201112 <<先月 | 翌月>>

起床時刻推移グラフ

目標起床時刻:04:30 平均起床時刻:03:40

起床時刻の記録 ▼新しい順 ▲古い順 RSS

12月31日

起床時刻:00時00分

12月30日(金)

起床時刻:05時00分

12月29日(木)

起床時刻:02時00分 03時00分

12月28日(水)

起床時刻:03時36分

12月27日(火)

起床時刻:03時56分

12月26日(月)

起床時刻:03時49分


▲年末、景気の良い話が、スペインからやってきました
人口2000人の、小さな町に、1800枚の
 1等、合計733億円が、大当たり
 一人平均、4070万円がーー

▲クリスマスプレゼント、大き過ぎます、
 このグラネン町は、喜びに満ちあふれ、
でも、当たらなかった、宝クジ買わなかった
200人の町民、可哀想、
みんなで、分けようょ

▲今年最後の競馬、有馬記念、
優勝したオルフエ、通算獲得賞金は、ナント8億円
 人間様、形無し、
 馬主さんも、お馬さんには、頭上がらず
 今日は、最上級の飼い葉食べ、
 馬主さんは、最高級のワインに、最高級のお肉食べ

▲馬券を買った人は、極 わずかな、当たり券も
大当たりの気持ちで、気分爽快、
1万円買い、3000円取ると、儲かった気分の
競馬とか。7000円の損は、コロリと忘れ

▲今年の、競馬界の売り上げ2.3兆円
14年間連続して、売り上げ減少
バクチは、儲からない事が、浸透してきたのかも
でも、スペインの様な事もあるし

▲年末ジヤンボ宝クジに
    夢託しましょうょ
      買わなければ、当たらない
  3億円 当たったら、黙っていましょうね

日別画面へコメントする

12月25日

起床時刻:02時49分

12月24日

起床時刻:00時00分

12月23日(金)

起床時刻:05時00分

12月22日(木)

起床時刻:04時30分

12月21日(水)

起床時刻:02時43分

12月19日(月)

起床時刻:02時00分

12月18日

起床時刻:05時00分

12月17日

起床時刻:05時00分

12月16日(金)

起床時刻:04時00分

12月15日(木)

起床時刻:04時00分

12月14日(水)

起床時刻:03時10分

12月13日(火)

起床時刻:03時29分

12月12日(月)

起床時刻:03時02分


      「幸せの鐘を鳴らそうよ」
                   
     大沼えり子(作家、NPO法人ロージーベル理事長)

 一人の少年のために、
 一人の少年のあの笑顔を取り戻すために、
 私は保護司(ほごし)になりました。

 あれは長男がまだ小学一年生の時でした。
 私は嫁ぎ先の割烹料理店の切り盛りに
 慌ただしい毎日を送っていましたが、
 鍵っ子だった自分と同じ寂しさを、
 我が子には味わわせたくないと思い、
 午後には一時帰宅し、おやつをつくって迎えていました。
 
 せっかくつくるのなら、と
 息子の友達にも振る舞うようになり、
 いつしか我が家は大勢の子供たちの
 賑やかな遊び場となりました。
 
 私は彼らが心底愛おしく、うちに来る子は
 すべて自分の子のつもりで接していました。

 その中に一人、他の子と遊ばず
 いつも私のそばから離れない少年がいました。
 
 母親が病のため愛情に飢えていたのでした。
 母親の温もりを知ってほしいと思い、
 とりわけ彼には愛情を注いでいました。

 そんなある日、事件が起きました。
 少年が息子と一緒に遊びに行った友達の家から、
 マスコット人形を盗ったというのです。
 
 友達の弟が大切にしていた人形だったため、
 母親まで巻き込んだ騒ぎになり、
 私のもとに相談に見えたのです。

 私は日頃から子供たちに、
 うちの子になるならルールを守ろうねと
 言い聞かせていました。
 
 嘘をつかない、人に迷惑をかけない等々、
 自分が親から言われてきたことばかりです。

「はい!」

 と元気に答える彼らの中でも、
 とりわけ嬉しそうに頷いていたのがその少年でした。

 それだけに、彼が人のものを盗ったとは
 信じられませんでした。
 
 しかしなくなった人形を少年の家で見た、
 と息子が言うのです。
 
 家庭の事情で玩具も満足に買ってもらえない少年。
 盗ったのではなく、きっと欲しかったのだ。
 私はそう考え、とにかく一緒に謝ろうと言いました。

 ところが彼はいくら言い聞かせても謝ろうとしません。
 裏切られた気持ちになった私は、
 もううちには二度と来ないで、
 と強い口調で言ってしまいました。

 二週間くらいたった頃、布団を干していると、
 門のあたりに小さな人影がありました。
 チャイムを押そうとしてためらい、
 行ったり来たりしているのはあの少年でした。
 
