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起床時刻推移グラフ

目標起床時刻:04:30 平均起床時刻:03:06

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09月30日(水)

起床時刻:01時05分

09月29日(火)

起床時刻:03時17分

-5040 -19120
日経▲715 16,930 下げ幅 2番目?

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09月28日(月)

起床時刻:02時40分

09月27日

起床時刻:03時40分

   
     「岸朝子さんが心に刻んだ名言」

     岸 朝子(『料理の鉄人』の審査員)
   2015.09.22 享年91

大変だったのは戦後です。
戦争が終わると同時に職業軍人だった夫は職を失い、
父の勧めもあって千葉に移り住んで牡蠣の養殖に携わりました。

数年間努力したのですが、事業を軌道に乗せることができませんでした。

夫は養殖業に見切りをつけると同時に、今度は東京に新しい働き口を
見つけて再び引っ越しです。

暮らし向きはかなり厳しくて、私も何かしなければと考えていたところ、
たまたま主婦の友社の募集広告を妹が見つけてくれたんですよ。

「料理の好きな家庭婦人を求む」とあって、子供がいてもいいという条件
だったので、これならと思って試験を受けに行きました。

もっともおなかの中にいた五番目の子供がかなり大きくなっていたので、
いくらなんでも難しいかなと思っていましたけど(笑)。

試験は書類審査、筆記試験と身体検査、そして実地試験があって
どんどん振り落とされていきました。

最終的には7名が残って、そのうちの一人が私だったんです。

嬉しかったですね。

4月に入社してからすぐに出産だったので、初出勤はその年の8月1日。
思い返せば、この日が50年以上続く料理記者としての第一歩となりました。

素人でしたから最初は苦労しました。

会社の決まり事として社員全員に日記を書かせていて、
これが大いに役に立ったんです。

退社時に提出すると翌日朱筆で校正が返ってくるのですが、最初の頃は句読点
の打ち方から行がえ、表現法などの指摘でページが真っ赤でした(笑)。
その繰り返しの中で基本を覚えていきました。

時代は高度成長期にさしかかる頃で、家庭で手の込んだ料理をつくろうとする
主婦や、花嫁修業で料理学校も大盛況だったため、カラーの料理本なども本当
によく売れました。

だから仕事も次から次へと本当に忙しくて、料理学校で撮影の仕事がある日
なんか、授業が終わってから始めるものだからほぼ徹夜でしたね。
それが何日か続くともうふらふらで。

体重がガタッと落ちるくらい大変だったけど、この時期に料理記事の何たるかを
学ぶことができましたし、一流の先生方や優れた調理人との交流によって料理記
者として育ててもらうことができました。

家庭のほうは夫に頼ることが多くて、申し訳ないような気持ちはありました。

ずっと休むことなく料理記者として働いてきたわけだけど、楽しいことばかり
じゃなくて、辛いことも数多くありました。

そんな時いつも私を励ましてくれたのが、

「嫌なことは夜、布団の中で考えない。太陽の下で考えれば何事も明るくなる」

という(香川)綾先生の言葉でした。

歯を食いしばって一所懸命頑張ってきたから、いろいろな人に会うことができた
し、仕事のやりがいにも気づくことができたのだと思います。

綾先生は満98歳で亡くなる直前までお元気でしたので、私もそれにあやかって、
「おいしく食べて健康長寿」をモットーに、98歳まで食の大切さを伝え続けて
いきたいと思います。2014.04

byちち

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09月26日

起床時刻:04時40分

  
     「人間の成長に限界はない」

      森 信三(国民教育の師父)
           &
      平澤 興(京都大学元総長)

【平澤】
私は世の中というか生きるというか、まったく不思議そのものだと思います。

例えば、人間は三十数億年前に命の元ができて、今日人間になった、
素晴らしいものになった。

こういうことの過程は大体わかるんですが、その変化を起こす元の力は何か
ということになるとね、わからないです。

わからんが、そこまで来るとわからんということがまたありがたいことですから。

それほど不思議な命をいま、与えられておるわけだ。

【森】
この地球上には人間以外にも無数の生き物がおるにもかかわらず、
われわれは特に、人間として、この世に生まれてきたわけですから。

これは、努力したわけでなくてね。

それなのに一切の生き物のうちで一番高い地位にある人間としての
生命を与えられておる。

それだけにどうしても、それに値するような生き方をしなければね。

【平澤】
いま思い出したが、そういえば、この間、こういう句を作った。

“あな尊(とう)と不可思議光のこの命
 八十路の旅に 欣喜雀躍(きんきじゃくやく)”

