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起床時刻推移グラフ

目標起床時刻:04:30 平均起床時刻:04:55

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04月25日(木)

起床時刻:04時25分

     「草むしりを天職に生きる」

        宮本成人(株式会社 草むしり社長)

私が群馬県高崎市に株式会社草むしりを立ち上げたのは
二〇〇九年、四十四歳の時でした。

当時、周りからは

「いまさら独立?」
「なんで草むしり?」
「そんなことで生計が成り立つのか?」

と反対されました。ノウハウも人脈もないゼロからのスタート。
それでも私が起業した理由はただ一つ。

何をしたらいいのか分からない、
本当にやりたい仕事が見つからない……。
そういう方々に草むしりという
一見なんでもないようなことでも
職業としてやっていけるということを伝えたい。
その一念でした。

かくいう私自身、これまでに八回も転職を繰り返し、
二十年以上悶々とした辛い時期を過ごしてきました。
大学卒業後、地元の大企業に就職したものの、
没個性に陥ってしまうことが耐えられず二年で退職。

その後、大学時代に日本拳法で全国一位になった経験から、
日本拳法協会海外指導普及員として二年間カナダに勤務。
帰国後は知人の紹介で、
長野オリンピックの招致の仕事にも携わりました。

そして二十六歳の時、
ケンタッキーフライドチキンのフランチャイズに入社。

そこで接客のいろはを一から叩き込まれ、
数年後には店舗のマネジメントを任されるようにまでなりました。

そんな私に転機が訪れたのは三十七歳の時。

ケンタッキーが一年間で最も忙しいのは
十二月二十三~二十五日のクリスマス期間。
その三日間の売り上げで、全国約一千ある店舗のうち、
私が店長を務める店舗が日本一を成し遂げたのです。

その後もいくつかの店舗で好成績を叩き出した私は
独立しようと思い立ち、翌年三月にケンタッキーを退職。
貯金をはたいてフランチャイズの加盟金を支払い、
店舗立ち上げに向けて勇んでいました。

ところが、です。

物件探しに不動産屋さんを回っても、
肩書も何もない無職のド素人に何ができるんだ、
と白い眼で見られ全然相手にしてもらえない。

周りからも「どうするんだ」と急き立てられ、
揚げ句の果てには自分には無理……と、
何もせずギブアップしてしまったのです。

売り上げ日本一になれたのは自分の力ではない。
ケンタッキーというブランドや周りの社員や
アルバイトさんが支えてくれたからに他ならない。

伸び切っていた天狗の鼻をへし折られた瞬間でした。
人と話すことも儘ならず、呼吸をするのがやっとの状態。
半年ほど引きこもり生活が続き、
ようやく働き始めたものの、またしても職を転々とする日々。

そんな時、友人から突然電話がかかってきました。

「宮本、ちょっとアルバイトしない?」。

それは植木屋さんでのアルバイトでした。
最初は全く乗り気ではなかったのですが、
親方の言われるがままに作業をしていると、
庭は綺麗になる、お客様からは喜んで感謝していただける、
自分は汗をかいて清々しい。

なんと素晴らしい仕事だろうか。
これこそ自分にとっての天職だ!
と感動が込み上げてきました。

「じゃあ、草むしりを仕事にしてみたら」。

友人のこの言葉に触発され、起業を決意。
八回もの転職を繰り返した果てにようやく掴んだ天職  。
 しかし、見込みのない収入、増える負債、孤独な毎日……。
起業はまさに自分との闘いでした。

by ちち

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04月23日(火)

起床時刻:06時12分

04月22日(月)

起床時刻:06時19分

     「笑顔は最高の教養」

        小菅美惠子(笑顔塾社長)

小さい頃、手相を見てもらった時、
「あなたは長生きをしますよ」と言われました。
しかし、どうやらこの見立ては当たらないようです。
いま、私は末期がんに侵されています。