 彼がそうして毎日うちに立ち寄っていることを息子から聞き、
 私は思わず駆け寄って抱きしめました。
 
 少年が「ごめんね」と繰り返しながら漏らした言葉に、
 私は頭をぶたれたようなショックを受けました。

「あれは盗ったんじゃなくて、もらったんだ……」

 あの時、なぜもっと事情を聞いてあげなかったのだろう。
 大好きな人から謝罪を強要され、幼い少年の心は
 どんなに傷ついたことだろう……。

 その後、少年は再び我が家に
 遊びに来るようになりましたが、
 家庭のことで心を荒ませ、
 いつしか顔を見せなくなりました。
 
 中学へ進学してからは、家の前を通る度に
 髪の色や服装が奇抜になっていき、
 声をかけても返事すらこなくなりました。


 そしてとうとう鑑別所に送られる身となったのです。

 もちろん直接の原因ではありませんが、
 あの時、無垢な彼の心を傷つけた後悔の念は、
 私の中に燻り続けていました。
 
 彼に償いがしたい。
 もう一度彼の笑顔に会いたい──
 
 ずっとそう思い続けていたので、
 保護司のお話をいただいた時は
 二つ返事でお引き受けしたのです。

 その時からたくさんの少年たちに出会ってきました。
 心が痛むのは、彼らのほとんどが、
 生まれてこの方、腹から笑ったことがないという事実です。
 
 みんな幸せが欲しくて、欲しくて、
 懸命に手を伸ばしているのに、
 どこかで歯車が狂ってしまっている。
 彼らは自分のことをカスとかゴミだと言いますが、
 私は彼らを無条件で好きになります。

「君が大事なんだ。
 可愛くて、可愛くて仕方ないんだよ」

 と言うと、涙をポロポロ流します。
 
 非行を犯して一時的に愉快になっても、
 それは真意ではなく、その後ずっと罪の意識で
 ビクビクしながら過ごすことになる。
 人に感謝される行いを積み重ねてこそ、
 本当の幸せを手にできるといつも説いています。

 あの少年が保護観察になると聞いた時、
 私は観察官の方に頼んで彼を担当させてもらいました。
 
 嫌がっていた彼は、
 私が彼のために保護司になったと告げると、
 驚きの表情を浮かべました。

「もう一度君の笑顔を見たいんだよ。一緒に幸せを探そう」

 彼は声を上げて泣きました。
 
 いまは寿司職人として独立を目指して頑張っています。
 ようやく軍艦が握れるようになった頃、
 彼は私をお店に招待してくれました。
 
 カウンター越しに彼の笑顔を見た瞬間、
 私は思わず胸がいっぱいになりました。
 目頭を押さえながら食べた彼のお寿司は、
 世界一の味がしました。

 かかわった少年たちのことは、
 片時も頭から離れません。
 
 観察期間が過ぎても慕ってくる彼らから、
 私は与えた以上の喜びを与えられ、
 抱えきれないくらいの心の財産をいただいています。

 その後、家族がなかったり、家族崩壊の中、
 帰る家もなく希望を失った少年を
 「お帰り」と迎えてあげる家をつくりたいと考え、
 私は立ち直り支援の「少年の家」「ロージーベル」を
 立ち上げました。
 
 平成二十三年にNPO法人に認定。
 現在少年たちが日々笑いの中、生活をともにしています。

 人は誰でも心の中に幸せの鐘を持っています。
 一人がその鐘を鳴らすと、
 周りの鐘も共鳴して幸せ色に変わっていくのです。
 
 その鐘の音が共鳴し合い
 周りをどんどん幸せ色に変えてゆけるよう、
 今日も私は少年たちに、一緒に幸せの鐘を鳴らそうよ、
 と呼びかけ続けています。
 
 そう、人は幸せになるために
 生まれてきたのですから。byちち

日別画面へコメントする

12月08日(木)

