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起床時刻推移グラフ

目標起床時刻:06:00 平均起床時刻:03:34

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06月30日

起床時刻:01時38分

 就寝午後10時半頃。最初の目覚めは分からず。娘の声で起きたのかも知れない。猫が帰宅して娘とのやり取りの声で。しかし私自身は意識はまるっきりボーッとしていた状態。ほぼ寝ていた。だから直ぐに寝られた。次に目覚めたのが本日の起床時刻。これも本来ならば大体いつものパターン。だがいつもと違うのは、私がただ目覚めただけではなく、実際に起床した事。テレビで昨夕から「歌の日」と題して今日の朝の5時まで歌番組が行われていて、それを見ようとテレビを付けたのである。
 画面ではゴールデンボンバーが歌っていた。ちなみに私は彼らが好きである。そしてしばらく気になっていたから続けてみていた。が、睡眠時間は3時間である。これはちょっと何が何でも・・・という気持ちもあって、やはりもう一度寝ようと、布団に入る。が、寝付けない。それで又起き上がり、今度は階下に降りパソコンを開いたわけである。途中眠くなれば又寝ればいい。どっち道今日は拘束されていない。自由の身だ。好きに生きよう。

 実は、昨日決意したわけであるが、決意と言えば少し仰々しいが、目覚めたらとにかく睡眠時間はいくらであろうが、とにかく起きようと。少し自分に「カツ」を入れようと。刺激を注入しようと。そう決意したのだ。まあ考えたわけである。だからと言って今精神の高揚感が失せてしまって例の「プチウツ」という訳ではない。今は日本人全体が「プチウツ」の状態かも知れない。それか一部では自分を偽り「空(から)元気」状態かも知れない。決してそういう元気が乏しい状態でもないが、もっともっと自分を高見に置きたいという欲求が生まれてきたのだ。こんなに長い期間(過去の自分と比べればの話)高揚感を保てるのは久しい。そうすればやはり毎日の高揚感の集積、積み重ねは馬鹿にならない。どんどん成長欲求は高まってとにかく自分を高い所に置きたいという欲求が生じてくるのである。その手段として、この一日一食から連動する「超早起き」を実践しようと思い立ったのかも知れない。とにかく自分を鍛えたいのである。


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06月29日

起床時刻:04時07分

 就寝午後11時。出張先。途中何度も目覚める。いつものように。本日の相方は前回と同様の神経質なTさん。その影響もある。ギリギリまで寝ていた。と言っても、睡眠時間は5時間。長くもなければ短くもない。もちろん今の私にとってだ。今、ふと感じたのは、まだ自分の中ではギリギリ感がない感じ。もっと突き詰めても良いのかもしれない。が、最近の自分の精神、つまり高揚感、に対しては不満はない。良い感じで推移している。ということは、自分の心の中ではギリギリとフワフワの中間点にあるのかもしれない。つまりこれがまさに「中道」なのかも知れない。だから良いのである。バカボンのお父さんではないが、「これで良いのだ」。



 私の最近の感覚はもしかしたら以前とは180度ひっくり返ってしまったのかも知れない。自分でも非常に興味がある。自分に興味があるという事が本当は一番幸せな事かも知れない。

 では一体何がそんなにひっくり返ったのかと言えば、先ずは抽象的には言えないので具体例を一つ。私の職場は若者が多いし又交流する機会も多々ある。例えばこうである。目の前を金髪や茶髪の男の子が歩いたとしよう。以前の私なら、あー、若者はこういうものだ等と時代の変遷に思いを寄せたり、あるいは自分自身の機嫌が芳しくない時なら彼らのそのような容姿を批判的に見ていたであろう。が、何とも不思議な事に、昨日の私は、有ろう事か、自分も一度ああいう風に髪の毛を染めて風になびかせ街を歩いてみたいものだなあ等と、不埒な事を思い付いたものである。

 人生、長い事生きて来て既に後半もある程度過ぎている。目の前を歩く金髪茶髪の彼らを見て、まさか自分がそういう気持ちになるなんて、思いもしなかった。同世代では所ジョージさん、小堺一機さんなどがいる。少し上では以前ビートたけしさんも金髪だった。だから決しておかしくはない等と自分に言い訳をしている。彼らは芸能人だからと又々常識論を振りかざすのもいやらしい。とにかく自分が今まで一度もやった事のない事は一度はやってみたいものではないだろうか。子供なら誰しも感じる事であり、という事は私はガキンチョに戻っているのだろうか。しかし今の仕事では少し厳しい面もあるかも知れないし、若い時よりは薄くなった頭髪の行く末も気になる所である。

 いずれにしても、私のこのような考え方、思想の変化は多分現在私が取り組んでいる食生活と瞑想に寄るものだろうとは直感的に思うのである。


【夜の更新】
 私の職場の私のチームは私が最年少で、他は皆私より年上であり、人生の先輩達である。彼らを数年見てきて、付き合ってきて思うのは(しかし実際はここ数日である。私はここ数日意識が大きく変わったような感覚があるのだ)人間には年齢による節目があって、それは十代、二十代、三十代と続き、それぞれその年代において特徴的なものが表われてくるようである。先ずいきなり六十代から解説しよう。私の職場の先輩達が概ねこの年齢だからである。これはもうろうそくで言えば燃え尽きる最後の瞬間である。人生をろうそくで例えればの話である。六十代は人生の最後の燃え尽きる瞬間である。

 ろうそくは最後の燃え尽きる瞬間にパッと大きく炎を燃やす。まさに人間の人生も六十代がこれに当たる。そして七十代である。これはもう燃え尽きた後、人生が終わった後、まさに余生である。

 職場の先輩の一人にこの七十代に入ったばかりの人がいるが、はっきりと分るほど元気が無くなり声も小さくなる。その代わり前述したように、ろうそくの燃え尽きる瞬間がパッと炎を燃やすように、六十代は元気である。各々がそれなりの考え、信念を持ち、人生を仕事も遊びもエンジョイしているように見えるのだ。

 しかしこれらも私に言わせれば普通に常識通りに生きて生活してきた上での話である。結婚し子供を産み育て、そして懸命に生活のために働き子供が独立し孫が出来そしていよいよ死を迎える。その間には様々な喜びや苦しみがあり、病気もし、そして死んでいくのである。仏教で言うところの「生老病死」そのものである。

 そこそこの人生においての経験に踏まえた自信を備えた六十代。経済的にもそれなりに余裕があったりする人も多い。彼らは概ね元気である。が、そんな彼らも七十代に突入すると元気は失われ死を迎える準備をする。

 そんな人間の一生、人生を振り返り、まあまあ俺の人生もこんなものかな、特別良くも無ければ悪くもなし。と諦めていくのかも知れない。しかし・・・だ。ここで一つ「奇跡」を起こしてみよう。
 仏教の生老病死を超えた人生を選ぶのである。老いず病にもかからず死ぬことも無い・・・。そんな人生を選ぶのである。超越してみるのも面白いかも知れない。

 つまり、年齢の節目毎に前半は成長し後半は衰えていく・・・、そんな人生とは決別し、新たな人生を選ぶのである。つまり歳とともに充実し、成長していく人生である。六十代よりは七十代、それよりは八十代・・・といった具合にである。それは可能ではないかと私は思っている。そしてそれは人間なら誰でも可能性を秘めていると私は思うのである。要は、先ずはそれを強く信じることである。強く信じ強く望めば後は自ずと導きがあるはずだ。聖書に「求めよ、さらば開かれん」とあるように。


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06月28日(金)

起床時刻:04時07分

 就寝午後10時過ぎ。最初の目覚めは午前2時40分頃。昨日の睡眠時間がちょうど4時間40分くらいであったから、全く同じ。この時に起きていればの話だが。だから目覚めた時も何となくそのように考えて起きるはずであったが、いつの間にか再び寝入ってしまっていた。やはり昨日はそうとう疲れが(他に妥当な言葉がすぐに浮かばなかった)あったのか。何せ4時間40分という短い睡眠で日中一度も仮眠を取らず、しかも2時過ぎという超早い時刻の起床。仮眠なしだから就寝まで20時間という長い時間ずっと起き続けていたという事になるのである。我ながら少し驚くのである。本日の睡眠時間は結局6時間。最後の付け足し的な睡眠は意外に力になっているかも。本日は24時間拘束が続く出張日。


 本日は出張日であり、今から自宅を出る予定だが、これからおよそ24時間私は仕事で拘束されるのである。仕事自体は肉体的にも比較的楽な仕事ではあるが、精神面では中々のものである。そしてこれが最も大きいものかも知れないが、あるいは、日本独特なものかもしれないが、職場の人間関係に一番そのエネルギーを使うのかも知れない。仕事は基本的にその人間が行う事だからだ。

 私が24時間の拘束に一番神経を使うというのは、この人間関係にあるのかも知れない。仕事自体の失敗や手抜き的な事は私は多分他の同僚よりは大らかであると思っている。そんな人間のやる事である。失敗等大したものではない。直ぐに応急手当、フォローを怠り無く施せば良いのだし、失敗はたまには仕事のカンフル剤にもなったりして、それ程皆が思うような悪いものでもないと思う。

 ただ、人間の精神を衰弱させるものはやはり人間関係における諸々の取り越し苦労かも知れない。余計な事ばかり考えていれば本来の仕事への気配りとか行き届いた配慮等も失われる。結局、良い仕事をしようと思うのなら良好な職場の人間関係を築く事にあるのかも知れない。

 ただ、だからと言って、職場の同僚達に媚びたり追従ばかりするのは考えものだ。その場その場の空気を読み、自分の信じる感覚で対処していけば自ずと良い関係は生まれるものと思う。ある時は相手の下に立ちある時は上に行き、またある時は相手と並んだりする。そういう柔軟な姿勢が必要だろうと思う。

 そしてここが一番大切なのだが、人間関係ばかりに神経を使わないで、その関係の延長として職場全体の空気とか雰囲気の盛り上がりを創造していく事が重要だ。それでこそ24時間という長丁場も苦も無く、楽しく過ごせるというものである。

 私の仕事は老若男女、様々な人と交流する。同僚たちは概ね人生の先輩達であり、その他のセクションの人たちは私と同年輩かあるいは若い人も多い。そしてそれを取り巻くお客さん達(本当は適切な表現ではないかも知れないが)はほとんどが若い世代である。つまり、24時間の間、私は私を含んで人間全体の世代と交わっていかなければならないのである。これはとても良いことであり、楽しい事であると思っている。

 いつか・・この仕事を卒業していき、今私が考えている新たな局面に向かう時に、きっと今の仕事場の人間関係は大切な経験になるものと思えるのである。さて・・・そろそろ行きますか!


【夜の更新】 
 私の知り合いで学生にIT技術を教えたり関連する様々な情報を伝える職業の者がいるが、彼の話によると、学校の駐輪場が毎朝込み合い、とうとう外部の人間から苦情が入り、その予防策として毎朝その駐輪場に立ち指導監督するようになったそうである。
 
 そこまでは良い。彼の言い分はこうである。先ず授業に早目に来る学生はなるべく校舎に近い所を確保し自転車を停めようとする。これもまた人情でも分かる。そしてその後登校して来る学生が次々と並べて行くのだが、当然遅くなればなるほど校舎からは遠くなってしまう。これもまた当たり前の事である。しかしここで一部の学生の中に良からね輩がいる。つまり彼らは遅く来たにも関わらず、先に来ていた校舎に近い所に停めていた自転車の後ろに置くという事なのだ。自転車は横一列で一台しか停められないにも関わらずだ。すると同じような輩が我も我もとそれに続き団子状態ともなり、結果的に一番初めに停めていた真面目で授業にも積極的に取り組む学生が自分の自転車を取り出すのに苦労するようになる。

 さて、ここで件(くだん)の知人である。彼は私にこうのたまう。「一番最初に停めた学生に学習能力がない。」私は耳を疑う。その根拠は、何度も何度もそういう目に遇って嫌な思いをしているのだから、今度はもう少し離れた場所に置けば良いというのである。つまり、後から後ろに置いて来る学生は逆に要領の良い人間となる訳である。学生と常に接し指導する事もある立場の人間がこれである。

 損得で考える、という事だろう。どうすれば得か、という感覚で人生をとらえているのだろう。私は彼に向かって直ぐに答えた。「そりゃあ、とにかく遅く来たにも関わらず早く来た者の自転車の後ろに停めるヤツが先ずは悪いんでしょう」と。その私の言葉を聞いての彼の返事が先の意見だったのである。

