいいフレーズを集めることからはじめようと思う。たとえば、今日の天気を「曇り」とかではなく、かっこよく表現するとどうなるだろうか?)。成仏するために。

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02月26日(火)

起床時刻:07時00分

「ラヴァソスは詩人としての生涯を「その埃や石くれさえ愛おしい、清らかで宿命的な道」と呼び、何時間も読み書きに従事していた者には、その後七時間話しかけてはいけないと警告している。「何しろ彼らは坑(あな)の中にいたのだ。入るときは炎の斜面を下ったが、出てくるときは石の梯子を登ってくる」ウル=ブロメのホスラは、自分の蔵書を「両親よりも大切だ」と述べている。長年にわたり、何千人ものオロンドリア人が同じ思いを抱いてきた。たとえばニシアの海岸を探検した航海者エラスイドはこう書いている。「わたしは本を手に荒れ野に座し、喜びに涙を流した」そしてまた、レイヤ・テヴォロヴァは、水難に遭って悲劇的な死を遂げる何年も前にこう書いている。「白い湖のほとり、おぞましい塔の冷気の中に置かれたとき、冬が残忍で、厳格で、苛烈で、暗く、鋭く、恐ろしい精神を持って訪れたとき、わたしの唯一の慰めは書物の中にあった。わたしはその中で幼子のように歩き廻り、あるいは闇に包まれて、きらめく炎に背を向けた蛾のごとく光り輝いた」(P30-31)
『図書館島-交霊者ティオムのジェヴィックの回顧録』(ソフィア・サマター 市田泉訳 2017年 東京創元社)

本書はファンタジー小説なのだが、読んでいるうちにその舞台である「オロンドリア帝国およびニシアと紅茶諸島」に無駄に詳しくなってくるw。テストで「事実以外は書かない作家であり地理学者とは誰か」と聞かれたら「ベインのファードレド」が正解だw。

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02月25日(月)

起床時刻:09時00分

今年のボーナスの支給額が明らかになったのだけれど、予想より大幅に少なくて、私が結婚したときに伯母にもらったご祝儀と同じぐらいの金額であった。
本日の一句。

「水鳥や今年の賞与また減りぬ」

確か賞与は冬の季語なので季重なりかもしれない。
派遣やっている友達曰く、もらえるだけマシ。たしかに。

「年ごとに貧しくなるや浮寝鳥」

悲しいことがあると次々と句が浮かぶ。
そしてそれがことごとく駄句であることがまた悲しい。
悲しみは雪のように……
って、それは浜田省吾の歌のタイトルであった。
「誰もが~うぉおおおお、泣いている~~♪
涙を~~~人には見せずに~~~♪」

