201302 <<先月 | 翌月>>

起床時刻推移グラフ

目標起床時刻:04:30 平均起床時刻:04:46

起床時刻の記録 ▼新しい順 ▲古い順 RSS

02月28日(木)

起床時刻:05時44分

【 2013年 3月16日、副都心線・東横線直通運転開始 】

池袋~横浜がラクラク! 鉄道5社の路線が1本でつながる
 
渋谷駅のホームは、現在の地下5階にある副都心線のホームに統合される。

東武東上線・森林公園~みなとみらい線・元町・中華街(88.6km)

西武池袋線・飯能~元町・中華街(80.5km)が、乗り換えなしで一気につながります。

日別画面へコメントする

02月27日(水)

起床時刻:04時48分

2013年3月日銀総裁候補

黒田 東彦   総裁:昭和19年 生 東大→財務省→一橋教授→アジア開発銀行総裁
 (はるひこ)
岩田規久男 副総裁:昭和17年 生 東大→上智教授→学習院教授

中曽 宏   副総裁:昭和19年 生 東大→日銀→国際決済銀行議長(国際派)

日別画面へコメントする

02月26日(火)

起床時刻:04時09分

02月25日(月)

起床時刻:05時09分

02月24日

起床時刻:04時30分

強風の中「月例会」でした。
50+47=97-10=87 4トリ 2ダボ 風につられて強振してました。

プチプドエース 全Aオープン 根元氏
 

日別画面へコメントする

02月23日

起床時刻:05時00分

02月22日(金)

起床時刻:05時37分

02月20日(水)

起床時刻:04時49分

02月19日(火)

起床時刻:05時30分

02月18日(月)

起床時刻:04時39分

ケルセチンはアレルギー症状、気管支炎などの炎症をともなう症状の緩和に働く。

抗炎症作用は医薬品の抗炎症剤に匹敵する作用を持っていることは世界中で

200以上の研究報告がなされ、臨床現場でも抗炎症剤の代わりに処方されている。

ケルセチンは玉ねぎやブロッコリーに多く含まれる。

服用二日目 お腹がゆるる~ ┓(´_`)┏

日別画面へコメントする

02月17日

起床時刻:05時00分

     「土光敏夫氏に教わった経営と人生」
 
            平林武昭(日本システム技術社長)

昭和三十七年、石川島播磨重工業に入社した時の社長が土光さんだったんです。

その頃は瀕死の重傷に陥った石川島播磨の経営再建を成し遂げて社会的に注目を
集めていらっしゃいましたが、そういう人と偶然とはいえ、巡り合えたのは幸せ
だったと思います。

格調高き人物に出会いの縁・運があった。
縁とか運とか目に見えないものを大切にすることで、
道がひらかれるのではないでしょうか。

土光さんと私はまったく次元が違うし
比較にもならんのだけれども、共感するところがありましてね。

一つには土光さんは岡山市、私は播州赤穂と故郷が近いんです。
そして信仰篤い家柄、なおかつお互いに農家の出でしょ。
春夏秋冬、とにかく休む暇なく
百姓仕事に汗したことも土光さんに共感した理由です。

それに、土光さんは受験の挫折とか代用教員を経て
大学に入るなど随分苦学されたようですが、
私も学区制を破って隣県の高校を受験しようとしたり、
親元を離れて千葉の高校に転校したり
向学心が旺盛でしたから、そういう点でも
親しみを感じるものがありました。

入社して間もなく我われ東京・豊洲(当時は東京砂漠といわれていた)の
工場の新入社員五、六人で経営の勉強会を始めました。

ところが、ある時「経営は学か術か」というテーマで社長の土光さんに
一度講義をしてもらおうじゃないかという話になりましてね。

新入社員のプライベートな勉強会なんか普通、トップは来ませんわ。

ところが土光さんは実行の人ですよ。

勤務後、バスに乗って本社からやってこられたんです。
考えたらこれは大変なことでね。
私も「やはりただ者ではない」という思いを強くしました。

いまでも覚えていますが、

「議論する時は対等だ。同じ社員だ」

とおっしゃるんです。

大企業の社長と新入社員が対等なんてありえないでしょう。
でも土光さんは私たちの考えに謙虚に耳を傾けてくださいました。 

あの方は根っからの技術者なんです。
日本を技術立国にしようと努力した方だけに
技術者を凄く大事にされました。

工場視察に行くと普通のワーカーたちに
「ここはどうなっているのだ」と気さくに聞いて回られる。
それが楽しかったようですね。

労働組合の団交にも自ら行って腹を割って話された。

とにかく偉く見られようとか、地位に固執するとか、
そういう素振りは一切なかったし、
謙虚な姿勢は九十二歳で亡くなるまで変わりませんでした。
そういう姿を見ると誰だって信奉します。
素晴らしい傑物でしたよ。