 我々は悪いやつを擁護するのではなく、先ずは善人を擁護すべきだ。善人というのがおかしいなら普通人と言い換えても良い。
 彼はどうしても私に勝ちたいのかどうか、更にこう続ける。「自分でもそんなに真面目に生きている訳ではないのに学生に対して意見など出来ない」と。まあこれはあくまでの私たちだけの間での言葉であろうが、私は全く呆れるのである。しかし私がそれでもそういうこの世的に要領の良い連中の事を否定したものだから最後は訳の分からない笑いをしていたが。

 こういう事は案外世間にはざらにある。盗難に遭いました、警察に行きます、そこで色々と聞かれます、すると多くの警察官が同じような事を言います、いわく「泥棒が悪いのは間違いないが、貴方の方にも不注意という事があります。」そしてそれから延々と本来被害者である者に対しての説教、注意が続くのである。訳の分からない世界ではある。件の知人も警察官も本人は軽い気持ちで話しているのかも知れないが、先ずは被害者を著しく傷つけているし、一番には自分自身さえも大きく損なっている事に案外、気がついていないのだ。善と悪、その明確な区別をつけたなら、何はさておき先ずは善を取るべきであり、光と闇であれば、光を絶対的に取らなければならない。何故なら、それは我が身に反映するものだし、自分の人生全般、成功と挫折、繁栄と貧困、健康と病気といった具合に如実に現れて来るからである。




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06月27日(木)

起床時刻:02時18分

 就寝・・はっきりと覚えていない。午後8時から9時の間だった事は何となく覚えているようなのだが、はっきりとは分からない。昨日は4時間半という短い睡眠時間だったにもかかわらず、日中一度も仮眠も取らなかったため、こういう早い時刻に眠気が襲い、寝てしまったからである。こういう場合は自然に任せる。途中一度目を覚ましたが、その時刻もはっきりとは分からない。多分午後11時は過ぎていたものと思う。トータルの睡眠時間は大体5時間~6時間だと思う。まあでも良いや。


 職場に今月から中国人の女性が働くようになった。単身赴任かもしれないが、既婚者で子連れである。子供はまだ小学生であり、低学年くらいだ。男の子。職業は教育者である。専門の学者である。しかし見た限りでは普通の若い女性である。もちろん日本語は話せないようだ。と言うか、昔なら来日する前に充分日本語を勉強してやってきていた者が多かったのではないだろうか。こうして見ると、半分はそういう人がいるし、残りはまるっきり初めから全然勉強する気など無く、自国語で押し通すという輩もいるようだ。

 しかしいずれにしてもこういう場合我々日本人の取る態度は一貫して共通しているように見える。日本人が親切なのかお人よしなのか分からないが、日本人は相手の外国人がまるっきり日本語を理解できないと見ると、一生懸命になって身振り手振りを交えながら知っている限りの英単語を駆使して相手との会話を始める。

 だから相手の外国人から見ればこれほど楽な事はないし、これほど楽な国民、国は無いのではないだろうか。反対に私たちが外国に旅行や仕事で出て行くとしよう。そしてそこでは我々日本人に対して多分誰も日本語等駆使して我々とのコミュニケーションを図ろうとする人たちはいないのではないだろうか。彼らは平気で多分自国語で私たちと交流するだろうと思うのだ。

 しかしよく考えればこれは全く普通な事なのかも知れない。相手の顔がどんなものであっても、自分が普段使っている喋っている言葉を話すのは全く普通な事であるのだからである。特別な事でもなんでもないのだ。しかし我々日本人は過度に外国人に向って媚びようとする感じがあるのは果たして私だけの感想だろうか。

 以前の私なら他の人同様外国人に対して英単語を並び立てて話す事を楽しんだだろう。実際私が子供の頃の日本はまだ今のように皆がそんな感じでもなく、外国人が近づいてきたら逃げていったり、避けたりしていた人が多かったように感じる。だが今は進歩したのかも知れないが、平均的な日本人でさえ平気で(平気かどうかは定かではないが)彼らと話しているようだ。その辺のおばちゃんでも軽く外国人と話していてそれを私に自慢そうに伝える。

 私の同僚の普通のおっちゃんでも、自分がいかにフランキーに外国人と接して知っている英単語を披露しながら気軽に交流したかを私に自慢してくるのである。そういう意味では日本は随分開かれたと言えるし、進化しているのかも知れない。それはそれで良い事であろう。が、私は何故か分からないが、最近の私は少し、いや随分、天邪鬼的な性格になっているのを感じるときがある。つまり、私は多分職場で唯一の頑なに件の中国人の女性とその子供に対して日本語のみで接しようとしているのである。自分でも理由は分からないが、そうしてしまうのである。そしてその理由は後付けとして考えれば、結果的にその方が彼らが早く日本語を覚えられる、早く日本に馴染める、とか良い方に解釈しているのである。だが今回の私の態度は先ず初めにそういった理由があったからではなく、直感的に咄嗟に私が理由無く取った態度なのだ。

 郷に入れば郷に従え・・・という格言が日本には古くからあり、また、多分外国にも似たような言葉が残されているものと思う。私が言いたいのはここである。相手はあくまでお客さんである。よそ様のお宅に訪問して自分の国の言葉しか使わないとは無礼ではないか。先ずは訪問する前に相手の事を良く調べ、研究して、言葉ならなお更であろう。いや、一歩下がったとしても、何も準備しないで、自分はぶっつけ本番が性に合っているのだ、という信念の持ち主であったとしても(本当は私もこの部類に入るのだが)現実にその国に入れば、そこでの生活が始まれば、私は積極的にそこの人々と接触し、自ら相手の言語を吸収しようと務めるはずだ。それが礼儀である。だから私は意地でも件の中国人親子との会話は日本語で押し通すつもりなのだ。

 先のおっちゃんなど、そりゃあもう笑顔満面で英語を使い話そうとしている。が、日本の教育で中学生レベルの英語で文法で、相手と心からの理解等できる訳が無いのだ。ただ単に外国人と触れ合う自分を楽しむだけである。そんな一方的なマスターベーションをするのなら、それは又相手の外国人に対して失礼である。相手から見れば自分を道具にして快楽を得られているようなものである。それよりは交流を本当に楽しみたいのであれば、先ずは朝晩の挨拶だけでもいいから大きな分かりやすい日本語で語りかけてあげるのが一番である。挨拶だけでも充分に相手とのふれあいになるし、心も通い合う事ができるのである。

 そしてもし、もっともっと相手と知り合いたいと願うのなら、自分がもっと実践的な英語を勉強すれば良いのである。石川遼が宣伝しているスピード何ちゃら等最適ではないだろうか(笑)。しかしそういう時は多分自分の気持ちが相手にも伝わっているはずだから、今度は相手もその気になって日本語を学んでくるかも知れない。そうなれば軽い気持ちで腰掛け的に来日してきた本人の気持ちも若干変化して本気になって日本を知ろうという気持ちになるのかも知れない。それこそ本当の国際交流である。
 つまり真の国際交流とは国と国との交流ではなく、あくまでも個人対個人の関係の上に成り立っていくものである。


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06月26日(水)

起床時刻:03時24分

 就寝午後11時過ぎ。出張先。本日の相方は神経質なTさん。神経質で優しい男である。この人には私も大変気を使う。が、気も使うが同時に厳しく接するときもある。これが本人にはとても大切だからと直感している。ただそれだけである。途中一度目覚める。午前0時台だったと思う。就寝後1時間半後くらい。もちろん又再び寝る。意識は割合はっきりしていたから寝られるかな・・と少し心配になった。がいつの間にか寝ていた。で、本日の起床時刻。少し迷う。目覚めた瞬間は迷わなかったが、起き上がった後、トイレに行きながら、そのあと、迷う。11時過ぎに寝て3時半前に起きたのでは少し睡眠が足りないかも・・と。4時間半もないのである。が、目覚めたのは確かである。それならば自分を信じよう。自分の潜在意識に任せよう。あとはそれがどうかしてくれるというものだ。


 かつて母原病という言葉があった。子供の病気は母親にその原因がある、というものである。その言葉が一時流行ってから派生して父原病等という言葉まで生まれた。そして私たちはそれらの言葉に対して妙に素直に信じ込んだものだった。というのは多分世間にはそれを証明するような事象が溢れていたのかも知れない。

 さらに、病気ではないが、性格や考え方までが母親の影響があるのだという事も多く言われた事もあった。また逆に健康で良好な性格等も母親によって培われて行くという前向きな考えもあった。とにかく子供の様々な現象は母親の影響、考え方が大であるという事なのである。

 私など、こういう考え方や説に対して無条件にすんなりと受け入れる方で、あまり疑っていなかったものである。しかし、多くの社会科学者達の著書などにはそういう現象とか結果しか表してなくて、多くは分析論が目立っていた。だから私などすんなりと受け入れるのだが、潜在意識の中までストーンとは落ちた事はなかった。

 そこで最近の話だが、愛読書である生長の家の「生命の実相」の中である一節を発見した。この本の中でも子供の病気は母親が作るというのは書かれているが、それではそれは何故か、どのような理屈でそうなるのか、という事が本当に分かりやすく書かれてあったのだ。

 家族の中でも特に母親は子供の事に目を向ける。子供の事をよく考えるものである。考え方や意思はある意味「言葉」でもある。聖書には「初めに言葉ありき。言葉は神であった」とある。全ては神が作った。だから言葉が全てを創造したのである。言葉には創造力があるのである。人間の意思とか想像とか考え方、言葉には物を作り出す力があるのである。そうしてみると、母親が子供に対して色々と考え、思うことは全て実現する。すべて子供の状態として現実に反映するのである。

 いつも子供のことを神経質に考えればそういう風に子供に現れる。自分の子供は弱い、虚弱である。なぜなら自分も弱いから。だから子供にもそれは現れる。と、母親は想像する。想像は創造につながる。反対に自分は強い。いや、自分だけではなく、人間というものは本来強いものである。だから自分の子供も強いのだ。少々のことでは負けない、挫けない。と思っていれば現実にそれは出てくる。思いというものは強い創造力を持つ。

 こう考えれば冒頭で述べた、母原病というものも納得できるはずである。病気は、子供の病気は母親が作るのである。だが反対にそれを治すことも母親が出来るのである。医者や医療に頼らなくても母親自らの信念によって子供の病気は治せるのである。

 ひるがえって、母子関係以外であったならどうであろう。例えば、夫婦関係である。ここにもこの原則は当てはまりそうである。つまり妻の病気は夫が作り、夫の病気は妻が作るのである。そしてこれも言い忘れていたが、母親でも妻でも夫でも、それぞれ個人にその創造力の差、レベルというものがありそうである。つまり強いとか弱いというものだ。つまり「念」の強さ・弱さである。

 念が強ければ如実にそれは現れる。母親が念が強く、子供の虚弱さをその強い念で強く思えば確実に病気を表せる。妻が夫に色々な思いをその強い念で思えばそれは夫の姿として現実に現れる。また、妻の病気は夫が作るのである。結婚前、そしてまだ女が親の庇護のもとで生活している時は母親の念によって左右されるが、親元から離れ、独立し、そして結婚すれば今度は夫の念によって左右されるのである。

 結果として、子供の、あるいは、妻の、夫の病気はその最も身近な存在の者の念によって左右されるのである。家族の大切さ、重要性はここに現れる。

 


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06月25日(火)

起床時刻:04時17分

 就寝午後9時半過ぎ頃。少し早目の就寝になった。途中何度か目覚めたが、早目の就寝のせいで最終的に目覚めたのが午前2時台になってしまった。もちろん睡眠時間的にももう起きようと思っていたが、早いかも・・という思いも少し入り混じったようで、結局知らない間に又寝てしまっていた。結果的に本日の起床時刻となってしまった。睡眠時間は少し長めの6時間と少し。目覚めた時少し肌寒かった。昨日は朝のみ少し雨も降っていたが、のち、天気が回復して晴れ間も出てきた。暑さも戻ったようだった。それで半袖半パンの格好で寝てしまったが、朝はすっかり又寒くなっていた。訳が分からない天候である。


 今朝の朝刊の地方版で市内の無職の男性(44歳)が妻に暴行を働いたという事で逮捕されていた。数回顔を殴り頬と口の周りに怪我を負わせたそうである。こういう事件を見るといつも思うのはこの男性、無職であるという事だ。大体仕事がなく、暇をもてあそぶとこういう事を起こしがちなのかも知れない。私も30歳の時後先の事をあまり考えずにサラリーマン生活と決別した苦い思い出がある。

 失業保険が切れる3ヶ月はずっと無職の状態であったが、その間は遊んでいたわけでもなく次の仕事を色々と模索していたのは事実である。就職とかは考えなかった。それならば今までの仕事を辞める必要もなく、友人から紹介された仕事先を断るなどということもしなかったはずだ。つまり、自分で何か始めたかったのである。

