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起床時刻推移グラフ

目標起床時刻:04:30 平均起床時刻:03:45

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05月31日(火)

起床時刻:04時36分

05月30日(月)

起床時刻:03時36分

05月29日

起床時刻:03時36分


★ビジネスマンよ、腹中に書を持て★

青木 擴憲
(AOKIホールディングス会長)

私の父親は長野で米穀商をやっていた。ところが、戦争中は米が統制に
なって商いができなくなり、戦後、親戚からお金を借りて質屋をスタート

ですが、もともと気のいい人間でしたから、かわいそうな人がやってくると、
損得抜きにお金を貸してしまう。

そんなことを繰り返しているうちに見事に倒産して、私が高校二年の時
でしたが、家財道具を差し押さえられてしまいました。

幸い親戚が借金をして家だけは買い戻してくれたのですが、その借金は
私がいずれ就職した時に働いて返すことになっていました。

それで高校卒業と同時に、行商で質流れの商品を売り歩くようになりました。

自宅の質流れ品には限界があり、しばらくして古物商の競りの市場で
商品を調達するようになりました。

市場で手に入る商品には着物や帯、時計、アクセサリー、宝石などが
ありましたが、私が理解できるのはせいぜい自分が着ることのできる
スーツやコートくらいでしたから、それに絞って販売していきました。
 
その頃は文字どおりの自転車操業で、仕入れたものを信用金庫の小切手が
回ってくる三日間で必死に売り捌く、ということの繰り返しでした。

そのうちに回転する額が少しずつ増え始め、二十七歳の時に初めて
長野市の篠ノ井駅前に十二坪の店を構えました。
 
ですが、お店の開店当初は来てくださっていたお客様もしばらくすると
だんだん減って、これでいよいよ終わりかなという時に、思い切って
新たに二店舗を出したのですが、どちらも上手くはいきませんでした。

byちち

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05月28日

起床時刻:03時36分

05月27日(金)

起床時刻:02時55分

05月26日(木)

起床時刻:04時55分

05月25日(水)

起床時刻:04時13分

05月24日(火)

起床時刻:03時51分

05月23日(月)

起床時刻:04時29分

05月22日

起床時刻:04時29分

05月21日

起床時刻:04時29分

05月20日(金)

起床時刻:02時28分

05月19日(木)

起床時刻:03時00分

05月18日(水)

起床時刻:04時03分

05月17日(火)

起床時刻:05時03分

05月16日(月)

起床時刻:00時00分

脳外科の名医「デルク」が逝ってしまった
想いがめぐって朝まで・・・

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05月15日

起床時刻:04時07分

★ 人間の意識が変わる瞬間が訪れる ★

鈴木 秀子(国際コミュニオン学会名誉会長)

あるアメリカの知人から、なるほどと思う話を耳にしました。

2018年をきっかけとして人間の意識が大きく変わっていくというのです。
 
私たちは物事を捉えるのに、これまで

「善・悪」「自分・他人」「過去・未来」

といった二元論で見てきました。

自他の分離が

「あの人のせいで 私は不幸になった」

「私は正しいのに、あの人が間違っている」

「過去にあんなことがあったから、私の未来は不安に満ちている」

という発想を生み、それが私たちの大きな苦しみを生んできました。

ところが、2018年からはこの二元論を超えた世界が展開されていくといいます。

byちち

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05月14日

起床時刻:04時16分


        二人の偉人に学ぶビジネスと人生の成功法則

          『渋沢栄一とフランクリン』

世の中には、たった一人の人間をしてこれだけのことが成し得るのかと、
驚嘆させられてしまう人物が存在します。

その一人が渋沢栄一であり、もう一人がベンジャミン・フランクリンで、
かねてより二人の残した業績に対し、深い敬意を抱いてきました。

渋沢栄一は、その生涯に約五百もの企業の育成に携わるとともに、
約六百もの社会公共活動や民間外交に力を尽くしたといわれています。

第一国立銀行(現みずほ銀行)
東京証券取引所設立
東京瓦斯、東京海上火災保険
王子製紙(現王子製紙・日本製紙)
秩父セメント(現太平洋セメント)
帝国ホテル、京阪電気鉄道
キリンビール、サッポロビール
東洋紡績、日本製糖……などなどその功績は枚挙に遑がありません。

一方、ベンジャミン・フランクリンは、政治家、外交官、著述家、気象学者、
科学者、発明家など、多種多様な顔を持ち、しかもそれぞれの世界において
顕著な業績を残すという超人的な仕事ぶりを発揮しています。