【森】
ああ、いいです(笑)。

【平澤】
仏さまは尊いけれども、われわれ一人ひとりも仏さまなんですよ。

人間というものを研究すればするほどそう思う。

不可思議光というのは決して不遜の言葉ではないと思う。
人間というものを本当に知ったらね、やっぱり、不可思議光です。

【森】
ごもっとも。

【平澤】
人間は凡夫だから、なかなか思う通りにいかんけど。

ところどころ失敗はあっても、私はよくやってきたなあと自分を
拝んでいます。人も拝みますが、自分も拝む。

それは決して自分が完全無欠であるという意味じゃない。
とにかく、へまもやってきたが、細かくいえば、へまばかりですけど、
まあそれでも自分をごまかさないでやってきた。

ご苦労であったと、私は私にお礼をいう。

そのことはね、ちっとも私は不遜でもないし、傲慢でもない。

尊い人間に生まれてね、せめて自分にも手を合わせるぐらいの
感激を持たなければ、ぼくはいけないと思いますね。

まあ、森先生、先生は91歳で私は86歳ですが、

「五十六十は花盛り、
 七十八十で実がなって、
 九十百は熟れ盛り」

でね。

老いるってことがまた素晴らしいと思うんだ。

【森】
八十には八十の楽しみがあるってこってすな(笑)

【平澤】
本当にね、人間が人間であることは無限です。

byちち

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09月25日(金)

起床時刻:01時42分

+1850 -13475

【日と米の医療価値観の違い】

日本の医療機関は一般的に治療費が安いので患者との接触回数を増やす。
検査結果は当日分かるより、再来院させる仕組みの方が好まれる。
病院にとって検査は利幅を乗せやすい大きな収入源。

医療費が高い米では治療時間は経済的負担に直結する。
負担が厳しい反面、医療システムが治療期間短縮のために最適化される。
支払いを極小化したい保険会社は、病院間のコストを比較。
速く安い治療は良いという簡潔な経済原理が徹底される。

by雄一郎

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09月24日(木)

起床時刻:02時53分

-2533 -15930

    「驚異の実績を持つ済陽式食事療法」

     済陽高穂(西台クリニック院長)

末期がんや晩期がんと呼ばれる、手術や放射線治療ができない状態の患者に、
食事療法でどれくらいの効果が出ているのかを示すデータがある。

これまで外来を含めて症状の重い患者さんは1,000名近くいらしているが、
平均5年にわたる観察を続けて取れたデータは412名分のものになります。

データを取れなかった方というのは?
食事療法を指導しても、言うことを全然守ろうとしない方たちがほとんどです。

412名の中には胃がんや大腸がん症例は様々ですが、そのうち食事療法によって
がん細胞が完全に消えるか、もしくはかなり症状が改善される方が252名いて、
これが全体の60・2パーセントにあたります。

末期の患者さんのみが対象でその数字というのは、素晴らしいことです。

残念ながら亡くなられた方も412名のうち3割ほどおられるのですが、
その理由は大きく分けると3つある。

①つは既に治療段階で抗がん剤が使われすぎて、食事療法をいくら頑張っても
 骨髄機能が回復せず、リンパ球が増えないケースです。
 こうなると免疫力が低下したままなので回復はとても難しい。

②食事療法を続けている途中でもう治ったと患者さんが勝手に判断して、
 肉食や飲酒を始めてしまうというのもある。

③大腸がんなどがひどくなって腸閉塞を起こしてしまうケース。
 これも栄養素が腸から吸収されなくなるので食事療法が効きません。

ですからこうやって細かく原因を見ていくと、亡くなった患者さんの中には、
もう少し早くこちらに来られれば助けられたかもしれない方が半分以上は
いたということになると思うんですね。

