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起床時刻推移グラフ

目標起床時刻:04:30 平均起床時刻:04:01

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11月29日(火)

起床時刻:03時38分

11月28日(月)

起床時刻:03時00分

≪ 今日の名言 ≫
 相手方の価値観に訴え得る「お願い」だけが、その人を動かすことが出来る。
                    (橋下 徹 政治家・弁護士)

ややこしい言回しする人やな~  あかん!

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11月24日(木)

起床時刻:05時32分

人生なんて食って、寝て、やって、終わり。 (立川 談志 落語家)


【孔子の名言】

●「巧言令色鮮なし仁」(学而第一より)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 口先できれいごとを並べる者に、
 誠実な人間はほとんどいない

●「之を知る者は、之を好む者に如かず。
  之を好む者は、之を楽しむ者に如かず」(雍也第六より)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 何事もそれを知っているというだけでは、
 それを好むという人の力には及ばない。
 さらに、それを好むよりは、それを楽しむ者が上である

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11月23日(水)

起床時刻:05時32分

11月22日(火)

起床時刻:03時52分

11月21日(月)

起床時刻:04時04分

────────────────────────────────────


       「英霊たちへ捧げる写真」
       
                   
坪本公一(水中写真家)

 

 太平洋海底に眠る英霊の慰霊と沈没艦船の撮影を続けて三十余年。
 写真店経営で得た利益や本の印税をすべて注ぎ込み、
 切ったシャッターの数は四万回を超える。

 遺族でもない、軍隊経験もないおまえが
 私財を擲ってなぜそんなことをする、と誰もが訝しがる。
 自分自身にもはっきりした答えはない。

 ただ、私の活動をテレビなどで知った遺族の方が
 訪ねてこられたり、弟を亡くされた老人が
 「とにかく一緒に行ってほしい」と
 新聞を握り締めたまま飛んでくるのを見れば、
 どうしても放ってはいられなくなる。
 
 詰まるところそれは「自分が日本人であるから」
 とでも言えるのかもしれない。


 太平洋戦争の激戦地となった海底に、
 いまだ百万柱以上の遺骨が放置されている
 現状を知る日本人はほとんどいない。
 かつてはこの私もそうだった。

 沈没船の存在を知ったのは、昭和四十八年。
 ミクロネシアのトラック諸島で
 仲間とダイビングをしていたところ、
 海底に傷ついた船体と散乱した遺骨を発見した。
 
 帰国してからもずっとそのことが気にかかり、
 翌年撮影に行く準備をしていると、
 噂を聞きつけたテレビ局から番組出演の依頼があった。
 
 当初、私の目的は沈没船の撮影にあったが、
 共演していた薬師寺管長の高田好胤さんが突然、
 
 「坪本さんたちが今度、トラック諸島で水中慰霊祭をやる。
  故人をしのぶ酒や果物、戒名を書いたハガキ、
  なんでもいいから送ってください。現地で供養してきます」
  
 と茶の間に呼びかけたのである。
 
 番組には、全国から千通にも及ぶハガキと
 山のような供え物が届けられた。

 そして放映当日。
 テレビ局には番組が終わらないうちから
 「よくぞやってくれた」という反響が続々と寄せられ、
 自宅の電話もまる二日間鳴りっぱなしの状態。
 
 それが一段落すると、今度は手紙やハガキが
 嵐のように舞い込んだ。
 
 とりわけ印象深かったのが、ある老女から届いた手紙である。
 「主人の慰霊にいつか行きたいと思っていたけれど、
  いままでずっと行けませんでした。
  きょう番組を見ていて、思わずブラウン管の前で
  両手を合わせていました」。

 最後には、娘さんの言葉がこう添えられてあった。
 
 「母をいつの日か父の終焉の地に連れていってあげたい。
  それが私に残された唯一の親孝行だと思います」。
  
  
  ──私が亡き人々の慰霊と、鎮魂を込めた撮影を
  生涯の仕事と決めたのはこの時だった。

 以来、パラオ諸島やフィリピンなど、
 七か国の海を百回以上訪れたが、特に衝撃的だったのは、
 特設巡洋艦「愛国丸」の遺骨収容作業に同行した時のことである。
 
 同艦は米軍の爆撃に遭って轟沈し、船上には
 千名近くが便乗していたとされる。

 私も命がけで水深七十メートルまで潜り、
 真っ暗な船内を強烈なライトで照らし出すと、
 あたりは骨、また骨。何十センチと積もるヘドロに散乱した
 肋骨や大腿骨、こちらをギロッと睨むような頭蓋骨……。
 