アメリカでは、フランクリンの肖像画は紙幣に用いられ、小学校の教科書にも
自伝が掲載されるなど、その人物像はアメリカ人における生き方のモデルとして
今日も人々の尊敬の的となっています。

フランクリンに比肩し得るほどの業績を残した渋沢栄一は、紙幣に用いられず、
教科書にも大きく取り上げられておらず、その偉業と生き方が国民に浸透して
いるとは言えない状態です。

彼は他の明治期の実業家たちと異なり、財閥をつくらなかったことも
その大きな要因になっているのでしょう。

渋沢栄一の肖像画が紙幣に刷られる日が来ることを、私は密かに夢見ています。

渋沢とフランクリンという二人の偉人を並べこれだけの圧倒的な仕事量をこなし
かつ圧倒的な成果を挙げてきた二人を突き動かしてきた原動力は果たして
なんだったのでしょう。

その超人的なバイタリティは一体何に起因するものだったのでしょう。

現代は何かと忙しく、ストレスフルな社会であるといわれますが、この二人は
疲れ知らずで、直面する数々の難題にむしろ嬉々として対峙していたように
思えます。

その、ある意味で突き抜けた明るさは、一体どこから来るものなのでしょう。

生まれた国、生きた時代も異なる二人の軌跡を辿ってみることで、ビジネスにも
人生にも共通する、普遍の成功哲学を感じ取っることが出来ると思います。

byちち

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05月13日(金)

起床時刻:04時01分


             ★ ルイス・フロイスの『日本史』 ★

                川崎 桃太(言語学者)

織田信長や豊臣秀吉など戦国武将たちの人物像や当時の世相をポルトガル人
宣教師「ルイス・フロイス」は『日本史』に克明に描いた

長いこと海外に眠っていた「ルイス・フロイス」の『日本史』と 運命的な
出合いをしたのは言語学者・川崎桃太さんです


川崎桃太さんは2015年 100歳にして『フロイスとの旅を終えて今想うこと』
という本を出版してます

この本は2年がかりでようやく書き上げました

ポルトガル人宣教師ルイス・フロイスとの出会いは その著書『日本史』を
目にした五十九歳の時で それから既に40年以上が経ちます
 
これは16世紀の日本 つまり戦国時代にイエズス会から派遣された宣教師
フロイスが 布教の途上で出会った人物や出来事などを記録したもので
資料的にとても価値があります

なぜなら歴史というのは 往々にして勝者によって記録が残されるので
例えば伝記が書かれるにしても自分の不名誉になることや一族が不利になる
ようなことは絶対に書きません

ですからどうしても歴史の歪曲がなされてしまう

そこにくるとフロイスは文才に恵まれ なおかつその鋭い観察眼で客観的に
戦国時代の日本を書き残しているんです

つまり先入観のない外国人が見たままのことを克明に記録してくれているので
信憑性の非常に高い証言録だといってもよいでしょう
 
本当によくここまで詳しく書いたなと感心するくらいの内容で 織田信長や
豊臣秀吉をはじめ当時の武将たちの人物像や当時の世相が描かれており
おそらく大概の歴史家はこの『日本史』を参考にしてきたでしょう

私がフロイスの『日本史』を見つけたのはポルトガルの首都リスボンにいた
時のことです

いま思い返しても本当に不思議な体験で 見えざる手に導かれるようにして
『日本史』に出合えたとしか思えないんです

byちち

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05月12日(木)

起床時刻:04時05分

05月11日(水)

起床時刻:06時22分

05月10日(火)

起床時刻:04時00分

05月09日(月)

起床時刻:03時30分

05月08日

起床時刻:03時30分

05月07日

起床時刻:03時30分

05月06日(金)

起床時刻:03時30分

05月05日(木)

起床時刻:03時30分

05月04日(水)

起床時刻:03時30分

05月03日(火)

起床時刻:03時30分

              ★ 渾身これ慈悲の人 ★

                石川 真理子(作家)