済陽式食事療法というのは、体が本来持ち合わせている免疫力や代謝機能を取り
戻し、さらにそれを高めることでがんの治療効果を上げようとするものです。

ですからがん治療にはもちろんのこと、がんを含めた病気を未然に防ぐ上でも
有効なのではないかと考えています。


   
     「済陽式食事療法の八大原則」

1塩分を制限する(一日5グラム以内)。

2動物性たんぱく質・脂質を制限する(四足歩行動物の肉類は週に一回程度)。

3新鮮な野菜と果物を大量に摂取する(一日200~500ミリリットルのジュース
 と野菜350グラム~500グラム)。

4胚芽を含む穀物、豆類、いも類を摂取する(週に一~二回は玄米)。

5乳酸菌、海藻類、きのこ類を摂る(ヨーグルトは一日300グラム)。

6レモン、はちみつ、ビール酵母を摂る。

7油はオリーブ油またはごま油にする。

8自然水の摂取。


もっとも、この指標はあくまで病気を未然に防ぐためのもので、
例えば末期の患者さんに対しては絶対に禁酒と、より厳しく指導しています。

済陽式食事療法の最も重要な柱となっているのが、この野菜と果物の大量摂取。
低農薬、無農薬であればなおのこといいです。

何が大事かというと、【カリウム】の補給です。

これはゲルソン療法に出てくるのですが、カリウムというのは、細胞の代謝や
細胞の維持に非常に大事な役割を果たしている。

そのカリウムを摂取するのに一番いいのが新鮮な野菜や果物(イチジク等)
だということが分かっているんです。

お米の胚芽の部分に含まれている【ビタミンB】がとても大事で、
これが不足するとがんが発生しやすくなるんです。

いまは精米技術が発達しすぎているから、白米には体に必要な成分が
ほとんど含まれていないんです。

byちち

川島なお美「失楽園」享年54

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09月23日(水)

起床時刻:03時53分

IGC


      あなたの運命をひらく
  
     「森信三先生 珠玉の名言」

    2015.09.23は森信三120回目の誕生日

【多少能力は劣っていても、真剣な人間の方が最後の勝利者となる】

幸せというのは、単に自分の欲望が充満されることじゃない。

幸福獲得の三大秘訣は

第一に、自分のなすべき勤めに対して、全力を挙げて、取り組むこと。
第二に、常に積極的に物事を工夫してそれを見事に仕上げること。
第三に、人に対して親切にし、人のために尽くすこと。

われわれの人生は一回限りのもので、絶対に繰り返しのきかないもの。
それだけにわれわれはそれぞれが人生の決勝点に達するまでは
「一日一日を真に充実して生きねばならぬ」と思う。

人間は、進歩か退歩の何(いず)れかであって、その中間はない。
現状維持と思うのは、じつは退歩している証拠である

読書というのは、いわばその人がこれまで経験してきた人生体験の内容と、
その意味を照らし出し統一する「光」といってもよい。
せっかく、深刻な人生体験をした人でも、平生読書をしない人の場合には、
その人生体験の意味を十分に噛み締めることができない

一日は一生の縮図。

それを悟って粛然たる思いがするとき、初めて人は人生の真実の一端に触れる

byちち

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09月22日(火)

起床時刻:05時53分

ザ・パークハウス西新宿タワー60


      「経営は自分との闘い」

      松 秀二郎(JPNMART INC社長)


いま振り返ってみると、これまでの人生はまさに
波瀾万丈の道だったと言えるでしょう。

私は1937年、男五人兄弟の次男として生まれました。

父は大阪の船場で食品卸業の
マルカイコーポレーションを経営しており、
海外在住の日本人に食品を輸出する
会社とも取り引きがあったため、
早くから海外に目を向けていたようです。