 結局、資本も経験もあまり必要が無いように思われた塾の経営に乗り出した。とは言っても、それは私独自の偏った考え方であったのかも知れない。きっちりとした考え方の持ち主ならば、ある程度の資金も必要であっただろうし、人様に勉強を教える立場なのであるから基本的な事もある程度マスターしておくというのが常識である。

 しかし当時から「型破り」と友人達から言われていた私である。お金もない、コネも無い、経験と言えば、大学時代に姪と姪の友だち数人を一箇所に集めての家庭教師をやっていたくらいであった。とにかく何も無いところからスタートしたものである。話が完全に横道にそれた。私は直ぐに自分の思い出話になってしまう。

 暇というものは怖いものである。暇人というものはろくな事件を起こさない、という昔からの格言めいた言葉もある。溜まり溜まったエネルギーが悪いほうに転化していくのであろう。そして身近にあって、その暇しているという現状の自分を横で常に批判的に見ている妻に対して暴力というはけ口をぶつけて行くのである。
 
 新聞によると彼は年齢は44歳、事件を起こした時刻は午後3時半である。平日のその時間に自宅にいて、モヤモヤしているところに妻の自分に対しての批判的な言動があったのかも知れない。奥さんの立場からすれば分からないでもないが、自分を守るという意味からでも、奥さん自身も何か他の対処があったのかも知れない。はっきり言えば、こういう人に対しては完全に無視すれば良いのである。

 無私と言えば言葉は悪いが、障らぬ神にたたりなしとは良く言われる格言でもある。とにかく自分の人生であるのだから、奥さんも自分の人生に真っ直ぐに進んで行けば良かったのである。賢明な人間ならば必ずそうするものだ。暇をもてあそび、平日の昼間から自宅でゴロゴロしているような男等に構っているから自分も彼のレベルに落ちてしまうのである。つまり、両者にとっても悪いことである。どちらか一方でも、悪の連鎖から離れる事である。

 そしてそんな阿呆は無視して、明るい方に目を向け、躊躇無く前に向って進めばいいのである。本当に二人の相性が合い、二人の関係が本物ならば、悪の方が、闇の方が消えていくものである。人間とは本来そういうものである。

 馬鹿は相手にしない事だ。それに尽きる。馬鹿は目の前の気になる相手まで自分の陣地に引きずり込もうとするものである。だから無視するのである。そして、自分は明るく生きる。徹底的に明るく生きていこうとすればそのうち、相手もこちらの方に擦り寄ってくる時があるかも知れないし、あるいは逆に離れていく、去っていく、どちらかである。そして離れていった時は追わない事であり、さよならだけが人生さと、さらりとお別れするのである。しかし近づいてきた時は全面的に受け入れよう!

 相手を自分の明るい光の中に溶け込ませ、招きいれよう。そこには絶対的な幸福が待っているものである。天国と地獄・・という言葉があるが、まさにそれである。自分はどちらを選ぼうかと思うとき、躊躇無く、天国を選ぼうではないか♪



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06月24日(月)

起床時刻:03時41分

 就寝午後10時半頃。最初の目覚めはまだ日付も変わらない午前0時前。時計を見たとき意外な気がしたものだ。まだ今日は終わっていないよ的な。それからもう一度くらい目覚め、そして本日の起床時刻。最後は比較的長い時間一気に寝られたような感覚だ。睡眠時間は5時間。我が町の市長選の行方はどうなったのだろう。ネットで色々と調べてみたが分からない。もう少しすれば朝刊も届くだろうから自ずと分かる。ま、大方の予想通りだとは思うが、新人がどの程度肉薄出来たか健闘できたかが興味の行方だろう。
 ところで他人の事はどうでも良いのであり、先ずは自分のことである。昨日でハイテンションが続いてちょうど1ヶ月、30日を達成した。ここ数年、もしかしたら10年以上の間では、最も長い期間続いているのではなかろうか。続けば続くほど精神状態とか体の調子、思想・感覚の状態も変化し、善の循環、善の集積でエネルギーも蓄積され未知の世界が感じられ開かれつつあるかも。


 (その1) 自分が一体いくつまで生きられるか・・・というのは誰もが興味関心のあるところだろう。いわゆる寿命である。現在のわが国の平均寿命の男性では大体80歳くらいであるらしい。女性は85歳。私自身も自分は80くらいまで生きられれば御の字かなあとも思っていた。父親は70代前半、母親は65歳の時にこの世を去った。そうすれば私も自ずとその辺りくらいだろうが、私は若い頃から様々な健康法を研究していたお陰で何となく父母よりは長く生きられるような気がしているわけである。

 その結果が80歳くらいは生きられるような気がしていたし、何となく自信もあった。が、最近は横着にもそれがもっと長引いているのである。実際に私が80歳を越えているわけではないのだが、既に私の中ではその寿命シュミレーションが展開しているのである。はっきり言えばそれはあと10年延びて90歳なのである。何となく私は90歳までなら生き延びる自信が芽生えてきたのである。

 しかしここが大切なのだが、人が本当に心から自分で信じる事が出来ればその信じる内容は実現できるのだという事である。潜在意識の中からしっかりと信じられる事が出来れば全ての事象は現実となるのである。これが潜在意識の法則であり、現実である。

 今の私は寿命で言えば、90歳まで生きられるというのが信じられるのである。それもその歳まで病気もせず、常に健康で陽気でイキイキとした生活を送られるという前提付きである。これがなければ何の為の長生きであろうか。病院のベットで、あるいは、養老院の個室で孤独の中で過ごし死んでいくのならそれは無意味な長生きかも知れない。私が言うのはそんな長生きではなく、常に活動しつつ陽気で快活な状態で、そして他者の為の働きを持ちながらの長命長寿である。

 そして理想的なのは、いつものように午睡し、そしてある日突然午睡のまま天国に身まかれる事である。私が最近目にしたある本の中で実際そのような人生を過ごした偉人を発見したのである。彼は16世紀のヨーロッパ、ルネッサンス期の人物で、102歳まで生きた人である。快活で明るく、偉大な仕事を成し遂げ、国家のために奔走し、しつつ、その人生を終えた人物である。彼は極少食を人生の途中から実践した人物であるらしい。大病をし、死に掛けた時にその極少食に出会い、その後半の人生は全く持って素晴らしく輝いたものであったらしいのである。私はこれに又新たな勇気をもらった。信ずれば全ては叶うのである。

 (その2) 私の今日の食事は飲み物を除けば、先ず近所のパン屋さんのイートインコーナーで食べたビザのワンピース210円。それにクリスピードーナツ1個。自宅から調理して持参したタマネギ中1個と魚肉ソーセージを塩のみで煮込んだ煮物。あとはピーナッツ少々である。量は女の子の昼食程度だが、これが私の昼ごはんであり、実際は1日の全食事である。夜にいつものオヤツであるぜんざいをいただく。それで1日は終わりである。よく1日1食主義者の著書の中などには1日一食であればその唯一の一食は何を食べても良いしどれだけ食べても良い、食べたいものを食べたいだけ食べても大丈夫だと書かれている。が、私はそれについて疑問に感じている。以前の私もそういうようにしていて、大変な量を食べていたし、どれだけでも食べられたものであった。が、本当を言えば、それは自分を欺く所業であると思う。自分を甘やかせれば必ず自分に返ってくるものである。それを充分意識してこれを実践して欲しいと思う。


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06月23日

起床時刻:03時19分

 就寝午後11時。出張先。途中何度か目覚める。夢も見る。とても現実的な夢。相手に説諭しているところなどそのまま寝言になっているのが分かった。何とも不思議な気持ちで起きる。睡眠時間は4時間と十数分。ちょっと短いのではないか…と心の中で何度も思ったが、その反面短時間睡眠のいくつかの本や著者などの共通の考え「寝る時刻はマチマチでも起床時刻が一定ならば大丈夫だ」という一節が頭の中でこだました。それで良しとした。眠たければ又いつでも寝れば良いし日中寝れば良いのである。


 一日一食をある程度本格的に始めて1ヶ月が過ぎた。昨年も一度チャレンジして一年近く続けたが途中挫折してしまった。挫折した原因は今ならよく分かる。段々自分に甘くなって、オヤツなどの量も増えたり頻度も多くなったりしたのだ。あるいは時たま何かのイベント等がある時に大食いしたり痛飲したものだった。だがそんな枝葉的な事よりも一番の原因は自覚であろうと思う。なぜ自分はこのような事に挑むのか・・という意思の内容だろうと思う。

 一日一食において私より随分と先輩のある人に言わせれば、欲望の為にこの行為に取り組もうとすれば概ね挫折するらしい。欲望というのは、例えばお金儲けとか、出世とか、地位への執着とか、女性だったらダイエットとか美容とかである。このような外見とか物質的な欲望が目的でこの一日一食に挑むのなら先ず長続きはしないだろうし、例え出来たとしても大変な根性が必要であり、またその反動も凄まじいものがあるだろう。ダイエットならリバウンドである。精神面でもその反動に悩まされるものと思われる。

 実際私も最初の試みでは初めの頃はうまく行き順調であったが、やはり知らない間に悪想念が蓄積していたのだろう、後半はボロボロな事が起こったものである。しかし少食自体には本当に若い頃から色々と試行錯誤してきた事もあって、よく見かける芸能人のリバウンドの酷さとか開き直りは防げていた。普通の人よりは少食が身に付いていたと思う。そのおかげで今回の再度の一日一食への挑戦にも繋がったのだ。

 ある一日一食の達人が言うには、欲望達成の為の少食は見た目にも悪くなると言う。つまり、昔の戦国時代の絵巻物などに描かれているあの「餓鬼」のようになるというのだ。餓鬼は食べたいのに食べられず、身体は痩せ衰えガリガリとなり、お腹だけが異様に飛び出てくるあの餓鬼である。体も心も餓鬼そのものとなるのである。常に飢餓感を持ち、欲しい欲しいと求めさ迷うのである。まさに一日一食は天国と地獄、紙一重なのだ。以前の私ももう少しでそこまで行きかかっていたのかも知れない。よく他人からも忠告を受けたりしていたものである。中には心配して「ガンでは?」等と言われた事もあった。その頃撮った写真等を見ても我ながら辛いものがある。骨川筋衛門・・と昔は極端に痩せた人間に向かって揶揄したものだが、まさにその通りであった。

 しかし今回は誰からもそのような事は言われず、自分でもそんなに悪くはないと思っている。前回は1ヶ月も続けると一気に体重も落ち例の餓鬼のようになったものであるし、精神面も充実感はなく、あったとしても波があった。しかし今回は本当に不思議なのだが、体重がある値までは確かに下がったが、それも非常に緩やかに。だが今回はある値まで来たらストップしてしまったのである。この現象は断食に近いような超少食を実践した人達共通の現象であるようだ。私もまさか・・・とは思っていたものだが実際自分にも当てはまって来たら何となく嬉しかったし本当に人間の体と心の神秘性に驚いている。私の体と心は欲望の固まりではなく、もっと高い精神性を備えているという証明をいただけたような気がしているのである。諦めずにやって来れた事に感謝である。


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●1日1食 35日目

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06月22日

起床時刻:03時39分

 就寝午後10時過ぎ。途中何度か目覚める。最後の目覚めは午前2時台であったと思う。しかし面白いように大体毎日同じような時刻に目覚め起床する。昨日とはわずか5分の差。目覚ましはもちろん使っていない。次女が用事で帰省した。次女によれば夫は一旦眠れば起床が非常に困難で、もちろん仕事の為の起床だが、決められた時刻に起きるのがほぼ出来ないらしい。それで次女にモーニングコールを頼んでいるらしい。聞けば午前6時半に起こして欲しいとの事であるが、私は妻と次女とのそのやり取りを横で聞いていて思わず笑ってしまったのである。しかし自分も彼と同じような年頃の時、多分そんな感じだったかも知れないなと懐かしんだものである。休日の朝など昼近くまで寝ていて中々布団から抜け出る事も出来なかったものだ。同じ人間がよくまあ今のような状態になったものである。


 次女が久しぶりに帰省し懐かしい顔を見せた。元の職場で何かイベントがあるとかで呼ばれているそうである。辞めた職場からそういう時にもお呼びがかかるというのは、とても喜ばしい事であり、次女らしいことだと感心している。私も久しぶりに彼女としばし話し、会話も弾んだ。

 彼女が我が家で生活している時は中々会話もなく、淋しい気持ちを感じていたものだが、こうやって一旦家を出て自立を始めればお互い意外にも素直な気持ちで話が出来るものである。時々こうやって積もる話を交わせるような機会が出来ればそれもまた一つの幸せの証なのかも知れない。