 しかし、怖いという気持ちは不思議となく、
 私はとにかくこれを国民に知らせたい一心で、
 一秒でも長くフィルムを回そうと感じていた。

 一か月間をかけ、引き揚げた遺骨の数、三百五十体。
 甲板で遺骨を洗い流すとヘドロやサビが血のように流れ出て、
 青々とした海に赤茶けた帯がかかった。

 なお水中慰霊の際には、組み立て式の祭壇を海中に持ち込み、
 供え物をして両手を合わせる。
 同行した遺族は船上から花束を投げたり、
 酒を注いだりして慰霊を行うのだが、
 愛国丸の時には、父の顔も知らずに育ったという遺児の姿があった。
 
 慰霊が終わると、彼はズボンを下ろし、
 海パン一丁になったかと思うと、看板の縁に駆け寄って
 「お父さーん!」と叫びながら
 海の中に飛び込んでいった。
 
 しばらく周辺を泳いで戻ってきた若者は
 
 「親父と同じ海水を飲んできた。
  これで自分も同じ気持ちになれた」
  
 と言って胸の支えが下りたような顔をしていた。
 
 終戦五十年の年には、パラオ諸島で給油艦「石廊」の
 水中慰霊を七十歳の方と行い、全国で放映された。
 
 それを見ていたのが当時、七十七歳だったある老人。
 彼はその日からずっと日本海で泳ぎの練習を続けたという。

 沈没から六十年を迎えた一昨年、八十六歳になっていた彼に、
 水中慰霊祭をやるから来るかと尋ねたら、
 即座に「行く」という答えが返ってきた。

 二人で現地へ向かい「ここ(船上)から花束を投げるか」
 と言ったが、彼は
 
 「いや、潜ってやらせてくれ。死んでも俺はやる」
 
 と言う。結局水深二十五メートルまで潜り
 二人で慰霊を行った。

 船が沈没した当時、老人は部下二十人を率いる
 上等機関兵だったという。
 
 自分だけが偶然、機関室を離れていたところへ直撃弾が落ち、
 そこで部下全員の命を失った。
 
 六十年もの間、部下たちを思い続けてきた老人の気持ちは、
 一体いかほどのものであっただろう。

 戦後六十一年目を迎えた今年。
 毎年夏になると行われる慰霊も、
 メインとなるのは陸上ばかりで、
 水中慰霊はほとんど話題にも上らない。
 
 戦争の傷跡が姿を消していきつつある現在、
 太平洋各地にいまも残る艦船は、沈没した当時のまま、
 英霊の遺骨とともに朽ち果てていく運命にある。

 しかし今日の日本を考える時、
 私はこの平和の礎となってくれた英霊たちの存在を
 思わずにはいられない。
 
 今年七十歳になる私だが、一人でも多くの方に
 沈没船と遺骨の存在を知ってもらい、
 二度とこのような惨劇を繰り返さぬよう、
 体力の続く限り活動を続けていくつもりだ。 byちち



────────────────────────────────────


   「歌に命を込めて 私は歌い続ける」
       
       
      村上彩子(ソプラノ歌手)
        


諦め切れずに受けた5回目の試験がダメだと分かった時には、
大泣きしながらとぼとぼ家に帰りました。
絶望し、もうこのまま死んでしまおうって。

何も口にしない日が何日か続いたある日のこと。
ふと以前テレビで観た戦没画学生の絵画などが飾られている
無言館のことが頭に浮かんできました。

その瞬間、何かに突き動かされるように、
私は取るものも取りあえず
一路無言館のある長野へと向かったのです。


館内に飾られた画を一枚一枚眺めているうちに、
こんなにも才能ある学生たちが戦争で散っていったのかと、
大きなショックを受けました。

そのうちに、今度はどこからともなく
悲痛な叫びが聞こえてきたんです。

「本当は生きたかった」と。

そして「おまえは生きていくことができるんだぞ」って。


私、頭をガツンと殴られた感じがして、その場に泣き崩れました。

こんなにも才能溢れる方々が無念のうちに亡くなられた。
それに引き換え自分はたった五回の受験に
失敗したくらいで死のうとしたことが、
とてもおこがましくて恥ずかしく思いました。



翌年一次試験を突破し、七回目にして晴れて合格しました。
実はこの間、心のうちに大きな変化がありました。
無言館から帰ってからバイト先を一新し、
明るい自分を演じ始めました。

大学に入ったらオペラを勉強したかったので、
なんの希望がなくても演じてみようと心に決めたのです。
そうしたら自然と仕事が楽しくなって
一所懸命頑張るようになりました。