土光敏夫氏の教え

「できない、無理、難しいは禁句」

「仕事の報酬は仕事」

「重荷(じゅうか)主義」

(人間に能力以下の仕事を与えるのは罪悪。
持っている力よりワンランク上の
      仕事を与えて進歩させよ、の意)


by ちち

日別画面へコメントする

02月16日

起床時刻:05時00分

■コラム■

▲生きている時に、何故、国民栄誉賞を差し上げなかったのですか、
亡くなってから、栄誉賞は、大鵬さんに失礼です

▲国民栄誉賞1号は、世界の王さんです。
その次が、大鵬さんであるべきでした。
横綱千代の富士さんが、31回の優勝で国民栄誉賞をもらい
32回優勝の大鵬さんが もらえない不思議

▲生前、50年間に亘り、献血運搬車を寄付し続け
親方引退で、収入が激減した時でも、寄付を続けた行為、
1台270万円と言われる献血運搬車

▲大鵬さん
巨人大鵬 タマゴ焼き 人の心を潤してくれました。
 生前に、国民栄誉賞を差し上げる事が出来ず、


      本当にゴメンナサイ。
 
by 大坪

日別画面へコメントする

02月15日(金)

起床時刻:04時12分

三度目の「ふく」にチャレンジ(^^ゞ

食感は解った!

味を理解するには、未だ経験不足か。

大分、近づいて来ていると思う。

人間の魅力って、発するものより感ずる者の方がいい。

日別画面へコメントする

02月14日(木)

起床時刻:04時00分

02月13日(水)

起床時刻:03時49分

 「ローマ法王に米を食べさせた公務員」
 
            高野誠鮮(羽咋市役所ふるさと振興係)

私は日本人の気質や人間の心理というものを考えて、
いつも戦略を立てるんですね。

日本人ほど近い存在を過小評価する民族はいないんです。
近くに素晴らしい宝の原石があっても
遠くにあるもののほうが素晴らしいと評価する。

また、人は自分以外の人が持っているもの、
身に着けているもの、食べているものを欲しがるんです。
で、その相手の影響力が強ければ強いほど
メディアも取り上げるし、ブランド力が上がる。

要するに、誰がいつも食べていたら
消費者は勝手に神子原(みこはら)米を
ブランドだと思ってくれるかを考えました。

まずはここは日本ですから、天皇皇后両陛下です。
うちは「神子原」で、「皇」に「子」と書いて
「皇子」と読むからゴロもいい。

もう一つは、「神子原」を英語に訳すと
「the highlands where the son of God dwells」となって、
「イエス・キリストが住まう高原」となるんです。

ならば、キリスト教で最大の影響力のある人は
誰かといえば、ローマ法王だと。

で、最後にアメリカは漢字で書けば「米国」ですから、
アメリカ大統領に食べてもらうと、この三本柱を立てました。


まずは天皇皇后両陛下です。
羽咋市のある石川県は旧加賀藩になるわけですが、
宮内庁には加賀前田家十八代目にあたる
前田利佑さんがいらっしゃることを掴んでいました。

早速市長と一緒に宮内庁を訪ね、
前田さんに天皇皇后両陛下に神子原のお米を
定期的に食べていただけないかと直談判したんです。
山の水だけでつくった安全でおいしいお米ですと。

すると、あっさり
「いいですね。料理長にお願いしましょう」とおっしゃる。

いきなりOKですよ。

市役所に電話して「成功したぞ」と電話しまくって、
ホテルでどんちゃん騒ぎしていました。
もう私の頭の中には真ん中に金色の菊のご紋と
「天皇皇后陛下御用達米 神子原米」という昇り旗と
ポスターが完璧にでき上がっていたのですが、
部屋に戻ると伝言メッセージのランプが点滅している。

宮内庁からで「さっきの件はなかったことにしてくれ」と。


陛下が召し上がるのは「献穀田」からのお米だけと
決まっていて、そこに新たに加えることは難しいという理由でした。

まあ、一瞬はガクっときましたが、すぐに切り替えて、
次はバチカンのローマ法王様にお手紙を書いたんです。

「山の清水だけでつくったおいしいお米がありますが、
召し上がっていただく可能性は一%もないですか」と。
 しかし一か月たっても音沙汰なし。二か月目も何もない。

ダメだ、ならば次に行こうと。
当時はブッシュ大統領の時代で、
テキサス州にあるパパブッシュの自宅住所は掴みました。
そこに届けてもらおうと、アメリカ大使館に頼みに行ったんですね。

