201812 <<先月 | 翌月>>

起床時刻推移グラフ

目標起床時刻:04:30 平均起床時刻:02:51

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12月31日(月)

起床時刻:02時16分

12月30日

起床時刻:03時16分

石坂 山口 松崎 中村

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12月29日

起床時刻:03時16分

8会 辻嶋 岩村検事弁護士 白田(ハクタ)

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12月28日(金)

起床時刻:03時09分

12月27日(木)

起床時刻:03時19分

代々幡 15:00

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12月26日(水)

起床時刻:03時20分

6:24 86 青葉Hsp

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12月25日(火)

起床時刻:02時20分

12月24日(月)

起床時刻:01時20分

12月23日

起床時刻:01時20分


吉田松陰は、地元萩の野山獄に投獄されても、
そのまま大人しくしている人物ではありませんでした。

「自分がいま身を置いている状況を 最大限に改革する」

という信念のもと、環境改善の一環として
受刑者を相手に『孟子』の講義を始めた他、
積極的な釈放運動も行っていました。

富永有隣もまた、松陰の釈放運動によって
獄から出られた人物の一人でした。


実際に罪を犯した者に対する釈放運動は、それなりに藩の方でも考えたが、
しかし家族から願い出て入牢させた者はなかなか簡単にはいかなかった。

松陰の考え方が分かっても、家族の方が承知しない。

「冗談ではありません。あんな人間がもう一度家に 戻ってきたら、せっかく
納まった家の中の 空気がまたメチャメチャになります」

といって反対した。その一人に、富永有隣という武士がいた。

有隣は、周防吉敷郡の生まれだったが、家職は代々藩のお膳部役だった。
有隣は秀才で、13歳の時にはすでに藩主に『大学』を講義するまでの
学力を持っていた。

ところが性格が非常に狽介なので
まわりの人間に嫌われた。とくに家族に嫌われた。

「なぜおまえは自分だけが頭が良く、 優れた人間だと思っているのだ?
もう少しつつましやかに生きないと、みんなに嫌われて生きてはいけないぞ」

よくそう叱った。しかし有隣は、そんな家族の忠告にも耳を傾けなかった。
唯我独尊の態度をとりつづけた。
我慢できなくなった家族は、藩庁に頼んで有隣を野山獄にぶち込んでしまった。


松陰が最初に目をつけたのはこの有隣である。

なぜ松陰が目をつけたかといえば、入牢しても有隣はまわりの人間を
バカにして、差入れの金を全部酒に換えて一人で飲みまくっもうろうていた。
そして、朦朧とした酔眼で周囲をみまわしながら、

「おまえたちはバカだ」とうそぶいていた。

松陰は、「まず、一番手強い相手から心を変えさせよう」

と思った。そこで有隣に中国の本を一冊送って、


「あなたならこの本に対するご意見が承われると思います。
 一度、あなたのお考えをおきかせください」

という手紙を添えた。有隣はびっくりした。

しかし、文通をはじめてみると松陰の純粋無垢な魂がヒシヒシと有隣の胸に
響きはじめた。それまでに人間不信でこり固まっていた有隣が、
はじめて人間を信ずることを知ったのである。

松陰は喜んだ。そこで夢中になって、「富永さんを釈放してください」
という運動をはじめた。

のちにこの運動は実り、有隣は釈放される。

しかし家族は、

「引き取れません。あなたが釈放運動をしたのだから、
 あなたが責任を持ってください」

と松陰に責任を押しつけた。そこで松陰は富永有隣を
たまたま開いた松下村塾に招き、自分の代講にした。

有隣は感動した。そして学問に励み、その成果を門人たちに伝えた。

門人たちも有隣の講義を喜んだ。うわさをきいた家族たちも、

「あの有隣がそんなに立ち直ったのか?」

と驚きの目をみはった。しかしその後松陰が国事に関心を持ち過ぎ、
幕府の老中間部詮勝をテロ行為によって抹殺しようと企てた時、
有隣は恐れをなして松下村塾から脱走した。

