201110 <<先月 | 翌月>>

起床時刻推移グラフ

目標起床時刻:04:30 平均起床時刻:03:47

起床時刻の記録 ▼新しい順 ▲古い順 RSS

10月31日(月)

起床時刻:03時26分

10月30日

起床時刻:04時27分

43+53=96 -1000
A+2600 清水先生-600 浅岡先生-1000(処方箋依頼)

フォーティーンドライバー モトーレ赤60g45.5in R 高澤さん

日別画面へコメントする

10月29日

起床時刻:04時27分

48+47=95 -200
A+1800 I-600 M-1000

石川さん二ヶ月ぶりの参加

日別画面へコメントする

10月28日(金)

起床時刻:03時56分

何らかのネガティブが外から入ってきたり、中からわき上がって
きたら、その5倍の時間をポジティブな楽しいことに関心を集中させるのが良
い、というのが『心のなかの幸福のバケツ』の提案の一つ。by

きょうはポジティブなはず!

日別画面へコメントする

10月27日(木)

起床時刻:03時10分

  
  「プアなイノベーションより、優れたイミテーションを」
       
       
        佐々木常夫(東レ経営研究所特別顧問)
        
             
────────────────────────────────────

二十代という年代は知識も知恵も不足しているため、
いろいろな回り道をし、時間をロスしてしまいがちです。

ただ、私のように失敗を重ねてきた人間は、
次は失敗をしないようにと心掛けるため、
三十代に入るとそれほど失敗をしなくなります。

そして管理職になって人を使うようになると、
そこで人間は飛躍的に成長していくものだと感じています。

自分自身を振り返って最も成長したと思われるのは
三十代後半から四十代にかけてでしたが、
本当は二十代の時にもっと伸びなければいけないと考えています。

そしてそのためには二十代の時に
どんな人が周りにいたかが重要になってくる。

しかし会社の中では皆、自分自身の仕事に追われているため、
メンターとなってくれるような人はほとんどいません。

従ってその年代には、この人ならと思える人を自ら探しに行き、
私を指導してくださいとお願いをすればよいでしょう。

当時の私が行わなかったのはその点で、
せっかく優秀な人がたくさん周りにいたのだから、
その人たちに教えを請うようにしていれば、
もう少しよい二十代が過ごせたのではないかと反省しています。


また、仕事を早く覚えるための秘訣は、
優れた人のやり方を真似るということです。

尊敬する上司が朝何時に出社するのか、
お客様とどう接しているのか、
どんな電話のかけ方をしているのか、等々。

私はよく


「プアなイノベーションより、優れたイミテーションを」


と述べていますが、一般的な会社の仕事で、
創造性を求められる仕事はほとんどありません。
従って、優れた仕事をしている上司や先輩のやり方を
注意深く観察し、どんどん真似ていけばよいのです。byちち

日別画面へコメントする

10月26日(水)

起床時刻:03時05分



            青山俊董(曹洞宗尼僧)
      
────────────────────────────────────

(人生で一番大事だと思うことを一つだけ挙げてほしいとお弟子さんに聞かれたら、
 何とお答えになりますか?)


「慈悲」や「恕」以外でなら、私がよく好んでサインするのは、


「投げられた ところで起きる 小法師(こぼうし)かな」


です。起き上がり小法師、つまり達磨さんがボーンと投げられたそこが
いかなる場所であろうとも、正念場として起き上がる。

腰を据えてまっすぐ正面を見据える、という意味です。

われわれはだいたい人生がうまくいかないとぐずったり、
うまくいくとのぼせ上がったりして、年中姿勢が崩れます。

しかし、いかなる場所でもぐずらない、
追ったり逃げたりしない、のぼせ上がらない、ダウンしない。
どういう状態であっても、しゃきっと姿勢を正せという意味です。


        * *


同じような意味で、


「四運(しうん)を一景(いっけい)に競う」


という道元禅師の言葉もあります。

四運というのは、季節で言ったら春夏秋冬。
人生で言ったら生老病死。

人生はいろいろ移り変わっていきます。

愛する日もあれば、憎しみに変わる日もある。
成功する日もあるし、失敗する日もある。
寒風吹きすさぶような中でじっとしていなければならない日もある。

その時、多くが一喜一憂して、
追ったり逃げたりするわけです。

しかし一景というのは「同じ姿勢」という意味で、
生も死も健康も病気も愛も憎しみも成功も失敗も、
全部同じ姿勢で受け止めよということですね。


だいたい、人生の移り変わりなんて一目では見えませんからね。
愛する日は憎む日がくるとは思えない。

健康な日は病気で苦しむ日がくるとは思えませんでしょ。

いかなることが起こっても、そこで姿勢を正す。
人生なんていろいろあったほうが豊かでいいんです。

人生の調度品を揃えるような気で
楽しませてもらいましょうと思っています。byちち

日別画面へコメントする

10月24日(月)