「賞与減る人よりも減るそのことがことに悲しき夜更けなりけり」

短歌までできた。

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02月24日

起床時刻:05時30分

「生きることの究極の目的とはなにか。
アリストテレスは紀元前四世紀に『ニコマコス倫理学』のなかでこの問題に取り組んだ。彼のもっとも有名な著作の一つである『ニコマコス倫理学』の主な議論は、次のように進められる。人生には手段と目的がある。XをするのはYのためである。だがほとんどの「目的」は、別の目的のための手段にすぎない。車にガソリンを入れるのはお店に行くためであり、お店に行くのは印刷用紙を書くためであり、印刷用紙を買うのは履歴書を送るためであり、履歴書を送るのは就職するためであり、就職するのはお金を稼ぐためであり、お金を稼ぐのは食料を買うためであり、食料を買うのは生きるためであり、生きるのは……さて、生きる目的とは一体なんだろうか。
アリストテレスによると、他の目的に代えることのできない唯一の目的が存在する。この目的の名前はギリシア語で「エウダイモニア」というが、この言葉にはさまざまな翻訳が存在する。「幸福」が最も一般的で、「成功」や「繁栄」と訳することもある。語源的には「精神の安らぎ」といった意味となる。僕は「繁栄」と訳すのが一番好きだ―「幸福」という言葉に含まれがちな表面的で快楽的あるいは受動的な喜び(大好きなお菓子を食べればたいてい「幸福」にはなれるが、それで「繁栄」できるかどうかは定かではない)も含まれないし、「成功に含まれる表面的な競争や冷酷な面(<略>)も含まれないからだ。<略>
エウダイモニアに欠かせないのが「アレテー」で、これは「卓越性」や「目的の達成」と訳されている。アレテーは有機物にも無機物にも同じように当てはまる。春に花を咲かせる木にはアレテーが宿るし、ニンジンを切る鋭い包丁にもアレテーが宿る。
まったく別のある哲学者―ニーチェ―の言葉を借りると「得意なこと以上にましなことなど、まったくない。そして得意なこととは、ある種の能力を身につけ、その能力を生かすことである」。これをもう少し語気を弱めて、植物に関する比喩を交えて言えば、アリストテレスの主張そのものである。だからこそ、アリストテレスは人間の機能とは何かを解き明かすことを自分に課したのだ。花は咲くもの、包丁は切るもの。では、人間は何をするものなのだろうか。<略>
アリストテレスは、人間のアレテーは観想活動にあると述べた―「完全な幸福とは一種の観想活動である」と話し、おまけに「神の活動とは(中略)観想活動の一形態であるに違いない」と言い添えたのだ」(P70-72)
「だれが想像しただろうか。コンピュータが、人間をこの星のどんなものとも違う唯一無二の存在に保ってきた「論理分析」という能力を真っ先に実現することを。自転車にも載れないのに、自動車を運転し、ミサイルを誘導できることを。それなりの世間話もできないのに、それなりの前奏曲をバッハ風に奏でられることを。言い換えもできないのに、翻訳できることを。椅子をみて「椅子」と答えるという幼児でもできることもできないのに、それなりのポストモダン論のエッセーを書き上げられることを。
人間は、なにが大事なのかを見失っている。コンピュータがそれを教えてくれるのだ。」(P100)
「分析的思考への奇妙な傾倒、それに伴う動物的で身体的な側面に対する侮蔑は、もうおしまいにするべきだと思う。たぶん人間はAI時代が幕を開けたいまになってようやく、人間自身を再び中心に置けるようになりはじめている。数世代にわたった「片方に偏って」(引用者注:脳の左半球に偏って)生きる時代は終わりを告げるのだ」(P101)
『機械より人間らしくなれるか?: AIとの対話が、人間でいることの意味を教えてくれる(“The Most Human Human: What talking with computers teaches us about what it means to be alive”)』(草思社、2012年、ブライアン・クリスチャン)

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02月23日

起床時刻:08時00分

『The Little Book of Hygge ―ヒュッゲー365日「シンプルな幸せ」のつくり方』(マイク・ヴァイキング著)を読んだ。
世界一幸せな国・デンマークのキーワードが"HYGGE"(ヒュッゲ)。
ヒュッゲという概念にぴったりあてはまる外国語はないらしく、本書を通じてなんとなく感じたヒュッゲ的なものを構成する要素は「人と人とのつながり」「アットホームさ」「あたたかみ」「安心感」「居心地のよさ」「ほっこり」「まったり」「なつかしさ」「スローなこと」「ナチュラルなこと」「仲間意識」そんな感じ?

デンマーク人にとって一番ヒュッゲな季節は秋・冬、とりわけクリスマスの季節。家族や親しい人と集まり、外は寒くて真っ暗でも、家の中では暖炉が赤々と燃え、キャンドル(最重要ヒュッゲアイテム)をともし、大人たちはあたたかいグルッグ(ホットワイン)を手にしながら会話を楽しみ、子供たちはホイップクリームたっぷりのココアを飲みながら手作りのクリスマスの飾りつけをつくっている―そんなイメージっすね。
デンマーク人といえばキルケゴールだけれど、彼もそんなヒュッゲな生活していたんだろうか?!ヒュッゲ感ゼロだけど!