松陰も門人も、

「富永有隣は、臆病風に吹かれて塾から逃げた」

と軽蔑した。有隣の松下村塾脱走の真因はどこにあったのか分からない。
その後の有隣は周防に戻って塾を営み、幕府の第二次長州征伐の時には
軍を率いて戦った。

しかし、維新後成立した明治新政府の政策には不満を持ち、
いわゆる諸隊騒動の指導者になった。

明治10年に捕えられ東京の石川島の監獄に入れられたが、
7年後特赦を受けて出獄した。

その後は、昔日の面影はなく相変らず不平の念を
持ち続けてこの世を去っていったという。

この富永有隣をモデルにして小説にしたのが、国木田独歩の『富岡先生』である。
しかし有隣を知る人のみるところでは、

「富永有隣のその後の生き方は、そのまま吉田松陰の考えを貫いたものだ。
 その意味では、かれもまた松下村塾出身者としての筋は通し抜いていた」

といわれる。有隣の生涯も、吉田松陰がよくいった、
「狂」であり、また「猛」の道である。


byちち

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12月22日

起床時刻:02時20分

12月21日(金)

起床時刻:01時53分

12月20日(木)

起床時刻:02時10分

12月19日(水)

起床時刻:03時39分

12月18日(火)

起床時刻:01時39分

12月17日(月)

起床時刻:01時39分

12月16日

起床時刻:03時39分

12月15日

起床時刻:03時39分

12月14日(金)

起床時刻:03時33分

12月13日(木)

起床時刻:01時34分

12月12日(水)

起床時刻:03時21分

12月11日(火)

起床時刻:03時13分

12月10日(月)

起床時刻:03時13分

先の台風による高潮で浸水し、日本経済に
大きなダメージを与えた関西空港の事例を考えてみましょう。

関西空港を運営する企業の説明では、
「ここまでの高潮は想定外だった」と言っていますが、
専門家は皆、事前に想定している高潮だった。

高潮で浸水することは100%分かっていたことでしたね。

値段を安くするとは防災・減災のような長期的投資に時間と
お金を十分にかけられないことを意味するからです。

したがって、公共インフラを民営化すればするほど、
防災・減災投資はどんどんカットされていくわけですね。

それなのに、何の対策もされていなかったのは、
関西空港が民間企業に任されていたことが色濃く関係しています。

関西空港は2016年に民営化されたのですが、
それが進められたのも、公共インフラを民営化すれば、
政府支出を削ることができるだろうという緊縮財政の考え方からです。

ではなぜ民間企業では高潮に対応できなかったかというと、
民営化するとは市場で競争することであり、
市場で競争するとは値段が安いほうが勝つということであり、

さらに今回の関西空港のケースでは、
浸水してからしばらく何も対策が行われなかった。
それは空港の株を持っている日本企業とフランス企業の意見が
食い違って、対応方針が定められなかったからです。

このようなことは政府が運営していれば
絶対に起きなかった、と言えるでしょう。

byちち

それも止む無し か

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12月09日

起床時刻:04時13分

12月08日

起床時刻:04時13分

12月07日(金)

起床時刻:03時20分

12月06日(木)

起床時刻:02時34分

12月05日(水)

起床時刻:03時02分

高坂岩殿三好飛鳥 埼玉研修会44+48=92

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12月04日(火)

起床時刻:02時38分

禅僧・酒井大岳が掴んだ『般若心経』の神髄
病気の生徒をあっという間に立ち直らせた田園ソング

仏教の教えを分かりやすい言葉で説くことで定評がある曹洞宗長徳寺住職の酒井大岳さんは、
地元・群馬県吾妻郡の高校で書道講師をしていた若かりし時、ある大先輩の先生から
『般若心経』の神髄を教えられた経験をお持ちです。