 自宅で飼っている猫も最近は少し私にも懐いてくれるようになった。子供たちが一緒に生活している時は私などの存在は猫にとってはあるかないかという感じだった。私の存在等無いに等しいのではと淋しい思いをしていたものだった。が、長女に続き次女が家を出て独立を果たしていった今、猫が私に徐々にだが接近してくれているというのは意外でもあった。

 これはしかしよく考えてみれば、猫が変化したというわけではなく、私自身の中の変化なのかも知れないと思うようになった。今までは娘達を愛おしく可愛いと思っていたものが、それが猫のほうにスライドしていったのかも知れない。以前なら動物、ペットの類をまるで我が子のように扱う人たちを横目で醒めた視線を送っていた私であった。それが今ではその人たちの気持ちが何となく分かるようになったのかもしれない。

 これを歳のせいだとは思わない。なぜなら子供たちは既に今の私のような気持ちを猫に向けていたからであるからだ。だから猫のほうも子供たちに懐き、近づいていたのかも知れない。私の方はと言えば、仕事にかまけて、日々の暮らし向きのことばかり考えていたせいで、とても猫のほうに豊かな愛情を傾けてはいなかったのかも知れないのだ。

 立ち向かう人の姿は吾が心の中にあり・・とは古の聖人の言葉である。まさしくその通りである。私の場合は今回に限りは人ではなく猫ではあるが、同じことである。なぜならこの世の中の全ての存在は本来一つなのだから。私が最近とても猫を愛おしく思うようになったお陰でそれが猫にも伝わり猫の方も私に近づいてきてくれるようになったわけである。これは人とペットの間柄だけではなく、何度も言うが、対人間関係についても充分言えることであり、適応できる事だと思う。つまり、この世をスムーズに円滑に生きて行こうと思うのなら、先ずは相手を無条件に愛する事なのかも知れない。愛すれば愛されるのである。.


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06月21日(金)

起床時刻:03時34分

 就寝午後10時過ぎ。途中何度か目覚める。午前0時台に目覚めた時はトイレに行ったり少し本等読んだりもしたがすぐに眠気が襲い直ぐに寝る。そして午前2時台にも割合意識のはっきりした目覚めがあったが、起きようかなとも思ったが(実際起きようと思えば起きれたのだが)いつの間にか再び寝ていた。結局いつものような午前3時半前後に起床。睡眠時間はトータルで大体5時間と少し。外はやはり雨。


 私の日々は今とても楽しいと感じている。大袈裟に言えば、呼吸するのさえ楽しく感じる・・。例えば、以前なら「悪いこと、健康にも良くないこと」等と思っていた例の「二度寝」である。二度寝した朝などはもう自己嫌悪で嫌で嫌でたまらなかったものだ。だが今は逆にその二度寝さえ楽しく感じられる自分がいる。以前の自分なら考えられない事である。

 二度寝は何回も睡眠が取れる。夜中に目覚めた時など昨日あった事とか、今日のスケジュールとか、昔の思い出を思い出したり、好きだった彼女の事を懐かしんだりとか(笑)。妄想にふけるのも楽しいものである。一日が夜に終わって、そして朝になればもう一日は終わりで又新しい一日が始まる・・・そんな慌しい日々なんかではなく、ゆっくりとゆっくりと時間が過ぎていきながら濃密なのである。そう思えば「二度寝」も又楽し・・である。

 ここ数日そんな楽しい日々を送らせて貰っている。が、果たして自分はこのままで良いのだろうか・・・とフト思うときも又最近芽生えてきた。ただ自分だけの楽しみ、幸福を享受するだけの毎日、それで良いのだろうか。そりゃあ以前のように、楽しかったり楽しくなかったり、世間を怨んだり、誰かを恨めしく思ったり。そんな日々を卒業して、すっかり気分が転換して、毎日が明るく感じられ、楽しい楽しい日々が過ぎていく・・・今の私はまさにこういう時間をいただいているのだが、果たして、それで良いのだろうか・・・と最近贅沢にも思うようになって来たのである。

 自分だけの幸せは確立できたのかも知れない。どうやら「我」という厄介な敵を制御できコントロール出来る術は会得できたのかも知れない。だが、果たして自分だけの「悟り」で人は心から喜びを感じて人生を生きられるのだろうか・・・。と最近思うようになってきたのだ。もしかしたら私の新しい人生という舞台の始まりなのかも知れない。

 そこで人としての原点に戻ろう。それは「働く」ということである。自分の幸せは出来た。大袈裟に言えば、どんな過酷な状況、例えば、地獄のような所に行っても、今の私は楽しく過ごせるような気がする。だが、今度はその幸せを自分以外の他者に「おすそ分け」する時期ではないだろうか、私もそんな歳、いや、本当はすっかり遅くなったのかも知れないのだ。そこで「働く」だ。キーワードは「働く」である。

 「働く」とはよく言われるように「はたを楽にする」というところから来ている。つまり、自分の幸せを確立できた人間が今度は自分の周り、周囲を幸せにする事なのである。「はた」というのは「周り・周囲」のことである。だから私はもっともっと働かなくてはならないのかも知れない。本当に他者にとって役に立つ事、いやいやどんな職業でも結果的には人の為になっているものだが、しかし、人の欲望を助長したり、現象面や物質面のお役に立つという仕事はここでは置いておき、真に人の為になる仕事である。そういう働きが今からの私には必要なのではないかと直感的に思えるのである。自分の幸せから他者への幸せである。今の私の生きる指標である。

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06月20日(木)

起床時刻:04時04分

 就寝午後11時。出張先。途中何度か目覚める。いつものように目覚めと睡眠を繰り返す。最後は確か午前2時台だったと思う。せめて3時台でないと起きようとは現在の意識レベルでは思わない。しかしこのまま行けば先はどうなるか分からないが自分の直感に任せたい。同室の同僚を気遣いながらサッと起き上がる。本日は雨の為先に仕事の半分近くをさっさと片付ける。ここ最近の裸かあるいはそれに近い格好での就寝の為か少し風邪気味な感じを受ける。しかしその風邪気味という自体も定かではない。と言うのも、風邪という感覚がどのようなものであったかあまり分からないのだ。少し大げさに書いたかもしれないが、正直なところ、自分が風邪をひき始めているのかどうか分からないのだ。それほど最後の風邪をひいて時間が経過している。裸で寝たければ部屋の窓はある程度閉めたほうがいいのかも知れないし、あるいは窓を開けたければやはりせめて半袖のTシャツ程度は着用した方がいいのかも知れない。が、多分この症状はこのまま数日続いたとしても先には進まないだろう。以前のように徐々に進んで行って、ひどい風邪の症状を呈する・・というようなことにはならないだろう。


 世の中には他人の人間関係の中に急に前触れもなく突然入って来て自己の欲求を果たそうとする輩がいるものである。少し驚き心は騒ぐがこういう人は無視した方が得策かも知れない。まともに相手などして傷つくのも嫌だし損な話である。

 しかし当の本人は正義感からそういう行動を取る場合が多く、全くのお門違いであり、せっかく当事者同士が楽しく交流しているのに結局水を差す形になってしまうのである。

 多分本人としては今目の前で交流している二人の内、一人の方に彼独特な思い入れがあって肩入れしようとするのだろうが、全くもって本当にお門違いな事なのである。それが本人が全く分からないものだから始末に終えないのである。

 私はこういう時は、彼のせっかくの正義感から出た行為ではあっても完全無視する事が多い。相手の歪んだ正義感を増長させない為である。視線さえ合わせない。不思議に彼はそんな私に執拗に目を合わせようとするのだが。彼から見れば私は彼の正義感を刺激した張本人であり、もう一人の人間は私から攻撃された可哀想な弱者に映るのであり、だったらなぜ彼はその弱者を見つめようとしないのかも不思議な話ではある。彼の視線はあくまでも私を追うのである。彼の倫理観、正義感から見れば私はいじめっ子であり、悪い人間なのにである。
つまり彼は結局自分に自信がないのである。歪んだ正義感は強い人間は持たないものである。

 日本一の高額納税者と言われる斎藤一人さんは「これからの価値判断、人生いかに生きるかの視点は、2つあればどちらを選ぶ場合、今までだったら正しいか間違っているかで選んでいたが、これからの世界はどちらが楽しいか楽しくないかで選べば良いのです」と述べている。件の彼に聞かせてやりたい名言ではないだろうか。


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●1日1食 32日目

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06月19日(水)

起床時刻:03時45分

 就寝午後9時半過ぎ。途中何度か目覚める。いつものパターン。ただいつもと少し違うのは睡眠時間。6時間も寝てしまった。よく寝たものだ。ただいつもと同じなのは起床時刻。昨日は特別だったが、ここ最近は大体3時半前後。上半身は裸のまま。下は半パン。実は寝る前にはせめて上はTシャツは着用しようとは思っていたのだがいつの間にか寝てしまっていた。部屋の窓は開けたまま。もちろん網戸はある。頭と足のそれぞれの方向に窓。つまり風が流れ込んで出て行くという理想的なレイアウト。クーラーはもちろん扇風機さえ要らない状態だ。涼しいと言える。それなのに上半身裸。意識の中には風邪を引いていないかな・・とも思わない。逆にボーっとして体全体が若干熱くも感じる。体内の血液が活発に流れている感覚である。もちろん布団はかけていなかった。せっかく次女が父の日にと贈ってくれたものだが、このままでは使われずに夏を終わってしまいそうである。本日は出張日。

 昨日も依然テンションは高かった。これで25日だ。最近では最も長く続いている。先ずは1ヶ月を目指している。1ヶ月を過ぎれば何となく自分自身で自信のようなものを得られるような気もする。結局何度も書いたが、テンションは自分の意思と決意でどのようにでも操作出来るような気がする。今までは自然任せだった。テンションを上げる為には努力したが実際上がった後は成り行き任せ的なところがあった。だからいつもどこか不安だったかも知れない。いつ墜ちるのだろうと。また、これは余談かも知れないが、肌がとてもきれいになったように感じている。特に昨夜はそう強く感じた。とても私の年齢の肌でもないし、しかし、本来はそんなものかも知れない。ただ、以前の自分と比べれば、随分きれいになったように思うのである。歯もきれいになったように感じるし、痛みもほぼ無くなった。髪の毛も増えたかも知れない。白髪も減ったかも知れない。が、そんなものはオマケ的なことであり、付随的なことである。要は毎日高いテンションで充実して過ごせれば良いのだ。


 昨日はお昼頃から幸福の科学の支部に出かけた。先日網戸の張替え作業中に我が家に訪れた二人の女性からその日行われた四国での幸福の科学総裁大川隆法氏の講演のDVDを借りていたのだがその返却とお布施の奉納の為にだ。

 実は一昨日も訪れた。二人の訪問の翌日に当たる。が、支部は閉じていて、誰も居ない様子。仕方なく帰ったが、聞けば月曜日は休館なのだそうだ。そして昨日に戻るが車を駐車場に置き、礼拝堂を見たが一人の女性が椅子に座っていた。それを横目に隣りの事務室がある扉を開き声をかけてみた。しばらくすると先日我が家に訪れた一人のSさんが顔を見せた。私は要件を言うとすぐに出ようと思っていたのだが彼女がぜひと礼拝室へと案内してくれた。

 私たちはその礼拝室に入った。私は彼女の案内を受けお布施を収納箱に収めさせてもらい、椅子に座った。さっき礼拝室で座っていた人がSさんでもあった。すぐに感じていたのだが今日の彼女の様子がいつもとは少し違うなと直感した。しかしそれは当たっていた。

 と言っても、彼女と会うのはこれで3回目。だが彼女とは昔からの知り合いのような気が初対面からしていた。だから彼女の変化は直ぐに分かったのだ。それとなく聞いてみた。すると案の定仕事のストレスで疲れていたようであった。だからそういう日は礼拝室で癒されるのだそうだ。私は「効果はありますか」等とビジネスライクに聞いてしまった。

 今まで彼女とは2度会っているが、いずれもハイテンションで良い感じだった。だからこの日の彼女の変化が強く印象に残ったのだ。あー、やっぱり彼女ほどの人でもそういう時があるのだなと納得した。1年365日、上機嫌で過ごせるような「人生の達人」は中々いないものである。

 今までの交流ではどちらかと言えば私は下手に出ていた。しかしこの日は私は一気に彼女の上に立った。これは理屈ではなく私なりの本能的なものかもしれない。話の中で選挙の話になり、今回の参院選で幸福実現党から出ている我が県の候補者の話になり、候補者の運転手を務めてくれないかとの話になった。私は即答は控えた。

 ある話をいただいた時、私の判断材料の一つにイメージするという事がある。その提案をイメージした時、それを面白く興味あることとしてとらえられるかどうかということだ。先ず私として初めての経験ならば面白そうだからやってみようかとも考える。今回の運転手の件は果たしてどうなのだろう。例え初めてだとしても、その事象が何となくイメージ出来て全てがありありと分かる事が出来れば私はやらないかも知れない。

 話を前に戻そう。私は彼女の上に立った。それは彼女が明らかに私より下に存在していると感じたからである。私は決して差別とか偉そうに振舞いたいとか思っているのではない。これはバランスの問題だからだ。竹村健一さんは著書の中でこういうことを述べている。「プライドには劣等感を。劣等感にはプライドを」と。つまり人間関係はすべからくこれに尽きると。二人の間にある空間をバランス良く保つ為にはこれが一番だと。それはある意味自分を客観的に俯瞰的に見ている証でもある。

 人間は誰でも自分が今どの位置にあるかを直感的に感じているものだ。潜在意識はそれをよく熟知している。だから自分が今下に居て、自信が失われていればそれは直感的に分かるし、だからこそそれを他人に悟られまいと虚勢を張ったりもするが、その嘘は他ならぬ自分自身が一番よく分かっているのである。

 いつも自分を高くあるようにする事が望ましい人生である。だからと言って、他人を蔑んだり自分を偉ぶったりするというものでは決してない。なぜなら人間は本来高い所に居る存在であるからである。それこそが「普通」の状態なのだ。下に居る、常識の中にどっぷりと浸かっているという方が異常なのだ。それを強く自覚して生きる事が毎日を素晴らしく生きる秘訣だと思う。.



