201901 <<先月 | 翌月>>

起床時刻推移グラフ

目標起床時刻:04:30 平均起床時刻:02:56

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01月31日(木)

起床時刻:04時25分

01月30日(水)

起床時刻:04時36分

吹出物 原因タミフル?

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01月29日(火)

起床時刻:03時36分

小金井CCキャンセル

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01月28日(月)

起床時刻:06時36分

インフル発症 37.5 咳

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01月27日

起床時刻:03時00分

石坂月例 山口 鈴木 佐藤雄一郎

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01月26日

起床時刻:00時00分

茨城 小黒17 土屋12  末永6 俺19オリンピック
A型感染

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01月25日(金)

起床時刻:03時33分

茨城 シニア 41+43=84-14=70

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01月24日(木)

起床時刻:03時33分

ウェスティン新年会 小島 昆野扶美

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01月23日(水)

起床時刻:00時00分



童門 冬二(作家)

日本には古くから“徐福伝説”というのがある。
秦の始皇帝が徐福に命じて、「不老不死の霊草を探してこい」と命じた。

徐福は日本に渡り、霊草を探し回った。
そしてついに中国には帰らず、日本で死んだ。

徐福が訪ねたという地域が何ヶ所かある。
そのひとつが、佐賀県の金立山だ。

この山に金立社本宮という社があり、三柱の祭神がまつられている。
穀物の神と水の神と、そして徐福だ。

徐福は金立山で不老不死の霊草を手に入れていたが、
中国には帰りたくなかった。

つまりかれがこの霊草によって、不老不死の境遇を送りたかったのである。
同時にこの地域の日本人が非常に親切だった。
そこで、このことが始皇帝に知られるとむりやり連れ戻されるので、
そのことを思うたびに涙を流した。

この涙が、天から雨を降らせた。
そこで地域の人々は、徐福を干魅の時に雨を
降らせる神としてまつったのである。現在もかれの祭りが行われている。

この金立山の麓に、元禄13(1700)年からひとりの武士が住んだ。

武士の名は山本常朝(じょうちょう)といった。

かれは正徳3(1713)年までの足掛け14年間ここに草庵をつくって住んでいたが、
やがて大和町春日大小隈(現・礫石)に移った。

山本常朝は佐賀藩の武士で、神右衛門常朝といった。
しかし金立山の麓に住んだ時は落髪して、法号を旭山常朝と号していた。

この常朝を、宝永7(1710)年3月5日に訪ねてきた武士がいた。
佐賀藩士で田代陣基(つらもと)といった。
常朝を訪ねた時田代はうれしさのあまり俳句を詠んだ。

 しら雲やただ今花に尋ね合ひ

これに対し常朝は、

 浮世から何里あろうか山桜

と詠んだ。二人とも詩精神を持った武士であった。

田代陣基はその後足掛け7年、常朝の草庵を訪ね続ける。
そして常朝からきいたことを1冊の本にまとめた。

これが『葉隠』である。

常朝が折々語ったことを田代がまとめたので、
葉隠はまたの名を『葉隠聞書(ぶんしょ/ききがき)』といわれる。
つまり葉隠は、常朝が書いたものではなく、
あくまでも田代が“ききがき”としてまとめたものである。

昔はその本のモチーフを、はじめの方に書かれていた文章から取って、
「武士道とは死ぬこととみつけたり」という一文だけが強調された。

そのため、「葉隠は、日本の武士道精神の真髄である」
といわれ、戦争中はとくにこの面が強調された。

しかし葉隠は必ずしもそういう本ではない。

むしろ、武士の日常の心構えを説いたものである。
とくにこの本で強調しているのは、

「主人に対する忠をはじめ、人間のまごころは、
 やたらに口に出して吹聴するものではない。
 ちょうど、男女の仲でも本当の恋は、
 自分の胸にジッと秘めて相手にも
 告げないほど忍ぶことが大切だ。