すると今度は周りの人に感謝されるようになって、
応援してくださる方まで出てきたんです。


私はそれまでずっと親を憎むことを
生きる唯一のエネルギーにしていました。
それがこの時、心の中に初めて
人に感謝するという心が芽生えて、
それが私に力を与えてくれました。

親を恨んだり、周りの裕福な受験生を憎む心が
知らず知らずに私が奏でる音楽に乗り移っていたのだと思います。
このことを私に気づかせるために、
こんなにも長い期間が必要だったのかと
納得がいったら元気が漲ってきましてね。
最後の一年は何の迷いもなく勉強に打ち込むことができました。 byちち

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11月20日

起床時刻:05時04分

11月19日

起床時刻:05時04分

11月18日(金)

起床時刻:03時04分

11月17日(木)

起床時刻:04時39分

 
  ご主人の脳科学理論に基づいた『0歳からの育児法』を考案し
   自らも実践。乳幼児の育児・教育に大きな影響を与え、
   現在も「脳科学おばあちゃん」として活躍中の久保田カヨ子さん。
   
────────────────────────────────────

      「久保田カヨ子式 いい子を育てる法則」
       

【記者:脳の発達に着目した乳幼児教育に取り組まれたきっかけは?】

自分の子供をよく育てたいからですよ。
親っていうのはそういうところから発想しないと、
いい子はつくれません。

うちは旦那(久保田競<きそう>氏、大脳生理学者)の研究の関係で、
家には脳科学の本がありましたから、
自分で読んで脳について勉強しました。

【記者:ということは、独学ですか?】

独学と、そこからおばあちゃん、お母さん、おばちゃんから聞いて、
日本に昔から伝わってきた育児法が脳の発達とどう関連しているのか。

あるいはもっと効果的に脳の発達を促すにはどうしたらいいか、
ということを考えていったの。

【記者:具体的にお教えください】

一番重要なのは前頭連合野(ぜんとうれんごうや)です。

ちょうどおでこの裏側にあって、情動のコントロールや、
論理的な判断、将来の予測や計画の立案を行うのが、
この部分。

高度な判断を行って、人間の複雑な感情に関わり、
恥ずかしさや尊敬する心を想起させる一方、
感情面だけでなく、論理性や計画といった
高度な判断を司るため、
「人間らしさ」の源泉の部分と言っていいでしょう。

損傷を受けると、理性的な判断ができなくなる例もある。

人間の脳が一番大きくなるのは生まれてから
歩き出すまでの間だから、この時期に
感覚教育を行うのが前頭連合野を刺激するには一番効果的です。

【記者:どのようにすればいいのでしょうか?】

例えば、オムツを替える時は必ず声を掛ける。
そうすることで、赤ちゃんは
お母さんの表情と声を認識していきます。


また「これとこれ、どっちが好き?」と聞いて選ばせる。
決断することで脳を使っているわけです。

まあ、そういう感覚教育を我が子にしたところ、
七か月で歩き出し、一歳で三千語を話し、
三歳でひらがなを読めるようになったわけです。

で、上の子は大学へ行かずに独学で一級建築士になって、
下の子は東大へ行きたいっていうから入れてやった。

そういう話が近所のお母ちゃんたちの間で話題になって、
「うちの子も見てください」と頼まれるようになりました。

そうしてよその子供たちの感覚教育にも携わるようになって、
自分の育児理論の裏づけを取っていったわけです。
やっぱり実験データは多いほうがいいですから。

  ★☆ 久保田カヨ子式 いい子を育てる法則 ☆★

…………………………………………………………………………
●オムツを替える時は視線を合わせ声を掛ける
…………………………………………………………………………

  話すことはできないが親の表情を見て、声を聴いている



…………………………………………………………………………
●「いないいないばぁ」は一日に五回以上やる
…………………………………………………………………………

  視線を集中させる



…………………………………………………………………………
●カラフルな子供服を着せる
…………………………………………………………………………

  色彩感覚を身につける


  
…………………………………………………………………………
●なるべくおんぶする
…………………………………………………………………………

  親と同じ目線(世界)を体験させる



…………………………………………………………………………
●幼児語を使わない
…………………………………………………………………………

  幼児語から正しい言葉を覚え直すのは二度手間



…………………………………………………………………………
●箸や鉛筆などはいきなり持たせず、
 正しく使っている姿を何度も見せる
…………………………………………………………………………

  親のマネをさせることが
  脳のミラーニューロンを刺激する。
  見せる時は子供の背後から。
  向き合うと左右逆になる。
  

  
…………………………………………………………………………
●どっちが好き? と質問する
…………………………………………………………………………

  脳を使って「決断」させる訓練をする



…………………………………………………………………………
●お風呂の時など、十から数を減らし
 ゼロまでカウントダウンする
…………………………………………………………………………