起床時刻:03時21分


    「この苦渋の日々が未来を光らせるための土台」
       
        福島智(東京大学先端科学技術研究センター教授)

(3歳で右目を、9歳で左目を、
 14歳で右耳がほとんど聞こえなくなり)
高校二年の終わり頃に、残された左の耳が
とうとう聞こえなくなってしまったんです。

これは神戸の実家に帰っている三か月の間に
急速に進んでいったんですが、
一番心の傷になっているのは、
完全に聞こえなくなってしまった時ではなく、
そうなりかけの時期だと思いますね。

いまでもよく夢に見るのは、
相手の声はちょっと聞こえているんだけど、
何を言ってるんだか分からないという状況……、
ある種の恐怖ですね。

その夢を見るたびに、あぁ、私の内部では
三十年間これが傷になっているんだなぁというふうに感じます。

その恐怖感は何に対してのものか

人とのコミュニケーションが難しくなるというのが一番で、
あとは、将来どうなるかが分からないということです。

特に病気が進行して、どんどん落ちていく過程は凄くしんどい。
コミュニケーションが徐々に難しくなり、
周囲の世界が遠のいていくような感じ、
自分がこの世界から消えていってしまうような感覚ですね。

私はその状態になる少し前に、
芥川龍之介の『歯車』という短編小説を読んでいたんです。

これは芥川が自殺する直前に書かれた作品ですが、
作中人物が激しい自殺の衝動に駆られる描写があり、
もう読むだけで気が滅入るような話なんですね。

ところが私はそれを読んだ時、逆にね、
“自分は死ぬまい”と思ったんです。
彼は死を選んだようだけれど、私は自分から死ぬことはしないと。

その頃は暗い、絶望的な小説が
やたらと読みたくて成功物語めいたものは
あまり受け付けなかったんですよね。

苦しい状況の中で人間はどう生きるかを考える話のほうが
心に響いたんでしょう。毒をもって毒を制すとでも言いますか。

その頃、私は友人へ送った手紙の最後に
こんなことを書いているんです。

「この苦渋の日々が俺の人生の中で
何か意義がある時間であり、
俺の未来を光らせるための土台として、
神があえて与えたもうたものであることを信じよう。

信仰なき今の俺にとってできることは、ただそれだけだ。

 俺にもし使命というものが、
 生きるうえでの使命というものがあるとすれば、
 それは果たさねばならない。
 
 そしてそれをなすことが必要ならば、
 この苦しみのときをくぐらねばならぬだろう」

要するにこの苦悩には意味があると考えることにしようと、
自分自身に言い聞かせてるんですよね。

別に悟りを開いたとか大袈裟なものではないですが、
でも、相当いろんなことを考えざるを得ない。
最初は右の目が悪くなって左の目が、
次に右の耳、左の耳と順番に奪われていったわけですから。

その時、私の中には、なんで自分だけが、
という気持ちもあったけれど、
それと同時になんだか不思議だなぁ、と思ったんです。

私は自分の力で生きているわけではない。

多くの人々によって支えられて生きているけれど、
周りの人々もまた、自分自身の力で出現したわけではない。

人間の理解の及ばない何ものかが
生命の種をもたらし我われがここに生きているとすれば、
この苦悩、私の目が見えなくなり、
耳が聞こえなくなるという特殊な状況に
置かれたことには何かしらの意味があると思いたい──。

そう考えれば気持ちが落ち着いたんです。byちち

日別画面へコメントする

12月07日(水)

起床時刻:03時10分

        「駐在員の三段階」
       
       桜井正光(リコー会長)
        
