201407 <<先月 | 翌月>>

起床時刻推移グラフ

目標起床時刻:04:30 平均起床時刻:03:59

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07月30日(水)

起床時刻:02時28分

07月28日(月)

起床時刻:04時11分

07月27日

起床時刻:05時11分

月例 嵐 45+46=91

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07月26日

起床時刻:03時11分

飯能GC 41+44=85
松本支店長103 山口114 鳶105

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07月25日(金)

起床時刻:03時11分

07月24日(木)

起床時刻:03時05分

07月23日(水)

起床時刻:03時14分

07月16日(水)

起床時刻:04時52分

07月15日(火)

起床時刻:04時05分

07月14日(月)

起床時刻:04時33分

07月10日(木)

起床時刻:05時48分

07月09日(水)

起床時刻:03時35分

07月08日(火)

起床時刻:03時23分


 「ギリギリまで追い込まれるとアイデアは湧いてくる」


      望月正彦(三陸鉄道社長)

NHKの人気朝ドラ『あまちゃん』でも脚光を浴びた
岩手県の三陸海岸沿いを走る三陸鉄道。

東日本大震災で甚大な津波被害を受けたものの、
今春、107キロの全線開通を成し遂げました。

僅か3年という短期間での全線開通は“奇跡の復活”と称され、
東北の方々をはじめ日本全国に勇気と希望を与えています。


当社は臨時職員、パートを含めて80名の従業員がいますが、
家を流されたり、家族を失った者も多くいます。

被害が甚大だったこともあって最初はパニック状態というのか、
多くの従業員が列車を動かそうという気力すらなかった
というのが正直なところです。

震災の2日後、部分運行再開でいくぞ、と
私が檄を飛ばした時も反対する幹部がいました。

「余震が続いています。
 身内も亡くなり気持ちが動揺して
 それどころではありません」と。

そういう彼らに私は

「列車を動かすことで助かる人がいる。
 いまこそ三鉄が頑張らなくてどうするんだ」

と懸命に思いを伝えていったんです。

でも、一番の力はやはりお客様ですよ。

お客様の「ありがとう」という言葉ほど
力強い励ましはありませんでした。

数多くのありがとうが従業員の心を掴んで、
一つにしたといってよいと思います。

私は開通前の試運転のたびに、一つだけ指示を出したんです。

それは警笛を鳴らしっ放しで走れ、ということでした。

これは誰かが線路を歩いている可能性があるためでもあるのですが、
もう一つは三鉄が動き出したことを
住民の皆さんにお知らせするためです。

田老駅の周りで瓦礫の片付けをしていた人たちが
警笛の音に思わず立ち止まって、満面の笑顔で手を振ってくれた。

そういう光景は生涯忘れられませんね。

鉄道が動き出すというのは日常が戻るということなんですね。

警笛はまさに希望の音色だったわけです。

再開の区間を延ばしていくほど、
皆さんの感動は一層大きくなりました。

それは全線再開に懸ける我われにとって
何よりの励ましであり、喜びでもありました。

3分の1の距離しか運行できなかった頃の業績は
さすがに厳しかったですね。

実際の輸送量は10分の1にまで減り、
運賃収入も大きく落ち込みました。

だけど、窮すれば通ずといいますが、
ギリギリにまで追い込まれるといろいろなアイデアが出るものです。

私どもは旅行業の資格を持っていますから、三鉄で津波被害現場を
視察する被災地フロントライン研修というツアーを企画しました。

1泊2日の基本料金が2万8千円でしたが、23年度は3千名以上
の方に参加いただいて、これが結構な収入になりました。

それから一番よかったのは「運行再開祈念レール」という、
流失した線路の切り売りです。

レールを10センチと5センチの幅で切って木の台座に乗せ、
シリアルナンバーを打った真鍮のプレートを付けて5万円と3万円で
売り出したのですが、準備した200個が1日で完売しました。