起床時刻:03時06分

10月23日

起床時刻:04時25分

月例会
39+43=82-14=68 3位
三木さん(13) 三石さん(9) 新井さん(15)

日別画面へコメントする

10月22日

起床時刻:04時25分

51+45=96 -400
A+800 S+1200 南さん-1600

日別画面へコメントする

10月20日(木)

起床時刻:04時24分


老化現象→体内細胞ミトコンドリア衰弱→酸化作用発揮→動脈硬化や発ガン
老化遅延←ミトコンドリア増←サーチュイン遺伝子←リスベラトロール投与


【オリ○○ール(リスベラトロール以上の作用)の特性】

①低分子ポリフェノール=高吸収性
②皮膚温度上昇=抹消血管拡張
③善玉アディボカイン増/悪玉アディボカイン減=メタボ改善
④抗酸化作用(美容)=100とした場合 CoQ10=88 リコピン=85
⑤疲労改善作用

腸内有害菌抑制作用(大腸菌 ブドー球菌 プロテウス 緑膿菌 霊菌 真菌 バクtロイデス クロストリジウム)

①ビフィズス菌
②フェーカリス菌
③アシドフィルス菌

大腸まで届く(ミルミル 小岩井ヨーグルト)


【オリ○○ール(=ライチの皮を精製⇒低分子化ポリフェノール)の服用実験】

口コミ情報(3ヶ月で効果があった?)
・視力が上がった 0.2→0.9
・シミが消えた
・やせてお腹が凹んだ
・疲れにくく勃つ様になった


<ポリフェノールの疲労回復メカニズム>

呼吸により活性酸素が発生するが多くは体内で分解される
激しい運動で呼吸が増えると活性酸素も増え細胞を酸化する

大学の陸上選手や登山者にポリフェノールを投与し尿を調べた
疲労回復感と活性酸素の低下が一致した

免疫:生体防御システム
①体内外の異物を処理する免疫細胞
②マクロファージが体内のごみを掃除
③白血球が他の細胞に働きかけて治療する

免疫力を支える4大成分
①ポリフェノール:お茶、ワイン、ライチ→免疫活性+抗酸化作用
②グルカン:キノコ、海藻、AHCC→免疫細胞を活性化
③乳酸菌:ヨーグルト→サイトカインの分泌を高め免疫を高める
④抗炎症活性物質:しそ、しょうが、緑茶→過剰免疫は発ガンの素 これを防ぐ

※ AHCC=Active Hexose Correlated Compound=活性化糖類関連化合物(きのこ菌糸体)


【実験結果】

ポリフェノール、乳酸菌 服用はじめて二週間経過
①腸の活性化、②疲れにくくなった・・・かナ


Helicobacter pylori 退治にランサップ400
朝夕一週間服用 逆に一週間断酒

サンラップ=強い抗生物質+制酸剤の影響
・舌からコケが消えた(必要なもの)→10日程でヒリヒリ感が消えた
・逆流性食堂炎=胃酸過多で胸焼けする

日別画面へコメントする

10月19日(水)

起床時刻:02時15分


これから観る物語

《赤毛のアン DVD制作年 1986》ルーシー・モード・モンゴメリー原作
ミーガン・フォローズ Megan Follows主演 舞台カナダのプリンスエドワード島

孤児で行くところもなかったアンがマシュウとマリラのカスバート兄妹のもと
グリーン・ゲイブルズで愛情深く育った想い… 

それは『子供が出来たら、必ずここで育てたい…』アンがギルバートに話して
いた言葉に強く表れとても印象強く残る。。。

アンはプリンス・エドワード島のグリーン・ゲイブルズに住んでこそなのです!