────────────────────────────────────
 
 向こう(イギリス)にいた時に、
 これは日本とは違うなと実感する場面に出くわすたびに、
 その出来事を二百ページくらいの分厚い手帳に
 メモしておいたんです。
 
 そして社長になって自分のホームページに
 「世界の中の日本」というページを設けて、
 それを順番に紹介したんです。

 その中に、「駐在員の三段階」というのがあります。

 最初の段階は語学もそんなに流暢ではなくて、
 表現力もヒアリング能力もあまりないから、
 誰もが相手の話を真剣に聞くんです。
 
 先方も日本人のことをあまり知りませんから同じで、
 お互いにそうやって非常に
 いいコミュニケーションが取れるんですね。

 ところが、いくらコミュニケーションを取っても、
 リコーでいうと厚木工場の生産性や品質レベルを
 上回るものにはならない。
 
 「いったいどうなってるんだ」
 とお互いに相手のせいにし始めるのが第二段階です。

 イギリス人というのは出勤率が90%で、
 だいたい十人に一人はいつも来ないんです。
 それでこちらが
 
 「出勤率が悪いからダメなんだ」
 
  と言えば、彼らは
  
 「日本人はいつも昼間に仕事をしないで、
  残業や休日出勤で仕事をする。
  我々と一緒になってやってくれない」
  
 と言い返す。お互いに批判し合うんです。

 だけどこの批判の時代が案外大事で、
 これをやっていると、お互いにいくら批判し合っても
 何も生まれないことが分かってくる。
 
 現実を受け入れ、どうすべきかを考え始める。
 
 ここは厚木ではなくイギリスなんだと。
 
 ここでいかに品質を上げ、生産性を上げるかということで、
 出勤率90%でも生産性が落ちない方法を考え始めるわけです。
 これが第三段階なんです。

 経験からすると、一段階、二段階がそれぞれに約一年半。
 三年くらいしてようやく建設的、改革的な関係を築けるんです。
 
 だから、駐在員を二段階の誹謗中傷の時代に
 日本に戻してしまうと、外国に対して
 非常に悪い印象を持って戻ってくるからよくない。
 
 三段階の建設期までいって戻すのが一番いいですね。byちち
 

日別画面へコメントする

12月06日(火)

起床時刻:04時10分


     「目をつむれば精神は花園に遊ぶことができる」
       
         永田勝太郎(財団法人 国際全人医療研究所理事長)
        

今回(東日本大震災)のような文明を
引っくり返すような大きなストレスに対し、
悲観的な捉え方をする専門家もいます。

けれども日本人は第二次大戦を経験し、
広島・長崎の被爆を経験し、
その中から立ち上がっていったわけでしょう。

だから僕はそれほど悲観的になる必要もないし、
人間はそんなに柔なものじゃない、
強かなものだと思っているんです。
それが我々のように実存分析を学ぼうとする人間の
最も根底にある考え方です。
要するに楽観主義の精神ですね。


フランクル先生ご自身の生き様もそうでして、
彼がアウシュビッツ収容所で家族全員を殺され、
いつガス室に行けと言われるかもしれない中を
生き抜けたのは、基本的に楽観主義者だったということ。

逆に悲観的な人は死んでいったということでしょう。

例えば何月何日に米軍が救出に来るという噂が流れる。

皆いよいよ助かるかもしれないと心がざわめく。
ところがその日が来ても何も起こらなかった時、
ガクッときてバタバタと人が死んでいった。

ところがフランクル先生はそんな期待はしていません。
例えばこんなエピソードがあります。
彼が収容所の中で何かミスをやった。
それを見ていたナチスの将校が
彼の頬を思い切りぶん殴ったんです。

その拍子に眼鏡が吹っ飛んで地面に落ち、
レンズが割れてしまった。

その割れた眼鏡を拾い上げながら彼は思った。

「もしここを出られて収容所体験を本にできたら、
この割れた眼鏡を表紙にしよう」と。

だから彼の初版本の表紙には、
その割れた眼鏡の絵が使われているんですよ。
とにかくそのくらいに彼は楽観的で強かだった。

またアウシュビッツでチフスに罹った先生は高熱を発しました。
本人は医者だから自分の予後が分かる。

今夜もし寝てしまったら、
私は明日の朝、死体になっているだろう、と。
だから自分の足をつねりながら、
眠らないようにしていたというんです。

一方、頭の中では何を考えていたかというと、
自分は米軍に救出されてウィーンへ帰る。

そして『一精神医学者の収容所体験』という本を書き上げ、
それが世界的なベストセラーになって
カーネギーホールに呼ばれると考えた。

そのホールを埋め尽くす聴衆を前に講演を終わり、
大喝采を受けている自分の姿を想像していたというんです(笑)。
今夜死ぬかもしれないという、その最中にですよ。

         (中略)