  ゼロという数学的な観念を知る
  
  
  
…………………………………………………………………………
●親が「ストップ」と言ったら行動を止める訓練をする
…………………………………………………………………………

 「NO GO行動」という。
  これを覚えることにより危険回避行動を養う



…………………………………………………………………………
●ガラガラはゆっくり動かして使う
…………………………………………………………………………
  幼児は早い動きは認識できない。
  遠くからガラガラを近づけて、
  視線の焦点が合ったところで
  ゆっくりと動かす



…………………………………………………………………………
●生後1~2か月のうちにストロー飲みを覚えさせる
…………………………………………………………………………

  吸う力を養う。口、舌を鍛え、
  呼吸や発声を養う
  
  
  
…………………………………………………………………………
●できるだけ多くの臭いを嗅がせる
…………………………………………………………………………

  いい臭いもイヤな臭いも
  感情(脳)に作用する

…………………………………………………………………………
●紙をたくさん破らせる
…………………………………………………………………………

 (新聞紙など、できるだけ細く)
  手先の器用さと物質の構造を
  理解する能力(紙が破りやすい方向など)を養う


…………………………………………………………………………
●タオルやハンカチを三つ折りにたたませる
…………………………………………………………………………
 
  四つ折りだと角を合わせるだけ。
  三つ折りは目安が必要なので、
  物をよく見て計算する能力が養われる

       byちち

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11月15日(火)

起床時刻:04時30分

11月14日(月)

起床時刻:04時26分

11月13日

起床時刻:02時26分

72 北 埼玉県民の日コンペ 18,000

  44+44=88(13位)-14.4=73.6(20位)▼400

Aさん43+42=85( 6位)-10.8=74.2(29位)+300
Sさん52+49=101(66位)-26.4=74.6(37位)+100

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11月12日

起床時刻:05時26分

40+46=85 +800
Aさん46+49=95 -800
杉山さん43+48=91

R inn 7200

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11月11日(金)

起床時刻:04時26分

 
   「慶應義塾生を魅了した『論語』の授業」
       
       佐久 協(作家・元高校教師)
        
 ──────────────────────────

 私は孔子と福沢諭吉がよく似ていると思うんです。

 私のような戦後教育で育った西洋的な感覚を持った人間は、
 個人と社会を対立させて捉えてしまいがちで、
 一人で頑張ったって世の中は変えられないという
 意識を強く持っているんです。

 けれども孔子も福沢も、
 個人が世の中を変えられると信じていました。
 
 
 孔子は、


 「人能(よ)く道を弘(ひろ)む。
  道の人を弘むにあらざるなり」


 と説いています。

 人が道を弘めるのであって、
 道が人を弘めるわけではないと。

 我われはすぐに政治が悪い、法律が悪いというけれども、
 我われ一人ひとりが道徳を実践することで
 少なくとも一人分は世の中がよくなる。
 社会と個人は対立しないという意識、
 これが孔子の思想の基本だと思うんです。


 福沢は


 「一身独立して、一国独立す」


 と説いています。

 独立した個人こそが国家を支える基盤になるという考え方ですが、
 孔子もまさにそういう気概で世に打って出ました。
 いま我われに求められるのはこの気概だと思います。byちち

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11月10日(木)

起床時刻:03時19分

11月09日(水)

起床時刻:04時30分

11月07日(月)

起床時刻:03時16分


     「サムライの精神を育てる」
       
   松田妙子(住宅産業研修財団理事長、大工育成塾塾長)

────────────────────────────────

「よく来てくださいました」

 大工育成塾スタートから二か月後、
 受け入れ先の工務店を訪れて驚きました。

 入塾式まで茶髪にピアス、
 人の話も聞かずにふんぞり返っていた若者のうちの一人が、
 背筋をピンと伸ばし、こう話しかけてきたのです。

「あんた、ずいぶんいい男になったわねぇ」

 彼の成長ぶりに目を見張りながら、
 私の心は喜びに溢れていました。
 真の職人たるもの、卓越した技術とともに、
 立派な人格も備えていなければなりません。
 
 棟梁の厳しい指導のもと、日々修業に励んできた成果が
 こうした行動に表れたのでしょう。

 三年間、棟梁のもとで学ばせ、一人前の大工に育てる──
 この「大工育成塾」のアイデアを思いついたのは、数年前のこと。
 
 三十七歳の時、住宅会社を設立した私は、
 以来四十年近くにわたり、
 「よい住まいとは何か」と自問し続けてきました。
 
 そして折に触れて話してきたのは、
 「住まいは、家族の幸せの容れもの」という考え方です。

 ところが最近になって人々は、幸せの尺度を、
 精神面よりも物質面に求める傾向が強まってきました。
 
 住まいに関していえば、いかに広く、立派な見栄えで、
 利便性はどうかといったハード面のことばかり。
 
 つまり、日本人にとっての家は
 「ホーム」から「ハウス」へと変容してしまったのです。

 一九六〇年代、価格高騰を続ける住宅産業界に
 メスを入れるべく、私は米国の2×4(ツーバイフォー)工法を紹介し、
 以来、良質で低価格のマイホーム開発の普及に尽力してきました。
 