《アンの青春 DVD制作年 1988》

アンが先生になってからの物語です。アンが行く先々で新風を巻き起こします。
映画の中だけではなく、気づくとすっかりアンの虜になってしまいます。

恩師ステイシー先生の勧めで、キングスポートの女子大学の教師として赴任する
このキングスポートを牛耳るプリングルズ一族とのごたごた騒ぎがに長い

この女子大学で同僚として働くキャサリンは、アンと同じ孤児でありながら、
アンとは違って悲惨な境遇で育ったために皮肉屋で人間味のない女性。

そんなキャサリンがアンの故郷を訪れて、人間らしい暖かさをもった女性に変ってゆく。

やはりアンはプリンスエドワード島にいるからこそアンなのです。
故郷に戻り、そして自分にとってギルバートがどんなに大切な存在だったか
気づくあたりは、涙でいっぱいです。


《アンの結婚 DVD制作年 2000》

式をあげたばかりのアンとギルバート…その時、世の中は第一次世界大戦。
急遽 戦地に赴いたギルバートへ送った手紙が戻るようになり行方不明の夫を探

アンは果敢にヨーロッパに渡り、赤十字に加わって夫ギルバートの消息を調べ

一見、夫婦の愛の物語のようですがそこにNY時代、共同執筆で組む事になった作家との生死を賭けた冒険やらで話がどんどんそれていくように…

とくに彼の子供(ドミニク)を預かり戦火を逃れ、あわやスパイ戦???
オイオイ何だこれ~~~

『赤毛のアン』シリーズの完結版とうたっていますが残念ながら全く別物になってしまいました。


《アボンリーへの道 DVD制作年 1993》ルーシー・モード・モンゴメリー原作
 サラ・ポーリー Sarah Polley主演 プリンスエドワード島を舞台に、少女と島の住人のふれあい

アンが結婚して去った後のアボンリーを舞台に、別の主人公が活躍します。
主役は、『バロン』の『ドーン・オブ・ザ・デッド』や
『死ぬまでにしたい10のこと』のサラ・ポーリーです。

TV映画『赤毛のアン』(1985年 ミーガン・フォローズ主演)と同じキャストも、
同じ役で出演している。(マリラ、レイチェル、ステイシー先生、ギルバート)

本作『アボンリーへの道』で主人公のおば(へティとオリビア)役の二人の女優さんも、実はTV映画『赤毛のアン』で別役で出演している。

このドラマは第7シーズンまであります。

日別画面へコメントする

10月18日(火)

起床時刻:02時27分

≪ 今日の名言 ≫
 死に方はいくらでもある。でも生き方は探さなくちゃいけない。死ぬより生
 きるのはたいへんよ。
                     (映画 ブレイブワンより)
≪ 今日の名言 ≫
 神は人間に額に汗して働けと命じている。銀行に金を積んで、何もしないで
食べていこうとするのは人間の掟に反することだ。
                 (レフ・トルストイ ロシアの作家)

日別画面へコメントする

10月17日(月)

起床時刻:02時56分

3632 グリー 現売
4668 明光ネット 買い
5020 JXホールデ 買埋
7733 オリンパス 売増

5214 日電硝子
4902 コニカミノルタ  好い戻りです 

日別画面へコメントする

10月16日

起床時刻:04時56分

10月15日

起床時刻:04時56分

10月14日(金)

起床時刻:03時56分


「免疫力とプロテクト乳酸菌の関係」

誰でも年齢とともに低下しやすくなってしまう免疫力。
京都の漬物、しば漬けから発見した植物由来の「プロテクト乳酸菌」。

細胞壁が厚く免疫活性成分の多い「プロテクト乳酸菌」を、
ダブルバリア製法によりさらに厚く、そして強くした。

このパワフルな「プロテクト乳酸菌」が腸まで壊れずしっかり届いて
働くことで、カラダ本来の免疫力を高めてくれるかもです。

日別画面へコメントする

10月13日(木)

起床時刻:02時56分

幸之助は明治27年に和歌山の裕福な家に生まれた。江戸時代から続く旧家で、屋敷内には樹齢700年を超える一本松があり、松下姓はそれに由来するという。八人きょうだいの末っ子だった。


平穏な生活は4歳で一変した。父が米相場に失敗、先祖伝来の土地屋敷を売り払うことになる。 不幸は重なる。幸之助の小学校入学前後、次兄、次姉、長兄と相次いで病没した。


父は大阪に職を得、そのわずかな送金で母子は暮らしたが、四年生の秋、小学校卒業寸前で中退(当時の尋常小学校は4年生まで)、大阪の火鉢屋に奉公することになった。


別れの日、駅に見送りにきた母の涙とその情景は、生涯、幸之助のまぶたに焼きついて離れなかった。 
以後、幾多の変転を経て、幸之助の道づくりの人生が始まる。


その幸之助に、「道」と題する一文がある。




自分には 自分に与えられた道がある
広い時もある せまい時もある
のぼりもあれば くだりもある
思案にあまる時もあろう
しかし 心を定め 希望をもって歩むならば
必ず道はひらけてくる
深い喜びも そこから生まれてくる