戦後間もなくアメリカに市場視察に出掛けて以来、
いつも私に言っていたのは、

「大学を卒業したらアメリカに行ってビジネスをしてこい」

ということでした。


兄弟全員が家業を継ぎ、長男が日本で、
あとの4人はアメリカ各地で商売をする。

それが父の願いでした。

当初私は会計士になることを志していたのですが、
プールや芝庭、自家用車に囲まれた生活に魅せられ、
アメリカンドリームを追い求めるようになったのです。

1960年、23歳での単身渡米でした。


ハワイで食品卸業を営んでいた
父の知人のもとに研修生として迎えられ、
一年半の間、アメリカでのビジネスや
マーケット流通のいろはを学ぶことができました。


ハワイ州に駐在事務所を開設し、
たった一人でビジネスをスタート。


その後、日本から弟たちを呼び寄せ、
1965年、28歳で食品雑貨の輸入問屋である
マルカイコーポレーションUSAを創業しました。

そこで思い知ったのは、アメリカは個人主義、
利己主義の国であるということです。


日本のビジネスでは、直接的な表現を避け、
相手の心中を察する文化がありますが、
アメリカ社会でそれは通用しません。


確固たる自分の考えを持ち、
それを相手にはっきり伝える。

さもないと、相手が一方的に
儲かる契約へと引きずり込まれてしまう。

当時は英語もできなかった上に、
そういう事情も理解していなかったため、
騙されたり損をしたことは何度もありました。

それでも挫けることなく、父の教えに従い、
アメリカの厳しい競争社会を勝ち抜くべく、
努力を重ねていきました。


1970年代に入ると、多くの日本企業がアメリカに進出。

駐在員や日本食レストランの増加に伴い、
事業は右肩上がりに伸びていきました。

ニューヨークをはじめ、ロサンゼルス、
サンフランシスコと次々に支店を開設し、
暖簾分けの夢を叶えていったのです。


ところが、ニクソンショックによってドルが暴落し、
輸入のコストは膨れ上がり、利益が出ない。

加えて、韓国や台湾から安価なコピー商品が流入する。

瞬く間に市場を席巻されてしまいました。


ここから雪崩の如く経営は悪化の一途を辿ります。
給与体系に文句を漏らす人、
見切りをつけて辞めていく人が続出し、
中には会社の車やクレジットカードを
持ち逃げしていく人も出る始末。

さらに追い打ちをかけるように、
サンフランシスコにいた三番目の弟はアルコール中毒に罹り、
ニューヨークにいた五番目の弟は
ノイローゼになってしまったのです。

私は彼らに

「こういう悪い状態の時こそ
 頑張らないといけないのに、何をしてるんだ」

と叱りとばすことしかできませんでした。

兄弟の信頼関係は完全に失われ、
ただ非難し合うだけの関係に成り下がってしまったのです。


自分は一体何をしているんだろう……。


会社から車で帰宅する時、
悔しさのあまり真っ直ぐ帰る気になれず、
涙を流しながら真夜中のフリーウェイを
何時間も走り続けたことを、いまでも鮮明に記憶しています。

結局、ハワイを除くすべての支店を閉鎖し、
ロサンゼルスで七店舗を展開し人気のあった
小売店も売却を余儀なくされました。

何もかも失った時、ふと気づいたのです。

これまで自分は目先の利益だけを追い求め、
社員や兄弟を結びつける哲学を
持っていなかったから失敗した。

これからはお客様及び全社員のために徹底的に尽くそう、と。

byちち

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09月21日(月)

起床時刻:04時53分

グランディ那須白河GC

 
    「『小学』に学ぶ人づくりの要諦」

 荒井 桂(郷学研修所安岡正篤記念館副理事長兼所長)


安岡正篤先生はこの『小学』について、

「幾度読んでも、幾歳になって読んでも、感激の新たなるものがあります」

という述懐を繰り返しておられます。


そして『小学』にまつわる逸話として、『人物を創る─人間学講話─
「大学」「小学」』に、ご自身の好きな大家の一人である
明代の碩学・章楓山(しょうふうざん)のことを紹介されています。

ある時、この章楓山のもとに科挙の試験に通って間もない進士が訪ねてきて、
これからいかなる勉強をすべきか助言を求めました。

これに対して章楓山は
「何と言っても『小学』をやることです」と答えました。

言われた進士は内心はなはだ面白くない。

科挙に通った自分にいまさら『小学』をやれとは、
ばかにするにも程があるというわけです。

ところが家に帰って何気なく『小学』を手にしてみると、一言一句実に心に響く。
思わず引き込まれ、本気で勉強をして再び章楓山に会うと、「だいぶ『小学』を
勉強しましたね」という。