一昨年、大腸がんの摘出手術を行った際、
お医者様には「余命三か月から六か月」と宣告を受けました。
それから今年五月で丸二年。

科学的な見地から言えば、いま私は
「余命ゼロ時間」を生きていることになるでしょう。

もちろん最初は驚き、なんでこんなことにと嘆きました。
しかし、これまでの人生を振り返ると、
二度の結婚と離婚、五十歳でのリストラと起業、
そしてがん……。

人よりちょっと波瀾万丈ですが、様々な人と出会い、
ご縁をいただき支えられ、きょうまで本当に楽しく生きてきました。

その代償ではないですが、病も含めてそれが自分の人生ならば、
すべてを受け入れよう。いま、私はそんな心境なのです。

四十代後半、某研修会社の札幌支店に営業職で採用されました。
子供も中学に入ったばかり。

これから最低六年間は女手一つで育てていかなければならない
という意気込みでの入社でした。

ところが、五十歳でまさかのリストラ……。
ショックで涙も出ませんでした。

しかし、生活がかかっています。
事態を知り、声をかけてくださった企業で
半年ほど営業の仕事をしましたが、
支社長との考え方が合わず退社。

かくなる上は自分でやるしかないと覚悟を決めました。

幸い営業時代に多くの企業様を訪問させていただいたご縁で、
「うちの社員を教育してくれないだろうか」との
ご依頼をいただきました。

札幌市内の小さなお店で、対象は二人の若い女子社員。
始業前の八時から九時までの一時間を週三日、
挨拶や言葉遣い、歩き方など、基本的な態度教育を行いました。

しばらくすると、二人から少しずつ変化が見え始め、
感想文を書いてもらうとその意識の変わりようは明らかでした。
私は単純に彼女たちの成長が嬉しかったのです。

感想文を鞄に入れて持ち歩き、
たまたま知人とお茶を飲んでいた時、
「いま、研修をやっているんだけれどね」と、
彼女たちの感想文を渡しました。

目を通した知人は、それならうちも研修を頼みたい、
というのです。

その方は事務機の販売会社の社長の奥様で、
専務のお立場でした。

電話応対などは外部の一日研修などに参加させても、
数日後には元に戻ってしまう。
身につくまで研修をしてくれないかと言うのです。

研修は朝七時から八時まで、
週一回の一時間。基本態度の研修と並行して、
日常業務では電話機の前に鏡を置き、
受話器を取る前に笑顔をつくってから
応対するよう指導しました。

確かに電話の向こう側に笑顔は見えません。
しかし、必ずその雰囲気は伝わると思ったのです。

するとどうでしょう。お客様と電話でやり取りするうちに
「そういえばこの商品も必要だった」と
プラスアルファの商品の受注が増え、
売り上げが増大したといいます。

大変感謝され、お取り引き先企業を紹介していただくなどして、
次第に仕事は軌道に乗っていきました。

そして会社を起こす時、私の中にあったキーワードは、
やはり「笑顔」でした。

北海道は長く不況が続いています。
いま日本で一番笑顔が必要なのは道産子。
つらい時こそ笑顔で行動しましょうという思いを込め、
社名を「笑顔塾」としました。

ちょうどその頃だったと思います。
解剖学者の養老孟司先生の講演を聞く機会がありましたが、
先生は「教養とは相手の心が分かる心」とおっしゃいました。
あんなに頭のいい方が教養とは知識ではなく、
慮りの心だと言います。

そして私は、ならば笑顔こそが最高の教養だと思ったのです。

byちち

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04月21日

起床時刻:05時19分

04月20日

起床時刻:07時00分

04月19日(金)

起床時刻:04時00分

04月18日(木)

起床時刻:05時10分

      社会で勝てる人はここが違う

           中里良一(中里スプリング製作所社長)
 