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06月18日(火)

起床時刻:01時22分

 就寝午後9時過ぎ頃。随分早い時刻に寝てしまった。寝る前まではいつもとそんなに変わらぬ生活だったが、テレビがつまらなく、退屈を感じ、寝るしかないなと何となく思ってしまったかもしれない。しかし睡眠のいつものパターンは正直で、午後11時頃に一度目覚めた。もちろん又直ぐに寝る。で、次は本日の起床時刻だったかも知れないし、その前にも一度目覚めたようなそうでないような。とにかく睡眠時間は4時間くらい。起床時刻がいつもより随分早いのでもう一度寝ようかなとも思ったが、意識もはっきりし、目もほぼパッチリと開かれた状態だったので、思い切って体を起こした。まあ良いだろう。
 が、ただ一つ少し気になり心配なのは「テンション」の状態である。昨日でハイな状態は24日間続いている。今までの多分最高記録。確かに以前もそういう事はあったかも知れないが、最近では多分最長記録。多分少し前に23日とか24日間くらい続いた事があったと思うが、その記憶もあって、私自身少しそろそろかな・・と心配しているのである。今墜ちても不思議ではないなとも自分で思ってしまっているのである。そういう事が過去何度も何度も繰り返しあっているので心配は当然である。しかしこれは自分が結果的には招いているのである。全て自分が作り出している結果なのだ。今までの私はそれを自分の責任とはせず、テンションそのもの、それ自体の責任だと思っていた。これは自然の作用であり、自分ではどうしようもない事、どうあがいても仕様のないこと、どんなに努力しても自然には勝てないのだ、と思い込んでいた。無力感は確かにあった。が、今では少し違う。どのような精神状態であろうが、それは結局自分自身が作り出しているのであると思っている。だから翻れば、たとえテンションが再び落ち込んでも、又自分で再起出来るのだと思えるのである。それは以前にも思っていたのではあるが、それがより強くなったというか、短時間に再起動出来るのだという思いが以前よりは強くなったような気がするのである。


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06月17日(月)

起床時刻:03時44分

 就寝午後10時半頃。途中何度か目覚める。午前0時過ぎ、そして午前2時半頃。全くいつものパターンである。判を押したようなパターンである。自宅では大体こんな感じだ。夜は大変涼しく一応半袖の上着一枚は着用、下は半パン。起きた時はそれよりも涼しく、掛け布団はちゃんと着ていた。パッと起き上がる。今日も全くいつもと同じ。睡眠時間は5時間。

 気づけば日課としているスワイソウは昨日で丸一年を経過していた。早いものである。すっかり日課となって習慣になっている。スワイソウとは何度も書いているが中国の武術から由来の健康法であり、武術の強化補助鍛錬法である。呼吸法は伴わない。日本では単純に腕振り運動と言って、これも又独特な健康法として知られている。

 やり始めた頃はとにかく何も考えずにただ単純に腕を振り続けていたが、今ではそれも「瞑想」の一つとして私の中では確立されている。なぜこの運動が瞑想になってしまったのかは、これはもうやってみなくては中々分からないものである。ある日突然「これは瞑想なのだ」と直感的に分かったのである。

 そしてその効用はスワイソウそのものに目的があるというのではなく、この運動をやる事によって本来一番目的としている事に拍車がかかったり、やる気が湧いたり、そのエネルギーが湧いてくるというように感じている。私の場合ならそれは一日一食の実践だと思う。以前にも何度もこの食事法に挑んだ経緯はあったが、いずれも惨めに簡単に失敗に終わっていたが、今回はこのスワイソウのお陰で大変良好に無理なく継続させてもらっているのである。

 スワイソウを毎日少なくても実践しているお陰で、一日一食という過酷な修行が無理なく自然に出来ているという訳である。今ではすっかり私の生活に定着して、我慢とか無理とか、そういうものは一切なく、反対に適度な空腹を楽しみ、食べない事が心地よくなっているのである。スワイソウは私にとっては「魔法の杖」なのかも知れない。


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06月16日

起床時刻:03時42分

 就寝午後11時。出張先。さすがに本日は上半身裸とはいかず、Тシャツ一枚(もちろん半袖である。)半パンの格好で寝る。しかし掛布団は薄いもの一枚。今までだったらその上に仕事仲間共通の毛布一枚である。が、私はこの毛布は使わなかった。この日の相棒はこの毛布に加えもう二枚程度の布団や何かを使って寝る支度をしていたようだが。私は薄物の掛布団一枚。俗に肌布団と言われるもの。さすがに自宅と違い、ふと心配もしたが、何々大丈夫、と自分に言い聞かせそのまま就寝。案の定、起きた時はその掛布団さえかけずに私は寝ていたのだった。今朝は途中に覚醒した覚えもなく、一気に寝たようである。珍しい。これもまた出張先という環境の違いかもしれない。睡眠時間は一気に4時間40分くらいか。目覚めて起きた時は少し寒さも感じた。もちろん外気に触れた時である。


 思いがけない来客があった。午前中、車で隣の町まで昼ご飯を食べに行き、帰宅後気になっていた網戸の張替えをしていた時の事だった。上半身裸での作業。二階で仕事していると下のほうで車が停まった。明らかに我が家に来客だ。誰だろう・・・と思っていたが、先日訪ねた幸福の科学の女性達だった。正確にはあの日私の相手をしてくれた女性は一人であったが、今日はもう一人女性を連れていた。

 階下の方で声がするので先ずは妻に行ってもらい私はすぐに上着を着た。階下に降りると件の女性だった。玄関先で妻が応対していたが私はすぐに彼女たちを私の仕事場に案内した。自宅の一部が私の仕事場でもある。

 今日は幸福の科学の主宰者大川隆法さんの講演があり、その衛星放送が支部でも見れたので私も誘われていた。実は私は行ってみても良いなとは思っていたのだが、近所の若い会員によると参加費は5000円だとか。うーん、それ程までしてどうしても行きたいというものでもない。その時は率直にそう思ったのだ。それで若い会員には一応断ったのだが、その後支部から二人の女性が訪れたという事だ。

 彼女たちはそういう経緯を知らなかったようで、私には是非参加して欲しかった云々と言う。あ、彼女たちはお金の事に対しては何も知らないのだなと感じながらも話は盛り上がった。二人が私に出したのはこの日あった放送の講演をDVDにしたものだった。支部長が是非私にとのことだった。そしてそれと一緒にお布施の封筒もあった。このDVDを返却する時一緒にそのお布施も持参したいと私が言うと二人も了解。それでお金の事はあっさりと終わった。出来るだけで結構ですとのこと。私もそのつもりである。

 二人が帰った後、私は若い会員に電話した。その時のことを報告したのだ。その時お金の話になって、その若い会員が言うにはこういうイベントに出たくても出られない人、つまりお金が工面できない、お金がない人の為には色々な救済方法があるような内容の話をしたので私はすぐにそれを制して私の思い考えを伝えた。

 「僕はね、お金が惜しいからとかお金に困っているからという理由でイベントに出られないのじゃないよ、誤解があるようだから言わせて貰うけれどね、本当に自分が行きたいと思うのならば5000円だろうが1万円だろうが行くよ」と。すると彼女(若い会員というのは既婚女性である)「つまりいきたいものならお金は出すということですね」と。私は「そうだよ、つまり今回はそんなに行きたいとは思わないんだよ、5000円まで出して行きたいとはね。」と返した。

 私は続けた。「たまにはね、高級なレストランで高い料理も良いけれども、僕は定食が良いんだよ。自分が楽に支払えるお金でね」と。彼女はその間ずっと静かに聞いていた。彼女や今日我が家に訪れた二人の女性達にとっては幸福の科学や大川氏はその思想、説法は高いお金を出しても充分価値を認めるものであろう。私は逆にその事については何も否定するものではない。自分が納得し美味しいと思えるものならどんな料理にでも高いお金でも支払ってもそれは個人の自由である。しかし私は定食で充分なのである。

 しかし二人の女性と私は随分楽しく会話を楽しんだ。一人の女性は大病を経験してこの教えに出会い今はすこぶる健康である。もう一人の女性は初めは一人の入信であったが、現在は家族全員で幸福の科学の信者である。特にご主人を引き入れるのに10年かかったそうである。大体男の方が頭は固いものである。しかし引き入れる・・・というのは間違いかも知れない。自分の妻が日に日に変わっていき明るく変貌していくのを見て男はある時入信を決意するものである。

 

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06月15日

起床時刻:03時24分

 就寝午後10時過ぎ。最初の目覚めはいつものように午前0時半頃。そして本日の起床時刻。昨日と同じパターンだ。睡眠時間は大体5時間。昨日と今日、寝る時の格好は上半身裸、そして下半身は半パン。ほぼ裸状態。いくら夏とは言えまだ本番でもなく梅雨の時期。以前の自分なら「風邪でもひけば・・」等と心配したはずである。今の自分は一丁試してやろう・・等と良からぬことを考える。「風邪でもひくのなら引いて見せてよ」くらいの勢いでやっているのだ。早く言えば、一体今の自分にはどのくらいの強さ、耐久性などがあるのか・・という自分を試すという思いが多分にあるのである。しかし風邪等引かないだろうという不敵な自信さえあるのだが。
 
 昨日久しぶりに近所にあるコープに出かけ備え付けの血圧機で血圧を測ってみた。内心多分血圧が正常になっているだろう・・という予感が走ったのだ。ちなみに私の血圧は半年くらい前なら160くらい、もっと以前なら170、ひどい時には180くらいの時もあった。つまりひどい高血圧であった。私のようなスリムな体型でもそうなのである。これは多分遺伝かも知れない・・と何となく思っていたものである。しかし少食にすれば、それも一日一食レベルの少食にすればすぐに改善する。いつもの事である。だから今回も何となく自信があった。今回の一日一食も20日を過ぎた。これくらいなら多分血圧も下がっているだろうという予感があったのだ。

 自転車で図書館に行き、その帰りにコープに寄ってみた。すぐに測ればやはり動悸もあり、本来の正確な値は出ないだろうとすぐには測らず少し店内を回ってみた。そして計測。少しまだ胸がドキドキしていた。案の定数値はちょっと高く151であった。これは一般なら高血圧であり、医者なら服薬と通院を勧めてくる数値である。私は直感的に「よし、もうちょっと時間を置いて測ろう」と思い、もう一度ゆっくり店内を回った。

 そして二回目の計測。今度は幾分体も静かな状態になっていた。よし、今度は大丈夫と思った。しかし反面、「ひよっとしたらまだ20日間くらいではそんなに変わっていないかな」とも思いつつ。
 しかし結果は意外にも全く良好であった。129。これは30代前半の数値である。つまり私の血液年齢は(他の数値、つまり血糖値や白血球の数値等)20歳以上若いのである。
 しかも前回健康診断で測った時の数値160よりも断然低いのである。30ていど改善されているのである。少食の偉大な事よ・・と我ながら驚くのである。
 全部が全部そうでもないだろうが、多くの医者は一方的に私を批難してくる。もちろん血圧が高かった頃の話であるが、こんな数値が出てくるような生活を直ぐにでも改め、通院し、薬を飲め、味噌汁は慎め・・等々である。中にはそんなに高圧的には言わない医者もいたが、概ね似たような反応をする。だから健康診断は嫌いである。
 