なぜ分かるのかと驚くと、

「あなたの挙措(きょそ)、動作にそれが自ずと現れています」

と答えたという逸話です。

『小学』がいかに価値のあるテキストであるかを示すエピソードといえます。

『小学』は日本でも多くの人から高く評価され、武士道の理論的大成者とも
言える山鹿素行もその一人でした。

しかし素行は、風俗も時代も異なる外国の古典をそのまま学ぶのは無理がある。

日本の『小学』が必要であると考え、武士はいかに生きるべきかという教えに
昇華しました。

その素行の教えを弟子たちがまとめたのが『武教小学』でした。

素行を深く尊敬していた幕末のリーダー吉田松陰は、
この『武教小学』を繰り返し読んだと言われています。

自宅へ蟄居(ちっきょ)を命じられてからは、一族郎党を集めてこの『武教小学』
を講じ、それを記録したのが『武教全書講録』です。

このように、『小学』は日本を牽引(けんいん)するリーダーにとっても必読
の書であり、彼らに大きな薫陶(くんとう)を与えていたのです。

byちち

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09月20日

起床時刻:04時53分

白河CC ロッジ泊

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09月19日

起床時刻:04時00分

IGC 安保関連法成立、集団的自衛権行使可能

    「江戸の庶民に学ぶ日本人の生き方」

     月尾嘉男(東京大学名誉教授)
           &
        渡辺京二(評論家)

日本人が失った美質の例として、
渡辺先生は自立ということを挙げられました。

江戸時代の人たちは自分たちのことは
自分たちでやるのが誇りだったというお話でした。

その意味でいえば、現在の政府は国民を過保護にしているように思います。
国民も何かにつけて補助金を求めようとする。

これを拒否するだけの気概を日本人自体が持たないと、
限りなく堕落してしまうと心配しています。


江戸時代には当然、ダークサイドなしんどい面はあるんです。

一つの家屋に三世代、四世代が同居していたら、
これはやっていくのが大変ですよ。

そこに人々の知恵や気配りがきちんと働いていたから、
うまく機能していったし、自立した社会であり得たわけです。

これを個人主義的な教育しか
受けていない連中ばかりだったらもう悲劇です。
それこそ殺人事件に発展しかねない。

もちろん、日本が近代化する段階で
自由を手にしたことは大いに評価すべきでしょうが、
一方で個人主義が蔓延ってしまって、
かつて美徳とされていた家族や社会との
繋がりという意味ではバラバラの状態です。

月尾先生がおっしゃるように、ろくに働きもしないで貰うものだけ
貰おうという人も増えてきた。

その点、江戸の人たちは労働に対しても自主性を持っていました。

これは動物学者のモースが感心していることですが、
彼らは辛い労働をしながら皆で楽しそうに歌を歌っている、と。

土を固めたり材木を運んだりという労働をただ耐えるのではなく、
それを遊びと同じと捉えるところに自主性を確保しているわけです。

僕が社会の雰囲気という意味で江戸時代が何よりもいいと思うのは、
お互いにわだかまりがない、他人を警戒しないことです。

他人とすぐに打ち解けて信用する。
わだかまりのなさが、いまの日本に根づくといいと思うんですけどね。

でも、それは何気ないことなわけでしょう?
デパートに入ろうとして後ろにお婆ちゃんがいたら、
ドアを閉めずに待ってあげるというように、
一人ひとりの些細な心掛けでできることです。

かつての日本社会には、そういう相互扶助の精神が根づいていたから、
自分たちの地域は自分たちで維持するという意識も強かったと思います。

byちち

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09月18日(金)

起床時刻:02時00分

-2470 -12400

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09月17日(木)

起床時刻:02時55分

09月16日(水)

起床時刻:03時00分

+1250 -12600

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09月15日(火)

起床時刻:02時44分

-614 -13850
 
   「いま求められるリーダーの資質」


      堺屋太一(作家、経済評論家)
            &
      渡部昇一(上智大学名誉教授)