【記者:伸びていく人とそうでない人の差は
    どこにあると感じていますか?】

単純に差はないですよ。
その子が一番芽を出したいと思っているところに
光を集めてあげればものになる。

殆どの人は当てる焦点が違う。
人間って三百六十度のたった一度なんです。
そこに焦点を当てると勝てる。

残りの三百五十九は外れなんです、近くではあっても。
だからピンポイントの社員教育をすれば
伸びない人なんて一人もいない。

例えばうちでは、養護学校を出た子も
必ず一人は雇っています。
というのは、町工場はそれぞれの町でしか
働きに出られない人を守ってあげる職場だから。

その子は実際には普通の人の
十分の一ぐらいの仕事しかできません。

でも、挨拶とか掃除とか、本当に丁寧に、
手を抜かずにやってくれる。だから社員に言うんです。

「皆、よく見ろ。彼は、
自分が一番仕事できないなんて思っていないだろう。
 本当に一所懸命働いてくれている。

 だから皆が五%ずつ優しくなって、
 彼の足らない給料分、皆で出してあげようよ」

って。だから、社員の育て方って一人ひとり全部違う。

殆どの会社は役職とか給料、
すべてが他人様チェックだと思います。

でも、人からの評価って素直になれない。
うちは全部自己チェックさせるんです。
幾ら給料取りたいか、どの役職に就きたいか。
だから上司と部下も希望制です。

誰についていきたいか、誰を部下にしたいか。
相思相愛にする。

で、誰も希望者がいない人は社長直轄になるんです。

「仕事できるけど周りから人望がないっていうのは
 どこか思い込みがあるよ」

と。ただ、それを直す必要はなくて、

「おまえはもっと自分のいいところを伸ばせ」

と言うんです。

たいていの人は学生の時、嫌いな科目があったと思います。
高校や大学だと、テストで三十点取ってしまうと落第ですよね。
ところが、社会人は違う。

百点のものを一つ取れば、後は全部零点でも
やり手、切れ者って言われる。
社会人の楽しさはそこにある。

だからこの「知好楽」って非常にいい言葉だと思うんです。
知らないよりは知っているほうがいいから、
勉強するって大事なんですね。

でも、知っている人よりも好きな人のほうが勝つ。

で、好きな人よりも楽しくやっている人のほうが
なおなお勝てる。

だから、好きになるための努力っていうか、
楽しくやるための手法を突き詰めていくべきです。

ただ、みんな楽しいという字を
「らく」って読んじゃうんですね。
楽しいってことは手を抜くことだと思ってしまう。

だからダメなんですよ。
片手間でやっている仕事なんて楽しいわけがない。

うちは日本一楽しい会社を目指していますが、
楽しさは向こうからはやってきません。

仕事の真の楽しみというのは、
一所懸命努力する中で創り上げていくものです。

byちち

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04月17日(水)

起床時刻:05時10分

ガーデンプレースクリニックのついでに同階の食堂でランチ 相変わらず(´ω`)

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04月16日(火)

起床時刻:04時19分

04月15日(月)

起床時刻:05時19分

04月14日

起床時刻:05時19分

41+43=84 答えは:スリークォーターショット

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04月13日

起床時刻:05時19分

狭山GC 清水、神田、織田 51+44=95

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04月12日(金)

起床時刻:05時19分

04月11日(木)

起床時刻:04時15分

     「顔の化粧ではなく、心の化粧を」

        渡辺和子(ノートルダム清心学園理事長)

人間の進むべき道というようなことは、
難しくてよくわかりませんけれども、
とにかくまずは自信を取り戻すことですね。

しかもそれは正しい意味での、
人間しか持たないぬくもり、優しさ、強さであり、
自分と闘うことができ、自分の欲望に
ブレーキをかけることができるということへの信頼です。

例えば、私はいま学生たちに、
「面倒だからしましょうね」
っていうことを言ってるんです。

面倒だからする。

そういう心を学生たちはちゃんと持っています。
それは強さだと思うんです。

そういう、人間にだけ神様がくださった、
神の似姿としてつくられた、人間にのみ授けられた
人間の優しさと強さ。かけがえのない、
常に神様に愛されている自分としての自信。

そういうものを取り戻して生きていかないと、
科学技術の発達するままのこれからの時代に、
人間の本当の姿が失われてしまうのではないかと思います。

いまの学生たちは、ポーチの中にお化粧道具を
いっぱい持っています。

だから彼女たちには、お金をかけてエステに通ったり、
整形手術を受ければ綺麗にはなるけれど、
美しくなるためには、面倒なことをしないとだめなのよ、
と言っているのです。