日別画面へコメントする

10月12日(水)

起床時刻:03時28分

10月11日(火)

起床時刻:03時17分

 
   「生と死に向き合い“いま、ここ”を生きる」
   
    西原由記子(自殺防止センター東京前所長)

………………………………………………………………………………………

 私が電話による自殺相談のボランティアを始めたのは、
 いまから約三十年ほど前、一人の青年の死がきっかけでした。

 クリスチャンの私は当時、牧師の夫と一緒に
 大阪の教会で働いていました。
 そこに四、五年ほど出入りしていた青年が、
 「今度の日曜日、行けませんけどもよろしく」と
 私に電話をかけたのを最後に自殺してしまったのです。
 
 それを聞いた瞬間は、
 ショックのあまり血液がカーッと凝固し、
 体が硬直したようになり、
 どうして気がついてあげられなかったのだろうと
 自分を責めもしました。
 
 後に彼の母親から、躁鬱病で以前にも
 自殺未遂をしていたことを聞き、
 
 
 「私は彼について何も知らなかった。
  知らないということは無責任であり、
  愛がないのと等しい」
 
 
 と考えさせられたのです。
 
 この青年を救えなかったことに対する
 自責の念を持つだけではなく、
 二度と同じことが起こらないように、
 自殺のサインに気がつき、
 事前に防がなければいけないと思いました。
 
 
 そこで一九七八年に大阪に「自殺防止センター」を創設、
 九八年に年間自殺者が三万人を超えた
 ちょうどその年に東京にも支部を設立し、
 活動を開始しました。
 
 現在、東京支部では約五十名のボランティアが
 ローテーションを組み、二十時から翌朝六時まで
 年中無休で電話による自殺相談を受けつけています。
 
 相談件数は一日約三十件ほどで、
 二台の電話は鳴り止むことがありません。
 
 必要に応じて面接による相談や、
 緊急出動による救援活動にもあたっています。
 
 総じて自殺志願者は人に悩みを相談できずに、
 孤立無援状態で、生きている意味を
 感じられなくなっている場合が多いのです。
 
 だから私たちは一所懸命エネルギーを傾けて相手の話を聴き、
 相手の境遇に共感することを大事にします。
 聴くということが、彼らにとって大きな精神的支えになるのです。
 
 
 ある時、「もう電話が終わったら死にます」
 という男性がいました。
 
 彼は仕事で正当に評価されず、
 人を信用できなくなっていました。
 
 そこで「死んではいけない」と言うのではなく、
 私は彼の話をただ無条件、無批判で一所懸命聴きました。
 
 一通り聴き終えると、
 
 
 「あなたの話を伺いながら、
  私は心臓をわし掴みにされた思いです」
 
 
 と感じたままを話したのです。
 
 すると彼は心を開き、奥様にさえ言えない、
 真の心の叫びを話してくれました。
 
 そこで私はハッと気がつき、
 
 
 「人が信頼できないとおっしゃりながら、
  顔も見えない、どこの誰かも分からない相手に向かって、
  あなたは真実をおっしゃってくれましたね。
  
  私というものを信頼して話してくださったのですね」
  
  
 と言いました。

 すると彼もハッとし、
 
 
 「僕はもう人は絶対信じきれないと思っていたのですが、
  いまあなたに話を聴いてもらううちに、
  まだ人を信じたいという気持ちが
  残っていたことに気がつきました。
  もう一度やり直してみます」
  