 主人に対する忠も、自分は忠だ、
 このようにあなたに尽していますなどと
 いうことを決して口に出すべきではない。

 秘めた恋のように、胸のうちに
 秘めて尽し抜いてこそ、本当の忠といえるのだ」

ということが主題になっている。
もっと拡げて考えれば、常朝がいいたかったのは、

「人間のまごころとは、口に出さぬものなのだ」

ということであろう。
だから葉隠が告げていることは、

「武士道とは死ぬこととみつけたり」

ということよりもむしろ、

「まごころとは口に出さぬものなり」

という意味に取るべきではなかろうか。

byちち

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01月22日(火)

起床時刻:02時13分

01月21日(月)

起床時刻:04時13分

01月20日

起床時刻:04時13分

01月19日

起床時刻:05時32分

茨城 佐藤 落合 澤村(奈良) 43+44=87

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01月18日(金)

起床時刻:00時00分

01月17日(木)

起床時刻:02時03分

沖永良部島噴火

阪神淡路大震災

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01月16日(水)

起床時刻:01時49分

茨城 寿杯 43+42=85-15=70 4位

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01月15日(火)

起床時刻:01時50分


童門 冬二(作家)

伝馬町の牢にいた松陰を、言葉通り何くれとなく世話をしたのは高杉晋作である。

晋作はなかなか機転がきいた。牢には牢名主というのがいて、
これがいろいろなことを取り仕切る。
牢名主に贈物を届けなかったり、機嫌を損じたりすると酷い目に遭う。
そこで晋作は自分から出掛けていって牢名主に賄賂を渡した。

「吉田先生のお世話をよろしくお願いいたします」と頼んだ。松陰にも面会し、

「必要なものは何でもお届けします。
おっしゃってください。食物は大丈夫ですか?」

などと親身になって心配した。江戸の牢にいた松陰にとって、
高杉晋作が江戸にいて江戸藩邸にいてくれたことが
どれだけ救いになったか分らない。

高杉晋作のきき込みによっても、吉田松陰の扱いは決して安心できるものではなかった。
牢役人たちは、「吉田先生は自分から何か恐ろしい計画のことを話して、
 評定所の方々を恐れさせた。重い罰が下るようだ」

という噂話をしていた。きき込んだ晋作は心配でたまらない。
まさかと思っていたことが実現しそうな気配にある。

ある日、晋作は松陰に面会した時きいた。

「先生、男子たるものの死に場所についてお教えください」

切羽詰まった問い掛けに松陰は澄んだ眼で晋作をみかえした。

こんな問い掛けをする晋作の気持ちがどういうものか、
松陰にはピンとくるものがあった。

それはすでに自分に対する刑罰が、かなり重いものであることを意味していた。

松陰自身も、自分から間部詮勝の暗殺計画を話したのだから、
無事にすむとは思っていない。

(いよいよくるか)
そう思った松陰は、いつもにも増して丁寧に晋作の問いに答えた。

「男子たるものの死に場所についての
 きみの問いにはこういう答え方をしよう。
 もちろん死は人間の好むべきものではない。
 しかしだからといって憎むべきものではない。
 というのは、世の中に肉体は生きていても
 心の死んでいる者がたくさんいる。

 逆に肉体は滅んでも魂が生きている人間もいる。
 心が死んでいたのでは肉体が生きていても何の意味もない。
 才能や志のある者が一時の恥をしのんで生き、
 大事業をするというのは大切なことだ。

 私欲や私心のない者が、脇からみればむざむざと生を
 むさぼっているようにみえても、それはのちに必ず大事業を
 なすためなのだから、決して非難すべきではない。

 死んで不朽になる見通しがあるのならば、
 いつでも死ぬべきだろうが、反対に生きていて
 大事業をなす見込があるのなら、いつまでも生きるべきである。

 だから生死というのは度外視すべき問題である」

晋作には師のいうことがよく分った。
晋作もまたこの答をきいて、(先生はすでに死を覚悟しておられる)
と感じ取った。


高杉晋作に、「萩へ戻れ」という命令が下った。
これが、10月初旬のことであり同月17日、晋作は萩に向って旅立った。

このことを告げに伝馬町の牢へいくと、松陰はしみじみといった。

「このたびの私の災厄に、きみが江戸にいてくれたので
 どれだけ助かったか分らない。僕はたいへん幸せだった。
 きみの好意に深く感謝する。急に国へ帰られるときいて、
 本当に残念でならない」