要望に応じて400個を追加で作ったら、
これも即座に売れ、運賃以上の収入が得られたんです。

買って下さったのは鉄道マニアの方や年配の方々が多かったんです。

かつて三陸を旅されたことのある方々が
義援金のつもりで買い求められたようですね。

この他にも、クウェート国からの支援の一部をいただいて8台の車両が
購入できたり、大手カード会社が私どものグッズを販売してくださったり、
到底伝えきれないくらい多くのご支援をいただきました。

私どもが今日あるのは、そういう皆様の善意のおかげなんです。

byちち

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07月07日(月)

起床時刻:03時20分


        「苦難こそ成長の糧」

     多田野弘(株式会社タダノ名誉顧問)

94歳の私の朝は4時半に始まります。

2キロ半のウオーキングでひと汗かくと、
プールで24メートル泳いで会社に出ます。

プールの水は、冬になると肌を刺すように冷たくなり、
雪が降るのを眺めながら泳ぐ日もあります。

正月には海で泳ぐのが恒例ですが、
風邪をひいたことは一度もありません。

泳ぎ終えた後の爽快感はこの上もなく、
また冷たさに克つことで大きな自信と喜びを得られるため、
この40年1日も欠かさず続けてまいりました。

私は戦後の焼け跡から父と弟と3人で
多田野鉄工所(現・タダノ)を立ち上げました。

40歳の時、会社が大証二部上場を果たしたのを機に
父から経営を託されましたが、
自分には特に秀でた能力もありません。

何とか社長に相応しい人間に
自分を仕立てなければと試行錯誤を重ねていた折、
冷水の効用を教えてくださったのが、
地元香川の金子正則県知事でした。

当時、私は東京で仕事があると、
夜行で上京して廉価な県の施設に宿泊し、
早朝の入浴で気持ちを切り替えてから出かけていました。

金子知事とは浴場でしばしば一緒になり、
冷たい水を張った一人用の浴槽に浸かっておられる姿を
よく見かけていました。

不思議に思い、ある時理由を尋ねてみると、

「多田野君、知事というのは
 仕事の9割は嫌な話を聞くことなんだよ。
 冷たい水も苦にせず入れる自分になれば、
 嫌な話もニコニコと快く聞いてあげられるようになるのだ」

とおっしゃったのです。

その話に一念発起したのが、
冷水で泳ぐようになったきっかけでした。

こうしたささやかな心掛けも含め、
社長に相応しい自分をつくるべく
懸命に努力を重ねてきた体験から、
苦難こそは成長の糧という思いを強くしています。

社長時代の苦難といえば、
いくら人や設備を増やしても思うように増産を果たせず、
お客様からのご注文に十分対応しきれない時期がありました。

打開策を模索する中、たまたま書店で手に取った
ドラッカーの『現代の経営』に、
利益は社会に対する貢献度に応じて与えられるものであるとあり、
目から鱗が落ちる思いがしました。