本書を読むと色々な豆知識が得られて面白い。
「ヨーロッパ・キャンドル協会によると、デンマークは1人当たりのキャンドル消費量がヨーロッパでいちばん多いそうで、年間消費量は6キログラムにもなります!(余談ですが、デンマーク人のベーコン消費量は1人当たり年間3キログラム)」
「ヨーロッパの砂糖菓子に関する報告書によると、デンマーク人のお菓子の消費量は1人当たり年間8.2キログラムで、世界一甘いもの好きな国フィンランドに次ぐ第2位」
ヨーロッパ平均が4.1キログラムだからデンマーク人はその倍、お菓子を食べているのである!甘いケーキやお菓子はヒュッゲに欠かせないそうなのだ。

そしてデンマークで一番古いケーキ屋さんとして紹介されているのが、「ラ・グラース」で1870年創業だとか。
え?一番の老舗が明治時代創業ってどういうこと?と思ったのは私だけではあるまい。
日本だと「とらや」は室町時代後期の創業らしいし、両口屋是清は寛永年間、鶴屋吉信は享和年間に創業。マァ多少割り引いても江戸より前に創業したお店は多い。

ちなみに、キルケゴールが亡くなったのは1855年だから、グラースのケーキを食べていないのだ!だから彼はケーキがなくてヒュッゲできなかったのかもしれない。
と書いたけど、解説のニコライ・バーグマン氏によると(今やキルケゴールを抜いて日本で一番有名なデンマーク人?いや、アンデルセンをすっかり忘れていた)、ヒュッゲとは何か?と聞かれたら「人と人とのつながりから生まれるもの」と答えるそう。だから一人でケーキを食べてもあまりヒュッゲではない(アンケートによれば「何人でヒュッゲをするか」という問いに対して「一人」と回答した人はわずか3%。6割弱が「3~4人」と回答し最多)。

本書でも再三、親密な家族関係や人付き合いが幸福度にとっては最重要と書かれているのだけれど、なんで日本の田舎(親密な家族関係や人付き合いではどこにも負けない)がヒュッゲというより、息苦しさにつながっているんだろう?

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02月22日(金)

起床時刻:07時15分

今週は残業多くてお疲れモード。
掘ちえみさん、ステージ4の舌癌というニュースにショックを受けた。
若々しくて明るくていつも元気そうなのに……いい人すぎてストレスがたまるのかな。
手術がうまくいくといいけれど。

私がもしステージ4の癌と診断されたら(それで体がまだ元気で望むことができるとしたら)、何をしたいかな。
温泉行きたい、読書したい(読みたいのに読んでない本が多すぎる!)、親に感謝する、大自然(ただし快適なトイレがある)の中でのんびりしたい、それからスリランカに行ってアーユルヴェーダとヨガ三昧したい、あと北欧にも行ってみたい(幸福度ナンバーワンの世界とはどんなものか見てみたい)、アイスランドにも行ってみたい、ピアノもまたやりたいし、もっと絵も描きたい、日記も書かなきゃいけないし、それからお金に糸目をつけず高級スパで高級マッサージを受けたい、お金を気にしなくていいなら、もっと広くてお洒落な部屋に引越したい、犬も飼いたいけど病気だと世話が十分できないから飼えないのが難点……意外にやりたいことがいっぱいあったなあ。
でも病気だとそもそも体力がないし、医療費がかかるし、通院や入院もしなきゃいけないし、お金と時間と体力がまったくないんだよね。今は仕事で時間がないし、お金は病気と老後に備えなきゃいけないからお金ないし、結局、何もせずに死んでいくのかなあ。

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02月20日(水)

起床時刻:06時00分

02月19日(火)

起床時刻:06時30分

02月18日(月)

起床時刻:06時00分

歯があまりにも痛いので予約を繰り上げて歯医者に行ってきた。最初に行った日は、歯を削って仮の蓋をかぶせただけで、なぜ型取りをしなかったのかと聞いたら、確かにそうできるならそうするのだけれども、歯を削ったときに歯茎を傷つけたため出血したので、出血しているといい型がとれないから、歯茎がなおるまで1週間間をあけたのだ(予定より短くなったけれども)ということだった。

知らなかった。

今日は型をとって、また仮の蓋をかぶせたのだけれど、寝る前にロキソニンを一錠飲んで寝たのに、夜中に歯が痛くて目が覚めてロキソニンをまた一錠飲んだ。そのおかげでまた眠れたけれど、江戸時代とか鎮痛剤がない時代はどうしてたんだろうといつも思う。
歯が痛くて痛くて何もできないよ。