たとえいかなる極限状況に置かれても、
人間の心は自由だと。

目をつむれば精神は花園に遊ぶことができると
フランクルは述べていますが、そのとおりですよね。
確かに妄想かもしれませんが、最後の瞬間まで諦めず
希望にしがみつくことが大事だと思うんです。byちち

日別画面へコメントする

12月05日(月)

起床時刻:04時33分


      「一日一生」
 
     橋本喬(観光企画設計者社長)

────────────────────────────────────

十年前の十月、いつも通り出社した私を
待ち受けていたのは東京地検特捜部だった。

故・金丸信元自民党副総裁の脱税事件を契機に
明るみになったゼネコン汚職。

土建国家・日本の暗部にメスが入り、
収賄罪で県知事や自治体の首長、
ゼネコンの役員クラスが多数逮捕された。

私もその一人である。

大成建設の営業本部長を経て副社長になった矢先、
宮城県発注工事にからみ、県知事および
仙台市長へのヤミ献金容疑が発覚。
私と仙台支店長と副店長が贈収賄で起訴された。

営業本部長はゼネコンの営業活動の総元締めであり、
必要な資金はすべて私の管理下に置かれていた。

支店長と副支店長が
「知事と市長に少し何かしなくては」と言った時、
私は「そうだね」と答えた。

それが業界の通例だったし、そうしなければ
他社から取り残される。

また、われわれだって贈収賄が
刑事罰に相当することは百も承知。

あくまでも「選挙資金」として渡したのであって、
相手が私的に使っていたなど知る由もない。

「選挙資金と言っても、それに対する見返りを
 期待していたでしょう? 何も期待せずに金を出しますか」

 取り調べの席で検察は言った。

「そりゃ出しませんな」

と答えると、私は即刻逮捕された。
自分が金を渡してもいなければ、いつ渡したかも知らない。

相手が選挙に使わず、勝手に私腹を肥やしていただけだ……。

言いたいことは山ほどあった。

だが、腹を括った。
すべてを受け入れることにした。


拘置所での生活は、判で押したように
規則正しい生活だった。

七時起床、九時就寝。
十五時から体操で、三度の食事の時間も決められていた。

よく、所内の飯は「くさい飯」といわれるが、
慣れればそれほど不味くもなくなった。
週に三度は風呂に入れたし、半月に一度は床屋にも行った。

とりたてて生活に不自由はなかったが、
「ここは別世界だ」と痛感することは多かった。   

初めこそ罪状認否の取り調べもあったが、
早々と罪を認めたら特にすることもない。
独房の中で、これまでのことを考えてみたこともあった。

早大の建築学科を卒業し、
大成に入社したのは昭和三十三年。
東京タワーが完成した年だった。

戦後日本の復興の象徴ともいえる高層建築物を数多手がけ、
四十九歳で取締役東京支店長、
営業本部長を経て副社長になった時は、
「大成初の昭和二桁の副社長」と言われた。

当然、耳に入ってくるのは「次期社長」の声──。


狭い部屋で思いを巡らせても、すぐに行き詰まってしまう。

それに考えたところでどうしようもないのだ。

有り余る時間で、私はやたらと本を読んだ。
拘置所にいた四か月間で百冊以上読んだだろうか。
家族からの差し入れも、本が一番嬉しかった。

特に好んで読んだのは、徳川家康や織田信長などが
登場する長編歴史小説。

別に自分の姿を重ね合わせたとか、
彼らの生き様に鼓舞されたとかいうのではない。
ただただそのストーリーに集中し、没頭していた。
何も考えなくて良かった。

拘置所で年を越し、裁判も一段落した一月下旬、
いよいよ出所の時がきた。
ああ、この生活も終わったんだ。

事態を冷静に受け止めている半面、
誰かに会ってむしょうに話をしたかった。

この四か月、限られた面会時間に家族や弁護士としか
話ができなかったことへの反動だろう。

門をくぐると大勢の人たちの姿が見えた。
私は驚いた。そこにいたのは大成建設の仲間たちだった。


「ご苦労さん」

「お疲れ様でした」

次々と皆に労いの言葉をかけられ、
私は急に現実の世界へ戻ったような気がした。
会社から用意された車に乗り自宅へ行くと、
そこにもたくさんの同僚たちが私の帰りを
いまや遅しと待ち受けていた。

