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起床時刻推移グラフ

目標起床時刻:04:30 平均起床時刻:03:59

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06月30日(木)

起床時刻:04時30分

06月29日(水)

起床時刻:03時28分

06月28日(火)

起床時刻:03時28分

06月27日(月)

起床時刻:02時25分


★ あなたの夢を叶える魔法の言葉 ★

黒岩 功(ル・クログループオーナーシェフ)

松下幸之助氏の言葉。「信念がなければ人生に花は咲かない」

一年間スイスでの就労を終え、本来であれば日本に帰らなければならなかったが
「三ツ星レストランで絶対に働きたい」
「このまま帰ったら二度と来れない。このチャンスを逃してなるものか」

と思い、無謀にも徒手空拳でフランスに渡ることを決意した。

フランスでの2年間の修業時代、とりわけ私を支えたナポレオン・ヒルの言葉は、

「諦める一歩先に必ず宝がある」と、もう一つは「信念の力」と題する詩です。

もしあなたが負けると考えるなら、あなたは負ける。

もしあなたがもうダメだと考えるなら、あなたはダメになる。

もしあなたが勝ちたいと思う心の片隅でムリだと考えるなら、あなたは勝ない。

もしあなたが失敗すると考えるなら、あなたは失敗する。

世の中を見てみろ、最後まで成功を願いつづけた人だけが成功してる。

すべては「人の心」が決める。

もしあなたが勝てると考えるなら、あなたは勝つ。

「向上したい」「自信をもちたい」と、もしあなたがそう願うなら、
あなたはそのとおりの人になる。

さあ、再出発だ。

強い人が勝つとは限らない。すばしこい人が勝つとも限らない。
「私はできる」そう考えている人が結局は勝つのだ!

フランス語は全く喋れない。

宿は何とか見つかったものの、働くところがない。

スイス時代の貯金も家賃にどんどん取られていく。

そんな中、私は手当たり次第に町中のフレンチレストランのドアを叩き、
「働きたいです、働きたいです」と片言のフランス語で頼み込みましたが、
3か月間悉く断られ続けました。

「このままだとお金が尽きる。もうダメかな……」

そう思うたびに、「諦める一歩先に必ず宝がある」

と言い聞かせ、押し潰されそうな自分を必死に鼓舞していったのです。

byちち

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06月26日

起床時刻:03時25分


★ 世の中に偶然はない ★

佐々木 茂喜
(オタフクホールディングス社長)

お好み焼きソースでトップシェアのオタフクソースに入社したのは、
大学卒業後の昭和57年です。

ところが、入社して2年目に、予て体調を崩していた父(当時会長)が他界。
さらに生来の自由人だった長男の兄も自分が会社を継ぐというふうでもなく、
事実上、次男の私が長男としての役回りを果たす必要に迫られた。

そして、12年間、地元の工場で勤務し、営業の経験が一切なかったにもかか
わらず、がんを告知された大阪支店長の後任として大阪に赴任した。

前任者の金本さんは非常に仕事ができる方で、工場次長だった私にたびたび
無理難題を吹っ掛けてきては激しくやり合った間柄でした。

その方が私を後任に選んでくださったのです。
 
しかし、その翌年、平成7年に直面したのが阪神・淡路大震災。
幸い大阪支店は何とか営業を続けることができ、私は非常時の現場を指揮し
ながら毎週末、避難所の公民館などに焼きそばを焼きに行きました。

そこには治療でやせ細った金本さんも御子息を連れて参加してくださいました。

その3か月後に金本さんはお亡くなりになりましたが、その生き様は
いまなお私の心に深く刻まれています。
 
また、私が大阪支店長になった際に工場を託したある若手社員のことも、
忘れることはできません。

彼は若い頃少々やんちゃをしており、家族と疎遠になっていましたが、
仕事熱心で人望も篤く、私の右腕でした。

しかし、私が東京支店長になった平成10年、肝臓がんを患い35歳の若さで
亡くなったのです。
 
生前、酒席で「どうしてそこまで働いてくれるのか」と尋ねると、彼は

「兄貴が僕のことを見てくれているからですよ」と言ってくれました。

そして、亡くなる間際、もう目も見えない状況でしたが、病室を訪れて
手を握ると、私だと分かってくれたのか、

「僕を工場に連れて帰ってください」と言い、それが最期の言葉となりました。
 
大事な人を次々亡くしたり、これからという時に大震災に直面したりと、
どうして自分にばかり辛いことが続くのだと嘆いたり、投げやりになりかけた
こともありました。

そのような中で、私が自然と心の支えにするようになったのが、
「世の中に偶然はない」という言葉です。

善いことも、苦しいことも、すべて何かしらの意味、メッセージを携え
必然的に起こってくる。と……

byちち

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06月25日

起床時刻:00時00分


                  ★ オレンジ色がいるのだ ★

                   大橋 鎮子(暮らしの手帖社長)