  
 と言って電話が切れたのです。

 こちらが親身になって話を聴くことで、
 相手は命を絶つのを止め、
 またやり直そうと考えてくれました。
 
 私は嬉しさのあまり興奮し、
 次の交代の人が来るとすぐに、
 「聞いて! 聞いて!」といまの出来事を話しました。
 
 一本の電話にずしりと重いものを感じたのです。


 電話の相手に対して「あなたにも非がある」と、
 批判や欠点はいくらでも言えます。
 
 しかし私はこの活動を進めるうちに、
 どんな人に対しても常にポジティブになれる自分を
 育てようと決めました。

 それは自分自身に対しても同じです。
 
 例えば「きょうはよく頑張ったね」と誉めてあげる。
 要するに自分を大事にすることです。
 電話の相手に対してもよく
 「自分を大事にしてくださいね」と言います。


 しかしほとんどの人がどう自分を大事にしていいか分からず、
 周りに一所懸命気を使ってくたくたになっています。
 
 人間関係はまず自分を基本に考えること。
 他人と違いがあっても、無理に合わせるのではなく、
 その違いを楽しむ柔軟性が必要であると思うのです。
 
 世界には一人として自分と同じ人間はいません。
 だからこそ自分の長所も短所も素直に認めて、
 自分らしさを大事にしてもらいたいと思います。

 時には、相談に乗った方が自殺してしまうこともあります。
 けれど死んだという事実を受け止め、
 その人の決断を尊重してあげなければいけないと思っています。
 
 最後に生死を決めるのは、その人自身なのです。


 しかし私はその前に一所懸命相手の話を聴きます。
 
 いま、ここで自分にできる精一杯のことをするのです。
 だからこそ相談を終え、受話器を下ろした後、
 
 
 「神様、私はいま一所懸命、この人に関わりました。
  この人の話を聴きました。後はどうぞおまかせします」
  
  
 と祈る思いになるのです。
 
 生と死は裏返しであり、死と常に向き合うということは、
 きょうをどう生きるかに繋がります。
 
 
 「いま、ここ」を大切に、電話越しに
 どう生きた会話ができるか。
 それが私の最も大事にすることです。

 自殺者が増加する昨今において、多くの人々に、
 いま、ここに生きていることの大切さ、
 自分自身の大切さを分かってもらえればと願っています。byちち

日別画面へコメントする

10月10日(月)

起床時刻:03時24分


       「『神聖喜劇』で問うたもの」
       
       
     大西巨人(おおにし・きょじん=作家)

───────────────────────────────

 万事に関して奥手の私だが、
 こと文字を読むに関しては随分早かったと記憶している。
 
 児童芸術雑誌『赤い鳥』に掲載された
 北原白秋の詩を読んだのが始まりで、
 中には振り仮名のない本も多く、
 私はいくつもの読み得ぬ字句に出合った。

 私の入った中学は幹部候補生の受験資格がある学校で、
 日露戦争で将校を務めた大人たちが教鞭をとっていた。
 
 ある時、教官は学校の生徒全員に、
 日に焼けてくることを夏休みの宿題にした。
 それからというもの、私は毎日のように
 海へ行っては体を焦がした。

 当時私は汽車通学をしていたが、
 いつも隣駅から乗車してくる女学生がいて、
 私はその女性に対し愛情を感じていた。
 
 ところがその夏、彼女が胸を患ってしまったとかの理由で、
 海岸沿いのサナトリウムに入ったという噂を耳にした。

 
 「君が窓の灯火消えて海遠き夜の雲弾く稲妻の青さ」


 これはサナトリウムにいる彼女を思い描きながら詠んだ歌だが、
 この歌のとおり、夏も終わり頃になると晴天が少なくなり、
 せっかく日焼けした私の体も元来色白だったせいか、
 また元通りになってしまった。

 夏休みが終わって学校へ出てみると、
 私をはじめ、日に焼けていない者数名が
 講堂の前に立たせられた。
 
 私はその宿題を怠けたわけではなく、
 むしろ人一倍努力したつもりだった。
 
 しかし教官は我々を指差して
 「こんな白い奴らはろくな者にはならん」と言う。

 ちょうどその頃、私が影響を受けた作家に有島武郎がおり、
 「現代日本文学全集」所収の『或る女』や
 『惜しみなく愛は奪ふ』などの小説を好んで読んだ。

 そしてその全集に掲出されていた織田正信の


「『永遠の叛逆者』の前奏曲は奏ではじめられた。
 その途を阻むものは、焼きつくされるであらう。
 生命まで燃焼しつくして──何処へ行く。
 獨り行く者の跡を追ふものは誰か」

 
 の一文が私の心を激しく刺した。

 当時の私は「獨り行く者の跡を追ふものは、この俺だ」と
 心中ひそかに思った。
 
 そのようなことが相まって、胸の中には
 徐々に反軍国的な気持ちが募っていったのである。

 しかし、だからと言って私は軍隊に行くことを
 拒否したわけでは決してない。
 徴兵検査を受けるに当たり、多量の醤油を飲んで熱を出すだの、
 有力者が軍医に工作し、甲種を乙種にしてもらった云々
 という話もよく耳にしたが、私はそういう考えには甚だ否定的で、
 恥ずべきことであると感じていた。