その輪の中に入った時、
「分ってくれる人はたくさんいる」と心から思った。

人生は「一日一生」である。

前から好きな言葉だったが、事件を契機に
その思いはますます深くなった。

人生は一日の積み重ねであり、一日を全力で生きて、
初めて人生をまっとうすることができる。

時には躓き、誤解もされる。
私も逮捕され、社会に大きな影響を与えた。
失ったものも多く、私の肩書きと付き合っていた人たちは、
潮が引いていくように離れていった。

しかし、「人間・橋本喬」と付き合ってくれていた人たちは、
私を支え、励まし続けてくれた。

現在籍を置く観光企画設計社の創業者であり、
会長である柴田陽三氏とは二十数年以上の付き合いになる。
ホテルオークラをはじめ、
全国のホテル設計を請け負っている柴田氏の事務所は、
大成時代の取り引き先だった。

「絶対にいい仕事をして、お客様のお役に立ちたい」
という一心で仕事に取り組んできた私の姿勢が、
柴田さんには伝わっていたのだ。

事件が一段落した時、
「ちょっとうちの会社を手伝ってよ」と言って、
私を副社長として迎え入れてくれた。

いずれ訪れるであろう死の床で、
これまでの人生を振り返った時、
私は幸せだったと思いたい。

結局最後に自分を満足させるのは、
「人様のお役に立った、人様に必要とされた」
という思いだけである。

出世をして金持ちになっても、
死に際に誰も来てくれないような人生は悲しい。

毎日毎日人に優しく、親切に、お役に立つ。
私はそういう人生を送りたい。byちち

日別画面へコメントする

12月04日

起床時刻:05時00分

12月03日

起床時刻:07時00分

12月02日(金)

起床時刻:03時30分

        「関東大震災の時に聞こえてきた天の声」
      
           堀文子(日本画家)
        
────────────────────────────────────

そもそも私のような人間がどうしてできたかと考えると、
四歳の時に体験した関東大震災の影響が原点になったと思います。

あの時、頼りにする母が、恐怖で我を失っているのを見ました。
大人たちが裸足で庭を転げ回っているのを見て、
おかしかった記憶があるんです。

住民が町の避難所へ集められ、人々が家財道具を持ち込んで、
一つの街ができているような状態でした。

そこで私はいろんなことを観察したのを覚えています。

わがままを言っている人、サイダーの栓を口で開けていた人……、
その時、私の家に年をとった婆やがいて、
驚くことに安政の大地震を知っていた。

でもその人が総大将になって、
冷静にその大災害を乗り切る一切の準備をし、
皆の不安を和らげてくれました。

ただ、下町から火の手が回り、
私の家も危ないという知らせがきた。
家の方向に巻き上がった真っ黒な煙を見ているうちに、
私、失神状態になっていたと思います。

その時、

「あるものは滅びる」

って声が電流のように全身を貫いた。
幼い心が悟りを受けたのです。

そういうことがあって、私は子供らしい子供にならず、
物欲のない、自分の足で立って生きる姿勢が
身についたんじゃないでしょうか。

子供だから理屈は分からないが、
この世の無常の姿を、物心のついたばかりの頃に見たわけです。
「乱」を見てしまった。

その時、庭に泰山木の大木があったんですが、
カマキリが静かにこっちを見ながら
その幹を上っていくのを見ました。

絶え間なく余震が続いていました。
大きなカマキリでしたから、産卵前の雌だと思います。

人間がこんなにもうろたえている時に、
カマキリは静かに動いていました。

この時、文明に頼っている人間が
無能だということを知りました。

停電はする、水は出なくなり、汽車は止まる。
何もかも動かなくなった時、他の生物は生きて動いている。

私が生命の力を意識するようになったのも、
その時の経験が大きかったと思います。byちち

日別画面へコメントする

12月01日(木)

起床時刻:04時14分

7733オリンパス 1025円 22円高
日経新聞、12月14日までに、決算提出無理と報道 株価は、873円まで下げた、

予測記事ではなく、会社の真実の発表だけを掲載すべき、
また、日立、三菱の統合記事と同じく、誤報か・・・株価操作ギルティー

会社側は、12月14日までに、提出と発表している。

日別画面へコメントする