 そして人々に、価値と価格の見合った住まいを
 提供してきたという自負があります。


 しかしそれと並行するように、社会では、
 家庭内暴力や青少年の非行、離婚率の増加などが
 問題視されるようになってきました。
 
 私はその要因の一端が、安価で個室主義的な
 建築工法にあるのではと考えました。
 
 これは私自身の自戒と反省でもあります。


 中国の孟子の言には
 
 
 「家に三声あり(三声あれば安泰なり)」
 
 
 とあります。
 
 三声とは、
 
 一、家族が働いている声や物音。
 二、赤ん坊の泣き声。
 三、読書の声のこと。
 
 
 その家族の安泰を築くための住宅環境が、
 いまの日本にあるといえるでしょうか。
 また、真の日本の住まいとは、どんなものを指すのでしょう。

 あるヨーロッパの友人はいいました。
 
 
 「日本には、千年の風雪にも耐え得る寺社仏閣が数多くある。
  これらは世界にも誇れる建築技術です。
  日本人はなぜこんな素晴らしいものを忘れてしまったのですか」


 考えてみると、昔の日本の住宅には、
 襖や障子、引戸など、家族の関係を優しく包む創意工夫が
 数多く見られます。
 
 そんな先達の知恵が残る空間には、
 孟子のいう「三声」が、ちゃんとあるではありませんか。

 ところが、その伝統技術を継承する者の高齢化が進み、
 大工の数は二十年間で、約三十万人も減少してしまいました。
 そこで、次代を担う立派な職人を育てたいと思い、
 大工育成塾をスタートさせたのです。
 
 開塾にあたり、国からは補助金を取り付け、
 受け入れ先の工務店を東京・大阪・福岡の三都市で
 百以上手配しました(二期目からは名古屋でも開塾)。

 職人気質の棟梁のもと、マンツーマンの指導を受けるのは、
 生易しいことではありません。
 
 技術的な指導はもちろん、挨拶の仕方や掃除の方法など、
 日常の居ずまいを徹底的に鍛え直させられます。
 
 さらに育成塾では、座学の講義も定期的に設けています。
 道具の名称に始まり、尺貫法、住まいの歴史、
 住宅構造の理論等を通じ、大工の世界を体系的に学ぶことで、
 建築に対する理解を深めます。

 講師役には、棟梁や大学教授、研究者のほか、
 私自身も教壇に立つことがあります。
 
 その際、塾生に向かってよく口にしているのは、
 
 
 「武士道の精神を持ったサムライたれ」
 
 
 ということです。

 昔のサムライは、すぐれた剣術の腕とともに、
 古典や歴史などの教養を幅広く身につけていました。
 
 そして立派な道徳観を持ち、
 正道を歩む術を心得ていたといいます。
 
 
 「職人の精神は、武士道の道徳につながる」
 
 
 が私の持論ですが、年間百人、十年間で千人のサムライを、
 塾を通じて育てたいと考えています。

 さて、今年で三期目を迎えた大工育成塾ですが、
 入塾面接でこのようにいった子がいました。


「何代にもわたって受け継がれていく住まいづくりでは、
 大勢の方を幸せにすることができます。
 その家づくりを私はしたいのです」


 この若者がいうように、私の考えるよい住まいとは、
 そこで健全な人格が形成され、
 家族の絆が育まれるような家のことです。
 
 すなわち、家づくりは人づくりにつながるのです。
 塾生たちには、サムライの刀を道具に替え、
 人の上に立つリーダーとなって、
 この国をつくる人間になってほしいと切に願っています。byちち

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11月06日

起床時刻:05時00分

41+47=88

A95 S109 比留間さん95

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11月05日

起床時刻:04時00分

47+40=87
A86 荒井さん79 会長約一年半ぶりの復帰

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11月04日(金)

起床時刻:02時50分

11月03日(木)

起床時刻:02時50分

37+42=79 +2300

A96 -1300 S101 -1000

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11月02日(水)

起床時刻:03時31分

11月01日(火)

起床時刻:02時41分