東京芝の増上寺にある徳川家霊廟の改葬が行われた際の学術調査によって家茂が虫歯だらけだったことがわかっているのだけれど(残存する31本の歯の内30本が虫歯だったらしい)、彼が21才で亡くなったときはホッとしたんじゃないかとすら思ってしまう。私は今右側が仮の蓋をかぶせていて痛いから左側でご飯食べているけど、ほぼ全部虫歯ならどこでご飯食べたらいいのやら。なかなかの名君だったらしいけど、何がすごいってこんな虫歯だらけで、名君でいられるのがすごい。ものすごい頭痛だと思う。ヒステリー起こしてもおかしくないレベル。

いやあ、歯医者ってありがたい。鎮痛剤ってありがたい。西洋文明ってありがたい。

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02月17日

起床時刻:08時30分

今日もまた落ち込むことがあった。
自分の手先の不器用さが嫌になる。
先日、テレビ番組の『行ってQ』で複数の女芸人で琴の合奏をやっていたが、練習中からタンポポの川村サンの不器用っぷりが際立っていて、私の不器用さはそれに近いものを感じて笑えないのである。
もっとも、川村さんクラスの不器用は滅多にいないから、普通の人はその不器用っぷりを笑えるわけで、彼女は人に笑われるという形で自分の不器用さの活路を見出したけれど、笑われる形でお金を稼ぐというのは、プライドをいかに捨てることができるかにかかっており、そういえば芸能者のことを昔は河原乞食などと言ったわけだけれど、今や芸能人=セレブだからその言葉はあてはまらないにしても、乞食というのはプライドを捨てないとできないことだから、そういう意味では大変精神的負担の大きい仕事なのだ。

チェーホフの「牡蠣」という短編の主人公の男の子のお父さんは職が見つからず、とうとう乞食(「右や左の旦那さま~」)をやろうと街頭に立つのだけれど、第一声がなかなか出せない。プライドが邪魔するのである。

「なさそうであるのがプライド」などと言ったりするけれど、私の場合、ありそうで、ものすごくあるのがプライドで、プライドが高いとよく旦那にも言われたものだった。タンポポの川村さんなのに。なんでこうプライドが高いのか、チヤホヤされて育ったからかもしれないが、プライドがもう少し低ければ、もっと生きやすかったと思う。

自分をかえりみると、自分が取るに足らない存在として、あるいは人から笑われる存在として扱われることにプライドが傷ついていることが、不平不満もしくはココロの傷となっているということがよくわかる。チェーホフの短編に出てくるお父さんも一言、「恵んでくれ」と言えれば、そうしてそういう自分(人からの恵みに頼らねば生きていけないふがいない自分)を受け入れられれば、きっと心の平安が得られるだろう・・・なんてことはないとは思うけれど、社会的不適応者(無職であったり不器用であったり)が、ご飯を食べて生きているというのは、それだけでものすごくエライことなんだ、と思う。もっとも現代なら乞食をせずとも生活保護に頼ることができるけれど、やはり生活保護を受けているというのはプライドが傷つくんじゃないかと思う。

でも生活保護を受けていようがなんだろうが、生きているだけで素晴らしいのだ。いやむしろ、生活保護を受けなきゃいけない人は、単なる不運な人もいるだろうけど、社会不適応である率が普通より高いだろうから、むしろ生きているだけで、普通の人よりものすごくしんどいはずで、つまり、ただ生きているだけでものすごく頑張っているし、ものすごい偉業を達成しているのだ。生きるというのは、ものすごくしんどいことなんだから、死んでいないというのはすごいことなのだ。

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02月16日

起床時刻:05時30分

02月15日(金)

起床時刻:06時00分

02月14日(木)

起床時刻:07時00分

02月13日(水)

起床時刻:06時00分

今日は会社を休んで歯の詰め物(銀歯)が取れたので歯医者に行った。そうしたら、もう詰め物ではおっつかなくて「クラウン」(かぶせもの)をしないといけないらしい。
銀歯が取れるたびに歯を削っていったら歯がちびてしまったのだ。老いることの悲しさよ。
その後マツエクに行き、美容室でカラーリングし、『ベニスに死す』の主人公の老作家よろしく若作りをしたのだが(彼はもちろんマツエクこそしていないが、メイクをしてカラーリングをしていた記憶が)、当時に比べればヘアカラーも進歩しており(イルミナカラーなんですから)、年甲斐もない行為もさほど道化じみていないはずだと信じたい。しかしAIの時代においても歯の治療は明治時代と根幹は変わっていない。虫歯を削ってから、金属なりセラミックを詰めるだけだ。