「酒井先生、私に『般若心経』を説いてください」
大学を出てしばらくして群馬に戻った私は、住職である父の手伝いをするとともに、
たまたま空きがあった県立女子校の書道講師を務めることになりました。

私が奉職間もない頃、小林文瑞という大先輩の先生がいました。小林先生は私のように
僧籍を持ち、西田哲学や仏教思想に精通していました。190センチ近い大柄な方でしたが、
一緒に食事をしていた時にこうおっしゃるのです。

「酒井先生、『般若心経』というお経があるでしょう。今日は私にそれを説いてください」

「それは無理ですよ。読めと言われればすぐに読めますが、とても説くことなんか」
 
すると一瞬先生の表情が変わり、「馬鹿者!」と頭ごなしに私を怒鳴られるではないですか。

「あなたはきょう、私の隣の教室で授業をやっていたね。1人休んでいた子がいたでしょう。名前はなんと言った?」

「山田悦子(仮名)です。窓際の前から3番目の子です」

「あなたは彼女がなんで休んでいるか知っていますか」

「いいえ、別に担任に聞いてみたこともないし、風邪でもひいたんだろうかと……」
 
その言葉が終わらないうちに、再び雷が落ちました。

「馬鹿者! 生徒が1人休んでいたら担任であろうが副担任であろうがそういうものは
関係ない。ひょっとしたら事故かもしれない。大病かもしれない。担任のところに行って
なぜ休んでいるかを聞くのが教師の役目ではないか」
 
さらに先生は「あなたに『般若心経』が説けなかったら、私が見せてやる。
着いてきなさい」。そうおっしゃったかと思うや、もう歩き出されていました。
店の裏の道をどんどん歩きながら、しばらく経ったところで、

「あのな、山田悦子は腎臓を悪くしてこの先の病院に入院しているんだ。これから見舞いだ」。
 
彼女の部屋は2階の奥まったところにありました。小林先生は病室に入ると、
笑顔で挨拶を交わし静かに話し始められました。

「えっちゃんな。きょう酒井先生が君の教室で授業中に歌を歌っていた。俺は隣の教室で
聞いていたんだけど、酒井先生はえっちゃんがどんな病気で入院しているか知らなかった
そうだ。俺が酒井先生に頼んでその歌を歌ってもらうからな。よーく聞いていろや」
 
私が歌ったのは、その頃農家を励ますために流れていた田園ソングでした。
2番くらいから山田は布団を引っ被って泣いていました。
声は出さなくても肩が震えているからそれと分かるのです。
3番まで歌い終わると「ありがとうございました」と小さな声がしました。

「よかったな、えっちゃん。これであと1週間もすると治って退院できるよ。じゃあな」


仏教で大事なのは理屈ではない
そう言って先生は部屋を出られました。病院を出て別れ際に小林先生が「酒井先生」と
声を掛けられました。また雷かと思って「はい」と答えると、先生は大きな両手で私の
手をしっかり握り、大きく揺さぶられました。そして満面の笑顔でおっしゃったのです。

「これが『般若心経』だよ。覚えておきなさい。じゃあな」

私は最初小林先生がおっしゃった意味が分かりませんでした。しかし、ある時、ふと
「仏教で大切なのは理屈ではなく実践なのではないか」
「いまできることを精いっぱいやることが人生で大切ではないのか」と思ったのです。

それから私は『般若心経』に関する本を取り寄せ、300冊以上貪るように読みました。
驚くことに、小林先生の教えにすべて帰着していました。
理屈ではなく歩み続けることこそがその神髄だったのです。

ちなみに、山田悦子は奇跡的な回復を遂げ、先生の言葉どおり1週間後に無事退院しました。
私には愛語の力を知る忘れられない思い出の1つです。

byちち

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12月03日(月)

起床時刻:01時45分

12月02日

起床時刻:03時45分

12月01日

起床時刻:03時45分