 4月に健康診断にかかった時の医者に今回の結果を見せたいものである。彼は一体どういうリアクション、態度を私に見せてくれるのであろうか。私は彼の言うような事は一切実行していないのだ。それにもかかわらず私は30以上の数値の改善を見せた。今の私は心身ともまさに30代前半のものなのである。いや、もしかしたら、今のままの生活を続けて行けば、もっともっと改善され変身を続け、20代、いやいやもしかしたら10代・・? いやいやそれは結果論であり、付随するものである。それにとらわれてはいけない。血圧が正常になったのはオマケであり、私の本来の目的は常に自分が好きな状態で生きるという事なのであるから、表面的な事にとらわれてはいけないのである。


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06月14日(金)

起床時刻:03時48分

 就寝午後11時過ぎ。最初の目覚めは午前0時半頃。これは大体いつものパターン。そして本日の起床時刻。大体3時間後の目覚め。これもいつものパターン。つまり先ずは1時間半の睡眠で体慣らし、次いで3時間の睡眠で本格的な睡眠。ここで多分熟睡しているのだろうと思う。しかしトータルでは4時間半睡眠。これもまあまあである。こんなものだろう。


 中国や韓国からの色々な日本たたきの数々の報道等を聞いていると私達日本国民が襟を正して考えなければならないこともあるのだとは思うが、反面、ひどすぎる場面も遭遇したりする。ここで登場するのが右翼とか左翼とか様々な立場でものを喋っている有識者達だ。現在の私はどちらかと言うと右翼の方にいるのかもしれないが、だが以前のように右翼の人たちの意見をそのまま鵜呑みにするようなお人好しでもない。

 実際仕事先では数社の新聞が読めるのだが、最も右翼的である産経新聞は確かに読んでも面白くは思うが、最初に読もうとは思わない。先ず読むのは地元の県民紙である。地元のニュースを読みたいと思う。自宅で読んでいるのは読売でこれはどちらかと言うと右翼。そして最近分かったのは(遅かったのかも知れないが)毎日新聞は左翼。これは職場である。これは読まない。朝日はもちろん左翼。元気のない時は産経新聞が特に面白く感じる。だから自分なりに、元気のないとき、つまり一般的なオヤジ状態の時は産経新聞が面白い。

 現在の私はそういう報道の中で「中立」を保ちたいと願っている。つまり「中道」である。仏教の究極の教えがこの「中道」であると言われている。間違いのない人生を歩こうと思うのなら「中道」を進むのが良いのだろう。つまり、アジアの人たちに過去迷惑を与えたと素直に反省し、しかし反省しつつ、あまり自虐的にはならず、前向きに前進して行こうというものである。これなら右も左も含めた状態で私としては理想的ではないかと思っている。

 元気のない時に読むのが産経新聞だといっても、そんな俗的な読み物だけではなく、確かに他の新聞紙面では発表されないような内容が多く含まれていて、楽しませてくれる。日本の良さや過去の事件の良い所などが率直に分かって私の目を開かせてくれるところは素直に認めているのである。逆に朝日等、意図的に日本国の権力者への無意味な批判、中傷などが広がっているようで、読むのがある意味恐いのかも知れない。なぜこの新聞がビジネスマン達に人気があるのか分からないが、彼らの中の権力への醒めた部分が共感を呼ぶのかも知れない。

 それなら中道を目指しているのなら、お前も毎日や朝日を読むべきだと指摘されるのだろうが、私は何故これらの新聞を読まないのだろうと自問してみる。すると分かってくるのは、私の中には本来左翼的な部分が備わっていて、読まなくても充分理解できているからではないかと思うのだ。つまり私の中にはお人好しな平和的な争いを好まない部分が既にあるからである。しかし現実の世界ではそんな甘っちょろい事を言っているだけでは生きていけないし、本当の平和は手に入らないのだろう。それで本能的に右翼的な思想、考え方を外部から投入したくなるのかも知れない。まさにバランスである。

 

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06月13日(木)

起床時刻:03時10分

 就寝午後11時45分頃。最初の目覚めはその1時間半後。そして本日の起床時刻。睡眠時間は3時間半弱。もちろんこの時間だから起きようかどうしようかとさすがに迷ってしまった。が、6:4くらいで起きるのが勝ったようだ。まあ自宅なんだし、眠くなれば又眠ればいいのだ。


 警官の不祥事が相次いでいるが、その中の一つに、被害者の女性に電話連絡していなかったのに、それを偽って連絡したように報告していた警官が糾弾されているようだ。彼の話によると、言い訳なのだが、もしそれが明るみに出たら自分が処分を受けたり何か言われてしまうのではないかというのを恐れての事だったらしい。これは轢き逃げ犯が事実が分かると罪に問われそれが怖い為にその場から逃走したという事例に似ているのではないか。

 つまり、私が言いたいのは、警官だろうが、一般市民だろうが、反対の立場にいても結局人の考える事や感じることは同じなんだと言う事である。しかしここで問題なのは、その警官がそういう事をやってしまったという事だ。警官は特別な存在であり、一般市民には多い保身に走って偽りを実行するというのは許されないという事なのだ。テレビ等でもニュースキャスターやコメンテーター等はここを強く指摘し糾弾する。学校の先生が何か事件を起こしたときもやはりそうで、彼らは「聖職」についているから、一般市民とは違うという論法なのである。

 公務員もそうだ。彼らは国民の公僕であるから、私達と同じように扱われないという事だ。つまり、そういう特別な職業にいる人たちは私達とは扱いが違ってくるのである。これが世の中の現実である。話を元に戻す。つまりコメンテーター達が口を揃えて批難するのは警官たる者がそんな好い加減な事では困るという事である。彼らは特別で、罪を憎み、犯罪を予防する為には常にスペシャリストの意識を持って仕事に当たらなければいけない、それは全ての警官に通じる事だ・・・ということである。

 しかし私等ちょっと違う。警官の中にもそりゃあ一般人と同じような感覚を持つ人もいるだろうし、特に制服を脱げば彼らも一般市民なのである。24時間仕事を意識するわけでもなく、郷ひろみではないが「24時間郷ひろみでありたい」等と思うわけはないのである。これは暴言かも知れないが、ほとんどの警官が一般人と同じような感覚・・つまり、轢き逃げの現場から思わず逃げてしまうのではないだろうか・・。

 保身。この世で生きていれば、ほぼ誰もがその感覚を持っているし、これはある意味悪い意味だけではなく、自分を守ろうとする本能に根付いたものだからある意味性質(たち)が悪いのである。しかしニュースキャスター達は許さない。まるで自分たちは聖人君子のように、彼らを糾弾する。もし自分がその立場に立ったら、果たして彼らは全うな行為、行動を取るのであろうか。私は非常に疑問に思うし、反対に彼らは一般人よりはるかに世間体等を気にする立場なのであるから、そういう全うな事が出来るのだろうか。

 100人がいて、せめて1人は全うな事が出来れば良いのではないかとさえ私等は思ってしまう。我が身を顧みず、自分というものを捨て去った人間だけが今回の警官とは違った対処を取れるような気がするのである。常識・・・世間の中の常識に染まった人たちが果たして今回の警官の失態を批難できるのだろうか。彼の嘘の中で、自分が電話した履歴で相談者が電話してくるのを待っていたというのがあったが、最前線で働く営業マンなど、そんな悠長な事は言っていられないものである。相手の、お客の返事を待って等おられず、常にこちらからアタックするのである。先手先手で彼らは良い仕事を達成しているのである。待つなんてのが、そもそもこの警官が生ぬるい環境の中で、自分が属する職場・環境などの常識に縛られている証拠ではないか。

 平和ボケの日本国である。今からもこれからもまだまだこういう事件は起こるだろう。被害者の親族はテレビのインタビューで「誰を信じていいのか分からない」と警察を暗に批難していたが、本当は誰も信じないのが正しいのである。信じれるのは自分だけである。誰を信じていいのか分からない・・・この正解は「自分自身」だということだ。自分を信じれる自分になること、それを目指す事が安心立命になるのである。

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06月12日(水)

起床時刻:04時07分

 就寝午後11時。出張先。最初の目覚めは案の定それから1時間半後くらいにやってきたと思う。それからもう一度目覚め、まだ午前2時とかそんな感じであったから出張先でもあったから寝てしまったようだ。何度かの目覚め、睡眠を繰り返し、最終的に起き上がった時は何となくその時刻も推定できているような気がする。周囲の空気感などで何となく自然とその時刻が分かるような気がするのである。本日の起床時刻で、いつものようにサッとパッと起き上がれる自分を感じる時、何となく良い気分でもある。本日の睡眠時間は5時間。


 よく世間ではAとBを足して半分で割ったらちょうど良いのに・・等と言う事があるが、これは確かに的確な答えのようで、本当は全くお門違い的な解答かも知れない。
 例えばあの人は温厚だがバイタリティーがない、面白味がない、さらに又違う人で、あの人は活動的だけど知性が足りない、無分別な感じで嫌だ・・等と言う言葉を聞き、そういう場合、二人を足して二で割ったら良いのにね・・等という意見を聞くものだ。
 そうすると、出来上がった人物像は、両者の良い所ばかりチョイスされた「好人物」ばかりとは限らず、当然、両者の前述したような欠点さえもが現れて来るだろう。
 逆に、こういった表現を使った場合、良い所ばかりを取り出して、悪いところは全て捨てて理想的な人物を作り上げたいのだろうが、そうは問屋が卸さないのである。
 仮にそういう良い所ばかりで出来上がった人物は果たして魅力的なものであろうか。
 私が何を言いたいのかと言えば、あの人もこの人もありのままで一つなのだから、両者を足せば、両者の全てが足されて行くものである。逆に本来人は別個に別れた存在等ではなくて、全てが一つだとしたら、AもBも足す事等必要ないのである。
 一人が全部であり、全体であるのだ。その個人の中に全てが包容されていて、良い所も悪いところも全てが一つなのである。そしてその中で、良い所を常に表に日っ張り出して生きていく算段を考えて行く事こそが重要なのである。良い所も悪い所も全てひっくるめてのその人なのである。


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06月11日(火)

起床時刻:05時03分

 就寝午後10時半過ぎ頃。いつものように途中何度か目覚めたものと思うが、いつものような明確な記憶がない。と言うのも、本日は珍しく午前5時を過ぎて目覚めてしまったからである。熟睡・・。よくわからない。いつも最近は熟睡しているものと思われるからだ。今、思い出したのは、確か午前2時台に一度目覚めた。確か・・・午前2時半頃だった。面白い事にこれを書き出してから次々と思い出してくる。書き始めは本当に全く覚えていないと思っていた。頭がすっからかん状態だったのに、書き出してから思い出してきた。途中覚醒の最後が確かに午前2時半だったと思う。本来ならその時起きるのかも知れないか、睡眠を選んだのだろう。しかもそれから3時間近く眠ってしまった。トータルの睡眠時間は6時間と少しということになる。


 一日一食のような一般的には過酷と思われるような毎日を送っていると、色々な面白い現象が我が身に起こってくる。だからそんな現象を一つ一つ吟味しながら色々と自分を試したり眺めたりする作業はとても面白く楽しいものである。
 その中の一つに我が身を辛い、厳しい状況に自ら入れてみようという試みを持ったりすることである。これはまさしく分かりやすく言えば、「マゾ」的行為である。以前の自分だったら、そういう試練の中に我が身を入れるようなことは極力避けようとしたものである。が、全く逆に、そういう状況に自分を飛び込ませ、そうなった時の自分を俯瞰的に見たりして楽しむようになることである。
 自分がこういう状況に陥ったり、他人から辛辣なことを意見されたり、厳しい苦情を言われたり・・そういうことになったら、果たして自分はどのようになってしまうのだろう…。などと想像するだけでも少しワクワクしてきたりするのである。これは完全にマゾなのかもしれない。