それにしても仮の蓋を雑にかぶせた、ちびた歯が痛くて痛くてノーシンもロキソニンも効かない。今日はとれたところの虫歯を削って仮の蓋をして、一週間後に型をとって、10日後ぐらいに型が出来上がるそうだが、今日型をとればよくない?!仮の蓋をして、無駄に一週間過ごす理由はなに?!とここで言っても仕方ない、歯医者に言わないと。
それにしても歯の再生はいつになったら可能になるんだろう?人間ご自慢の脳はコンピュータがとって代わる勢いだが、肉体の妙には到底、科学技術は追いつかない。

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02月12日(火)

起床時刻:07時00分

今日は会社の送別会。
こういう飲み会などの場では、「女はよく知っている事でも知らないふりを装ったほうがいい」と紫式部が源氏で書いているように、可能な限り何も発言しないようにしている。
だが、それでフラストレーションがたまる。というのも、私は基本的に清少納言タイプの性格なので、知っていることは全部話したい方だ。それに私は他の人が知識をトクトクと披露していてもちっとも嫌味に感じない。それどころか、新しい知識が増えたことを喜ばしく思う方なので気づかなかったのだが、世間一般は「私、知っている」というふうに知識を披露しまくっていると、「知ったかぶりをして」「上から目線で」「感じ悪い」というふうにものすごく嫌われるのである。

一方で、知っていることでも黙って聞いていると「奥ゆかしい」「身をわきまえている」というふうに好意的にとられる。

それから知識だけでなく、ここでいつも自分のことを書いているように、私は自分のことを考えるのも話すのも大好きなんだけれど、これこそ世の中の人が一番興味のないことで、もし、私がスティーブ・ジョブズなら好き放題自分の話をしてもみんな興味があるから許されるだろうけど、残念ながら私は誰からも興味をもたれないただのオバチャンなので、ますます口にチャック(死語)で黙っていないといけないのだ。

というわけで、ここに戻ってきて、自分のことをあーだこーだと書き連ねると、やっとフラストレーションが解消するのである。

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02月11日(月)

起床時刻:07時00分

昨日は大学時代の友人と恵比寿のiciというところでご飯(フレンチ)。
何を食べたかというと、アミューズ、蟹とブロッコリーの和え物みたいなの(笑)、鮭のミキュイ(半生調理。これがこの店のシグニチャー料理なんだとか)に根セロリのピューレを添えたもの、友人は正才フグのから揚げみたいなの、鱈のブランダード?プランタード?マッシュポテトと干鱈の混ぜ合わせたものって書くとまずそうだけど、美味しい。黒トリュフが少しかかっていて、酒のつまみにぴったり、メインは私は鶉のファルシ、友人は蝦夷鹿とフォアグラのパイ包み、デザートは私はイチゴのお菓子(メレンゲのカップの中にアイスとマスカルポーネが入ってて上にイチゴのコンポートみたいなのがのってて美味)、友人は和栗のモンブラン、ミントティーにプチフール(タコ焼き大のマドレーヌ(ピスタチオ味)のような焼き菓子)。
これだけ覚えていてれば認知症ではない(間違っている可能性も大だけど、食べログへの投稿ではないので無責任に書いておきます)。
料理はプリフィクスなんだけど前菜のうち1品とメインとデザート(チーズやデザート酒を選んでも可)は選べるのがうれしい。
色々ちょこちょこと出てきて私のような小食な人間でも楽しめる。ただ入口近くに座るとこの時期寒いかも。

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02月10日

起床時刻:08時00分

今日は午前中からずっと写真を見ながら絵を描いていた。
なんで絵を描くのはこんなに飽きないんだろう。
すごく下手くそなのに、何が楽しいんだろう。
自分でも不思議である。