【渡部】
私はちょっと別の面から言いますとね、
戦後の教育で重んじられたのは、
頭のよさ、知ですよ。
それから優しい心、ハートね。

本当にこの頃の子供は優しくなりました。

ところが大事なものが抜けていたと思うんです。

それはガッツなんですよ。

私はね、リーダーというのはガッツだと思うんです。

頭がそれほどよくなくても、
それを補ってくれる頭のいい参謀なんかいっぱいいますよ。

それから少々強引なことをしても、
周りをフォローしてくれる補佐役もいっぱいいます。

ただ、ガッツだけは代わりがない。
ガッツだけはどんな優秀な補佐役も、参謀も補えません。

ですから、教育も子供たちのガッツを
養うことを考えるべきだと私は思うんです。

明治維新で活躍した人は皆、
江戸時代に育っていますから、ガッツがある。

いつでも腹を切る覚悟ができていますからね。

そのガッツが知恵になっているんですな、結局は。

残念ながら、いまの日本のリーダーはガッツがないですね。

例えば福島の原発事故の時の
東京電力の社長は何ですか、あれは。

ガッツがないから表に出てこられなくて、
入院したかなんだかで辞めちゃったでしょう。

きっと頭はいいんでしょう。
ハートもいいに決まっています。
みんなに好かれて出世したんだから。

だけどガッツがないから、
いざ事が起こるとすぐへたってしまう。

【堺屋】
私はセビリア万国博覧会の時に、
安土城の天守閣を再現しました。

その真ん中に座って、
織田信長がどんな心境で政治をやっていたか、
考えてみたんです。

周りは全部金箔で、
八角形の壁に描かれた釈迦十大弟子が自分を見ている。

普通は仏さんに対して人間が祈るんですが、
信長は仏さんに自分を祈らせた。

信長がいかなる自信を持って政治をやっていたか。

全責任は俺にあるという覚悟が、
ひしひしと伝わってきましたね。

日本の先人の中でも信長の
リーダーシップが際立っていたのは、
まさに栄えるも滅ぶも全責任は
俺にあるという覚悟を持って行動していたからです。

そして最後に本能寺で明智光秀に襲撃された時には
「是非もなし」と潔く覚悟を決めた。

そういうガッツのあるリーダーに登場してほしいですね。

byちち

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09月14日(月)

起床時刻:02時45分



    「驚異の実績を持つ済陽式食事療法」

     済陽高穂(西台クリニック院長)

末期がんや晩期がんと呼ばれる、手術や放射線治療ができない状態の患者に、
食事療法でどれくらいの効果が出ているのかを示すデータがある。

これまで外来などを含めて症状の重い患者さんは1,000名近くいらしているのですが、
平均5年にわたる観察を続けて取れたデータは412名分のものになります。

データを取れなかった方というのは?
食事療法を指導しても、言うことを全然守ろうとしない方たちがほとんどです。

412名の中には胃がんや大腸がんと症例は様々ですが、そのうち食事療法によって
がん細胞が完全に消えるか、もしくはかなり症状が改善される方が252名いて、
これが全体の60・2パーセントにあたります。

末期の患者さんのみが対象でその数字というのは、素晴らしいことです。

残念ながら亡くなられた方も412名のうち3割ほどおられるのですが、
その理由は大きく分けると3つある。

①つは既に治療段階で抗がん剤が使われすぎていて、食事療法をいくら頑張っても
骨髄機能が回復せず、リンパ球が増えないケースですね。
こうなると免疫力が低下したままなので回復はとても難しい。

②それから食事療法を続けている途中でもう治ったと患者さんが勝手に判断して、
肉食や飲酒を始めてしまうというのもあります。

③大腸がんなどがひどくなって腸閉塞を起こしてしまうケース。
これも栄養素が腸から吸収されなくなるので食事療法が効きません。

ですからこうやって細かく原因を見ていくと、亡くなった患者さんの中には、
もう少し早くこちらに来られれば助けられたかもしれない方が半分以上はいた
ということになると思うんですね。

済陽式食事療法というのは、体が本来持ち合わせている免疫力や代謝機能を取り戻し、
さらにそれを高めることでがんの治療効果を上げようとするものです。

ですからがん治療にはもちろんのこと、がんを含めた病気を未然に防ぐ上でも
有効なのではないかと考えているんです。

byちち

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09月13日

起床時刻:02時21分

  
   「鎌倉女子大学創設者の挑戦」

     松本紀子(鎌倉女子大学学園主)