ところがその交渉のさなかにローマ法王庁から連絡が入り、
「来なさい」と。
そこで今度は市長と町会長と三人で
四十五キロの米を担いで駆けつけました。

新米をお出しして、これを法王に
味わっていただきたいと申し上げると、大使は
「あなた方の神子原は五百人の小さな集落ですよね。
 私どもバチカンは八百人足らずの世界一小さな国です。
 小さな集落から小さな国への架け橋を、
 私たちがさせていただきます」とおっしゃったんです。

で、このことを地元の北國新聞と
カトリック新聞が取り上げたんです。
そうしたら二日後、聖イグナチオ教会のバザーの関係者と
名乗る品のいい奥様からオーダーのお電話があって、
ものすごい量の注文がありました。しかもこちらの言い値で。

ここから全国紙やテレビでも
「ローマ法王御用達米」として取り上げられ、
それまで一粒も売れていなかった神子原米は
一か月でなんと七百俵も売れたんです。

一方で、最も売れる時期に売らなかったことも
ブランド米になるための一つの戦略でした。


└─────────────────────────────────┘

     「地域おこしは、“心おこし”」

私は町おこしにしても会社の再建にしても
同じだと思うのですが、まずはそこにいる人たちの
「心おこし」が先なんですよね。

とにかく地域の人たちは百人いれば九十九人は、
ここが悪い、あそこが悪い、ここが汚いって
自分たちの町を卑下する。
でも、百年間嘆いても何も変わりません。

とにかく農家が疲弊するのは、
自分でつくったものに自分で値段がつけられないことが
原因なんです。

天候や様々な条件によって生産原価は変わります。
しかし農協に持ち込めば、一つつくるのに
百円の原価がかかっていても、八十円の値段がつけられる。

そういう状態だから当時の神子原地区の農家の
平均年収は八十七万円。

当然子供は後を継ごうとは思わず、
都会に出てサラリーマンになる。
だから人が減っていくんです。

だったら、農家が自分で値決めをできる体制に
しなければいけない。
つまり農家だけで会社をつくり、
生産・管理・販売のサイクルを持つということです。

そこで集落の農家を集め
「役所と農協の補助輪を外して自立しませんか」と持ちかけたら、
「新しい補助金の説明会じゃないのか」
「そんなことは無理だ」とヤジの大嵐です(笑)。

百六十九世帯のうち賛成してくれたのは、
事前に根回ししていた一軒を含めたったの三軒。
残りは

「米を売ったことがない奴が何を言うとるがい!」

「だったらおまえが売ってみろ」

「目の前に客を連れてこい!」

と。


そこで私は「分かりました」と。
もしも私がお米を売ることができたら、
今度は皆さんが自分たちで会社をつくってくださいね、
と約束をしたんです。

【勝算はあったのですか?】

いや、ないですよ。だからといって、
できなかったらどうしようとか、
そういう不安は全然なかったですね。

いろいろな壁にぶつかることも分かっていたし、
ちょっとの可能性があればすべてを賭けて、
失敗したらまたすぐ別な手を打って走り続けるしかない。

先ほど言ったように、いまこの地域に必要なのは
リハビリ運動です。

そのために

「交流戦略」

「メディア戦略」

「ブランド戦略」

の三つを柱にしました。

一つの物事を成すのに一本の柱ではダメ、
二本でもグラつきます。
三本あって初めて軸が定まり動かなくなる。
これを同時並行で進めるのです。

【交流戦略というのはどういうことですか?】

疲弊した集落は排他的になって
外の人を寄せつけようとしないんですね。
そこで国土交通省がやっていた
「若者の国づくりインターン事業」に目をつけ、
「酒の飲める女子大生」を二名派遣してもらいました。

なぜそんな条件をつけたかといえば、
やっぱり農家は家長制度が残っていて、
すべて物事を決めるのは親父さんです。

猿の社会を見ていると、ボス猿のところに
若いオス猿がくると威嚇するんです。
メス猿がくると知らん顔している(笑)。

だから農家の親父さんの敵にならないのは女子大生、
親父さんと一緒に酒を飲めたら
さらにいいだろうと考えました。

そしてこの二人が実によく働いてくれたんです。
どんなに飲んだ次の日でも朝早くから草刈りしたり、
農作業を手伝って、

「ああいう子なら毎年受け入れてもいい」
「うちも受け入れたい」

となりました。

学生を受け入れて農家の役に立つかといえば、
ほとんど立ちません。
しかし、未熟な学生を迎え、彼らに教え、交流することで、
農家の人たちの受け入れの許容が豊かに広がっていったんですね。