不思議といえば、実家に帰ったときに、何十年かぶりにピアノを弾いた。
そうしたらなかなか楽しかったのである。
ピアノが上手だからではない。何しろ「猫ふんじゃった」ですら最初の2小節しか弾けなかったんだから。認知症か!ってくらいにすっかり忘れているんである。
私はピアノは幼稚園前から高校1年くらいまで習っていたのだけれど、「猫ふんじゃった」以外の暗譜していたはずの曲もぜーんぶ、きれいさっぱり忘れていた。どれもこれも最初の2小節くらいしか弾けない。子どものころに身につけたことは体が覚えているというけれど、そんなことは嘘だということが判明した。
それはともかく、私は「長年ピアノを習ってまったく上達しなかったで賞」という賞があれば間違いなく受賞できると思われるほど、ピアノが上達せず、ピアノがドヘタクソで、ピアノの才能がなく、ピアノに向いていないし、ピアノを習って得たことは劣等感だけと言い切れるのだが、その天敵であるピアノをたどたどしく弾いたらなかなか楽しかったのである。ちなみにピアノは長年弾いていなかったせいで完全に調律が狂っていて、音に敏感な人なら叫びだしたくなるくらい調子っぱずれでもあった。タケモトピアノでも買い取ってくれないであろう。

どういうことなんだろうか。我ながら謎である。
トシをとって求めるレベルが低くなってきているのかもしれないなあ。
若い頃は周囲も自分自身も、自分に対して期待が何かと高い。難しい曲をすらすら弾けなきゃダメだみたいな思い込みがあるけれど、テレビでたまに健康ご長寿がでてくるが、百歳なら「咲いた~、咲いた~、チューリップの花が~」が弾けただけでも「すごいですね!おばあちゃん!」と褒められるのである。
それ以外でもトシをとると絵手紙とかをやたら出すようになるが(私もこの間伯母に絵手紙を出したのである)、それも昔なら「こんなに下手なんだから恥ずかしい、絶対に人に見せられない」と思って出せなかっただろうが、トシをとると、絵手紙を描くという意欲があるだけでも「元気でエライ!」「趣味があってイキイキしててエライ!」という風になる。恥ずかしくなんかないんである。イキイキ生きてるんだから!まぁそういう領域に近づいているような気はするなあ。

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02月09日

起床時刻:07時00分

「息をするだけでお金が減っていく家賃年金健康保険」(瑞木理央)
「病院で支払う医療費分さえも稼ぐ力がなくて死にたい」(瑞木理央)
【連作短歌】 「働くことは尊い」瑞木理央
https://note.mu/waterfield5/n/na09ef693312b

この短歌の作者さんのブログを引用すると
「もう本当に、自分自身もいろいろ病気があって働けない人間で、似たような人が集まっただけかもしれないけど……それにしても、死にたがってる人、多すぎ。
それも、どうやら「働くこと」が、「死にたい」という気持ちの源泉になってる人が多い印象で。「職場でパワハラにあった」とか「適応できなかった」とか「そもそも病気で働けなくてつらい」とか。」
http://newmoon555.jugem.jp/

先日引用した「ロスチャイルドのバイオリン」の主人公ではないが、いわば息を吸って吐くだけでもコストがかかる。二番目の短歌のように医療費削減のために自分自身をリストラしたくなる気持ちもわからんではない。もっとも私は菩薩のような社長のおかげで(もしくはアベノミクスのおかげで)正社員として採用されたため、自分の家賃・厚生年金保険料・健康保険料・医療費を払っても十分おつりはきているが、パートのままだったらフルタイムで働いても爪に火を点すようなカツカツな暮らしだったろう。他人事ではない。

病気のせいで働けないのはそりゃ仕方ないから横に置いておくとして、また「パワハラにあったから働けない」に関しても横においておくとして、「適応できなかった」ために「「働くこと」が、「死にたい」という気持ちの源泉」になることに関しては、多くの仕事は人間の本性にふさわしくないから適応できないのである、と私は考える。
"To err is human"というように人間というものは間違えるものだが、仕事は間違えてはいけない。そこに不適応の問題が生じる。いわば犬が二足歩行するようなもので、頑張ればできるかもしれないが、自然に反するし、相当な努力がいる。