自分が座った椅子は元どおりに入れて立ちましょうね。
落ちている紙屑は拾いましょう。
洗面台で自分が落とした髪の毛は取って出ましょう。
お礼状はすぐに書きましょう……というように、
なるべく具体的な行動の形で示してやります。

「ああ、面倒くさい、よそう」と思わないで、
「ああ、面倒くさいと思ったらしましょうね」と言うと
学生も、何か変な標語のようだなと思いながらも、
覚えていってくれるみたいです。

「人はある程度の年を取ったら、
 それ以上綺麗にはならないけれど、
 より美しくなることはできます。

 その美しさというのは、中から輝いて出るものだから、
 自分と闘わないと得られません。
 お金では買えないのよ」

ということを言うと、

「ああ、シスター、顔の化粧ではなくて、
 心の化粧なんですね」と言ってくれます。

「おー、マイシスター。日々の面倒は人生未来の糧」

byちち

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04月10日(水)

起床時刻:05時20分

04月09日(火)

起床時刻:05時23分

【知好楽】

     「稲盛和夫氏はなぜ成功したか?」

パナソニックの社名が松下電器だった時期、
山下俊彦という社長がいた。

昭和五十二年、先輩二十四人を飛び越えて社長になり、
話題となった人である。

弊誌にも親しくご登場いただいたが、
率直、明晰なお人柄だった。

この山下さんが色紙を頼まれると、好んで書かれたのが
「知好楽」である。

何の説明もなしに渡されると、
依頼した方はその意味を取りかねたという。

この出典は『論語』である。

子曰く、これを知る者は、これを好む者に如かず。
これを好む者は、これを楽しむ者に如かず。

(これを知っているだけの者は、これを愛好する者におよばない。
 これを愛好する者は、これを真に楽しむ者にはおよばない)

極めてシンプルな人生の真理である。
仕事でも人生でも、それを楽しむ境地に至って
初めて真の妙味が出てくる、ということだろう。

稲盛和夫氏。京セラの創業者であり、
経営破綻に陥った日本航空を僅か二年八か月で
再上場に導いた名経営者である。

この稲盛氏が新卒で入社した会社はスト続きで給料は遅配。
嫌気がさした稲盛氏は自衛隊に転職しようとするが、
実兄の反対を受け、そのまま会社に止まった。

鬱々とした日が続いた。
会社から寮への帰り道、
「故郷」を歌うと思わず涙がこぼれたという。

こぼれた涙を拭って、こんな生活をしていても仕方がない、
と稲盛氏は思った。自分は素晴らしい会社に勤めているのだ、
素晴らしい仕事をしているのだ、と思うことにした。

無理矢理そう思い込み、仕事に励んだ。
すると不思議なもので、あれほど嫌だった会社が好きになり、
仕事が面白くなってきたのだ。

通勤の時間が惜しくなり、布団や鍋釜を工場に持ち込み、
寝泊まりして仕事に打ち込むようになる。
仕事が楽しくてならなくなったのだ。

そのうちに一つの部署のリーダーを任され、
赤字続きの会社で唯一黒字を出す部門にまで成長させた。
稲盛氏は言う。

「会社を好きになったこと、仕事を好きになったこと、
 そのことによって今日の私がある」
 
知好楽の人生に及ぼす影響が
いかに大きいかを示す範例である。

byちち

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04月08日(月)

起床時刻:05時02分

試合という目標のない剣道家たちが
目指すべきものはなんでしょうか。

私は剣の五徳、
即ち正義、廉恥、勇武、礼節、謙譲だと考えます。
もちろんこれは、大会に出場する人も目指すべき普遍的な目標です。

「お前は道場の門をくぐる時、『よし、やるぞ』と
 両刀手挟んで入ってくるが、それは逆だ。
 日常こそが本当の真剣勝負の場であり、
 道場から出て行く時にこそ気を引き締めなければならない」