 そんなやり口で徴兵そのものを忌避する姿勢は、
 消極的反戦ではなく保身というものである。
 
 もし反戦的な態度を示すのであれば、
 軍隊へ行くという運命をまず受け入れて、
 その中で反戦的な思想を遂行すべきではないか
 という考えだった。

 結局、私はこの三年九か月に及ぶ軍隊生活をもとに、
 昭和三十年から『神聖喜劇』の執筆に取り組むことになった。
 私が三十六歳の頃である。
 
 当初はそこまでの長編になるとは思ってもみなかったが、
 四百字詰め原稿用紙にして四千七百枚。
 
 完成までに費やした歳月は実に二十五年にも及び、
 評論家からは日本の戦後文学を代表する作品の一つ、
 との評価も数多くいただいた。


 『神聖喜劇』では、あの軍隊生活で味わった理不尽さとともに、
 それらのものに、意志と能力の限りを尽くして戦っていこうとする
 人間の姿を描き出そうと試みた。
 
 だがこの間、生活費を工面するには相当難儀し、
 妻子には随分と迷惑を掛けてしまった。

 配属年数にかかわらず、軍隊生活は二度と
 思い出したくないという戦友も少なからずいる。
 
 しかし、自分にとってあの経験は、
 非常に有益なものであったと感じている。
 
 人生にはどのような否定的、絶望的な状況の中からも、
 そこに何かしらプラスになるものを汲み取ってくる
 という姿勢が大切なのではなかろうか。

 世の中の見方はどうあろうとも、
 そんなことに捉われず自分の信じた道を行く。
 懸命に前進するという構えを私は崩したことがなかった。


 葛飾北斎は
 「七十五歳までの自分の仕事は習作である」と述べ、
 私自身も人間はそのようにあらねばならないと
 自らに言い聞かせてきた。

 私は普段、色紙や揮毫を頼まれても滅多に書くことはないが、
 十五年ほど前の正月に、ふと次の言葉を認めたことがある。



「此心あながちに切なるものとげずと云(いう)ことなき也」。



 『正法眼蔵随聞記』にある道元禅師の言である。

 自分がこれをやるのだと強く思い込んでいさえすれば、
 いつか必ずその思いは遂げられるということである。

 私はいま齢九十二を迎えたが、長男の赤人が
 運営するホームページで、新作の発表なども行っている。
 
 いくつになろうとも、
 「老いてはますます盛んなるべし」の気概で
 これからも前進をしていきたい。byちち

44+46=90
岡さん 正和さん 川原さん

日別画面へコメントする

10月09日

起床時刻:04時18分

45+47=92
南さん 池田さん 星野さん

日別画面へコメントする

10月08日

起床時刻:04時18分

48+47=95 -1000
A+200 星野さん+800

日別画面へコメントする

10月06日(木)

起床時刻:03時55分


オリ○○ール(リスベラトロール以上の作用)の服用実験

口コミ情報(3ヶ月で効果があった?)
・視力が上がった 0.2→0.9
・シミが消えた
・やせてお腹が凹んだ
・疲れにくく勃つ様になった

①低分子ポリフェノール=高吸収性
②皮膚温度上昇=抹消血管拡張
③善玉アディボカイン増/悪玉アディボカイン減=メタボ改善
④抗酸化作用(美容)=100とした場合 CoQ10=88 リコピン=85
⑤疲労改善作用

<ポリフェノールの疲労回復メカニズム>
呼吸により活性酸素が発生するが多くは体内で分解される
激しい運動で呼吸が増えると活性酸素も増え細胞を酸化する

大学の陸上選手や登山者にポリフェノールを投与し尿を調べた
疲労回復感と活性酸素の低下が一致した


免疫:生体防御システム
①体内外の異物を処理する免疫細胞
②マクロファージが体内のごみを掃除
③白血球が他の細胞に働きかけて治療する

免疫力を支える4大成分
①ポリフェノール お茶、ワイン、ライチ→免疫活性+抗酸化作用
②グルカン キノコ、海藻、AHCC→免疫細胞を活性化
③乳酸菌 ヨーグルト→サイトカインの分泌を高め免疫を高める
④抗炎症活性物質 しそ、しょうが、緑茶→過剰免疫は発ガンの素 これを防ぐ




Helicobacter pylori 退治にランサップ400
朝夕一週間服用 逆に一週間断酒

日別画面へコメントする

10月05日(水)

起床時刻:03時40分

       「どのくらい我慢すればいいですか?」
       
        鍵山秀三郎(イエローハット相談役)
        

────────────────────────────────────

叩かれ、踏みつけられた思いは私にもありますが、
私の場合はどんなことでも
割合簡単に譲るようにしてきました。

人が一歩踏み込んできたら「いいですよ」と引く。
すると相手は甘く見てどんどん踏み込んできますが、
私はどんどん引く。

しかしそれがある一線に達して、
私が「ほい、待った」と言ったときは
もう一歩も譲りません。

一歩も譲らないのは私個人の利害からではありません。
これを譲ったら社員が幸せにならないとか、
社会が良くならない、あるいは相手にもよくないと思ったら
絶対に譲りません。