運転手は時間通りに鉄道を運行し、レジ係は間違えずにおつりを返し、医者は正しい患者の手術しなければいけない。もし時間通りに電車が来なくて飛行機に乗り遅れ、レジ係がおつりを少なく渡し、医者が他の人の腎臓と間違えて私の腎臓を取ったら私は怒り狂う。過ちを許すは神の業だが、人間は神ではないので、訴訟問題になる。よしんばそこまでいかずとも、クレームがきたり、上司に怒られたり、減給になったり、リストラされたり、同僚から批判されたり、職場から浮いたり、マァそういうことになる。度々こいうミスが重なれば自責の念にかられ、「自分は仕事に向いていない」「稼ぐ力がない」「社会不適応だ」といじけて死にたくなるのである。

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02月08日(金)

起床時刻:07時00分

「時間厳守の人は、時間を守らぬ者が経験することについて、まったく想像できないと思う。どんなに体力を消耗させ、どんなに胸をどきどきさせるか、見当もつかないだろう。遅れるのが好きで遅れていると考えているようだ。しかし、遅刻したことで誰よりもひどい目に遭うのは、遅刻者なのである。中年男が卵を半分だけ食べて、町への電車に間に合うために四分の一マイルを走るなんて、楽しいはずがない。自分の安楽を思い、できるだけのんびり一日を送ろうと考える人は、そんなことしようと思わない。時間を守らぬ者は、子供のとき最初の努力で生きてゆく方法を身につけるだけの狡さがなかったおかげで、大人になってから苦労するのである。」
(リンド「時間厳守は悪習だ」『たいした問題じゃないが ―イギリス・コラム傑作選―』行方昭夫編訳)

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02月07日(木)

起床時刻:08時15分

「それから家に帰る道々、つくづく考えた。死んだら得になることばかりじゃないか。食べなくても、飲まなくてもいいし、税金を払うことも、人を怒らせることもなくなる。そもそもお墓の中で寝ているのは一年どころか、何百年も、何千年ものことだから、利益を計算したら莫大なものになるだろう。人間にとって生きるのは損になり、死ぬのは得になる。そう考えるのはもちろん、まったく正しいのだけれど、それでもやっぱり腹立たしく、辛くもある。どうしてこの世は、たった一回しか生きられない人生が利益をあげないで終わってしまうという、奇妙な仕組みになっているのだろうか」
(「ロスチャイルドのバイオリン」『【新訳】チェーホフ短編集』(沼野充義訳))

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02月06日(水)

起床時刻:05時45分

ウィーンにお住まいのソプラノ歌手の田中彩子さん(とてもおきれいな方)が日本に一時帰国されたときの密着取材番組(BS-TBSの「#ストイック女子」)は、彼女が目白庭園で散策しているシーンからはじまるんだけど、彼女がヒヨドリを見て「珍しい鳥」「珍しい鳴き方」って言うので、テレビを見ながら思わず「ヒヨドリだよ!」と突っ込んだあとで、いやいや、そういえばヒヨドリって日本以外はめったにいない鳥だという話を聞いたことを思い出した。だから海外のバードウォッチャーは海外からわざわざヒヨドリを見にくるんだ、と某知人が言っていた。なるほど田中さんはウィーンに住んでいるからヒヨドリが珍しいんだな、井の中の蛙ウィーンを知らず、でしたなあ、などと思いながら見ていたら、「ピヨッ、ピヨッ、ピヨッと鳴いていた鳥とか、きれいなスタッカートしてました」だって。それヒヨドリだから。ちゃんとアップでヒヨの映像も出たしw。

田中さん曰く「動物が一番正しく声を発している」そうで、私もそう思ってた!誰も私に聞かないけど!と膝を打った。あと赤子ね。犬とか赤子は体の割にものすごくよく通る声で鳴き(泣き)、それで当人(当犬)たちはあんまり疲れた様子もないのは、やはり正しい発声ができているからじゃなかろうか。また、それをいうならヒヨドリも相当やかましいし、その上ヒヨドリはかなり色んな囀り方もする鳥のように思う。
ヒヨドリは「百年に一人の逸材」というソプラノ歌手のお褒めにあずかったんだから、私も「うっせえ鳥」などと思わず、次は耳をすまし、その常にフォルテッシモな歌声に耳を傾けてみよう(あとガビチョウなんかも気に入りそうだからお聞かせしたい。日本では「うっせえ鳥」扱いだけどw)。

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02月05日(火)

起床時刻:05時30分

02月04日(月)