主人の父・松本生太(せいた)は、もともとは弁護士だったが、これから母親に
なる女性の教育が一番大事だと、学校新設の申請を文部省に提出する。

ところがその時期というのが昭和18年です。

普通だったら躊躇すると思うのですが、思い立ったらもう止まらないんです。

役所の方もびっくりされて、周囲も反対だったようです。

でもここが生太のすごいところで、横浜市内にいまの学園の母体となる
京浜女子家政理学専門学校をつくってしまったんです。

やると決めたことをやりとおす精神力もさることながら、
一本筋が通っていて、生太は当時からこう言っていました。


「一年を思う者は花を植える、
 十年を思う者は木を植える、
 百年を思う者は人を育てる」と。


ところがせっかく建てた校舎も、終戦の年の空襲ですっかり焼失してしまったの
ですが、少しもめげないんです。

一刻も早く教育を続けられる場所をと探し回って見つけたのが、鎌倉市内の
岩瀬という土地でした。

そこには海軍の燃料廠があって、粗末ながらもバラックが残っていたので、
ここならすぐに学校を再開できると生太も思ったのでしょう。
 
軍需省や文部省に毎日のように通って入居の許可を取りつけたのが昭和21年1月
16日で、私立学校では一番早く授業再開したようです。

byちち

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09月12日

起床時刻:03時31分

 
    「一流と二流を分ける分岐点」

       野村克也(野球評論家)

阪神に新庄という選手がいます。
足が速い。肩が強い。運動神経が鋭い。だれが見ても抜群の素質ですよ。
事実、阪神の歴代監督はみんなその素質に惚れて期待した。

だが、期待され続けて、すでに9年です。

守備は素晴らしいが、打撃は一向に芽が出ない。すごい脚力を持っているのに、
昨シーズンの盗塁数はわずか1です。
最近は、自分はこんなもんだといった発言をするようになっている。
現状への妥協、満足、限定、これは二流のラインにとどまらせる根源です。

私はね、新庄と共通するものをヤクルトの池山にも感じるんです。

そこに共通するものは鈍感です。

何も考えない。鈍感は二流の思想とイコールです。
二流の思想では決して一流にはなれません。
野球は実に失敗の多いスポーツなのです。
三割打者が一流の目安とはいっても、残りの七割は失敗しているわけです。

パーフェクトの十割に理想を求めたら、失敗だらけです。
恥かしくて顔を上げられない。
その羞恥心の感覚は人間を謙虚にせずにはおかない。

謙虚であれば、人間、いろいろなものに気づくものです。鈍感ではいられません。
謙虚さこそが人間を一流に導く根源だと思います。

ところが人間というのはしょうがないもので、三割近く打ったからといって、
すぐに思い上がる。

だいたい自分の限界を自覚するというのは、大変厄介なものなのです。

毎日精いっぱいやっている、体も頭も精いっぱいやっているという自覚がなければ、
限界を引くことはできない。

それを安易なところで自分はこんなものだなどというのは、不遜と言うべきです。

byちち

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09月11日(金)

起床時刻:02時48分

+670 -11300
日経 18,264

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09月10日(木)

起床時刻:00時00分

-2800 -12000
日経▲470 18,300

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09月09日(水)

起床時刻:02時30分

+7200 -9200
日経 +1343 18,770
目に物貰い ったく

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09月08日(火)

起床時刻:03時25分

-2400 -16500
日経 17,415 2月来安値
脱皮開始

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09月07日(月)

起床時刻:02時32分

09月06日

起床時刻:04時43分


     「失敗なくして成功はない」

   飯守泰次郎(世界的に活躍する指揮者)

オペラ公演はオーケストラの生演奏に合わせて劇を上演するわけだが、
まだ駆け出しの頃、アシスタントとしての小さな失敗例を紹介しよう。

舞台照明にキュー出しする役割を任されていた時、あるオペラの幕切
れのクライマックスで、最後の「ダカダン!」という音と同時に暗転
するシーンがあった。

ところが、私のキュー出しが早過ぎたために舞台は真っ暗になり、
オーケストラの譜面灯も消え、演奏がバラバラになってしまった。
せっかくのクライマックスが台なしになってしまったのである。