量販店との取り引きをやめたのもそうですが、
相手が暴力団でも譲らずにやってきました。

大勢のやくざに一昼夜以上監禁されて
「金額が記入していない白地小切手を会社から届けさせろ」
と脅されたこともありました。

小切手にどれほどの金額を書き込まれるかわかりませんから、
断じて譲りませんでした。

そのときは着ている洋服をカミソリでずたずたに切られて
家に戻ったものです。


中国の言葉に


「睡面自乾(すいめんじかん)」

というのがあります。
喧嘩がめっぽう強い青年に、村の長老が


「世の中には強い人間がたくさんいるから、
 これからは我慢して喧嘩はするな」

と諭しました。

「どのくらい我慢すればいいですか」

と尋ねた青年に、

「たとえ顔につばきを引っかけられても我慢する。
 それも拭ったりせず、自然と乾くまでほっておけ」


と長老は答えました。それがこの四文字の意味です。

私は喧嘩が強いというわけではないですが、
人生において何度も、この言葉を思い出して我慢をしてきました。


仕事も人生も大切なことは、
「いかに将来良いことを、いまやるか」
ということに尽きます。

歴史を見ましても、人間、企業、国家が
いま良くて将来も良かったということはありません。
いまが悪くて将来良くなる、あるいは、
いまが良くて将来悪くなるというのが
歴史を見てわかる方程式です。

ところが、日本ではいま、
良いことばっかりを狙っていますから、
これでは将来は悪くなるばかりです。

そうではなく、いまは苦しくても
将来良くなるであろうことを願ってやっていく。

これが人生にも仕事にも共通する
大事な心構えだと思います。        byちち

日別画面へコメントする

10月04日(火)

起床時刻:02時46分


Helicobacter pylori 1+ 陽性

Zyloric 100mg 1ヶ月投与で 6.9に下がる

日別画面へコメントする

10月03日(月)

起床時刻:03時30分

老化現象→体内細胞ミトコンドリア衰弱→酸化作用発揮→動脈硬化や発ガン

老化遅延←ミトコンドリア増←サーチュイン遺伝子←リスベラトロール投与


オリ○○ール(リスベラトロール以上の作用)の特性

①低分子ポリフェノール=高吸収性
②皮膚温度上昇=抹消血管拡張
③善玉アディボカイン増/悪玉アディボカイン減=メタボ改善
④抗酸化作用(美容)=100とした場合 CoQ10=88 リコピン=85
⑤疲労改善作用


腸内有害菌抑制作用(大腸菌 ブドー球菌 プロテウス 緑膿菌 霊菌 真菌 バクtロイデス クロストリジウム)

①ビフィズス菌
②フェーカリス菌
③アシドフィルス菌

大腸まで届く(ミルミル 小岩井ヨーグルト)

日別画面へコメントする

10月02日

起床時刻:05時39分


47+50=97
織田さん 吉原さん 内藤さん

日別画面へコメントする

10月01日

起床時刻:04時30分

           
         【無限の力】           

  尾崎まり子(主婦、喫茶店勤務)

……………………………………………………………………………………………

 突然、それは本当に突然でした。
 四年前になります。
 
 お正月を過ぎてほどない日の午後、
 息子の功が意識を失って倒れたのです。
 
 不整脈から心肺停止状態に陥ったのでした。
 小学生から野球に熱中し、中学生になると
 浦安リトルシニアに入り、やがては甲子園出場、
 巨人入団を夢見ていました。
 
 そんな作文を小学六年の時に書いています。
 
 中学三年で身長百七十六センチ、体重六十三キロ、
 鍛えた筋肉質の身体は頑健で、
 学校は無遅刻無欠席、病気らしい病気を知らずにきた子でした。
 それだけに突然の異変は驚きでした。