起床時刻:07時00分

『鳥あそび』(小宮輝之/二見書房/2011)を読んでいる。
具合の悪いときにはこういうエッセイが消化にいい。
著者の庭にはいろんな鳥が来るのだが、みんな大好きピラカンサをヒヨドリが見張って、メジロやジョウビタキがピラカンサの実をついばもうとすると、ヒヨドリがさっと飛んできて追い払うんだそうな。ヒヨドリは他の鳥を追い払いながら、実が熟すまで待って、しかるのちにごちそうを独占しようとするらしい。そしていざ熟すとヒヨドリ夫妻が2,3日で食べつくす。
著者曰く「ヒヨドリの頭の良さと、執念深さには、毎年感心させられている」。
また「リンゴやミカンもヒヨドリが独占しようとする」んだそうな。

まったく、今やどこもかしこもヒヨドリだらけだが、繁栄する種(カラスや人など)は、何よりも貪欲で、どこまでも図々しく、頭がいい(小賢しい)と共通点がある。

著者の庭の水盤にくる鳥たちはそれぞれ種によって性格が違うらしい。
面白いのはメジロで、チビのくせに意外に強気なんだそうな。
水盤に「後からきたシジュウカラに対し、嘴をくの字にして「チーチー」と抗議する」。
とあり、その上にまさにメジロがシジュウカラに威嚇している写真があってこれがすごくよく撮れている。メジロが目を三角にしてシジュウカラに本当に「メーッ!」と言っている感じで、一方、シジュウカラは「いいじゃん」って顔をしていて、ほんとに面白い。そして右端にヒガラがいて「・・・」って感じで引いているという。メジロみたいなチビが威嚇するのはかわいいなあ。これがカラスだと「ウザっ!」となるんだけど。

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02月03日

起床時刻:06時00分

1日(金)は飲み会でお酒を4杯ほど飲んで(シャンパン、白赤ワイン一杯ずつ、ハイボール1杯)、11時前には家に帰り、スマホなぞいじってダラダラ起きていたら、翌2日のAM2時ごろから急に吐き気が急に強くなって、まさかあの量で二日酔い?と思っていたら、そのうち下痢はするわ、胃がキリキリ痛むわ、戻すわで、明らかに二日酔いのレベルを超えていて、一睡もできず。

朝になりヨロヨロしながら医者に行ったら、「胃腸炎です」と言われ(でしょうね!)、ブスコパンを入れた点滴をしてもらったんだけど、それでも痛みが消えず。
土曜日は一日中寝て、日曜日(今日)の昼過ぎに胃の痛みはやっと消えた。よくなったからお風呂に入る前に、体重計に乗ったら1日半の絶食効果か、42キロ台。体重はたまにしか測っていないけど、1キロぐらいは減っているだろう。当方身長160センチだから元から痩せすぎの傾向にある(あばらが浮いている)。ただ体脂肪率は25%と多めだから、脂肪が多く筋肉量が足りないサルコペニア予備軍。ただ今回の急性胃腸炎で、ポコッと出ていた下腹が引っ込んだのは嬉しい(けど、こんな荒療治二度とごめんだ)。

ちなみに胃がよくなった後は寝すぎによる片頭痛に悩まされている。

ところで今回、抗生物質と下痢止めと吐き気止めも処方されたんだけど、今時、下痢のときは下痢止めで止めずに、思う存分?出しなさいっていうのが主流だと思ったんだけど。そりゃ高齢者とかよほど重篤な症状で下痢に耐えられないなら別だけど。それに最近は抗生物質の濫用が問題になっていて、ただの胃腸炎レベルでは抗生物質なんか出さないんじゃないかと。普通に痛み止めと胃の薬と整腸剤だけ出していればいいと思うんだけどねぇ。

それにしても診察まで1時間待たされてめちゃくちゃ苦しかったから、次から家にブスコパンを常備しとかなきゃ。ブスコパンさえあれば病院に行かないわ。
あと、とりあえずお酒は控えよう。少なくともワインとか日本酒とか醸造酒は飲むのをやめよう。角ハイボールか黒霧島のお湯割りといった蒸留酒ならたぶん大丈夫だけど、加齢に伴いだいぶお酒に弱くなっているので、2杯ぐらいにとどめておこう。これが今年の抱負。

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02月01日(金)

起床時刻:06時00分