確かに道場の中は、防具を着け、
指導者の下で技術を修める場にすぎません。
剣道家としての真価が問われるのは
まさに日常の場なのです。

同じく剣道を学んでいた兄は、大学時代に
九州チャンピオンになるほどの腕前でしたが、
就職後は竹刀を握る機会もなく、
職場での苦しい胸中を父に打ち明けていたのを
側で聞いたことがあります。

父は兄に「お前は剣道を学んできたのだろう」とたしなめ、
こう諭しました。

「剣道の技量を伸ばすには、
 厳しい先生にかからなければならない。

 職場も一緒だ。厳しい上司に打たれても、打たれても、
『お願いします』と真摯に向かい続けなさい」

自分の弱さを隠すことなく、真剣に打たれること。
打たれる度に反省し出直すこと。

兄は父のアドバイスを心に努力を重ね、
その後営業でトップの成績を収めました。

いくら剣道の修練を積んでも、
それで生計を立てていくわけではありません。
大切なことは、道場で学んだ業を
一般社会で実行していくこと。

修業から修行へと昇華していくことです。

剣道の稽古は自分一人ではできません。
相手があって初めて成り立ちます。
そして相手は打ち負かす敵ではなく、
自分を育ててくれる師なのです。

byちち

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04月07日

起床時刻:05時02分

理事長杯予選 44+47=91-11=80 78クォリファイ

疲れのピークか? 咳がでる。

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04月06日

起床時刻:05時33分

04月05日(金)

起床時刻:04時03分

04月03日(水)

起床時刻:04時19分

04月02日(火)

起床時刻:03時04分

     「ありがとう」の反対語


      大山真弘(おおやま・しんこう=蓮華院誕生寺内観研修所所長)


 してもらったこと。

 お返しをしたこと。

 迷惑をかけたこと。

この三つの問いかけを通じて人生を振り返り、
自分を深く見つめていくのが「内観」です。

日本で発祥したこの心理療法に私が出合ったのは、
いまから二十五年前のことでした。

かつて私は商社やメーカーに勤め、
社長賞をいただくほど熱心に仕事に励んでいました。
海外勤務の機会にも恵まれ、
充実したビジネス人生を送っていました。

母が重い病で入院したのは、
私がブラジルに出発する直前でした。
余計な心配をかけまいと、
父も母も私に本当の病名を伏せていました。

「しっかり仕事をするんだよ」

病院のベッドで送り出してくれた母の微笑みと手の温もりは、
いまも忘れられません。

危篤の報を受けたのはそれから一年後でした。
赴任先からようやく駆けつけた時、
母は既に息を引き取っていました。

大切な親の死に目にも会えないこの仕事にどんな意味があるのか。
父はなぜ本当のことを告げてくれなかったのか。
自分はこのままでいいのだろうか……。


激しい葛藤から私を解放してくれたのが内観でした。

幼い頃まで遡り、母にしてもらったことや、
迷惑をかけた記憶を思い起こすと涙が止めどなく溢れ、
ほとんどなんのお返しもできていなかったことに愕然としました。

同時に、父が息子の活躍を願ってあえて母の病名を隠した親心、
私を育てるためにかけた数々の苦労に思い至り、
わだかまりは氷解しました。

私は学生の頃から「人の役に立つ人間になりたい」と
いう思いを抱いていました。

内観の素晴らしさを実感した私は、会社を辞めて出家し、
内観指導の道を歩むことを決意したのです。

現在、指導を行っている熊本の蓮華院誕生寺には、
健常者ばかりでなく、摂食障害や鬱病、
アルコール依存症等々、様々な問題を抱えた方々も
お越しになります。

一週間も内観を続けると、それまで他者を非難し、
被害者意識に陥っていた方が、問題の原因が
実は自分にあることに思い至ります。

正しいと思い込んでいた自分が、
これまでいかに人に迷惑をかけてきたか、
にもかかわらず、いかに支えられて生きてきたかを悟り、
感謝の念を抱くことで、楽に、
明るく生きられるようになるのです。