そういう失敗は他にもたくさんある。

私自身の過去を振り返ってみると、二十代の十年間で自慢できるような
話は多くはないが、一つだけ言えるとしたら、私ほど失敗や困難の多か
った指揮者は他にいないと思うし、そのおかげでいまの自分があるとい
うことである。失敗は次の発展に繋がっていくものなのだ。

もし私が、自分の立場や名誉のために指揮者をやっていたら挫折して
いただろう。だが、私は心底から音楽が好きだった。

音楽に対する愛情が根底にあったから、壁にぶつかっても前に進むことが
できたのだと思う。

ゆえに、いまの二十代の人たちに伝えたいのは、周りの意見や常識に振り
回されないで、何が自分にとって大事なのか、自分は何をすべきか、
自分の内面と真正面から向き合って考えてほしいということである。

自分の信念を定めるには、ある程度時間が掛かるものだ。

だからこそ、恐れずに勇気をもって行動してほしい。
失敗なくして成長はないし、絶対に失敗しないように気を遣ってばかり
いれば、スケールの大きなことは成し得ない。

何か新しいことに挑戦する若い人たちに対して、普通は「成功を祈ります」
と言うだろう。しかし、私はあえてこういう言葉を贈っている。

「失敗を祈ります」と。

byちち

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09月05日

起床時刻:05時43分


    「知られざる福澤諭吉の逸話」

    中村勝範(慶應義塾大学名誉教授)

一つ目は福澤の父・百助(ひゃくすけ)にまつわる話です。

江戸時代の日本には、一文銭の穴に紐を通して
96枚を輪っかにしておけば、100文として使用できる習慣がありました。

ある時、百助はその中から数枚を抜き、うっかり妻の於順(おじゅん)に
伝えないまま外出したことがありました。

帰宅すると一文銭の輪っかがありません。

於順から魚屋に代金として渡したと聞いた百助は、人足を雇ってまで一日がかりで
魚屋を探し出し、丁重に詫びを述べた上で不足していた代金を払い、人足にも一日
の手当てを支払ったというのです。

その古銭が父の形見として家に残っていることを母から聞き、いたく感動した福澤は、
この古銭を終生大事にするとともに、子供たちには
「我が父は正直で一途な人だった。
 これを家宝として子々孫々まで伝えていってほしい」
と言い残したといいます。

福澤の几帳面な人柄がそこには見て取れます。


二つ目は咸臨丸と木村摂津守(せっつのかみ)にまつわる逸話です。

下級武士の福澤は木村の配慮なくして咸臨丸に乗れなかったことは先に述べました。
その木村は渡航にあたって莫大な借金をしていました。

幕府がアメリカの要人との交際費を出さなかったため、木村自ら借金して用立てたのです。

交際費はすべて使い果たし、帰国後、すこぶる生活に困窮するようになりました。

福澤はそういう木村を見かねて米俵二俵と金10円を毎月欠かすことなく送り続けました。

そしてそれは明治34(1901)年に木村が死んだ後も続き、子供たちの生活や学費の面倒を
見るのです。


「木村摂津守がいたからこそ、自分は二度もアメリカに渡ることができ、
 遣欧使節団の一員にもなれた。『西洋事情』も書くことができた。
 木村摂津守がいなかったら今日の福澤はない」


福澤は、受けた恩を決して忘れず、その恩にどこまでも報いていこうとする人でした。

師である緒方洪庵に対しても同じでした。
師亡き後、いつまでも家族の生活を援助し続けています。

福澤は科学的、合理的な考えの持ち主で、それが日本が近代化する上での
牽引力となったことは事実です。

しかし、福澤の生き方は極めて古武士的、儒教的でした。

福澤という人物を知れば知るほど、そのスケールの大きさに驚きを禁じ得ません。

byちち

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09月04日(金)

起床時刻:02時28分

-2600 -13900

日経 -580 17600

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09月03日(木)

起床時刻:03時16分

09月02日(水)

起床時刻:02時58分

09月01日(火)

起床時刻:00時00分

-1500 -9700

掌蹠膿疱症(しょうせきのうほうしょう)
免疫疾患 自分で身体を攻撃する 
勘違いは いけない

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