 しかし面白いことに、そうなったら自分というものは不思議なもので、強くなっていると実感し、そしてそういう厳しい状況がやってこないようになるのである。鬼神も避ける・・・的な感じなのかもしれない。いや、楽しいこと、期待したいことは中々実現しないものであるが、まさに、期待することはやってこないのかも知れない。だから自分に厳しい状況を期待しても逆にそれはやってこないのかも知れないのだ。自分を甘やかして生きていた頃は誰かに意見されたり注意されたりすると小さくなったり萎縮していたものだが、反対に一日一食のような厳しい生活を続けていると、逆にそのような嫌な事や辛いことなども反対にやって来ないかな・・と思ってしまうのである。だが面白いことにそういうものはやって来ず、良いことばかり、楽しいことばかり、幸せな事ばかりが次々と訪れ、周囲の状況はどんどん改善されていくのである。恐れることに飛び込むのも人生の醍醐味かも知れない。あの岡本太郎さんなど、そういったことをよく言っていたものである。

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06月10日(月)

起床時刻:03時40分

 就寝午前0時。普段より随分遅い就寝時刻となった。2時間劇場版テレビ番組が意外に面白く自分としては久しぶりに最後まで鑑賞した為か。しかもその後しばらく仕事と読書。そのお陰で就寝午前0時という時刻になってしまった。それでも最初の目覚めは自分の寝言でまたもや起きるという事で午前1時半頃。しかし直ぐに再びの就寝。そして本日の起床時刻となった。睡眠時間は3時間40分。昨日よりもまたまた短い睡眠時間となってしまった。このままではもしかしたら3時間くらいになってしまうかもしれない。その代わり日中仮眠タイムを自然と取ってしまうようになるだろう。昨日も午後少しそして夕方頃ある程度の仮眠を取ってしまった。気持ちは良いのだが。

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06月09日

起床時刻:02時37分

 就寝午後10過ぎ。当然その後1時間半後頃に目覚める。そして当然再び寝る。そのあと又午前0時台にも目覚めたような覚えがあるが、午前2時過ぎ(正確に記せば2時22分だった)に目覚め、当然まだ早いと自覚し寝る。が、次に目覚めたのはそれから数分後の本日の起床時刻。これはもはや寝る意味なし・・と判断、サッと起き上がる。睡眠時間はそれでも4時間と少しか。段々短くなっているような気がする。が、こんなものだろう。

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06月08日

起床時刻:03時49分

 就寝午後11時。最初の目覚めは2時間後の午前1時頃。出張先。しかも同僚は神経質なTさん。当然再び寝る。で、次が本日の起床時刻。昨日は午前4時台。だから今日ももう少し寝ても良いし、心の中でもちょっと寝ようかなと思ったが、何となく今日は自分に負けたくなかったし、思い切って起きる。睡眠時間は結局4時間40分くらい。
 昨日は最近のハイテンションの中でもとりわけ良い調子だったが、出張先で、普通ではないような「異常事態」的な事が私の目の前で展開されそれにとても驚いた。心は常に平安で、穏やかな感じだったが、本当にびっくりした。まさに、精神異常ではないかと思われるような人物の挙動が展開されたのである。しかし考えてみると、それがこの現代社会の様態なのかなとも思える。先日ここでも書いたように、この世は餓鬼阿修羅の世界なのである。よく考えれば驚くことではないし、そういう社会の中で、いわゆる「力」を持ったリーダーと言われる人たち、「勝者」たちは、ある意味精神異常者なのかもしれない。昨日はそれをまざまざと見せられた。しかし私はそういう世間に負けないと決意し、自分に誓ったはずである。

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06月07日(金)

起床時刻:04時32分

 就寝午後10時過ぎ。最初の目覚めは午前0時過ぎ。この時点では睡眠時間は2時間。意識も割合はっきりしていた。しかし寝る。そして午前3時過ぎに再び目覚め、普通なら起きるのだが本日は出張日。日中なるべく仮眠等取りたくないなあと思った為もう一度寝る。そのため睡眠時間は普段より多目の6時間と少し。これなら日中も仮眠は必要ないかも知れない。テンションの好調はしばらく長く続いている。この調子を維持したい。


 同じ本でも繰り返し読む効用はあるのである。と言うか、本当はそうやって読む方が楽しいし味わい深いものかも知れない。最初に読んだ印象と二度目に読んだ印象、更にもっと突き詰めれば三度目は更に感じ方受け止め方が変わってくるものである。これはきっと受け手である私たち読者の成長に関連しているのだろうと思う。

 ある修養書があって、何度か繰り返し読んでいる内にある時突然ひらめきのように、その内容が全くよく理解出来、まるで自分が書いたような錯覚に感じられる時がある。こういう時はもう既にその本のその文章部分は我が物となっているのであろう。
そういう時は本当に心から嬉しいものである。

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06月06日(木)

起床時刻:03時03分

 就寝午後10時過ぎ。途中数回目覚める。特に本日の起床時刻の午前3時過ぎの直前とか午前2時台に目覚め、早いかなとも思うのだがそんなに頻繁に短い時間間隔で目覚めるものだから、それならと起きてしまった。睡眠時間は5時間くらいだろう。


 この早起き村サイトでもよく論じられているのが「2度寝」についての弊害論である。実は私もこの二度寝についてはずっと悩んでいた。ある早起き肯定論者の本等には二度寝は悪であり、一日が台無しになり、テンションが墜ちる一番の原因がこの二度寝なのだと。私はこういう人が意外に多いので現実に私も相当洗脳されたのか知らないが、二度寝は悪であると結論付けていた。

 特に私はそれを意識し出して自分自身の二度寝について自己嫌悪の塊のようになっていた。だからどうかしてこの二度寝を克服したいものだとずっと思っていたのだ。それでも中々それは治らず、果たしてこの二度寝という厄介な難敵は一体何時頃から私の人生に登場してきたのだろう等と考えた事もあった。多分若かった頃は二度寝など経験がなかったのではないか、世間で良く言われるところの中高年になったら誰でも夜中に何度も目覚めトイレなどに行くものだ、と教え込まれ信じ込まされていたのかも知れない。

 だからそういう意味では、一度夜に睡眠に入ったら、朝起きるまで一気に寝て、途中一度も目覚める事もなく、爽やかな起床を繰り返していたものだ、若い頃はそんなものだ、と自分でも考えていたものである。だが果たして二度寝といものはそんな悪いものなのだろうか。これは何かの予兆とか、寿命が尽きるまでに誰でもが自然に訪れるある意味「成長」の一つではなかろうかと思うこともある。

 成長・・・と書けば少し極端かも知れないが、悪いものと決め付けるのもどうかなとも思うのである。ではなぜ私が以前なら悪いものと考えていたこの二度寝を肯定しようという気になったのか・・。それは決して無理やり自分の行為をプラスに考えようなどというものではない。悪い事を自然に繰り返す自分を無理やり良い方に解釈しようというものではないのである。

 それは現実自分の生活に起こった結果から導き出した事なのである。それは夜中や夜明け頃に何度も繰り返される目覚めについてだが、以前ならそれはとても不快な気持ちにさせられる現象であったはずなのだが、最近はそうでもなく、逆に、気持ちの良い、何とも平和な、楽しげな、心地よい気持ちや感情に私を導いてくれているからなのである。幸せな気持ちにさせてくれているのである。過去あんなに私を苦しめた二度寝は今では反対に私を幸せに導いてくれているのである。

 しかしこれは私個人の体験であるから誰にでもおススメはできないものである。現在の常識、医学会の見識等からはとうてい理解不能なことなのかもしれない。しかし私の生活にはそういう意味では「革命」が起きたのかも知れないのだ。夜中に数度目覚め、しばらく何とも言えない幸福感に包まれたりする。そして又再び眠りに付くのである。一日に何度もそういった幸せな感情を経験できる・・。そう考えた時、二度寝はそんなに世間で言われるほどには悪いものではなく逆に良いものかも知れないと思えるのである。

 例えば・・夜眠くなり、午後10時とか11時に寝たとしよう。そして途中一度も目覚めることなく朝まで眠り続けたとする。世間ではそれを「熟睡」と呼び、「良い眠り」と定義する。実際私もそういう眠りにずっと憧れていたものである。だが・・・その6時間とか7時間とか8時間ははっきり言って完全な無意識の時間である。しかしその時間が肉体の健康には必要であると医者は言い世界の常識は訴えるのであろうが、個人から見れば全くの無意識であり、極論を言えば、無駄な時間であるかも知れないのである。実際世界には全く眠らないでも生活できた人たちの記録さえあるのである。

 それから考えれば、夜中や夜明けに何度か目覚め、意識も割合はっきりし、例えばその直前に見た夢などを反芻したり、昨日の事を思い出したり、明日の事を色々と想像したり、そんなわずかではあるが、そんな時間が持てる瞬間もある意味必要なのかも知れないし、実際私は今はそう思っているし、直感的にもそれらが自分の精神とか魂とかを清めたり癒したり和ませてくれたり豊かにしてくれたりと感じられるのである。だから今は夜寝るときなどとても幸福感があって、今日も又夜中に目覚めあの幸福感を感じられるのだと思うと寝ることについて以前のような恐怖感(少し大げさかも知れないが)はなくなっているのである。

 夜中に何度か目覚め再び睡眠に入る。つまりもっと分かりやすく言えば、一日の中に何回も睡眠を経験できるのである。普通の健康体の持ち主ならば一日に睡眠は一度かも知れないが、私はその2倍3倍も経験できるのである。楽しみが人よりも何倍も得られるのである。人よりも多くの体験が得られるのである。今の私はそういう風にいわゆる「二度寝」というものをとらえているのである。だから本当はこの「二度寝」というネーミングさえ変えたいくらいである。名前等どうでも良い事なのであるが、今までの常識の中ではこの名前はやはり「悪くてマイナス」であるからだ。だからこの際一気に名前を変えれば良いのかもしれない。もちろん私の中だけではあるが。

 

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06月05日(水)

起床時刻:04時47分

 就寝午後11時。途中覚醒2回。最初の目覚めは午前0時過ぎ頃。出張先。二度目の目覚めは午前2時台だったと思うが、自宅であれば起きたかも知れない。しかしそれからは良く寝た。睡眠時間は5時間40分くらい。

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06月04日(火)

起床時刻:02時54分

就寝午後10時過ぎ。最初の目覚めは例によって午前0時過ぎ頃。直ぐに寝る。で、本日の起床時刻。睡眠時間は5時間弱。前日午後7時から母校の同窓会幹事会があり、懇親会でしこたま飲み帰宅後上機嫌で妻達に報告。良い気分でそのまま眠ってしまった。しかし朝起きてみると二日酔いの兆候等微塵も無いのだが気分はどこかややブルー。これって一体何?と自分でも思ってしまう。懇親会で出された豪華な幕の内弁当のオカズ? 唐揚あり、半ナマに焼かれた肉? 酔いのせいでそれらを何の躊躇も無く食べてしまった自分への懺悔の念? 分からないが、良い気分とはいえない。何故だろう。昨夜はあんなに浮かれていたのに。昨夜はあんなに上機嫌で妻達にいかに楽しかったかを報告していたというのに。


 昨日恒例の母校同窓会幹事会が市内ホテルで行われた。同窓会というのは、一般的に言われるクラスメートや同級生達が集まる小規模的なものではなく、とにかく同じ母校を卒業した者なら年齢問わず参加できるというものである。

 現在の我が母校の同窓会のリーダーは私の同期のSである。肩書きは同窓会会長。2代目社長として経営に専念する傍らこのような役職をも務め母校発展の為に頑張っている次第である。

 昨年は私は欠席したが、それ以前はずっと出席させてもらっている。私としては年間の恒例の行事なのである。そして大体いつも誰かを同伴して出席していたのだが、今年は一人の参加となった。これも又楽しである。

 受付に到着。3人の係りの人が受け付けてくれた。結局その3人とも後の懇親会での同じテーブルで楽しい時を過ごす事になるのだが、この時はまだ知らない。その中の一人が今年の当番幹事の代表「当番幹事長」であった。少し小太りの体格の良い笑顔の素敵な感じ良い男性であった。

 私はこの日もテンション高く(だから出席するのであるが)受付に行くなり絶好調で飛ばしてしまった。3人はそんな浅はかな私を笑顔で受け止めてくれ、特に今年の幹事長は年齢は私よりも二周り若いのであるが、元気の良い応対で返してくれたのは少し意外でもあり嬉しいものであった。

 当番幹事は私も過去務めさせてもらった事もあるが、要するにチケットを売りさばき、パンフレットに掲載する広告を集めるのが主な仕事である。大変な作業ではあるが、やり終えた満足感や達成感、幹事同士との連帯など良い思い出に残るはずなのである。

 最初の30分は予算等の決算報告で占め、そのあと、会場を隣に移し懇親会が始まる。誰もが大体この懇親会を楽しみに集まっていると言うのがホンネなのかもしれない。特に中高年はである。私もその中のもちろん一人ではある。