江戸無血開城を成功へと導き「渾身これ慈悲の人」と称された幕末の偉人・
勝海舟。晩年に薫陶を受けた徳富蘇峰(とくとみそほう)は、海舟を評して
こう書き記している。

「予(よ)の眼に映ずる先生は、実に渾身これ慈悲であった」

これは大変鋭い見方で、確かに海舟の根本には深い慈しみがありました。

なぜなら、海舟には人間のみならず鳥や虫のような小さな生き物をも殺す
ことのできない優しさがあったのです。

思うに人は繊細であればあるほど他人の痛みが分かってしまうことから、
生きていくのが辛くなります。

しかし、どんなに辛くても、人は生きていかなければなりません。
海舟はそういう自分を知っていたのでしょう。

「弱い自分を叩き直さなければ」との強い思いを持っていたのです。

13歳から20歳すぎまで、海舟は屈指の剣客として知られた島田虎之助
のもと、道場に寄宿して剣術修行に励みました。

それも掃除や炊事など日常の雑務をこなしながらです。

寒中でも師の指示に従い、日中の稽古が終わると夜稽古までした。

しかも、木剣による稽古は明け方まで続けられ、道場に戻るとすぐに
朝稽古を始めたという。

これだけの苛烈な稽古を毎日続けたのですから、同門生は誰もついて
いくことができなかったのも頷けます。

優しさというのはそこに強さが加わらなければ、本当の優しさには
なっていかないと思う。

そのために自らを追い込んで追い込んで強くなろうとする。

海舟は剣術の修行を通じて、それを実践し、徳富蘇峰をして海舟を
「渾身これ慈悲の人」と言わしめたのだ。

また……勝海舟はこう断言しています。
 
「人物になるかならないかは、ひっきょう自己の修養いかんだ」
 
byちち


★ 勝海舟の話 ★

石川 真理子(作家)

思うに人の一生は平坦ばかりではなく、山もあれば谷もありますが、
そのどれもが関だと言えるのかもしれません。

例えば人は成功すれば驕りが生じてきます。

この驕りという関もまた越えていかなければなりません。

考え方によっては逆境にある時よりも実は難しい関なのかもしれません。

では海舟はどうだったのでしょうか。

若い頃は生活に苦労した海舟でしたが、晩年お金に困らなくなってからも
一汁一菜に徹して、煎餅布団の上に座り、普段から粗末な服を着ていた。

ところが他の明治維新の元勲と言われた人物たちの多くが、豪邸を建てて
贅沢な食事を楽しんでいたのです。

そのことに対して、海舟は事あるごとに怒りを露わにしていたといいます。

幕末にあれだけ立派な人物たちの命が失われ、その血の上にいまがある。

そのことを君たちは忘れたのか、と。

その一方で、海舟は粗末な衣服を身にまとい、かつては海舟よりも身分の
上だった役人たちの家を訪れては、それとなく世間話をした上で、
毎回小銭をさっと置いていったといいます。

元幕臣も、明治の世になるとほとんどが食うや食わずの生活をしていたが、
海舟は徳川の世は終わろうとも彼らの立場を重んじた。

そこには驕りを微塵も感じさせない姿が見えてきます。

西南戦争を起こしたために、長らく逆賊とされていた西郷隆盛の名誉回復
のために政府を動かしたのも海舟でした。

byちち

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05月02日(月)

起床時刻:01時30分

05月01日

起床時刻:04時29分

★ 渾身これ慈悲の人 ★

木下 唯志(木下サーカス社長)

木下サーカスの歴史について簡単に申し上げると、今年創業114年
初代木下唯助は香川県丸亀市出身で、叔父の矢野岩太が経営していた
移動動物園の手伝いをしていた。

若い頃から様々な動物と一緒の生活を送っていたんです。

そのおかげか動物の調教がとてもうまく、興行師としての采配もなかなか
のもので、その才覚を買われて、岡山を基盤に劇場関係の興行を行っていた
木下家に、二十歳で養子に迎えられました。

ところが当時の木下家は、当主の木下藤十郎が演芸興行に
手を広げ過ぎたために経営は火の車。

それを見事に立て直したのが唯助でした。

最初はいくつか失敗もしたようですが、明治35年に軽業一座を組織して
遼東半島にある大連で旗揚げしたのが木下サーカスでした。

当時、大連はロシアの租借地ですから、相当勇気のいることだったと思う
のですが、サーカス好きのロシア人には随分と歓迎されたようですね。

とにかく唯助の芸への熱は目を見張るばかりで、空中ブランコを
取り入れたのも大陸巡業中のことでした。

それに自ら馬を調教して馬上剣舞を披露したり、冬の夜にアシカと一緒に
底冷えする床に寝ることでその習性を覚え、芸を教え込むなどしていた。

byちち

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