もう今度は「外国人でもいい」と言ってくれて、
迎え入れた男の子が「ニューヨークには帰りたくない」と
泣き出すほどの交流を持つようになったんです。

byちち

日別画面へコメントする

02月07日(木)

起床時刻:04時19分

      「プロフェッショナルの条件」
 
            天野篤(順天堂大学医学部教授)

└─────────────────────────────────┘

プロフェッショナルとは、
より高みを目指す人だと思います。

プロスポーツにしても、とにかく記録を目指す。
前の記録よりも、よい記録を。
そして高いところに登った時に見える景色を
自分の中で謳歌できる人。

その景色を見た時、その空気を感じた時に、
前とは違う自分を感じている。
そしてまた次の新しい空気を感じてみたいと感じる。
それが本当のプロだと思うんです。

私は患者さんとのコンタクトもそうですが、
いまもまさに自分の手術を極めるために、
無駄と思うものは徹底的に削ぎ落とすようにしている。

そのことが最終的には、自分が世の中に対してできる
精いっぱいの貢献になるだろうと思うんです。

そんなふうに至った過程を申し上げると、
小学校の頃はそれなりに勉強ができたんですよ。

でも中学校へ通い出すと、
異性とか運動とかに興味を持ったり、
いろんなものに出合うじゃないですか。

そんな成長過程の中で勉強というものが下位に沈んでいって、
それをコツコツやることができなかった。

ところがちょうど一年前に『致知』の中で
「一途一心」という言葉に出合い、
そこに「コツコツは一途一心と同義である」と書いてあって、
これだと思った。

やればできると思っていた勉強が、
やってもできなくなった。

同じ努力をしていても抜かれてしまう。
それでも卑屈にならず、ひたすらに、ひたむきに
一つのことに打ち込んでいると、
あぁこれならできるというものが見つかるんですよ。

そして「やればできるじゃないか」という気持ちを
再び呼び起こしてくれるのだと思うんです。

byちち

日別画面へコメントする

02月06日(水)

起床時刻:05時32分

大雪予報と言ってもたかが 10cm。なのになぜ電車は間引き運転になるのだ?

乗客を分散させる目的でアナウンスしても今朝のラッシュを見ると逆効果。

むしろ増発アナウンスを流せば無理に乗る客は減り運行がスムーズになるのでは。

最も強いものや、最も賢いものが生き残るのではない。
最も変化に敏感なものが生き残る。 (ダーウィン)

日別画面へコメントする

02月05日(火)

起床時刻:04時12分


     「王監督から学んだプロのあり方」
 
            小久保裕紀(元福岡ソフトバンクホークス選手)

└─────────────────────────────────┘

僕がプロで成功した一番の要因は
王監督との出会いだと思っています。

亡くなられた根本陸夫監督の後を引き継いで
ダイエーの監督に就任されたのは
僕がプロ二年目の時でした。

その出会いからトータルで十五年、
王監督の下でプレーさせてもらったんですけど、
僕はその教えを忠実に守ることを心掛けてきました。

王監督からは例えば「楽をするな」って教わったんですよ。
「練習の時に楽をするな。練習の時に苦しめ」と。

練習は普通センター返しが基本と言われていて
大方の選手はそうしているわけですけど、
僕の場合は王監督から

「ボールを遠くに飛ばせ。
それにはバットを振った時、
 背中がバキバキと鳴るくらい体を百二十%使え」


と言われました。

皆、練習の時は適当にやって、
試合で百%の力を発揮しようとするのですが、
これは間違いだということがいまはよく分かります。


王監督のことでは強く印象に残っていることがあります。
怒ったファンからバスに卵をぶつけられたことがありました。


忘れもしません、九六年五月の日生球場での
公式戦最終日です。

負けが続いていて、怒ったファンの方が
たくさんの生卵を僕たちのバスに投げつけられたんです。
卵が飛び散って外の景色が見えないくらいだったのですが、
そんな時でも王監督はどっしり構えて絶対に動じられなかった。

後ろをついていく人間としてリーダーが
ここまで頼もしく思えたことはなかったですね。

帰ってからのミーティングでも


「ああいうふうに怒ってくれるのが本当のファンだ。
 あの人たちを喜ばせるのが俺たちの仕事なんだ。
 それができなければプロではない」


とおっしゃいました。

僕はまだ人間が小さいですから
「あんなやつらに」とついつい思っていたのですが、
それだけに絶対に言い訳をしようとしない
監督の姿には学ばされました。

日別画面へコメントする