 年齢を超えた集まりなので、じいちゃんもいれば若い娘っ子もいたりするのであるが、今年はその若い女の子はいない様子であった。当番幹事の熟女に入りつつある年頃の女性達が何人かいて、彼女達は男性達もそうであるが、各テーブルを回りお酒等をお酌するのである。これは大変な事であり、チケット売りなど大変な作業をこなすのだから「君達はそんな事までしなくても良いよ、ジジイなんてほっとけよ」と私に言われてもそんな訳には行かないようで、セッセセッセとサービスに励んでいる様子だった。

 その間私達のテーブルにはかのS会長、そして前会長のKさんもお酌に来ていただいた。このKさんは私達よりも大先輩にもかかわらず、いつもフランクに接してくれ、お酌等も気軽にしていただく。私はこの彼の飾らない偉ぶらない態度に好感を持ち尊敬させてもらっているのである。

 そして私達のテーブルには今年の幹事長、副幹事長も加わっていた。副幹事長は初対面の私に率直に自分の家族の事を吐露しその素直さに少し戸惑いつつも感心させられたりした。また幹事長はと言うと、ほとんど自分の前にある豪華な幕の内弁当には箸を付けず、会場のお偉い方らを回り、これ接客に務めていたものだった。私の頃とはエライ違いである(笑)

 そして私の隣に座ったのは女性で実習助手という身分の人だった。いわゆる母校で現在学生達に勉強を教えている先生である。そしてその隣には教務主任という体育の先生。その隣に事務長が座っていた。この3人ともすっかり打ち解け、大いに私達のテーブルは盛り上がった。執行部のおエライ方達はいつものメンバーでいつもの会話なのだろうが、私は全くの初対面であり、その会話は全く新鮮なものであった。

 あっという間に楽しかった懇親会も終わり、一本締めで閉会となった。最後に司会者が今年の当番幹事長に激を飛ばしたが彼は率直にいかにも率直にそれをまともに受け感極まった様子で何やらはっきりとは聞き取れなかったが雄たけびのようなものを発した。今まで多くの当番幹事長を見てきたが彼はまさしく異色であった。私も思わずその彼の率直な態度に反応して大きな声で彼の名前を呼び激励させてもらった。歌舞伎の舞台で客が声をかける雰囲気である。

 そして別れ際、同窓会当日司会を務めるという当番幹事の男性、それに元気な幹事長二人とガッチリと握手を交わし最後の激励をさせてもらった。何か今年はさらに盛り上がりそう・・・私は何となくそんな予感が走った。それはこれから始まる私自身の新しい道の序曲となるのかもしれないのである。会場を出て私は直ぐに親友のテツ、それにポンちゃんに電話した。酔った勢いもあったかも知れないが先ほどの感動を誰かに伝えたかったのかも知れないのだ。


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06月03日(月)

起床時刻:04時05分

 就寝午後10時過ぎ。午前0時過ぎ頃一度目の目覚め。さすがに又寝る。そして次が本日の起床時刻。時計を確認午前4時と分かるとスッと起き上がる。躊躇なし。睡眠時間は6時間弱。良く寝た。昨日は隣県のある都市まで遊びに行く。帰り際、歩き疲れた妻が「さすがに疲れたね」と言ったが私は「ゼンゼン」と言ったら少し驚いていた。全く疲れ等感じないのである。しかも運転は全て私。しかも起床は私が午前3時、妻は普通に午前7時過ぎ。仮眠は少しも取らずにそのセリフである。普通の神経なら驚くのだろうが、本当に私は少しも疲れは感じられなかったのだ。慣れない街で、私は本当に歩くのにワクワク感に溢れていた。一日一食をやる時にいつも感覚として感じるのは足の筋肉に良い意味での緊張感を感じることだ。足全体に「気」が流れているのを感じるのである。三次元的に言えば、筋肉が成長しているのを感じるのである。これはこの世の物理学の逆の発想である。この世の常識を越えている。


 私の知人でバンド活動を趣味でやっている男達がいる。このブログでも紹介していたが同級生達のバンドではなく、ちょっとした知り合いのバンドである。しかし内容は良く似たもので、昔私達が若かった頃流行ったフォークソングを懐かしむバンドである。

 リーダーの考えはこの活動はあくまでも趣味ではあるが、ライブなどでは入場料を客からいただく以上それは「仕事」に近いというものである。だから真剣にやらなければいけないしお金は大事なものであるから、おろそかには出来ないというものらしい。

 しかし私はこの考え方には疑問である。たかが仕事ではないか。普通に働いている仕事でもそんなに意識する事もなく我々は働いている。ほとんど惰性で働いている。お金、お金って考える方がいやらしい。逆に今やっている活動が趣味ならば、そんなお金お金だというくだらない考えはポイッと捨てて、無心に無邪気にやれば良いのだ。

 好きなように、我がままに(良い意味である)、思うままに、思いっきりやれば良い。客に媚びない。媚びれば下品である。品がない。自分が好きな曲を好きなように、喜びながらやれば良い。楽しんで、楽に、イキイキと、伸びやかに。

 お金をいただくのだから・・・という心の裏側には自分の我を守ろうとする「こだわり」「固さ」がある。じゃあ、金なんかもらうな。と私は言いたい。私はよく分からないが、ライブハウスで素人がライブをやってお金をいただく場合、店からいくばくかのお金を(総収入の内の)いただくのだろうか。それだったらもらわない方が良い。あくまで店に対してはボランティアでやらせて貰った方がいいのである。

 自分の技を下品にするくらいなら、ボランティアでやった方が良い。確かに交通費とか諸々の経費ぐらいは最低でも貰うべきだという考え方もあるのかも知れない。が、趣味とは本来そんなものであり、全て持ち出しという形であり、どんな趣味でも誰でも皆それについては疑いなしで実行している事である。

 だから純粋に趣味に取り組んでいる男達の方が絶対的に品が良いのだ。お金の方だって、そういう使われ方をしてもらう方が嬉しいのかも知れない。お金は貰うな。

 しかし私は少し違う。
私は趣味の方が仕事よりもお金をたくさん貰っても良いと考える。最低の経費?交通費?そんなけち臭い事は言わない。ガバッと貰えよと言いたい。本来の仕事よりはるかに凌駕するほどのお金を稼いで良いのである。それ程の自己に対してのプライドを持っても良いのである。

 そういう意識の中から本当の品が出てくる。貰っても良いし貰わなくても良いのである。とにかくお金なんかにこだわるなよと言いたいのである。

 先のリーダーは客の「受け」を気にする。そりゃあステージに立つ以上「受け」を気にする事は大切な事だろう。が、あえて言えばそんなものは捨てちまえ。それよりも自分自身が感動するステージをやれば良いのである。自分が感動すればそれは客席にも伝わって行き客も感動するのである。自分はどこか白けててあるいは乗らなくて表面的だけで「ノリ」を装っていても、それは客に喜びも感動も与えないのである。先ずは自分が「元気」になることである。そうすれば何を歌えば良いか、何とトークすれば良いか、誰とコラボすれば良いか自然と分かってくるのである。


●スワイソウ 300回(飲んだせいか完全に夜の日課を忘れてしまった)
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06月02日

起床時刻:03時10分

 就寝午後10時過ぎ頃。変な夢を見て目が醒めたのがその30分後。まだ午後11時を少し過ぎた頃だった。当然再び寝る。で、次は午前2時頃だった。そして又再び寝る。すぐに寝られた。睡眠時間は4時間40分。良く寝たほうではないか。外は雨。

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06月01日

起床時刻:04時24分

 就寝午後11時過ぎ。途中何度か目覚めるが、それでも午前2時だった為、起きず。この間1時間半単位で目覚める。やや活動不足かもしれない。しかし夜明けに向ってはまとまった睡眠時間が取れるようだ。睡眠時間は5時間と少し。あるいは5時間半弱。


 私の最近の日々の生活パターンは大体パターンが決まっている。
朝は早い。一般の人と比べたら随分早い方かも知れない。大体午前3時、4時台が多く、たまに2時台に起きる事もある。段々早くなっているのかもしれない。30歳の頃からこの早起きは始まったと思う。それ以前の若い頃は普通であり、特にサラリーマン時代は日曜日となればお昼前頃まで布団の中で過ごしていたものである。

 学生時代はもっとひどかった。大学生の頃は授業でもそんなに出る必要がないと思えばそのまま寝ていたものである。当然夜は遅くまで起きていて深夜遅く食べ物を食べたりしていた。だから、最近の若者と触れ合っても、周りの中高年のようにその行動に対してそんなに目くじらを立てたりはしないのだろう。

 そういう意味で大学時代というものは貴重な時間かもしれない。高校卒業後すぐに就職した同僚達は皆多くが若者に対して厳しい意見を持っているようである。自分自身がそんな自堕落(?)な生活の経験があまりなければ、実際に垣間見る若者の行動に疑問を持つのだろう。その点私は自分自身がそういう生活の経験が豊富な為、今の若者を包容出来るのである。

 話が違う方向に脱線した。私はいつもそうである。初め何かのテーマで書き始めていたものを何かのキーワードが心に引っかかり、その言葉を足がかりにそっちの方向にズンズンと進んでいくのである。ま、それはそれで面白いのかも知れない。話しのネタには困らない。

 しかし元に戻る。超早起きだから時間はたっぷりとある。朝刊を読んだりブログを書いたり、時には朝風呂に入ったり、仕事もしたりする。自転車で街の中を散策する事もある。そして楽しみの一つにはコーヒーがある。最近義理のお姉さんからもらったレギュラーコーヒーがあったのでもう使わないだろうと思っていたコーヒーメーカーを再び出して来て使い始めた。インスタントも美味しいがレギュラーはやはり美味いものである。

 そして・・・それら一連のルーティンの中でも最も力を入れているのは「瞑想」である。もうこれは1年近くになる。最初の頃は中々その効果が分かりにくく、それでも勢いでやっていたものだが、本当はその実際の効用が分かりにくければ、途中で挫折していたかも知れない。

 が、最近は少しだけはその効果が精神と体において分かるようになってきたと思う。瞑想は確かに私に力をくれているようである。具体的なパワーをくれているように感じるのだ。それはどうやって実感できるのかと言えば、ある思いが湧いてきたり、ある行動をやりたくなる動機として瞑想があるように思うのである。

 もっと分かりやすく言えば、ある場所に行きたいと思うのは瞑想の積み重ねかも知れない。そういう意欲とか勇気のようなものができる為に必要なエネルギーが瞑想によって生まれたり、あるいは、外から取り入れてくれているのかもしれない。

 そしてもっと実際的に言うと、私の食生活に連動しているのである。私は昔からヨガ的な生活に興味を覚え、早起きもその内の一つだが、睡眠と関連のある食事の研究も実践してきた。その中で究極とも言える「少食」の実践が最も大きいのである。1年前に一日一食を一度体験し、半年以上続けたりした。その効果は絶大で、色々な私に功徳をもたらしてくれたりしたものである。

 しかしそれは長くは続かず、つまり我慢が内包している為、続かないのである。反動があってリバウンド的なことになったりするのである。本当に食欲とは人間の欲望の中で最も大きなものかも知れない。しかしそれも瞑想を実践し続ける中で、少食が我慢ではなく当たり前になってきているのを感じるのである。

 だからと言って、美味しい料理を目の前にしたら、私だって本当に食べたくなるのは当然である。もし仮にそれがなくなったら、ある意味で病気かも知れない。だから私は健康な証拠として食べたいと言う欲求は大切にしている。しかし瞑想は食べない事を我慢ではなく「自分の成長の為」と変換してくれる。

 自分を強くする為に食べない。それは心地よい我慢であるのかも知れない。だからそれは平凡な凡庸なリバウンドは起こさないのかもしれないと私は期待しているのだ。人間は無限の力を持っている。それを心と体で強く実感できるのが一日一食の生活であり、それを助けてくれる瞑想のような気がしているのだ。

 瞑想は最近は朝と晩二回。他にやることもない時には日中にもやったりする。しかしそういう時は何となく気分がスッキリしたりする。そして瞑想にしろ超少食にしろ何で私がそんなに熱心に頑張れるのかと言えば、結局「夢の実現」の為かも知れない。今回の人生で自分が本当にやりたいこと、職業としてやり続けて行きたいことを創造する為のパワーを私に与えてくれ、あるいは、気づかせてくれそうな気がするのである。いや、本当はそんな自己実現的な大仰な事ではなくて、毎日の日々の何気ない行為の一つ一つを大切に切実に生きたいという根源的な欲求であるのかもしれないな。


●スワイソウ 700回()
※スワイソウは2012年6月16日からスタート   
●テンションアップ8日目
●1日1食 13日目

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