利益を目的に経営すれば、
会社に関わる従業員も顧客もそのための手段となりますが、
そんな企業が繁栄するわけがありません。


しかし企業経営の目的を社会貢献とすれば、
これは人として目指すべき生き方にも通じてくる──。


これでいこう、これで経営に失敗しても悔いはない。


ドラッカーの経営哲学に惚れ込んだ私は、
「創造・奉仕・協力」を社是に掲げて
会社の意識改革に取り組みました。


これが会社の風土として
浸透してきたことを実感できたのは、
献血を通じてでした。

献血というのは心身ともに健全で、
奉仕の精神に富んでいなければ実践できません。

会社で呼び掛けてみたところ、
最初から2割もの社員が参加してくれました。

その数は年々増えて4割にも達し、
総理大臣賞を受賞するまでに至りました。

経営の問題に直面したおかげでドラッカーの哲学と出合い、
そしてよい社風を築き上げることができました。

貴重な体験を通じて、私は苦難こそは成長の糧である
と確信を深めたのでした。

byちち

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07月06日

起床時刻:04時20分


~本当の心の幸福を掴むには~

     慈眼寺住職・塩沼亮潤大阿闍梨

こうして皆様の前に立たせていただいている私はといえば、
実は七年ほど前まで人前でお話しするのが大変苦手でした。

しかし、一所懸命修行に勤めていると不思議なご縁に恵まれて、
ある尊敬する方から、

「あなたが体験したことを言葉に託して表現しなさい」

と世間に引っ張り上げていただいたんですね。

その出逢いをきっかけに、いただいたお仕事はすべて天命だと
思って全国を息つく間もなく講演で駆け回るようになりました。

ただ、世間的な注目を浴びるようになると
驕る気持ちも起こってまいります。

だから私は

「一に勤行、

 二に掃除、

 三に追従(人が喜ぶことをする)、

 四に阿呆(素直になる)」


というお師匠からいただいた教えを戒めとして、
「自分はあくまでお坊さんなんだぞ」と
絶えず自分の心を本来の勤めに引き戻してもいたんですね。

この七年間で様々な経験をさせていただいて分かったことは、
日常のすべてが自らの心を成長させる
修行となってきたということです。

あれが好き、これは嫌いというような
わがままな心をコントロールして、
嫌なことでも逃げ出さず、常に前向きに
トライしていくことを積み重ねてきた結果、
こうして皆さんの前でお話しするという
尊い仕事をさせていただけているのだと感じています。

byちち

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07月05日

起床時刻:05時01分


      「逆境を乗り越える秘訣」


      坂東玉三郎(歌舞伎俳優)


「奇跡の女形」人は坂東玉三郎さんのことをそう称えます。


今年、5代目坂東玉三郎を襲名して50年──。


半世紀以上にわたって歌舞伎という芸道を磨き続け、
いまや人間国宝にも認定されています。


しかし、坂東玉三郎さんは梨園(りえん)の出でないばかりか、
小児麻痺の後遺症という身体的ハンディキャップを抱えていました。


養父が亡くなる前後でしたかね、
2年半、1日もお休みがない時期がありました。


ありがたいことに次々役が来て、取材が来て、踊りの会があり、
千秋楽の次の日にはすぐ次の稽古があると。


しかも1日3役も4役も、多い時には5役もある。


それが30か月間続いたところで、
心身ともに許容量を超えたな、というのが自分でも分かりました。

心身症になって、人と話せなくなりました。24歳の時です。

それは時間が解決するしかなかったですね。

仕事はしていました。
舞台にだけは出られるんです、不思議と。

ただ、引っ込んできた時には
もう起きてはいられなかったし、人とも話せませんでした。

8月から具合が悪くなって、9月、10月の間は
ほとんどごはんも喉を通りませんでした。

そして11月には25日間で23か所を巡る
巡業が控えていたんです。

とてもじゃないけれど無理だと思いまして、お医者様に、

「降りられるよう処方箋を書いてほしい」

と言いました。

すると先生は「行きなさい」って。


行って、ダメならすぐに帰って来られるよう、
会社にも代役の準備をしてもらいなさいと言われました。


そうして巡業に出たら、憑き物が落ちたように
2、3日で治っちゃったんです。


毎日環境が変わって、
取り巻いている人間関係も変わるからでしょうね。


各地を転々とする中で、

「あれ、おまえごはん食べているじゃないか」

と言われて、

「あ、本当だ」って気がつきました(笑)。


逆に仕事をしていたから治ったんじゃないですか。


先生から処方される薬では治りませんでしたし、
先生もそれを感じてらして、
仕事せずに家で寝ていても治らないと思ったのでしょう。


大変ありがたいことに、
仕事が来ないという逆境はなかったんです。


仕事が来て、それをこなし切れずに
心身がついていけなくなってしまう。

それ以後30代、40代にも同じような症状に
陥ったことが何度かありますが、
仕事を休むことはなく、
転地療法と時間の経過を待つ、
という方法で乗り切ってこられました。


小さい時に弱かった子って、
大人になると丈夫になるというじゃないですか。

ですからこの年まで人間ドックにも入ったことがないです。

入りなさいと皆さんおっしゃるのですが、

「いや、もう病気になったら
 このまま死ぬので大丈夫……」

とお断りしているんです(笑)。

byちち

姉ヶ崎

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07月04日(金)

起床時刻:03時19分

07月03日(木)

起床時刻:04時11分

07月02日(水)

起床時刻:05時11分

07月01日(火)

起床時刻:03時40分