大橋鎮子さんは「とと姉ちゃん」のモデルで『暮しの手帖』を創刊した

昭和23年に創刊した『暮しの手帖』が、14号目の編集作業に入っていた
昭和26年のことでした。

木製家具と座布団を組み合わせて撮影することになりました。

座布団はオレンジ色にしたいというのが編集長の花森安治の希望です。

私は早速、銀座に行きました。

当時、洋服といえばほとんど自分の手縫いでしたから、銀座には生地屋さん
が多かった。

オレンジ色は、いまでもそうですが、印刷でその色を出すのには大変難しい
それで私は、オレンジ色の布を探しに歩き回りました。

デパートにも行きました。しかし、オレンジ色はありませんでした。

オレンジに近い色の生地を見つけ、社に戻りました。

すると、待っていたのは花森安治さんの怒鳴り声でした。

「なんだっ、この色は!ダメだ、もっと探しなさい」

花森さんの仕事に対する厳しさはたとえようがありませんでした。

私はまた社を飛び出しました。

六本木を探して歩き回り、神田にも足を伸ばし、横浜の元町まで行きましたが、
オレンジ色はありません。

「オレンジ色がいるのだ」

「僕が欲しいと思う色とは違う」

といいます。こうして一週間が過ぎました。

困り果てて、母に相談したところ染めるほかない、ということで、銀座の
えり円さんという染め物屋で、染めてもらうことにしました。

ああでもない、こうでもないと苦心を重ね、ようやく染めあがった
生地を花森さんのところに持っていって、やっとパスいたしました。

「うん、これだ、これだ」

その生地で座布団を作り、私はようやく肩の荷をおろしたものでした。

当時、日本ではほとんどカラー印刷はありませんでした。

もちろん、『暮しの手帖』は白黒の印刷でした。

考えてみたらそれまで色のことで、あんな大変な思いをすることは
なかったのです。

私は花森さんに聞きました。

「白黒写真なのに、どうしてこんなに色に厳しいのでしょうか」

返ってきた答えはこうでした。

「きみたちの色彩感覚を鍛えるためにやったことだ。色の感覚はそう簡単に
 身につくものではない。やがて、日本もカラー印刷の時代がくる。
 そのときになって、色に対する感覚が育っていなかったらどうする」

そのときなんにも知らない私は、恥をかき、心から花森さんに
感謝いたしました。

このことが私の出発点でした。


                       ★ 怖さの魅力 ★

                    大橋 鎮子(暮らしの手帖社長)

花森さんで真っ先に思い浮かぶのは、怖いということです。

これは私だけでなく、全社員の印象でしょう。

例えばこんなふうです。

花森さんがお茶が飲みたいといいます。

お茶をいれてあげます。

すると、突然怒りだすのです。

怒られたほうは、なぜなのかわかりません。

よく聞いてみると、

「ぬるいお茶を飲みたかったのに熱いお茶をいれるとはなにごとだ」

というわけです。

単に「お茶」というだけでは、熱いのか、ぬるいのかわかりません。

しかし、そんなことは構わずに、思いどおりにならないと猛然と怒りだします。

こちらは、なにを怒っているのかわからず、おろおろする。

それがいつものことでした。

そして、いったん怒りだすと、もう仕事はなさいません。

締め切りが迫っているのに、一週間も仕事を放り出されたこともありました。

といって、花森さん抜きに、仕事を進めることなど考えられません。

自分の目の届かないところが一か所でもあったら、承知する人ではないのです。

そんな花森さんをなだめすかし、仕事に向かわせるために意をくだく。

それが私の仕事でした。

仕事の進め方も、自分の意の向くまま、思いつくままです。

花森さんは、決して自分一人では仕事をなさいません。

社員が書いた原稿をチェックするときも、全員を集め、その前で、赤ペンを
入れていくのです。

いつ、どんなことで花森さんの怒りが爆発するか知れませんし、また、私たちに
役に立つ話が飛び出すかもわかりません。

その間、私たちは、花森さんの様子をじっと緊張して見守ります。

花森さんの仕事に対する情熱は掛け値なしでした。

「いい雑誌をつくろう」
「社員を鍛え、いい編集者に育てよう」

という気持ちは、純粋そのものでした。

例えば、社員が書いた原稿のチェックです。

花森さんは原稿が真っ赤になるまで赤ペンをいれます。

社員が書いた部分は、文末の「です」「ます」と句読点だけ、
というのもオーバーではありません。

それぐらいなら、花森さんが全部書き直せばいいのに、決してそうはしません。

たとえ句読点だけでもきちんと残し、「さあ、直した」といって
それを改めて清書させます。

そしてその原稿は、花森さんが書いたと同然の原稿なのに、
その社員の原稿として扱うのです。

仕事への情熱がこの上ない厳しさとなってほとばしり、みんなを怖がらせます。

その厳しい情熱には、みんなを一人前の編集者に育てようとする優しい愛情が
包含されているのです。

厳しさと優しさに裏打ちされた情熱。それが花森さんのなによりの魅力でした。

だからこそ、花森さんに怒鳴られ、肝が縮みあがるほど恐怖しながら、
だれもがついていく気になったのだと思います。

byちち

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06月24日(金)