 それから四か月、何度も訪れた危篤状態を
 驚くような生命力で乗り越え、
 平成十二年五月二十日、功は天国に旅立ちました。
 十五歳八か月の人生でした。

 振り返ると、一日二十四時間では
 とても足りないような毎日を過ごした子でした。
 
 中学生になると、土日は野球の練習や試合でいっぱい。
 
 学校では生徒会役員を一年生からやり、
 三年では学級委員長も務めました。
 
 それだけでも手いっぱいなのに、
 部活動ではバスケット部に入りました。
 
 苦手の英語も、英会話で進める授業の面白さに引かれ、
 その勉強もしなければなりません。
 
 野球の仲間、クラスメートとの遊びもあります。

 あれもやりたい。
 これもやりたい。
 でも、功はこだわりの強い性格なのでしょうか。
 
 中途半端が大嫌いで、どれ一つとして疎かにはできません。
 徹底してやるから、時間がいくらあっても足りないはずです。


「ああ、時間が欲しいよォ」

 いまでも功の声が聞こえるような気がします。
 あんなふうに生きたのも、自分に与えられた
 時間の短さを予感していたからなのかもしれません。

 といって、功は特に才能に恵まれた子ではありませんでした。
 いささか恵まれているといえば背の高さぐらい。
 
 まず運動神経も人並み、頭脳のほうも
 人並みというのが率直なところです。

 だから、何かを達成しようと思えば、
 努力しなければなりません。
 
 野球でレギュラーになるのも努力、
 生徒会役員の務めを果たすのも努力という具合です。
 そして、目標を立て努力すれば夢は叶うという確信を、
 小さい営みの中で功なりにつかんだのでしょう。
 
 いつごろからか、功はそのことを
 「無限の力」という言葉で表現するようになりました。

「誰にでも無限の力があるんだよ。
 無限の力を信じれば目標は必ず叶うんだ」

 お母さん、これだけはちゃんと聞いてくれよという感じで、
 夕餉(ゆうげ)の食卓で功が言ったことを、
 昨日のように思い出します。

「無限の力」で忘れられないのは、
 やはり中学三年の時の校内合唱祭でしょうか。
 
 音楽が得意というわけでもなく、楽譜も読めない功が、
 自分から立候補して指揮をすることになったと
 聞いた時は驚きました。
 
 それからは楽譜と首っ引きで指揮の練習です。
 
 腕を振りすぎて痛くなったり、
 クラスのまとまりの悪さに悩んだり、
 いろいろとあったようですが、
 功は「無限の力」を学級目標にかかげ、
 みんなを引っ張っていったのでした。

 そして、クラスは最優秀賞、自身は
 指揮者賞を受けたのです。名を呼ばれ、
 周りにピースサインを送り、
 はにかんだ笑顔で立ち上がった功。
 「無限の力」は本当だと思ったことでした。

 その二か月後に功は倒れ、帰らぬ人になりました。
 しかし、私が「無限の力」を実感するようになったのは、
 それからかもしれません。

 一緒に野球をしてきた親友は功の写真に、
 「おれがおまえを甲子園に連れてってやる」と誓い、
 甲子園出場を果たしました。
 
 「功が言っていた無限の力を信じて、看護師を目指すよ」
 
 と報告してくれた女の子もいました。

 出会い、触れ合った人たちに何かを残していった功。
 それこそが「無限の力」なのでしょう。

 私も、と思わずにはいられません。
 自分の中にある「無限の力」を信じて、
 自分の場所で、自分にできることを精いっぱい果たしていく。
 
 そういう生き方ができた時、
 功は私の中で生き続けることになるのだと思います。

 先日、用事があって久しぶりに
 功が通っていた中学校を訪れました。

 玄関を入って私は立ちすくみ、動けなくなりました。
 
 正面の壁に功の作文が張り出されていたのです。
 それは功が倒れる数日前に書いたものでした。

 あれから月日が経ち、先生方も異動され、
 功をご存知の方は三人ほどのはずです。
 
 それでも功の作文が張られているのは、
 何かを伝えるものがあると思われたからでしょう。
 
 これを読んで一人でも二人でも何かを感じてくれたら、
 功はここでも生きているのだと思ったことでした。

 最後に、拙いものですが、功の「友情」と
 題された作文を写させていただきます。


《私にとって「友情」とは、
 信頼でき助け合っていくのが友情だと思う。


 そして、心が通い合うことが最も大切なことだと思う。


 時には意見が食い違い、言い合う事も友情のひとつだと思う。


 なぜなら、その人のことを本気で思っているからだ。

 
 相手のことを思いやれば、相手も自分のことを
 必要と感じてくれるはずだ。


 
 私には友が一番だ。


 だから、友人を大切にする。


 人は一人では生きられない。

 
 陰で支えてくれている人を忘れてはいけない。

 
 お互いに必要だと感じることが、友情だと思う。


尾崎 功》  byちち

41+41=82 +1800
A-1100 植山さん-1100 花尾さん+400

日別画面へコメントする