一言一言が高杉晋作の胸にそれこそグッと迫るものを持っていた。

かつて、東北の米沢藩主上杉鷹山が、その師細井平洲を米沢に迎えた時のことを、

「一字一涙」

という表現で示した碑文が現地に残されている。
高杉晋作にとってこの時の師松陰の言葉はそのまま、

「一言一涙」

であった。この時松陰は晋作に、一人ひとりの弟子についてその勉強ぶりや、
自分がいま心配していることなどを詳しく告げている。

普通なら、すでに死を覚悟した師の立場であれば、
おそらくすべての門人について褒め称え、

「がんばってもらいたい」

というような月並な言葉を残していくに違いない。
松陰は違った。たとえば、

「吉田栄太郎は周囲から志を放棄したと
 みられているから注意するように。
 また天野清三郎は才能を頼みすぎで勉強をしないから、
 学業が非常に劣っている」

などと、至らない弟子たちに対する注意事項も与えている。
いかにこの時になっても、松陰が冷静な心を失っていなかったかが分る。

高杉晋作は師の言葉を正確に同門の志士たちに伝えた。

吉田松陰は安政6(1859)年10月27日、死罪の宣告をされ、
伝馬町の牢獄内で首を落される。

遺骸は、その頃処刑された国事犯が埋められる小塚原に埋められた。
国事犯なので遺体引き取りや墓を立てることは許されなかった。

そこで文久3(1863)年1月5日になって、京都朝廷が、
「いままでの国事犯を全部許す」
という大赦令が出たのをきっかけに、高杉晋作は、
久坂玄瑞や伊藤俊輔(博文)たちと一緒に、小塚原の刑場にいく。

そして白骨と化した師の遺体を掘り起し、
若林村(東京都世田谷区若林町)の毛利家の飛地に改葬する。
これが現在の松陰神社である。


byちち

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01月14日(月)

起床時刻:02時50分


「バナナ王」 山田 勇次(ブラスニカ会長)

ブラジルの広大な土地で大規模なバナナ農園を経営している

僕は気が弱いほうだから、何事も問題が大きくならないうちに
手を打ってきたのがよかったと思います。

だけど、天候や政治などいろんな不安定要素があるし、
何百人にも膨れ上がった従業員への責任を考えると、
いつも不安でしかたがありませんでした。

そんな折に、京セラを創業された稲盛和夫さんに学ぶ
経営の勉強会「盛和塾」がサンパウロにも
開塾したという記事を新聞で見ましてね。

バスで18時間もかけて参加したんですが、
会場はサンパウロでも一番いい通りにあるし、
皆さん背広にネクタイできちっと正装している。
自己紹介をするように言われたんですが、
気後れしてまともに話もできないんですよ。

これはとても自分のような者の来る所じゃないと
思いながら帰ったんですが、その時入手した稲盛塾長の本や
テープを確認してみたら、経営する者に不安や危機感は
付きものだと説かれていてハッとしましてね。

さらに繙いていくと、自分が求めていた答えが、
易しい言葉ですべて説かれている。
とても感動して、もう恥をかいても構わないと肚を括り、
毎月塾に通って稲盛哲学の勉強を続けたんです。

誰にも負けない努力をするという教えがあります。
最初に読んだ時はショックでした。自分にできるだろうかって。
でもよく考えたら、労働で走り回ることばかりが努力じゃない。
自分は経営者として寝ても覚めても事業のことを考えている。
これが誰にも負けない努力ではないかと思ったら自信が湧いてきました。