起床時刻:03時23分

英国民投票で「EU離脱派」勝利が決まった
日経平均株価は8%近い歴史的な暴落 -1286円となった

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06月23日(木)

起床時刻:03時58分

06月22日(水)

起床時刻:04時35分

06月21日(火)

起床時刻:04時35分

06月20日(月)

起床時刻:04時18分

06月19日

起床時刻:04時18分

★ 「親父の小言」 ★

青田 暁知(大聖寺住職)


「火は粗末にするな」
「朝きげんよくしろ」
「神仏をよく拝ませ」
「人には腹を立てるな」
「人に馬鹿にされていよ」
「家業は精を出せ」
「年寄りをいたわれ」……

福島県浪江町、大聖寺の庫裡に掲げられた「親父の小言」の45の文章です。
これらの言葉が全国の土産物の壁掛けや温泉場の手拭いなどに書かれ、
売られているのを見た人は多いと思います。

数ある小言の中で一番好きなのは「人に馬鹿にされていよ」という一文。

いろいろな人たちから「怒ってはいけないという意味ですか」と聞かれますが、
それだけではありません。

解釈は人によってまちまちでしょうが、私なりに「我以外、皆我が師」
ということではないかと受け止めています。

嫌な人に出会った時、「嫌な人間だ」と煙たがるのではなく、その嫌な姿を見て
「自分はああはならないようにしよう」と自分の戒めとすることもその一つ。

知らないことは知らないと素直に教えを請うこともそうかもしれません。
とはいっても、実際行うとなるとなかなか難しいもの。

私もある程度、年をとったいまだからこそ、理不尽で道理にかなわない話で
あっても、人様の話に静かに耳を傾けられるようになったように思います。

それと「恩は遠くから隠せ」。

これは45の小言の中の目玉と言える言葉です。

世間に出回っている「親父の小言」は「恩を遠くから返せ」となっていますが、
オリジナルは「隠せ」、つまり人に何か施しをしても自慢するな、お返しを求め
るな、陰徳を積めという意味が込められています。

これも常に私の指針になってきました。

父が亡くなる3日前、私は父の枕元に呼ばれました。

「おまえは大人になったら偉くならなくてもいい。
 立派だと言われる人になるよう心掛けなさい」

これが私に対する最期の言葉、遺言になってしまいました。

byちち

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06月18日

起床時刻:03時18分

06月17日(金)

起床時刻:04時02分

06月16日(木)

起床時刻:05時02分

06月15日(水)

起床時刻:04時02分

06月14日(火)

起床時刻:04時30分

06月13日(月)

起床時刻:05時08分

06月12日

起床時刻:04時08分

★ 腹中に書を持て ★

田口 佳史(東洋思想研究者)

私は大学を出ると映画会社に入社し、そこでドキュメンタリー映画の監督を
やっていました。

昭和42年、ベトナム戦争の最中でしたが、戦争の映画を作りたいと思って
タイのバンコクに飛びました。

撮影は順調に進んでいて、その時、目の前に立派な二頭の水牛が現れたんです。

私は何としてもカメラに収めたいと思って近づいて撮影し、車に戻ろうとした
瞬間、後ろからいきなり襲われたんです。
 
鋭い角でボンと持ち上げられるように串刺しになり、内臓が飛び出す重傷を
負いました。

自分で飛び出した内臓を身体の中に入れて、バンコクの病院に運んでもらった
のですが、そのおかげで本当に奇跡的に一命を取り留めることができたんです。

ただ、しばらくは生死を彷徨っている状態で、きょう目を閉じて眠れば死んで
しまうのではないかという恐怖感に苛まれていましたね。

しばらくしたら、私の事故を伝え聞いた在留邦人の皆さんが梅干しや本など
いろいろと差し入れてくださって、そういうものの中に『論語』と『老子』
が入っていたんです。

『論語』はあまり印象に残らなかったのですが、『老子』を読むと、とても
心が落ち着くわけです。

いま思うと、そこで説かれている死生観が私の心に深く沁み入っていった
のでしょうね。

『老子』は人間は道という根源から生まれ出てきて、亡くなるとまたその道に
帰ると説いています。

道とは何かといえば、郷里の肝っ玉母さんのような存在なんです。
つまり、死とは決して恐怖の対象ではなく、母親の温かい懐に帰ることだと。

そう考えることで心が穏やかになり、病状も非常によくなってきました。

byちち

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06月11日

起床時刻:04時34分

06月10日(金)

起床時刻:03時52分

06月09日(木)

起床時刻:03時50分

06月08日(水)

起床時刻:04時10分

06月07日(火)

起床時刻:05時45分

06月06日(月)

起床時刻:01時17分

06月05日

起床時刻:05時00分

06月04日

起床時刻:05時00分

06月03日(金)

起床時刻:04時57分

06月02日(木)

起床時刻:04時00分

06月01日(水)

起床時刻:04時55分