夫婦や子供の問題に悩み、相手を変えたいと思っている方は、
まず自分が内観することで問題が大きく改善することに驚かれます。

こうした指導体験をもとに、私はこの程
『お母さんにしてもらったことは何ですか?』を
上梓しましたが、内観ではまず、
母親についての記憶を辿りながら、
冒頭の三つの問いかけをしていきます。

母親は自分を産んでくれた大切な人であり、
あらゆる手間をかけて自分を育ててくれた
最も身近で尊い存在だからです。

母親のいない人でも、それに代わる方はいるはずです。

一人静かに記憶を辿るうちに、不思議なもので、
心の奥にしまい込まれていた遠い日の思い出が
一つ、二つと甦ってきます。

母親との関係が良好ではない人も、
それまで思い至らなかった母親の心情を悟り、
憎しみが感謝の念に変わっていきます。

ある男性は、重度の認知症になった母親の介護に
葛藤を抱えていました。
意思の疎通もできなくなった親を
介護することにどんな意味があるのかと。

最初は内観にあまり乗り気ではありませんでしたが、
あるイメージが浮かんだことをきっかけに、
一気に内観が深まりました。

そのイメージとは、俵形の真っ黒なおにぎりでした。

byちち

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04月01日(月)

起床時刻:02時04分

     「人の世に変わらぬものは変化のみ」

         西水美恵子(世界銀行元副総裁)

 (国民総幸福量という言葉で知られるブータンは)
日本では長閑で幸せな国だと考えられているようですが、
実際はそんな生半可なものではありません。

ブータンは人口七十万にも満たないのに、
およそ十二の異民族を抱える多民族国家ですから、
国家経営を誤るようなことがあれば
隣国の中国やインドに潰されてしまうリスクが常にあります。

雷龍王四世はこの難題に本気で取り組んでおられました。
世界を見渡せば、どの国家にでもバラバラになる
リスクがある中で、雷龍王四世ほど
危機管理的な国家戦略を念頭に置くリーダーは、
私にとっては稀有な存在でした。

実際、出会いそのものからして異例でしたから。

初めてブータンを訪問したのは、
副総裁になってからのことでしたが、外交儀礼上、
総裁でもなければ陛下に謁見を賜りたいなどと、
言えません。

ですから国王にお会いするつもりなど毛頭なく、
これはどの国でも初訪問で必ずしていたことですけれど、
空港から寒村へ直行して、農家に滞在する
という旅程だったのです。

ところがブータンのパロ国際空港に出迎えてくれた
大蔵省次官が、おもむろに
「明日、陛下が謁見を賜るとのご命令だ」と……!

新任の副総裁が日本人で、そのうえ女性だから、
お珍しいのだろうというくらいに思っていたのです。

でも謁見後に大蔵大臣が教えてくれたのですが、
陛下は私の旅程を事前にご覧になって、

「この副総裁は、本気で我が民のために尽くすつもりだな」

とおっしゃったそうです。

初めて陛下にお会いした時、開口一番、
こう仰せられました。

「人の世に変わらぬものは変化のみ」。

絶対王制から民主制への政治改革を
先導しておられたのですが、国民は猛反対。
「無常」だからこそ改革は先取りするのが賢いと、
国民を説き回っておられたのです。

具体的な取り組みについてお話しくださったのですが、
私はその一所懸命さ、本気で国民のことを考えて
事をなさるお姿に胸打たれました。

そこにはご自身の地位への固執など微塵もありませんでした。

当時、世銀の組織文化を変える改革を始めたばかりで、
風当たりが強く、随分悩んでいたのですが、
陛下のそのお言葉がストンと心に落ちました。

どのような環境に置かれようとも、一所懸命に、
成長し続ける組織文化の種を一粒でも蒔けばいいのだと。

そうしたら急に心が軽くなって、無礼にも、
御前でクスクス笑い出してしまったのです。
陛下は、面白そうにご覧になっておられましたけれど(笑)。
それからのお付き合いです。

国王陛下は私にとってただ一人の「メンター」です。

byちち

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