燃える闘魂というのも好きですね。やっぱり人間、
それだけの気持ちにならないと事は成せません。

従業員に話す時もそうです。
自分に十分な熱意と真剣さがないと、何も伝わらない。
どれくらい熱い思いを語れるかが重要なんです。

そうした教えを真剣に実践した甲斐もあって、
業績は大きく拡大し、バナナをはじめとする
農産物の出荷数は年間8万トン、従業員は2,000名まで拡大しました。

ブラジルでは、従業員を正規雇用すると
保険や税金がたくさんかかるので、
農園ではどこも敬遠したがるんですが、
うちは100%正規雇用にしてきました。

ですから就職希望者も後を絶たなくて、いまではブラスニカに職を得ることが
市民のステータスになっているんです。

byちち

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01月13日

起床時刻:02時50分

01月12日

起床時刻:03時50分

伝助 3636 吉岡(印刷)

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01月11日(金)

起床時刻:02時50分

01月10日(木)

起床時刻:01時49分

01月09日(水)

起床時刻:03時57分

01月08日(火)

起床時刻:03時09分

01月07日(月)

起床時刻:01時37分


中古車販売ガリバーインターナショナル 羽鳥 兼市

倒産で背負った借金3億円を3年間で全部払い終わった半年後のことでした。

突然、国税局が入り込んでくると、根掘り葉掘り聞かれた上に、
数億円の税金を取り立てると言ってきたんですよ。

もう毎日のように、これはどうなった、この帳簿を見せろとか言われても、
こっちは納得できないじゃないですか。

やっとの思いで義兄の借金を全部払い終わってほっとしていたのに、
何でまた税金を何億円も払わなくちゃならないんだって。
そう思うとイライラして、彼らの言うことに逆らってばかりいたんです。
 
やっぱりそういう感情って、顔に出るんですね。
ある晩、おふくろが車に乗せてほしいと言うので、言われるままに運転すると、
着いたのは30キロくらい先にある山中のお寺さんでした。

既に11時近くだったと思うのですが、おふくろがお坊さんを起こして、
「最近、息子がイラついて、おかしな状態に
なっているようだから祈祷してください」とお願いするんですよ。

自分も訳が分からなかったのですが、しようがないので黙って本堂について行くと、
すぐに護摩焚きが始まってお坊さんが拝み始めました。

おそらく1時間以上続いたと思うのですが、とにかく手を抜かないで一所懸命拝んでくれる。
そんなお坊さんの後ろ姿を見ているうちに、この方は何が楽しみなんだろうか、
そもそも人の幸せって何だろうかって、ずっと考えていました。

そうしたら、ふと、お金がすべてじゃないんだと気がついた。

それよりも、人に喜んでもらうために一所懸命やる。
それが生き甲斐になるんだって。

一方、自分はというと借金を払った上に税金まで
取られるのが嫌だから、何でもかんでも逆らってばかりでした。
 
でも、もういっそのこと徴収されるだけ徴収されるのも、
面白いじゃないかと。また何億円払えと言われたって、
返すのをゲームのように捉えて、一日でも早く
完済していくのも楽しいかもしれない、ということに気づきました。

次の日に国税局の方が来た時に、開口一番「何でも言ってください。
何億円でも何十億でも言われるだけ払いますから」と言った。

「もう覚悟を決めました」って。そうしたら、その日の午後2時頃に、
「状況は分かっていた。でもあまりに逆らうから徹底的にやろうと思っていたけど、
 きょうで終わります。あんたが心を開いてくれたんで、もういいですよ」
と言って、数億円かかるところを最終的には1,000万円ちょっとくらいで解決してくれたんです。

こちらが心を開いていないと戦争になる。
でも開くと、サッと解決する。
そう気づかせてくれたのがおふくろであり、お坊さんの後ろ姿でした。

byちち

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01月06日

起床時刻:03時37分

01月05日

起床時刻:02時23分

茨城8会 加藤85スキー 平澤82 中杉

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01月04日(金)

起床時刻:03時03分

日経平均▼450 

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01月03日(木)

起床時刻:02時03分

石坂GC新年杯 山口 平林 庄田

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01月02日(水)

起床時刻:02時03分

茨城GC 新年杯

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01月01日(火)

起床時刻:04時12分